説明

パルス中性子非弾性散乱実験の高効率測定方法

【課題】
通常の単一エネルギーのみを使用するパルス中性子非弾性散乱測定では、使用したいエネルギーのパルス時間幅とチョッパーの開口時間幅をほぼ等しくなるように調節することで最適な実験条件を実現させてきたが、複数の入射エネルギーを使用するRRM法においては、チョッパーの開口時間幅が常に一定になってしまうため、パルス中性子の有する複数の入射エネルギーで同時に最適な実験条件を実現させることができなかった。
【解決手段】
スリットパッケージを構成する中性子吸収材の両面に中性子スーパーミラーを貼付することにより、透過できなかった中性子ビームをミラーによる反射で透過させ、実効的なチョッパー開口時間幅の中性子エネルギー依存性を、中性子源におけるパルス時間幅の中性子エネルギー依存性に、広いエネルギー範囲に亘って近付けようとするものである。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、パルス中性子源における中性子非弾性散乱実験の測定効率を大きく向上させる方法に関するものである。
【背景技術】
【0002】
パルス中性子非弾性散乱測定で用いられるフェルミチョッパーは、磁気ベアリングによりローターを真空中に浮上させ、600Hzもの高速回転が実現されており、そのローターには中性子透過窓に相当するスリットパッケージが装填される。最も代表的なスリットパッケージは図1に示したもので、中性子透過材1としてAl、中性子吸収材2としてBやGdが用いられている。
【0003】
パルス中性子源におけるチョッパーの役割は、従来、それを高速回転させ、その透過窓を通して中性子ビームを透過することにより、中性子源での中性子発生時刻とチョッパーでの中性子透過時刻を同期させ、単一エネルギーの中性子ビームを取り出すことである。図2からわかるように、チョッパーの中性子透過窓を、利用したい中性子エネルギーの速度に見合った時間だけ中性子発生時刻から遅らせて開けることにより、望みの単一エネルギーの中性子ビームが得られる。試料により散乱された中性子は、中性子発生時刻を基点とした時間の現象として、飛行時間法により計測される。試料内部で中性子との間にエネルギーのやり取りが生じた場合、中性子の速度は変化するので、計測される時刻に変化が生じ、そのことから試料内のエネルギー状態についての知見が得られる。これがチョッパーを利用したパルス中性子非弾性散乱測定の原理である。
【0004】
一般に、少量の試料で高精度のパルス中性子非弾性散乱測定を行うことは中性子ビームの強度不足の点で困難であった。パルス中性子非弾性散乱測定の効率を上げる工夫として、複数の入射中性子エネルギーをチョッパーにより選択して、複数の非弾性散乱測定を同時に行う手法(Repetition Rate Multiplication法、以後RRM法と呼ぶ)が提案されている(非特許文献1)。図3にRRM法によるパルス中性子非弾性散乱測定の距離-飛行時間相関図を示す。
【0005】
図3には、パルス中性子ビームが40ミリ秒毎に発生し、それに含まれる複数のエネルギーを有する複数の入射中性子ビームをチョッパーを使用して選択して取り出し、それぞれが異なった入射エネルギーを持つ複数の中性子ビームとして試料に照射した場合の各入射中性子ビームに関する飛行時間と飛行距離との関係が示されている。
【0006】
中性子ビームが中性子源から実験装置に到達するまでには、かなりの強度ロスが生じてしまうが、このロスをできるだけ低減するため、中性子ビームの全反射を用いた輸送デバイスとして中性子ミラーが利用される。材質としてNiを用いた中性子ミラーの臨界角は、1.73×λ[mrad]で表わされる。ここで、λは中性子の波長であり、単位はオングストロームである。具体的には1オングストロームの波長を持つ中性子は、1.73[mrad]以下の角度で入射したとき全反射を受ける。近年ではNi/Ti多層膜をミラーの材質として使用した高性能の中性子スーパーミラーが作製されており、Niミラーのm倍の臨界角という意味でmQcという指標でその性能を表わしている。すなわち、mQcの中性子スーパーミラーの臨界角は1.73×m×λ[mrad]となる。
【非特許文献1】F. Mezei, Journal of Neutron Research, 6(1997) 3.
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
パルス中性子源から発生する中性子のパルス時間幅は、図4に示したようにその各中性子が持つエネルギーによって異なり、低エネルギー側でパルス時間幅は長く、高エネルギー側でパルス時間幅は短くなるという特徴がある。図2に示されるように、通常の単一エネルギーのみを使用するパルス中性子非弾性散乱測定では、使用したいエネルギーのパルス時間幅とチョッパーの開口時間幅をほぼ等しくなるように調節することで最適な実験条件を実現させてきた。
【0008】
しかしながら、図3に示されるように、それぞれが異なった入射エネルギーを持つ複数の中性子ビームを選択し、それぞれ試料に入射させて測定を行なう従来のRRM法ではチョッパーの開口時間幅が常に一定になってしまうため、複数の入射中性子エネルギー全てに対して同時に最適な実験条件を実現させることができなかった。
【課題を解決するための手段】
【0009】
本発明は、上記の課題を解決するものとして、スリットパッケージを構成する中性子吸収材の両面に中性子スーパーミラーを貼付することにより、スーパーミラーを使用していないチョッパーでは透過できなかった中性子ビームをミラーによる反射で透過させ、実効的なチョッパー開口時間幅の中性子エネルギー依存性を、中性子源におけるパルス時間幅の中性子エネルギー依存性に、広いエネルギー範囲に亘って近付けようとするものである。このスリットパッケージを装填したフェルミチョッパーを用いることによって、チョッパーで選択される複数の入射エネルギーすべてにおいて実験条件が最適化され、パルス中性子非弾性散乱測定におけるRRM法の測定効率が飛躍的に向上する。上記実験条件の最適化とは、従来チョッパーを透過できなかった中性子が、図5に示されるように、本発明のチョッパーのスーパーミラーにより反射されて透過することができるので、スーパーミラーでの反射が可能である中性子に対してはチョッパーによる開口時間幅が長くなることを意味するので、図6に示されるように、チョッパーの実効開口時間幅が中性子源のパルス時間幅に近付くことである。
【0010】
即ち、従来の非弾性中性子散乱測定では、図2に示されるように単一の入射エネルギーのみを使用して測定を行なっていたが、この実験効率を向上させるために、最近になって図3に示される前記RRM法が提案され、複数の入射エナルギーを同時に用いる方法が行なわれるようになった。しかしながら、これら従来の測定で使用されるスーパーミラーを有しないチョッパーでは、チョッパーの開口時間幅が常に一定になってしまい、特にRRM法において複数の入射エネルギーに対して実験条件を最適化できないという問題点があった。
【0011】
これに対し、本発明においては、チョッパーのスリットパッケージにスーパーミラーを貼付することにより、図6に示されるように実効的なチョッパーの開口時間幅を広いエネルギーに亘って中性子ビームのパルス時間幅に近付けることができるため、RRM法の実験効率を向上させることができた。
【発明を実施するための最良の形態】
【0012】
本発明においては、図5に示されるように、回転するスリットパッケージは、複数の中性子透過材1の積層体から構成され、その間に中性子吸収材2が挿入され、更にその中性子吸収材の両面に中性子スーパーミラー3が設けられている。この装置に矢印で示される幅の複数の入射エネルギーを有する中性子ビームが入射すると、その中性子はスリットパッケージの複数の中性子透過材の下端から入射し、その透過材の上端から取り出される。その際、中性子吸収材の両側に中性子スーパーミラーが設けられているので、中性子透過材の下端に入射した中性子は、中性子吸収材に吸収されることなく、スリットパッケージが回転により傾いた状況においてもスーパーミラーで反射され、透過材上端から複数の入射エネルギーを有する中性子ビームが取り出される。
【0013】
これに対し、従来のスリットパッケージには、スーパーミラーが中性子吸収材の両面に設けられていないので、スリットパッケージが回転により傾いた状況においては、この吸収材に衝突した中性子は吸収されてしまい、複数の入射エネルギーを有する中性子ビームを透過材上端から取り出すことができなかった。
【0014】
このように、本発明において、従来のスリットパッケージでは透過できなかった中性子が、中性子スーパーミラーを貼付したスリットパッケージを用いることにより反射を受け透過することができるようになることは、スーパーミラーでの反射が可能である低エネルギー中性子に対しては実効的なチョッパーによる開口時間幅が長くなることを意味する。
【実施例】
【0015】
フェルミチョッパーを使用した仮想的な中性子非弾性散乱実験装置を例にとって、以下に本発明の実施例を示す。図1において、L1=15.2m、L2=2.5m、L3=1.8mであるような中性子非弾性散乱装置を仮定する。この装置において、フェルミチョッパーを300Hzで回転させ、300meVの中性子が選択できるようにチョッパーの回転位相を制御した場合、300meVの中性子に加えて、89.5meV, 42.4meV, 24.6meV, 16.1meV, 11.3meVの入射エネルギーの中性子が同時に選択されることとなる。
【0016】
一方で、mQcのスーパーミラーを貼付したスリットパッケージをf[Hz]で回転させたときの実効的なチョッパー開口時間幅ΔtchはΔtch=2000×1.73mλ/2πf [μs]のように表わすことができる。ここで、λは中性子の波長であり、単位はオングストロームであるが、中性子の波長とエネルギーの間には以下の関係が成立している。E(meV)=81.81/λ2。この関係式を用いて計算された、6Qcの中性子スーパーミラーを貼付したスリットパッケージを装填したフェルミチョッパーを300Hzで回転させたときのチョッパーの実効的開口時間幅の中性子エネルギー依存性を図6に示す。広いエネルギー範囲にわたって、パルス中性子源から発生する中性子のパルス時間幅とチョッパー装置による開口時間幅がほぼ同程度になるように、開口時間の制御がなされていることがわかる。こうして、本発明の方法によるパルス中性子非弾性散乱測定のRRM法では複数の入射エネルギーすべてにおいて、
ほぼ最適な実験条件を実現することが可能となる。
【0017】
即ち、上記のことは、図6においては、特に、中性子の有するエネルギーが40meVより大きい範囲において、チョッパー実効開口時間幅を示す曲線が中性子源のパルス時間幅を示す曲線に近似していることから分かる。
[発明の効果]
【0018】
一般に、パルス中性子非弾性散乱測定の強度はチョッパーの開口時間に比例すると考えて良い。中性子スーパーミラーが貼付されていない従来のフェルミチョッパーでは、チョッパーの開口時間幅は常に一定であるのに対して、中性子スーパーミラーを貼付することにより、チョッパーの開口時間幅は中性子エネルギーに応じて変化する。例として、スリットパッケージの奥行きDと中性子透過材の幅wの比がw/D=1/100を満足する構造を仮定すると、中性子スーパーミラーが貼付されていないフェルミチョッパーを300Hzで回転させるときの開口時間幅は5.3μsである。
【0019】
このとき、上述の例で示したRRM法で選択される複数の入射中性子エネルギーに対して、本発明においては、チョッパーの開口時間幅はおよそ1倍(300meV)、2倍(89.5meV)、3倍(42.4meV)、4倍(24.6meV)、5倍(16.1meV)、6倍(11.3meV)となるので、RRM法によって入射エネルギーを複数用いる効果を考慮すると、(1+2+3+4+5+6)=21倍もの測定効率の向上がなされることとなる。
【0020】
さらに図7に示すように、本発明の方法によって測定のエネルギー分解能も広いエネルギー範囲に亘って一定となり、測定結果の解析効率もまた向上することとなる。
【図面の簡単な説明】
【0021】
【図1】従来のチョッパー装置に装填されるスリットパッケージを示した図である。
【図2】パルス中性子非弾性散乱測定の距離-飛行時間相関図である。
【図3】複数の入射エネルギーを用いた、パルス中性子非弾性散乱測定を同時に行う手法(RRM法)の距離-飛行時間相関図である。
【図4】パルス中性子源から発生する中性子について、パルス時間幅の中性子エネルギー依存性を示す図である。
【図5】中性子スーパーミラーを貼付したスリットパッケージが回転し、中性子を反射する様子を示した図である。
【図6】本発明方法での、中性子スーパーミラーを貼付したフェルミチョッパーによる実効開口時間幅の中性子エネルギー依存性を図4のパルス時間幅の中性子エネルギー依存性と比較して示した図である。
【図7】本発明方法により実現されるエネルギー分解能と従来のフェルミチョッパーで実現されるエネルギー分解能とを比較した図である。
【符号の説明】
【0022】
1:中性子透過材
2:中性子吸収材
3:中性子スーパーミラー
L1:中性子源からチョッパーまでの距離
L2:試料から検出器までの距離
L3:チョッパーから試料までの距離




【特許請求の範囲】
【請求項1】
両面に中性子スーパーミラーが貼付された中性子吸収材と中性子透過材とを交互に積層したスリットパッケージをフェルミチョッパーに装填することにより、パルス中性子非弾性散乱測定の効率を向上させる方法。
【請求項2】
前記チョッパーを使用して中性子ビームをミラーによる反射で透過させ、更にチョッパーの回転速度を調節することにより、前記チョッパーの開口時間幅の中性子エネルギー依存性を、中性子源におけるパルス時間幅の中性子エネルギー依存性に、広いエネルギー範囲に亘って近付け、前記チョッパーで選択される複数の入射エネルギーを使用する中性子非弾性散乱測定において、すべての入射エネルギーでエネルギー分解能が一定になり、且つ実験条件が最適となることを特徴とする、請求項1記載の方法。




【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【図1】
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【公開番号】特開2007−303909(P2007−303909A)
【公開日】平成19年11月22日(2007.11.22)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2006−131238(P2006−131238)
【出願日】平成18年5月10日(2006.5.10)
【出願人】(505374783)独立行政法人 日本原子力研究開発機構 (727)
【Fターム(参考)】