説明

チップ増強ラマンプローブ及びその製造方法

【課題】所望のプラズモン共鳴波長を有するチップ増強ラマンプローブを提供する。
【解決手段】Si製のプローブの表面を熱酸化しSiOガラスとし、その表面を銀で被膜することによって3層構造のチップ増強ラマンプローブを製造する。最初に用意するSi製のプローブの形や銀コートの膜厚を一定としつつ、熱酸化の処理時間を調整してSi層とSiO層の比を変化させることで、プローブの実効的屈折率が制御可能となり、最終的にプローブのプラズモン共鳴波長を連続的に調整可能となる。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、チップ増強ラマンプローブ及びその製造方法に関する。
【背景技術】
【0002】
従来の光学顕微鏡による測定では、回折限界により光学的な分解能は使用する波長の半分程度の大きさに制限されていた。しかしながら、近年のナノテクノロジー開発の隆盛に伴い、回折限界を超えた分解能で物質の光学的特性を測定する要求が高まっている。
【0003】
この要求を実現するために、近接場顕微鏡の開発が盛んに行われている。従来の近接場顕微鏡は、大きく分けて開口型(ファイバー型)と散乱型(無開口型)に分類される。
【0004】
開口型の近接場顕微鏡は、光ファイバーの先端を尖鋭化して、先端に100nm以下の大きさの開口部を設け、開口部以外を金属で遮光する。光ファイバー末端からレーザを入射すると、開口部近傍に近接場光(エバネッセント光)が生成される。プローブ先端とサンプル表面に働くシアフォースや原子間力を利用してプローブをサンプルに近接させ、エバネッセント光をサンプルに照射し、試料表面との相互作用による散乱光やエバネッセント光により励起された発光を検出する。この操作を逐次位置を変えながら行うことで顕微鏡像を得ることができる。近接場光は波長以下の微小な領域のみを照射するので、このような100nm程度の開口を有する光ファイバーを用いることで、回折限界を超えた分解能を実現できる。
【0005】
一方、散乱型の近接場顕微鏡は、サンプル表面に近接場光を発生させ、この近接場に金属や誘電体等のプローブを挿入することで近接場光を散乱させる。そして、散乱光を集光して光検出器で光強度や分光スペクトルを測定することにより、回折限界を超えた分解能で試料表面の光学特性を測定する。
【0006】
散乱型近接場顕微鏡は、開口型に比べてプローブ(探針)先端の尖鋭化が容易であり、高分解能化が容易である。また、入射光及び散乱光ともにロスが小さく、さらに、金属や誘電体から作成されたプローブと近接場との相互作用による電場増強効果により散乱光強度を高めることが可能である。この電場増強効果を利用すれば、本来は散乱断面積が小さく信号光量が得られにくいラマン散乱光の信号を大きく増強して検出することが可能であり、試料のナノスケールでの局所的な分光分析に用いることができる。
【0007】
なお、ラマン散乱とは、物質に単色光を入射させると、入射光の振動数からわずかにずれた振動数を有する散乱光が観測される現象をいう。この振動数のずれが、分子の固有振動モードの振動数に対応するため、分子の同定および可視化、試料の化学解析等に用いられる。ラマン散乱光は蛍光に比べて非常に微弱であり、特にナノスケールでの解析においては、分子数が限られるため、測定が困難になる場合が多かった。そこで、散乱型近接場顕微鏡でラマン分光を行う場合には、上述のように電場増強効果を利用してラマン信号を増強する。このように増強されたラマン散乱を表面増強ラマン散乱(SERS: Surface Enhanced Raman Scattering)という。
【0008】
以下、簡単に表面増強ラマン散乱について説明する。金属表面に分子が吸着した状態で、レーザ光で表面プラズモンを励起すると、金属表面に著しく増強された電場が発生する。吸着分子はこの増強された電場を感じて強いラマン散乱光を発する。ラマン散乱の場合は、入射光だけでなく散乱光も表面プラズモンに共鳴するので、ラマン散乱光の増強度は非常に大きくなる。金属表面における信号光量の発生効率に関わるラマン散乱断面積を1
〜1010倍程度まで増強することができる。
【0009】
このような表面増強ラマン散乱効果は、ナノスケールの先端を有する金属ナノ探針でも誘起することができる。このようなチップ増強ラマン散乱効果を用いた散乱型近接場顕微鏡について図5の概観図を元に説明する。なお、本明細書では、チップ増強ラマン散乱効果を用いた散乱型近接場顕微鏡用のプローブのことを、チップ増強ラマンプローブと呼んでいる。
【0010】
先端にプローブ(チップ増強ラマンプローブ)102を有する、原子間力顕微鏡用のカンチレバー101が用いられる。プローブ102は、拡大図に示すように、中心部はシリコン102aからなりその表面が銀102bでコートされている。また、サンプル103の測定面に対して裏側に、油浸オイル104を介して開口数1.4の対物レンズ105を配置し、対物レンズ105の開口数が1を超える領域に円環状のレーザ光106を入射することにより、サンプル103表面にエバネッセント場を形成させる。
【0011】
次に、プローブ102とサンプル103表面間に働く原子間力により距離制御を行いながら、プローブ102をサンプル103表面のエバネッセント場発生領域に接触させる。このとき、プローブ102先端よりエバネッセント場が散乱される。この散乱光107を励起に用いたものと同一の対物レンズ105により集光し、検出器(不図示)で検出することで、局所的な光学特性の分析が可能となる。散乱光には、励起レーザと同じ波長のレーリー散乱光の他、ラマン散乱光も発生する。
【0012】
また、プローブ102にコートされた銀102bの表面には表面プラズモンが励起され、サンプル103とプローブ102先端の銀102bを接触させることにより、上述した表面増強ラマン散乱が起こり、ラマン散乱光を増強させることが可能となる。
【0013】
これらの散乱光を対物レンズ105で集光し、レーリー散乱光をノッチフィルタなどで除去し、分光器で分光した後、液体窒素冷却CCDで検出することにより、局所的なラマンスペクトルを得ることができる。
【特許文献1】特開2006−71448号公報
【非特許文献1】Norihiko Hayazawa, Yasushi Inoue, Zouheir Sekkart, Satoshi Kawata, "Near-field Raman scattering enhanced by a metallized tip", Chemical Physics Letters, 335, 369-374, 2001
【非特許文献2】B. Yeo, T. Schmid, W. Zhang, and R. Zenobi, "Towards rapid nanoscale chemical analysis using tip-enhanced Raman spectroscopy with Ag-coated dielectric tips," Analytical and Bioanalytical Chemistry. 387, 2655-2662, 2007.
【非特許文献3】Xudong Cui1, Weihua Zhang, Boon-Siang Yeo, Renato Zenobi, Christian Hafner1, and Daniel Erni, “Tuning the resonance frequency of Ag-coated dielectric tips”, Optics Express 15, 8309, 2007.
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0014】
このようなチップ増強ラマン散乱を得るためには、励起レーザの波長とラマン散乱の波長(これらはほぼ等しい)と、プローブが持つ共鳴波長とを一致させる必要がある。表面プラズモンは金属物質内の自由電子の集団的振動が外部からの印可電場に対して共鳴する現象であり、その共鳴波長は自由電子振動の集団的な固有振動周波数に応じて変化する。そこで、従来は、金属をはる基板の素材を交換することにより、屈折率を変化させてプラズモン共鳴波長を調整している。
【0015】
しかしながら、基板の素材を選択することによって共鳴波長を調整する方法では、連続
的な屈折率の調節が困難であり、所望の共鳴波長を得ることができないという問題がある。
【0016】
本発明はこのような問題点を考慮してなされたものであり、その目的は、所望のプラズモン共鳴波長を有するチップ増強ラマンプローブを提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0017】
上記目的を達成するために、本発明に係るチップ増強ラマンプローブの製造方法は、シリコン製プローブの表面を熱酸化する工程と、熱酸化されたプローブの表面に金属を被膜する工程とを含む。プローブのプラズモン共鳴波長は、プローブの屈折率に応じて変化する。プローブの屈折率は、シリコン製プローブ表面の酸化膜の厚さを変化させることによって調整できる。したがって、酸化膜の厚さを調整することで、プローブの共鳴波長を調整することができる。このように、プローブの共鳴波長を調整して、ラマン分光測定で使用する励起レーザの波長と等しくすることができる。
【0018】
酸化膜の厚さは連続的に調整することができるので、プローブの共鳴波長も連続的に調整することができる。プローブの共鳴波長がとりうる値は、酸化層(中間層)を設けずに表面層を設けた場合の共鳴波長から、シリコンを完全に酸化させてSiOとしてその表面に金属コートを施した場合(中心層無し)の共鳴波長までの範囲となる。これは理論的には可視域の波長を網羅している。つまり、本方法によれば、プローブの共鳴波長を可視域内の任意の波長とすることができる。
【0019】
また、本発明は、Siからなる中心層と、SiOからなる中間層と、金属からなる表面層との3層構造を有するチップ増強ラマンプローブとして捉えることもできる。ここで、Siの中心層とSiOの中間層の厚さの比が、プローブのプラズモン共鳴波長と励起レーザの波長と等しくなるように調整されていることが好適である。
【発明の効果】
【0020】
本発明によれば、所望のプラズモン共鳴波長を有するチップ増強ラマンプローブを得ることができる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0021】
以下に図面を参照して、本発明に係るチップ増強ラマンプローブの構造及び製造方法について説明する。
【0022】
まず、先端に探針(プローブ)を有するシリコン製のカンチレバーを用意する。カンチレバーのプローブ1を図1(a)に示す。プローブの形状は、エッチングなどによって加工し尖鋭化させておく。ここでは、プローブ先端が直径50nmのものを用意する。なお、このようなプローブを有するカンチレバーを自ら製造する必要はなく、市販されているカンチレバーを用いて以下の工程を行っても良い。
【0023】
次に、このシリコン製のカンチレバーを蒸気雰囲気下において1100℃で熱酸化させることで、Si表面をSiOに変質させる(図1(b))。具体的には、Si製カンチレバーを石英ボートに乗せ、1100℃に熱せられた加熱炉に入れる。それと同時に、純水から生成された蒸気を加熱炉に送り込む。酸化の量は熱酸化を行う時間によって調整することができる。シリコン基板を熱酸化させた場合、酸化時間と酸化膜の厚さには次のような関係がある。
【0024】
【表1】

【0025】
そして、酸化膜2ができたプローブの表面に、銀を真空蒸着によってコートする(図1(c))。ここでは、銀コートの膜厚は10nmとしている。なお、真空蒸着以外に、無電解メッキ法によって、プローブ表面に銀の薄膜を形成しても良い。また、表面の金属薄膜として、銀を採用することが好適であるが、銀以外の材料を用いても良い。例えば、金、銅、アルミニウム、白金等の金属を挙げることができ、この中でも貴金属が好適である。
【0026】
このようにして、Si,SiO,Agの3層からなるプローブを製造することができる。ここで、熱酸化処理を行う時間によって、Si層及びSiO層の厚さを調整可能である。具体的には、酸化時間が短いほどSiO層が薄くなり、酸化時間が長いほどSiO層が厚くなる。これにより、プローブの実効的屈折率が変化するので、プローブのプラズモン共鳴波長を調整可能である。
【0027】
なお、プラズモン共鳴波長は、プローブの大きさ、形、銀の厚さ、SiO層の厚さなどによって変化する。熱酸化処理時間の長短によってプローブの形状は変化しないので、最初に用意するシリコン製プローブの形状を一定とし、また、銀の厚さを一定とすることで、共鳴波長を決定するパラメータのうち、SiO層の厚さ(Si層とSiO層の厚さの比)のみを変化させることができる。したがって、共鳴波長の調整が容易になる。
【0028】
プローブの構造と電場増強効果の関係は、解析的に求めることは困難であるが、モデル計算によって求めることができる。電場増強効果を求める場合には、プローブの先端を図2(a)に示すような球モデルで近似することができる。ここでは、球の直径を70nmとし、中心からSi,SiO,Agの3層とする。Ag層の厚さは10nmで固定し、Si層及びSiO層の厚さは合計50nmであるがその比率は可変とする。
【0029】
このようなプローブの先端における電場増強効果を有限差分時間領域法(FDTD: Finite-Difference Time-Domain)により計算した結果を、図2(b)に示す。電場強度がピー
クとなる波長がプラズモン共鳴波長である。図2(b)から分かるように、SiO層を変化させることでプラズモン共鳴波長が調整できることが分かる。共鳴波長は可視光域で連続的に変化しており、SiO層を厚くするほど共鳴波長が短くなる。
【0030】
また、SiO層の厚さを変えることで、共鳴波長を調節可能であることは、Si,SiO,Agの3層からなる基板でSiO層の厚さを変えて共鳴波長を計測した実験からも確かめられている。この実験結果を図3に示す。この実験では、Si基板の上に、SiO層とAg層とを設け、Ag層を11nmで固定し、SiO層を0,10,20,30nmと変化させた場合の反射スペクトルを計測した。図に示すように、SiO層を厚くするほど、プラズモンピークが短波長側にシフトすることが分かる。
【0031】
また、シリコン製のカンチレバーのプローブに直接銀をコート(20nm)した従来の2層探針(Si/Ag)と、5分間熱酸化処理を施してから同量の銀をコートした3層探針(Si/SiO/Ag)とで探針先端における暗視野散乱スペクトルの比較を行った
。図4がその結果を示す図である。図に示すように、2層探針では660nm付近にピークがあるのに対し3層探針では600nm付近にピークがあり、プラズモン共鳴波長が短波長側にシフトしていることが分かる。
【0032】
このように、シリコン製プローブの熱酸化処理時間を変えて、SiとSiOの層厚の比を変えることで、プローブの実効的屈折率を変化させ、プラズモン共鳴波長を連続的に変化させることができる。例えば、励起レーザ波長に合わせて共鳴波長の調整が行える。532nmのレーザ波長に対応する共鳴波長があり、この共鳴波長に合わせたSiO層の厚さをモデル計算によって求める。そして、その厚さのSiO層を実現する熱酸化処理時間を選択すれば、共鳴波長を調整したチップ増強ラマンプローブを得ることができる。
【0033】
また、図4からも分かるように、SiO層を設けた3層構造プローブのピークの大きさが、Siの上に直接銀をコートした2層構造プローブの場合に比べて大きくなっている。つまり、Siでは可視光の吸収が起きるのに対して、透明なSiOでは可視光の吸収がなく損失が無いために、3層構造プローブのプラズモン増強度が、2層構造プローブよりも大きくなる。このように、酸化膜を設けることで、プラズモン共鳴波長の調整が可能になるだけでなく、Siの可視吸収を抑制し増強度を大きくすることが可能になる。
【0034】
上記の説明は例示であって、本発明は上記の構成に限定されないことは当業者であれば容易に理解することができる。例えば、プローブの形状や大きさはチップ増強効果を利用する近接場顕微鏡用のプローブとして適当なものであれば、任意の形状や大きさを採用できる。表面の金属コートは、銀以外の材料を採用しても良いし、またその厚さも上記に限定されない。また、熱酸化処理工程での加熱温度も上記に限定されず、酸化処理が行える温度であれば適宜採用可能である。
【図面の簡単な説明】
【0035】
【図1】本実施形態に係るチップ増強ラマンプローブの製造工程を示す図である。
【図2】プローブ先端のモデルと、モデルに基づくプローブ先端の電場強度の計算結果を示す図である。
【図3】Si/SiO/Agの3層構造基板において、SiO層の厚さを変化させたときのプラズモン共鳴波長の変化を示す図である。
【図4】本実施形態に係るプローブ(Si/SiO/Agの3層構造)と、従来のプローブ(Si/Agの2層構造)の暗視野散乱スペクトルを示す図である。
【図5】従来の散乱型近接場顕微鏡の概観図である。
【符号の説明】
【0036】
1 Si層(中心部)
2 SiO層(中間部)
3 Ag層(表面部)
101 カンチレバー
102 プローブ
103 試料
104 油浸オイル
105 対物レンズ
106 励起レーザ
107 散乱光

【特許請求の範囲】
【請求項1】
Si製のプローブの表面を熱酸化させる工程と、
熱酸化されたプローブの表面に金属を被膜する工程と、
を含むチップ増強ラマンプローブの製造方法。
【請求項2】
前記熱酸化工程では、プローブのプラズモン共鳴波長が励起レーザの波長と等しくなるように、酸化層の厚さを調整する
ことを特徴とする請求項1に記載のチップ増強ラマンプローブの製造方法。
【請求項3】
Siからなる中心層と、SiOからなる中間層と、金属からなる表面層との3層構造を有するチップ増強ラマンプローブ。
【請求項4】
前記中心層と前記中間層の厚さの比が、プローブのプラズモン共鳴波長と励起レーザの波長とが等しくなるように調整されていることを特徴とする請求項3に記載のチップ増強ラマンプローブ。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【公開番号】特開2009−156602(P2009−156602A)
【公開日】平成21年7月16日(2009.7.16)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2007−332046(P2007−332046)
【出願日】平成19年12月25日(2007.12.25)
【新規性喪失の例外の表示】特許法第30条第1項適用申請有り 発行所 社団法人日本分光学会 顕微分光部会 刊行物名 平成19年度 日本分光学会 顕微分光部会シンポジウム 講演予稿集 発行日 平成19年10月26日 〔刊行物等〕 研究集会名 第六回 エクストリーム・フォトニクス研究会「先端光源開発と量子科学への応用」 主催者名 自然科学研究機構 分子科学研究所 独立行政法人理化学研究所 公開日 平成19年11月14日 平成19年11月15日 〔刊行物等〕 発行所 独立行政法人理化学研究所・河田ナノフォトニクス研究室 社団法人計測自動制御学会センシングフォトニクス部会 刊行物名 理研シンポジウム 計測自動制御学会第14回センシングフォトニクス部会講演会 第6回ナノフォトニクスシンポジウム 講演予稿集 発行日 平成19年11月22日
【出願人】(503359821)独立行政法人理化学研究所 (1,056)
【Fターム(参考)】