説明

腸壁内神経系再生促進剤

【課題】 4−アミノ−5−クロロ−2−エトキシ−N−[[4−(4−フルオロベンジル)−2−モルホリニル]メチル]ベンズアミドまたはその生理学的に許容される塩を有効成分とする腸壁内神経系再生促進剤の提供を目的とする。
【解決手段】 本発明は、手術等で損傷を受けた腸壁吻合部にクエン酸モサプリド等を投与することにより腸壁内神経系の再生を促進する。その結果、腸管切除術の術後等の排便反射障害の回復を早めることができる。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、医薬として有用な腸壁内神経系再生促進剤に関する。より詳細には、4−アミノ−5−クロロ−2−エトキシ−N−[[4−(4−フルオロベンジル)−2−モルホリニル]メチル]ベンズアミド(以下、「化合物A」ということもある)またはその生理学的に許容される塩を有効成分とする腸壁内神経系再生促進剤に関する。
【背景技術】
【0002】
腸管は、壁内神経細胞、上皮細胞、平滑筋細胞、およびカハール介在細胞(ICC; Interstitial Cells of Cajal)などが各組織領域を構成し、それらがお互いに協同して機能を発揮していると考えられる。
【0003】
特に、腸壁内神経系は平滑筋を神経支配し、胃・小腸・大腸における蠕動運動に必須であることが知られている(非特許文献1、2)。
また、胃腸管筋肉組織中のICCのネットワーク系により、電気的なペースメーカー活動が生み出され、胃腸運動に特徴的な頻度および伝達様式がコントロールされていることも報告されている。従って、腸壁内神経系とICCは胃・小腸・大腸運動を協調的にコントロールしていると考えられる。
【0004】
近年、様々な成長因子、神経栄養因子を用いて、損傷を受けた神経の再生が試みられている。末梢神経である腸壁内神経系の再生についても例外ではなく、損傷した腸壁内神経系やICCの再生に関するいくつかの報告がなされている。非特許文献3には術後8週間で神経線維が再生することが、非特許文献4には直腸癌の低位前方切除術を受けた患者の中には、術後1年経過しても腸機能が改善しない患者が存在することが、非特許文献5には術後24時間でカハールの間質細胞が一部回復することが記載されている。
【0005】
一方、(±)−4−アミノ−5−クロロ−2−エトキシ−N−[[4−(4−フルオロベンジル)−2−モルホリニル]メチル]ベンズアミド(以下、「モサプリド」ということがある。)は、選択的セロトニン4受容体アゴニストであり、消化管運動促進作用を示す(特許文献1)。そして、そのクエン酸塩・2水和物は、慢性胃炎に伴う消化器症状の改善を目的として既に実用化され、日本では「ガスモチン」なる商標名のもとに市販されている。
【0006】
また、特許文献2においては、モサプリドがインスリン抵抗性改善剤として、有用であることが開示されており、更に、特許文献3では、モサプリドが歯ぎしりの予防剤または治療剤として有用であることが開示されている。
【0007】
また非特許文献6および非特許文献7において、モサプリドが、大腸での蠕動反射である排便反射(直腸−直腸収縮反射と直腸−内肛門括約筋弛緩反射)を5−HT受容体を介して促進する事が記載されている。
非特許文献8には、腸壁内神経系が再生した後には腸壁内の5−HT受容体を介してモサプリドが直腸−直腸収縮反射と直腸−内肛門括約筋弛緩反射を促進することが記載されている。
【0008】
しかし、上記のいずれの文献にも化合物Aが胃・小腸・大腸運動に重要な役割を果たすと考えられる腸壁内神経系をin vivoで再生促進させるとの報告はなされていない。
【0009】
【特許文献1】米国特許第4,870,074号公報
【特許文献2】国際公開第02/76462号パンフレット
【特許文献3】特開2005−97277公報
【非特許文献1】Ann NY Acad Sci 860:464−466, 1998
【非特許文献2】Am J.Physiol.Gastrointest Liver Physiol.283:G148−G156,2002
【非特許文献3】Cell Tissue Res 277:259−272,1994
【非特許文献4】Dis Colon Rectum 38:411−418,1995
【非特許文献5】Gastroenterology 127:1748−1759,2004
【非特許文献6】Am J.Physiol.Gastrointest Liver Physiol. 285:G389−G395,2003
【非特許文献7】Am J.Physiol.Gastrointest Liver Physiol.289:G351−G360,2005
【非特許文献8】Am J.Physiol.Gastrointest Liver Physiol.294:G1084−G1093,2008
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0010】
直腸癌等の切除術を受けた患者では、腸壁内神経系が損傷を受けるため、腸管の蠕動運動が減弱し、排便障害が生じ患者のQOLが損なわれていた。そこで損傷を受けた腸壁内神経系を早期に再生し、大腸における蠕動反射である排便反射の回復を促進させることができる腸壁内神経系再生促進剤が望まれている。従って、本発明の課題は、早期に腸壁内神経系を再生することができる優れた腸壁内神経系再生促進剤を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0011】
本発明者らは、鋭意検討した結果、4−アミノ−5−クロロ−2−エトキシ−N−[[4−(4−フルオロベンジル)−2−モルホリニル]メチル]ベンズアミドまたはその生理学的に許容される塩が予想外にも腸壁内神経の再生を促進することを見出し、本発明を完成した。
【0012】
すなわち、本発明は以下の(1)〜(7)に関する。
(1)4−アミノ−5−クロロ−2−エトキシ−N−[[4−(4−フルオロベンジル)−2−モルホリニル]メチル]ベンズアミドまたはその生理学的に許容される塩を有効成分とする腸壁内神経系再生促進剤。
(2)生理学的に許容される塩がクエン酸塩である(1)に記載の腸壁内神経系再生促進剤。
(3)更に生体分解性材料を含む(1)または(2)に記載の腸壁内神経系再生促進剤。
(4)生体分解性材料がゼラチン吸収性スポンジである(3)に記載の腸壁内神経系再生促進剤。
(5)腸管切除術後の腸管吻合部に局所投与することを特徴とする(1)または(2)に記載の腸壁内神経系再生促進剤。
(6)生体分解性材料に吸収させて投与することを特徴とする(5)に記載の腸壁内神経系再生促進剤。
(7)生体分解性材料がゼラチン吸収性スポンジである(6)に記載の腸壁内神経系再生促進剤。
【発明の効果】
【0013】
本発明の腸壁内神経系再生促進剤を用いることにより、損傷を受けた腸壁内神経系を早期に再生することが可能となり、大腸における蠕動反射である排便反射の回復を促進させることができる。すなわち直腸癌等の切除術後の排便障害の期間を短縮することによって患者のQOLを改善することができる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0014】
化合物Aまたはその生理学的に許容される塩
本発明にかかわる化合物A、即ち、4−アミノ−5−クロロ−2−エトキシ−N−[[4−(4−フルオロベンジル)−2−モルホリニル]メチル]ベンズアミドは、下記式で表される化合物である。
【0015】
【化1】

【0016】
本発明にかかわる化合物Aはラセミ体であっても、又は一方の光学活性体であってもよいが、ラセミ体が好適である。
【0017】
また、化合物Aはフリー体であってもよいし、その生理学的に許容される塩であってもよい。塩としては好ましくは酸付加塩がよい。たとえば有機酸の付加塩としては、ギ酸塩、酢酸塩、乳酸塩、アジピン酸塩、クエン酸塩、酒石酸塩、フマル酸塩、メタンスルホン酸塩、マレイン酸塩等が挙げられ、無機酸の付加塩としては、塩酸塩、硫酸塩、硝酸塩、リン酸塩等が例示できる。この中でも特にクエン酸塩が好ましい。さらに、化合物Aまたはその生理学的に許容される塩は、溶媒和物であってもよく、水和物および非水和物であってもよい。好ましくはクエン酸塩の水和物がよく、とりわけクエン酸塩・2水和物が好ましい。
【0018】
上記化合物Aまたはその生理学的に許容される塩は、例えば、前記特許文献1に記載の方法またはこれに準じる方法によって製造することができる。
本発明の腸壁内神経系再生促進剤を投与する対象物は、ヒトを含む動物である。本発明の腸壁内神経系再生促進剤は特にヒトにおける治療に有用である。
【0019】
化合物Aまたはその生理学的に許容される塩は、通常、医薬用担体と混合して調製した医薬組成物の形で医薬として適用される。本発明の腸壁内神経系再生促進剤の剤形は、特に限定されず病態やその進行状況、その他の条件(投与する対象の種類、症状、年齢、体重、性別、合併症、投与時間、投与方法、投与経路、剤型、感受性差等)によって異なるが、例えば、液剤(注射液、輸液、外用液剤)、散剤、顆粒剤、錠剤、カプセル剤、丸剤、腸溶剤、トローチ、内用液剤、懸濁剤、乳剤、シロップ剤、湿布剤、点鼻剤、点耳剤、点眼剤、吸入剤、軟膏剤、ローション剤、坐剤、経腸栄養剤などが挙げられる。
注射剤の形で投与する場合には、液剤を静脈内(点滴を含む)、腹腔内、筋肉内、皮下、皮内、関節内、滑液嚢内、胞膜内、骨膜内等に投与することができる。また液剤を生体分解性材料、例えばゼラチン吸収性スポンジに吸収させて腸管に投与してもよい。
【0020】
医薬用担体としては、医薬分野において常用され、かつ化合物Aと反応しない物質が用いられ、例えば、賦形剤、結合剤、防腐剤、酸化安定剤、崩壊剤、滑沢剤、矯味剤などの医薬の製剤技術分野において通常用いられる補助剤が用いられる。
【0021】
錠剤、カプセル剤、顆粒剤、散剤の製造に用いられる医薬用担体の具体例としては、乳糖、トウモロコシデンプン、白糖、マンニトール、硫酸カルシウム、結晶セルロースのような賦形剤、カルメロースナトリウム、変性デンプン、カルメロースカルシウムのような崩壊剤、メチルセルロース、ゼラチン、アラビアゴム、エチルセルロース、ヒドロキシプロピルセルロース、ポリビニルピロリドンのような結合剤、軽質無水ケイ酸、ステアリン酸マグネシウム、タルク、硬化油のような滑沢剤が挙げられる。錠剤は、カルナウバロウ、ヒドロキシプロピルメチルセルロース、マクロゴール、ヒドロキシプロピルメチルフタレート、セルロースアセテートフタレート、白糖、酸化チタン、ソルビタン脂肪酸エステル、リン酸カルシウムのようなコーティング剤を用い、周知の方法でコーティングしてもよい。
【0022】
坐剤の基剤の具体例としては、カカオ脂、飽和脂肪酸グリセリンエステル、グリセロゼラチン、マクロゴールが挙げられる。坐剤製造にあたっては、必要に応じて界面活性剤、保存剤等を添加することができる。
【0023】
液剤は、通常、化合物Aまたはその生理学的に許容される塩を注射用蒸留水に溶解して調製してもよいが、必要に応じて溶解補助剤、緩衝剤、pH調整剤、等張化剤、無痛化剤、保存剤等を添加することができる。または、WO2004/096229に記載の方法に従って調製することも可能である。
【0024】
本発明の腸壁内神経系再生促進剤の投与経路は、経口投与または非経口投与のいずれであってもよい。本発明においては、腸管の吻合部に直接投与する局所投与が好ましく、例えば、化合物Aを含有する液剤をゼラチン吸収性スポンジ等の生体分解性材料に吸収させて投与することができる。
【0025】
これらの医薬組成物は、通常、活性成分として化合物Aを2×10−5%以上、例えば6.5×10−5%〜70%の割合で含有することができる。
本発明の腸壁内神経系再生促進剤が液剤の場合で、ゼラチン吸収性スポンジ等の生体分解性材料に吸収させて局所投与する際には、その液剤の濃度は、例えば、1μM〜100μM、好ましくは5μM〜50μMである。
【0026】
本発明の医薬の投与量は、投与の目的や投与対象者の状況(性別、年齢、体重など)に応じて異なる。通常、成人に対して、化合物A(フリー体)換算で、経口投与の場合、1日あたり5mg〜500mg、好ましくは10mg〜100mg、一方、非経口投与の場合、1日あたり10−5mg〜100mg、好ましくは10−4mg〜30mgで投与され得る。
【0027】
腸壁内神経系とは、腸管の腸壁内に存在する神経系で、粘膜下神経叢と筋層間神経叢から構成される。腸管とは、直腸と結腸を含む大腸、小腸を意味する。
腸壁内神経系再生促進剤とは、上記腸壁内神経系の再生(例えば、神経線維の伸長や神経線維どうしの結合、新神経細胞への分化)を促進する薬剤であり、本発明においては、4−アミノ−5−クロロ−2−エトキシ−N−[[4−(4−フルオロベンジル)−2−モルホリニル]メチル]ベンズアミドまたはその生理学的に許容される塩を有効成分として含有する薬剤である。
【0028】
腸管の切除術とは、直腸癌や無神経切腸管を取り除くための腸管の切除等が挙げられる。腸管吻合部とは腸管の切離断端を全層単結節縫合等で縫い合わせた部位のことであり、この部位で壁内神経系は切断されている。
生体分解性材料とは、生体内の分解酵素、酸またはアルカリ等によって分解する材料であって、体液の浸透を許容する多孔質であることが特徴であり、例えば、コラーゲン、ゼラチンなどのタンパク質、ポリペプチド、多糖類、ポリ乳酸またはポリグリコール酸が挙げられる。生体分解性材料は、生体吸収性材料と呼ばれることもある。生体分解性材料としては、例えば、ゼラチン吸収性スポンジ等が挙げられる。
【0029】
ゼラチン吸収性スポンジとは、ゼラチンを主成分とするスポンジのことであり、ゼラチン吸収性スポンジとしてはゼラチン止血用スポンジを使用することができる。ゼラチン止血用スポンジは、滲出する血液を吸収して、血液を固まらせて止血させる作用があり、1ヶ月ほどで体内に吸収される。ゼラチン吸収性スポンジは、吸収性ゼラチンスポンジ、ゼラチンスポンジと呼ばれることもある。ゼラチン吸収性スポンジの例としては、スポンゼル(アステラス社製、登録商標)が挙げられる。
化合物Aを含む液剤を生体分解性材料(例えばゼラチン吸収性スポンジ)に吸収させ、腸管吻合部を覆うように貼付し固定する。例えば、腸壁と膀胱の間に挿入すると固定し易い。
【0030】
生体分解性材料の適切なサイズとしては、化合物Aを含む液剤を2週間以上保持できるサイズが好ましい。
生体分解性材料の長さとしては、化合物Aを2週間以上保持できるサイズを満たすように生体分解性材料の幅および層の厚さにあわせて適宜調整し得るが、例えば、腸管吻合部の外周の1/5〜1倍の長さを有するのが好ましい。生体分解性材料の腸管への固定のし易さの点から、腸管の外周の1/2〜1倍の長さを有するのが更に好ましい。
生体分解性材料の幅としては、化合物Aを2週間以上保持できるサイズを満たすように生体分解性材料の長さおよび層の厚さにあわせて適宜調整し得るが、腸管吻合部を覆うことができる幅を有するのが好ましい。
【0031】
生体分解性材料の層の厚さとしては、化合物Aを2週間以上保持できるサイズを満たすように生体分解性材料の長さおよび幅にあわせて適宜調整し得るが、生体分解性材料を腸管に投与できる層の厚さであれば特に制限はされない。例えば、ゼラチン吸収性スポンジであれば市販のものをそのままの厚さで使用することができる。
本発明の腸壁内神経系再生促進剤は、直腸癌、炎症性腸疾患、ヒルシュスプルング病、糖尿病、加齢変化などの腸壁内神経系の異常を伴う疾患の治療剤への応用が期待できる。
【0032】
以下に、試験例を挙げて本発明の腸壁内神経系再生促進剤の有用性について説明する。なお、試験中使用した化合物A’は化合物Aのクエン酸塩・2水和物であって、大日本住友製薬株式会社製のものを使用した。
【0033】
試験例
モルモット腸壁内神経損傷モデルにおける腸壁内神経系再生促進作用
1.実験動物
本試験例の実験動物としてモルモットを使用した。モルモットは、腸管の運動や腸壁内神経系の研究に最適な実験動物として使用されてきた。ウレタン麻酔をしたモルモットにおいては、直腸−直腸収縮反射と直腸−内肛門括約筋弛緩反射から構成される排便反射の反応は、一定の間隔(少なくとも20分間)をおけば、繰り返し確実に得ることができ、直腸壁内神経系の再生過程をフォローするには最適である。直腸−直腸収縮反射反応と直腸−内肛門括約筋弛緩反射反応を引き起こすための直腸伸展刺激(5分間)は、直腸(術後はネオ直腸)に挿入したバルーンに温水0.6mlを注入して行う。この方法はTakakiらの長年の研究により得られたものであり(前記非特許文献2、6〜8およびJ Smooth Muscle Res 42:139−147,2006)、糞便2個が直腸に運搬されてきた状態を再現している最適の刺激条件である。
【0034】
2.腸壁内神経損傷モデルモルモットの作製
直腸−内肛門括約部で機能している外来神経は骨盤神経と腰部結腸神経である。下腹神経は排便反射機構に関与していない。直腸壁にそって進入してくる骨盤神経は損傷を受けている可能性はあるが、腰部結腸神経は脈管系を損傷しないように直腸壁を切離すれば無傷に保つことができる(図1)。そこで、モルモットをネンブタール40mg/kg腹腔内注射することによって麻酔した後、開腹し、肛門縁より3cmの直腸を脈管神経は温存して切離後、全層単結節縫合により直腸吻合を行い、腸壁内神経の損傷(切断)モデルを作製した(図2)。腸壁内神経系を切断されたモルモットは、その後8週間、動物実験施設にて飼育した。1、2、4、8週目にウレタン麻酔下に排便反射の回復の成否は生理学的実験により検証し、さらに、排便反射に寄与する腸壁内神経系の再生の成否をニューロフィラメント抗体を用いて免疫組織学的に検証した。
【0035】
3.化合物A’の投与法
腸壁内神経損傷モデルモルモットの腸管への前記化合物A’の局所投与においては、化合物A’をDMSOに溶解させ、濃度を1μM〜100μMに調整し、該DMSO溶液50−100μlを、2週間以上は十分作用できる適切なサイズ(例えば、3mm×8mm)のゼラチン吸収性スポンジ〔スポンゼル(アステラス社製、登録商標)〕に十分含ませた後、直腸吻合部の腸壁と膀胱の間に挿入し、腸管の外周に沿ってしっかりと固定した。対照群では生理食塩水を十分含ませたスポンゼル(アステラス社製、登録商標)を直腸吻合部の腸壁と膀胱の間に挿入して固定した。
【0036】
ここで、化合物A’は、5−HT受容体刺激薬であり、0.5−1.0mg/kgの静脈注射で排便反射を促進する作用を有する薬剤である。本発明においてゼラチン吸収性スポンジを用いた局所投与における腸壁内神経系の再生を促進する濃度は、好ましくは1μM〜100μMである。
免疫組織染色のための標本を切り出す際にスポンゼルのおいた部位に多少痕跡が残るので、それにより作用させた部位を確認する。
【0037】
手術が終わったモルモットは動物飼育室にて、対照群では2〜8週間、化合物A’投与群では2〜4週間飼育した。
【0038】
生理学実験
4.直腸−直腸収縮反射反応と直腸−内肛門括約筋弛緩反射反応の記録
本発明において損傷された腸壁内神経系の再生の成否を生理学的に検証するために、直腸−直腸収縮反射反応と直腸−内肛門括約筋弛緩反射反応の記録は重要である。
直腸−直腸収縮反射反応は、肛門縁より5cmの直腸に1.5cmの長さのバルーンを挿入し、0.6mlの温水を1.5ml/minの速度で注入して(24秒間)、そのまま4分36秒間クランプする。総計5分間バルーンを伸展することになる。バルーンは圧トランスデユーサに連結する。従って、この5分間に伸展圧曲線に重畳して強い直腸の反射性収縮が数回記録される。この圧シグナルはA/Dコンバータを介してコンピュータに入力される。同時に、直腸−内肛門括約筋弛緩反射反応の記録は肛門から挿入して水平に固定された馬蹄型のストレインゲージフォーストランスデューサによってブリッジバランスをとる入力箱を介して同様にA/Dコンバータを介してコンピュータに入力される(図3)。直腸−直腸収縮反射反応とちょうど鏡像の弛緩反応が記録できる。この内肛門括約筋運動の記録方法は発明者が考案した独自のもので、直腸の収縮が混入する危険性は全くない独創的な方法である。外肛門括約筋の収縮は筋弛緩薬であるガラミンを静脈注射することによってその関与は除外している。
【0039】
5.直腸−直腸収縮反射反応と直腸−内肛門括約筋弛緩反射反応の定量的解析
直腸−直腸収縮反射反応と直腸−内肛門括約筋弛緩反射反応は5分間の測定で得られる反射面積を求める。デジタルデータとして入力されているのでコンピュータソフト(Origin6.1J; OriginLab Corporation) を使って反射面積を算出する。このとき、最初のピークは、神経毒を作用させても消失しないので反射面積からは除外する(図4)。コントロール群(無傷群)の反射面積の平均値を1として各例の反射指標を算出する。この反射指標は、反射反応の頻数が変化した場合も、振幅が変化した場合も総合的に変化が捉えられる指標として発明者らが考案した(前記非特許文献2)。
【0040】
6.免疫組織学的実験
排便反射の測定が終わった後、吻合部を含む直腸のホールマウント標品は粘膜と粘膜下層と一部輪送筋層を除き、ニューロフィラメント抗体やc−Kit抗体による免疫染色を行うためにアセトン中で固定した(4℃、1時間)。ニューロフィラメントの免疫染色のためには、染色のための組織標品を4%パラホルムアルデヒド中で固定した(4℃、10分間)。固定後、標品をリン酸緩衝食塩水(PBS、0.1M、pH7.4)中で30分間洗浄した。非特異的な抗体の結合を0.3%(v/v)Triton−X 100(PBS−TX)、10%正常ヤギ血清を含むPBS中、室温にて12時間インキュベートすることにより除去した。組織は、c−Kitタンパク質に対するラットモノクローナル抗体(ACK45、PBS中5μg/ml、BD Bioscience, SanJose、CA)と共に2晩4℃でインキュベートした。または、ニューロフィラメントタンパク質に対するウサギポリクローナル血清カクテル(NF、PBS中5μg/ml、BIOMOL International LP, Philadelphia)と共に2晩4℃でインキュベートした。この血清カクテルは神経細胞体、樹状突起、軸索(thickおよびthinの双方を含む)に反応する。Kitに対する抗体反応は、AlexaFlour(登録商標)488−結合二次抗体(Alexa Flour488(登録商標)ヤギ抗ラット;Molecular Probes Inc. Eugene、OR; PBS中1:200、室温にて遮光状態で48時間)、ニューロフィラメントに対しては、Texas Red結合二次抗体(Texas Redヤギ抗ウサギ;MP Biomedicals、Inc.、Aurora、OH;PBS中1:100、室温にて遮光状態で48時間)を用いて検出を行った。組織はBio−Rad MRC 600(Hercules、 CA)共焦点顕微鏡を用いて観察した。共焦点顕微鏡写真は、100−150μmの深さで10−15の光学セクションのZ軸方向のデジタルコンポジットである。最終的なイメージはComosソフトウェアー(Bio−Rad)で構築した。
【0041】
切片で免疫染色を行うためには、同様に吻合部を含んだ直腸を4℃、4%パラホルムアルデヒド中で固定しパラフィン包埋した。4μmの連続切片を各ブロックから切り出し、ペプシンの室温での20分間処理により抗原の回復後免疫染色を免疫ペルオキシダーゼ法により行った。対比染色はMeyerのヘマトキシリンで行った。用いた抗体は抗ニューロフィラメント(クローン2F11、ニューロフィラメントの70、160、200 kDaタンパクと反応する、0.5μg/ml、DAKO Corp、Carponteria、CA)と神経幹細胞のマーカーとして抗DLX2(cat.ab18188、0.5μg/ml、Abcam Co、Tokyo、Japan)、移動中の神経堤細胞のマーカーとして抗p75(細胞内ドメイン、0.5μg/ml、Upastate、Lake Placid、NY)、増殖細胞のマーカーとして抗PCNA(クローン PC10、DAKO Corp、Carponteria、CA)である。
【0042】
前記非特許文献8には、直腸−直腸収縮反射反応について、手術群とコントロール群(無傷群)の間で有意差が認められないが、直腸−内肛門括約筋弛緩反射反応については、手術群では術後1−4週目には頻数および振幅が減少しており、術後8週目でほぼコントロール群(無傷群)と同じ程度まで回復することが記載されている。また組織学的にも、術後2週目では腸壁内神経の再生は全く起こっていなが、術後4週目から神経線維が少しずつ伸びてきて、術後8週目では腸壁内神経は十分再生し、吻合部を越えて口側の腸壁内神経と肛門側の腸壁内神経がつながっていることが確認されている。
従って、化合物A’の腸壁内神経系の再生促進効果を確認するため、化合物A’の投与後2週目における生理学実験および免疫組織学的実験を行った。
【0043】
化合物A’の効果
生理学実験
化合物A’のDMSO溶液を直腸吻合部に術後2週間局所投与した腸壁内神経損傷モルモットにおいて、ウレタン麻酔後、ガラミンで非動化し、人工呼吸下で、直腸−直腸収縮反射反応と直腸−内肛門括約筋弛緩反射反応の記録を行う。図5は、DMSOのみの局所投与の対照実験で、図6は化合物A’のDMSO溶液(100μM)をスポンゼルに十分含ませて局所投与したときの代表的な2例を示す。DMSOのみでは、生理食塩水と同様直腸−内肛門括約筋弛緩反射反応はほとんど起こらない(図5)。しかし、化合物A’を投与すると直腸−内肛門括約筋弛緩反射反応は、直腸−直腸収縮反射反応のほぼ鏡像で得ることができた(図6)。化合物A’のDMSO溶液(10μM)の場合も100μMのときと同様にして図7の結果を得た。
【0044】
免疫組織学的実験
抗ニューロフィラメント抗体による、吻合部を含む直腸の染色像を図8に示す。図8を参照すると、生理食塩水を術後局所投与2週目では、腸壁内神経はまだ十分再生されていない。一方、化合物A’を術後局所投与2週目では吻合部を越えて口側の腸壁内神経と肛門側の腸壁内神経がつながっているのが確認できた(図8)。
【0045】
吻合部を含む直腸の術後2週目のc−Kit抗体と抗ニューロフィラメント抗体による二重染色像を図9に示す。腸壁内神経の再生のみならず、c−Kit抗体陽性細胞であるICCのネットワークも回復している。ただし、過形成は見られない。
【実施例】
【0046】
実施例1 液剤の調製:
ステンレス製容器に注射用水2リットルを入れ、プロピレングリコール2.5kgを加え攪拌機で攪拌し、均一に混合した後、化合物A’26.45gを加え攪拌した。この白濁液に塩酸を徐々に加えて溶解し、最終的にpHを3.0に調節し、適量の注射用水を加え全量を5リットルとした。この液をろ過後、このろ液をアンプル充填熔閉機で2ml無色アンプルに2mlずつ充填、熔閉後、高圧蒸気滅菌機で滅菌(121℃、20分間)し、液剤とした。
【0047】
実施例2 錠剤の調製:
化合物A’ 10g
乳糖 32g
トウモロコシデンプン 71g
結晶セルロース 30g
ヒドロキシプロピルセルロース 5g
軽質無水ケイ酸 1g
ステアリン酸マグネシウム 1g
合計 150g
【0048】
常法に従って、上記各成分を混和し、顆粒状とし、圧縮成型して、1錠150mgの錠芯を調製した。次いで、ヒドロキシプロピルメチルセルロース、マクロゴール、酸化チタン、タルク及び軽質無水ケイ酸を用い、常法に従って剤皮を施しフィルムコーティング錠とした。
【0049】
実施例3 2%散剤の調製:
化合物A’ 20g
D−マンニトール 935g
ヒドロキシプロピルセルロース 30g
ステアリン酸マグネシウム 10g
軽質無水ケイ酸 5g
合計 1000g
【0050】
常法に従って、上記各成分を混和し、造粒して2%散剤を調製した。
【産業上の利用可能性】
【0051】
本発明の腸壁内神経系再生促進剤を用いることにより、損傷を受けた腸壁内神経系を早期に再生することが可能となり、大腸における蠕動反射である排便反射の回復を促進し、直腸癌等の切除術後の排便障害の期間を短縮することによって患者のQOLを改善することができる。
【図面の簡単な説明】
【0052】
【図1】図1は、直腸内肛門括約部の脈管系と自律神経支配を示す図である。
【図2】図2は、腸壁内神経損傷モデルの作成方法を示す図である。
【図3】図3は、直腸−直腸収縮反射反応と直腸−内肛門括約筋弛緩反射反応の記録法を示す図である。
【図4】図4は、直腸−直腸収縮反射反応と直腸−内肛門括約筋弛緩反射反応の定量的解析法を示す図である。
【図5】図5は、腸壁内神経損傷後2週目のDMSO投与例において直腸−直腸収縮反射反応(R−R)が陽性(+)であり、直腸−内肛門括約筋弛緩反射反応(R−IAS)が陰性(−)であることを示す図である。
【図6】図6は、腸壁内神経損傷後2週目のガスモチン(クエン酸モサプリド)100μM投与例において直腸−直腸収縮反射反応(R−R)および直腸−内肛門括約筋弛緩反射反応(R−IAS)が共に陽性(+)であることを示す図である。
【図7】図7は、腸壁内神経損傷後2週目のガスモチン(クエン酸モサプリド)10μM投与例において直腸−直腸収縮反射反応(R−R)および直腸−内肛門括約筋弛緩反射反応(R−IAS)が共に陽性(+)であることを示す図である。
【図8】図8は、抗ニューロフィラメント抗体を用いた免疫組織化学的解析(腸壁内神経損傷後2週目)によって得られた像である。Aは生理食塩水投与例の解析結果を示し、Bはガスモチン(クエン酸モサプリド)100μM投与例の解析結果を示している。
【図9】図9は、抗ニューロフィラメント抗体と抗c−kit抗体を用いた二重免疫組織化学的解析によって得られた像である。Aは生理食塩水投与例の解析結果を示し、Bはガスモチン(クエン酸モサプリド)100μM投与例の解析結果を示している。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
4−アミノ−5−クロロ−2−エトキシ−N−[[4−(4−フルオロベンジル)−2−モルホリニル]メチル]ベンズアミドまたはその生理学的に許容される塩を有効成分とする腸壁内神経系再生促進剤。
【請求項2】
生理学的に許容される塩がクエン酸塩である請求項1に記載の腸壁内神経系再生促進剤。
【請求項3】
更に生体分解性材料を含む請求項1または2に記載の腸壁内神経系再生促進剤。
【請求項4】
生体分解性材料がゼラチン吸収性スポンジである請求項3に記載の腸壁内神経系再生促進剤。
【請求項5】
腸管切除術後の腸管吻合部に局所投与することを特徴とする請求項1または2に記載の腸壁内神経系再生促進剤。
【請求項6】
生体分解性材料に吸収させて投与することを特徴とする請求項5に記載の腸壁内神経系再生促進剤。
【請求項7】
生体分解性材料がゼラチン吸収性スポンジである請求項6に記載の腸壁内神経系再生促進剤。


【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【図8】
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【図9】
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【公開番号】特開2010−105971(P2010−105971A)
【公開日】平成22年5月13日(2010.5.13)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2008−281131(P2008−281131)
【出願日】平成20年10月31日(2008.10.31)
【出願人】(000002912)大日本住友製薬株式会社 (332)
【Fターム(参考)】