精神疾患の発症を予防するための組成物、および精神疾患の発症可能性の評価方法
【課題】精神疾患の発症を予防するための組成物、および精神疾患の発症可能性の評価方法を提供する。
【解決手段】不飽和脂肪酸、または少なくとも一つの不飽和脂肪酸を構成脂肪酸としている油脂を含んでいる組成物を提供する。この組成物は、脳組織が未成熟な段階で体内に供給されるように調製されている。また、個体から単離したゲノムDNAを鋳型にFabp7遺伝子を増幅し、該Fabp7遺伝子によってコードされるポリペプチドと、不飽和脂肪酸との間の結合力を測定して、該結合力に基づいて、該個体の精神疾患の発症可能性を評価する。さらに、個体から単離したゲノムDNA上のFabp7遺伝子の塩基配列を決定して、該塩基配列に基づいて、該個体の精神疾患の発症可能性を評価する。
【解決手段】不飽和脂肪酸、または少なくとも一つの不飽和脂肪酸を構成脂肪酸としている油脂を含んでいる組成物を提供する。この組成物は、脳組織が未成熟な段階で体内に供給されるように調製されている。また、個体から単離したゲノムDNAを鋳型にFabp7遺伝子を増幅し、該Fabp7遺伝子によってコードされるポリペプチドと、不飽和脂肪酸との間の結合力を測定して、該結合力に基づいて、該個体の精神疾患の発症可能性を評価する。さらに、個体から単離したゲノムDNA上のFabp7遺伝子の塩基配列を決定して、該塩基配列に基づいて、該個体の精神疾患の発症可能性を評価する。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、精神疾患の発症を予防するための組成物、および精神疾患の発症可能性の評価方法に関するものである。
【背景技術】
【0002】
統合失調症は、思春期以降に発症し、幻聴や妄想など多彩な精神症状を呈する精神疾患の1つであり、世界中で人口の約1%が罹患すると言われている。
【0003】
また、両親の何れかが統合失調症を発症した場合、その子供の発症率は約10%となる。このように、統合失調症の発症には遺伝的要因が存在していると考えられる。ただし、一卵性双生児の一方が発症した場合でも、他方の40%は統合失調症を発症しない。このように、完全に遺伝的な要因によって統合失調症の発症が決まるわけではなく、遺伝的要因と環境的要因の両方が存在していると考えられる。
【0004】
また、統合失調症の患者は、精神症状の他に周囲の不必要な雑音などを意識外にシャットアウトする感覚フィルター機能が弱まっていることが知られており、このことが集中困難を引き起こす原因の一つと考えられている。感覚フィルター機能は、プレパルス抑制という基準を用いて生理学的に検査することができる。統合失調症やその家族の一部ではプレパルス抑制が低下しており、プレパルス抑制は、統合失調症の発症可能性に関係すると考えられる。なお、プレパルス抑制の障害は、双極性感情障害(躁うつ病)、強迫性障害(強迫神経症)、注意欠陥多動性障害(ADHD)、トゥレット症候群、およびハンチントン病にも関与していることが知られており、多くの精神疾患に共通することが示唆されている(非特許文献1および4参照)。
【0005】
さらに、ダッチハンガーウィンターおよび中国における痛ましい事件を通じて、妊娠中の母親が飢饉にさらされると、子供の統合失調症の発症率が2倍に増加することが知られている。しかしながら、妊娠中の母親において、具体的にどの栄養素が欠乏すると、子供の統合失調症の発症率が悪化するのかについての知見は全くなかった。
【0006】
統合失調症を治療するための薬剤としては、ドーパミンの作用を阻害するとされる向精神薬が一般的であり、近年では、セロトニンまたはグルタミン酸を標的とする薬剤も開発されている。
【非特許文献1】Swerdlow NR, Geyer MA. (1998). Using an animal model of deficient sensorimotor gating to study the pathophysiology and new treatments of schizophrenia. Schizophr Bull. 24: 285-301.
【非特許文献2】Coti Bertrand P, O’Kusky JR, Innis SM (2006) Maternal dietary (n-3) fatty acid deficiency alters neurogenesis in the embryonic rat brain. J Nutr 136: 1570-1575.
【非特許文献3】Xu LZ, Sanchez R, Sali A, Heintz N (1996) Ligand specificity of brain lipid-binding protein. J Biol Chem 271: 24711-24719.
【非特許文献4】Perry W, Minassian A, Feifel D, Braff DL. (2001). Sensorimotor gating deficits in bipolar disorder patients with acute psychotic mania. Biol Psychiatry 50: 418-24.
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
しかし、従来の薬剤では、統合失調症の症状を完全に回復させることはできない。さらに、統合失調症の発症を予防するための技術は全く知られていなかった。また、統合失調症を初めとする精神疾患の発症の予防の要否を判定するための技術も求められている。
【0008】
本発明は上記課題に鑑みてなされたものであり、統合失調症を初めとする精神疾患の発症を予防する技術、および精神疾患の発症可能性を評価する技術を提供することを目的としている。
【課題を解決するための手段】
【0009】
本発明者らは、上記課題を解決するために鋭意検討を行い、まず、Fabp7(BLBPとも称される)遺伝子がプレパルス抑制に関与する遺伝子であることを見出した。プレパルス抑制は、周囲の不必要な雑音などを意識外にシャットアウトする感覚フィルター機能の指標であり、これを改善することで、集中力の向上を導くこともできる。また、プレパルス抑制は、上述したようにさまざまな精神疾患の指標となっており、これを改善することは、精神疾患の治療または予防に繋がる蓋然性が高い。
【0010】
そして、さらに検討を行った結果、本発明者らは、プレパルス抑制を改善するためには、脳組織が未成熟な段階、特に、脳が完成されていない胎児の段階においてより多くのFABP7タンパク質が機能していることが好ましいことを見出した。FABP7タンパク質は、長鎖脂肪酸と結合してその機能を示すことが知られている(非特許文献2および3参照)。
【0011】
本発明者らは、以上の知見に基づき、脳組織が未成熟な段階で長鎖脂肪酸が体内に供給されれば精神疾患の発症を予防し得ることを見出し、本発明を完成させた。
【0012】
本発明に係る組成物は、精神疾患の発症を予防するための組成物であって、(a)長鎖脂肪酸、または(b)少なくとも一つの長鎖脂肪酸を構成脂肪酸としている油脂を含んでおり、脳組織が未成熟な段階で体内に供給されるように調製されていることを特徴としている。上記長鎖脂肪酸は、不飽和脂肪酸であることがより好ましく、ω3不飽和脂肪酸であることがさらに好ましく、ドコサヘキサエン酸であることがなおさらに好ましい。
【0013】
妊娠中の母体が脂肪酸を摂取することにより、脂肪酸が胎児に供給され得ることが知られている(非特許文献2参照)。すなわち、長鎖脂肪酸が妊娠中の母体に投与されれば、長鎖脂肪酸が胎児に供給されて胎児の生後における精神疾患の発症が予防され得る。このように、本発明に係る組成物は、経胎盤投与される態様(母体を介して胎児に供給される態様)に調製されていてもよい。
【0014】
本発明に係る組成物は、統合失調症、双極性感情障害、強迫性障害、注意欠陥多動性障害、トゥレット症候群、およびハンチントン病からなる群より選ばれる精神疾患の発症を予防するために好適に用いることができる。
【0015】
本発明に係る組成物は、プレパルス抑制を改善するための組成物であって、(a)長鎖脂肪酸、または(b)少なくとも一つの長鎖脂肪酸を構成脂肪酸としている油脂を含んでおり、脳組織が未成熟な段階で体内に供給されるように調製されていることを特徴としている。上記長鎖脂肪酸は、不飽和脂肪酸であることがより好ましく、ω3不飽和脂肪酸であることがさらに好ましく、ドコサヘキサエン酸であることがなおさらに好ましい。
【0016】
上述したように、長鎖脂肪酸が妊娠中の母体に投与されれば、長鎖脂肪酸が胎児に供給されるので、胎児の(およびその生後においても)プレパルス抑制が改善され得る。このように、本発明に係る組成物は、経胎盤投与される態様(母体を介して胎児に供給される態様)に調製されていてもよい。
【0017】
本発明に係る評価方法は、精神疾患の発症可能性の評価方法であって、個体から単離したゲノムDNAを鋳型にFabp7遺伝子を増幅する工程と、増幅した該Fabp7遺伝子によってコードされるポリペプチドを生成する工程と、該ポリペプチドと長鎖脂肪酸との間の結合力を測定する工程と、測定された該結合力に基づいて、該個体の精神疾患の発症可能性を評価する工程とを包含することを特徴としている。
【0018】
本発明に係る評価方法は、統合失調症、双極性感情障害、強迫性障害、注意欠陥多動性障害、トゥレット症候群、およびハンチントン病からなる群より選ばれる精神疾患の発症可能性の評価方法として好適に用いることができる。
【0019】
本発明に係る評価方法では、上記長鎖脂肪酸が、不飽和脂肪酸であることがより好ましく、ω3不飽和脂肪酸であることがさらに好ましく、ドコサヘキサエン酸であることがなおさらに好ましい。
【0020】
本発明に係る評価方法はまた、個体から単離したゲノムDNA上に存在するFabp7遺伝子の少なくとも一部の塩基配列を決定する工程と、決定された該塩基配列に基づいて、該個体またはその子孫の精神疾患の発症可能性を評価する工程とを包含するものであってもよい。
【0021】
本発明に係る組成物はまた、精神疾患の発症を予防するための組成物であって、(a)長鎖脂肪酸、または(b)少なくとも一つの長鎖脂肪酸を構成脂肪酸としている油脂を含んでおり、本発明に係る評価方法により精神疾患の発症可能性が高いと評価された個体に対して、脳組織が未成熟な段階で体内に供給されるように調製されているものであってもよい。
【発明の効果】
【0022】
本発明に係る組成物は、長鎖脂肪酸、または少なくとも一つの長鎖脂肪酸を構成脂肪酸としている油脂を含んでおり、脳組織が未成熟な段階で体内に供給されるので、精神疾患の発症を予防することができる。特に、本発明に係る組成物が妊娠中の母体に投与される場合は、胎児の生後における精神疾患の発症を予防することができる。
【0023】
本発明に係る組成物はまた、長鎖脂肪酸、または少なくとも一つの長鎖脂肪酸を構成脂肪酸としている油脂を含んでおり、脳組織が未成熟な段階で体内に供給されるので、プレパルス抑制を改善することができる。特に、本発明に係る組成物が妊娠中の母体に投与される場合は、胎児の生後におけるプレパルス抑制を改善することができる。
【0024】
また、本発明に係る評価方法を用いれば、精神疾患の発症可能性を評価することができる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0025】
(1:組成物)
本発明に係る組成物は、長鎖脂肪酸、または少なくとも一つの長鎖脂肪酸を構成脂肪酸としている油脂を含んでいる。本明細書において、用語「組成物」は、各種成分が一物質中に含有されている形態を指す。
【0026】
本明細書において、長鎖脂肪酸とは炭素数が8以上の脂肪酸を指し、パルミチン酸、ステアリン酸等の飽和脂肪酸、およびドコサヘキサエン酸、アラキドン酸等の不飽和脂肪酸を含む。これらの長鎖脂肪酸は、メチル化等の修飾を受けていてもよい。また、遊離形態であってもよいし、エステル化されていてもよい。すなわち、少なくとも一つの長鎖脂肪酸がグリセリドとエステル結合してなる、長鎖脂肪酸を構成脂肪酸の少なくとも一つとする油脂の形態であってもよい。このような油脂は、生体内において容易に加水分解され、所定の不飽和脂肪酸を供給することができる。なお、油脂には、トリグリセリドおよびリン脂質が含まれる。
【0027】
長鎖脂肪酸の中でも、不飽和脂肪酸、特にドコサヘキサエン酸等のω3不飽和脂肪酸を好適に用いることができる。ω3不飽和脂肪酸は、FABP7タンパク質に対する親和性が高いことが知られている(非特許文献3参照)。なおω3不飽和脂肪酸とは、脂肪酸末端から最も近い二重結合を有する炭素までの炭素数(脂肪酸末端の炭素を含む)が3である不飽和脂肪酸を指す。
【0028】
本発明に係る組成物は、脳組織が未成熟な段階で体内に供給される。これにより、プレパルス抑制(PPI)の改善、または精神疾患の発症の予防を行うものである。
【0029】
プレパルス抑制とは、上述したように感覚フィルター機能の指標である。ヒトでも動物でも大きな音刺激を与えると驚愕反射が起こるが、大きな音刺激(パルス)の直前(例えば0.1秒直前)に小さな音刺激(プレパルス;それ自身では驚愕反射を引き起こさない程度の小さな音)を与えると、大きな音刺激に伴う驚愕反射が抑制される。この現象をプレパルス抑制と呼び、プレパルスを与えなかった場合の驚愕反射の大きさをaとし、プレパルスを与えた場合の驚愕反射の大きさをbとしたときに、(a−b)/a×100(%)として与えられる値である(図1参照)。
【0030】
本発明に係る組成物を、長鎖脂肪酸を脳が完成されていない胎児に対して供給することができる。そして、脳が完成されていない胎児に対して長鎖脂肪酸を供給することにより、胎児のFABP7タンパク質の機能を亢進する。後述する実施例において示すように、Fabp7は、プレパルス抑制に関与する遺伝子であり、脳が完成されていない時期にその作用を亢進させることにより、胎児の生後におけるプレパルス抑制を改善することができる。そして、プレパルス抑制の悪化は、統合失調症、双極性感情障害(躁うつ病)、強迫性障害(強迫神経症)、注意欠陥多動性障害(ADHD)、トゥレット症候群、およびハンチントン病等の精神疾患の指標となり得ることから、胎児の生後におけるプレパルス抑制を改善することは、胎児に対するこれらの精神疾患の予防となり得る。本発明に係る組成物は、上記精神疾患のうち、特に統合失調症を予防するために好適に用いることができる。
【0031】
本明細書において、脳組織が未成熟な段階とは、脳細胞の数が変化し得る段階を意味する。例えば、ヒトの脳であれば、受精後2週間から脳の形成が始まり、受精後40日後に大脳、小脳、脳幹等への分化が開始される。そして受精後9ヶ月には外観が成人の脳とほぼ同様になり、出生後1〜2ヶ月以降は、脳細胞の数は増加しない。
【0032】
なお、本発明に係る組成物を、脳組織が未成熟な段階で体内に供給するためには、例えば、胎児に対して、妊娠中の母体を介して、経胎盤投与することが好ましい。また、生後1〜2ヶ月までの乳児に対して、経口または非経口により投与することもできる。具体的には、例えば、ミルクに混ぜて投与すればよい。
【0033】
妊娠中の母体を介した経胎盤投与は、具体的には、母体に対して経口または非経口により本発明に係る組成物を投与することによって行うことができる。本発明に係る組成物が母体に投与すれば、母体内で消化吸収されて、胎盤を介して胎児の体内に供給することができる。
【0034】
また、本発明に係る組成物は、後述する本発明に係る個体またはその子孫の精神疾患の発症可能性を評価する方法を用いた結果、該発症可能性が高いと評価された個体に対して投与されるように調製されていることがさらに好ましい。
【0035】
本発明に係る組成物は、長鎖脂肪酸、または少なくとも一つの長鎖脂肪酸を構成脂肪酸としている油脂を含んでおり、かつ、経口投与または非経口投与が都合よく行われるものであればどのような形態のものであってもよい。すなわち、本発明に係る組成物の形態としては、例えばパン類、ケーキ類、クッキー類、パイ類、パスタ類などの固形食品、ジュース等の飲料等の食品形態であってもよいし、注射液、輸液、シロップ剤、散剤、顆粒剤、錠剤、カプセル剤、腸溶剤、トローチ等の薬品形態であってもよい。
【0036】
本発明に係る組成物は、長鎖脂肪酸、または少なくとも一つの長鎖脂肪酸を構成脂肪酸としている油脂以外に他の成分を含有してもよい。目的に応じて、食品または医薬の製剤技術分野において通常使用し得る公知の添加剤を添加することができる。このような添加剤としては、賦形剤、結合剤、崩壊剤、滑沢剤、矯味剤、安定化剤等を挙げることができるが、特に限定されるものではない。より具体的には、上記組成物が固形状の場合には、例えば、乳糖、ブドウ糖、ショ糖、マンニットなどの賦形剤;澱粉、アルギン酸ソーダなどの崩壊剤;ステアリン酸マグネシウム、タルクなどの滑沢剤;ポリビニールアルコール、ヒドロキシプロピルセルロース、ゼラチンなどの結合剤;脂肪酸エステルなどの界面活性剤;グリセリンなどの可塑剤などの添加剤を上記組成物中に含有させることができる。
【0037】
また、上記組成物が液体の場合には、例えば、水、ショ糖、ソルビット、果糖などの糖類;ポリエチレングリコール、プロピレングリコール等のグリコール類;ごま油、オリーブ油、大豆油などの油類;p−ヒドロキシ安息香酸エステル類などの防腐剤などの添加剤を製剤中に含有させることができる。
【0038】
上記組成物の投与経路は特に限定されるものではなく、経口投与または非経口投与のいずれでもよい。服用の容易性の点から経口投与が可能であることが好ましい。また、上記組成物の投与量は、投与経路、該組成物の形態、上記母体の年齢もしくは体重などによって適宜設定されるものであり特に限定されるものではない。
【0039】
上記長鎖脂肪酸、または長鎖脂肪酸を構成脂肪酸としている油脂は、植物油脂、動物油脂中に多く含まれる。特にイワシ、アジ、サバ、サケ、ニシン等の魚油は、ω3不飽和脂肪酸、およびω3不飽和脂肪酸を構成脂肪酸とする油脂を多く含むことが知られており、本発明に好適に用いることができる。また、上述したような長鎖脂肪酸は市販されており、これらを購入してもよい。すなわち、長鎖脂肪酸を取得し得ればよいのであって、その方法は特に限定されない。
【0040】
(2:評価方法)
本発明はまた、精神疾患の発症可能性の評価方法を提供する。本発明に係る評価方法は、個体から単離したゲノムDNAを鋳型にFabp7遺伝子を増幅する工程と、増幅した該Fabp7遺伝子によってコードされるポリペプチドを生成する工程と、該ポリペプチドと長鎖脂肪酸との間の結合力を測定する工程と、測定された該結合力に基づいて、該個体またはその子孫の精神疾患の発症可能性を評価する工程とを包含している。
【0041】
上記個体は、ヒト、および非ヒトを含む動物を指し、生体、胎児、受精卵等を含む。個体からのゲノムDNAの単離は、常法に従えばよく、組織、血液、細胞等を採取してDNAを抽出すればよい。
【0042】
単離したゲノムDNAを鋳型にしたFabp7遺伝子の増幅は、例えば、周知慣用のPCR法を用いればよい。例えば、ヒトのFabp7遺伝子のアクセッション番号はNM_001446であり、配列番号1に示す塩基配列を有している。また、マウスのFabp7遺伝子のアクセッション番号はNM_021272であり、配列番号2に示す塩基配列を有している。これらの情報に基づけば、当業者は容易にFabp7遺伝子を増幅するための適切なプライマーを設計するができる。具体的には、例えば、各生物のFabp7遺伝子の両端付近の15〜30bpに対応する塩基配列からなる一本鎖オリゴヌクレオチドを、上記プライマーとして好適に用いることができる。
【0043】
上記増幅したFabp7遺伝子によってコードされるポリペプチドの生成は、例えば、該Fabp7遺伝子を組換え発現ベクターに組み込んだ後、公知の方法により発現可能な宿主に導入し、宿主内で翻訳されて得られるポリペプチドを精製すればよい。発現ベクターは、外来ポリヌクレオチドを発現するように宿主内で機能するプロモーターを組み込んであることが好ましい。組換え的に産生されたポリペプチドを精製する方法は、用いた宿主、ポリペプチドの性質によって異なるが、周知の方法(例えば、硫安沈殿またはエタノール沈殿、酸抽出、陰イオンまたは陽イオン交換クロマトグラフィー、ホスホセルロースクロマトグラフィー、疎水性相互作用クロマトグラフィー、アフィニティークロマトグラフィー、ヒドロキシアパタイトクロマトグラフィー、およびレクチンクロマトグラフィー)を用いることができる。
【0044】
生成したポリペプチドと、長鎖脂肪酸との間の結合力の測定は、例えば、増幅したFabp7遺伝子によってコードされるポリペプチドを合成して、長鎖脂肪酸とともにインキュベートし、これを、FABP7タンパク質と長鎖脂肪酸とが結合したものと、遊離した長鎖脂肪酸とに分離して、それぞれのモル濃度を測定することにより、質量作用の法則に基づいて結合定数Kaを求めることにより行い得る(非特許文献3参照)。
【0045】
本発明に係る評価方法において用いる長鎖脂肪酸は、不飽和脂肪酸であることがより好ましく、FABP7タンパク質との親和性が高いことが知られているω3不飽和脂肪酸であることがさらに好ましく、FABP7タンパク質の天然のリガンドとして考えられているドコサヘキサエン酸であることがなおさらに好ましい。
【0046】
FABP7タンパク質と長鎖脂肪酸とが結合したものと、遊離した長鎖脂肪酸との分離は、例えば、脂質のみを吸着するカラムを用いればよく、例えば、Lipidex1000等のヒドロキシアルキル基を有するセファデックスカラムを通し、FABP7タンパク質と長鎖脂肪酸とが結合したものをKPiバッファー等の溶出バッファーにより溶出し、遊離した長鎖脂肪酸をメタノール等で溶出することにより、該分離を行うことができる。
【0047】
上記結合力の測定はまた、周知慣用のアクリロダン標識脂肪酸結合腸タンパク質(ADIFAB)、または周知慣用の等温滴定熱量測定法を用いて行うこともできる。
【0048】
測定された結合力に基づいた、個体またはその子孫の精神疾患の発症可能性の評価は、該結合力が高いほど、FABP7の活性が高まっていると考えられるので、プレパルス抑制も高く、精神疾患の発症可能性は低いと評価することができる。一方、上記結合力が低い場合は、FABP7の活性が弱くいと考えられるので、プレパルス抑制が低く、精神疾患の発症可能性が高いと評価することができる。この評価は、例えば、上記のように求めた結合定数Kaに基づいて、定性的または定量的に行うことができる。また、本発明に従って、一個体において精神疾患の発症可能性が高いと評価した場合、その子孫においても精神疾患の発症可能性が高いと評価することができる。
【0049】
本発明に係る評価方法は、統合失調症、双極性感情障害(躁うつ病)、強迫性障害(強迫神経症)、注意欠陥多動性障害(ADHD)、トゥレット症候群、およびハンチントン病等の精神疾患の発症可能性の評価に用いることができるが、特に、統合失調症の発症可能性の評価に好適に用いることができる。
【0050】
本発明に係る他の評価方法として、個体から単離したゲノムDNA上に存在するFabp7遺伝子の少なくとも一部の塩基配列を決定する工程(a)と、決定された該塩基配列に基づいて、該個体またはその子孫の精神疾患の発症可能性を評価する工程(b)とを包含する評価方法を挙げることができる。
【0051】
工程(a)では、個体またはその子孫の精神疾患の発症可能性を評価するための塩基配列の情報を得られればよく、具体的には、Fabp7遺伝子の発現量、またはFabp7遺伝子によってコードされるFABP7タンパク質とドコサヘキサエン酸のような長鎖脂肪酸との間の結合力を予測するための情報を得られればよく、さらに具体的には、これに限定されるものではないが、FABPタンパク質とドコサへキサエン酸との結合力を変化させる、FABP7タンパク質の61番目のスレオニンを置換し得るSNP部位を含む塩基配列の情報を得られればよい。
【0052】
また、工程(a)において用いる手法は特に限られないが、周知慣用の塩基配列決定手法を用いればよく、ダイレクトシーケンス法その他の塩基配列を決定する定法を用いることができる。なお、上記評価を特定の遺伝子多型を指標に行う場合には、該遺伝子多型を含む近傍の配列のみを決定すればよい。また、インベーダー法、TaqMan PCR法等の一塩基多型(SNP)その他の遺伝子多型の検出をする定法を採用することもできる。
【0053】
工程(b)において、個体またはその子孫の精神疾患の発症可能性の評価は、工程(a)において得た塩基配列情報に基づいて、Fabp7遺伝子の発現量、またはFabp7遺伝子によってコードされるFABP7タンパク質とドコサヘキサエン酸のような長鎖脂肪酸との間の結合力を予測して、その予測に基づいて、個体またはその子孫の精神疾患の発症可能性を評価する。具体的には、健常者と比較して、Fabp7遺伝子の発現量が変化している場合(例えば、脳が未成熟な段階において発現量の減少している場合、もしくは成人において発現量が増加している場合等)、またはFABP7タンパク質とドコサヘキサエン酸(DHA)との間の結合力が低下する場合には、該個体又は該個体を親とする後代の精神疾患の発症可能性が高いと評価される。
【0054】
Fabp7遺伝子の発現量を予想する方法は特に限定されるものではないが、具体的には例えば、その遺伝子の発現に影響を与える遺伝子多型の有無にて予想をする方法を例示することが出来る。なお、例えば遺伝子のイントロン領域、エンハンサー領域等における遺伝子多型はタンパク質のアミノ酸配列自体に変異を生じさせないものの、その産生量(遺伝子の発現量)を大きく変化させる例があることは周知の事実である。
【0055】
また、FABP7タンパク質とドコサヘキサエン酸(DHA)との間の結合力を予測する方法としては、例えば、前述の方法により野生型並びに変異型のFABP7タンパク質とドコサヘキサエン酸(DHA)との間の結合力を実測したデータを蓄積し、そのデータテーブル並びに工程(a)にて決定した塩基配列情報を参照することにより行うことが出来る。また、実施例にて後述するように、遺伝子の変異がある場合に、FABP7タンパク質の立体構造情報を参照して、その変異がFABP7タンパク質におけるDHAとの結合領域の構造変化を引き起こすものであるかどうかを指標として行うことができる。
【0056】
本発明は上述した各実施形態に限定されるものではなく、請求項に示した範囲で種々の変更が可能であり、異なる実施形態にそれぞれ開示された技術的手段を適宜組み合わせて得られる実施形態についても本発明の技術的範囲に含まれる。
【0057】
また、本明細書中に記載された学術文献および特許文献の全てが、本明細書中において参考として援用される。
【0058】
以下、実施例によって本発明をさらに詳しく説明するが、これは本発明を何ら限定するものではない。
【実施例】
【0059】
〔実施例1:プレパルス抑制に関するQTL解析〕
プレパルス抑制を指標としたマウスのQTL解析を行った。
【0060】
マウスのプレパルス抑制(PPI)は、図1に示すように測定した。すなわち、プラットフォーム上に固定したマウスに対して音刺激を与え、該音刺激に対する該マウスの体動(筋反射)の大きさを測定した。このとき、プレパルスを与えなかった場合の驚愕反射の大きさをaとし、プレパルスを与えた場合の驚愕反射の大きさをbとしたときに、(a−b)/a×100(%)としてプレパルス抑制を測定した。測定器具は、Med Associates社から購入した。
【0061】
図2は、プレパルス抑制の測定についてのさらに詳しい説明図である。図2に示すように、プレパルス抑制の測定は、10分の順応期間をおいた後開始する。50ミリ秒の無音の後、20ミリ秒のプレパルス音(0(プレパルスなし)、72、74、78、82、または86dB)を与え、100ミリ秒おいてから、40msのパルス音(120dB)を与えた。その後の100ミリ秒間、驚愕反射の測定を行った。このときのパルス音から驚愕反射までの時間を以後潜時と称する。以上を一回のトライアルとし、10〜20秒開けて、複数回トライアルを行った。
【0062】
まず、複数のマウス系統に対し、プレパルス抑制を計測して、系統として、プレパルス抑制の値が安定している系統のうち、プレパルス抑制が大きい系統B6(C57BL/6NCrlCrlj、日本チャールズリバー研究所)およびプレパルス抑制が小さい系統C3(C3H/HeNCrlCrj、日本チャールズリバー研究所)を得た。図3に示すように、B6およびC3は、生後7週間後および生後12週間後の両方でほぼ同様のプレパルス抑制を示しており、生後7週間後〜生後12週間後の期間において、プレパルス抑制が安定していると考えられる。そのため、以後のプレパルス抑制の測定は、生後8〜9週間後において実施した。
【0063】
次に、B6のメスとC3のオスとを掛け合わせ、1010のF2個体を得た(497匹のオスおよび513匹のメス)。これらのF2個体に対し、プレパルス抑制を測定するとともに、各F2個体の遺伝子型を、Dietrich WF, Miller J, Steen R, Merchant MA, Damron-Boles D et al. (1996) A comprehensive genetic map of the mouse genome. Nature 380: 149-152.に基づいた公知のマイクロサテライトマーカーにより判別して、QTL解析を行った。遺伝子型の判別には、3730xlDNAアナライザー(Applied Biosystems社)および蛍光標識されたプライマーによるPCR法を用いた。なお、上記QTL解析では、プレパルス音の大きさを変化させたときの結果に加えて、驚愕反射そのものの大きさ(ASR)および潜時(Latency)についても解析を行った。
【0064】
QTL解析は、まず、CIM(composite interval mapping)法を用いて第1段階のQTL解析を行った後、第1段階において有意なロッドスコアを示した染色体(染色体1、3、7、10、および13)について、第2段階のQTL解析を行った。
【0065】
第2段階のQTL解析では、MIM(multiple interval mapping)法を用いて、オスのマウスと、メスのマウスとでデータを分けて解析を行った。メスについての結果を図4に、オスについての結果を図5に示す。
【0066】
図4に示すように、メスにおいては、染色体10にピークが存在することが判るが、その位置についてはあいまいな結果しか得られなかった。一方、図5に示すように、オスについて解析を行ったことによって、鋭いピークが得られた。
【0067】
ピーク内に存在した30の遺伝子の中から、本発明者らは、独自の観点に基づきFabp7について解析を進めた。Fabp7遺伝子は、コード領域においてC3マウスとB6マウスとで配列に差がなく、プレパルス抑制の責任遺伝子ではない可能性が高かったが、本発明者らは、独自の直感に基づいて解析を進めたところ、後述するように、相補性試験によって、Fabp7がプレパルス抑制の責任遺伝子であることを立証した(図10)。
【0068】
〔実施例2:Fabp7の発現の解析〕
Fabp7遺伝子について、さまざまな脳部位および発達段階について発現を測定した。結果を図6に示す。なお、図中、CXは大脳皮質、FCは前頭葉、HPは海馬、CEは小脳、OBは嗅脳、E16は胎生16日目、P0は生後直後、P7は生後7日目、Adult(8W)は生後8週齢、*は統計的な有意差(P<0.05)を示す。図6に示すように、前頭葉において、生後7日目にはC3系統のマウスよりもB6系統のマウスの方が、Fabp7の発現量が多くなるが、生後8週齢では、C3系統のマウスの方が多くなる。
【0069】
前頭葉は統合失調症に関与していることが知られており、B6系統のマウスと、C3系統のマウスとのプレパルス抑制の違いも、生後7日目におけるFabp7の発現量の違いに起因する蓋然性が高い。
【0070】
なお、マウスは脳が完成していない状態で出産されるので、脳の発達段階の観点からみれば、生後7日目はヒトではまた胎内にいる状態に対応する。
【0071】
したがって、上記事実は、不飽和脂肪酸を胎児に供給することにより、胎児の生後におけるプレパルス抑制を改善することができるという本発明者らの考えを支持するものである。
【0072】
図7は、胎生16日目(E16)、および生後直後(P0)の脳の前額断切片を、FABP7タンパク質の抗体で染色したものを示す図である。図7に示すように、胎生16日目および生後直後においてFABP7タンパク質が多量に発現しており、特に、脳室周囲(神経新生が盛んな場所)に多くみられる。
【0073】
図8は、胎生15日目(E15)、生後直後(P0)、および生後70日目(P70)における脳でのFabp7mRNAの発現をノーザンブロット解析により解析した結果を示す図である。Gapdhはコントロールを示す。図8に示すように、Fabp7mRNAの発現は、次第に減少し、生体では殆ど見られない。
【0074】
以上のように、FABP7タンパク質は、神経新生に関わっていることが示唆される。このことは、未完成の脳において、FABP7タンパク質が働くことが特に有用であるという本発明者らの考えと矛盾しない。
【0075】
〔実施例3:Fabp7ノックアウトマウスの解析〕
Fabp7ノックアウトマウスをB6系統のマウスから周知慣用の方法により作成した。上記ノックアウトマウスのプレパルス抑制(PPI)を測定し、野生型B6系統のマウスと比較した結果を図9に示す。図9に示すように、Fabp7ノックアウトマウスは、プレパルス抑制が減少していた。
【0076】
次に、Fabp7が確かに、上記QTL解析におけるピークの責任遺伝子であったことを確かめるために、相補性試験を実施した。具体的には、野生型のB6系統のマウス(Q/Qと表記)、野生型のB6系統のマウスとC3系統のマウスとを掛け合わせたもの(Q/qと表記)、野生型のB6系統のマウスとFabp7ノックアウトマウスとを掛け合わせたもの(Q/−と表記)、およびC3系統のマウスとFabp7ノックアウトマウスとを掛け合わせたもの(q/−と表記)を準備し、プレパルス抑制(PPI)を測定した。このとき、[(Q/Q)のPPI−(Q/−)のPPI]が、[(Q/q)のPPI−(q/−)のPPI]と有意に異なれば、Fabp7が上記ピークに関与していると判断できる。図10に結果をしめす。図10に示すように、有意な差が見られ、Fabp7が確かに上記ピークに関与していることが立証された。
【0077】
なお、Fabp7ノックアウトマウスは、図11に示すように、潜時についても、野生型に比べ有意な差を有していた。
【0078】
統合失調症の病態仮説として、NMDA受容体介する神経伝達が低下しているとする「NMDA低下仮説」がある。その根拠の1つは、NMDA受容体拮抗作用をもつフェンサイクリジンが、特に反復摂取により統合失調症症状を引き起こし、また統合失調症患者が摂取すると病状が悪化するという事実がある。そこで、フェンサイクリジンと同じ作用を有するMK−801をFabp7ノックアウトマウスに反復投与して結果を観察した。図12にその結果を示す。図12の縦軸は誘発行動量を示し、横軸はMK−801投与後の時間を示す。図12に示すように、その結果、誘発行動量が野生型マウスに比較して増強した。このことはFabp7ノックアウトマウスがヒト統合失調症同様、NMDA受容体拮抗薬に感受性が高いということを示し、Fabp7が統合失調症に関与しているという本発明者らの考えを支持する。
【0079】
C3系統のマウスでは、生後7日目という脳の完成前段階にある前頭葉でFabp7遺伝子の発現が下がっていたが、このことが成体期におけるプレパルス抑制の低下にどのように結びつくのかを調査した。
【0080】
Fabp7ノックアウトマウスを用いて神経新生の程度を評価したところ、Fabp7遺伝子の破壊によって脳における神経新生は低下していることが判明した。図13は、野生型と、ノックアウトマウスとの脳の各部位の比較を示す図である。A〜Cは、生後4週間目の海馬歯状回の様子を示す写真であり、AではGFAP(神経幹細胞/初期前駆細胞のマーカー)の発現を示し、BではPSA−NCAM(後期前駆細胞のマーカー)の発現を示す。何れも、ノックアウトマウスにおいて発現が減少している。また、Cでは、BrdU(5−ブロモ−2’−デオキシウリジン、新生細胞のマーカー)の発現を示し、Dは、BrdUを発現している細胞の数を示す。C〜Dに示すように、ノックアウトマウスにおいて新生細胞の減少が見られる。
【0081】
以上の結果から、Fabp7遺伝子の発現が脳の発達期に低下していると、神経細胞の増殖の低下をきたし、成長後の神経ネットワークに変化をきたし、その変化が基盤となってプレパルス抑制の低下が生じることが示唆された。
【0082】
〔実施例4:ヒトにおけるFabp7の解析〕
図14は、統合失調症を発症したアメリカ人の死後脳におけるFabp7遺伝子の発現を示す。3つのグラフは、Fabp7に対するコントロールをそれぞれGAPD、ACTB、またはPGK1に換えて表したものである。図14に示すように、成人の統合失調症の患者の脳では、C3系統のマウスがそうであったように、Fabp7の発現が増加していた。このことは、マウスとヒトとで同様の機構が働くことを示唆している。
【0083】
なお、上記Fabp7の発現の増加が、服用していた薬による影響かどうか検討するために、マウスに向精神薬ハロリドベール(統合失調症の治療薬:主たる薬理作用は、神経伝達物質であるドーパミンの受容体の阻害である)を慢性に投与してFabp7遺伝子の発現を調べたが、薬によって発現が増加することはなかった(図15)。したがって、Fabp7遺伝子の発現変化は疾患によるものと考えられる。
【0084】
次に、Fabp7遺伝子のゲノム上の個人差が統合失調症の発症に影響するかどうかを、Fabp7遺伝子のSNPを調べることによって検討した。その結果、アミノ酸変化を伴うSNPを含むFabp7遺伝子の領域が、日本人の統合失調症の発症に関連していることが分かった(図16)。
【0085】
図16の上図は、Fabp7遺伝子のゲノム構造とSNPの位置を表している。下図は、Fabp7遺伝子のゲノム領域のうち、SNP3、SNP4、SNP5、およびSNP6からなるBlock2が統合失調症に関連していることを示す。SNP3は、61番目のスレオニンがメチオニンに置換するSNPで、特に関連が強い。図17は、Fabp7タンパク質の結晶構造を示す模式図である。図17に示すように、61番目のスレオニンは、ドコサヘキサエン酸(DHA)が結合する部位の近くにあり、そのアミノ酸が変化すると、DHAに対する親和性が変化する可能性がある。
【0086】
以上のように、日本人統合失調症の場合、FABP7タンパク質とドコサヘキサエン酸との結合の強さの違いが疾患感受性に影響を与えている可能性が考えられる。以上のことから、Fabp7遺伝子は脳での発現レベルの変化やゲノム上のSNPによって、統合失調症のなりやすさに効果を及ぼしていると考えられる。
【産業上の利用可能性】
【0087】
本発明は、食品および薬品の製造分野および遺伝子診断の分野において利用することができる。
【図面の簡単な説明】
【0088】
【図1】マウスのプレパルス抑制の測定方法を説明する図である。
【図2】プレパルス抑制の測定方法を詳細に説明する図である。
【図3】B6系統のマウスと、C3系統のマウスのプレパルス抑制を比較するグラフである。
【図4】メスのマウスについてのQTL解析の結果を示す図である。
【図5】オスのマウスについてのQTL解析の結果を示す図である。
【図6】Fabp7遺伝子の、さまざまな脳部位および発達段階における発現の測定結果を示すグラフである。
【図7】脳の前額断切片を、FABP7タンパク質の抗体で染色したものを示す写真である。
【図8】脳でのFabp7mRNAの発現を示す写真である。
【図9】プレパルス抑制について、Fabp7ノックアウトマウスとB6系統のマウスとを比較するグラフである。
【図10】相補性試験の結果を示す図である。
【図11】潜時について、Fabp7ノックアウトマウスとB6系統のマウスとを比較するグラフである。
【図12】MK−801投与後の誘発行動量について、Fabp7ノックアウトマウスとB6系統のマウスとを比較するグラフである。
【図13】野生型と、ノックアウトマウスとの脳の各部位の比較を示す図である。
【図14】統合失調症を発症したアメリカ人の死後脳におけるFabp7遺伝子の発現を示すグラフである。
【図15】マウスに向精神薬を投与した結果を示すグラフである。
【図16】統合失調症の日本人患者におけるFabp7遺伝子のSNPを示す図である。
【図17】FABP7タンパク質の結晶構造を示す模式図である。
【技術分野】
【0001】
本発明は、精神疾患の発症を予防するための組成物、および精神疾患の発症可能性の評価方法に関するものである。
【背景技術】
【0002】
統合失調症は、思春期以降に発症し、幻聴や妄想など多彩な精神症状を呈する精神疾患の1つであり、世界中で人口の約1%が罹患すると言われている。
【0003】
また、両親の何れかが統合失調症を発症した場合、その子供の発症率は約10%となる。このように、統合失調症の発症には遺伝的要因が存在していると考えられる。ただし、一卵性双生児の一方が発症した場合でも、他方の40%は統合失調症を発症しない。このように、完全に遺伝的な要因によって統合失調症の発症が決まるわけではなく、遺伝的要因と環境的要因の両方が存在していると考えられる。
【0004】
また、統合失調症の患者は、精神症状の他に周囲の不必要な雑音などを意識外にシャットアウトする感覚フィルター機能が弱まっていることが知られており、このことが集中困難を引き起こす原因の一つと考えられている。感覚フィルター機能は、プレパルス抑制という基準を用いて生理学的に検査することができる。統合失調症やその家族の一部ではプレパルス抑制が低下しており、プレパルス抑制は、統合失調症の発症可能性に関係すると考えられる。なお、プレパルス抑制の障害は、双極性感情障害(躁うつ病)、強迫性障害(強迫神経症)、注意欠陥多動性障害(ADHD)、トゥレット症候群、およびハンチントン病にも関与していることが知られており、多くの精神疾患に共通することが示唆されている(非特許文献1および4参照)。
【0005】
さらに、ダッチハンガーウィンターおよび中国における痛ましい事件を通じて、妊娠中の母親が飢饉にさらされると、子供の統合失調症の発症率が2倍に増加することが知られている。しかしながら、妊娠中の母親において、具体的にどの栄養素が欠乏すると、子供の統合失調症の発症率が悪化するのかについての知見は全くなかった。
【0006】
統合失調症を治療するための薬剤としては、ドーパミンの作用を阻害するとされる向精神薬が一般的であり、近年では、セロトニンまたはグルタミン酸を標的とする薬剤も開発されている。
【非特許文献1】Swerdlow NR, Geyer MA. (1998). Using an animal model of deficient sensorimotor gating to study the pathophysiology and new treatments of schizophrenia. Schizophr Bull. 24: 285-301.
【非特許文献2】Coti Bertrand P, O’Kusky JR, Innis SM (2006) Maternal dietary (n-3) fatty acid deficiency alters neurogenesis in the embryonic rat brain. J Nutr 136: 1570-1575.
【非特許文献3】Xu LZ, Sanchez R, Sali A, Heintz N (1996) Ligand specificity of brain lipid-binding protein. J Biol Chem 271: 24711-24719.
【非特許文献4】Perry W, Minassian A, Feifel D, Braff DL. (2001). Sensorimotor gating deficits in bipolar disorder patients with acute psychotic mania. Biol Psychiatry 50: 418-24.
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
しかし、従来の薬剤では、統合失調症の症状を完全に回復させることはできない。さらに、統合失調症の発症を予防するための技術は全く知られていなかった。また、統合失調症を初めとする精神疾患の発症の予防の要否を判定するための技術も求められている。
【0008】
本発明は上記課題に鑑みてなされたものであり、統合失調症を初めとする精神疾患の発症を予防する技術、および精神疾患の発症可能性を評価する技術を提供することを目的としている。
【課題を解決するための手段】
【0009】
本発明者らは、上記課題を解決するために鋭意検討を行い、まず、Fabp7(BLBPとも称される)遺伝子がプレパルス抑制に関与する遺伝子であることを見出した。プレパルス抑制は、周囲の不必要な雑音などを意識外にシャットアウトする感覚フィルター機能の指標であり、これを改善することで、集中力の向上を導くこともできる。また、プレパルス抑制は、上述したようにさまざまな精神疾患の指標となっており、これを改善することは、精神疾患の治療または予防に繋がる蓋然性が高い。
【0010】
そして、さらに検討を行った結果、本発明者らは、プレパルス抑制を改善するためには、脳組織が未成熟な段階、特に、脳が完成されていない胎児の段階においてより多くのFABP7タンパク質が機能していることが好ましいことを見出した。FABP7タンパク質は、長鎖脂肪酸と結合してその機能を示すことが知られている(非特許文献2および3参照)。
【0011】
本発明者らは、以上の知見に基づき、脳組織が未成熟な段階で長鎖脂肪酸が体内に供給されれば精神疾患の発症を予防し得ることを見出し、本発明を完成させた。
【0012】
本発明に係る組成物は、精神疾患の発症を予防するための組成物であって、(a)長鎖脂肪酸、または(b)少なくとも一つの長鎖脂肪酸を構成脂肪酸としている油脂を含んでおり、脳組織が未成熟な段階で体内に供給されるように調製されていることを特徴としている。上記長鎖脂肪酸は、不飽和脂肪酸であることがより好ましく、ω3不飽和脂肪酸であることがさらに好ましく、ドコサヘキサエン酸であることがなおさらに好ましい。
【0013】
妊娠中の母体が脂肪酸を摂取することにより、脂肪酸が胎児に供給され得ることが知られている(非特許文献2参照)。すなわち、長鎖脂肪酸が妊娠中の母体に投与されれば、長鎖脂肪酸が胎児に供給されて胎児の生後における精神疾患の発症が予防され得る。このように、本発明に係る組成物は、経胎盤投与される態様(母体を介して胎児に供給される態様)に調製されていてもよい。
【0014】
本発明に係る組成物は、統合失調症、双極性感情障害、強迫性障害、注意欠陥多動性障害、トゥレット症候群、およびハンチントン病からなる群より選ばれる精神疾患の発症を予防するために好適に用いることができる。
【0015】
本発明に係る組成物は、プレパルス抑制を改善するための組成物であって、(a)長鎖脂肪酸、または(b)少なくとも一つの長鎖脂肪酸を構成脂肪酸としている油脂を含んでおり、脳組織が未成熟な段階で体内に供給されるように調製されていることを特徴としている。上記長鎖脂肪酸は、不飽和脂肪酸であることがより好ましく、ω3不飽和脂肪酸であることがさらに好ましく、ドコサヘキサエン酸であることがなおさらに好ましい。
【0016】
上述したように、長鎖脂肪酸が妊娠中の母体に投与されれば、長鎖脂肪酸が胎児に供給されるので、胎児の(およびその生後においても)プレパルス抑制が改善され得る。このように、本発明に係る組成物は、経胎盤投与される態様(母体を介して胎児に供給される態様)に調製されていてもよい。
【0017】
本発明に係る評価方法は、精神疾患の発症可能性の評価方法であって、個体から単離したゲノムDNAを鋳型にFabp7遺伝子を増幅する工程と、増幅した該Fabp7遺伝子によってコードされるポリペプチドを生成する工程と、該ポリペプチドと長鎖脂肪酸との間の結合力を測定する工程と、測定された該結合力に基づいて、該個体の精神疾患の発症可能性を評価する工程とを包含することを特徴としている。
【0018】
本発明に係る評価方法は、統合失調症、双極性感情障害、強迫性障害、注意欠陥多動性障害、トゥレット症候群、およびハンチントン病からなる群より選ばれる精神疾患の発症可能性の評価方法として好適に用いることができる。
【0019】
本発明に係る評価方法では、上記長鎖脂肪酸が、不飽和脂肪酸であることがより好ましく、ω3不飽和脂肪酸であることがさらに好ましく、ドコサヘキサエン酸であることがなおさらに好ましい。
【0020】
本発明に係る評価方法はまた、個体から単離したゲノムDNA上に存在するFabp7遺伝子の少なくとも一部の塩基配列を決定する工程と、決定された該塩基配列に基づいて、該個体またはその子孫の精神疾患の発症可能性を評価する工程とを包含するものであってもよい。
【0021】
本発明に係る組成物はまた、精神疾患の発症を予防するための組成物であって、(a)長鎖脂肪酸、または(b)少なくとも一つの長鎖脂肪酸を構成脂肪酸としている油脂を含んでおり、本発明に係る評価方法により精神疾患の発症可能性が高いと評価された個体に対して、脳組織が未成熟な段階で体内に供給されるように調製されているものであってもよい。
【発明の効果】
【0022】
本発明に係る組成物は、長鎖脂肪酸、または少なくとも一つの長鎖脂肪酸を構成脂肪酸としている油脂を含んでおり、脳組織が未成熟な段階で体内に供給されるので、精神疾患の発症を予防することができる。特に、本発明に係る組成物が妊娠中の母体に投与される場合は、胎児の生後における精神疾患の発症を予防することができる。
【0023】
本発明に係る組成物はまた、長鎖脂肪酸、または少なくとも一つの長鎖脂肪酸を構成脂肪酸としている油脂を含んでおり、脳組織が未成熟な段階で体内に供給されるので、プレパルス抑制を改善することができる。特に、本発明に係る組成物が妊娠中の母体に投与される場合は、胎児の生後におけるプレパルス抑制を改善することができる。
【0024】
また、本発明に係る評価方法を用いれば、精神疾患の発症可能性を評価することができる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0025】
(1:組成物)
本発明に係る組成物は、長鎖脂肪酸、または少なくとも一つの長鎖脂肪酸を構成脂肪酸としている油脂を含んでいる。本明細書において、用語「組成物」は、各種成分が一物質中に含有されている形態を指す。
【0026】
本明細書において、長鎖脂肪酸とは炭素数が8以上の脂肪酸を指し、パルミチン酸、ステアリン酸等の飽和脂肪酸、およびドコサヘキサエン酸、アラキドン酸等の不飽和脂肪酸を含む。これらの長鎖脂肪酸は、メチル化等の修飾を受けていてもよい。また、遊離形態であってもよいし、エステル化されていてもよい。すなわち、少なくとも一つの長鎖脂肪酸がグリセリドとエステル結合してなる、長鎖脂肪酸を構成脂肪酸の少なくとも一つとする油脂の形態であってもよい。このような油脂は、生体内において容易に加水分解され、所定の不飽和脂肪酸を供給することができる。なお、油脂には、トリグリセリドおよびリン脂質が含まれる。
【0027】
長鎖脂肪酸の中でも、不飽和脂肪酸、特にドコサヘキサエン酸等のω3不飽和脂肪酸を好適に用いることができる。ω3不飽和脂肪酸は、FABP7タンパク質に対する親和性が高いことが知られている(非特許文献3参照)。なおω3不飽和脂肪酸とは、脂肪酸末端から最も近い二重結合を有する炭素までの炭素数(脂肪酸末端の炭素を含む)が3である不飽和脂肪酸を指す。
【0028】
本発明に係る組成物は、脳組織が未成熟な段階で体内に供給される。これにより、プレパルス抑制(PPI)の改善、または精神疾患の発症の予防を行うものである。
【0029】
プレパルス抑制とは、上述したように感覚フィルター機能の指標である。ヒトでも動物でも大きな音刺激を与えると驚愕反射が起こるが、大きな音刺激(パルス)の直前(例えば0.1秒直前)に小さな音刺激(プレパルス;それ自身では驚愕反射を引き起こさない程度の小さな音)を与えると、大きな音刺激に伴う驚愕反射が抑制される。この現象をプレパルス抑制と呼び、プレパルスを与えなかった場合の驚愕反射の大きさをaとし、プレパルスを与えた場合の驚愕反射の大きさをbとしたときに、(a−b)/a×100(%)として与えられる値である(図1参照)。
【0030】
本発明に係る組成物を、長鎖脂肪酸を脳が完成されていない胎児に対して供給することができる。そして、脳が完成されていない胎児に対して長鎖脂肪酸を供給することにより、胎児のFABP7タンパク質の機能を亢進する。後述する実施例において示すように、Fabp7は、プレパルス抑制に関与する遺伝子であり、脳が完成されていない時期にその作用を亢進させることにより、胎児の生後におけるプレパルス抑制を改善することができる。そして、プレパルス抑制の悪化は、統合失調症、双極性感情障害(躁うつ病)、強迫性障害(強迫神経症)、注意欠陥多動性障害(ADHD)、トゥレット症候群、およびハンチントン病等の精神疾患の指標となり得ることから、胎児の生後におけるプレパルス抑制を改善することは、胎児に対するこれらの精神疾患の予防となり得る。本発明に係る組成物は、上記精神疾患のうち、特に統合失調症を予防するために好適に用いることができる。
【0031】
本明細書において、脳組織が未成熟な段階とは、脳細胞の数が変化し得る段階を意味する。例えば、ヒトの脳であれば、受精後2週間から脳の形成が始まり、受精後40日後に大脳、小脳、脳幹等への分化が開始される。そして受精後9ヶ月には外観が成人の脳とほぼ同様になり、出生後1〜2ヶ月以降は、脳細胞の数は増加しない。
【0032】
なお、本発明に係る組成物を、脳組織が未成熟な段階で体内に供給するためには、例えば、胎児に対して、妊娠中の母体を介して、経胎盤投与することが好ましい。また、生後1〜2ヶ月までの乳児に対して、経口または非経口により投与することもできる。具体的には、例えば、ミルクに混ぜて投与すればよい。
【0033】
妊娠中の母体を介した経胎盤投与は、具体的には、母体に対して経口または非経口により本発明に係る組成物を投与することによって行うことができる。本発明に係る組成物が母体に投与すれば、母体内で消化吸収されて、胎盤を介して胎児の体内に供給することができる。
【0034】
また、本発明に係る組成物は、後述する本発明に係る個体またはその子孫の精神疾患の発症可能性を評価する方法を用いた結果、該発症可能性が高いと評価された個体に対して投与されるように調製されていることがさらに好ましい。
【0035】
本発明に係る組成物は、長鎖脂肪酸、または少なくとも一つの長鎖脂肪酸を構成脂肪酸としている油脂を含んでおり、かつ、経口投与または非経口投与が都合よく行われるものであればどのような形態のものであってもよい。すなわち、本発明に係る組成物の形態としては、例えばパン類、ケーキ類、クッキー類、パイ類、パスタ類などの固形食品、ジュース等の飲料等の食品形態であってもよいし、注射液、輸液、シロップ剤、散剤、顆粒剤、錠剤、カプセル剤、腸溶剤、トローチ等の薬品形態であってもよい。
【0036】
本発明に係る組成物は、長鎖脂肪酸、または少なくとも一つの長鎖脂肪酸を構成脂肪酸としている油脂以外に他の成分を含有してもよい。目的に応じて、食品または医薬の製剤技術分野において通常使用し得る公知の添加剤を添加することができる。このような添加剤としては、賦形剤、結合剤、崩壊剤、滑沢剤、矯味剤、安定化剤等を挙げることができるが、特に限定されるものではない。より具体的には、上記組成物が固形状の場合には、例えば、乳糖、ブドウ糖、ショ糖、マンニットなどの賦形剤;澱粉、アルギン酸ソーダなどの崩壊剤;ステアリン酸マグネシウム、タルクなどの滑沢剤;ポリビニールアルコール、ヒドロキシプロピルセルロース、ゼラチンなどの結合剤;脂肪酸エステルなどの界面活性剤;グリセリンなどの可塑剤などの添加剤を上記組成物中に含有させることができる。
【0037】
また、上記組成物が液体の場合には、例えば、水、ショ糖、ソルビット、果糖などの糖類;ポリエチレングリコール、プロピレングリコール等のグリコール類;ごま油、オリーブ油、大豆油などの油類;p−ヒドロキシ安息香酸エステル類などの防腐剤などの添加剤を製剤中に含有させることができる。
【0038】
上記組成物の投与経路は特に限定されるものではなく、経口投与または非経口投与のいずれでもよい。服用の容易性の点から経口投与が可能であることが好ましい。また、上記組成物の投与量は、投与経路、該組成物の形態、上記母体の年齢もしくは体重などによって適宜設定されるものであり特に限定されるものではない。
【0039】
上記長鎖脂肪酸、または長鎖脂肪酸を構成脂肪酸としている油脂は、植物油脂、動物油脂中に多く含まれる。特にイワシ、アジ、サバ、サケ、ニシン等の魚油は、ω3不飽和脂肪酸、およびω3不飽和脂肪酸を構成脂肪酸とする油脂を多く含むことが知られており、本発明に好適に用いることができる。また、上述したような長鎖脂肪酸は市販されており、これらを購入してもよい。すなわち、長鎖脂肪酸を取得し得ればよいのであって、その方法は特に限定されない。
【0040】
(2:評価方法)
本発明はまた、精神疾患の発症可能性の評価方法を提供する。本発明に係る評価方法は、個体から単離したゲノムDNAを鋳型にFabp7遺伝子を増幅する工程と、増幅した該Fabp7遺伝子によってコードされるポリペプチドを生成する工程と、該ポリペプチドと長鎖脂肪酸との間の結合力を測定する工程と、測定された該結合力に基づいて、該個体またはその子孫の精神疾患の発症可能性を評価する工程とを包含している。
【0041】
上記個体は、ヒト、および非ヒトを含む動物を指し、生体、胎児、受精卵等を含む。個体からのゲノムDNAの単離は、常法に従えばよく、組織、血液、細胞等を採取してDNAを抽出すればよい。
【0042】
単離したゲノムDNAを鋳型にしたFabp7遺伝子の増幅は、例えば、周知慣用のPCR法を用いればよい。例えば、ヒトのFabp7遺伝子のアクセッション番号はNM_001446であり、配列番号1に示す塩基配列を有している。また、マウスのFabp7遺伝子のアクセッション番号はNM_021272であり、配列番号2に示す塩基配列を有している。これらの情報に基づけば、当業者は容易にFabp7遺伝子を増幅するための適切なプライマーを設計するができる。具体的には、例えば、各生物のFabp7遺伝子の両端付近の15〜30bpに対応する塩基配列からなる一本鎖オリゴヌクレオチドを、上記プライマーとして好適に用いることができる。
【0043】
上記増幅したFabp7遺伝子によってコードされるポリペプチドの生成は、例えば、該Fabp7遺伝子を組換え発現ベクターに組み込んだ後、公知の方法により発現可能な宿主に導入し、宿主内で翻訳されて得られるポリペプチドを精製すればよい。発現ベクターは、外来ポリヌクレオチドを発現するように宿主内で機能するプロモーターを組み込んであることが好ましい。組換え的に産生されたポリペプチドを精製する方法は、用いた宿主、ポリペプチドの性質によって異なるが、周知の方法(例えば、硫安沈殿またはエタノール沈殿、酸抽出、陰イオンまたは陽イオン交換クロマトグラフィー、ホスホセルロースクロマトグラフィー、疎水性相互作用クロマトグラフィー、アフィニティークロマトグラフィー、ヒドロキシアパタイトクロマトグラフィー、およびレクチンクロマトグラフィー)を用いることができる。
【0044】
生成したポリペプチドと、長鎖脂肪酸との間の結合力の測定は、例えば、増幅したFabp7遺伝子によってコードされるポリペプチドを合成して、長鎖脂肪酸とともにインキュベートし、これを、FABP7タンパク質と長鎖脂肪酸とが結合したものと、遊離した長鎖脂肪酸とに分離して、それぞれのモル濃度を測定することにより、質量作用の法則に基づいて結合定数Kaを求めることにより行い得る(非特許文献3参照)。
【0045】
本発明に係る評価方法において用いる長鎖脂肪酸は、不飽和脂肪酸であることがより好ましく、FABP7タンパク質との親和性が高いことが知られているω3不飽和脂肪酸であることがさらに好ましく、FABP7タンパク質の天然のリガンドとして考えられているドコサヘキサエン酸であることがなおさらに好ましい。
【0046】
FABP7タンパク質と長鎖脂肪酸とが結合したものと、遊離した長鎖脂肪酸との分離は、例えば、脂質のみを吸着するカラムを用いればよく、例えば、Lipidex1000等のヒドロキシアルキル基を有するセファデックスカラムを通し、FABP7タンパク質と長鎖脂肪酸とが結合したものをKPiバッファー等の溶出バッファーにより溶出し、遊離した長鎖脂肪酸をメタノール等で溶出することにより、該分離を行うことができる。
【0047】
上記結合力の測定はまた、周知慣用のアクリロダン標識脂肪酸結合腸タンパク質(ADIFAB)、または周知慣用の等温滴定熱量測定法を用いて行うこともできる。
【0048】
測定された結合力に基づいた、個体またはその子孫の精神疾患の発症可能性の評価は、該結合力が高いほど、FABP7の活性が高まっていると考えられるので、プレパルス抑制も高く、精神疾患の発症可能性は低いと評価することができる。一方、上記結合力が低い場合は、FABP7の活性が弱くいと考えられるので、プレパルス抑制が低く、精神疾患の発症可能性が高いと評価することができる。この評価は、例えば、上記のように求めた結合定数Kaに基づいて、定性的または定量的に行うことができる。また、本発明に従って、一個体において精神疾患の発症可能性が高いと評価した場合、その子孫においても精神疾患の発症可能性が高いと評価することができる。
【0049】
本発明に係る評価方法は、統合失調症、双極性感情障害(躁うつ病)、強迫性障害(強迫神経症)、注意欠陥多動性障害(ADHD)、トゥレット症候群、およびハンチントン病等の精神疾患の発症可能性の評価に用いることができるが、特に、統合失調症の発症可能性の評価に好適に用いることができる。
【0050】
本発明に係る他の評価方法として、個体から単離したゲノムDNA上に存在するFabp7遺伝子の少なくとも一部の塩基配列を決定する工程(a)と、決定された該塩基配列に基づいて、該個体またはその子孫の精神疾患の発症可能性を評価する工程(b)とを包含する評価方法を挙げることができる。
【0051】
工程(a)では、個体またはその子孫の精神疾患の発症可能性を評価するための塩基配列の情報を得られればよく、具体的には、Fabp7遺伝子の発現量、またはFabp7遺伝子によってコードされるFABP7タンパク質とドコサヘキサエン酸のような長鎖脂肪酸との間の結合力を予測するための情報を得られればよく、さらに具体的には、これに限定されるものではないが、FABPタンパク質とドコサへキサエン酸との結合力を変化させる、FABP7タンパク質の61番目のスレオニンを置換し得るSNP部位を含む塩基配列の情報を得られればよい。
【0052】
また、工程(a)において用いる手法は特に限られないが、周知慣用の塩基配列決定手法を用いればよく、ダイレクトシーケンス法その他の塩基配列を決定する定法を用いることができる。なお、上記評価を特定の遺伝子多型を指標に行う場合には、該遺伝子多型を含む近傍の配列のみを決定すればよい。また、インベーダー法、TaqMan PCR法等の一塩基多型(SNP)その他の遺伝子多型の検出をする定法を採用することもできる。
【0053】
工程(b)において、個体またはその子孫の精神疾患の発症可能性の評価は、工程(a)において得た塩基配列情報に基づいて、Fabp7遺伝子の発現量、またはFabp7遺伝子によってコードされるFABP7タンパク質とドコサヘキサエン酸のような長鎖脂肪酸との間の結合力を予測して、その予測に基づいて、個体またはその子孫の精神疾患の発症可能性を評価する。具体的には、健常者と比較して、Fabp7遺伝子の発現量が変化している場合(例えば、脳が未成熟な段階において発現量の減少している場合、もしくは成人において発現量が増加している場合等)、またはFABP7タンパク質とドコサヘキサエン酸(DHA)との間の結合力が低下する場合には、該個体又は該個体を親とする後代の精神疾患の発症可能性が高いと評価される。
【0054】
Fabp7遺伝子の発現量を予想する方法は特に限定されるものではないが、具体的には例えば、その遺伝子の発現に影響を与える遺伝子多型の有無にて予想をする方法を例示することが出来る。なお、例えば遺伝子のイントロン領域、エンハンサー領域等における遺伝子多型はタンパク質のアミノ酸配列自体に変異を生じさせないものの、その産生量(遺伝子の発現量)を大きく変化させる例があることは周知の事実である。
【0055】
また、FABP7タンパク質とドコサヘキサエン酸(DHA)との間の結合力を予測する方法としては、例えば、前述の方法により野生型並びに変異型のFABP7タンパク質とドコサヘキサエン酸(DHA)との間の結合力を実測したデータを蓄積し、そのデータテーブル並びに工程(a)にて決定した塩基配列情報を参照することにより行うことが出来る。また、実施例にて後述するように、遺伝子の変異がある場合に、FABP7タンパク質の立体構造情報を参照して、その変異がFABP7タンパク質におけるDHAとの結合領域の構造変化を引き起こすものであるかどうかを指標として行うことができる。
【0056】
本発明は上述した各実施形態に限定されるものではなく、請求項に示した範囲で種々の変更が可能であり、異なる実施形態にそれぞれ開示された技術的手段を適宜組み合わせて得られる実施形態についても本発明の技術的範囲に含まれる。
【0057】
また、本明細書中に記載された学術文献および特許文献の全てが、本明細書中において参考として援用される。
【0058】
以下、実施例によって本発明をさらに詳しく説明するが、これは本発明を何ら限定するものではない。
【実施例】
【0059】
〔実施例1:プレパルス抑制に関するQTL解析〕
プレパルス抑制を指標としたマウスのQTL解析を行った。
【0060】
マウスのプレパルス抑制(PPI)は、図1に示すように測定した。すなわち、プラットフォーム上に固定したマウスに対して音刺激を与え、該音刺激に対する該マウスの体動(筋反射)の大きさを測定した。このとき、プレパルスを与えなかった場合の驚愕反射の大きさをaとし、プレパルスを与えた場合の驚愕反射の大きさをbとしたときに、(a−b)/a×100(%)としてプレパルス抑制を測定した。測定器具は、Med Associates社から購入した。
【0061】
図2は、プレパルス抑制の測定についてのさらに詳しい説明図である。図2に示すように、プレパルス抑制の測定は、10分の順応期間をおいた後開始する。50ミリ秒の無音の後、20ミリ秒のプレパルス音(0(プレパルスなし)、72、74、78、82、または86dB)を与え、100ミリ秒おいてから、40msのパルス音(120dB)を与えた。その後の100ミリ秒間、驚愕反射の測定を行った。このときのパルス音から驚愕反射までの時間を以後潜時と称する。以上を一回のトライアルとし、10〜20秒開けて、複数回トライアルを行った。
【0062】
まず、複数のマウス系統に対し、プレパルス抑制を計測して、系統として、プレパルス抑制の値が安定している系統のうち、プレパルス抑制が大きい系統B6(C57BL/6NCrlCrlj、日本チャールズリバー研究所)およびプレパルス抑制が小さい系統C3(C3H/HeNCrlCrj、日本チャールズリバー研究所)を得た。図3に示すように、B6およびC3は、生後7週間後および生後12週間後の両方でほぼ同様のプレパルス抑制を示しており、生後7週間後〜生後12週間後の期間において、プレパルス抑制が安定していると考えられる。そのため、以後のプレパルス抑制の測定は、生後8〜9週間後において実施した。
【0063】
次に、B6のメスとC3のオスとを掛け合わせ、1010のF2個体を得た(497匹のオスおよび513匹のメス)。これらのF2個体に対し、プレパルス抑制を測定するとともに、各F2個体の遺伝子型を、Dietrich WF, Miller J, Steen R, Merchant MA, Damron-Boles D et al. (1996) A comprehensive genetic map of the mouse genome. Nature 380: 149-152.に基づいた公知のマイクロサテライトマーカーにより判別して、QTL解析を行った。遺伝子型の判別には、3730xlDNAアナライザー(Applied Biosystems社)および蛍光標識されたプライマーによるPCR法を用いた。なお、上記QTL解析では、プレパルス音の大きさを変化させたときの結果に加えて、驚愕反射そのものの大きさ(ASR)および潜時(Latency)についても解析を行った。
【0064】
QTL解析は、まず、CIM(composite interval mapping)法を用いて第1段階のQTL解析を行った後、第1段階において有意なロッドスコアを示した染色体(染色体1、3、7、10、および13)について、第2段階のQTL解析を行った。
【0065】
第2段階のQTL解析では、MIM(multiple interval mapping)法を用いて、オスのマウスと、メスのマウスとでデータを分けて解析を行った。メスについての結果を図4に、オスについての結果を図5に示す。
【0066】
図4に示すように、メスにおいては、染色体10にピークが存在することが判るが、その位置についてはあいまいな結果しか得られなかった。一方、図5に示すように、オスについて解析を行ったことによって、鋭いピークが得られた。
【0067】
ピーク内に存在した30の遺伝子の中から、本発明者らは、独自の観点に基づきFabp7について解析を進めた。Fabp7遺伝子は、コード領域においてC3マウスとB6マウスとで配列に差がなく、プレパルス抑制の責任遺伝子ではない可能性が高かったが、本発明者らは、独自の直感に基づいて解析を進めたところ、後述するように、相補性試験によって、Fabp7がプレパルス抑制の責任遺伝子であることを立証した(図10)。
【0068】
〔実施例2:Fabp7の発現の解析〕
Fabp7遺伝子について、さまざまな脳部位および発達段階について発現を測定した。結果を図6に示す。なお、図中、CXは大脳皮質、FCは前頭葉、HPは海馬、CEは小脳、OBは嗅脳、E16は胎生16日目、P0は生後直後、P7は生後7日目、Adult(8W)は生後8週齢、*は統計的な有意差(P<0.05)を示す。図6に示すように、前頭葉において、生後7日目にはC3系統のマウスよりもB6系統のマウスの方が、Fabp7の発現量が多くなるが、生後8週齢では、C3系統のマウスの方が多くなる。
【0069】
前頭葉は統合失調症に関与していることが知られており、B6系統のマウスと、C3系統のマウスとのプレパルス抑制の違いも、生後7日目におけるFabp7の発現量の違いに起因する蓋然性が高い。
【0070】
なお、マウスは脳が完成していない状態で出産されるので、脳の発達段階の観点からみれば、生後7日目はヒトではまた胎内にいる状態に対応する。
【0071】
したがって、上記事実は、不飽和脂肪酸を胎児に供給することにより、胎児の生後におけるプレパルス抑制を改善することができるという本発明者らの考えを支持するものである。
【0072】
図7は、胎生16日目(E16)、および生後直後(P0)の脳の前額断切片を、FABP7タンパク質の抗体で染色したものを示す図である。図7に示すように、胎生16日目および生後直後においてFABP7タンパク質が多量に発現しており、特に、脳室周囲(神経新生が盛んな場所)に多くみられる。
【0073】
図8は、胎生15日目(E15)、生後直後(P0)、および生後70日目(P70)における脳でのFabp7mRNAの発現をノーザンブロット解析により解析した結果を示す図である。Gapdhはコントロールを示す。図8に示すように、Fabp7mRNAの発現は、次第に減少し、生体では殆ど見られない。
【0074】
以上のように、FABP7タンパク質は、神経新生に関わっていることが示唆される。このことは、未完成の脳において、FABP7タンパク質が働くことが特に有用であるという本発明者らの考えと矛盾しない。
【0075】
〔実施例3:Fabp7ノックアウトマウスの解析〕
Fabp7ノックアウトマウスをB6系統のマウスから周知慣用の方法により作成した。上記ノックアウトマウスのプレパルス抑制(PPI)を測定し、野生型B6系統のマウスと比較した結果を図9に示す。図9に示すように、Fabp7ノックアウトマウスは、プレパルス抑制が減少していた。
【0076】
次に、Fabp7が確かに、上記QTL解析におけるピークの責任遺伝子であったことを確かめるために、相補性試験を実施した。具体的には、野生型のB6系統のマウス(Q/Qと表記)、野生型のB6系統のマウスとC3系統のマウスとを掛け合わせたもの(Q/qと表記)、野生型のB6系統のマウスとFabp7ノックアウトマウスとを掛け合わせたもの(Q/−と表記)、およびC3系統のマウスとFabp7ノックアウトマウスとを掛け合わせたもの(q/−と表記)を準備し、プレパルス抑制(PPI)を測定した。このとき、[(Q/Q)のPPI−(Q/−)のPPI]が、[(Q/q)のPPI−(q/−)のPPI]と有意に異なれば、Fabp7が上記ピークに関与していると判断できる。図10に結果をしめす。図10に示すように、有意な差が見られ、Fabp7が確かに上記ピークに関与していることが立証された。
【0077】
なお、Fabp7ノックアウトマウスは、図11に示すように、潜時についても、野生型に比べ有意な差を有していた。
【0078】
統合失調症の病態仮説として、NMDA受容体介する神経伝達が低下しているとする「NMDA低下仮説」がある。その根拠の1つは、NMDA受容体拮抗作用をもつフェンサイクリジンが、特に反復摂取により統合失調症症状を引き起こし、また統合失調症患者が摂取すると病状が悪化するという事実がある。そこで、フェンサイクリジンと同じ作用を有するMK−801をFabp7ノックアウトマウスに反復投与して結果を観察した。図12にその結果を示す。図12の縦軸は誘発行動量を示し、横軸はMK−801投与後の時間を示す。図12に示すように、その結果、誘発行動量が野生型マウスに比較して増強した。このことはFabp7ノックアウトマウスがヒト統合失調症同様、NMDA受容体拮抗薬に感受性が高いということを示し、Fabp7が統合失調症に関与しているという本発明者らの考えを支持する。
【0079】
C3系統のマウスでは、生後7日目という脳の完成前段階にある前頭葉でFabp7遺伝子の発現が下がっていたが、このことが成体期におけるプレパルス抑制の低下にどのように結びつくのかを調査した。
【0080】
Fabp7ノックアウトマウスを用いて神経新生の程度を評価したところ、Fabp7遺伝子の破壊によって脳における神経新生は低下していることが判明した。図13は、野生型と、ノックアウトマウスとの脳の各部位の比較を示す図である。A〜Cは、生後4週間目の海馬歯状回の様子を示す写真であり、AではGFAP(神経幹細胞/初期前駆細胞のマーカー)の発現を示し、BではPSA−NCAM(後期前駆細胞のマーカー)の発現を示す。何れも、ノックアウトマウスにおいて発現が減少している。また、Cでは、BrdU(5−ブロモ−2’−デオキシウリジン、新生細胞のマーカー)の発現を示し、Dは、BrdUを発現している細胞の数を示す。C〜Dに示すように、ノックアウトマウスにおいて新生細胞の減少が見られる。
【0081】
以上の結果から、Fabp7遺伝子の発現が脳の発達期に低下していると、神経細胞の増殖の低下をきたし、成長後の神経ネットワークに変化をきたし、その変化が基盤となってプレパルス抑制の低下が生じることが示唆された。
【0082】
〔実施例4:ヒトにおけるFabp7の解析〕
図14は、統合失調症を発症したアメリカ人の死後脳におけるFabp7遺伝子の発現を示す。3つのグラフは、Fabp7に対するコントロールをそれぞれGAPD、ACTB、またはPGK1に換えて表したものである。図14に示すように、成人の統合失調症の患者の脳では、C3系統のマウスがそうであったように、Fabp7の発現が増加していた。このことは、マウスとヒトとで同様の機構が働くことを示唆している。
【0083】
なお、上記Fabp7の発現の増加が、服用していた薬による影響かどうか検討するために、マウスに向精神薬ハロリドベール(統合失調症の治療薬:主たる薬理作用は、神経伝達物質であるドーパミンの受容体の阻害である)を慢性に投与してFabp7遺伝子の発現を調べたが、薬によって発現が増加することはなかった(図15)。したがって、Fabp7遺伝子の発現変化は疾患によるものと考えられる。
【0084】
次に、Fabp7遺伝子のゲノム上の個人差が統合失調症の発症に影響するかどうかを、Fabp7遺伝子のSNPを調べることによって検討した。その結果、アミノ酸変化を伴うSNPを含むFabp7遺伝子の領域が、日本人の統合失調症の発症に関連していることが分かった(図16)。
【0085】
図16の上図は、Fabp7遺伝子のゲノム構造とSNPの位置を表している。下図は、Fabp7遺伝子のゲノム領域のうち、SNP3、SNP4、SNP5、およびSNP6からなるBlock2が統合失調症に関連していることを示す。SNP3は、61番目のスレオニンがメチオニンに置換するSNPで、特に関連が強い。図17は、Fabp7タンパク質の結晶構造を示す模式図である。図17に示すように、61番目のスレオニンは、ドコサヘキサエン酸(DHA)が結合する部位の近くにあり、そのアミノ酸が変化すると、DHAに対する親和性が変化する可能性がある。
【0086】
以上のように、日本人統合失調症の場合、FABP7タンパク質とドコサヘキサエン酸との結合の強さの違いが疾患感受性に影響を与えている可能性が考えられる。以上のことから、Fabp7遺伝子は脳での発現レベルの変化やゲノム上のSNPによって、統合失調症のなりやすさに効果を及ぼしていると考えられる。
【産業上の利用可能性】
【0087】
本発明は、食品および薬品の製造分野および遺伝子診断の分野において利用することができる。
【図面の簡単な説明】
【0088】
【図1】マウスのプレパルス抑制の測定方法を説明する図である。
【図2】プレパルス抑制の測定方法を詳細に説明する図である。
【図3】B6系統のマウスと、C3系統のマウスのプレパルス抑制を比較するグラフである。
【図4】メスのマウスについてのQTL解析の結果を示す図である。
【図5】オスのマウスについてのQTL解析の結果を示す図である。
【図6】Fabp7遺伝子の、さまざまな脳部位および発達段階における発現の測定結果を示すグラフである。
【図7】脳の前額断切片を、FABP7タンパク質の抗体で染色したものを示す写真である。
【図8】脳でのFabp7mRNAの発現を示す写真である。
【図9】プレパルス抑制について、Fabp7ノックアウトマウスとB6系統のマウスとを比較するグラフである。
【図10】相補性試験の結果を示す図である。
【図11】潜時について、Fabp7ノックアウトマウスとB6系統のマウスとを比較するグラフである。
【図12】MK−801投与後の誘発行動量について、Fabp7ノックアウトマウスとB6系統のマウスとを比較するグラフである。
【図13】野生型と、ノックアウトマウスとの脳の各部位の比較を示す図である。
【図14】統合失調症を発症したアメリカ人の死後脳におけるFabp7遺伝子の発現を示すグラフである。
【図15】マウスに向精神薬を投与した結果を示すグラフである。
【図16】統合失調症の日本人患者におけるFabp7遺伝子のSNPを示す図である。
【図17】FABP7タンパク質の結晶構造を示す模式図である。
【特許請求の範囲】
【請求項1】
精神疾患の発症を予防するための組成物であって、
長鎖脂肪酸、または
少なくとも一つの長鎖脂肪酸を構成脂肪酸としている油脂
を含んでおり、
脳組織が未成熟な段階で体内に供給されるように調製されていることを特徴とする組成物。
【請求項2】
母体を介して供給されるように調製されていることを特徴とする請求項1に記載の組成物。
【請求項3】
上記精神疾患が、統合失調症、双極性感情障害、強迫性障害、注意欠陥多動性障害、トゥレット症候群、およびハンチントン病からなる群より選ばれる精神疾患であることを特徴とする請求項1または2に記載の組成物。
【請求項4】
上記長鎖脂肪酸が、不飽和脂肪酸であることを特徴とする請求項1〜3の何れか一項に記載の組成物。
【請求項5】
上記不飽和脂肪酸が、ω3不飽和脂肪酸であることを特徴とする請求項4に記載の組成物。
【請求項6】
上記ω3不飽和脂肪酸が、ドコサヘキサエン酸であることを特徴とする請求項5に記載の組成物。
【請求項7】
プレパルス抑制を改善するための組成物であって、
長鎖脂肪酸、または
少なくとも一つの長鎖脂肪酸を構成脂肪酸としている油脂
を含んでおり、
脳組織が未成熟な段階で体内に供給されるように調製されていることを特徴とする組成物。
【請求項8】
母体を介して供給されるように調製されていることを特徴とする請求項7に記載の組成物。
【請求項9】
上記長鎖脂肪酸が、不飽和脂肪酸であることを特徴とする請求項7または8に記載の組成物。
【請求項10】
上記不飽和脂肪酸が、ω3不飽和脂肪酸であることを特徴とする請求項9に記載の組成物。
【請求項11】
上記ω3不飽和脂肪酸が、ドコサヘキサエン酸であることを特徴とする請求項10に記載の組成物。
【請求項12】
個体から単離したゲノムDNAを鋳型にFabp7遺伝子を増幅する工程と、
増幅した該Fabp7遺伝子によってコードされるポリペプチドを生成する工程と、
該ポリペプチドと長鎖脂肪酸との間の結合力を測定する工程と、
測定された該結合力に基づいて、該個体またはその子孫の精神疾患の発症可能性を評価する工程とを包含することを特徴とする精神疾患の発症可能性の評価方法。
【請求項13】
上記精神疾患が、統合失調症、双極性感情障害、強迫性障害、注意欠陥多動性障害、トゥレット症候群、およびハンチントン病からなる群より選ばれる精神疾患であることを特徴とする請求項12に記載の評価方法。
【請求項14】
上記長鎖脂肪酸が、不飽和脂肪酸であることを特徴とする請求項12または13に記載の評価方法。
【請求項15】
上記不飽和脂肪酸が、ω3不飽和脂肪酸であることを特徴とする請求項14に記載の評価方法。
【請求項16】
上記ω3不飽和脂肪酸が、ドコサヘキサエン酸であることを特徴とする請求項15に記載の評価方法。
【請求項17】
個体から単離したゲノムDNA上に存在するFabp7遺伝子の少なくとも一部の塩基配列を決定する工程と、
決定された該塩基配列に基づいて、該個体またはその子孫の精神疾患の発症可能性を評価する工程とを包含することを特徴とする精神疾患の発症可能性の評価方法。
【請求項18】
精神疾患の発症を予防するための組成物であって、
長鎖脂肪酸、または
少なくとも一つの長鎖脂肪酸を構成脂肪酸としている油脂
を含んでおり、
請求項12〜17の何れか一項に記載の評価方法により精神疾患の発症可能性が高いと評価された個体に対して、脳組織が未成熟な段階で体内に供給されるように調製されていることを特徴とする組成物。
【請求項1】
精神疾患の発症を予防するための組成物であって、
長鎖脂肪酸、または
少なくとも一つの長鎖脂肪酸を構成脂肪酸としている油脂
を含んでおり、
脳組織が未成熟な段階で体内に供給されるように調製されていることを特徴とする組成物。
【請求項2】
母体を介して供給されるように調製されていることを特徴とする請求項1に記載の組成物。
【請求項3】
上記精神疾患が、統合失調症、双極性感情障害、強迫性障害、注意欠陥多動性障害、トゥレット症候群、およびハンチントン病からなる群より選ばれる精神疾患であることを特徴とする請求項1または2に記載の組成物。
【請求項4】
上記長鎖脂肪酸が、不飽和脂肪酸であることを特徴とする請求項1〜3の何れか一項に記載の組成物。
【請求項5】
上記不飽和脂肪酸が、ω3不飽和脂肪酸であることを特徴とする請求項4に記載の組成物。
【請求項6】
上記ω3不飽和脂肪酸が、ドコサヘキサエン酸であることを特徴とする請求項5に記載の組成物。
【請求項7】
プレパルス抑制を改善するための組成物であって、
長鎖脂肪酸、または
少なくとも一つの長鎖脂肪酸を構成脂肪酸としている油脂
を含んでおり、
脳組織が未成熟な段階で体内に供給されるように調製されていることを特徴とする組成物。
【請求項8】
母体を介して供給されるように調製されていることを特徴とする請求項7に記載の組成物。
【請求項9】
上記長鎖脂肪酸が、不飽和脂肪酸であることを特徴とする請求項7または8に記載の組成物。
【請求項10】
上記不飽和脂肪酸が、ω3不飽和脂肪酸であることを特徴とする請求項9に記載の組成物。
【請求項11】
上記ω3不飽和脂肪酸が、ドコサヘキサエン酸であることを特徴とする請求項10に記載の組成物。
【請求項12】
個体から単離したゲノムDNAを鋳型にFabp7遺伝子を増幅する工程と、
増幅した該Fabp7遺伝子によってコードされるポリペプチドを生成する工程と、
該ポリペプチドと長鎖脂肪酸との間の結合力を測定する工程と、
測定された該結合力に基づいて、該個体またはその子孫の精神疾患の発症可能性を評価する工程とを包含することを特徴とする精神疾患の発症可能性の評価方法。
【請求項13】
上記精神疾患が、統合失調症、双極性感情障害、強迫性障害、注意欠陥多動性障害、トゥレット症候群、およびハンチントン病からなる群より選ばれる精神疾患であることを特徴とする請求項12に記載の評価方法。
【請求項14】
上記長鎖脂肪酸が、不飽和脂肪酸であることを特徴とする請求項12または13に記載の評価方法。
【請求項15】
上記不飽和脂肪酸が、ω3不飽和脂肪酸であることを特徴とする請求項14に記載の評価方法。
【請求項16】
上記ω3不飽和脂肪酸が、ドコサヘキサエン酸であることを特徴とする請求項15に記載の評価方法。
【請求項17】
個体から単離したゲノムDNA上に存在するFabp7遺伝子の少なくとも一部の塩基配列を決定する工程と、
決定された該塩基配列に基づいて、該個体またはその子孫の精神疾患の発症可能性を評価する工程とを包含することを特徴とする精神疾患の発症可能性の評価方法。
【請求項18】
精神疾患の発症を予防するための組成物であって、
長鎖脂肪酸、または
少なくとも一つの長鎖脂肪酸を構成脂肪酸としている油脂
を含んでおり、
請求項12〜17の何れか一項に記載の評価方法により精神疾患の発症可能性が高いと評価された個体に対して、脳組織が未成熟な段階で体内に供給されるように調製されていることを特徴とする組成物。
【図1】
【図2】
【図3】
【図4】
【図5】
【図6】
【図9】
【図10】
【図11】
【図12】
【図14】
【図15】
【図16】
【図7】
【図8】
【図13】
【図17】
【図2】
【図3】
【図4】
【図5】
【図6】
【図9】
【図10】
【図11】
【図12】
【図14】
【図15】
【図16】
【図7】
【図8】
【図13】
【図17】
【公開番号】特開2009−120501(P2009−120501A)
【公開日】平成21年6月4日(2009.6.4)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2007−293762(P2007−293762)
【出願日】平成19年11月12日(2007.11.12)
【出願人】(503359821)独立行政法人理化学研究所 (1,056)
【Fターム(参考)】
【公開日】平成21年6月4日(2009.6.4)
【国際特許分類】
【出願日】平成19年11月12日(2007.11.12)
【出願人】(503359821)独立行政法人理化学研究所 (1,056)
【Fターム(参考)】
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