常時微動計測に基づく建物の健全性診断法、診断装置及び診断プログラム
【課題】細長い平面形状や不規則な平面形状を有する建物において損傷が発生している平面上の位置を絞り込むことを可能にする。
【解決手段】健全時の固有振動数と評価時の固有振動数とを振動特性の次数毎に比較して評価時の固有振動数が健全時の固有振動数と比べて低下している場合に該数値が低下している固有振動数に対応する固有モードの振幅成分の絶対値が大きい構面位置で損傷が発生していると共に数値が低下していない固有振動数に対応する固有モードの振幅成分の絶対値が大きい構面位置では損傷は発生していないと判断するようにした。
【解決手段】健全時の固有振動数と評価時の固有振動数とを振動特性の次数毎に比較して評価時の固有振動数が健全時の固有振動数と比べて低下している場合に該数値が低下している固有振動数に対応する固有モードの振幅成分の絶対値が大きい構面位置で損傷が発生していると共に数値が低下していない固有振動数に対応する固有モードの振幅成分の絶対値が大きい構面位置では損傷は発生していないと判断するようにした。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、常時微動計測に基づく建物の健全性診断法、診断装置及び診断プログラムに関する。さらに詳述すると、本発明は、地震や強風等の過大な外力若しくは構造材料の経年劣化によって発生する建物の損傷を常時微動計測に基づいて判定する技術、或いは、新設若しくは構造補強された建物の健全性を判定する技術の改良に関する。
【0002】
なお、本明細書においては、建物と建物の基礎部分とを厳密に区別することなく、両者を併せて単に建物と表記する。ただし、建物と建物の基礎部分との両方を含むことを特に強調したい場合には建物全体と適宜表記する。また、本発明における常時微動とは、例えば風力や交通振動などによって励起される振動である。
【0003】
また、本発明においては、建物の状態の基準とする時点のことを健全時と呼び、当該健全時の建物の状態と比べて損傷が発生しているか否かの評価を行う時点(単一時点の場合も複数時点の場合もあり得る)のことを評価時と呼ぶ。
【背景技術】
【0004】
建物の常時微動を計測して建物全体の構造の健全性を評価して建物の健全性を診断する従来の方法として、ARMAモデルに移動平均項を付加したモデルを用い、振動センサによって計測された建物の常時微動記録の中の任意の一つの基準信号と残りの参照信号とのクロススペクトルを求め、これら基準信号及び参照信号の相関成分と無相関部分とを分離して建物全体の振動成分のみを抽出して建物全体の振動特性を同定する方法がある(特許文献1)。
【0005】
特許文献1の方法では、入力信号と出力信号との間の相関と因果関係とを求めるための解法モデルであって従来から知られているARMAモデルに移動平均項(:Moving−Average)を更に追加した新しいモデルによる新しいスペクトル解析法を建物の振動モードの同定に適用するようにしている。
【0006】
なお、従来から知られているARMAモデル(:Autoregressive Moving−Average model)は、例えば数式1に示すように、右辺第一項であるAR(:Autoregressive)項と第二項であるMA(:Moving−Average)項との和として表現されるモデルであり、各項の係数a1(k),b1(k)に重み付けをして振動特性を表すスペクトルを得ようとするものである。
【0007】
【数1】
ここに、x1(t):時刻tにおけるシステムの出力,
e(t):時刻tにおけるシステムの入力(ホワイトノイズ) をそれぞれ表す。
【0008】
このARMAモデルによればホワイトノイズをMA項中でe(t-k)として表すことにより過去の値を参照することが可能になっている。これにより、クロススペクトルの形状を推定してこの推定結果から振動特性を同定するような診断法が行われる。
【0009】
具体的には、例えば図12に示すような建物においてARMAモデルによって振動特性を得ようとする場合には、建物の1層(即ち1階)部分の応答を数式1に示すモデルで表すと共に屋上部分の応答を数式2に示すモデルで表し、これら各モデルにホワイトノイズをインプットとして入力し、各アウトプットx1(t),xR(t)を求めることによって振動特性を同定する。この場合、数式1と数式2とにおけるインプットe(t-k)は互いに等しいと仮定されて入力されるので振動特性が抽出し易いという利点がある。
【0010】
【数2】
【0011】
ここで、振動特性を同定する場合、常時微動による影響を考慮し、建物の局所振動に関するノイズ成分を取り除くようにしないと精度が低下してしまう。したがって、例えば図12に示すように屋上の室外機101のような常時微動を生じさせる局所的な発生源がある場合には、これに起因するノイズ成分を分離し、建物を揺らしている振動成分のみを残すようにする必要がある。しかしながら、従来のARMAモデルでは局所的振動を本来の振動成分から分離することができないという問題がある。
【0012】
そこで、特許文献1の方法では、従来のARMAモデルの数式1,数式2に対応するモデルが数式3,数式4のようにそれぞれ表されるモデルであって、ARMAモデルに移動平均項を付加した新しいモデル(以下、ARMAMAモデルと呼ぶ)を用いるようにしている。
【0013】
【数3】
【数4】
【0014】
ARMAMAモデルを用いた場合には数式3,数式4に共通する信号であるホワイトノイズe(t-k)が入力されることに加え、新しく追加された移動平均項にはそれぞれ別の信号であるe1(t-k),eR(t-k)が入力されることによって局所的信号成分が加味された振動特性が得られる。
【0015】
そして、得られた振動特性からクロススペクトル(即ち、複数の計測データの相関性に関する周波数軸の関数)を得ることによって建物の局所振動に関するノイズ成分を抽出するようにしている。すなわち、ARMAモデルとは異なり、複数の時系列波形の相関成分と無相関成分とを分離し、これにより、観測波形に特有の振動成分が含まれる場合にもこれらを除去して複数の観測波形に共通する成分を抽出するようにしている。
【0016】
特許文献1の方法においては、建物上の複数位置に振動センサを配置することによって計測された常時微動記録のうち、任意の一つの記録が基準信号とされると共に残りの記録が参照信号とされる。そして、同じ建物中の異なる箇所における時刻歴波形(横軸は時間t、縦軸は振動)を掛け合わせることによって両波形のうちの共通する成分のみが波形として示されたクロススペクトルが得られるので、基準信号と参照信号とのクロススペクトルをARMAMAモデルを用いた方法を用いて推定することにより、二つの信号に共通に含まれる振動成分の中で基準信号を原因とすると共に参照信号を結果とする因果律を満たすものが抽出される。このため、観測波形に特有の振動成分が含まれる場合にもこれらを除去して複数の観測波形に共通する成分のみを抽出することができる。この抽出された振動成分より、建物全体の振動特性が同定される。この振動特性を同様の方法で事前に得られている建物健全時の振動特性(或いは設計図面から推定される振動特性)と比較することによって建物全体の健全性が損なわれているか否かが判定される。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0017】
【特許文献1】特許第3925910号
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0018】
しかしながら、特許文献1の常時微動計測に基づく建物の健全性診断法では、建物における損傷発生の有無と共に何れの層(即ち階)において損傷が発生しているかを検出することはできても、損傷が発生している平面上の位置或いは建物の構面を絞り込むことはできない。このため、特許文献1の建物の健全性診断法は、例えば学校校舎のように細長い床面即ち平面形状を有する建物やL字形やU字形などのように不規則な平面形状を有する建物における損傷発生位置の絞り込みに対しては有用であるとは言い難い。
【0019】
そこで、本発明は、例えばI字形のように細長い平面形状を有する建物やL字形やU字形などのように不規則な平面形状を有する建物において損傷が発生している平面上の位置を絞り込むことができる常時微動計測に基づく建物の健全性診断法、診断装置及び診断プログラムを提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0020】
本発明者は、常時微動計測に基づいて建物の健全性を診断する方法の検討を行う中で、実際の建物において構面(壁)に損傷を与えながら常時微動を連続的に計測する実験を実施すると共に振動特性の次数別の固有振動数を計算して検証した結果、建物の一つの構面に損傷を与えた前後で数値が大きく低下する固有振動数とほとんど変化しない固有振動数とがあることを知見した。また、損傷を与える構面によって、数値が低下する固有振動数とほとんど変化しない固有振動数との組み合わせが変化することを知見した。そして、損傷を与えた構面と数値が低下した固有振動数に対応する固有モードの振幅成分の絶対値が大きくなる構面とが一致すると共に、損傷を与えていない構面と数値が低下しない固有振動数に対応する固有モードの振幅成分の絶対値が大きくなる構面とが一致することを見出した。これらの知見も踏まえ、本発明者は、損傷を与えた構面と固有振動数と固有モードとの間の関係に基づけば、固有振動数のみをモニタリングすることで建物内の何れの構面に損傷が発生したのかを検出する技術が成立することを着想するに到った。
【0021】
請求項1記載の常時微動計測に基づく建物の健全性診断法は、前記の発明者独自の新たな知見に基づくものであり、建物に複数の構面を設定すると共に該複数の構面毎に健全時の常時微動を計測して得られた建物の常時微動記録を用いて健全時について振動特性の次数毎に建物の固有振動数及び複数の構面別の数値を成分とするベクトルである固有モードを計算するステップと、評価時の建物の常時微動を少なくとも一箇所で計測して得られる常時微動記録を用いて評価時について振動特性の次数毎に建物の固有振動数を計算するステップと、健全時の固有振動数と評価時の固有振動数とを振動特性の次数毎に比較して評価時の固有振動数が健全時の固有振動数と比べて低下している場合に該数値が低下している固有振動数に対応する固有モードの振幅成分の絶対値が大きい構面位置で損傷が発生していると共に数値が低下していない固有振動数に対応する固有モードの振幅成分の絶対値が大きい構面位置では損傷は発生していないと判断するステップとを有するようにしている。
【0022】
また、請求項2記載の常時微動計測に基づく建物の健全性診断装置は、建物に設定された複数の構面毎に健全時の常時微動を計測して得られた建物の常時微動記録を用いて健全時について振動特性の次数毎に建物の固有振動数及び複数の構面別の数値を成分とするベクトルである固有モードを計算する手段と、評価時の建物の常時微動を少なくとも一箇所で計測して得られる常時微動記録を用いて評価時について振動特性の次数毎に建物の固有振動数を計算する手段と、健全時の固有振動数と評価時の固有振動数とを振動特性の次数毎に比較して評価時の固有振動数が健全時の固有振動数と比べて低下している場合に該数値が低下している固有振動数に対応する固有モードの振幅成分の絶対値が大きい構面位置で損傷が発生していると共に数値が低下していない固有振動数に対応する固有モードの振幅成分の絶対値が大きい構面位置では損傷は発生していないと判断する手段とを有するようにしている。
【0023】
また、請求項3記載の常時微動計測に基づく建物の健全性診断プログラムは、建物の常時微動記録を用いて建物の健全性診断を行う際に、建物に設定された複数の構面毎に健全時の常時微動を計測して得られた建物の常時微動記録を用いて健全時について振動特性の次数毎に建物の固有振動数及び複数の構面別の数値を成分とするベクトルである固有モードを計算する処理と、評価時の建物の常時微動を少なくとも一箇所で計測して得られる常時微動記録を用いて評価時について振動特性の次数毎に建物の固有振動数を計算する処理と、健全時の固有振動数と評価時の固有振動数とを振動特性の次数毎に比較して評価時の固有振動数が健全時の固有振動数と比べて低下している場合に該数値が低下している固有振動数に対応する固有モードの振幅成分の絶対値が大きい構面位置で損傷が発生していると共に数値が低下していない固有振動数に対応する固有モードの振幅成分の絶対値が大きい構面位置では損傷は発生していないと判断する処理とをコンピュータに行わせるようにしている。
【0024】
したがって、これらの常時微動計測に基づく建物の健全性診断法、診断装置及び診断プログラムによると、建物の構面毎に健全時の常時微動を計測して健全時について振動特性の次数毎に建物の固有振動数及び複数の構面別の数値を成分とするベクトルとして固有モードを計算すると共に評価時について振動特性の次数毎に建物の固有振動数を計算し、健全時の固有振動数と評価時の固有振動数とを振動特性の次数毎に比較するようにしているので、健全時の固有振動数に対して評価時の固有振動数が低下しているか否かが振動特性の次数毎に判断されて固有振動数が低下している振動特性の次数が明らかになる。そして、数値が低下した固有振動数に対応する固有モードの振幅成分の絶対値が大きくなる構面で損傷が発生した可能性があると評価し、数値が低下しない固有振動数に対応する固有モードの振幅成分の絶対値が大きくなる構面で損傷は発生しておらず健全性が維持されていると評価し、これらの評価を総合的に判断して建物の何れの構面位置において損傷が発生しているのかが診断される。
【0025】
なお、本発明において、固有振動数に対応する固有モードとは、固有振動数と振動特性の次数が同じである固有モードを指す。また、本発明において、構面位置とは、構面及びその周辺のことを指す。
【発明の効果】
【0026】
本発明の常時微動計測に基づく建物の健全性診断法、診断装置及び診断プログラムによれば、健全時の固有振動数と評価時の固有振動数とを振動特性の次数毎に比較して固有振動数の数値が低下している振動特性の次数が明らかになるので、固有振動数と固有モードとの間の関係に基づいて建物の何れの構面位置において損傷が発生しているのかを判定することが可能であり、特に細長い平面形状を有する建物や不規則な平面形状を有する建物の健全性診断の性能の向上を図り、有用性の向上を図ることが可能になる。
【0027】
そして、建物の健全性診断の基準になる健全時の常時微動の計測は短期間で済む一方で評価時の常時微動の計測は長期間に亘ることが一般的であるところ、本発明によれば、評価時の常時微動の計測は建物の少なくとも一箇所で行えば足りるので、損傷が発生した構面位置の特定を可能にしながらも評価時の常時微動の計測並びに解析を簡易なものにすると共にコストを抑制することができ、建物の健全性診断の性能を向上させ尚かつ経済性も向上させることが可能になる。なお、このような本発明の効果は、広い床面を有する建物、さらに、例えばI字形のように細長い平面形状を有する建物やL字形やU字形などのように不規則な平面形状を有する建物における健全性の診断において特に顕著に発揮される。また、通常、建物の損傷や劣化は非常に稀に発生する事象であり、建物のライフタイムを考慮すると健全性診断は長期に亘って実施される場合が多い。本発明によれば、健全時においては従来の手法と同様に固有モードの詳細な形状を把握するために多数の振動センサを用いた詳細な振動特性評価を実施する必要があるものの、評価時においては振動センサの台数と計算量とを従来の評価法と比べて大幅に軽減することができるので、建物のライフタイムに亘って評価を実施することを考慮すると建物の健全性診断に費やすコストを極めて大幅に削減することが可能になる。
【図面の簡単な説明】
【0028】
【図1】本発明の常時微動計測に基づく建物の健全性診断法,診断プログラムの実施形態の一例を説明するフローチャートである。
【図2】本発明の常時微動計測に基づく建物の健全性診断装置の実施形態の一例を説明する機能ブロック図である。
【図3】実施形態における設定を説明する図である。
【図4】振動特性の次数別の固有モードの構面別の振動成分の例を説明する図である。
【図5】構面別の常時微動のパワースペクトルの例を説明する図である。
【図6】振動特性の次数別の固有振動数の経時変化を評価する例を説明する図である。(A)は一箇所のみの計測の場合を説明する図である。(B)は二箇所の計測の場合を説明する図である。
【図7】固有振動数を評価指標として用いて建物の健全性の良否の判定を行う例を模式的に説明する図である。
【図8】実施例1における壁への損傷の与え方を説明する図である。
【図9】実施例1の建物の各階の平面形状と共に損傷を与えた壁と振動センサと構面との位置を示す図である。
【図10】実施例1の振動特性の次数1次の固有値に対応する振動特性の計算結果を示す図である。(A)は固有振動数の時系列の計算結果を示す図である。(B)は健全時の各構面別の層毎の固有モードの計算結果を示す図である。
【図11】実施例1の振動特性の次数2次の固有値に対応する振動特性の計算結果を示す図である。(A)は固有振動数の時系列の計算結果を示す図である。(B)は健全時の各構面別の層毎の固有モードの計算結果を示す図である。
【図12】ARMAMAモデルが対象とし得る建物の例のモデル図である。
【発明を実施するための形態】
【0029】
以下、本発明の構成を図面に示す実施の形態の一例に基づいて詳細に説明する。
【0030】
図1から図7に、本発明の常時微動計測に基づく建物の健全性診断法、診断装置及び診断プログラムの実施形態の一例を示す。本発明の常時微動計測に基づく建物の健全性診断法は、建物に複数の構面を設定すると共に該複数の構面毎に健全時の常時微動を計測して得られた建物の常時微動記録を用いて健全時について振動特性の次数毎に建物の固有振動数及び複数の構面別の数値を成分とするベクトルである固有モードを計算するステップと、評価時の建物の常時微動を少なくとも一箇所で計測して得られる常時微動記録を用いて評価時について振動特性の次数毎に建物の固有振動数を計算するステップと、健全時の固有振動数と評価時の固有振動数とを振動特性の次数毎に比較して評価時の固有振動数が健全時の固有振動数と比べて低下している場合に該数値が低下している固有振動数に対応する固有モードの振幅成分の絶対値が大きい構面位置で損傷が発生していると共に数値が低下していない固有振動数に対応する固有モードの振幅成分の絶対値が大きい構面位置では損傷は発生していないと判断するステップとを有するようにしている。
【0031】
また、本発明の常時微動計測に基づく建物の健全性診断装置は、建物に設定された複数の構面毎に健全時の常時微動を計測して得られた建物の常時微動記録を用いて健全時について振動特性の次数毎に建物の固有振動数及び複数の構面別の数値を成分とするベクトルである固有モードを計算する手段と、評価時の建物の常時微動を少なくとも一箇所で計測して得られる常時微動記録を用いて評価時について振動特性の次数毎に建物の固有振動数を計算する手段と、健全時の固有振動数と評価時の固有振動数とを振動特性の次数毎に比較して評価時の固有振動数が健全時の固有振動数と比べて低下している場合に該数値が低下している固有振動数に対応する固有モードの振幅成分の絶対値が大きい構面位置で損傷が発生していると共に数値が低下していない固有振動数に対応する固有モードの振幅成分の絶対値が大きい構面位置では損傷は発生していないと判断する手段とを有するを備えている。
【0032】
上述の常時微動計測に基づく建物の健全性診断法及び診断装置は、本発明の常時微動計測に基づく建物の健全性診断プログラムをコンピュータ上で実行することによっても実現される。本発明の常時微動計測に基づく建物の健全性診断プログラムは、建物の常時微動記録を用いて建物の健全性診断を行う際に、建物に設定された複数の構面毎に健全時の常時微動を計測して得られた建物の常時微動記録を用いて健全時について振動特性の次数毎に建物の固有振動数及び複数の構面別の数値を成分とするベクトルである固有モードを計算する処理と、評価時の建物の常時微動を少なくとも一箇所で計測して得られる常時微動記録を用いて評価時について振動特性の次数毎に建物の固有振動数を計算する処理と、健全時の固有振動数と評価時の固有振動数とを振動特性の次数毎に比較して評価時の固有振動数が健全時の固有振動数と比べて低下している場合に該数値が低下している固有振動数に対応する固有モードの振幅成分の絶対値が大きい構面位置で損傷が発生していると共に数値が低下していない固有振動数に対応する固有モードの振幅成分の絶対値が大きい構面位置では損傷は発生していないと判断する処理とをコンピュータに行わせるようにしている。
【0033】
本実施形態では、常時微動計測に基づく建物の健全性診断プログラムをコンピュータ上で実行する場合を例に挙げて説明する。本実施形態では、常時微動計測に基づく建物の健全性診断プログラムをコンピュータ上で実行することにより、具体的には、図1に示すように、建物に設定された複数の構面毎に健全時の常時微動を計測(S0)して得られた建物の常時微動記録の中の任意の一つの基準信号と残りの参照信号とのクロススペクトルをARMAモデルに移動平均項を付加したモデルを用いて求めると共にこれら基準信号及び参照信号の相関成分と無相関部分とを分離して建物全体の振動成分のみを抽出する処理(S1)と、S1の処理の結果に基づいて健全時について振動特性の次数毎に建物の固有振動数及び複数の構面別の数値を成分とするベクトルである固有モードを計算する処理(S2)と、固有モードの成分である複数の構面別の数値の大小関係に基づいて固有モードの特性を判定する処理(S3)と、評価時の建物の常時微動を少なくとも一箇所で計測(S0’)して得られる常時微動記録を用いて評価時について振動特性の次数毎に建物の固有振動数を計算する処理(S4)と、健全時の固有振動数と評価時の固有振動数とを振動特性の次数毎に比較(S5)して建物における損傷の発生の有無を判定すると共に評価時の固有振動数が健全時の固有振動数と比べて低下している場合に該数値が低下している固有振動数に対応する固有モードの振幅成分の絶対値が大きい構面位置で損傷が発生し数値が低下していない固有振動数に対応する固有モードの振幅成分の絶対値が大きい構面位置では損傷は発生していないと判断する処理(S6)とをコンピュータが行う。
【0034】
常時微動計測に基づく建物の健全性診断プログラム17を実行するための本実施形態の常時微動計測に基づく建物の健全性診断装置10の全体構成を図2に示す。この常時微動計測に基づく建物の健全性診断装置10は、制御部11、記憶部12、入力部13、表示部14及びメモリ15を備え相互にバス等の信号回線により接続されている。また、常時微動計測に基づく建物の健全性診断装置10にはデータサーバ16がバス等の信号回線により接続されており、その信号回線を介して相互にデータや制御指令等の信号の送受信(即ち出入力)が行われる。
【0035】
制御部11は記憶部12に格納されている常時微動計測に基づく建物の健全性診断プログラム17によって常時微動計測に基づく建物の健全性診断装置10全体の制御並びに建物の健全性診断に係る演算を行うものであり、例えばCPU(即ち中央演算処理装置)である。記憶部12は少なくともデータやプログラムを記憶可能な記憶手段であり、例えばハードディスクである。メモリ15は制御部11が各種の制御や演算を実行する際の作業領域であるメモリ空間となるものであり、例えばRAM(Random Access Memory の略)である。
【0036】
入力部13は少なくとも作業者の命令を制御部11に与えるためのインターフェイスであり、例えばキーボードである。
【0037】
表示部14は制御部11の制御により文字や図形等の描画・表示を行うものであり、例えばディスプレイである。
【0038】
そして、常時微動計測に基づく建物の健全性診断プログラム17を実行することによって、本実施形態では、常時微動計測に基づく建物の健全性診断装置10の制御部11には、建物に設定された複数の構面毎に健全時の常時微動を計測して得られた建物の常時微動記録の中の任意の一つの基準信号と残りの参照信号とのクロススペクトルをARMAモデルに移動平均項を付加したモデルを用いて求めると共にこれら基準信号及び参照信号の相関成分と無相関部分とを分離して建物全体の振動成分のみを抽出する手段としてのスペクトル解析部11aと、該スペクトル解析部11aによる処理の結果に基づいて健全時について振動特性の次数毎に建物の固有振動数及び複数の構面別の数値を成分とするベクトルである固有モードを計算する手段としての振動特性同定部11bと、固有モードの成分である複数の構面別の数値の大小関係に基づいて固有モードの特性を判定する手段としての振動特性判定部11cと、評価時の建物の常時微動を少なくとも一箇所で計測して得られる常時微動記録を用いて評価時について振動特性の次数毎に建物の固有振動数を計算する手段としての固有振動数計算部11dと、健全時の固有振動数と評価時の固有振動数とを振動特性の次数毎に比較して建物における損傷の発生の有無を判定すると共に評価時の固有振動数が健全時の固有振動数と比べて低下している場合に該数値が低下している固有振動数に対応する固有モードの振幅成分の絶対値が大きい構面位置で損傷が発生し数値が低下していない固有振動数に対応する固有モードの振幅成分の絶対値が大きい構面位置では損傷は発生していないと判断する手段としての健全性判定部11eとが構成される。
【0039】
本発明の実施にあたっては、まず、健全時における建物の常時微動の計測を行う(S0)。
【0040】
本発明では、例えば図3に示すような建物1の何れの構面或いはその周辺(即ち構面位置)において損傷が発生しているのかを特定することを可能にするため、一つの建物において複数の構面を設定して当該構面毎に常時微動を計測する。なお、常時微動の計測は建物の2階以上の階において行うことが望ましく、振動の振幅が通常は最も大きくなる屋上において行うことが最も望ましい。
【0041】
具体的には例えば、図3に示す例のように、一つの建物1に対して構面A,B,C,Dの四つの構面(図中に破線で表示)を設定すると共に屋上のこれら構面A,B,C,Dの位置において常時微動を計測する。なお、常時微動の計測は建物上に設置された例えば振動センサなどによって行う。
【0042】
本実施形態では、計測によって得られた常時微動記録を、計測された構面及び日時の情報と対応付けて健全時常時微動記録データベース18としてデータサーバ16に蓄積する。
【0043】
そして、制御部11のスペクトル解析部11aは、S0の結果として得られる健全時の常時微動記録を用いてスペクトル解析を行い、健全時のクロススペクトル及びパワースペクトルの算定を行う(S1)。
【0044】
スペクトル解析部11aは、具体的には、基準信号と複数個の参照信号とのクロススペクトルを算定すると共に、基準信号に関するパワースペクトルを算定する。なお、パワースペクトルとは、単点の計測データの特性を表す周波数軸の関数のことである。
【0045】
本発明においては、ARMAMAモデルによるスペクトル解析を行う。
【0046】
発明者によって新たに導出されたARMAMAモデルは、建物上で計測された常時微動記録の中で二つの時系列信号をx(t),y(t)として数式5,数式6として表される。
【0047】
【数5】
【数6】
ここに、e(t),ex(t),ey(t):互いに無相関な定常ホワイトノイズ,
Ax(z-1),Ay(z-1),Cx(z-1),Cy(z-1):AR(Autoregressive)演算子,
Bx(z-1),By(z-1),Dx(z-1),Dy(z-1):MA(Moving−Average)演算子,
z-1:遅延演算子 をそれぞれ表す。
【0048】
数式5,数式6のAR演算子とMA演算子とはz-1に関する多項式であり、例えばAR演算子Ax(z-1),Ay(z-1),Cx(z-1),Cy(z-1)は数式7,数式8で表される。
【0049】
【数7】
【数8】
ここに、ax(j),ay(j),cx(j),cy(j):AR係数,
n,m:AR次数 をそれぞれ表す。
【0050】
そして、AR係数ax(j),ay(j),cx(j)は、数式9,数式10,数式11の拡張Yule−Walker方程式をそれぞれ満たす。
【0051】
【数9】
【数10】
【数11】
ここに、Rxy(τ):x(t)とy(t)との間の相互相関関数,
Rxx(τ):x(t)の自己相関関数 をそれぞれ表す。
【0052】
そして、Rxy(τ)及びRxx(τ)の推定値が与えられれば、数式9,数式10及び数式11によってax(j),ay(j)及びcx(j)が決定される。
【0053】
また、数式5と数式6とで表される時系列信号x(t)とy(t)とのクロススペクトルSxy(z-1)は数式12によって表される。
【0054】
【数12】
【0055】
また、時系列信号x(t)のみに関するパワースペクトルSxx(z-1)は数式13によって表される。
【0056】
【数13】
【0057】
数式12の右辺並びに数式13の右辺第一項は時系列信号x(t)とy(t)とに共通する振動成分を示し、数式13の右辺第二項は時系列信号x(t)のみに含まれる局所的な振動成分を示す。したがって、数式12の右辺並びに数式13の右辺第一項を用いることにより、局所的な振動成分を除去して建物全体に共通する振動成分のみを抽出することができる。
【0058】
数式12の右辺並びに数式13の右辺第一項の分母に着目してAx(z)=0,Ay(z-1)=0を満たす解をそれぞれz=−zxj,z=zyj(j=1〜n)とすると、数式12と数式13とは数式14と数式15とのようにそれぞれ表される。
【0059】
【数14】
【数15】
【0060】
数式14,数式15におけるzxj及びzyjはSxy(z-1)及びSxx(z-1)の極と呼ばれる複素数であり、それらに対応するβxyj及びγxyj,βxxj及びγxxjは留数である。そして、標準z変換に基づき、数式14においてz=exp(iωΔ)(ただし、i:虚数単位,Δ:時間刻み)とすれば、円振動数ωの関数としてクロススペクトルが得られる。
【0061】
スペクトル解析部11aは、健全時常時微動記録データベース18として蓄積されている常時微動記録をデータサーバ16から読み込み、健全時の常時微動記録を時系列信号x(t),y(t)として用いて上述のARMAMAモデルによるスペクトル解析法によって健全時のクロススペクトルSxy(z-1)及びパワースペクトルSxx(z-1)を算定する。
【0062】
ここで、本発明においては、数式14においてx(t)を基準信号として一つの観測時系列に固定すると共にy(t)を参照信号として複数個の観測時系列を順に選択することによって複数個のクロススペクトルを推定する。
【0063】
そして、スペクトル解析部11aは、算定した健全時のクロススペクトルSxy(z-1)及びパワースペクトルSxx(z-1)をメモリ15に記憶させる。
【0064】
次に、制御部11の振動特性同定部11bは、S1の処理によって得られる健全時のスペクトルの算定結果を用いて健全時の建物の固有振動数及び固有モードの計算を行う(S2)。
【0065】
本発明においては、上述のARMAMAモデルによるスペクトル解析法を利用して振動特性の同定を行う。
【0066】
建物上の複数の観測時系列からその振動モードを同定する場合には、S1の処理においてx(t)を基準信号として一つの観測時系列に固定すると共にy(t)を参照信号として複数個の観測時系列を順に選択することによって数式14により推定した複数個のクロススペクトルを用いる。
【0067】
数式14において、Σ〔 〕内の第一項は参照信号y(t)を原因とすると共に基準信号x(t)を結果とする因果律を満たすものであり、第二項は基準信号x(t)を原因とすると共に参照信号y(t)を結果とする因果律を満たすものである。したがって、S1の処理において基準信号x(t)を固定して複数のクロススペクトルを算定するようにしているので、数式14のΣ〔 〕内の第二項を用いて建物全体の振動特性を計算することができる。すなわち、建物のj次の固有値λj及び固有振動数fjと固有モードφjとは数式16と数式17とによりそれぞれ計算される。
【0068】
【数16】
【数17】
ここに、π:円周率,
γxkj:参照信号を計測点kとしたときのクロススペクトルによるγxyjの値,
T:転置記号 をそれぞれ表す。
【0069】
本発明におけるj次の固有モードφjは、j次固有ベクトルとして表されるものであり、具体的には、各構面別の数値を成分とするベクトルである。
【0070】
j次の固有値λj及び固有振動数fjとj次の固有モードφjとを示す数式16と数式17とは、基準信号x(t)を原因とすると共に参照信号y(t)を結果とする因果律から導かれているため、建物に作用する外力とは無関係に成り立つ。よって、建物の常時微動記録のように複数の外力により建物の振動が励起されている場合であっても、固有振動数や固有モード等の振動特性を精度良く計算することができる。
【0071】
振動特性同定部11bは、健全時常時微動記録データベース18に蓄積されている常時微動記録をデータサーバ16から読み込むと共にS1の処理においてメモリ15に記憶された健全時のクロススペクトルSxy(z-1)及びパワースペクトルSxx(z-1)をメモリ15から読み込み、健全時の常時微動記録を基準信号x(t),参照信号y(t)として用いて上述のARMAMAモデルによるスペクトル解析法を利用した振動特性の同定法によって健全時の建物の振動特性の次数j次の固有値λj,固有振動数fj,各構面別の固有モードφjを計算する。
【0072】
ここで、新設若しくは構造補強された建物の健全性を判定する場合(具体的には例えば、新設直後の建物が設計図面通りの健全性を有しているかの確認や構造補強直後の建物が設計図面通りの健全性を発揮するかの確認などの場合)には、設計図面に基づいて固有値解析法やモード解析法やスペクトル解析法などによって計算されたものを健全時の建物の振動特性として用いるようにしても良い。
【0073】
そして、振動特性同定部11bは、計算した健全時の建物の固有値λj及び固有振動数fjを振動特性の次数の情報と対応付けてメモリ15に記憶させると共に、健全時の固有モードφjの数値を振動特性の次数及び構面の情報と対応付けてメモリ15に記憶させる。
【0074】
次に、制御部11の振動特性判定部11cは、S2の処理によって得られる健全時の固有モードの計算結果に基づいて固有モードの特性の判定を行う(S3)。
【0075】
具体的には、振動特性判定部11cは、S2の処理においてメモリ15に記憶された振動特性の次数j次別の構面別の固有モードφjの数値をメモリ15から読み込み、振動特性の次数j次毎に構面別の固有モードφjの数値の大きさの順位を各構面に付与する。
【0076】
そして、振動特性判定部11cは、振動特性の次数j次毎の構面別固有モードφjの数値についての構面毎の順位をメモリ15に記憶させる。
【0077】
上述の健全時についての処理に続いて、本発明の実施にあたっては、評価時における建物の常時微動の計測が行われる(S0’)。
【0078】
本発明では、評価時におけるものとしての常時微動の計測は建物の代表的な箇所のみで行えば良く、最小で一箇所のみで行うようにしても良い。すなわち、本発明においては、評価時における常時微動の計測は、健全時における常時微動の計測とは異なり、健全時における計測の際に設定した構面の全てで行う必要はない。
【0079】
そして、本発明では、評価時における常時微動の計測点の選択にあたっては、健全時における固有モードの振幅成分を参照して決定する。すなわち、複数の振動特性に対応する固有モードの振幅成分の絶対値の大きさが共通して大きくなる位置において計測を行うようにする。なお、評価時における常時微動の計測も、建物の2階以上の階において行うことが望ましく、振動の振幅が通常は最も大きくなる屋上において行うことが最も望ましい。
【0080】
評価時における常時微動の計測点の選択について、具体的には例えば、図3に示す建物1において健全時におけるものとして常時微動の計測を行って振動特性の計算をした結果、構面Aにおいて固有モードの振動成分の絶対値が最も大きくなる振動特性1(1次)が検出されると共に構面Dにおいて固有モードの振動成分の絶対値が最も大きくなる振動特性2(2次)が検出された場合を例に挙げて図4から図6を用いて説明する。
【0081】
図4は、固有モードの計算結果の例を振動特性の次数別に示す図であって、図3に示す建物1の固有モードの屋上での振幅成分を示した例である。図4において、図中の記号○は静止点を表し、記号●はモード成分(即ち振幅成分)を表す。また、図5は、構面A,B,C,Dのそれぞれの位置において計測された常時微動のパワースペクトル(即ち、横軸を振動の波の振動数にすると共に縦軸を振動の強さにしたグラフであり、振動成分を振動数との関係で表示したグラフ)を示す。
【0082】
健全時についての振動特性の計算結果として図4及び図5に示す結果が得られた場合には、評価時における常時微動の計測点として構面B若しくは構面Cを選択すると一箇所のみの計測で二つの振動特性に対応する固有振動数を評価することができるので有利である。
【0083】
なぜならば、パワースペクトルにおいてピークとなる振動数が固有振動数に対応するものであるので、ピークが明瞭であれば固有振動数を評価することができる。図5に示す例では、構面B及び構面Cのパワースペクトルには振動特性1と振動特性2とに対応する固有振動数f1と固有振動数f2との共振ピークがともに明瞭に現れており、構面Bと構面Cとのどちらか一箇所で常時微動を計測すれば二つの固有振動数f1及びf2を評価することができる。
【0084】
一方で、図5に示す例では、構面A及び構面Dのパワースペクトルには固有振動数f1若しくは固有振動数f2のどちらか一つの固有振動数に対応したピークが一つ現れているのみであり、それぞれの計測データからは固有振動数は一つしか評価することができない。具体的には、構面Aのデータからは固有振動数f1のみが、構面Dのデータからは固有振動数f2のみが評価できるに留まる。
【0085】
また、複数の固有振動数の数値が近接している場合には、或る特定の固有振動数の数値が低下したときに何れの次数の固有振動数が低下したのかを判断することが難しいことがあり得るので、常時微動における複数の振動特性の次数のそれぞれに対応する固有振動数を明確に区別するために複数の構面の位置において常時微動を計測することが望ましい。
【0086】
具体的には例えば、図4,図5に示す例において、振動特性1次の固有振動数f1と2次の固有振動数f2とが近接している場合に、構面Bと構面Cとのどちらか一箇所のみにおいて常時微動を計測して固有振動数を評価しようとしたときに一方の固有振動数のみが低下したのか両方の固有振動数が低下したのかを判断できない虞がある。
【0087】
この状況を図6を用いて具体的に説明すると、図6(A)のように固有振動数が変化したときには、固有振動数f1とf2とがともに低下した場合(図中実線矢印で表すケース)と、固有振動数f2のみが低下した場合(図中破線矢印で表すケース)とを見分けることができない。このように、複数の固有振動数が近接している場合には、近接する固有振動数の変化を適確に見分けることができるようにするために複数の構面の位置において常時微動を計測するようにすることが望ましい。
【0088】
例えば、図4,図5に示す例において固有振動数f1とf2とが近接している場合であっても、構面Aと構面Dとの二箇所において常時微動を計測するようにすれば、構面Aの計測データから固有振動数f1を適切に評価することができると共に構面Dの計測データから固有振動数f2を適切に評価することができるので、図6(B)に示すように評価時において振動特性の次数別の固有振動数と固有モードとの間の関係を適確に見分けることができる。
【0089】
本実施形態では、計測によって得られた常時微動記録を、計測された構面及び日時の情報と対応付けて評価時常時微動記録データベース19としてデータサーバ16に蓄積する。
【0090】
そして、制御部11の固有振動数計算部11dは、S0’の結果として得られる評価時の常時微動記録を用いて固有振動数の計算を行う(S4)。
【0091】
具体的には、固有振動数計算部11dは、評価時常時微動記録データベース19として蓄積されている常時微動記録をデータサーバ16から読み込み、評価時の建物の振動特性の次数j次毎の固有振動数fjを計算する。なお、評価時の固有振動数の計算は、従来から用いられている固有値解析法やモード解析法やスペクトル解析法や(例えば、金澤健司・平田和太:クロススペクトル推定法による多自由度系構造物の振動モード同定,日本建築学会構造系論文集,NO.529 pp.89-98, 2000年3月)、或いは健全時についてのS1,S2の処理として説明したARMAMAモデルを用いた解析法によって行う。
【0092】
そして、固有振動数計算部11dは、計算した評価時の建物の固有振動数fjの数値を振動特性の次数の情報と対応付けてメモリ15に記憶させる。
【0093】
次に、制御部11の健全性判定部11eは、S2の処理によって得られる健全時の固有振動数とS4の処理によって得られる評価時の固有振動数とを比較し(S5)、建物の健全性の良否の判定を行うと共にS3の処理によって得られる固有モードの特性を用いて損傷が発生している構面位置の特定を行う(S6)。なお、S5,S6の処理は、評価時点が複数ある場合には評価時点毎に行う。
【0094】
具体的には、本発明では、S1の処理におけるARMAMAモデルによるスペクトル解析及びこれを利用したS2の処理における振動特性の同定によって得られる健全時の建物の固有振動数とS4の処理において得られる評価時の建物の固有振動数とを比較することによって建物の健全性の良否の判定を行う。なお、新設若しくは構造補強された建物の健全性を判定する場合には、前述の通り、設計図面に基づいて各種の解析法によって計算されたものを健全時の建物の振動特性として用いるようにしても良い。
【0095】
ここで、建物に損傷が発生して健全性が失われると建物の固有振動数は一般に低下する性質があり、本発明ではこの性質を利用することによって建物の健全性の良否の判定を行う。
【0096】
固有振動数を評価指標として用いて建物の健全性の良否の判定を行う例を図7に模式的に示す。まず、評価時のものとして建物の竣工直後の常時微動記録から計算される固有振動数と、健全時のものとして設計図面に基づいて計算される固有振動数とを比較することにより、新設建物の健全性を評価することができる。なお、健全時と評価時との固有振動数の比較は振動特性の次数毎に行う。
【0097】
また、評価時のものとして地震等のイベントによって過大な外力を受けた直後の常時微動記録から固有振動数(図7中「地震発生後診断時」)を計算すると共に健全時として竣工直後の固有振動数(若しくは設計図面に基づく固有振動数)と比較して固有振動数が大きく低下している場合には建物の健全性が失われていると判定する。なお、損傷が発生して建物の健全性が失われていると判定するための固有振動数の数値の変化の程度(即ち変化の幅;図7における「設計値若しくは建物竣工時の固有振動数」と「健全と見なされる固有振動数のレベル」との差分)は、特定の値に限られるものではなく、作業者が適宜設定すれば良い。
【0098】
その後、健全性が失われている部分を補強し、本発明の診断法を再び実施した結果、補強後の固有振動数(図7中「一次補強後診断時」)が建物が健全と見なされる固有振動数のレベルに達していない場合には建物の健全性は未だ不足していると判定され、補強が更に必要であると判断することができる。
【0099】
また、本発明の診断法を定期的に実施して建物の固有振動数を継続的に監視し、固有振動数の計算値(図7中「20年後」,「40年後」,「60年後」)が徐々に低下して建物が健全と見なされる固有振動数のレベルを下回った場合には経年劣化によって建物の健全性が失われたと判定することができる。
【0100】
さらに、本発明では、振動特性の次数j次が同じである固有振動数と各構面別の固有モードとを用いることによって、損傷が発生した平面上の位置を構面位置を単位として絞り込むことができる。
【0101】
具体的には例えば、図3に示す建物1を対象として健全時における振動特性の次数j次の固有振動数及び固有モードを計算すると共に評価時の次数j次の固有振動数を計算し、或る次数j次の固有振動数が図7に示すような変化をしている場合で、同じ次数j次の健全時における固有モードをみたときに構面Dにおける固有モードの静止点からの振動振幅(振動の水平成分に係るもの)の大きさが他の構面の固有モードの振動振幅よりも大きいときは、建物の構面Dの位置において損傷が発生していると判断することができる。
【0102】
上記の判断を行うため、健全性判定部11eは、S2の処理においてメモリ15に記憶された健全時における振動特性の次数j次の固有振動数fjの数値とS4の処理においてメモリ15に記憶された評価時の次数j次の固有振動数fjの数値とをメモリ15から読み込み、健全時の数値と評価時の数値とを比較し、建物の健全性が失われているか否かを判定する。その際、建物の健全性が失われていると判断される程度の変化(即ち、固有振動数の数値の低下)が、振動特性の次数が何次の固有振動数において生じているのかを区別しておく。なお、損傷が発生して建物の健全性が失われていると判定するための固有振動数の数値の低下の幅や閾値は、例えば建物の健全性診断プログラム17の中に予め規定しておく。
【0103】
さらに、健全性判定部11eは、振動特性の次数j次毎の固有振動数の低下に基づいて建物の健全性が失われていると判定される場合には、当該判定の根拠になった低下が生じている固有振動数の振動特性の次数j次についての、S3の処理においてメモリ15に記憶された構面別固有モードφjの数値についての構面毎の順位をメモリ15から読み込む。
【0104】
そして、健全性判定部11eは、S5,S6の処理における判定結果として、建物の健全性が失われていると判定される固有振動数の低下が生じている振動特性の次数jと、当該次数jについての構面別固有モードφjの数値についての構面毎の順位とを表示部14に表示したり、例えば記憶部12やデータサーバ16内に当該評価時点の評価結果データファイルとして保存したりする。
【0105】
以上の処理の結果によって、建物の健全性が失われていると判定される固有振動数の低下が生じている振動特性の次数についての構面別固有モードφの数値についての構面毎の順位が分かるので、固有モードφの数値が大きい位置において損傷が発生しているとして構面位置を特定することができる。
【0106】
制御部11は、他の評価時における常時微動記録を用いた評価が更に必要である場合など必要に応じてS4の処理に戻ってS6までの処理を繰り返す。そして、建物の健全性の評価を行うべき対象がなくなったときは処理を終了する(END)。
【0107】
以上のように構成された本発明の常時微動計測に基づく建物の健全性診断法、診断装置及び診断プログラムによれば、建物の構面毎に健全時の常時微動を計測して健全時について振動特性の次数毎に建物の固有振動数及び複数の構面別の数値を成分とするベクトルとして固有モードを計算すると共に評価時について振動特性の次数毎に建物の固有振動数を計算し、健全時の固有振動数と評価時の固有振動数とを振動特性の次数毎に比較するようにしているので、健全時の固有振動数に対して評価時の固有振動数が低下しているか否かが振動特性の次数毎に判断されて固有振動数が低下している振動特性の次数が明らかになる。そして、数値が低下した固有振動数に対応する固有モードの振幅成分の絶対値が大きくなる構面で損傷が発生した可能性があると評価し、数値が低下しない固有振動数に対応する固有モードの振幅成分の絶対値が大きくなる構面で損傷は発生しておらず健全性が維持されていると評価し、これらの評価を総合的に判断して建物の何れの構面位置において損傷が発生しているのかを診断することができる。
【0108】
なお、上述の形態は本発明の好適な形態の一例ではあるがこれに限定されるものではなく、本発明の要旨を逸脱しない範囲において種々変形実施可能である。例えば、本実施形態では、健全時の振動特性の計算においてARMAモデルに移動平均項を付加したARMAMAモデルを用いるようにしているが、健全時の振動特性の計算方法はこれに限られるものではなく、従来から用いられている固有値解析法やモード解析法やスペクトル解析法を用いるようにしても良い。
【実施例1】
【0109】
実際の建物の常時微動記録に対して本発明の常時微動計測に基づく建物の健全性診断法、診断装置及び診断プログラムを適用して建物の健全性の診断を行った実施例を図8から図11を用いて説明する。
【0110】
本実施例では、地上4階地下1階の建物を対象とし、壁面に人為的に損傷を与えながら(破壊しながら)常時微動を計測した(S0,S0’)。壁面への損傷は、合計30枚の壁に対して10段階に分けて順番に与えた。また、壁面への損傷は、図8に示すように、建物の柱と梁との縁を切断することにより行った。
【0111】
本実施例では、図9に示すように、東西方向に細長い平面形状を有する建物の東部と中央部と西側との壁に損傷を与えた。図9に示す建物の各層(図中では階又はFと表記)の図において、上側に表記されている丸数字2,3,4の位置の壁を東部壁Weと呼び、丸数字7,8,10の位置の壁を中央壁Wcと呼び、丸数字15の位置の壁を西壁Wwと呼ぶ。
【0112】
図9中には、また、どのような順番でいつ何れの層のどの壁に損傷を与えたかを表している。すなわち、図9中の[STEP1]から[STEP10]までの順番に表記されている日・時間帯に各位置の壁に対して損傷を与えた。
【0113】
本実施例では、対象とした建物に、図9中上側の丸数字3,7,11,15の位置の四つの構面を設定し、常時微動の計測を当該四つの構面で行った(図中記号★の位置)。なお、以下においては、図9中上側の丸数字が例えば3の位置の構面を構面−3のように表記する。
【0114】
建物の壁に損傷を与える前の計測(健全時に相当;S0)によって得られた常時微動記録を用いてARMAMAモデルによるスペクトル解析を行ってクロススペクトル及びパワースペクトルの算定を行うと共に(S1)、当該スペクトルの算定結果を用いて建物の振動特性の計算を行った(S2)。
【0115】
また、建物の壁に損傷を与えながら常時微動の計測(評価時に相当;S0’)を継続して連続的に行い、連続的に得られた常時微動記録を用いて固有値解析を行って評価時に相当するものとしての固有振動数の計算を行った(S4)。
【0116】
健全時のS1,S2に対応する処理及び評価時のS4に対応する処理を行って図10及び図11に示す結果が得られた。なお、本実施例では、固有値と固有モードとは2次(図中では振動特性f1,振動特性f2と表記)まで得られた。
【0117】
図10(A),図11(A)に示す経時的な固有振動数の計算結果から、損傷を与えた壁の枚数が増えるに従って固有振動数が低下する傾向があることが確認された。このことから、本発明の方式によって得られる建物の固有振動数を継続的に監視することによって(S0’,S4)、建物における損傷発生の有無を判定することが可能である(S5,S6)ことが確認された。
【0118】
また、建物の壁に損傷を与える前(健全時に相当)における固有モードの特性の判定(S3)として、振動特性の次数別に構面別の固有モードを整理して図10(B),図11(B)に示す結果が得られた。
【0119】
図10(B),図11(B)においては、記号○が静止点を表すと共に、記号●が固有モードの水平二成分(具体的には、図面左右方向の東西成分と図面上下方向の南北成分)即ち上から見た水平二方向の軌跡を表している。具体的には例えば、図10(B)について、構面−3のR階(即ち屋上階)の応答は北側に大きく動きながら西側にも少し動いていることを示す。なお、これら図10(B),図11(B)の固有モードの図は最大振幅の瞬間を図示したものであり、具体的には例えば、図10(B)について、構面−3のR階の実際の振動は静止点を振動の中心として北北西の向きと南南東の向きとの運動を繰り返す。
【0120】
また、例えば図10(B)における構面−3の各階の動きをみると、R階(即ち屋上階)の振動振幅が最も大きいと共にR階から下の階になるに従って振動振幅が小さくなって1階及びB階(即ち地下階)はほとんど揺れていないことが確認された。このことから、振動の振幅はやはり屋上が最も大きく、そして、常時微動の計測は、建物の2階以上の階において行うことが望ましく、屋上において行うことが最も望ましいことが確認された。なお、実施例においては上記のことを確認するためにも構面毎に全ての層において常時微動の計測を行うようにしているが、前述の通り、本発明においては常時微動の計測を行う際に全ての層において計測を行う必要はない。
【0121】
図10(A),図11(A)に示す結果から、健全時の固有振動数は、振動特性の次数1次では約2.9Hz、2次では約3.6Hzであった。ここで、建物における損傷によって仮に振動特性1次の固有振動数が不変であると共に振動特性2次の固有振動数が低下した場合には振動特性1次と2次との固有振動数が近接する虞があるので、本実施例の場合には評価時における常時微動の計測を複数の構面の位置において行うことが望ましいと判断された。
【0122】
さらに、図10(B),図11(B)に示す振動特性1次と2次との固有モードの形状を参照して、本実施例では、振動特性1次の固有モードの振幅成分の絶対値が最も大きい構面−3の屋上における建物平面形状の短辺方向の成分(即ち南北成分)と、振動特性2次の固有モードの振幅成分の絶対値が最も大きい構面−11の屋上における南北成分の二つの振動成分を連続的に評価することが望ましいと判断された。
【0123】
振動特性1次の固有モードは建物東側の構面−3の応答が大きくなる傾向があって建物東側で生じた事象に対する応答が大きいと考えられ、その一方で、振動特性2次の固有モードは建物西側の構面−11と構面−15との応答が大きくなる傾向があって建物西側で生じた事象に対する応答が大きいと考えられた。したがって、振動特性1次に対応する固有振動数が低下した場合には損傷の発生箇所は建物東側であると判定することができ、振動特性2次に対応する固有振動数が低下した場合には損傷の発生箇所は建物西側であると判定することができると考えられた。
【0124】
そして、これら図10(A)及び図11(A)に示す結果から、建物の東部壁Weに損傷を与えた場合には東側で生じた事象に対する応答が大きい固有モードに対応する固有振動数である1次の固有振動数が低下し、建物の西壁Wwに損傷を与えた場合には西側で生じた事象に対する応答が大きい固有モードに対応する固有振動数である2次の固有振動数が低下することが確認された。このことから、固有値の次数別に建物の固有振動数の時系列での変化と健全時の構面毎の固有モードとを調べることによって(S3)、建物における損傷発生の有無や何れの構面において損傷が発生したのかについて判定することが可能である(S4)ことが確認された。
【0125】
以上の結果から、本発明の常時微動計測に基づく建物の健全性診断法、診断装置及び診断プログラムによれば、建物において発生した損傷の箇所を絞り込むことが可能であることが確認された。
【符号の説明】
【0126】
10 建物の健全性診断装置
11 制御部
12 記憶部
13 入力部
14 表示部
15 メモリ
16 データサーバ
17 建物の健全性診断プログラム
【技術分野】
【0001】
本発明は、常時微動計測に基づく建物の健全性診断法、診断装置及び診断プログラムに関する。さらに詳述すると、本発明は、地震や強風等の過大な外力若しくは構造材料の経年劣化によって発生する建物の損傷を常時微動計測に基づいて判定する技術、或いは、新設若しくは構造補強された建物の健全性を判定する技術の改良に関する。
【0002】
なお、本明細書においては、建物と建物の基礎部分とを厳密に区別することなく、両者を併せて単に建物と表記する。ただし、建物と建物の基礎部分との両方を含むことを特に強調したい場合には建物全体と適宜表記する。また、本発明における常時微動とは、例えば風力や交通振動などによって励起される振動である。
【0003】
また、本発明においては、建物の状態の基準とする時点のことを健全時と呼び、当該健全時の建物の状態と比べて損傷が発生しているか否かの評価を行う時点(単一時点の場合も複数時点の場合もあり得る)のことを評価時と呼ぶ。
【背景技術】
【0004】
建物の常時微動を計測して建物全体の構造の健全性を評価して建物の健全性を診断する従来の方法として、ARMAモデルに移動平均項を付加したモデルを用い、振動センサによって計測された建物の常時微動記録の中の任意の一つの基準信号と残りの参照信号とのクロススペクトルを求め、これら基準信号及び参照信号の相関成分と無相関部分とを分離して建物全体の振動成分のみを抽出して建物全体の振動特性を同定する方法がある(特許文献1)。
【0005】
特許文献1の方法では、入力信号と出力信号との間の相関と因果関係とを求めるための解法モデルであって従来から知られているARMAモデルに移動平均項(:Moving−Average)を更に追加した新しいモデルによる新しいスペクトル解析法を建物の振動モードの同定に適用するようにしている。
【0006】
なお、従来から知られているARMAモデル(:Autoregressive Moving−Average model)は、例えば数式1に示すように、右辺第一項であるAR(:Autoregressive)項と第二項であるMA(:Moving−Average)項との和として表現されるモデルであり、各項の係数a1(k),b1(k)に重み付けをして振動特性を表すスペクトルを得ようとするものである。
【0007】
【数1】
ここに、x1(t):時刻tにおけるシステムの出力,
e(t):時刻tにおけるシステムの入力(ホワイトノイズ) をそれぞれ表す。
【0008】
このARMAモデルによればホワイトノイズをMA項中でe(t-k)として表すことにより過去の値を参照することが可能になっている。これにより、クロススペクトルの形状を推定してこの推定結果から振動特性を同定するような診断法が行われる。
【0009】
具体的には、例えば図12に示すような建物においてARMAモデルによって振動特性を得ようとする場合には、建物の1層(即ち1階)部分の応答を数式1に示すモデルで表すと共に屋上部分の応答を数式2に示すモデルで表し、これら各モデルにホワイトノイズをインプットとして入力し、各アウトプットx1(t),xR(t)を求めることによって振動特性を同定する。この場合、数式1と数式2とにおけるインプットe(t-k)は互いに等しいと仮定されて入力されるので振動特性が抽出し易いという利点がある。
【0010】
【数2】
【0011】
ここで、振動特性を同定する場合、常時微動による影響を考慮し、建物の局所振動に関するノイズ成分を取り除くようにしないと精度が低下してしまう。したがって、例えば図12に示すように屋上の室外機101のような常時微動を生じさせる局所的な発生源がある場合には、これに起因するノイズ成分を分離し、建物を揺らしている振動成分のみを残すようにする必要がある。しかしながら、従来のARMAモデルでは局所的振動を本来の振動成分から分離することができないという問題がある。
【0012】
そこで、特許文献1の方法では、従来のARMAモデルの数式1,数式2に対応するモデルが数式3,数式4のようにそれぞれ表されるモデルであって、ARMAモデルに移動平均項を付加した新しいモデル(以下、ARMAMAモデルと呼ぶ)を用いるようにしている。
【0013】
【数3】
【数4】
【0014】
ARMAMAモデルを用いた場合には数式3,数式4に共通する信号であるホワイトノイズe(t-k)が入力されることに加え、新しく追加された移動平均項にはそれぞれ別の信号であるe1(t-k),eR(t-k)が入力されることによって局所的信号成分が加味された振動特性が得られる。
【0015】
そして、得られた振動特性からクロススペクトル(即ち、複数の計測データの相関性に関する周波数軸の関数)を得ることによって建物の局所振動に関するノイズ成分を抽出するようにしている。すなわち、ARMAモデルとは異なり、複数の時系列波形の相関成分と無相関成分とを分離し、これにより、観測波形に特有の振動成分が含まれる場合にもこれらを除去して複数の観測波形に共通する成分を抽出するようにしている。
【0016】
特許文献1の方法においては、建物上の複数位置に振動センサを配置することによって計測された常時微動記録のうち、任意の一つの記録が基準信号とされると共に残りの記録が参照信号とされる。そして、同じ建物中の異なる箇所における時刻歴波形(横軸は時間t、縦軸は振動)を掛け合わせることによって両波形のうちの共通する成分のみが波形として示されたクロススペクトルが得られるので、基準信号と参照信号とのクロススペクトルをARMAMAモデルを用いた方法を用いて推定することにより、二つの信号に共通に含まれる振動成分の中で基準信号を原因とすると共に参照信号を結果とする因果律を満たすものが抽出される。このため、観測波形に特有の振動成分が含まれる場合にもこれらを除去して複数の観測波形に共通する成分のみを抽出することができる。この抽出された振動成分より、建物全体の振動特性が同定される。この振動特性を同様の方法で事前に得られている建物健全時の振動特性(或いは設計図面から推定される振動特性)と比較することによって建物全体の健全性が損なわれているか否かが判定される。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0017】
【特許文献1】特許第3925910号
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0018】
しかしながら、特許文献1の常時微動計測に基づく建物の健全性診断法では、建物における損傷発生の有無と共に何れの層(即ち階)において損傷が発生しているかを検出することはできても、損傷が発生している平面上の位置或いは建物の構面を絞り込むことはできない。このため、特許文献1の建物の健全性診断法は、例えば学校校舎のように細長い床面即ち平面形状を有する建物やL字形やU字形などのように不規則な平面形状を有する建物における損傷発生位置の絞り込みに対しては有用であるとは言い難い。
【0019】
そこで、本発明は、例えばI字形のように細長い平面形状を有する建物やL字形やU字形などのように不規則な平面形状を有する建物において損傷が発生している平面上の位置を絞り込むことができる常時微動計測に基づく建物の健全性診断法、診断装置及び診断プログラムを提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0020】
本発明者は、常時微動計測に基づいて建物の健全性を診断する方法の検討を行う中で、実際の建物において構面(壁)に損傷を与えながら常時微動を連続的に計測する実験を実施すると共に振動特性の次数別の固有振動数を計算して検証した結果、建物の一つの構面に損傷を与えた前後で数値が大きく低下する固有振動数とほとんど変化しない固有振動数とがあることを知見した。また、損傷を与える構面によって、数値が低下する固有振動数とほとんど変化しない固有振動数との組み合わせが変化することを知見した。そして、損傷を与えた構面と数値が低下した固有振動数に対応する固有モードの振幅成分の絶対値が大きくなる構面とが一致すると共に、損傷を与えていない構面と数値が低下しない固有振動数に対応する固有モードの振幅成分の絶対値が大きくなる構面とが一致することを見出した。これらの知見も踏まえ、本発明者は、損傷を与えた構面と固有振動数と固有モードとの間の関係に基づけば、固有振動数のみをモニタリングすることで建物内の何れの構面に損傷が発生したのかを検出する技術が成立することを着想するに到った。
【0021】
請求項1記載の常時微動計測に基づく建物の健全性診断法は、前記の発明者独自の新たな知見に基づくものであり、建物に複数の構面を設定すると共に該複数の構面毎に健全時の常時微動を計測して得られた建物の常時微動記録を用いて健全時について振動特性の次数毎に建物の固有振動数及び複数の構面別の数値を成分とするベクトルである固有モードを計算するステップと、評価時の建物の常時微動を少なくとも一箇所で計測して得られる常時微動記録を用いて評価時について振動特性の次数毎に建物の固有振動数を計算するステップと、健全時の固有振動数と評価時の固有振動数とを振動特性の次数毎に比較して評価時の固有振動数が健全時の固有振動数と比べて低下している場合に該数値が低下している固有振動数に対応する固有モードの振幅成分の絶対値が大きい構面位置で損傷が発生していると共に数値が低下していない固有振動数に対応する固有モードの振幅成分の絶対値が大きい構面位置では損傷は発生していないと判断するステップとを有するようにしている。
【0022】
また、請求項2記載の常時微動計測に基づく建物の健全性診断装置は、建物に設定された複数の構面毎に健全時の常時微動を計測して得られた建物の常時微動記録を用いて健全時について振動特性の次数毎に建物の固有振動数及び複数の構面別の数値を成分とするベクトルである固有モードを計算する手段と、評価時の建物の常時微動を少なくとも一箇所で計測して得られる常時微動記録を用いて評価時について振動特性の次数毎に建物の固有振動数を計算する手段と、健全時の固有振動数と評価時の固有振動数とを振動特性の次数毎に比較して評価時の固有振動数が健全時の固有振動数と比べて低下している場合に該数値が低下している固有振動数に対応する固有モードの振幅成分の絶対値が大きい構面位置で損傷が発生していると共に数値が低下していない固有振動数に対応する固有モードの振幅成分の絶対値が大きい構面位置では損傷は発生していないと判断する手段とを有するようにしている。
【0023】
また、請求項3記載の常時微動計測に基づく建物の健全性診断プログラムは、建物の常時微動記録を用いて建物の健全性診断を行う際に、建物に設定された複数の構面毎に健全時の常時微動を計測して得られた建物の常時微動記録を用いて健全時について振動特性の次数毎に建物の固有振動数及び複数の構面別の数値を成分とするベクトルである固有モードを計算する処理と、評価時の建物の常時微動を少なくとも一箇所で計測して得られる常時微動記録を用いて評価時について振動特性の次数毎に建物の固有振動数を計算する処理と、健全時の固有振動数と評価時の固有振動数とを振動特性の次数毎に比較して評価時の固有振動数が健全時の固有振動数と比べて低下している場合に該数値が低下している固有振動数に対応する固有モードの振幅成分の絶対値が大きい構面位置で損傷が発生していると共に数値が低下していない固有振動数に対応する固有モードの振幅成分の絶対値が大きい構面位置では損傷は発生していないと判断する処理とをコンピュータに行わせるようにしている。
【0024】
したがって、これらの常時微動計測に基づく建物の健全性診断法、診断装置及び診断プログラムによると、建物の構面毎に健全時の常時微動を計測して健全時について振動特性の次数毎に建物の固有振動数及び複数の構面別の数値を成分とするベクトルとして固有モードを計算すると共に評価時について振動特性の次数毎に建物の固有振動数を計算し、健全時の固有振動数と評価時の固有振動数とを振動特性の次数毎に比較するようにしているので、健全時の固有振動数に対して評価時の固有振動数が低下しているか否かが振動特性の次数毎に判断されて固有振動数が低下している振動特性の次数が明らかになる。そして、数値が低下した固有振動数に対応する固有モードの振幅成分の絶対値が大きくなる構面で損傷が発生した可能性があると評価し、数値が低下しない固有振動数に対応する固有モードの振幅成分の絶対値が大きくなる構面で損傷は発生しておらず健全性が維持されていると評価し、これらの評価を総合的に判断して建物の何れの構面位置において損傷が発生しているのかが診断される。
【0025】
なお、本発明において、固有振動数に対応する固有モードとは、固有振動数と振動特性の次数が同じである固有モードを指す。また、本発明において、構面位置とは、構面及びその周辺のことを指す。
【発明の効果】
【0026】
本発明の常時微動計測に基づく建物の健全性診断法、診断装置及び診断プログラムによれば、健全時の固有振動数と評価時の固有振動数とを振動特性の次数毎に比較して固有振動数の数値が低下している振動特性の次数が明らかになるので、固有振動数と固有モードとの間の関係に基づいて建物の何れの構面位置において損傷が発生しているのかを判定することが可能であり、特に細長い平面形状を有する建物や不規則な平面形状を有する建物の健全性診断の性能の向上を図り、有用性の向上を図ることが可能になる。
【0027】
そして、建物の健全性診断の基準になる健全時の常時微動の計測は短期間で済む一方で評価時の常時微動の計測は長期間に亘ることが一般的であるところ、本発明によれば、評価時の常時微動の計測は建物の少なくとも一箇所で行えば足りるので、損傷が発生した構面位置の特定を可能にしながらも評価時の常時微動の計測並びに解析を簡易なものにすると共にコストを抑制することができ、建物の健全性診断の性能を向上させ尚かつ経済性も向上させることが可能になる。なお、このような本発明の効果は、広い床面を有する建物、さらに、例えばI字形のように細長い平面形状を有する建物やL字形やU字形などのように不規則な平面形状を有する建物における健全性の診断において特に顕著に発揮される。また、通常、建物の損傷や劣化は非常に稀に発生する事象であり、建物のライフタイムを考慮すると健全性診断は長期に亘って実施される場合が多い。本発明によれば、健全時においては従来の手法と同様に固有モードの詳細な形状を把握するために多数の振動センサを用いた詳細な振動特性評価を実施する必要があるものの、評価時においては振動センサの台数と計算量とを従来の評価法と比べて大幅に軽減することができるので、建物のライフタイムに亘って評価を実施することを考慮すると建物の健全性診断に費やすコストを極めて大幅に削減することが可能になる。
【図面の簡単な説明】
【0028】
【図1】本発明の常時微動計測に基づく建物の健全性診断法,診断プログラムの実施形態の一例を説明するフローチャートである。
【図2】本発明の常時微動計測に基づく建物の健全性診断装置の実施形態の一例を説明する機能ブロック図である。
【図3】実施形態における設定を説明する図である。
【図4】振動特性の次数別の固有モードの構面別の振動成分の例を説明する図である。
【図5】構面別の常時微動のパワースペクトルの例を説明する図である。
【図6】振動特性の次数別の固有振動数の経時変化を評価する例を説明する図である。(A)は一箇所のみの計測の場合を説明する図である。(B)は二箇所の計測の場合を説明する図である。
【図7】固有振動数を評価指標として用いて建物の健全性の良否の判定を行う例を模式的に説明する図である。
【図8】実施例1における壁への損傷の与え方を説明する図である。
【図9】実施例1の建物の各階の平面形状と共に損傷を与えた壁と振動センサと構面との位置を示す図である。
【図10】実施例1の振動特性の次数1次の固有値に対応する振動特性の計算結果を示す図である。(A)は固有振動数の時系列の計算結果を示す図である。(B)は健全時の各構面別の層毎の固有モードの計算結果を示す図である。
【図11】実施例1の振動特性の次数2次の固有値に対応する振動特性の計算結果を示す図である。(A)は固有振動数の時系列の計算結果を示す図である。(B)は健全時の各構面別の層毎の固有モードの計算結果を示す図である。
【図12】ARMAMAモデルが対象とし得る建物の例のモデル図である。
【発明を実施するための形態】
【0029】
以下、本発明の構成を図面に示す実施の形態の一例に基づいて詳細に説明する。
【0030】
図1から図7に、本発明の常時微動計測に基づく建物の健全性診断法、診断装置及び診断プログラムの実施形態の一例を示す。本発明の常時微動計測に基づく建物の健全性診断法は、建物に複数の構面を設定すると共に該複数の構面毎に健全時の常時微動を計測して得られた建物の常時微動記録を用いて健全時について振動特性の次数毎に建物の固有振動数及び複数の構面別の数値を成分とするベクトルである固有モードを計算するステップと、評価時の建物の常時微動を少なくとも一箇所で計測して得られる常時微動記録を用いて評価時について振動特性の次数毎に建物の固有振動数を計算するステップと、健全時の固有振動数と評価時の固有振動数とを振動特性の次数毎に比較して評価時の固有振動数が健全時の固有振動数と比べて低下している場合に該数値が低下している固有振動数に対応する固有モードの振幅成分の絶対値が大きい構面位置で損傷が発生していると共に数値が低下していない固有振動数に対応する固有モードの振幅成分の絶対値が大きい構面位置では損傷は発生していないと判断するステップとを有するようにしている。
【0031】
また、本発明の常時微動計測に基づく建物の健全性診断装置は、建物に設定された複数の構面毎に健全時の常時微動を計測して得られた建物の常時微動記録を用いて健全時について振動特性の次数毎に建物の固有振動数及び複数の構面別の数値を成分とするベクトルである固有モードを計算する手段と、評価時の建物の常時微動を少なくとも一箇所で計測して得られる常時微動記録を用いて評価時について振動特性の次数毎に建物の固有振動数を計算する手段と、健全時の固有振動数と評価時の固有振動数とを振動特性の次数毎に比較して評価時の固有振動数が健全時の固有振動数と比べて低下している場合に該数値が低下している固有振動数に対応する固有モードの振幅成分の絶対値が大きい構面位置で損傷が発生していると共に数値が低下していない固有振動数に対応する固有モードの振幅成分の絶対値が大きい構面位置では損傷は発生していないと判断する手段とを有するを備えている。
【0032】
上述の常時微動計測に基づく建物の健全性診断法及び診断装置は、本発明の常時微動計測に基づく建物の健全性診断プログラムをコンピュータ上で実行することによっても実現される。本発明の常時微動計測に基づく建物の健全性診断プログラムは、建物の常時微動記録を用いて建物の健全性診断を行う際に、建物に設定された複数の構面毎に健全時の常時微動を計測して得られた建物の常時微動記録を用いて健全時について振動特性の次数毎に建物の固有振動数及び複数の構面別の数値を成分とするベクトルである固有モードを計算する処理と、評価時の建物の常時微動を少なくとも一箇所で計測して得られる常時微動記録を用いて評価時について振動特性の次数毎に建物の固有振動数を計算する処理と、健全時の固有振動数と評価時の固有振動数とを振動特性の次数毎に比較して評価時の固有振動数が健全時の固有振動数と比べて低下している場合に該数値が低下している固有振動数に対応する固有モードの振幅成分の絶対値が大きい構面位置で損傷が発生していると共に数値が低下していない固有振動数に対応する固有モードの振幅成分の絶対値が大きい構面位置では損傷は発生していないと判断する処理とをコンピュータに行わせるようにしている。
【0033】
本実施形態では、常時微動計測に基づく建物の健全性診断プログラムをコンピュータ上で実行する場合を例に挙げて説明する。本実施形態では、常時微動計測に基づく建物の健全性診断プログラムをコンピュータ上で実行することにより、具体的には、図1に示すように、建物に設定された複数の構面毎に健全時の常時微動を計測(S0)して得られた建物の常時微動記録の中の任意の一つの基準信号と残りの参照信号とのクロススペクトルをARMAモデルに移動平均項を付加したモデルを用いて求めると共にこれら基準信号及び参照信号の相関成分と無相関部分とを分離して建物全体の振動成分のみを抽出する処理(S1)と、S1の処理の結果に基づいて健全時について振動特性の次数毎に建物の固有振動数及び複数の構面別の数値を成分とするベクトルである固有モードを計算する処理(S2)と、固有モードの成分である複数の構面別の数値の大小関係に基づいて固有モードの特性を判定する処理(S3)と、評価時の建物の常時微動を少なくとも一箇所で計測(S0’)して得られる常時微動記録を用いて評価時について振動特性の次数毎に建物の固有振動数を計算する処理(S4)と、健全時の固有振動数と評価時の固有振動数とを振動特性の次数毎に比較(S5)して建物における損傷の発生の有無を判定すると共に評価時の固有振動数が健全時の固有振動数と比べて低下している場合に該数値が低下している固有振動数に対応する固有モードの振幅成分の絶対値が大きい構面位置で損傷が発生し数値が低下していない固有振動数に対応する固有モードの振幅成分の絶対値が大きい構面位置では損傷は発生していないと判断する処理(S6)とをコンピュータが行う。
【0034】
常時微動計測に基づく建物の健全性診断プログラム17を実行するための本実施形態の常時微動計測に基づく建物の健全性診断装置10の全体構成を図2に示す。この常時微動計測に基づく建物の健全性診断装置10は、制御部11、記憶部12、入力部13、表示部14及びメモリ15を備え相互にバス等の信号回線により接続されている。また、常時微動計測に基づく建物の健全性診断装置10にはデータサーバ16がバス等の信号回線により接続されており、その信号回線を介して相互にデータや制御指令等の信号の送受信(即ち出入力)が行われる。
【0035】
制御部11は記憶部12に格納されている常時微動計測に基づく建物の健全性診断プログラム17によって常時微動計測に基づく建物の健全性診断装置10全体の制御並びに建物の健全性診断に係る演算を行うものであり、例えばCPU(即ち中央演算処理装置)である。記憶部12は少なくともデータやプログラムを記憶可能な記憶手段であり、例えばハードディスクである。メモリ15は制御部11が各種の制御や演算を実行する際の作業領域であるメモリ空間となるものであり、例えばRAM(Random Access Memory の略)である。
【0036】
入力部13は少なくとも作業者の命令を制御部11に与えるためのインターフェイスであり、例えばキーボードである。
【0037】
表示部14は制御部11の制御により文字や図形等の描画・表示を行うものであり、例えばディスプレイである。
【0038】
そして、常時微動計測に基づく建物の健全性診断プログラム17を実行することによって、本実施形態では、常時微動計測に基づく建物の健全性診断装置10の制御部11には、建物に設定された複数の構面毎に健全時の常時微動を計測して得られた建物の常時微動記録の中の任意の一つの基準信号と残りの参照信号とのクロススペクトルをARMAモデルに移動平均項を付加したモデルを用いて求めると共にこれら基準信号及び参照信号の相関成分と無相関部分とを分離して建物全体の振動成分のみを抽出する手段としてのスペクトル解析部11aと、該スペクトル解析部11aによる処理の結果に基づいて健全時について振動特性の次数毎に建物の固有振動数及び複数の構面別の数値を成分とするベクトルである固有モードを計算する手段としての振動特性同定部11bと、固有モードの成分である複数の構面別の数値の大小関係に基づいて固有モードの特性を判定する手段としての振動特性判定部11cと、評価時の建物の常時微動を少なくとも一箇所で計測して得られる常時微動記録を用いて評価時について振動特性の次数毎に建物の固有振動数を計算する手段としての固有振動数計算部11dと、健全時の固有振動数と評価時の固有振動数とを振動特性の次数毎に比較して建物における損傷の発生の有無を判定すると共に評価時の固有振動数が健全時の固有振動数と比べて低下している場合に該数値が低下している固有振動数に対応する固有モードの振幅成分の絶対値が大きい構面位置で損傷が発生し数値が低下していない固有振動数に対応する固有モードの振幅成分の絶対値が大きい構面位置では損傷は発生していないと判断する手段としての健全性判定部11eとが構成される。
【0039】
本発明の実施にあたっては、まず、健全時における建物の常時微動の計測を行う(S0)。
【0040】
本発明では、例えば図3に示すような建物1の何れの構面或いはその周辺(即ち構面位置)において損傷が発生しているのかを特定することを可能にするため、一つの建物において複数の構面を設定して当該構面毎に常時微動を計測する。なお、常時微動の計測は建物の2階以上の階において行うことが望ましく、振動の振幅が通常は最も大きくなる屋上において行うことが最も望ましい。
【0041】
具体的には例えば、図3に示す例のように、一つの建物1に対して構面A,B,C,Dの四つの構面(図中に破線で表示)を設定すると共に屋上のこれら構面A,B,C,Dの位置において常時微動を計測する。なお、常時微動の計測は建物上に設置された例えば振動センサなどによって行う。
【0042】
本実施形態では、計測によって得られた常時微動記録を、計測された構面及び日時の情報と対応付けて健全時常時微動記録データベース18としてデータサーバ16に蓄積する。
【0043】
そして、制御部11のスペクトル解析部11aは、S0の結果として得られる健全時の常時微動記録を用いてスペクトル解析を行い、健全時のクロススペクトル及びパワースペクトルの算定を行う(S1)。
【0044】
スペクトル解析部11aは、具体的には、基準信号と複数個の参照信号とのクロススペクトルを算定すると共に、基準信号に関するパワースペクトルを算定する。なお、パワースペクトルとは、単点の計測データの特性を表す周波数軸の関数のことである。
【0045】
本発明においては、ARMAMAモデルによるスペクトル解析を行う。
【0046】
発明者によって新たに導出されたARMAMAモデルは、建物上で計測された常時微動記録の中で二つの時系列信号をx(t),y(t)として数式5,数式6として表される。
【0047】
【数5】
【数6】
ここに、e(t),ex(t),ey(t):互いに無相関な定常ホワイトノイズ,
Ax(z-1),Ay(z-1),Cx(z-1),Cy(z-1):AR(Autoregressive)演算子,
Bx(z-1),By(z-1),Dx(z-1),Dy(z-1):MA(Moving−Average)演算子,
z-1:遅延演算子 をそれぞれ表す。
【0048】
数式5,数式6のAR演算子とMA演算子とはz-1に関する多項式であり、例えばAR演算子Ax(z-1),Ay(z-1),Cx(z-1),Cy(z-1)は数式7,数式8で表される。
【0049】
【数7】
【数8】
ここに、ax(j),ay(j),cx(j),cy(j):AR係数,
n,m:AR次数 をそれぞれ表す。
【0050】
そして、AR係数ax(j),ay(j),cx(j)は、数式9,数式10,数式11の拡張Yule−Walker方程式をそれぞれ満たす。
【0051】
【数9】
【数10】
【数11】
ここに、Rxy(τ):x(t)とy(t)との間の相互相関関数,
Rxx(τ):x(t)の自己相関関数 をそれぞれ表す。
【0052】
そして、Rxy(τ)及びRxx(τ)の推定値が与えられれば、数式9,数式10及び数式11によってax(j),ay(j)及びcx(j)が決定される。
【0053】
また、数式5と数式6とで表される時系列信号x(t)とy(t)とのクロススペクトルSxy(z-1)は数式12によって表される。
【0054】
【数12】
【0055】
また、時系列信号x(t)のみに関するパワースペクトルSxx(z-1)は数式13によって表される。
【0056】
【数13】
【0057】
数式12の右辺並びに数式13の右辺第一項は時系列信号x(t)とy(t)とに共通する振動成分を示し、数式13の右辺第二項は時系列信号x(t)のみに含まれる局所的な振動成分を示す。したがって、数式12の右辺並びに数式13の右辺第一項を用いることにより、局所的な振動成分を除去して建物全体に共通する振動成分のみを抽出することができる。
【0058】
数式12の右辺並びに数式13の右辺第一項の分母に着目してAx(z)=0,Ay(z-1)=0を満たす解をそれぞれz=−zxj,z=zyj(j=1〜n)とすると、数式12と数式13とは数式14と数式15とのようにそれぞれ表される。
【0059】
【数14】
【数15】
【0060】
数式14,数式15におけるzxj及びzyjはSxy(z-1)及びSxx(z-1)の極と呼ばれる複素数であり、それらに対応するβxyj及びγxyj,βxxj及びγxxjは留数である。そして、標準z変換に基づき、数式14においてz=exp(iωΔ)(ただし、i:虚数単位,Δ:時間刻み)とすれば、円振動数ωの関数としてクロススペクトルが得られる。
【0061】
スペクトル解析部11aは、健全時常時微動記録データベース18として蓄積されている常時微動記録をデータサーバ16から読み込み、健全時の常時微動記録を時系列信号x(t),y(t)として用いて上述のARMAMAモデルによるスペクトル解析法によって健全時のクロススペクトルSxy(z-1)及びパワースペクトルSxx(z-1)を算定する。
【0062】
ここで、本発明においては、数式14においてx(t)を基準信号として一つの観測時系列に固定すると共にy(t)を参照信号として複数個の観測時系列を順に選択することによって複数個のクロススペクトルを推定する。
【0063】
そして、スペクトル解析部11aは、算定した健全時のクロススペクトルSxy(z-1)及びパワースペクトルSxx(z-1)をメモリ15に記憶させる。
【0064】
次に、制御部11の振動特性同定部11bは、S1の処理によって得られる健全時のスペクトルの算定結果を用いて健全時の建物の固有振動数及び固有モードの計算を行う(S2)。
【0065】
本発明においては、上述のARMAMAモデルによるスペクトル解析法を利用して振動特性の同定を行う。
【0066】
建物上の複数の観測時系列からその振動モードを同定する場合には、S1の処理においてx(t)を基準信号として一つの観測時系列に固定すると共にy(t)を参照信号として複数個の観測時系列を順に選択することによって数式14により推定した複数個のクロススペクトルを用いる。
【0067】
数式14において、Σ〔 〕内の第一項は参照信号y(t)を原因とすると共に基準信号x(t)を結果とする因果律を満たすものであり、第二項は基準信号x(t)を原因とすると共に参照信号y(t)を結果とする因果律を満たすものである。したがって、S1の処理において基準信号x(t)を固定して複数のクロススペクトルを算定するようにしているので、数式14のΣ〔 〕内の第二項を用いて建物全体の振動特性を計算することができる。すなわち、建物のj次の固有値λj及び固有振動数fjと固有モードφjとは数式16と数式17とによりそれぞれ計算される。
【0068】
【数16】
【数17】
ここに、π:円周率,
γxkj:参照信号を計測点kとしたときのクロススペクトルによるγxyjの値,
T:転置記号 をそれぞれ表す。
【0069】
本発明におけるj次の固有モードφjは、j次固有ベクトルとして表されるものであり、具体的には、各構面別の数値を成分とするベクトルである。
【0070】
j次の固有値λj及び固有振動数fjとj次の固有モードφjとを示す数式16と数式17とは、基準信号x(t)を原因とすると共に参照信号y(t)を結果とする因果律から導かれているため、建物に作用する外力とは無関係に成り立つ。よって、建物の常時微動記録のように複数の外力により建物の振動が励起されている場合であっても、固有振動数や固有モード等の振動特性を精度良く計算することができる。
【0071】
振動特性同定部11bは、健全時常時微動記録データベース18に蓄積されている常時微動記録をデータサーバ16から読み込むと共にS1の処理においてメモリ15に記憶された健全時のクロススペクトルSxy(z-1)及びパワースペクトルSxx(z-1)をメモリ15から読み込み、健全時の常時微動記録を基準信号x(t),参照信号y(t)として用いて上述のARMAMAモデルによるスペクトル解析法を利用した振動特性の同定法によって健全時の建物の振動特性の次数j次の固有値λj,固有振動数fj,各構面別の固有モードφjを計算する。
【0072】
ここで、新設若しくは構造補強された建物の健全性を判定する場合(具体的には例えば、新設直後の建物が設計図面通りの健全性を有しているかの確認や構造補強直後の建物が設計図面通りの健全性を発揮するかの確認などの場合)には、設計図面に基づいて固有値解析法やモード解析法やスペクトル解析法などによって計算されたものを健全時の建物の振動特性として用いるようにしても良い。
【0073】
そして、振動特性同定部11bは、計算した健全時の建物の固有値λj及び固有振動数fjを振動特性の次数の情報と対応付けてメモリ15に記憶させると共に、健全時の固有モードφjの数値を振動特性の次数及び構面の情報と対応付けてメモリ15に記憶させる。
【0074】
次に、制御部11の振動特性判定部11cは、S2の処理によって得られる健全時の固有モードの計算結果に基づいて固有モードの特性の判定を行う(S3)。
【0075】
具体的には、振動特性判定部11cは、S2の処理においてメモリ15に記憶された振動特性の次数j次別の構面別の固有モードφjの数値をメモリ15から読み込み、振動特性の次数j次毎に構面別の固有モードφjの数値の大きさの順位を各構面に付与する。
【0076】
そして、振動特性判定部11cは、振動特性の次数j次毎の構面別固有モードφjの数値についての構面毎の順位をメモリ15に記憶させる。
【0077】
上述の健全時についての処理に続いて、本発明の実施にあたっては、評価時における建物の常時微動の計測が行われる(S0’)。
【0078】
本発明では、評価時におけるものとしての常時微動の計測は建物の代表的な箇所のみで行えば良く、最小で一箇所のみで行うようにしても良い。すなわち、本発明においては、評価時における常時微動の計測は、健全時における常時微動の計測とは異なり、健全時における計測の際に設定した構面の全てで行う必要はない。
【0079】
そして、本発明では、評価時における常時微動の計測点の選択にあたっては、健全時における固有モードの振幅成分を参照して決定する。すなわち、複数の振動特性に対応する固有モードの振幅成分の絶対値の大きさが共通して大きくなる位置において計測を行うようにする。なお、評価時における常時微動の計測も、建物の2階以上の階において行うことが望ましく、振動の振幅が通常は最も大きくなる屋上において行うことが最も望ましい。
【0080】
評価時における常時微動の計測点の選択について、具体的には例えば、図3に示す建物1において健全時におけるものとして常時微動の計測を行って振動特性の計算をした結果、構面Aにおいて固有モードの振動成分の絶対値が最も大きくなる振動特性1(1次)が検出されると共に構面Dにおいて固有モードの振動成分の絶対値が最も大きくなる振動特性2(2次)が検出された場合を例に挙げて図4から図6を用いて説明する。
【0081】
図4は、固有モードの計算結果の例を振動特性の次数別に示す図であって、図3に示す建物1の固有モードの屋上での振幅成分を示した例である。図4において、図中の記号○は静止点を表し、記号●はモード成分(即ち振幅成分)を表す。また、図5は、構面A,B,C,Dのそれぞれの位置において計測された常時微動のパワースペクトル(即ち、横軸を振動の波の振動数にすると共に縦軸を振動の強さにしたグラフであり、振動成分を振動数との関係で表示したグラフ)を示す。
【0082】
健全時についての振動特性の計算結果として図4及び図5に示す結果が得られた場合には、評価時における常時微動の計測点として構面B若しくは構面Cを選択すると一箇所のみの計測で二つの振動特性に対応する固有振動数を評価することができるので有利である。
【0083】
なぜならば、パワースペクトルにおいてピークとなる振動数が固有振動数に対応するものであるので、ピークが明瞭であれば固有振動数を評価することができる。図5に示す例では、構面B及び構面Cのパワースペクトルには振動特性1と振動特性2とに対応する固有振動数f1と固有振動数f2との共振ピークがともに明瞭に現れており、構面Bと構面Cとのどちらか一箇所で常時微動を計測すれば二つの固有振動数f1及びf2を評価することができる。
【0084】
一方で、図5に示す例では、構面A及び構面Dのパワースペクトルには固有振動数f1若しくは固有振動数f2のどちらか一つの固有振動数に対応したピークが一つ現れているのみであり、それぞれの計測データからは固有振動数は一つしか評価することができない。具体的には、構面Aのデータからは固有振動数f1のみが、構面Dのデータからは固有振動数f2のみが評価できるに留まる。
【0085】
また、複数の固有振動数の数値が近接している場合には、或る特定の固有振動数の数値が低下したときに何れの次数の固有振動数が低下したのかを判断することが難しいことがあり得るので、常時微動における複数の振動特性の次数のそれぞれに対応する固有振動数を明確に区別するために複数の構面の位置において常時微動を計測することが望ましい。
【0086】
具体的には例えば、図4,図5に示す例において、振動特性1次の固有振動数f1と2次の固有振動数f2とが近接している場合に、構面Bと構面Cとのどちらか一箇所のみにおいて常時微動を計測して固有振動数を評価しようとしたときに一方の固有振動数のみが低下したのか両方の固有振動数が低下したのかを判断できない虞がある。
【0087】
この状況を図6を用いて具体的に説明すると、図6(A)のように固有振動数が変化したときには、固有振動数f1とf2とがともに低下した場合(図中実線矢印で表すケース)と、固有振動数f2のみが低下した場合(図中破線矢印で表すケース)とを見分けることができない。このように、複数の固有振動数が近接している場合には、近接する固有振動数の変化を適確に見分けることができるようにするために複数の構面の位置において常時微動を計測するようにすることが望ましい。
【0088】
例えば、図4,図5に示す例において固有振動数f1とf2とが近接している場合であっても、構面Aと構面Dとの二箇所において常時微動を計測するようにすれば、構面Aの計測データから固有振動数f1を適切に評価することができると共に構面Dの計測データから固有振動数f2を適切に評価することができるので、図6(B)に示すように評価時において振動特性の次数別の固有振動数と固有モードとの間の関係を適確に見分けることができる。
【0089】
本実施形態では、計測によって得られた常時微動記録を、計測された構面及び日時の情報と対応付けて評価時常時微動記録データベース19としてデータサーバ16に蓄積する。
【0090】
そして、制御部11の固有振動数計算部11dは、S0’の結果として得られる評価時の常時微動記録を用いて固有振動数の計算を行う(S4)。
【0091】
具体的には、固有振動数計算部11dは、評価時常時微動記録データベース19として蓄積されている常時微動記録をデータサーバ16から読み込み、評価時の建物の振動特性の次数j次毎の固有振動数fjを計算する。なお、評価時の固有振動数の計算は、従来から用いられている固有値解析法やモード解析法やスペクトル解析法や(例えば、金澤健司・平田和太:クロススペクトル推定法による多自由度系構造物の振動モード同定,日本建築学会構造系論文集,NO.529 pp.89-98, 2000年3月)、或いは健全時についてのS1,S2の処理として説明したARMAMAモデルを用いた解析法によって行う。
【0092】
そして、固有振動数計算部11dは、計算した評価時の建物の固有振動数fjの数値を振動特性の次数の情報と対応付けてメモリ15に記憶させる。
【0093】
次に、制御部11の健全性判定部11eは、S2の処理によって得られる健全時の固有振動数とS4の処理によって得られる評価時の固有振動数とを比較し(S5)、建物の健全性の良否の判定を行うと共にS3の処理によって得られる固有モードの特性を用いて損傷が発生している構面位置の特定を行う(S6)。なお、S5,S6の処理は、評価時点が複数ある場合には評価時点毎に行う。
【0094】
具体的には、本発明では、S1の処理におけるARMAMAモデルによるスペクトル解析及びこれを利用したS2の処理における振動特性の同定によって得られる健全時の建物の固有振動数とS4の処理において得られる評価時の建物の固有振動数とを比較することによって建物の健全性の良否の判定を行う。なお、新設若しくは構造補強された建物の健全性を判定する場合には、前述の通り、設計図面に基づいて各種の解析法によって計算されたものを健全時の建物の振動特性として用いるようにしても良い。
【0095】
ここで、建物に損傷が発生して健全性が失われると建物の固有振動数は一般に低下する性質があり、本発明ではこの性質を利用することによって建物の健全性の良否の判定を行う。
【0096】
固有振動数を評価指標として用いて建物の健全性の良否の判定を行う例を図7に模式的に示す。まず、評価時のものとして建物の竣工直後の常時微動記録から計算される固有振動数と、健全時のものとして設計図面に基づいて計算される固有振動数とを比較することにより、新設建物の健全性を評価することができる。なお、健全時と評価時との固有振動数の比較は振動特性の次数毎に行う。
【0097】
また、評価時のものとして地震等のイベントによって過大な外力を受けた直後の常時微動記録から固有振動数(図7中「地震発生後診断時」)を計算すると共に健全時として竣工直後の固有振動数(若しくは設計図面に基づく固有振動数)と比較して固有振動数が大きく低下している場合には建物の健全性が失われていると判定する。なお、損傷が発生して建物の健全性が失われていると判定するための固有振動数の数値の変化の程度(即ち変化の幅;図7における「設計値若しくは建物竣工時の固有振動数」と「健全と見なされる固有振動数のレベル」との差分)は、特定の値に限られるものではなく、作業者が適宜設定すれば良い。
【0098】
その後、健全性が失われている部分を補強し、本発明の診断法を再び実施した結果、補強後の固有振動数(図7中「一次補強後診断時」)が建物が健全と見なされる固有振動数のレベルに達していない場合には建物の健全性は未だ不足していると判定され、補強が更に必要であると判断することができる。
【0099】
また、本発明の診断法を定期的に実施して建物の固有振動数を継続的に監視し、固有振動数の計算値(図7中「20年後」,「40年後」,「60年後」)が徐々に低下して建物が健全と見なされる固有振動数のレベルを下回った場合には経年劣化によって建物の健全性が失われたと判定することができる。
【0100】
さらに、本発明では、振動特性の次数j次が同じである固有振動数と各構面別の固有モードとを用いることによって、損傷が発生した平面上の位置を構面位置を単位として絞り込むことができる。
【0101】
具体的には例えば、図3に示す建物1を対象として健全時における振動特性の次数j次の固有振動数及び固有モードを計算すると共に評価時の次数j次の固有振動数を計算し、或る次数j次の固有振動数が図7に示すような変化をしている場合で、同じ次数j次の健全時における固有モードをみたときに構面Dにおける固有モードの静止点からの振動振幅(振動の水平成分に係るもの)の大きさが他の構面の固有モードの振動振幅よりも大きいときは、建物の構面Dの位置において損傷が発生していると判断することができる。
【0102】
上記の判断を行うため、健全性判定部11eは、S2の処理においてメモリ15に記憶された健全時における振動特性の次数j次の固有振動数fjの数値とS4の処理においてメモリ15に記憶された評価時の次数j次の固有振動数fjの数値とをメモリ15から読み込み、健全時の数値と評価時の数値とを比較し、建物の健全性が失われているか否かを判定する。その際、建物の健全性が失われていると判断される程度の変化(即ち、固有振動数の数値の低下)が、振動特性の次数が何次の固有振動数において生じているのかを区別しておく。なお、損傷が発生して建物の健全性が失われていると判定するための固有振動数の数値の低下の幅や閾値は、例えば建物の健全性診断プログラム17の中に予め規定しておく。
【0103】
さらに、健全性判定部11eは、振動特性の次数j次毎の固有振動数の低下に基づいて建物の健全性が失われていると判定される場合には、当該判定の根拠になった低下が生じている固有振動数の振動特性の次数j次についての、S3の処理においてメモリ15に記憶された構面別固有モードφjの数値についての構面毎の順位をメモリ15から読み込む。
【0104】
そして、健全性判定部11eは、S5,S6の処理における判定結果として、建物の健全性が失われていると判定される固有振動数の低下が生じている振動特性の次数jと、当該次数jについての構面別固有モードφjの数値についての構面毎の順位とを表示部14に表示したり、例えば記憶部12やデータサーバ16内に当該評価時点の評価結果データファイルとして保存したりする。
【0105】
以上の処理の結果によって、建物の健全性が失われていると判定される固有振動数の低下が生じている振動特性の次数についての構面別固有モードφの数値についての構面毎の順位が分かるので、固有モードφの数値が大きい位置において損傷が発生しているとして構面位置を特定することができる。
【0106】
制御部11は、他の評価時における常時微動記録を用いた評価が更に必要である場合など必要に応じてS4の処理に戻ってS6までの処理を繰り返す。そして、建物の健全性の評価を行うべき対象がなくなったときは処理を終了する(END)。
【0107】
以上のように構成された本発明の常時微動計測に基づく建物の健全性診断法、診断装置及び診断プログラムによれば、建物の構面毎に健全時の常時微動を計測して健全時について振動特性の次数毎に建物の固有振動数及び複数の構面別の数値を成分とするベクトルとして固有モードを計算すると共に評価時について振動特性の次数毎に建物の固有振動数を計算し、健全時の固有振動数と評価時の固有振動数とを振動特性の次数毎に比較するようにしているので、健全時の固有振動数に対して評価時の固有振動数が低下しているか否かが振動特性の次数毎に判断されて固有振動数が低下している振動特性の次数が明らかになる。そして、数値が低下した固有振動数に対応する固有モードの振幅成分の絶対値が大きくなる構面で損傷が発生した可能性があると評価し、数値が低下しない固有振動数に対応する固有モードの振幅成分の絶対値が大きくなる構面で損傷は発生しておらず健全性が維持されていると評価し、これらの評価を総合的に判断して建物の何れの構面位置において損傷が発生しているのかを診断することができる。
【0108】
なお、上述の形態は本発明の好適な形態の一例ではあるがこれに限定されるものではなく、本発明の要旨を逸脱しない範囲において種々変形実施可能である。例えば、本実施形態では、健全時の振動特性の計算においてARMAモデルに移動平均項を付加したARMAMAモデルを用いるようにしているが、健全時の振動特性の計算方法はこれに限られるものではなく、従来から用いられている固有値解析法やモード解析法やスペクトル解析法を用いるようにしても良い。
【実施例1】
【0109】
実際の建物の常時微動記録に対して本発明の常時微動計測に基づく建物の健全性診断法、診断装置及び診断プログラムを適用して建物の健全性の診断を行った実施例を図8から図11を用いて説明する。
【0110】
本実施例では、地上4階地下1階の建物を対象とし、壁面に人為的に損傷を与えながら(破壊しながら)常時微動を計測した(S0,S0’)。壁面への損傷は、合計30枚の壁に対して10段階に分けて順番に与えた。また、壁面への損傷は、図8に示すように、建物の柱と梁との縁を切断することにより行った。
【0111】
本実施例では、図9に示すように、東西方向に細長い平面形状を有する建物の東部と中央部と西側との壁に損傷を与えた。図9に示す建物の各層(図中では階又はFと表記)の図において、上側に表記されている丸数字2,3,4の位置の壁を東部壁Weと呼び、丸数字7,8,10の位置の壁を中央壁Wcと呼び、丸数字15の位置の壁を西壁Wwと呼ぶ。
【0112】
図9中には、また、どのような順番でいつ何れの層のどの壁に損傷を与えたかを表している。すなわち、図9中の[STEP1]から[STEP10]までの順番に表記されている日・時間帯に各位置の壁に対して損傷を与えた。
【0113】
本実施例では、対象とした建物に、図9中上側の丸数字3,7,11,15の位置の四つの構面を設定し、常時微動の計測を当該四つの構面で行った(図中記号★の位置)。なお、以下においては、図9中上側の丸数字が例えば3の位置の構面を構面−3のように表記する。
【0114】
建物の壁に損傷を与える前の計測(健全時に相当;S0)によって得られた常時微動記録を用いてARMAMAモデルによるスペクトル解析を行ってクロススペクトル及びパワースペクトルの算定を行うと共に(S1)、当該スペクトルの算定結果を用いて建物の振動特性の計算を行った(S2)。
【0115】
また、建物の壁に損傷を与えながら常時微動の計測(評価時に相当;S0’)を継続して連続的に行い、連続的に得られた常時微動記録を用いて固有値解析を行って評価時に相当するものとしての固有振動数の計算を行った(S4)。
【0116】
健全時のS1,S2に対応する処理及び評価時のS4に対応する処理を行って図10及び図11に示す結果が得られた。なお、本実施例では、固有値と固有モードとは2次(図中では振動特性f1,振動特性f2と表記)まで得られた。
【0117】
図10(A),図11(A)に示す経時的な固有振動数の計算結果から、損傷を与えた壁の枚数が増えるに従って固有振動数が低下する傾向があることが確認された。このことから、本発明の方式によって得られる建物の固有振動数を継続的に監視することによって(S0’,S4)、建物における損傷発生の有無を判定することが可能である(S5,S6)ことが確認された。
【0118】
また、建物の壁に損傷を与える前(健全時に相当)における固有モードの特性の判定(S3)として、振動特性の次数別に構面別の固有モードを整理して図10(B),図11(B)に示す結果が得られた。
【0119】
図10(B),図11(B)においては、記号○が静止点を表すと共に、記号●が固有モードの水平二成分(具体的には、図面左右方向の東西成分と図面上下方向の南北成分)即ち上から見た水平二方向の軌跡を表している。具体的には例えば、図10(B)について、構面−3のR階(即ち屋上階)の応答は北側に大きく動きながら西側にも少し動いていることを示す。なお、これら図10(B),図11(B)の固有モードの図は最大振幅の瞬間を図示したものであり、具体的には例えば、図10(B)について、構面−3のR階の実際の振動は静止点を振動の中心として北北西の向きと南南東の向きとの運動を繰り返す。
【0120】
また、例えば図10(B)における構面−3の各階の動きをみると、R階(即ち屋上階)の振動振幅が最も大きいと共にR階から下の階になるに従って振動振幅が小さくなって1階及びB階(即ち地下階)はほとんど揺れていないことが確認された。このことから、振動の振幅はやはり屋上が最も大きく、そして、常時微動の計測は、建物の2階以上の階において行うことが望ましく、屋上において行うことが最も望ましいことが確認された。なお、実施例においては上記のことを確認するためにも構面毎に全ての層において常時微動の計測を行うようにしているが、前述の通り、本発明においては常時微動の計測を行う際に全ての層において計測を行う必要はない。
【0121】
図10(A),図11(A)に示す結果から、健全時の固有振動数は、振動特性の次数1次では約2.9Hz、2次では約3.6Hzであった。ここで、建物における損傷によって仮に振動特性1次の固有振動数が不変であると共に振動特性2次の固有振動数が低下した場合には振動特性1次と2次との固有振動数が近接する虞があるので、本実施例の場合には評価時における常時微動の計測を複数の構面の位置において行うことが望ましいと判断された。
【0122】
さらに、図10(B),図11(B)に示す振動特性1次と2次との固有モードの形状を参照して、本実施例では、振動特性1次の固有モードの振幅成分の絶対値が最も大きい構面−3の屋上における建物平面形状の短辺方向の成分(即ち南北成分)と、振動特性2次の固有モードの振幅成分の絶対値が最も大きい構面−11の屋上における南北成分の二つの振動成分を連続的に評価することが望ましいと判断された。
【0123】
振動特性1次の固有モードは建物東側の構面−3の応答が大きくなる傾向があって建物東側で生じた事象に対する応答が大きいと考えられ、その一方で、振動特性2次の固有モードは建物西側の構面−11と構面−15との応答が大きくなる傾向があって建物西側で生じた事象に対する応答が大きいと考えられた。したがって、振動特性1次に対応する固有振動数が低下した場合には損傷の発生箇所は建物東側であると判定することができ、振動特性2次に対応する固有振動数が低下した場合には損傷の発生箇所は建物西側であると判定することができると考えられた。
【0124】
そして、これら図10(A)及び図11(A)に示す結果から、建物の東部壁Weに損傷を与えた場合には東側で生じた事象に対する応答が大きい固有モードに対応する固有振動数である1次の固有振動数が低下し、建物の西壁Wwに損傷を与えた場合には西側で生じた事象に対する応答が大きい固有モードに対応する固有振動数である2次の固有振動数が低下することが確認された。このことから、固有値の次数別に建物の固有振動数の時系列での変化と健全時の構面毎の固有モードとを調べることによって(S3)、建物における損傷発生の有無や何れの構面において損傷が発生したのかについて判定することが可能である(S4)ことが確認された。
【0125】
以上の結果から、本発明の常時微動計測に基づく建物の健全性診断法、診断装置及び診断プログラムによれば、建物において発生した損傷の箇所を絞り込むことが可能であることが確認された。
【符号の説明】
【0126】
10 建物の健全性診断装置
11 制御部
12 記憶部
13 入力部
14 表示部
15 メモリ
16 データサーバ
17 建物の健全性診断プログラム
【特許請求の範囲】
【請求項1】
建物に複数の構面を設定すると共に該複数の構面毎に健全時の常時微動を計測して得られた前記建物の常時微動記録を用いて前記健全時について振動特性の次数毎に前記建物の固有振動数及び前記複数の構面別の数値を成分とするベクトルである固有モードを計算するステップと、評価時の前記建物の常時微動を少なくとも一箇所で計測して得られる常時微動記録を用いて前記評価時について前記振動特性の次数毎に前記建物の固有振動数を計算するステップと、前記健全時の固有振動数と前記評価時の固有振動数とを前記振動特性の次数毎に比較して前記評価時の固有振動数が前記健全時の固有振動数と比べて低下している場合に該数値が低下している固有振動数に対応する前記固有モードの振幅成分の絶対値が大きい構面位置で損傷が発生していると共に数値が低下していない固有振動数に対応する前記固有モードの振幅成分の絶対値が大きい構面位置では損傷は発生していないと判断するステップとを有することを特徴とする常時微動計測に基づく建物の健全性診断法。
【請求項2】
建物に設定された複数の構面毎に健全時の常時微動を計測して得られた前記建物の常時微動記録を用いて前記健全時について振動特性の次数毎に前記建物の固有振動数及び前記複数の構面別の数値を成分とするベクトルである固有モードを計算する手段と、評価時の前記建物の常時微動を少なくとも一箇所で計測して得られる常時微動記録を用いて前記評価時について前記振動特性の次数毎に前記建物の固有振動数を計算する手段と、前記健全時の固有振動数と前記評価時の固有振動数とを前記振動特性の次数毎に比較して前記評価時の固有振動数が前記健全時の固有振動数と比べて低下している場合に該数値が低下している固有振動数に対応する前記固有モードの振幅成分の絶対値が大きい構面位置で損傷が発生していると共に数値が低下していない固有振動数に対応する前記固有モードの振幅成分の絶対値が大きい構面位置では損傷は発生していないと判断する手段とを有することを特徴とする常時微動計測に基づく建物の健全性診断装置。
【請求項3】
建物の常時微動記録を用いて前記建物の健全性診断を行う際に、前記建物に設定された複数の構面毎に健全時の常時微動を計測して得られた前記建物の常時微動記録を用いて前記健全時について振動特性の次数毎に前記建物の固有振動数及び前記複数の構面別の数値を成分とするベクトルである固有モードを計算する処理と、評価時の前記建物の常時微動を少なくとも一箇所で計測して得られる常時微動記録を用いて前記評価時について前記振動特性の次数毎に前記建物の固有振動数を計算する処理と、前記健全時の固有振動数と前記評価時の固有振動数とを前記振動特性の次数毎に比較して前記評価時の固有振動数が前記健全時の固有振動数と比べて低下している場合に該数値が低下している固有振動数に対応する前記固有モードの振幅成分の絶対値が大きい構面位置で損傷が発生していると共に数値が低下していない固有振動数に対応する前記固有モードの振幅成分の絶対値が大きい構面位置では損傷は発生していないと判断する処理とをコンピュータに行わせることを特徴とする常時微動計測に基づく建物の健全性診断プログラム。
【請求項1】
建物に複数の構面を設定すると共に該複数の構面毎に健全時の常時微動を計測して得られた前記建物の常時微動記録を用いて前記健全時について振動特性の次数毎に前記建物の固有振動数及び前記複数の構面別の数値を成分とするベクトルである固有モードを計算するステップと、評価時の前記建物の常時微動を少なくとも一箇所で計測して得られる常時微動記録を用いて前記評価時について前記振動特性の次数毎に前記建物の固有振動数を計算するステップと、前記健全時の固有振動数と前記評価時の固有振動数とを前記振動特性の次数毎に比較して前記評価時の固有振動数が前記健全時の固有振動数と比べて低下している場合に該数値が低下している固有振動数に対応する前記固有モードの振幅成分の絶対値が大きい構面位置で損傷が発生していると共に数値が低下していない固有振動数に対応する前記固有モードの振幅成分の絶対値が大きい構面位置では損傷は発生していないと判断するステップとを有することを特徴とする常時微動計測に基づく建物の健全性診断法。
【請求項2】
建物に設定された複数の構面毎に健全時の常時微動を計測して得られた前記建物の常時微動記録を用いて前記健全時について振動特性の次数毎に前記建物の固有振動数及び前記複数の構面別の数値を成分とするベクトルである固有モードを計算する手段と、評価時の前記建物の常時微動を少なくとも一箇所で計測して得られる常時微動記録を用いて前記評価時について前記振動特性の次数毎に前記建物の固有振動数を計算する手段と、前記健全時の固有振動数と前記評価時の固有振動数とを前記振動特性の次数毎に比較して前記評価時の固有振動数が前記健全時の固有振動数と比べて低下している場合に該数値が低下している固有振動数に対応する前記固有モードの振幅成分の絶対値が大きい構面位置で損傷が発生していると共に数値が低下していない固有振動数に対応する前記固有モードの振幅成分の絶対値が大きい構面位置では損傷は発生していないと判断する手段とを有することを特徴とする常時微動計測に基づく建物の健全性診断装置。
【請求項3】
建物の常時微動記録を用いて前記建物の健全性診断を行う際に、前記建物に設定された複数の構面毎に健全時の常時微動を計測して得られた前記建物の常時微動記録を用いて前記健全時について振動特性の次数毎に前記建物の固有振動数及び前記複数の構面別の数値を成分とするベクトルである固有モードを計算する処理と、評価時の前記建物の常時微動を少なくとも一箇所で計測して得られる常時微動記録を用いて前記評価時について前記振動特性の次数毎に前記建物の固有振動数を計算する処理と、前記健全時の固有振動数と前記評価時の固有振動数とを前記振動特性の次数毎に比較して前記評価時の固有振動数が前記健全時の固有振動数と比べて低下している場合に該数値が低下している固有振動数に対応する前記固有モードの振幅成分の絶対値が大きい構面位置で損傷が発生していると共に数値が低下していない固有振動数に対応する前記固有モードの振幅成分の絶対値が大きい構面位置では損傷は発生していないと判断する処理とをコンピュータに行わせることを特徴とする常時微動計測に基づく建物の健全性診断プログラム。
【図1】
【図2】
【図3】
【図4】
【図5】
【図6】
【図7】
【図12】
【図8】
【図9】
【図10】
【図11】
【図2】
【図3】
【図4】
【図5】
【図6】
【図7】
【図12】
【図8】
【図9】
【図10】
【図11】
【公開番号】特開2010−276518(P2010−276518A)
【公開日】平成22年12月9日(2010.12.9)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2009−130514(P2009−130514)
【出願日】平成21年5月29日(2009.5.29)
【出願人】(000173809)財団法人電力中央研究所 (1,040)
【Fターム(参考)】
【公開日】平成22年12月9日(2010.12.9)
【国際特許分類】
【出願日】平成21年5月29日(2009.5.29)
【出願人】(000173809)財団法人電力中央研究所 (1,040)
【Fターム(参考)】
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