説明

熱処理歪みの少ない肌焼鋼

【課題】浸炭や浸炭窒化処理等の表面硬化処理後の焼入れ(以下、「浸炭焼入れ」で代表することがある)を行っても、熱処理歪みを小さくすることができ、円筒歯車の素材として有用な肌焼鋼を提供する。
【解決手段】C:0.05〜0.15%(質量%の意味、以下同じ)、Si:2.0%以下(0%を含まない)、Mn:0.95〜2.2%、P:0.03%以下(0%を含まない)、S:0.03%以下(0%を含まない)、Cr:0.2〜1.8%、Al:0.3%以下(0%を含まない)、N:0.02%以下(0%を含まない)、B:0.0005〜0.0050%およびO:0.003%以下(0%を含まない)を夫々含有し、残部が鉄および不可避不純物からなり、且つ所定の関係式で表されるマルテンサイト変態開始温度T(℃)が400℃以上であると共に、所定の関係式で表されるベイナイト変態開始時間t(秒)が15秒以上である。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、自動車に用いられる円筒歯車(トランスミッション歯車、遊星歯車、動力分割機構用歯車等)の素材となる肌焼鋼に関するものであり、特に表面硬化処理後の焼入れ時における熱処理歪みの少ない肌焼鋼に関するものである。
【背景技術】
【0002】
円筒歯車は、棒鋼を所定の長さに切断した後、熱間鍛造および軟化焼鈍し、引き続き機械加工(ターニング、ホブ研磨)を施した後、浸炭・焼入れされ、更にショットピーニングや仕上げ研磨されることによって最終製品とされるのが一般的である。上記のような円筒歯車では、浸炭や浸炭窒化処理等の表面硬化処理が施され、その後焼入れ(通常油焼き入れ)−焼戻しや高周波焼入れ等がされて所定の強度が確保されるのであるが、こうした円筒歯車では、歯車における静粛性の向上を図り、仕上げ研磨時の研磨量を低減するという観点から、焼入れ時における熱処理歪みが小さいことが要求される。
【0003】
焼入れ時における熱処理歪みを小さくすることは、材料歩留まりを向上させ、研磨工具費の低減、および不良製品を低減してリードタイム削減(生産性向上)という観点からも重要な要求特性である。
【0004】
熱処理歪みを低減する技術として、例えば特許文献1のような技術も提案されている。この技術では、化学成分組成を適切に調整することによって、表面硬化処理時の異常粒成長を防止し、熱処理歪みを小さくすると共に、高強度・高靭性を達成するものである。この技術は、化学成分組成を適切に調整することによって、NbCやTiCの粒子を鋼材中に分散させ、1150℃以上の高温の表面硬化処理においても、結晶粒の異常粒成長を防止して、異常粒の発生に伴う熱処理歪みの増大(悪化)を防止するものである。しかしながら、この技術では結晶粒の異常粒成長が問題となる高温での熱処理歪み低減に有効であるが、異常粒成長が問題とならない一般的な表面硬化処理(例えば、ガス浸炭焼入れは約900〜950℃)において、熱処理歪みの低減効果は期待できない。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0005】
【特許文献1】特開2000−282170号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
本発明は前記のような事情に着目してなされたものであって、その目的は、浸炭や浸炭窒化処理等の表面硬化処理後の焼入れ(以下、「浸炭焼入れ」で代表することがある)を行っても、熱処理歪みを小さくすることができ、円筒歯車の素材として有用な肌焼鋼を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0007】
上記目的を達成することのできた本発明の肌焼鋼とは、C:0.05〜0.15%(質量%の意味、以下同じ)、Si:2.0%以下(0%を含まない)、Mn:0.95〜2.2%、P:0.03%以下(0%を含まない)、S:0.03%以下(0%を含まない)、Cr:0.2〜1.8%、Al:0.3%以下(0%を含まない)、N:0.02%以下(0%を含まない)、B:0.0005〜0.0050%およびO:0.003%以下(0%を含まない)を夫々含有し、残部が鉄および不可避不純物からなり、且つ下記(1)式で表されるマルテンサイト変態開始温度T(℃)が400℃以上であると共に、下記(2)式で表されるベイナイト変態開始時間t(秒)が15秒以上である点に要旨を有するものである。
T(℃)=561−474×[C]−33×[Mn]−17×[Ni]−17×[Cr]−21×[Mo] …(1)
t(秒)=39.3×[C]+2.51×[Si]+22.5×[Mn]+16.1×[Cu]+6.25×[Ni]+6.49×[Cr]+15.3×[Mo]−69.8×[V]+3.5×B(f)−22.3 …(2)
但し、[C],[Si],[Mn],[Cu],[Ni],[Cr],[Mo]および[V]は、夫々C,Si,Mn,Cu,Ni,Cr,MoおよびVの含有量(質量%)を示し、B(f)はBを添加するときは「1」として計算し、無添加のときは「0」として計算する。
【0008】
本発明の肌焼鋼においては、必要によって、更に(a)Cu:0.5%以下(0%を含まない)、Ni:0.5%以下(0%を含まない)およびMo:1.0%以下(0%を含まない)よりなる群から選ばれる1種以上、(b)Nb:0.08%以下(0%を含まない)および/またはTi:0.08%以下(0%を含まない)、(c)V:0.3%以下(0%を含まない)、等を含有することも有効であり、含有される元素の種類に応じて鋼材の特性が更に改善される。
【発明の効果】
【0009】
本発明によれば、化学成分組成を調整すると共に、各元素の関係式で表されるマルテンサイト変態開始温度T(℃)およびベイナイト変態開始時間t(秒)を適切に制御することによって、熱処理歪みを極めて小さくした肌焼鋼が実現でき、このような肌焼鋼は、円筒歯車の素材として極めて有用である。
【図面の簡単な説明】
【0010】
【図1】実施例で加工したはすば歯車の外観形状を示す説明図である。
【図2】浸炭焼入れ・焼戻しの熱処理パターンを示すグラフである。
【図3】マルテンサイト変態開始温度T(℃)やベイナイト変態開始時間t(秒)が歯筋誤差に与える影響を示すグラフである。
【発明を実施するための形態】
【0011】
本発明者らは、熱処理歪みの小さい肌焼鋼を実現するべく、かねてより研究を進めてきた。浸炭部品の熱処理歪みに及ぼす因子としては、鋼材のベイナイト生成(変態開始)の他、部品形状、焼入れ時の冷却速度等が挙げられる。
【0012】
本発明者らは、上記の因子のうち特に鋼材のベイナイト生成に着目した。即ち、焼入れ時に早期にベイナイト生成が発生すると、オーステナイト相からベイナイト相に変態に伴う膨張に起因して、熱処理歪みが顕著に生じると考えられた。そして、本発明者らは、鋼材のベイナイト生成に着目し、ベイナイト変態の生成開始時間(焼入れを開始してからベイナイト変態が開始するまでの時間:ベイナイト変態開始時間)を遅らせ、その変態開始温度を低くすることによって、熱処理歪みが低減できることを明らかにした。こうした原理は、CVTプーリーや軸付き歯車のフランジ部の反り量を低減する上で有効であることが判明し、その技術的意義が認められたので先に出願している(特願2010−138654号)。
【0013】
上記のような原理を、比較的小型の円筒歯車への適用を試みたところ、上記と同様の化学成分組成では期待するほどの効果が発揮できないことが判明した。そこで、円筒歯車での熱処理歪み生成のメカニズムについて更に詳細に検討した。
【0014】
その結果、焼入れ時の歯車の変形挙動は、次のステージで説明できることが判明した。
(1)第1ステージ:オーステナイト相の熱収縮(歪みは増加)
(2)第2ステージ:歯内部のマルテンサイト変態により体積膨張(歪みは減少)
(3)第3ステージ:本体部でのマルテンサイト変態による体積膨張(歪みは増加)
(4)第4ステージ:浸炭相のマルテンサイト変態による体積膨張(歪みは減少)
【0015】
これらのうち、2〜4のステージは、歯車形状(歯の大きさ、本体部の大きさ等)で歪み量が異なってくるので、どのような歯車形状でも歪みを極小にできる鋼材成分を設計することは不可能である。しかしながら、上記第1ステージを制御することによって、歪みを低減できることが判明したのである。その基本的な考え方は下記(a)、(b)の通りである。
(a)比較的早期にオーステナイト相からベイナイト相への変態を起こさせる。そのためには、鋼材のC含有量を低減する等してマルテンサイト変態開始温度(Ms点)を上昇させることが有効である。
(b)冷却途中でベイナイト変態を起こさせないようにする。即ち、ベイナイト変態が起こると、冷却条件の影響を受けやすくなり、歪みの絶対量やバラツキも大きくなる。ベイナイト変態を抑制するためには、合金元素を増量して、ベイナイト変態開始時間を遅らせることが有効である。
【0016】
マルテンサイト変態開始温度T(℃)は、下記(1)式のように表されることが知られている(例えば、「レスリー鉄鋼材料学」:丸善株式会社 昭和60年5月31日発行)。
T(℃)=561−474×[C]−33×[Mn]−17×[Ni]−17×[Cr]−21×[Mo] …(1)
但し、[C],[Mn],[Ni],[Cr]および[Mo]は、夫々C,Mn,Ni,CrおよびMoの含有量(質量%)を示す。
【0017】
マルテンサイト変態開始温度T(℃)を高くするためには、上記(1)式から明らかなように、C含有量[C]を低減することが最も効果的であることが分かるが、上記(1)式によって、計算されるマルテンサイト変態開始温度T(℃)が400℃以上となる鋼材を選択すれば良いことが判明した。より好ましくは420℃以上である。
【0018】
一方、ベイナイト変態を遅延させるためには、C,Mn,Cr等の焼入れ性を増大させる合金元素の含有量を増大させることが有効である。ベイナイト変態開始時間tと合金元素量の関係を把握し、実験から下記の式[(2)式]を導き出した(導出方法については、後述する)。そして、下記(2)式によって表されるベイナイト変態開始時間tを少なくとも15秒以上となる鋼材成分を選択すれば、熱処理歪みが効果的に低減できることが判明したのである。より好ましくは18秒以上である。
【0019】
t(秒)=39.3×[C]+2.51×[Si]+22.5×[Mn]+16.1×[Cu]+6.25×[Ni]+6.49×[Cr]+15.3×[Mo]−69.8×[V]+3.5×B(f)−22.3 …(2)
但し、[C],[Si],[Mn],[Cu],[Ni],[Cr],[Mo]および[V]は、夫々C,Si,Mn,Cu,Ni,Cr,MoおよびVの含有量(質量%)を示し、B(f)はBを添加するときは「1」として計算し、無添加のときは「0」として計算する。
【0020】
尚、上記(1)式、(2)式には、C,Si,Mn,Cr,B等の基本成分の他、必要によって含有される元素(Cu,Ni,Mo,V等)も含まれるものとなるが、これらの元素を含まないときには、その項目がないものとしてマルテンサイト変態開始温度T(℃)やベイナイト変態開始時間t(秒)の値を計算し、これらの元素を含むときには、上記(1)式、(2)式からこれらの値を計算すれば良い。
【0021】
上記(2)式を導出した手順は次の通りである。まず各種鋼材(本発明で規定する化学成分組成の鋼材、および本発明で規定する化学成分組成を外れる鋼材、並びに従来材)から試験片を作製し、自動変態記録装置(フォーマスタ)にて試験片を加熱すると共に、種々の冷却速度で冷却し、連続冷却変態曲線(CCT曲線)を採取した。このときの加熱は、900℃×5分で実施し、冷却速度は10〜1400℃/分の範囲で実施した。採取したCCT曲線から各素材のベイナイト変態開始時間t(秒)を読み取り、変態開始時間t(秒)を目的(従属)変数、化学成分を独立変数として重回帰分析を行い、パラメータ式[前記(2)式]を導出した。(2)式の導出に用いた鋼材のデータは60個であり、化学成分の範囲は、C:0.05〜0.37%、Si:0.04〜0.97%、Mn:0.7〜2.4%、P:0.007〜0.0036%、S:0.008〜0.062%、Cu:0〜0.43%、Ni:0〜1.71%、Cr:0.14〜2.56%、Mo:0〜0.3%、Al:0.01〜1.1%、N:0.0032〜0.0238%、V:0〜0.33%、Nb:0〜0.12%、Ti:0〜0.14%、B:0〜0.0081%およびO:0.0008〜0.0018%である。
【0022】
本発明の肌焼鋼では、肌焼鋼としての基本的な特性を発揮させるためには、その化学成分組成を適切に調整する必要がある。本発明で規定する化学成分組成の範囲限定理由は次の通りである。
【0023】
[C:0.05〜0.15%]
Cは、鋼材のベイナイト変態開始時間tを遅延するのに有効であるが、同時にマルテンサイト変態開始温度Tを著しく低下させるために、低減するのが好ましい。こうした観点から、JIS SCr420H、JIS SCM420H等の一般的な肌焼鋼として用いられる鋼材のC含有量:0.20%(規格は0.17〜0.23%)よりも減量し、0.15%以下とする。しかしながら、C含有量が少なくなり過ぎると、部品の内部硬さが低く、静的強度が確保できないため、0.05%以上とする必要がある。尚、C含有量の好ましい下限は0.06%以上(より好ましくは0.08%以上)であり、好ましい上限は0.14%以下(より好ましくは0.12%以下)である。
【0024】
[Si:2.0%以下(0%を含まない)]
Siは、鋼材のベイナイト変態開始時間tを遅延させるのに有効な元素であるが、同時に材料の変形抵抗を増大させて冷間鍛造性を低下させることから、その量を制限する。そのため、Si含有量は2.0%以下とする必要がある。尚、Si含有量の好ましい上限は0.6%以下(より好ましくは0.25%以下)である。
【0025】
[Mn:0.95〜2.2%]
Mnは、鋼材のベイナイト変態開始時間tを遅延させるのに有効な元素であるため増量する。こうした観点から、JIS SCr420H、JIS SCM420H等の一般的な肌焼鋼の規格上限(0.95%)をMn含有量の下限とした。しかしながら、Mnを過剰に含有させると、縞状の偏析が顕著となり、材質のバラツキが大きくなる結果、変形能(割れ発生)にも悪影響を与えるので2.2%を上限とした。尚、Mn含有量の好ましい下限は1.2%以上(より好ましくは1.3%以上)であり、好ましい上限は2.0%以下(より好ましくは1.8%以下)である。
【0026】
[P:0.03%以下(0%を含まない)]
Pは、鋼材中に不可避的に含まれる不純物であり、結晶粒界に偏析して部品の衝撃特性を低下させる元素であるため、できるだけ低減するのが良い。そのため上限を0.03%とした。P含有量の好ましい上限は0.02%以下(より好ましくは0.015%以下)である。尚、Pは、その含有量を0%とすることは工業的に困難である。
【0027】
[S:0.03%以下(0%を含まない)]
Sは、鋼材中に不可避的に含まれる不純物であり、結晶粒界に偏析して部品の衝撃特性を低下させる元素であるため、なるべく低減するのが良い。しかしながら、SはMnSを形成して鋼材の切削性を向上させる元素でもあるため、適量を含有させてもよい。但し、部品強度に悪影響を与えないためにもその上限は0.03%以下にする必要がある。好ましくは0.02%以下であり、より好ましくは0.015%以下である。尚、Sは、鋼に不可避的に含まれる不純物であり、その量を0%とすることは工業的に困難である。
【0028】
[Cr:0.2〜1.8%]
Crは、ベイナイト変態開始時間tを遅延させるのに有効な元素であるため増量する。但し、Mnに比べて高価な合金元素であるため、その含有量は控えることが好ましい。また、Cr含有量が過剰になると、浸炭時にCr炭化物の析出が過剰になり、目的とする浸炭硬化層深さが得られない等の不具合が生じる場合があるため、その上限を1.8%とした。また、Crが少ないと浸炭性が悪くなり、部品強度を確保するために必要な硬化層深さが得られないことがあるため、その下限を0.2%とした。尚、Cr含有量の好ましい下限は0.5%以上(より好ましくは0.7%以上)であり、好ましい上限は1.5%以下(より好ましくは1.3%以下)である。
【0029】
[Al:0.3%以下(0%を含まない)]
Alは、脱酸剤として作用し、酸化物系介在物量を低減して鋼材の内部品質を高める作用を発揮するため適量含有させることが好ましい。しかしながら、Al含有量が過剰になると粗大で硬い非金属介在物(Al23)が生成し、疲労特性を低下させるので0.3%以下とする必要がある。尚、Al含有量の好ましい上限は0.2%以下(より好ましくは0.1%以下)である。
【0030】
[N:0.02%以下(0%を含まない)]
Nは、鋼中に不可避的に含まれる不純物元素であるが、N含有量が多いと鋼材の変形能を低下させるAlN等の窒化物が生成するため、できるだけ少なくするほうが好ましい。そのため、N含有量は0.02%以下とする必要がある。尚、N含有量の好ましい上限は0.018%以下(より好ましくは0.015%以下)である。
【0031】
[B:0.0005〜0.0050%]
Bは、微量でベイナイト変態を遅延させる効果があり、また鋼材の焼入れ性を大幅に向上させる効果があるため含有させる。これらの効果は、B含有量が0.0005%以上で有効に発揮されるが、0.0050%を超えて過剰に含有されると、冷間および熱間の変形能が悪くなり、割れ等が生じ易くなる。尚、B含有量の好ましい下限は0.0008%以上(更に好ましくは0.0010%以上)であり、好ましい上限は0.0030%以下(更に好ましくは0.0020%以下)である。
【0032】
[O:0.003%以下(0%を含まない)]
Oは、鋼中に不可避的に含まれる不純物であるが、O含有量が過剰になると、酸化物系介在物が多数生成し、鋼材の衝撃特性や疲労特性に悪影響を及ぼすため、極力低減することが好ましい。そのため、O含有量の上限を、0.003%と定めた。好ましくは0.002%以下、より好ましくは0.001%以下である。
【0033】
本発明の肌焼鋼の基本成分組成は上記の通りであり、残部は実質的に鉄である。但し原料、資材、製造設備等の状況によって持ち込まれる不可避不純物(上記P,S,N,O以外にCa,Mg,Zr等)が鋼中に含まれることは許容される。また本発明の肌焼鋼には、必要に応じて、以下の選択元素を含有していても良い。含有される元素の種類に応じて、鋼材の特性が更に改善される。
【0034】
[Cu:0.5%以下(0%を含まない)、Ni:0.5%以下(0%を含まない)およびMo:1.0%以下(0%を含まない)よりなる群から選ばれる1種以上]
Cu、NiおよびMoは、いずれもベイナイト変態開始時間tを遅延させるのに有効な元素であり、必要によって1種以上を含有させる。このうち、Cuはその含有量が過剰になると、熱間延性を低下させるので、0.5%以下とすることが好ましい。尚、Cu含有量のより好ましい上限は0.3%以下(更に好ましくは0.2%以下)である。
【0035】
Niは、効果のわりには高価な合金元素であるため、また過剰になると被削性を低下させるので、その上限を0.5%以下とした。Ni含有量のより好ましい上限は0.25%以下(JIS規格と同等)、更に好ましくは0.2%以下である。
【0036】
Moもベイナイト変態開始時間tを遅くするのに効果的な元素であるが、高価な合金元素であるため、また過剰になると被削性を低下させるので、その上限を1.0%以下とした。Mo含有量のより好ましい上限は、JIS SCMHの規格上限である0.30%以下であり、更に好ましくは0.20%以下である。
【0037】
[Nb:0.08%以下(0%を含まない)および/またはTi:0.08%以下(0%を含まない)]
NbおよびTiは、いずれも微細な析出物を生成することで浸炭時の結晶粒粗大化防止特性を発揮させるのに有効な元素である。このうちNb含有量が増大するに従い、結晶粒粗大化防止に有効なNb炭化物(NbC)の量が増えるが、0.08%を超えるとその効果は飽和する。そのため、Nb含有量は0.08%以下とすることが好ましい。Nb含有量のより好ましい上限は0.07%以下(更に好ましくは0.065%以下)である。尚、上記の効果を発揮させるための好ましいNb含有量は0.03%以上(より好ましくは0.035%以上)である。
【0038】
一方、Tiはその含有量が増大するに従い、結晶粒粗大化防止に有効なTi炭化物(TiC)の量が増えるが、0.08%を超えると、その効果は飽和する。そのため、Ti含有量は0.08%以下とした。Ti含有量のより好ましい上限は0.07%以下(更に好ましくは0.065%以下)である。尚、上記の効果を発揮させるための好ましいTi含有量は0.03%以上(より好ましくは0.035%以上)である。
【0039】
[V:0.3%以下(0%を含まない)]
Vは、フェライト生成を促進する元素であり、またベイナイト生成時間も早めるために添加は好ましくない。しかし、鋼の軟化抵抗性を向上させえて摺動部材の疲労強度を向上させる効果や微細なV析出物を分散させて遅れ破壊特性を向上させるため、適量含有させても良い。V含有量が過剰になると、鋼の被削性が著しく低下するため0.3%以下とすることが好ましい(より好ましくは0.2%以下、更に好ましくは0.1%以下)。尚、上記の効果を発揮させるための好ましいV含有量は0.05%以上(より好ましくは0.08%以上)である。
【実施例】
【0040】
以下、実施例を挙げて本発明をより具体的に説明するが、本発明は以下の実施例によって制限を受けるものではなく、前記・下記の趣旨に適合し得る範囲で適当に変更を加えて実施することも勿論可能であり、それらはいずれも本発明の技術的範囲に包含される。
【0041】
下記表1、2に示す化学成分組成の鋼材(試験No.1〜52)を、真空誘導溶製炉によって溶製し、実機の分塊圧延を模擬して断面が155mm×155mmの鋼塊に鍛造した。次に、この鋼塊を圧延により直径80mmφの棒材とした。得られた棒材を適当な長さに切断し、図1に示すような「はすば歯車」の形状に加工した。これを、ガス浸炭焼入れ炉に装入し、浸炭焼入れを行った。尚、表1、2中「−」で示した欄は、不純物レベル(0.02%未満)であることを示している。
【0042】
【表1】

【0043】
【表2】

【0044】
ガス浸炭焼入れ・焼戻しの熱処理パターンは図2に示す通りである。浸炭は930℃で行い(カーボンポテンシャルCp:0.85%狙い)、試験片の有効硬化層深さが0.8mmとなるように浸炭時間t0を調節した。このときの浸炭時間t0は、およそ2.5時間(146分)である。浸炭後、860℃で30分保持後、50℃のコールド油中で油焼入れを行った。その後、170℃×2時間の焼戻し処理を行った。
【0045】
浸炭焼入れ・焼戻し後の試験片について、熱処理歪みの測定を行なった。熱処理歪みの測定は、歯車測定機(大阪精密製「CLP−35型」)を用い、測定方法はJIS B1752の「平歯車及びはすば歯車の測定方法」に従った。熱処理歪みの評価は、熱処理前後の歯車の歯筋誤差で評価し、この歯筋誤差が小さいほど熱処理歪みが少ないと評価した。このときの合格基準は、歯筋誤差≦15μmである。その結果を、マルテンサイト変態開始温度T(℃)[(1)式の値:Ms点温度]およびベイナイト変態開始時間t(秒)[(2)式の値:ベイナイト生成時間]と共に、下記表3、4に示す。尚、変態開始温度T(℃)および変態開始時間t(秒)の夫々の判定は、本発明で規定する範囲を満足するときに「○」、満足しないときに「×」とした。
【0046】
【表3】

【0047】
【表4】

【0048】
これらの結果から、次のように考察できる。まず、試験No.1、2、9〜35のものは、本発明で規定する要件の全てを満足する実施例である。いずれも化学成分組成は、本発明で規定する範囲内となっており、またマルテンサイト変態開始温度T(℃)が400℃以上であると共に、ベイナイト変態開始時間t(秒)が15秒以上となっている例である。いずれも、熱処理歪み小さくなっており、良好な結果が得られていることが分かる。
【0049】
これに対して、試験No.3〜8のものは、本発明で規定するいずれかの要件を満たさない例であり、いずれかの特性が劣化している。このうち、試験No.3〜6は、浸炭用鋼としてごく一般的に使用されているJIS SCr420H、SCM420H、SCr415HおよびSCM415Hに夫々相当する鋼材を使用したものであり、ベイナイト変態開始時間t(秒)が本発明で規定する要件を満足しておらず、熱処理歪みが大きくなっている。また試験No.7、8は、ベイナイト変態開始時間t(秒)が長くなるように設定されているが、C含有量が多いためマルテンサイト変態開始温度T(℃)が低くなっており(400℃未満)、熱処理歪みの低減効果が認められない。
【0050】
試験No.36〜52のものは、化学成分組成が本発明で規定する範囲を外れる例である。このうち、試験No.36は、C含有量が過剰になっている例であり、またベイナイト変態開始時間t(秒)の要件は満足しているが、マルテンサイト変態開始温度T(℃)が400℃未満となっている。試験No.37のものは、C含有量が少ない例であり、マルテンサイト変態開始温度T(℃)およびベイナイト変態開始時間t(秒)の要件は満足しているが、C含有量が少ない材料は部品の内部硬さが低く、実用に適さないものである。
【0051】
試験No.38は、Si含有量が過剰になっている例であり、マルテンサイト変態開始温度T(℃)およびベイナイト変態開始時間t(秒)の要件は満足しているが、Si含有量が過剰な材料は冷間鍛造性が低下しており、実用に適さないものである。
【0052】
試験No.39のものは、Mn含有量が過剰になっている例であり、変態開始温度T(℃)および変態開始時間t(秒)の要件を満足しているが、Mn含有量が過剰となっているので、鋼材縞状の偏析が顕著になり、材質のバラツキが大きくなる結果、変形能が低下しており、実用には適さないものである。試験No.40のものは、Mn含有量が少なくなっている例であり、マルテンサイト変態開始温度T(℃)の要件は満足しているが、ベイナイト変態開始時間t(秒)の要件を満たさないものであり、熱処理歪みの低減効果が認められない。
【0053】
試験No.41は、P含有量が過剰になっている例であり、またマルテンサイト変態開始時間t(秒)の要件も満足しないものである。これは、P含有量が過剰となっているので、衝撃特性が低下すると共に、熱処理歪みの低減効果が認められない。試験No.42は、S含有量が過剰になっている例であり、マルテンサイト変態開始温度T(℃)およびベイナイト変態開始時間t(秒)の要件は満足しているが、S含有量が過剰な材料は衝撃特性が低下しており、実用に適さないものである。
【0054】
試験No.43は、Cu含有量が過剰になっている例であり、マルテンサイト変態開始温度T(℃)およびベイナイト変態開始時間t(秒)の要件は満足しているが、Cu含有量が過剰な材料は熱間延性が低下しており、実用に適さないものである。試験No.44は、Ni含有量が過剰になっている例であり、ベイナイト変態開始時間t(秒)の要件は満足しているが、マルテンサイト変態開始温度T(℃)が400℃未満となっており、被削性が低下すると共に、熱処理歪みの低減効果が認められない。
【0055】
試験No.45は、Cr含有量が過剰になっている例であり、マルテンサイト変態開始温度T(℃)およびベイナイト変態開始時間t(秒)の要件は満足しているが、Cr含有量が過剰な材料は目的とする浸炭層深さが得られず、実用に適さないものである。試験No.46は、Mo含有量が過剰になっている例であり、マルテンサイト変態開始温度T(℃)およびベイナイト変態開始時間t(秒)の要件は満足しているが、Mo含有量が過剰な材料は被削性が低下しており、実用に適さないものである。
【0056】
試験No.47は、V含有量が過剰になっている例であり、マルテンサイト変態開始温度T(℃)の要件は満足しているが、ベイナイト変態開始時間t(秒)の要件は満足しないものであり、熱処理歪みの低減効果が認められない。試験No.48は、Nb含有量が過剰になっている例であり、マルテンサイト変態開始温度T(℃)およびベイナイト変態開始時間t(秒)の要件は満足しているが、浸炭時に結晶粒粗大化を招くものであり、実用に適さないものである。
【0057】
試験No.49は、Ti含有量が過剰になっている例であり、マルテンサイト変態開始温度T(℃)およびベイナイト変態開始時間t(秒)の要件は満足しているが、浸炭時に結晶粒粗大化を招くものであり、実用に適さないものである。試験No.50は、Al含有量が過剰になっている例であり、マルテンサイト変態開始温度T(℃)およびベイナイト変態開始時間t(秒)の要件は満足しているが、粗大で硬い非金属介在物(Al23)が生成し、疲労特性が劣化するものとなる。
【0058】
試験No.51は、B含有量が過剰になっている例であり、マルテンサイト変態開始温度T(℃)およびベイナイト変態開始時間t(秒)の要件は満足しているが、B含有量が過剰であることによって、冷間および熱間での変形能が悪くなり、実用に適さないものである。試験No.52は、N含有量が過剰になっている例であり、マルテンサイト変態開始温度T(℃)およびベイナイト変態開始時間t(秒)の要件は満足しているが、AlNの生成によって鋼材の変形能が低下するものとなる。
【0059】
上記表3、4の試験No.1〜35のものについて、マルテンサイト変態開始温度T(℃)[(1)式の値:Ms点温度]やベイナイト変態開始時間t(秒)[(2)式の値:ベイナイト生成時間]が歯筋誤差に与える影響を示すグラフを図3に示す。尚、図3中、◆印は歯筋誤差>15μmのもの、◇印は歯筋誤差≦15μmのものを示している。この結果から明らかなように、(1)式で規定されるマルテンサイト変態開始温度T(℃)と(2)式で規定されるベイナイト変態開始時間t(秒)を適正に制御することによって、熱処理歪みが効果的に低減されていることが分かる。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
C:0.05〜0.15%(質量%の意味、以下同じ)、Si:2.0%以下(0%を含まない)、Mn:0.95〜2.2%、P:0.03%以下(0%を含まない)、S:0.03%以下(0%を含まない)、Cr:0.2〜1.8%、Al:0.3%以下(0%を含まない)、N:0.02%以下(0%を含まない)、B:0.0005〜0.0050%およびO:0.003%以下(0%を含まない)を夫々含有し、残部が鉄および不可避不純物からなり、且つ下記(1)式で表されるマルテンサイト変態開始温度T(℃)が400℃以上であると共に、下記(2)式で表されるベイナイト変態開始時間t(秒)が15秒以上であることを特徴とする熱処理歪みの少ない肌焼鋼。
T(℃)=561−474×[C]−33×[Mn]−17×[Ni]−17×[Cr]−21×[Mo] …(1)
t(秒)=39.3×[C]+2.51×[Si]+22.5×[Mn]+16.1×[Cu]+6.25×[Ni]+6.49×[Cr]+15.3×[Mo]−69.8×[V]+3.5×B(f)−22.3 …(2)
但し、[C],[Si],[Mn],[Cu],[Ni],[Cr],[Mo]および[V]は、夫々C,Si,Mn,Cu,Ni,Cr,MoおよびVの含有量(質量%)を示し、B(f)はBを添加するときは「1」として計算し、無添加のときは「0」として計算する。
【請求項2】
更に、Cu:0.5%以下(0%を含まない)、Ni:0.5%以下(0%を含まない)およびMo:1.0%以下(0%を含まない)よりなる群から選ばれる1種以上を含有する請求項1に記載の肌焼鋼。
【請求項3】
更に、Nb:0.08%以下(0%を含まない)および/またはTi:0.08%以下(0%を含まない)を含有する請求項1または2に記載の肌焼鋼。
【請求項4】
更に、V:0.3%以下(0%を含まない)を含有する請求項1〜3のいずれかに記載の肌焼鋼。

【図2】
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【図3】
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【図1】
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【公開番号】特開2012−112024(P2012−112024A)
【公開日】平成24年6月14日(2012.6.14)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2010−264052(P2010−264052)
【出願日】平成22年11月26日(2010.11.26)
【出願人】(000001199)株式会社神戸製鋼所 (5,860)
【Fターム(参考)】