説明

スピン注入源およびその製造方法

【課題】スピン注入源におけるスピン注入効率を向上させる。
【解決手段】スピン注入源は、非磁性導電体、MgO膜、強磁性体から構成され、強磁性体から非磁性導電体にスピンを注入する。MgO膜が、300℃〜500℃で熱処理されたものである。熱処理時間は30〜60分間であることが好ましい。熱処理により酸素欠損等が増加し、MgO膜の電気抵抗が低下する。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、高いスピン注入効率を有するスピン注入源およびその製造方法に関する。
【背景技術】
【0002】
電子のスピンを利用した高機能性素子の創出を目指す研究分野はスピントロニクスと呼ばれ、従来の半導体素子の技術限界を打破する新しい技術として期待されている。たとえば、スピン蓄積効果を利用した素子(スピン蓄積素子)は、1Tbit/inchの記録密度を実現するハードディスクドライブの読み出しヘッドや不揮発性磁気メモリへの応用が期待されている。しかしながら、その出力信号は一般的な報告で数μV、最大でも数十μV程度である。この微弱な信号を増大させることが、実用化に向けての大きな課題である。
【0003】
面内スピンバルブでは、非磁性体と強磁性体の接合面に電流を流すことによって、非磁性体内にスピンが注入・蓄積される。面内スピンバブルにおける接合面は、オーミック接合とトンネル接合の2種類に分類できる。オーミック接合では、強磁性体と非磁性体とが直接接合され、界面抵抗が小さいことを特徴とする。このとき、強磁性体はスピン抵抗が小さく、非磁性体はスピン抵抗が大きいため、両者のスピン抵抗は非整合であるために効率的なスピン注入は困難となり、スピン蓄積抵抗変化ΔRは1mΩ程度と小さい。トンネル接合では、強磁性体と非磁性体の間に絶縁層が設けられ、界面抵抗が大きいことを特徴とする。スピン抵抗の非整合が解消されるためトンネル接合では大きなΔRを実現できる。しかし、印加電圧の増加とともにスピン注入効率が下がってしまうので、スピンバルブ信号電圧はそれほど大きくならない。
【0004】
本発明者らは、強磁性体(NiFe)、MgO、非磁性体(Ag)からなるスピン注入素子において、従来のトンネル接合よりも低抵抗なMgO層を用いても、スピン抵抗の非整合を解消できることを見いだした(非特許文献1)。ここで、MgO層の電気抵抗は従来のトンネル接合に用いられるものよりも2桁程度小さい。スピン蓄積電圧はスピン蓄積抵抗変化と電流の積で表せ(ΔV=ΔR×I)、低抵抗なMgOではより大きな電流を印加できるため、スピンバルブ信号を大きくすることができる。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0005】
【特許文献1】特開2004−186274号公報
【特許文献2】特開2004−342241号公報
【特許文献3】特開2005−19561号公報
【特許文献4】特開2005−135462号公報
【特許文献5】特開2007−155854号公報
【特許文献6】特開2007−294710号公報
【非特許文献】
【0006】
【非特許文献1】Y. Fukuma, et al., “Enhanced spin accumulation obtained by inserting low-resistance MgO interface in metallic lateral spin valves”, Applied Physics Letters, vol. 97, 012597 (2010)
【非特許文献2】S. Takahashi and S. Maekawa, “Spin injection and detection in magnetic nanostructures”, Physical Review B, vol. 67, 052409 (2003)
【非特許文献3】S. O. Valenzuela and M. Tinkham, “Spin-polarized tunneling in room-temperature mesoscopic spin valves”, Applied Physics Letters, vol. 85, 5914 (2004)
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
本発明は、従来よりもさらにスピン注入効率の高いスピン注入源を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0008】
上記の課題を解決するために、本発明に係るスピン注入源は、非磁性導電体と、前記非磁性導電体上に形成される導電性を有するMgO膜と前記MgO膜を介して前記非磁性導電体上に形成される強磁性体と、から構成され、前記MgO膜は、300℃〜500℃で熱処理されたものであることを特徴とする。この熱処理は、30分〜60分間施されることが好ましい。
【0009】
本発明に係るスピン注入源は、非磁性導電体と、前記非磁性導電体上に形成される導電性を有するMgO膜と前記MgO膜を介して前記非磁性導電体上に形成される強磁性体と、から構成され、前記MgO膜は、酸素欠損量が5%以上17%以下である、と特定することもできる。
【0010】
また、本発明に係るスピン注入源は、非磁性導電体と、前記非磁性導電体上に形成される導電性を有するMgO膜と前記MgO膜を介して前記非磁性導電体上に形成される強磁性体と、から構成され、前記MgO膜において、界面抵抗R(fΩm)と膜厚t(nm)の間に以下の関係が成立する、と特定することもできる。
【数1】

【0011】
また、本発明に係るスピン注入源は、非磁性導電体と、前記非磁性導電体上に形成される導電性を有するMgO膜と前記MgO膜を介して前記非磁性導電体上に形成される強磁性体と、から構成され、前記MgO膜において、界面抵抗が1〜10fΩmであって、膜厚が2nm以上である、と特定することもできる。
【0012】
また、本発明に係るスピン注入源の製造方法は、非磁性導電体と、前記非磁性導電体上に形成される導電性を有するMgO膜と前記MgO膜を介して前記非磁性導電体上に形成される強磁性体と、から構成されるスピン注入源の製造方法であって非磁性導電体、MgO膜、強磁性体の順で積層された膜構造を作製する工程と、前記MgO膜に、300℃〜500℃で熱処理を施す工程と、を含むことを特徴とする。
【発明の効果】
【0013】
本発明に係るスピン注入源によれば、スピン注入効率を従来よりも向上させることができる。
【図面の簡単な説明】
【0014】
【図1】本実施形態に係るスピン注入源の基本構造を示す図である。
【図2】実施例に係るスピン蓄積素子の走査型電子顕微鏡像を示す図である。
【図3】実施例に係るスピン蓄積素子におけるスピン注入用電極の透過型電子顕微鏡による断面像を示す図である。
【図4】実施例に係るスピン蓄積素子におけるMgO膜の界面抵抗の膜厚依存特性を示す図である。
【図5】実施例に係るスピン蓄積素子を用いたスピン注入実験の結果であり、スピン蓄積抵抗の変化を示す図である。
【図6】実施例に係るスピン蓄積素子のスピン蓄積抵抗変化のMgO膜界面抵抗依存特性を示す図である。
【図7】実施例に係るスピン蓄積素子のスピン蓄積量ΔVの印加電流依存特性を示す図である。
【図8】実施例に係るスピン蓄積素子のスピン蓄積抵抗変化ΔRの印加電流依存特性を示す図である。
【図9】実施例に係るスピン蓄積素子のスピン蓄積量ΔVの印加電流およびスピン注入電極・スピン検出電極間距離に対する依存特性を示す図である。
【図10】実施例に係るスピン蓄積素子におけるMgO界面のスピン分極率及び銀のスピン拡散長の印加電流依存特性を示す図である。
【図11】比較例(熱処理無し)のスピン蓄積素子におけるMgO膜の界面抵抗の膜厚依存特性を示す図である。
【図12】比較例(熱処理無し)のスピン蓄積素子におけるスピン蓄積抵抗変化ΔRの印加電流依存特性を示す図である。
【図13】熱処理温度とMgO膜の界面抵抗の関係を示す図である。
【図14】熱処理温度とスピン蓄積抵抗変化の関係を示す図である。
【図15】熱処理温度とMgO界面のスピン分極率および銀のスピン拡散長の関係を示す図である。
【図16】熱処理したスピン蓄積素子の断面TEM像(A)と、導電性MgO膜の組成面分析結果(B−E)を示す図。
【発明を実施するための形態】
【0015】
<構造>
本発明に係るスピン注入源の基本構造は、図1Aに示すように、非磁性体21、導電性MgO層22、強磁性体23の三層構造である。非磁性体21および強磁性体23の間に電圧を印加して、導電性MgO層22を通じてスピン注入が行われる。スピン注入用電極は、素子構造や素子機能の目的に応じて任意に増やすことができる。図1Bでは、非磁性体の異なる側に、導電性MgO層22/強磁性体23と導電性MgO層24/強磁性体25の二つの電極を設け、強磁性体23,25間に電圧を印加して非磁性体21にスピン注入している。図1Cでは、非磁性体の同じ側に、導電性MgO層22/強磁性体23と導電性MgO層24/強磁性体25の二つの電極を設け、強磁性体23,25間に電圧を印加して非磁性体21にスピン注入している。
【0016】
図1B,1Cに示すスピン注入源においては、スピン注入電極を2つ利用しているので、非磁性体21中のスピン蓄積量を図1Aのスピン注入源と比較して2倍にできる。ただし、強磁性体23と強磁性体25の磁化の向きを反平行にする必要がある。これは、一方のスピン注入電極では強磁性体から非磁性体へと電流が流れているが、他方のスピン注入電極においては非磁性体から強磁性体へと電流が流れ、その向きが反対であるためである。非磁性体層に蓄積されるスピンの向きは、強磁性体の磁化の方向と電流の向きに依存する。強磁性体23と25の磁化が同方向の場合、電流の向きが反対であるために、両スピン注入電極から非磁性体21へと流れるスピンが互いに相殺されてしまう。強磁性体23と25の磁化方向を互いに反平行状態にすることで、両スピン注入電極から非磁性体21へと流れるスピンの向きを同一にでき、図1Aの場合と比較して2倍のスピン流が非磁性体へと注入されることになる。
【0017】
強磁性体23,25に用いる材料としては、Ni、Fe、Coおよびその合金、Co−Fe−B等のアモルファス材料、Co−Mn−SiやCo−Cr−Fe−Al等のホイスラー材料、La−Sr−Mn−O等の酸化物材料、GaMnAs等の強磁性半導体材料な
どが利用できる。また、上記の中から一種を選択して強磁性体薄膜としても良いし、複数を選択して多層薄膜として構成しても良い。また、磁気特性や化学特性を制御するために、Ti、V、Cr、Mn、Cu、Zn、B、Al、G、C、Si、Ge、Sn、N、P、Sb、O、S、Mo、Ru、Ag、Hf、Ta、W、Ir、Pt、Au等の非磁性体元素を適宜添加しても良い。
【0018】
なお、強磁性体層の膜厚は、読み出し時のノイズや磁気特性を考慮すると、2nm以上であることが望ましい。また、強磁性体の磁化方向を一方向に強く固定する目的で、MnIr、MnPt、MnRh等の反磁性体層を強磁性体上に設置することも好ましい。
【0019】
非磁性体21は、Cu、Au、Ag、Pt、Al、Pd、Ru、Ir、Rh等から選択される非磁性体導電性金属、又は、GaAs、Si、TiN、TiOを主成分とする導電性化合物などを利用できる。
【0020】
導電性MgO層22、24は、作製後に熱処理を行って酸素欠損量を多くして界面抵抗を低くしたものである。熱処理を施す点が非特許文献1のスピン注入源(以下、「比較例」と呼ぶ)と異なる点である。本実施形態における導電性MgO層の特性については、スピン注入源の製造方法を説明した後に詳細に説明する。
【0021】
<製造方法>
次に、本実施形態に係るスピン注入源の製造方法について説明する。スピン注入源は、Si基板やガラス基板やMgO基板などの上に作製される。
【0022】
リフトオフ法で作製する場合、始めに基板上にレジストを塗布する。その後、電子線描画装置、ステッパーを利用し、スピン注入源の電極パターンを作製する。その形状は任意に選択でき、実際の素子応用には検出用電極パターン等も必要であるために、スピン注入源の電極パターンと同時に作製する。細線パターンが形成された基板は、超高真空薄膜形成装置内に搬送される。図1Aおよび図1Cに示す構造を作製するときには、非磁性体薄膜21、MgO薄膜22、24、強磁性体薄膜23、25を順次製膜する。図1Bに示す構造を作製するときには、強磁性体薄膜23、MgO薄膜22、非磁性体薄膜21、MgO薄膜24、強磁性体薄膜25を順次製膜する。強磁性体膜や非磁性体膜には上述したような材料を用いることができる。薄膜製作方法は、スパッタ法、電子ビーム加熱蒸着法、分子線蒸着法等から薄膜材料に応じて、最適なものを選択できる。MgO薄膜22、24には酸素欠損を導入する必要があるために、MgOの単結晶体や多結晶体を蒸着源として利用し、超高真空内で蒸着することが望ましい。その酸素欠損の量は、蒸着源に供給するパワーによって制御できる。例えば、高温に加熱すれば酸素欠損の量は増加する。また、複雑な構造を作製する場合、多層レジスト構造(例えば、MMA/PMMA)を利用した3次元リフトオフパターンを作製し、蒸着源と基板との相対角度を調整し、蒸着元素の基板への入射角度を調整する必要がある。薄膜製作後、リフトオフを行うことでスピン注入源を得ることができる。
【0023】
第2の方法としてイオンミリングなどのエッチング法で作成することもできる。図1Aに示す構造を作製するときには、基板上に非磁性体/MgO/強磁性体の多層膜構造を作製する。薄膜製作方法は、スパッタ法、電子ビーム加熱蒸着法、分子線蒸着法等から薄膜材料に応じて、最適なものを選択できる。MgO薄膜には酸素欠損を導入する必要があるために、MgOの単結晶体や多結晶体を蒸着源として利用し、超高真空内で蒸着することが望ましい。この多層膜にレジストを塗布し、電子線描画装置、ステッパーを利用し、スピン注入源用電極パターンを作製する。その後、Arイオンミリング等を利用し、スピン注入源を得ることができる。
図1Bに示す構造を作製するときには、始めに基板上に強磁性体/MgO膜を作製する
。このMgO膜上にレジストを塗布し、電子線描画装置、ステッパーを利用し、下部スピン注入電極構造を作製し、Arイオンミリング等により、下部スピン注入電極(22と23)を削りだす。その後、MgOの表面清浄化処理を行い、非磁性体薄膜を作製する。非磁性体薄膜上にレジストを塗布し、電子線描画装置、ステッパーを利用し、非磁性体構造を作製し、Arイオンミリング等により非磁性体電極21を削りだす。その後、非磁性体電極の表面清浄化処理を行い、MgO/強磁性体膜を作製する。強磁性体薄膜上にレジストを塗布し、電子線描画装置、ステッパーを利用し、上部スピン注入電極構造を作製し、Arイオンミリング等により上部スピン注入電極(24と25)を削りだす。更に、多層膜構造等利用する場合は、上記の作製過程を繰り返し利用できる。上述のように、強磁性体23と25の磁化の相対方向は、磁場等を利用して反平行状態にする必要がある。
図1Cに示す構造を作製するときには、始めに基板上に非磁性体膜を作製する。この非磁性体薄膜上にレジストを塗布し、電子線描画装置、ステッパーを利用し、非磁性体電極構造を作製し、Arイオンミリング等により、非磁性体電極21を削りだす。その後、非磁性体表面清浄化処理を行い、MgO/強磁性体薄膜を作製する。非磁性体薄膜上にレジストを塗布し、電子線描画装置、ステッパーを利用し、スピン注入電極構造を作製し、Arイオンミリング等により第1のスピン注入電極(22と23)と第2のスピン注入電極(24と25)を削りだす。この場合も、強磁性体23と25の磁化の相対角度を反平行状態にする必要がある。
【0024】
MgO層の酸素欠損量を増やすために、必要に応じてMgO層作製後、あるいは素子構造作製後に、高真空(10-5 Torr程度)や水素雰囲気(窒素97%+水素3%)中で熱処
理する。素子構造や材料により条件は変える必要があるが、300〜500℃、30〜60分間の熱処理が好ましい。
【0025】
<実施例>
スピン注入源の特性評価のために、図2に示すスピン蓄積素子を作製した。図2は作製したスピン蓄積素子の走査型電子顕微鏡(SEM)像である。スピン注入電極11が本発明に係るスピン注入源に相当する。このスピン注入源の評価のために、スピン検出用電極12も設置してある。以下図2に示すスピン蓄積素子の製造方法を説明する。まず、Si/SiO基板上に2層電子線レジスト(MMA/PMMA)を作製した。電子線ビーム描画装置により、素子構造パターンを描画した。その後、この基板を超高真空蒸着装置内(10-8 Torr程度)に搬送し、電子ビーム蒸着によりNiFe(Py)膜を20nm、M
gO膜を8nm、Ag膜を50nm基板上に作製した。ここでは、スピン注入用強磁性体/MgO電極11およびスピン検出用強磁性体/MgO電極12を得るために、NiFe膜およびMgO膜の基板への入射角度は45度とした。Ag膜は通常の入射角度90度で作製した。リフトオフを行い、図2のような素子構造を得た。その後、窒素(97%)+
水素(3%)雰囲気中、400℃で30分間の熱処理を行った。(熱処理条件の詳細については後述する)
【0026】
・MgO層の酸素欠損量
図3に、透過型電子顕微鏡(TEM)により測定したスピン注入用強磁性体/MgO電極(図2の11)の断面像を示す。MgO層32はNiFe細線31を均一に覆っていることが分かる。このMgO層の組成分析をエネルギー分散X線分光(EDX)法により行った。熱処理前と比較して、酸素の比率が約6%減少していた。
【0027】
・MgO層の界面抵抗
図4に、図2のスピン蓄積素子において、端子14と端子16に電流源を接続し、端子18と端子13に電圧計を接続して測定したNiFe/MgO/Ag界面抵抗のMgO膜厚依存性を示す。この界面抵抗Rの膜厚tMgO依存性は指数関数で表わされる。
【数2】

図4中の実線は実験値からのフィッティング線を表す。また、この界面の電流―電圧特性は直線的変化を示しており、電気伝導性を示すMgO膜という特徴をもつ。
【0028】
・スピン蓄積量
続いて、スピン注入実験を行った。スピン注入実験では、端子14と端子18に電流源を接続し、0.2mAの電流を印加した。スピン流は、強磁性体31からMgO層32を通じて非磁性体33中に注入される。その後、スピン流は非磁性体細線を検出電極12方向へと拡散する。このため、電圧計を端子13と端子15に接続することにより、スピン蓄積のスピン方向とスピン検出用強磁性体電極12の磁化方向に依存した信号を検出できる。その結果を図5に示す。図5には低温(10K)と室温(RT=300K)での測定結果を示している。
【0029】
磁場を変えることにより、スピン注入用電極11とスピン検出用電極12の磁化方向を変化させた。初めに、1000Oe程度の高磁場を強磁性体細線方向に印加した。この時、スピン注入用電極11およびスピン検出用電極12の強磁性体の磁化方向は磁場印加方向である。磁場をゼロに戻し、反対方向に印加すると約−400Oeで検出用電極12の磁化が反転している。このために、抵抗値は小さくなっていることがわかる。その後、さらに磁場を大きくすると、約−500Oeで注入用電極11の磁化も磁場方向に反転し、高抵抗状態に戻る。両方の強磁性体の磁化反転が起きた後、今度はプラス方向に磁場を戻す。すると、約400Oeで検出用電極12の磁化が反転し、その後約600Oeで注入用電極11の磁化が反転していることがわかる。この平行、反平行状態の磁化配列に起因した電圧変化ΔVは、非磁性体中のスピン蓄積量に比例する。ΔV=ΔRs×Iを大きくするためには、印加電流を大きく、かつ抵抗変化(スピン蓄積抵抗変化)が大きな素子が好ましい。
【0030】
図5からわかるように、本実施例によるスピン蓄積素子では、スピン蓄積抵抗変化ΔRsが低温(10K)で約100mΩ、室温(300K)でも約50mΩという大きな値を示すことがわかった。
【0031】
スピン蓄積抵抗変化ΔRsのMgO膜界面抵抗の依存性を調べるために、MgO膜の膜厚が異なる複数の素子でのスピン蓄積抵抗変化を測定した。その結果を図6に示す。非特許文献2に報告された1次元スピン流回路モデルによるΔRsの理論式は、次式で表される。
【数3】

ここで、RSNはAg(非磁性体)のスピン抵抗、PはMgO界面のスピン分極率、RSIはMgO界面のスピン抵抗、PはNiFe(強磁性体)のスピン分極率、RSFはNiFeのスピン抵抗、dはスピン注入用電極とスピン検出用電極間の距離、λはAgのスピン緩和長である。RSN,RSI,RSFはそれぞれ、
【数4】

で表わされる。ここで、ρはAgの抵抗率、tはAgの膜厚、wはスピン蓄積が生じているAg細線の幅、RはMgOの界面抵抗値、wはNiFe細線の幅、ρはNiFeの抵抗率、λはNiFeのスピン拡散長である。各材料の抵抗値、細線の幅等は実験により決められる。このために、P、λ、P、λをフィッティングパラメーターとして図6の実験結果を再現した。
【0032】
図6の点は実験値、実線および破線は理論曲線を示している。室温においてP=0.3、λ=5nm、P=0.45、λ=300nm、低温の10KにおいてP=0.35、λ=5nm、Pi=0.45、λ=300nmが得られた。ここで注目すべき点は、従来技術により作製されたトンネル接合のスピン蓄積素子におけるPiは0.2程度であるのに対して、本発明のスピン注入源においては2倍以上大きな0.45を示していることである。また、後述するように熱処理を行わない導電性MgO膜を用いた比較例よりも大きなPiを示している。大きなPiは、高いスピン注入効率をもつことを示しており、本発明のスピン注入源が高い性能をもつことを示している。
【0033】
図7,8に、これらスピン蓄積素子のスピン蓄積量ΔVおよびΔR(=ΔV/I)の印加電流依存性を示す。界面抵抗0.5fΩm、3.2fΩm、12fΩm、215fΩmは、MgO層の膜厚0nm、1.2nm、2.5nm、6.2nmに対応する。図7からわかるように、印加電流Iと共にΔVは単調に増加している。図8は、ΔRの電流依存性を示す。全ての素子において、1mAまでは顕著なΔRの電流依存性はない。通常のトンネル接合においては、1μA以上でΔRは著しく減少する(非特許文献3)。このように、本発明のスピン注入源においては、従来の技術のトンネル接合と比較し、著しく印加電流依存性を向上できる。
【0034】
ここで、この印加電流の増加に伴うΔRの減少の理由を調べるために、界面抵抗値124fΩm(MgO膜厚5.5nm)のスピン蓄積素子のΔVの依存性を調べ、理論式によるフィッティングを行った。その結果の一例を図9、10に示す。図9においては、点が実験値、線が理論式である。図10は、強磁性体およびMgO界面のスピン分極率の印加電流依存性(左目盛り)と、非磁性体のスピン緩和長(右目盛り)を示す。いずれの素子においても、NiFe(P=0.35)およびMgO界面(Pi=0.45)のスピン分極率の印加電流依存性はなく、Agのスピン緩和長が減少することでΔRが減少していることがわかった。つまり、本発明のスピン注入源は印加バイアス依存性がなく、非常に安定してスピン注入源として機能していることがわかった。
【0035】
以上のように、本発明のスピン注入源では、高いスピン注入効率を有する(スピン分極率Piが従来のトンネル接合の2倍以上)とともに、大きな電流(〜1mA)を印加してもそのスピン注入効率が維持される。すでに述べたように、スピン注入量(蓄積量)は印加電流とスピン分極率の積に比例するので、本発明のスピン注入源を用いたスピン蓄積素
子ではスピン蓄積量が約100μV(スピン蓄積抵抗変化ΔR:約100mΩ、印加電流:1mA)となり、従来のトンネル接合を用いたスピン蓄積量の約10μVと比較して信号強度を一桁以上大きくすることができる。
【0036】
<比較実験例>
上記と同じ形状および材料の素子であるが、熱処理を行わない素子を作製した(非特許文献1に記載のスピン注入源)。MgO層には比較的少量の酸素欠損を含み、比較的高抵抗状態である。なおここで、「高抵抗」というのは熱処理後のMgO層と比較した場合のことであり、比較例に係るMgO層は従来のトンネル接合に用いるMgO層と比較すれば低抵抗であり、導電性を有する。比較例における界面抵抗値のMgO膜厚依存性を図11に示す。図11中の実線は実験値からのフィッティング線を示す。この界面抵抗の膜厚依存性は指数関数で表わされる。
【数5】

【0037】
この素子におけるΔRの界面抵抗依存性を図12に示す。このような高抵抗MgO界面をもつ素子においては、MgO膜厚1nm以上の界面抵抗100fΩm以上の領域で、ΔRは急速に減少していることがわかる。また、この素子におけるMgO界面のスピン分極率は0.11であり、従来の技術のトンネル接合と同程度であるが、本発明のMgO界面のスピン分極率よりも著しく小さい。このために、この素子においてはスピン注入効率が低く、ΔRは小さな値となっている。
【0038】
<その他の実施例>
上記と同じ形状および材料のスピン蓄積素子を作製した。この素子のMgO層の厚さは2.0nmである。素子作製後、300℃、400℃、500℃の温度で、窒素(97%)+水素(3%)雰囲気中で30分間の熱処理を行った。その後、スピン注入電極NiF
e/MgO/Ag界面の抵抗測定を行った結果を図13に示す。熱処理前は、1055fΩmと高抵抗状態であったが、熱処理後、界面抵抗値は300℃では94fΩmに、400℃では41fΩmに、500℃では5fΩmにそれぞれ大幅に減少している。
【0039】
これらの素子において、スピン注入実験を行い、10Kの低温におけるΔRのアニール温度依存性を図14に示す。ここでは、強磁性体細線幅を120nmで固定し、スピン蓄積用の非磁性体細線の幅を150nm、200nm、250nmと変化させてMgO界面の接合サイズの影響も調べた。熱処理前の高抵抗試料においては0.6mΩ程度と小さな信号であったが、熱処理温度と共にΔRは増加し、500℃の熱処理に対してΔRは減少している。
【0040】
この界面のスピン分極率Piを、先述と同様にスピン注入・検出電極間距離の異なる試料のΔRを測定し、1次元スピン流回路モデルとの比較により決定した。その結果を図15に示す。MgO界面のスピン分極率Piは熱処理温度と共に増加している。スピン分極率は、300℃でPi=0.22、400℃でPi=0.33、500℃でPi=0.53である。なお、熱処理前は測定信号が小さくスピン分極率の決定は不可能であった。また、銀のスピン拡散長も熱処理の増加とともに増加しているが、これは熱処理により銀の電気抵抗率が減少しているためである。
【0041】
以上のように、作製後のMgO膜に対して熱処理を加えることでスピン蓄積抵抗変化ΔRが増加することが分かる。400℃の熱処理でΔRが最も大きくなることから、3
00℃から500℃の間に最適な処理温度が存在することが分かる。500℃の熱処理において、MgO界面のスピン分極率が増加しているにも関わらずΔRが減少しているのは、この界面抵抗値が5fΩmと小さい値であるためである。もちろん、500℃の熱処理後においてもΔRは十分大きい値を示しており、500℃以上の温度で熱処理した場合も熱処理なしと比較して高い効果が得られることは見て取れる。もっとも、より高い効果を得るためには十分な界面抵抗値があることが望ましく、スピン蓄積素子において、大きなスピン蓄積を実現するには界面抵抗値は10fΩm以上が望ましい。
【0042】
また、上述した実施例において膜厚を2nmとした場合は、界面抵抗値が8.8fΩm(式1、図4)であり、そのスピン分極率はPi=0.45である。また、比較例において膜厚を2nmとした場合は、界面抵抗値が1181fΩm(式6、図11)であり、そのスピン分極率はPi=0.11である。
【0043】
以上より、膜厚2nmにおける界面抵抗値とスピン分極率の関係をまとめると次表のようになる。
【表1】

スピン分極率は比較例において0.11であり、これよりも十分に大きいスピン分極率0.2以上を達成するためには、膜厚2nmの導電性MgO膜では界面抵抗値を5〜90fΩmとする必要がある。もちろん膜厚2nmは一例であり、導電性MgO膜の厚さは2nmに限られない。
一般に、導電性MgO膜の界面抵抗Riと膜厚tの間の関係は、Ri=b*exp(at)のように2
つのパラメータによって表される。ここで、aとbの間には相関があって、aの減少とともにbも減少するという傾向がある。膜厚2nmで界面抵抗5fΩmの場合a=0.7、膜厚2nmで界面抵抗90fΩの場合a=1.2と見積もれる。したがって、界面抵抗値R(fΩm)と膜厚t(nm)の間に以下の関係が成立する導電性MgO膜を用いることで、スピン分極率0.2以上を達成することができる。
【数6】

【0044】
また、これら試料をEDXによりMgOの組成分析を行った。MgO層のMgとOの組成比を厳密に測定することは非常に困難であるために、定性的評価を行った。熱処理前の試料においても酸素欠損は存在し、そのMgO層の組成はMgO1-δとする。300℃、4
00℃、500℃の熱処理により、その組成はMgO1-(δ+0.03)、MgO1-(δ+0.06)、MgO1-(δ+0.12)と変化していた。このために、熱処理による界面抵抗の減少には酸素欠損が大きく影響していることが明らかになった。また、図16に500℃で熱処理した試料の断面TEM像(A)および組成の面分析測定結果(B〜E)を示す。400℃の熱処理においてはMgO中へのFe、Niの拡散は見られなかったが、500℃の熱処理した試料においては明確にMgO層中にFe原子が拡散していることがわかった。このように、熱処理やMgO層作製中に微量な金属原子を拡散させることはMgOの界面抵抗を小さくするのに有効な手段である。
【0045】
熱処理前の酸素欠損量の厳密な測定は困難であるが、TEM像によりMgO結晶格子が見えているため、それほど大きな酸素量の変化はないと考えられる。熱処理前の酸素欠損量δは広く見積もっても2%〜5%程度であると考えられる。したがって、熱処理後のMgO膜の酸素欠損量は、300℃、400℃、500℃の熱処理それぞれについて、5%〜8%、8%〜11%、14%〜17%と考えられる。すなわち、熱処理により効率が向上したスピン蓄積素子におけるMgO膜における酸素欠損量が5%〜17%である。
【0046】
<その他>
本発明のスピン注入源において、導電性MgO膜を介在させることでスピン注入効率が向上するのは、MgO膜によって非磁性体と強磁性体のスピン抵抗の非整合が解消されるためである。MgO膜のスピン抵抗は、スピン注入対象の非磁性体のスピン抵抗と同程度またはそれ以上にすることが好ましい。スピン抵抗は式3〜式5のように表せるため、具体的な素子構造においてはMgO膜の界面抵抗Riを注入対象の非磁性体の特性(抵抗率やスピン拡散長)に合わせて調整することで、適切なスピン抵抗が得られる。スピン注入対象が非磁性体金属である場合には、抵抗率やスピン拡散長などの特性は概ね一定であり、図6からもわかるようにMgOの界面抵抗を1fΩm以上、より好ましくは、10fΩm以上とすることが好ましい。MgOの界面抵抗の上限値に関しては、スピン蓄積抵抗変化の界面抵抗依存が飽和する10fΩm以下程度とすることが好ましい。
【0047】
また、導電性MgO膜の膜厚が薄い場合にはスピンフィルタとしての機能が十分に果たせないためスピン注入効率がそれほど向上しないと考えられる。スピンフィルタとしての機能を十分に発揮するためには、1nm以上、より好ましくは2nm以上の膜厚が必要であると考えられる。なお、スピンフィルタ機能の点からは膜厚の上限値は設けられず、MgO膜の界面抵抗値が上記の範囲に収まるような膜厚であればどのような膜厚であっても良いが、現実的に10nm程度を上限とすることが好ましい。
【0048】
なお、スピン注入効率の向上のためには導電性MgO膜の界面抵抗を減少させれば良い。上述のように、MgO膜作製時に多少の酸素欠損を導入し、その後、水素雰囲気下や真空中で熱処理することにより酸素欠損を導入することが簡易で好ましい製造方法である。ここで、MgO膜作製時に酸素欠損を導入しているのは熱処理による酸素欠損の導入を容易にするためである。
しかしながら、最終的に必要な導電性が得られればその製造方法は上述の方法に限られない。たとえば、MgO膜の作製条件を調整して上述の酸素欠損(界面抵抗)を持つMgO膜を作製して、熱処理を行わない方法も考えられる。また、MgO膜作製時には酸素欠損を導入せずに、熱処理のみによって酸素欠損を導入してもかまわない。また、MgO膜に金属原子を拡散させてMgO膜の界面抵抗を減少させてもかまわない。
【0049】
本実施例に係るスピン蓄積素子(図2)では、スピン検出用電極12についても熱処理したMgO膜を用いているが、スピン検出用電極については、素子機能の目的等に応じてトンネル接合やオーミック接合なども適宜採用可能である。
【符号の説明】
【0050】
11 スピン注入用電極
12 スピン検出用電極
13,14 スピン蓄積用非磁性体細線
15,16、17,18 測定用非磁性体電極
21 非磁性体
22 MgO層
23 強磁性体
24 MgO層
25 強磁性体

【特許請求の範囲】
【請求項1】
非磁性導電体と、
前記非磁性導電体上に形成される導電性を有するMgO膜と
前記MgO膜を介して前記非磁性導電体上に形成される強磁性体と、
から構成され、前記強磁性体から前記非磁性導電体にスピンを注入するスピン注入源であって、
前記MgO膜は、300℃〜500℃で熱処理されたものである、
スピン注入源。
【請求項2】
前記熱処理は、30分〜60分間施される、請求項1に記載のスピン注入源。
【請求項3】
非磁性導電体と、
前記非磁性導電体上に形成される導電性を有するMgO膜と、
前記MgO膜を介して前記非磁性導電体上に形成される強磁性体と、
から構成され、前記強磁性体から前記非磁性導電体にスピンを注入するスピン注入源であって、
前記MgO膜は、酸素欠損量が5%以上17%以下である、
スピン注入源。
【請求項4】
非磁性導電体と、
前記非磁性導電体上に形成される導電性を有するMgO膜と、
前記MgO膜を介して前記非磁性導電体上に形成される強磁性体と、
から構成され、前記強磁性体から前記非磁性導電体にスピンを注入するスピン注入源であって、
前記MgO膜は、界面抵抗R(fΩm)と膜厚t(nm)の間に以下の関係が成立する、
スピン注入源。
【数1】

【請求項5】
非磁性導電体と、
前記非磁性導電体上に形成される導電性を有するMgO膜と、
前記MgO膜を介して前記非磁性導電体上に形成される強磁性体と、
から構成され、前記強磁性体から前記非磁性導電体にスピンを注入するスピン注入源であって、
前記MgO膜は、界面抵抗が1〜10fΩmであって、膜厚が2nm以上である、
スピン注入源。
【請求項6】
非磁性導電体と、
前記非磁性導電体上に形成される導電性を有するMgO膜と
前記MgO膜を介して前記非磁性導電体上に形成される強磁性体と、
から構成され、前記強磁性体から前記非磁性導電体にスピンを注入するスピン注入源の製造方法であって
非磁性導電体、MgO膜、強磁性体の順で積層された膜構造を作製する工程と、
前記MgO膜に、300℃〜500℃で熱処理を施す工程と、
を含むスピン注入源の製造方法。

【図1】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【図8】
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【図9】
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【図10】
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【図11】
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【図12】
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【図13】
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【図14】
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【図15】
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【図2】
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【図3】
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【図16】
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【公開番号】特開2012−54470(P2012−54470A)
【公開日】平成24年3月15日(2012.3.15)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2010−197047(P2010−197047)
【出願日】平成22年9月2日(2010.9.2)
【出願人】(503359821)独立行政法人理化学研究所 (1,056)
【Fターム(参考)】