説明

温度推定装置及び飛行時間型質量分析装置

【課題】フライトチューブを内包する真空チャンバの周囲の雰囲気温度が急激に変化したときでも、それに起因する質量スペクトルの質量軸のずれ量を的確に把握し、装置仕様上の精度を外れる場合にユーザが知ることができるようにする。
【解決手段】真空チャンバ1の温度をステップ状に変化させたときの質量軸のずれ量のステップ応答を予め測定し、その応答に基づく伝達関数を表すパラメータを伝達関数記憶部21に格納しておく。分析実行時に質量ずれ演算部22は、第2温度センサ24により得られる現時点での真空チャンバ1の温度と、記憶部21に格納されている伝達関数とから、現時点での質量軸のずれ量を推算する。異常判定部23はそのずれ量が許容範囲内であるか否かを判定し、許容範囲を超えると報知部25によりユーザの注意を喚起する。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、内部が真空雰囲気である真空容器内に設置された対象物の温度を推定する温度推定装置、及び、その対象物が質量分析部である飛行時間型質量分析装置に関する。
【背景技術】
【0002】
飛行時間型質量分析装置では、電場によりほぼ同時に加速した各種イオンをフライトチューブ内に形成される飛行空間に導入し、飛行空間中を飛行してイオン検出器に到達するまでの時間(飛行時間)に応じて各種イオンを質量(厳密には質量電荷比m/z)毎に分離する。イオン検出器では到達するイオンの量に応じた検出信号が連続的に得られるから、飛行時間を質量に換算した上で、横軸を質量軸、縦軸を信号強度軸とする質量スペクトルを作成することができる。
【0003】
上述のような飛行時間型質量分析装置では、フライトチューブの温度が変化することで機械的に膨張又は縮小するとイオンの飛行距離が微妙に変化する。すると、同一質量のイオンにおける飛行時間が変化してしまうため、質量スペクトルの質量軸にずれが生じることになる。そして、フライトチューブの温度変化が大きいと、質量軸のずれが装置に定められた仕様上の質量精度を超えてしまうおそれがある。そのため、従来の飛行時間型質量分析装置では、フライトチューブを内装する真空チャンバを恒温槽(温調筐体)内に設置し、真空チャンバを温調することによりフライトチューブの温度変化を少なくするようにしている(例えば特許文献1、2を参照)。
【0004】
しかしながら、こうした飛行時間型質量分析装置において、たとえ真空チャンバを温調していたとしても、外気温の急激な変化等によって真空チャンバの温調に乱れが生じ、その結果、質量軸がずれてしまう場合がある。そのため、何らかの方法で質量軸のずれ量を推定し、そのずれ量が許容範囲を超えるような場合にはユーザの注意を喚起する必要がある。
【0005】
上述のような要因による質量軸のずれ量を推定するのに適切な方法は、フライトチューブ自体の温度をモニタし、そのモニタ値から質量軸のずれ量を推定する方法である。ところが、フライトチューブは通常、電極として高電圧が印加され、且つ、真空チャンバ内の真空雰囲気中に置かれているため、フライトチューブ自体に温度センサを取り付けてその温度をモニタすることは難しい。そこで一般的には、恒温槽内の空気に晒される真空チャンバに温度センサを取り付けてその温度をモニタし、そのモニタ値に基づいて質量軸のずれ量を推定することになる。
【0006】
しかしながら、真空中では熱が伝わりにくいため、フライトチューブの実際の温度変化は真空チャンバのモニタ温度に対して比較的大きな応答遅れを生じる。そのため、真空チャンバに取り付けた温度センサのモニタ値がフライトチューブの温度であると仮定して質量軸のずれ量を判断すると、誤った判断をする場合がある。その結果、実際には大きな質量ずれが生じている分析結果を精度が高いものとして採用してしまったり、逆に高い精度で質量分析が行われている結果を正しくないものと誤判断して破棄してしまったりする場合があり得る。
【0007】
【特許文献1】特開2004−170155号公報
【特許文献2】特開2006−140064号公報
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
本発明は上記課題を解決するために成されたものであり、その目的とするところは、真空雰囲気中に置かれ、高電圧が印加されたフライトチューブの温度変化の影響による質量スペクトルの質量軸のずれを正確に把握することができる飛行時間型質量分析装置を提供することである。
【0009】
また、本発明の他の目的とするところは、同様に真空雰囲気中に設置されていたり、高電圧が印加されたりしているために、それ自体の温度を直接測定することが困難であるような対象物の温度を高い精度で以て推定することができる温度推定装置を提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0010】
上記課題を解決するために成された第1発明は、内部が真空雰囲気である真空容器内に設置された対象物の温度を推定する温度推定装置において、
a)前記真空容器の温度を検出する温度検出手段と、
b)前記真空容器から前記対象物への熱的な伝達関数を予め測定した結果を記憶しておく記憶手段と、
c)前記温度検出手段により得られる現時点における前記真空容器の温度と、前記記憶手段に記憶されている伝達関数とを用いて、現時点での前記対象物の温度を推定する推定演算手段と、
を備えることを特徴としている。
【0011】
前述のように真空中では熱伝導が悪くなるので、真空容器の温度を急激に(例えばステップ状であるとみなせる程度に)変化させたとき、真空中に置かれた対象物の温度の変化はかなり時間遅れを生じ、しかもその温度変化は緩慢になる(或る一定の時定数を持つ)。そこで、予めそのステップ応答を実験的に測定しておき、真空容器から対象物への熱的な伝達関数を求めておく。但し、こうした伝達関数は同一構造の装置における個体差が殆どないので、ステップ応答の測定を装置1台毎に行う必要はなく、標準装置の測定結果を他の装置でも利用することができる。
【0012】
上記で求めた伝達関数はラプラス変換式となり、これは計算機上(つまり離散系)では、或る時定数を持ったデジタルフィルタ(ローパスフィルタ)として表現することができる。具体的には、実験で求めた伝達関数(ラプラス変換式)を双一次z変換により離散系のパルス伝達関数(z変換式)に変換し、求めたパルス伝達関数の形から、真空容器の温度を入力、対象物の温度を出力、とする離散系の差分方程式を導出する。これにより、真空容器の温度の検出結果から、つまりは対象物自体の温度を直接的に測定することなしに、真空中での熱伝導の悪さを的確に反映した対象物の温度を高い精度で推定することができる。
【0013】
上記対象物が飛行時間型質量分析装置のフライトチューブである場合、そのフライトチューブの温度変化は質量スペクトルの質量軸のずれとなって現れる。したがって、上記第1発明に係る温度推定装置と全く同様の手法を用いて、飛行時間型質量分析装置では質量軸のずれ量を推定することができる。
【0014】
即ち、上記課題を解決するために成された第2発明は、内部が真空雰囲気である真空容器内にイオンが飛行する飛行空間を形成する質量分析部及びイオン検出器が設置されて成り、前記飛行空間を飛行することで質量に応じて時間的に分離されたイオンを前記イオン検出器により検出し、その検出信号に基づいて質量軸と強度軸とを有する質量スペクトルを求める飛行時間型質量分析装置において、
a)前記真空容器の温度を検出する温度検出手段と、
b)前記真空容器の温度変化から前記質量分析部の温度変化に起因した質量軸のずれ(変化)への伝達関数を予め測定した結果を記憶しておく記憶手段と、
c)前記温度検出手段により得られる現時点における前記真空容器の温度と、前記記憶手段に記憶されている伝達関数とを用いて、現時点での質量軸のずれの程度を推定する推定演算手段と、
を備えることを特徴としている。
【0015】
この第2発明に係る飛行時間型質量分析装置では、予め、真空容器の温度を急激に変化させたときの質量分析部(フライトチューブ)の温度のステップ応答を測定する代わりに、質量スペクトルの質量軸のずれ(変化)量のステップ応答を測定する。質量軸のずれ量のステップ応答を求めるには、例えば特定質量のイオンを繰り返し質量分析し、それにより求まる質量を追跡すればよい。なお、イオンの加速電圧などの分析条件が相違すると質量軸のずれ量のステップ応答が変わることが考えられる場合には、各分析条件毎に質量軸のずれ量のステップ応答を求め、これに基づく伝達関数を記憶手段に記憶させておくとよい。
【0016】
真空容器の温度変化から質量軸の変化への関係を表す伝達関数は、上述した第1発明の場合と同様に、或る時定数を持ったデジタルフィルタによるローパスフィルタ(つまりは真空容器の温度を入力、質量軸のずれ(変化)量を出力、とする差分方程式)として表現することができる。これにより、真空容器の温度の検出結果から、つまりはフライトチューブの温度を直接的に測定することなしに、真空中での熱伝導の悪さを的確に反映した質量軸のずれ量を高い精度で推定することができる。
【0017】
第2発明に係る飛行時間型質量分析装置の一態様としては、上述のように推定演算手段により推定された質量軸のずれ量が予め定めた許容範囲を超える場合にユーザへの報知を行う報知手段をさらに備える構成とすることができる。報知手段としては表示による報知、音による報知などが考えられる。
【0018】
この構成によれば、温度変化の影響で、分析中に質量スペクトルの質量軸が例えば装置の仕様上の質量精度を逸脱するほどずれた場合に、ユーザはその状況を速やかに認識して、例えば得られた結果を破棄したり、分析を一旦中止したり、或いは装置に不具合がないかどうかチェックしたりする等、適切な対応をとることができる。
【発明の効果】
【0019】
第1発明に係る温度推定装置によれば、真空中に置かれていたり、高電圧が印加されていたりする対象物の温度を直接的に測定することなく、これを高い精度で以て推定することが可能となる。
【0020】
また第2発明に係る飛行時間型質量分析装置によれば、真空容器内に設置され、高電圧が印加されたフライトチューブの温度を直接的に測定することなく、その温度変化に起因する質量スペクトルの質量軸のずれの程度を高い精度で以て推定することが可能となる。それによって、常に質量軸のずれが小さい状態での分析結果を得ることができる。また、質量軸が異常にずれた状態である場合に、ユーザがそれを認識して適切に対処することができるようになる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0021】
本発明の一実施例である飛行時間型質量分析装置について図面を参照して説明する。図1は本実施例による飛行時間型質量分析装置の要部の構成図である。
【0022】
真空チャンバ1は高真空を達成可能なターボ分子ポンプ等の真空ポンプ2により真空排気される。この真空チャンバ1内には、内部に飛行空間4を形成する管状部品であるフライトチューブ3が低熱伝導率材料(例えばセラミックや樹脂等)から成る保持部材9で保持されるように設置されている。即ち、フライトチューブ3は真空中に置かれている。フライトチューブ3の一端(図1では右端)にはリフレクトロン(イオン反射器)7が設置され、他端(図1では左端)にはイオン源5及びイオン加速器6とイオン検出器8とが設置されている。
【0023】
イオン源5としては従来知られている各種の構成、例えばMALDI(Matrix Assisted Laser Desorption/Ionization)イオン源、ESI/APCI等のLCMSイオン源などのほか、イオンを一旦蓄積してから吐き出すイオントラップなどを用いることもできる。なお、例えばLCMSイオン源など略大気圧下でイオン化を行うものの場合には、イオン源5は真空チャンバ1の外側に設置され、そこで生成されたイオンが真空チャンバ1内に導入されてイオン加速器6により加速される。
【0024】
真空チャンバ1は恒温槽(温調筐体)10内に収容されており、恒温槽10にはファン11、ヒータ12、槽内の空気の温度を測定する第1温度センサ13、真空チャンバ1の温度を測定する第2温度センサ(本発明における温度検出手段に相当)24等から成る温調装置が設けられている。この温調装置は温調制御部14により、第2温度センサ24の検出温度が所定の目標温度になるように制御される。なお、こうした温調の手法については上記特許文献1に記載されている。
【0025】
イオン源5、イオン加速器6及びリフレクトロン7は質量分析を行うための分析制御部20により制御される。また、イオン検出器8による検出信号はデータ処理部15に入力され、ここで質量スペクトルが作成される。また、真空チャンバ1の温度を検出するための第2温度センサ24による検出温度は、分析制御部20に含まれる質量ずれ演算部(本発明における推定演算手段に相当)22にも入力されている。質量ずれ演算部22はその検出温度と、伝達関数記憶部(本発明における記憶手段に相当)21に予め格納されている伝達関数を表す差分方程式とを利用して、任意の時点での質量スペクトルの質量軸のずれ量を推定する。異常判定部23はこの推定された質量軸のずれ量を判定し、ずれ量が許容範囲を超えている場合には報知部(本発明における報知手段に相当)25によりユーザに対する注意喚起を行う。報知部25は例えば表示やブザー音の鳴動などによる注意喚起を行うものとすることができる。
【0026】
なお、分析制御部20やデータ処理部15などの機能の全て又は一部は、装置本体に組み込まれた計算システムのプログラム、又は、パーソナルコンピュータにインストールされた専用のプログラムを実行することで実現するように構成することができる。
【0027】
上記構成の装置の基本的な質量分析動作は次の通りである。即ち、イオン源5で生成された各種イオンは、イオン加速器6において所定の加速電圧により運動エネルギが与えられ、リフレクトロン7に向けて飛行空間4を飛行する。イオンはリフレクトロン7により形成される傾斜電場によって折り返されて飛行空間4を戻り、イオン検出器8に到達して検出される。イオンが飛行空間4を往復するのに要する時間はイオンの質量(厳密には質量電荷比)に依存するから、各種イオンがほぼ同時にイオン加速器6で加速されて出発すれば、互いに異なる質量を持つイオン同士は時間差をもってイオン検出器8に到達する。イオン検出器8は到達したイオン量(イオン強度)を連続的に検出し、データ処理部15はイオン検出器8で得られる検出信号に基づいて飛行時間を質量に換算し、質量スペクトルを作成する。
【0028】
フライトチューブ3が熱によって膨張又は収縮すると、イオン加速器6から発しリフレクトロン7で反射されてイオン検出器8に到達するまでの飛行距離が変化してしまう。例えば飛行距離が長くなるとその分だけ飛行時間が長くなるため、同一種のイオンについて求まる質量は質量スペクトルの質量軸上で大きくなる方向にずれる。即ち、質量軸のずれが生じる。この飛行時間型質量分析装置では、真空チャンバ1を恒温槽10内に設置し、真空チャンバ1の温度をできるだけ一定に維持する(温調する)ことでフライトチューブ3の温度変動を抑制している。しかしながら、例えば外気温が大きく変動したりすると、その外乱の影響で真空チャンバ1の温度が変動し、その変動がフライトチューブ3に伝わり、フライトチューブ3の温度変動が質量軸のずれを生じさせる。そこで、この装置では、次のようにして質量スペクトルの質量ずれ量を推定し、そのずれ量が許容範囲(通常は装置の仕様上定められた質量精度で決まる範囲)を超えたときにユーザに対する報知を行うようにしている。
【0029】
分析制御部20が備える伝達関数記憶部21には、予め測定された、真空チャンバ1の温度変化から質量軸ずれ量への伝達関数が格納される。具体的には、この装置又は同一構成の他の装置を用いて、真空チャンバ1の温調設定値をステップ状に変更することによって、真空チャンバ1の温度をステップ状(に近い形で)変化させ、そのときの質量スペクトルの質量軸のずれ量のステップ応答を測定する。
【0030】
真空チャンバ1の温度がステップ状に変化した場合、フライトチューブ3は真空中にあるため、真空チャンバ1の温度が上昇してもフライトチューブ3に熱が完全に伝わってその温度が上昇するのには長い時間、通常は2時間以上掛かる。フライトチューブ3の温度が次第に上昇して飛行距離が変化すると、それによって質量スペクトルの質量軸がずれる。この質量軸のずれとフライトチューブ3の温度変化とは相関している。
【0031】
例えば、通常、真空チャンバ1を40℃に温調する装置の場合、真空チャンバ1の温度を、37℃に安定している状態から40℃へ、又は、40℃に安定している状態から43℃へとステップ状に上昇させる。即ち、図2(a)において、変化前の温度T0が37℃又は40℃、変化後の温度T1は40℃又は43℃である。このとき、同時に所定の期間(つまり、真空チャンバ1の温度が或る温度で安定している状態から他の或る温度へと遷移し安定するまでと、安定してからしばらくの間)、特定質量のイオンの質量分析を繰り返し、データ処理部15において求まる質量の変化を測定することで、図2(b)に示すような質量軸のずれ量のステップ応答h(t)=dm/mmeas(t)を取得する。
【0032】
真空チャンバ1の温度変化から質量軸ずれ量への伝達関数を、熱的な伝達関数として一般的に用いられるむだ時間と1次遅れ系で近似した場合、伝達関数のパラメータは、むだ時間L(真空チャンバ1の温度が変化した時点から質量軸が変化し始める時点までの遅れ時間)と、温度入力に対する質量ずれ量への変換係数K(真空チャンバ1が温度T0で安定しているときの質量軸のずれを0とした場合、真空チャンバ1の温度が何℃変化したら質量軸が何ppmずれるかを表した変換係数)と、時定数τと、で表すことができる。即ち、伝達関数は次の(1)式で表される。
dM/M(s)=H(s)・X(s)= K・e-Ls・Y(s)=K・e-Ls・G(s)・X(s) …(1)
【0033】
ここで、X(s)は真空チャンバ1の温度x(t)、dM/M(s)は質量軸のずれ量dm/m(t)を表すラプラス変換式、H(s)はそれらの関係をつなぐ伝達関数を表す。伝達関数をフィルタで表現する場合、Lは単に入力の遅延(ディレイ)、Kは単に温度変化(℃)から質量軸変化(ppm)への変換係数であるので、フィルタとしては、次の(2)式のように、ゲインが1で、時定数τを持つ1次のローパスフィルタG(s)を設計するだけでよく、伝達関数は(3)式で表せる。
G(s)=1/(1+τs) …(2)
H(s)=K・e-Ls・G(s) …(3)
【0034】
真空チャンバ1の温度X(s)にG(s)を作用させると、質量軸ずれ量と比例関係にある温度変化量Y(s)が得られる。即ち、次の(4)式となる。
Y(s)=G(s)・X(s) …(4)
【0035】
G(s)は、次の(5)式で表される双1次z変換式によって離散系のG(z)に変換される。
s=(2/T)・(1−z-1)/(1+z-1) …(5)
但し、Tはサンプリング周期である。
【0036】
このG(z)に、温度から質量ずれへの変換係数K、および遅延Lを作用させたものが、H(s)の離散系表現H(z)である。したがって、次の(6)、(7)式となる。
G(z)=a(1+z-1)/(1+bz-1) …(6)
但し、a=1/(T+2τ)、b=(T−2τ)/(T+2τ)である。
H(z)=K・z-N・G(z) …(7)
但し、NはL/Tの整数部である。
【0037】
(4)式は離散系表現では次の(8)式となり、この式の形から、真空チャンバ1の(周期T毎の)温度サンプリング(i=1,2,3、…、k−1、k、…)の或る時点kにおける、真空チャンバ1の温度x[k]と、その時点における質量軸ずれ量を表す温度変化量y[k]との関係を、次の(9)式の差分方程式として表すことができる。
Y(z)=G(z)・X(z) …(8)
y[k]=a(x[k]+x[k−1])−by[k−1] …(9)
【0038】
この差分方程式の入力x[k]の代わりに時間L(=N・T)分だけ遅延させたx(k−N)を入力し、その出力に、温度と質量軸のずれ量との変換係数Kを乗じれば、次の(10)式に示すように、その時点kにおける質量軸のずれ量dm/m[k]を求めることができる。
dm/m[k]= K{a(x[k−N]+x[k−N−1])−by[k−1]} …(10)
【0039】
上記において、L、K、τの各パラメータは、真空チャンバ1の温度を入力として、これら各パラメータを用いて質量軸のずれ量の予測値を計算し、この計算値(予測値dm/m[k])と、実際に測定した質量軸のずれ量dm/mmeas(t)の差が最小になるように求めることができる。このようにして求めた伝達関数のパラメータ(L、K、τ)が、伝達関数記憶部21に予め記憶される。なお、これらパラメータは本装置を提供するメーカーが予め設定しておけばよいから、この装置を使用するユーザ自身が上記パラメータを求めるための測定を行う必要はない。
【0040】
この飛行時間型質量分析装置において質量分析を実行する際には、真空チャンバ1に取り付けられた第2温度センサ24による検出温度が連続的に質量ずれ演算部22に与えられる。質量ずれ演算部22は、その温度のモニタ値と伝達関数記憶部21に格納されているパラメータとを用いて、上述したような一連の演算処理を行うことで現時点での質量軸のずれ量を推算することができる。
【0041】
異常判定部23は時々刻々と得られる質量軸のずれ量の推算値が許容範囲内であるか否かを判定し、許容範囲を超えた場合には報知部25を駆動して、例えば表示によりユーザへの注意喚起を行う。
【0042】
例えば外気温が急激に変化して恒温槽10内の空気の温度が急激に変化すると、その空気に外面が晒される真空チャンバ1自体の温度も変化する。一方、真空中にあるフライトチューブ3の温度が変化するまでには長い時間遅れがあるが、実際にフライトチューブ3の温度が変化して飛行距離が変化すると質量スペクトルの質量軸がずれることなる。こうした質量軸のずれは上述のように質量ずれ演算部22で推定され、装置の仕様で決まる質量精度を逸脱するほど大きなずれが予測されると、これがユーザに報知されることとなる。そのため、少なくともユーザはそのときに得られた分析結果(質量スペクトル)の質量軸の精度が低いことを認識することができる。
【0043】
なお、上記実施例は本発明に係る飛行時間型質量分析装置の一例であり、本発明の趣旨の範囲内で適宜、変形、追加を行っても本願特許請求の範囲に包含される。例えば、上記実施例はリフレクトロン型の構成であるが、リニア型でも本発明を適用できることは明らかである。
【0044】
また上記実施例は、真空中に置かれたフライトチューブ3の温度変化に起因する質量スペクトルの質量軸ずれの量を推定するものであったが、そのフライトチューブ3の温度自体を推定することもできる。その1つの方法としては、真空チャンバ1の温度をステップ状に変化させたときの質量軸のずれ量のステップ応答を予め測定する代わりに、実際にフライトチューブ3の温度のステップ応答を予め測定する。この場合、上記説明中のY(s)をフライトチューブ3の温度を表すラプラス変換式として、真空チャンバ1からフライトチューブ3への熱的な伝達関数G(s)に対応するデジタルフィルタを設計し、そのフィルタのパラメータを伝達関数記憶部21に記憶させればよい。
【0045】
またフライトチューブ3の温度ではなく、真空雰囲気中に置かれた対象物の温度を同様の方法で推定できることも、上記説明から明らかである。
【図面の簡単な説明】
【0046】
【図1】本発明の一実施例である飛行時間型質量分析装置の要部の構成図。
【図2】真空チャンバの温度のステップ状の変化(a)とそれに対する質量スペクトルの質量軸のずれ量のステップ応答(b)の一例を示す図。
【符号の説明】
【0047】
1…真空チャンバ
2…真空ポンプ
3…フライトチューブ
4…飛行空間
5…イオン源
6…イオン加速器
7…リフレクトロン
8…イオン検出器
9…保持部材
10…恒温槽(温調筐体)
11…ファン
12…ヒータ
13…第1温度センサ
14…温調制御部
15…データ処理部
20…分析制御部
21…伝達関数記憶部
22…質量ずれ演算部
23…異常判定部
24…第2温度センサ
25…報知部

【特許請求の範囲】
【請求項1】
内部が真空雰囲気である真空容器内に設置された対象物の温度を推定する温度推定装置において、
a)前記真空容器の温度を検出する温度検出手段と、
b)前記真空容器から前記対象物への熱的な伝達関数を予め測定した結果を記憶しておく記憶手段と、
c)前記温度検出手段により得られる現時点における前記真空容器の温度と、前記記憶手段に記憶されている伝達関数とを用いて、現時点での前記対象物の温度を推定する推定演算手段と、
を備えることを特徴とする温度推定装置。
【請求項2】
内部が真空雰囲気である真空容器内にイオンが飛行する飛行空間を形成する質量分析部及びイオン検出器が設置されて成り、前記飛行空間を飛行することで質量に応じて時間的に分離されたイオンを前記イオン検出器により検出し、その検出信号に基づいて質量軸と強度軸とを有する質量スペクトルを求める飛行時間型質量分析装置において、
a)前記真空容器の温度を検出する温度検出手段と、
b)前記真空容器の温度変化から前記質量分析部の温度変化に起因した質量軸のずれ(変化)への伝達関数を予め測定した結果を記憶しておく記憶手段と、
c)前記温度検出手段により得られる現時点における前記真空容器の温度と、前記記憶手段に記憶されている伝達関数とを用いて、現時点での質量軸のずれの程度を推定する推定演算手段と、
を備えることを特徴とする飛行時間型質量分析装置。
【請求項3】
前記推定演算手段により推定された質量軸のずれ量が予め定めた許容範囲を超える場合にユーザへの報知を行う報知手段をさらに備えることを特徴とする請求項2に記載の飛行時間型質量分析装置。

【図1】
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【図2】
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【公開番号】特開2008−157671(P2008−157671A)
【公開日】平成20年7月10日(2008.7.10)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2006−344370(P2006−344370)
【出願日】平成18年12月21日(2006.12.21)
【出願人】(000001993)株式会社島津製作所 (3,708)
【Fターム(参考)】