説明

一重項酸素の生成法及びフラーレンの酸化法

【課題】各種反応の酸化剤として有用な一重項酸素を固相域で光照射なく安定的に生成させるとともに、生成した一重項酸素を用いてフラーレンを固相反応で効率よく酸化する。
【解決手段】フラーレンの粉体に酸素雰囲気下で機械的応力を付与し、炭素原子で構成されるケージを動的に歪ませ、ケージの動的歪みに起因するエネルギーをフラーレンから雰囲気の酸素分子に伝達して一重項励起状態に付勢することにより一重項酸素を生成する。一重項酸素を酸化剤として使用すると、フラーレンの酸化反応が固相で進行し、酸化フラーレンが効率よく製造される。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、炭素原子でケージが構成されたフラーレンの粉体に酸素雰囲気中で機械的応力を付与することにより雰囲気の酸素を励起させて一重項酸素を生成させる方法及び一重項酸素を用いてフラーレンを酸化する方法に関する。
【背景技術】
【0002】
フラーレンの酸化は、有機化合物の合成方法の中でも重要な位置を占める。酸化剤に常用されている有機又は無機化合物は有害で大きな環境負荷を与えるので、環境負荷が小さくクリーンな反応に好適な酸化剤として分子状酸素が古くから注目を集めている。分子状酸素を酸化剤としたフラーレンの酸化には、通常、色素分子を光増感剤とする光化学的手法が採用されている。
フラーレン自体も光増感作用を有することが近年報告されている。非特許文献1によると、光一重項励起したフラーレンが項間交差(ISC:intersystem crossing)により三重項励起状態となり、三重項励起状態のフラーレンから酸素にエネルギーが移動し、酸素を一重項状態へと励起する。
【0003】
60,C70,C84等のフラーレンは、炭素原子でケージが構成されたカーボンクラスターであり、特殊な分子構造に由来する特異な物性を呈する。たとえば、フラーレンの一重項酸素発生能を活用し、患部への選択的ドラッグデリバリーシステムと併用すると、抗がん剤,抗HIVプロテアーゼとしての展開が図られる。化粧品分野では、ラジカル補修能を活かし、ビタミンC類似の抗活性酸素剤として使用できる。
他の元素又は基をケージを構成する炭素原子の一部と結合させ、或いはケージの中に内包させると、フラーレン自体の特性を変えることができ一層の用途展開が期待される。
【0004】
フラーレンを光増感剤として用いる酸化反応では、フラーレン自体の酸化反応が最も単純な系である。優れた活性能を有する酸化フラーレンは、機能性フラーレン誘導体の前駆体や、フラーレンよりもさらに低い最低空軌道(LUMO)を利用した電池電極材料の添加剤としての応用も期待されている。酸化フラーレンの製造には、溶液中での光酸素酸化(非特許文献2),メタクロロ過安息香酸等の酸化剤を用いた方法(非特許文献3),メタクロロ過安息香酸と固相混合したフラーレンにマイクロ波を照射する方法(非特許文献4)等が知られている。
【0005】
【非特許文献1】Michael Orfanopoulous, Spiros Kambourakis, Tetrahedron Lett., 1994, 35, 1945.
【非特許文献2】Kathleen M Creegan, Jhon L. Robbins, Win K. Robbins, Jhon M. Millar, Rexford D. Sherwood, Paul J. Tindall, Donald M. Cox, J. Am. Chem. Soc., 1992, 114, 1103.
【非特許文献3】Alan L. Balch, David A. Costa, Bruce C. Noll, Marilyn M. Olmstead, J. Am. Chem. Soc., 1995, 177, 8926.
【非特許文献4】Weon Bae Ko, Sung Ho Hwang, Ju Hyun Ahn, Elastomer, 2005, 40, 45.
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
非特許文献1〜3では、溶液中での反応を想定しているため、環境負荷がおおきくなる。特に、難溶解性のフラーレンの溶液中で酸化することから大量の溶媒を必要とし、大量合成には不向きである。しかも、光照射を必須とした反応であるため、設備構成に工夫を要する。非特許文献4では固相反応を採用しているものの、反応場が固体間に限定されるため、反応完了までに長時間を要し、収率も良くない。
本発明は、このような問題を解消すべく案出されたものであり、動的歪みを導入したフラーレンからエネルギーが発せられることに着目し、各種反応の酸化剤として有用な一重項酸素を固相域で光照射なしに安定的に生成させ、一重項酸素を用いてフラーレンを固相反応で効率よく酸化することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0007】
本発明の一重項酸素生成法では、炭素原子でケージが構成されるフラーレンの粉体に酸素雰囲気下で機械的応力を付与し、フラーレンのケージを動的に歪ませ、ケージの動的歪みで生じるエネルギーを酸素雰囲気中の酸素分子に伝達し、その酸素分子を一重項状態に励起させることを特徴とする。フラーレンは、ケージを構成する炭素原子の個数に応じCn(但し、nは60,70,84又はそれ以上の偶数の整数)で表される。
生成した一重項酸素は極めて活性度の高い酸化剤であり、フラーレンのケージを構成する炭素と容易に結合し、溶媒を必要としない固相反応でフラーレンを高効率で酸化する。
【発明の効果及び実施の形態】
【0008】
本発明者等は、活性度の高い酸化剤として期待される一重項酸素を固相反応で生成する方法について鋭意検討を重ねてきた。この過程で、フラーレンの粉体を酸素雰囲気中で粉砕して機械的応力を加えると、ケージが動的に歪んでフラーレン分子が活性化し、ケージの動的歪みに起因するエネルギーが雰囲気中の酸素分子に移動し、酸素分子が一重項励起状態に励起されると考えた。
【0009】
固相域でのメカノケミカル反応は、機械的応力をドライビングフォースとする反応系であり、主に無機結晶系で広く使用されているが、有機化合物に応用した例は少ない。理論的には、3原子直線分子にもたらされる歪みにより分子軌道が接近したために生じる最高被占軌道(HOMO)とLUMO間のバンドキャップエネルギーの減少という形で説明されるが、実際に三次元的な構造を有する分子で確認した事例はない。
フラーレンを増感剤として用いる光酸化反応では、光照射で励起状態が得られ、その途中で生成した一重項酸素1O2によって酸化反応が進行する(図1)。そこで、フラーレンに機械的応力を加えることによっても光照射時と類似したフラーレンの励起状態が得られ、一重項酸素も生成されると予測した。
【0010】
酸素雰囲気下でフラーレンに機械的応力を加えることにより雰囲気の酸素分子の一部が励起され一重項酸素が生成することは、次の手段で確認できる。
フラーレン粉体を4-oxo-TEMP(4-oxo-tetramethylpypridine)と共にボールミルに装入し、酸素雰囲気下で粉砕すると、フラーレン粉体に機械的衝撃が付与され、フラーレンのケージに動的歪みが導入される。なお、4-oxo-TEMPは、一重項酸素との反応性が高いスカベンジャーであり、反応生成物として安定なラジカル種:4-oxo-TEMPO free radicalを生じる(図2a)。
【0011】
粉砕後の試料を電子スピン共鳴(ESR)分析すると、4-oxo-TEMPと一重項酸素との反応生成物:4-oxo-TEMPO free radicalに帰属するESRシグナルが得られる(図2b,図3c)。ESR分析の結果は、4-oxo-TEMPをフラーレンと酸素存在下で光反応させたときの結果(図3b)と同じであるが、フラーレンと4-oxo-TEMPを混合しただけでは4-oxo-TEMPO free radicalに帰属するESRシグナルは得られない(図3a)。
【0012】
また、未反応フラーレンと4-oxo-TEMPの単純混合に比較し、4-oxo-TEMPの反応生成物から4-oxo-TEMPO free radicalに帰属するESRシグナルが選択的に増大していることは、一重項酸素の選択的スカベンジャーとして働く4-oxo-TEMPの機能から、一重項酸素を経由する反応が生じていることを示している。したがって、酸素雰囲気下でフラーレン粉体に機械的衝撃を付与すると、周囲の酸素分子へのエネルギー移動が起こり、一重項酸素の生成が確認される(図2b)。
【0013】
フラーレンに代えて代表的な光増感剤色素:Rose bengalを4-oxo-TEMPと共にボールミルに装入し、同様に酸素雰囲気下で粉砕した。この場合、Rose bengalと4-oxo-TEMPとの単純混合と同様に、一重項酸素の生成を確認できなかった(図4a,4c)。一方、酸素雰囲気中Rose bengalの存在下で4-oxo-TEMPを光反応させると、一重項酸素が生成した(図4b)。したがって、一般的な光増感剤を用いた場合、光照射では一重項酸素が生成し、メカノケミカル法では一重項酸素が生成しないことが確認される。
【0014】
Rose bengal又はフラーレンによる一重項酸素の生成状況の違いは、両者の立体的な分子構造の相違が原因と考えられる。すなわち、Rose bengalではπ共役面が平坦であるのに対し、フラーレンはπ共役面が球状に湾曲している。そのため、フラーレンでは分子歪みによって引き起こされる分子軌道の変化が著しく、機械的応力を受けたときフラーレン分子が活性化しやすいといえる。活性化したフラーレン分子から雰囲気の酸素に伝達されたエネルギーにより、酸素分子が一重項状態に励起されたと考えられる。
【0015】
広汎な分野にフラーレンの用途展開を図る上では、酸化フラーレンの製造が必要になる。酸化フラーレンは、フラーレンの粉体に酸素雰囲気下で機械的衝撃を付与してフラーレンのケージを動的に歪ませ、動的歪みに起因するエネルギーを雰囲気の酸素分子に伝達して一重項状態に励起させ、生成した一重項酸素をフラーレン自体のケージを構成する炭素と結合させることにより製造される。
【0016】
酸素雰囲気下で粉砕した粉砕物を、フラーレンの溶解能に優れた二硫化炭素で洗浄し、濾別された二硫化炭素に不溶の成分を回収・乾燥すると、酸化フラーレンのみを取り出せる。洗浄液としては、二硫化炭素の他に、トルエン,ベンゼン等の無極性溶媒を用いてもよい。
二硫化炭素に不溶の成分が酸化フラーレンとなっていることは、濾液及び回収・乾燥された粉体を分析することにより確認できる。具体的には、C60をフラーレンに用いた場合、濾液を高速液体クロマトグラフィー(HPLC)にかけた分析結果は、二硫化炭素に溶解した成分が未反応のフラーレンC60と微量の低酸化状態のフラーレンエポキシド(C601〜3)であることを示している(図5)。
【0017】
濾液から分離され回収・乾燥した粉体は粉体のまま、臭化カリウム(KBr)法を用いた赤外分光法で分析される。その結果、光酸化反応で得られるエポキシドにみられるC-O-Cの伸縮モードの他に、C=Oに帰属する吸収帯を有する物質であることが判った(図6)。すなわち、フラーレンの粉体を酸素雰囲気下で粉砕すると、フラーレンの炭素に酸素がケトン構造で付加した平均組成C608.6の酸化フラーレンが製造されることが確認できる。
【0018】
ボールミルを用いた粉砕では機械的衝撃がフラーレンに加えられる。なかでも、電磁的な加振機能を有するボールミルが好適に使用される。しかし、フラーレンが球状のケージを有することを考慮すると、異方性の動的圧力付与によっても一重項酸素の発生に必要な動的歪みがケージに導入される。本発明では、このような機械的衝撃,異方性の動的圧力付与等を"機械的応力"で総称する。
付加エネルギーは、フラーレンのケージを雰囲気の酸素にエネルギーを付与できるほどに歪ませ、或いはフラーレン自体を効率的に酸化させるため、最低励起三重項状態と基底状態とのエネルギーギャップである1.63 eV程度のエネルギーが必要と考えられる。
【0019】
しかし、付与エネルギーは大きければよいというものでもない。たとえば、ボールミルで過剰なエネルギーを付与しようとすると、粉砕媒体であるボールや容器の磨損に伴う不純物の混入が避けられず、副反応も誘発されやすくなる。また、機械的衝撃が粉体に加えられるボールミルでフラーレンを粉砕する場合、高い負荷がかかる粉砕条件下ではフラーレンの重合反応も懸念される。
付与エネルギーの最適値は粉砕方法によって異なり一義的に定められない。そのため、重合反応の抑制を考慮しながら、粉砕方法に応じた最適エネルギー値をその都度見積もることが好ましい。
【0020】
以上に説明したように、フラーレンに機械的応力を与えて炭素原子で構成されるケージを動的に歪ませ、動的歪みに起因するエネルギーをフラーレンから雰囲気の酸素分子に伝達することにより、酸素分子を一重項励起状態に付勢している。生成した一重項酸素は活性度が非常に高い酸化剤であるので、フラーレンの酸化に使用すると、固相域での酸化反応が効率よく進行する。
酸化反応が固相域で生じるため、反応系中に溶媒を必要とせず、環境に与える負荷が小さくなる。因みに、増感剤を用いた光酸素酸化反応を単純に固相域で行った場合、光の吸収及び反応が固体表面で進行するため、反応効率が著しく低い。これに対し、本発明では機械的応力の付与で常に新生面が露出するので、フラーレン分子の空隙に酸素分子がインターカレートする性質との効果と相俟って、活性種を効率的に生成し続けることが可能になる。
以下、実施例により本発明の特徴を具体的に説明する。
【実施例1】
【0021】
フラーレンC60(nanom purple:フロンティアカーボン社製)の粉体500mgを、直径50mmの瑪瑙製ボールを粉砕媒体として充填した電磁振動式のボールミル(Pulverisette 0:Fritsch製)に装入した。ボールミルを遮光し、1気圧の酸素雰囲気中で振幅;2mm,振動数;50Hzの条件下で5時間稼働し、フラーレン粉体を微粉砕した。
粉砕後、容器内から回収した粉体(10mg)をトルエン(50ml)に溶解し、不溶性の生成物を遠心分離で回収・乾燥した。上澄みのトルエンのフラーレン溶液をHPLC(トルエン100%溶液を移動相に使用するBucky Prep.:ナカライテクス製)により分析し、未反応のフラーレンを定量した。その結果、反応の転化率が68%であった。また、回収粉体を元素分析したところ、平均組成:C608.6の酸化フラーレンであった。
【実施例2】
【0022】
本例では、酸化フラーレンへの転化率に粉砕強度,粉砕時間が及ぼす影響を調査した。
何れも直径:50mmの瑪瑙製ボール:170g又はステンレス鋼製ボール:507gを充填したボールミルにフラーレン:500mgを装入した。粉砕に際しては、ボールミル内を酸素雰囲気に維持し、上下振動の振幅も変化させた。
表1に示す種々の条件下でフラーレンを粉砕し、酸化フラーレンへの転化率,微量生成したエポキシド:C60Oの生成率をHPLC分析で、酸化フラーレンの平均酸素数を元素分析で求めた。調査結果を表1に併せ示す。なお、本例では、HPLCで求めたフラーレンのピークの積分値から酸化フラーレンの収率を算出した。
【0023】
表1から明らかなように、酸化フラーレンへの転化率,酸化フラーレンの平均酸素数に多少のバラツキがあるものの、何れも長時間粉砕,振幅増大に伴い上昇する傾向にあった。ステンレス鋼製ボールでは瑪瑙製ボールよりも転化率,平均酸素数の双方が大きくなっていた。ボール材質による相違は、比重の大きなステンレス鋼製ボールの方がより大きな機械的応力をフラーレンに加えた結果と考えられる。特に、ステンレス鋼製ボールを用い振幅:2mmで3時間粉砕した場合、原料のフラーレンがほぼ全て消費されている。このことからも、フラーレンの酸化反応が粉砕強度に敏感なことを理解できる。
【0024】

【図面の簡単な説明】
【0025】
【図1】光によるフラーレンの酸化反応を説明する模式図
【図2】4-oxo-TEMPによる一重項酸素のトラップ状況を説明する模式図
【図3】フラーレンを触媒としたときの一重項酸素の同定を説明する図
【図4】Rose bengalを触媒としたときの一重項酸素の同定を説明する図
【図5】濾液のHPLCチャート
【図6】フラーレンのIRスペクトル

【特許請求の範囲】
【請求項1】
炭素でケージが構成されるフラーレンの粉体に酸素雰囲気下で機械的応力を付与してフラーレンのケージを動的に歪ませ、ケージの動的歪みで生じるエネルギーを酸素雰囲気に伝達し、酸素雰囲気の酸素分子を一重項状態に励起させることを特徴とする一重項酸素の生成方法。
【請求項2】
炭素でケージが構成されるフラーレンの粉体に酸素雰囲気下で機械的応力を付与してフラーレンのケージを動的に歪ませ、ケージの動的歪みで生じるエネルギーを酸素雰囲気に伝達し、酸素雰囲気の酸素分子を一重項状態に励起させ、生成した一重項酸素をフラーレンのケージを構成する炭素と結合させることを特徴とするフラーレンの酸化方法。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【公開番号】特開2008−19155(P2008−19155A)
【公開日】平成20年1月31日(2008.1.31)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2006−319531(P2006−319531)
【出願日】平成18年11月28日(2006.11.28)
【新規性喪失の例外の表示】特許法第30条第1項適用申請有り 平成18年1月7日〜9日 フラーレン・ナノチューブ学会主催の「第30回記念フラーレン・ナノチューブ総合シンポジウム」において文書をもって発表
【出願人】(899000079)学校法人慶應義塾 (742)
【Fターム(参考)】