説明

神経変性疾患の検査方法

【課題】多系統萎縮症(MSA)のような神経変性疾患の遺伝子検査による検査方法、神経変性疾患の治療又は予防剤、神経変性疾患の治療又は予防剤のスクリーニング方法を提供すること。
【解決手段】神経変性疾患の検査方法は、生体から分離した試料について、Srcホモロジー2ドメイン含有トランスフォーミングファクター(SHC2)遺伝子のコピー数又は発現量を測定するステップを含む。このコピー数又は発現量が健常者よりも少ないことが神経変性疾患に罹患していること又は神経変性疾患の発症リスクがあることを示す。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、神経変性疾患の検査方法、神経変性疾患の治療又は予防薬のスクリーニング方法、及び神経変性疾患の治療又は予防剤に関する。
【背景技術】
【0002】
多系統萎縮症(multiple system atrophy:MSA,MIM146500)は成年期に発生する緩徐進行性神経変性疾患である。臨床的には、MSAは、小脳性運動失調、自律神経障害、レボドパに対する反応性の乏しいパーキンソニズムなどの三大症候の組み合わせによって特徴づけられる。これらの症候は、臨床診断基準の主要な項目をなしている。頭部X線CTやMRI検査では、通常、小脳や脳幹の萎縮が認められる。MRIは、白質および被殻に異常なシグナル強度を示す。これらの画像所見は、最新版の診断基準に組み入れられている。神経病理学的特徴は、神経細胞の脱落、星状細胞グリオーシス、および乏突起膠細胞における嗜銀性封入体(glial cytoplasmic inclusion:GCI)である。GCIは不溶化して凝集した異常なα-シヌクレイン(α-synuclein:SYNA)原線維で構成されている。MSAがSYNA遺伝子座に関連するとする幾つかの報告がある一方で(非特許文献1、非特許文献2)、関連を認めなかった報告もある(非特許文献3)。MSAは、基本的に成人に発症する孤発性疾患である。MSAの原因は、環境要因およびエピジェネティックな機序の関与が想定されているが、まだ殆ど分かっていない。
【0003】
一方、最近になって、コピー数変異(CNV:copy number variation)は、構造多型が複雑な反復配列に富むゲノム領域で見つかってきていることから、重要度が増している。ヒト個体間に存在するヌクレオチドの相違は、SNPよりもCNVの占める割合が大きい。最近の研究では、CNVがヒトゲノム疾患や疾患感受性に大きく寄与していることが報告されている(非特許文献4、非特許文献5)。さらに、一卵性双生児(MZ)のユニークな遺伝的特性を利用した研究戦略をとることが可能になってきている (非特許文献6、非特許文献7)。これにより、疾患が一致しない一卵性双生児ペアの解析から、遺伝的メカニズムの研究に重要な手掛かりがもたらされることが想定される。一卵性双生児における遺伝的な違いは、体細胞性モザイクやde novoのCNV発生による体細胞性モザイクである。片方のみが特定の疾患に罹患している一卵性双生児において、患者に特異的なゲノムの相違が見つかれば、その疾患の感受性遺伝子を含むCNV領域の推定証明になる。
【先行技術文献】
【非特許文献】
【0004】
【非特許文献1】S.W. Scholz, H. Houlden, C. Schulte et al., SNCA variants are associated with increased risk for multiple system atrophy, Ann Neurol 65 (2009) 610-614.
【非特許文献2】A. Al-Chalabi, A. Durr, N.W. Wood et al., Genetic variants of the alpha-synuclein gene SNCA are associated with multiple system atrophy, PLoS One 4 (2009) e7114.
【非特許文献3】H.R. Morris, J.R. Vaughan, S.R. Datta et al., Multiple system atrophy/progressive supranuclear palsy: alpha-Synuclein, synphilin, tau, and APOE, Neurology 55 (2000) 1918-1920.
【非特許文献4】D.F. Conrad, D. Pinto, R. Redon et al., Origins and functional impact of copy number variation in the human genome, Nature 464 (2010) 704-712.
【非特許文献5】E.E. Eichler, J. Flint, G. Gibson et al., Missing heritability and strategies for finding the underlying causes of complex disease, Nat Rev Genet 11 (2010) 446-450.
【非特許文献6】C.E. Bruder, A. Piotrowski, A.A. Gijsbers et al., Phenotypically concordant and discordant monozygotic twins display different DNA copy-number-variation profiles, Am J Hum Genet 82 (2008) 763-771.
【非特許文献7】S.E. Baranzini, J. Mudge, J.C. van Velkinburgh et al., Genome, epigenome and RNA sequences of monozygotic twins discordant for multiple sclerosis, Nature 464 (2010) 1351-1356.
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0005】
本発明の目的は、MSAのような神経変性疾患の遺伝子検査による検査方法を提供することである。また、本発明の目的は、神経変性疾患の治療又は予防剤を提供することである。さらに、本発明の目的は、神経変性疾患の治療又は予防剤のスクリーニング方法を提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0006】
本願発明者らは、下記実施例に詳述するように、MSAのリスクとなるゲノムの変化を求めるために、MSA表現型が一致しない一卵性双子および、33名の孤発性MSA患者のパネルについても検討を行った。すなわち、CNVビーズチップおよび、array comparative genomic hybridization (aCGH)法を基礎とするCNVマイクロアレイを用いて、全ゲノムのコピー数変異(CNV)スクリーニング解析を行い、候補領域に対して高密度カスタムオリゴヌクレオチドマイクロアレイを用いて検証を行った。その結果、第19番染色体短腕19p13.3の350 kbのサブテロメア領域で、複合的な遺伝的アプローチにより、MSA患者双生児および孤発性のMSA患者の3分の1(11/33)において、患者に特異的なSHC (Src homology 2 domain containing) transforming protein 2 (SHC2)遺伝子のコピー数の欠失が認められた。一方、この欠失は2つの独立した健常者からなる対照群では認められなかった。これらの知見により、MSAは、SHC2のコピー数の欠失により引き起こされることが明らかになった。さらに、下記実施例に具体的に記載するように、SHC2の機能をバイオインフォマティクス解析した結果、SHC2の不足により発現が抑制される因子及び発現が亢進される因子が明らかになり、これらの因子の発現を調節することによってMSAの治療又は予防が可能であることに想到した。
【0007】
すなわち、本発明は、生体から分離した試料について、Srcホモロジー2ドメイン含有トランスフォーミングファクター(SHC2)遺伝子のコピー数又は発現量を測定するステップを含み、該コピー数又は発現量が健常者よりも少ないことが神経変性疾患に罹患していること又は神経変性疾患の発症リスクがあることを示す、神経変性疾患の検査方法を提供する。また、本発明は、SHC2遺伝子を活性化させる又は増幅させる能力を指標とする、神経変性疾患の治療又は予防剤のスクリーニング方法を提供する。さらに、本発明は、SHC2遺伝子の発現量を増大させる物質を有効成分として含む、神経変性疾患の治療又は予防剤を提供する。さらに、本発明は、GRB2遺伝子、SHC1遺伝子、HRAS (H-Ras)遺伝子及びCTNNB1 (Beta-catenin)遺伝子から成る群より選ばれる少なくとも1つの遺伝子の発現量を増大させる物質を有効成分として含む神経変性疾患の治療又は予防剤を提供する。さらに、本発明は、microRNA-9遺伝子を抑制する物質を有効成分として含む、神経変性疾患の治療又は予防剤を提供する。
【発明の効果】
【0008】
本発明により、MSAのような神経変性疾患の遺伝子検査による疾患判定法又は発症リスクの判定方法が初めて提供された。さらに、本発明により、神経変性疾患の治療及び予防剤が初めて提供された。従って、本発明は、神経変性疾患の診断、予防、治療において大いに貢献するものと考えられる。
【図面の簡単な説明】
【0009】
【図1】孤発性MSA患者における19p13.3サブテロメア領域中のコピー数欠失を包含するゲノム領域を示す図である。deCODE/Illumina CNV57Kチップを用いて測定したデータをHidden Malcov Modelにより解析した。100名の健常者(上側)及び33名のMSA患者(下側)の、ゲノム位置000,000(左)から5,000,000(右)までのゲノム構造を水平に整列させた。各正方形のドットは、各CNVプローブ部位におけるコピー数欠失を示す。底部の水平のバーは、CN-欠失の高頻度領域である、350kbの先端領域と1Mbの基端領域を示す。上部のマップは、Database of Genomic Variants (http://projects.tcag.ca/variation/, NCBI Build 36.1-hg18)中に記載された仮想的遺伝子である。
【図2】表現型が一致しないMSA一卵性双子の高密度カスタムオリゴヌクレオチドマイクロアレイの解析結果を示す図である。(a)双子のうちのMSA患者(HK33)と双子のうちの健常者(HK34)をゲノムDNAの競合的ハイブリダイゼーションにより比較した結果を示す。 (b) 双子のうちの健常者(HK34)を双子のうちのMSA患者(HK33)と比較したdye-swap実験の結果を示す。 (c) 双子のうちのMSA患者(HK33)のゲノムDNAを、健常者対照である日本人男性HapMap NA1900と競合的にハイブリダイズさせた結果を示す。(d) 双子のうちの健常者(HK34)を、健常者対照である日本人男性HapMap NA1900と競合的にハイブリダイズさせた結果を示す。各曲線は、log(Cy5/Cy3)の移動平均比率を示す。直線の下側の塗りつぶした部分は、欠失した領域を示す。この座位は、dye-swap実験(直線の上側の塗りつぶした部分)により規定された。上部のマップは、この領域における仮想的遺伝子の位置を示す。
【図3】高密度マイクロアレイにより解析された350kbの19p13.3サブテロメア領域中のコピー数欠失の詳細な構造を示す図である。log2比(y軸)を、ゲノム位置(x軸)に沿って移動平均を用いてプロットした。代表的な6名の孤発性MSA患者、HK06, HK12, HK15, HK19, HK23 and HK28についての結果を示す。比較のため、2名の健常者、HK60cとHK78cのこの領域のlog2比も示す。暗い線及び陰は、ゲノムに沿ったコピー数プロットを表す。2本の明るい線は、健常者(n=25)におけるプローブの平均log2比の正常範囲を示す。破線は、健常者の平均log2比の中央値を示す。コピー数欠失は、暗い影で示す。
【図4】オリゴヌクレオチドマイクロアレイにより解析された、11名のMSA 患者の350kbの19p13.3サブテロメア領域中のコピー数欠失の範囲を示す図である。暗い水平のバーは、Agilent社のカスタムマイクロアレイにより解析された各患者のコピー数欠失領域の範囲を示す。11名のMSA患者のゲノム構造を、水平のバーとして、ゲノム位置250,000(左)から600,000(右)へ整列させた。表現型が一致しないMSA双子の欠失範囲をCo-Twinの右側の水平バーで示した。上部のマップは、Database of Genomic Variants (http://projects.tcag.ca/variation/, NCBI Build 36.1-hg18)に記載された領域中の仮想遺伝子の位置を示す。
【図5】バイオインフォマティクス解析ソフト(GeneGo社MetaCore, version 6.5)で解析したSHC2のネットワーク図である。丸印で示した因子であるSHC2がGRB2に結合して活性化することが示されている。したがって、SHC2の増幅に加えてGRB2も増幅することがSHC2の作用発現に好ましいことがわかる。
【図6】バイオインフォマティクス解析ソフト(GeneGo社MetaCore, version 6.5)により、表現型が一致しない双子のMSA患者について解析したネットワーク図を示す。丸印で示したように、SHC2と相同性をもつShc(SHC1)がH-Rasの活性化、CDK2の抑制、Beta-cateninの増幅という流れで作用が発現することが示されている。したがって、SHC2様作用の発現には、SHC1、H-Ras、Beta-cateninのいずれかの発現量を増大させることが好ましいことがわかる。
【発明を実施するための形態】
【0010】
本発明の方法により検出又は発症リスクの判定を行うことができる神経変性疾患としては、MSA、パーキンソン症候群、脊髄小脳変性症等が挙げられる。これらのうち、MSAが好ましい。なお、下記実施例で具体的に検討したものはMSAであるが、MSAに類似した症状を呈するなどの理由により、上記したMSA以外の他の神経変性疾患の検査又は発症リスクの判定にも適用可能である。
【0011】
本発明の方法で、指標として用いられる遺伝子は、SHC2遺伝子(Entrez Gene 25759)である。SHC2は別名でSCK, SHCB, あるいはSLIとも表記される場合もある。SHC2遺伝子自体は公知であり、そのゲノミックDNAの塩基配列は、例えば、GenBank Accession No. NM_012435に記載されている(配列番号1)ほか、AC_000151, NC_000019, NT_011255, NW_001838476, NW_921677, NP_036567にも記載されている。NM_012435の塩基配列を配列番号1、これがコードするアミノ酸配列を配列番号2に示す。なお、野生型の遺伝子は、SNP等の野生型の変異を含んでいる可能性があり、配列番号1に記載した塩基配列において、野生型の変異、例えば、1個から数個の塩基の置換、欠失、挿入及び/又は付加を有するものや、配列同一性が95%以上、好ましくは99%以上のものであってSHC2として機能するタンパク質をコードするものは本発明におけるSHC2遺伝子である。後述する他の野生型の遺伝子についても同様である。なお、配列同一性は、両者の塩基ができるだけ多く一致するように(必要ならばギャップを挿入する)両塩基配列を整列させ、一致している塩基数を、全塩基数(両者の配列で全塩基数が異なる場合には長い方の配列の全塩基数)で除したものを百分率で表したものであり、BLASTのような周知のソフトにより容易に算出することができる。
【0012】
本発明の方法に供される試料としては、遺伝子成分を含む試料であればいずれのものでもよく、血液、頬粘膜のみならず毛髪、爪、皮膚等の人体組織の一部を試料として利用できる。これらのうち、血液から採取される白血球の利用が簡便で好ましい。また、下記実施例ではヒトから採取した試料を用いているので、本発明の方法は当然、ヒトに適用可能であるが、SHC2遺伝子が知られているヒト以外の動物にも適用可能である。
【0013】
本発明の方法では、SHC2遺伝子のコピー数又は発現量を測定する。コピー数の測定方法自体は公知であり、下記実施例に具体的に記載するように、市販の測定キットを用いて測定可能である。すなわち、遺伝子のコピー数は、例えば次のようにして測定することが可能である。アレイ CGH(aCGH)法により測定を行う。アレイ CGH(aCGH)法はマイクロアレイと従来のCGH 法(Comparative Genomic Hybridization:比較ゲノ ムハイブリダイゼーション)を組み合わせることで、ハイスループットに目的遺伝子、ゲノムDNA領域のコピー数変化を検出する手法である。 CGH法は1992 年、Kallioniemi らが、Science 誌で発表した方法であり、FISH 法(Flourescence in situhybridaization)を応用した方法で、全染色体を対象として、ゲノム DNA が増幅(gain)、欠失(loss)した領域を調べる方法である。使用するオリゴ DNA マイクロアレイは、インクジェット技術を用いて 60 merのDNAオリゴプローブを、基盤上に直接 in-situ 合成する方法で製造される。In-situ 合成により、非常に均質なスポットをしかも高密度でアレイ上に作成できるため、アレイ実験の再現性が非常に向上し、信頼性の高い結果を得ることが出来る。これは、後述の実施例に具体的に記載されているように、例えば、CNVオリゴヌクレオチドマイクロアレイ (SurePrint G3 Human CNV 400K Microarray, Agilent Technologies, Santa Clara, CA)のような市販品を用いて実施可能である。なお、この市販のCNVオリゴヌクレオチドマイクロアレイでは、ヒトの全ゲノム配列上の412000箇所、それぞれに対応した60merのDNAプローブがチップ上に約412,000個配置されているものである。
【0014】
SHC2遺伝子の発現量の測定は、周知の方法により行うことができる。例えば、細胞内の全mRNAをcDNAに変換し、それを鋳型としてリアルタイムPCRのような定量的核酸増幅法を行うことにより行うことができる。上記の通り、SHC2遺伝子のcDNA配列が公知であり、また、mRNAからcDNAへの逆転写及びリアルタイムPCRを行うためのキットが市販されているので、当業者が容易に実施することが可能である。また、免疫測定によりSHC2タンパク質を定量することによってもSHC2遺伝子の発現量を測定することができる。免疫測定自体は周知であり、そのためのキットも種々市販されており、上記の通り、SHC2タンパク質のアミノ酸配列も公知であるので、常法に従い容易に実施することができる。
【0015】
下記実施例に具体的に記載するように、MSA患者では、SHC2遺伝子のコピー数が健常人よりも少なくなっている。すなわち、健常者では、SHC2遺伝子のコピー数は、通常、2個程度であるが、MSA患者では、0個〜1個程度である。従って、SHC2遺伝子のコピー数が1個以下の場合、MSA等の神経変性疾患に罹患している(症状がある場合)又は発症リスクが高い(症状がない場合)と判定できる。また、コピー数が少ないことは、発現量の少なさにつながっているので、SHC2遺伝子の発現量を指標にしてMSA等の神経変性疾患の検査又は発症リスクの判定を行うことができる。この場合、健常者の発現量の平均値の50%以下、より的確には25%以下であれば、MSA等の神経変性疾患に罹患している(症状がある場合)又は発症リスクが高い(症状がない場合)と判定できる。
【0016】
下記実施例に具体的に記載するように、SHC2遺伝子のコピー数の減少は、MSA患者に共通して見られるが、SHC2遺伝子の周辺にある他の遺伝子のコピー数も同時に減少している場合が少なくない。従って、SHC2遺伝子のコピー数又は発現量に加え、これらの周辺遺伝子のコピー数又は発現量を併せて測定することによりさらに正確な検査又は判定を行うことができる。このような遺伝子として、MIER2遺伝子、THEG遺伝子、C2CD4C (FAM148C)遺伝子、MADCAM1遺伝子、CDC34遺伝子、GZMM遺伝子、BSG遺伝子、HCN2遺伝子、POLRMT遺伝子及びFGF22遺伝子より選ばれる少なくとも1種の遺伝子を挙げることができる。これらの遺伝子のゲノミックDNAのAccession No.の例を下記表1に示す。また、それらの塩基配列(表1中、各遺伝子について最初に記載されているAccession No.のもの)及びそれがコードするアミノ酸配列をそれぞれ配列番号3〜22に示す。
【0017】
【表1】

【0018】
なお、これらの遺伝子のコピー数や発現量の測定は、上記したSHC2遺伝子と同様、公知の手法により行うことができる。
【0019】
SHC2遺伝子のコピー数の減少、ひいては発現量の減少によりMSAが引き起こされることが明らかになったので、SHC2タンパク質を投与することによりMSA等の神経変性疾患の治療又は予防を行うことが可能であると考えられる。また、細胞内でSHC2遺伝子の発現量を増大させる物質を投与することによってもMSA等の神経変性疾患の治療又は予防を行うことが可能であると考えられる。SHC2遺伝子の発現量を増大させる物質の例として、SHC2遺伝子含有組み換えベクターであって、細胞中でSHC2遺伝子を発現できるものや、SHC2遺伝子を活性化してその発現量を増大させる物質を挙げることができる。すなわち、本発明は、SHC2タンパク質を有効成分として含有する神経変性疾患の治療又は予防剤、並びにSHC2遺伝子の発現量を増大させる物質を有効成分として含有する神経変性疾患の治療又は予防剤をも提供する。上記の通り、SHC2遺伝子のcDNAの塩基配列は公知であるので、SHC2タンパク質は遺伝子工学的手法により容易に調製することができる。また、SHC2遺伝子含有組み換えベクターは、常法に従い、周知の遺伝子治療用ベクターのマルチクローニング部位にSHC2遺伝子のcDNAを組み込むことにより容易に調製することができる。なお、遺伝子治療用ベクターは種々市販されているので、SHC2遺伝子含有組み換えベクターは、市販品を利用して容易に構築可能である。なお、SHC2タンパク質の投与経路は経口投与でも非経口投与でもよく、投与量は、投与目的(治療か予防か)、患者の状態等に応じて、適宜設定することができる。SHC2遺伝子含有組み換えベクターは、非経口投与が好ましく、筋肉内投与、脳又はその近傍への局所投与、脳に向かう動脈内への投与等が特に好ましい。なお、タンパク質を有効成分とする場合には、PEG化等のタンパク質製剤に常用されている安定化修飾を施すことも可能である。
【0020】
なお、SHC2タンパク質を投与する、あるいはこれをコードするcDNAを組み込んだベクターで遺伝子治療を行う場合、配列番号2に示す野生型のアミノ酸配列を持つSHC2タンパク質やそのcDNAを用いることが最も好ましいが、配列番号2に示すアミノ酸配列と95%以上、好ましくは99%以上の配列相同性を有するタンパク質であって、MSAの治療又は予防効果を発揮するタンパク質やそのcDNAを用いることも可能である。配列相同性は、上記した通りである。
【0021】
上記の通り、SHC2遺伝子を活性化することによりMSA等の神経変性疾患の治療又は予防を行うことができるので、SHC2遺伝子の活性を指標としてMSA等の神経変性疾患の治療又は予防剤のスクリーニングを行うことができる。すなわち、生体から分離した細胞に被検物質を接触させ、SHC2遺伝子の発現量が増大するかどうかを調べる。発現量が増大する場合には、その被検物質は、MSA等の神経変性疾患の治療又は予防剤として利用可能である。
【0022】
さらに、下記実施例に具体的に記載するように、バイオインフォマティクス解析により、SHC2遺伝子の発現量の増大によって、GRB2遺伝子、SHC1遺伝子、HRAS (H-Ras)遺伝子及びCTNNB1 (Beta-catenin)遺伝子が活性化されることが明らかになった。従って、これらの遺伝子の発現量を増大させることにより、SHC2遺伝子が活性化された場合と同様な現象が生じると考えられ、従って、MSAのような神経変性疾患の治療又は予防に有効である。また、これらの遺伝子の遺伝子産物(タンパク質)を直接投与しても同様な効果が得られる。従って、本発明は、GRB2遺伝子、SHC1遺伝子、HRAS (H-Ras)遺伝子及びCTNNB1 (Beta-catenin)遺伝子から成る群より選ばれる少なくとも1つの遺伝子の発現量を増大させる物質を有効成分として含む神経変性疾患の治療又は予防剤をも提供する。この場合、SHC2の場合と同様、各アミノ酸配列と95%以上、好ましくは99%以上の配列相同性を有するタンパク質であって、MSAの治療又は予防効果を発揮するタンパク質やそのcDNAを用いることも可能である。
【0023】
これらの遺伝子のゲノミックDNAの塩基配列が記載されているGenBank Accession No.の例を下記表2に示す。また、それらの塩基配列(表2中、各遺伝子について最初に記載されているAccession No.のもの(microRNA-9は3つ全て)及びそれがコードするアミノ酸配列(microRNA-9以外)をそれぞれ配列番号23〜30に示す。
【0024】
【表2】

【0025】
また、TargetScanHuman(version.5.1, Whitehead Institute for Biomedical Research)によってSHC2配列結合可能性のあるmicroRNAを調べたところ、miR9を検出した。すなわち、SHC2遺伝子の発現量の増大によって、microRNA-9遺伝子が抑制されることが明らかになった。従って、microRNA-9遺伝子の発現を抑制する物質もMSAのような神経変性疾患の治療又は予防に有効である。このような物質として、iRNAやアンチセンスRNAを挙げることができる。これらは、microRNA-9遺伝子及びcDNAの塩基配列が公知であるので、容易に調製することができる。なお、microRNA-9遺伝子及びcDNAのGenBank Accession No.を上記表2に併せて示す。また、それらの塩基配列及びそれがコードするアミノ酸配列を、配列番号31〜33に示す。
【0026】
以下、本発明を実施例に基づきより具体的に説明する。もっとも、本発明は下記実施例に限定されるものではない。
【実施例】
【0027】
I. 方法
1.対象症例
本実施例においては、国際的診断基準(非特許文献1)に従い、MSAの臨床診断基準を満たす一卵性双生児片方のMSA患者を含む非血縁MSA患者の33を対象とした。全例、X線CTもしくはMRI検査において、脳幹と小脳の萎縮を認めている。罹患していない他方の一卵性双生児と神経疾患を有しない地域在住の健康な100名の成人健常者を無作為に選択した(T. Kato, M. Emi, H. Sato et al., Segmental copy-number gain within the region of isopentenyl diphosphate isomerase genes in sporadic amyotrophic lateral sclerosis, Biochem Biophys Res Commun 402 (2010) 438-442.) MSA患者と健常者の2群間に平均年齢(MSA患者/健常者= 61.4 ± 8.3/57.4± 8.8 歳)や男女比(MSA患者/健常者 = 1.20/0.76)には有意な差はない。分布についても、χ二乗検定を行ったところ二群間に大きな相違は認められなかった。MSA患者の臨床的なサブタイプは、MSA - P(11例)、MSA - C(21例)と混合型(1例)である。DNAは、リンパ芽球様細胞株からではなく末梢血白血球から抽出した。すべての試料提供者から、書面で遺伝子解析についてのインフォームドコンセントを得た。本研究は、北海道大学大学院医学研究科、および山形大学医学部の倫理委員会の承認を得ている。
【0028】
2.MSAの表現型が一致しない一卵性双生児の全ゲノムCNVマイクロアレイ解析
双子の一方をCyanine 5-dUTP(Cy5)、もう一方をCyanine 3-dUTP(Cy3)で蛍光標識後、MSAの表現型が一致しない一卵性双生児のDNA 1μgを、ヒト全ゲノムに対するaCGH法を基礎とするCNVオリゴヌクレオチドマイクロアレイ (SurePrint G3 Human CNV 400K Microarray, Agilent Technologies, Santa Clara, CA)にハブリダイゼーションさせた。この操作はより具体的には次のようにして行った。一卵性双生児の血液よりQiagen DNeasy Blood & Tissue Kitを使用して、全ゲノムDNAを抽出した。抽出した全ゲノムDNAをAgilent Genomic DNA ULS labeling kitを使用して、ゲノムDNAを双子の一方を蛍光標識化Nucleotide Cyanine 3-dUTP(Cy3)、もう一方を蛍光標識化Nucleotide Cyanine 5-dUTP(Cy5)により標識する。UV-Vis Spectrophotometer を用いて、標識化DNAの収量・蛍光取り込み率の確認後、CNVオリゴヌクレオチドマイクロアレイ (SurePrint G3 Human CNV 400K Microarray, Agilent Technologies, Santa Clara, CA)に標識化DNAをアプライし、ハイブリダイゼーションオーブン(65℃,20rpm)でハイブリダイゼーションを行った。
【0029】
洗浄後、手順に従ってスキャンを行った(M. Nakayama, K. Nozu, Y. Goto et al., HNF1B alterations associated with congenital anomalies of the kidney and urinary tract, Pediatr Nephrol 25 (2010) 1073-1079.)。すべてのハイブリダイゼーションについては、蛍光染色特異的なバイアスを可能な限り除くため、2回目のハイブリダイゼーションでは、双子間で蛍光標識を換えることで2重に行った。さらに、一卵性双生児のハイブリダイゼーションは、それぞれ標準検体(NA19000, HapMap日本人男性)に対しても行った。
【0030】
Aberration Detection Method-2 (ADM-2)統計アルゴリズムにより、閾値を5と設定し、連続したlog2 比からCNVの判定を行い、サンプルと基準検体間のゲノムの範囲やコピー数の違いを認めた。得られたデータは、センタライズを行い、0.15より低い平均log2 比のシグナルは、擬陽性を除くために排除した。複数のSNPプローブによる一卵性の遺伝学的検証を行うため、一卵性双生児のゲノムDNAをIllumina CytoSNP-12ビーズチップを使用して、300,000 のSNPを調べた。
【0031】
3.全ゲノムCNVビーズチップによる弧発性MSA患者の解析
全ゲノムのCNVに富む領域を標的としたCNVプローブでデザインされているdeCODE-Illumina社のビーズチップ(57K, i-select format, Illumina Infinium system, deCODE genetics, Inc., Iceland)を用いて(T. Kato, M. Emi, H. Sato et al., Segmental copy-number gain within the region of isopentenyl diphosphate isomerase genes in sporadic amyotrophic lateral sclerosis, Biochem Biophys Res Commun 402 (2010) 438-442.)、全ゲノムのCNV解析を行った。プローブは15,559箇所のCNV領域を構成しており、ヒトゲノム全体の6%である190 Mbをカバーする。これらの領域は、ヒトゲノムの平均と比較して18倍CNVに富んでいる(H. Stefansson, D. Rujescu, S. Cichon et al., Large recurrent microdeletions associated with schizophrenia, Nature 455 (2008) 232-236.)。deCODE-Illumina社CNVチップから得られたデータの解析には、deCODE genetics社のソフトウェアDisageMinerを用いて行い、CNVの欠失と増幅を解析した。簡潔には、各蛍光色の信号の蛍光強度の標準化は、deCODE genetics社により開発された計算式により行った。ゲノム上の連続した領域について、1マーカーの示すコピー数異常より、複数のマーカーで検出される場合を欠失か増幅として判定した(H. Stefansson, D. Rujescu, S. Cichon et al., Large recurrent microdeletions associated with schizophrenia, Nature 455 (2008) 232-236.)。
【0032】
4.MSA表現型が一致しない一卵性双生児と孤発性MSA患者の高密度カスタムオリゴヌクレオチドマイクロアレイ解析
DNAサンプルを用いて、aCGH法を基礎とする高密度カスタムオリゴヌクレオチドマイクロアレイによる解析を行った。第19番染色体19p13.3 (Chr. 19: 250,000-600,000 [NCBI Build 36.1, hg18])サブテロメア領域の350 kbを対象としたカスタムマイクロアレイを作製した。アレイは60 merサイズのオリゴヌクレオチドプローブから構成される(Agilent Technologies, Santa Clara, CA)。より具体的には、これらのオリゴヌクレオチドプローブは、非接触型の産業用インクジェットプリントプロセスを用いて製造した。このプロセスは、フォスフォアミダイト法を使用するもので、ガラススライド上に60 mer サイズのオリゴヌクレオチドプローブが合成され、均一に配置される。カスタムマイクロアレイの実験は、手順に従い行った(T. Kato, M. Emi, H. Sato et al., Segmental copy-number gain within the region of isopentenyl diphosphate isomerase genes in sporadic amyotrophic lateral sclerosis, Biochem Biophys Res Commun 402 (2010) 438-442.)。すなわち、具体的には、血液よりQiagen DNeasy Blood & Tissue Kitを使用して、全ゲノムDNAを抽出した。抽出した全ゲノムDNAをAgilent Genomic DNA ULS labeling kitを使用して、ゲノムDNAを双子の一方を蛍光標識化Nucleotide Cyanine 3-dUTP(Cy3)、もう一方を蛍光標識化Nucleotide Cyanine 5-dUTP(Cy5)により標識する。UV-Vis Spectrophotometer を用いて、標識化DNAの収量・蛍光取り込み率の確認後、カスタムマイクロアレイに標識化DNAをアプライし、ハイブリダイゼーションオーブン(65℃,20rpm)でハイブリダイゼーションを行った。双子の解析のため、MSA表現型が一致しない一卵性双生児のDNA を前述のCNV 400Kマイクロアレイ実験と同様の手法を用い、カスタムマイクロアレイに競合ハイブリダイゼーションさせた。
【0033】
II. 結果
1.MSA表現型が一致しないMSA双生児の全ゲノムCNVアレイ解析
MSA症例ゲノムで変化しているCNVの探索のため、一卵性双生児の片方が59歳でMSAを発症し、典型的な症状が現れているという、MSA表現型が一致しない一卵性双生児について解析した。300,000以上のSNPマーカーを搭載したビーズチップを用いたジェノタイピングにより、MSA表現型が一致しない一卵性双生児のMonozygosityを確認した。
【0034】
初めに、アレイCGH法を基礎とした全ゲノム400K CNVオリゴヌクレオチドマイクロアレイを用いて、MSA表現型が一致しない一卵性双生児におけるゲノム変化のスクリーニングを行った。双子間のゲノムDNAの競合ハイブリダイゼーションにより、比較を行った。この結果については、双子間でのdye-swap実験により検証を行った。基準検体の日本人(HapMap NA1900)ゲノムDNAに対しても、個別に双子とハイブリダイズさせた。後者の実験は、双子の真の遺伝子型を評価する目的を果たし、一方前者の実験では、双子間において推定される不均衡を示した。MSA一卵性双生児の比較から、MSA表現型の双子(HK33)に、第2番染色体短腕2p25.3領域(3,642,547-3,643,266 bp, 2 CNVマーカー), 第4番染色体長腕4q35.2領域(187,590,335-187,594,679 bp, 32 CNVマーカー), および第19番染色体短腕19p13.3領域(249,367-252,260 bp, 35 CNVマーカー)の3領域でコピー数の欠失(CN-loss)が認められた。35のCNVマーカーが存在する第19番染色体短腕19p13.3領域は、CNVの反復配列に富むサブテロメア領域(第19番染色体テロメアから250 kb)であることから、さらなる解析を行う領域として注目した。
【0035】
2. 孤発性MSA患者の全ゲノムCNVビーズチップ解析
33名の孤発性MSA患者と100名の健常者についてdeCODE-Illumina社CNVビーズチップを用いて、全ゲノムCNV解析によるスクリーニングを行った。コピー数の変化を示したCNVマーカーは、MSA表現型が一致しない一卵性双生児でコピー数の欠失が認められた第19番染色体短腕19p.13.3サブテロメアで、孤発性MSA患者のコピー数の欠失を高頻度に示した。
【0036】
図1は、33名の孤発性MSA患者と100名の健常者についてdeCODE-Illumina社CNVビーズチップ解析で認められたサブテロメアの5 Mbp領域におけるコピー数の欠失を示している。図1に示すように、第19番染色体19p.13.3サブテロメア領域テロメア側350 kbpとセントロメア側の1 M bpにおいて、孤発性MSA患者で高頻度でコピー数の欠失が認められたが、健常者では認められなかった(10/33 MSA患者 対 0/100 健常者)。この350 kbpの領域は、MSA表現型が一致しない一卵性双生児の患者で認められたコピー数の欠失領域を重なった。MSA表現型一卵性双生児の一方に、特異的なコピー数の欠失が認められた領域と孤発性MSA患者集団において、高頻度にコピー数の欠失が認められた領域の間が重なっていたことから、第19番染色体19p.13.3の350 kbpの領域に注目した。
【0037】
3.MSA一卵性双生児の高密度マイクロアレイ解析
MSA一卵性双生児および孤発性MSA患者の両者で、第19番染色体19p.13.3における350 kbpのサブテロメア領域で認められたCNVのスクリーニング結果の検証とさらに明白にすることを目的とし、コピー数欠失領域のさらなる解析のために高密度カスタムオリゴヌクレオチドマイクロアレイを制作した。カスタムアレイを用いた、MSA一卵性双生児におけるゲノムのCNV変化の解析結果を図2に示した。ゲノムDNAの双子間での競合ハイブリダイゼーションによる比較し(図2a)、その結果のdye-swap実験による検証を行った(図2b)。基準検体の日本人(HapMap NA1900)ゲノムDNAに対しても、個別に双子とハイブリダイズさせた(図2c-d)。MSA一卵性双生児の比較から、双子のMSA患者(HK33)に第19番染色体19pサブテロメア領域の350 kbpの末端側の半領域において、ヘテロ接合のコピー数欠失が認められた。図2に示した欠失領域である第19番染色体19p.13.3(250 - 400 Kb)には、SHC (Src homology 2 domain containing) transforming protein 2 (SHC2) 遺伝子を含む4つの遺伝子がある。
【0038】
4.孤発性MSA患者における高密度マイクロアレイ解析
350 kbのコピー数欠失領域におけるコピー数の変化について、33名の孤発性MSA患者、および25名の健常者に対しても同じカスタムアレイを用いた解析を行った。第19番染色体19p.13.3のサブテロメア350 kbの領域で、33名の孤発性MSA患者のうち11名に、ヘテロ接合のコピー数欠失を認めたが、25名の健常者では認められなかった(11/33孤発性MSA患者 対 0/25 健常者)。
【0039】
図3に孤発性MSA患者においてコピー数の欠失を示す第19番染色体19p.13.3のサブテロメアの350 kb領域についてのMoving averageのパターンを示した(MSA患者 HK06, HK12, HK15, HK19, HK23,およびHK28)。染色体に沿った距離に対するMoving averageパターンで、コピー数を示す個々の染色体プロットを示した。比較として、CNV領域にコピー数の変化がない健常者のMoving averageパターンを示した(図3、HK60cとHK78c)。
【0040】
11名の孤発性MSA患者の高密度マイクロアレイ解析から得られた結果から、第19番染色体19p13.3サブテロメア350 kbの領域におけるゲノムのコピー数変化を詳細な欠失マップとして、図4に示した。MSA表現型が一致しない一卵性双生児の欠失領域については、赤いバーで示した。
【0041】
第19番染色体19p.13.3のサブテロメア領域には、いくつかの遺伝子が局在しており、孤発性MSA患者、およびMSA表現型が一致しない一卵性双生児において共通して欠損している(図4)。SHC (Src homology 2 domain containing) transforming protein 2 (SHC2)遺伝子は、神経系で発現し、MSA発症の素因の最重要な候補となっている。また、モデルマウスを用いた試験では、SHC2遺伝子の機能障害が神経障害の原因になることが報告されている(T. Nakamura, S. Muraoka, R. Sanokawa et al., N-Shc and Sck, two neuronally expressed Shc adapter homologs. Their differential regional expression in the brain and roles in neurotrophin and Src signaling, J Biol Chem 273 (1998) 6960-6967.、R. Sakai, J.T. Henderson, J.P. O'Bryan et al., The mammalian ShcB and ShcC phosphotyrosine docking proteins function in the maturation of sensory and sympathetic neurons, Neuron 28 (2000) 819-833.)。
【0042】
III. 考察
MSAに特異的なCNVの変化の解析,すなわちMSA表現型が一致しない一卵性双生児の比較、およびCNVに変化のあった33名の孤発性MSA患者群の集団解析の二つの研究戦略を採用した。初めに、ヒトゲノムのCNVに富む領域を標的としたオリゴヌクレオチドアレイCGHを基礎とする全ゲノムのCNVマイクロアレイとCNVビーズチップにより、全ゲノムのCNV変化を解析した。次に、候補領域に対する高密度カスタムオリゴヌクレオチドマイクロアレイを用いてCNV変化を検証し、明らかにした。これらの戦略的アプローチの組み合わせにより、MSA表現型が一致しない一卵性双生児の罹患している片方、および血縁でない孤発性MSA患者(MSA患者33名中11名)において、疾患特異的なコピー数欠損を示す第19番染色体19p13.3サブテロメアのSHC (Src homology 2 domain containing) transforming protein 2 (SHC2)遺伝子とその近傍の遺伝子を同定した。
【0043】
この結果は、表現型が一致しない一卵性双生児におけるCNV解析が疾患素因遺伝子の同定において有効な研究手段になるかもしれないという仮説を支持する。双子の一方のMSA患者で同定されたSHC2遺伝子領域コピー数の欠損は、MSAの集団解析でも検証され、MSA表現型におけるゲノムの変化の因果関係に強く影響していることを示している。これらのデータは、同じ接合体から分かれた一卵性双生児の遺伝子型の違いが、体細胞におけるゲノムの変異の動かぬ証拠であることを強く示している報告からも(非特許文献6)、表現型が一致しない一卵性双生児の分子遺伝学的解析は、疾患研究にとって素晴らしいモデルになりうることを示唆している。さらに、MSA表現型が一致しない一卵性双生児の大規模なコホートを対象とした研究は、より詳細にMSAに生じやすい遺伝的素因を特定するための新しいアプローチとして特に有効である。
【0044】
第19番染色体サブテロメア領域19p13.3において、SHC2遺伝子とその周辺のヘテロ接合のコピー数欠失を高い頻度で認めた。第19番染色体19p13.3のようなサブテロメアの構造には、他のヒトゲノムの大部分の領域と比較して、小さな領域に実に大量のlow copy repeat構造の分節重複がある 。この複雑な反復構造は、正確なマッピングと配列解析の努力により判明した(A. Itsara, G.M. Cooper, C. Baker et al., Population analysis of large copy number variants and hotspots of human genetic disease, Am J Hum Genet 84 (2009) 148-161.)。この領域は多数のlow copy repeatのために不安定であり、不均等交叉や末端結合などによる、高頻度のセグメント欠失の引き金になっている。言いかえれば、これらの不安定なCNVに富むサブテロメア領域は、欠失/重複が発生しやすくなる(A.J. Sharp, D.P. Locke, S.D. McGrath et al., Segmental duplications and copy-number variation in the human genome, Am J Hum Genet 77 (2005) 78-88.)。これに関係して、CNVや構造的な再配列による遺伝子座特異的な突然変異率は10-6 -10-4であり、点突然変異やSNPより、少なくとも2-4桁大きい(100-10,000倍)と述べられている(J.R. Lupski, Genomic rearrangements and sporadic disease, Nat Genet 39 (2007) S43-47.)。MSAのような孤発性疾患の特性要因を考慮すると、CNVの高い変異率は、MSAのような孤発性疾患に関係する遺伝子の探索研究に魅力的である(非特許文献5)。
【0045】
第19番染色体サブテロメアのテロメア側350 kbの領域におけるコピー数の変化は、他の神経疾患では報告されていない。たとえば、deCODE/Illumina社 CNVビーズチップを用いた予備実験では、多発性硬化症患者で特定のコピー数欠失は認められなかった。本研究で解析した患者の人数によるのかもしれないが、第19番染色体19p13.3におけるコピー数の欠失は、解析したMSA患者の年齢、性別、MSAのサブタイプ(MSA-P, MSA-C)との相関は見られなかった。
【0046】
SHC2遺伝子は双子の片方のMSA患者で欠失しており、孤発性MSA患者のパネルにおいても高頻度で欠失していた。SHC2 mRNAは、成人の神経系を含む幅広い組織で発現している。マウスの成体のSHC2タンパク質の発現は、神経系に制限されている。ラットとマウスの胚では、SHC2 mRNAの発現は、後根神経節と上頸神経節で最も高い(T. Nakamura, S. Muraoka, R. Sanokawa et al., N-Shc and Sck, two neuronally expressed Shc adapter homologs. Their differential regional expression in the brain and roles in neurotrophin and Src signaling, J Biol Chem 273 (1998) 6960-6967.、R. Sakai, J.T. Henderson, J.P. O'Bryan et al., The mammalian ShcB and ShcC phosphotyrosine docking proteins function in the maturation of sensory and sympathetic neurons, Neuron 28 (2000) 819-833.)。Shcファミリータンパク質(SHC1, 2, 3)は、増殖から生存または分化への分子スイッチとして神経細胞の成長に作用する
【0047】
MSA患者には他にも高い頻度で欠失している、HCN2、MADCAM1やFGF22のような遺伝子があり、いずれも神経組織で発現している。HCN2は過分極活性化型陽イオンチャネルの遺伝子ファミリーの一つであり、脳の淡蒼球外節で自発的な律動的活動に寄与する(B. Santoro, S.G. Grant, D. Bartsch et al., Interactive cloning with the SH3 domain of N-src identifies a new brain specific ion channel protein, with homology to eag and cyclic nucleotide-gated channels, Proc Natl Acad Sci U S A 94 (1997) 14815-14820.、A. Ludwig, X. Zong, J. Stieber et al., Two pacemaker channels from human heart with profoundly different activation kinetics, EMBO J 18 (1999) 2323-2329.)。熱性けいれん症候群で報告されているHCN2変異の中には、膜電流の増加をきたすものがある(L.M. Dibbens, C.A. Reid, B. Hodgson et al., Augmented currents of an HCN2 variant in patients with febrile seizure syndromes, Ann Neurol 67 (2010) 542-546.)。ヒトのMADCAM-1 mRNA転写産物は脳で発現しており、粘膜血管{けっかん}アドレシン細胞接着分子(MADCAM-1)の異常な上昇が多発性硬化症の患者で報告されている(R. Allavena, S. Noy, M. Andrews et al., CNS elevation of vascular and not mucosal addressin cell adhesion molecules in patients with multiple sclerosis, Am J Pathol 176 (2010) 556-562.)。FGF22は、神経系の発達に不可欠な役割を果たしており、小脳顆粒細胞で発現している(H. Umemori, M.W. Linhoff, D.M. Ornitz et al., FGF22 and its close relatives are presynaptic organizing molecules in the mammalian brain, Cell 118 (2004) 257-270.)。この候補領域内におけるこれらの遺伝子のコピー数欠失は、発現の変化や異常、または不安定なmRNA/タンパク質の発現に影響するかもしれない。さらに最近では、CNVが領域内の遺伝子の発現だけではなく、近傍0.5 Mbの範囲に亘って影響することが報告されている(C.N. Henrichsen, N. Vinckenbosch, S. Zollner et al., Segmental copy number variation shapes tissue transcriptomes, Nat Genet 41 (2009) 424-429.)。複数の遺伝子発現に対する効果がどのように表現型に影響するのかCNVのメカニズムは、まだわかっていない。
【0048】
結論として、本研究はMSA表現型の一致しない一卵性双生児のMSA患者、および孤発性MSA患者において、ヘテロ接合体のコピー数欠損がSHC2遺伝子を含む領域に存在するという無視できない証拠を示した。神経系でのSHC2遺伝子の機能のさらなる研究は、MSA発症の解明だけではなく、新規の疾患治療の標的を識別するのに貢献する可能性がある。独立したMSA患者集団や異なる民族のMSA患者集団を対象とした今後の研究を介して、まだ知られていない遺伝因子や非遺伝因子を含むMSAの病因について十分な理解を得ることが可能となるだろう。
以上のとおり、本解析から見出された、表3にまとめた各因子は、一部に神経系に関与する報告はあるものの、直接的に臨床検査や遺伝子検査に利用することを明示しているものではなく、これらの因子がMSA等の神経変性疾患の検査法に利用できることは本発明によって明らかにされた。
【0049】
【表3】

【0050】
IV. SHC2のバイオインフォマティクス解析による機能考察
バイオインフォマティクス解析ソフトMetaCore ver.6.5で解析したSHC2のネットワーク図(図5)によると、SHC2は、nerve growth factor/neurotropic factorに反応する3つの受容体であるTrk-A(NTRK1, neurotrophic tyrosine kinase receptor, type 1, high affinity nerve growth factor receptor), Trk-B(neurotrophic tyrosine kinase receptor, type 2, BDNF/NT-3 growth factors receptor), Trk-C(neurotrophic tyrosine kinase, receptor, type 3, NT-3 growth factor receptor, neurotrophin 3 receptor)からリン酸化を受けて活性化する因子であることがわかった。それ故、SHC2が機能不全になると、神経細胞の成長に必要な神経栄養因子であるnerve growth factor/neurotropic factorの刺激が十分に伝わらず、神経変性につながる可能性がある。文献的には、神経栄養因子のパスウェイには、Trk受容体、SHC(SHC1)、GBR2が重要因子となっていることが報告されている(Reichardt LF, Philos Trans R Soc Lond B Biol Sci. 2006;361(1473):1545-64.)。ただし、当該文献はSHC1並びにGRB2が直接的にMSA等の神経変性疾患の検査法に利用することを示しているものではない。
【0051】
2.SHC2のネットワーク図(図5)によると、SHC2はアダプタータンパク質であるGRB2(growth factor receptor-bound protein 2)に結合して活性化させる。SHC2(Shc-B)は神経細胞の成熟に関与し、SHC2の機能不全は、神経変性につながる可能性がある。文献的には、神経突起の進展にはSHC2と同じファミリーのSHC1がGRB2に結合することが必要であることを示す報告がある(Hint by AM et al., J Neurochem. 2004; 9(3):694-703
)。ただし、当該文献はSHC1並びにGRB2が直接的にMSA等の神経変性疾患の検査法に利用することを示しているものではない。
【0052】
3.SHC2の配列からTargetScanHuman(ver.5.1, Whitehead Institute for Biomedical Research)によって配列結合可能性のあるmicroRNAを推定したところ、miR9と推定された。miR9は神経細胞分化を制御することが知られており、SHC2もその制御系に関与している可能性がある。文献的には、miR9はneural differentiation とbrain developmentに関与しているという報告がある(Ko MH et al., FEBS J. 2008 May;275(10):2605-16.)。ただし、当該文献はSHC1並びにGRB2が直接的にMSA等の神経変性疾患の検査法に利用することを示しているものではない。
以上のとおり、バイオインフォマティクス解析から見出された、SHC1、GRB2、miR9は、いずれも神経系に関与する報告はあるものの、直接的に臨床検査や遺伝子検査に利用することを明示しているものではなく、これらの因子がMSA等の神経変性疾患の検査法に利用できることは本発明によって明らかにされた。
【0053】
双生児MSA患者のdown-regulation geneのバイオインフォマティクス解析
片方のみMSAに罹患している“discordant”一卵性双生児1組(男性)において、末梢血よりleukoLock(登録商標)(商品名)(Ambion)を用いて白血球を分離し、発現解析用マイクロアレイWhole Human Genome 4x44K (Agilent)を用いて、mRNAの網羅的発現解析を行った。発現統計解析にはGeneSpring GX を用いた。次にMSA患者で機能低下している遺伝子を解析するために、双生児間で発現比が1/2以下(log2≦−1.0)になっているdown-regulation遺伝子を検索し、172個の遺伝子を同定した。この遺伝子群のネットワークをSHC2関連遺伝子を調べるために用いたNetwork解析ソフト(GeneGo社MetaCore, version 6.5)を用いて解析を行ったところ、SHC2と同様の機能を有すると考えられるSHC1(Src homology 2 domain containing transforming protein 1, SHC-transforming protein A)を同定した。SHC1はSHC2と同じファミリー因子であり、HRAS (H-Ras)(GTPase)にactivationの制御をしており、HRAS (H-Ras)はCDK2 (cyclin-dependent kinase 2)をinhibitionしているが、SHC1の機能不全により、CDK2が活性化し、その結果CTNNB1 (Beta-catenin)を抑制が強くなる。CTNNB1 (Beta-catenin)阻害によってドーパミン作動性神経が障害を受け、その障害は、結果としてMSA様障害が発現するメカニズム(Hashimoto et al., Neuroreport. 2008 19(2):145-50)が考えられる(図6参照)。
【0054】
したがって、SHC2のロスに加えて、SHC1低下、HRAS (H-Ras)低下、CDK2亢進、CTNNB1 (Beta-catenin)低下もMSA様症状の判定指標として使うことができる。他方、SHC2活性化と同様に、SHC1増幅、H-Ras増幅、CDK2抑制、Beta-catenin増幅は、MSA並びに神経変性疾患の改善につながることが示唆される。
以上のとおり、バイオインフォマティクス解析から見出された、SHC1、H-Ras、CDK2、Beta-cateninは、いずれも神経系に関与する報告はあるものの、直接的に臨床検査や遺伝子検査に利用することを明示しているものではなく、これらの因子がMSA等の神経変性疾患の検査法に利用できることは本発明によって明らかにされた。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
生体から分離した試料について、Srcホモロジー2ドメイン含有トランスフォーミングファクター(SHC2)遺伝子のコピー数又は発現量を測定するステップを含み、該コピー数又は発現量が健常者よりも少ないことが神経変性疾患に罹患していること又は神経変性疾患の発症リスクがあることを示す、神経変性疾患の検査方法。
【請求項2】
SHC2遺伝子のコピー数を測定する請求項1記載の方法。
【請求項3】
前記神経変性疾患が、多系統萎縮症である請求項1又は2記載の方法。
【請求項4】
SHC2遺伝子のコピー数又は発現量に加え、MIER2遺伝子、THEG遺伝子、FAM148C遺伝子、MADCAM遺伝子、CDC34遺伝子、GZMM遺伝子、BSG遺伝子、HCN2遺伝子、POLRMT遺伝子及びFGF22遺伝子から成るより選ばれる少なくとも1種の遺伝子のコピー数又は発現量をさらに測定することを含む請求項1〜3のいずれか1項に記載の方法。
【請求項5】
SHC2遺伝子を活性化させる又は増幅させる能力を指標とする、神経変性疾患の治療又は予防剤のスクリーニング方法。
【請求項6】
SHC2遺伝子の発現量を増大させる物質を有効成分として含む、神経変性疾患の治療又は予防剤。
【請求項7】
GRB2遺伝子、SHC1遺伝子、H-Ras遺伝子及びBeta-catenin遺伝子から成る群より選ばれる少なくとも1つの遺伝子の発現量を増大させる物質を有効成分として含む神経変性疾患の治療又は予防剤。
【請求項8】
microRNA-9遺伝子を抑制する物質を有効成分として含む、神経変性疾患の治療又は予防剤。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【公開番号】特開2012−170387(P2012−170387A)
【公開日】平成24年9月10日(2012.9.10)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2011−34802(P2011−34802)
【出願日】平成23年2月21日(2011.2.21)
【出願人】(504173471)国立大学法人北海道大学 (971)
【Fターム(参考)】