説明

スクリーニング法

本発明は、質量分析(MS)を用いて変異体ペプチドをスクリーニングするための方法に関する。本発明は、当該方法を実施するためのシステム及びキットにも関する。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、質量分析(MS)を用いて変異体ペプチドをスクリーニングする方法に関する。本発明は、また、上記方法を実施するためのシステム及びキットに関する。
【背景技術】
【0002】
質量分析法は、生体分子などの多種の分子の分子構造を決定するための最も有益なツールであることが立証されており、そして今日、広範に実行されている。この技術は、電子又はその他の高エネルギー粒子による分析対象分子種への衝撃を包み、それにより当該分子のイオン化及び断片化が引き起こされ、その結果種々の電荷及び質量を有する広範なスペクトルのイオン化粒子が生じる。ソフトイオン化法、例えばエレクトロスプレーはイオン化を生じるが、しかし、そもそも分子の断片化は引き起こさない。この方法は、タンパク質及びペプチドの多重荷電種を生成するのに特に有益である。生成する複雑な質量/電荷スペクトルは、従来から行われてきたように、各ポリペプチドに関する単一の質量ピークを有する、コンピューターにより生成されるデコンボリュートされたスペクトルに変換される。最近の質量分析法の進歩は、デコンボリューション分析に必要な最も有効なソフトウエアの開発周辺に主に集中してきた。しかしながら、この技術のこの部分の継続的な進歩にもかかわらず、これは依然としてあらゆる特定の測定手段の最も困難で時間を要する構成要素である。デコンボリューション分析の使用は、これまでに知られていない、あるいは不確実な分子構造の解明を目的とする質量分析法に必須となっているが、しかし、現在の方法論を単純化してその実施に必要な時間を大幅に低減するのは難しいことが判明した。
【0003】
質量分析は、重篤な疾患に関与する変異体タンパク質及びポリペプチドの検出のためにも用いられる。例えばヘモグロビンのポリペプチドサブユニットの多数の変異体あるいは突然変異体が様々な型の貧血を生じることは既知であり、そしてこのような突然変異の多くはたった1つのアミノ酸の変異である。これらのタンパク質の基本分子構造及びアミノ酸配列、並びにそれらをコードするDNAにおける対応する突然変異は、すでに文献に記録されている。
【0004】
質量分析法は、遺伝性代謝性障害(IMD)の集団検診のためにも用いられてきた(Chase et al., Clin. Chem., 49, 1797-1817, 2003)。
【0005】
ヒトにおいては、異常ヘモグロビン症は最も一般的な遺伝性障害である。これらはグロビン遺伝子に対する突然変異に起因するものであり、800を超えるヘモグロビン変異体についてその特性が明らかにされているが(Huisman et al, Human Haemoglobin Variants, 2nd Edn., Augusta, GA: Sickle Cell Anemia Foundation 1998)、それらの多くは臨床的な意義を持たない。ヘモグロビン変異体は、通常は麻酔前の検査又は新生児及び出産前スクリーニングプログラムの結果として検出される。臨床症状を生じる変異体も、診断的研究の一部として同定され得る。近年の健康イニシアチブ(health initiative)は従来の新生児期及び出産前スクリーニングプログラムを拡大したものであるが、それにより作業負荷が劇的に増大した(The NHS Plan July 2000, command paper 4818)。また、それらにより、臨床的に重要と思われるヘモグロビン変異体に特異的な検査システムも必要となった。2つのプログラムは異なる目的を有する。出産前スクリーニングでは、その目的は胎児に対して遺伝的危険性をもたらす異常ヘモグロビン症の保因者を同定することである。したがってその目的は、鎌状ヘモグロビン及びベータ地中海貧血症形質の有無、或いはそれらと相互作用するヘモグロビン変異体のうちの1つ、例えばHb C、Hb DPunjab、Hb OArab、Hb Lepore及びHb Eを検出することである。さらに
、臨床的に重要な可能性がある3つのその他の病気、即ちデルタベータ地中海貧血症、遺伝性高胎児ヘモグロビン血症(HPFH)及びアルファゼロ地中海貧血症形質も含まれる。新生児スクリーニングでは、その目的は、治療を開始するための鎌状細胞疾患及び重症ベータ地中海貧血症を有する個体の早期同定である。
【0006】
異常ヘモグロビン症の古典的生化学的診断は、電気泳動の技法又は陽イオン交換クロマトグラフィーにより生成される表現型情報を用いる(Working Party Of General Haematology Task Force, 1998)。これらは現在のスクリーニング法の基礎を形成している。しかしながらそれらは遅く、労力を要し、そして非特異的である。さらにそれらは標的化されていないため、スクリーニングプログラムによって必要とされないヘモグロビン変異体を検出することになろう。エレクトロスプレー四重極質量分析(MS)は、集団検診にとっては、より迅速で、より特異的であり、そしてより費用効率が高い可能性がある。
【0007】
MSを用いた異常ヘモグロビン症の特性化のための公表された方法の大多数は、全血のスキャンを用いて無傷グロビン鎖の質量を評価し、その後、ペプチドをトリプシン消化して分析した(Wild et al., Blood Cells, Molecules and Diseases, 27, 691-704, 2001)。この方法で、大多数のグロビン突然変異を明確に特徴づけることが可能である。
【0008】
前記MS手法の詳細については、Wild et al., 2001(上記)、特に、正常及びある特定の変異体βヘモグロビン鎖に関するデコンボリュートされたESI質量スペクトルを示す693ページの方法の節及び697ページの図2を参照されたい。Wild et al., 2001(上記)の698ページの表1は、トリプレットをコードしているヌクレオチドにおける単一の塩基の変化により生成され、MS法により決定可能な多数の質量及びアミノ酸変化を列挙している。
【0009】
国際特許出願WO2004/090552では、簡略化したMS手法を用いて、β−グロビン鎖の鎌状細胞タンパク質突然変異の存在を検出する。正常(野生型)ポリペプチド及びその突然変異体に関する知見に基づいて作業することにより、MSを荷電種に集中させ、そして全ての他のデータの記録及び分析が回避される。したがって、単一の標的イオン化種を検出すること、及び、対象試料中に変異体が存在する場合、その変異体に対応するピークを検出することが可能である。この方法は、特定の選択されたイオン化種を標的とする方法の1つとして言及される。関連する方法は、Shushan et al., Clinical Chemistry, 44, A150, 1998;Liu Tao et al., Shengwu Huaxue Yu Shengwu Wuli Xuebao, 34,
423-432, 2002;Kobold et al., Clinical Chemistry, 43, 1944-1951, 1997;Wan et al., J. Chromatog., 913, 437-446, 2001;及びVan Dorsselaer et al., Biochemistry, 28, 2949-2956, 1989にも記載されている。
【0010】
従来の方法に関しては、例えば、検出される標的のイオン化種が同一の質量/電荷比を有する種と混同される可能性があること、また、感度が不足していること、等多数の問題が依然として存在する。さらに、変異体タンパク質が、野生型タンパク質とわずかしか相違していない場合、変異体タンパク質と野生型タンパク質とをMSを用いて区別することは非常に困難になり得る。
【発明の開示】
【0011】
本発明は、タンパク質の変異をスクリーニングするためのより高感度な方法に関する。変異体タンパク質に関して異質な個体から得られる試料中に変異体タンパク質が存在する場合、感度の増大は特に重要である。
【0012】
本発明は、試料中の既知のタンパク質変異体を検出する方法であって、
(i)タンパク質を消化して、規定の一連のペプチドを産生すること、
(ii)前記ペプチドをイオン化し、タンパク質変異体を示す既知の質量/電荷比のイオン化種を質量分析により選択すること、及び
(iii)選択されたイオン化種を衝突誘起解離に付すと共に、試料中のタンパク質変異体の存在を確証する既知の質量/電荷比の誘導されたイオン化種の1又は複数を測定すること
を包含する方法を提供する。
【0013】
本発明の方法は、タンパク質変異体の正確且つ特異的な検出を可能にする。とりわけ、タンパク質を消化して規定の一連のペプチドを産生すること、および選択されたイオン化種を衝突誘起解離に付すことにより、この方法が偽陽性を検出する機会はかなり低くなる。
【0014】
本発明の方法は、任意のタンパク質変異体、例えばタンパク質突然変異、又は異常濃度の野生型タンパク質を検出するために用いられ得る。したがって、変異体タンパク質産生につながる任意の遺伝性障害は、本発明を用いて検出され得る。本発明の方法で検出され得る特定のタンパク質変異体としては、ヘモグロビン変異体、並びにグリコシル化の先天性障害(CDG)に関連した変異体タンパク質が挙げられる。種々の形態の貧血を引き起こす変異体ヘモグロビンタンパク質は、標準的な教科書、例えばby Golder N. Wilson, Wiley Liss らによる「Clinical Genetics」(2000)の114-119ページに記載されている。Wild et al., 2001(上記)はまた、その698ページに、多数のこのようなアミノ酸変化を列挙している。このような変異はすべて、本発明による検出に適している。本発明の方法を、臨床的に重要なヘモグロビン変異体、例えばHb S、Hb C、Hb DPunjab、Hb OArab、Hb Lepore、Hb E、デルタベータ地中海貧血症、遺伝性高胎児ヘモグロビン血症(HPFH)及びアルファゼロ地中海貧血症形質を検出するために用いることが特に好ましい。本発明の方法を、臨床的に重要なヘモグロビン変異体である、S、C、E、DPunjab及びOArabを検出するために用いることがさらに好ましい。
【0015】
検出されるべきタンパク質変異体は、糖タンパク質を含めた任意のタンパク質であり得る。特に、代謝性障害を示す特定の糖タンパク質が、本発明の方法を用いて検出され得る。例えばグリコシル化の先天性障害(CDG)は通常、本来であれば重度にグリコシル化されている血漿タンパク質である血漿トランスフェリンの分析により診断される。血漿トランスフェリンは、厳密なCDG型に依存した糖部分の組み込み低下の特徴的パターンを示す。検出されるべきタンパク質変異体は、障害又は疾患を示す任意のタンパク質であり得る。例えば、尿中アルブミン(腎臓における内皮障害のマーカー、したがって腎臓疾患及び心臓血管性損傷の進行のリスクのマーカーとみなされる)、尿中低分子量タンパク質(例えばレチノール結合タンパク質)(このレベルの上昇は尿細管損傷を示す)、CSF中のプリオンタンパク質(PrP)変異体は遺伝性海綿状脳症を示し得る、そして血中膵臓タンパク質は嚢胞性繊維症のスクリーニングを可能にするかもしれない。
【0016】
本願の方法は、既知のタンパク質変異体を検出するために用いられる。したがって検出されるべきタンパク質変異体の配列は、既知でなければならない。これは、この方法が当該タンパク質に由来する既知の質量/電荷比のイオン化種の選択を要することから、重要である。検出される変異体が既知でない場合には、タンパク質に由来するイオン化種の質量/電荷比を決定することはできない。
【0017】
「イオン化種(ionised species)」という用語は、イオン化され、荷電したペプチドを指す。
【0018】
既知の質量/電荷比のイオン化種を選択することにより、限られた質量/電荷比のウインドウのみを走査すればよい。これにより、操作者が実施する必要のある作業及び分析の
量はかなり減少する。特に、既知の質量/電荷比の単一のイオン化種を選択することにより、異なる質量/電荷比を有する広範囲のイオン化粒子を測定する必要がなく、そして、複雑で時間のかかるステップであるデコンボリューション分析を実施する必要がない。これらの時間のかかるステップを回避することにより、これらの方法を用いて、タンパク質変異体の存在を迅速且つ正確に決定することができる。
【0019】
場合によっては、本願方法を用いて、既知の質量/電荷比を有する少数のイオン化種を選択してもよい。少数のイオン化種は、1〜20、好ましくは1〜10、さらに好ましくは1〜5であり得る。この方法が既知の質量/電荷比の少数のイオン化種を選択することを含む場合でも、広範囲のイオン化粒子が測定される従来技術の方法とくらべて、本願方法はかなり迅速でより単純である。本願方法は既知の質量/電荷比の単一のイオン化種を選択することを含むのが最も好ましい。
【0020】
タンパク質変異体が検出される試料は、任意の適当な試料、例えば血液、尿、脳脊髄液及び組織試料であり得る。明らかに、試料の種類は検出されるべきタンパク質変異体に依存する。タンパク質変異体がヘモグロビン変異体である場合、試料は好ましくは血液である。さらに、血液スポットが試料として用いられ得ることが判明した。試料は、任意の望ましくない夾雑物を除去すること、検出されるべきタンパク質変異体を濃縮すること、タンパク質を変性させること、及び/又は試料をタンパク質消化に適した形態にすること、を目的として標準的な方法により処理してもよい。試料を処理するための適切な方法は、当業者に既知である。
【0021】
タンパク質は、規定の一連のペプチドを産生するよう消化される。「規定の一連のペプチド」という用語は、タンパク質を消化することにより産生される一連のペプチドが予測できる、ということを意味する。例えばトリプシンなどの配列特異的プロテアーゼ(即ち特異的配列で切断するプロテアーゼ)を用いる場合、産生される一連のペプチドはそのタンパク質の配列に基づいて予測され得る。
【0022】
タンパク質を消化して一連のペプチドを産生することにより、それらのペプチドのうちの1又は複数は検出されるべきタンパク質変異体に特異的なものになる。例えば変異体タンパク質が野生型タンパク質(非変異体タンパク質)とひとつのアミノ酸だけ異なる場合、変異アミノ酸を含むペプチドは変異体タンパク質の指標となるだろう。或いは、ある特定のプロテアーゼに関する切断部位が変化するような形で変異体タンパク質が野生型タンパク質と異なる場合、1又は複数の新規のペプチドが産生されることになり、さらに1又は複数の新規のペプチドが変異体タンパク質の指標となるだろう。
【0023】
タンパク質変異体は、関連タンパク質と異なる野生型タンパク質であってもよい。この場合も、タンパク質間の任意の相違を利用して、タンパク質変異体を特異的に検出し得る。
【0024】
規定の一連のペプチドはイオン化され、タンパク質変異体を示す既知の質量/電荷比のイオン化種が選択される。ペプチドはイオン化されることができ、イオン化種は当業者に既知の質量分析の任意の方法を用いて選択され得る。好ましい実施形態では、ペプチドをイオン化し、さらにイオン化種を選択するために、エレクトロスプレーイオン化四重極質量分析が用いられる。他のイオン化法、特にソフトイオン化法、例えば高速原子衝撃(FAB)及びマトリックス支援レーザー脱離イオン化(MALDI)、並びにその他の質量分析系、例えば飛行時間型(TOF)及び扇形磁場も可能であることは、この一般的な技術分野における熟練者にとっては当然のことであろう。
【0025】
選択されるべき特異的なイオン化ペプチドが既知であるため、質量分析により選択され
るべきイオン化種の質量/電荷比を予測することが可能である。当業者に明らかであるように、特定のペプチドは、イオン化の程度に依存して、異なる質量/電荷比を有する多数のイオン化種を形成することになる。1又は複数のイオン化種が選択され得る。選択されるべきイオン化種は、断片化の容易性、および、誘導されるイオン化種を非変異体タンパク質由来のものと区別する能力等の多くの変数によって決まるが、しかし、検出レベルが最適になるように選択されるべきである。
【0026】
上記のように、選択されるイオン化種は、変異型アミノ酸配列を有するペプチドから産生される(即ち、ペプチドのアミノ酸配列は野生型(非変異体)タンパク質から得られる対応するペプチドと異なる)か、或いは変異体タンパク質が消化される場合にのみ形成されるペプチドから産生される(即ち、変異体タンパク質は、野生型(非変異体)タンパク質と比較して、消化の際の異なる切断部位を有する)か、いずれかの場合に、タンパク質変異体の指標となる。
【0027】
選択されたイオン化種は変異体タンパク質の指標となるのみである。これは、同一質量/電荷比を有する、関連のないイオン化種が存在するかもしれないからである。関連のないイオン化種は試料中に存在する別のタンパク質から形成され得るし、或いは変異体又は非変異体タンパク質の別の部分から形成され得る。
【0028】
このことを考慮し、また本方法の正確さを向上させるために、選択されたイオン化種は衝突誘起解離に付され、そして、既知の質量/電荷比の1又は複数の生成したイオン化種が測定される。選択されたイオン化種は、当業者に既知の質量分析の任意の方法を用いてイオン化され、測定され得る。
【0029】
選択されたイオン化種を衝突誘起解離に付す場合、2つのことが起こり得る。
【0030】
第一に、選択されたイオン化種は解離されて、複数のイオン化ペプチド断片を生じる。一連のイオン化ペプチド断片を測定して、既知の質量/電荷比のイオン化種を同定することができる。選択されたイオン化種がタンパク質変異体に由来する場合、選択されたイオン化種の解離時にどのようなイオン化種が生成されるかを予測することができる。質量/電荷比も予測され得る。したがって、解離の後のイオン化種を探すことにより、試料中のタンパク質変異体の存在を確証することができる。
【0031】
第二に、選択されたイオン化種は解離されず、複数のイオン化ペプチドは生じない。しかしながら任意の夾雑同重体ペプチドは解離され得る。したがって、選択されたイオン化種を測定することができ、試料中のタンパク質変異体の存在が確証される。
【0032】
したがって1又は複数の生成されたイオン化種は、最初に選択されたイオン化種と同一であり得るか、或いはそのイオン化された断片であり得る。例えば最初に選択されたイオン化種は、2以上のより小さいイオン化ペプチド種に解離され得る。
【0033】
衝突誘起解離のレベルを変更することで、選択されたイオン化種の解離の程度を制御することができる。本発明の好ましい実施形態では、選択されたイオン化種は、1.選択されたイオン化種の実質的解離を引き起こさない、あるいは複数のイオン化ペプチド断片の産生をもたらす低エネルギー断片化(低レベル断片化)、並びに2.イオン化種の両端からのアミノ酸の除去を引き起こす高エネルギー断片化(高エネルギー断片化)に付される。したがって、アミノ酸を検出することにより、当業者は、選択されたイオン化種の配列を決定することができる。
【0034】
高エネルギー断片化を付加的に実施することにより、選択されたイオン化種の同一性に
関してさらに情報が得られる。この付加的な情報により、試料中のタンパク質変異体の存在がさらに裏付けられる。
【0035】
したがって、本発明の方法はさらに、イオン化種の両端からアミノ酸が除去され、そしてイオン化種の配列が決定されるよう、選択されたイオン化種を高エネルギー断片化に付すことを含むのが好ましい。
【0036】
低エネルギー及び高エネルギー断片化レベルの衝突誘起解離は、同時に又は逐次的に実施され得る。低エネルギー及び高エネルギーレベルの衝突誘起解離は、同時に実施されることが好ましい。低エネルギー及び高エネルギー断片化を同時に実施し得る多数の質量分析計が利用可能である。特に、線形イオントラップを有する任意の質量分析計、例えばAPI 2000 Q−トラップ又はQ−トラップ4000(SCIEX)などを用いることができる。
【0037】
本発明は、本発明の方法を実施するためのシステムも提供する。このシステムは、本発明の方法を実施するために調整されるタンデム質量分析を実施するための機械を含む。
【0038】
本発明は、本発明の方法を実施するためのキットであって、
(i)タンパク質試料を調製するための緩衝液及び試薬、
(ii)タンパク質試料を消化して一連の規定のペプチドにするためのプロテアーゼ、
(iii)タンデム質量分析法を実施するための機械に試料を送達するための担体基質、及び
(iv)本発明の方法を実施するために調整されるタンデム質量分析法を実施するための機械
を包むキットも提供する。
【0039】
キットは、本発明の方法を実施するための機械を調整するに適したソフトウエアを付加的に含んでもよい。
【0040】
添付の図面を参照して、ほんの一例として本発明を以下に説明する。
【実施例】
【0041】
本発明人らは、重要なタンパク質変異体、特にグロビン変異体を特異的に同定するための標的化アプローチを開発した。これは、記載される変異体の各々に関与する突然変異が既知であり、したがって遺伝暗号からアミノ酸配列を決定できる、という事実を利用する。トリプシンによる消化の過程で、グロビン鎖は、鎖中のアルギニン及びリシンの現れる箇所で切断され、一連のペプチドを生じる。タンデム質量分析計(API 4000、MDS-SCIEX)により、突然変異に特異的なイオン化種が検出され得るようなペプチドの選択及び衝突誘起解離が可能になる。アルギニン及びリシンを付加するか又は置換することにより切断部位が変更になる突然変異は、単一の突然変異が存在する場合には固有のペプチドを生成する。
【0042】
本発明人らは、ベータグロビンのトリプシン消化中に形成される3つの重要なペプチドであるT1、T3及びT13(これらはヘモグロビンS、C、E、DPunjab及びOArabと関連した突然変異を含む)を検査するために、一連のMSMS及び擬似MSMS実験を実施した。このプロトコールは、ヘモグロビンS及びヘモグロビンC、DPunjab、OArab及びEに特異的なイオン化生成物を検索する。正常なベータT1鎖の質量に特異的なイオン化種、並びに正常なT3及びT13ペプチドに対応するイオン化種も測定される。これを、分析手法に関する品質管理チェックとして、またそれらの突然変異に関する保因者又は疾患状態を決定するために用いた。
【0043】
ヘモグロビンS
ヘモグロビンSは、ベータ鎖の6位の野生型のグルタミン酸がアミノ酸バリンに置換された結果として形成される。これは、野生型のものより30ダルトン(Da)少ない質量を有する生成物をもたらす。トリプシンによる消化に付される場合、鎌状細胞の突然変異は、ベータ鎖の最初の8アミノ酸を含有するT1断片中に位置する。アミノ酸配列及び分子量を表1に示す。
【0044】
【表1】

【0045】
エレクトロスプレーMSMS法を用いて、ペプチドをイオン化して、一連の多重荷電イオン化種を産生する。単一荷電野生型ベータ鎖T1ペプチドの理論的な質量/電荷比は[M+H]+ 952.5であり、二重荷電ペプチドの理論的な質量/電荷比は[M+H]2+ 476.8である。両方の種は、適切な消化物のm/z 100〜1500のスキャンにおいて観察される(図1A)。鎌状赤血球病の患者からの試料では、6位のグルタミン酸のバリンによる置換は、対応する荷電ペプチド[M+H]+ 922.5及び[M+H]2+ 461.8を生じ(図1B)、野生型イオンは存在しない。したがって野生型ベータ鎖からの30Daの質量低下は、T1ペプチドに特有のものであった。これは高度に特異的ではあるが、しかし、T1ペプチドの衝突誘起解離(CID)又は断片化を用いることにより、より一層のレベルの特異性及びバックグラウンド低減を導入し得る。したがって、対象となるペプチドは、四重極1(MS1)において単離され、四重極2で衝突誘起解離に付され、そして四重極3(MS2)で分析される。
【0046】
二重荷電ペプチドの断片化は通常、yイオン及びbイオンと呼ばれる2つの相補的ペプチドイオンの産生をもたらす。yイオンはそのC末端に正電荷を保持し、一方、bイオンはN末端に正電荷を保持する。したがってペプチドのアミノ酸配列を知ることにより、生成したイオンの断片化質量を算定することができる。これを、正常及び鎌状T1ペプチドに関して表2及び表3に示す。
【0047】
【表2】

【0048】
【表3】

【0049】
本発明人らは、第一の四重極において[M+2H]ペプチド質量を選択して対象ペプチドを同定する、ここで使用されている質量分析計に対するプロトコールを開発し、最適化した。これはコリジョンセル(collision cell)中で断片化され、その後、第二の四重極においてイオン化したペプチド断片が同定される。この方法によれば、yイオンに関しては、正常なベータT1断片に関して選択された質量は476.8Daであり、これは標的
生成物としての502.3Daのy4イオンを有する。鎌状T1断片に関して選択された質量は461.9Daで、これは標的生成物としての472.4Daのy4イオンを有する。
【0050】
野生型(図2A)及び鎌状(図2B)[M+2H]2+イオンの生成物イオンのスキャンは、このアプローチの実用性を実証する。[M+2H]2+イオンを用いたのは、より低い衝突エネルギー10で断片化するためであるということに留意されたい。鎌状細胞タンパク質のスキャンは、独特であり、かつ基本的に診断的である。しかしながら、関心の持たれるペプチドを標的とした多重突然変異の集団検診のためには、高感度なマルチプルリアクションモニタリング(multiple reaction monitoring)(MRM)モードで機器を使用する機会が生じる。鎌状細胞タンパク質の場合、理論的に最も特異的な標的は、y3イオンである。実際、5位でのプロリンの影響(Williams et al., Biochem. J., 201, 105-117, 1982)のため、y4イオン(m/z 472.3)は、さらに高感度なシグナルをもたらす。理論的な野生型のMRMはm/z 476.8/502.2であり、そして鎌状細胞タンパク質に関してはm/z 461.8/472.3である。
【0051】
鎌状細胞タンパク質の同定のための方法は、全血のトリプシン消化、消化物の自動化直接注入、2度のMRMの収集、並びに約1分の注入と注入の間の時間、を包含する。トリプシン消化物の2度目の注入および対象ペプチドの生成物イオンのスキャニングを用いることにより、得られた配列情報を明確に立証できる。
【0052】
上記のアプローチは、以下の異常ヘモグロビン症のために用いられた。
【0053】
ヘモグロビンC
ヘモグロビンCは、ベータ鎖の6位の野生型グルタミン酸がアミノ酸リシンで置換された結果として形成される。トリプシンによる消化に付されると、これは6位で新規の切断点を生じ、したがって特定の質量を有する新規のペプチドを生じる。このペプチドは、アミノ酸配列VHLTPK[M+H]694.4Daを有する。この場合には、新規ペプチドの特異性により、スクリーニングに関して断片化は不必要になる。二重荷電ペプチドと比較した場合の単一荷電ペプチドのより高い安定性は、鎌状細胞及び野生型MRMに必要とされる衝突エネルギーでは、Cペプチド特異的[M+H]+イオンはわずかしか断片化しない、ということを意味する。したがって、「MRM」 m/z 694.4/694.4が適用できる。同様の「擬似MEM」アプローチが、ヘモグロビンDPunjab、OArab及びEに関して用いられた。
【0054】
ヘモグロビンDPunjab
ヘモグロビンDPunjabは、ベータ鎖の121位の野生型グルタミン酸がアミノ酸グルタミンで置換された結果として形成される。これは、野生型より1少ない質量を有する生成物をもたらす。トリプシンによる消化に付されると、これは、アミノ酸121〜132を含有するT13ペプチド中に見出される。このように、EFTPPVQAAYQKからなる野生型T13配列は、QFTPPVQAAYQKに変更される。このペプチド中の他の単一のアミノ酸置換で、1減少の質量変更を生じるものはなく、したがって、[M+H]
1378.8Daから[M+H] 1377.8DaへのT13野生型断片の質量変更は、ヘモグロビンDPunjabに高度に特異的である。
【0055】
ヘモグロビンOArab
ヘモグロビンOArabは、ベータ鎖の121位の野生型グルタミン酸がアミノ酸リシンで置換された結果として形成される。トリプシンによる消化に付されると、これは、位置121で新規の切断点を生じ、新規のペプチドを伴う。EFTPPVQAAYQK [M+H] 1378.8Daからなる野生型T13ペプチドは、FTPPVQAAYQK [
M+H] 1249.7Daとなる。
【0056】
ヘモグロビンE
ヘモグロビンEは、ベータ鎖の26位の野生型グルタミン酸がアミノ酸リシンで置換された結果として形成される。トリプシンによる消化に付されると、これは、アミノ酸18〜30を含有するT3ペプチド中に見出される。T3ペプチドの野生型配列は、VNVDEVGGEALGR [M+H] 1314.7Daである。ヘモグロビンE突然変異が存在する場合、配列はVNVDEVGGKALGRで、これは2つの新規のペプチドVNVDEVGGK [M+H] 916.8及びALGR [M+H] 416.3を生成する。小さいほうのペプチドは、他の多突然変異により影響を受けることは少ないと思われるので、標的ペプチドとして用いられる。
【0057】
これら5つのヘモグロビンのために作成されるプロトコールでは、下記の質量を用いて、それらの存在の有無、並びに対応する野生型ペプチドの存在の有無が同定される。
【0058】
【表4】

【0059】
材料及び方法
患者群
現行の方法と並行して試験し、分析されるべき変異体の各々に関して有意な数を提供するために、異常ヘモグロビン症診断のために承諾されたEDTA中の匿名化全血試料200例を選択した。これらは、52例のヘモグロビンAA、44例のヘモグロビンAC(C形質)、57例のAS(鎌状細胞形質)、16例のヘモグロビンSC(SC疾患)、14例のヘモグロビンSS(鎌状細胞疾患)、10例のヘモグロビンAE(E形質)、2例のヘモグロビンADPunjab(DPunjab形質)、並びにヘモグロビンCC(C疾患)、DPunjabPunjab(DPunjab疾患)、EE(E疾患)、AOArab(OArab形質)及びOArabArab(OArab疾患)の各々1例の試料を包含した。
【0060】
材料
重炭酸アンモニウム(A6141)、TCPK処理トリプシン(T1426)及び蟻酸(Sigma Aldrich, UKから入手)。アセトニトリル(Rathburn Chemicals Ltdから入手)。
【0061】
現行の方法
異常血色素症の実験室的診断の指針(Guideline Laboratory Diagnosis of Haemoglobinopathies)(Working Party Of General Haematology Task Force, 1998)を、最低基準として考慮した。HbA2/HbA1cデュアルプログラムキット(Bio-Rad, UK; Hemel Hempstead, UK)を用いて操作するVariant(商標)IIを用いた高速液体クロマト
グラフィー(HPLC)により、初期異常ヘモグロビン症スクリーニングを実施した。確立された方法、例えば鎌状細胞溶解試験、酸性及びアルカリ性ゲル(Wild, B.J., Brain,
B.J., Churchill Livingstone, 9th Ed. 231-268, 2001)、ポリメラーゼ連鎖反応(Fodor, F.H., Eng, C.M., Prenat. Diagn., 19, 58-60, 1999)並びにベータ遺伝子シークエンシングを用いて、暫定的なヘモグロビン同定のための確認試験を実行した。
【0062】
トリプシン消化
Wild et al., 2001(上記)により記載された方法に従って、全血試料(10μl)を蒸留水(490μl)中に希釈して、使用溶液(working solution)を作製した。ヘモグロビンを変性するために、アセトニトリル(10μl)及び1%蟻酸(10μl)を使用溶液100μlに付加した。室温で5分間放置後、1M重炭酸アンモニウム(6μl)及びTPCK処理トリプシン(5μl)を付加した。溶液が透明になったら、それを遠心分離して、37℃で30分間インキュベートした。消化後、溶液40μlを、0.2%蟻酸を含有する1:1アセトニトリル:水360μl中で希釈して、使用溶液を作製した。使用溶液を96深型ウエルポリプロピレンプレート(Semat International Ltd, St Albans, UK)に移して、MSMS分析のために、CTC Analytics HTS PAL冷却オートサンプラー(Presearch Ltd, Hitchin, UK)にセットした。
【0063】
質量分析
3つの別個のプロトコールが各々異なるイオン化ペプチドを標的とするように、ヘモグロビン変異体を同時に分析する。
【0064】
試料(2μl)は、0.025%蟻酸を含有するアセトニトリル:水(1:1)の流速75μl/分(アジレント1100シリーズ)の連続溶媒流中に自動的に導入され、5500V及び2500Cの陽イオンモードのエレクトロスプレー源を有するSCIEX API4000(Applied Biosystems, Warrington, UK)トリプル四重極MSMS中に導入された。インターフェースヒータはオンで、デクラスター電位は81.0V、入り口電位10Vであった。衝突ガス設定(6.0)、衝突エネルギー(30V)及び出口電位(15.0V)は、3つのMSMS実験に関して一定とした。第1の実験(野生型ベータグロビンT1ならびにT1変異体S及びCを標的とする)、第2の実験(野生型T13ならびにT13変異体DPunjab及びOArab)、並びに第3の実験(野生型T3およびT3変異体E)。実際のMRM及び“”を表4に示す。ドウェルタイム(dwell time)は各々のトランジション(transition)に対して150ミリ秒であった。総収集時間は60秒であった。
【0065】
結果
200例の血液試料を上記のように分析した。ヘモグロビン表現型の各々に対する試料の数並びに予測される結果のパターンを、表5に示す。
【0066】
【表5】

【0067】
表5から、正常ヘモグロビンA表現型は3つの野生型ペプチドT1、T13、T3の存在をそれらの特徴的質量において示し、一方、鎌状細胞形質表現型(AS)は、これらの質量でのペプチドを有するほかに、472.4Daにおいてもイオンを有する、ということが分かる。同様に、ヘモグロビンC形質表現型(AC)は、前記3つの野生型質量のほかに、694.4Daにおいてペプチドを示す。我々は、このタイプのパターンが試験した残りの形質表現型に当てはまることを示した。疾患又は複合へテロ接合状態では、対応する野生型ペプチドは存在せず、変異体の特徴的質量でイオン化ペプチドが検出される。
【0068】
各試料に関して、4枚のデータが操作者に提示され得る。総イオンクロマトグラム、次に、T1、T13及びT3ペプチドである。簡単のために、そしてデータを有効に実証するために、ヘモグロビンAA、AS及びSSを有する被験者からの試料に対するT1 MRMデータを、図3に示す。AAでは事実上Sシグナルが存在しないことから、Sに対するシグナル対ノイズ比、したがって感度が非常に高くなることに留意されたい。C、DPunjab、OArab及びEに関する相当するデータを、それぞれ図4、図5、図6及び図7に提示する。「擬似MRM」を用いる場合でも、バックグラウンドシグナルは相対的に小さく、単に目で見て調べることにより、標的とした突然変異すべてに対するヘテロ接合体状態及びホモ接合体状態を同定できる。1Daのシフトであることから、DPunjabに関してホモ接合性である患者においても、見かけ上はT13ペプチドに対する高い野生型シグナルが存在する。しかしながら、m/z 1377.8/1378.8シグナルの相対比のため、ヘテロ接合性及びホモ接合性DPunjabの検出は影響を受けない。
【0069】
本発明人らは、試験プロトコールで標的とされるヘモグロビン変異体の一群を提供するよう検体を選択し、慣用的技法により同定されるヘモグロビン変異体がすべて、質量分析により検出される対応する変異体ペプチドを有することを確認した。さらに予測されたように、疾患及び複合ヘテロ接合体状態では、野生型ペプチドは存在しなかった。この例外は輸血を受けたことのある患者であって、この場合、予測されるように、野生型ペプチドが変異体のペプチドと一緒に存在した。したがって、分析された200例の試料に関して
記載されたアプローチを用いた場合、現行の方法から得られる結果と、変異体の質量分析による同定に対して予測される結果パターンとの間の相関は100%であった。特に、ヘテロ接合体又はホモ接合体ヘモグロビンS、C、DPunjab、OArab及びEの検出は、分析された200例の試料において100%特異的で、かつ100%の感度であった。
【0070】
考察
異常ヘモグロビン症に関する国のスクリーニングプログラムの実施は、適時且つ精確な方法で、臨床的に重要なヘモグロビンを同定する必要性を際立たせた。真のスクリーニングプログラムの目標は、「医学的処置、教育又はカウンセリングのような介入が疾患の自然の経過を改善し得る特有の障害を有する、集団内の個体を同定すること」(Henthorn et al., Br. J. Haematol. 124, 259-263, 2004)である。現行の方法は、実のところスクリーニング技法とはみなされ得ない。それらの方法は、多数のヘモグロビン変異体(その多くが臨床的には重要でない)を検出するからである。多くの実験室によって現在行われているこれらの変異体の特異的な同定は、限られた財源の無駄遣いである。さらに、現行の方法は相対的に時間当たりの情報処理量が小さい。例えば、いくつかのHPLCの系を用いて、約6分/試料を要する。ヘモグロビンはこのような系により暫定的に同定され、そして次に、結果の最終的な実証の前に他の技法による確認を要する(Wild, B.J., Bain, B.J. 2004 (上記))。ヘモグロビン変異体のMSMS同定の現行の技法は、未知のヘモグロビン変異体を決定的に同定するよう意図され(Wild et al, 2001(上記))、有効ではあるが時間がかかる。プログラム内の臨床的に重要と思われるそれらのヘモグロビンを標的としたスクリーニングは、時間及び財源の使い方に焦点を合わせるものである。多数の試料のプロセシング並びに必要なヘモグロビン変異体の迅速な単離を可能にするシステムは、所要時間を削減し、それにより出産前スクリーニングプログラムにおける重要因子である検体収集と患者のカウンセリングとの間の時間遅延を低減する。
【0071】
臨床的に重要なヘモグロビン変異体に関するスクリーニング方法としてMSMSと同時にトリプシン消化を用いて、本発明人らは新規の方法を開発した。この方法を考案するに際しては、ヘモグロビンS、C、E、DPunjab及びOArabに集中することに決定したが、それは、これらが臨床的に重要な異常ヘモグロビン症の大きな部分を代表するものであり、また、試料が実験室内で容易に入手できたからである。本発明人らの意図は、真のスクリーニングプログラムを開発することであった。無傷のベータ鎖の分析は、野生型から1Daしか質量がシフトしないヘモグロビンC、E、DPunjab及びOArabに関しては有益な情報を与えるものではない。ヘモグロビンSは30Daの質量シフトを有し、そしてこれは無傷のベータ鎖を分析すれば検出されるだろうが、しかしそれは特異的とはみなされ得ない。この特異性を改良するために、そして他のヘモグロビンが検出され得るよう、ベータ鎖をより小さいペプチドに分解する必要がある。これは実験室での工程を増加させるが、自動化できる。トリプシンを用いて、ベータ鎖は15のペプチドに分解される。T1、T3及びT13が、対象の突然変異を含有するとして選択された。方法の節に記載されたように、エレクトロスプレーMSMSを用いて消化した試料を分析して、どの多重荷電イオン化ペプチドがイオン化ペプチド標的として選択するに最も適切であるかを決定した。標的イオン化ペプチドの選択にあたっては、特異性に影響を及ぼし得る任意の他の可能なアミノ酸置換を考慮することが必要である。特に、T1ペプチド(これは、6位での野生型グルタミン酸のバリンへの置換が−30Daの質量シフトを有するヘモグロビンSを生じる)において、問題が生じる可能性がある。このT1ペプチドにおける2つの他の考え得るアミノ酸置換は、同一の質量シフトを示す。第一に、4位での野生型トレオニンのアラニンへの置換、そして第二に、7位での野生型グルタミン酸のバリンへの置換である。これらの置換はいずれもこれまでに報告されていないが、しかし、7位のグルタミン酸における2つの他のアミノ酸による置換は報告されている。ここで、グリシン置換は−72Daの質量シフトを生じ(ヘモグロビンG−San Jose)、一方、リシン置換は−1Daの質量シフトを生じる(ヘモグロビンG−Siriraj)。これらのヘモグロビンはいずれも臨
床的に重要でなく、また、記載されたプロトコールにより検出されない。
【0072】
ヘモグロビンSプロトコールを作成するに際しては、最適なシグナル/特異性を生じるようにトランジション(transition)を選択する必要があった。[M+2H]イオン化ペプチドは最良のシグナルを提供し、そしてこのため、MS1における多重荷電ペプチドイオンから選択された。MS2における分析に最も適した生成イオン化種を選択するため、bイオン又はyイオン間で選択を行わねばならない。残念ながら、b末端の側からは、ベータ鎖の4位トレオニンのアラニンへの突然変異が考えられ、そしてy末端の側からは、ベータ鎖の7位グルタミン酸のバリンへの突然変異が考えられる。これらの突然変異のいずれかが起きたとすると、それらはこのプロトコールでは偽陽性を生じ得る。これは、bイオンを選択しても、yイオンを選択しても、特異性に影響を及ぼし得る突然変異を排除できないことを意味する。したがって、生成イオン化種の選択は、b6断片又はy3断片とすることが考えられた。なぜなら、これらは突然変異の位置に相当するためである。実際には、y3断片は検出されず、そしてb6断片は、生じたシグナルが不十分であったため選択されなかった。結局、y4断片が選択されたのだが、その理由は、十分量の単一の明白なイオンを生じたため、また、小ペプチドであることから多重突然変異の可能性が限定されるためである。これらは、複合的な−30Daの質量シフトを生じることにより特異性の低下を生じ得るが、しかし、このペプチド配列の分析により、そのような質量シフトを引き起こす二重突然変異はない、ということが示されている。
【0073】
英国国営医療制度(United Kingdom National Health Service)の異常ヘモグロビン症新生児スクリーニングプログラムの公式要件では、最初のスクリーニング期では最低限として、ヘモグロビンSの検出及び/又は野生型ベータグロビンの欠陥の実証が十分条件である、ということを示唆している。確認試験の段階で、ヘテロ接合体状態又はホモ接合体状態が決定され、また、他の鎌状細胞突然変異が特徴付けられ得る。新生児スクリーニングにおける混乱を生じる問題は、新生児、特に未熟児においてベータグロビンの発現が非常に低いことである。したがって、ヘモグロビンSを検出するための非常に感度の良いスクリーニング方法を持つことが不可欠である。ヘモグロビンSに関する特異的なMRMトランジションを用いた場合、ヘモグロビンAA被験者に見出される非特異的なバックグラウンドシグナル(図3)は、総ヘモグロビンの1%よりかなり低い値を示すレベルのヘモグロビンSでさえも検出される、ということを示す。しかし、厳密に不可欠であるというわけではないが、現在のアプローチでも元のトリプシン消化物中の他の鎌状細胞突然変異を検出し、確認することはできる。
【0074】
残りのヘモグロビン変異体は、そのペプチド中の単一の突然変異の存在下で特異的であるペプチドを生じる。これらは、本発明人らが擬似MSMSと名づけたプロトコールを用いて分析される。これらにおいては、イオン化ペプチドがMS1で選択され、次にガス流によりコリジョンチャンバー(collision chamber)を通過させた後に、MS2で再選択される。これは、MS1を通過した任意の同重体ペプチドの断片化を引き起こして、MS2がそれらを選択しないことを確実にする。ガスを用いない分析は、バックグラウンドシグナルを有意に増大させ、同時に標的断片のうちのいくつかについてはシグナルを低下させる。
【0075】
新生児異常ヘモグロビン症スクリーニングのためのこの方法の可能性はすでに考察されているが、しかしこのアプローチは、出産前スクリーニングプログラムにおいてさらにいっそう有益であることが明らかになるかもしれない。新生児スクリーニングと出産前スクリーニングとの間の主な差は、後者においては、複合鎌状細胞突然変異に関するヘテロ接合体が検出されることが不可欠である、という点である。今のところ、出産前スクリーニングに関する包括的なシステムを我々は記載していないが、しかし、大多数の複合鎌状細胞突然変異に関するヘテロ接合体を検出するに際して当該アプローチがどれだけ成功して
いるかを、我々は既に実証している。そのプロセスはベータ鎖に制限されず、任意のその他の臨床的に興味深い突然変異を含み、また臨床的な異常ヘモグロビン症の特徴付け及び診断に対する包括的アプローチを提供するよう拡張され得る。さらに、臨床的な状況は異常ヘモグロビン症を示唆しているものの、標的とした突然変異がすべて正常である場合、MSMSは古典的な配列分析を実行するために依然として利用可能である。
【0076】
結論
標的とするヘモグロビン変異体を迅速且つ特異的にスクリーニングする高処理量分析に適したプロトコールを、本発明人らは開発した。この初めて行われた、現行の方法と並行した検査は、選択された200例の試料に関して100%の一致を示す。
【0077】
デルタベータ地中海貧血の検出
本発明の方法は、デルタベータ地中海貧血(ベータ地中海貧血とも呼ばれる)を検出するためにも用いられた。
【0078】
正常な成人の血液中で同定されるべき第2の正常ヘモグロビンとして、デンプンゲル電気泳動を用いてヘモグロビン(Hb)A2が最初に記載されてから50年になる。ヘモグロビンHb A2は、通常は約3%存在することが見出されたが、しかしながら、異なる年齢及び疾患状態における濃度の研究によって、Hb A2は新生児においては存在しないか又は大幅に量が少なく、また地中海貧血形質では特徴的に増加している、ということが明らかとなった。後に、ベータ鎖合成の低下によってHbの割合の相対的増大が生じるため、Hb A2の上昇はほぼ間違いなくベータ地中海貧血における一特徴であり得る、と仮定された。Hb A2のレベルの増大は、今やベータ地中海貧血形質の特有の診断的特徴とみなされるようになっており、またアルファ地中海貧血形質と区別するために用いられている。ベータ地中海貧血形質の診断は、遺伝カウンセリングにおいて重要であるが、それは、その形質がホモ接合状態として又は他の異常ヘモグロビン症と一緒に遺伝した場合に臨床的に重篤な状態を生じるからである。
【0079】
Hb A2の定量法では、存在している任意の他のヘモグロビンからHb A2を分離し、存在割合を確定することが必要である。3つの技法が用いられ得る。即ち、ヘモグロビンの電気泳動とその後のヘモグロビンのバンドの溶離、マイクロカラムクロマトグラフィー、或いは自動化された高速液体クロマトグラフィー(HPLC)、である。溶離法及びカラムクロマトグラフィー法は、時間と労力を要するものであるが、異常赤血球の指標に基づく選択的スクリーニングの方針につながる。しかしながら1990年代の自動HPLCシステムの導入は、Hb A2レベルの大量スクリーニングを促進した。このアプローチは、集団検診プログラムにおけるベータ地中海貧血形質のスクリーニングに適用可能である。HPLCによるスクリーニングの利益としては、Hb A2並びにその他の正常及び異常ヘモグロビンを同時に同定及び定量できること、また、従来のスクリーニング方針では見逃されていたかもしれない患者の同定が挙げられる。これは、ベータ地中海貧血形質を有するが正常赤血球の指標を有する者、並びにデルタ鎖変異体を有する者を含む。しかしながらHPLCのシステムは、いくつかのヘモグロビン変異体の存在下では、Hb A2に関する間違った結果を生じ得る(Wild et al., Ann. Clin. Biochem., 41, 355-369, 2004)。
【0080】
血色素減少性、小赤血球性赤血球の指標が存在する場合のHb A2レベルの増大(4〜7%の範囲)は、ほぼ必ずベータ地中海貧血形質に起因するものであるが、一方、Hb
2レベルの上昇は、正常な患者、不安定ヘモグロビン、甲状腺機能亢進、巨大赤芽球性貧血、並びに抗レトロウイルス療法を受けているヒト免疫不全ウイルス感染患者等の他の状況でも報告されている。Hb A2に関連したその他の問題としては、正常との境界である、あいまいな3.5〜3.9%の範囲の値が挙げられる。このような値は、正常な
患者で見出され得るが、しかし、−101C→及び+1CAP部位A→Cのような軽症ベータ地中海貧血突然変異、或いはHb A2レベルを低減し得る環境因子、例えば鉄欠乏及び同時遺伝性アルファ地中海貧血形質によっても生じ得る。少なくとも生後6ヶ月までレベルが成人値に達しないという事実のため、Hb A2は新生児におけるベータ地中海貧血形質に関する有用なマーカーでない。しかしながらこれらの点にもかかわらず、赤血球の指標とともに、Hb A2は依然として成人におけるベータ地中海貧血スクリーニングのための標準的なマーカーである。
【0081】
ヘモグロビンLeporeは、ベータ地中海貧血形質と相互作用することによって重度地中海貧血と同様の臨床的状況を生じるとして、1957年に初めて報告された。Hb Lepore形質は地中海貧血形質に見出される赤血球指標の低下、並びに総ヘモグロビンの10〜15%のHb Leporeの存在により特徴付けられる。Hb Leporeは、デルタ遺伝子とベータ遺伝子の融合の結果として産生される。同一の電気泳動移動度を有するがデルタとベータ遺伝子の融合が生じる場所が各々異なる3つのLepore変異体が記載されている。ベータ地中海貧血形質と相互作用して臨床的に重要な状態を生じるため、Hb Leporeの検出は集団検診プログラムにおいて不可欠である。
【0082】
出産前スクリーニングでは、ベータ地中海貧血形質を検出することも重要である。上述のように、これは、2つのベータ及び2つのデルタグロビン鎖を有するHb A2を用いて伝統的に達成されてきた。この方法において、本発明人らは、代理マーカーとしての有用性を決定するため、MSMSによるデルタ鎖の検出を調査した。このアプローチにより、デルタベータ融合体(Hb Lepore変異体)及びガンマベータ融合体の検出も可能になる。上記と同一のアプローチを用いて、本発明人らは、ベータ地中海貧血形質及びHb Leporeを検出する目的で、代理Hb A2としてデルタ鎖を用いた、サイクル時間1分以内の付加的なトランジションを報告する。
【0083】
材料及び方法
MSMS法
ヘモグロビンのベータ及びデルタ鎖間には高い配列相同性がある。ベータ鎖のトリプシン消化物は、15個の十分に規定された一連のペプチドを生じ、同様に、デルタ鎖は、T2、T3、T5、T10、T12、T13及びT14においてベータとの差を有する一連の16個のペプチド(T1〜16)を生じる。配列の最初の相違は、ベータ及びデルタ鎖の両者においてアミノ酸9〜17を含み、それぞれ配列SAVTALWGK(平均質量932.1ダルトン(da))及びTAVNALWGK(平均質量959.1da)を有するT2ペプチドで生じる。上述のようなマルチプルリアクションモニタリングモード(MRM)では、それぞれのT2[M+2H]2+イオン、質量対電荷比(m/z)(ベータ、466.8及びデルタ、480.3)を選択し、断片化し、そして最も有益な情報を提供するペプチド断片であるVTALWGK(675.4da)及びVNALWGK(688.4da)を標的とした。デルタ/(ベータ+デルタ)の面積パーセンテージ比を算出し、HPLCにより得られる古典的HbA2パーセンテージ値と比較した。我々の正常範囲(平均2.65%、範囲1.8〜3.4)内のHb A2値を有する66例の試料、並びにベータ地中海貧血形質を示すHb A2値(5.24%、4.2〜7.9)を有する58例をMSMSにより分析し、対応するデルタ/(ベータ+デルタ)比は1.7%、0.9〜2.3、及び3.4%、2.5〜6.0であった。ベータ遺伝子のシークエンシングにより確認された、2例のさらなるHb Sベータ地中海貧血ゼロ複合ヘテロ接合体試料では、その比率は4.1%及び3.7%であった。この相対的に小さな一連の実験は、ベータ地中海貧血形質がMSMSにより診断され得る、という証拠を提供する。
【0084】
このアプローチのさらなる利点は、任意のLepore変異体が高いT2シグナルを有する、という点である。残念ながら、最も一般的なデルタ鎖変異体Hb A’2(Hb
2)は、デルタグロビン鎖の16位で生じ、したがってこのペプチドの範疇に入る。
【0085】
付随するデルタ鎖変異体を伴うベータ地中海貧血形質を見逃さないために、有用な情報を与える以下のペプチド(即ち、T3ベータ配列VNVDEVGGEALGR、平均質量1314.4da、及びデルタ配列VNVDAVGGEALGR、平均質量1256.4da)が、評価に含められた。MRMでは、それぞれのT3[M+2H]2+イオンm/z
ベータ、657.9da、及びデルタ、628.9daを選択し、断片化し、そしてT3ペプチド内の2つのシリーズの単一の荷電イオンを検出した。そのシリーズを以下に示す。トランジション1、ベータ、EVGGEALGR、m/z 887.5da、デルタ、AVGGEALGR、m/z 829.5da、トランジション2、ベータ、VGGEALGR、m/z 758.4da、デルタ、VGGEALGR、m/z 758.4da。
【0086】
稀ではあるが、デルタ鎖配列中の任意の位置で生じるデルタ鎖変異体に関して生じ得る問題は、データ解釈において第3のペプチドが有益である可能性を暗示する。最初に、T13デルタペプチドを標的とした。このペプチドは、デルタ鎖のアミノ酸117〜120を含み、配列NFGK、平均質量464.5daである。少数のアミノ酸は、突然変異の可能性が制限されるため有利であると考えられたが、しかしながらこのペプチドから検出されるシグナルは、分析のためには弱すぎた。相補的なT13ベータ配列は、アミノ酸121〜132を含み、配列EFTPPVQAAYQK、平均質量1378.5daである。したがってT14デルタペプチド(配列EFTPQMQAAYQK、平均質量1441.6da)もこの配列と相補的であり、そして分析のために選択された。このペプチドは、N末端に存在するという利点を有し、かつ、デルタ及びベータ配列間に差を有する最後のペプチドである。したがってこのペプチドをT2ペプチドと一緒に選択すれば、デルタ鎖の両端がカバーされる。MRMでは、[M+2H]2+イオンは、T13ベータに関してはm/z 689.9da、及びT14デルタに関しては501.3daが選択され、断片化され、そして、それぞれに対する情報的に有用なペプチド断片PPVQAAYQK、501.3da、及びPQMQAAYQK、532.9daの二重荷電イオンが検出され、測定される。
【0087】
血液スポット
総計26例の血液スポット試料を分析した。これらは、正常Hb A2を有する13例、増大したHb A2を有する(ベータ地中海貧血形質)11例、及び2例のデルタ鎖変異体を含んだ。
【0088】
トリプシン消化及びMSMS分析のための材料
重炭酸アンモニウム(A6141)、TCPK処理トリプシン(T1426)及び88%蟻酸(39,938−8)(Sigma Aldrich Co Ltd, Dorset, UK)。HPLC等級アセトニトリル(RH1015)(Rathburn Chemicals Ltd, Scotland)。
【0089】
ヘモグロビンA2定量及びHb Lepore同定のための標準的方法
全血
Guideline laboratory diagnosis of haemoglobinopathiesを、最小標準として考慮した。HbA2/HbA1cデュアルプログラムキット(Bio-Rad Laboratories Ltd, Hemel Hempstead, UK)を用いて操作するVariant(商標)IIを用いた高速液体クロマトグラフィー(HPLC)により、異常ヘモグロビン症のスクリーニング及びヘモグロビンA2定量を実施した。ヘモグロビンLepore変異体を最初にHPLCにより検出し、そして質量分析(Wild et al, 2001(上記))により確認した。
【0090】
血液スポット
HPLC及び質量分析により、全血EDTA検体を分析した。次に、1スポットあたり35μlの血液をSchleicher and Schuell903濾紙上にピペッティングして、各試料に関して7つの血液スポットを作製した。血液スポットを一晩乾燥させて、パンチングして、HPLC及び質量分析の両者により、1日目、8日目及び29日目に分析した。HPLCのために、2つのパンチ処理スポットを1mlのBio-Rad洗浄緩衝液(Bio-Rad Laboratories Ltd, Hemel Hempstead, UK)中で90分間溶離して、標準分析に必要な1:201希釈液の同等物を調製した。
【0091】
対照及び標準
National Institute of Biological Standards and Controlsから入手したヘモグロビンA2に対するWHO国際参照試薬を、標準として用いた。一連の対照は、Canterbury Scientific, New Zealandから入手したが、これらは、正常及び高いHb A2/Hb F、正常及び高いHb A2、並びにHb FASCを含んでいた。
【0092】
メーカーの使用説明書どおりに全ての対照を調製し、再構成し、保存した。再構成の後は、対照は全血試料のように取り扱った。
【0093】
MSMS用の試料調製
全血
Wild et al, 2001(上記)により記載された方法並びに上述の方法に従う。
【0094】
血液スポット
3mmのスポット1つをパンチングして脱イオン水200μl中に投入し、自動ミキサーで30分間溶離することにより、使用溶液を作製し、次にこの溶液100μlを上記と同様に処理した。
【0095】
質量分析
MSMSを、上記と同様に実施した。総収集時間は60秒に維持した。
【0096】
結果
MSMSを用いて、A2値の増大を示す全ての血液が、正常なA2値を有する血液から明瞭に区別された。これは、乾燥血液スポットとして1日、8日又は21日間、保存したものでも変化しなかった。HPLCデータは未だ検討していない。
【0097】
考察
HPLCに基づく方法の導入前、1990年代には、Hb A2を定量するための方法は労力及び時間を要した。HPLCは、ヘモグロビン変異体及びベータ地中海貧血に関する高処理量スクリーニングをルーチンで実行することを可能にし、集団検診プログラムの急速な出現につながった。しかしながら、試料材料及び利用される操作プログラムにおける相違のため、新生児血液スポット及び成人全血スクリーニングは、異なるプラットフォームで実行されている。新生児に関しては、承認されているスクリーニング法としてHPLC及び等電点分離法(IEF)が挙げられるが、一方、成人に関してはHPLCが唯一の承認されている方法である(Department of Health, UK, 2000;NHS Sickle Cell and Thalassaemia Screening Programme, 2005)。新生児血液スポットHPLCのプラットフォームは、成人スクリーニングに用いられるものとは異なる専門的な機器の使用と方法論とを要する。IEFは、Hb A2の測定はできないため、ベータ地中海貧血形質に関するスクリーニング方法としては適していない。
【0098】
我々が記載してきた技法は、Hb A2(2つのアルファ及び2つのデルタ鎖の組合せ)よりむしろ、デルタ鎖を特異的に検出し、定量する。デルタ鎖を標的とすることの一つ
の利点は、伝統的方法を用いたHb A2の定量を阻害又は妨害し得る因子の存在下でさえ、検出および定量が可能であるという点である。例えば、Hb A2と同時に溶離する変異体、或いは、いくつかのHPLCの系において、Hb A2値の偽上昇を生じるHb
Sの存在などである。
【0099】
デルタ鎖変異体の形成をもたらすデルタ鎖突然変異が存在する場合、Hb A2に対して、その値を約半分に低下させるという影響がある。ベータ地中海貧血形質の診断が見逃されないことを確実にするために、変異体と正常Hb A2の量を加算することによって総Hb A2を得ることが重要である。2つのデルタペプチドトランジションの選択によって、デルタ鎖ヘテロ接合体及びホモ接合体がこの技法により見逃されないことが保証される。1人のヒトが2つのデルタ鎖突然変異を遺伝することは可能であるが、しかしこれは疑いなく稀な出来事であり、この研究において、我々は、デルタ鎖シグナルを測定するために、3つのトランジションを分析することを選択した。このアプローチは、複合ヘテロ接合体デルタ鎖突然変異の起こりそうもない事象においてさえ、前記トランジションの内の1つは依然として正確な値を与えるに違いないことを保証する。ルーチンスクリーニングを目的とすれば、これは過度であると思われるかもしれないが、その一方で、収集数を増大しても分析時間は増加しないが、特異性及び感度をさらに高められるということは注目に値する。
【0100】
最も一般的なデルタ鎖突然変異はデルタ鎖のT2ペプチドで生じ、また、このペプチドを用いないとの議論はあり得るが、一方で、ヘモグロビンLepore変異体の検出が一要件である場合にはそれは不可欠である。3つのLepore変異体はすべて、デルタベータ融合の結果であり、以下のようなデルタ配列を有する。アミノ酸22までのHb Lepore-Hollandiaデルタ配列、アミノ酸50までのHb Lepore Baltimoreデルタ、およびアミノ酸87までのHb Lepore Boston Washingtonデルタである。理論的には、適切なペプチド断片を標的にすれば、MSMSにより検出および定量され得る、融合箇所までのデルタペプチドは増大するはずである。Hb Lepore変異体のすべてを検出するためには、ペプチド22より前にベータ配列との相違を有するペプチドが選択されなければならないが、T2はこの要件を満たす唯一のペプチドである。したがってデルタ鎖定量のために選択されるT2ペプチドは、Hb Lepore変異体を検出するためにも用いられた。
【0101】
上記の引用文書はすべて、参照により本明細書中で援用される。
【図面の簡単な説明】
【0102】
【図1】正常なベータヘモグロビンを有する対照被験者(A)及び鎌状細胞疾患を有する患者(B)からの血液のトリプシン消化物のm/z 100〜1500の質量スキャンを示す。差込図は、原スペクトルの複雑さを強調する。矢印は、それぞれ対照(A)及び鎌状患者(B)に関する、有用な情報を提供する[M+2H]2+及び[M+H]+イオンに対する拡大したスペクトルを示す。[M+H]+イオンに関する−30Da及び[M+H]+イオンに関する−Daの質量シフトに注目されたい。
【図2】対照のベータヘモグロビンT1ペプチド[M+2H]2+、m/z 476.8(A)及びヘモグロビンS T1ペプチド[M+2H]2+、m/z 461.8(B)の生成物イオンスキャンを示す。明確な配列データを提供するy及びbシリーズ断片、並びにy4 MRM標的イオン(それぞれm/z502.3及び472.3)に注目されたい。
【図3】ベータグロビンのT1ペプチド−対照、鎌状細胞形質及び鎌状細胞疾患に関する抽出されたMRMトランジション m/z 476.9/502.3(野生型ベータヘモグロビン)及びm/z 461.9/472.4(ヘモグロビンS)を示す。
【図4】ベータグロビンのT1ペプチド−対照、C形質及びC疾患に関する抽出されたMRMトランジション m/z 476.9/502.3(野生型ベータヘモグロビン)及びm/z 694.7/694.7(ヘモグロビンC)を示す。
【図5】ベータグロビンのT13ペプチド−対照、DPunjab形質及びDPunjab疾患に関する抽出されたMRMトランジション m/z 1378.8/1378.8(野生型ベータヘモグロビン)及びm/z 1377.8/1377.8(ヘモグロビンDPunjab)を示す。
【図6】ベータグロビンのT13ペプチド−対照、OArab形質及びOArab疾患に関する抽出されたMRMトランジション m/z 1378.8/1378.8(野生型ベータヘモグロビン)及びm/z 1249.7/1249.7(ヘモグロビンOArab)を示す。
【図7】ベータグロビンのT3ペプチド−対照、E形質及びE疾患に関する抽出されたMRMトランジション m/z 1314.7/1314.7(野生型ベータヘモグロビン)及びm/z 916.8/916.8(ヘモグロビンE)を示す。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
試料中の既知のタンパク質変異体を検出する方法であって、
(i)前記タンパク質を消化して、規定の一連のペプチドを産生すること、
(ii)前記ペプチドをイオン化し、前記タンパク質変異体を示す既知の質量/電荷比を有するイオン化種を質量分析により選択すること、及び
(iii)選択したイオン化種を衝突誘起解離に付すと共に、前記試料中のタンパク質変異体の存在を確証する既知の質量/電荷比を有する誘導されたイオン化種のうちの1又は複数を測定すること
を含む方法。
【請求項2】
前記タンパク質変異体がヘモグロビン変異体である、請求項1に記載の方法。
【請求項3】
前記ヘモグロビン変異体がS、C、E、DPunjab又はOArabである、請求項2に記載の方法。
【請求項4】
前記タンパク質変異体がヘモグロビンのデルタ鎖である、請求項2に記載の方法。
【請求項5】
既知の質量/電荷比を有する1〜20のイオン化種が選択される、前記請求項のいずれか一項に記載の方法。
【請求項6】
既知の質量/電荷比を有する1〜5のイオン化種が選択される、請求項5に記載の方法。
【請求項7】
既知の質量/電荷比を有する単一のイオン化種が選択される、請求項6に記載の方法。
【請求項8】
前記試料が血液、尿、脳脊髄液又は組織試料である、請求項1に記載の方法。
【請求項9】
前記タンパク質が配列特異的プロテアーゼを用いて消化される、本願発明の方法。
【請求項10】
前記プロテアーゼがトリプシンである、請求項8に記載の方法。
【請求項11】
エレクトロスプレーイオン化四重極質量分析を用いてペプチドをイオン化すると共にイオン化種を選択することを特徴とする、前記請求項のいずれか一項に記載の方法。
【請求項12】
エレクトロスプレーイオン化四重極質量分析を用いて、前記選択されたイオン化種を衝突誘起解離に付すと共に1又は複数の誘導されたイオン化種を測定することを特徴とする、前記請求項のいずれか一項に記載の方法。
【請求項13】
前記選択されたイオン化種が、該選択されたイオン化種の実質的解離を引き起こさないレベルの解離、あるいは複数のイオン化ペプチド断片の産生をもたらすレベルの解離のいずれかに付されることを特徴とする、前記請求項のいずれか一項に記載の方法。
【請求項14】
前記選択されたイオン化種を、該イオン化種の両端からのアミノ酸の除去をもたらすレベルの解離に付すこと、及び該アミノ酸を検出することを付加的に含む、請求項13に記載の方法。
【請求項15】
請求項1〜14のいずれか一項に記載の方法を実施するために調整されるタンデム質量分析を実施するための機械を含む、請求項1〜14のいずれか一項に記載の方法を実施するためのシステム。
【請求項16】
請求項1〜14のいずれか一項に記載の方法を実施するためのキットであって、
(i)タンパク質試料を調製するための緩衝液及び試薬、
(ii)前記タンパク質試料を一連の規定のペプチドに消化するためのプロテアーゼ、
(iii)タンデム質量分析を実施するための機械に前記試料を送達するための担体基質、及び
(iv)請求項1〜14のいずれか一項に記載の方法を実施するために調整されるタンデム質量分析を実施するための機械
を含む、請求項1〜14のいずれか一項に記載の方法を実施するためのキット。
【請求項17】
請求項1〜14のいずれか一項に記載の方法を実施するための機械を調整するに適したソフトウエアを付加的に包む、請求項16に記載のキット。

【図1】
image rotate

【図2】
image rotate

【図3】
image rotate

【図4】
image rotate

【図5】
image rotate

【図6】
image rotate

【図7】
image rotate


【公表番号】特表2008−529027(P2008−529027A)
【公表日】平成20年7月31日(2008.7.31)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2007−553687(P2007−553687)
【出願日】平成18年2月1日(2006.2.1)
【国際出願番号】PCT/GB2006/000328
【国際公開番号】WO2006/082389
【国際公開日】平成18年8月10日(2006.8.10)
【出願人】(502355761)キングス カレッジ ロンドン (3)
【出願人】(507259752)ガイズ アンド セント トーマス エヌエイチエス ファウンデーション トラスト (1)
【Fターム(参考)】