説明

超音波により生じる生体温度予測方法

【課題】 近年、超音波診断や治療に高出力の超音波が使用される傾向がある。その一方で、“生体安全性”の観点から、高出力超音波が生体に与える影響に関する研究も進められている。高出力超音波が生体に照射された場合、発熱による影響と機械的に生じる影響の2種類がある。このうち、超音波照射時の生体内の温度上昇を正確に把握することは、超音波生体安全性において、重要な課題となっている。
【解決手段】 本願発明は、一般に入手が容易で、安定で、経時変化の小さい材料により生体温度ファントムを1種類のみ作成し、この生体温度ファントムを用いて超音波による温度上昇を測定し、予め既知である生体の熱物性値を用いて、簡単な演算処理を施すことにより生体組織中の温度上昇の予測を可能としたものである。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本願発明は、超音波診断装置又は超音波治療装置における生体安全性の評価に関する技術である。
【背景技術】
【0002】
従来、超音波によって生じる生体組織内の温度上昇の予測方法に関する研究、国際規格等は、主に以下の2種類に絞られている。
【0003】
(1)生体組織の熱物性値に近い材料による生体ファントムの作成
生体組織の熱物性値に近い材料・物質を模索し、生体ファントムを作成する(例えば、下記特許文献1、2参照)。作成した疑似生体組織中に温度測定用熱電対を埋め込み、超音波を照射して温度上昇を実測し、生体に超音波照射した際の温度上昇を模擬する。
【0004】
この方法は、照射される超音波の特性、即ち、超音波強度、ビームプロファイルなどが未知であっても、実時間で生体温度上昇を模擬することが可能であるので、医用超音波機器製造及び研究の現場において容易に利用できるメリットがある。
【0005】
しかし、実際の生体に近い熱物性値の生体ファントムを作成するためには、生体組織の熱物性値を実測し、その物性値に近い熱物性値を有する材料を模索する必要があり、優れた生体温度ファントムを作成することは一般に困難である。
【0006】
(2)計算により生体内部の温度上昇を推定する方法
媒質内部温度変化を求めたい生体組織の熱物性値、照射される超音波強度及び超音波ビームプロファイル等の情報が既知であれば、生体中の温度上昇を数値計算により求めることができる。
【0007】
この方法は、温度上昇を模擬したい生体組織の熱物性値等が既知でありさえすれば、実際に生体温度ファントムを作成しなくても温度上昇の程度を知ることができるメリットがある。
【0008】
しかし、数値計算においては、生体温度ファントムの作成を必要としない代わりに、照射する超音波強度、ビームプロファイル等の照射する側の情報及び照射装置と被照射物体との相互関係(距離、方向等)の情報が別途必要となり、簡便且つ実時間で生体内温度上昇の情報を必要とする医用超音波機器製造や研究の現場には適していない。
【特許文献1】特開平3−139366号公報
【特許文献2】特開平11−262488号公報
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0009】
近年、超音波診断や治療に高出力の超音波が使用される傾向がある。その一方で、“生体安全性”の観点から、高出力超音波が生体に与える影響に関する研究も進められている。高出力超音波が生体に照射された場合、発熱による影響と機械的に生じる影響の2種類がある。このうち、超音波照射時の生体内の温度上昇を正確に把握することは、超音波生体安全性において、重要な課題となっている。
【0010】
従来提案されてきた生体温度ファントムの問題点は、以下のとおりである。
【0011】
(1)生体温度ファントムの満たす要件として、熱物性値が対象とする生体組織に近い値であることが不可欠である。しかし、そのためには、まず生体組織の熱物性値を測定し、その物性値に近い材料を模索・選定しなければならないが、この作業は非常に困難であるだけでなく、多大な時間と労力を要する。現実に、実用レベルの生体温度ファントムは、製品化されていない。
【0012】
(2)一般に、超音波による発熱は、生体部位毎に異なる。そのため、必要とする生体部位毎に生体温度ファントムを作成する必要がある。しかし、生体部位毎に異なる生体温度ファントムを作成することはコスト的にも容易でなく、実用的でない。
【課題を解決するための手段】
【0013】
本願発明は、一般に入手が容易で、安定で、経時変化の小さい材料により生体温度ファントムを1種類のみ作成し、この生体温度ファントムを用いて超音波による温度上昇を測定し、予め既知である生体の熱物性値を用いて、簡単な演算処理を施すことにより生体組織中の温度上昇の予測を可能としたものである。
【0014】
さらに、様々な生体組織の熱特性値をデータベース化しておくことにより、同一の生体温度ファントムにより多数の生体に対応した温度測定が可能である。
【0015】
以下に、本願発明の基礎的な事項を説明する。
【0016】
簡単のため1次元モデルを考えると、媒質中の熱伝導特性は次式で与えられる。
【0017】
ρc(∂T/∂t)=λ(∂T/∂x)+Q (1)
ここで、各変数は以下の物理量を表す。
ρ:媒質の密度[kg/m3]
c:媒質の比熱[J/kg/K]
λ:媒質の熱伝導率[W/m/K]
Q:単位体積あたりの代謝熱[W/m3]
β:媒質中の超音波減衰定数[dB/m/MHz]
I:入射する超音波強度[W/m2]
【0018】
x方向に伝搬する超音波が媒質に入射すると、媒質中で超音波吸収に伴う発熱が生じる。超音波伝搬に伴う発熱は、下式で与えられるように、指数関数的な分布を持つ熱源Qが埋め込まれたのと同じ効果を与える。
【0019】
Q=2βI・exp(−β・x) (2)
【0020】
(1)式の偏微分方程式を解くことにより、媒質中の温度変化は、近似的に下式に比例することが知られている。
【0021】
erfc(x/2(αt)1/2) (3)
ここで、erfcは、誤差関数を表す。また、αは温度伝導率を表し、下記(4)式で与えられる。
【0022】
α=λ/ρc (4)
【0023】
また、(2)式で与えられる熱源によって媒質が発熱する場合、下記(5)式の関係が知られている。
−T=K/λ (5)
ここでTは、媒質の初期温度(媒質周囲温度)、Tは、媒質中の着目点が発熱によって到達する温度を表す。また、Kは、媒質のサイズ及び入射超音波強度で決まる定数である。
【0024】
ここで、媒質A(生体温度ファントム)、媒質B(温度上昇を測定したい生体組織、熱物性値は既知)を考える。超音波照射による媒質Aの内部温度上昇の測定を行うと同時に、以下の演算を実時間で実行することにより、あたかも所望の生体組織(媒質B)の内部温度測定が可能である。
【0025】
(内部温度の時間変化測定)
まず、媒質内部温度の時間変化について考える。(3)式の関係から、 媒質Aの内部温度の時間tに対する変化は下式で与えられる。
erfc(x/2(αt)1/2) (6)
【0026】
また、媒質Bの内部温度の時間t に対する変化は、(7)式のように記述することができる。
erfc(x/2(αt)1/2)=erfc(x/2(αt/α)t)1/2) (7)
【0027】
上記(7)式は、媒質Aで得られた内部温度の時間変化における時間スケールをα/α倍することで、媒質Bの内部温度の時間変化が得られることを示している。
【0028】
即ち、媒質Aの内部温度の時間変化が測定され、α及びαの値が既知であれば、媒質Bの内部温度の時間変化は、測定せずに求めることができる。
【0029】
(到達温度の測定)
次に、最終到達温度について考える。媒質Aが発熱によって到達する温度をTA∞、媒質BのそれをTB∞とする。媒質A及びBの熱伝導率をそれぞれλ、λとすると、(5)式の関係から、(8)式及び(9)式が得られる。
−TA∞=K/λ (8)
−TB∞=K/λ (9)
これらの関係から、(10)式が得られる。
B∞=T−λ/λ(T−TA∞) (10)
【0030】
即ち、媒質A、Bの熱伝導率λ及びλが既知であれば、媒質Aにおける到達温度の測定値から、媒質Bの到達温度を得ることができる。
【0031】
以上示した演算は、時間軸、温度軸の伸縮のみであるので、生体温度ファントムによる測定において、実時間で処理可能である。
【発明の効果】
【0032】
現在の生体温度ファントムの作成方法は、生体組織の熱物性に近い材料を模索することに多くの時間と労力が費やされているが、本願発明を用いることにより、ファントム作成時点において生体を模擬する必要が無くなるため、作成が容易になる。さらに、生体温度ファントムとして重要な要素である、経時変化の小さい“長期安定性”を考慮した材料選定が可能となる。
【0033】
また、熱物性の違いから、超音波照射に伴う温度上昇は、生体の部位によって異なるため、従来の生体温度ファントムは、部位別に材料を模索して作成する必要があったが、本願発明を用いることにより、各生体部位に対応した熱物性値のみをデータベース化しておくことにより、同一の生体温度ファントムで、異なる生体部位の温度上昇推定が可能となる。
【0034】
また、本願発明における時間スケール変換は、実時間処理が可能であるので、あたかも実際の生体組織測定と同様に実時間測定が可能である。
【発明を実施するための最良の形態】
【0035】
以下に、本願発明のもっとも好ましい実施形態を示す。
【実施例】
【0036】
図1に示すように、温度37℃の水中に、厚さ500mmの媒質Aが置かれ、左方から1MHz、40mW/cm2(ビーム径2cm)の超音波が入射する場合を仮定する。
【0037】
この仮定の下で、上記(1)〜(4)式を用いて、媒質A内部温度を計算した結果を図2に示す。図2(a)は、x軸上各位置の温度の時間変化を、同図(b)はx、y平面内の、超音波照射開始後2000(秒)後における温度分布をそれぞれ表す。
【0038】
この結果を用いて以下の計算を試みた。図3の●は、媒質Aとして図中に表示した物性値を仮定し、図2(b)に示すx、y面内の温度ピーク位置(0.0575m、0m)における温度の時間変化の計算結果を表す。同図の■は媒質Aの熱物性値の内、熱伝導率のみλ=20[W/m/K]と仮定して同様の計算を行った結果を表す。このように、λが1/2倍になることにより、αも1/2となるため、到達温度、温度上昇ともに異なる傾向を示す。
【0039】
次に(7)式により、時間軸をスケール変化させるとともに、(10)式により到達温度を計算して再プロットすることにより、媒質Aから計算した結果(○)と、媒質Bの計算結果(■)は一致する。
【0040】
このように、本発明を用いることにより、各生体部位に対応した熱物性値のみをデータベース化しておくことにより、同一の生体温度ファントムで、異なる生体部位の温度上昇推定が可能となる。
【図面の簡単な説明】
【0041】
【図1】超音波伝搬モデルの模式図
【図2】媒質内部の発熱の時間変化及び発熱分布の計算結果
【図3】媒質A(●)及び媒質B(■)の内部温度計算結果及び媒質Aの計算結果から得られた媒質Bの内部温度計算結果(○)

【特許請求の範囲】
【請求項1】
超音波照射による生体組織の温度予測方法であって、生体温度ファントムを1種類作成し、該ファントムを用いて超音波による温度上昇速度及び到達温度を測定し、予め既知である生体の熱物性値を用いて、簡単な演算を施すことにより該生体組織の温度上昇速度又は到達温度の予測を可能としたことを特徴とする生体組織の温度予測方法。
【請求項2】
請求項1に記載の生体組織の温度予測方法であって、様々な生体組織の熱特性値をデータベース化しておくことにより、同一の生体温度ファントムにより多数の生体に対応した温度予測を可能としたことを特徴とする生体組織の温度予測方法。
【請求項3】
請求項1に記載の生体組織の温度予測方法であって、
上記演算は、下記の演算式により生体組織の到達温度を予測することを特徴とする生体組織の温度予測方法。
B∞=T−λ/λ(T−TA∞
ただし、
B∞は、求める生体組織の発熱により到達する温度
は、該生体組織の初期温度
A∞は、ファントムの発熱により到達する温度
λ、λは、ファントム及び求める生体組織の熱伝導率
【請求項4】
請求項1に記載の生体組織の温度予測方法であって、上記演算は、下記の演算式により温度上昇速度を予測することを特徴とする生体組織の温度予測方法。
B(t)=erfc{x/2αB(αA/αB・t)1/2
αAA/(ρA・cA)
αBB/(ρB・cB)
ただし、
erfcは、誤差関数
tは、時刻
ρA,ρBは、ファントム及び求める生体組織の密度
cA,cBは、ファントム及び求める生体組織中の音速
A(t),TB(t)は、ファントム及び求める生体組織の温度の時間変化
λA, λBは、ファントム及び求める生体組織の熱伝導率
xは、ファントム又は生体組織中の位置

【図1】
image rotate

【図2】
image rotate

【図3】
image rotate


【公開番号】特開2006−320499(P2006−320499A)
【公開日】平成18年11月30日(2006.11.30)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2005−145797(P2005−145797)
【出願日】平成17年5月18日(2005.5.18)
【出願人】(301021533)独立行政法人産業技術総合研究所 (6,529)
【Fターム(参考)】