説明

ステンレス鋼の多層盛溶接構造

【課題】 厚板の開先継手に開先底部の初層裏波溶接から開先上面部の最終層溶接まで積層する多層盛溶接を施工すると共に、溶接終了後の裏面側の溶接部分に残留する引張応力を圧縮応力に改善する。
【解決手段】 ステンレス鋼の端部に開先加工を施した継手部材1,2を相互に突き合わせて、消耗電極方式あるいは非消耗電極方式のパルスアーク溶接または直流アーク溶接により溶接ワイヤを溶融させて多層盛溶接部分を形成して継手部材を溶接したステンレス鋼の多層盛溶接構造において、開先裏面から前記継手部材の板厚の1/5ないし4/5の高さまでオーステナイト系の溶接ワイヤを溶融固化させて初期裏波溶接部を形成し、その後、開先上面までマルテンサイト系の溶接ワイヤを溶融固化させて開先裏面側の溶接部およびその近傍に圧縮応力を付与したことを特徴とするステンレス鋼の多層盛溶接構造。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、ステンレス鋼の多層盛溶接技術に係り、特に溶接部分の残留応力を改善することのできる多層盛溶接技術に関する。
【背景技術】
【0002】
原子力発電プラントや火力発電プラントの容器、配管、構成部品などの溶接構造物に用いられるオーステナイト系ステンレス鋼材は、溶接などによって結晶粒界にCr炭化物が析出し易く、結晶粒界近傍にCr欠乏層が形成されることにより腐食に対する割れ感受性(材料の鋭敏化)が高くなることが知られている。また、溶接部分(溶接金属部及び隣接する熱影響部)には、高い引張残留応力が存在しており、高温水などの厳しい腐食環境下で使用されると、応力腐食割れが発生し易い。
【0003】
この応力腐食割れを防止するためには、前記材料の鋭敏化、引張応力、腐食環境の3因子の中から1つ以上の因子を取り除く必要がある。このため、特に、高温水などの腐食環境下にさらされる溶接部分の表面及び近傍に残留する引張応力を圧縮応力に改善することが強く求められている。
【0004】
従来から溶接材部分の引張残留応力の低減に関する溶接方法や溶接装置が幾つか提案されている。例えば、特許文献1記載の配管系の熱処理方法では、溶接組み立て後の配管の内部に冷却水を存在させ、前記配管の外部を加熱して管内面と管外面との間に温度差を発生させ、これにより管内面を引張降伏させ、管外面を圧縮降伏させることが提案されている。
【0005】
また、特許文献2記載のオーステナイト系ステンレス鋼溶接部位の予防保全方法及び装置では、線状の溶接部位を追従しながら高周波加熱コイルを移動させ、この高周波加熱コイルによって溶接部位を応力降伏点の温度より高い温度まで加熱する手順と、過熱領域に冷却水を噴出して急速冷却する手順を有することが提案されている。
【0006】
また、特許文献3記載の金属部品を接合する方法及び装置では、選定速度(毎分127cm以上)で走行する電極先端のチップ近傍に溶接材を連続的に供給する段階と、前記チップからの放電電流によって溶接材料を開先内で連続的に溶融する段階と、溶接ビードを形成する段階とを有し、前記電極はチップに接合及び電気的に接続された非円形断面のブレードを有し、所定数の溶接パス全体で圧縮性のある最終残留応力状態を外部にヒートシンク媒体なしで生成して達成することが提案されている。
【0007】
また、特許文献4記載のオーステナイト系ステンレス鋼の狭開先継手の多層盛溶接方法では、開先最深部に近い側の層をオーステナイト系溶加材を用いて溶着(溶接)し、前記層に隣接する外側の少なくとも1つの層をマルテンサイト系溶加材を用いて溶接することが提案されている。
【0008】
また、特許文献5記載の溶接方法及び溶接材料では、溶接によって生成する溶接金属に溶接後の冷却過程でマルテンサイト変態を生じさせ、前記溶接金属が室温時においてマルテンサイト変態の開始温度(例えば250℃未満170度以下)時より膨張している状態にすることが提案されている。
【0009】
また、 特許文献6記載の高張力鋼のTIG溶接方法及びTIG溶接用ソリッドワイヤでは、全溶着金属のマルテンサイト変態開始温度が400℃以下であり、ワイヤ全重量に対してNiが7.5〜12%を含有し、Cが0.1%以下、Hは2ppm以下に規制されたソリッドワイヤを使用し、ワイヤ送り速度を5〜40g/分にして溶接することが提案されている。
【特許文献1】特公昭53−38246号公報
【特許文献2】特開2001-141629号公報
【特許文献3】特表平9−512485号公報
【特許文献4】特公昭62−19953号公報
【特許文献5】特開平11−138290号公報
【特許文献6】特開平9−253860号公報
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0010】
上記特許文献1記載の方法は、溶接組み立て時に生じていた配管内面の引張残留応力を圧縮残留応力に変化させるのに有効な方法であると考えられる。しかしながら、溶接設備の外に大型の高周波加熱設備が必要であるばかりでなく、溶接完了後に、配管の内周部に冷却水を供給しながら外周部を高温加熱するための作業工数及び費用が必要になる。
【0011】
また、上記特許文献2記載の方法は、引張残留応力を低減することができる。しかしながら、溶接完了後に、線状の溶接部位表面上を移動させる高周波コイルにより高温加熱し、加熱領域を冷却水の噴射により急速冷却しているため、移動式の加熱及び水冷設備が必要になると共に、この高温加熱及び急速冷却を実施するための作業工数及び費用が必要になる。
【0012】
また、上記特許文献3記載の方法では、外部にヒートシンク媒体を使用せずに、熱効率の高い溶接施工及び狭い開先継手の伝導性自己冷却効果により、引張残留応力及び溶接ひずみを低減することができる。しかしながら、この引張残留応力を圧縮残留応力に変化させるまでに至らない可能性が高い。また、安価な円形断面のタングステン電極棒と異なる非円筒形(非円形断面)に成形した薄い電極を使用しているため、この薄い電極は、製作費が高価になり、また、開先内に挿入してアーク溶接する時に生じる電極先端の消耗に伴う電極交換費用もコスト高になる。また、開先内に供給して溶融させるワイヤ(溶加材)は、溶接対象の開先継手材と同じ組成のオーステナイト系ワイヤが使用され、このワイヤと異なるマルテンサイト系ワイヤは使用されていない。
【0013】
また、上記特許文献4記載の方法では、管内面の引張残留応力を低減するために、開先継手の材質と同質系のオーステナイト系ワイヤとマルテンサイト系ワイヤとを使い分けて溶接している。この方法は引張残留応力の低減に有効であるが、まだ引張応力が残留しており、圧縮応力に至っていない。また、実施例に記載されているマルテンサイト系ワイヤは、開先内の中間層の溶接部分のみに使用されており、開先表面の最終層の溶接部分には使用されていない。さらに、開先継手の角度が広いため、板厚の厚い開先継手を溶接する場合には、溶接すべき開先断面積及び開先肩幅が増加し、1層1パスづつ積層する溶接が困難である。このため、1層多パスの多層盛溶接が必要になり、引張残留応力及び収縮変形が増す可能性があり、圧縮応力に改善することは困難である。さらに、溶加材(ワイヤ)を溶着(溶接)する溶接方法については、具体的な方法が記載されていない。
【0014】
また、上記特許文献5記載の方法では、溶接継手の疲労強度を向上するために、マルテンサイト変態を生じさせる溶接材料(溶接ワイヤに相当)を用いて溶接している。溶接対象は主に低合金鉄鋼材料(高張力鋼材など)の溶接構造物であり、材質が異るオーステナイト系ステンレス鋼材の溶接に適用することができない。また、溶接で生じる引張残留応力の低減箇所は、すみ肉継手やT継手や十字継手の溶接表面部分、又はX開先継手の両面溶接の表面部分であり、継手形状及び溶け込み形状が異なる狭開先継手のような片面溶接で求められている溶接裏面部分を対象とするものではない。さらに、溶接方法については、溶接ワイヤを電極にするアーク溶接法であり、非消耗性のタングステンを電極とするアーク溶接法ではない。
【0015】
また、上記特許文献6記載の方法は、高張力鋼の溶接割れの防止に有効であると考えられるが、材質の異なるステンレス鋼材の溶接に適用することができない。
【0016】
この他にも、マルテンサイト変態を生じさせる溶接ワイヤを用いて溶接する溶接方法が幾つか提案されているが、主に高張力鋼材の溶接が対象であり、オーステナイト系ステンレス鋼材の溶接ではない。また、前記特許文献6と同様に、溶接で生じる引張残留応力の低減箇所は、溶接表面部分であり、継手形状及び溶け込み形状が異なる狭開先継手のような片面溶接で求められている溶接裏面部分を対象とするものではない。
【0017】
本発明はこれらの問題点に鑑みてなされたもので、厚板の開先継手に必要な開先底部の初層裏波溶接から開先上面部の最終層溶接ま積層する多層盛溶接を良好に施工すると共に、溶接終了後の裏面側の溶接部分に残留する引張応力を圧縮応力に改善するのに有効なステンレス鋼の多層盛溶接技術を提供するものである。
【課題を解決するための手段】
【0018】
本発明は上記課題を解決するため、次のような手段を採用した。
【0019】
ステンレス鋼の端部に開先加工を施した継手部材を相互に突き合わせて形成される開先内に、消耗電極方式あるいは非消耗電極方式のパルスアーク溶接または直流アーク溶接により溶接ワイヤを溶融させて多層盛溶接部分を形成して継手部材を相互に溶接したステンレス鋼の多層盛溶接構造において、開先底部の裏面側に形成された裏ビードを備えた初期裏波溶接部と、開先裏面から前記継手部材の板厚の1/5ないし4/5の高さまで、前記継手部材と同材質のオーステナイト系の溶接ワイヤを溶融固化させて形成した第1の溶接金属部と、第1の溶融金属部の表面から開先上面までマルテンサイト系の溶接ワイヤを溶融固化させて形成した第2の溶接金属部とを備え、開先裏面側の溶接部およびその近傍に圧縮応力を付与した。
【発明の効果】
【0020】
本発明は、以上の構成を備えるため、厚板の開先継手に必要な開先底部の初層裏波溶接から開先上面部の最終層溶接まで積層する多層盛溶接を良好に施工すると共に、溶接終了後の裏面側及び表面側の溶接部分に残留する引張応力を圧縮応力に改善するのに有効なステンレス鋼の多層盛溶接技術を提供することができる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0021】
以下、最良の実施形態を添付図面を参照しながら説明する。図1は、本発明の実施形態に係るステンレス鋼の多層盛溶接構造及び多層盛溶接方法を説明する図であり、図1(1)は溶接前の継手部材の開先断面を示す図、図1(2)は溶接装置および溶接中における溶接断面を示す図、図1(3)は非消耗性のタングステンをアーク溶接の電極に使用し、開先底部から板厚Tの約1/2の高さHbまで、オーステナイト系ワイヤを開先内で溶融させて積層溶接し、その後に、残りの溶接部分から開先上面部の最終層まで、マルテンサイト系ワイヤを溶融させて積層溶接したときの溶接断面を示す図、図1(4)は図1(3)と同様に、非消耗性のタングステンをアーク溶接の電極に使用し、板厚Tの約3/4の高さHbまで、オーステナイト系ワイヤを開先内で溶融させて積層溶接し、その後に、残りの溶接部分から開先上面部まで、マルテンサイト系ワイヤを溶融させて積層溶接したときの溶接断面を示す図である。
【0022】
図1(1)に示すように、継手部材1、2は、開先裏面1b、2bから開先表面1a、2a側の開先上面部まで積層する多層盛溶接が必要な容器や配管や案内管など厚板の管部材又は厚板の平板部材を突き合せた狭い開先継手である。特に、原子力発電プラント、火力発電プラント、化学プラントなどで使用されるオーステナイト系のステンレス鋼材からなる狭開先継手の場合には、多層盛溶接の施工によって裏面側の溶接部分(裏ビード15及びその近傍)に残留する応力を圧縮応力に改善することが重要である。
【0023】
また、図1(2)に示すように、アーク溶接は、溶接トーチ7(TIGトーチ)に装備した非消耗性の電極6先端と継手部材1、2との間にTIG溶接電源8より給電して、開先内でアーク10を発生させ、そのアーク10溶接部分にワイヤ5を送給及び溶融させて溶接するようにしている。TIG溶接電源8は、溶接モードを選択するスイッチによってパルスアーク溶接又は直流アーク溶接の切り換えが可能な溶接電源である。パルスアーク溶接を選択した場合は、このパルスアーク溶接の給電に必要な高いピーク電流と低いベース電流、アーク電圧などの各条件値を任意に設定でき、また、パルス周波数の任意変更(例えば1Hz〜最大500Hz)もできるようになっている。パルスアーク溶接と異なる直流アーク溶接を選択した場合には、平均溶接電流に相当する直流電流、アーク電圧(平均アーク電圧)を設定することができる。
【0024】
溶接制御装置9aは、溶接トーチ7及びワイヤ5を搭載した溶接台車4(図1では図示省略)の走行を指令制御し、TIG溶接電源8の出力を指令制御し、溶接トーチ7(電極6)の左右位置、上下位置を必要に応じて指令制御し、アーク10溶接部分へワイヤ5を供給するワイヤ供給装置11を指令制御し、ワイヤ5の左右位置及び上下位置を必要に応じて調整するものである。
【0025】
操作ペンダント9bは、溶接制御装置9aに接続されており、溶接条件調整手段、トーチ位置及びワイヤ位置調整手段を内蔵している。操作ペンダント9bに内蔵されている溶接条件調整手段により、パルスアーク溶接時のピーク電流とそのピーク時間、ベース電流とそのベース時間又はパルス周波数とピーク電流の時間比率、電極高さの制御(AVC制御)に使用するピーク電圧又はベース電圧又は平均アーク電圧、ピークワイヤ送りとベースワイヤ送り、溶接速度又はこの溶接速度に相当する走行速度の各条件値を設定したり、これらの条件値を溶接中に割り込んで調整したりすることができる。
【0026】
また、トーチ位置及びワイヤ位置調整手段により、溶接トーチ7(電極6)の位置ずれ、ワイヤ5の位置ずれを調整したりすることもできる。直流アーク溶接の場合には、前記溶接条件調整手段により、直流アーク溶接で出力すべき平均溶接電流、電極高さの制御(AVC制御)に使用する平均アーク電圧又はアーク長、ワイヤ送り速度、溶接速度又はこの溶接速度に相当する走行速度の各条件値を設定したり、これらの条件値を溶接中に割り込んで調整したりすることができる。また、パルスアーク溶接の場合と同様に、トーチ位置及びワイヤ位置調整手段により、溶接トーチ7の位置ずれ、ワイヤ5の位置ずれを調整したりすることができるようになっている。
【0027】
操作ペンダント9bに内蔵している溶接条件調整手段は、小入熱の仮付け条件、初層裏波溶接で出力すべき初層条件、特定の積層ビード高さまで積層溶接する溶接工程で出力すべき複数の積層条件、並びに開先上面部の最終層まで積層溶接する溶接工程で出力すべき複数の積層条件を設定、記憶及び再生が可能な機能を有している。この溶接条件調整手段は、これに相当する機能を有する溶接データファイルや他の手段であってもよい。また、前記操作ペンダント9bは、溶接実行手段を兼用しており、前記溶接条件調整手段又は溶接データファイルに予め設定された層別又はパス別の各溶接条件に基づいて、開先裏面部の初層裏波溶接から開先上面部の最終層溶接まで積層する溶接動作を実行できる。
【0028】
開先内3のアーク10溶接部分に流すシールドガス33は、不活性の純Arガス、あるいはAr+数パーセントH入りの混合ガス又はAr+数十パーセントHe入りの混合ガスを使用すればよい。例えば、Ar+3〜7%H入り、Ar+50〜80%He入りの混合ガスを使用すると、純Arガスと比べてエネルギ密度やアークの集中性が高まり、溶融状態及び溶け込みを良くでき、溶接速度も上げることができる。
【0029】
非消耗性のタングステン電極6は、高融点材のLa入りW、Y入りW、ThO入りWの電極棒であり、開先内に挿入可能な細径の丸電極を使用すればよい。例えば、外径φ1.6、又はφ2.4の細径の電極を使用(電極先端のみを円錐形状に加工して使用)することにより、シールドガス流入の雰囲気内で、この細径の電極先端と開先底部との間に発生させるアーク10が開先内3の壁面側にはい上がることなく、溶融すべき開先底部の部分に前記アークを安定に保持することができる。さらに、前記細径の丸電極6は、安価に入手できると共に、丸電極棒の先端のみを簡便な電極研磨器で簡単に円錐加工することができ、電極消耗時の再加工、溶接トーチへの取付け取り外し作業が容易で使い勝手がよい。また、この細径の丸電極6の代わりに、太径の電極下部の横幅を開先幅wより狭い偏平形状にした非消耗性の偏平電極を使用することも可能である。この偏平形状の電極は、太径の丸電極下部の横幅を偏平形状に加工するための製作費用を要するが、上述した細径の丸電極6とほぼ同様に、電極先端のみを簡便な電極研磨器によって簡単に円錐加工でき、溶接トーチへの取付け取り外し作業容易である。
【0030】
また、図1(1)に示したように、開先底部の開先幅w又はこの開先底部中央に挿入するインサート材の幅を含む開先幅を最小で4mm以上、最大で8mm以下の寸法、開先上面部までの片面角度(垂直面に対する開き角度)θを10°以下の狭い開先形状に仕上げることにより、溶接すべき開先断面積を従来より大幅に小さくでき、ワイヤの使用量の削減、溶接工数の低減を図ることができる。なお、この片面角度θを広くした開先継手を多層盛溶接することは可能であるが、特に、板厚T又は開先深さHの増加と共に、溶接すべき開先断面積Aが増大(A=H2*tanθ+H*w)するため、溶接パス数の増加や溶接作業時間の増加、累計入熱量及び収縮変形も増加することになる。これを抑制するべく、前記片面角度θを10°以下に限定した。
【0031】
開先底部のルートフェイスfについては、約1〜2.5mmの範囲に形成すること、好ましくは約1.5mm前後に形成することにより、裏面側まで容易に溶融させることができる。また、図示していないインサート材を開先底部中央に挿入することにより、開先底部の突合せ部に生じ易い段違いやギャップの影響を緩和することができ、特に、初層裏波溶接時に、凹みのない凸形状でほぼ均一な裏ビード幅を良好に形成することができる。なお、開先底部の開先幅wについては、4mm未満になると、狭すぎるため、その開先内に挿入する電極6の外面と開先内3の壁面との隙間が極端に狭く、しかも、初層溶接及びその後の溶接による熱収縮によって開先幅全体が収縮し、開先壁面への電極6の接触やアーク発生が起こり易く、開先上部までの積層溶接が困難になる。一方、開先底部の開先幅wが8mmを超えると、広すぎるため、開先面積の増加によって溶接パス数及びワイヤ使用量が増加し、溶接工数も増す結果となる。したがって、開先底部の開先幅wの適正範囲を4mm以上、8mm以下に特定した。
【0032】
さらに、図1(3)(4)に示した積層溶接では、非消耗性のタングステンをアーク溶接の電極6に使用し、開先裏面から特定の累計積層ビード高さHbまで、開先継手1、2の材質と同質系のオーステナイト系ワイヤ56を開先内3で溶融させて積層溶接41した第1の溶接金属部411と、この第1の溶接金属部411のビード表面と接する開先内3の残りの溶接部分から開先上面部の最終層まで、前記タングステン電極6を再使用し、マルテンサイト系ワイヤ57を溶融させて積層溶接42した第2の溶接金属部422とを形成している。また、非消耗性のタングステンをアーク溶接の電極6に使用し、開先裏面から特定の累計積層ビード高さHbまで、開先継手1、2の材質と同質系のオーステナイト系ワイヤ56を開先内6で溶融させる非消耗電極方式のアーク溶接61を繰返し行って積層溶接41した第1の溶接金属部411を形成し、この第1の溶接金属部411のビード表面と接する開先内3の残りの溶接部分から開先上面部の最終層まで、前記タングステン電極6を再使用し、マルテンサイト系ワイヤ57を溶融させる非消耗電極方式のアーク溶接61を繰返し行って積層溶接42した第2の溶接金属部422を形成するとすることもできる。
【0033】
このように積層溶接41、42により、第1の溶接金属部411と第2の溶接金属部422とを形成することにより、高温水などの腐食環境下にさらされる内面側又は底面側の溶接裏面部から特定の高さ位置まで、開先継手材と同質系のオーステナイト系の溶接金属で充填できるばかりでなく、この第1の溶接金属部411の上部をマルテンサイト系の溶接金属(第2の溶接金属部422)で確実に充填することができる。その結果、溶接時の温度下降過程でマルテンサイト変態を生じる溶接金属部に膨張作用及び張力が生じ、底面側の溶接裏面部及びその近傍に残留する引張応力を圧縮応力に改善することができる。同時に、最終層の溶接表面部及びその近傍に残留する引張応力を従来より大幅に低減することもできる。
【0034】
マルテンサイト系ワイヤは、オーステナイト系ステンレス鋼の溶接継手材と融合性の良いマルテンサイト系のステンレスワイヤであって、少なくとも化学組成のNiが8〜12重量%、Crが8〜12重量%含有し、マルテンサイト変態開始温度が100℃以上、300℃以下であるマルテンサイト系ステンレスワイヤ(例えば、外径がφ0.8〜φ1.2のワイヤ)を使用するとよい。そして、開先内3の残りの溶接部分から開先上面部の最終層まで、このマルテンサイト系ワイヤを溶融させて積層溶接42することにより、溶接時の温度下降過程(高温領域から冷却する過程)で、マルテンサイト変態が生じ、冷却後の室温時(約20℃)に、マルテンサイト変態の開始温度(100〜300℃)時より膨張した状態になるため、このマルテンサイト変態によって溶接金属部に膨張作用及び張力が生じ、底面側の溶接裏面部及びその近傍に残留する引張応力を圧縮応力に改善することができる。同時に、最終層の溶接表面部及びその近傍に残留する引張応力を従来より大幅に低減することもできる。なお、マルテンサイト変態による膨張作用及び張力の発生については、図17及び図18を参照して後述する。また、配管溶接部における残留応力の測定結果については、図20〜22を参照して後述する。
【0035】
オーステナイト系ワイヤ56については、開先継手の部材1、2の材質(例えば、SUS304系、SUS316系)と同質系のオーステナイト系ワイヤ(例えば、外径がφ0.8〜φ1.2で、Y308、Y316系の市販ワイヤ)を用いている。また、前記開先継手部材1、2の材質が異なる他のオーステナイト系ステンレス(例えば、SUS309系、SUS321系など)の場合には、この継手部材の材質に合った同質系のオーステナイト系ワイヤを用いて溶接すればよい。また、インコネル(登録商標:Ni−Cr−Fe合金)系ワイヤ(すなわちNi基合金系ワイヤ)は、前記ステンレス鋼の異材金属との溶接可能な高ニッケル合金のワイヤであり、例えば、インコネル82ワイヤ(YNiCr−3)あるいはインコネル625ワイヤ(YNiCrMo−3)を用いればよい(かっこ内はニッケルおよびニッケル合金溶加棒規格記号)。
【0036】
開先裏面から溶接すべき累計積層ビード高さHbは、開先裏面より板厚の1/5以上から4/5以下、又は板厚の1/5以上から1/2以下の範囲に特定するとよい。あるいは開先表面から残すべき前記残存開先深さHは、開先表面より板厚の1/5以上から4/5以下、又は板厚の1/2以上から4/5以下の範囲に特定するとすることもできる。この特定した累計積層ビード高さHb又は残存開先深さHに到達するまで、オーステナイト系ワイヤ56を開先内のアーク溶接部分に送給及び溶融させて1層1パスづつ積層溶接41することにより、上述したように、溶接裏面部から特定の高さ位置まで、開先継手材と同質系のオーステナイト系の溶接金属で確実に充填でき、第1の溶接金属部411を良好に形成することができる。また、その後に溶接すべき残存開先深さや溶接パス数及び層数を予測することもできる。
【0037】
なお、このオーステナイト系ワイヤ56を用いて積層溶接すべき累計積層ビード高さHbが板厚Tの1/5より小さ過ぎる又は残すべき残存開先深さHが板厚Tの4/5より大き過ぎると、腐食環境下にさらされる溶接裏面部分の耐食性保持、腐食進行の防止を損なうおそれがある。この累計積層ビード高さHbの最小値は、板厚Tの大小によって変化するが、少なくとも2層目の溶接ビード高さまではオーステナイト系ワイヤを用いて溶接施工することが好ましい。一方、前記累計積層ビード高さHbが板厚Tの4/5より大き過ぎる又は残すべき残存開先深さHが板厚Tの1/5より小さ過ぎると、その後に、オーステナイト系ワイヤ56と異なるマルテンサイト系ワイヤ57を開先上部の最終層30まで積層溶接すべき部分が少な過ぎるため、室温時の溶接金属部に生じさせるマルテンサイト変態による膨張効果及び張力が相対的に低下し、反対側の最も離れた溶接裏面部及びその近傍に残留する引張応力を圧縮応力に変えることができないので好ましくない。
【0038】
同様に、マルテンサイト系ワイヤ57の代わりに、図7、図8及び図9で後述するNi基合金系ワイヤ58又は開先継手材1、2の線膨張係数より小さい線膨張係数を持つ他のオーステナイト系ワイヤ59を使用する場合も、開先上部の最終層30まで積層溶接すべき部分が少な過ぎるため、反対側の最も離れた溶接裏面部及びその近傍に残留する引張応力を圧縮応力に変えることができないので好ましくない。したがって、前記累計積層ビード高さHbは板厚Tの4/5以下にするとよい。好ましくは板厚の1/2以下にするとさらによい。また、前記残存開先深さHは板厚Tの1/5以下にし、好ましくは板厚Tの1/2以上にするとよい。
【0039】
非消耗性のタングステンをアーク溶接の電極に使用する非消耗電極方式のアーク溶接(TIG溶接)の場合は、コールドワイヤをアーク溶接部分に送給して溶融させるため、溶接パス毎のワイヤ溶融量を多くできないが、溶接スパッタの発生がなく、スラグなどの付着物がほとんどない良好な溶接ビード外観を得ることができる。また、パルスアーク溶接の場合には、直流アーク溶接で出力させる平均電流と同じ平均電流であっても、アーク力及び指向力を強くでき、開先内の両壁面部及び開先底面部の溶融、溶け込み深さを促進することができる。また、パルスアークにより貝殻模様のような波目を有する良好な溶接ビード外観を得ることができる。さらに、例えば、ワイヤ通電加熱電源を接続してワイヤを通電加熱(ホットワイヤ)することも可能であり、ワイヤ加熱なし時よりワイヤ溶融量を約1.3〜2倍に増加することが可能である。
【0040】
特に、非消耗電極方式のパルスアーク溶接を行う場合には、溶接パス毎又は溶接層毎に出力すべき高いピーク電流と低いベース電流とを交互に繰り返すパルス周波数を最小で1Hz以上、最大で500Hz以下、好ましくは150Hz以下の範囲で使用する1つ以上の特定値を定め、あるいは最初の初層裏波溶接21と、2層目以降に積層する積層溶接41と、この上部に積層する積層溶接42とで使用する複数の異なる特定値を定めるとよい。そして、この定めた特定値のパルス周波数のパルスアークを溶接パス毎又は溶接層毎に出力させて、開先底部の初層裏波溶接から開先上面部の最終層溶接まで積層溶接41、42することにより、直流アーク溶接で出力させる平均電流と同じ平均電流であっても、アーク力及び指向力を強くでき、開先内の両壁面部及び開先底面部の溶融、溶け込み深さを促進することができる。また、開先底部から開先上面部まで良好な多層盛溶接結果を得ることができる。
【0041】
なお、パルスアーク溶接時のパルス周波数が最も低い約1Hz(パルス周期時間:1s)の場合は、例えば、溶接速度が90mm/min以上の速度領域で溶接ビードのリップル形状(貝殻模様のような波目)が約1.5mm以上と荒くなり易い。一方、パルス周波数が高い約300Hz、約500Hzの場合には、パルス周期時間が極端に短くなるため、給電ケーブルの延長(例えば10倍の100mm以上に延長)が必要なときに、このケーブル延長に伴うリアクタの増加によって、矩形状のピーク電流波形が台形状や三角形状に変化するので、事前にピーク電流値を少し高めに補正することが望ましい。このパルス周波数を約150Hz以下に下げた場合には、例えば、給電ケーブルを100mまで長く延長しても、ほぼ矩形状のピーク電流波形を出力することが可能である。また、耳ざわりな高音のアーク音を激減することもできる。
【0042】
図2は、ステンレス鋼の多層盛溶接構造及び多層盛溶接方法の他の例を説明する図であり、図1(1)は溶接前の継手部材の開先断面を示す図、図1(2)は溶接装置および溶接中における溶接断面を示す図である。
【0043】
また、図3は、多層盛溶接による溶接断面を説明する図である。溶接に際しては、非消耗性のタングステンをアーク溶接の電極に使用し、開先底部から板厚Tの約1/3の高さHbまで、オーステナイト系ワイヤ56を開先内3で溶融させて積層溶接41する。その後に、ワイヤ5を電極に使用するアーク溶接に変更し、開先内3の残りの溶接部分から開先上面部の最終層30まで、マルテンサイト系ワイヤ57を電極にして溶融させて積層溶接している。
【0044】
図2(1)に示すように、開先底部の開先幅wは、最小で4mm以上、最大で8mm以下の寸法に形成し、開先上面部までの片面角度θを少し広めの20°以下に形成するとよい。また、開先底部の形状は、U形だけでなく、V形であってもよい。溶接すべき開先断面積を従来より大幅に小さくでき、ワイヤの使用量の削減、溶接工数の低減を図ることができる。特に、ワイヤ5をアーク溶接の電極に使用する消耗電極方式のアーク溶接62を施工する場合には、非消耗性のタングステンをアーク溶接の電極に使用する非消耗電極方式のアーク溶接61と比べて、溶け込みが深く、ワイヤ溶着量も多いため、片面角度θが少し広くしても、少ないパス数で良好に積層溶接43することができる。
【0045】
また、図2(2)に示すように、アーク溶接は、溶接トーチ77(MIGトーチ)内を通過して開先内3へ送給するワイヤ5と継手部材1、2との間にMIG溶接電源88より給電して開先内3でアーク10を発生及びワイヤ5を溶融させて溶接する。消耗電極方式のアーク溶接62では、ワイヤ5溶融速度が平均溶接電流の大きさにほぼ比例して増加するため、出力すべき平均溶接電流とワイヤ5送り速度とを同期制御して可変できるようにしている。また、アーク溶接部分に給電するMIG溶接電源8は、溶接モードを選択するスイッチによって直流アーク溶接(又はショートアーク溶接)とパルスアーク溶接との切り換えが可能な溶接電源である。例えば、ショートアーク溶接(又は直流アーク溶接)を選択した場合は、アークの点弧と短絡及びワイヤの短絡移行との繰り返しが可能な平均溶接電流(例えば、130A〜200A)、及びこの電流に適した平均アーク電圧を設定(例えば、18〜23V)して溶接するとよい。ワイヤの溶滴移行可能な臨界電流(ワイヤの径や材質、シールドガスの成分によって変化するが、例えば、1.2mm径のステンレスワイヤで、220A前後)より高い平均溶接電流に増すと、ワイヤの短絡移行及び短絡電流が生じないスプレー移行の直流アーク溶接に変化し、溶接スパッタの少ない溶接が可能になる。上述したショートアーク溶接では、溶接スパッタが発生し易いが、TIG溶接時と比べて溶接パス毎のワイヤ溶融量を数倍に増すこことができ、溶接速度が速く、溶接パス数が少なく、溶接時間を短縮することができる。なお、MIG溶接の場合は、ワイヤに直接給電してアーク溶接するため、TIG溶接時より2倍程度高めの平均アーク電圧を出力させることにより良好な溶接結果が得られる。
【0046】
また、パルスアーク溶接を選択した場合には、ワイヤ5溶滴の形成可能な高いピーク電流Ipかピーク電圧Vpとそのピーク時間tp、ベース時間tb内にワイヤ5溶滴の移行可能な低いベース電流Ibかベース電圧Vbを設定すると共に、平均溶接電流Ia(ワイヤ送り速度Wf、ベース時間tbかパルス周波数fを同期可変させる)、平均溶接電圧を設定及び調整するとよい。パルス周波数fpは、平均溶接電流(Ia=(Ip・tp+Ib・tb)/(tp+tb))の増加に伴って増す(fp=1/(tp+tb)=Ia/(Ip・tp+Ib・tb))ことになる。パルスアーク溶接を行うことにより、臨界電流より充分に低い平均溶接電流での溶接であっても、1パルスで1溶滴移行が確実にでき、ショートアーク溶接時と比べて溶接スパッタの発生を大幅に低減することができる。また、TIG溶接時と比べて、溶接パス毎のワイヤ溶融量を数倍に増すことができ、溶接速度が速く、溶接パス数が少なく、溶接時間を短縮することができる。
【0047】
溶接制御装置99aは、溶接トーチ77を搭載した溶接台車4(図示省略)の走行を指令制御し、MIG溶接電源88の出力及びワイヤ供給装置11を指令制御し、溶接トーチ77(ワイヤ5)の左右位置、上下位置を必要に応じて指令調整するものである。さらに、操作ペンダント99bは、溶接制御装置99aに接続されており、溶接条件調整手段、トーチ位置調整手段を内蔵している。操作ペンダント99bに内蔵されている溶接条件調整手段により、パルスアーク溶接時に使用するピーク電流かピーク電圧とそのピーク時間、ベース電流かベース電圧とそのベース時間、ワイヤ送り速度と同期制御の平均溶接電流、この平均溶接電流に適した平均溶接電圧、溶接速度又はこの溶接速度に該当する走行速度の各条件値を設定したり、これらの条件値を溶接中に割り込んで調整したりすることができる。また、ショートアーク溶接時や臨界電流より高い電流になる直流アーク溶接時に使用する平均溶接電流、この平均溶接電流に適した平均溶接電圧、溶接速度の各条件値を設定、調整することができる。さらに、溶接トーチ位置(ワイヤ位置)調整手段により、溶接トーチ77の位置ずれを調整したりすることもできる。アーク溶接部分に流すシールドガス34は、不活性の純Arガス、あるいはAr+2〜5%O入りの混合ガスをシールドガスに用いるとよい。数パーセントの酸素ガスを混合することにより、純Arガスと比べてアークのふらつきを小さく、ワイヤ溶滴の移行を促進することができる。
【0048】
図3に示した積層溶接では、開先裏面から特定の累計積層ビード高さHbまで、タングステン6をアーク溶接の電極に使用し、オーステナイト系ワイヤ56を開先内3で溶融させて積層溶接41した第1の溶接金属部411と、この第1の溶接金属部411のビード表面と接する開先内3の残りの溶接部分から開先上面部の最終層まで、ワイヤ5を電極に使用するアーク溶接に変更し、マルテンサイト系ワイヤ57を溶融させて積層溶接43した第3の溶接金属部433とを有するようにしている。
【0049】
開先裏面から特定の累計積層ビード高さHbまで、タングステン6をアーク溶接の電極に使用し、オーステナイト系ワイヤ56を開先内3で溶融させる非消耗電極方式のアーク溶接61(TIG溶接)を繰返し行って積層溶接41した第1の溶接金属部411を形成している。そして、この第1の溶接金属部411のビード表面と接する開先内3の残りの溶接部分から開先上面部の最終層まで、ワイヤ5を電極に使用するアーク溶接に変更し、マルテンサイト系ワイヤ57を溶融させる消耗電極方式のアーク溶接62(MIG溶接)を繰返し行って積層溶接43した第3の溶接金属部433を形成するようにしている。
【0050】
このように積層溶接41、43して、第1の溶接金属部411と第3の溶接金属部433とを形成することにより、高温水などの腐食環境下にさらされる内面側又は底面側の溶接裏面部から特定の高さ位置まで、開先継手材と同質系のオーステナイト系の溶接金属で充填できるばかりでなく、この第1の溶接金属部411の上部に、マルテンサイト系の第3の溶接金属部433で確実に充填することができる。その結果、溶接時の温度下降過程でマルテンサイト変態を生じる溶接金属部に膨張作用及び張力が生じ、底面側の溶接裏面部及びその近傍に残留する引張応力を圧縮応力に改善することができる。同時に、最終層の溶接表面部及びその近傍に残留する引張応力を従来より大幅に低減することもできる。また、消耗電極方式のアーク溶接(MIG溶接)を施工することにより、上述したように、溶け込みが深く、ワイヤ溶着量も格段に多いため、溶接速度を速くでき、片面角度θが少し広い開先断面積であっても、少ないパス数で積層溶接43でき、第3の溶接金属部433を良好に得ることができる。
【0051】
マルテンサイト系ワイヤは、上述したように、オーステナイト系ステンレス鋼の溶接継手材と融合性の良いマルテンサイト系のステンレスワイヤであって、少なくとも化学組成のNiが8〜12重量%、Crが8〜12重量%含有し、マルテンサイト変態開始温度が100℃以上、300℃以下であるマルテンサイト系ステンレスワイヤを使用するとよい。また、フラックス入りのマルテンサイト系ステンレスワイヤを使用することも可能である。フラックス入りのマルテンサイト系ステンレスワイヤは、特に、このワイヤをアーク溶接の電極にして溶融させる消耗電極方式のアーク溶接に使用するとよい。アーク溶接中に生成するスラグを溶接後に除去する必要があるが、ワイヤの溶融性が良く、アークのふらつきが小さく、少ないシールドガス流量でもポロシティなどの溶接欠陥が発生しない良好な溶接結果を得ることが可能である。また、MIG溶接の代わりに、大電流でワイヤ溶融量が格段に高いサブマージアーク溶接を施工することも可能である。
【0052】
図4は、ステンレス鋼の多層盛溶接方法を説明する図である。溶接前に行う最初の開先形状の製作工程51において、図1(1)及び図2(1)で説明したように、溶接対象の継手部材1、2を所定寸法に機械加工したり、溶接場所に搬送したり、加工後の継手部材や部品を組立したりする。次の第1の溶接準備工程52において、非消耗性のタングステンをアーク溶接の電極6に使用する非消耗電極方式のアーク溶接61の施工に必要な溶接台車4に溶接トーチ7、ワイヤ5などを取り付け、TIG溶接電源8や溶接制御装置9aを立上げて溶接動作の準備、溶接条件の設定を行う。ワイヤ5は、開先継手材の材質と同質系のオーステナイト系ワイヤ56を送給できるように準備するとよい。
【0053】
次の第1の積層溶接工程41において、図1及び図4に示したように、非消耗性のタングステンをアーク溶接の電極6に使用し、初層裏波溶接を含む開先裏面から特定の累計積層ビード高さHbまで、開先継手1、2の材質と同質系のオーステナイト系ワイヤ56を開先内3で溶融させて積層溶接41する。また、非消耗性のタングステンをアーク溶接の電極6に使用し、開先裏面から特定の累計積層ビード高さHbまで、開先継手の材質と同質系のオーステナイト系ワイヤ56を開先内3で溶融させる非消耗電極方式のアーク溶接61を繰返し行って積層溶接41した第1の溶接金属部411を形成するようにしている。このように第1の積層溶接工程41で積層溶接することにより、高温水などの腐食環境下にさらされる内面側又は底面側の溶接裏面部及びこの溶接裏面部から特定の高さ位置まで、開先継手材と同質系のオーステナイト系の溶接金属で確実に充填でき、第1の溶接金属部411を良好に得ることができる。
【0054】
最初の初層裏波溶接では、形成すべき裏ビード幅Bの適正範囲を4〜7mm、好ましくは4〜6mmに特定し、裏面側1b、2bまで溶融可能な入熱アークの初層条件を出力させ、裏ビード幅wが特定範囲に形成するように、1つ以上の条件因子(例えば、ピーク電流か平均溶接電流、ピーク電圧か平均アーク電圧かアーク長、ワイヤ送り速度、溶接速度)を調整又は制御して施工するとよい。裏ビード幅を適正範囲に形成させることにより、溶接装置を操作する溶接士が代わっても個人差の影響がなくなり、目標にしている裏ビード幅を特定値の適正範囲(例えば4〜6mmの範囲)に確実に形成でき、凹みのない凸形状でほぼ均一な裏ビード幅を良好に得ることができる。この初層裏波溶接は、開先底部を浅く溶かすワイヤなしの仮付け溶接した後に行ってもよい。また、初層裏波溶接の終了後に行う2層目の溶接では、オーステナイト系ワイヤ56を使用すると共に、少なくとも初層溶接時に形成した裏ビード15を再溶融させない入熱条件に抑制した溶接条件(例えば、初層溶接条件の1/2〜2/3の入熱条件)に変更して、非消耗電極方式のパルスアーク溶接又は直流アーク溶接を行う。このように2層目溶接の入熱を抑制して溶接することにより、裏ビードの再溶融が確実に防止できると共に、表面側に積層するビード高さを増すことができる。
【0055】
また、第1の積層溶接工程41において溶接すべき累計積層ビード高さHbは、上述したように、開先継手の板厚Tの1/5以上から4/5以下、又は板厚Tの1/5以上から1/2以下の範囲に特定するとよい。あるいは前記累計積層ビード高さHbの代わりに、開先表面から残すべき残存開先深さHを用い、この残存開先深さHを板厚Tの1/5以上から1/2以下、又は板厚Tの1/5以上から1/2以下の範囲に特定することもできる。そして、この第1の積層溶接工程41では、少なくとも初層の溶接条件、2層目の溶接条件と異なる積層条件であって、溶接パスに該当する複数の適正な溶接条件(例えば、4kJ/cm〜12kJ/cmの低い入熱条件又は平均溶接電流が約120A〜200A、平均アーク電圧が9〜11Vのアーク条件)に変更して1層1パスづつ積層溶接41するように、非消耗電極方式のパルスアーク溶接又は直流アーク溶接を行うようにしている。なお、ほぼ一定の適正な溶接条件(例えば、約4kJ/cm、約6kJ/cm、約8kJ/cm、約10kJ/cm、あるいは約12kJ/cmに特定した低い入熱条件)に設定して積層溶接41するように、非消耗電極方式のパルスアーク溶接又は直流アーク溶接を行ってもよい。ワイヤ送り量については、溶接入熱条件に適した溶融可能なワイヤ量であり、例えば、形成すべきビード高さが0.5〜2.0mmの範囲内になるように送給するとよい。このように第1の積層溶接工程41で積層溶接41することにより、開先裏面から特定の累計積層ビード高さHbまでオーステナイト系ワイヤによる溶接金属で確実に充填でき、第1の溶接金属部411を良好に形成することができる。
【0056】
第2の積層溶接工程42において、図1及び図4にに示したように、非消耗性のタングステンをアーク溶接の電極6に再使用し、開先内の残りの溶接部分から開先上面部の最終層まで、オーステナイト系ワイヤ56と異なるマルテンサイト系ワイヤ57を溶融させて積層溶接42する。また、非消耗性のタングステンをアーク溶接の電極6に再使用し、開先内の残りの溶接部分から開先上面部の最終層まで、マルテンサイト系ワイヤ57を溶融させる非消耗電極方式のアーク溶接61を繰返し行って積層溶接42した第2の溶接金属部を形成するとすることもできる。このように第2の積層溶接工程42で積層溶接することにより、上述したように、オーステナイト系の第1の溶接金属部411の上部に、マルテンサイト系ワイヤ57の溶接金属を確実に充填でき、第1の溶接金属部411と異なる材質の第2の溶接金属部422を良好に得ることができる。また、マルテンサイト変態及び膨張効果によって、室温時の溶接金属部に膨張作用及び張力が生じ、開先底面側の溶接裏面部及びその近傍に残留する引張応力を圧縮応力に改善することができる。同時に、最終層の溶接表面部及びその近傍に残留する引張応力を従来より大幅に低減することもできる。また、1層1パス溶接が可能な狭い開先の多層盛溶接だけでなく、開先左右に振分ける1層2パス溶接を施工することにより、1パスでは溶けにくくなる開先幅の壁面であっても、入熱アークが同一条件のまま又は少し低く抑制した条件でも、この開先幅の両壁面を確実に溶融することができ、開先上面部の最終層まで良好な溶接結果を得ることができる。さらに、最終層の溶接パスを3パス以上に増すことにより、最終層の累計ビード幅をより広くすることができる。
【0057】
また、マルテンサイト系ワイヤ57を使用する積層溶接42では、この積層溶接42の以前にオーステナイト系ワイヤを使用して積層溶接41した時の最後の溶接条件又はこの最後前の溶接条件よりも小さい入熱量の適正な溶接条件に変更して溶接することにより、第1の溶接金属部411と異なる材質の第2の溶接金属部422を開先上面部まで良好に形成することができるばかりでなく、溶接による収縮変形やたわみ変形、熱影響部の領域を従来より小さくすることができる。あるいは前記最後の溶接条件又はこの最後前の溶接条件と同等の適正な溶接条件を再使用して溶接することにより、少ないパス数で積層できると共に、第1の溶接金属部411と異なる材質の第2の溶接金属部422を開先上面部まで良好に形成することができる。
【0058】
最終層の溶接30(P=N)では、開先表面1a、2aより少し盛り上る(例えは1mm程度の余盛り高さ)ように仕上げている。特に、この最終層の溶接30又は最終層の前層の溶接及び最終層の溶接30では、溶接トーチ4を左右に揺動させるウィービング溶接を行うとよい。このウィービング溶接によって溶接ビードの両止端部の溶け込みを良くし、貝殻模様のような波目を有する良好な溶接ビード外観を得ることができる。
【0059】
一方、ワイヤ5を電極に使用するアーク溶接に変更する場合には、図4に示したように、上述した第2の積層溶接工程42を施工せずに、左側に記載した第2の溶接準備工程53に移行する。この第2の溶接準備工程53では、消耗電極方式のアーク溶接62の施工に必要な別の機材である溶接台車、溶接トーチ、ワイヤなどの取付け、MIG溶接電源や溶接制御装置を立上げ、溶接動作の準備、溶接条件の設定を行う。そして、溶接準備の終了後に、第3の積層溶接工程43に移行する。この第3の積層溶接工程43では、図2(2)及び図3に示したように、ワイヤを電極に使用するアーク溶接に変更し、開先内3の残りの溶接部分から開先上面部の最終層まで、マルテンサイト系ワイヤ57を電極にして溶融させて積層溶接43するようにしている。また、ワイヤを電極に使用するアーク溶接に変更し、開先内3の残りの溶接部分から開先上面部の最終層まで、マルテンサイト系ワイヤ57を電極にして溶融させる消耗電極方式のアーク溶接62を繰返し行って積層溶接43した第3の溶接金属部433を形成するとすることもできる。このように第3の溶接工程433で積層溶接43することにより、オーステナイト系の第1の溶接金属部411の上部に、マルテンサイト系ワイヤ57の溶接金属を確実に充填でき、第1の溶接金属部411と異なる材質の第3の溶接金属部433を良好に得ることができる。その結果、マルテンサイト変態及び膨張効果によって、室温時の溶接金属部に膨張作用及び張力が生じ、開先底面側の溶接裏面部及びその近傍に残留する引張応力を圧縮応力に改善することができる。同時に、最終層の溶接表面部及びその近傍に残留する引張応力を従来より大幅に低減することもできる。
【0060】
図5は、ステンレス鋼の多層盛溶接方法を説明する図である。また、図6は、図5に示す手順で積層溶接した際の溶接断面を説明する図である。図3、図4に示す例との主な相違点は、非消耗電極方式のアーク溶接61(TIG溶接)による施工をなくし、非消耗電極方式のアーク溶接62(MIG溶接)を施工する溶接工程により、開先裏面から開先上面部の最終層まで積層溶接するようにしたことである。
【0061】
まず、第2の溶接準備工程53において、消耗電極方式のアーク溶接62の施工に必要な溶接台車、溶接トーチ、ワイヤなどを取付け、MIG溶接電源や溶接制御装置を立上げて、溶接動作の準備、溶接条件の設定を行う。この溶接準備の終了後に、第6の積層溶接工程46に移行する。
【0062】
第6の積層溶接工程46においては、図4に示した第1の積層溶接工程41のときと同様に、溶接すべき累計積層ビード高さHbを開先裏面より板厚Tの1/5以上から4/5以下のの範囲に特定し、あるいは残すべき残存開先深さHを開先表面より板厚Tの1/5以上から4/5以下の範囲に特定するとよい。そして、この特定範囲の累計積層ビード高さHb又は残存開先深さHに到達するまで、ワイヤ5をアーク溶接の電極に使用し、開先継手の材質と同質系のオーステナイト系ワイヤ56を電極にして開先内3で溶融させて積層溶接46する。また、前記特定範囲の累計積層ビード高さHb又は残存開先深さHに到達するまで、ワイヤ5をアーク溶接の電極に使用し、前記オーステナイト系ワイヤ56を電極にして開先内3で溶融させる消耗電極方式のアーク溶接62を繰返し行って積層溶接46した第6の溶接金属部466を形成することもできる。このように第6の積層溶接工程46で積層溶接することにより、図6に示したように、高温水などの腐食環境下にさらされる内面側又は底面側の溶接裏面部から特定の高さ位置まで、開先継手材と同質系のオーステナイト系の溶接金属で確実に充填でき、第6の溶接金属部466を良好に形成することができる。
【0063】
次の第3の積層溶接工程43では、図5及び図6に示したように、開先内3の残りの溶接部分から開先上面部の最終層まで、ワイヤをアーク溶接の電極に使用し、オーステナイト系ワイヤと異なるマルテンサイト系ワイヤ57を電極にして溶融させて積層溶接43する。また、1層1パスづつ積層溶接する途中で開先左右に振分けて1層2パスづつ積層溶接することもできる。さらに、開先内3の残りの溶接部分から開先上面部の最終層まで、オーステナイト系ワイヤと異なるマルテンサイト系ワイヤ57を電極にして溶融させる消耗電極方式のアーク溶接62を繰返し行って積層溶接43した第3の溶接金属部433を形成するとすることもできる。
【0064】
このように第3の積層溶接工程43で積層溶接することにより、オーステナイト系の第6の溶接金属部466の上部に、マルテンサイト系ワイヤ57の溶接金属を確実に充填でき、第6の溶接金属部466と異なる材質の第3の溶接金属部433を良好に形成することができる。また、上述したように、マルテンサイト変態及び膨張効果によって、室温時の溶接金属部に膨張作用及び張力が生じ、開先底面側の溶接裏面部及びその近傍に残留する引張応力を圧縮応力に改善することができる。同時に、最終層の溶接表面部及びその近傍に残留する引張応力を従来より大幅に低減することもできる。
【0065】
特に、MIG溶接(例えば、ショートアーク溶接)の場合は、溶接スパッタが発生し易いが、TIG溶接時と比べて溶接パス毎のワイヤ溶融量を数倍に増すことができ、溶接速度が速く、片面角度θが少し広い開先断面積であっても、溶接パス数が少なく、溶接時間を短縮することができる。また、パルスアーク溶接の場合には、臨界電流より充分に低い平均溶接電流での溶接であっても、1パルスで1溶滴移行が確実にでき、ショートアーク溶接時と比べて溶接スパッタの発生を大幅に低減することができる。
【0066】
図7は、ステンレス鋼の多層盛溶接方法の他の例を説明する図である。また、図8は、図7に示す手順で積層溶接(非消耗電極使用)した際の溶接断面を説明する図である。図9は、図7に示す手順で積層溶接(消耗電極使用)した際の溶接断面を説明する図である。
【0067】
図4に示す例との主な相違点は、マルテンサイト系ワイヤ56の代わりに、Ni基合金系ワイヤ58又は開先継手材の線膨張係数より小さい線膨張係数を有する他のオーステナイト系ワイヤ59を使用する第4の積層溶接工程44と第5の積層溶接工程45とを設けたことである。なお、継手部材の加工や組立などをする開先形状の製作工程51、タングステン6を電極に使用する非消耗電極方式のアーク溶接61の準備をする第1の溶接準備工程52、ワイヤ5を電極に使用する消耗電極方式のアーク溶接62の準備をする第2の溶接準備工程53は、図4に示す例と同じである。
【0068】
特に、第4の積層溶接工程44においては、図7及び図8に示したように、第1の積層溶接工程41の終了後に、非消耗性のタングステン電極6をアーク溶接の電極に再使用し、開先内3の残りの溶接部分から開先上面部の最終層まで、Ni基合金系ワイヤ58又は開先継手材の線膨張係数より小さい線膨張係数を有する他のオーステナイト系ワイヤ59を溶融させて積層溶接44するようにしている。また、非消耗性のタングステン電極6をアーク溶接の電極に再使用し、開先内3の残りの溶接部分から開先上面部の最終層まで、Ni基合金系ワイヤ58又は開先継手材の線膨張係数より小さい線膨張係数を有する他のオーステナイト系ワイヤ59を溶融させる消耗電極方式のアーク溶接62を繰返し行って積層溶接44した第4の溶接金属部444を形成するとすることもできる。
【0069】
このように第4の積層溶接工程44で積層溶接することにより、第1の溶接金属部411の上部に、前記Ni基合金系ワイヤ58又は前記他のオーステナイト系ワイヤ59の溶接金属を確実に充填でき、第1の溶接金属部411と異なる材質の第4の溶接金属部444を良好に得ることができる。その結果、溶接時の温度降下過程で生じる線膨張係数の偏差によって、前記第4の溶接金属部444に収縮抑制作用及び張力が生じ、底面側の溶接裏面部及びその近傍に残留する引張応力を圧縮応力に改善する又は大幅低減することができる。同時に、最終層の溶接表面部及びその近傍に残留する引張応力を従来より大幅に低減することもできる。
【0070】
また、第5の積層溶接工程45においては、図7及び図9に示したように、ワイヤ5を電極に使用するアーク溶接に変更し、開先内3の残りの溶接部分から開先上面部の最終層まで、Ni基合金系ワイヤ58又は開先継手材の線膨張係数より小さい線膨張係数を有する他のオーステナイト系ワイヤ59を電極にして溶融させて積層溶接45するようにしている。また、ワイヤ5を電極に使用するアーク溶接に変更し、開先内3の残りの溶接部分から開先上面部の最終層まで、Ni基合金系ワイヤ58又は開先継手材の線膨張係数より小さい線膨張係数を有する他のオーステナイト系ワイヤ59を電極にして溶融させる消耗電極方式のアーク溶接62を繰返し行って積層溶接45した第5の溶接金属部455を形成するとすることもできる。このように第5の積層溶接工程45で積層溶接45することにより、第1の溶接金属部411の上部に、前記Ni基合金系ワイヤ58又は前記他のオーステナイト系ワイヤ59の溶接金属を確実に充填でき、前記第1の溶接金属部411と異なる材質の第5の溶接金属部455を良好に形成すことができる。その結果、溶接時の温度降下過程で生じる線膨張係数の偏差によって、第5の溶接金属部455に収縮抑制作用及び張力が生じ、上述したように、底面側の溶接裏面部及びその近傍に残留する引張応力を圧縮応力に改善する又は大幅低減することができる。同時に、最終層の溶接表面部及びその近傍に残留する引張応力を従来より大幅に低減することもできる。
【0071】
図1ないし図9に示したように、前記第1の溶接金属部411の形成に際しては、非消耗性のタングステンをアーク溶接の電極に使用し、前記オーステナイト系ワイヤ56を開先内3で溶融させる非消耗電極方式のアーク溶接61を繰返し行って形成し、また、前記第2の溶接金属部422の形成に際しては、前記タングステン電極を再使用し、マルテンサイト系ワイヤ57を溶融させる非消耗電極方式のアーク溶接61を繰返し行って形成し、前記第3の溶接金属部433の形成に際しては、ワイヤ5を電極に使用するアーク溶接に変更し、マルテンサイト系ワイヤ57を電極にして溶融させる消耗電極方式のアーク溶接62を繰返し行って形成することができる。
【0072】
また、前記第4の溶接金属部444の形成に際しては、前記タングステン電極を再使用し、Ni基合金系ワイヤ58又は開先継手材の線膨張係数より小さい線膨張係数を持つ他のオーステナイト系ワイヤ59を溶融させる非消耗電極方式のアーク溶接61を繰返し行って形成し、前記第5の溶接金属部455の形成に際しては、ワイヤ5を電極に使用するアーク溶接に変更し、Ni基合金系ワイヤ58又は開先継手材の線膨張係数より小さい線膨張係数を持つ他のオーステナイト系ワイヤ59を電極にして溶融させる消耗電極方式のアーク溶接62を繰返し行って形成し、また、前記第6の溶接金属部466の形成に際しては、前記オーステナイト系ワイヤ56を電極にして開先内3で溶融させる消耗電極方式のアーク溶接62を繰返し行って形成することができる。
【0073】
また、図1ないし図9に示したように、前記第1の溶接金属部411は第1の積層溶接工程41により形成し、前記第2の溶接金属部422は第2の積層工程42により形成し、前記第3の溶接金属部433は第3の積層工程43により形成し、前記第4の溶接金属部444は第4の積層工程44により形成し、前記第5の溶接金属部455は第5の積層工程45により形成し、前記第6の溶接金属部466は第6の積層工程46により形成する。 表1にこれらの溶接施工条件の一例を示す。
【表1】

【0074】
図10は、ステンレス鋼の多層盛溶接構造及び多層盛溶接方法の他の例を説明する図であり、図10(1)は溶接前の継手部材の開先断面を示す図、図10(2)は溶接装置および溶接中における溶接断面を示す図、図10(3)は非消耗性のタングステンをアーク溶接の電極に使用し、開先底部から板厚Tの約1/2の高さHbまで、オーステナイト系ワイヤを開先内で溶融させて積層溶接し、その後に、残りの溶接部分から開先上面部の最終層まで、マルテンサイト系ワイヤを溶融させて積層溶接したときの溶接断面を示す図、図10(4)は図10(3)と同様に、非消耗性のタングステンをアーク溶接の電極に使用し、板厚Tの約3/4の高さHbまで、オーステナイト系ワイヤを開先内で溶融させて積層溶接し、その後に、残りの溶接部分から開先上面部まで、マルテンサイト系ワイヤを溶融させて積層溶接したときの溶接断面を示す図である。なお、図1に示す例との主な相違点は、ワイヤ通電加熱電源81を設けた点にある。ワイヤ通電加熱電源は、ワイヤホルダ25を介して送給するワイヤ5を通電加熱する電源である。このワイヤ5への通電加熱は、図13及び図14に示す第1の積層溶接工程及び第2の積層溶接工程において溶接施工する際に使用し、ワイヤ電流の大きさに応じてワイヤ溶融量を増加することができる。
【0075】
図11は、多層盛溶接による溶接断面を説明する図であり、図10に示す積層溶接と異なる方法で積層溶接したときの溶接断面である。図12は、ステンレス鋼の多層盛溶接構造及びその多層盛溶接方法に係わる溶接装置を説明する図である。また、図13は、ステンレス鋼の多層盛溶接方法の溶接手順を説明する図である。
【0076】
この例の場合においても、図10(1)に示すように、継手部材1、2は、開先裏面1b、2b側に裏ビード15を形成させると共に、開先表面1a、2a側の開先上面部まで積層する多層盛溶接が必要な容器や配管や案内管など厚板の管部材又は厚板の平板部材を突き合せた狭い開先継手である。特に、原子力発電プラント、火力発電プラント、化学プラントなどで使用されるオーステナイト系のステンレス鋼材からなる狭開先継手の場合には、多層盛溶接の施工によって裏面側の溶接部分(裏ビード15及びその近傍)に残留する応力を圧縮応力に改善することが重要である。開先継手1、2の形状は、開先底部の開先幅wを最小で4mm以上、最大で8mm以下の寸法にし、開先上面部までの片面角度θを10°以下の狭い開先にしている。また、開先底部のルートフェイスfについては、約1〜2.5mmの範囲に形成するとよい。このように開先形状を形成することにより、溶接すべき開先断面積を従来より大幅に小さくでき、溶接パス毎の入熱量、溶接熱による収縮変形を従来より減少することができる。また、初層裏波溶接で裏面側に裏ビード15が容易に形成できるばかりでなく、この初層裏波溶接から開先上面部の最終層溶接までに必要なワイヤ使用量の削減、溶接工数の低減を図ることができる。
【0077】
図10(2)及び図12に示すように、アーク溶接は、溶接トーチ7(TIGトーチ)に装備した非消耗性の電極6先端と継手部材1、2との間にTIG溶接電源8より給電して開先内でアーク10を発生させ、ワイヤを通電加熱しながら開先内のアーク溶接部分に送給及び溶融させて溶接するようにしている。TIG溶接電源8は、溶接トーチ7先端の電極6と継手部材1、2との間に接続されており、溶接モードを選択するスイッチによってパルスアーク溶接又は直流アーク溶接の切り換えが可能な溶接電源である。パルスアーク溶接を選択した場合は、このパルスアーク溶接の給電に必要なピーク電流とベース電流、アーク電圧などの各条件値を任意に出力でき、また、パルス周波数の任意変更(例えば1Hz〜最大500Hz)もできるようになっている。直流アーク溶接を選択した場合には、溶接電流(平均電流)に該当する所望の直流電流、アーク電圧(平均アーク電圧)を出力することができる。また、ワイヤ通電加熱電源81は、ワイヤホルダ25を介して送給するワイヤ5を通電加熱する電源である。このワイヤ5への通電加熱は、図13及び図14に示す第1の積層溶接工程及び第2の積層溶接工程で溶接施工するときに使用し、ワイヤ電流の大きさに応じてワイヤ溶融量を増加することができる。
【0078】
また、溶接制御装置9aは、図10(2)及び図12に示したように、溶接トーチ7及びワイヤ5を搭載した溶接台車4の走行を指令制御し、TIG溶接電源8の出力を指令制御し、ワイヤ通電加熱電源81の出力を指令制御し、溶接トーチ7(電極6)の左右位置、上下位置を必要に応じて指令制御し、アーク10溶接部分へのワイヤ5の供給、このワイヤ5の左右位置及び上下位置を必要に応じて調整するものである。また、操作ペンダント9bは、溶接制御装置9aに接続されており、溶接条件調整手段、トーチ位置及びワイヤ位置調整手段を内蔵している。
【0079】
パルスアーク溶接の場合は、操作ペンダント9bに内蔵されている溶接条件調整手段により、ピーク電流とそのピーク電流時間、ベース電流とそのベース電流時間、又はパルス周波数とピーク電流の時間比率、電極高さの制御(AVC制御)に使用するピーク電圧又はベース電圧又は平均アーク電圧、通電加熱するためのワイヤ電流、ワイヤ送り速度、溶接速度又はこの溶接速度に該当する走行速度の各条件値を設定したり、これらの条件値を溶接中に割り込んで調整したりすることができるようになっている。また、トーチ位置及びワイヤ位置調整手段により、前記溶接トーチ7の位置ずれや、ワイヤ5の位置ずれを調整したりすることができるようになっている。一方、直流アーク溶接の場合には、前記溶接条件調整手段により、直流アーク溶接で出力すべき平均電流、電極高さの制御(AVC制御)に使用する平均アーク電圧又はアーク長、通電加熱するためのワイヤ電流、ワイヤ送り速度、溶接速度又はこの溶接速度に該当する走行速度の各条件値を設定したり、これらの条件値を溶接中に割り込んで調整したりすることができるようになっている。また、パルスアーク溶接の場合と同様に、トーチ位置及びワイヤ位置調整手段により、溶接トーチ7の位置ずれ、ワイヤ5の位置ずれを調整したりすることができるようになっている。
【0080】
さらに、前記操作ペンダント9bに内蔵している溶接条件調整手段には、仮付け溶接で出力すべき小入熱の仮付け条件、初層裏波溶接で出力すべき初層条件、特定の積層ビード高さまで積層溶接する第1の積層溶接工程で出力すべき複数の積層条件、その後に、開先上面部の最終層まで積層溶接する第2の積層溶接工程で出力すべき複数の積層条件を設定、記憶及び再生が可能な機能を有している。この溶接条件調整手段に相当する機能を有する溶接データファイルや他の手段であってもよい。また、前記操作ペンダント9bは、溶接実行手段を兼用しており、前記溶接条件調整手段又はこの溶接条件調整手段に相当する溶接データファイルに予め設定された層別又はパス別の各溶接条件に基づいて、仮付け溶接、初層裏波溶接を含む第1の積層溶接工程での積層溶接41、第2の積層溶接工程での積層溶接42又は第3の積層溶接工程での積層溶接43を順番に実行できるようになっている。
【0081】
開先内3のアーク10溶接部分に流すシールドガス33は、不活性の純Arガス、あるいはAr+数パーセントH入りの混合ガス又はAr+数十パーセントHe入りの混合ガスを使用すればよい。これらの混合ガスを使用すると、純Arガスと比べてエネルギ密度やアークの集中性が高まり、溶融状態及び溶け込みを良くでき、溶接速度も上げることができる。
【0082】
ワイヤ5については、2種類のワイヤを使い分けている。すなわち、図10、図11及び図13に示したように、第1の溶接金属部411の積層溶接411では、開先継手の部材1、2の材質(例えば、SUS304系、SUS316系)と同質系のオーステナイト系ワイヤ56(例えば、外径がφ0.8〜φ1.2で、Y308、Y316の市販ワイヤ)を使用している。前記開先継手部材1、2が他のオーステナイト系ステンレス(例えば、SUS309系、SUS321系など)であれば、この継手部材の材質に合った同質系のオーステナイト系ワイヤ56を用いて積層溶接41すればよい。また、前記第1の溶接金属部41の上部に、積層すべき第2の溶接金属部422の積層溶接42では、前記オーステナイト系ワイヤと異なるマルテンサイト系ワイヤ57を使用している。このマルテンサイト系ワイヤ57は、オーステナイト系ステンレス鋼の溶接継手材1、2と融合性の良いマルテンサイト系のステンレスワイヤであって、少なくとも化学組成のNiが8〜12重量%、Crが8〜12重量%含有し、マルテンサイト変態開始温度が100℃以上、300℃以下であるマルテンサイト系ステンレスワイヤを使用している。さらに、図14及び図15を参照して後述するが、第3の溶接金属部433の積層溶接43では、前記マルテンサイト系ワイヤと異なるNi基合金系ワイヤ58を使用している。このNi基合金系ワイヤ58は、前記ステンレス鋼の異材金属との溶接可能な高ニッケル合金であり、例えば、インコネル82ワイヤ(YNiCr−3)、インコネル625ワイヤ(YNiCrMo−3)を用いればよい。
【0083】
一方、非消耗性のタングステン電極6は、高融点材のLa入りW、Y入りW、ThO入りWの電極棒であり、開先内に挿入可能な細径の丸電極を使用すればよい。例えば、外径φ1.6mm、又はφ2.4mmの細径の電極を使用(電極先端のみを円錐形状に加工して使用)することにより、シールドガス流入の雰囲気内で、この細径の電極先端と開先底部との間に発生させるアーク10が開先内3の壁面側にはい上がることなく、溶融すべき開先底部の部分に前記アークを安定に保持することができる。さらに、前記細径の丸電極6は、安価に入手できると共に、丸電極棒の先端のみを簡便な電極研磨器で簡単に円錐加工することができ、電極消耗時の再加工、溶接トーチへの取付け取り外し作業が容易で使い勝手がよい。また、この細径の丸電極6の代わりに、太径の電極下部の横幅を開先幅wより狭い偏平形状にした非消耗性の偏平電極を使用することも可能である。この偏平形状の電極は、太径の丸電極下部の横幅を偏平形状に加工するための製作費用を要するが、上述した細径の丸電極6とほぼ同様に、電極先端のみを簡便な電極研磨器によって簡単に円錐加工でき、溶接トーチへの取付け取り外し作業容易である。
【0084】
図12に示した例では、特に、レール上を走行する溶接台車4に搭載されている溶接トーチ7(TIGトーチ)に装着した非消耗性の電極6と、ワイヤ5を案内するワイヤホルダ25の両方とを開先内3に挿入し、シールドガス33の流入雰囲気で発生させるアーク10中及び溶融プール中にワイヤ5を送給し、開先底部の裏面側に裏ビード15を形成させる初層裏波溶接を行っている状況を示している。また、溶接台車4には、表面側の溶接状態を監視するための第1のカメラ35を、溶接トーチ7とワイヤホルダ25との上部中間に配備している。この第1のカメラ35と一対のカメラ制御器36によって撮像する表面側の溶接状態の映像を第1の映像モニタ装置37に画面表示して監視できるようにしている。前記第1のカメラ35、第1の映像モニタ装置37に相当する他の第1の映像手段、第1の映像表示手段であってもよい。前記第1の映像モニタ装置37の画面には、開先表面1a、2a側から開先内3に挿入した電極6とワイヤ5、表側のアーク10及び溶融プール18、この溶融プール18及び電極6の後方に形成する表側の溶接ビード39の状態を表示している。前記第1の映像モニタ装置37に画面表示する表面側の溶接状態の監視結果に基づいて、電極6の位置又はこの電極位置及びワイヤ5位置を調整又は制御することにより、電極6の位置ずれ(例えば左右方向の電極位置ずれ)やワイヤ5の位置ずれ(例えば左右方向、上下方向のワイヤ位置ずれ)をなくすことができる。また、溶接条件の因子も調整又は制御することもできる。なお、図12に示した例では、継手部材1、2側を位置決め固定した状態で、溶接台車4に搭載している溶接トーチ7側を走行させて溶接するようにしているが、溶接トーチ7の走行を停止した状態で、継手部材1、2側を走行移動させて溶接する施工であってもよい。
【0085】
特に、開先低部の初層裏波溶接では、形成すべき裏ビード幅Bの適正範囲を4〜7mm、好ましくは4〜6mmに特定し、裏面側1b、2bまで溶融可能な入熱アークの初層条件を出力させ、裏ビード幅wが特定範囲に形成するように施工するとよい。例えば、前記パルスアーク溶接のピーク電流、ベース電流、ピーク電圧又は平均アーク電圧又はアーク長、ワイヤ送り速度のいずれか1つ以上の条件因子を調整又は制御し、あるいは前記直流アーク溶接の平均電流、平均アーク電圧又はアーク長、ワイヤ送り速度のいずれか1つ以上の条件因子を調整又は制御し、裏面側の溶融プール幅又はこの溶融プール近傍の裏ビード幅が前記特定の適正範囲に形成させることにより、溶接装置を操作する溶接士が代わっても個人差の影響がなくなり、目標にしている裏ビード幅を特定値の適正範囲(例えば4〜6mmの範囲)に確実に形成でき、凹みのない凸形状でほぼ均一な裏ビード幅を良好に得ることができる。この初層裏波溶接は、開先底部を浅く溶かすワイヤなしの仮付け溶接した後に行ってもよい。また、初層裏波溶接の終了後に行う2層目の溶接では、オーステナイト系ワイヤを使用すると共に、少なくとも初層溶接時に形成した裏ビード15を再溶融させない入熱条件に抑制した溶接条件(例えば、初層溶接条件の1/2〜2/3の入熱条件)に変更して、非消耗電極方式のパルスアーク溶接又は直流アーク溶接を行うようにしている。このように2層目溶接の入熱を抑制して溶接することにより、裏ビードの再溶融が確実に防止できると共に、表面側に積層するビード高さを増すことができる。
【0086】
本実施形態の多層盛溶接施工では、図10及び図11に示したように、初層裏波溶接によって開先底部の裏面側1b、2bに前記特定範囲の裏ビード幅Bを形成させた後に、前記初層裏波溶接の部分21を含む開先裏面1b、2bから特定の累計積層ビード高さHbまで、開先継手1、2の材質と同質系のオーステナイト系ワイヤ56を通電加熱しながら開先内3のアーク10溶接部分に送給及び溶融させ、又は前記オーステナイト系ワイヤ56を無通電のまま開先内3のアーク10溶接部分に送給して溶融させて、積層溶接41した第1の溶接金属部411と、この第1の溶接金属部411のビード表面と接する開先内3の残りの溶接部分から開先上面部1a、2aの最終層30まで、前記オーステナイト系ワイヤ56と異なるマルテンサイト系ワイヤ57を通電加熱しながら開先内3のアーク10溶接部分に送給及び溶融させ、又は前記マルテンサイト系ワイヤ57を無通電のまま開先内3のアーク10溶接部分に送給及び溶融させて積層溶接42した第2の溶接金属部422とを有するようにしている。
【0087】
また、前記初層裏波溶接によって開先底部の裏面側1b、2bに前記特定範囲の裏ビード幅Bを形成させた後に、前記初層裏波溶接の部分21を含む開先裏面1b、2bから特定の累計積層ビード高さHbまで、開先継手1、2の材質と同質系のオーステナイト系ワイヤ56を通電加熱しながら開先内3のアーク10溶接部分に送給及び溶融させ、又は前記オーステナイト系ワイヤを無通電のまま開先内3のアーク10溶接部分に送給して溶融させて積層溶接41し、この積層溶接41の終了後に、開先内3の残りの溶接部分から開先上面部の最終層30まで、前記オーステナイト系ワイヤ56と異なるマルテンサイト系ワイヤ57を通電加熱しながら開先内3のアーク溶接部分に送給及び溶融させ、又は前記マルテンサイト系ワイヤを無通電のまま開先内3のアーク溶接部分に送給及び溶融させて、1層1パスづつ積層溶接42するか又は1層1パスづつ積層する途中で必要に応じて開先左右に振分けて1層2パスづつ積層溶接42するか又は最終層の溶接パスを3パス以上に増して積層溶接42するとすることもできる。
【0088】
このように溶接施工することにより、多層盛溶接及び溶接裏面部分の残留応力改善が必要な厚板の容器や配管などの管部材又は平板部材の開先継手であっても、溶接時の温度下降過程でマルテンサイト変態を生じる前記第1の溶接金属部に膨張作用及び張力が生じ、底面側の溶接裏面部及びその近傍に残留する引張応力を圧縮応力に改善することができる。同時に、最終層の溶接表面部及びその近傍に残留する引張応力を従来より大幅に低減することもできる。さらに、残留応力を圧縮応力に改善できる結果、溶接完了後に、残留応力を除去するための高価な加熱処理装置を設けたり、加熱処理を行う必要がなくなり、コスト低減を図ることができるばかりでなく、原子力発電プラントなどの実機適用稼働における残留応力腐食割れ防止、長寿命化に寄与することができる。
【0089】
特に、ワイヤを通電加熱(ワイヤ電流を流す)しながら開先内のアーク溶接部分に送給及び溶融させることにより、ワイヤ無通電時のワイヤ溶融量に比べて溶接パス毎のワイヤ溶融量を増加することができ、積層すべき特定の高さ位置まで少ない溶接パス数で良好に仕上ることができる。このワイヤの通電加熱は必要な溶接パスを選択して行えばよい。また、非消耗電極方式のパルスアーク溶接又は直流アーク溶接を行っているため、、従来のMIG溶接など消耗電極方式のアーク溶接で多発する問題のスパッタの発生がなく、きれいなビード外観、安定な溶け込み形状を確実に得ることができる。さらに、1層1パス溶接が可能な狭い開先の多層盛溶接だけでなく、1パスでは溶けにくくなる開先幅の壁面であっても、入熱アークが同一条件のまま又は少し低く抑制した条件でも、1層2パス溶接によって、この開先幅の両壁面を確実に溶融することができ、開先上面部の最終層まで良好な溶接結果を得ることができる。さらに、最終層の溶接パスを3パス以上に増すことにより、最終層の累計ビード幅をより広くすることができる。
【0090】
開先裏面から溶接すべき前記累計積層ビード高さHbは、板厚Tの1/5以上から4/5以下の範囲に特定するとよい。そして、この特定した累計積層ビード高さHbまで、オーステナイト系ワイヤ56を通電加熱しながら開先内3のアーク溶接部分に送給及び溶融させて1層1パスづつ積層溶接41し、あるいは前記オーステナイト系ワイヤ56を無通電のまま開先内のアーク溶接部分に送給及び溶融させて1層1パスづつ積層溶接41することにより、溶接裏面部から特定の高さ位置まで、開先継手材1、2と同質系のオーステナイト系の溶接金属で充填でき、第1の溶接金属部411を確実に得ることができる。また、この累計積層ビード高さHbの代わりに、残すべき残存開先深さHを設け(H=T−Hbに該当)、板厚Tの1/5以上から4/5以下の範囲に特定し、この特定した前記残存開先深さHまで、前記オーステナイト系ワイヤ56を溶融させて前記積層溶接56するようにすることもできる。
【0091】
なお、溶接すべき前記累計積層ビード高さHbが板厚Tの1/5より小さ過ぎる又は残すべき前記残存開先深さHが板厚Tの4/5より大き過ぎると、腐食環境下にさらされる溶接裏面部分の耐食性保持、腐食進行の防止を損なうおそれがある。この前記累計積層ビード高さHbの最小値は、板厚Tの大小によって変化するが、少なくとも2層目の溶接ビード高さまでは、オーステナイト系ワイヤ56を用いて溶接施工することが好ましい。一方、前記累計積層ビード高さHbが板厚Tの4/5より大き過ぎる又は残すべき前記残存開先深さHが板厚Tの1/5より小さ過ぎると、その後に、オーステナイト系ワイヤ56と異なるマルテンサイト系ワイヤ57を開先上部の最終層30まで積層溶接41すべき部分が少な過ぎるため、室温時の溶接金属部に生じさせるマルテンサイト変態による膨張効果及び張力が相対的に低下し、反対側の最も離れた溶接裏面部及びその近傍に残留する引張応力を圧縮応力に変えることができないので好ましくない。同様に、マルテンサイト系ワイヤ57の代わりに、Ni基合金系ワイヤ58又は開先継手材の線膨張係数より小さい線膨張係数を持つ他のオーステナイト系ワイヤ59を使用する場合も、開先上部の最終層30まで積層溶接43すべき部分が少な過ぎるため、反対側の最も離れた溶接裏面部及びその近傍に残留する引張応力を圧縮応力に変えることができないので好ましくない。したがって、前記累計積層ビード高さHbは板厚Tの4/5以下にするとよい。また、前記残存開先深さHは板厚Tの1/5以下にするとよい。
【0092】
一方、図13に示したように、溶接前に行う最初の開先形状の製作工程51では、溶接対象の継手部材を所定寸法に機械加工したり、溶接場所に搬送したり、加工後の継手部材や部品を組立したりする。例えば、この製作工程51で、図10(1)で説明したように、開先底部の開先幅w又はこの開先底部中央に挿入するインサート材の幅を含む開先幅wを最小で4mm以上、最大で8mm以下の寸法、開先上面部までの片面角度(垂直面に対する開き角度)θを10°以下の狭い開先形状に形成することにより、上述したように、溶接すべき開先断面積を従来より大幅に小さくでき、溶接パス毎の入熱量、溶接熱による収縮変形を従来より減少することができる。また、初層裏波溶接で裏面側に裏ビード15が容易に形成できるばかりでなく、この初層裏波溶接から開先上面部の最終層溶接までに必要なワイヤ使用量の削減、溶接工数の低減を図ることができる。なお、この片面角度θを広くした開先継手を多層盛溶接することは可能であるが、板厚T又は開先深さHの増加と共に、溶接すべき開先断面積Aが増大(A=H2*tanθ+H*w)するため、溶接パス数の増加や溶接作業時間の増加、累計入熱量及び収縮変形も増加することになる。これを抑制するべく、前記片面角度θを10°以下に限定した。
【0093】
開先底部のルートフェイスfについては、約1〜2.5mmの範囲に形成すること、好ましくは約1.5mm前後に形成することにより、裏面側まで容易に溶融でき、裏ビードを確実に得ることができる。また、インサート材19を開先底部中央に挿入することにより、開先底部の突合せ部に生じ易い段違いやギャップの影響を緩和することができ、特に、初層裏波溶接時に、凹みのない凸形状でほぼ均一な裏ビード幅を良好に得ることができる。なお、開先底部の開先幅wについては、4mm未満になると、狭すぎるため、その開先内に挿入する電極6の外面と開先内3の壁面との隙間が極端に狭く、しかも、初層溶接及びその後の溶接による熱収縮によって開先幅全体が収縮し、開先壁面への電極6の接触やアーク発生が起こり易く、開先上部までの積層溶接が困難に至る。一方、開先底部の開先幅wが8mmを超えると、広すぎるため、開先面積の増加によって溶接パス数及びワイヤ使用量が増加し、溶接工数も増す結果となる。したがって、開先底部の開先幅wの適正範囲を4mm以上、8mm以下に特定した。
【0094】
次の溶接準備工程52では、溶接台車4、溶接トーチ7、ワイヤ5などの取付け、TIG溶接電源8や溶接制御装置9aやワイヤ通電加熱電源81の立上げ、溶接動作の準備、溶接条件の設定を行う。ワイヤ5は、開先継手材1、2の材質と同質系のオーステナイト系ワイヤ56を送給できるように準備するとよい。
【0095】
そして、次の第1の積層溶接工程41では、図10及び図13に示したように、前記初層裏波溶接の部分を含む開先裏面より板厚Tの1/5以上から4/5以下の特定範囲の累計積層ビード高さHbまで、開先継手1、2の材質と同質系のオーステナイト系ワイヤ56を通電加熱しながら開先内3のアーク10溶接部分に送給及び溶融させ、又は前記オーステナイト系ワイヤ56を無通電のまま開先内3のアーク10溶接部分に送給して溶融させて積層溶接41する溶接動作を行う。この第1の積層溶接工程41により、裏面側に凸形状の裏ビード幅を良好が形成できるばかりでなく、上述したように、高温水などの腐食環境下にさらされる内面側又は底面側の溶接裏面部及びこの溶接裏面部から特定の高さ位置まで、開先継手1、2の材質と同質系のオーステナイト系ワイヤ56による第1の溶接金属部411を確実に形成することができる。また、その後に溶接すべき残存開先深さや溶接パス数及び層数を予測することもできる。
【0096】
また、前記第1の積層溶接工程41では、少なくとも初層の溶接条件、2層目の溶接条件と異なる積層条件であって、溶接パスに該当する複数の適正な溶接条件(例えば、4kJ/cm〜12kJ/cmの低い入熱条件又は平均溶接電流が約120A〜220Aのアーク条件)に変更し、非消耗電極方式のパルスアーク溶接又は直流アーク溶接を行って1層1パスづつ積層溶接41するようにしている。あるいはほぼ一定の適正な溶接条件(例えば、約4kJ/cm、約6kJ/cm、約8kJ/cm、約10kJ/cmあるいは約12kJ/cmに特定した低い入熱条件)に設定し、非消耗電極方式のパルスアーク溶接又は直流アーク溶接を行って積層溶接41するようにすることもできる。ワイヤ送り量については、溶接入熱条件に適した融可能なワイヤ量であり、例えば、形成すべきビード高さが0.5〜2.0mmの範囲内になるように送給するとよい。さらに、溶接中は、図12に示した第1の映像モニタ装置37に画面表示する表面側の溶接状態の監視結果に基づいて、電極6の位置又はこの電極位置及びワイヤ5位置を調整又は制御するとよい。
【0097】
次の第2の積層溶接工程42では、図10、図11及び図13に示したように、開先内3の残りの溶接部分から開先上面部の最終層まで、オーステナイト系ワイヤ56と異なるマルテンサイト系ワイヤ57を通電加熱しながら開先内のアーク溶接部分に送給及び溶融させて1層1パスづつ積層溶接42するか又は1層1パスづつ積層する途中で必要に応じて開先左右に振分けて1層2パスづつ積層溶接42するか又は最終層の溶接パスを3パス以上に増して積層溶接42するようにしている。また、開先内3の残りの溶接部分から開先上面部の最終層まで、オーステナイト系ワイヤ56と異なるマルテンサイト系ワイヤ57を通電加熱しながら開先内のアーク溶接部分に送給及び溶融させ、又は前記マルテンサイト系ワイヤ57を無通電のまま開先内3のアーク10溶接部分に送給及び溶融させて積層溶接42して第2の溶接金属部422を形成することもできる。
【0098】
さらに、マルテンサイト系ワイヤ57を使用する前記積層溶接42では、この積層溶接42の以前にオーステナイト系ワイヤを使用して積層溶接41したときの最後の溶接条件又はこの最後前の溶接条件よりも小さい入熱量(例えば、10kJ/cmを半分の5kJ/cmに減少)の適正な溶接条件に変更(例えば、10kJ/cmを半分の5kJ/cmに減少)して溶接することにより、第1の溶接金属部411と異なる材質の第2の溶接金属部422を開先上面部まで良好に形成することができるばかりでなく、溶接による収縮変形やたわみ変形、熱影響部の領域を従来より小さくすることができる。あるいは前記最後の溶接条件又はこの最後前の溶接条件と同等の適正な溶接条件を再使用して溶接することにより、少ないパス数で積層できると共に、第1の溶接金属部と異なる材質の第2の溶接金属部422を開先上面部まで良好に形成することができる。また、最終層の溶接30(P=N)では、開先表面1a、2aより少し盛り上る(例えは1〜2mm程度の余盛り高さ)ように仕上げるとよい。さらに、この最終層の溶接30又は最終層の前層の溶接及び最終層の溶接30では、溶接トーチ4を左右に揺動させるウィービング溶接を行うようにすることもできる。このウィービング溶接によって溶接ビードの両止端部の溶け込みを良くし、貝殻模様のような波目を有する良好な溶接ビード外観を得ることができる。
【0099】
このように積層溶接42することにより、オーステナイト系の第1の溶接金属部411の上部に、マルテンサイト系ワイヤ57の溶接金属を確実に充填でき、前記第1の溶接金属部411と異なる材質の第2の溶接金属部422を良好に得ることができる。この結果、上述したように、マルテンサイト変態及び膨張効果によって、室温時の溶接金属部422に膨張作用及び張力が生じ、開先底面側の溶接裏面部及びその近傍に残留する引張応力を圧縮応力に改善することができる。同時に、最終層の溶接表面部及びその近傍に残留する引張応力を従来より大幅に低減することもできる。
【0100】
また、非消耗電極方式のパルスアーク溶接又は直流アーク溶接を行う場合には、従来のMIG溶接など消耗電極方式のアーク溶接で多発する問題のスパッタの発生がなく、きれいなビード外観、安定な溶け込み形状を確実に得ることができる。特に、ワイヤを通電加熱(ワイヤ電流を流す)することにより、溶接パス毎のワイヤ溶融量が増加でき、少ないパス数で良好に仕上ることができる。ワイヤの通電加熱は必要な溶接パスを選択して行えばよい。
【0101】
図14は、ステンレス鋼の多層盛溶接方法の他の溶接手順説明する図である。図13との主な相違点は、マルテンサイト系ワイヤ57の代わりに、Ni基合金系ワイヤ58又は開先継手材の線膨張係数より小さい線膨張係数を有する他のオーステナイト系ワイヤ59を第3の積層溶接工程42で使用していることである。また、図15は、図14に示した多層盛溶接による溶接断面を説明する図である。
【0102】
特に、第1の積層溶接41の終了後に施工する第3の積層溶接工程43では、開先内3の残りの溶接部分から開先上面部の最終層30まで、マルテンサイト系ワイヤ57と異なるNi基合金系ワイヤ58又は開先継手材の線膨張係数より小さい線膨張係数を有する他のオーステナイト系ワイヤ59を通電加熱しながら送給及び溶融させ、又は前記Ni基合金系ワイヤ58又は前記他のオーステナイト系ワイヤ59を無通電のまま送給及び溶融させて1層1パスづつ積層溶接43し、あるいは1層1パスづつ積層する途中で必要に応じて開先左右に振分けて1層2パスづつ積層溶接43するか又は最終層の溶接パスを3パス以上に増して積層溶接43するようにしている。
【0103】
また、開先内3の残りの溶接部分から開先上面部の最終層30まで、前記Ni基合金系ワイヤ58又は前記他のオーステナイト系ワイヤ59を通電加熱しながら送給及び溶融させ、又は前記Ni基合金系ワイヤ58又は前記他のオーステナイト系ワイヤ59を無通電のまま送給及び溶融させて積層溶接43した第3の溶接金属部433より成るとすることもできる。
【0104】
このように積層溶接43することにより、第1の溶接金属部411の上部に、前記Ni基合金系ワイヤ58又は前記他のオーステナイト系ワイヤ59の溶接金属を確実に充填でき、前記第1の溶接金属部411と材質の異なる第3の溶接金属部433を良好に形成することができる。この結果、溶接時の温度下降過程で生じる線膨張係数の偏差によって、前記第3の溶接金属部433に収縮抑制作用及び張力が生じ、底面側の溶接裏面部及びその近傍に残留する引張応力を圧縮応力に改善する又は大幅低減することができる。同時に、最終層の溶接表面部及びその近傍に残留する引張応力を従来より大幅に低減することもできる。特に、ワイヤを通電加熱することにより、溶接パス毎のワイヤ溶融量が増加でき、開先上面部の最終層溶接まで少ない溶接パス数で良好に仕上ることができる。
【0105】
さらに、図10ないし図15に示したように、前記第1の溶接金属部は第1の積層溶接工程によって積層溶接し、前記第2の溶接金属部は前記第2の積層溶接工程によって積層溶接し、前記第3の溶接金属部は前記第3の積層溶接工程によって積層溶接するとすることもできる。これらの溶接施工条件の一例を表2示す。
【表2】

【0106】
図16は、温度と各材料の平均線膨張係数の関係を示す図である。Ni基合金系ワイヤ(インコネル82ワイヤ)の平均線膨張係数(□の線)は、例えば、約100℃時で約13.4(×10−6/℃)であり、SUS304材(◇の線)の約17.3(×10−6/℃)よりも3.9(×10−6/℃)小さい。また、SUS316Lワイヤの平均線膨張係数(△の線)と比べても約2.6(×10−6/℃)小さい。また、マルテンサイトワイヤの平均線膨張係数(〇の線)は、他の材料の平均線膨張係数と比べて小さく、温度の下降時に、さらに激減する特性を有している。この平均線膨張係数の偏差によって、溶接金属部に収縮抑制作用及び張力が生じ、底面側の溶接裏面部及びその近傍に残留する引張応力を圧縮応力に改善する又は大幅低減することが可能になる。
【0107】
図17は、図1、図3及び図6に示したステンレス鋼の多層盛溶接構造物及び多層盛溶接方法に使用するマルテンサイト系ワイヤと、オーステナイト系ワイヤ(又はこのワイヤと同質係の開先継手材)とにおける温度と伸び(1mm長さ当りの伸び)との関係を模式的に示す図である。また、図18は、マルテンサイト系ワイヤで積層溶接した溶接断面の上位部分に生じる膨張効果による張力とオーステナイト系ワイヤで積層溶接した溶接断面の裏面部分に生じる圧縮応力との関係を模式的に示す図である。
【0108】
図17に示すように、オーステナイト系ワイヤ(又はオーステナイト系ステンレス鋼の開先継手材)の場合は、点線で示すように、温度変化(上昇時と下降時)に対する伸び曲線が同一線上を行き来するように変化している。これに対して、マルテンサイト変態を生じるマルテンサイト系ワイヤの場合には、実線で示すように、温度上昇時の伸び曲線と温度下降時の伸び曲線とが異なるように変化している。特に、温度下降時の過程(高温領域から冷却する過程)で、マルテンサイト変態が生じ、冷却後の室温時(約20℃)に、マルテンサイト変態の開始温度Ms時より膨張した状態になることを示している。
【0109】
本実施形態の多層盛溶接方法では、図17に示すように温度変化に対する伸び曲線が異なる2種類のワイヤを使い分けて積層溶接を施工している。すなわち、図18に示すように、オーステナイト系ワイヤ56を用いて開先底部側を積層溶接41、46し、その後に、マルテンサイト変態を生じるマルテンサイト系ワイヤを用いて、開先内の残り部分から開先上面部の最終層まで積層溶接42、43している。このように2種類のワイヤを使い分けて、第1の溶接金属部又は第6の溶接金属部と第2の溶接金属部又は第3の溶接金属部とを得るように積層溶接することにより、開先裏面部から開先上面部まで欠陥のない良好な溶接結果を得ることができる。
【0110】
また、上述したように、マルテンサイト系ワイヤによるマルテンサイト変態及び膨張効果によって、室温時の溶接金属部に膨張作用及び張力が生じ、重要な開先底面側の溶接裏面部及びその近傍に残留する応力を圧縮応力に改善することができる。同時に、最終層の溶接表面部及びその近傍に残留する引張応力を従来より大幅に低減することもできる。また、溶接継手の引張強度試験、曲げ強度試験を行った結果母材破断による母材以上の高強度、ミクロ割れもない延性強度を有する良好な結果が得られることを確認した。
【0111】
図19は、本実施形態による多層盛溶接方法で施工した配管溶接の断面写真の一例である。また、この配管溶接時の溶接施工条件を表3に示す。
【0112】
表3中には比較のために従来法で施工したときの溶接条件を併記している。本実施形態による多層盛溶接方法で施工した場合は、オーステナイト系ワイヤ56(配管継手材と同質)とマルテンサイト系ワイヤ57の2種類のワイヤを使用している。従来溶接施工の場合には、前記オーステナイト系ワイヤ56のみを使用している。ワイヤへの通電加熱は、いずれもなし(ワイヤ電流が0)であり、無通電のままのワイヤを溶融させて各々積層溶接している。
【0113】
第1の溶接金属部は、配管と同質系のオーステナイト系ワイヤ56を用い、初層裏波溶接して裏ビードを形成させた後に、この初層溶接部分を含む板厚の約2/5程度の高さ位置まで、非消耗電極方式のアーク溶接施工(例えば、6〜10kJ/cmの入熱条件)により積層溶接(6層6パス溶接)している。また、この上部にある第2の溶接金属部は、その後に、マルテンサイト変態を生じるマルテンサイト系のステンレスワイヤ57に交換し、残りの深い部分から開先上部の最終層まで、非消耗電極方式のアーク溶接施工(例えば、約4kJ/cmの低入熱条件)により積層溶接(33層33パス溶接)したときの溶接断面である。なお、溶接断面底部の裏ビードは凸形状に形成していたが、断面加工時にカットされて平坦形状になっている。
【0114】
このように、材質の異なる2種類のワイヤを使い分けて積層溶接することにより、開先底部の裏面から開先上部の表面まで欠陥のない良好な溶接結果を得ることができ、同時に、マルテンサイト系ワイヤによるマルテンサイト変態及び膨張効果によって、室温時の溶接金属部に膨張作用及び張力が生じ、重要な開先底面側の溶接裏面部及びその近傍に残留する応力を圧縮応力に改善することができる。なお、第2の溶接金属部は、低入熱量で溶接しているためにパス数が多いが、この入熱量を増加して溶接すれば、パス数を減らすことが容易にできる。
【表3】

【0115】
最後に、残留応力の測定結果について述べる。図20は、本実施形態における多層盛溶接方法で施工した多層盛溶接構造物の1つである配管内面の残留応力測定結果の一例を示す図である。同様に、図21は、多層盛溶接構造物の1つである配管外面の残留応力測定結果の一例を示す図である。配管の材質がY316L系、外径が314mm、板厚が29.5mm、開先深さが28mmである。溶接施工は、図1及び図4で説明したように示したように、配管と同質系のオーステナイト系ワイヤ(SUS316L系)を用いて開先板厚Tの2/5程度の浅い高さHbまで積層溶接し、その後に、マルテンサイト変態を生じるマルテンサイト系のステンレスワイヤに交換して残りの深い部分から開先上面部まで低入熱条件で積層溶接している。なお、溶接断面及び溶接施工条件は図19及び表3の(1)に示した通りである。残留応力測定は、X線回折測定法より精度の良いひずみゲージ開放法(配管内外面の測定箇所にひずみゲージを貼り付け、短冊切りの1次切断開放の工程から最終スリット切りの3次開放の工程を経て、周方向の開放ひずみ値εθと軸方向の開放ひずみ値εzとの測定結果より、周方向の残留応力σθ、軸方向の残留応力を算出)を用いて測定した結果である。
【0116】
配管内面側の溶接裏面部及びその周辺部の残留応力は、図20に示したように、溶接線直角方向の軸方向残留応力σz(〇印の線)及び溶接線方向の周方向残留応力σθ(◆印の線)の両方ともに、約−100MPa以下の圧縮応力になっている。一方、配管外面側の溶接表面部及びその周辺部の残留応力については、図21に示したように、溶接部に隣接する部分の周方向残留応力σθ(◆印の線)が最大約170MPaの引張応力になっている。これに対して、溶接線直角方向の軸方向残留応力σz(〇印の線)は、溶接部に隣接する部分及び溶接中央部分で約−100MPaの圧縮応力になっている。
【0117】
比較のために、初層裏波溶接から最終層の溶接まで全て前記オーステナイト系ワイヤを用いて溶接施工した配管内面の残留応力測定結果の一例を図22に示す。溶接施工条件は表3の(2)に示した通りである。配管の材質やサイズ、開先形状、溶接条件及び溶接の施工法はほぼ同じあり、マルテンサイト系ワイヤを使用せずに、開先継手材と同質系のオーステナイト系ワイヤのみを使用していることが異なっている。この場合には、周方向残留応力σθが約−100MPa以下の圧縮応力であるのに対して、重要な軸方向残留応力σzが最大で約100MPaの引張応力に変化している。開先継手の開先幅を狭くし、しかも、低入熱の溶接条件で積層溶接することによって、重要な溶接裏面部及びその周辺部の残留応力を従来より大幅に低減することができるが、図22に示したように、最大で約100MPaの引張応力が残っている。これに対して、本発明の多層盛溶接方法を施工することにより、図20に示したように、重要な溶接裏面部及びその周辺部の残留応力を圧縮応力に改善することができる。残留応力改善の結果、溶接完了後に、残留応力を除去するための高価な加熱処理装置を設けたり、加熱処理を行う必要がなくなり、コスト低減を図ることもできる。また、原子力発電プラントなどの実機適用稼働における残留応力腐食割れ防止、長寿命化に寄与することができる。
【0118】
以上説明したように、本実施形態のステンレス鋼の多層盛溶接構造及び多層盛溶接方法によれば、開先継手の多層盛溶接及び残留応力改善が必要な厚板の容器や配管などの管部材又は平板部材であっても、開先底部から初層裏波溶接から開先上面部の最終層溶接まで良好に積層溶接することができる。また、オーステナイト系ワイヤとマルテンサイト系ワイヤとを使い分けて積層溶接することより、溶接時の温度下降過程でマルテンサイト変態を生じる溶接金属部に膨張作用及び張力が生じ、底面側の溶接裏面部及びその近傍に残留する引張応力を圧縮応力に改善することができる。同時に、最終層の溶接表面部及びその近傍に残留する引張応力を従来より大幅に低減することもできる。また、マルテンサイト系ワイヤの代わりに、Ni基合金系ワイヤ又は開先継手材の線膨張係数より小さい線膨張係数を持つ他のオーステナイト系ワイヤを積層溶接することにより、溶接時の温度降下過程で生じる線膨張係数の偏差によって、溶接金属部に収縮抑制作用及び張力が生じ、底面側の溶接裏面部及びその近傍に残留する引張応力を圧縮応力に改善する又は大幅低減することができる。同時に、最終層の溶接表面部及びその近傍に残留する引張応力を従来より大幅に低減することもできる。
【0119】
特に、非消耗性のタングステンをアーク溶接の電極に使用する非消耗電極方式のアーク溶接(TIG溶接)の場合は、溶接パス毎のワイヤ溶融量を多くできないが、溶接スパッタの発生がなく、スラグなどの付着物がほとんどない良好な溶接ビード外観を得ることができる。また、パルスアーク溶接の場合には、直流アーク溶接で出力させる平均電流と同じ平均電流であっても、アーク力及び指向力を強くでき、開先内の両壁面部及び開先底面部の溶融、溶け込み深さを促進することができる。また、パルスアークにより貝殻模様のような波目を有する良好な溶接ビード外観を得ることができる。
【0120】
一方、ワイヤをアーク溶接の電極にして溶融させる消耗電極方式のアーク溶接の場合には、溶接スパッタが発生し易いが、前記非消耗電極方式のアーク溶接時と比べて溶接パス毎のワイヤ溶融量を数倍増加することができ、溶接速度が速く、溶接パス数が少なく、溶接時間を短縮することができる。パルスアークを出力させることにより、溶接スパッタを大幅に減少できる。
【0121】
また、本実施形態のステンレス鋼の多層盛溶接構造及びその多層盛溶接方法によれば、溶接パス毎の入熱量、溶接による収縮変形やたわみ変形、熱影響部の領域を従来より小さくできるばかりでなく、溶接すべき開先断面積を従来より大幅に小さくでき、ワイヤの使用量の削減、溶接工数の低減を図ることができる。さらに、残留応力を改善できる結果、溶接完了後に、残留応力を除去するための高価な加熱処理装置を設けたり、加熱処理を行う必要がなくなり、コスト低減を図ることができるばかりでなく、原子力発電プラントなどの実機適用稼働における残留応力腐食割れ防止、長寿命化に寄与することができる。
【0122】
また、ワイヤを通電加熱しながら開先内のアーク溶接部分に送給及び溶融させることによって、溶接パス毎のワイヤ溶融量を増加することができ、積層すべき特定の高さ位置まで少ない溶接パス数で良好に仕上ることができる。また、非消耗電極方式のパルスアーク溶接又は直流アーク溶接を行っているため、従来のMIG溶接など消耗電極方式のアーク溶接で多発する問題のスパッタの発生がなく、きれいなビード外観、安定な溶け込み形状を確実に得ることができる。さらに、溶接パス毎の入熱量、溶接による収縮変形やたわみ変形、熱影響部の領域を従来より小さくできるばかりでなく、溶接すべき開先断面積を従来より大幅に小さくでき、ワイヤの使用量の削減、溶接工数の低減を図ることができる。 また、残留応力を改善できる結果、溶接完了後に、残留応力を除去するための高価な加熱処理装置を設けたり、加熱処理を行う必要がなくなり、コスト低減を図ることができるばかりでなく、原子力発電プラントなどの実機適用稼働における残留応力腐食割れ防止、長寿命化に寄与することができる。
【0123】
すなわち、本実施形態のステンレス鋼の多層盛溶接構造物では、溶接すべき累計積層ビード高さが開先裏面より板厚の1/5以上から4/5以下の特定範囲に到達するまで、開先継手の材質と同質系のオーステナイト系ワイヤを開先内で溶融させて積層溶接した溶接金属部と、この溶接金属部のビード表面と接する開先内の残りの溶接部分から開先上面部の最終層まで、マルテンサイト系ワイヤを溶融させて積層溶接した溶接金属部とを有することにより、開先継手の多層盛溶接及び残留応力改善が必要な厚板の容器や配管などの管部材又は平板部材であっても、溶接時の温度下降過程でマルテンサイト変態を生じる溶接金属部に膨張作用及び張力が生じ、底面側の溶接裏面部及びその近傍に残留する引張応力を圧縮応力に改善することができる。同時に、最終層の溶接表面部及びその近傍に残留する引張応力を従来より大幅に低減することもできる。さらに、残留応力を改善できる結果、溶接完了後に、残留応力を除去するための高価な加熱処理装置を設けたり、加熱処理を行う必要がなくなり、コスト低減を図ることができるばかりでなく、原子力発電プラントなどの実機適用稼働における残留応力腐食割れ防止、長寿命化に寄与することができる。
【0124】
また、前記特定範囲の累計積層ビード高さ又は残存開先深さに到達するまで、前記オーステナイト系ワイヤを開先内で溶融させて積層溶接した溶接金属部と、この溶接金属部のビード表面と接する開先内の残りの溶接部分から開先上面部の最終層まで、前記マルテンサイト系ワイヤと異なるインコネル系ワイヤ又は開先継手材の線膨張係数より小さい線膨張係数を持つ他のオーステナイト系ワイヤを溶融させて積層溶接した溶接金属部とを有することにより、溶接時の温度降下過程で生じる線膨張係数の偏差によって、溶接金属部に収縮抑制作用及び張力が生じ、底面側の溶接裏面部及びその近傍に残留する引張応力を圧縮応力に改善する又は大幅低減することができる。同時に、最終層の溶接表面部及びその近傍に残留する引張応力を従来より大幅に低減することもできる。
【0125】
また、本実施形態のステンレス鋼の多層盛溶接構造物では、溶接すべき累計積層ビード高さ又は残すべき残存開先深さが前記特定範囲に到達するまで、非消耗性のタングステンをアーク溶接の電極に使用し、開先継手の材質と同質系のオーステナイト系ワイヤを開先内で溶融させて積層溶接した第1の溶接金属部と、この第1の溶接金属部のビード表面と接する開先内の残りの溶接部分から開先上面部の最終層まで、マルテンサイト系ワイヤを溶融させて積層溶接した第2の溶接金属部、又はワイヤを電極に使用するアーク溶接に変更し、前記開先内の残りの溶接部分から開先上面部の最終層まで、マルテンサイト系ワイヤを電極にして溶融させて積層溶接した第3の溶接金属部とを有し、あるいは前記特定範囲の累計積層ビード高さ又は残存開先深さに到達するまで、ワイヤをアーク溶接の電極に使用し、開先継手の材質と同質系のオーステナイト系ワイヤを電極にして開先内で溶融させて積層溶接した第6の溶接金属部と、この第6の溶接金属部のビード表面と接する開先内の残りの溶接部分から開先上面部の最終層まで、前記マルテンサイト系ワイヤを電極にして溶融させて積層溶接した前記第3の溶接金属部とを有することにより、上述したように、溶接時の温度下降過程でマルテンサイト変態を生じる溶接金属部に膨張作用及び張力が生じ、底面側の溶接裏面部及びその近傍に残留する引張応力を圧縮応力に改善することができる。同時に、最終層の溶接表面部及びその近傍に残留する引張応力を従来より大幅に低減することもできる。特に、前記第3の溶接金属部、第6の溶接金属部は、ワイヤをアーク溶接の電極に使用しているため、前記第1の溶接金属部、第2の溶接金属部に比べて、溶接パス毎のワイヤ溶融量が多く、溶接速度が速く、しかも、少ないパス数で溶接することができる。また、溶接作業の時間短縮による工数低減もできる。
【0126】
また、前記第1の溶接金属部と、この第1の溶接金属部のビード表面と接する開先内の残りの溶接部分から開先上面部の最終層まで、非消耗性のタングステン電極を再使用し、Ni基合金系ワイヤ又は開先継手材の線膨張係数より小さい線膨張係数を持つ他のオーステナイト系ワイヤを溶融させて積層溶接した第4の溶接金属部、又はワイヤを電極に使用するアーク溶接に変更し、前記開先内の残りの溶接部分から開先上面部の最終層まで、Ni基合金系ワイヤ又は開先継手材の線膨張係数より小さい線膨張係数を持つ他のオーステナイト系ワイヤを電極にして溶融させて積層溶接した第5の溶接金属部とを有することにより、溶接時の温度降下過程で生じる線膨張係数の偏差によって、前記第4の溶接金属部又は第5の溶接金属部に収縮抑制作用及び張力が生じ、底面側の溶接裏面部及びその近傍に残留する引張応力を圧縮応力に改善する又は大幅低減することができる。同時に、最終層の溶接表面部及びその近傍に残留する引張応力を従来より大幅に低減することもできる。また、前記第5の溶接金属部は、ワイヤをアーク溶接の電極に使用しているため、前記第4の溶接金属部に比べて、溶接パス毎のワイヤ溶融量が多く、溶接速度が速く、しかも、少ないパス数で溶接することができる。
【0127】
さらに、溶接すべき累計積層ビード高さ又は残すべき残存開先深さが前記特定範囲に到達するまで、開先継手の材質と同質系のオーステナイト系ワイヤを開先内で溶融させて積層溶接することにより、高温水などの腐食環境下にさらされる内面側又は底面側の溶接裏面部及びこの溶接裏面部から特定の積層ビード高さまで、開先継手の材質と同質系のオーステナイト系ワイヤによる溶接金属で開先内を確実に充填することができ、前記第1の溶接金属部又は前記第6の溶接金属部を得ることができる。
【0128】
また、前記累計積層ビード高さを開先裏面より板厚の1/5以上から1/2以下の範囲に特定し、あるいは前記残存開先深さを開先表面より板厚の1/5以上から1/2以上の範囲に特定してもよい。そして、この特定した累計積層ビード高さ又は残存開先深さまで積層溶接することにより、開先継手の材質と同質系のオーステナイト系ワイヤによる溶接金属で開先内を確実に充填することができる。なお、このオーステナイト系ワイヤを用いて積層溶接すべき累計積層ビード高さが板厚の1/5より小さ過ぎる又は残すべき残存開先深さが板厚の4/5より大き過ぎると、腐食環境下にさらされる溶接裏面部分の耐食性保持、腐食進行の防止を損なうおそれがある。この累計積層ビード高さの最小値は、板厚の大小によって変化するが、少なくとも2層目の溶接ビード高さまではオーステナイト系ワイヤを用いて溶接施工することが好ましい。一方、前記累計積層ビード高さが板厚の4/5より大き過ぎる又は残すべき残存開先深さが板厚の1/5より小さ過ぎると、その後に、オーステナイト系ワイヤと異なるマルテンサイト系ワイヤを開先上部の最終層まで積層溶接すべき部分が少な過ぎるため、室温時の溶接金属部に生じさせるマルテンサイト変態による膨張効果及び張力が相対的に低下し、反対側の最も離れた溶接裏面部及びその近傍に残留する引張応力を圧縮応力に変えることができないので好ましくない。同様に、マルテンサイト系ワイヤの代わりに、Ni基合金系ワイヤ又は開先継手材の線膨張係数より小さい線膨張係数を持つ他のオーステナイト系ワイヤを使用する場合も、開先上部の最終層まで積層溶接すべき部分が少な過ぎるため、反対側の最も離れた溶接裏面部及びその近傍に残留する引張応力を圧縮応力に変えることができないので好ましくない。したがって、前記累計積層ビード高さは板厚の4/5以下にするとよい。好ましくは板厚の1/2以下にするとさらによい。また、前記残存開先深さは板厚の1/5以下にし、好ましくは板厚の1/2以上にするとよい。
【0129】
前記第1の溶接金属部は、非消耗性のタングステンをアーク溶接の電極に使用し、前記オーステナイト系ワイヤを開先内で溶融させる非消耗電極方式のアーク溶接を繰返し行って形成することにより、上述したように、高温水などの腐食環境下にさらされる内面側又は底面側の溶接裏面部及びこの溶接裏面部から特定の高さ位置(累計積層ビード高さ)まで、開先継手の材質と同質系のオーステナイト系ワイヤによる溶接金属で開先内を確実に充填することができる。前記第6の溶接金属部は、前記第1の溶接金属部に代わるものであり、前記オーステナイト系ワイヤを電極にして開先内で溶融させる消耗電極方式のアーク溶接を繰返し行って形成することができる。また、初層裏波溶接で開先裏面に形成すべき裏ビード幅は、例えば、4〜7mm、好ましくは4〜6mmの範囲に特定することにより、凹みのない凸形状でほぼ均一な裏ビード幅を良好に得ることができる。
【0130】
前記第2の溶接金属部は、前記タングステン電極を再使用し、マルテンサイト系ワイヤを溶融させる非消耗電極方式のアーク溶接を繰返し行って形成し、前記第3の溶接金属部は、ワイヤを電極に使用するアーク溶接に変更し、マルテンサイト系ワイヤを電極にして溶融させる消耗電極方式のアーク溶接を繰返し行って形成することにより、開先内の残りの溶接部分から開先上面部の最終層まで、オーステナイト系ワイヤと異なるマルテンサイト系ワイヤによる溶接金属で確実に充填することができる。また、上述したように、溶接時の温度降下過程でマルテンサイト変態を生じる第2の溶接金属部又は第3の溶接金属部に膨張作用及び張力が生じ、底面側の溶接裏面部及びその近傍に残留する引張応力を圧縮応力に改善することができる。同時に、最終層の溶接表面部及びその近傍に残留する引張応力を従来より大幅に低減することもできる。
【0131】
また、前記第4の溶接金属部は、前記タングステン電極を再使用し、Ni基合金系ワイヤ又は開先継手材の線膨張係数より小さい線膨張係数を持つ他のオーステナイト系ワイヤを溶融させる非消耗電極方式のアーク溶接を繰返し行って形成し、前記第5の溶接金属部は、ワイヤを電極に使用するアーク溶接に変更し、Ni基合金系ワイヤ又は開先継手材の線膨張係数より小さい線膨張係数を持つ他のオーステナイト系ワイヤを電極にして溶融させる消耗電極方式のアーク溶接を繰返し行って形成することにより、開先内の残りの溶接部分から開先上面部の最終層まで、開先継手材と同質系のオーステナイト系ワイヤと異なるNi基合金系ワイヤ又は線膨張係数の小さい他のオーステナイト系ワイヤによる溶接金属で確実に充填することができる。また、上述したように、溶接時の温度降下過程で生じる線膨張係数の偏差によって、前記第4の溶接金属又は第5の溶接金属部に収縮抑制作用及び張力が生じ、底面側の溶接裏面部及びその近傍に残留する引張応力を圧縮応力に改善する又は大幅低減することができる。同時に、最終層の溶接表面部及びその近傍に残留する引張応力を従来より大幅に低減することもできる。
【0132】
特に、非消耗性のタングステンをアーク溶接の電極に使用する非消耗電極方式のアーク溶接(TIG溶接)の場合は、コールドワイヤをアーク溶接部分に送給して溶融させるため、溶接パス毎のワイヤ溶融量を多くできないが、溶接スパッタの発生がなく、スラグなどの付着物がほとんどない良好な溶接ビード外観を得ることができる。また、パルスアーク溶接の場合には、直流アーク溶接で出力させる平均電流と同じ平均電流であっても、アーク力及び指向力を強くでき、開先内の両壁面部及び開先底面部の溶融、溶け込み深さを促進することができる。また、パルスアークにより貝殻模様のような波目を有する良好な溶接ビード外観を得ることができる。さらに、例えば、ワイヤ通電加熱電源を接続してワイヤを通電加熱(ホットワイヤ)することも可能であり、ワイヤ加熱なし時よりワイヤ溶融量を約1.3〜2倍に増加することが可能である。これに対して、ワイヤをアーク溶接の電極にして溶融させる消耗電極方式のアーク溶接(例えばMIG溶接)の場合には、ワイヤに直接給電(平均溶接電流を流す)してアーク溶接するため、溶接スパッタが発生し易いが、TIG溶接時と比べて溶接パス毎のワイヤ溶融量を数倍に増すことができ、溶接速度が速く、溶接パス数が少なく、溶接時間を短縮することができる。さらに、例えば、ワイヤ溶滴の形成可能な高いピーク電流かピーク電圧とそのピーク時間、ベース時間内に溶滴移行可能な低いベース電流かベース電圧を設定して交互に出力させるパルスアーク溶接を行うと、1パルスで1溶滴移行でき、ショートアーク溶接時と比べて溶接スパッタの発生を大幅に低減することができる。
【0133】
なお、本実施形態のステンレス鋼の多層盛溶接構造物の溶接に使用すべきマルテンサイト系ワイヤは、オーステナイト系ステンレス鋼の溶接継手材と融合性の良いマルテンサイト系のステンレスワイヤであって、少なくとも化学組成のNiが8〜12重量%、Crが8〜12重量%含有し、マルテンサイト変態開始温度が100℃以上、300℃以下であるマルテンサイト系ステンレスワイヤを用いればよい。また、Ni基合金系ワイヤは、前記ステンレス鋼の異材金属との溶接可能な高ニッケル合金であり、例えば、インコネル82ワイヤ(YNiCr−3)、インコネル625ワイヤ(YNiCrMo−3)を用いればよい。
【0134】
一方、本実施形態のステンレス鋼の多層盛溶接方法では、溶接すべき累計積層ビード高さが開先裏面より板厚の1/5以上から4/5以下の特定範囲に到達するまで、開先継手の材質と同質系のオーステナイト系ワイヤを開先内で溶融させて積層溶接し、この積層溶接の終了後に、開先内の残りの溶接部分から開先上面部の最終層まで、マルテンサイト系ワイヤを溶融させて積層溶接するようにし、あるいは前記マルテンサイト系ワイヤと異なるNi基合金系ワイヤ又は開先継手材の線膨張係数より小さい線膨張係数を持つ他のオーステナイト系ワイヤを溶融させて積層溶接するようにしている。また、溶接すべき累計積層ビード高さ又は残すべき残存開先深さが前記特定範囲に到達するまで、非消耗性のタングステンをアーク溶接の電極に使用し、あるいはワイヤをアーク溶接の電極に使用し、開先継手の材質と同質系のオーステナイト系ワイヤを開先内で溶融させて積層溶接し、この積層溶接の終了後に、開先内の残りの溶接部分から開先上面部の最終層まで、前記タングステン電極を再使用又は使用するアーク溶接に変更し、あるいはワイヤを電極に使用するアーク溶接に変更し、マルテンサイト系ワイヤを溶融させて積層溶接するようにすることもできる。このように積層溶接することにより、上述したように、開先継手の多層盛溶接及び残留応力改善が必要な厚板の容器や配管などの管部材又は平板部材であっても、温度下降過程でマルテンサイト変態を生じる溶接金属部に膨張作用及び張力が生じ、底面側の溶接裏面部及びその近傍に残留する引張応力を圧縮応力に改善することができる。
【0135】
同時に、最終層の溶接表面部及びその近傍に残留する引張応力を従来より大幅に低減することもできる。あるいは溶接時の温度降下過程で生じる線膨張係数の偏差によって、溶接金属部に収縮抑制作用及び張力が生じ、底面側の溶接裏面部及びその近傍に残留する引張応力を圧縮応力に改善する又は大幅低減することができる。さらに、残留応力を改善できる結果、溶接完了後に、残留応力を除去するための高価な加熱処理装置を設けたり、加熱処理を行う必要がなくなり、コスト低減を図ることができるばかりでなく、原子力発電プラントなどの実機適用稼働における残留応力腐食割れ防止、長寿命化に寄与することができる。
【0136】
また、本実施形態のステンレス鋼の多層盛溶接方法では、開先裏面から特定範囲の累計積層ビード高さ又は開先表面から特定範囲の残存開先深さに到達するまで、非消耗性のタングステンをアーク溶接の電極に使用し、開先継手の材質と同質系のオーステナイト系ワイヤを開先内で溶融させる非消耗電極方式のアーク溶接を繰返し行って積層溶接した第1の溶接金属部を形成することにより、上述したように、高温水などの腐食環境下にさらされる内面側又は底面側の溶接裏面部及びこの溶接裏面部から特定の高さ位置(累計積層ビード高さ)まで、開先継手の材質と同質系のオーステナイト系ワイヤによる溶接金属で開先内を確実に充填することができる。さらに、この第1の溶接金属部のビード表面と接する開先内の残りの溶接部分から開先上面部の最終層まで、前記タングステン電極を再使用し、マルテンサイト系ワイヤを溶融させる非消耗電極方式のアーク溶接を繰返し行って積層溶接した第2の溶接金属部を形成し、又はワイヤを電極に使用するアーク溶接に変更し、前記開先内の残りの溶接部分から開先上面部の最終層まで、マルテンサイト系ワイヤを電極にして溶融させる消耗電極方式のアーク溶接を繰返し行って積層溶接した第3の溶接金属部を形成することにより、上述したように、溶接時の温度降下過程でマルテンサイト変態を生じる第2の溶接金属部又は第3の溶接金属部に膨張作用及び張力が生じ、底面側の溶接裏面部及びその近傍に残留する引張応力を圧縮応力に改善することができ、同時に、最終層の溶接表面部及びその近傍に残留する引張応力を従来より大幅に低減することもできる。
【0137】
また、開先裏面から特定範囲の累計積層ビード高さ又は開先表面から特定範囲の残存開先深さに到達するまで、ワイヤをアーク溶接の電極に使用し、開先継手の材質と同質系のオーステナイト系ワイヤを電極にして開先内で溶融させる消耗電極方式のアーク溶接を繰返し行って積層溶接した第6の溶接金属部を形成し、この第6の溶接金属部のビード表面と接する開先内の残りの溶接部分から開先上面部の最終層まで、前記マルテンサイト系ワイヤを電極にして溶融させる消耗電極方式のアーク溶接を繰返し行って積層溶接した前記第3の溶接金属部を形成するとすることもできる。このように前記第6の溶接金属部、第3の溶接金属部を形成することにより、上述したように、底面側の溶接裏面部及びその近傍に残留する引張応力を圧縮応力に改善することができるばかりでなく、溶接パス毎のワイヤ溶融量が多く、溶接速度が速く、しかも、少ないパス数で溶接することができる。また、溶接作業の時間短縮による工数低減もできる。
【0138】
また、前記第1の溶接金属部を形成した後に、この第1の溶接金属部のビード表面と接する開先内の残りの溶接部分から開先上面部の最終層まで、Ni基合金系ワイヤ又は開先継手材の線膨張係数より小さい線膨張係数を持つ他のオーステナイト系ワイヤを溶融させる非消耗電極方式のアーク溶接を繰返し行って積層溶接した第4の溶接金属部を形成し、あるいはNi基合金系ワイヤ又は開先継手材の線膨張係数より小さい線膨張係数を持つ他のオーステナイト系ワイヤを電極にして開先内で溶融させる消耗電極方式のアーク溶接を繰返し行って積層溶接した第5の溶接金属部を形成することにより、上述したように、開先内の残りの溶接部分から開先上面部の最終層まで、開先継手材と同質系のオーステナイト系ワイヤと異なるNi基合金系ワイヤ又は線膨張係数の小さい他のオーステナイト系ワイヤによる溶接金属で確実に充填することができる。さらに、溶接時の温度降下過程で生じる線膨張係数の偏差によって、前記第4の溶接金属又は第5の溶接金属部に収縮抑制作用及び張力が生じ、底面側の溶接裏面部及びその近傍に残留する引張応力を圧縮応力に改善する又は大幅低減することができる。同時に、最終層の溶接表面部及びその近傍に残留する引張応力を従来より大幅に低減することもできる。
【0139】
また、本実施形態のステンレス鋼の多層盛溶接方法では、開先裏面から特定範囲の累計積層ビード高さ又は開先表面から特定範囲の残存開先深さに到達するまで、非消耗性のタングステンをアーク溶接の電極に使用し、開先継手の材質と同質系のオーステナイト系ワイヤを開先内で溶融させる非消耗電極方式のアーク溶接を繰返し行って積層溶接する第1の積層溶接工程により、高温水などの腐食環境下にさらされる内面側又は底面側の溶接裏面部及びこの溶接裏面部から特定の高さ位置(累計積層ビード高さ)まで、開先継手の材質と同質系のオーステナイト系ワイヤによる溶接金属で開先内を確実に充填でき、その第1の溶接金属部を良好に得ることができる。
【0140】
さらに、この第1の積層溶接工程で積層溶接されたビード表面と接する開先内の残りの溶接部分から開先上面部の最終層まで、前記タングステン電極を再使用し、マルテンサイト系ワイヤを溶融させる前記非消耗電極方式のアーク溶接を繰返し行って積層溶接する第2の積層溶接工程、又は前記第1の積層溶接工程の終了後に、ワイヤを電極に使用するアーク溶接に変更し、前記開先内の残りの溶接部分から開先上面部の最終層まで、マルテンサイト系ワイヤを電極にして溶融させる消耗電極方式のアーク溶接を繰返し行って積層溶接する第3の積層溶接工程とを有している。あるいは開先裏面から特定範囲の累計積層ビード高さ又は開先表面から特定範囲の残存開先深さに到達するまで、ワイヤをアーク溶接の電極に使用し、開先継手の材質と同質系のオーステナイト系ワイヤを電極にして開先内で溶融させる消耗電極方式のアーク溶接を繰返し行って積層溶接する第6の積層溶接工程と、この第6の積層溶接工程で積層溶接されたビード表面と接する開先内の残りの溶接部分から開先上面部の最終層まで、ワイヤをアーク溶接の電極に使用し、マルテンサイト系ワイヤを電極にして溶融させる消耗電極方式のアーク溶接を繰返し行って積層溶接する第3の積層溶接工程とを有するとすることもできる。
【0141】
このように積層工程を設けることにより、上述したように、開先内の残りの溶接部分から開先上面部の最終層まで、オーステナイト系ワイヤと異なるマルテンサイト系ワイヤによる溶接金属で確実に充填でき、オーステナイト系の第1の溶接金属部又は第6の溶接金属部の上部に、マルテンサイト系の第2の溶接金属部又は第3の溶接金属部を良好に形成することができる。その結果、開先継手の多層盛溶接及び残留応力改善が必要な厚板の容器や配管などの管部材又は平板部材であっても、溶接時の温度降下過程でマルテンサイト変態を生じる第2の溶接金属部又は第3の溶接金属部に膨張作用及び張力が生じ、底面側の溶接裏面部及びその近傍に残留する引張応力を圧縮応力に改善することができ、同時に、最終層の溶接表面部及びその近傍に残留する引張応力を従来より大幅に低減することもできる。
【0142】
また、第1の積層溶接工程の終了後に、前記開先内の残りの溶接部分から開先上面部の最終層まで、Ni基合金系ワイヤ又は開先継手材の線膨張係数より小さい線膨張係数を持つ他のオーステナイト系ワイヤを開先内で溶融させる非消耗電極方式のアーク溶接を繰返し行って積層溶接する第4の積層溶接工程、あるいはNi基合金系ワイヤ又は開先継手材の線膨張係数より小さい線膨張係数を持つ他のオーステナイト系ワイヤを電極にして開先内で溶融させる消耗電極方式のアーク溶接を繰返し行って積層溶接する第5の積層溶接工程により、第4の溶接金属部又は第5の溶接金属部を良好に形成することができる。その結果、上述したように、溶接時の温度降下過程で生じる線膨張係数の偏差によって、前記第4の溶接金属部又は第5の溶接金属部に収縮抑制作用及び張力が生じ、底面側の溶接裏面部及びその近傍に残留する引張応力を圧縮応力に改善する又は大幅低減することができる。同時に、最終層の溶接表面部及びその近傍に残留する引張応力を従来より大幅に低減することもできる。
【0143】
さらに、これらの積層溶接工程の以前に、溶接すべき前記開先継手の開先形状を特定範囲の寸法に形成する製作工程と、非消耗電極方式のアーク溶接の施工を準備する第1の溶接準備工程とを設けることにより、特定寸法の狭い開先形状を有する開先継手を確実に製作することができる。特に、開先底部の開先幅又はこの開先底部中央に挿入するインサート材の幅を含む開先幅を最小で4mm以上、最大で8mm以下の特定範囲の寸法に形成するとよい。また、開先上面部までの片面角度を、例えば、TIG溶接の場合で10°以下、MIG溶接の場合で20°以下の特定範囲の寸法に形成することにより、溶接パス毎の入熱量、溶接熱による収縮変形を従来より小さくできるばかりでなく、溶接すべき開先断面積を従来より大幅に小さくでき、ワイヤの使用量の削減、溶接工数の低減を図ることができる。
【0144】
また、第1の溶接準備工程では、非消耗性のタングステンをアーク溶接の電極に使用し、非消耗電極方式のアーク溶接の施工に必要な機材である溶接台車、溶接トーチ、ワイヤなどの取付け、TIG溶接電源や溶接制御装置の立上げ、溶接動作の準備、溶接条件の設定を行うとよい。これに対して、消耗電極方式のアーク溶接の施工を準備する第2の溶接準備工程では、ワイヤを電極に使用するアーク溶接に変更し、消耗電極方式のアーク溶接の施工に必要な別の機材である溶接台車、溶接トーチ、ワイヤなどの取付け、MIG溶接電源や溶接制御装置の立上げ、溶接動作の準備、溶接条件の設定を行うとよい。
また、この第2の溶接準備の終了後に、前記開先内の残りの溶接部分から開先上面部の最終層まで、ワイヤをアーク溶接の電極に使用し、マルテンサイト系ワイヤを電極にして開先内で溶融させる消耗電極方式のアーク溶接を繰返し行って積層溶接する第3の積層溶接工程、又は前記開先内の残りの溶接部分から開先上面部の最終層まで、Ni基合金系ワイヤ又は開先継手材の線膨張係数より小さい線膨張係数を持つ他のオーステナイト系ワイヤを電極にして開先内で溶融させる消耗電極方式のアーク溶接を繰返し行って積層溶接する第5の積層溶接工程を有することにより、オーステナイト系の溶接金属部の上部に、マルテンサイト系の溶接金属部又はNi基合金系の溶接金属部を良好に形成することができる。また、上述したように、底面側の溶接裏面部及びその近傍に残留する引張応力を圧縮応力に改善する又は大幅低減することができる。同時に、最終層の溶接表面部及びその近傍に残留する引張応力を従来より大幅に低減することもできる。
【0145】
特に、前記累計積層ビード高さは、開先裏面より板厚の1/5以上から4/5以下、又は板厚の1/5以上から1/2以下の範囲に特定し、また、残すべき前記残存開先深さは、開先表面より板厚の1/5以上から4/5以下、又は板厚の1/2以上から4/5以下の範囲に特定し、この特定した累計積層ビード高さ又は残存開先深さに到達するまで、前記オーステナイト系ワイヤを開先内で溶融させて積層溶接することにより、特定の高さ位置まで、開先継手材と同質系のオーステナイト系の溶接金属で確実に充填でき、第1の溶接金属部又は第の溶接金属部を良好に得ることができる。また、その後に溶接すべき残存開先深さや溶接パス数及び層数を予測することもできる。
【0146】
本実施形態のステンレス鋼の多層盛溶接方法に使用すべきマルテンサイト系ワイヤは、オーステナイト系ステンレス鋼の溶接継手材と融合性の良いマルテンサイト系のステンレスワイヤであって、少なくとも化学組成のNiが8〜12重量%、Crが8〜12重量%含有し、マルテンサイト変態開始温度が100℃以上、300℃以下であるマルテンサイト系ステンレスワイヤにするとよい。また、フラックス入りの前記マルテンサイト系ステンレスワイヤを使用することもできる。このような化学成分範囲のマルテンサイト系ワイヤを用いて、上述したように積層溶接することにより、溶接時の温度下降過程(高温領域から冷却する過程)で、マルテンサイト変態が生じ、冷却後の室温時(約20℃)に、マルテンサイト変態の開始温度(100〜300℃)時より膨張した状態になるため、このマルテンサイト変態を生じる溶接金属部に膨張作用及び張力が生じ、底面側の溶接裏面部及びその近傍に残留する引張応力を圧縮応力に改善することができる。また、フラックス入りのマルテンサイト系ステンレスワイヤは、特に、このワイヤをアーク溶接の電極にして溶融させる消耗電極方式のアーク溶接に使用するとよい。アーク溶接中に生成するスラグを溶接後に除去する必要があるが、ワイヤの溶融性が良く、アークのふらつきが小さく、少ないシールドガス流量でもポロシティなどの溶接欠陥が発生しない良好な溶接結果を得ることが可能である。
【0147】
一方、Ni基合金系ワイヤについては、前記ステンレス鋼の異材金属との溶接可能な高ニッケル合金であり、前述のように、インコネル82ワイヤ(YNiCr−3)、インコネル625ワイヤ(YNiCrMo−3)を用いればよい。
【0148】
また、非消耗性のタングステンをアーク溶接の電極に使用する非消耗電極方式のアーク溶接は、高いピーク電流と低いベース電流とを交互に出力させるパルスアーク溶接又は定電流を出力させる直流アーク溶接であればよい。この非消耗電極方式のアーク溶接(TIG溶接)の場合は、コールドワイヤをアーク溶接部分に送給して溶融させるため、溶接パス毎のワイヤ溶融量を多くできないが、溶接スパッタの発生がなく、スラグなどの付着物がほとんどない良好な溶接ビード外観を得ることができる。特に、パルスアーク溶接の場合には、直流アーク溶接で出力させる平均電流と同じ平均電流であっても、アーク力及び指向力を強くでき、開先内の両壁面部及び開先底面部の溶融、溶け込み深さを促進することができる。また、パルスアークにより貝殻模様のような波目を有する良好な溶接ビード外観を得ることができる。さらに、ワイヤ通電加熱電源を接続してワイヤを通電加熱(ホットワイヤ)することも可能であり、ワイヤ加熱なし時よりワイヤ溶融量を約1.3〜2倍に増加することが可能である。
【0149】
また、前記非消耗電極方式のアーク溶接に使用するシールドガスは、不活性の純Arガス、あるいはAr+3〜7%H入りの混合ガス又はAr+50〜80%He入りの混合ガスを用いるとよい。これらの混合ガスをシールドガスに使用すると、純Arガスと比べてエネルギ密度やアークの集中性が高まり、溶融状態及び溶け込みを良くでき、溶接速度も上げることができる。また、非消耗性のタングステン電極は、高融点材のLa入りW、Y入りW、ThO入りWの電極棒であり、開先内に挿入可能な細径の丸電極を使用し、あるいは前記細径の丸電極の代わりに、太径の電極下部の横幅を開先幅より狭い偏平形状にした偏平電極を使用するとよい。例えば、外径φ1.6、又はφ2.4の細径の電極を使用(電極先端のみを円錐形状に加工して使用)することにより、シールドガス流入の雰囲気内で、この細径の電極先端と開先底部との間に発生させるアークが開先内の壁面側にはい上がることなく、溶融すべき開先底部の部分に前記アークを安定に保持することができる。
【0150】
さらに、前記細径の丸電極は、安価に入手できると共に、丸電極棒の先端のみを簡便な電極研磨器で簡単に円錐加工することができ、電極消耗時の再加工、溶接トーチへの取付け取り外し作業が容易で使い勝手がよい。また、この細径の丸電極6の代わりに、太径の電極下部の横幅を開先幅wより狭い偏平形状にした非消耗性の偏平電極を使用することも可能である。この偏平形状の電極は、太径の丸電極下部の横幅を偏平形状に加工するための製作費用を要するが、上述した細径の丸電極とほぼ同様に、電極先端のみを簡便な電極研磨器によって簡単に円錐加工でき、溶接トーチへの取付け取り外し作業容易である。
【0151】
これに対して、ワイヤをアーク溶接の電極にする消耗電極方式のアーク溶接は、アークの点弧と短絡及びワイヤの短絡移行との繰り返しが可能な平均溶接電流及び平均溶接電圧を設定して出力させるショートアーク溶接、あるいはワイヤ溶滴の形成可能な高いピーク電流かピーク電圧とそのピーク時間、ベース時間内に溶滴移行可能な低いベース電流かベース電圧を設定して交互に出力させるパルスアーク溶接を選択して施工するとよい。このアーク溶接時のワイヤ溶融速度は、平均溶接電流にほぼ比例して増加するため、平均溶接電流と同期させて可変するとよい。消耗電極方式のアーク溶接(MIG溶接)の場合には、ワイヤに直接給電(平均溶接電流を流す)してアーク溶接するため、溶接スパッタが発生し易いが、上述したように、TIG溶接時と比べて溶接パス毎のワイヤ溶融量を数倍に増すこことができ、溶接速度が速く、溶接パス数が少なく、溶接時間を短縮することができる。さらに、上述したパスルアーク溶接を行うと、1パルスで1溶滴移行が確実にでき、ショートアーク溶接時と比べて溶接スパッタの発生を大幅に低減することができる。また、前記消耗電極方式のアーク溶接に使用するシールドガスは、不活性の純Arガス、あるいはAr+2〜5%O入りの混合ガスをシールドガスに用いるとよい。数パーセントの酸素ガスを混合することにより、純Arガスと比べてアークのふらつきを小さく、ワイヤ溶滴の移行を促進することができる。さらに、MIG溶接の代わりに、大電流でワイヤ溶融量が格段に高いサブマージアーク溶接を施工することも可能である。
また、ワイヤを通電加熱(ワイヤ電流を流す)しながら開先内のアーク溶接部分に送給及び溶融させることにより、ワイヤ無通電時のワイヤ溶融量に比べて溶接パス毎のワイヤ溶融量を増加することができ、積層すべき特定の高さ位置まで少ない溶接パス数で良好に仕上ることができる。このワイヤの通電加熱は必要な溶接パスを選択して行えばよい。また、非消耗電極方式のパルスアーク溶接又は直流アーク溶接を行うと、従来のMIG溶接など消耗電極方式のアーク溶接で多発する問題のスパッタの発生がなく、きれいなビード外観、安定な溶け込み形状を確実に得ることができる。
【図面の簡単な説明】
【0152】
【図1】本発明の実施形態に係るステンレス鋼の多層盛溶接構造及び多層盛溶接方法を説明する図である。
【図2】ステンレス鋼の多層盛溶接構造及び多層盛溶接方法の他の例を説明する図である。
【図3】多層盛溶接による溶接断面を説明する図である。
【図4】ステンレス鋼の多層盛溶接方法を説明する図である。
【図5】ステンレス鋼の多層盛溶接方法を説明する図である。
【図6】図5に示す手順で積層溶接した際の溶接断面を説明する図である。
【図7】ステンレス鋼の多層盛溶接方法の他の例を説明する図である。
【図8】図7に示す手順で積層溶接(非消耗電極使用)した際の溶接断面を説明する図である。
【図9】図7に示す手順で積層溶接(消耗電極使用)した際の溶接断面を説明する図である。
【図10】ステンレス鋼の多層盛溶接構造及び多層盛溶接方法の他の例を説明する図である。
【図11】多層盛溶接による溶接断面を説明する図であ。
【図12】ステンレス鋼の多層盛溶接構造及びその多層盛溶接方法に係わる溶接装置を説明する図である。
【図13】ステンレス鋼の多層盛溶接方法の溶接手順を説明する図である。
【図14】ステンレス鋼の多層盛溶接方法の他の溶接手順説明する図である。
【図15】図14に示した多層盛溶接による溶接断面を説明する図である。
【図16】温度と各材料の平均線膨張係数の関係を示す図である。
【図17】マルテンサイト系ワイヤ、オーステナイト系ワイヤにおける温度と伸びとの関係を模式的に示す図である。
【図18】マルテンサイト系ワイヤで積層溶接した溶接断面の上位部分に生じる膨張効果による張力とオーステナイト系ワイヤで積層溶接した溶接断面の裏面部分に生じる圧縮応力との関係を模式的に示す図である。
【図19】多層盛溶接方法により溶接した配管の断面写真の例である。
【図20】多層盛溶接方法で施工した多層盛溶接構造物の1つである配管内面の残留応力測定結果の一例を示す図である。
【図21】多層盛溶接構造物の1つである配管外面の残留応力測定結果の一例を示す図である。
【図22】初層裏波溶接から最終層の溶接までの全てをオーステナイト系ワイヤを用いて溶接施工した配管内面の残留応力測定結果の例を示す図である。
【符号の説明】
【0153】
1,2 開先継手部材
1b,2b 開先裏面
3 開先内
4 溶接台車
5 ワイヤ
6 電極
7 溶接トーチ(TIGトーチ)
77 MIGトーチ
8 TIG溶接電源
88 MIG溶接電源
9a,99a 溶接制御装置
9b 99b 操作ペンダント
10 アーク
11 ワイヤ送給モータ
15 裏ビード
16 裏面側の溶融プール
18 表面側の溶融プール
21 初層溶接のビード断面
30 最終層のビード断面
35 カメラ
36 カメラ制御器
37 映像モニタ装置
41 第1の積層溶接工程
42 第2の積層溶接工程
43 第3の積層溶接工程
44 第4の積層溶接工程
45 第5の積層溶接工程
46 第6の積層溶接工程
51 開先形状の製作工程
52 溶接準備工程
56 オーステナイ系ワイヤ
57 マルテンサイト系ワイヤ
58 Ni基合金系ワイヤ
59 他のオーステナイト系ワイヤ
61 非消耗電極方式のアーク溶接
62 消耗電極方式のアーク溶接
81 ワイヤ通電加熱電源
411 第1の溶接金属部
422 第2の溶接金属部
433 第3の溶接金属部
444 第4の溶接金属部
455 第5の溶接金属部
466 第6の溶接金属部
Hb 累計の積層ビード高さ
H 残存開先深さ
w 開先底部幅
f ルートフェイス
θ 片面角度

【特許請求の範囲】
【請求項1】
ステンレス鋼の端部に開先加工を施した継手部材を相互に突き合わせて形成される開先内に、消耗電極方式あるいは非消耗電極方式のパルスアーク溶接または直流アーク溶接により溶接ワイヤを溶融させて多層盛溶接部分を形成して継手部材を相互に溶接したステンレス鋼の多層盛溶接構造において、
開先底部の裏面側に形成された裏ビードを備えた初期裏波溶接部と、
開先裏面から前記継手部材の板厚の1/5ないし4/5の高さまで、前記継手部材と同材質のオーステナイト系の溶接ワイヤを溶融固化させて形成した第1の溶接金属部と、
第1の溶融金属部の表面から開先上面までマルテンサイト系の溶接ワイヤを溶融固化させて形成した第2の溶接金属部とを備え、開先裏面側の溶接部およびその近傍に圧縮応力を付与したことを特徴とするステンレス鋼の多層盛溶接構造。
【請求項2】
請求項1記載のステンレス鋼の多層盛構造において、
第2の溶接金属部は、マルテンサイト系の溶接ワイヤに代えてNi基合金系の溶接ワイヤを溶融固化させて形成したことを特徴とするステンレス鋼の多層盛溶接構造。
【請求項3】
請求項1記載のステンレス鋼の多層盛構造において、
第2の溶接金属部は、マルテンサイト系の溶接ワイヤに代えて継手部材よりも線膨張係数の小さい他のオーステナイト系の溶接ワイヤを溶融固化させて形成したことを特徴とするステンレス鋼の多層盛溶接構造。
【請求項4】
請求項1記載のステンレス鋼の多層盛構造において、
第1の溶接金属部を構成する溶接ワイヤは外部から電流を供給して加熱することを特徴とするステンレス鋼の多層盛溶接構造。
【請求項5】
請求項1ないし4の何れか1記載のステンレス鋼の多層盛溶接構造において、
第2の溶接金属部を構成する溶接ワイヤは外部から電流を供給して加熱することを特徴とするステンレス鋼の多層盛溶接構造。
【請求項6】
請求項1記載のステンレス鋼の多層盛溶接構造において、
開先加工により形成する開先底部の開先幅は4ないし8mm、開先の垂直面に対する開き角は10°以下であることを特徴とするステンレス鋼の多層盛溶接構造。
【請求項7】
ステンレス鋼の端部に開先加工を施した継手部材を相互に突き合わせて形成される開先内に、パルスアーク溶接または直流アーク溶接により溶接ワイヤを溶融させて多層盛溶接部分を形成して継手部材を相互に溶接するステンレス鋼の多層盛溶接方法において、
開先底部の裏面側に裏ビードを形成する工程と、
開先裏面から前記継手部材の板厚の1/5ないし4/5の高さまで、前記継手部材と同材質のオーステナイト系の溶接ワイヤを溶融固化させて第1の溶接金属部を形成する工程と、
第1の溶融金属部の表面から開先上面まで、マルテンサイト系の溶接ワイヤを溶融固化させて第2の溶接金属部と形成する工程を備え、開先裏面側の溶接部およびその近傍に圧縮応力を付与したことを特徴とするステンレス鋼の多層盛溶接方法。
【請求項8】
請求項7記載のステンレス鋼の多層盛溶接方法において、
第2の溶接金属部を形成する工程は、マルテンサイト系の溶接ワイヤに代えてNi基合金系の溶接ワイヤを溶融固化させる工程であることを特徴とするステンレス鋼の多層盛溶接構造。
【請求項9】
請求項7記載のステンレス鋼の多層盛溶接方法において、
第2の溶接金属部を形成する工程は、マルテンサイト系の溶接ワイヤに代えて継手部材よりも線膨張係数の小さい他のオーステナイト系の溶接ワイヤを溶融固化させる工程であることを特徴とするステンレス鋼の多層盛溶接方法。
【請求項10】
請求項7記載のステンレス鋼の多層盛溶接方法において、
第1の溶接金属部を構成する溶接ワイヤは外部から電流を供給して加熱することを特徴とするステンレス鋼の多層盛溶接方法。
【請求項11】
請求項7記載のステンレス鋼の多層盛溶接方法において、
第2の溶接金属部を構成する溶接ワイヤは外部から電流を供給して加熱することを特徴とするステンレス鋼の多層盛溶接方法。
【請求項12】
請求項7記載のステンレス鋼の多層盛溶接方法において、
第1の溶接金属部を形成する工程は非消耗電極方式のアーク溶接を用い、第2の溶接金属部を形成する工程は消耗電極方式のアーク溶接を用いることを特徴とするステンレス鋼の多層盛溶接方法。
【請求項13】
請求項7記載のステンレス鋼の多層盛溶接方法において、
第1の溶接金属部を形成する工程および第2の溶接金属部を形成する工程は、非消耗電極方式のアーク溶接を用いることを特徴とするステンレス鋼の多層盛溶接方法。
【請求項14】
請求項7記載のステンレス鋼の多層盛溶接方法において、
第1の溶接金属部を形成する工程および第2の溶接金属部を形成する工程は、消耗電極方式のアーク溶接を用いることを特徴とするステンレス鋼の多層盛溶接方法。
【請求項15】
ステンレス鋼の端部に開先加工を施した継手部材を相互に突き合わせて形成される開先内に、消耗電極方式あるいは非消耗電極方式のパルスアーク溶接または直流アーク溶接により溶接ワイヤを溶融させて多層盛溶接部分を形成して継手部材を相互に溶接したステンレス鋼の多層盛溶接構造において、
開先底部の裏面側に形成された裏ビードを備えた初期裏波溶接部と、
開先裏面から前記継手部材の板厚の1/5ないし1/2の高さまで、前記継手部材と同材質のオーステナイト系の溶接ワイヤを溶融固化させて形成した第1の溶接金属部と、
第1の溶融金属部の表面から開先上面まで、マルテンサイト系の溶接ワイヤを溶融固化させて形成した第2の溶接金属部とを備えたことを特徴とするステンレス鋼の多層盛溶接構造。
【請求項16】
ステンレス鋼の端部に開先加工を施した継手部材を相互に突き合わせて形成される開先内に、パルスアーク溶接または直流アーク溶接により溶接ワイヤを溶融させて多層盛溶接部分を形成して継手部材を相互に溶接するステンレス鋼の多層盛溶接方法において、
開先底部の裏面側に裏ビードを形成する工程と、
開先裏面から前記継手部材の板厚の1/5ないし1/2の高さまで、前記継手部材と同材質のオーステナイト系の溶接ワイヤを溶融固化させて第1の溶接金属部を形成する工程と、
第1の溶融金属部の表面から開先上面まで、マルテンサイト系の溶接ワイヤを溶融固化させて第2の溶接金属部と形成する工程を備えたことを特徴とするステンレス鋼の多層盛溶接方法。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【図8】
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【図9】
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【図10】
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【図11】
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【図12】
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【図13】
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【図14】
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【図15】
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【図16】
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【図17】
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【図18】
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【図19】
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【図20】
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【図21】
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【図22】
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【公開番号】特開2006−205183(P2006−205183A)
【公開日】平成18年8月10日(2006.8.10)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2005−17178(P2005−17178)
【出願日】平成17年1月25日(2005.1.25)
【出願人】(000005108)株式会社日立製作所 (27,607)
【Fターム(参考)】