説明

摺動材及びその表面加工方法

【課題】本発明は、摺動面に形成したDLC膜に当該DLC膜よりも低硬度の改質層を形成してトライボロジー特性を改善した摺動材及びその表面加工方法を提供することを目的とするものである。
【解決手段】パルスレーザシステム1からフェムト秒レーザを発射して3軸ステージ7に設置された摺動材Mの摺動面に照射する。摺動材Mの摺動面には予めDLC膜が形成されており、レーザパルスの照射によりDLC膜よりも硬度の低い改質層が形成される。改質層の硬度及び層厚は、照射するレーザパルスのフルーエンスにより調整することができ、被摺動面の硬度や表面状態に合わせて摩耗量が少なくなるように改質層を形成することが可能となる。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、軸受、ピストンといった機械部品の摺動面に用いられる摺動材及びその表面加工方法に関する。
【背景技術】
【0002】
上述した摺動面を備えた機械部品では、摺動面におけるトライボロジー特性に着目して様々な改良が行われてきている。特に、低摩擦性、耐摩耗性、潤滑性、熱的安定性といった観点から摺動面の加工又は改質がなされている。例えば、特許文献1では、摺動材の基材の摺動面に成膜されたDLC膜に、低フルーエンスのパルスレーザ(フェムト秒(10-12秒〜10-15秒)レーザ等)を照射することで、照射領域をガラス状炭素に改質された改質領域とするとともに微細周期構造を形成し、こうして表面加工された領域を被覆するように潤滑層を形成することで、摩擦係数等のトライボロジー特性が大幅に改善された摺動材を得ることが提案されている。また、特許文献2では、基体表面にDLC膜を形成し、形成されたDLC膜にレーザ光を部分的に照射してレーザ光の照射領域をグラファイト化する点が記載されている。
【0003】
なお、上述のDLC膜は、ダイヤモンド状炭素(Diamond Like Carbon;DLCと略称される)からなる膜であり、ダイヤモンド状炭素は、硬質カーボン、硬質非晶質炭素、無定型炭素、硬質無定型炭素、iカーボン等の別称があるが、明確に定義はされていない。いずれにしてもダイヤモンド及びグラファイトが混ざり合った中間的な構造を備えており、ダイヤモンドと同様に、高硬度で、耐摩耗性及び熱伝導性に優れ、摺動機械部品、切削工具、研磨用工具等の保護層として用いられている。本明細書において、「DLC膜」は、上記のダイヤモンド状炭素を膜状に成膜したものを意味する。
【0004】
また、上述のガラス状炭素は、グラッシーカーボン(Glassy Carbon)とも称されているが、グラファイトの基本構造である六角網面の結晶子が無配向に組織されているもので、約3000℃の高温に加熱処理してもグラファイト構造に変化することがないといった特性を備えている。そのため、ガラス状炭素は、難黒鉛化性炭素とも称されており、耐食性、耐摩耗性、耐熱性、潤滑性、離型性、ガス不透過性に優れており、導電性も有している。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0005】
【特許文献1】特開2007−162045号公報
【特許文献2】特開2009−9718号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
摺動材及び被摺動材が同じように硬質材料からなる場合、摺動面において互いに摩耗するようになって摺動面がダメージを受けるため両者の間のトライボロジー特性からみると好ましいものではない。そのため、摺動材及び被摺動材を硬質材料で構成して摺動面に加わる圧力に対して十分な耐久性を持たせるとともに、摺動面を摩耗しやすい軟質材料で被覆することで潤滑しやすくし、トライボロジー特性を改善することが知られている。
【0007】
上述したように、DLC膜を摺動面に形成した場合、DLC膜が高硬度で耐摩耗性に優れているため摺動面に加わる圧力に対しては十分な強度を得ることができる。しかしながら、DLC膜が硬質材料に直接接触した状態で摺動する場合、互いに摺動面を傷付け合って摩耗が進んでしまい、DLC膜がダメージを受けてかえってトライボロジー特性を低下させるおそれがある。
【0008】
そこで、本発明は、摺動面に形成したDLC膜に当該DLC膜よりも低硬度の改質層を形成してトライボロジー特性を改善した摺動材及びその表面加工方法を提供することを目的とするものである。
【課題を解決するための手段】
【0009】
本発明に係る摺動材の表面加工方法は、摺動面に形成されたDLC膜にパルスレーザを照射して、表面にいくに従い硬度が低減するとともに前記DLC膜よりも硬度が低い改質層を形成することを特徴とする。さらに、前記改質層は、ラマン分光測定において、sp2結合に基づいて1355cm-1に現れるラマン散乱ピーク強度(ID)及びsp3結合に基づいて1590cm-1に現れるラマン散乱ピーク強度(IG)の強度比(ID/IG)が表面にいくに従い大きくなるように形成されることを特徴とする。さらに、前記パルスレーザとしてフェムト秒レーザを用い、0.1J/cm2〜0.16J/cm2のフルーエンスで照射することを特徴とする。
【0010】
本発明に係る摺動材は、摺動面にDLC膜が形成された摺動材であって、前記DLC膜には、表面にいくに従い硬度が低減するとともに前記DLC膜よりも硬度が低い改質層が形成されていることを特徴とする。さらに、前記改質層は、ラマン分光測定において、sp2結合に基づいて1355cm-1に現れるラマン散乱ピーク強度(ID)及びsp3結合に基づいて1590cm-1に現れるラマン散乱ピーク強度(IG)の強度比(ID/IG)が表面にいくに従い大きくなるように形成されていることを特徴とする。
【発明の効果】
【0011】
本発明は、上記のような構成を備えることで、摺動面に形成されたDLC膜に、表面にいくに従い硬度が低減するとともにDLC膜よりも硬度の低い改質層が形成されるので、被摺動面の硬度や表面状態に応じて改質層が摩耗するようになり、少ない摩耗量で摺動面を被摺動面に対してなじんだ状態にすることができ、トライボロジー特性を改善することが可能となる。
【0012】
すなわち、摺動面に形成されるDLC膜の表面は、微視的にみると凹凸が形成され平滑な状態とはなっていないが、超短パルスレーザを照射して改質層を形成することで、表面の凹凸が摩耗により容易に削り取られるようになる。そのため、少ない摩耗量で摺動面が平滑化されてなじんだ状態を形成することができ、DLC膜の厚さが薄い場合でも安定したトライボロジー特性を発揮することが可能となる。
【0013】
また、改質層を、ラマン分光測定において、sp2結合に基づいて1355cm-1に現れるラマン散乱ピーク強度(ID)及びsp3結合に基づいて1590cm-1に現れるラマン散乱ピーク強度(IG)の強度比(ID/IG)が表面にいくに従い大きくなるように形成することで、軟質性状のグラファイト結合であるsp2結合及び硬質性状のダイヤモンド結合であるsp3結合の改質層内の比率を変化させて硬度を表面にいくに従い低減させることができる。
【0014】
また、パルスレーザとしてフェムト秒レーザを用い、0.1J/cm2〜0.16J/cm2のフルーエンスで照射すれば、DLC膜に対して熱による収縮等の影響をほとんど与えることなく改質層を形成することができる。そのため、精密加工された摺動面に薄層のDLC膜を形成した場合でも、摺動面の加工精度を低下させることなく改質層を形成することができ、摺動面の製造誤差を小さくしてより安定したトライボロジー特性を得ることが可能となる。
【0015】
ここで、「パルスレーザ」とは、出力光強度が時間的に変化して一定の持続時間だけ発振するレーザのことであるが、本明細書では、特にパルス幅が10-9秒〜10-15のレーザをパルスレーザと称する。そして、「フルーエンス」(fluence)とは、レーザの1パルス当りの出力エネルギーを照射断面積で割って求めたエネルギー密度(J/cm2)である。一般に、レーザを材料表面に照射することで材料表面が蒸散する現象が生じるエネルギー密度の最小値(アブレーション閾値)近傍の低いフルーエンスの範囲で、パルスレーザを照射すれば熱影響がほとんど生じないことが知られている。
【0016】
アブレーション閾値及び熱影響が生じない低フルーエンスの範囲は、材料によって異なっており、こうした低フルーエンスの範囲は主にその材料の融点の違いによるものである。レーザ照射による熱影響がほとんど生じない低フルーエンスの範囲は、通常アブレーション閾値の5倍程度を上限とする範囲で、材料によっては10倍程度の範囲まで熱影響がほとんど生じない場合もある。DLC膜の場合には、上述したように、0.1J/cm2〜0.16J/cm2のフルーエンスで照射することで、DLC膜に熱影響をほとんど与えることなく改質層を形成することができる。
【図面の簡単な説明】
【0017】
【図1】加工装置に関する概略構成図である。
【図2】平板状の摺動材表面に対するパルスレーザの照射動作を示す説明図である。
【図3】原子間力顕微鏡によりDLC膜表面の加工前の状態を観察した撮影写真である。
【図4】原子間力顕微鏡によりDLC膜表面の加工後の状態を観察した撮影写真である。
【図5】レーザパルスの照射面をラマン分光測定装置で測定した結果を示すグラフである。
【図6】レーザパルスのフルーエンスとその照射表面のラマン強度比をプロットしたグラフである。
【図7】照射面のラマン強度比及び硬度Hの測定結果をプロットしたグラフである。
【図8】レーザパルスを照射したDLC膜について深さ方向のラマン強度比を測定した結果を示すグラフである。
【図9】図8に示すラマン強度比から深さ方向の硬度Hを算出した結果を示すグラフである。
【図10】摺動試験に関する概略説明図である。
【図11】レーザ照射により表面加工していない場合の摺動材の摺動面の断面形状を測定したグラフである。
【図12】レーザ照射により表面加工した場合の摺動材の当接面の断面形状を測定したグラフである。
【図13】レーザパルスのフルーエンスと改質層の層厚との間の関係を示すグラフである。
【発明を実施するための形態】
【0018】
以下、本発明に係る実施形態について詳しく説明する。なお、以下に説明する実施形態は、本発明を実施するにあたって好ましい具体例であるから、技術的に種々の限定がなされているが、本発明は、以下の説明において特に本発明を限定する旨明記されていない限り、これらの形態に限定されるものではない。
【0019】
図1は、摺動面にDLC膜が形成された摺動材に改質層を形成する表面加工方法を実施するための加工装置の一例を示す概略構成図である。加工装置は、パルスレーザシステム1、シャッタ2、レーザ制御ユニット3、反射ミラー4及び5、凹面反射鏡6、3軸ステージ7を備えている。なお、凹面鏡6による集光以外に、石英等からなるレンズを用いて集光を行うようにしてもよい。
【0020】
パルスレーザシステム1は、フェムト秒レーザを発振する公知のパルスレーザシステムを用いればよい。なお、フェムト秒レーザ以外のパルスレーザを使用することもできる。すなわち、DLC膜が熱的、機械的な影響により変質しない範囲で局所的に高密度のエネルギーを加えることが可能であれば改質層を形成することができることから、DLC膜の状態(層厚、基材の材料等の外部環境)によっては、例えばピコ秒(10-9秒〜10-12秒)レーザやナノ秒(10-6秒〜10-9秒)レーザといったパルスレーザを発振するパルスレーザシステムを使用してもよい。
【0021】
フェムト秒レーザシステム1から発振されたレーザパルスは、シャッタ2を通過してレーザ制御ユニット3に入射される。レーザ制御ユニット3では、レーザパルスの波長を変換するとともに偏光制御を行う。偏光制御では、直線偏光(縦方向・横方向)及び円偏光を必要に応じて行う。直線偏光にすると、細長い溝部が周期的に形成された微細構造となり、円偏光にすると、粒状突起部が周期的に形成された微細構造となる。
【0022】
レーザ制御ユニット3から出射されたレーザパルスは、反射ミラー4及び5により反射されて凹面反射鏡(放物鏡)6に入射して集光されるようになる。そして、集光されたレーザパルスは、3軸ステージ7の試料台に設置された摺動材Mの表面に照射される。
【0023】
3軸ステージ7は、試料台を取り付けたZ軸ステージ及びZ軸ステージを取り付けたXY軸ステージを備えており、制御装置8からの制御信号に基づいてXY軸ステージ及びZ軸ステージを移動させて摺動材M表面の照射位置を移動させるようにする。
【0024】
この例では、摺動材Mを移動させてレーザパルスを照射するようにしているが、レーザパルスの発振及び光学系を含む装置側を移動させるようにしてもよく、また両方を移動させて摺動材M表面の照射位置を位置決めするようにしてもよい。
【0025】
図2は、平板状の摺動材M表面に対するパルスレーザの照射動作を示す説明図である。この例では、主走査方向をZ軸にとり、副走査方向をX軸にとっている。照射位置を1つの円で示しており、円内が照射領域となっている。主走査方向に照射する場合には、Z軸方向に所定の速度でZ軸ステージを移動させて行う。その際に主走査方向Z1に照射スポットが重なり合いながら帯状に摺動材M表面が照射されるようにする。
【0026】
主走査方向Z1について照射した後、XY軸ステージにより摺動材MをX軸方向にずらす。その際に主走査方向Z1の照射領域と重なり合うように副走査方向に位置決めする。この例では照射領域を示す円の半径分だけ副走査方向にずらすようにしており、そのため、次の主走査方向Z2の照射領域と主走査方向Z1の照射領域が重なり合うように位置決めされる。そして、主走査方向Z2に主走査方向Z1と同様に所定の速度で照射位置を移動させながら照射動作が行われる。以後、副走査方向にずらしながら主走査方向に照射動作を繰り返すことで、基板T表面には満遍なく複数回の照射動作が行われるようになる。
【0027】
レーザパルスの照射スポットの中心部と周辺部では、照射エネルギーに差が生じることから、適宜照射スポットの重なり合う部分を調整して照射領域全体の照射エネルギーがほぼ均一になるように設定する。
【0028】
摺動材Mの基材としては、金属、セラミック又は樹脂といった従来より摺動材として用いられているもので、DLCが成膜できるものであればよく、特に限定されない。また、形状についても特に限定されず、様々な摺動材が適用可能である。
【0029】
DLC膜は、スパッタリング法に代表されるPVD法やCVD法といった従来より用いられている気相合成法で成膜することができる。摺動材の摺動面にDLC膜を形成するための装置としては、例えば、公知の非平衡マグネトロンスパッタリング装置等が挙げられる。
【0030】
摺動材の摺動面に形成されるDLC膜の膜厚は、3μm〜30μmが好ましい。3μmより薄いと摩耗によりDLC膜が除去されるおそれがあり、30μmより厚いと摺動面の加工精度に影響を与えるようになって好ましくない。
【0031】
DLC膜の表面に照射するレーザパルスのエネルギー密度は、DLC膜に熱収縮等の熱的影響を与えない範囲で照射することが好ましく、具体的には、0.1J/cm2〜0.16J/cm2のフルーエンスで照射すればよい。0.1J/cm2よりもフルーエンスが小さいとDLC膜よりも硬度の低い改質層が形成されず、0.16J/cm2よりもフルーエンスが大きいとDLC膜に熱的影響が生じるようになり、好ましくない。
【0032】
平板状(縦7mm×横17mm×厚さ10mm)の合金工具鋼(SAE01)からなる基材の表面に公知のスパッタリング装置により摺動材の摺動面にDLC膜を約4μmの厚さで形成した。DLC膜を形成した摺動材を用いて、図1に示す加工装置により直線偏光されたレーザパルスを照射して表面加工を行った。フェムト秒レーザシステムとして、サイバーレーザー社製IFRITを用い、波長800nm、パルス幅180fs、パルスエネルギー最大1000μJ、周波数1kHzのレーザパルスを直線偏光制御し、焦点距離f=2000mmの放物鏡で集光し、250mW〜410mWのレーザ出力で大気中の摺動材表面に垂直に照射した。レーザパルスのスポット径は500μmであった。レーザパルスのフルーエンスをアブレーション閾値近傍の0.1J/cm2〜0.16J/cm2に設定し、毎秒1000パルスでレーザパルスを照射しながらステージ移動速度を調整することで照射動作を調整した。そして、副走査方向のずらし量を60μmに設定した。照射範囲は、7mm×3.5mmとした。
【0033】
図3及び図4は、原子間力顕微鏡によりDLC膜表面の加工前及び加工後の状態を観察した撮影写真である。加工前のDLC膜表面には、図3に示すように、多数の凹凸が形成されていることがわかる。また、加工後のDLC膜表面には、図4に示すように、偏光方向と直交する方向に直線状の溝が周期的に形成された微細構造となっていることがわかる。
【0034】
図5は、レーザパルスの照射面をラマン分光測定装置(日製エレクトロニクス株式会社製LABRAM、レーザースポット径2μm)で測定した結果を示すグラフであり、グラフでは、縦軸にラマンスペクトルの強度をとり、横軸にはその波数をとっている。このグラフをみると、1355cm-1付近及び1590cm-1付近に強いピークが観測されていることがわかる。
【0035】
一般に、グラファイトをラマン分光測定装置で測定すると、sp3結合に基づく1590cm-1付近に強いピークが観測されることが知られている。また、ガラス状炭素については、1590cm-1付近のピークの他にsp2結合に基づく1355cm-1付近のピークが観測され、1355cm-1の方がピーク強度が大きくなることが知られている。ラマンスペクトルのこうしたピーク特性を分析することで、レーザパルスの照射により形成された改質層の特性を分析することが可能となる。
【0036】
そこで、改質層の特性を、sp2結合に基づいて1355cm-1に現れるラマン散乱ピーク強度(ID)及びsp3結合に基づいて1590cm-1に現れるラマン散乱ピーク強度(IG)の強度比(ID/IG)(以下「ラマン強度比」という。)に着目して分析を行った。
【0037】
図6は、照射するレーザパルスのフルーエンスとその照射表面のラマン強度比をプロットしたグラフであり、縦軸にラマン強度比をとり、横軸にフルーエンスをとっている。このグラフをみると、フルーエンスが大きくなるに従いラマン強度比が大きくなっており、改質層の表面では、sp3結合に対してsp2結合の割合が増加していることがわかる。このグラフからフルーエンスFとラマン強度比との間の関係を示す近似曲線をあらわす関係式は、以下の通りとなる。
(ID/IG)=0.671×exp(3.320×F)・・・(式1)
【0038】
図7は、照射面のラマン強度比及び硬度H(インデンテーション硬さ)の測定結果をプロットしたグラフであり、縦軸に硬度(単位;GPa)をとり、横軸にラマン強度比をとっている。照射面の硬度Hの測定には、微小硬度計(エリオニクス社製超微小押込み硬さ試験機ENT−1100)を用い、超微小荷重を連続的に変化させてダイヤモンド圧子を試料に押し込むときに得られる負荷除荷曲線を解析して硬度Hを測定した。このグラフをみると、照射表面のラマン強度比が大きくなるに従い照射面の硬度Hが低減することがわかる。このグラフからラマン強度比と硬度Hとの間の関係を示す近似曲線をあらわす関係式は、以下の通りとなる。
H=303.8×exp{−4.3×(ID/IG)}・・・(式2)
以上の分析結果に基づけば、レーザパルスを照射することでDLC膜よりもラマン強度比が大きく硬度の低い改質層が形成され、照射するレーザパルスのフルーエンスを調整することで改質層の硬度を調整できることがわかる。そして、式1及び式2を用いれば、照射するレーザパルスのフルーエンスからDLC膜表面の硬度を定量的に算出することができる。
【0039】
図8は、レーザパルスを照射したDLC膜について深さ方向のラマン強度比を測定した結果を示すグラフであり、縦軸にラマン強度比をとり、横軸に深さ(単位;μm)をとっている。照射するレーザパルスのフルーエンスは、0.10J/cm2、0.12J/cm2、0.14J/cm2に設定してそれぞれの場合について測定した。ラマン分光測定については、DLC膜を深さ方向とは傾斜した方向に切除し、傾斜面に沿って所定の深さに対応する位置で測定を行った。
【0040】
このグラフをみると、改質層では深くなるに従いラマン強度比が減少し、照射するレーザパルスのフルーエンスが大きくなるに従いラマン強度比の深さ方向の推移を示す近似曲線の傾きが小さくなることがわかる。
【0041】
図9は、図8に示すラマン強度比から式2を用いて深さ方向の硬度Hを算出した結果を示すグラフであり、縦軸に硬度Hをとり、横軸に深さをとっている。このグラフをみると、レーザパルスの照射により形成された改質層は、照射表面にいくに従い硬度が低減していることがわかる。そして、フルーエンスが大きくなるに従いDLC膜の深い位置まで硬度がDLCよりも低下した領域が形成されるようになり、フルーエンスにより改質層の層厚を調整できることがわかる。
【0042】
次に、ブロック・オン・リング試験装置(神鋼造機株式会社製SZ−FT−95B)を用いてDLC膜の摺動試験を行った。図10は、摺動試験に関する概略説明図である。ブロック・オン・リング試験では、摺動材MのDLC膜が形成された摺動面をリングRの外周面に当接させ、リングRの回転中心軸Oに向かって当接面に対して直交方向に荷重Fを摺動材Mに加えて摺動面をリングRの外周面に圧接させた状態に設定する。リングRは、ニッケルモリブデン鋼(AISI4620)等の高硬度の金属材料からなり、直径35mmで外周の幅が8.7mmに設定されている。
【0043】
摺動材Mとして摺動面に厚さ約4μmのDLC膜を形成したものを複数個準備し、一部の摺動材Mには図1に示す加工装置によりフルーエンス0.14J/cm2でレーザパルスを照射して表面加工を行い、DLC膜の表面に改質層を形成した。
【0044】
そして、荷重Fとして10Nを摺動材Mに加えながらすべり速度(リングRの外周面の周速度)1.1m/秒でリングRを回転動作させて、試験距離5kmで摺動試験を行った。図11及び図12は、レーザ照射により表面加工していない場合及び表面加工した場合の摺動材Mの摺動面の断面形状を測定したグラフである。表面加工していない場合には、図11に示すように、リングRの外周面に沿って湾曲形状に最大約3μmの深さまで摩耗しており、部分的にDLC膜が除去された状態となっている。表面加工した場合には、図12に示すように、リングRの外周面に沿って摩耗しているが、最大約0.2μmの深さまで摩耗しており、表面加工していない場合に比べて摩耗量が1/10以下になっていることがわかる。
【0045】
このように摺動面に形成したDLC膜の表面にDLC膜よりも低硬度の改質層を形成することで、少ない摩耗量で低摩擦のなじんだ状態に設定することができる。そのため、DLC膜の膜厚が薄い場合でも摺動面にDLC膜が摩耗せずに残留して安定した摺動動作を行うことができる。そして、DLC膜の膜厚を薄くすることができるので、精密加工された摺動面の精度を低下させることなく摺動材を形成することが可能となる。
【0046】
レーザパルスの照射により形成される改質層は、例えば、上述のブロック・オン・リング試験で試験距離30kmでの摩耗痕におけるラマン強度比に相当する硬度となる深さまでをその層厚と定義することができる。試験距離30kmでの摩耗痕では改質層が確実に除去されてDLC膜が露出するので、摩耗痕での硬度はDLC膜の硬度とみなすことができ、その硬度より低い領域が改質層となる。こうした改質層の定義に従えば、図9に示す硬度の近似曲線から改質層の層厚を定量的に算出することが可能となる。図13は、照射するレーザパルスのフルーエンスと改質層の層厚との間の関係を示すグラフである。このグラフをみると、フルーエンスが大きくなるに従い改質層の層厚が大きくなっているのがわかる。このグラフからフルーエンスFと層厚Tとの間の関係を示す近似曲線をあらわす関係式は、以下の通りとなる。
T=0.0021×exp(42.34×F)・・・(式3)
式3を用いることで、照射するレーザパルスのフルーエンスに基づいて改質層の層厚を定量的に調整することができる。
【0047】
以上説明したように、摺動材の摺動面に形成したDLC膜にレーザパルスを照射してDLC膜よりも低硬度の改質層を形成する場合、照射するレーザパルスのフルーエンスを調整することで改質層の硬度及び層厚を調整することができるので、被摺動面の硬度や表面状態等の特性に応じて改質層を設定して最小限の摩耗量で摺動材を低摩擦のなじんだ状態で摺動動作を行うようにすることが可能となる。
【0048】
また、改質層では表面にいくに従い低硬度となるように硬度が変化するので、被摺動面の硬度に応じて改質層が摩耗するようになり、被摺動面の表面状態にほとんどダメージを与えることがないため、摺動面及び被摺動面が傷つけ合うことなく摺接して良好なトライボロジー特性を実現することができる。
【符号の説明】
【0049】
M 摺動材
1 パルスレーザシステム
2 シャッタ
3 レーザ制御ユニット
4 反射ミラー
5 反射ミラー
6 凹面反射鏡
7 3軸ステージ
8 制御装置

【特許請求の範囲】
【請求項1】
摺動面に形成されたDLC膜にパルスレーザを照射して、表面にいくに従い硬度が低減するとともに前記DLC膜よりも硬度が低い改質層を形成することを特徴とする摺動材の表面加工方法。
【請求項2】
前記改質層は、ラマン分光測定において、sp2結合に基づいて1355cm-1に現れるラマン散乱ピーク強度(ID)及びsp3結合に基づいて1590cm-1に現れるラマン散乱ピーク強度(IG)の強度比(ID/IG)が表面にいくに従い大きくなるように形成されることを特徴とする請求項1に記載の摺動材の表面加工方法。
【請求項3】
前記パルスレーザとしてフェムト秒レーザを用い、0.1J/cm2〜0.16J/cm2のフルーエンスで照射することを特徴とする請求項1又は2に記載の摺動材の表面加工方法。
【請求項4】
摺動面にDLC膜が形成された摺動材であって、前記DLC膜には、表面にいくに従い硬度が低減するとともに前記DLC膜よりも硬度が低い改質層が形成されていることを特徴とする摺動材。
【請求項5】
前記改質層は、ラマン分光測定において、sp2結合に基づいて1355cm-1に現れるラマン散乱ピーク強度(ID)及びsp3結合に基づいて1590cm-1に現れるラマン散乱ピーク強度(IG)の強度比(ID/IG)が表面にいくに従い大きくなるように形成されていることを特徴とする請求項4に記載の摺動材。

【図1】
image rotate

【図2】
image rotate

【図5】
image rotate

【図6】
image rotate

【図7】
image rotate

【図8】
image rotate

【図9】
image rotate

【図10】
image rotate

【図11】
image rotate

【図12】
image rotate

【図13】
image rotate

【図3】
image rotate

【図4】
image rotate


【公開番号】特開2011−168845(P2011−168845A)
【公開日】平成23年9月1日(2011.9.1)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2010−34316(P2010−34316)
【出願日】平成22年2月19日(2010.2.19)
【出願人】(503360115)独立行政法人科学技術振興機構 (1,734)
【出願人】(504145320)国立大学法人福井大学 (287)
【出願人】(391015638)アイテック株式会社 (16)
【出願人】(000146087)株式会社松浦機械製作所 (40)
【出願人】(592029256)福井県 (122)
【Fターム(参考)】