説明

透明電極及びその製造方法

【課題】有機エレクトロルミネッセンス素子の駆動電圧や消費電力などを低減せしめるための透明電極及び素子部材を提供する。
【解決手段】酸化錫を主成分とし、チタン元素、バナジウム元素、モリブデン元素のうち1種もしくは2種以上を仕事関数変調のための不純物として含み、フッ素もしくはアンチモン元素を導電性制御のための不純物として含む、透明電極の表面の仕事関数は5.2エレクトロンボルト以上の値であることを特徴とする、透明導電膜を表面層とする透明電極及び有機EL素子等の素子部材。
【効果】仕事関数の値が大きく、可視域での光透過率が高く、電気抵抗が低い特性を有する透明電極及びそれを用いた有機EL素子等の素子部材を提供できる。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、透明電極及びその製造方法に関するものであり、更に詳しくは、表面の仕事関数の値を大きくせしめた透明導電性酸化物薄膜材料及びその製造方法に関するものである。本発明は、有機エレクトロルミネッセンス素子、無機エレクトロルミネッセンス素子、透明トランジスタ素子又はそれらを用いた物品のための透明電極及びその製造方法、及びそれらの電子デバイス素子部材を提供するものである。
【背景技術】
【0002】
近年、透明導電膜が、液晶ディスプレイに代表される各種平面型表示素子や太陽電池の透明電極として用いられており、更には、赤外線を通さない建築用省エネルギーガラスにも用いられている。透明導電膜とは、見た目が透明であり、且つ電気伝導度が高い薄膜であり、具体的には、可視光の波長領域380〜780nmで透過率が80%以上であり、抵抗率がおよそ1×10−3Ωcm以下であるという二つの性質を併せ持つ。
【0003】
一般的な透明導電膜では、半導体的な描像のエネルギーバンド構造を考えることができ、フェルミ準位が伝導帯に達した縮退状態になっており、伝導帯に存在する自由電子が金属的な振る舞いに寄与する。透明導電膜は、In、SnO、ZnOなどの透明酸化物に種々の不純物元素をドーピングしたものが代表的であり、ITO、ATO、FTO、AZO、GZOなどと呼ばれている。
【0004】
ITOとは、InにSnOを5〜10%固溶させたものである。ATOもしくはFTOとは、SnO中の一部の酸素原子をSbあるいはFで置換したものであり、SnO:SbあるいはSnO:Fとも表記される。AZOもしくはGZOとは、ZnO中の一部の酸素原子をAlあるいはGaで置換したものであり、ZnO:AlあるいはZnO:Gaとも表記される。
【0005】
現在、透明電極材料の用途は液晶向けが最も多い。ITOは、可視光域での透過率が高く、且つ抵抗率が低いため、液晶向けの主たる透明電極材料として用いられている。一方、有機エレクトロルミネッセンス素子(以下、有機EL素子と記す。)は、直流低電圧で高輝度が得られ、且つ大面積発光が可能であるため、次世代薄型ディスプレイや照明用光源としての応用が期待されるとともに、カーオーディオ、携帯電話、ミュージックプレイヤーなどの表示部には既に1997年から実用化されている(非特許文献1)。エレクトロルミネッセンス(EL)とは、注入された電子と正孔の再結合によって生じた励起子によって発光する現象である。
【0006】
有機EL素子は、例えば、図7に示すように、ガラスなどの透明基材71上にアノード(陽極)72/正孔輸送層73/発光層74/電子輸送層75/カソード(陰極)76の多層構造を有し(非特許文献2)、正孔輸送層73/発光層74/電子輸送層75は有機物薄膜からなり、陰極と陽極の間に電圧をかけ、電子と正孔がそれぞれ電子輸送層・正孔輸送層を通過して発光層で結合し、更には結合が起こった際のエネルギーで周りの分子が励起され、励起状態から再び基底状態に戻る際に光を発生する。
【0007】
通常、有機EL素子の陰極側の電極は、銀やアルミニウム等の金属を使い、陽極側の電極はITOなどの透明酸化物を使い、金属陰極をバックミラーとしながら透明陽極と透明基板(ガラス板やプラスチック板など)を透過して光を得る。従来の有機EL素子では、陽極たるITO膜と正孔輸送層たる有機薄膜との間に、該ITO膜の仕事関数の値と該有機薄膜のイオン化ポテンシャルの値の差に起因するエネルギー障壁があり、有機EL素子の駆動電圧を上げる必要が生じたり、発光性能の経時的な低減を招く要因となっていた。
【0008】
ここで、仕事関数とは、大雑把には、固体内部から真空中へ電子を放出させるのに必要な最小のエネルギーのことであり、より具体的には、固体試料の真空準位とフェルミ準位の位置エネルギー差として定義される。ITO膜の仕事関数の値は、4.2〜5.0eV程度の範囲で数多くの報告例があるが、一般的には、例えば、文献(非特許文献3)に示されているように、4.6eV程度であることが知られている。
【0009】
一方、正孔輸送層たる有機薄膜についても様々な材料が検討されているが、それらのイオン化ポテンシャルの値は、例えば、文献(非特許文献4)に示されているように、5.0〜5.8eV程度の範囲であることが知られている。陽極から発光層への正孔注入効率を高めるためには、陽極表面の仕事関数の値が大きいほうが望ましい。
【0010】
そこで、ITO薄膜の表面を改質して、ITO膜の表面の仕事関数の値を大きくせしめる従来例の一つが、例えば、先行特許文献に開示されている(特許文献1)。これは、非晶質もしくは微結晶から成る非晶質に近いITO薄膜を形成し、次に、該ITO薄膜を減圧下もしくは非酸化性雰囲気下で100〜500℃でアニール処理し、次に、該ITO薄膜表面に酸素プラズマ照射を行うことにより、該ITO薄膜の表面の仕事関数の値を大きくせしめようとする先行技術である。
【0011】
ITO薄膜の表面を改質して、ITO膜の表面の仕事関数の値を大きくせしめる従来例の他の一つが、例えば、先行特許文献に開示されている(特許文献2)。これは、ITO薄膜の表面にプラズマ化された酸素イオンを注入することにより、該ITO薄膜の表面の仕事関数の値を大きくせしめようとする先行技術である。
【0012】
上記先行特許文献に示される従来例では、ITO膜中にキャリア電子を放出している酸素空孔の密度を、該ITO膜の表面近傍で減少せしめ、フェルミ準位の位置を価電子帯の方へ変調せしめることで仕事関数の値を大きくせしめることを提案している。しかしながら、該ITO膜表面のフェルミ準位の位置が、該ITO膜表面の伝導帯端よりも下方に変調されると、キャリア電子の金属的な振る舞いができなくなるため、該透明陽極は、表面近傍において導電性が著しく低下するという問題がある。
【0013】
一方、ITO薄膜よりも仕事関数が大きい金属酸化物薄膜を、該ITO膜の上に積層することにより、該透明陽極表面の仕事関数の値を大きくせしめる方法が提案されている。これは、例えば、先行特許文献では、ITO薄膜上に、該ITO薄膜よりも仕事関数が大きい金属酸化物薄膜を、具体的には、Ru、Mo、もしくはVの酸化物から成る薄膜を形成することにより、該ITO薄膜と該Ru、Mo、もしくはVの酸化物から成る薄膜の積層構造を有機EL素子の陽極として用いることにより、該陽極表面の仕事関数の値を大きくせしめる先行技術である(特許文献3)。
【0014】
しかしながら、この先行特許文献に示される従来例では、該陽極表面の仕事関数の値を大きくすることができるものの、該Ru、Mo、もしくはVの酸化物の薄膜は、いずれも可視域での光透過率が極めて低く、且つRu酸化物薄膜を除いたMoもしくはVの酸化物薄膜は電気抵抗率の値も極めて高いため、ITOと該Ru、Mo、もしくはVの酸化物の薄膜を積層して透明電極とせしめた場合、ITO単層膜では90%である可視光透過率が、該透明電極では60%以下にまで低下し、シート抵抗の値も該Mo、もしくはVの酸化物の薄膜とITOとの積層構造を用いた透明電極の場合は、ITO単層膜の1.5倍以上になるという問題がある。
【0015】
【特許文献1】特開平8−167479号公報
【特許文献2】特開2001−284060号公報
【特許文献3】特開平9−63771号公報
【非特許文献1】城戸淳二「有機EL照明デバイスの現状」応用物理、Vol.74,p.144(2005)
【非特許文献2】C. Adachi, T. Tsutsui and S. Saito, Applied Physics Letters, Vol.55,p.531 (1990)
【非特許文献3】V.L. Colvin, M.C. Schlamp andA.P. Allivisatos, Nature, Vol.370, p.354 (1994)
【非特許文献4】C. Adachi, K. Nagai and N. Tamoto, Applied Physics Letters, Vol.66,p.2679 (1990)
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0016】
このような状況の中で、本発明者らは、上記従来技術に鑑みて、上記従来技術の諸問題を抜本的に解消することを可能とする新規な透明電極材料、即ち、仕事関数の値が大きく、可視域での光透過率が高く、電気抵抗率が低い透明電極材料を開発することを目標として鋭意研究を積み重ねた結果、酸化錫を主成分とし、チタン元素、バナジウム元素、モリブデン元素のうち1種もしくは2種以上を不純物として含む透明導電膜とせしめることにより所期の目的を達成し得ることを見出し、更に研究を重ねて、本発明を完成するに至った。
【0017】
本発明は、仕事関数の値が大きく、可視域での光透過率が高く、電気抵抗率が低い透明電極材料、及びその製造方法を提供することを目的とするものである。本発明の他の目的は、仕事関数の値が大きく、可視域での光透過率が高く、電気抵抗率が低い透明電極材料を用いた有機EL素子、無機EL素子、透明トランジスタ素子、及びそれらを用いた物品のための素子部材を提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0018】
上記課題を解決するための本発明は、以下の技術的手段から構成される。
(1)表面の仕事関数の値を向上させた透明導電性酸化物薄膜を有する透明電極であって、透明基板と、前記透明基板上に設けられた透明導電膜から成り、該透明導電膜の表面に、酸化錫を主成分とし、且つチタン元素、バナジウム元素、モリブデン元素のうち1種もしくは2種以上を仕事関数変調のための不純物として含む層を有することを特徴とする透明電極。
(2)前記透明導電膜の表面に、フッ素元素もしくはアンチモン元素を導電性制御のための不純物として含む層を有する、前記(1)に記載の透明電極。
(3)前記透明導電膜の表面の仕事関数が、少なくても5.2エレクトロンボルトである、前記(1)に記載の透明電極。
(4)前記透明導電膜の表面に、酸化錫を主成分とし、且つチタン元素、バナジウム元素、モリブデン元素のうち1種もしくは2種以上を仕事関数変調のための不純物として含む層を有し、且つ該不純物の組成が、M/(M+Sn)=0.005〜0.03(MはTi、V、Moのうち一種もしくは2種以上の不純物元素)である、前記(1)に記載の透明電極。
(5)前記透明導電膜が、2層以上の多層の薄膜の積層構造からなり、少なくとも最上層を含まない薄膜は、インジウム錫酸化物、亜鉛酸化物、チタン酸化物のうちいずれかを主成分とする、前記(1)に記載の透明電極。
(6)前記透明導電膜が、2層以上の多層の薄膜の積層構造からなり、最上層の膜厚が5〜40nmの範囲であり、且つ最上層を含まない層の膜厚が50〜700nmの範囲である、前記(1)から(5)のいずれかに記載の透明電極。
(7)前記(1)から(6)のいずれかに記載の透明電極を陽極として用い、該陽極の透明電極上に形成された有機層と、前記有機層上に形成された陰極層と、前記有機層内に形成された発光層から成ることを特徴とする電子デバイス素子部材。
(8)前記電子デバイス素子部材が、有機エレクトロルミネッセンス素子、無機エレクトロルミネッセンス素子、透明トランジスタ素子、又はそれらを用いた物品である、前記(7)に記載の電子デバイス素子部材。
【0019】
次に、本発明について更に詳細に説明する。
本発明は、表面の仕事関数の値を向上させた透明導電性酸化物薄膜を有する透明電極であって、透明基板と、前記透明基板上に設けられた透明導電膜から成り、該透明導電膜の表面に、酸化錫を主成分とし、且つチタン元素、バナジウム元素、モリブデン元素のうち1種もしくは2種以上を仕事関数変調のための不純物として含む層を有することを特徴とするものである。また、本発明は、上記の透明電極を陽極として用い、該陽極の透明電極上に形成された有機層と、前記有機層上に形成された陰極層と、前記有機層内に形成された発光層から成る素子部材の点に特徴を有するものである。
【0020】
本発明では、前記透明導電膜の表面に、フッ素元素もしくはアンチモン元素を導電性制御のための不純物として含む層を有すること、前記透明導電膜の表面の仕事関数が、少なくても5.2エレクトロンボルトであること、を好ましい実施の態様としている。
【0021】
更に、本発明では、前記透明導電膜が、2層以上の多層の薄膜の積層構造からなり、少なくとも最上層を含まない薄膜は、インジウム錫酸化物、亜鉛酸化物、チタン酸化物のうちいずれかを主成分とすること、前記透明導電膜が、2層以上の多層の薄膜の積層構造からなり、最上層の膜厚が5〜40nmの範囲であり、且つ最上層を含まない層の膜厚が50〜700nmの範囲であること、を好ましい実施の態様としている。
【0022】
本発明によって提供される透明電極を構成する透明導電膜の表面は、酸化錫を主成分とし、チタン元素、バナジウム元素、モリブデン元素のうち1種もしくは2種以上を仕事関数変調のための不純物として含み、フッ素もしくはアンチモン元素を導電性制御のための不純物として含むものとすることにより、該透明導電膜の表面は、従来の酸化錫薄膜ならびに従来の酸化チタン薄膜の表面よりも高い値の仕事関数を有しせしめるという作用をもたらす。
【0023】
透明導電膜のフェルミ準位の状態密度は、各種金属のフェルミ準位の状態密度に比べ非常に小さいため、また、フェルミ準位は、水分子や炭素不純物分子等が吸着することによって大きく変動するため、透明導電膜のフェルミ準位の測定ならびに仕事関数の測定には、細心の注意を要する。薄膜材料表面の仕事関数の値を最も精密に求める方法の一つとして、真空紫外線光電子分光(以下、UPSと示す。)法が、一般に用いられる。
【0024】
前記のような、薄膜表面に水分子や炭素不純物分子等が吸着することによって仕事関数の値が大きく変動することを防ぐため、UPS法による仕事関数測定では、真空成膜室内で薄膜試料を作製した後、試料表面を大気暴露することなく、且つ高い真空雰囲気を保持したままで、UPS測定のための真空分析室中に試料を搬送し、直ちにUPS測定を行うこと、即ち、いわゆる“その場”観察を行うことが望ましい。
【0025】
次に、本発明の実施の態様について具体的に説明する。本発明者らは、上記の作用を明らかにするための検証実験を行った。本発明者らは、図2に示すような成膜・分析を真空一貫の環境で行うことができる装置を構築した。本装置は、真空成膜チェンバ21、真空分析チェンバ22、バッファチェンバ23、ゲートバルブ24、及びゲートバルブ25から成る。該真空成膜チェンバ21は、到達真空度1×10−5パスカル(Pa)であり、加熱機構を有する試料ホルダ21A、スパッタリング成膜を行うための3基のスパッタ源21B、アルゴンガスならびに酸素ガス供給ライン21C、から主に構成される。
【0026】
該真空成膜チェンバ21内にて形成された薄膜試料は、ゲートバルブ24を介して、到達真空度4×10−6Paのバッファチェンバ23内に直ちに真空搬送された後、ゲートバルブ25を介して、真空分析チェンバ22に直ちに真空搬送される。該真空分析チェンバ22は、サーモフィッシャーサイエンティフィック株式会社製の複合型表面分析装置シグマプローブを改造したものである。
【0027】
該真空分析チェンバ22は、到達真空度1×10−8Paであり、試料ホルダ22A、真空紫外光源22B、半球型電子分光器22Cから主に構成される。更に、該真空分析チェンバ22は、単色化X線源(図示せず)を備えているため、X線光電子分光(以下、XPSと示す。)法により薄膜試料の化学組成を見積もることができる。
【0028】
薄膜試料の形成方法を、図3を参照して以下に示す。株式会社信越化学製のシリコン基板31を、いわゆるRCA洗浄と呼ばれる方法で表面清浄化処理した後、該真空成膜チェンバ21に導入した。なお、本確証実験で用いたシリコン基板は、透明基材ではないため、有機EL素子ならびに透明トランジスタ素子のための透明基材としては用いられない。
【0029】
続いて、該シリコン基板31の表面上に、直流(DC)反応性マグネトロンスパッタリング法により、膜厚が30nmの透明導電膜32を形成した。該透明導電膜32は、SnO:Sb中にTiをドーピングしたものである。Ti組成ならびにSb組成を、それぞれxならびにyとした場合は、TiSn1−x2−ySbとも表記される(itanium and ntimony−doped in dixide、以下、TATOとも記す)。
【0030】
用いたスパッタリングターゲットは、金属Tiタブレット及び8%のSbが混合されたSnタブレットの2種類であった。8%Sb混合Sn用のスパッタリングガンの出力は20Wであり、Ti用のスパッタリングガンの出力は16W〜30Wであり、Tiのスパッタリング出力を個別に制御することによってTi組成xを変調させた。用いた導入がガスは、アルゴンと酸素の混合ガスであった。成膜時の全ガス圧は0.53Paであり、そのうち酸素の圧力は0.26Paであった。成膜時の基板表面温度は350℃であった。
【0031】
次に、薄膜試料表面のUPS測定方法を以下に示す。該真空成膜チェンバ21内で形成された薄膜試料は、ゲートバルブ24を介して真空搬送チェンバ23に搬送された後、更にゲートバルブ25を介して真空分析チェンバ22内に搬送され、直ちにUPS測定が開始された。紫外線光源は、He気体の放電により発生させたHeI(hν=21.22eV)であり、更に表面に放出された運動エネルギーゼロの光電子を確実に検出するために、試料ホルダ22Aと半球型電子分光器22Cの間に−10Vのバイアスが印加された。
【0032】
種々の薄膜試料について測定されたUPSスペクトルを図4に示す。図4中の束縛エネルギーの較正は、清浄化されたAu薄膜表面のフェルミ端により行われた。検出されたスペクトルは、2つのピークを持った形状をしており、低エネルギー側が価電子帯の状態密度の分布に起因しており、高エネルギー側は2次電子放出に起因している。図4において、入射紫外光のエネルギー(21.22eV)と検出された光電子のエネルギー幅の差から仕事関数の値が見積もられた。より具体的には、例えば、図4に示すように、光電子の中の最大運動エネルギー(Emax)はフェルミ端をとり、最小運動エネルギー(Emin)は2次電子放出ピークの高束縛エネルギー側の変曲点をとり、図4より、仕事関数の値は、21.22−(Emax−Emin)(eV)として得ることができる。
【0033】
表1には、図4中の各薄膜試料について、XPS法により見積もられた化学組成ならびにUPS法により見積もられた仕事関数の値を示す。図4中の試料41ならびに試料45は、それぞれSnO:SbならびにTiOであるが、該試料41ならびに試料45の仕事関数は、各々4.88eVならびに5.20eVであった。
【0034】
【表1】

【0035】
SnO:Sb中に僅かにTiをドープした場合、仕事関数の値は急激に大きくなり、TiOの仕事関数の値5.20eVよりも大きくなった。特に、Ti組成xの値が0.012である試料42の仕事関数の値は5.34eVであったが、Ti組成が大きくなるにしたがって仕事関数の値は減少し、TiOの仕事関数の値5.20eVに近づいていくことがわかった。上記作用をもたらす理由は、SnO:Sb薄膜中のSnの位置に置換ドーピングされたTi原子とその周りのSn原子との間での電荷移動が生じ、SnOのエネルギーバンドが低エネルギー側へシフトするためと考えられる。
【0036】
更に、図2に示す装置中で成膜・分析を行った薄膜試料を、該装置外に取り出し、分光エリプソメトリー法による光学定数の測定を行った。分光エリプソメトリー法は、J.A.Woollam社製のM−2000を用いて波長範囲380〜1700nmの範囲で行われた。データ解析にあたり、図3中の該透明導電膜32の分散モデルとして、DrudeモデルとTauc−Lorenzモデルを組み合わせたものを用いた(藤原裕之著「分光エリプソメトリー」第5章及び第6章,丸善,2003)。
【0037】
上記のモデルから計算される複素屈折率n+ikの中の屈折率nならびに消衰係数kのグラフを図5に示す。表2には、図5中の各薄膜試料について、XPS法により見積もられた化学組成を示す。図5中の試料51は、Tiを含まないSnO:Sb(Sb組成0.08)であるが、赤外領域において該試料51のnは大きく減少し、kは大きく増加する。
【0038】
【表2】

【0039】
これらのn及びkの変化は、透明導電膜であるSnO:Sb中の自由電子が光を吸収し、誘電関数が変化するために生じることが一般的に良く知られている。SnO:Sb中に僅かにTiをドープした場合、例えば、Ti組成xが0.008ならびに0.025である試料52ならびに試料53の場合も、SnO:Sbよりも僅かに小さくなっているものの、赤外領域でのn及びkの変化が確認でき、薄膜中の自由電子が光を吸収する透明導電膜としての特性をしていることがわかった。
【0040】
ただし、Ti組成が大きくなるにしたがって、赤外領域のn及びkの変化は小さくなり、Ti組成xが0.068以上である試料54ならびに試料55では、赤外領域におけるn及びkの変化は殆どなく、導電膜としての特性を示さなくなることがわかった。
【0041】
以上のような、図4、表1、図5、ならびに表2に示した検証実験の結果より、SnO:Sb中に僅かにTiをドープした場合、即ち、Ti組成xを0.005から0.03程度の割合でドープした場合、仕事関数の値が5.2eV以上である透明導電膜とせしめることができることは明らかである。
【0042】
更に、上記と同様の成膜条件下において、ガラス基板上にTiSn1−x2−ySb薄膜を形成し、市販のITOガラス基板と特性比較した結果を表3に示す。表3中の抵抗率は、四探針法により測定された。表3より、380〜780nmにおける可視光透過率は、TiSn1−x2−ySb薄膜の方がITO薄膜よりも低く、抵抗率はTiSn1−x2−ySb薄膜の方がITO薄膜よりも大きくなった。
【0043】
【表3】

【0044】
そこで、本発明によって提供される透明電極は、例えば、ガラスなとからなる透明基材上に、例えば、ITOなどからなる可視光透過率が高く抵抗率の低い第一の透明酸化物が形成され、該第一の透明酸化物薄膜上に、例えば、TiSn1−x2−ySbなどからなる仕事関数の値が大きい第二の透明酸化物薄膜が形成される工程を有することで、表面の仕事関数の値が大きく、可視光透過率が高く、電気抵抗率が低いものとせしめることができる。また、仕事関数変調のための不純物として、ドープしたチタンに代え、モリブデン、バナジウム、もしくはチタン、モリブデン、バナジウムのうち2種以上を混合したものを用いても同様の作用効果が得られる。
【0045】
モリブデン酸化物ならびにバナジウム酸化物の仕事関数は、5.2eV以上の値であることが報告されているので(特開平9−63771号公報ならびにD.S. Toledano, P. Metcalf and V.E. Henrich, Surface Science,
Vol.472, p.21 (2001))、SnO:Sb中にV、Mo、もしくはTi、V、Moのうちいずれか2種以上を僅かにドープしたものを該第二の透明酸化物薄膜とした場合にも、表面の仕事関数の値が大きく、可視光透過率が高く、電気抵抗率が低い透明電極を作製し、提供することができる。
【0046】
例えば、従来の有機EL素子では、陽極のITO膜と正孔輸送層の有機薄膜との間に、該ITO膜の仕事関数と該有機薄膜のイオン化ポテンシャルの値の差に起因するエネルギー障壁があり、このことが、有機EL素子の駆動電圧を上げる必要が生じたり、発光性能の経時的な低減を招く要因となっていた。これに対し、本発明では、陽極のITO膜等の表面に、酸化錫を主成分とし、且つチタン元素、バナジウム元素、モリブデン元素のうち1種もしくは2種以上を仕事関数変調のための不純物として含む最上層を形成することで、陽極と正孔輸送層とのエネルギー障壁を小さくすることを可能とした。そのため、より低電圧駆動ならびに低消費電力が可能となり、有機EL素子等の長寿命化を達成でき、発光輝度や耐久性に優れた薄型ディスプレイ等への応用が可能となる。
【発明の効果】
【0047】
本発明により、次のような効果が奏される。
(1)表面の仕事関数の値が大きく、可視光透過率が高く、電気抵抗率が低い透明電極を製造し、提供することができる。
(2)前記透明電極を有機EL素子、無機EL素子の陽極に用いることにより、低電圧で発光可能で且つ発光効率を高くせしめることができる。
(3)前記透明電極を有機EL素子、無機EL素子の陽極に用いることにより、有機EL素子、無機EL素子を用いた物品の耐久性を著しく向上させることができる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0048】
次に、実施例に基づいて本発明を具体的に説明するが、本発明は、以下の実施例によって、何ら限定されるものではない。
【実施例】
【0049】
(1)試料の作製
本実施例では、図1に基づいて透明電極の作製方法を示す。本実施例の透明電極の態様は、ガラスなどから成る透明基材11上に、第一の透明導電膜12が形成され、該第一の透明酸化物薄膜12上に第二の透明導電膜13が形成され、該第二の透明導電膜13の表面は酸化錫を主成分とし、且つ前記透明導電膜の表面はチタン元素を仕事関数変調のための不純物として含むことを特徴とする。
【0050】
本実施例では、該透明基材11及び該第一の透明導電膜12として、市販のITOガラス基板(旭硝子製、ソーダライムガラス上にITO膜が形成されており、ITOの膜厚は170nm)を用いた。本実施例では、該第一の透明導電膜12としてITOを用いたが、例えば、該第一の透明導電膜12としてAlあるいはGaをドープしたZnO、即ち、AZOあるいはGZOを用いてもほぼ同様の作用効果が得られる。
【0051】
また、例えば、該第一の透明導電膜12として、NbあるいはTaをドープしたTiO、即ち、TiO:NbあるいはTiO:Taを用いることができる。該透明基材11及び該第一の透明導電膜12からなる上記のITOガラス基板は、有機溶剤及びセミコクリーン溶液を用いた超音波洗浄を施されて表面清浄化がなされた。
【0052】
次に、例えば、直流(DC)反応性マグネトロンスパッタリング法により、該第二の透明導電膜13たるTiSn1−x2−ySb薄膜を、該第一の透明導電膜12たるITO薄膜上に形成した。本実施例では、該第二の透明導電膜13として、TiSn1−x2−ySbを用いたが、例えば、Sbの代わりに、Fをドープしたものや、Tiの代わりに、V、Mo、もしくはTi、V、Moのうちのいずれか2種以上の元素をドープしたものを用いることができる。
【0053】
用いたスパッタリングターゲットは、例えば、金属Tiタブレット及び8%のSbが混合されたSnタブレットの2種類であったが、例えば、2〜8%のSbならびに0.5〜3%のTiが混合されたSnタブレットを用いることができる。また、Snタブレットの変わりにSn酸化物タブレットを用いても良いが、この場合は、交流(RF)スパッタリング法を用いる。
【0054】
本実施例における8%Sb混合Sn用のスパッタリングガンの出力は20Wであり、Ti用のスパッタリングガンの出力は0〜30Wの範囲で制御された。Ti組成xを約0.01とせしめる場合のTi用のスパッタリングガンの出力は、16Wであった。用いた導入がガスはアルゴンと酸素の混合ガスであった。成膜時の全ガス圧は0.53Paであり、そのうち酸素の圧力は0.26Paであった。成膜時の基板表面温度は350℃であった。
【0055】
しかし、これらのガス圧ならびに成膜時の基板表面温度は、本実施例に限定されるものではない。該第二の透明酸化物薄膜13たるTiSn1−x2−ySb薄膜の膜厚は、8nmもしくは32nmとしたが、これに制限されるものではない。
【0056】
(2)結果
表4に、本実施例によって得られた透明電極の特性、ならびに比較として、該透明基材11及び該第一の透明導電膜12として用いた市販のITO透明電極の特性を示した。また、図6に、実施例によって得られた透明電極、ならびに比較として、該透明基材11及び該第一の透明導電膜12として用いた市販のITO透明電極の分光透過率を示した。
【0057】
【表4】

【0058】
本実施例の場合、透明電極を2層構造とし、ITO薄膜を170nm、TiSn1−x2−ySb薄膜のTi組成xを0.012、膜厚を32nmとした場合、シート抵抗10.2Ω/□、380〜780nmにおける可視光透過率74.0%、仕事関数5.34eVとせしめることができた。
【0059】
一方、透明電極を2層構造とし、ITO薄膜を170nm、TiSn1−x2−ySb薄膜のTi組成xを0.012、膜厚を8nmとした場合、仕事関数の値は5.34eVとなり8nmの場合よりも大きいものの、シート抵抗ならびに可視光透過率は、8.9Ω/□ならびに81.5%となり、該第二の透明導電膜の膜厚が32nmの場合よりも向上するものの、仕事関数の値は5.27eVとなり、該第二の透明導電膜の膜厚が32nmの場合よりも低下する。
【0060】
該第一の透明導電膜たるITOの仕事関数の値が4.6eVと小さいため、該第二の透明導電膜の膜厚を小さくするほどITO膜の影響が大きくなり、本実施例のように仕事関数の値が低下するものと考えられる。
【0061】
該第二の透明導電膜の膜厚が8nm、32nmのいずれの場合も、透明電極としての特性は、仕事関数5.2eV以上、シート抵抗20Ω/□以下、可視光透過率70%以上の範囲内であるが、所望の透明電極の性能が発現できるように該第二の透明導電膜たるTiSn1−x2−ySb薄膜の膜厚を5〜40nmの範囲で随時設定することが可能である。
【産業上の利用可能性】
【0062】
以上詳述したように、本発明は、有機EL素子、無機EL素子、透明トランジスタ素子などに用いられる透明電極材料及びその製造方法に係るものであり、本発明により、ガラスなどからなる透明基材表面上に、第一の透明導電薄膜、第二の透明導電膜の順に積層された前期透明電極は、表面の仕事関数の値が5.2eV以上であり、可視光透過率が70%以上であり、シート抵抗は20Ω/□以下にせしめることが可能となる。
【0063】
本発明に係る透明電極を有機EL素子に用いた場合、陽極と正孔輸送層とのエネルギー障壁を小さくすることができるため、より低電圧駆動ならびに低消費電力が可能となる。本発明は、有機EL素子の長寿命化を達成でき、発光輝度や耐久性に優れた薄型ディスプレイ、照明デバイス、携帯電話やポータブルオーディオやカーオーディオの表示窓へ応用可能な透明電極材料を提供するものとして有用である。
【図面の簡単な説明】
【0064】
【図1】本発明に係る透明電極の概略図である。
【図2】本発明の検証実験のための真空一貫成膜・分析装置である。
【図3】本発明の検証実験に係る薄膜試料の概略図である。
【図4】本発明の検証実験に係るUPSスペクトルの測定結果である。
【図5】本発明の検証実験に係る種々の薄膜試料についてデータ解析された複素屈折率のグラフである。
【図6】ITOならびにTATO/ITO膜がコーティングされた透明電極の分光透過率のグラフである。
【図7】有機EL素子の構成例を示す概念図である。
【符号の説明】
【0065】
11 透明基材
12 第一の透明導電膜
13 第二の透明導電膜
21 真空成膜チェンバ
22 真空分析チェンバ
23 バッファチェンバ
24 ゲートバルブ
25 ゲートバルブ
21A 試料ホルダ
21B スパッタ源
21C ガス供給ライン
22A 試料ホルダ
22B 真空紫外光源
22C 半球型電子分光器
31 シリコン基板
32 TiSn1−x2−ySbからなる透明導電膜
71 透明基材
72 アノード(陽極)
73 正孔輸送層
74 発光層
75 電子輸送層
76 カソード(陰極)

【特許請求の範囲】
【請求項1】
表面の仕事関数の値を向上させた透明導電性酸化物薄膜を有する透明電極であって、透明基板と、前記透明基板上に設けられた透明導電膜から成り、該透明導電膜の表面に、酸化錫を主成分とし、且つチタン元素、バナジウム元素、モリブデン元素のうち1種もしくは2種以上を仕事関数変調のための不純物として含む層を有することを特徴とする透明電極。
【請求項2】
前記透明導電膜の表面に、フッ素元素もしくはアンチモン元素を導電性制御のための不純物として含む層を有する、請求項1に記載の透明電極。
【請求項3】
前記透明導電膜の表面の仕事関数が、少なくても5.2エレクトロンボルトである、請求項1に記載の透明電極。
【請求項4】
前記透明導電膜の表面に、酸化錫を主成分とし、且つチタン元素、バナジウム元素、モリブデン元素のうち1種もしくは2種以上を仕事関数変調のための不純物として含む層を有し、且つ該不純物の組成が、M/(M+Sn)=0.005〜0.03(MはTi、V、Moのうち一種もしくは2種以上の不純物元素)である、請求項1に記載の透明電極。
【請求項5】
前記透明導電膜が、2層以上の多層の薄膜の積層構造からなり、少なくとも最上層を含まない薄膜は、インジウム錫酸化物、亜鉛酸化物、チタン酸化物のうちいずれかを主成分とする、請求項1に記載の透明電極。
【請求項6】
前記透明導電膜が、2層以上の多層の薄膜の積層構造からなり、最上層の膜厚が5〜40nmの範囲であり、且つ最上層を含まない層の膜厚が50〜700nmの範囲である、請求項1から5のいずれかに記載の透明電極。
【請求項7】
請求項1から6のいずれかに記載の透明電極を陽極として用い、該陽極の透明電極上に形成された有機層と、前記有機層上に形成された陰極層と、前記有機層内に形成された発光層から成ることを特徴とする電子デバイス素子部材。
【請求項8】
前記電子デバイス素子部材が、有機エレクトロルミネッセンス素子、無機エレクトロルミネッセンス素子、透明トランジスタ素子、又はそれらを用いた物品である、請求項7に記載の電子デバイス素子部材。

【図1】
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【図2】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図3】
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【図7】
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【公開番号】特開2008−243759(P2008−243759A)
【公開日】平成20年10月9日(2008.10.9)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2007−86415(P2007−86415)
【出願日】平成19年3月29日(2007.3.29)
【出願人】(301021533)独立行政法人産業技術総合研究所 (6,529)
【Fターム(参考)】