説明

微生物によるステンレス鋼の腐食の予測方法

【課題】実際の自然環境における微生物活動状況を忠実に反映した、微生物による構造物の腐食発生の予測を行うこと。
【解決手段】ステンレス鋼の試験片1を前記ダム等の水に現地にて直接浸漬し、その試験片の自然電位を所定時間間隔で測定し、その測定結果を記録用データロガーに保存する。保存された自然電位と前記ダム等の水を用いて測定した試験片1の腐食隙間再不動態化電位とを比較し、自然電位が腐食隙間再不動態化電位よりも高い場合に微生物による腐食が発生すると判断する。この試験片1を治具に固定し、その治具2にフロート3を設けると、試験片1が常に一定の深さに浸漬されるので、一定条件で正確な評価を行うことができる。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
この発明は、ダム、湖、河川、海等の水に浸漬して設置するステンレス鋼構造物の微生物による腐食の発生有無を予測する方法に関する。
【背景技術】
【0002】
ダム等の水に浸漬して設けられる鋼製構造物にはステンレス鋼が広く用いられ、このステンレス鋼は耐食性に優れ、定期的に防錆用塗装を行う必要がないので、保守コストの低減に寄与する。
【0003】
しかし、耐食性に優れるステンレス鋼においても、鉄イオンを栄養分としたり、鉄を溶解する酸化物質を生成したりする水中の微生物によって激しい腐食が生じうることが近年明らかにされ、前記微生物が存在する水にステンレス鋼からなる構造物を浸漬すると腐食が生じ、その腐食のために構造物の耐用寿命が大幅に短くなる問題が生じている。そのため、前記微生物による腐食をビーカー等の容器内に満たした水の中で、簡便に予測・評価する方法について、研究開発が盛んに行われている。
【0004】
上記予測・評価方法において容器内に満たす水は、ダム等の水を人工的に調製して用いる場合と、現地の水を採取して用いる場合の2つに大別できる。
【0005】
上記水を人工的に調整する方法の一つとして、微生物腐食に関わる細菌を実際のダム等の水に近い環境、例えば、鉄イオン濃度を60ppm以下、硫酸イオン濃度を2500ppm以下に管理した容器中で培養し、これらの細菌が培養された溶液中に金属材料を浸漬し、腐食の発生有無を評価する方法がある(特許文献1参照)。
【特許文献1】特開平11−299497号公報
【0006】
それ以外に、微生物を混在させた水を小型試験容器内に循環して容器内の水を新鮮な状態に保つことで実際の自然環境を再現した腐食試験装置を用いた方法(特許文献2参照)、金属材料表面の微生物を主体とした堆積物中と水中とにおける水素イオン濃度、溶存酸素濃度、腐食電位の差によって金属の腐食を予測する方法(特許文献3参照)、酸化酵素を用いて微生物の代謝作用の影響を人工的に再現した耐食性試験法(特許文献4、特許文献5参照)、等がある。
【特許文献2】特開平5−264497号公報
【特許文献3】特開平2−290987号公報
【特許文献4】特開平6−78794号公報
【特許文献5】特開平8−68774号公報
【0007】
一方、現地の水を採取して用いる方法として、容器に満たした海水に金属材料を浸漬し、微生物による表面皮膜の形成を電位測定により解析する方法が報告されている(非特許文献1参照)。また、ダムにおいて採取した水にSUS304ステンレス鋼を浸漬し、試験片表面に付着する微生物や、その微生物による腐食を解析する方法も報告されている(非特許文献2参照)。
【非特許文献1】Motoda S. et al. Corrosion Science. Vol.31、 p515−520、1990
【非特許文献2】安西敏雄ら、溶接学会論文集、Vol. 23、 No.4、 p613−621、2005
【0008】
これらの方法では、容器中に浸漬した金属材料等の表面近傍にAg/AgCl等の参照電極を設け、この参照電極で金属材料等の自然電位を測定し、この自然電位と、金属材料等の種類によって決まる腐食隙間再不動態化電位とを比較し、自然電位が前記腐食隙間再不動態化電位よりも高い場合に微生物による腐食が発生すると判断する。
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0009】
特許文献1から3に記載の方法は、微生物を人工的に調整した水の中に実際に混在させているものの、微生物の活動に大きな影響を与える要因、例えば、溶存酸素量や微生物の栄養分の濃度等が実際の環境と大きく異なっている可能性があり、実際の自然環境における微生物の活動状況を反映した試験になっているとは言い難い。
【0010】
また、これらの試験に用いる微生物は、腐食発生部位から採集したもので、既存構造物に腐食が発生した場合に限り、この微生物を採取できる。しかしながら、腐食発生に至っていない場合は、微生物が存在する場所を特定できないので採集が困難である。すなわち、特許文献1から3に記載の方法は、実際に腐食事故が生じた後に、腐食発生部位の微生物を採取して、その微生物を用いて腐食の追試を行い、腐食事故の解析をする際には適用できるが、新規構造物の微生物による腐食発生の予測には適用できないという問題がある。
【0011】
また、特許文献4および5に記載の方法は、微生物の代わりに酸化酵素を用いているので、微生物の作用と酸化酵素の作用とを定量的に関連付けることが難しいという問題がある。
【0012】
さらに、非特許文献1および2に記載の方法は、現地で水を採取し、その水を用いて試験を行うが、試験自体はビーカー等の容器内で行うので、実際の自然環境、例えば、日光の照射量や水温の影響を考慮して試験を行うことが難しいという問題がある。
【0013】
この発明は、このような現状に鑑み、実際の自然環境における微生物活動状況を忠実に反映した微生物腐食の評価を行うことを課題とする。
【課題を解決するための手段】
【0014】
上記の課題を解決するため、この発明は、実際の構造物の腐食発生状況を模擬するための試験片を、上記ダム等の水に現地にて直接浸漬し、自然環境における微生物の活動状況をできるだけ忠実に反映した試験を行うこととしたのである。
【発明の効果】
【0015】
この発明によると、ステンレス鋼の試験片を実際にダム等の現地の水に浸漬して微生物による腐食を評価するので、従来の容器内での腐食評価試験と比較して、実際の構造物の腐食発生有無を精度良く予測することができる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0016】
この発明の実施形態としては、ダム、湖、河川、海等の水にステンレス鋼の試験片を浸漬し、その水の中に存在する微生物による試験片の腐食の発生有無を予測する方法において、試験片を前記ダム、湖、河川、海等の現地にて直接その水に浸漬し、その試験片の自然電位を所定時間間隔で、または、連続的に測定し、前記自然電位が前記水を用いて測定した試験片の腐食隙間再不動態化電位と比較し、自然電位が腐食隙間再不動態化電位よりも高い場合に微生物による腐食が発生すると判断する方法を採用する。
【0017】
上記試験片の自然電位の測定は、例えば、Ag/AgCl参照電極を試験片表面近傍に設置して行う。この参照電極の内部は、飽和KCl電解溶液で満たされ、測定時間の経過に伴い、電解溶液が電極内から流出してその濃度が希釈されるので、定期的に電極内の溶液を交換するか、新しい参照電極を用いて、電位測定結果を較正する必要がある。参照電極はAg/AgClに限定されず、Hg/HgCl電極等も採用できる。
【0018】
上記水の中に微生物が存在し、その微生物によって試験片の表面近傍に腐食環境が形成されると、試験片表面近傍の自然電位が上昇する。
【0019】
上記自然電位の記録には、市販の記録用データロガーを用い、上記所定間隔として、例えば、10分間に1回の割合で測定値を記録する。この記録用データロガーにはコンセントから給電するのが最も簡便だが、山中のダム等での使用に際し、コンセントが使用できない場合は、この記録用データロガーを一部改良して、バッテリー、太陽電池、燃料電池等を利用することもできる。
【0020】
上記自然電位の計測と別に、実際に腐食試験に使用した水を採取し、この水を使用して、JIS規格(JIS G0580)に準拠して、ステンレス鋼の種類ごとに上記腐食隙間再不動態化電位を測定する。この腐食隙間再不動態化電位は、塩化物濃度によって変化し、その濃度が高くなるほど小さくなる。
【0021】
上記ステンレス鋼の腐食隙間再不動態化電位は、腐食試験を実施した水の塩化物濃度に対応した、文献掲載データを使用することもできる。その際は、実際の自然環境の水温以下の温度で測定した腐食隙間再不動態化電位のデータを使用する。
【0022】
上記ダム等の水位は降雨、放流等によって変化する。水位が変化すると、試験片の水面からの浸漬深さが変わり、浸漬深さが変わると試験片の周囲の微生物の種類や数、生息環境等が変化するため、一定条件での正確な評価が不可能となる。降雨、放流等に起因して試験片の浸漬深さが変化するのを防ぐために、例えば、試験片を治具に固定し、その治具にフロートを設ける構成を採用することができる。フロートを設けると、水位の上下に伴ってフロートも上下し、治具に固定された試験片は常に一定の深さに保たれるので、浸漬深さに対応した正確な評価が実施できる。また、このフロートを、例えば、2本の固定杭の間にロープ等で括り付ければ、この試験片が試験中に流されることはない。
【0023】
上記微生物の活動は日光の強度によって影響を受ける可能性があるので、その影響を評価するため、一部の試験片に対して黒色のカバーを設け、日光を遮断することもできる。
【0024】
上記試験片の上記水への浸漬に先立って、その水の温度、溶存酸素濃度、アンモニアイオン濃度、硝酸イオン濃度、亜硝酸イオン濃度、燐酸イオン濃度、たんぱく質濃度、糖含量、クロロフィルa濃度等の中から少なくとも一つの要素を選択し、選択した要素の水深方向の濃度分布等を測定し、試験を行いたい濃度分布に対応した深さに試験片を浸漬する。
【0025】
上記試験片として、既存の構造物に用いられている材質と同じ種類のステンレス鋼を用いれば、その構造物の腐食発生の有無を直接模擬することができる。また、新規の構造物の建設において最適なステンレス鋼を模索するにあたり、候補となる品種、例えば、SUS304、SUS316、SUS329JL等を同時に浸漬して腐食の発生有無を相対的に比較することで、微生物による腐食に耐えうる品種を容易に見出すことができる。
【0026】
実際の構造物は複数の鋼材を溶接等で接続して建造され、その構造物の表面には、ステンレス鋼の母材部分、表面に酸化スケールが形成されている溶接ビード部分、溶接後に酸洗処理を施して酸化スケールを除去した部分等が露出している。表面状態が異なると、同じ腐食環境に曝された場合でも、その表面状態によって腐食の発生状況が異なる可能性がある。
【0027】
この試験では、実際の構造物各部の表面状態を代表する試験片、つまり、ステンレス鋼の母材、表面に模擬的に溶接ビードを形成したもの、表面に溶接ビードを形成した後に酸洗処理を施したもの等を用意し、これらを同時に浸漬すると、表面状態が腐食に与える影響を容易に評価することができる。
【0028】
上記試験片の表面積は120〜1200cmとするのが好ましい。表面積がこれより広いと、試験片表面への微生物の付着が不均一となり自然電位の測定精度が劣化し、これより狭いと、試験片表面における腐食反応が不十分となり自然電位の変化が検知できない恐れがある。
【0029】
上記試験片の浸漬期間は4ヶ月以上とするのが好ましい。期間がこれより短いと、腐食の発生が認識しづらく、微生物の腐食への関与を明確に把握できない恐れがある。また、浸漬期間を4ヶ月以上とすると、腐食の発生有無と微生物の関与との関係が明確となるが、試験期間が長くなると時間・労力等のコストが大きくなるので、試験の終了時期はそれらを総合的に考慮して適宜決めるのがよい。
【0030】
また、上記の浸漬試験においては自然電位測定用の試験片以外に、隙間腐食試験用の試験片を同時に治具に設置しても良い。この隙間腐食試験用の試験片は2枚の試験片を貼り合わせたもので、この試験は2枚の試験片の隙間に浸入した水による腐食を評価する。実際の構造物は上述したように、複数の鋼材を溶接等で接続して建造され、その接続部に隙間が生じることがある。前記隙間腐食試験は、その隙間における腐食を評価する試験なので、実際の構造物の腐食発生状況を反映した試験といえる。
【実施例】
【0031】
図1および図2にこの発明の一実施例を示して説明すると、ステンレス鋼の試験片1は治具2に固定され、その治具2にフロート3が設けられ、ダムの貯水池Wに浮かべられる。試験中にフロート3が流されることが無いように、治具2にロープ4が取り付けられ、そのロープ4は固定杭5に固定される。自然電位測定用の試験片1aと治具2には、腐食電位を測定するための参照電極6が設けられている。
【0032】
上記参照電極6は、図示しない配線によって、図示しない記録用データロガーに接続され、10分に1回の頻度で電位データが取得される。
【0033】
まず、試験片の浸漬に先立ち、ダムの貯水池中の水温と溶存酸素量の水深方向における分布を測定した。その結果、約2mの深さにおいて、水温と溶存酸素量が所望の値となっていたことから、試験片を水面下約2mに浸漬することにした。
【0034】
この試験では、表面酸洗処理または表面研磨加工を施したSUS304とSUS316を試験片として使用した。試験片の寸法は100mm×60mm×6mm(表面積が約120cm)とした。微生物の存在が自然電位に与える影響を評価するため、一部の試験片に微生物の侵入を阻止するためのフィルターを取り付けた透明箱に入れた。また、日光が微生物の活動に与える影響を評価するため、一部の試験片を黒箱7に入れて日光を遮断した。
【0035】
上記試験片1の自然電位を測定する参照電極6として、Ag/AgCl電極を使用した。
【0036】
図3にSUS304ステンレス鋼の自然電位の経時変化を示して説明すると、黒箱7に入れた試験片1の自然電位(遮光時電位8)、および、黒箱7に入れなかった試験片1の自然電位(非遮光時電位9)ともに、時間の経過とともに上昇を続け、試験開始から約4ヶ月後には約460mV(vs.Ag/AgCl)の最高値に到達した。遮光時電位8は、常に450mV程度の高電位を維持したのに対し、非遮光時電位9は、日光による明暗の影響を受けて変動し、好天時には300mV程度まで低下した。微生物の存在下で確認された高い自然電位(遮光時電位8および非遮光時電位9)は、従来の実験室における評価試験では得られていない。このことは、実験室における評価試験は、実際の自然環境における微生物の活動状況を十分反映していないということを示している。
【0037】
一方、フィルター付きの透明箱に入れた試験片の自然電位(微生物遮断時電位10)の上昇はわずかで、その最高値は−60mVであった。
【0038】
また、この試験とは別に行った試験においても、自然電位が最高値に達するまで約4ヶ月を要しており、実験の正確性を期するためには、試験片1の浸漬は最低4ヶ月行うことが必要である。
【0039】
図4に遮光時電位8および非遮光時電位9の最高値11(Esp=460mV)と、SUS304ステンレス鋼の腐食隙間再不動態化電位12との比較を示して説明すると、上記最高値11が実際の自然環境におけるダムの貯水池Wの水の塩化物イオン濃度に対応する腐食隙間再不動態化電位(約240mV)を上回っている。このことから、同ダム水環境に設置するSUS304鋼構造物には微生物腐食発生する可能性が高いと判断される。実際、同ダム中のSUS304鋼構造物に微生物による腐食が発生することが確認された。
【0040】
以上の実験結果から、この発明の予測方法は、実際の自然環境における微生物の活動状況を反映でき、微生物による構造物の腐食の発生を正確に予測できる方法であることが実証できた。
【図面の簡単な説明】
【0041】
【図1】この発明の一実施例の使用態様を示す正面図
【図2】この発明の一実施例における治具の、(a)は全体の正面図、(b)はフロートの側面図、(c)は試験片取付け部の拡大正面図、(d)は試験片取付け部の拡大側面図
【図3】この発明の一実施例における自然電位測定結果を示す図
【図4】この発明の一実施例において自然電位と腐食隙間再不動態化電位の関係を示す図
【符号の説明】
【0042】
1 試験片
8 自然電位(遮光時電位)
9 自然電位(非遮光時電位)
12 腐食隙間再不動態化電位

【特許請求の範囲】
【請求項1】
ダム、湖、河川、海等の水にステンレス鋼の試験片(1)を浸漬し、その水の中に存在する微生物による、この試験片(1)と同じ材質の構造物の腐食の発生有無を予測する方法において、
試験片(1)を前記ダム、湖、河川、海等の現地にて直接その水に浸漬し、その試験片(1)の自然電位(8、9)を所定時間間隔で、または、連続して測定し、前記自然電位(8、9)と、前記水を用いて測定した試験片(1)の腐食隙間再不動態化電位(12)とを比較し、前記自然電位(8、9)が前記腐食隙間再不動態化電位(12)よりも高い場合に微生物による腐食が発生すると判断することを特徴とする微生物による腐食の予測方法。
【請求項2】
上記水に浸漬する試験片(1)が常に一定の水深に保持されることを特徴とする請求項1に記載の微生物による腐食の予測方法。
【請求項3】
上記試験片(1)の上記水への浸漬に先立ってその水を採取し、その水の温度、水素イオン濃度、溶存酸素濃度、微生物の栄養分の濃度、その他の水の特性を測定し、その水の特性が所望の値となるところに、試験片(1)を浸漬することを特徴とする請求項1または2に記載の微生物による腐食の予測方法。
【請求項4】
上記浸漬の期間が4ヶ月以上であることを特徴とする請求項1から3のいずれかに記載の微生物による腐食の予測方法。
【請求項5】
上記試験片(1)の表面積が120〜1200cmの範囲で、その表面状態によらず適用ができることを特徴とする請求項1から4のいずれかに記載の微生物による腐食の予測方法。
【請求項6】
上記測定に用いる記録用データロガーへの給電が、コンセントを経由した送電、バッテリー、太陽電池、燃料電池のいずれか、または、それらの併用によってなされることを特徴とする請求項1から5のいずれかに記載の微生物による腐食の予測方法。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【公開番号】特開2008−39473(P2008−39473A)
【公開日】平成20年2月21日(2008.2.21)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2006−211071(P2006−211071)
【出願日】平成18年8月2日(2006.8.2)
【出願人】(000142595)株式会社栗本鐵工所 (566)
【Fターム(参考)】