説明

動的変形特性に優れる衝撃吸収部材の設計方法

【課題】 衝突安全性の向上のため、動的変形特性に優れた自動車部材、構造を確実に提供する。
【解決手段】 材料内の硬度分布が1つ以上のピークを持つ鋼材で、低硬度側のピークの中央値(Hl)と、最も高硬度側の側のピークの中央値(Hh)の比(Hh/Hl)が、
Hh/Hl≧1.08を満たすことを特徴とする鋼材で衝撃吸収部材および自動車車体構造を構成する。またその際、最も低硬度側の相の体積率(Vl)と最も高硬度側の相の体積率(Vh)の比が、Vh/(Vl+Vh)≦0.4を満たす際に衝撃吸収能が優れる。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、自動車構造を代表とする優れた動的変形特性を必要とする衝撃吸収部材の設計方法に関する。
【背景技術】
【0002】
近年、自動車業界では、衝突時の乗員への傷害を低減しうる車体構造の開発が急務の課題となっている。この課題の解決のために、素材の板厚を増すことが行われるが、これでは車体の重量が増加し、燃費の悪化や走行性能の低下を招いてしまう。従って、部材の構造変更をしたり、材料をより高強度なものに置換したりすることにより衝撃吸収能を高めることが望ましい。
【0003】
このような目的を達成するため自動車車体構造を構成する主要な材料である鋼板に関しては従来から様々な検討がなされてきている。例えば特許文献1や特許文献2に示されているように衝撃吸収の際の主な変形が曲げであることに注目して、中心部に比べて表層部の硬度を高くすることにより曲げ変形時の吸収エネルギーを高めるとともに、比較的軟質な中心部により成形性を確保するような方法が知られている。しかしながら、このような鋼板は通常のプロセスとは異なる特殊な方法で製造する必要があり、高コストである。これを解消するために鋼板製造後、部材への加工を終えた後に窒化処理することにより、表層部の硬度を増加させ、優れた衝撃吸収能を得る鋼板が特許文献3に開示されている。これは鋼板製造プロセスのコストは低下させるが、加工後の窒化処理が必要であり、全体としてみると高コストである。
【0004】
一方、特許文献4や特許文献5に示されているように、鋼板製造時のミクロ組織を改善し、その相の硬さを限定することで優れた衝撃吸収特性を示す鋼板が製造できることが知られている。特許文献4ではベイナイト相が主体で残留オーステナイト相を含む鋼板に対してベイナイト相の硬度の上限値を設定することにより、衝撃吸収能が高くなるとしている。また、特許文献5では、フェライト相が主体で残留オーステナイト相を含む鋼板に対して、フェライト相の下限値を設定することで、衝撃吸収能を高めることができるとしている。しかしながら、鋼板中の相を同定しそれらの硬度を求めながら、その値をある範囲に制限するように製造するには深い経験と知識が必要である。また、主相の硬度がどのように衝撃吸収能に寄与するのかは明確でない上に、特許文献4や特許文献5では主相のみの硬度が規定されており、他に含まれる相の寄与は全く開示されておらず、このような相をどのように制御すべきかについては明らかではなかった。
【特許文献1】特開平10−298712号公報
【特許文献2】特開2001−335891号公報
【特許文献3】特開平11−279685号公報
【特許文献4】特開平11−256273号公報
【特許文献5】特開2000−290745号公報
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0005】
本発明は、自動車構造を代表とする優れた動的変形特性を必要とする部材や構造に対して優れた性能を確実に得るための設計方法を提供するものである。
【課題を解決するための手段】
【0006】
本発明者らは、部材や構造を構成する鋼材の硬度に着目して、それを評価する手段を開発し、それを基に適切な鋼材を選択することにより、優れた衝撃吸収特性を持つ部材や車体構造が得られることを見出した。本発明の要旨とするところは以下の通りである。
(1)衝撃吸収部材を設計する際に、硬さ分布が2つ以上のピークを持つ鋼材で、低硬度側のピークの中央値(Hl)と、最も高硬度側のピークの中央値(Hh)の比(Hh/Hl)が、
Hh/Hl>1.08
を満たす鋼材を用いることを特徴とする動的変形特性に優れる衝撃吸収部材の設計方法。
(2)前記硬さの測定を押し付け力1N以下のビッカース硬さHvにより計測することを特徴とする(1)記載の動的変形特性に優れる衝撃吸収部材の設計方法。
(3)更に、硬さ分布の計測結果から、それぞれのピークの中央値を中心とした分布の重ね合わせにより、それぞれのピークに対応する組織の体積率を求め、最も低硬度側の組織の体積率(Vl)と最も高硬度側の組織の体積率(Vh)の比が、
Vh/(Vl+Vh)≦0.4
を満たす鋼材を用いることを特徴とする(1)または(2)に記載の動的変形特性に優れる衝撃吸収部材の設計方法。
【発明の効果】
【0007】
本発明に基づいて、衝撃吸収特性の優れた部材や車体構造を構成する鋼材を簡便な方法で適切に選定できる。また、このようにして選定した鋼材を用いて衝撃吸収特性の優れた部材や車体構造を製造することが可能となり、自動車の衝突安全性の向上に寄与する。
【発明を実施するための最良の形態】
【0008】
本発明者らは、まずこれまでの自動車に使用されている鋼材について詳細に実験を行った。その結果、従来の金相学的な手法での構成相の同定に非常に困難を伴うことが分かった。特に高強度鋼材については組織形態が複雑で相分類が極めて難しく、たとえ同定したとしてもその結果に無視できない実験誤差が存在することが分かった。また更に言えば衝撃吸収特性は材料の変形応力が関与するものであり、金相学的な相の分率とは直接の相関はない。そこで本発明者らは、硬度をその間をつなぐものとして使用することに思い至った。
【0009】
一般に衝撃吸収特性は動的な変形下つまり高ひずみ速度下での変形応力が高いほど優れていることが知られている。一方、部材の製造時のプレス成形性を考えるとその変形応力は低いほどよいことから、プレス成形時のような比較的低速の変形では変形応力が低く、高ひずみ速度では変形応力が高い、つまり変形応力のひずみ速度依存性が高いことが望ましい。本発明者らのこれまでの検討で、可動転位が導入されるマトリクスが清浄である、すなわち、固溶原子や析出物等がない場合に、変形応力のひずみ速度依存性が高いことが分かっている。
【0010】
一般に材料の強化は、固溶強化や析出強化のようにマトリクス(母相)に行うものと、結晶粒微細化や硬質相の導入による強化などマトリクス(母相)以外に行うものに分けられる。衝撃吸収特性を上げるためには材料の変形応力の絶対値を上げる必要があるので、これらの強化を使うことが必須であるが、ひずみ速度依存性を上げる場合には上記のような知見からマトリクス以外を強化する手法が望ましい。
【0011】
しかしながら既に述べたように複雑な構造を持つ高強度鋼材の場合には金相学的な分類からだけでは相の同定が難しく、また、各相の強化度を見積ることは出来ない。そこで、本発明者らは材料の微小領域の硬度を多数測定することで得た硬度分布を用いて鋼材に使われる強化機構を峻別し、かつその寄与度を定量化することができることを見出した。また、種々の硬度分布を示す材料の変形応力のひずみ速度依存性を調査し、分布形態と変形応力のひずみ速度依存性との関係を明らかにした。それらの検討を基に、種々の鋼材で部材を製作し、部材の衝撃吸収特性を計測した。
【0012】
その結果、同等強度を示す材料で製作した部材で比較すると、材料内の硬度分布が複数のピークを持つものほど衝撃吸収特性が優れることが分かった。この複数のピークの内、最も低硬度側のものはマトリクス(母相)からの寄与であると考えられる。その他のピークは結晶粒界や第二相からの寄与であると考えられる。単一のピークを示す同等強度の材料で製作した部材に比べて、複数のピークを持つ場合に衝撃吸収特性が優れるのは、高硬度側に見られるピークの原因、すなわち、結晶粒界または第二相が強度を分担しており、そのためマトリクス(母相)の強化度が低く、このマトリクスがひずみ速度依存性を担保しているためであると考えられる。
【0013】
さらに検討の結果、硬度分布から求めた最も低硬度側のピークの中心値(Hl)と、最も高硬度側のピークの中央値(Hh)の比(Hh/Hl)が1.08より大きい鋼材で部材が構成されている場合には確実に動的変形特性すなわち衝撃吸収特性が優れていることが分かった。これはHlに代表されるマトリクスが十分軟質でありひずみ速度依存性を担保しつつ、Hhに代表されるマトリクス以外で変形応力の絶対値を確保していることから、その合算値である動的変形応力が高くなり、部材として高い衝撃吸収特性を示したものと考えられる。そのためHh/Hlの範囲を1.08以上とする。
【0014】
硬さを測定する場所としては、鋼板の中心層、1/4層、表層等いずれの断面で測定しても良い。但し、板厚方向で極端に材質が異なる場合には1/4層近傍で計測することが望ましい。また、硬さ測定の際には表面を研磨した後に行うのが望ましい。その研磨の際には材料に大きな加工ひずみを与えないようにバフ研磨または化学研磨により仕上げることが望ましい。また、硬さは後述する微小ビッカース硬さの他に、ロックウェル、ブリネル等の硬さを測定しても良い。またこのような決められた圧子以外にも少ない押し付け力で確実に圧痕を得るために任意の圧子形状、例えば三角錐形状、を用いることができる。これは本発明の硬度測定がその絶対値を得ることが目的ではなく、確実に材料内の硬さの分布を知ることが重要であるためである。また従来型の硬度計だけでなく、ナノインデンテーション等超微小領域の硬度を測定する手段も本発明に好適である。
【0015】
また、最も低硬度側のピークの中心値とは、硬さの測定値の分布図を作成した際に、最も低硬度のピークを持つ領域内で、最も高い頻度を占めす硬さの範囲の中心値と定義する。また、最も高硬度側のピークの中心値とは、同じ分布図を作成した際に、最も高硬度のピークを持つ領域内で、最も高い頻度を占めす硬さの範囲の中心値と定義する。
【0016】
前記(2)に係る本発明では、硬度分布を測定する方法としてビッカース硬度を用いること規定している。これは、鋼材の硬度の測定方法としてビッカース硬度が広く使われており、その方法を用いることが至便のためである。但し、本発明では微小領域の硬度を測定する必要から押し付け力には十分な注意が必要である。押し付け力が過大な場合は圧痕が大きくなってしまい、マトリクスとマトリクス外の硬度の差を抽出することが困難となる。そのため、押し付け力の上限値を1Nとした。押し付け力は小さいほど材料の微視的な特徴を抽出できるため、0.1N以下とすることが好ましい。最小値は特に限定しないが、測定値の信頼性の点から0.01N以上とすることが好ましい。
【0017】
前記(3)に係る本発明では、硬度分布により同定した相の体積率を規定している。これはマトリクス(母相)の占める割合が低くなってしまうと、変形応力のひずみ速度依存性が低下してしまうためである。最も低硬度側の相の体積率(Vl)と最も高硬度側の相の体積率(Vh)の比が、Vh/(Vl+Vh)≦0.4を満たす場合にはより確実に変形応力のひずみ速度依存性が確保できることが判明したため、これを規定する。
【0018】
ここに言う体積率は材料の組織写真から金相学的に求められたものとは異なる。動的変形特性に重要であるのは機械的性質であり、本発明者らは硬度分布の測定により衝撃吸収特性が推定できることを明らかにしている。本発明で言う体積率は硬度分布から算出しており、機械的特性との相関を見る上で好適である。具体的には硬度分布に対してまずそれぞれのピークの中央値を定める。その後それぞれのピークに適切な分布関数を仮定し、それらのピークの重ね合わせにより全体の硬度分布をフィッティングする。その後各ピークの面積を評価し、各々のピークの体積率を求める。
以上のような方法により選定した鋼材を用いて製作した部材の動的変形特性は良好であった。
【実施例】
【0019】
以下に実施例を挙げながら、本発明の技術内容について説明する。
本発明は任意の部材に対して適用可能であるが、今回は代表的な衝撃吸収部材であるフロントサイドメンバーの先端部を模擬したハット型部材の軸圧潰特性によりその効果を検証した。図1にハット型部材の断面寸法を示す。部材長さは300mmである。動的な圧潰特性は落重試験により評価した。落錘重量は800kgで落下高さは2mとした。衝撃吸収エネルギは部材の100mm圧潰までの荷重を圧潰長さに対して積分して求めた。
表1に部材作製に使用した鋼板を示す。板厚はすべての材料で1.4mmとした。ハット型部材は曲げにより作製した。背板も同一素材を用い、ハット形状部材と背板とはスポット溶接により接合した。
【0020】
【表1】

【0021】
材料の硬度は微小ビッカース硬度計を用いて行った。まず、押し込み力の最適値を決めるために押し付け力を変えて圧痕の大きさを測定した。
【0022】
その結果の代表例を表2に示す。表1に示すNo.1は軟鋼、No.6は590MPa級鋼であるが、いずれの場合も押し付け力が1.96Nでは圧痕の大きさが40μm以上となっている。これは工業的に使われている鋼板の結晶粒径と比べて大きいことから考えて、複数の結晶粒や粒界からの寄与を平均化した硬度を測定しているものと考えられる。
【0023】
【表2】

【0024】
一方、押し付け力を0.098Nとした場合には圧痕の大きさが10μmであり、ほぼ一つの結晶粒の大きさに相当する値となっている。また0.098N未満の押し付け力では590MPa級以上の高強度な鋼材に対しては安定した圧痕を得ることが出来ず、結果として硬度の測定に大きなばらつきが生じた。
【0025】
そこで、今回は広い強度範囲の鋼材に対して、材料内の硬度分布の影響を把握するためにすべての測定で押し付け力を0.098Nとした。但し、材料の強度範囲を絞って検討する場合には、硬度測定による圧痕径が別途測定した結晶粒径の大きさより小さくするようにして測定することが好ましい。その場合には前述のように圧痕が安定して得られるかに留意する必要がある。
【0026】
材料内の硬さ分布を知るために、隣接する圧痕の影響を受けないように1mmの間隔を空けて多数点の硬度の測定を行った。測定は50点程度でも十分であるが、複数のピークを持つ場合には100点以上の計測を行うことが望ましい。
【0027】
測定結果の例を図2に示す。図2(A)、(B)はそれぞれNo.1、No.6の測定結果結果である。比較例であるNo.1では硬さ分布は単一のピークしか持たず、分布も急峻である。
【0028】
一方、本発明例のNo.6では、母相に起因する低硬度側と硬質相に起因する高硬度側の二つのピークを示した。これらの分布から低硬度側のピークの中央値(Hl)と、最も高硬度側のピークの中央値(Hh)を評価した。また複数のピークを持つ場合にはそれぞれの相の体積率を評価するために、ピークの中央値に対して正規分布を仮定し測定して分布を数値化した。その後、それぞれの分布の±3σまでの面積を計算し、最も低硬度側のピークの面積を、全てのピークの面積を合算したもので割った値をその相の体積率(Vl)とした。また、同様に最も高硬度側のピークの面積を、全てのピークの面積を合算したもので割った値をその相の体積率(Vh)とした。このような過程により評価した結果を表1に示す。
【0029】
さらに、表1には落重試験の結果を示してある。また、図3に表1の結果を図示している。図3の横軸は素材引張強さ(TS)であるが、全体的な傾向としては素材強度が増加するほど吸収エネルギも増加し、衝撃吸収特性が向上することが分かる。しかしながら、同等強度を示す素材で部材を構成した場合でも衝撃吸収特性に差があり、硬度分布に複数のピークがあり、かつHh/Hlが1.08以上の場合には優れた吸収エネルギを示した。複数のピークがあるもののHh/Hlが1.07であるNo.11ではHh/Hlが1.08以上である素材から製作した部材と比べて衝撃吸収特性が優れなかった。
【0030】
No.12、13、14、15はほぼ同等の素材強度を示し、かつHh/Hlが1.08以上であるが、Vh/(Vl+Vh)の値が異なる。Vh/(Vl+Vh)に対して、吸収エネルギをプロットしたものを図4に示す。Vh/(Vl+Vh)が0.4を越える場合(No.15)に衝撃吸収エネルギーが低く、Vh/(Vl+Vh)が0.4以下の場合には優れた衝撃吸収能を示すことが分かった。
【図面の簡単な説明】
【0031】
【図1】評価に用いたハット型部材の断面寸法を示す。
【図2】硬度分布の測定結果の例を示す。
【図3】衝撃吸収エネルギの強度依存性を示す。
【図4】衝撃吸収エネルギと硬質相体積分率の関係を示す。
【符号の説明】
【0032】
1 評価に用いた試験体のハット部分
2 背板

【特許請求の範囲】
【請求項1】
衝撃吸収部材を設計する際に、硬さ分布が2つ以上のピークを持つ鋼材で、低硬度側のピークの中央値(Hl)と、最も高硬度側のピークの中央値(Hh)の比(Hh/Hl)が、
Hh/Hl>1.08
を満たす鋼材を用いることを特徴とする動的変形特性に優れる衝撃吸収部材の設計方法。
【請求項2】
前記硬さの測定を押し付け力1N以下のビッカース硬さHvにより計測することを特徴とする請求項1記載の動的変形特性に優れる衝撃吸収部材の設計方法。
【請求項3】
更に、硬さ分布の計測結果から、それぞれのピークの中央値を中心とした分布の重ね合わせにより、それぞれのピークに対応する組織の体積率を求め、最も低硬度側の組織の体積率(Vl)と最も高硬度側の組織の体積率(Vh)の比が、
Vh/(Vl+Vh)≦0.4
を満たす鋼材を用いることを特徴とする請求項1または2に記載の動的変形特性に優れる衝撃吸収部材の設計方法。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【公開番号】特開2006−283174(P2006−283174A)
【公開日】平成18年10月19日(2006.10.19)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2005−108183(P2005−108183)
【出願日】平成17年4月5日(2005.4.5)
【出願人】(000006655)新日本製鐵株式会社 (6,474)
【Fターム(参考)】