説明

高効率耐熱性多層膜回折格子

【課題】1-3keV(波長:0.4-1.2nm)のエネルギーをもつX線領域において、高い回折効率および高い耐熱性をもつ、回折格子に多層膜を適用した斜入射による全反射を利用した斜入射型の多層膜回折格子分光器を提供する。
【解決手段】ラミナー型回折格子基板1、またはブレーズド型の格子溝を表面に有する回折格子基板に、モリブデン(Mo)2と窒化ホウ素(BN)3、またはMo2と酸化ケイ素(SiO2)3を成膜材料として用いた、Mo/BN多層膜、またはMo/SiO2多層膜を成膜する。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、X線光源からの1-3keV(波長:0.4-1.2nm)のエネルギーをもつ白色もしくは多波長X線、または試料を透過もしくは試料から反射した多波長X線に対して、必要とする単色または準単色X線を選択的に取り出す分光光学素子として使用される高効率耐熱性多層膜回折格子に関するもの、準単色X線または多波長X線を目的とする方向に分散させる分散光学素子として使用される高効率耐熱性多層膜回折格子に関するものである。
【0002】
本発明は、1-3keVのエネルギーをもつX線の分光光学素子または分散光学素子を必要とする全ての分野(例えば分光器、分光写真器などの開発およびこれらの機器を用いた分光計測、分析測定など)に対して、応用を有する。
【背景技術】
【0003】
1-3keV(波長:0.4-1.2nm)のエネルギーをもつX線領域では、あらゆる物質の直入射反射率はゼロに近く実用的でないため、斜入射による全反射を利用した斜入射光学系が主流となっている。
【0004】
多層膜は、2種類以上の物質を交互に何十層も積層させた光学素子であり、多層膜にX線を入射させると、各層から反射されるX線が特定の方向に強め合う干渉を起こす。この強め合いの干渉効果を利用する多層膜を用いることにより、直入射領域においても高い反射率が得られる。また、多層膜は斜入射領域においても、直入射領域と同様の強め合いの干渉効果を実現することが可能であることが知られている。
【0005】
分光光学系においても、直入射における反射率の低さは共通の問題であり、分光器においては斜入射型回折格子分光器が一般的である。しかし、回折格子分光器では、分光器を形成する回折格子、反射鏡の各光学素子の表面に金(Au)が用いられていることから、2keV(波長:0.6nm以下)以上のエネルギー領域では、AuによるX線吸収の効果もあり実用的でない。
【0006】
現在までに、回折格子の効率向上を目的として、回折格子に多層膜を適用した、モリブデン/ケイ素(Mo/Si)多層膜、白金/炭素(Pt/C)多層膜、タングステン/炭素(W/C)多層膜、Mo/C多層膜、ニッケル/炭素(Ni/C)多層膜や、タングステン/炭化ホウ素(W/B4C)多層膜、Mo/B4C多層膜などを用いた多層膜回折格子(例えば非特許文献1-3)や、コバルト/酸化ケイ素(Co/SiO2)多層膜回折格子(特許文献1)が開発されてきた。しかし、Pt/C多層膜回折格子においては、PtによるX線吸収の影響により2.2keV以上のエネルギー領域で、W/C多層膜回折格子、W/B4C多層膜回折格子ではWによるX線吸収の影響により1.8keV以上のエネルギー領域での効率が大きく減少してしまう。また、Ni/C多層膜回折格子、Co/SiO2多層膜回折格子では2keVよりも低エネルギー領域での回折効率が低いという問題がある。1-3keVの広いエネルギー領域、特に回折格子が適用できない2keV以上のX線領域においては、Mo/C多層膜回折格子、Mo/B4C多層膜回折格子が高い回折効率を実現する手段となるが、Mo/Si多層膜、Mo/C多層膜、およびMo/B4C多層膜については、300℃以上の温度において構造が不安定になるなど、耐熱性に問題がある(非特許文献4)。
【0007】
また、分光結晶を用いた結晶分光器においては、分光スペクトル中に構成元素に起因する吸収構造、または多重散乱によるピーク構造の影響で分光スペクトルに異常を示すことや、強力なX線にさらされた場合の耐熱性、低エネルギー領域での反射率の低さなど問題が多い。
【特許文献1】特願2006-112213
【非特許文献1】E. Ishigro, T. Kawashima, K. Yamashita, H. Kunieda, T. Yamazaki, K. Sato, M. Koeda, T. Nagano, and K. Sano, “Multilayer coated laminar gratings in the soft x-ray region,”Review of Scientific Instruments 66, 2112 (1995).
【非特許文献2】V.V. Martynov, and Yu. Platonov, “Deep multilayer gratings with adjustable bandpass for spectroscopy and monochromatization,” Review of Scientific Instruments 73, 1551 (2002).
【非特許文献3】R. Benbalagh, J-M. Andre, R. Barchewitz, P. Jonnard, G. Julie, L. Mollard, G. Rolland, C. Remond, P. Troussel, R. Marmoret, and E.O. Filatova, Nuclear Instruments and Methods in Physics Research A 541, 290 (2005).
【非特許文献4】H. Okada, K. Mayama, Y. Goto, I. Kusunoki, and M. Yanagihara, Applied Optics 33, 4219 (1994).
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
本発明は、1-3keV(波長:0.4-1.2nm)のエネルギーをもつX線領域において、高い回折効率を得るための手段、また、分光結晶、および従来の多層膜回折格子が問題とする耐熱性の低さを解決する手段を有する分光光学素子、分散光学素子を提供するものである。
【課題を解決するための手段】
【0009】
本発明の多層膜回折素子は、平面、凹面、凸面などの形状を有し、なおかつラミナー型またはブレーズド型の格子溝を表面に有する回折格子基板上に、1-3keV(波長:0.4-1.2nm)のエネルギーをもつX線領域において、高い反射率をもつ多層膜を成膜することにより実現される。
【0010】
本発明の多層膜は、モリブデン(Mo)および窒化ホウ素(BN)、またはMoおよび酸化ケイ素(SiO2)を成膜物資として用いた、Mo/BN多層膜、またはMo/SiO2多層膜をスパッタリング法(例えば、イオンビームスパッタリング法、マグネトロンスパッタリング法)により成膜することで実現される。
【0011】
本発明の多層膜の成膜物質であるSiO2は、化学的に安定だけでなく、熱的安定性に優れた耐熱性材料でもあることから、Mo/SiO2多層膜は耐熱性多層膜であり、また、Mo/BN多層膜も高い耐熱性を有することから(非特許文献4)、基板または回折格子基板としてSiO2や窒化ケイ素(SiN)の耐熱性材料を用いることにより、600℃以上の高温においても、優れた耐熱性を有する分光光学素子、分散光学素子として使用される多層膜回折素子が実現される。
【発明の効果】
【0012】
本発明おいて生成される多層膜回折格子は、1-3keV(波長:0.4-1.2nm)領域で回折効率が高くなり、このことにより1-3keVのエネルギー領域において、この多層膜回折格子を用いた分光器、分光写真器の開発と、これら装置を用いた分光計測、分析測定が可能となる。
【0013】
また、600℃以上の高温においても、優れた耐熱性を有することから、高強度X線源からの照射や高温プラズマ雰囲気中などの過酷な条件下での使用にも耐えることができ、冷却機構の簡素化や装置の小型化、低コスト化につながる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0014】
本発明における多層膜回折格子は、リソグラフィー技術およびエッチング処理によってラミナー型またはブレーズド型の格子溝を形成した回折格子を基板とし、その表面にモリブデン/窒化ホウ素(Mo/BN)多層膜、またはモリブデン/酸化ケイ素(Mo/SiO2)多層膜を成膜することにより形成される。
【0015】
格子溝の形成方法は、レーザー光を干渉させることにより格子溝パターンを形成するホログラフィックリソグラフィー法とする。多層膜の成膜方法は、イオンビームスパッタリング法またはマグネトロンスパッタリング法とする。
【実施例】
【0016】
以下、図面に基づいて、本発明における多層膜および多層膜回折格子について説明する。
【0017】
図1は、本発明における多層膜回折格子として、モリブデン(Mo)と窒化ホウ素(BN)、またはMoと酸化ケイ素(SiO2)を成膜物質として生成した、ラミナー型Mo/BN多層膜回折格子、またはラミナー型Mo/SiO2多層膜回折格子の構成図である。ラミナー型多層膜回折格子はラミナー型回折格子を基板(1)として、Moを成膜物質として形成される薄膜(2)と、BN、またはSiO2を成膜物質として形成される薄膜(3)を交互に積層することにより形成される。図1のD(4)はラミナー型回折格子の溝間隔を、a(5)は溝の凸部の幅を、b(6)は溝の凹部の幅を、h(7)はラミナー型回折格子の溝深さをそれぞれ表している。
【0018】
図2は、本発明における多層膜回折格子として、MoとBN、またはMoとSiO2を成膜物質として生成した、ブレーズド型Mo/BN多層膜回折格子、またはブレーズド型Mo/SiO2多層膜回折格子の構成図である。ブレーズド型多層膜回折格子はブレーズド型回折格子を基板(8)として、Moを成膜物質として形成される薄膜(2)と、BN、またはSiO2を成膜物質として形成される薄膜(3)を交互に積層することにより形成される。図2のD’(9)はブレーズド型回折格子の溝間隔を、θB(10)はブレーズド型回折格子のブレーズ角をそれぞれ表している。
【0019】
図3は、本発明における多層膜として、MoとSiO2を成膜物質とし、イオンビームスパッタリング法を用いて成膜したMo/SiO2多層膜の透過型電子顕微鏡による断面像を示す。Mo/SiO2多層膜はシリコン(Si)基板(11)の上に膜厚4.0nmのMo層(12)と膜厚6.0nmのSiO2層(13)を10周期(20層)積層することにより、形成されている。図3から、Mo/SiO2多層膜は良好な周期構造、界面構造を形成することが確認できる。
【0020】
図4に、本発明における多層膜として、MoとSiO2を成膜物質とし、イオンビームスパッタリング法を用いて成膜したMo/SiO2多層膜の耐熱性評価グラフを示す。耐熱性評価に用いたMo/SiO2多層膜はSi基板の上に膜厚4.0nmのMo層と膜厚6.0nmのSiO2層を10周期(20層)積層することにより、形成されている。図4の横軸(14)はMo/SiO2多層膜に対する熱処理温度を、縦軸(15)はMo/SiO2多層膜の周期長、および反射率の相対変化率を示す。曲線(16)はMo/SiO2多層膜の周期長の相対変化率を、曲線(17)はMo/SiO2多層膜の反射率の相対変化率をそれぞれ示している。図4から、Mo/SiO2多層膜は、300℃以上の温度においても変化率は小さく、600℃の熱処理に対しても、良好な多層膜構造を維持し、高い耐熱性を有することが確認できる。
【0021】
図5に、本発明における多層膜の成膜物質として、MoとBN、またはMoとSiO2を平面基板上に成膜した、Mo/BN多層膜、およびMo/SiO2多層膜に対する1-3keV(波長:0.4-1.2nm)のX線領域における反射率の計算結果を示す。計算では、Mo層の膜厚を3.2nm、BN層、およびSiO2層の膜厚を4.8nmとし、周期数は30周期(60層)とした。図5の横軸(18)は多層膜に入射するX線のエネルギーを、縦軸(19)は多層膜の反射率を示す。曲線(20)はMo/BN多層膜の反射率曲線を、曲線(21)はMo/SiO2多層膜の反射率曲線をそれぞれ示している。
【0022】
表1に図5に対する、各X線エネルギーにおけるMo/BN多層膜、およびMo/SiO2多層膜へのX線の入射角(多層膜の表面に対する垂線からの角度)を示す。
【0023】
【表1】

【0024】
表2に、本発明における多層膜の成膜物質として、MoとBNを用いて生成したMo/BN多層膜回折格子に対する1-3keV(波長:0.4-1.2nm)のX線領域におけるX線の入射角および、一次光の回折角(多層膜反射鏡の垂線からの角度)、そして回折効率の計算値を示す。計算では、Mo層の膜厚を2.0nm、BN層の膜厚を2.98nm、周期数は30周期(60層)としている。そして、ラミナー型回折格子の溝間隔D(4)を1/2400mm、溝深さh(7)を2.9nmとし、ラミナー型回折格子の凸部の幅a(5)と溝間隔Dとの比a/Dを0.4としている。
【0025】
【表2】

【0026】
表3に、本発明における多層膜の成膜物質として、MoとSiO2を用いて生成したMo/SiO2多層膜回折格子に対する1-3keVのX線領域におけるX線の入射角および、一次光の回折角、そして回折効率の計算値を示す。計算では、Mo層の膜厚を2.0nm、SiO2層の膜厚を2.98nm、周期数は30周期(60層)としている。そして、ラミナー型回折格子の溝間隔Dを1/2400mm、溝深さhを2.9nmとし、ラミナー型回折格子の凸部の幅aと溝間隔Dとの比a/Dを0.4としている。
【0027】
【表3】

【0028】
Mo/BN多層膜回折格子、およびMo/SiO2多層膜回折格子は、1-3keVのX線領域において実用的な高い回折効率を有することが、表2、および表3から確認できる。
【図面の簡単な説明】
【0029】
【図1】ラミナー型多層膜回折格子の構成図を示す。
【図2】ブレーズド型多層膜回折格子の構成図を示す。
【図3】本発明の実施例に係わるMo/SiO2多層膜の透過型電子顕微鏡による断面像を示す。
【図4】本発明の実施例に係わるMo/SiO2多層膜の耐熱性を示す。
【図5】本発明の実施例に関わるMo/BN多層膜、およびMo/SiO2多層膜の反射率計算値を示す。
【符号の説明】
【0030】
1:ラミナー型回折格子基板を示す。
2:モリブデン(Mo)を成膜物質として形成される層を示す。
3:窒化ホウ素(BN)、または酸化ケイ素(SiO2)を成膜物質として形成される層を示す。
4:ラミナー型回折格子の溝間隔を表す。
5:ラミナー型回折格子の凸部の幅を表す。
6:ラミナー型回折格子の凹部の幅を表す。
7:ラミナー型回折格子の溝深さを表す。
8:ブレーズド型回折格子基板を示す。
9:ブレーズド型回折格子の溝間隔を表す。
10:ブレーズド型回折格子のブレーズ角を表す。
11:シリコン(Si)基板を示す。
12:Moを成膜物質として形成された層を示す。
13:SiO2を成膜物質として形成された層を示す。
14:図4において、Mo/SiO2多層膜に対する熱処理温度示す。
15:図4において、Mo/SiO2多層膜の周期長、および反射率の相対変化率を示す。
16:Mo/SiO2多層膜の周期長の相対変化率を示す。
17:Mo/SiO2多層膜の反射率の相対変化率を示す。
18:図5において、多層膜に入射するX線のエネルギーを示す。
19:図5において、多層膜の反射率を示す。
20:Mo/BN多層膜の反射率曲線を示す。
21:Mo/SiO2多層膜の反射率曲線を示す。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
1-3keV(波長:0.4-1.2 nm)のX線領域で機能する多層膜回折格子であり、回折格子基板上に成膜される2種類の物質が周期的に積層した多層膜において、成膜物質として、Mo(モリブデン)と窒化ホウ素(BN)、またはMoと酸化ケイ素(SiO2)が用いられている高効率耐熱性多層膜回折格子。
【請求項2】
回折格子基板表面にラミナー型またはブレーズド型の格子溝が形成され、その溝間隔が等間隔もしくは不等間隔である請求項1に記載の多層膜回折格子。
【請求項3】
多層膜回折格子に入射するX線の入射角が、多層膜回折格子の表面に対する垂線に対して、80度以上の角度である請求項1または2に記載の多層膜回折格子。

【図4】
image rotate

【図5】
image rotate

【図1】
image rotate

【図2】
image rotate

【図3】
image rotate


【公開番号】特開2008−90030(P2008−90030A)
【公開日】平成20年4月17日(2008.4.17)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2006−271484(P2006−271484)
【出願日】平成18年10月3日(2006.10.3)
【出願人】(505374783)独立行政法人 日本原子力研究開発機構 (727)
【出願人】(000001993)株式会社島津製作所 (3,708)
【Fターム(参考)】