説明

スペクトル予測方法、スペクトル予測装置、およびプログラム

【課題】本発明の課題は、所与の糖分子の分子構造から、MSnスペクトルを予測することができるスペクトル予測方法を提供することである。
【解決手段】上記課題を解決するために、本発明に係るスペクトル予測方法は、入力ファイルを読み込む読み込みステップと、前記読み込みステップにより読み込まれた前記入力ファイルに含まれる情報に基づいて、糖分子に含まれる化学結合の切断と前記糖分子のイオン化をシミュレートするシミュレーションステップと、前記シミュレーションステップにより生成がシミュレートされた前記糖分子のフラグメントの情報を記録する記録ステップと、前記フラグメントの情報に基づいて、前記糖分子のMSnスペクトルを予測する予測ステップとを備えたことを特徴する。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、スペクトル予測方法、スペクトル予測装置、およびプログラムに関する。
【背景技術】
【0002】
MALDI(マトリックス支援レーザー脱離イオン化(Matrix-assisted laser desorption/ionization))−MSn(多段階質量分析(multiple-stage mass spectrometry))は、MSnスペクトルにおける特徴的なフラグメンテーションパターンから、タンパク質やオリゴ糖を含む様々なクラスの生体分子を特徴付ける上で不可欠なものとなっている。
【0003】
例えば、MALDI−MSnでは、衝突誘起解離(Collision induced dissociation (CID))による糖分子のフラグメンテーションが分子中の化学結合の性質に依存することを利用する。そして、CIDによる糖分子のフラグメンテーションの結果得られるMSnスペクトルを観測することにより、糖分子の異性体構造を識別することができる。
【0004】
質量分析で糖鎖構造を解析する方法として、あらゆる種類の糖鎖を実際にフラグメント化することによりフラグメント化パターンを得てこれをデータとして蓄積し、蓄積されたフラグメント化パターンのデータと被検糖鎖のフラグメント化パターンとを比較して、糖鎖構造を予測する方法がある(例えば、特許文献1参照)。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0005】
【特許文献1】国際公開WO2006/112343号パンフレット
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
しかしながら、観測されたMSnスペクトルから糖分子の分子構造を決定するためには、面倒な統計学的分析のような複雑な処理が必要である。そして、たとえ、MALDI−MSnの適用対象である糖分子の分子構造が既知であっても、既知の糖分子の分子構造から、MSnスペクトルを予測することは困難であった。
【0007】
本発明は、上記課題を解決するためになされたものであり、所与の糖分子の分子構造から、MSnスペクトルを予測することができるスペクトル予測方法を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0008】
本発明者は、所与の糖分子のフラグメンテーションのシミュレーションにおいて、所与の糖分子に含まれる化学結合の切断確率を用いることによって、所与の糖分子のMSnスペクトルを精度良く予測できることを見いだした。そして、この知見により、所与の糖分子のMSnスペクトルを予測するためのスペクトル予測方法、スペクトル予測装置、およびプログラムを完成させた。
【0009】
すなわち、
1. (1)入力ファイルを読み込む読み込みステップと、(2)読み込みステップにより読み込まれた入力ファイルに含まれる情報に基づいて、糖分子に含まれる化学結合の切断と糖分子のイオン化をシミュレートするシミュレーションステップと、(3)シミュレーションステップにより生成がシミュレートされた糖分子のフラグメントの情報を記録する記録ステップと、(4)フラグメントの情報に基づいて、糖分子のMSnスペクトルを予測する予測ステップとを備えたことを特徴するスペクトル予測方法;
2. 入力ファイルは、糖分子に含まれる化学結合の切断確率を含むことを特徴とする1.に記載のスペクトル予測方法;
3. 読み込みステップは、入力ファイルをデータベースから読み込むことを特徴とする1.又は2.に記載のスペクトル予測方法。
4. GUIを用いて、入力ファイルを生成する生成ステップを、さらに備えたことを特徴とする3.に記載のスペクトル予測方法;
5. 糖分子について実験的に観測されたMSnスペクトルに基づいて、切断確率を決定する決定ステップを、さらに備えたことを特徴とする4.に記載のスペクトル予測方法。
6. 糖分子に関連した物理量の計算値に基づいて、切断確率を決定する決定ステップを、さらに備えたことを特徴とする4.に記載のスペクトル予測方法;
7. 決定ステップは、遺伝的アルゴリズムを用いて、切断確率を決定することを特徴とする5.に記載のスペクトル予測方法;
8. 物理量は、糖分子に含まれる化学結合の結合エネルギーであることを特徴とする6.に記載のスペクトル予測方法;
9. 物理量は、糖分子に含まれる化学結合の活性化エネルギーであることを特徴とする6.に記載のスペクトル予測方法;
10. (1)入力ファイルを読み込む読み込み手段と、(2)読み込み手段により読み込まれた入力ファイルに含まれる情報に基づいて、糖分子に含まれる化学結合の切断と糖分子のイオン化をシミュレートするシミュレーション手段と、(3)シミュレーション手段により生成がシミュレートされた糖分子のフラグメントの情報を記録する記録手段と、(4)フラグメントの情報に基づいて、糖分子のMSnスペクトルを予測する予測手段とを備えたことを特徴するスペクトル予測装置;
11. 入力ファイルは、糖分子に含まれる化学結合の切断確率を含むことを特徴とする10.に記載のスペクトル予測装置;
12. 読み込み手段は、入力ファイルをデータベースから読み込むことを特徴とする10.又は11.に記載のスペクトル予測装置;
13. GUIを用いて、入力ファイルを生成する生成手段を、さらに備えたことを特徴とする12.に記載のスペクトル予測装置;
14. 糖分子について実験的に観測されたMSnスペクトルに基づいて、切断確率を決定する決定手段を、さらに備えたことを特徴とする13.に記載のスペクトル予測装置;
15. 糖分子に関連した物理量の計算値に基づいて、切断確率を決定する決定手段を、さらに備えたことを特徴とする13.に記載のスペクトル予測装置;
16. 決定手段は、遺伝的アルゴリズムを用いて、切断確率を決定することを特徴とする14.に記載のスペクトル予測装置;
17. 物理量は、糖分子に含まれる化学結合の結合エネルギーであることを特徴とする15.に記載のスペクトル予測装置;
18. 物理量は、糖分子に含まれる化学結合の活性化エネルギーであることを特徴とする15.に記載のスペクトル予測装置;および
19. 1.から9.のいずれかに記載のスペクトル予測方法をコンピュータに実行させるプログラム;
である。
【発明の効果】
【0010】
本発明によれば、所与の糖分子の分子構造から、MSnスペクトルを予測することができる。
【図面の簡単な説明】
【0011】
【図1】本発明に係るハードウェアを示す図である。
【図2】本発明に係るスペクトル予測装置201が実行する処理を示すフローチャートである。
【図3】本発明に係るスペクトル予測装置201が決定した切断確率の一例を示す図である。
【図4】本発明に係るデータフォーマットの一例を示す図である。
【図5】本発明に係るGUIの一例を示す図である。
【図6】本発明に係るスペクトル予測装置201のシミュレーション結果と実験値とを比較した図である。
【図7】MFLNH-I、MFLNH-II、MFLNH-IIIの化学構造を示す図である。
【図8】本発明に係るスペクトル予測装置201により計算された、MFLNH-I、MFLNH-II、MFLNH-IIIの最適化された構造におけるGlcNAcβ1−3GalおよびGlcNAcβ1−6Galの結合エネルギーの値を示す図である。
【発明を実施するための形態】
【0012】
以下、図面を参照して、本発明に係る実施形態を説明する。
【0013】
本発明では、後述する図1のスペクトル予測装置201が、新たに定義された切断確率というパラメータを用いて、後述する図2の処理を実行することにより、所与の糖分子の分子構造からMSnスペクトルを予測する。ここで、切断確率とは、糖分子の分子構造に含まれる化学結合が切断される確率を表す。
【0014】
<実施形態1>
まず、以下で、一例として、スペクトル予測装置201が用いる切断確率が、実験的に観測されたMSnスペクトルから経験的に決定される実施形態について以下で説明する。
【0015】
図1のスペクトル予測装置201は、後述する図2の処理を実行することにより、切断確率を用いて計算されたMSnスペクトルが、実験的に観測されたMSnスペクトルに一致するように、切断確率を統計的に求める。このように、スペクトル予測装置201が切断確率を求める際に、例えば、遺伝的アルゴリズム(GA)を用いてもよい。
【0016】
図3は、一例として、スペクトル予測装置201が決定したmaltopenaoseという糖分子内の化学結合の切断確率のセットを、示している。図3には、一例として、本発明に係るスペクトル予測装置201が決定した8つの切断確率の値(0.0083、0.0665、0.5787、0.085、0.4456、0.0322、0.515、0.0134)が、示されている。
【0017】
切断確率は、例えば、図4に示されているようなデータフォーマットでデータベース化されてもよい。図4は、一例として、図3に示されているmaltopenaoseに含まれているユニット名称がaGlcでユニット番号が1のユニットの分子と、ユニット番号が2のユニットの分子とを結合する化学結合1(ユニット番号が1のユニットの分子の部位1と、ユニット番号が2のユニットの分子との化学結合)の切断確率が0.0083である場合のデータフォーマットを示している。図3に示されている例では、糖分子に含まれる糖単位でユニットの分子に分割されているが、糖分子のユニットへの分割の仕方は、図3の例に限られない。図4に示されている例において、ユニットの分子の重さは、163.17となっており、さらにユニットの分子内の各部位の重さが配列されている。図4に示されている例において、部位0の重さが16.0であり、部位1の重さが13.02であり、部位2の重さが30.03であり、部位3の重さが30.03であり、部位4の重さが30.03であり、部位5の重さが13.02であり、部位6の重さが31.04である。上記部位の重さは、部位の原子量又は分子量であってもよい。さらに、図4に示されている例において、ユニットの分子内の化学結合の切断確率も配列されている。図4に示されている例では、ユニットの分子内の化学結合1〜5の切断確率は全て0である。また、図4に示されているデータフォーマットに、各ユニットの分子に含まれる水素の脱水素確率、各ユニットの分子の脱水確率、およびシミュレーションの総試行回数Nが格納されるフォーマットが追加されてもよい。また、スペクトル予測装置201が、図2の処理を実行することにより計算されたMSnスペクトルが、実験的に観測されたMSnスペクトルに一致するように、切断確率と同様に、上記の脱水素確率および脱水確率を統計的に求めて、ネガティブイオンとして検出されるかどうかの判断を行ってもよい。このように、スペクトル予測装置201が脱水素確率および脱水確率を求める際に、例えば、遺伝的アルゴリズム(GA)を用いてもよい。
【0018】
本発明に係るスペクトル予測装置201は、所与の糖分子が、上述した切断確率に応じて切断されて、フラグメントが生成される過程をシミュレートする。そして、スペクトル予測装置201は、MSnスペクトルにおける各質量のフラグメントの強度は、スペクトル予測装置201が実行するシミュレーションの結果得られる各質量のフラグメントの生成量に関係すると仮定して、MSnスペクトルを予測する。
【0019】
図2は、本発明に係るスペクトル予測装置201が、MSnスペクトルを予測する際に実行する処理のフローチャートを示している。本発明に係るスペクトル予測装置201は、スペクトル予測装置201内のCPU202が、記憶部203から図2の処理を実行するためのプログラムを読み出して実行することにより、MSnスペクトルを予測する。また、スペクトル予測装置201の実行結果は、スペクトル予測装置201内のCPU202の命令により、表示部204に表示されてもよい。
【0020】
まず、ステップS1000で、スペクトル予測装置201は、MSnスペクトルを予測するためのシミュレーションを試行した回数iを0に初期化する。
【0021】
次に、ステップS1001で、スペクトル予測装置201は、MSnスペクトルを予測するためのシミュレーションに必要なパラメータを含む入力ファイルを読み込む。スペクトル予測装置201が読み込む入力ファイルには、所与の糖分子内の化学結合の切断確率のセット、所与の糖分子全体の重さ、所与の糖分子内のユニットの分子の重さ、所与の糖分子内のユニットの分子に含まれる水素の脱水素確率のセット、所与の糖分子内のユニットの分子の脱水確率、およびシミュレーションの総試行回数N等が含まれていてもよい。ここで、ユニットの分子とは、例えば、図4に示されているユニット番号で指定される分子であってもよい。また、スペクトル予測装置201が読み込む入力ファイルのフォーマットは、図4に示されたものであってもよい。また、スペクトル予測装置201が読み込む入力ファイルが、後述する図5のGUI600を用いて、スペクトル予測装置201により生成されてもよい。また、スペクトル予測装置201が、入力ファイルが格納されたデータベースから入力ファイルを読み込んでもよい。
【0022】
次に、ステップS1002で、スペクトル予測装置201は、ステップS1001で読み込んだ入力ファイルに含まれる切断確率のセットに基づいて、所与の糖分子内の化学結合を切断する。ここで、スペクトル予測装置201は、例えば、乱数を生成し、乱数の値と切断確率とを比較し、その比較に基づいて、所与の条件が満たされたときに、所与の糖分子内の化学結合が切断されるとしてもよい。例えば、スペクトル予測装置201は、乱数を生成し、乱数の値が、化学結合の切断確率の値より小さい場合に、その化学結合が切断されるとしてもよい。このようにして、スペクトル予測装置201は、ステップS1001で読み込んだ切断確率に基づいて、所与の糖分子に含まれる化学結合の切断をシミュレートすることができる。
【0023】
また、ステップS1002で、スペクトル予測装置201は、ステップS1001で読み込んだ入力ファイルに含まれる所与の糖分子内のユニットの分子に含まれる水素の脱水素確率のセットに基づいて、所与の糖分子内のユニットの分子に含まれる水素が脱水素するとしてもよい。ここで、スペクトル予測装置201は、例えば、乱数を生成し、乱数の値と脱水素確率とを比較し、その比較に基づいて、所与の条件が満たされたときに、所与の糖分子内のユニットの分子に含まれる水素が脱水素するとしてもよい。例えば、スペクトル予測装置201は、乱数を生成し、乱数の値が、脱水素確率の値より小さい場合に、脱水素するとしてもよい。
【0024】
また、ステップS1002で、スペクトル予測装置201は、ステップS1001で読み込んだ入力ファイルに含まれる所与の糖分子内のユニットの分子の脱水確率に基づいて、所与の糖分子内のユニットの分子が脱水するとしてもよい。ここで、スペクトル予測装置201は、例えば、乱数を生成し、乱数の値と脱水確率とを比較し、その比較に基づいて、所与の条件が満たされたときに、所与の糖分子内のユニットの分子が脱水するとしてもよい。例えば、スペクトル予測装置201は、乱数を生成し、乱数の値が、脱水確率の値より小さい場合に、脱水するとしてもよい。
【0025】
また、ステップS1002で、スペクトル予測装置201は、脱水素や脱水が生じた場合に、脱水素や脱水により、所与の糖分子内のユニットの分子がイオン化する過程をシミュレートとしてもよい。また、ステップS1002で、スペクトル予測装置201は、脱水素や脱水が生じた場合に、脱水素や脱水により、所与の糖分子内のユニットの分子がイオン化してネガティブイオンとして検出されるかどうかの判断を行ってもよい。
【0026】
また、ステップS1002で、スペクトル予測装置201は、計算時間を短縮するために、脱水素や脱水によるイオン化が生じた場合にのみ、化学結合の切断が起こるとしてもよい。
【0027】
次に、ステップS1003で、スペクトル予測装置201は、ステップS1002における化学結合の切断により生成がシミュレートされた、所与の糖分子のフラグメントの情報を、記憶部203に記録する。例えば、ステップS1003で、スペクトル予測装置201は、生成されるフラグメントの重さと電荷数を、記憶部203に記憶してもよい。また、例えば、ステップS1003で、スペクトル予測装置201は、ステップS1002で生じた脱水素や脱水によるイオン化により、ステップS1002における化学結合の切断により生成されるフラグメントが帯びる電荷の数を、電荷数として、記憶部203に記憶してもよい。
【0028】
次に、ステップS1004で、スペクトル予測装置201は、MSnスペクトルを予測するためのシミュレーションを試行した回数iを1増やす。
【0029】
次に、ステップS1005で、スペクトル予測装置201は、MSnスペクトルを予測するためのシミュレーションを試行した回数iが、シミュレーションの総試行回数Nに等しいか否かを判定する。ステップS1005で、スペクトル予測装置201は、シミュレーションを試行した回数iが、シミュレーションの総試行回数Nに等しいと判定された場合には、ステップS1006に処理が進む。ステップS1005で、スペクトル予測装置201は、シミュレーションを試行した回数iが、シミュレーションの総試行回数Nに等しくないと判定された場合には、ステップS1001に処理が戻る。
【0030】
ステップS1006で、スペクトル予測装置201は、記憶部203に記憶されているシミュレーションで生成されたフラグメントの情報を用いて、フラグメントのm/z(m=質量,z=電荷数)ごとに、生成されたフラグメントの数の分布を集計して、所与の糖分子のMSnスペクトルを予測する。スペクトル予測装置201は、予測したMSnスペクトルを、表示部204に表示してもよい。そして、スペクトル予測装置201は、図2に記載されたフローチャートの処理を終了する。
【0031】
図5は、ステップS1001で読み込まれる入力ファイルを、スペクトル予測装置201が生成する場合に用いることができるGUI600を示している。GUI600は、スペクトル予測装置201内のCPU202の命令により、表示部204に表示されてもよい。
【0032】
GUI600は、糖分子を構成する分子(ユニットの分子)の指定と、ユニットの分子間の化学結合の指定を、ユーザから、受け付けて表示することができる。例えば、図5において、GUI600は、aFuc1、aFuc2、aFuc3という名前の三つのユニットの分子と、bGalという名前の1つのユニットの分子を表示している。また、一例として、図5は、aFuc1という名前のユニットの分子とaFuc2という名前のユニットの分子とが化学結合で結合され、aFuc1という名前のユニットの分子とaFuc3という名前のユニットの分子とが化学結合で結合され、aFuc2という名前のユニットの分子とaFuc3という名前のユニットの分子とが化学結合で結合され、aFuc3という名前のユニットの分子とbGalという名前のユニットの分子とが化学結合で結合されている様子が表示されている。GUI600において、化学結合の結合部位は、0〜6の番号で指定される部位により指定される。また、GUI600は、ユニットの分子の名前もユーザから受け付けてもよい。
【0033】
GUI600は、糖分子を構成する分子(ユニットの分子)の指定と、ユニットの分子間の化学結合の指定を、ユーザから、受け付けた後に、ユーザからの計算指示を受け付けて、化学結合の切断確率を計算することもできる。その際の切断確率の計算は、スペクトル予測装置201が、上記の実施形態の説明で示された処理により計算してもよい。GUI600は、スペクトル予測装置201により計算された切断確率の値を表示してもよい。
【0034】
図6は、一例として、本発明に係るスペクトル予測装置201によるシミュレーションにより予測されたMS2スペクトルの予測結果と、実験により観測されたMS2スペクトルの実験値との比較を示している。図6に示されているMS2スペクトルは、PBH(pyrene butanoic acid hydrazide)でラベルされたmaltopenaoseのMS2スペクトルである。
【0035】
図6に示されているように、本発明に係るスペクトル予測装置201によるシミュレーションにより予測されたMS2スペクトルの予測結果と、実験により観測されたMS2スペクトルの実験値は、良く一致しており、切断確率を用いた予測が妥当であることが示されている。
【0036】
すなわち、本発明に係るスペクトル予測装置201は、経験的に決定された切断確率を用いて、所与の糖分子の構造に対するMSnスペクトルの実験値を、精度良く予測することができる。
【0037】
<実施形態2>
次に、以下で、一例として、所与の糖分子に関連した、電荷分布、結合エネルギー、電子状態、活性化エネルギー、速度定数のような様々な物理量の計算値に基づいて、スペクトル予測装置201が切断確率を決定する実施形態について説明する。
【0038】
本実施形態において、第一原理的な分子シミュレーションの計算値に基づいて、切断確率が決定されてもよい。また、第一原理的な分子シミュレーションよりも100万倍以上も高速な計算が可能な超高速化強結合(tight-binding)計算手法による計算値に基づいて、切断確率が決定されてもよい。また、切断確率の決定に用いられる計算値の計算手法が、量子力学に基づくものであってもよい。以下では、一例として、切断確率の決定に用いられる計算値の計算手法が、量子力学に基づく超高速化強結合(tight-binding)計算手法(Colors)である場合について説明する。
【0039】
まず、本実施形態では、一例として、スペクトル予測装置201が、3種類の糖分子の異性体の相対エネルギー状態と結合強度を、Colorsを用いて計算する。
【0040】
一例として、糖分子の異性体を、PBHでラベルされたMFLNH(Monofucosyllacto-N-hexaose)の異性体とする。
【0041】
図7には、MFLNH-I、MFLNH-IIおよびMFLNH-IIIというMFLNHの3つの異性化合物の化学構造が示されている。
【0042】
図8には、スペクトル予測装置201が、Colorsを用いて計算した、MFLNH-I、MFLNH-II、MFLNH-IIIの最適化された構造におけるGlcNAcβ1−3GalおよびGlcNAcβ1−6Galの結合エネルギーの値が示されている。
【0043】
図8における計算結果を参照すると、以下のことがわかる。すなわち、MFLNH-IにおけるGlcNAcβ1−3Galの結合エネルギー(-124.14 kcal/mol)と、GlcNAcβ1−6Galの結合エネルギー(-131.54 kcal/mol)には、有為な値の差が見られる。また、MFLNH-IIにおけるGlcNAcβ1−3Gal の結合エネルギー(-124.15 kcal/mol)と、GlcNAcβ1−6Galの結合エネルギー(-132.02 kcal/mol)にも、有為な値の差が見られる。
【0044】
すなわち、GlcNAcにおけるアミノ基近隣に電荷が保持される傾向のために、β1−3結合は、β1−6結合よりも不安定であるので、MFLNH-I、MFLNH-IIでは、上記のように、GlcNAcβ1−3Galの結合エネルギーと、GlcNAcβ1−6Galの結合エネルギーに、有為な値の差が生じるのである。
【0045】
しかしながら、MFLNH-IIIでは、GlcNAcβ1−3Galの結合エネルギー(-125.8 kcal/mol)と、GlcNAcβ1−6Galの結合エネルギー(-126.50 kcal/mol)に、有為な値の差が生じない。
【0046】
このような結合エネルギーの値の振る舞いの変化は、MFLNH-IIIがfucose α1−3結合を有することに起因する。
【0047】
上記のように、大部分のグリコシド結合の切断は、Colorsにより計算された、MFLNH-I、MFLNH-II、MFLNH-IIIの結合エネルギーに関連付けられる。
【0048】
すなわち、例えば、GlcNAcβ1−6Galの切断は、MFLNH-IIIで起こり易く、MFLNH-I、MFLNH-IIでは、起こりにくいと予測することができる。
【0049】
したがって、スペクトル予測装置201は、例えば、MFLNH-III におけるGlcNAcβ1−6Galの切断確率の値は、MFLNH-I、MFLNH-IIにおけるGlcNAcβ1−6Galの切断確率の値よりも大きいと決定する。
【0050】
そして、スペクトル予測装置201は、上記のように決定された切断確率が含まれる入力パラメータを読み込んで図2の処理を実行することにより、実験的に観測されているMFLNH-I、MFLNH-II 、MFLNH-III のMSnスペクトルを予測することができる。
【0051】
また、Colorsによる計算では、MFLNH-Iに含まれる2つのC(炭素)−O(酸素)の化学結合(A結合、B結合)のうち、化学結合が切断されたときにm/z=992(m=質量,z=電荷数)のフラグメントを生じるA結合の活性化エネルギーは13.03kcal/molとなり、化学結合が切断されたときにm/z=1177のフラグメントを生じるB結合の活性化エネルギーは、13.84kcal/molとなる。そして、A結合の活性化エネルギーから計算される速度定数を、B結合の活性化エネルギーから計算される速度定数で割った値は、約0.33となる。この約0.33という値は、実験で観測されているMS2スペクトルにおける、m/z=1177のフラグメントの強度を、m/z=992のフラグメントの強度で割ったものと定量的に一致する。したがって、A結合とB結合の切断確率が、Colorsによる計算値から求まると結論できる。すなわち、スペクトル予測装置201は、上記の場合、Colorsによる計算値に基づき、A結合の切断確率は、B結合の切断確率よりも大きいと決定できる。
【0052】
そして、スペクトル予測装置201は、上記のように決定された切断確率が含まれる入力パラメータを読み込んで図2の処理を実行することにより、MFLNH-Iについて実験的に観測されているMSnスペクトルを予測することができる。
【0053】
上記で説明したように、本実施形態に係るスペクトル予測装置201は、所与の糖分子のMSnスペクトルにおける分岐特異的な(branch-specific)フラグメンテーションパターンを、所与の糖分子に関連した物理量の計算値に基づき決定された切断確率を用いて、予測することができる。
【0054】
<他の実施形態>
なお、本発明の実施形態に係るスペクトル予測装置201が実行する処理を実行させるプログラムを、コンピュータに実行させることにより、本発明を実施してもよい。
【符号の説明】
【0055】
201 スペクトル予測装置
202 CPU
203 記憶部
204 表示部

【特許請求の範囲】
【請求項1】
入力ファイルを読み込む読み込みステップと、
前記読み込みステップにより読み込まれた前記入力ファイルに含まれる情報に基づいて、糖分子に含まれる化学結合の切断と前記糖分子のイオン化をシミュレートするシミュレーションステップと、
前記シミュレーションステップにより生成がシミュレートされた前記糖分子のフラグメントの情報を記録する記録ステップと、
前記フラグメントの情報に基づいて、前記糖分子のMSnスペクトルを予測する予測ステップとを備えたことを特徴するスペクトル予測方法。
【請求項2】
前記入力ファイルは、前記糖分子に含まれる化学結合の切断確率を含むことを特徴とする請求項1に記載のスペクトル予測方法。
【請求項3】
前記読み込みステップは、前記入力ファイルをデータベースから読み込むことを特徴とする請求項1又は請求項2に記載のスペクトル予測方法。
【請求項4】
GUIを用いて、前記入力ファイルを生成する生成ステップを、さらに備えたことを特徴とする請求項3に記載のスペクトル予測方法。
【請求項5】
前記糖分子について実験的に観測されたMSnスペクトルに基づいて、前記切断確率を決定する決定ステップを、さらに備えたことを特徴とする請求項4に記載のスペクトル予測方法。
【請求項6】
前記糖分子に関連した物理量の計算値に基づいて、前記切断確率を決定する決定ステップを、さらに備えたことを特徴とする請求項4に記載のスペクトル予測方法。
【請求項7】
前記決定ステップは、遺伝的アルゴリズムを用いて、前記切断確率を決定することを特徴とする請求項5に記載のスペクトル予測方法。
【請求項8】
前記物理量は、前記糖分子に含まれる化学結合の結合エネルギーであることを特徴とする請求項6に記載のスペクトル予測方法。
【請求項9】
前記物理量は、前記糖分子に含まれる化学結合の活性化エネルギーであることを特徴とする請求項6に記載のスペクトル予測方法。
【請求項10】
入力ファイルを読み込む読み込み手段と、
前記読み込み手段により読み込まれた前記入力ファイルに含まれる情報に基づいて、糖分子に含まれる化学結合の切断と前記糖分子のイオン化をシミュレートするシミュレーション手段と、
前記シミュレーション手段により生成がシミュレートされた前記糖分子のフラグメントの情報を記録する記録手段と、
前記フラグメントの情報に基づいて、前記糖分子のMSnスペクトルを予測する予測手段とを備えたことを特徴するスペクトル予測装置。
【請求項11】
前記入力ファイルは、前記糖分子に含まれる化学結合の切断確率を含むことを特徴とする請求項10に記載のスペクトル予測装置。
【請求項12】
前記読み込み手段は、前記入力ファイルをデータベースから読み込むことを特徴とする請求項10又は請求項11に記載のスペクトル予測装置。
【請求項13】
GUIを用いて、前記入力ファイルを生成する生成手段を、さらに備えたことを特徴とする請求項12に記載のスペクトル予測装置。
【請求項14】
前記糖分子について実験的に観測されたMSnスペクトルに基づいて、前記切断確率を決定する決定手段を、さらに備えたことを特徴とする請求項13に記載のスペクトル予測装置。
【請求項15】
前記糖分子に関連した物理量の計算値に基づいて、前記切断確率を決定する決定手段を、さらに備えたことを特徴とする請求項13に記載のスペクトル予測装置。
【請求項16】
前記決定手段は、遺伝的アルゴリズムを用いて、前記切断確率を決定することを特徴とする請求項14に記載のスペクトル予測装置。
【請求項17】
前記物理量は、前記糖分子に含まれる化学結合の結合エネルギーであることを特徴とする請求項15に記載のスペクトル予測装置。
【請求項18】
前記物理量は、前記糖分子に含まれる化学結合の活性化エネルギーであることを特徴とする請求項15に記載のスペクトル予測装置。
【請求項19】
請求項1乃至9のいずれかに記載のスペクトル予測方法をコンピュータに実行させるプログラム。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【図8】
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【公開番号】特開2011−220733(P2011−220733A)
【公開日】平成23年11月4日(2011.11.4)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2010−87767(P2010−87767)
【出願日】平成22年4月6日(2010.4.6)
【出願人】(504157024)国立大学法人東北大学 (2,297)
【出願人】(000173924)公益財団法人野口研究所 (108)
【Fターム(参考)】