説明

グリース封入軸受

【課題】安価な手段で水素脆化による軌道面の早期剥離を防止できるようにすることである。
【解決手段】内輪2と外輪3を、高炭素クロム軸受鋼SUJ2を素材として、260℃以上の焼戻し温度で高温焼戻し処理し、グリースAにモリブデン酸塩と有機酸塩を添加することにより、焼戻し温度を少し高くして、グリースAの組成を特定する程度の安価な手段で、水素脆化による軌道面2a、3aの早期剥離を防止できるようにした。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、転がり軸受の軸受内部にグリースを封入したグリース封入軸受に関する。
【背景技術】
【0002】
オルタネータや電磁クラッチ等の自動車用電装補機の回転部を支持するグリース封入軸受では、軌道輪の軌道面に白色組織変化を伴った特異な剥離現象が早期に生じることがある。この剥離現象は、通常の金属疲労に起因する剥離現象と異なり、比較的表面層の浅いところで生じ、荷重の作用する位置が変化しない固定側軌道輪に発生することが多い。
【0003】
この表面層での特異な剥離現象の原因については、加減速を繰り返すサイクルで再現試験が行われ、試験後の軌道輪を水素分析した結果、固定側軌道輪で水素量が増加していることが確認され、鋼の水素脆化によるものと考えられている(例えば、非特許文献1参照)。すなわち、転動体とのすべりによって軌道面に発生する新生面を触媒として、軸受内部に封入されたグリースが分解し、このグリースの分解で発生する水素が鋼中に侵入して、水素脆化を引き起こすものと考えられている。また、自動車用電装補機に使用されるグリース封入軸受は、軸受に流れる微弱電流によって、グリースの分解が促進されることも考えられる。
【0004】
このようなグリースの分解に起因する水素脆化による軌道面の早期剥離を防止する手段としては、グリースにモリブデン酸塩と有機酸塩を添加剤として添加し、新生面でモリブデン酸塩を分解、反応させて、軌道面に酸化鉄とモリブデン化合物被膜を生成し、グリースの分解による水素の発生を抑制する方法が提案されている(例えば、特許文献1参照)。
【0005】
また、少なくとも固定側軌道輪を1.5〜6%Cr鋼で形成し、軌道面に形成されるCrの酸化皮膜によって表面を不活性化し、グリースの分解を抑制するとともに、グリースが分解して水素が発生しても、その鋼中への侵入を防止するようにしたものもある(例えば、特許文献2参照)。
【0006】
さらに、自動車用電装補機に使用される転がり軸受は、泥水や雨水等の外部から浸入する水分や、外気温の変化や運転、停止による温度差に起因する結露による水分から発生する水素が鋼中に侵入する恐れもあることから、軌道面に酸化鉄クロム系の酸化皮膜を形成し、水素の鋼中への侵入を防止するようにしたものもある(例えば、特許文献3参照)。特許文献3に記載されたものでは、焼戻し処理した部材を空気中で再加熱処理することにより、軌道面に酸化鉄クロム系の酸化皮膜を形成している。
【0007】
【非特許文献1】玉田、田中「外輪回転による脆性剥離の再現実験」(社)日本トライボロジー学会トライボロジー会議予稿集、1994年10月、p.749−752
【特許文献1】特開2005−112902号公報
【特許文献2】特開平5−26244号公報
【特許文献3】特再2000−11235号公報
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
特許文献2に記載されたグリース封入軸受は、軌道輪に高Crの特殊材料を用いる必要があるので、製造コストが高くなる問題がある。また、特許文献3に記載されたものも、酸化皮膜を形成するために余分な再加熱処理をする必要があるので、製造コストが高くなる。
【0009】
そこで、本発明の課題は、安価な手段で水素脆化による軌道面の早期剥離を防止できるようにすることである。
【課題を解決するための手段】
【0010】
上記の課題を解決するために、本発明は、内輪と外輪の軌道輪間に転動体が配列された転がり軸受の軸受内部にグリースを封入したグリース封入軸受において、前記軌道輪の少なくとも一方を、高炭素クロム軸受鋼SUJ2を素材として、260℃以上の焼戻し温度で高温焼戻し処理し、前記グリースにモリブデン酸塩と有機酸塩を添加剤として添加した構成を採用した。
【0011】
すなわち、軌道輪の少なくとも一方を、高炭素クロム軸受鋼SUJ2を素材として、260℃以上の焼戻し温度で高温焼戻し処理し、グリースにモリブデン酸塩と有機酸塩を添加剤として添加することにより、焼戻し温度を少し高くして、グリースの組成を特定する程度の安価な手段で水素脆化による軌道面の早期剥離を防止できるようにした。260℃以上の高温焼戻し処理によって水素脆化による脆性剥離が抑制されるメカニズムは明らかではないが、高温焼戻し処理すると金属組織中の残留オーステナイト量が少なくなることから、体心立方構造で格子間の隙間が多いオーステナイトの減少によって、鋼中への水素の侵入が抑制されると考えられる。また、グリースにモリブデン酸塩と有機酸塩を添加剤として添加することにより、軌道面に酸化鉄とモリブデン化合物被膜を生成し、グリースの分解による水素の発生を抑制することができる。
【0012】
前記軌道輪のうちの固定側軌道輪を、高炭素クロム軸受鋼SUJ2を素材として、260℃以上の焼戻し温度で高温焼戻し処理するとよい。
【0013】
前記転がり軸受は玉軸受とすることができる。
【0014】
上述した各グリース封入軸受は、前記転がり軸受が自動車用電装補機の回転部を支持するものに好適である。
【発明の効果】
【0015】
本発明のグリース封入軸受は、軌道輪の少なくとも一方を、高炭素クロム軸受鋼SUJ2を素材として、260℃以上の焼戻し温度で高温焼戻し処理し、グリースにモリブデン酸塩と有機酸塩を添加剤として添加したので、安価な手段で水素脆化による軌道面の早期剥離を防止することができる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0016】
以下、図面に基づき、この発明の実施形態を説明する。このグリース封入軸受1は、図1に示すように、内輪2と外輪3の軌道面2a、3a間に転動体としての複数のボール4が保持器5に保持されて配列された深溝玉軸受であり、シール部材6でシールされた軸受内部にグリースAが封入されている。
【0017】
前記内輪2、外輪3および各ボール4は、高炭素クロム軸受鋼SUJ2を素材として、焼入れ焼戻し処理されている。これらの焼入れ温度はいずれも850℃とされ、軌道輪としての内輪2および外輪3は、260℃の焼戻し温度で高温焼戻し処理を施されている。なお、ボール4は180℃の焼戻し温度で通常の焼戻し処理を施されている。
【0018】
前記グリースAは、合成炭化水素油を基油とするウレア系グリースに、モリブデン酸塩と有機酸塩を添加剤として添加したものである。この実施形態では、モリブデン酸塩を全体の0.01〜5質量%、有機酸塩をモリブデン酸塩の5〜70質量%添加している。
【0019】
図2は、前記グリース封入軸受1を使用した自動車用電装補機としてのオルタネータを示す。このオルタネータは、ハウジング11に固定されたステータ12と、エンジンの回転力を伝達するプーリ13がフロント側に取り付けられたロータ軸14を有するロータ15とから成り、ロータ軸14のリヤ側に取り付けられたスリップリング16から、発電された電流がブラシ17で取り出されるようになっており、ロータ軸14のフロント側とリヤ側が、それぞれグリース封入軸受1で支持され、その外輪3がハウジング11に固定された固定側軌道輪とされている。
【実施例】
【0020】
実施例として、上述した内輪、外輪およびボールを高炭素クロム軸受鋼SUJ2を素材として850℃で焼入れし、内輪と外輪を260℃の焼戻し温度で高温焼戻し処理して、軸受内部に合成炭化水素油を基油とするウレア系グリースにモリブデン酸塩と有機酸塩を添加したグリース封入軸受としての深溝玉軸受を用意した。比較例として、実施例のものと同様に、内輪、外輪およびボールを、いずれも高炭素クロム軸受鋼SUJ2を素材として850℃で焼入れし、180℃の焼戻し温度で通常の焼戻し処理を行い、軸受内部に合成炭化水素油を基油とする通常のウレア系グリースを封入した深溝玉軸受も用意した。なお、実施例と比較例の深溝玉軸受の寸法は、いずれも外径47mm、内径17mm、幅14mmとした。
【0021】
図3に示す軸受試験装置を用いて、上記実施例と比較例の深溝玉軸受を試験軸受22とし、脆性剥離試験を行った。この軸受試験装置は、回転軸21が試験軸受22とダミー軸受23とで互いに絶縁された別々のハウジング24a、24bに支持され、試験軸受22の取り付け部から延長された回転軸21の延長部21aと、回転軸21と平行に配設されたモータ25の出力軸25aとに、それぞれプーリ26a、26bが取り付けられて、これらのプーリ26a、26b間に無端ベルト27が張り渡されており、回転軸21がベルト駆動されるとともに、回転軸21の延長部21aを介して、無端ベルト27の張力で試験軸受22にラジアル荷重が負荷されるようになっている。
【0022】
また、前記回転軸21と各ハウジング24a、24bは導電体で形成され、各ハウジング24a、24bには、それぞれ電源(図示省略)のプラスとマイナスに接続される接点端子28a、28bが取り付けられており、これらの接点端子28a、28bを電源に接続することにより、ハウジング24aから試験軸受22の外輪22b、ボール22c、内輪22a、回転軸21、ダミー軸受23の内輪23a、ボール23c、外輪23bを順に介してハウジング24bへ電流が流れるようになっている。したがって、試験軸受22に封入されたグリースから電気分解によって強制的に水素を発生させることにより、水素脆化に起因する脆性剥離を短時間で再現することができる。
【0023】
図4は、上記軸受試験装置を用いた脆性剥離試験における回転軸21の加減速サイクルを示す。その他の試験条件は、以下の通りであり、回転軸21の駆動トルクの変化で、脆性剥離の発生による軸受寿命を評価した。なお、実施例と比較例のサンプル数は、いずれも3とした。
・プーリ荷重:1617N
・通電条件:端子間電圧4V、電流1.0A
【0024】
【表1】

【0025】
表1に、上記脆性剥離試験の結果を示す。比較例の試験軸受の平均軸受寿命が67時間であったのに対して、実施例の試験軸受の平均軸受寿命はいずれも100時間を超え、比較例のものの約2倍となっている。また、実施例と比較例の試験軸受を試験後に分解して目視観察した結果、いずれも固定側軌道輪である外輪の軌道面に脆性剥離が発生していることが確認された。以上の試験結果より、軌道輪を260℃以上で高温焼戻し処理し、グリースにモリブデン酸塩と有機酸塩を添加した実施例のグリース封入軸受は、脆性剥離に起因する軸受寿命を大幅に延長できることが確認された。
【0026】
上述した実施形態では、グリース封入軸受を深溝玉軸受とし、内輪と外輪の両方を、高炭素クロム軸受鋼SUJ2を素材として、260℃の焼戻し温度で高温焼戻し処理を施したが、固定側軌道輪のみを260℃の焼戻し温度で高温焼戻し処理してもよい。また、本発明に係るグリース封入軸受は、深溝玉軸受に限定されることなく、アンギュラ玉軸受やころ軸受、円錐ころ軸受等にも採用することができる。
【図面の簡単な説明】
【0027】
【図1】グリース封入軸受の実施形態を示す縦断面図
【図2】図1のグリース封入軸受を使用したオルタネータを示す縦断面図
【図3】実施例での脆性剥離試験に用いた軸受試験装置を示す縦断面図
【図4】図3の軸受試験装置を用いた脆性剥離試験における回転軸の回転サイクルを示すグラフ
【符号の説明】
【0028】
A グリース
1 グリース封入軸受
2 内輪
3 外輪
2a、3a 軌道面
4 ボール
5 保持器
6 シール部材
11 ハウジング
12 ステータ
13 プーリ
14 ロータ軸
15 ロータ
16 スリップリング
17 ブラシ
21 回転軸
21a 延長部
22 試験軸受
23 ダミー軸受
22a、23a 内輪
22b、23b 外輪
22c、23c ボール
24a、24b ハウジング
25 モータ
25a 出力軸
26a、26b プーリ
27 無端ベルト
28a、28b 接点端子

【特許請求の範囲】
【請求項1】
内輪と外輪の軌道輪間に転動体が配列された転がり軸受の軸受内部にグリースを封入したグリース封入軸受において、前記軌道輪の少なくとも一方を、高炭素クロム軸受鋼SUJ2を素材として、260℃以上の焼戻し温度で高温焼戻し処理し、前記グリースにモリブデン酸塩と有機酸塩を添加剤として添加したことを特徴とするグリース封入軸受。
【請求項2】
前記軌道輪のうちの固定側軌道輪を、高炭素クロム軸受鋼SUJ2を素材として、260℃以上の焼戻し温度で高温焼戻し処理した請求項1に記載のグリース封入軸受。
【請求項3】
前記転がり軸受が玉軸受である請求項1または2に記載のグリース封入軸受。
【請求項4】
前記転がり軸受が自動車用電装補機の回転部を支持するものである請求項1乃至3のいずれかに記載のグリース封入軸受。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【公開番号】特開2009−287636(P2009−287636A)
【公開日】平成21年12月10日(2009.12.10)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2008−139516(P2008−139516)
【出願日】平成20年5月28日(2008.5.28)
【出願人】(000102692)NTN株式会社 (9,006)
【Fターム(参考)】