説明

浸炭焼結体およびその製造方法

【課題】高強度な浸炭焼結体を効率的に製造できる浸炭焼結体の製造方法を提供する。
【解決手段】本発明の浸炭焼結体の製造方法は、Fe、Mn、SiおよびCの合金または化合物からなるFe−Mn−Si−C粉末を鉄合金粉末に加えた原料粉末を、加圧成形して成形体を得る成形工程と、この成形体を浸炭温度が850〜980℃の浸炭雰囲気中で加熱することにより、表面近傍に浸炭層が形成された焼結体である浸炭焼結体を得る浸炭工程と、を備えることを特徴とする。Fe−Mn−Si−C粉末が鉄合金粉末の粒子表面を還元して活性化することにより、浸炭工程中に鉄合金粉末の粒子間にいわゆる焼結ネックが形成される。このため焼結工程を行わずに、成形体の焼結化と浸炭層の形成の両方が浸炭工程によりなされる。こうして本発明の製造方法によれば、高強度な浸炭焼結体を効率的に低コストで製造することが可能となる。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、強度等に優れる(鉄基)浸炭焼結体と、それを低コストで製造できる製造方法に関するものである。
【背景技術】
【0002】
機械部品等の構造部材の製造コストを削減するために、鉄を主成分とする原料粉末を加圧成形した成形体を、焼結させた鉄基焼結体(以下単に「焼結体」という。)が利用されている。これを用いれば、最終形状に近い製品(焼結体)を得ることが可能となり、機械加工の削減や歩留りの向上等が図られる。
【0003】
焼結体の延性を維持しつつ、さらなる高強度化を図る場合、焼結体に浸炭処理がなされる。この際、先ず焼結処理をしてから、その後に浸炭処理が別途なされるのが通常である。つまり、焼結処理と浸炭処理はそれぞれ独立してなされてきた。これは、焼結処理と浸炭処理では、一般的に加熱温度や処理雰囲気が異なるためである。例えば、浸炭処理は900℃前後でなされるのに対して、焼結処理は1050℃以上でなされることが多い。これらに関連する記載は、例えば、下記の特許文献にある。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0004】
【特許文献1】特開2002−155303号公報
【特許文献2】特開2007−262536号公報
【特許文献3】特開2010−133016号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0005】
特許文献1や特許文献2にもあるように、従来は、焼結工程で加熱保持と冷却を行った後、再び浸炭(焼入)工程でも加熱保持と冷却を行っていたため、浸炭処理した焼結体(浸炭焼結体)を製造するには、多くの時間、工数、エネルギー等が必要であった。なお、安易に焼結工程を省略して浸炭工程のみを行うと、構成粒子間で焼結ネックが十分に形成されず、却って強度低下を招き、浸炭工程を行う意味がなくなってしまう。
【0006】
なお、上記の特許文献3には、Fe−Mn−Si−C粉末を用いることにより、950℃程度の低温焼結であっても、高強度な焼結体が得られる旨の記載がある。しかし、特許文献3には、浸炭に関する記載が全くなく、開示されている焼結体の強度や伸びは、いずれもあまり高いものではない。
【0007】
本発明は、このような事情に鑑みて為されたものであり、機械的特性に優れた浸炭焼結体を低コストで得ることができる浸炭焼結体の製造方法と、その浸炭焼結体を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0008】
本発明者はこの課題を解決すべく鋭意研究し、試行錯誤を重ねた結果、鉄合金粉末にFe−Mn−Si−C粉末を加えた原料粉末からなる成形体を、そのまま浸炭処理することにより、高強度な浸炭焼結体を得ることに成功した。この成果を発展させることにより、以降に述べる本発明を完成するに至った。
【0009】
《浸炭焼結体の製造方法》
(1)本発明の浸炭焼結体は、鉄(Fe)、マンガン(Mn)、ケイ素(Si)および炭素(C)の合金または化合物からなるFe−Mn−Si−C粉末を鉄合金粉末に加えた原料粉末を、加圧成形して成形体を得る成形工程と、該成形体を浸炭温度が850〜950℃の浸炭雰囲気中で加熱することにより、表面近傍に浸炭層が形成された焼結体である浸炭焼結体を得る浸炭工程と、を備えることを特徴とする浸炭焼結体の製造方法。
【0010】
(2)本発明の浸炭焼結体の製造方法によれば、従来のように焼結工程を行うまでもなく、成形体に直接浸炭工程を行うことによって、高強度な浸炭焼結体を得ることができ、大幅な生産効率の向上や製造コストの削減を図れる。
【0011】
(3)本発明の製造方法により、そのような浸炭焼結体の製造が可能になった理由は必ずしも定かではないが、現状では次のように考えられる。本発明に係る原料粉末中にはFe−Mn−Si−C粉末が含まれている。この粉末は、鉄鋼を製造する際に脱酸素剤(例えば、シリコマンガン)として一般的に使用されているが、焼結体を製造する際には殆ど使用されていない。この理由として、Fe−Mn−Si−C粉末中のMnおよびSiは酸素との親和性が極めて高く、焼結体中に酸化物が生成されることを嫌ったためと考えられる。
【0012】
ところが本発明では、このFe−Mn−Si−C粉末の特性を逆に利用している。すなわちFe−Mn−Si−C粉末は、酸素との親和性が極めて高いため、非常に高い還元性を発現する。このFe−Mn−Si−C粉末を含む成形体を加熱すると、それを構成する鉄合金粉末粒子の表面に形成されていた酸化膜等が、その周囲に存在するFe−Mn−Si−C粉末粒子によって還元される。その結果、鉄合金粉末粒子の表面は、より活性な状態となり、隣接する鉄合金粉末粒子同士が比較的低い温度(浸炭温度)で焼結するようになる。このような状況が成形体全体で生じ、各鉄合金粉末粒子間で焼結ネックが形成され、成長して、機械的特性に優れた焼結体が得られるようになったと考えられる。
【0013】
このようにFe−Mn−Si−C粉末が、成形体を構成する鉄合金粉末の焼結を促進する焼結促進剤として機能し、従来の焼結温度よりも低い浸炭温度で成形体の焼結化が進行するようになった結果、浸炭工程前の焼結工程を省略することが可能になったと考えられる。本発明の製造方法によれば、製造コスト、消費エネルギー、環境負荷等を大幅に低減しつつ、機械的特性に優れた浸炭焼結体が得られる。
【0014】
なお、本発明の製造方法は、原料粉末中にFe−Mn−Si−C粉末を混在させることによって、単に従来の焼結温度よりも低い温度で成形体の焼結化を可能としただけではない。還元性の高いFe−Mn−Si−C粉末を含む成形体を浸炭雰囲気で加熱する浸炭工程を行うが故に、焼結工程の省略が可能になったと考えられる。すなわち、通常、浸炭工程がなされる浸炭雰囲気は還元性雰囲気である。このため、還元性の高いFe−Mn−Si−C粉末を含む成形体を浸炭雰囲気で加熱しても、成形体の酸化が進行することは少なく、得られた焼結体内に有害な酸化物が形成されることを抑止できる。そして少量のFe−Mn−Si−C粉末を鉄合金粉末の粒子間にできる焼結ネックの形成・成長に有効に活用することが可能となる。
【0015】
また本発明の製造方法によれば、鉄合金粉末粒子が焼結する際の温度が従来の焼結温度よりも低いことに起因して強度不足が生じるとしても、焼結体の表面近傍に形成される非常に硬質な浸炭層によって、その強度は十分に補われる。従って、本発明に係る浸炭焼結体は、少なくとも従来の焼結体よりも高強度となり、さらには内柔外剛的な組織であって優れた延性、靱性等も発現する。
【0016】
《浸炭焼結体》
本発明は上述の製造方法としてのみならず、その製造方法により得られた浸炭焼結体としても把握できる。この浸炭焼結体は、その形態を問わず、例えば、バルク状、棒状、管状、板状等の素材であっても良いし、最終的な形状またはそれに近い構造部材自体であっても良い。もっとも通常は、加工コスト等の低減を狙って焼結体が選択されるので、浸炭焼結体(部材)の形状は(ニア)ネットシェイプで最終製品形状に近いと好適である。
【0017】
《その他》
(1)原料粉末または浸炭焼結体は、Cuを実質的に含まないCuフリーまたはNiを実質的に含まないNiフリーであると、リサイクル性が向上して好ましい。但し本発明では、原料粉末や浸炭焼結体中にCuやNiを含有する場合を排除するものではない。
【0018】
(2)浸炭焼結体の具体的な機械的特性は特に問わないが、その一つである強度(抗折力)は、1200MPa以上、1300MPa以上さらには1400MPa以上ともなり得る。
【0019】
(3)特に断らない限り本明細書でいう「x〜y」は下限値xおよび上限値yを含む。また本明細書に記載した種々の数値または数値範囲に含まれる任意の数値を、新たな下限値または上限値として「a〜b」のような範囲を新設し得る。
【図面の簡単な説明】
【0020】
【図1】Fe−Mn−Si−C粉末(FeMSC粉)量と伸びの関係を示す棒グラフである。
【図2】焼結温度と伸びの関係を示すグラフである。
【図3A】ガス浸炭工程のヒートパターン図である。
【図3B】真空浸炭工程のヒートパターン図である。
【図4A】鉄粉Aを用いてガス浸炭したときの焼結温度と抗折力の関係を示す分散図である。
【図4B】鉄粉Aを用いて真空浸炭したときの焼結温度と抗折力の関係を示す分散図である。
【図5】鉄粉Bを用いてガス浸炭したときの焼結温度と抗折力の関係を示す分散図である。
【図6】鉄粉Aを用いてガス浸炭した各焼結体の表面近傍における硬さ分布図である。
【図7】鉄粉Bを用いてガス浸炭した各焼結体の表面近傍における硬さ分布図である。
【図8】平板引張試験片の形状を示す正面図である。
【図9A】FeMSC粉を0.5%含む焼結レス試料(試料No.BG11)の破面を示す顕微鏡写真である。
【図9B】FeMSC粉を含まない焼結レス試料(試料No.BG01)の破面を示す顕微鏡写真である。
【発明を実施するための形態】
【0021】
本明細書で説明する内容は、本発明の製造方法のみならず、それにより得られた浸炭焼結体にも該当し得る。製造方法に関する構成要素は、プロダクトバイプロセスとして理解すれば物に関する構成要素ともなり得る。そして上述した本発明の構成要素に、本明細書中から任意に選択した一つまたは二つ以上の構成要素を付加し得る。いずれの実施形態が最良であるか否かは、対象、要求性能等によって異なる。
【0022】
《原料粉末》
原料粉末は、浸炭焼結体の主成分である鉄合金粉末とMn、SiおよびCを含む鉄合金または鉄化合物からなるFe−Mn−Si−C粉末とからなる。以下適宜、Fe−Mn−Si−C粉末を「FeMSC粉」という。
【0023】
(1)鉄合金粉末
鉄合金粉末は、全体として所望の組成となる複数種の粉末を混合した混合粉末でもよいが、単種の(完全)鉄合金粉末からなると好適である。これにより、全体的に均質的な浸炭焼結体を短時間の浸炭工程で得ることができる。
【0024】
鉄合金粉末の組成は特に問わないが、焼入性および浸炭性に優れる組成であると好ましい。例えば、鉄合金粉末は、全体を100%としたときに、0.1〜3%さらには1〜2のモリブデン(Mo)を含むと、浸炭焼結体の焼入性が向上して好適である。また鉄合金粉末は、0.3〜5%さらには1〜3%のクロム(Cr)を含むと同様に好適である。さらに鉄合金粉末は、MoおよびCrを同時に含むとより好ましい。この場合、全体を100%としたときに、Crを1〜2%、Moを0.1〜0.5%含むと好適である。いずれの元素も過少では効果がなく、過多では鉄合金粉末ひいては浸炭焼結体のコスト増となり好ましくない。なお、鉄合金粉末は、MoやCrの他、V、Co、Nb、W等を含有していてもよい。
【0025】
鉄合金粉末は、さらにCを含有してもよい。Cは浸炭焼結体の強度向上、特に焼入れによる強度向上を図る上で重要な元素である。もっとも、C量の多い鉄合金からなる粉末を用いると、硬質なために成形性が低下し、また浸炭性も低下し得る。そこで鉄合金粉末とは別に、黒鉛(Gr)粉末を原料粉末中に混在させると好ましい。これにより、成形性や浸炭性を確保しつつ、浸炭焼結体の全体的な強度向上を図れる。例えば、原料粉末は、全体を100%としたときに、0.1〜0.4%のGr粉末を含むと好ましい。Gr粉末が過少では効果がなく、過多では浸炭焼結体の延性、靱性が低下して好ましくない。
【0026】
(2)Fe−Mn−Si−C粉末(FeMSC粉)
FeMSC粉の組成は特に問わないが、脱酸剤として市販されているものを利用すれば安価にFe−Mn−Si−C粉末を調達できる。FeMSC粉の組成は、例えば、全体を100%としたときに、Mn:58〜70%、Si:12〜22%、C:1〜2.5%および残部:Feであると好ましい。Mn、SiおよびCが過少では、原料となる鉄合金が高延性となり、微細なFeMSC粉を得難く、またFeMSC粉の添加量も多くなって好ましくない。逆にMn、SiまたはCが過多では、FeMSC粉の原料コストが増加して好ましくない。
【0027】
原料粉末中に配合するFeMSC粉の割合は、FeMSC粉の組成や鉄合金粉末の状態により異なるが、通常、原料粉末全体を100%としたときに0.05〜3%さらには0.1〜1%程度配合されていると好適である。FeMSC粉の配合量が過少では成形体の焼結促進を図れず、それが過多になると原料コストが増加したり浸炭焼結体の伸びが低下等して好ましくない。
【0028】
FeMSC粉の粒径は小さい程、鉄合金粉末粒子の周囲に均一的に存在し易くなり、成形体の焼結促進が図られ、また、浸炭焼結体全体としての成分変動や偏析等が少なくなって好ましい。例えば、FeMSC粉は、最大粒径が10μm以下で平均粒径が3μm以下あると好適である。このFeMSC粉の最大粒径は篩い分けにより特定され、平均粒径は粒度分布測定により特定され得る。
【0029】
《製造工程》
本発明の浸炭焼結体の製造方法は、主に成形工程と浸炭工程とからなるので、これら工程について順次説明する。
【0030】
(1)成形工程
成形工程は、前述した原料粉末を加圧成形して成形体とする工程である。この際の成形圧力、成形体の密度(または成形体密度比)、成形体の形状等は問わない。もっとも、高強度、高延性の浸炭焼結体を得るために、例えば、成形圧力は800MPa以上さらには900MPa以上が好ましく、理論密度(ρ0)に対する嵩密度(ρ)の比である成形体密度比(ρ/ρ0)は、85%以上、90%以上さらには95%以上が好ましい。
【0031】
成形工程は、冷間成形でも温間成形でも良く、原料粉末中に内部潤滑剤を添加しても良い。内部潤滑剤を添加する場合は、内部潤滑剤をも含めて原料粉末と考えればよい。もっとも成形工程は、特許3309970号公報等にある成形方法(これを適宜「金型潤滑温間加圧成形法」という。)によると、内部潤滑剤を用いるまでもなく、超高圧成形が可能となり、高密度な成形体が容易に得られて好ましい。
【0032】
この金型潤滑温間加圧成形法(成形工程)の概略を説明すると、高級脂肪酸系潤滑剤が内面に塗布された金型へ原料粉末を充填する充填工程と、この原料粉末を温間で加圧して金型内面と原料粉末の界面に金属石鹸被膜を生成させる温間加圧成形工程とからなる。この成形方法に依れば、超高圧成形した場合でも、原料粉末と金型の内面との間のかじり等を生じず、抜圧の過大化や金型寿命の低下等を抑止できる。
【0033】
ちなみに金属石鹸被膜は、高級脂肪酸系潤滑剤と原料粉末中のFeが温間高圧下でメカノケミカル反応を生じて形成された、高級脂肪酸の鉄塩被膜である。この代表例は、ステアリン酸リチウムまたはステアリン酸亜鉛(高級脂肪酸系潤滑剤)と、Feとが反応して生成されたステアリン酸鉄被膜である。
【0034】
金型潤滑温間加圧成形法でいう「温間」は、原料粉末(特に鉄合金粉末)と高級脂肪酸系潤滑剤との反応が促進されて高級脂肪酸の鉄塩被膜が形成される程度の加熱であれば良い。例えば、成形温度を120〜180℃とすればよい。また金型潤滑温間加圧成形法でいう「加圧」は、金型寿命や生産性を考慮して800〜1500MPaが好ましい。成形圧力がそのように高圧になると、成形体の密度も真密度に近付き、成形体密度比が96〜99%にもなる。
【0035】
(2)浸炭工程
浸炭工程は、前述した成形体を浸炭雰囲気中で加熱して、表面近傍に浸炭層が形成された焼結体(浸炭焼結体)を得る工程である。浸炭工程の具体的な処理法や条件は問わない。例えば、固体浸炭法、液体浸炭法、ガス浸炭法、真空浸炭法等のいずれを利用してもよい。もっとも、一般的に広く利用されており、浸炭層の制御が容易なガス浸炭法または真空浸炭法が本発明の浸炭工程に適している。従って本発明に係る浸炭工程は、ガス浸炭工程または真空浸炭工程であると好適である。
【0036】
浸炭雰囲気の温度である浸炭温度は850〜980℃さらには900〜950℃が好ましい。浸炭処理に適した温度範囲は、通常、ほぼ定まっており、浸炭温度がそのような範囲から逸脱すると浸炭処理が適切になされない。さらに本発明に係る浸炭工程は焼結工程を兼ねるため、浸炭温度が過小では成形体の焼結化が促進されず、強度や延性に優れた浸炭焼結体が得られない。また過大な浸炭温度で長時間の浸炭処理を行うと、金属組織の粗大化が生じて、やはり強度や延性に優れた浸炭焼結体が得られない。ちなみに浸炭処理に要する時間は、通常30〜300分程度が好ましい。
【0037】
浸炭焼結体が本来有する優れた機械的特性を発現させるために、通常、浸炭処理後に焼入れや焼戻しがなされる。そこで、本発明でいう浸炭工程は、浸炭処理後の浸炭焼結体を急冷して浸炭焼結体に焼入れをする焼入工程と、その焼入れ後の浸炭焼結体を比較的低温で加熱保持して焼き戻す焼戻工程を含むと好適である。なお、焼入工程時の急冷は、油または不活性ガスによる冷却でも十分である。冷却速度が大きい程、焼入れが確実になされるが、本発明の製造方法によれば、冷却速度が小さくても十分な焼入れがなされる。冷却速度を抑制することにより、割れ、歪み、寸法変化等を抑止できる。例えば、冷却速度は5〜150℃/秒とするとよい。
【0038】
《浸炭焼結体》
(1)本発明の浸炭焼結体は、表面近傍に浸炭層が形成された焼結体である。その浸炭層の厚さや焼結体自体の金属組織は問わない。本発明の浸炭焼結体の場合、例えば、550Hv(ビッカース硬さ)以上となる浸炭層の厚さ(表面硬化層深さ)は400μm以上、500μm以上さらには550μm以上ともなる。
【0039】
(2)本発明の浸炭焼結体の形態や用途は問わない。例えば、浸炭焼結体は、各種プーリー、変速機のシンクロハブ、エンジンのコンロッド、ハブスリーブ、スプロケット、リングギヤ、パーキングギヤ、ピニオンギヤ、サンギヤ、ドライブギヤ、ドリブンギヤ、リダクションギヤ等に用いられると好適である。
【実施例】
【0040】
実施例を挙げて本発明をより具体的に説明する。
《原料粉末》
(1)鉄合金粉末
鉄合金粉末として、成分組成がFe−1.5%Cr−0.2%Mo(単位は質量%、以下同様)の完全鉄合金粉(ヘガネスAB社製AstaloyCrL:粒径20〜180μm)と、成分組成がFe−1.5%Moの完全鉄合金粉(ヘガネスAB社製Astaloy Mo:粒径20〜180μm)を用意した。以降、適宜、前者を鉄粉A、後者を鉄粉Bとよぶ。なお、これら鉄粉の粒径は粒度分布測定により特定したものである。
【0041】
(2)Fe−Mn−Si−C粉末
Fe−Mn−Si−C粉末として、成分組成がFe−64.8%Mn−16.4%Si−2.1%Cの脱酸剤からなる粉末を用意した。この粉末は、日本電工株式会社製シリコマンガン(JIS1号)をボールミルで粉砕し、粒径5μm未満(−5μm)に分級したものである。この粉末の平均粒径は2.1μmであった。この平均粒径はレーザ回折式粒度分布測定器による粒度分布測定により特定した。以降、この粉末をFeMSC粉とよぶ。
【0042】
(3)Gr粉末
黒鉛(Gr)粉末(日本黒鉛工業株式会社製JCPB、平均粒径:5μm)も用意した。
【0043】
《FeMSC粉と焼結性》
次のような予備試料を製造し、それらの伸びを測定することにより、FeMSC粉の焼結性への影響を予め確認した。
【0044】
〈予備試料の製造〉
(1)原料粉末の調製
全体を100%として、鉄粉Aに、0%、0.25%、0.5%または1.0%のFeMSC粉を加えてボールミルで回転混合した4種の原料粉末を調製した。原料粉末中に内部潤滑剤は添加しなかった(以下同様)。
【0045】
(2)成形工程
これら各原料粉末を金型(平板引張試験片用金型)で加圧成形して、図8に示す形状の成形体を得た。具体的には、次のような金型潤滑温間加圧成形を行った。金型の内面(キャビティ面)に予めTiNコート処理を施し、その表面粗さを0.4Zとした。金型は予めバンドヒータで150℃に加熱しておいた。この加熱した金型の内面に、高級脂肪酸系潤滑剤であるステアリン酸リチウム(LiSt)を分散させた水溶液をスプレーガンにて1cm/秒程度の割合で均一に塗布した。これにより、金型の内面に約1μm程度のLiStの被膜を形成した。
【0046】
ここで用いた水溶液は、水に界面活性剤と消泡剤を添加したものに、LiStを分散させたものである。界面活性剤には、ポリオキシエチレンノニルフェニルエーテル(EO)6、(EO)10及びホウ酸エステルエマルボンT−80を用いた。これら界面活性剤をそれぞれ、水溶液全体(100体積%)に対して1体積%ずつ添加した。消泡剤にはFSアンチフォーム80を用いて、これを水溶液全体(100体積%)に対して0.2体積%添加した。LiStには、融点が約225℃で、平均粒径が20μmのものを用いた。その分散量は水溶液100cmに対して25gとした。このLiStを分散させた水溶液をさらにボールミル式粉砕装置で微細化処理(テフロン(登録商標)コート鋼球:100時間)した。こうして得られた原液を20倍に希釈し、最終濃度1%の水溶液とした。この水溶液を上述した塗布に供した。
【0047】
LiStの均一な被膜が内面に形成された金型のキャビティへ、上記の原料粉末を自然充填した(充填工程)。この際、原料粉末は金型と同温の150℃に予め加熱しておいた。充填した原料粉末を980MPaで加圧した。こうして得られた成形体の密度は、7.58〜7.61g/cmであり、成形体密度比でいうと97.2〜97.6%であった。なお、この成形中に金型の内面にかじりを生じたりすることはなく、成形体は金型から容易に取り出せた。
【0048】
(3)焼結工程
これら成形体を、連続焼結炉(関東冶金工業株式会社製オキシノン炉)により、900℃の窒素ガス雰囲気中で加熱した。均熱保持時間は30分とし、焼結後の冷却速度は30℃/分(0.5℃/秒)とした。この際、焼結炉内は、CO濃度:50〜100ppm(酸素分圧に換算で10−19〜10−21Pa相当)の極低酸素分圧雰囲気とした。
【0049】
〈測定〉
こうして得られた焼結体(平板引張試験片)を引張試験に供して、それぞれの伸び(%)を求めた。なお、引張試験は、株式会社島津製作所製の万能試験機(オートグラフ)を用いて、試験速度:1.2mm/分で行った。このとき得られた各伸び(%)を棒グラフで図1に示した。
【0050】
〈評価〉
(1)図1から、原料粉末中にFeMSC粉を添加することにより、伸びが増加し、FeMSC粉量が0.5%前後のときに伸びが極大になることもわかった。
【0051】
(2)この結果を踏まえて、鉄粉Aのみからなる焼結体と、鉄粉AにFeMSC粉を0.5%加えた原料粉末からなる焼結体とについて、焼結温度と伸びの相関を調査した。この結果を図2のグラフに示した。なお、このときの試験片の製造およびその測定は、焼結温度を除き、上述した方法で行った。
【0052】
図2から次のことがわかる。FeMSC粉の有無に拘わらず、焼結温度が高くなるほど伸びも高くなるが、FeMSC粉を含む場合の方が、全体的に伸びが向上した。特に、焼結温度が900℃のときの伸びの向上が顕著であった。具体的にいうと、FeMSC粉を含む成形体を900℃で焼結させたときの伸びは、FeMSC粉を含まない成形体を1000℃で焼結させたときの伸びよりも高く、FeMSC粉を含まない成形体を1150℃で焼結させたときの伸びにかなり近くなった。
【0053】
これらのことから、FeMSC粉には、成形体が従来よりも低温域で焼結することを可能にし、焼結を大きく促進させる作用があることがわかった。
【0054】
《浸炭処理と焼結性》
表1に示すような各試料を次のように製造し、それらの強度(抗折力)を測定することによって、浸炭処理による焼結性への影響を評価した。
【0055】
〈試料の製造〉
(1)原料粉末の調製
原料粉末の調製は、前述したように行った。なお、各粉末の添加割合は、原料粉末全体を100%として、FeMSC粉:0.5%、Gr粉末:0.2%とした。
【0056】
(2)成形工程
成形工程も前述したように行った。但し、前述した平板引張試験片用金型に替えて、10×10×55mmの角柱形状の抗折試験片を成形できる金型(抗折試験片用金型)を用いた。
【0057】
(3)焼結工程
本発明に係る実施例では焼結工程を行わず、成形体のまま次の浸炭工程に供した。このときの試料を本明細書では「焼結レス」という。比較例として、浸炭工程前に焼結工程を行う場合は、焼結温度を900℃または1150℃として、前述した方法で行った。
【0058】
(4)浸炭工程
浸炭工程は、ガス浸炭工程または真空浸炭工程により行った。ガス浸炭工程のヒートパターンを図3Aに、真空浸炭工程のヒートパターンを図3Bに、それぞれ示した。なお、図3A中の「CP」はカーボンポテンシャル(平衡炭素濃度)である。また図3Aおよび図3Bからわかるように、本実施例でいう浸炭工程には、焼入れ(焼入工程)および焼戻し(焼戻工程)が含まれる。
【0059】
〈測定および観察〉
(1)各試料(試験片)を、支点間距離20mmの三点曲げ抗折試験に供した。これにより各試験片が折断するまでの強度(抗折力)を求め、各抗折力を表1に併せて示した。また、表1中の試料No.AG01〜AG13の結果を図4Aに、試料No.AV01〜AV13の結果を図4Bに、試料No.BG01〜BG13の結果を図5に、それぞれ示した。
【0060】
(2)さらに、鉄粉AにFeMSC粉を加えた原料粉末からなる成形体にガス浸炭を施した各試験片(試料No.AG11〜AG13)について、表面部分の硬さを測定した。これにより得られた硬さ分布を図6に示した。また、鉄粉BにFeMSC粉を加えた原料粉末からなる成形体にガス浸炭を施した各試験片(試料No.BG11〜BG13)についても表面部分の硬さを測定し、各試料の硬さ分布を図7に示した。なお、このときの硬さ分布は、切断した試料の表面側から順次、試験荷重:100gとした微小硬さ(マイクロビッカース:MHV)を測定することにより求めた。
【0061】
(3)表1に示した試料No.BG11と試料No.BG01の破面(上記の抗折試験後の折断破面)を株式会社日立ハイテクノロジーズ製走査型電子顕微鏡「S−3600N」で観察した写真を、それぞれ図9Aおよび図9Bに示した。
【0062】
〈評価〉
(1)強度
表1と図4A、図4Bおよび図5から、FeMSC粉を含む原料粉末を用いた場合、焼結レスの成形体に浸炭工程を直接施すだけで、十分に高い強度が得られることがわかる。具体的にいうと、その強度は、FeMSC粉を含まない原料粉末からなる成形体を900℃で焼結させた後、さらに浸炭工程を行った場合と同等以上であった。しかもこの傾向は、浸炭方法や鉄合金粉末の種類には依らないこともわかった。
【0063】
このように焼結レスで高強度な浸炭焼結体が得られたのは、浸炭工程中に、FeMSC粉が鉄合金粉末の粒子表面に存在する酸化物(酸化被膜)を還元して鉄合金粉末の粒子同士を焼結させ易くしたためと考えられる。つまりFeMSC粉が焼結促進剤として機能したためと考えられる。
【0064】
なお、図4Aと図5を比較すれば明らかなように、Mo量の多い鉄合金粉末を用いると、焼結レス試料の強度向上幅がより大きくなることもわかった。
【0065】
(2)硬さ分布
図6および図7から、焼結工程の有無や焼結温度の相違に拘わらず、浸炭工程後の表面部分における硬さ分布は、いずれも同様であった。つまり、焼結レスの場合でも焼結した場合と同様に、硬質で所望深さの浸炭層が形成されることが確認された。具体的にいうと、鉄粉Aを用いたときなら、いずれの場合も表面硬化層深さが約600μmあり(図6)、鉄粉Bを用いたときなら、いずれの場合も表面硬化層深さは約700μmあった(図7)。
【0066】
(3)破面
FeMSC粉を含む原料粉末からなる焼結レス試料(試料No.BG11)は、図9Aに示す破面から、焼結ネック部を起点とした破壊(ネック部破壊)ではなく、原料粉末(鉄粉)粒子内の欠陥を起点とした破壊(粒内破壊)を主に生じることがわかる。このことから、FeMSC粉を含む場合は焼結レスであっても、原料粉末粒子間で十分な焼結が生じて、高強度な浸炭焼結体が得られることがわかる。
【0067】
一方、FeMSC粉を含まない原料粉末からなる焼結レス試料(試料No.BG01)では、図9Bに示す破面から、主にネック部破壊を生じることがわかる。このことから、FeMSC粉を含まない場合、浸炭工程のみでは原料粉末粒子間で焼結があまり進行していないことがわかる。
【0068】
【表1】


【特許請求の範囲】
【請求項1】
鉄(Fe)、マンガン(Mn)、ケイ素(Si)および炭素(C)の合金または化合物からなるFe−Mn−Si−C粉末を鉄合金粉末に加えた原料粉末を、加圧成形して成形体を得る成形工程と、
該成形体を浸炭温度が850〜980℃の浸炭雰囲気中で加熱することにより、表面近傍に浸炭層が形成された焼結体である浸炭焼結体を得る浸炭工程と、
を備えることを特徴とする浸炭焼結体の製造方法。
【請求項2】
前記浸炭工程は、ガス浸炭工程または真空浸炭工程である請求項1に記載の浸炭焼結体の製造方法。
【請求項3】
前記Fe−Mn−Si−C粉末は、前記原料粉末全体を100%としたときに0.05〜3%配合されている請求項1または2に記載の浸炭焼結体の製造方法。
【請求項4】
前記Fe−Mn−Si−C粉末は、全体を100質量%(以下単に「%」という。)としたときに、Mn:58〜70%、Si:12〜22%、C:1〜2.5%および残部:Feである請求項1〜3のいずれかに記載の浸炭焼結体の製造方法。
【請求項5】
前記Fe−Mn−Si−C粉末は、最大粒径が10μm以下で平均粒径が3μm以下ある請求項1〜4のいずれかに記載の浸炭焼結体の製造方法。
【請求項6】
前記鉄合金粉末は、全体を100%としたときに、0.3〜5%のクロム(Cr)および/または0.1〜3%のモリブデン(Mo)を含む請求項1〜5のいずれかに記載の浸炭焼結体の製造方法。
【請求項7】
前記原料粉末は、全体を100%としたときに、0.1〜0.4%の黒鉛(Gr)粉末を含む請求項1〜6のいずれかに記載の浸炭焼結体の製造方法。
【請求項8】
前記成形工程は、理論密度(ρ0)に対する嵩密度(ρ)の比である成形体密度比(ρ/ρ0)が85%以上の成形体を得る工程である請求項1に記載の浸炭焼結体の製造方法。
【請求項9】
前記浸炭工程は、前記浸炭焼結体の焼入工程および焼戻工程を含む請求項1に記載の浸炭焼結体の製造方法。
【請求項10】
請求項1〜9のいずれかに記載の製造方法により得られたことを特徴とする浸炭焼結体。

【図1】
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【図2】
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【図3A】
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【図3B】
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【図4A】
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【図4B】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【図8】
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【図9A】
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【図9B】
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【公開番号】特開2012−255183(P2012−255183A)
【公開日】平成24年12月27日(2012.12.27)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2011−128065(P2011−128065)
【出願日】平成23年6月8日(2011.6.8)
【出願人】(000003609)株式会社豊田中央研究所 (4,200)
【出願人】(000003207)トヨタ自動車株式会社 (59,920)
【Fターム(参考)】