説明

撥水性制御剤および新規ジアリールエテン化合物

【課題】表面に塗布することによって光照射のみで可逆的に物品の表面の濡れ性を変化させることができる、撥水性制御剤を提供する。
【解決手段】光照射により可逆的な構造変化を起こすジアリールエテン化合物を含有し、光照射によって被塗布面の撥水性を可逆的に変化させることを特徴とする撥水性制御剤とする。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、物品の表面に塗布し、塗布面に光照射することによって、可逆的に塗布面の撥水性を変化させることができる、撥水性制御剤とその利用、および該撥水性制御剤に好適な新規ジアリールエテン化合物に関する。
【背景技術】
【0002】
表面科学の蓄積により、これまで経験的に固体表面の濡れ性に関する多くの研究例が報告されてきた。今日までの主な成果は非特許文献1などの文献に詳しい。従来の撥水性表面の設計思想は、できるだけ水と相溶性のない油性成分を持つ薬剤を塗布するか、あるいは、ロータス効果に代表される表面のミクロ構造に工夫を凝らすか、の2つの要素を別々に、あるいはあわせて用いることであった。したがって、一旦その撥水性表面が形成されると撥水性を変化させることは困難であった。
【0003】
表面の撥水性を変化させる技術としては、特許文献1に、アゾベンゼン誘導体等のフォトクロミック化合物を物品に塗布し、光照射することによって水に対する接触角を変化させることが開示されている(請求項1〜26参照)。
【0004】
しかしながら、特許文献1で使用されているフォトクロミック化合物は、一旦光照射による撥水性の変化、すなわち分子の構造変化が起きると、光照射のみでは可逆的に元の構造には戻らないため、元の構造に戻すために酸塩基反応あるいは加熱操作といった手助けが必要であった(請求項13等)。酸塩基反応や加熱は、操作が煩雑であるだけでなく、物品やフォトクロミック化合物自体の劣化をもたらすため、酸塩基反応や加熱を用いて構造を繰り返し変化させることは現実的ではない。さらに、アゾベンゼンのように熱によって元の構造に戻る性質を有する化合物は、熱がかかる用途に使用できないばかりか、経時で自然に構造が変化しやすいため、撥水性を完全に制御することは困難である。そのため、簡易かつ確実に、可逆的に表面の濡れ性を制御することのできる技術が求められていた。
【0005】
また、フォロクロミック化合物としてジアリールエテン化合物が利用できることは当業者にとって周知であり、その具体的構造は例えば特許文献2に例示されている。そしてジアリール基上の置換基を変更する検討がなされ、それによってフォトクロミック材料としての性能が改善されてきている。具体的なフォトクロミック材料としては、例えば引用文献3に、特定のジアリールエテン化合物をポリスチレン樹脂とともにトルエンに溶解し、それを支持体上に塗布した実施例が開示されている。しかしこれらはカラー線量計としての用途しか想定しておらず、ジアリールエテン化合物を撥水材料として利用することは開示も示唆もされていない。
【非特許文献1】J.N.イスラエルチビリ著、近藤保・大島広行訳、分子間力と表面力、朝倉書店、1996年10月
【特許文献1】特開平10−114888号公報
【特許文献2】特開2004−91638号公報
【特許文献3】特開2003−64353号公報
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
本発明は上述の実情に鑑みてなされたものであって、表面に塗布することによって光照射のみで可逆的に物品の表面の濡れ性を変化させることができる、撥水性制御剤を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0007】
本発明者らは、上記課題を解決すべく鋭意検討した結果、フォトクロミック化合物であるジアリールエテン化合物を撥水性制御剤に用いることで、光刺激のみによって可逆的に撥水性の変化を示す表面を形成できることを見出した。また、ジアリールエテン化合物を検討する中で、新規なジアリールエテン化合物を見出し、それらを撥水性制御剤に用いると、ジアリールエテン化合物の中でも特に大きな撥水性の変化を示すことも見出した。
【0008】
かくして本発明の第一の態様は、光照射により可逆的な構造変化を起こすジアリールエテン化合物を含有し、光照射によって被塗布面の撥水性を可逆的に変化させることを特徴とする撥水性制御剤を提供して前記課題を解決するものである。
【0009】
この発明によれば、光照射のみによって被塗布面の撥水性を可逆的に変化させることができる塗料を提供することができる。
【0010】
この態様において、前記ジアリールエテン化合物は、下記一般式(I)で表される化合物であることが好ましい。
【0011】
【化1】

(一般式(I)において、RおよびRは、各々独立に、鎖状もしくは環状のアルキル基、またはアルコキシ基を表す。X、X、YおよびYは、各々独立に、下記一般式(a)〜(h)のいずれかで示される置換基を表す。)
【0012】
【化2】

(一般式(a)において、Rは、水素原子、置換されていてもよい鎖状もしくは環状のアルキル基、または置換されていてもよいアリール基を表し、一般式(h)において、Rは、水素原子、置換されていてもよい鎖状または環状のアルキル基を表す。一般式(I)における環Dは、X、Yおよびこれらと結合する2つの炭素原子と共に形成された、置換されていてもよい5員環または6員環の芳香族環を表し、環Eは、X、Yおよびこれらと結合する2つの炭素原子と共に形成された、置換されていてもよい5員環または6員環の芳香族環を表す。)
【0013】
さらに、この態様において、ジアリールエテン化合物は、下記一般式(Ia)で表される化合物であることがより好ましい。
【0014】
【化3】

(一般式(Ia)において、D’およびE’は、各々独立に、下記一般式(m)または(n)のいずれかで示される置換基を表す。)
【0015】
【化4】

(一般式(m)および一般式(n)において、R11、R14は、鎖状または環状のアルキル基を表し、一般式(m)におけるR12およびR13のどちらか一方の基と、一般式(n)におけるR15およびR16のどちらか一方の基がシリル基であり、それぞれ他方の基が、水素原子、置換されていてもよい鎖状もしくは環状のアルキル基、または置換されていてもよいアルコキシ基を表す。)
【0016】
さらに、この態様において、撥水性制御剤は、有機ワックスをさらに含有することが好ましい。
【0017】
このようにすることによって、より塗布性に優れた塗料とすることができる。
【0018】
本発明の第二の態様は、請求項1〜4のいずれか1項に記載の撥水性制御剤が表面に塗布された基材を提供して前記課題を解決するものである。
【0019】
この発明によれば、光照射のみによって表面の撥水性が可逆的に変化する材料を提供することができる。
【0020】
本発明の第三の態様は、請求項5に記載の基材の前記撥水性制御剤が塗布された表面に、部分的に光照射することで、光照射部位と非照射部位に撥水性の高低によるパターンを形成したことを特徴とする画像パターン形成用材料を提供して前記課題を解決するものである。
【0021】
この発明によれば、撥水性の高低によるパターンを有し、また光照射のみによって可逆的にパターンの形成および消去が可能な画像パターン形成用材料を提供することができる。
【0022】
本発明の第四の態様は、請求項6に記載の画像パターン形成用材料の前記パターンを流路として使用することを特徴とする微小化学反応装置を提供して前記課題を解決するものである。
【0023】
この発明によれば、光照射のみによって可逆的に流路の形成および消去が可能な微小化学反応装置を提供することができる。
【0024】
本発明の第五の態様は、請求項6に記載の画像パターン形成用材料の前記パターンの、撥水性が低い方の部位に導電性を有する液体もしくは粘性流体を載せることにより形成される微細電気回路を提供して前記課題を解決するものである。
【0025】
この発明によれば、光照射のみによって可逆的に回路の形成および消去が可能な微細電気回路を提供することができる。
【0026】
本発明の第六の態様は、請求項1〜4のいずれかに記載の撥水性制御剤が塗布された基材表面に対し光照射することによって、当該基材表面の撥水性を変化させることを特徴とする撥水性の制御方法を提供して前記課題を解決するものである。
【0027】
この発明によれば、光照射のみによって可逆的に基材表面の撥水性を変化させる方法を提供することができる。
【0028】
本発明の第七の態様は、下記一般式(Ia)で表されるジアリールエテン化合物を提供して前記課題を解決するものである。
【0029】
【化5】

(一般式(Ia)において、D’およびE’は、各々独立に、下記一般式(m)または(n)のいずれかで示される置換基を表す。)
【0030】
【化6】

(一般式(m)および一般式(n)において、R11、R14は、鎖状または環状のアルキル基を表し、一般式(m)におけるR12およびR13のどちらか一方の基と、一般式(n)におけるR15およびR16のどちらか一方の基がシリル基であり、それぞれ他方の基が、水素原子、置換されていてもよい鎖状もしくは環状のアルキル基、または置換されていてもよいアルコキシ基を表す。)
【0031】
この発明によれば、撥水性制御剤用として好適な新規ジアリールエテン化合物を提供することができる。
【発明の効果】
【0032】
本発明によれば、物品や構造物の表面に塗布するだけで、その表面の撥水性を光照射のみによって可逆的に変化させることのできる塗料である撥水性制御剤を提供することができる。この撥水性制御剤を基材に塗布した材料は、撥水性の高低による画像パターン形成用材料として、印刷スタンプ材料、マスキング材料、リソグラフィー材料に、あるいは微小化学反応装置や微細電気回路等として有用である。また、本発明によれば、撥水性制御剤に好適な新規ジアリールエテン化合物も提供される。この化合物は、光照射によって特殊な結晶構造の変化を起こすため、他のジアリールエテン化合物に比べて撥水性の変化が大きく、撥水性制御剤用のジアリールエテン化合物として特に優れている。本発明のこのような作用および利得は、次に説明する発明を実施するための最良の形態から明らかにされる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0033】
本発明の撥水性制御剤は、光照射により可逆的な構造変化を起こすフォトクロミック化合物であるジアリールエテン化合物を主成分とする塗料であり、物品や構造物の表面に塗布することによって、被塗布面の撥水性を光照射によって可逆的に変化させることができるものである。なお、本明細書において、「塗布」には、「蒸着」の概念も含まれるものとする。以下、撥水性制御剤およびジアリールエテン化合物について詳細に説明する。
【0034】
本発明の撥水性制御剤に用いられるジアリールエテン化合物は、光によって可逆的に構造異性化を起こすフォトクロミック化合物である。本発明で用いられるジアリールエテン化合物としては、下記一般式(I)で示される化合物であることが好ましい。
【0035】
【化7】

【0036】
一般式(I)において、RおよびRは、各々独立に、メチル基、エチル基、プロピル基、ブチル基などの置換されていてもよい鎖状(直鎖であっても分岐であってもよい)または環状のアルキル基;メトキシ基、エトキシ基、プロポキシ基、ブトキシ基などの置換されていてもよいアルコキシ基である。なお、「置換されていてもよい」における「置換基」としては、フッ素原子、塩素原子などのハロゲン原子、または炭素数1〜6のアルコキシ基などが挙げられる。好ましくは、RおよびRは、炭素数1〜4のアルキル基またはアルコキシ基であり、特に好ましくは炭素数1〜3のアルキル基またはアルコキシ基である。
【0037】
一般式(I)において、X、X、YおよびYは、各々独立に、下記一般式(a)〜(h)のいずれかで示される置換基を表す。
【0038】
【化8】

【0039】
一般式(a)において、Rは、水素原子、置換されていてもよい鎖状または環状のアルキル基または置換されていてもよいアリール基を表し、一般式(h)において、Rは、水素原子または置換されていてもよい鎖状または環状のアルキル基を表す。R、Rにおけるアルキル基、アルコキシ基の具体例はRおよびRと同義であり、好ましい置換基も同じである。アリール基としては、フェニル基、ナフチル基、チオフェン基、インドール基などの置換されていてもよいアリール基(ヘテロアリール基を含む)が挙げられる。なお、アリール基に置換されていてもよい置換基としては、フッ素原子、塩素原子などのハロゲン原子、または炭素数1〜6のアルキル基、または炭素数1〜6のアルコキシ基などが挙げられる。
【0040】
一般式(I)における環Dは、X、Yおよびこれらと結合する2つの炭素原子と共に形成された、置換されていてもよい5員環または6員環の芳香族環を表し、環Eは、X、Yおよびこれらと結合する2つの炭素原子と共に形成された、置換されていてもよい5員環または6員環の芳香族環を表す。
【0041】
環Dおよび環Eとしては、具体的には、ピロール環、チオフェン環、フラン環またはセレノフェン環を有する単環または縮合環の芳香環であることが繰り返し耐久性に優れている点で好ましく、さらには下記一般式(i)〜(l)のいずれかで表される含硫黄芳香環であることが好ましい。
【0042】
【化9】

【0043】
上記一般式(i)〜(l)で表される部分構造において、*は一般式(I)のヘキサフルオロペンテン基の炭素との結合を表し、**はRまたはRとの結合を表し、R、R、RおよびRとしては、水素原子;メチル基、エチル基、プロピル基、ブチル基、t−アミル基、t−ヘキシル基などの炭素数1〜10の置換されていてもよい鎖状(直鎖であっても分岐であってもよい)または環状のアルキル基;メトキシ基、エトキシ基、ブトキシ基、t−ヘキシルオキシ基などの炭素数1〜10の置換されていてもよいアルコキシ基;トリメチルシリル基、ジメチルエチルシリル基、トリエチルシリル基等のシリル基等が挙げられる。なお、「置換されていてもよい」置換基としては、フッ素原子、塩素原子などのハロゲン原子、炭素数1〜6のアルコキシ基などが挙げられる。
【0044】
およびR10としては、水素原子;t−ブチル基、t−アミル基、t−ヘキシル基、シクロヘキシル基などの第3級または第4級炭素原子を有する炭素数4〜8個の鎖状(直鎖であっても分岐であってもよい)または環状のアルキル基;トリフルオロメチル基、テトラフルオロエチル基、パーフルオロエチル基、パーフルオロプロピル基、ジ(トリフルオロメチル)フェニルメチル基などのフッ素原子および/またはフェニル基で置換された炭素数1〜10のアルキル基;ビニル基、メチルビニル基、メチルエチルビニル基などの炭素数4〜8個のアルケニル基;トリフルオロメチルジフェニルビニル基、ジフェニルビニル基などのフッ素原子および/またはフェニル基で置換された炭素数2〜15のアルケニル基;t−ブトキシ基、t−アミルオキシ基、t−ヘキシルオキシ基などの第3級または第4級炭素原子を有する、炭素数4〜8個のアルコキシ基;トリフルオロメトキシ基、テトラフルオロエトキシ基、パーフルオロエトキシ基、パーフルオロプロピル基、ジ(トリフルオロメチル)フェニルメトキシ基などの、フッ素原子および/またはフェニル基で置換された、炭素数1〜15のアルコキシ基;t−ブチルチオ基、t−アミルチオ基、t−ヘキシルチオ基などの、第3級または第4級炭素原子を有する、炭素数4〜8個のアルキルチオ基;トリフルオロメチルチオ基、テトラフルオロエチルチオ基、ペンタフルオロエチルチオ基、パーフルオロプロピルチオ基、ジ(トリフルオロメチル)フェニルメチルチオ基などのフッ素原子および/またはフェニル基で置換された炭素数1〜10のアルキルチオ基;フェニル基、ナフチル基、チオフェン基、インドール基などの置換されていてもよいアリール基(ヘテロアリール基を含む);フェノキシ基、ナフトキシ基などの置換されていてもよいアリールオキシ基;チオフェンオキシ基、インドールオキシ基などの置換されていてもよいヘテロアリールオキシ基;フェニルチオ基、ナフチルチオ基などの置換されていてもよいアリールチオ基;チオフェンチオ基、インドールチオ基などの置換されていてもよいヘテロアリールチオ基;などが挙げられる。なお、アリール基(ヘテロアリール基を含む)、すなわち、(ヘテロ)アリール基、(ヘテロ)アリールオキシ基、(ヘテロ)アリールチオ基に対する、「置換されていてもよい」における置換基としては、フッ素原子、塩素原子などのハロゲン原子、または炭素数1〜6アルキル基、または炭素数1〜6のアルコキシ基などが挙げられる。
【0045】
本発明においては、撥水性制御剤に含まれるジアリールエテン化合物としては、一般式(Ia)で表される構造であることが特に好ましい。これらは、光照射による分子構造の変化に伴って、特殊な結晶構造の変化が起こるため(後述する)、他のジアリールエテン化合物に比べて光照射による撥水性の変化が大きい。
【0046】
【化10】

【0047】
一般式(Ia)において、D’およびE’は、各々独立に、下記一般式(m)または(n)のいずれかで示される置換基を表す。
【0048】
【化11】

【0049】
一般式(m)および一般式(n)において、R11、R14は、メチル基、エチル基、プロピル基、ブチル基などの置換されていてもよい鎖状(直鎖であっても分岐であってもよい)または環状のアルキル基を表し、一般式(m)におけるR12およびR13のどちらか一方の基と、一般式(n)におけるR15およびR16のどちらか一方の基が、トリメチルシリル基、ジメチルエチルシリル基、トリエチルシリル基等のシリル基であり、それぞれの一般式における他方の基が、水素原子;メチル基、エチル基、プロピル基、ブチル基、t−アミル基、t−ヘキシル基などの炭素数1〜10の置換されていてもよい鎖状(直鎖であっても分岐であってもよい)または環状のアルキル基;メトキシ基、エトキシ基、ブトキシ基、t−ヘキシルオキシ基などの炭素数1〜10の置換されていてもよいアルコキシ基を表す。
【0050】
上述のジアリールエテン化合物は、それ単独で、あるいは他の材料と混合されて、撥水性制御剤とされる。蒸着で塗布する場合にはフォトクロミック材料のみから構成されていてもよいし、基板に溶液塗布するような場合には、適宜溶媒と混合される。また、耐久性、塗布性等の観点からは、有機ワックスを含有していてもよい。使用される有機溶剤としては、芳香族炭化水素系溶剤、エステル系溶剤、ケトン系溶剤、アルコ−ル系溶剤、エ−テル系溶剤等が例示でき、また有機ワックスとしては、パラフィンワックス等の石油系ワックスやポリエチレンワックスなどの合成ワックス等、公知のものを制限なく使用することができる。また、撥水性制御剤には、ジアリールエテン化合物の物性を損なわない範囲で色素、バインダー等、適宜他の添加剤を添加してもよい。しかし、撥水性制御剤により形成された皮膜に、光照射による撥水性の変化を十分発現させるためには、分子の濡れに関与した分極などの電子的特性の変化が大きい方が好ましいことから、ジアリールエテン化合物の存在密度が高く、εが大きい方が好ましい。具体的には、通常、撥水性制御剤は、揮発性成分を除き、80質量%以上、さらには90質量%以上のジアリールエテン化合物を含有することが好ましい。特には、実質的にフォトクロミック材料のみから形成され、各種添加剤を実質的に含まないことが好ましい。
【0051】
撥水性制御剤は、基材となる撥水性を制御したい任意の物品あるいは構造物に塗布され、表面に皮膜を形成する。塗布方法に制限はなく、公知の任意の手法を用いることができる。塗布後、溶媒等の揮発成分がある場合には乾燥させる。得られる皮膜は結晶性であってもアモルファスであってもよい。こうして基材上に形成された皮膜は、光によって可逆的に撥水性が変化する性質を示す。
【0052】
光照射による皮膜の撥水性の変化は、皮膜の主成分であるジアリールエテン化合物の構造の変化によるものである。フォトクロミック化合物であるジアリールエテン化合物は、例えば一般式(I)の構造の化合物においては、下記反応式のように、紫外光および可視光を照射することによって、開環体(I)と閉環体(II)の構造の間で可逆的に変化する。この際に、光異性化に伴う分子の電子状態変化に起因する分極やダイポールモーメントの変化、それに伴って起こる分子レベルのミクロ構造の再構成、微細核発生など、表面微細形状の変化が生じることで、皮膜の撥水性が変化する。
【0053】
【化12】

【0054】
ジアリールエテン化合物は、紫外光を照射することによって撥水性が大きい閉環体(II)に変化し、可視光を照射することによって撥水性が小さい開環体(I)に変化する。構造が変化するために必要な光の波長は、それぞれのジアリールエテン化合物に固有の値であり、使用する化合物毎に異なるため、照射する光は、撥水性制御剤に使用されるフォトクロミック化合物に応じて適宜決定される。通常、紫外光としては波長200〜440nm程度の波長、可視光としては波長450〜750nm程度の波長、の光を照射することによって、構造を変化させる。
【0055】
上述の一般式(Ia)で表されるジアリールエテン化合物により形成された皮膜においては、ジアリールエテン化合物は開環体(I)の時は平滑な結晶面である一方、閉環体(II)に変化すると、皮膜面から針状に結晶が成長し、平滑な結晶面が消失する。つまり、一般式(Ia)で表されるジアリールエテン化合物は、結晶単位でその構造が大きく変化するため、これを用いると特に撥水性の変化が大きい撥水性制御剤とすることができる。
【0056】
本発明の撥水性制御剤から得られる皮膜の代表的な用途としては、画像パターン形成用材料が挙げられる。これは、形成された皮膜の任意の部分に可視光あるいは紫外光を照射して、光照射部位と非照射部位に撥水性の高低による差違を形成し、基板上に撥水性の相違によるパターンを形成したものである。形成したパターンは、可視光あるいは紫外光を全面に照射した後、再び可視光あるいは紫外光を部分的にすることによって、何度もパターンを消去および再形成することができる。この画像パターン形成用材料は、印刷スタンプ材料、マスキング材料、およびリソグラフィー材料として利用することができる。
【0057】
また、この画像パターン形成用材料は、パターンの撥水性が低い方の部位を微量試料が流動する通路もしくは孔とした微小化学反応装置(マイクロリアクター)用基板とすることができる。この微小化学反応装置用基板に蓋またはシールをして液漏れを防ぐことにより、微小化学反応装置とされる。微小化学反応装置は、微小なチップの表面に溝や孔を形成し、その溝や孔における分離、濃縮または反応等を利用して、微小領域中で微量試料の分析や反応を行うものである。微小化学反応装置においては、その目的に応じて試料のサンプリング部、成分の異なる液体の合流部、希釈部、濃縮部、反応部、分離部、検出部等を適宜設計・配置する必要があるが、本発明の撥水性制御剤を用いることにより、光照射によって簡単かつ自在にこれらの配置を変更することが可能となる。
【0058】
さらに、微小化学反応装置用基板と同様に、画像パターン形成用材料のパターンの撥水性が低い方の部位に、導電性を有する液体もしくは粘性流体を載せることによって、微細電気回路とすることもできる。なお、本明細書において、「微細電気回路」には、実際の装置として使用する微細電気回路のみならず、微細電気回路の模擬装置である微細電気回路シミュレータも包含されるものとする。特に、本発明においては、光照射によって簡単に回路を変更することができることから、様々な回路を検討するための微細電気回路シミュレータとして、好適に用いることができる。
【実施例1】
【0059】
以下に実施例を挙げて本発明をより具体的に説明するが、本発明はその要旨を超えない限り、以下の実施例に限定されるものではない。
【0060】
下記構造式で示される1,2−ビス(2−メトキシ−5−トリメチルシリルチエン−3−イル)パーフルオロシクロペンテン(1a)を20.2mg量り取り、クロロホルム0.2mlに溶解させた。それらの溶液をピペットで走査型電子顕微鏡(SEM)用サンプル台(真鋳製、直径10mm、高さ10mm)の上に(2、3滴)落とし、室温で溶媒を蒸発させることによって結晶化した膜を作製した。同じ手順でもう1つ膜を作製し、そのうちの1つに紫外光を10分間照射することによって、膜中の開環体(1a)を閉環体(1b)に変換した。紫外光の照射によって無色だった膜は青色に変色した。
【0061】
【化13】

【0062】
紫外光を照射しなかった方の膜の走査型電子顕微鏡(SEM)画像を図1に、紫外光を照射した方の膜のSEM画像を図2に示す。紫外光を照射しなかった方の膜は、平滑な表面を有する結晶からなる膜であった。一方、紫外光を照射した方の膜では、紫外光を照射後5分すると平滑だった結晶の表面から針状に無数の細かい結晶が成長し始め、4、5時間で結晶表面全体を覆う毛のような構造物となった(図2)。この毛のような構造は、膜に可視光を照射することによって、膜の色が無色に戻るとともに消失することがSEM観察によって確認された。
【0063】
このような表面の形状変化に伴う水に対する濡れ性を、水を落とした際の接触角を測定することによって調べた。その様子を図3に示す。その結果、紫外光を照射しなかった方の膜(開環体1a、図3(a))に水を落とした時の接触角は120°であったのに対し、紫外光を照射した方の膜(閉環体1b、図3(b))に水を落とした時の接触角は163°と、表面が超撥水性に変化した。さらに、接触角が163°である紫外線を照射した方の膜にさらに可視光を照射すると、接触角は120°に戻り、光照射によって膜の撥水性が可逆的に制御できることが確認された。
【0064】
以上、現時点において、最も実践的であり、かつ、好ましいと思われる実施形態に関連して本発明を説明したが、本発明は、本願明細書中に開示された実施形態に限定されるものではなく、請求の範囲および明細書全体から読み取れる発明の要旨あるいは思想に反しない範囲で適宜変更可能であり、そのような変更を伴う撥水性制御剤もまた本発明の技術的範囲に包含されるものとして理解されなければならない。
【図面の簡単な説明】
【0065】
【図1】実施例で作成した、開環体(1a)からなる膜の偏光顕微鏡写真(500倍)である。
【図2】実施例で作成した、閉環体(1b)からなる膜の偏光顕微鏡写真(500倍)である。
【図3】実施例で作成した膜の、水に対する撥水性の変化の様子を表す写真である。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
光照射により可逆的な構造変化を起こすジアリールエテン化合物を含有し、光照射によって被塗布面の撥水性を可逆的に変化させることを特徴とする撥水性制御剤。
【請求項2】
前記ジアリールエテン化合物が下記一般式(I)で表される請求項1に記載の撥水性制御剤。
【化1】

一般式(I)において、RおよびRは、各々独立に、鎖状もしくは環状のアルキル基、またはアルコキシ基を表す。X、X、YおよびYは、各々独立に、下記一般式(a)〜(h)のいずれかで示される置換基を表す。
【化2】

一般式(a)において、Rは、水素原子、置換されていてもよい鎖状もしくは環状のアルキル基、または置換されていてもよいアリール基を表し、一般式(h)において、Rは、水素原子、置換されていてもよい鎖状または環状のアルキル基を表す。
一般式(I)における環Dは、X、Yおよびこれらと結合する2つの炭素原子と共に形成された、置換されていてもよい5員環または6員環の芳香族環を表し、環Eは、X、Yおよびこれらと結合する2つの炭素原子と共に形成された、置換されていてもよい5員環または6員環の芳香族環を表す。
【請求項3】
前記ジアリールエテン化合物が下記一般式(Ia)で表される請求項1に記載の撥水性制御剤。
【化3】

一般式(Ia)において、D’およびE’は、各々独立に、下記一般式(m)または(n)のいずれかで示される置換基を表す。
【化4】

一般式(m)および一般式(n)において、R11、R14は、鎖状または環状のアルキル基を表し、一般式(m)におけるR12およびR13のどちらか一方の基と、一般式(n)におけるR15およびR16のどちらか一方の基がシリル基であり、それぞれ他方の基が、水素原子、置換されていてもよい鎖状もしくは環状のアルキル基、または置換されていてもよいアルコキシ基を表す。
【請求項4】
有機ワックスをさらに含有する、請求項1〜3のいずれか1項に記載の撥水性制御剤。
【請求項5】
請求項1〜4のいずれか1項に記載の撥水性制御剤が表面に塗布された基材。
【請求項6】
請求項5に記載の基材の前記撥水性制御剤が塗布された表面に、部分的に光照射することで、光照射部位と非照射部位に撥水性の高低によるパターンを形成したことを特徴とする画像パターン形成用材料。
【請求項7】
請求項6に記載の画像パターン形成用材料の前記パターンを流路として使用することを特徴とする微小化学反応装置。
【請求項8】
請求項6に記載の画像パターン形成用材料の前記パターンの、撥水性が低い方の部位に導電性を有する液体もしくは粘性流体を載せることにより形成される微細電気回路。
【請求項9】
請求項1〜4のいずれかに記載の撥水性制御剤が塗布された基材表面に対し光照射することによって、当該基材表面の撥水性を変化させることを特徴とする撥水性の制御方法。
【請求項10】
下記一般式(Ia)で表されるジアリールエテン化合物。
【化5】

一般式(Ia)において、D’およびE’は、各々独立に、下記一般式(m)または(n)のいずれかで示される置換基を表す。
【化6】

一般式(m)および一般式(n)において、R11、R14は、鎖状または環状のアルキル基を表し、一般式(m)におけるR12およびR13のどちらか一方の基と、一般式(n)におけるR15およびR16のどちらか一方の基がシリル基であり、それぞれ他方の基が、水素原子、置換されていてもよい鎖状もしくは環状のアルキル基、または置換されていてもよいアルコキシ基を表す。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【公開番号】特開2007−197502(P2007−197502A)
【公開日】平成19年8月9日(2007.8.9)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2006−14885(P2006−14885)
【出願日】平成18年1月24日(2006.1.24)
【出願人】(000005968)三菱化学株式会社 (4,356)
【Fターム(参考)】