説明

窒化処理摺動部材および摺動部材用鋼材並びに摺動部材の製造方法

【課題】特に主駆動源が電気モータのように高速回転するような動力伝達系に適用できるような摺動特性に優れた窒化処理摺動部材、およびこのような摺動部材に適用される鋼材、並びに摺動部材を製造するための有用な方法を提供する。
【解決手段】本発明の窒化処理摺動部材は、鋼材表面を窒化処理してなる窒化処理摺動部材であって、前記鋼材はC:0.10〜0.40%未満(「質量%」の意味、化学成分については以下同じ)、Si:0.05〜0.35%、Mn:0.20〜1.20%、Cr:0.8〜1.2%、sol.Al:0.3〜0.90%を夫々含有し、残部が鉄および不可避的不純物からなり、且つ表面から深さ500μmまでの領域において、フェライトの面積率が5%以下であると共に、そのフェライト粒径が平均円相当径で30μm以下である。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、自動車用変速機の動力伝達系に適用される歯車のような摺動部材に関するものであり、特に主駆動源が電気モータのように高速回転するような動力伝達系に適用され、その表面に窒化処理を施して使用されるような摺動部材、およびこのような摺動部材の素材として使用される鋼材、並びに摺動部材を製造するための有用な方法等に関するものである。
【背景技術】
【0002】
近年、環境保全の観点から炭酸ガス排出量抑制が強く要求されており、それに伴って自動車における燃費向上が大きな課題となっている。燃費向上を確保するためには、車体の軽量化を図る必要があるが、そのために高強度素材を用いて部品の小型・軽量化が進められている。
【0003】
自動車用変速機等で用いられる歯車やシャフト等の動力伝達部品には、高い疲労強度が
求められている。鋼材の表面処理技術として従来から適用されている浸炭焼入れは、表面硬化層の形成に加えて内部硬度の向上をもたらすことから、上記した歯車やシャフト等の動力伝達部品における疲労強度を向上させるための手段として幅広く適用されている。
【0004】
一方、自動車の駆動源を、ガソリンエンジンと電気モータを併用したハイブリッドカー、更には電気モータだけを駆動源とする自動車等(本発明では、ハイブリッドカーをも含めて「電気自動車」と呼んでいる)の開発が進められており、その実用化も始まっている。電気自動車では、モータの回転数に合わせて、動力伝達機構に組み込まれる歯車も高速回転することが予想され、ガソリンエンジンだけを駆動源とする自動車で適用される歯車部品よりも、より一層の静粛性や摺動特性寿命が要求されることになる。
【0005】
開発・実用化が進められている電気自動車は、電気エネルギーを使ってモータを駆動して走行する駆動系を採用するものであるが、ガソリンエンジン車と比べて走行時の回転数が数段高くなる可能性があるものの、動力伝達部品については、ガソリンエンジン車と同様に小型化、小径化、薄肉化が求められることになる。
【0006】
高い疲労強度を達成し、しかも部品寸法精度も良好となるような表面処理方法として、窒化処理が知られている。得られる部品の特性は、鋼種や窒化条件によっても左右されるが、一般に高い疲労強度が得られ、処理温度も500〜600℃程度と比較的低温で実施できることから、熱処理歪みも小さくなり、浸炭焼入れ処理部品よりも寸法精度も良好なものとなる。このような窒化処理部品は、寸法精度に優れたものとなり、自動車用部品として用いたときには、ノイズ発生の低減が予想できることから、静粛性の解決策としての窒化処理が電気自動車の歯車等の摺動部品の表面処理技術として注目されている。
【0007】
ところで、窒化処理に用いられる鋼材(窒化鋼)としては、JIS規格ではSACM645(JIS G 4202)が代表的なものとして知られているが、世界的にはCr−Mo系、Cr−Mo−Al系、Cr−Mo−V系、Cr−Al系、Cr−Ni−Mo系等様々な窒化鋼が知られている。
【0008】
窒化処理部材を浸炭焼入れ部材の代替品として適用するためには、少なくとも(a)窒化処理部材の硬化層(窒化層)を厚くする、(b)窒化処理部材の芯部の硬さを高くする、等の要件を満足させることが必要である。上記(a)の要件を満足させるためには、窒化処理時間を長くすればよいが、コストがかかるために、迅速に窒化処理できることが要求されている(例えば、非特許文献1、2)。
【0009】
窒化層厚さを深くするための技術として、例えば特許文献1〜3のような技術も提案されている。また、窒化処理時間の短縮を図る技術として、特許文献4のような技術も提案されている。更に、窒化処理部材の芯部の硬さを高くするためには、冷間加工を施せばよいことも提案されている(非特許文献3)。
【0010】
これまで、提案されてきた窒化処理に関する技術は、浸炭処理または浸炭窒化処理が施される部材の代替品として、高疲労強度を達成するための鋼材組成、窒化処理条件、窒化層構造等を示したものであり、これらの技術によって上記(a)、(b)の要件に関する特性改善は図られている。しかしながら、これまで提案されている上記各種技術では、高速回転に対応できるほどの摺動特性の向上については何ら考慮されておらず、上記(a)、(b)の要件を満足するだけでは、この摺動特性の改善には至らないのが実情である。
【先行技術文献】
【非特許文献】
【0011】
【非特許文献1】「軟窒化用鋼」 住友金属 Vol.45−4(1993),P123
【非特許文献2】「高強度・低歪迅速軟窒化用鋼」 Sanyo Technical Report Vol.1(1994)No.1,P19
【非特許文献3】「冷鍛軟窒化用鋼「DNSC」」 電気製鋼 75巻、第1号 2004年発行、第69頁
【特許文献】
【0012】
【特許文献1】特開平7−102343号公報
【特許文献2】特開平7−286256号公報
【特許文献3】特開平11−124653号公報
【特許文献4】特開2004−300472号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0013】
本発明はこの様な事情に鑑みてなされたものであって、その目的は、特に主駆動源が電気モータのように高速回転するような動力伝達系に適用できるような摺動特性に優れた窒化処理摺動部材、およびこのような摺動部材に適用される鋼材、並びに摺動部材を製造するための有用な方法を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0014】
上記課題を解決することのできた本発明の摺動部材とは、鋼材表面を窒化処理してなる窒化処理摺動部材であって、前記鋼材はC:0.10〜0.40%未満(「質量%」の意味、化学成分について以下同じ)、Si:0.05〜0.35%、Mn:0.20〜1.20%、Cr:0.8〜1.2%、sol.Al:0.3〜0.90%を夫々含有し、残部が鉄および不可避的不純物からなり、且つ表面から深さ500μmまでの領域において、フェライトの面積率が5%以下であると共に、そのフェライト粒径が平均円相当径で30μm以下である点に要旨を有するものである。尚、前記「平均円相当径」とは、フェライト結晶粒を、同一面積の円に換算したときの直径(円相当径)の平均値である。
【0015】
本発明の摺動部材においては、前記鋼材は、更に、(1)Mo:0.80%以下(0%を含まない)、(2)Ti:0.01%以下(0%を含まない)、Nb:0.01%以下(0%を含まない)およびV:0.01%以下(0%を含まない)よりなる群から選ばれる1種以上、等を含有させることも有用であり、含有される成分に応じて、摺動部材の特性が更に改善される。
【0016】
本発明の窒化処理摺動部材は、摺動特性に優れたものとなるが、その機械的特性として、ビッカース硬さが750Hv以上である硬化層の深さが表面から100μm以上に及ぶと共に、硬化層の最高硬さが800Hv以上、1000Hv未満であり、且つ表面粗さRaが0.4μm未満等の要件を満足するものとなる。
【0017】
本発明の摺動部材は、歯車に適用したときにその効果が有効に発揮されるものであるが、特に高速回転する駆動源を使用する電気自動車に適用されるときに、その効果が最大限に発揮されるものとなる。
【0018】
本発明は、上記のような窒化処理摺動部材を得るための鋼材をも対象とするものであり、具体的には、C:0.10〜0.40%未満、Si:0.05〜0.35%、Mn:0.20〜1.20%、Cr:0.8〜1.2%、sol.Al:0.3〜0.90%を夫々含有し、残部が鉄および不可避的不純物からなるもの、或はこれらの基本成分に、(1)Mo:0.80%以下(0%を含まない)、(2)Ti:0.01%以下(0%を含まない)、Nb:0.01%以下(0%を含まない)およびV:0.01%以下(0%を含まない)よりなる群から選ばれる1種以上、等を含有させたものである。
【0019】
上記のような窒化処理摺動部材を製造するに当たっては、上記の化学成分組成を有し、表面から深さ500μmまでの領域において、フェライトの面積率が5%以下であると共に、そのフェライト粒径が平均円相当径で30μm以下である鋼材を、所定の形状に加工した後、窒化処理を行なうようにすれば良い。
【0020】
より具体的な製造方法としては、上記の化学成分組成を有する鋼材を、Ac3変態点以上の温度に30分以上加熱した後、Ms点以下の温度まで臨界冷却速度以上で冷却した後、所定の形状に加工した後、窒化処理を行なうようにすれば良い。
【発明の効果】
【0021】
本発明は上記のように構成されており、表面に窒化処理が施される鋼材の化学成分組成、並びに鋼材の所定領域におけるフェライト面積率およびフェライト粒径を適切に制御することによって、摺動特性の向上を図ることができた。そして、このような窒化処理摺動部材は、特に主駆動源が電気モータのように高速回転するような動力伝達系に適用できるものとなり、ひいては自動車の燃費改善という著しく優れた効果が発揮されることになる。
【図面の簡単な説明】
【0022】
【図1】リング状試験片の形状を示す概略説明図である。
【図2】供試材No.1(発明例)および供試材No.23〜25(比較例)における硬度分布を示すグラフである。
【発明を実施するための形態】
【0023】
本発明者らは、窒化処理摺動部材における摺動特性を向上させるべく様々な角度から検討した。その結果、窒化処理摺動部材における摺動特性を支配している要因は、(A)表層の硬さ、(B)硬化層深さ、および(C)表面粗さ等の要件であり、これらの要件を満足させることが摺動特性を向上させる上で不可欠であるとの知見が得られた。
【0024】
表面処理法(表面硬化処理法)として浸炭処理も知られているが、この浸炭処理では硬さの調整は容易になるが、熱処理によって熱処理歪みが生じるため、表面平滑性を維持することが困難となる。表面平滑性は機械加工によって或る程度確保できるが、その加工量が大きくなると、コスト高を招くことになる。
【0025】
上記のような浸炭処理に対して、窒化処理では熱処理歪みは殆ど生じないが、最表層に脆い化合物層が薄く生成するために、若干の機械加工は必要となる。しかしながら、こうした機械加工によってもなお残存する凹凸が、摺動特性に大きく影響することが判明したのである。即ち、平滑性に関する大きな問題は、化合物層除去後に機械加工面でのわずかな周期的凹凸が鋼材の組成、熱処理履歴、窒化処理条件によってはなお残存し、その凹凸の大小が摺動性に大きな影響を与えることが判明した。
【0026】
上記のような凹凸とは、窒化処理によって生じる部材最表層の化合物硬化層を除去研磨(例えば、ラッピング処理)したときに残る凹凸であり、その凹凸が摺動特性に大きく影響するのであるが、本発明者らが更に検討したところによれば、下地層の金属組織結晶単位の微細化が凹凸を小さくし、窒化処理摺動部材の摺動特性を向上する上で重要であることを見出した。
【0027】
本発明者らが、実験によって確認したところによれば、表面凹凸をより微細化するためには、摺動部材表層付近のフェライト結晶粒面積率を極力低減することが重要である。尚、本発明で対象とする「フェライト」とは、窒化処理中の焼き戻しにて生じるマルテンサイトを焼き戻ししたフェライトではなく、焼入れ直後に生成している「初析フェライト」であり、結晶粒内部に焼き戻し炭化物であるセメンタイトが存在しないものである。但し、窒化処理前・後においては、フェライト(初析フェライト)の面積率や粒径は殆ど変化しない(これらの処理条件によって影響されない)ものである。
【0028】
窒化処理摺動部材における良好な摺動特性を確保するためには、表面の凹凸の微細化の目安となる表面粗さRa(算術平均粗さ)を0.4μm未満とする必要があるが、そのためにはフェライトの平均粒径を30μm以下、面積率を5%以下とすることが重要である。表面凹凸の低減には、フェライトの残存は極力避けるべきであるが、平均粒径が30μmを超えず、且つ面積率で5%までであれば、摺動特性を支配する表面粗さRa(算術平均粗さ)には大きな影響を与えないため、フェライト粒径を平均円相当径で30μm以下、面積率を5%以下と規定した。
【0029】
フェライト粒径の調整は、部材製造プロセス中、窒化処理にかける前の焼入れ処理での加熱温度で調整すれば良い。こうした観点から、製造条件として、Ac3変態点以上への30分以上の加熱が必要である。この加熱温度は、好ましくは(Ac3変態点+50℃)以上の温度範囲とするのが良い。このような温度範囲に加熱した後、Ms点(マルテンサイト変態開始温度)まで臨界冷却速度(上部臨界冷却速度)以上で冷却(急冷)することが推奨される。尚、上記Ac3変態点は、本発明で規定する化学成分組成の範囲内では、主にAl,C,Si,Mo,Vの含有量によって変化するが、概ね880〜1100℃の温度範囲であれば(Ac3変態点+50℃)以上の条件となる。
【0030】
本発明の摺動部材では、上記のようにフェライトの要件(面積率、粒径)を満足させることによって、表面凹凸の微細化が図れ、優れた摺動特性が発揮されるものとなるが、摺動部材としての基本的な特性である硬化層深さや最高硬さ等の要件(硬さ要件)も所定の範囲内とすることが好ましい。こうした観点から、本発明の摺動部材における硬化層深さは少なくとも100μm(表面から深さ100μm以上までの領域に及ぶ)であることが好ましい。また、この硬化層の硬さは、ビッカース硬さで750Hv以上であることが好ましい。更に、この硬化層における最高硬さをHvで800以上であることが好ましい。
【0031】
硬化層深さが100μmよりも浅くなったり、硬化層の硬さが750Hv未満であったり、最高硬さが800Hv未満になったりすると、高速回転時に焼き付きが生じる等、良好な摺動特性が発揮されない。しかしながら、最高硬さが1000Hv以上となると、鋼材の靭性が劣化する恐れがあるので、最高硬さは1000Hv未満とすることが好ましい。尚、硬さ要件の基準となる「表面」とは、バレル研磨等の簡易な研磨を行なった場合には、研磨後の表面(最表面)であることを意味する。
【0032】
上記のように硬さ要件を満足させるためには、素材としての鋼材の化学成分組成を適切に調整する必要があるが、重要な点は上記最高硬さを確保するためにAl含有量(sol.Al)を所定量確保することが必要である(化学成分組成については、後述する)。
【0033】
本発明の窒化処理摺動部材では、鋼材の化学成分組成も適切に調整する必要があるが、基本成分(C,Si,Mn,Cr,sol.Al)の範囲理由は次の通りである。
【0034】
[C:0.10〜0.40%未満(0.10%以上、0.40%未満)]
Cは、鋼材の強度(即ち、摺動部材の強度)を確保するのに必須の元素である。その効果を発揮させるためには、C含有量は0.10%以上とする必要がある。しかしながら、C含有量が過剰になると、窒化物の生成が阻害され、硬化層深さが浅くなると共に、最高硬さも低くなって、摺動特性が発揮されないので、0.40%未満とする必要がある。C含有量の好ましい下限は0.15%であり、好ましい上限は0.25%である。
【0035】
[Si:0.05〜0.35%]
Siは、鋼材の脱酸成分として必須の元素である。その効果を発揮させるためには、Siは0.05%以上含有させる必要がある。しかしながら、Si含有量が過剰になると、鋼材の靭性を低下させると共に、加工性が低下し、またフェライト粒が生成、粗大化しやすくなるので、0.35%以下とする必要がある。Si含有量の好ましい下限は0.10%であり、好ましい上限は0.30%である。
【0036】
[Mn:0.20〜1.20%]
Mnは、鋼材の脱酸成分として必須の元素である。また、焼入れ性を高めて鋼材の強度を確保する上で有用な元素である。こうした効果を発揮させるためには、Mnは0.20%以上含有させる必要がある。しかしながら、Mnを過剰に含有させると、硬化層(窒化層)が異常硬化してしまい(最高硬さが1000Hv以上)、鋼材の靭性を低下させるので、上限を1.20%とする。Mn含有量の好ましい下限は0.35%であり、好ましい上限は1.00%である。
【0037】
[Cr:0.8〜1.2%]
Crは、Mnと同様に焼入れ性を高めて鋼材の強度を確保する上で有用な元素である。また、Crは窒化物を形成して硬化層の硬さを確保する上で重要な成分である。こうした効果を発揮させるためには、Crは少なくとも0.8%以上含有させる必要がある。しかしながら、Cr含有量が過剰になると、またフェライト粒が生成、粗大化しやすくなるので、1.2%以下とする必要がある。Cr含有量の好ましい下限は0.85%であり、好ましい上限は1.05%である。
【0038】
[sol.Al:0.3〜0.90%]
sol.Al(酸可溶性Al)は、摺動部材における硬化層の最高硬さ(800Hv以上)を確保する上で有用な元素である。こうした効果を発揮させるためには、0.3%以上含有させる必要があるが、過剰に含有させると、窒化処理によって生成するAlNが増大し、表層硬化部を脆化させて却って摩耗量が増大するので、0.90%以下とする必要がある。sol.Alの含有量の好ましい下限は0.50%であり、好ましい上限は0.75%(より好ましくは0.70%)である。
【0039】
本発明の鋼材(窒化処理摺動部材製造用鋼材)の基本的な化学成分組成は上記の通りであって、残部は鉄および不可避的不純物(例えば、P,S,N等)である。尚、これらの不可避的不純物のうち、PやSについては、それらの上限を0.05%までとすることが好ましく、これよりも過剰になると、鋼材の靭性が劣化することになる。また本発明の鋼材には、必要によって更にMo,Ti,Nb,V等を積極的に含有させることも有用である。これらの元素を含有するときの範囲限定理由は以下の通りである。
【0040】
[Mo:0.80%以下(0%を含まない)]
Moは、鋼材の焼入れ性を高め鋼材の強度を確保する上で有用な元素である。Moによるこうした効果は、その含有量が増加するにつれて増大するが、Mo含有量が過剰になると、硬化層(窒化層)が異常硬化してしまい(最高硬さが1000Hv以上)、靭性を劣化させるので、0.80%以下とすることが好ましい。
【0041】
[Ti:0.01%以下(0%を含まない)、Nb:0.01%以下(0%を含まない)およびV:0.01%以下(0%を含まない)よりなる群から選ばれる1種以上]
Ti,NbおよびVは、鋼材中の拡散性水素をトラップして、遅れ破壊を抑制する上で有効な元素である。遅れ破壊は、鋼材の強度(引張強度TS)が1000MPaを超える場合に特に注意する必要がある。こうした効果は、その含有量が増加するにつれて増大するが、その含有量が過剰になると、鋼材を脆化させるので、いずれも0.01%以下とすることが好ましい。
【0042】
本発明の摺動部材は、上記の様な熱処理条件で鋼材を得た後、該鋼材を所定形状に機械加工し、引き続きその表面に窒化処理を施すことによって得られる。このときの窒化処理方法としては、イオン窒化(プラズマ窒化)やラジカル窒化のいずれの方法を適用しても良いが、効率的に硬化層深さを確保するという観点からすれば、イオン窒化法を適用することが好ましい。窒化処理の好ましい具体的条件は、処理温度:500〜650℃(より好ましくは500〜575℃)、処理時間:4〜12時間(より好ましくは6〜10時間)である。窒化処理時の処理温度が、650℃を超えると鋼材が軟化しやすくなり、500℃よりも低くなると、窒化深さ(硬化層深さ)が浅くなって、本発明における硬さ分布が達成させにくくなる。
【0043】
上記のような化学成分組成を有する鋼材を上記した条件で熱処理した後、所定の形状(部材形状)に成形加工し、引き続き、上記のような窒化処理を施すことによって、所望の硬さ分布(窒化層深さ、最高硬さ)および表面粗さRa(<0.4μm)を有する摺動部材を得ることができる。尚、摺動部材の表面粗さRaについては、研磨処理深さを意図的に大きくすれば(即ち、平滑化加工すれば)、表面粗さRaを小さくできるが、過剰な平滑化加工は硬化層深さが小さくなり、加工コストが高くなる。本発明の摺動部材では、バレル研磨や投射型ラッピング加工程度の簡単な研磨処理加工であっても、表面粗さRaを確保して良好な摺動性を達成し、且つ硬化層深さをも確保できるものとなる。
【0044】
以下、実施例によって本発明をより具体的に説明するが、本発明はもとより下記実施例によって制限を受けるものではなく、前・後記の趣旨に適合し得る範囲で変更を加えて実施することは勿論可能であり、それらはいずれも本発明の技術的範囲に包含される。
【実施例】
【0045】
(実施例1)
下記表1、2に示す各種化学成分組成を有する鋼材(鋼種A〜P、A1〜M1)を、真空溶解炉にて溶製し、熱間鍛造にて一辺が60mmの立方体状の鋼片を得た。得られた鋼片を、大気炉にて1250℃×1時間の溶体化処理を行なった後、900℃×1時間の焼準処理を行ない、供試材を作製した。
【0046】
尚、表1、2に示した、Ac3変態点は、下記(1)式によって、求められたものである。
Ac3変態点=910−203×[C]1/2+44.7×[Si]+[Mo]+104×[V]+150×[Al] …(1)
但し、[C]、[Si]、[Mo]、[V]および[Al]は、夫々C、Si、Mo、Vおよびsol.Alの含有量(質量%)を示す。
【0047】
【表1】

【0048】
【表2】

【0049】
上記各供試材について、大気炉にて950℃×30分の加熱後、加熱炉から取り出した後、直ちにハンマー鍛造にて高さ30mmに鍛造加工し、油冷(焼入れ)した。次いで、図1に示すリング状試験片を作製し[図1(a)は側面図、図1(b)は正面図]、下記の条件で窒化処理(プラズマ窒化)を行なった後、バレル研磨を施し、試験片の表面粗さRa(算術平均粗さ)を粗さ計で3点測定し(基準長さ:4mm)、その平均を求めた。また、焼入れ(油冷)直後の段階の試験片について、下記の各方法によってフェライトの粒径、面積率および硬度分布を評価した。
【0050】
[窒化処理条件]
窒化ガス雰囲気:N2:H2=25:75(体積比)の混合ガス雰囲気
雰囲気圧力:50Pa
窒化温度・時間:520℃×10時間
プラズマを起こす電圧:450V
【0051】
[フェライト粒径、面積率の評価]
フェライトの平均結晶粒径は、窒化層表面に略垂直な面で部材を切断し、窒化層表面から深さ500μmまでの領域を、鏡面研磨仕上げした後、ナイタールエッチングで組織を現出させ、光学顕微鏡で観察した(観察倍率:200倍)。組織写真を画像解析にかけて、粒内に炭化物を含まない白い部分(初析フェライト部分)の結晶粒の粒径を、面積が等価な円の直径に換算した大きさと評価し(測定個数:各30個)、これを平均化して、フェライトの「平均円相当径」とした。また、フェライトの面積率は、結晶粒径を測定した視野で観察されるフェライト結晶粒の面積率を画像解析して求めた。
【0052】
[硬度分布の評価]
表面から深さ方向に、10μmピッチで最大300μmまで(表面から深さ300μmの位置まで)、荷重:25gf(0.245N)にてビッカース硬さHvを測定した。また表面から深さ方向に100μmの位置でのビッカース硬度Hvと、硬化層での最高硬さも同様に測定した。
【0053】
これらの結果を、下記表3、4に示す。また、試験No.1(発明例)と試験No.23〜25(比較例)について、表面から深さ300μmまでの硬度分布を図2に示す。
【0054】
【表3】

【0055】
【表4】

【0056】
これらの結果から次のように考察することができる。まず試験No.1〜16(表3)のものは、本発明で規定する要件(化学成分組成、フェライト粒径、フェライト面積率)を満足する実施例であり、良好な硬さ分布が達成されると共に、表面粗さRaも小さくなっていることがわかる。
【0057】
これに対し、試験No.17〜29(表4)のものは、本発明で規定する要件(化学成分組成、フェライト粒径、フェライト面積率)のいずれかを満足しないものであり、良好な硬さ分布が達成されないか、或は少なくとも表面粗さRaが大きくなっていることが分る。
【0058】
具体的には、試験No.17のものは、鋼材におけるC含有量が本発明で規定する範囲を超える(過剰な)ものであり、硬化層深さが浅くなると共に、最高硬さが低くなっており、また表面粗さRaも大きくなっている。試験No.18のものは、鋼材におけるSi含有量が過剰なものであり、フェライト粒が粗大化すると共に、フェライト面積率が多くなっており、また表面粗さRaが大きくなっている。
【0059】
試験No.19のものは、鋼材におけるMn含有量が本発明で規定する範囲に満たないものであり、フェライト粒が粗大化すると共に、フェライト面積率が多くなっており、また表面粗さRaが大きくなっている。試験No.20のものは、鋼材におけるMn含有量が過剰なものであり、良好な硬さ分布が達成されず、また表面粗さRaが大きくなっている。
【0060】
試験No.21のものは、鋼材におけるCr含有量が本発明で規定する範囲に満たないものであり、良好な硬さ分布が達成されず、また表面粗さRaが大きくなっている。試験No.22のものは、鋼材におけるCr含有量が本発明で規定する範囲を超えるものであり、良好な硬さ分布が達成されず、また表面粗さRaが大きくなっている。
【0061】
試験No.23のものは、従来の浸炭用鋼(SCr420相当鋼)を用いたものであるが、鋼材におけるAl含有量が本発明で規定する範囲に満たないものであり、良好な硬さ分布が達成されず(図2)、また表面粗さRaが大きくなっている。試験No.24、25のものは、鋼材におけるAl含有量が本発明で規定する範囲を超えるものであり、硬化層における最高硬さが高くなり過ぎると共に(図2)、フェライトの粗大化、フェライト面積率の過剰が生じており、また表面粗さRaも大きくなっている。
【0062】
試験No.26のものは、選択成分であるMoの含有量が好ましい範囲を超えるものであり、硬化層における最高硬さが高くなり過ぎており、また表面粗さRaも大きくなっている。試験No.27〜29のものは、選択成分であるNb,TiおよびVの夫々が過剰に含有されたものであり、硬化層における最高硬さが高くなり過ぎており(試験No.27,28では良好な硬さ分布も達成されず)、また表面粗さRaが大きくなっている。尚、試験No.29のものでは、窒化層にクラックが発生する事態も生じていた。
【0063】
(実施例2)
実施例1に示した鋼種Aの鋼材(表1)について、実施例1と同様にして鋼片を作製した後、大気炉にての加熱温度を変化させる以外は、実施例1と同様にして一辺が60mmの立方体状の各種試験片を得た。次いで、実施例1と同様にして図1に示したリング状試験片を作製して、同様の窒化処理を行なった後、バレル研磨を施し、各試験片の表面粗さRaを粗さ計で3点測定し、その平均を求めた。また、焼入れ(油冷)直後の段階の試験片について、実施例1と同様にしてフェライト粒径、フェライト面積率および硬度分布を評価した。これらの結果を、加熱温度と共に、下記表5に示す(試験No.30〜32)。尚、試験No.32のものは、加熱温度を950℃としたものであり、測定結果は表3に示したもの(試験No.1)と同じである。
【0064】
【表5】

【0065】
この結果から明らかなように、加熱温度をAc3変態点以上の温度とすることによって、フェライト粒径とフェライト面積率が適切な範囲に制御され、表面粗さRaを小さく制御できることがわかる。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
鋼材表面を窒化処理してなる窒化処理摺動部材であって、前記鋼材はC:0.10〜0.40%未満(「質量%」の意味、化学成分については以下同じ)、Si:0.05〜0.35%、Mn:0.20〜1.20%、Cr:0.8〜1.2%、sol.Al:0.3〜0.90%を夫々含有し、残部が鉄および不可避的不純物からなり、且つ表面から深さ500μmまでの領域において、フェライトの面積率が5%以下であると共に、そのフェライト粒径が平均円相当径で30μm以下であることを特徴とする窒化処理摺動部材。
【請求項2】
前記鋼材は、更に、Mo:0.80%以下(0%を含まない)を含有するものである請求項1に記載の窒化処理摺動部材。
【請求項3】
前記鋼材は、更にTi:0.01%以下(0%を含まない)、Nb:0.01%以下(0%を含まない)およびV:0.01%以下(0%を含まない)よりなる群から選ばれる1種以上を含有するものである請求項1または2に記載の窒化処理摺動部材。
【請求項4】
ビッカース硬さが750Hv以上である硬化層の深さが、表面から100μm以上に及ぶと共に、前記硬化層の最高硬さが800Hv以上、1000Hv未満であり、且つ表面粗さRaが0.4μm未満である請求項1〜3のいずれかに記載の窒化処理摺動部材。
【請求項5】
摺動部材が歯車である請求項1〜4のいずれかに記載の窒化処理摺動部材。
【請求項6】
電気自動車に適用されるものである請求項1〜5のいずれかに記載の窒化処理摺動部材。
【請求項7】
請求項1〜3のいずれかに記載の化学成分組成を有するものである窒化処理摺動部材用鋼材。
【請求項8】
請求項1〜6のいずれかに記載の窒化処理摺動部材を製造するに当り、請求項1〜3のいずれかに記載の化学成分組成を有し、表面から深さ500μmまでの領域において、フェライトの面積率が5%以下であると共に、そのフェライト粒径が平均円相当径で30μm以下である鋼材を、所定の形状に加工した後、窒化処理を行なうことを特徴とする窒化処理摺動部材の製造方法。
【請求項9】
請求項1〜6のいずれかに記載の窒化処理摺動部材を製造するに当り、請求項1〜3のいずれかに記載の化学成分組成を有する鋼材を、Ac3変態点以上の温度に30分以上加熱した後、Ms点以下の温度まで臨界冷却速度以上で冷却し、引き続き所定の形状に加工した後、窒化処理を行なうことを特徴とする窒化処理摺動部材の製造方法。

【図1】
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【図2】
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【公開番号】特開2010−270348(P2010−270348A)
【公開日】平成22年12月2日(2010.12.2)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2009−120973(P2009−120973)
【出願日】平成21年5月19日(2009.5.19)
【出願人】(000001199)株式会社神戸製鋼所 (5,860)
【Fターム(参考)】