説明

有層Fe基合金及びその製造方法

【課題】Fe基合金の硬度や圧縮残留応力を内部深くまで向上させる。
【解決手段】SKH51(Fe基合金)からなる予備成形体32に対し、焼入処理及び焼戻処理を施す。焼戻温度を400℃未満とすればパーライト組織が形成され、400℃以上とすればトルースタイト組織又はソルバイト組織が形成される。その後、予備成形体32の表面にCr等の粉末を塗布する。この塗布は、例えば、粉末を有機溶媒に分散させて調製された塗布剤を塗布することによって行われる。塗布後、予備成形体32を熱処理すれば、前記金属の炭化物が形成される。さらに、予備成形体32に対して窒化処理を施すことにより、前記炭化物、窒化物が母材中に拡散することによって形成された拡散層20を有する有層Fe基合金が得られる。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、Fe基合金からなる母材の表面に、炭化物及び窒化物を含み且つ前記母材に比して高硬度である拡散層が設けられた有層Fe基合金及びその製造方法に関する。
【背景技術】
【0002】
Fe基合金である鋼材の耐摩耗性や耐食性、強度等の諸特性を向上させる目的で、物理的気相成長(PVD)法や化学的気相成長(CVD)法、メッキ、陽極酸化等によって、該鋼材の表面に皮膜が設けられることがある。しかしながら、この場合、皮膜の形成に長時間を要し、しかも、皮膜形成コストが大きいという不具合がある。
【0003】
そこで、浸炭、浸硫、窒化、炭窒化等の様々な表面処理を施すことにより、皮膜を設けることなく鋼材の表面の諸特性を向上させることが広汎に実施されている(例えば、特許文献1、2参照)。また、特許文献3には、ショットピーニングやショットブラスト等の機械的処理を施して表面に10kgf/cm2(およそ0.1MPa)の圧縮応力を付与することにより、加工用刃具の耐摩耗性及び耐欠損性を向上させることが提案されている。
【0004】
さらに、特許文献4、5では、Fe−Al合金の耐食性に着目し、熱処理を施すことによって鋼材にAlを拡散浸透させることが試みられている。これを実現するべく、特許文献4においては、Al粉末又はAl合金粉末とTi粉末又はTi合金粉末とを鋼材に塗布して加熱処理することが提案され、一方、特許文献5においては、Al粉末又はAl合金粉末と金属酸化物、金属窒化物、金属炭化物、金属ホウ化物の少なくともいずれかとの混合粉末を鋼材に塗布して加熱処理することが提案されている。
【0005】
【特許文献1】特開2003−129216号公報
【特許文献2】特開2003−239039号公報
【特許文献3】特開平5−171442号公報
【特許文献4】特許第3083292号公報
【特許文献5】特開2004−323891号公報
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
しかしながら、特許文献1〜3に記載されたような従来技術で諸特性が向上するのは、金属材の表面に限られる。例えば、窒化や浸炭等では、元素が拡散するのは金属材の表面から僅かに数μm、最大でも200μm程度であり、それより内部の諸特性を向上させることは困難である。このため、耐摩耗性や耐欠損性が著しく向上するとは言い難い側面がある。
【0007】
しかも、従来技術に係る処理方法では、形成された窒化層等と母材である金属材との間に界面が存在する。このため、界面に応力集中が起こるような条件下では、界面から脆性破壊が起こることが懸念される。
【0008】
また、特許文献4、5記載の技術においても、Alの拡散浸透深さが100μm程度であることから、金属材の内部深くまで諸特性を向上させることは困難である。
【0009】
本発明は上記した問題を解決するためになされたもので、内部深くまで硬度及び強度が向上し、且つ物性の変化がなだらかであるために応力集中が起こり難いので脆性破壊が生じ難い有層Fe基合金及びその製造方法を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0010】
前記の目的を達成するために、本発明に係る第1の有層Fe基合金は、パーライト組織を含むFe基合金からなる母材と、前記母材の表面側から炭化物及び窒化物が拡散することによって形成され且つ前記母材に比して高硬度な拡散層とを有し、
前記拡散層では、深さ方向に深くなるにつれて前記炭化物と前記窒化物の濃度が漸次的に減少することを特徴とする。
【0011】
また、本発明に係る第2の有層Fe基合金は、トルースタイト組織又はソルバイト組織を含むFe基合金からなる母材と、前記母材の表面側から炭化物及び窒化物が拡散することによって形成され且つ前記母材に比して高硬度な拡散層とを有し、
前記拡散層では、深さ方向に深くなるにつれて前記炭化物と前記窒化物の濃度が漸次的に減少することを特徴とする。
【0012】
すなわち、本発明に係る有層Fe基合金は、焼入処理及び焼戻処理が施されたことに伴って形成された組織を含む。焼戻温度が400℃未満である場合にはパーライト組織が形成され、400℃以上である場合にはトルースタイト組織又はソルバイト組織が形成される。
【0013】
焼入処理が施されたFe基合金は高硬度を呈し、焼戻処理が施されたFe基合金では脆性が改善される。従って、本発明に係る第1及び第2のFe基合金は、高硬度を示す一方、優れた脆性を示す。
【0014】
しかも、本発明に係る有層Fe基合金においては、母材であるFe基合金の内部深くまで炭化物、AlNを含む窒化物が拡散しているので、内部まで優れた硬度及び強度を示す。そして、この有層Fe基合金には、拡散層と母材との間に界面が存在しない。このため、応力集中が起こり難いので、脆性破壊が生じ難くなる。
【0015】
ここで、窒化物や炭化物等が存在することに伴って圧縮残留応力が付与されるが、本発明においては、炭化物や窒化物が、最表面を基点として0.5mm以上の深さまで拡散している。従って、内部深くまで圧縮残留応力を大きくすることができる。なお、炭化物や窒化物の濃度が最表面から内部になるに従って漸次的に減少するため、圧縮残留応力も漸次的に減少する。この点からも、応力集中が回避される。
【0016】
金属の炭化物の好適な例としては、Cr、W、Mo、V、Ni、Mnの炭化物を挙げることができる。また、AlN以外の窒化物の好適な例としては、これらの金属の窒化物が挙げられる。
【0017】
この中の炭化物は、金属元素をMで表すとき、組成式がM6C又はM236であることが好ましい。組成式がこのように表される炭化物は、Fe基合金の硬度を向上させる効果に特に優れるからである。
【0018】
炭化物は、Cr、W、Mo、V、Ni、Mnの少なくともいずれか1種と、Feとの固溶体が炭化物化したものであってもよい。この場合、上記したような金属炭化物の相対量が低減するので、金属炭化物が過度に生成して脆性が上昇することを抑制することができる。
【0019】
好ましい固溶体の炭化物は、金属元素をMで表すとき、その組成式が(Fe,M)6C又は(Fe,M)236で表されるものである。
【0020】
また、本発明は、パーライト組織を含むFe基合金からなる母材と、前記母材の表面側から炭化物及び窒化物が拡散することによって形成され且つ前記母材に比して高硬度な拡散層とを有し、前記拡散層では、深さ方向に深くなるにつれて前記炭化物と前記窒化物の濃度が漸次的に減少する有層Fe基合金の製造方法であって、
Fe基合金に対して焼入処理を施した後、該Fe基合金を150℃以上400℃未満に加熱して焼戻処理を行う工程と、
前記Fe基合金の表面に金属粉末を塗布する工程と、
前記Fe基合金に対して窒化処理を施す工程と、
を有することを特徴とする。
【0021】
さらにまた、本発明は、トルースタイト組織又はソルバイト組織を含むFe基合金からなる母材と、前記母材の表面側から炭化物及び窒化物が拡散することによって形成され且つ前記母材に比して高硬度な拡散層とを有し、前記拡散層では、深さ方向に深くなるにつれて前記炭化物と前記窒化物の濃度が漸次的に減少する有層Fe基合金の製造方法であって、
Fe基合金に対して焼入処理を施した後、該Fe基合金を400℃以上Ac1変態点以下に加熱して焼戻処理を行う工程と、
前記Fe基合金の表面に金属粉末を塗布する工程と、
前記Fe基合金に対して窒化処理を施す工程と、
を有することを特徴とする。
【0022】
すなわち、本発明によれば、焼戻温度を変更することによって母材に含まれる組織を相違させることができる。特に、焼戻処理によってトルースタイト組織又はソルバイト組織を析出させる操作(調質)を行った場合、高靱性を示す有層Fe基合金が得られる。
【0023】
ここで、本発明における有層Fe基合金の製造方法には、いわゆる調質材を使用する場合も含まれるものとする。調質材は、焼入処理の後に400℃未満Ac1変態点以下の温度で焼戻処理が施されて市販され、その金属組織にはトルースタイト組織又はソルバイト組織が含まれる。すなわち、調質材を使用する場合、焼入処理及び焼戻処理が予め行われた状態で入手し、その後に残余の工程を実施するのであるから、結局、上記の工程のすべてを実施することになる。
【0024】
そして、上記したような工程を経ることにより、厚みの大きい拡散層を形成することができるとともに、拡散層と母材との間に界面が存在しない有層Fe基合金を製造することができる。得られた有層Fe基合金は、拡散層が存在するために硬度及び強度に優れる。
【0025】
拡散層に含まれる炭化物は、粉末として塗布された金属とFe基合金を構成する炭素とが熱処理時に化合することによって形成され、一方、窒化物は、前記熱処理時に未反応物として残留した金属が窒化処理時に窒化されることによって形成されると考えられる。
【0026】
塗布する金属粉末としては、Fe基合金の内部深くまで拡散して窒化物を形成することができ、また、炭化物としても内部深くまで拡散することができることから、Cr、W、Mo、V、Ni、Mnの粉末を使用することが好ましい。
【0027】
さらに、Alを混合使用することが好ましい。この場合、拡散層の厚みを一層大きくすることができる。
【0028】
Alを塗布した場合に拡散層の厚み、ひいては各成分の拡散距離が大きくなる理由は、Alを塗布して熱処理を行うことにより鋼材に格子欠陥が生じ、各成分がこの格子欠陥を介して鋼材の内部深くまで容易に拡散するようになるためであると推察される。
【発明の効果】
【0029】
本発明によれば、焼入処理及び焼戻処理によってパーライト組織、トルースタイト組織又はソルバイト組織を形成するようにするとともに、母材であるFe基合金の表面から炭化物や窒化物を拡散させて該母材の内部深くまで拡散層を形成するようにしている。このため、Fe基合金の硬度や強度が内部まで向上し、しかも、内部深くまで圧縮残留応力が向上した有層Fe基合金を構成することができる。
【0030】
この効果は、特に、Alを塗布した場合に顕著となる。この理由は、Alによって鋼材に格子欠陥が生じ、このためにAlやその他の金属が内部深くまで拡散して、その後にこれらの成分が窒化されるためであると推察される。
【0031】
さらに、トルースタイト組織又はソルバイト組織を形成した場合、靱性が向上するという利点もある。
【発明を実施するための最良の形態】
【0032】
以下、本発明に係る有層Fe基合金及びその製造方法につき好適な実施の形態を挙げ、添付の図面を参照して詳細に説明する。
【0033】
本実施の形態に係る有層Fe基合金からなる熱間鍛造加工用パンチの概略全体斜視図を図1に示す。この熱間鍛造加工用パンチ10は、SKH51を原材料(母材)として作製されたものであり、大径部12と、該大径部12に連接されてテーパ状に縮径した縮径部14と、小径部16と、該小径部16の一端部から突出形成されて湾曲した湾曲突出部18とを有する。このうちの湾曲突出部18及び小径部16の先端の側壁部が、図示しないダイのキャビティ内に収容されたワークを押圧して、該ワークを所定の形状に成形させる。すなわち、小径部16の先端部と湾曲突出部18は、ワークを押圧する成形部である。
【0034】
ここで、母材であるSKH51の微細組織を走査型電子顕微鏡(SEM)等で観察すると、フェライトとセメンタイトを含む層状組織、すなわち、パーライト組織が存在することが認められる。このパーライト組織は、後述する焼入処理・焼戻処理によって形成されたものである。
【0035】
また、成形部近傍の断面を拡大した図2から諒解されるように、成形部の表層部には、母材であるSKH51中を金属の炭化物及び窒化物が拡散してなる拡散層20が存在している。
【0036】
この成形部の最表面近傍には、さらに、窒素が拡散浸透している。すなわち、拡散層20における最表面近傍には、炭化物及び窒化物の他、窒化処理によって形成されるいわゆる窒化層(窒素拡散層)の形態で、下地である母材に窒素が含まれる。
【0037】
炭化物ないし窒化物を形成する金属元素の好適な例としては、Cr、W、Mo、V、Ni、Mnを挙げることができる。このような金属元素の炭化物及び窒化物が拡散した拡散層20は、析出硬化型複合材と同様の機構に基づいて、高硬度及び高強度を示す。
【0038】
さらに、拡散層20における最表面近傍には、上記したように、窒素が拡散浸透することによって形成された窒化層が存在する。このため、熱間鍛造加工用パンチ10において、拡散層20が存在する成形部では、拡散層20が存在しない大径部12や縮径部14等に比して、硬度及び強度が高くなる。換言すれば、拡散層20が設けられた成形部は、他の部位に比して高硬度及び高強度となる。
【0039】
炭化物は、金属元素をMで表すとき、組成式がM73で表される炭化物であってもよいが、Cr6C、W6C、Mo6C等のようにM6Cで表される炭化物や、M236で表される炭化物である方が好ましい。この場合、硬度及び強度を向上させる効果に最も優れているからである。
【0040】
なお、M6CやM236が過度に多量に存在すると、熱間鍛造加工用パンチ10が脆性を示すようになる。そこで、Feと上記金属元素の固溶体の炭化物を生成することが好ましい。すなわち、炭化物は、(Fe,M)6Cや、(Fe,M)236等で表されるものであってもよい。このような炭化物を生成させた場合、M6CやM236の相対量が低減するので、熱間鍛造加工用パンチ10が脆性を示すことを確実に回避することができるようになる。
【0041】
例えば、鋼材のC量が大きい場合、これらの組成式で表されるものの他、WC、VC、Mo2C、Cr34等が炭化物として存在することもある。
【0042】
また、窒化物の好適な例としては、上記したCr、W、Mo、V、Ni、Mnの窒化物が挙げられる。この中、Crは特に好ましい。さらに、本実施の形態においては、これらの窒化物に加え、AlNも拡散層20に含まれる。このような窒化物は、微細な炭化物とパーライト組織との間に介在するように存在する。
【0043】
ここで、拡散層20の厚み、換言すれば、炭化物及び窒化物の拡散距離は、該熱間鍛造加工用パンチ10の最表面からの深さが少なくとも0.5mm(500μm)に達しており、通常は3〜7mm(3000〜7000μm)、最大では15mm(15000μm)に達することがある。この値は、窒化や浸炭等における元素の拡散距離が数十μm、大きくても200μm程度であるのに対し、著しく大きい。すなわち、本実施の形態においては、炭化物及び窒化物を、従来技術に係る表面処理方法によって導入された元素に比して著しく深い部位にまで拡散させることができる。
【0044】
さらに、本実施の形態においては、拡散層20の厚みと略同等の深さまでAlNが拡散している。換言すれば、AlNは、最表面から少なくとも0.5mmの深さに到達しており、このため、拡散層20は、AlNを含んだ形態となっている。なお、AlNは、炭化物及び他の窒化物に比して深い位置まで拡散していてもよい。
【0045】
このような拡散層20が設けられた成形部では、炭化物が拡散した深さまで母材の硬度が向上する。すなわち、熱間鍛造加工用パンチ10の内部まで硬度及び強度が上昇し、その結果、内部の耐摩耗性が向上するとともに、変形し難くなる。
【0046】
拡散層20には、上記した炭化物や窒化物の他、Cr、W、Mo、V、Ni、Mn等のような炭窒化物が含まれていてもよい。
【0047】
なお、後述するように、拡散層20は、母材の表面から拡散された金属元素が炭化物及び窒化物を生成することによって形成される。このため、炭化物及び窒化物の濃度は、表面で最も高く、母材の内部に指向するにつれて漸次的に減少する。
【0048】
また、炭化物及び窒化物の濃度がこのように漸次的に減少するため、拡散層20と母材との間に明確な界面は存在しない。このため、応力集中が起こることを回避することができるので、金属元素を拡散させることに伴って脆性が増すことを回避することができる。なお、図2においては、拡散層20が存在することを明確にするため、拡散層20と母材との間に便宜的に境界線を付している。
【0049】
このように構成された熱間鍛造加工用パンチ10は、ワークに対して熱間鍛造加工が施される際に使用され、この際には、該熱間鍛造加工用パンチ10の成形部がワークを押圧する。上記したように、該成形部は、拡散層20が存在するために高硬度及び高強度であり、且つ靱性が確保されている。従って、該成形部は、鍛造加工を繰り返し行っても摩耗し難く、しかも、欠損が生じ難い。すなわち、長寿命を確保することができる。
【0050】
この熱間鍛造加工用パンチ10は、以下のようにして製造することができる。
【0051】
先ず、図3(a)に示すSKH51からなる円筒体形状のワークWに対して、図3(b)に示すように、バイト30による切削加工を施し、熱間鍛造加工用パンチ10の形状に対応する形状の予備成形体32とする。
【0052】
次に、この予備成形体32に対し、図3(c)に示すように、焼入処理・焼戻処理を施す。
【0053】
焼入処理は、周知のように、亜共析鋼ではAc3変態点以上、過共析鋼ではAc1変態点以上の温度に加熱した後、油等の冷却剤で冷却することによって実施される。これにより予備成形体32の金属組織中のオーステナイトがマルテンサイトに変態し、その結果、予備成形体32の硬度や強度が向上する。
【0054】
しかしながら、焼入処理を施したのみでは、予備成形体32が脆性を呈する。焼戻処理は、この脆性を改善するべく実施される。
【0055】
焼戻処理が実施されることに伴い、マルテンサイトが熱力学的に安定なフェライトとセメンタイトに変化する。これらが層状に並列することにより、パーライト組織が形成される。すなわち、パーライト組織を含む予備成形体32が得られる。
【0056】
この場合、焼戻処理時の温度は150℃以上400℃未満に設定される。勿論、焼戻脆性が生じる温度を避けることが好ましい。例えば、本実施の形態においては、SKH51が高速度工具鋼であることから、150〜250℃、又は350℃以上400℃未満とするとよい。
【0057】
次に、図3(d)に示すように、予備成形体32の成形部の表面に、拡散させる金属の粉末を塗布する。
【0058】
拡散させる金属粉末は、炭化物及び窒化物を形成して鋼材の硬度を上昇させる金属と、Alである。Al以外の金属の好適な例は、上記したように、Cr、W、Mo、V、Ni、Mnである。特に、Crが存在する場合には窒化層が深くなるので好適である。また、Mo、Niが存在すると、熱間鍛造加工用パンチ10の伸びが向上するという利点が得られる。
【0059】
粉末の塗布は、該粉末を溶媒に分散させて調製した塗布剤34を塗布することによって行う。溶媒としては、アセトンやアルコール等、容易に蒸発する有機溶媒を選定することが好ましい。そして、この溶媒に、W、Cr等の粉末を分散させる。
【0060】
ここで、母材であるSKH51の表面には、通常、酸化物膜が形成されている。この状態でAlやCr等を拡散させるには、AlやCr等が酸化物膜を通過できるように、多大な熱エネルギを供給しなければならない。これを回避するために、塗布剤34に、酸化物膜を還元することが可能な還元剤を混合することが好ましい。
【0061】
具体的には、酸化物膜に対して還元剤として作用し、且つSKH51とは反応しない物質を溶媒に分散ないし溶解させる。還元剤の好適な例としては、ニトロセルロース、ポリビニル、アクリル、メラミン、スチレンの各樹脂を挙げることができるが、特にこれらに限定されるものではない。なお、還元剤の濃度は、5%程度とすればよい。
【0062】
以上の物質が溶解ないし分散された塗布剤34は、図3(d)に示すように、刷毛36を使用する刷毛塗り法によって成形部の表面に塗布される。勿論、刷毛塗り法以外の公知の塗布技術を採用するようにしてもよい。
【0063】
次いで、成形部の表面に塗布剤34が塗布された予備成形体32に対して熱処理を施す。この熱処理は、図3(e)に示すように、バーナー火炎38を予備成形体32の一端面側から当てることによって施すこともできる。勿論、熱処理炉内において不活性雰囲気中で熱処理するようにしてもよい。
【0064】
この昇温の過程では、250℃程度で還元剤が分解し始め、炭素や水素が生成する。予備成形体32の酸化物膜は、この炭素や水素の作用下に還元されて消失する。このため、AlやCr等が酸化物膜を通過する必要がなくなるので、拡散に要する時間を短縮することができるとともに、熱エネルギを低減することができる。
【0065】
さらに昇温を続行すると、母材であるSKH51の構成元素であるC、Feや、還元剤が分解することによって生成したCと、Cr等とが反応して、Cr6C、Cr236等が生成する。Feが関与した場合には、(Fe,Cr)6C、(Fe,Cr)236等も生成する。
【0066】
生成したCr6C、(Fe,Cr)6C等の炭化物の一部は即座に分解し、Fe、Crに戻る。このうち、Crは、次に、母材のより内部側に存在する該母材の構成元素であるC、Feや、該母材のより内部側に遊離状態で存在するCと結合して、新たにCr6C、(Fe,Cr)6C等を生成する。このCr6C、(Fe,Cr)6Cも即座に分解してCrに戻った後、母材の一層内部側に存在する該母材の構成元素であるC、Feや、該母材の一層内部側に遊離状態で存在するCと結合して、再度Cr6C、(Fe,Cr)6C等を生成する。このようにして炭化物が分解、生成を繰り返すことにより、該炭化物が母材の内部深くまで拡散する。
【0067】
その一方で、Alは、SKH51の結晶構造に格子欠陥を生じさせ、この格子欠陥を介して拡散を促進する。そして、Al以外の未反応金属もこの格子欠陥を介して拡散する。換言すれば、Alが格子欠陥を生じることにより、金属の一部が炭化物を形成する前に予備成形体32の内部に拡散する。
【0068】
このようして、母材の内部にCr6C、Al、Cr等を拡散させることができる。
【0069】
次に、この予備成形体32に対して、ガス窒化、イオン窒化、塩浴窒化、プラズマ窒化等の公知の手法によって窒化処理を施す。この中、塩浴窒化が特に好適である。塩浴窒化に使用される溶融塩が、その対流性が良好である他、熱伝達性が均一であり、且つ高密度であるので、予備成形体32及び塗布剤34を迅速に加熱することができるからである。また、熱伝導率が高いので、予備成形体32が内部深くまで加熱され、このため、予備成形体32の表面に浸透したNを源として、該予備成形体32の内部深くまで多量のNを拡散させることが可能となる。さらに、設備投資を低廉化することもできるという利点がある。
【0070】
窒化条件は、塩浴窒化の場合、例えば、550℃、14時間とすればよい。
【0071】
勿論、塩浴窒化に代えてイオン窒化を行うようにしてもよい。この場合、例えば、窒化処理炉を陽極、予備成形体32を陰極として所定電圧の直流電圧を印加する一方、窒素等の窒化ガスを所定圧力で供給し、520℃で10時間保持すればよい。イオン窒化では、窒化ガスイオンが高速に加速されて予備成形体32に衝突するスパッタ現象が生じることで窒化が進行する。
【0072】
以上の窒化処理により、拡散層20に多量の窒化物が存在するようになるので、予備成形体32の圧縮残留応力が大きくなるとともに硬度が上昇する。その結果、割れやクラックに対する耐性が向上した熱間鍛造加工用パンチ10が得られる。
【0073】
熱間鍛造加工用パンチ10では、鍛造加工の際にワークからの押圧を受けることに伴い、該押圧方向に沿って圧縮圧力が印加されるため、圧縮残留応力が大きいことが好ましい。すなわち、窒化処理によれば、鍛造加工に適した熱間鍛造加工用パンチ10を設けることが可能となる。
【0074】
なお、窒化処理を行う前に、表面に残留した金属粉末や不純物を除去するようにしてもよいし、表面(拡散層20)を若干研削するようにしてもよい。これにより窒化処理が円滑且つ効率的に進行するようになる。表面からNが拡散し易くなるからである。その結果、膜質の制御が容易となるとともに、窒化処理に要する時間を短縮することができる。この効果は、イオン窒化の場合に特に顕著となる。
【0075】
さらに、窒化処理を複数回行うようにしてもよい。
【0076】
窒化処理により、予備成形体32の内部に拡散したAlやCr等が窒化し、AlN、CrNが生成する。また、炭化物の一部も窒化されて炭窒化物となる。これにより、拡散層20が形成される(図2参照)。さらに、予備成形体32の内部に窒素が拡散浸透することに伴い、拡散層20の最表面近傍には、窒化層も形成される。
【0077】
なお、炭化物、窒化物、炭窒化物の濃度は漸次的に減少し、拡散到達終端部と母材との間に明確な界面が生じることはない。このため、圧縮残留応力がなだらかに変化するので、特定箇所に応力が集中することが回避される。その結果、脆性破壊が生じることを回避することができるので、拡散層20が形成された成形部の靱性を確保することもできる。
【0078】
ここで、金属粉末が塗布されることなく塩浴窒化処理が施された鋼材、及び金属粉末としてAlとCrを含む混合粉末が塗布された後に上記の手順を経た鋼材における深さと圧縮残留応力との関係をグラフにして図4に示す。なお、図4中のAlの数値は、混合粉末においてAlが占める重量%である。この図4から、AlとCrを含む混合粉末を塗布した後に窒化処理を施すことにより、圧縮残留応力を向上させることができることが明らかである。
【0079】
熱間鍛造加工用パンチ10には、熱間鍛造加工を実施する際にワークからの押圧を受けることにより、押圧方向に略直交する方向に沿って該熱間鍛造加工用パンチ10を押し広げようとする応力、換言すれば、引っ張り応力が作用する。本実施の形態によれば、熱間鍛造加工用パンチ10の内部深くまで圧縮残留応力を大きくすることができるので、該熱間鍛造加工時の引っ張り応力への耐性を大きくすることができる。
【0080】
拡散層20の厚み、特に、AlNの拡散距離は、最大で表面から15mm程度の深さまで及び、最表面での圧縮残留応力は、1200MPaに達することがある。
【0081】
最後に、図3(f)に示すように、予備成形体32に対してバイト30で仕上げ加工を行い、熱間鍛造加工用パンチ10とする。
【0082】
上記と同様にして、MoやV、Niの炭化物、窒化物を母材の内部に拡散させることもできる。
【0083】
なお、母材は、パーライト組織に替えてトルースタイト組織又はソルバイト組織を含むものであってもよい。この場合、図3(c)における焼戻温度を400℃以上とすればよい。
【0084】
本発明では、このように、焼戻温度を相違させることにより、予備成形体32の金属組織を構成する主組織を相違させることができる。なお、本発明において、母材にトルースタイト組織又はソルバイト組織が含まれる有層Fe基合金を製造する方法には、調質材を使用して図3(d)以降に示される工程を行う場合を含むものとする。調質材は、焼入処理の後に400℃未満Ac1変態点以下の温度で焼戻処理が施されて市販されていることから、入手前に焼入処理及び焼戻処理が予め行われたものとみなせるからである。勿論、市販の調質材を入手した後に焼入処理及び焼戻処理を行う必要は特にない。
【0085】
トルースタイト組織又はソルバイト組織を形成した場合、熱間鍛造加工用パンチ10が一層優れた靱性を示す。すなわち、いわゆる調質を行うことにより、高硬度でありながら優れた靱性を示す熱間鍛造加工用パンチ10が得られるという利点がある。
【0086】
以上のようにして得られた熱間鍛造加工用パンチ10を長手方向に沿って切断し、切断面における表面側から内部に指向して測定したビッカース硬度を、金属粉末を塗布することなく窒化処理したSKH51とともに図5に示す。なお、この場合、塗布物は、重量比でIII族金属:IV族金属:VI族金属:VII族金属:VIII族金属:Al=2:13:26:20:31:4の割合で混合したものを、エポキシ樹脂10%のアセトン溶液に添加して調製した。また、塗布は刷毛塗りによって行い、塗布物の厚みは1mmとした。さらに、塗布物を塗布する前、1000〜1180℃で2時間保持することによって焼入処理を行い、次に、500〜600℃で2時間保持して焼戻処理を行った。すなわち、この場合、母材にはソルバイト組織が含まれる。
【0087】
図5から、通常の窒化処理では最表面から0.07mm程度までしか硬度が上昇せず以降は略一定の硬度を示すのに対し、本実施の形態では、最表面から1.0mmを超えるまで高硬度を示し、しかも、緩やかに減少していることが明らかである。
【0088】
なお、上記した実施の形態においては、有層Fe基合金として熱間鍛造加工用パンチ10を例示して説明したが、特にこれに限定されるものではなく、パンチをはじめとする冷間ないし温間鍛造加工用金型や、その他の部材であってもよいことはいうまでもない。
【0089】
また、炭化物は、組成式がM73で表されるものであってもよいし、これ以外の組成式で表されるものであってもよい。
【図面の簡単な説明】
【0090】
【図1】有層Fe基合金である熱間鍛造加工用パンチの概略全体斜視図である。
【図2】図1の熱間鍛造加工用パンチの要部拡大縦断面図である。
【図3】図1の熱間鍛造加工用パンチの製造過程を示すフロー説明図である。
【図4】窒化処理が施された後の各鋼材における深さと圧縮残留応力との関係を示すグラフである。
【図5】得られた熱間鍛造加工用パンチの切断面の表面から内部に指向して測定したビッカース硬度を示すグラフである。
【符号の説明】
【0091】
10…熱間鍛造加工用パンチ 16…小径部
18…湾曲突出部 20…拡散層
30…バイト 32…予備成形体
34…塗布剤 36…刷毛


【特許請求の範囲】
【請求項1】
パーライト組織を含むFe基合金からなる母材と、前記母材の表面側から炭化物及び窒化物が拡散することによって形成され且つ前記母材に比して高硬度な拡散層とを有し、
前記拡散層では、深さ方向に深くなるにつれて前記炭化物と前記窒化物の濃度が漸次的に減少することを特徴とする有層Fe基合金。
【請求項2】
トルースタイト組織又はソルバイト組織を含むFe基合金からなる母材と、前記母材の表面側から炭化物及び窒化物が拡散することによって形成され且つ前記母材に比して高硬度な拡散層とを有し、
前記拡散層では、深さ方向に深くなるにつれて前記炭化物と前記窒化物の濃度が漸次的に減少することを特徴とする有層Fe基合金。
【請求項3】
請求項1又は2記載の有層Fe基合金において、前記炭化物がCr、W、Mo、V、Ni、Mnの少なくともいずれか1種の炭化物であり、且つ前記窒化物としてCr、W、Mo、V、Ni、Mnの窒化物の少なくともいずれか1種をさらに含むことを特徴とする有層Fe基合金。
【請求項4】
請求項3記載の有層Fe基合金において、金属元素をMで表すとき、前記炭化物の組成式は、M6C又はM236であることを特徴とする有層Fe基合金。
【請求項5】
請求項1又は2記載の有層Fe基合金において、前記炭化物がCr、W、Mo、V、Ni、Mnの少なくともいずれか1種とFeとの固溶体の炭化物であり、前記窒化物がCr、W、Mo、V、Ni、Mnの窒化物の少なくともいずれか1種であることを特徴とする有層Fe基合金。
【請求項6】
請求項5記載の有層Fe基合金において、金属元素をMで表すとき、前記炭化物の組成式は、(Fe,M)6C又は(Fe,M)236であることを特徴とする有層Fe基合金。
【請求項7】
請求項1〜5のいずれか1項に記載の有層Fe基合金において、前記窒化物としてAlNを含むことを特徴とする有層Fe基合金。
【請求項8】
パーライト組織を含むFe基合金からなる母材と、前記母材の表面側から炭化物及び窒化物が拡散することによって形成され且つ前記母材に比して高硬度な拡散層とを有し、前記拡散層では、深さ方向に深くなるにつれて前記炭化物と前記窒化物の濃度が漸次的に減少する有層Fe基合金の製造方法であって、
Fe基合金に対して焼入処理を施した後、該Fe基合金を150℃以上400℃未満に加熱して焼戻処理を行う工程と、
前記Fe基合金の表面に金属粉末を塗布する工程と、
前記Fe基合金に対して窒化処理を施す工程と、
を有することを特徴とする有層Fe基合金の製造方法。
【請求項9】
トルースタイト組織又はソルバイト組織を含むFe基合金からなる母材と、前記母材の表面側から炭化物及び窒化物が拡散することによって形成され且つ前記母材に比して高硬度な拡散層とを有し、前記拡散層では、深さ方向に深くなるにつれて前記炭化物と前記窒化物の濃度が漸次的に減少する有層Fe基合金の製造方法であって、
Fe基合金に対して焼入処理を施した後、該Fe基合金を400℃以上Ac1変態点以下に加熱して焼戻処理を行う工程と、
前記Fe基合金の表面に金属粉末を塗布する工程と、
前記Fe基合金に対して窒化処理を施す工程と、
を有することを特徴とする有層Fe基合金の製造方法。
【請求項10】
請求項8又は9記載の製造方法において、前記金属粉末として、Cr、W、Mo、V、Ni、Mnの少なくともいずれか1種の粉末を塗布することを特徴とする有層Fe基合金の製造方法。
【請求項11】
請求項8〜10のいずれか1項に記載の製造方法において、前記金属粉末としてAlが混合された混合粉末を使用することを特徴とする有層Fe基合金の製造方法。


【図1】
image rotate

【図2】
image rotate

【図3】
image rotate

【図4】
image rotate

【図5】
image rotate


【公開番号】特開2007−63667(P2007−63667A)
【公開日】平成19年3月15日(2007.3.15)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2006−203705(P2006−203705)
【出願日】平成18年7月26日(2006.7.26)
【出願人】(000005326)本田技研工業株式会社 (23,863)
【Fターム(参考)】