説明

レーザー脱離イオン化質量分析法

【課題】レーザー脱離イオン化質量分析法において、測定試料を壊さずに脱離させてイオン化する。
【解決手段】有機分子の自己組織化単分子膜を表面に有する金属ナノ微粒子を分散あるいは2次元最密充填固着した基板の表面上に、測定試料を付着させる。そこに、金属ナノ微粒子に固有の波長のレーザー光を照射する。そして、金属ナノ微粒子に表面プラズモンを励起させて、有機分子を金属原子との化合物として金属ナノ微粒子の表面から脱離させる。この離脱のエネルギーにより、測定試料を脱離イオン化する。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、レーザー脱離イオン化質量分析法(Laser
Desorption/Ionization−Mass Spectrometry:LDI−MS)に関し、特に、表面プラズモン励起のエネルギーによって、金ナノ微粒子の表面に化学的に結合したアルカンチオール分子を、それが結合する金の原子とともに(金との化合物として)脱離させ、この脱離のエネルギーを、測定試料の脱離を促進させる手段として利用するものである。
【背景技術】
【0002】
質量分析法は、分析化学において利用されるだけではなく、医学、生物学、生化学など多岐の分野において利用されている。その中でも、LDI−MS法は、1980年代に注目され、主に金属や半導体などの表面分析に用いられてきた。レーザーを用いているため、レンズを用いて容易に集光することが可能であり、微小領域の分析が可能である。また、試料を容易にイオン化することが可能であり、広範囲の試料種に対応することが可能である。
【0003】
そのため、従来のLDI−MS法の性能を向上させる研究が盛んになってきた。その代表的なものとしてマトリックス支援LDI−MS法(MALDI−MS法)が有用な手法として挙げられる。ただ、MALDI−MS法では、マトリックス分子を過剰に添加するため、マトリックス分子の弊害を無視することができない。このため、例えば、再現性(定量性)が得られない、あるいはマトリックス分子が検出されてしまうために解析を困難にさせてしまう等の欠点が挙げられる。
【0004】
一方で、マトリックス分子ではなくイオン化基板表面を用いて効率的なエネルギー供給を目指した表面支援LDI−MS法(SALDI−MS法)が開発され、様々なイオン化基板が提案されている。
【0005】
例えば、表面プラズモン共鳴法を質量分析に利用したものがある(特許文献1参照)。この文献に記載された発明においては、金属基板に裏側から全反射条件を満たしつつ表面プラズモンを励起し、表面に吸着した分析物などの影響により変化する反射光強度をモニタリングするものである。その強度変化と励起光の入射角度との間に一定の相関関係を得ることができる。この場合、用いる基板は平滑な基板を用いる必要がある。その理由は、平滑でない基板を用いると角度依存性が得られないからである。この手法においては、表面に捕捉した分析物により表面プラズモンの励起条件が変化するため入射角度の依存性が現れる。その変化が分析物の種類に依存するため、分析手法として用いられている。この手法は、高感度であるため、注目されている。しかし、この手法は、あくまでも分析手法であり、分析物の脱離イオン化を目的とするものではない。
【0006】
また、本願発明者も表面プラズモン(SP)励起による金ナノ微粒子表面を用いたSALDI−MS法(SP−SALDI−MS法)を開発した(特許文献2及び特許文献3参照)。このSP−SALDI−MS法は、シリコン基板上に金ナノ微粒子を分散あるいは2次元最密充填固着させ、金ナノ微粒子の表面に励起されるプラズモンを、測定試料の脱離イオン化手段として利用するものである。この方法は、金ナノ微粒子の表面上に測定試料を直に付着させ、表面プラズモン励起のエネルギーにより、金ナノ微粒子の表面上に付着した測定試料の脱離イオン化を行うものである。
【0007】
またここで、種々の金属表面における有機分子の自己組織化の研究は、従来から広く行われている(非特許文献1参照)。金属表面に形成された有機分子の自己組織化単分子膜は、金属表面の酸化・腐食からの保護や、特に金属ナノ微粒子であれば、光学応答性の制御や凝集保護のために利用することができる。また、金属表面における自己組織化のために用いられる有機化合物としては、アルコール類、アミン類、カルボン酸類、チオールなどの硫黄含有化合物、リン含有化合物、アジド基、エチレン基、アセチレン基などの不飽和基含有化合物、ケイ素含有化合物など種々の化合物が知られている。一方、基材金属としては、平板状あるいは微粒子状の金属、例えば、金、銀、銅、パラジウム、白金、水銀、鉄、ケイ素、カドミウム、亜鉛、チタン、ニッケル、ジルコニウム、アルミニウム、タンタル、テルル、セレンやそれらの合金、酸化物、硫化物など種々の金属、金属酸化物、硫化物などが利用可能である。これらのうち、金ナノ微粒子などの金属ナノ微粒子を用いての有機分子の自己組織化の研究は、世界的に研究が集中し、急激に発展する方向にあり、有機化合物としては、アルカンチオールを用いての研究が活発に行われている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0008】
【特許文献1】特表平11−512518号公報
【特許文献2】特開2008−070187号公報
【特許文献3】特開2009−081055号公報
【非特許文献】
【0009】
【非特許文献1】Chem. Rev. 2005, Vol.105, No.4, pp.1103-1169
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0010】
上述したSP−SALDI−MS法では、まず、金ナノ微粒子に対して、固有の波長のレーザー光を照射し、照射したレーザー光のエネルギーを、金ナノ微粒子に吸収させる。このエネルギーは、金ナノ微粒子の表面に集中する。具体的には、光励起により、金ナノ微粒子の表面に、自由電子の集団振動が生じる。これが表面プラズモン励起である。そして、表面プラズモン励起のエネルギーが、金ナノ微粒子の表面に付着した測定試料に伝わり、測定試料が金ナノ微粒子の表面から脱離イオン化される。つまり、照射したレーザー光のエネルギーが、金ナノ微粒子の表面から測定試料に直接伝わって、測定試料が脱離イオン化される。
【0011】
しかし、SP−SALDI−MS法においても、金ナノ微粒子の表面から測定試料にエネルギーが直接伝わってしまうため、わずかではあるが、測定試料が壊れてしまうことがある。
また、測定試料の脱離イオン化を促進するために、イオン化支援剤などを添加すると、これによりマススペクトルの解析が阻害されてしまうこともある。
【0012】
そこで、本発明は、照射するレーザー光の出力(レーザーパワー)を極力弱くするとともに、金ナノ微粒子の表面から測定試料には直にエネルギーが伝わらないようにして、測定試料を壊さないようにしつつ、かつイオン化支援剤などによりマススペクトルの解析が阻害されるのを軽減しつつ、測定試料の脱離イオン化の促進を図ることを課題とする。
【課題を解決するための手段】
【0013】
(請求項1)
請求項1に記載の発明は、LDI−MS法において、有機分子の自己組織化単分子膜を表面に有する金属ナノ微粒子を分散又は2次元最密充填固着した基板の表面上に、測定試料を付着させ、前記測定試料の付着した前記基板に対し、前記金属ナノ微粒子に固有の波長のレーザー光を照射し、前記金属ナノ微粒子に表面プラズモンを励起させて、前記有機分子を金属原子との化合物として前記金属ナノ微粒子の表面から脱離させ、前記有機分子と金属原子との化合物が前記金属ナノ微粒子の表面から脱離するエネルギーにより、前記測定試料を脱離イオン化することを特徴とする。
【0014】
(請求項2)
請求項2に記載の発明は、請求項1に記載のLDI−MS法において、前記金属ナノ微粒子が、金ナノ微粒子であることを特徴とする。
【0015】
(請求項3)
請求項3に記載の発明は、請求項1又は請求項2に記載のLDI−MS法において、前記有機分子が、アルカンチオール分子であることを特徴とする。
【0016】
(作用)
ここで、基板は、有機分子の自己組織化単分子膜を表面に有する金属ナノ微粒子が分散あるいは2次元最密充填固着されたものである。
まず、この基板の表面上に、測定試料を付着させる。
そして、測定試料を付着させた基板に対して、金属ナノ微粒子に固有の波長のレーザー光を照射する。
【0017】
そうすると、金属ナノ微粒子に表面プラズモンが励起される。
そして、金属ナノ微粒子の表面に化学的に結合した有機分子が、金属ナノ微粒子の表面に生じた表面プラズモン励起によって、金属原子との化合物として、金属ナノ微粒子の表面から脱離する。すなわち、有機分子が、それに結合する金属原子とともに、金属ナノ微粒子の表面から脱離する。
【0018】
この脱離のエネルギーは、基板の表面上に付着する測定試料の脱離イオン化に寄与するものである。
したがって、この脱離のエネルギーにより、基板の表面上に付着する測定試料が、基板の表面から脱離イオン化する。すなわち、本発明は、この脱離のエネルギーを、測定試料の脱離イオン化を促進する手段として利用するものである。
【発明の効果】
【0019】
本発明によれば、金属ナノ微粒子の表面に結合した有機分子が、金属原子との化合物として、金属ナノ微粒子の表面に生じた表面プラズモン励起によって脱離するとともに、この脱離のエネルギーによって、基板の表面上に付着する測定試料が脱離イオン化する。
このため、照射するレーザー光の出力(レーザーパワー)を極力弱くすることができるとともに、表面プラズモン励起のエネルギーが、金属ナノ微粒子の表面から測定試料に直には伝わらないので、測定試料を壊さずに脱離イオン化することができる。
さらに、測定試料由来の正イオンを検出する際には、金属ナノ微粒子を修飾する有機分子と金属原子との化合物由来の負イオンは検出されないので、これによりマススペクトルの解析が阻害されることもない。
【図面の簡単な説明】
【0020】
【図1】金ナノ微粒子がシリコン基板上に分散配置された状態とレーザー光の照射視野との関係を示す模式的平面図である。
【図2】金ナノ微粒子がシリコン基板上に2次元最密充填された状態とレーザー光の照射視野との関係を示す模式的平面図である。
【図3】金ナノ微粒子がシリコン基板上に2次元最密充填された状態を示す模式的断面図である。
【図4】金ナノ微粒子の表面にアルカンチオール分子の自己組織化単分子膜が形成された状態を示す模式的断面図である。
【図5】アルカンチオール分子の自己組織化単分子膜の上に測定試料が付着した状態を示す模式的断面図である。
【図6】飛行時間型質量分析装置(TOF−MS)の概念図である。
【図7】レーザー光の照射により金ナノ微粒子の表面からアルカンチオール分子が脱離する様子を示す模式図である。
【図8】実施例1の質量分析結果を示すマススペクトル図である。
【図9】実施例2の質量分析結果を示すマススペクトル図である。
【図10】実施例3の質量分析結果を示すマススペクトル図である。
【発明を実施するための形態】
【0021】
上述したように、本発明は、LDI−MS法において、有機分子の自己組織化単分子膜を表面に有する金属ナノ微粒子を分散あるいは2次元最密充填固着した基板の表面上に、測定試料を付着させる。さらに、測定試料の付着した基板に対して、金属ナノ微粒子に固有の波長のレーザー光を照射する。これにより、金属ナノ微粒子に表面プラズモンを励起させて、自己組織化単分子膜を構成する有機分子を、金属原子との化合物として、金属ナノ微粒子の表面から脱離させる。そして、この有機分子と金属原子との化合物が金属ナノ微粒子の表面から脱離するエネルギーによって、測定試料を脱離イオン化するものである。以下、本発明のLDI−MS法を、基板の形成方法から説明する。
【0022】
(金属ナノ微粒子を分散配置した基板の形成方法)
本発明においては、まず、基材の表面上に、金属ナノ微粒子が分散配置され、その後、金属ナノ微粒子の表面上に、有機分子の自己組織化単分子膜が形成される。このようにして、有機分子の自己組織化単分子膜を表面に有する金属ナノ微粒子を分散配置した基板が形成される。つまり、基板は、基材の表面上に、金属ナノ微粒子が分散配置され、金属ナノ微粒子の表面上に、有機分子の自己組織化単分子膜が形成されたものである。まず、基材としては、金属ナノ微粒子をその上に分散配置することができ、LDI−MSの際に試料の脱離イオン化を阻害しないものであれば、いずれを用いてもよい。具体的には、基材として、例えば、平滑なシリコン基板を用いることが好ましい。大きさは任意でよいが、市販のレーザー脱離イオン化−飛行時間型−質量分析装置(LDI−TOF−MS)を利用することを勘案すると、その試料台に取り付けることができる程度の大きさ、例えば、5mm×5mm×0.5mm程度とすることができる。
【0023】
金属ナノ微粒子の粒径は、特に限定されるものではないが、本発明においては、LDI−TOF−MS法により解析が行われることから、レーザー光の照射により表面プラズモン励起が生じる粒径であることが好ましい。また、金属の種類によって好ましい粒径は異なるものの、一般に粒径が数nm以上、例えば、3nm〜300nm程度のものが好ましい。さらに、金属ナノ微粒子は、単一粒径であることが好ましい。粒径が異なると、表面プラズモン励起のエネルギーに差が生じ、これにより、分析精度に問題が生じるおそれがあるためである。また、後述するように、金属ナノ微粒子は、基材の表面に、2次元最密充填することが好ましいためでもある。具体的には、例えば、金ナノ微粒子の場合、2次元最密充填するときには、粒径が20nm以上のものが好ましい。
【0024】
金属ナノ微粒子を構成する金属としては、従来から自己組織化単分子膜(Self−Assembled
Monolayers:SAM)形成の基材として用いられていたもので、ナノ微粒子にすることができるものであれば、いずれを用いることもできる。このようなSAM形成の基材として用いられる金属としては、Au、Ag、Cu、Pd、Pt、Co、Ir、Ru、Si、AuAg、AuCu、FePt、GaAs、CdSe、CdTeなどの広範な材料が知られており、このような金属からナノ微粒子を形成することのできるものが使用される。そして、上記するように、本発明においては、LDI−TOF−MS法により解析が行われることから、レーザー光の照射により表面プラズモン励起が生じる金属が好ましいことを勘案すると、Au、Ag、Cu、Ptなどが好ましい金属として挙げられる。
【0025】
金属ナノ微粒子は、図1に示すように、シリコン基板などの基材の表面にランダムに分散配置してもよい。しかし、図1に示すように、金属ナノ微粒子が不均一に分散していると、レーザー光の照射視野内に、いくつの金属ナノ微粒子が収まるのか不確定となる。このため、表面プラズモン励起が共鳴的に高まった場所と、そうでない場所とが混在することとなり、質量分析測定において再現性を損なわせることとなる。また、基材としてシリコン基板を用いる場合、シリコンは熱伝導率が低いことから、レーザー光の照射により発生した熱が逃げにくく、これにより、過剰なエネルギー供給となってしまうおそれもある。
【0026】
このようなことから、金属ナノ微粒子は、図2及び図3に示すように、シリコン基板などの基材の表面上に、2次元最密充填されたものが好ましい。図2は、金属ナノ微粒子が2次元最密充填された状態を示す模式的平面図であり、図3は、その模式的断面図である。2次元最密充填されていると、図2に示すように、基板上のいずれの場所がレーザー光で照射されても、同じ結果が得られ、再現性が高くなる。加えて、Au、Ag、Cu、Ptなどは熱伝導率が高いことから、発生した熱を隣接する他の粒子を通して速やかに逃がすことが可能となり、過剰な熱により弊害、例えば、測定試料の解離や、マススペクトル分解能の低下を防止することができる。
【0027】
金属ナノ微粒子の2次元最密充填基板の作成方法としては、公知の方法のいずれを用いてもよい。60nmの金ナノ微粒子による2次元最密充填基板の作成方法の一例を、以下に示す。まず、60nm金ナノ微粒子水溶液(BBI社製、2.6×1010個/ml)をサンプル管等の容器に入れ、水と相分離する有機溶媒(1)を加える。次に、水及び有機溶媒(1)のいずれのも混和する有機溶媒(2)を加える。その後、静置すると、水溶液と有機溶媒に相分離し、その界面に金ナノ微粒子により形成された薄膜が生成する。なお、使用する有機溶媒の組合せ例としては、有機溶媒(1)としてシクロヘキサン、有機溶媒(2)としてメタノールという組合せが好ましい。
【0028】
この状態で、シリコン基板を管底に静かに沈めて、上記水相及び有機相を静かに抜き取る。そうすると、金ナノ微粒子薄膜がシリコン基板上に移し取られて、金ナノ微粒子を2次元最密充填した基板が形成される。
【0029】
上記例では、60nmの金ナノ微粒子を用いた場合を示したが、表面プラズモン励起を起こし得るいずれの金属のいずれの粒径の金属ナノ微粒子を用いてもよい。例えば、20nmや100nmの粒径の金ナノ微粒子を用いてもよく、この場合も、上記と同様の方法で2次元最密充填した基板を形成することができる。さらに、例えば、銀、銅、白金など、金以外の金属を用いてもよく、この場合も、上記と同様の方法で2次元最密充填した基板を形成することができる。
【0030】
(有機分子の自己組織化単分子膜の形成方法)
金属ナノ微粒子の表面上には、有機分子の自己組織化単分子膜が形成される。自己組織化単分子膜の形成に用いられる有機分子としては、金属ナノ微粒子に化学的に結合し、単分子膜を形成する(金属ナノ微粒子を修飾する)ものであれば、いずれのものでもよい。このような有機化合物として、例えば、アルコール類、アミン類、カルボン酸類、チオールなどの硫黄含有化合物、リン含有化合物、アジド基、エチレン基、アセチレン基などの不飽和基含有化合物、ケイ素含有化合物など多数のものが知られている。チオールなどの硫黄含有化合物としては、チオール基、アセチル保護チオール基、あるいはジスルフィド結合を有する化合物が代表的なものとして挙げられる。「分子−金属」の組合せについてみると、例えば、チオール(SH)基を持つものであれば、金属として、Au、Ag、Cu、Pd、Pt、Ir、Ru、AuAg、AuCu、FePt、GaAsとの組合せが挙げられる。
【0031】
チオール基を持つ化合物としては、n−アルカンチオール類(例えば、炭素数が4以上のn−アルカンチオール類)、芳香族チオール類などが挙げられる。これらのチオール化合物は、置換基によって置換されていてもよい。置換基としては、アルキル基、置換されていてもよいフェニル基、水酸基、ニトロ基、アルキルカルボニル基、アルキルカルボニルオキシ基、アルキルオキシカルボニル基など、任意の置換基であってもよい。例えば、水酸基で置換されたアルカンチオール類を例示すると、例えば、HS(CH11OH、HS(CH21OHなど、末端炭素原子に水酸基が置換したものが代表的なものとして挙げられる。
【0032】
有機分子の自己組織化単分子膜の形成は、具体的には、以下のように行われる。まず、金属ナノ微粒子の表面を修飾する有機分子を、適当な溶媒に適当な濃度で溶解させて、溶液を作る。次に、この溶液中に、金属ナノ微粒子が表面に固着された基板を、一定時間浸漬させる。その後、溶液中から基板を取り出し、上記の溶媒で洗浄して、金属ナノ微粒子に化学的に結合していない有機分子を洗い流す。その後、基板を乾燥させる。このようにして、金属ナノ微粒子の表面上に、有機分子の自己組織化単分子膜が形成され、ひいては、有機分子の自己組織化単分子膜を表面に有する金属ナノ微粒子が固着された基板が形成される。
【0033】
上記の有機分子の自己組織化単分子膜の形成においては、基板を浸漬させる溶液の有機分子の濃度は、特に限定されるものではないが、低濃度であることが好ましい。例えば、通常数mmol/リットル程度とされる。浸漬時間は、浸漬させる溶液の有機分子の濃度と関係し、濃度が高ければ浸漬時間は短くてよく、一方、濃度が低ければ浸漬時間は長くする必要がある。このように、浸漬時間は、溶液の濃度などの種々の条件により変動することから、一義的に定められるものではないが、通常12時間〜2日程度とされる。また、浸漬中の温度は、適宜の温度でよいが、25℃以上であることが浸漬時間の短縮の観点から好ましい。溶媒については、金属ナノ微粒子の表面を修飾する有機分子を溶解できるものであれば、いずれを用いてもよい。金属ナノ微粒子の表面を修飾する有機分子として、例えば、アルカンチオールが用いられる場合には、エタノール、メタノール、トルエン、テトラヒドロフラン、ジメチルホルムアミド、アセトニトリル、シクロオクタンなどが挙げられる。特に、コストや取り扱いなどの点から、エタノールが好ましい。
【0034】
(測定試料の調製及び付着方法)
例えば、アンジオテンシンII(AngiotensinII)を測定試料とする場合には、所定量のアンジオテンシンIIを、所定量のアセトニトリル+水の溶媒に溶解させて、所定濃度の溶液を作る。そして、この溶液の所定量を、有機分子の自己組織化単分子膜を表面に有する金属ナノ微粒子を2次元最密充填固着した基板(以下「イオン化基板」という。)上に滴下し、乾燥させる。このようにして、イオン化基板の表面上に、測定試料のアンジオテンシンIIを付着させる。
【0035】
また、例えば、ニューロテンシン(Neurotensin)を測定試料とする場合には、所定量のニューロテンシンを、所定量のアセトニトリル+水の溶媒に溶解させて、所定濃度の溶液を作る。そして、この溶液の所定量を、イオン化基板上に滴下し、乾燥させる。このようにして、イオン化基板の表面上に、測定試料のニューロテンシンを付着させる。
【0036】
また、例えば、サブスタンスP(Substance P)を測定試料とする場合には、所定量のサブスタンスPを、所定量のアセトニトリル+水の溶媒に溶解させて、所定濃度の溶液を作る。そして、この溶液の所定量を、イオン化基板上に滴下し、乾燥させる。このようにして、イオン化基板の表面上に、測定試料のサブスタンスPを付着させる。
【0037】
なお、測定試料を、適当な溶媒に適当な濃度で溶解させて溶液を作り、この溶液中に、イオン化基板を一定時間浸漬させ、その後、溶液中からイオン化基板を取り出して、イオン化基板を乾燥させる。このようにして、イオン化基板の表面上に、測定試料を付着させることもできる。
【0038】
(質量分析方法)
表面上に測定試料を付着させたイオン化基板を、図6に示すような、レーザー脱離イオン化−飛行時間型−質量分析装置(LDI−TOF−MS)の試料台にセットして、イオン化基板の表面上に付着させた測定試料の質量分析を行う。
【0039】
励起光は、Nd/YAGレーザー、又はNレーザーであり、質量分析装置の左下から斜めに照射され、プリズムで反射され、中央部の試料台を照射する。その後、試料台から反射されたレーザー光を、プリズムを通して外へ導く。
【0040】
金属ナノ微粒子の表面プラズモン励起により、図7に模式的に示すように、金属ナノ微粒子を修飾する有機分子が、金属原子との化合物として、金属ナノ微粒子の表面から脱離する。すなわち、金属ナノ微粒子を修飾する有機分子が、それに結合する金属の原子とともに、金属ナノ微粒子の表面から脱離する。
【0041】
この脱離のエネルギーは、イオン化基板の表面上に付着する測定試料の脱離イオン化に寄与するものであり、この脱離のエネルギーにより、イオン化基板の表面上に付着する測定試料が、イオン化基板の表面から脱離イオン化される。このため、表面プラズモン励起のエネルギーが、金属ナノ微粒子の表面から測定試料に直には伝わらないので、測定試料を壊さずに脱離イオン化することができる。
【0042】
そして、脱離イオン化した測定試料を、パルス状に高電圧で加速して、検出器に到達するまでの飛行時間を、線形型飛行時間型質量分析計で測定する。これにより、マススペクトルが得られ、これを解析することで、測定試料の質量を測定することができる。
【0043】
またここで、表面プラズモン励起により金属ナノ微粒子の表面から金属原子との化合物として脱離した有機分子は、負イオンとなる。一方、有機分子の脱離のエネルギーによりイオン化基板の表面から脱離した測定試料は、正イオンとなる。このため、質量分析装置の検出イオンモードを、正イオンモードにすることで、金属ナノ微粒子を修飾する有機分子と金属原子との化合物由来の負イオンは、検出されなくなり、測定試料由来の正イオンのみが、検出されるようになる。
【0044】
すなわち、金属ナノ微粒子を修飾する有機分子と金属原子との化合物、及び測定試料が、ともに脱離イオン化されるものの、前者は負イオン、後者は正イオンとなる。このため、質量分析装置の検出イオンモードを、正イオンモードにすれば、金属ナノ微粒子を修飾する有機分子と金属原子との化合物由来の負イオンの方は、測定結果としては全く見えなくなり、マススペクトル中にもピークとしてあらわれることはなくなる。一方、測定試料由来の正イオンの方は、もちろん測定結果としてあらわれ、マススペクトル中にもピークとしてあらわれる。したがって、金属ナノ微粒子を修飾する有機分子と金属原子との化合物由来の負イオンが存在するものの、この存在に阻害あるいは邪魔されることなく、測定試料由来の正イオンを検出でき、ひいては測定試料の質量電荷比を測定することができる。
【0045】
また、励起光は、金属ナノ微粒子に表面プラズモン励起を生じさせることが可能な波長近傍のレーザー波長が好ましい。その条件は、前記金属ナノ微粒子の金属種(Au、Ag、Cu等)、形状(球状、棒状、三角形状等)、配置方法(分散あるいは2次元最密充填固着等)などによって様々に変化することが知られている。これらの条件を考慮すると、レーザー波長は、短波長側では400nm付近から長波長側では1000nm付近の近赤外領域が好ましい。例えば、金ナノ微粒子を2次元最密充填固着させた基板を用いる場合は、Nd/YAGレーザーの532nm、あるいは1064nm等が特に好ましい。他の測定条件は、従来知られたLDI−TOF−MS装置の測定条件の中から最適の条件を選択して質量分析を行えばよい。また、レーザーパワーは、低すぎると、金属表面を修飾する有機分子が、金属原子との化合物として、金属ナノ微粒子の表面から脱離しないか、起こってもわずかであり、一方、強すぎると、前記有機分子と金属原子との化合物や測定試料が分解あるいは解離してしまう。
【0046】
またここで、本発明では、表面プラズモン励起により、金属ナノ微粒子を修飾する有機分子が、金属原子との化合物として、金属ナノ微粒子の表面から脱離するとともに、この離脱のエネルギーにより、イオン化基板の表面上に付着する測定試料が、イオン化基板の表面から脱離イオン化される。このため、レーザーパワーを、比較的弱くすることができる。
【0047】
具体的には、質量分析装置の検出イオンモードを、負イオンモードにして、金属ナノ微粒子を修飾する有機分子と金属原子との化合物由来の負イオンの検出を行う。このとき、金属ナノ微粒子を修飾する有機分子と金属原子との化合物由来の負イオンが検出できる最低限のレベルまで、レーザーパワーを弱くすることができる。すなわち、金属ナノ微粒子を修飾する有機分子と金属原子との化合物由来のピークがマススペクトル中にあらわれる最低限のレベルまで、レーザーパワーを弱くすることができる。
【0048】
金属ナノ微粒子を修飾する有機分子と金属原子との化合物由来のピークが検出されたということは、表面プラズモン励起により、金属ナノ微粒子を修飾する有機分子が、金属原子との化合物として、金属ナノ微粒子の表面から脱離したことを意味するものである。そうすると、この脱離のエネルギーにより、イオン化基板の表面上に付着する測定試料を、イオン化基板の表面から脱離イオン化させることができるので、このときのレベルまで、レーザーパワーを弱くすることができる。すなわち、金属ナノ微粒子の表面から修飾有機分子が脱離する最低限のレベルまで、レーザーパワーを弱くすることができるのである。
【実施例】
【0049】
以下、実施例を挙げて本発明を具体的に説明するが、本発明はこれによって何ら限定されるものではない。
【0050】
(実施例1)
(60nm金ナノ微粒子の2次元最密充填基板の形成)
平均粒径60nmの金ナノ微粒子水溶液(BBI社製、2.6×1010個/ml)1mlを口径15mm、高さ45mmのサンプル管に入れ、シクロヘキサン1mlを加えた。次に、メタノール2mlを加え、静置して、水溶液と有機溶媒とに相分離し、その界面に金ナノ微粒子により形成された薄膜が生成した。そこに、5mm×5mm×0.5mmのシリコン基板を入れ、管底に静かに沈め、上記水相及び有機相を管底から静かに抜き取った。これにより、金ナノ微粒子の2次元最密充填基板が形成された。
【0051】
(アルカンチオール分子の自己組織化単分子膜の形成)
1−ヘキサデカンチオール(C1633SH、M.W.258.5)32μlを、エタノール100mlに溶解して、1mmol/lのエタノール溶液を作った。この溶液に、60nm金ナノ微粒子が表面に2次元最密充填固着された基板を、24時間浸漬させた。その後、溶液中から基板を取り出し、エタノールで表面を十分に洗浄して、金ナノ微粒子に結合していない余分な1−ヘキサデカンチオール分子を除去し、その後、基板を十分乾燥させた。これにより、金ナノ微粒子の表面上に、1−ヘキサデカンチオール分子の自己組織化単分子膜が形成された。
以上により、1−ヘキサデカンチオール分子の自己組織化単分子膜を表面に有する金ナノ微粒子を2次元最密充填固着した基板が形成された。これをイオン化基板とする。
【0052】
(測定試料の調製及び付着)
アンジオテンシンII(AngiotensinII)0.562mgを、アセトニトリル+水の溶媒5.0mlに溶解して、0.1mMの溶液を作った。この溶液1.0μlを、上記のイオン化基板上に滴下し、十分乾燥させた。これにより、イオン化基板の表面上に、測定試料のアンジオテンシンIIを付着させた。
【0053】
(質量分析)
上記の測定試料(アンジオテンシンII)を表面上に付着させたイオン化基板を、レーザー脱離イオン化−飛行時間型−質量分析装置(LDI−TOF−MS)の試料台にセットし、次の条件で測定を行った。その結果(マススペクトル)を図8に示す。
【0054】
(測定条件)
レーザー:Nd/YAG 532nm/4Hz
加速電圧(二段加速型):1段目;4.5kV、2段目;3.8kV
遅延時間:1.0μs
加速時間:3.0μs
その他の条件:
検出器:MCP
MCP電圧:1.90kV
飛行距離:450mm
真空度:1×10−5Pa order
【0055】
図8に示されるように、イオン化基板として、金ナノ微粒子のみを用いた場合(図8中上段)では、測定試料由来のピークは得られなかった。一方で、イオン化基板として、1−ヘキサデカンチオールが表面修飾された金ナノ微粒子を用いた場合(図8中下段)では、m/z1046に[M+H]、m/z1068に[M+Na]、m/z1084に[M+K]に、測定試料(M)に水素イオン、ナトリウムイオン、カリウムイオンがそれぞれ付加したピーク(図8中の拡大図参照)が得られた。このことから、金ナノ微粒子が有機分子で表面修飾されていることで、測定試料のピークが得られるようになり、また、測定試料はあまり解離せず検出されていることが明らかとなった。
【0056】
(実施例2)
測定試料をニューロテンシン(Neurotensin)とした。
【0057】
(測定試料の調製及び付着)
ニューロテンシン0.475mgを、アセトニトリル+水の溶媒54mlに溶解して、5μMの溶液を作った。この溶液1.0μlを、上記のイオン化基板上に滴下し、十分乾燥させた。これにより、イオン化基板の表面上に、ニューロテンシンを付着させた。
そして、実施例1と同様にして、質量分析を行った。その結果(マススペクトル)を図9に示す。
【0058】
図9に示されるように、m/z1674に[M+H]に、測定試料(M)に水素イオンが付加したピークが得られた。また、測定試料はあまり解離せず検出されていることが明らかとなった。
【0059】
(実施例3)
測定試料をサブスタンスP(Substance P)とした。
【0060】
(測定試料の調製及び付着)
サブスタンスP0.145mgを、アセトニトリル+水の溶媒1.0mlに溶解して、0.1mMの溶液を作った。この溶液1.0μlを、上記のイオン化基板上に滴下し、十分乾燥させた。これにより、イオン化基板の表面上に、サブスタンスPを付着させた。
そして、実施例1と同様にして、質量分析を行った。その結果(マススペクトル)を図10に示す。
【0061】
図10に示されるように、m/z1349に[M+H]、m/z1371に[M+Na]、m/z1387に[M+K]に、測定試料(M)に水素イオン、ナトリウムイオン、カリウムイオンがそれぞれ付加したピーク(図10中の拡大図参照)が得られた。また、測定試料はあまり解離せず検出されていることが明らかとなった。
【0062】
以上説明したように、金ナノ微粒子を修飾する1−ヘキサデカンチオール分子由来のピークがマススペクトル中にあらわれる最低限のレベルのレーザーパワーで、アンジオテンシンIIやニューロテンシンやサブスタンスPの検出に成功した。
このため、金ナノ微粒子を修飾する有機分子と金原子との化合物由来のピークが検出できる最低限のレベルまで、レーザーパワーを弱くしても、金ナノ微粒子を修飾する有機分子が金原子との化合物として脱離するときのエネルギーによって、測定試料がイオン化基板の表面から脱離イオン化するといえる。
【0063】
そして、レーザーパワーを弱くすることができるとともに、表面プラズモン励起のエネルギーが、金ナノ微粒子の表面から測定試料に直には伝わらないので、測定試料を壊さずに脱離イオン化することができるといえる。
【0064】
さらに、金ナノ微粒子を修飾する有機分子と金原子との化合物は負イオン、測定試料は正イオンとなることから、質量分析装置の検出イオンモードを、正イオンモードにした。このため、測定試料由来の正イオンは検出され、もちろんマススペクトル中にピークとしてあらわれたが、金属ナノ微粒子を修飾する有機分子と金属原子との化合物由来の負イオンは検出されず、マススペクトル中にもピークとしてあらわれなかった。よって、マススペクトルの解析が阻害されることがなかった。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
レーザー脱離イオン化質量分析法において、有機分子の自己組織化単分子膜を表面に有する金属ナノ微粒子を分散又は2次元最密充填固着した基板の表面上に、測定試料を付着させ、前記測定試料の付着した前記基板に対し、前記金属ナノ微粒子に固有の波長のレーザー光を照射し、前記金属ナノ微粒子の表面にプラズモンを励起させて、前記有機分子を金属原子との化合物として前記金属ナノ微粒子の表面から脱離させ、前記有機分子と金属原子との化合物が前記金属ナノ微粒子の表面から脱離するエネルギーにより、前記測定試料を脱離イオン化することを特徴とするレーザー脱離イオン化質量分析法。
【請求項2】
前記金属ナノ微粒子が、金ナノ微粒子であることを特徴とする請求項1記載のレーザー脱離イオン化質量分析法。
【請求項3】
前記有機分子が、アルカンチオール分子であることを特徴とする請求項1又は請求項2記載のレーザー脱離イオン化質量分析法。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【図8】
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【図9】
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【図10】
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【公開番号】特開2012−47554(P2012−47554A)
【公開日】平成24年3月8日(2012.3.8)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2010−189076(P2010−189076)
【出願日】平成22年8月26日(2010.8.26)
【出願人】(305027401)公立大学法人首都大学東京 (385)
【Fターム(参考)】