説明

ばねおよびその製造方法

【課題】材料コストの低減や製造工程の簡略化を図るとともに、耐疲労性に優れたばねおよびその製造方法を提供する。
【解決手段】質量%で、C:0.5〜0.7%、Si:1.0〜2.0%、Mn:0.1〜1.0%、Cr:0.1〜1.0%、P:0.035%以下、S:0.035%以下、残部が鉄及び不可避不純物からなる組成を有し、ばね素線の任意の横断面において、面積比率で焼戻しマルテンサイト組織が95%以上であり、任意の横断面の円相当直径をD(mm)としたときに、圧縮残留応力層が表面から0.35mm〜D/4の範囲まで形成され、その最大圧縮残留応力が800〜2000MPaであり、前記横断面の中心のビッカース硬さが550〜700HVであり、表面から深さ0.05〜0.3mmの範囲に、前記中心硬さより50〜500HV大きい高硬度層が形成されていることを特徴とするばね。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、耐疲労性に優れたばねおよびその製造方法に関する。
【背景技術】
【0002】
自動車のエンジン用弁ばね材料は、JIS規格において炭素鋼オイルテンパー線(SWO−V)、Cr−V鋼オイルテンパー線(SWOCV−V)、Si−Cr鋼オイルテンパー線(SWOSC−V)等があり、従来、耐疲労性や耐へたり性の観点からSi−Cr鋼オイルテンパー線が広く使用されている。近年、自動車の燃費向上のため弁ばねは軽量化が強く要求されており、ばねの設計応力の増加を図るため、素線の引張強さを増加させる傾向にある。しかしながら、高強度化に伴い、JIS規格のオイルテンパー線は疵あるいは介在物等の欠陥に対する切欠き感受性が著しく増加しているため、冷間ばね成形(コイリング)時の折損や、使用中に脆性的な破壊形態を示す傾向が強くなることが問題となっている。また、ばねはコイリング時に圧縮外力を受けた方向にはコイリング後に引張残留応力が、コイリング時に引張外力を受けた方向にはコイリング後に圧縮残留応力がそれぞれ発生し、素線の引張強さが高いほどこれら残留応力値が大きくなる傾向がある。さらに、コイルばねを圧縮変形させた場合、素線においてコイル内側の表面に最も高い引張応力が掛かることが知られている。したがって、冷間成形したコイルばねを圧縮変形させる場合、コイル内側はコイリング後の引張残留応力に加え、ばね圧縮時の高い引張応力が重畳し、疲労強度の低下を招く場合が多い。
【0003】
これに対する1つの手段としては、素線表層で高くかつ深い内部に至る圧縮残留応力を付与することが挙げられる。たとえば、ショットピーニングによって素線表層に圧縮残留応力を付与することで耐疲労性を向上させることが広く行われている。また、ショットピーニングにより表層の圧縮残留応力を高めることにより、表面を起点とした早期折損を低減することができる。しかしながら、高硬度化に伴い素線の降伏強度が増加するため、ショットピーニングにより与えられる表層の塑性ひずみ量が減少し、圧縮応力が残留する領域(素線表面から圧縮残留応力がゼロとなる位置までの深さ方向の距離)を厚く形成することが困難となっている。また、設計応力の増加によって、作用応力と圧縮残留応力の合成応力(素線内部が受ける正味応力)の分布が径方向で最大となる深さは、素線径や作用応力等によるが、表面から200〜600μm程度の領域である。そして、その範囲の中に20μm程度の介在物が存在すると、介在物周りに素材の疲労強度を上回る、すなわち折損起点となる程の応力集中が生じてしまう。そこで、これらの課題を解決すべく以下の方法が提案されている。
【0004】
特許文献1および特許文献2には、コイル状部材を誘導加熱するための方法について記されている。しかしながら、誘導加熱後のコイルに関して、その材料強度や金属組織に関する性質は記載されておらず、誘導加熱による効果は不明である。
【0005】
特許文献3には、JIS規格鋼の化学成分にV等の元素を添加したオイルテンパー線材を用いて製造した耐疲労性に優れたばねについて記されている。しかしながら、これら添加元素は結晶粒の微細化等により鋼材の靭性を高め、耐疲労性の向上に寄与するが、材料コストが高くなる。
【0006】
特許文献4には、Ba、A1、Si、MgまたはCaの添加量を調整した鋼材を用いて成形した疲労特性に優れたSiキルド鋼線ばねについて記されている。しかしながら、これら添加元素をバランスよく含有させるためには鋼精錬工程上の管理が著しく困難となり、結果的に高コストになってしまう。
【0007】
特許文献5には、鋼の化学成分を調整し、疲労起点となる介在物の大きさを小さくするとともに結晶粒径を小さくすること等によって疲労強度を向上させたばねについて記されている。このばねは、疲労強度の向上はみられるが、その疲労強度レベル(最大せん断応力τmax=約1200MPa)は近年の軽量高強度弁ばねに要求される実用強度(τmax=約1300〜1400MPa)と比較して低い。また、特許文献5では、さらに高い疲労強度を得るために窒化処理を追加することとしている。しかしながら、窒化は表面硬度の増加による耐疲労性の向上が見込めるものの、窒化処理後に疲労強度を低下させる原因となり得る表層の鉄窒素化物を完全に除去する必要があるため、製造工程が複雑になり、かつ窒化処理費用も高いため、結果的に高コストになる。
【0008】
特許文献6には、JIS規格ばね鋼の化学成分にMoやV等を添加し、オ−ステンパー処理を施した冷間ばね成形性に優れた高疲労強度ばね用鋼線について記されている。これは、降伏比(引張強度に対する降伏強度の割合)を0.85以下とすることで、冷間ばね成形後に残留するコイル内側の引張残留応力を小さくすることを狙ったものである。しかしながら、降伏比が0.85以下の線材を用いてコイリングし、かつばね成形後に焼鈍を行ってもばね成形後に発生した引張残留応力を内部に亘って十分低下させることは難しく、その後にショットピーニングを施しても圧縮残留応力を深く付与することは困難であり、耐疲労性の向上に限界がある。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0009】
【特許文献1】国際公開番号WO2005/081586
【特許文献2】特開2008−115468
【特許文献3】特開昭64−83644
【特許文献4】特開2008−163423
【特許文献5】特開2005−120479
【特許文献6】特開平2−57637
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0010】
本発明は、材料コストの低減や製造工程の簡略化を図るとともに、耐疲労性に優れたばねおよびその製造方法を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0011】
本発明者らは、高強度弁ばねの疲労強度について鋭意研究を行った。その結果、コイリング後に発生する残留応力は、焼鈍により低減可能であり、処理温度が高いほど残留応力を低減できるが、材料は軟化が進み、成分調整による焼鈍軟化抵抗の増加も限りがあるので、ばねの高強度を維持しつつその引張残留応力を無くすことは根本的に困難であるとの考えに至った。そこで、冷間コイリング後に一旦ばねを高温のオ−ステナイト化温度まで加熱し、コイリングで発生した残留応力を実質的にゼロとした後、組織を改善することが有効であるとの考えに至った。そして、オ−ステナイト化温度まで加熱したばねを室温付近まで急速冷却し、硬度の高いマルテンサイト組織を得た後、特定の条件で焼戻しを行い、強度と延性のバランスに優れた焼戻しマルテンサイト組織とし、次いでショットピーニングを行って、素線表層で高くかつ深い内部に至る圧縮残留応力層を形成させることにより、耐疲労性が向上することを見出した。
【0012】
さらに、特定の条件に加熱するひずみ時効と特定の条件で永久ひずみを与えるセッチングを行うことにより、ばねとして使用中の永久変形が低減され、耐へたり性が向上することを見出した。そして、表層で高くかつ深い内部に至る圧縮残留応力層が形成されたコイルばねには、コイリング前の素材にJIS規格のオイルテンパー線や同組成の硬引線、焼鈍線等の低廉材を用いることができる。また、適切な熱履歴条件を選び所定の組織構成・元素濃度構成要件を満たせば、特に複雑な熱処理工程は用いなくても、その後の工程でショットピーニング、ひずみ時効やセッチングを所定の条件で実施することにより、耐疲労性に優れたコイルばねを製造できることを見出した。また、従来行われていた窒化処理を省略しても市場要求に応じた高耐疲労性を付与できるため、処理コストの低減や工程の簡略化を図れることがわかった。
【0013】
すなわち、本発明のばねは、質量%で、C:0.5〜0.7%、Si:1.0〜2.0%、Mn:0.1〜1.0%、Cr:0.1〜1.0%、P:0.035%以下、S:0.035%以下、残部が鉄及び不可避不純物からなる組成を有し、ばね素線の任意の横断面において、面積比率でマルテンサイトを焼戻しした組織(構造分析上フェライトと鉄炭化物からなり、焼戻しマルテンサイト組織と呼ぶ)が95%以上であり、任意の横断面の円相当直径をD(mm)としたときに、圧縮残留応力層が表面から0.35mm〜D/4の範囲まで形成され、その最大圧縮残留応力が800〜2000MPaであり、横断面の中心のビッカース硬さが550〜700HVであり、表面から深さ0.05〜0.3mmの範囲に、中心硬さより50〜500HV大きい高硬度層が形成されていることを特徴とする。ここで、素線の円相当直径が1.5〜15mmであると好ましい。また、本発明のばねは、コイルばねであることが好ましい。なお、本発明のばねは、スタビライザー、板ばね、テンションロッド、皿ばね等に用いてもよい。
【0014】
また、本発明のばねの製造方法は、質量%で、C:0.5〜0.7%、Si:1.0〜1.8%、Mn:0.1〜1.0%、Cr:0.1〜1.0%、P:0.035%以下、S:0.035%以下、を満たし、残部が鉄及び不可避不純物からなる組成の鋼材に対し、鋼材をばねに成形する成形工程と、オーステナイト化後室温まで冷却する焼入れ工程と、加熱した後室温まで冷却する焼戻し工程と、ショットを投射する第1のショットピーニング工程と、ばねを加熱し冷却するひずみ時効工程と、ばねに永久ひずみを与えるセッチング工程とを順番に行うことを特徴とする。
【0015】
本発明によれば、高価な合金元素を含有せず、入手が容易なJIS規格のばね鋼組成の鋼線を用い、複雑な熱処理や表面硬化処理を行わなくても、素線表層に高硬度層と厚い高圧縮残留応力層を有する耐疲労性に優れたばねを得ることができる。また、本発明のばねによると、合金元素量が少なくリサイクル性にも優れ、かつ製造工程の簡略化や、処理時間の短縮化による生産性の向上や省エネルギー化が可能である。
【0016】
まず、本発明に用いる鋼の化学成分の限定理由について説明する。なお、以下の説明において「%」は「質量%」を意味する。
【0017】
・C:0.5〜0.7%
Cは、1800MPa以上の引張強さを確保するために重要な元素であり、0.5%以上含有させることが必要である。しかしながら、C濃度が過剰になると延性の低下を招くため、0.7%以下に抑える。このため、Cは0.5〜0.7%添加する。
【0018】
・Si:1.0〜2.0%
Siは、固溶強化に寄与する元素であり、高強度を得るために有効な元素である。ただし、Si量が過剰であると、素材の加工性が著しく低下し、製造が困難になるため、2.0%以下に抑える。このため、Siは1.0〜2.0%添加する。
【0019】
・Mn:0.1〜1.0%
Mnは、鋼材の焼入れ性を高める元素であり、本発明の要件にある焼戻しマルテンサイト比率を得るために、0.1%以上含有させる。一方、含有量が過剰であると偏析が生じ加工性が低下し易くなるため、1.0%以下に抑える。このため、Mnは0.1〜1.0%添加する。
【0020】
・Cr:0.1〜1.0%
Crは、鋼材の焼入れ性を高めて強度を容易に向上させることができる元素であり、0.1%以上含有させる。ただし、1.0%を超えて過剰に含有させると鉄炭化物を生じ易くなり、延性の低下を招くため、1.0%以下に抑える。このため、Crは0.1〜1.0%添加する。
【0021】
・P:0.035%以下およびS:0.035%以下
PおよびSは、粒界偏析による粒界破壊を助長する元素であるため、低濃度である方が望ましく、含有しないことがさらに望ましいが不可避不純物であるため、上限を0.035%とする。好ましくは、0.01%以下である。
【0022】
次に、全組織における面積比率の限定理由について説明する。
・焼戻しマルテンサイト:95%以上
焼戻しマルテンサイトとは、ここではオーステナイト化温度に加熱後に急冷して得られたマルテンサイトに対し加熱(焼戻し)を行い、マルテンサイトをフェライトと鉄炭化物に分解させた組織と定義する。マルテンサイトはオーステナイト状態のCをそのまま過飽和に固溶しており、硬度は非常に高いが延性は著しく乏しい。そのため、焼戻しを行うことにより、マルテンサイトから適度にCを排出(鉄炭化物を析出)させ、延性を向上させる。本発明によれば、高強度かつ高延性を示す焼戻しマルテンサイト組織が得られ、その面積比率は優れた耐疲労性を示すために95%以上必要である。95%未満の場合は、軟質な残留オ−ステナイトやフェライト、パーライトを多く含有することになるため、耐疲労性が低下する。
【0023】
次に、ばね素線横断面における諸特性の限定理由について説明する。なお、「横断面」とは、ばねの素線の長手方向と直交する断面をいう。
【0024】
・圧縮残留応力層
圧縮残留応力層は主にショットピーニングにより与えられる。本発明では圧縮残留応力層の厚さは0.35mm〜D/4とする。表面から深さ200μm〜D/4程度の範囲は、本発明のばね素線径範囲において外部負荷による作用応力と残留応力との合成応力を考慮すると、疲労破壊の起点となりやすい箇所である。このため、圧縮残留応力層の厚さが0.35mm未満であると、内部起点の疲労破壊を抑制するには不十分である。また、圧縮残留応力層の厚さが厚過ぎると、鋼材全体の応力バランスを維持するために、圧縮残留応力がゼロとなる深さ(クロッシングポンイント)よりさらに内側に存在する引張残留応力が著しく高くなる。この引張圧縮残留応力が外部負荷によりばね素線に発生する引張応力に重畳し亀裂の発生を促進するため、D/4を上限とする。
【0025】
上記圧縮残留応力層の最大圧縮残留応力は800〜2000MPaとする。表層の最大圧縮残留応力は疲労亀裂の発生および進展を抑制するために高いほうが望ましく、高設計応力で使用することを考慮し、最大圧縮残留応力は800MPa以上必要である。一方、表層の最大圧縮残留応力が著しく高い場合、前述のようにクロッシングポイントより深い内部での応力バランスに起因した引張残留応力により、内部破壊が発生する恐れがあるため、2000MPaを上限とする。
【0026】
・高硬度層
線材中心の平均ビッカース硬さは、必要な荷重に耐え得る強度を確保するために550HV以上必要である。一方、硬さが過剰に高い場合は、伸びが小さくなる上、鋼材自体の切欠き(き裂)感受性が増加し、疲労強度が低下する恐れがある。このため、線材中心の平均ビッカース硬さは、700HV以下に抑える。一方、素線表層の高硬度層は亀裂の発生を抑制するために非常に効果的であり、芯部平均ビッカース硬さより50HV以上大きいことが必要である。しかしながら、硬度が大き過ぎると著しく脆くなるため、増加幅の上限は500HV以下とする。さらに上記高硬度層の厚さは、亀裂の発生を抑制するため0.05mm以上必要であるが、厚過ぎると鋼材自体の靭性低下を招くため0.3mm以下とする。
【0027】
次に、本発明のばねの製造方法について説明する。
・成形工程
成形工程は鋼材を所望の形状に成形する工程であり、コイリングであることが好ましい。成形する際の素線の温度は特に限定しないが、製造コストを抑制するため通常行われる冷間成形が好ましい。成形方法はばね形成機(コイリングマシン)を用いる方法や、芯金を用いる方法等を利用すればよい。
【0028】
・座面研磨工程
本工程は必要に応じて行い、ばねの両端面をばねの軸芯に対して直角な平面になるように研磨する。
【0029】
・焼入れ工程
本発明においては、焼入れ工程において、オーステナイト化温度が鋼のAc3点〜(Ac3点+250℃)であり、かつ室温への冷却速度が20℃/s以上であることが好ましい。オ−ステナイト化は、Ac3点〜(Ac3点+250℃)で熱処理を行う必要があり、これによりコイリングで発生した残留応力を実質的にゼロにすることができる。このため、オーステナイト化温度は本発明のばねを実現するための製造方法において非常に重要な制御因子である。加熱温度がAc3点未満ではオ−ステナイト化しないため、マルテンサイトが得られず(必然的に焼戻しマルテンサイトが得られず)所望の組織を得ることができない。また、(Ac3点+250℃)を超えると、旧オ−ステナイト粒径が粗大化し易くなり、延性の低下を招く恐れがある。旧オ−ステナイト粒径の粗大化はばねの耐疲労性を低下させる原因となる場合があるため、焼入れ工程終了後の平均旧オ−ステナイト粒径は20μm以下が望ましい。
【0030】
また、オ−ステナイト化後に行う室温までの冷却速度はマルテンサイトを安定して得るために速いほど良く、20℃/s以上の冷却速度で行う必要があり、より好ましくは50℃/s以上である。一方、20℃/s未満では冷却途中でフェライトやパーライトが多量に生成するため、本発明要件の組織構成を得ることができない。
【0031】
・焼戻し工程
焼入れ工程で得られるマルテンサイト組織は延靭性が著しく乏しいため、強度と延靭性のバランスに優れた組織を得るため、再加熱し、次いで室温まで冷却する。このとき、焼戻し工程において、加熱温度が330〜480℃であり、かつ加熱時間が20分以上であることが好ましい。これらは本発明のばねを実現するための製造方法において非常に重要な制御因子である。加熱温度が330℃未満であると、マルテンサイトからフェライトおよび鉄炭化物への分解が十分行われず、マルテンサイト自体の靭性がほとんど改善されない。一方、480℃を超えると、鉄炭化物の粗大化が進むため、ばねとして必要な荷重に耐える強度を得ることができない。また、加熱時間が20分未満では上記マルテンサイトの分解が十分に行われず、延靭性が乏しくなる。なお、加熱時間が60分を超えても強度−延靭性バランスはほとんど変化しないため、生産効率や製造コストを考慮すると60分以下が望ましい。
【0032】
・第1のショットピーニング工程
第1のショットピーニングは、ばねに金属粒を衝突させ、表面に圧縮残留応力を付与するもので、これによりばねの耐疲労性が著しく向上する。本発明では、焼入れ工程後において成形によって発生した残留応力は実質的にゼロとなっており、本ショットピーニングによりばねの素線表層で高くかつ深い内部に至る圧縮残留応力層を形成させることができる。したがって、ショットピーニング工程は本発明にある所望の圧縮残留応力層を得るために重要な工程である。
【0033】
第1のショットピーニング工程において、ショット材の球相当直径は0.6〜1.2mm、ショットの投射速度は60〜100m/s、カバレ−ジは100%以上であることが好ましい。ショット材の球相当直径は、0.6mm未満の場合はピーニングの投射エネルギ−が小さいため、所望の圧縮残留応力層を得ることができず、1.2mmを超える場合はピーニングの投射エネルギ−が過剰に大き過ぎるため、ばね表面の粗さが大きくなることやばね表面に亀裂が発生し易くなるため好ましくない。また、投射速度が60〜100m/sの範囲外であると、先に述べたショット材の球相当直径の範囲外の場合の理由と同様に好ましくない。カバレ−ジは、100%未満の場合、ショットが当たっていない箇所に引張応力が残留し、これがばねの耐疲労性等を低下させる原因となるため好ましくない。
【0034】
なお、ショットピーニングは複数回繰り返して実施することができる。その場合、先に実施するショットピーニングに用いるショット材の球相当直径は、後に実施するショットピーニングに用いるショット材の球相当直径より小さいことが望ましい。これは、先に実施したショットピーニングにより増加した表面粗さを低減するために行う。
【0035】
ショットピーニングで使用するショット材として、カットワイヤやスチ−ルボ−ル、FeCrB系などの高硬度粒子等を用いることできる。また、圧縮残留応力は、ショット材の球相当直径や投射速度、投射時間、および多段階の投射方式によって調整することができる。
【0036】
・ひずみ時効工程
ショットピーニング工程で素線に導入されたひずみは、多量の転位を伴っている。ところが、この転位が移動することで永久変形が生じると考えられている。ばねの永久変形は、所定荷重を得られなくなる等、種々の不具合をもたらし問題となる。そこで、転位の移動を抑制するため、ばねを加熱(ひずみ時効)する。ひずみ時効は、C等の固溶原子が転位の周囲に移動し、転位を固着することで永久変形量を低減すると考えられている。
【0037】
本発明においては、ひずみ時効工程において、加熱温度が150〜300℃であり、かつ加熱時間が10分以上であることが好ましい。150℃未満ではC等の移動が十分行われず転位の固着効果が小さいため、永久変形量が大きくなる。また、300℃を超える場合は、ショットピーニングで得られた圧縮残留応力が低減するため、耐疲労性の低下を招く。また、加熱時間が10分未満では、C等の移動が十分行われず転位の固着効果が小さいため、使用時の永久変形量が大きくなる。なお、加熱時間が60分を超えても、転位の固着効果が飽和するため、生産効率や製造コストを考慮すると60分以下が望ましい。
【0038】
・セッチング工程
セッチングは、塑性ひずみを与えることにより弾性限が向上することと、永久変形量(へたり量)を低減するために行う。セッチング工程において、150〜300℃に加熱し、かつ素線表面に作用するせん断ひずみが0.015〜0.022であることが好ましい。これは、上記ひずみ時効の効果を重畳させることを狙い、ひずみ時効での加熱温度のまま(150〜300℃)セッチングを行うことにより、著しく耐へたり性を向上させることができるからである。セッチングにおいて、素線表面に作用するせん断ひずみが0.015未満では塑性ひずみが小さく、永久変形量が大きくなる。また、0.022を超える場合は、素線表層に予き裂が生じ、ばねとしての使用時にき裂が進展し、所望の寿命より早期に折損する可能性が高くなる。
【0039】
・第2のショットピーニング工程
セッチング工程の後、再度ショットを投射する第2のショットピーニング工程を有し、かつ用いるショットの球相当直径は第1のショットピーニング工程に用いるショットの球相当直径より小さいことが好ましい。本工程は必要に応じて行うが、第1のショットピーニングよりも球相当直径が小さいショット材を用いることで、ばね素線表面の圧縮残留応力を増加させつつ表面粗さを低減し、耐疲労性の向上を図ることができる。また、素線に導入されるひずみは表面の極めて浅い層に限定されるため、製造時における永久変形量の増加は非常に小さく、実質問題とならない程度である。
【発明の効果】
【0040】
本発明によれば、材料コストの低減や製造工程の簡略化を図ることができ、耐疲労性に優れたばねを得ることができる。
【図面の簡単な説明】
【0041】
【図1】本発明のばねの製造工程の一例を示す図である。
【発明を実施するための形態】
【0042】
以下、本発明を具体的に説明する。図1に本発明のばねの製造工程の一例を示す。質量%で、C:0.5〜0.7%、Si:1.0〜1.8%、Mn:0.1〜1.0%、Cr:0.1〜1.0%、P:0.035%以下、S:0.035%以下、を満たし、残部が鉄及び不可避不純物からなる組成のオイルテンパー線材を用いて、コイリングマシンにより所定形状に冷間コイリングを行い(コイリング工程)、Ac3点〜(Ac3点+250℃)においてオーステナイト化後、20℃/s以上の冷却速度で室温まで冷却を行う(焼入れ工程)。これにより、コイリングで発生した残留応力を実質的にゼロにすることができる。また、オーステナイト化後、急冷することにより、フェライトやパーライトを多量に生成させずにマルテンサイト組織を得ることができる。
【0043】
次に、加熱温度を330〜480℃、加熱時間を20分以上としてばねを加熱した後室温まで冷却する(焼戻し工程)。この工程により、上記のマルテンサイト組織において、マルテンサイトからフェライトおよび鉄炭化物への分解が行われ、強度と延靭性のバランスに優れた組織(焼戻しマルテンサイト)を得ることができる。
【0044】
そして、第一段目としてラウンドカットワイヤーを、第二段目として第一段目よりも小さい球相当直径のラウンドカットワイヤーを用いて、ショットピーニングを行う(第1のショットピーニング工程)。このとき、ショットの球相当直径は0.6〜1.2mm、ショットの投射速度は60〜100m/s、カバレ−ジは100%以上に設定する。上記焼入れ工程において、コイリングで発生した残留応力を実質的にゼロにしているため、このショットピーニングによってばねの素線表層で高くかつ深い内部に至る圧縮残留応力層を形成することができる。したがって、ショットピーニングによりばねの耐疲労性を著しく向上できる。
【0045】
次に、加熱温度を150〜300℃、加熱時間を10分以上としてばねを加熱して冷却を行う(ひずみ時効工程)。上記ショットピーニング工程において、ばね素線にひずみが導入されるが、多量の転位を伴っている。このため、ひずみ時効工程においてばねを加熱し、それによりC等の固溶原子を転位の周囲に移動させて転位を固着する。これにより、転位の移動を抑制することができる。
【0046】
さらに、150〜300℃に加熱し、かつ素線表面に作用するせん断ひずみが0.015〜0.022となるようにばねに永久ひずみを与える(セッチング工程)。この工程において、塑性ひずみを与えることにより、弾性限を向上させ、永久変形量を低減することができる。また、ショットピーニングの第三段目として第二段目よりも小さい球相当直径の砂粒を使用してショットピーニングを行う(第2のショットピーニング工程)。
【0047】
以上のような工程によって作製した本発明のばねは、ばね素線の任意の横断面において、面積比率で焼戻しマルテンサイト組織が95%以上であり、任意の横断面の円相当直径をD(mm)としたときに、圧縮残留応力層が表面から0.35mm〜D/4の範囲まで形成され、その最大圧縮残留応力が800〜2000MPaであり、横断面の中心のビッカース硬さが550〜700HVであり、表面から深さ0.05〜0.3mmの範囲に、中心硬さより50〜500HV大きい高硬度層が形成されている。したがって、本発明のばねは、素線表層に高硬度層と厚い高圧縮残留応力層を有しており、耐疲労性に優れている。
【実施例】
【0048】
図1に示す製造工程によって、ばねの作製を行った。すなわち、表1に記載の化学成分からなるオイルテンパー線材SWOSC−Vを用いて、コイリングマシンにより所定形状に冷間コイリング後、表2に示すようなばねを作製した。そして、表3に記載の条件で熱処理を行った。次いで、ショットピーニングは第一段目として球相当直径0.8mmのラウンドカットワイヤーを、第二段目として球相当直径0.45mmのラウンドカットワイヤーを用いて行った。さらに、230℃で10分間加熱を行ってひずみ時効工程を施した後室温まで冷却し、冷間で最大せん断ひずみ0.020(最大せん断応力τ=1565MPa相当;横弾性係数78.5GPaとした)のセッチングを行った。さらに、ショットピーニングの第三段目として球相当直径0.1mmの砂粒を使用してショットピーニングを行った。このようにして得られたばねに対し、以下の通り諸性質を調査した。その結果を表3に併記する。なお、表3において、本発明で規定した条件を満足しない値については下線で示した。
【0049】
【表1】

【0050】
【表2】

【0051】
【表3】

【0052】
・焼戻しマルテンサイトの面積比率
バフ研磨仕上げで鏡面状に磨いた試料を3%ナイタール液に数秒間浸漬し、その組織を光学顕微鏡を用いて観察した。麻の葉が並んだような模様(灰色部)を焼戻しマルテンサイトとし、その面積比率を画像処理により求めた。
【0053】
・残留応力分布
コイルばねの内径側表面において、素線の軸に対し45°傾きかつばね押し込み荷重を負荷した時に引張ひずみが発生する方向の残留応力をX線回折法を用いて測定した。これにより、最大圧縮残留応力を求めた。また、コイルばね素線を全面化学研磨後上記測定を行い、これを繰返すことで深さ方向の残留応力分布を求め、圧縮残留応力層の厚さを決定した。
【0054】
・芯部の平均ビッカース硬さ
横断面において、中心部でのビッカース硬さを5点測定し、その平均値を求めて芯部平均硬さを得た。
【0055】
・高硬度層の厚さ
横断面において、鋼材の外周表面から中心に向かってビッカース硬さを測定し、上記芯部平均硬さより50〜500HV大きい高硬度層に対し、表面からの厚さを測定した。
【0056】
・耐疲労性
平均応力τmが735MPa、応力振幅τaが637MPaで疲労試験を行い、1×10回を超える耐久回数を示す試料を耐疲労性に優れる(表3で○)とし、それ以前に折損した試料を耐疲労性に劣る(表3で×)とした。
【0057】
本発明の要件を満たすNo.2〜4の試料は、優れた耐疲労性を示す。これに対し、本発明の規定を満足しないNo.1の試料は、熱処理工程における焼戻し温度が高過ぎるため、芯部平均硬さが低く、最大圧縮残留応力が低い。このため、No.1の試料は耐疲労性に劣った。また、本発明の規定を満足しないNo.5の試料は、熱処理工程における焼戻し温度が低過ぎるため、焼戻しマルテンサイト比率が小さく、芯部平均硬さが高過ぎかつ表層の高硬度層および圧縮残留応力層の厚さがともに小さい。このため、No.5の試料は耐疲労性に劣った。これらのことから、適切な温度で熱処理を行うことにより、強度と延性のバランスに優れた焼戻しマルテンサイトを面積比率で95%以上得られ、耐疲労性に優れたばねを得られることを確認できた。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
質量%で、C:0.5〜0.7%、Si:1.0〜2.0%、Mn:0.1〜1.0%、Cr:0.1〜1.0%、P:0.035%以下、S:0.035%以下、残部が鉄及び不可避不純物からなる組成を有し、ばね素線の任意の横断面において、面積比率で焼戻しマルテンサイト組織が95%以上であり、任意の横断面の円相当直径をD(mm)としたときに、圧縮残留応力層が表面から0.35mm〜D/4の範囲まで形成され、その最大圧縮残留応力が800〜2000MPaであり、前記横断面の中心のビッカース硬さが550〜700HVであり、表面から深さ0.05〜0.3mmの範囲に、前記中心硬さより50〜500HV大きい高硬度層が形成されていることを特徴とするばね。
【請求項2】
前記素線の円相当直径が1.5〜15mmであることを特徴とする請求項1に記載のばね。
【請求項3】
前記ばねがコイルばねであることを特徴とする請求項1または2に記載のばね。
【請求項4】
質量%で、C:0.5〜0.7%、Si:1.0〜1.8%、Mn:0.1〜1.0%、Cr:0.1〜1.0%、P:0.035%以下、S:0.035%以下、を満たし、残部が鉄及び不可避不純物からなる組成の鋼材に対し、前記鋼材をばねに成形する成形工程と、オーステナイト化後室温まで冷却する焼入れ工程と、加熱した後室温まで冷却する焼戻し工程と、ショットを投射する第1のショットピーニング工程と、前記ばねを加熱し冷却するひずみ時効工程と、前記ばねに永久ひずみを与えるセッチング工程とを順番に行うことを特徴とするばねの製造方法。
【請求項5】
前記成形工程はコイリングであることを特徴とする請求項4に記載のばねの製造方法。
【請求項6】
前記焼入れ工程において、オーステナイト化温度が前記鋼材のAc3点〜(Ac3点+250℃)であり、かつ室温への冷却速度が20℃/s以上であることを特徴とする請求項4または5に記載のばねの製造方法。
【請求項7】
前記焼戻し工程において、加熱温度が330〜480℃であり、かつ加熱時間が20分以上であることを特徴とする請求項4〜6のいずれかに記載のばねの製造方法。
【請求項8】
前記第1のショットピーニング工程において、ショットの球相当直径は0.6〜1.2mm、ショットの投射速度は60〜100m/s、カバレ−ジは100%以上であることを特徴とする請求項4〜7のいずれかに記載のばねの製造方法。
【請求項9】
前記ひずみ時効工程において、加熱温度が150〜300℃であり、かつ加熱時間が10分以上であることを特徴とする請求項4〜8のいずれかに記載のばねの製造方法。
【請求項10】
前記セッチング工程において、150〜300℃に加熱し、かつ素線表面に作用するせん断ひずみが0.015〜0.022であることを特徴とする請求項4〜9のいずれかに記載のばねの製造方法。
【請求項11】
前記セッチング工程の後、再度ショットを投射する第2のショットピーニング工程を有し、かつ用いるショットの球相当直径は前記第1のショットピーニング工程に用いるショットの球相当直径より小さいことを特徴とする請求項4〜10のいずれかに記載のばねの製造方法。

【図1】
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【公開番号】特開2012−184463(P2012−184463A)
【公開日】平成24年9月27日(2012.9.27)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2011−47175(P2011−47175)
【出願日】平成23年3月4日(2011.3.4)
【出願人】(000004640)日本発條株式会社 (1,048)
【Fターム(参考)】