説明

心的外傷後ストレス障害予防剤、治療剤及び飲食物

【課題】安全性が高く、且つ継続摂取が容易な心的外傷後ストレス障害(PTSD)予防剤、治療剤及び飲食物に関する。
【解決手段】テアニンを有効成分とする心的外傷後ストレス障害(PTSD)の予防剤・治療剤又はこれらを含有する飲食物。該予防剤・治療剤又はこれらを含有する飲食物にカテキン類を添加することにより相乗効果を得ることもできる。テアニン量は、例えば、投与対象の体重1kg当たり0.5mg〜5mgのテアニンを投与するのが好ましく、中でも投与対象の体重1kg当たり0.5mg〜2mgのテアニンを投与するのがさらに好ましい。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、安全性が高く、且つ継続摂取が容易な心的外傷後ストレス障害(PTSD)予防剤、治療剤及び飲食物に関する。具体的には、テアニンを有効成分とする心的外傷後ストレス障害(PTSD)予防剤、治療剤及びこれらを含有する飲食物に関する。
【背景技術】
【0002】
心的外傷後ストレス障害(PTSD)とは、Post-traumatic Stress Disorder の略称であり、例えば幼児期虐待、自然災害、産業事故、交通事故、犯罪被害、レイプ被害、暴力被害などのトラウマ体験の後に、トラウマに関連する特徴的症状を示すものをいう。トラウマに関連する特徴的症状として、フラッシュバック(再体験)、麻痺、覚醒亢進等の各種症状がある。また、心的外傷後ストレス障害は、他の精神障害を合併しやすいため患者にとって非常に苦痛を伴うものである。
【0003】
心的外傷後ストレス障害の因子となる強烈な体験は、単に心理的影響を残すだけではなく、脳に「外傷記憶」(トラウマ)を形成し、脳の生理学的な変化を引きおこすことが近年の研究で明らかにされている。患者の神経生理学的徴候は、例えば神経画像研究、神経化学、神経生理学、電気生理学などで明らかにされている。
【0004】
具体的に心的外傷後ストレス障害は、海馬の萎縮や前頭葉眼窩前野皮質の機能不全(非特許文献1)や、各種脳内神経伝達物質の代謝調節障害(非特許文献2)、覚醒の増加、睡眠時間の短縮、運動の増加、REM 睡眠期の中断(Pitman RK et al. 1999)等を引き起こすことがそれぞれ報告されている。
【0005】
心的外傷後ストレス障害の治療方法としては、グループ治療、認知行動療法、精神力動的治療、薬物療法などがあり、実際の治療ではこれらの治療方法を併用して行われることが多い。薬物療法では、選択的セロトニン再摂取抑制剤(SSRI)を中心として、カルバマゼピンやバルプロ酸のような抗痙攣作用を有する安定剤などを併用することが多い。選択的セロトニン再摂取抑制剤(SSRI)は、シナプス前膜から放出されたセロトニンの再取込を阻害して脳内のセロトニン量を増加させる機能を有する。しかしその一方で、選択的セロトニン再摂取抑制剤(SSRI)の摂取には、例えば嘔気・悪心、口渇、便秘等の消化管障害、眠気、めまい等の精神神経系障害胃痛、倦怠感、食欲不振等の強い副作用が現われることから、副作用のない心的外傷後ストレス障害(PTSD)予防剤又は治療剤が望まれていた。
【0006】
本発明は、テアニンを有効成分とする心的外傷後ストレス障害(PTSD)の予防剤又は予防剤に関するものであるが、テアニンを有効成分とする抗ストレス剤は、例えば特許文献1や特許文献2に記載されている。しかし、特許文献1は、実施例において計算作業ストレス負荷実験を行っていることからも明らかなように、現代社会における日常的ストレスを軽減するためのものである。また、特許文献2は、テアニン等のα波増強効果について記載していることからも明らかなように、テアニン等のリラックス効果が派生的に抗ストレス効果に繋がっていることを示すものである。よって、特許文献1や特許文献2には、テアニンが心的外傷後ストレス障害(PTSD)の予防効果や治療効果を有することは記載されていない。
【0007】
【特許文献1】特開平6−100442
【特許文献2】特開2005−232045
【非特許文献1】Biol Psychiatry; Apr 1;45(7):797-805,1999
【非特許文献2】Semin Clin Neuropsychiatry;Oct;4(4):242-8,1999.
【非特許文献3】Semin Clin Neuropsychiatry;Oct;4(4):234-41,1999.
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
本発明の課題は、安全性が高く、且つ継続摂取が容易な心的外傷後ストレス障害(PTSD)の予防剤又は治療剤及びこれらを配合する飲食品を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0009】
本発明者らは、心的外傷後ストレス障害(PTSD)の予防又は治療作用を有する各種天然由来成分について鋭意研究したところ、茶成分であるテアニンが優れた心的外傷後ストレス障害(PTSD)の予防又は治療作用を有することが明らかになった。また、テアニンを有効成分とする心的外傷後ストレス障害(PTSD)の予防剤又は治療剤に、同じく茶成分であるカテキン類を添加すると相乗効果的に優れた心的外傷後ストレス障害(PTSD)の予防又は治療作用を示すことも明らかになり、本発明を完成するに至った。
【0010】
すなわち本発明は、
1. テアニンを有効成分とする心的外傷後ストレス障害(PTSD)の予防剤又は治療剤、
2. カテキン類をさらに含有することを特徴とする上記1記載の心的外傷後ストレス障害(PTSD)の予防剤又は治療剤、
3. 上記1又は2記載の心的外傷後ストレス障害(PTSD)の予防剤又は治療剤を配合することを特徴とする飲食物。
に関する。
【発明の効果】
【0011】
本発明により、安全性が高く、且つ継続摂取が容易な心的外傷後ストレス障害(PTSD)の予防剤又は治療剤及びこれらを配合する飲食品を提供することにある。
【発明を実施するための最良の形態】
【0012】
本欄では、本発明の実施形態として、心的外傷後ストレス障害(PTSD)の予防剤・治療剤や、これらを含有する飲食品について説明する。なお、以下の説明において、「X〜Y」(X,Yは任意の数字)と記載した場合、特にことわらない限り「X以上Y以下」を意図し、「Xよりも大きくYよりも小さいことが好ましい」旨の意図も包含する。
【0013】
本発明の心的外傷後ストレス障害(PTSD)の予防剤又は治療剤は、テアニンを有効成分とするものであって、神経細胞への分化能の増強作用、アストログリア細胞への分化能の抑制作用、神経系前駆細胞の増殖能の増強作用からなる群から選ばれる1又は2以上の作用を有するものであって、心的外傷後ストレス障害(PTSD)の予防作用及び/又は治療作用を有するものをいう。
ここでいう神経細胞への分化能の増強作用、アストログリア細胞への分化能の抑制作用、及び神経系前駆細胞の増殖能の増強作用は、テアニンそれ自体が神経細胞への分化能の増強作用、アストログリア細胞への分化能の抑制作用、神経系前駆細胞の増殖能の増強作用を有する場合を含むものであるが、他の物質による神経細胞への分化能の増強作用、アストログリア細胞への分化能の抑制作用、神経系前駆細胞の増殖能の増強作用をテアニンがいわば触媒的に促進又は抑制する場合も含むものと解する。神経細胞への分化能の増強作用、アストログリア細胞への分化能の抑制作用、神経系前駆細胞の増殖能の増強作用を有する前記他の物質には、テアニンが触媒的に作用するものであれば特に限定されるものではない。
【0014】
本発明の心的外傷後ストレス障害(PTSD)の予防剤又は治療剤は、そのまま食品として利用することができ、また各種食品や飲料に添加・配合することもできる。本発明の心的外傷後ストレス障害(PTSD)の予防剤又は治療剤を飲食品に添加する場合、該心的外傷後ストレス障害(PTSD)の予防剤又は治療剤をそのまま飲食品に添加することができるが、テアニンを含有する組成物、植物抽出物、飲食品やその他テアニン含有物を飲食物に配合することにより調製することもできる。
【0015】
テアニンは、緑茶等に含まれるグルタミン酸の誘導体であり、本発明の有効成分として、例えばL−グルタミン酸−γ−エチルアミド(L−テアニン
)、L−グルタミン酸−γ−メチルアミド、D−グルタミン酸−γ−エチルアミド(D−テアニン)、D−グルタミン酸−γ−メチルアミド等のL−またはD−グルタミン酸−γ−アルキルアミド、L−またはD−グルタミン酸−γ−アルキルアミドを基本構造に含む誘導体(例えばL−またはD−グルタミン酸−γ−アルキルアミドの配糖体など)からなる群から選ばれた1種類の化合物又は2種類以上の化合物からなる混合物を用いることができる。中でも、L−テアニンは、天然物から取得可能であるばかりか、食品添加物として認められており、入手の容易さ及び安全性などからも特に好ましい。
【0016】
テアニンは、既に公知となっている各種方法によって製造することが可能である。例えば、植物または微生物などの培養法により生合成することも、茶葉から抽出することも、発酵或いは化学合成することもできる。具体的には、特開平05−068578(段落[0006]−[0021])、特開平5−328986(段落[0008]−[0027])、特開平09−263573(段落[0009]−[0029])、特開平11−225789(段落[0007]−[0021])、特開2000−26383(段落[0006]−[0020])、特開2001−278848(段落[0011]−[0021])、特開2003−267867(段落[0005]−[0017])、特開2004−010545(段落[0006]−[0036])、特開2006−083155(段落[0009]−[0021])等に記載された製造方法によって得ることができる。ただし、これらの製造方法に限定されるわけではない。また、得られたテアニンはそのまま使用しても精製して使用してもよく、両者を混合して使用することもできる。
【0017】
本発明において、テアニンは、心的外傷後ストレス障害(PTSD)の予防剤又は治療剤の有効成分として単独で用いることもできるが、既にこれらの作用が知られた他の成分と混合して有効成分とすることもできる。また、単独で用いる場合、例えばテアニンを精製品、粗精製品、或いは茶抽出エキス等の形状のまま精製水又は生理食塩水などに溶解して調製することができる。
【0018】
本発明における心的外傷後ストレス障害(PTSD)の予防剤又は治療剤は、主成分であるテアニンに加えて、カテキン類を別途添加することができる。カテキン類としては、エピガロカテキン、エピガロカテキンガレート、エピカテキン、エピカテキンガレート、ガロカテキン、ガロカテキンガレート、カテキン及びカテキンガレートからなる群から選ばれる1種又は2種以上であってよく、添加量や配合割合は特に限定されない。カテキンの由来は特に限定されないが、入手容易性から茶(Cameria sinensis)由来であることが好ましい。添加するカテキンの形態は、カテキン精製物、茶抽出物、茶抽出物の濃縮物であってよく、これらの形態は粉末、固体、液体等のいずれであってもよい。
【0019】
本発明の心的外傷後ストレス障害(PTSD)の予防剤又は治療剤は、医薬品や医薬部外品として提供することができる。
【0020】
その形態としては、凍結乾燥或いは噴霧乾燥等により乾燥させて乾燥粉末として提供することも、液剤、錠剤、散剤、顆粒、糖衣錠、カプセル、懸濁液、乳剤、アンプル剤、注射剤、その他任意の形態に調製して提供することができる。医薬品として提供する場合、例えば、有効成分をそのまま精製水又は生理食塩水などに溶解して調製することも可能である。医薬部外品として提供する場合、容器詰ドリンク飲料等の飲用形態、或いはタブレット、カプセル、顆粒等の形態とし、できるだけ摂取し易い形態として提供するのが好ましい。
【0021】
また、本発明の心的外傷後ストレス障害(PTSD)の予防剤又は治療剤は、飲食物素材に添加することにより、神経細胞新生促進組成物を製造することもできる。なお、本明細書中において飲食物とは、飲料及び食品を意図する。
【0022】
このような飲食物は、健康食品・健康飲料・特定保健用食品・機能性食品として提供することができる。その場合、それぞれの飲食物を製造するのに通常配合する食品素材に本発明の心的外傷後ストレス障害(PTSD)の予防剤又は治療剤を添加することにより調製することができる。また、特定保健用食品等の認定を受けた場合に、これらの飲食物は、テアニンを含有し、心的外傷後ストレス障害(PTSD)の予防又は治療のために用いられるものである旨の表示を付した食品又は飲料として販売することもできる。
【0023】
例えば、本発明の有効成分を、各種食品素材(果実やゼリーなども含む)、乳成分、炭酸、賦形剤(造粒剤含む)、希釈剤、或いは更に甘味剤、フレーバー、小麦粉、でんぷん、糖、油脂類等の各種タンパク質、糖質原料やビタミン、ミネラル、その他の生理活性成分、ホルモン、栄養成分などから選ばれた一種又は二種以上に加えて、スポーツ飲料、果実飲料、茶飲料、野菜ジュース、乳性飲料、アルコール飲料、ゼリー飲料、炭酸飲料などの各種飲料、ゼリー、チューインガム、チョコレート、アイスクリーム、キャンディ、ビスケットなどの菓子類、スナック、パン、ケーキなどの澱粉系加工食品、魚肉練り製品、畜肉製品、豆腐、チーズなどのタンパク質系加工食品、味噌やしょうゆ、ドレッシングなどの調味料、その他、サプリメント、飼葉、ペットフードなど様々な飲食物の形態として提供することができる。
【0024】
上記組成物および飲食物におけるテアニン量は、本発明が目的とする効果を損なわない限り特に限定するものではないが、例えば投与対象の体重1kg当たり0.5mg〜5mgのテアニンを投与するのが好ましく、中でも投与対象の体重1kg当たり0.5mg〜2mgのテアニンを投与するのがさらに好ましい。例えば本発明の組成物を成人に投与することを想定し、体重を40kg〜100kgとした場合、20mg〜500mgのテアニンを投与することが好ましく、20mg〜200mgのテアニンを投与することがさらに好ましい。言い換えれば、そのようなテアニン量を摂取し得るように組成物および飲食物中のテアニン量を適宜調整するのが好ましい。
【0025】
例えば、体重60kgのヒトが摂取することを目安とすると、3mg〜3000mgのテアニン含有量に調整するのが好ましく、中でも3mg〜120mgのテアニン含有量に調整するのがさらに好ましい。
【実施例】
【0026】
以下に本発明を実施例によってさらに具体的に説明するが、本発明は実施例に限定されるものではない。
【0027】
実施例1:
強烈なストレス負荷を伴う神経細胞新生抑制に対するテアニンの神経細胞新生及び神経細胞新生促進作用を、in vitro実験系及びin vivo実験系を用いて評価する。
1−1.ストレス負荷
金属製のストレス用ケージに6週齢マウスを拘束した後、25℃の水浴中に鎖骨下まで3時間浸すことによってストレスを負荷した。3時間後に動物をケージによる拘束から解放して、次回使用時までホームケージ内で通常に飼育した。被検物質は、ストレス負荷前後に一日一回経口で又は腹腔内に投与した(図1)。
【0028】
1−2.BrdU投与
成熟マウスにストレスを3時間負荷後4日目に、新規DNA合成能の指標となる5-bromo-2’-deoxyuridine(BrdU:50mg/kg)を腹腔内投与した後、12時間後に再度同量のBrdUを腹腔内投与した。2回目の投与から12時間後(ストレス曝露後5日目)に、マウスの左心室から4%のパラホルムアルデヒド(PA)液を灌流して組織固定を行った。
【0029】
1−3.凍結切片作成
マウスを灌流固定後、全脳を摘出した。4%のパラホルムアルデヒド液により全脳を2時間固定した後、30%のスクロースによりcryoprotectionした。続いて、破砕したドライアイスを用いて全脳を凍結させ、クライオスタットを用いて厚さ50μmの凍結海馬冠状切片を作成した。
【0030】
1−4.免疫組織化学法
作成した切片を2×standard sodium citrate(SSC)で洗浄後、50%のホルムアミドを用いて65℃で2時間インキュベートした。続いて切片を洗浄後、2MのHClにより37℃で30分間処理してから0.1Mのホウ酸により25℃で10分間反応させた。0.1Mのリン酸緩衝生理食塩水(PBS)により切片を洗浄後、室温下で1時間ブロッキング反応を行った。続いて、抗BrdU抗体(1:5)を一次抗体として、4℃で抗原抗体反応を一晩行った後、切片を洗浄し、ビオチン化二次抗体(1:500)を用いて4℃で抗原抗体反応を一晩行った。さらに、ビオチン化ペルオキシダーゼとアビジンDHの複合体を室温で1時間反応させた。このペルオキシダーゼ標識された切片を洗浄後、0.01%の過酸化水素を含む3,3-diaminbenzidine
tetrahydrochloride(DAB)液により発色させた。
【0031】
1−5.定量分析
抗BrdU抗体を用いて免疫染色した海馬冠状切片を顕微鏡下で観察し、両側の海馬における顆粒細胞層及びhilus内のBrdU陽性細胞数及びクラスター形成細胞数、クラスター数をそれぞれ計測した。また、取り込んだ画像から画像解析ソフトを用いて海馬歯状回の面積を算出し、単位面積当たりの養成細胞の個数を定量化した。
【0032】
2−1.胃粘膜に対するストレス負荷の影響
ストレス負荷後の心的外傷後ストレス障害(posttraumatic stress
disorder;PTSD)発症の神経前駆細胞への関与性を調べる目的で、6週齢マウスに3時間の水浸拘束ストレスを負荷した。この動物の胃を直ちに摘出して胃粘膜を鏡検したところ、複数のびらん性出血部位の存在が確認されたが、ストレスを負荷していない対照群ではこのような胃粘膜障害は認められなかった(図1)。
【0033】
2−2.神経系前駆細胞の脳内における発現
神経系前駆細胞のマーカータンパク質であるnestionの発現を、免疫組織化学法により検討したところ、海馬歯状回では顆粒細胞層(granular
cell layer;CCL)ではなく、特に顆粒細胞下帯(subventricular zone;SVZ)に集中的に、nestin抗体陽性細胞が限局して認められた(図2上)。
【0034】
次いで、マウス脳海馬に存在する神経系前駆細胞の増殖能を可視化する目的で、BrdUに対する抗体を用いた免疫組織化学法を行った。動物は、BrdU(50mg/kg)を腹腔内投与した翌日の灌流固定により犠死させた。その結果、海馬歯状回のSGZ及び脳室周囲のSVZに限局しておりBrdU陽性細胞が観察されたが、海馬CA領域錐体細胞層では著明なBrdU陽性細胞の発現は認められなかった(図2下)。
【0035】
続いて、BrdU取込み活性を定量化する目的で、BrdU(50mg/kg)を12時間ごとに計2回腹腔内投与後、動物を灌流固定により犠死させ、BrdUに対する抗体を用いて免疫組織化学法により解析した。そのために、切片を600倍の顕微鏡下で観察し、BrdU陽性細胞数を顕微鏡下で計測した。すなわち、図3の左図に示す歯状回門(hilus)と顆粒細胞層(GCL)とを含む、破線で囲われた海馬歯状回に検出されるBrdU陽性細胞の個数を計測し、それらの数値を単位面積(mm)当たりの個数に補正することによって定量化することとした。動物を灌流固定致死させる12時間前と24時間前に、それぞれ50mg/kgのBrdUを2回投与した。
【0036】
ストレス負荷後異なる日数経過した後、2回BrdU投与を行ってから動物を灌流固定して、抗BrdU抗体を用いた免疫組織化学法により陽性細胞数変化を検討した。その結果、ストレス負荷後2日目から3日目の動物では、BrdU陽性細胞クラスター数に有意な減少が認められたが、これらの減少はいずれもストレス負荷後5日目の動物で最も顕著となり、その後7日目の動物でもBrdU取込み能の減少が持続したが、負荷後14日目の動物では対照群動物と同一レベルにまでBrdU取込み能は回復した(図3の右)。
【0037】
2−3.テアニン投与スケジュール
ストレス誘発性BrdU取込み能抑制に対するテアニン経口投与の影響を、事前投与と事後投与の両方の投与スケジュールで検討した。事前投与の場合には、50mg/kgと500mg/kgの異なる容量のテアニンを、1日1回5日間連続的に胃ゾンデを用いて経口投与した後、3時間のストレス負荷を行った。その後、4日間から12時間間隔でBrdUを二回投与後、動物を灌流固定して海馬歯状回におけるBrdU取り込み能を計測した。
【0038】
一方、事後投与の場合には、3時間のストレス負荷後から用量50mg/kgのテアニン経口投与を開始して、1日1回5日間連続投与した。テアニン最終投与ののち、BrdUを12時間間隔で合計2回投与した。2回目のBrdU投与後12時間目に、動物を灌流固定致死させてから、海馬歯状回におけるBrdU取込み量を測定した。
【0039】
2−4.テアニン投与のBrdU取込み能に対する影響
ストレス負荷後5日目の動物では、海馬歯状回におけるBrdU取込みクラスター形成細胞数は、対照群と比較して有意な低下を示したが、テアニンを5日間事前に投与すると、これらの低下はいずれも有意に回復することが明らかとなった(図4)。
【0040】
次いで、ストレス負荷後に50mg/kgのテアニンを5日間事後投与した場合についても検索を進めたところ、ストレス負荷後5日目の動物に観察された、海馬歯状回の有意なBrdU取込み量クラスター形成細胞数の低下は、事後にテアニンを経口投与した場合でも回復することが判明した(図4)。
【0041】
3.考察
BrdUは、チミジン構造類似体なので、増殖中の細胞がDNA合成を行う時にそのDNA中に取り込まれることがよく知られている。本研究で用いたような条件下でBrdUを投与すると、成熟動物脳内では海馬歯状回顆粒細胞層に限局して、BrdU陽性細胞が検出される。成熟脳内では、神経細胞の新生は観察されないとの教科書的事実に反して、最近の研究では成熟脳内における神経細胞新生の可能性が提唱されている。成熟脳内歯状回顆粒細胞層におけるBrdU陽性細胞の存在は、この神経細胞新生の可能性を強く支持する結果である。
【0042】
我々は、ストレス負荷動物では、歯状回顆粒細胞層におけるBrdU陽性細胞数が、負荷後5日目に著明に減少する事実を見出した。この事実は、ストレス負荷が成熟脳内における神経細胞新生を抑制する可能性を示唆するものである。例えば、PTSDの場合のように、圧倒的なストレス体験に伴う神経精神症状出現に、このような神経細胞新生抑制作用が関与する可能性は否定できない。PTSD患者脳では海馬の著しい萎縮が観察される。このような事実を勘案すると、神経細胞新生の抑制が反復的にかつ頻繁に繰り返されることが、海馬萎縮の一因となる。
【0043】
本発明では、ストレス負荷に伴う海馬神経細胞新生の抑制に対して、テアニンの経口投与のタイミングにかかわらず、海馬神経細胞新生抑制に対して、緩和効果を発揮すると推察される。PTSD治療作用を持つ抗うつ薬類が、海馬神経細胞新生に対する促進的効果を示すことから、テアニンにもPTSD発症に対する予防的あるいは治療的効果が期待できる。
【0044】
実施例2:
テアニンによるPTSD(心的外傷後ストレス障害)緩和作用を行動に対する作用を利用して評価する。
【0045】
4−1.ストレス負荷
金属製のストレスゲージに6週齢マウスを拘束した後、25℃の水浴中に鎖骨下まで3時間浸すことによってストレスを負荷した。3時間後にマウスをケージによる拘束から解放して、次回使用時までホームゲージ内で飼育した。被験物質は、ストレス負荷前後に一日一回経口投与又は腹腔投与した。
【0046】
4−2.恐怖条件付けスケジュール
ストレス負荷に伴うマウスの行動変化を解析するために、マウスに条件付けを行った。すなわち、3時間のストレス負荷時には常に、動物にメトロノーム音(1回/秒)を聞かせて、ストレスにメトロノーム音の条件付けを行った。その後、数日経過から、今後はメトロノーム音のみを聞かせた時の動物の行動変化を観察した。
【0047】
5−1.異常行動の出現
本研究では、動物の行動としては「すくみ行動」に着目した。15分間の観察期間を10秒ごとの計90セッションに分けて、動物が呼吸以外の行動を停止したセッションで除した数値を「% Freezing」として各動物から算出した。その結果、ストレス負荷後1日目の動物では、メトロノーム音を聞くだけで著明なすくみ行動増加が観察された(図5の左)。同様に、ストレス負荷後5日目、14日目及び28日目のいずれの時点においても、メトロノーム音負荷だけで著しいすくみ行動の増加が観察された(図5の右)。
【0048】
5−2.異常行動に対するテアニン投与の影響
このストレス負荷後1日目及び5日目のすくみ行動増加は、BrdU取込みに対する回復効果が見られた50mg/kgのテアニンを、1日1回経口的に5日間事前投与しても、少なくとも28日目までは、このストレス負荷に伴うすくみ行動上昇には著変は認められなかった(図6の右)。
また、テアニン経口投与は投与日数にかかわらず、対照群動物種のすくみ行動出現頻度にはまったく影響を与えなかった。
【0049】
5−3.テアニンとテアフランの同時投与の影響
次に、緑茶抽出成分の一つであるカテキンを主成分とするテアフランを、テアニンと同時に、1日1回経口的に事前及び事後投与して、ストレス負荷に伴うすくみ行動増加に対する影響を検索した。
【0050】
その結果、ストレス負荷後1日目ではいずれの動物群でも著明な変化は認められなかったが、ストレス負荷後14日目に観察されるすくみ行動増加は、テアニンとテアフラン同時経口投与を測定前日まで継続すると、有意に抑制され回復することが明らかになった(図7)。このことから、実験条件を適切に調整することにより、テアニンとテアフラン(カテキン)を併用することにより心的外傷後ストレス障害(PTSD)の治療や予防について相乗効果を有することがわかった。
【0051】
さらに、ヒトのPTSD患者の治療に使用される、選択的セロトニン再取り込み阻害薬(selective
serotonin reuptake inhibitor;SSRI)のフルボキサミン(fluvoxamine)及び三環系抗うつ薬のイミプラミン(imipramine)を、それぞれ30mg/kgの用量でストレス負荷後に、1日1回14日間腹腔内投与したところ、いずれの薬物もテアニン50mg/kgの経口投与の場合とほぼ同程度のすくみ行動増加が抑制され回復効果を示した(図7)。
【0052】
5−4.強制遊泳試験による検討
このテアニンの回復効果をさらに確認する目的で、水浸拘束ストレス負荷動物に対して強制遊泳試験を行った。すなわち、ストレス負荷後14日目の動物を再度水中に入れると、呼吸以外の運動が停止する無働時間の有意な延長が招来されたが、ストレス負荷5日前から負荷後14日目まで1日1回50mg/kgのテアニン単独を経口投与すると、このストレス誘発性無働時間延長が有意に抑制され回復した(図8)。
【0053】
さらに、フルボキサミンやイミプラミンも、30mg/kgの腹腔内投与をストレス負荷後に1日1回14日間連続投与すると、ストレス負荷に伴う無働時間の延長が有意に抑制され回復することが明らかになった(図9)。
【0054】
5−5.自動運動量に対する影響
次に動物の自発的行動量変化について検索を進めた。3時間の水浸拘束ストレスを負荷すると、負荷後14日目においても対照群と比較して約1.5倍の自発的運動量の亢進が確認されたが、50mg/kgテアニン単独経口投与をストレス前5日間及びストレス後14日間1日1回行うと、このストレス負荷による自発運動量亢進が有意に抑制された(図10)。
【0055】
同用量のテアフラン同時投与の場合にも、テアニン単独投与の場合と同程度の抑制効果が観察された。また、ストレス負荷後に30mg/kgのフルボキサミン又はイミプラミンを1日1回腹腔内投与すると、50mg/kgのテアニン単独連続経口投与の場合とほぼ同程度の回復作用が出現した。
【0056】
5−6.考察
本研究では、ストレス負荷に伴う動物の自発運動量亢進やすくみ行動増加が、テアニン単独投与又はテアニンとテアフランとの併用投与により回復したので、トラウマ体験により誘引されるPTSD発症時に出現する麻痺徴候や過覚醒状態等の各種神経精神症状に対して、持続的な緑茶飲用習慣が有効な症状改善効果を発揮する可能性が高いと推察される。
【0057】
PTSDは圧倒的な環境ストレスに曝露された後、長期間その精神的外傷事件を反復的に擬似再体験(フラッシュバック)することから、患者はしばしば強烈な不安や恐怖、無力感に起因する麻痺徴候、及び過度の警戒心と不眠を基礎とする過覚醒状態に陥ることが多い。これらの症状の改善目的で抗うつ薬であるSSRIが第一選択薬として用いられるが、服用が長期にわたることや強い副作用などが原因で、患者のQOL向上に必ずしも有効性が高いとはいえないのが現状である。
【0058】
これに対して、in vivo実験系における評価では、テアニンには臨床的に使用される抗うつ薬と比較しても、投与量や効力に遜色ない強力な改善効果が観察された。したがって、テアニンはin
vitroにおける神経系前駆細胞の神経分化促進作用だけでなく、神経細胞新生抑制を有するので、緑茶成分としての長期間服用の安全性を考慮するまでもなく、PTSDに対する予防的あるいは治療的な有効性を示す物質であると推察される。テアニンは、PTSDに対する治療剤、予防剤、症状緩和のための食品、予防食品として有効と考えられる。
【図面の簡単な説明】
【0059】
【図1】水浸拘束負荷ストレス方法、及び水浸拘束ストレス負荷前後のマウス胃粘膜の状態を示す図である。
【図2】免疫組織化学法により、マウス脳海馬をNestin染色及びBrdU染色した結果を示す図である。
【図3】BrdUに対するストレス負荷の影響を示す図である。
【図4】テアニン投与のBrdU取込み能に対する影響を示す図である。
【図5】ストレス負荷によるすくみ行動について調べた結果を示す図である。
【図6】CFSに対するテアニンの効果について調べた結果を示す図である。
【図7】CFSに対する被検物質投与の影響について調べた結果を示す図である。
【図8】水浸拘束負荷試験(FST)に対する被検物質投与の影響について調べた結果を示す図である。
【図9】自発運動量に対する被検物質投与の影響について調べた結果を示す図である。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
テアニンを有効成分とする心的外傷後ストレス障害(PTSD)の予防剤又は治療剤。
【請求項2】
カテキン類をさらに含有することを特徴とする請求項1記載の心的外傷後ストレス障害(PTSD)の予防剤又は治療剤。
【請求項3】
請求項1又は2記載の心的外傷後ストレス障害(PTSD)の予防剤又は治療剤を配合することを特徴とする飲食物。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【図8】
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【図9】
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【公開番号】特開2008−169144(P2008−169144A)
【公開日】平成20年7月24日(2008.7.24)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2007−3315(P2007−3315)
【出願日】平成19年1月11日(2007.1.11)
【出願人】(591014972)株式会社 伊藤園 (213)
【出願人】(504160781)国立大学法人金沢大学 (282)
【Fターム(参考)】