説明

原子軌道解析装置およびその解析方法

【課題】化合物固体における伝導電子の原子軌道成分の割合を、実験室レベルで定量的かつ簡便に得ることができる原子軌道解析装置を提供する。
【解決手段】光電子分光で励起光として用いたとき反跳効果が無視できる低い光子エネルギを有する第1のX線を照射する第1照射部と、光電子分光で励起光として用いたとき反跳効果を観測しうる高い光子エネルギを有する第2のX線を照射する第2照射部と、第1のX線及び第2のX線それぞれを2以上の多元化合物からなる化合物固体試料に照射することで、その試料内部の伝導電子を励起し光電子に変換する励起部と、第1のX線により変換された光電子の第1運動エネルギと第2のX線により変換された光電子の第2運動エネルギとを分析する光電子分析部と、分析された第1運動エネルギ及び第2運動エネルギとのずれを解析することで、その試料の伝導電子の原子軌道成分の割合を定量的に同定する原子軌道解析部とを備える。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、原子軌道解析装置およびその解析方法に関し、特に、化合物中伝導電子の原子軌道解析装置およびその解析方法に関する。
【背景技術】
【0002】
例えば電気を流すかどうかまたはどんな色をしているかなど固体の性質というのは固体中の電子の振る舞いで大部分が決まってくる。そのため、固体中の電子の動きを知ることは大変重要である。
【0003】
また、例えば複数の元素で構成され金属的な性質を示す多元系化合物の伝導電子がどの原子軌道から構成されているのかは、多元系化合物で構成される物質または材料の基本的な性質を決める上で重要な情報である。それだけでなく、多元系化合物で構成される機能性材料の開発、さらにはその機能性材料の機能解析にとっても重要な情報である。
【0004】
そこで、多元系化合物中の伝導電子(以下、化合物中伝導電子と記載。)の原子軌道を知るために様々な方法が開示されている。
【0005】
例えば、化合物中伝導電子を部分的かつ定性的に知る実験方法として共鳴光電子分光が知られている(例えば、非特許文献1参照。)。ここで、共鳴光電子分光とは、特定の元素の電子軌道に属する電子の光電子スペクトルを選択的に増大させる手法を用いた元素選択的な測定手法である。
【0006】
しかし、非特許文献1に開示されている方法では個々の原子軌道の割合を定量的に決めることは極めて難しい。
【0007】
それに対して、バンド計算を行うことにより多元系化合物伝導電子における原子軌道の割合を定量的に予測する方法が開示されている(例えば、非特許文献2参照。)。
【0008】
ただし、非特許文献2の方法では、多元系化合物伝導電子における原子軌道の割合の予測の正否を確認する必要がある。バンド計算で導出した各原子軌道による部分状態密度と、さらに多元系化合物に対して光電子分光測定を行い得られた価電子帯光電子スペクトルとを比較することにより、その予測の正否を確認する。そして、それらの定量的対応が良いことが確認できた場合に多元系化合物伝導電子の原子軌道成分を定量的に求めたと主張することができる。
【0009】
しかし、非特許文献2に開示されている手法はあくまで計算と実験の対応が良いというだけであり、実験から直接伝導電子の原子軌道成分を定量的に求めた訳ではないため、バンド計算が実験を再現できない場合がある。例えば、伝導電子間のクーロン斥力効果が大きい強相関化合物では、そもそもバンド計算の結果が実験を再現できず、したがって伝導電子における原子軌道の割合を調べることができないということが公知である(例えば、非特許文献3参照。)。
【0010】
また、化合物中伝導電子を部分的かつ定性的に知る実験方法として、X線吸収分光が知られている。しかしながら、このX線吸収分光では、ある原子軌道が伝導電子の軌道を担っているか否かを定性的に調べることが可能であるものの、上述同様に定量的な割合を求めることは極めて難しい。
【0011】
それらに対して、伝導電子の原子軌道を定量的に知る方法として、直線偏光真空紫外線励起による価電子帯光電子角度分布を解析する方法が知られている(例えば、非特許文献4参照。)。この解析方法では、単結晶試料もしくは単結晶薄膜を必要とするものの、化合物または薄膜の表面における伝導電子の原子軌道を定量的に知ることが可能である。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0012】
【特許文献1】特開2008−170356号公報
【非特許文献】
【0013】
【非特許文献1】A. Yamasaki他、Nucl. Instrum. Methods A 547、 136 (2005)
【非特許文献2】T. Iwasaki他、Phys. Rev. B 61、 4621 (2000)
【非特許文献3】A. Sekiyama他、Phys. Rev. Lett. 93、156402 (2004)
【非特許文献4】M. Kotsugi他、Journal of Electron Spectroscopy and Related Phenomena 88、 489 (1998)
【非特許文献5】Y. Takata他、Physicsl Review B 75、 233404 (2007)
【非特許文献6】Y. Takata他、Physicsl Review Letters 101、 137601 (2008)
【非特許文献7】W. Domke and L. Cederbaum、 Journal of Electron Spectroscopy and Related Phenomena 13、 161 (1978)
【非特許文献8】J. H. Scofield、 Lawrence Livermore Laboratory Report No. UCRL−51326 (1973)
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0014】
しかしながら、一般に、物質の電子状態は、バルク(物質内部)と表面とでは異なり、強相関化合物などの物質の電子状態はバルクの電子状態に左右される。
【0015】
そのため、非特許文献4の解析方法では、化合物または薄膜の表面における伝導電子の原子軌道の情報を定量的に得ることはできてもバルク(物質内部)における伝導電子の情報を得ることはできない。
【0016】
なお、コンプトン散乱も伝導電子の原子軌道についての情報が得られることが知られているが、この方法でもバンド計算との比較が不可欠となる。そのため、上述同様に強相関化合物では伝導電子の原子軌道についての情報を定量的に得るのは難しい。
【0017】
本発明は、上述の事情を鑑みてなされたもので、化合物固体における伝導電子の原子軌道成分の割合を、実験室レベルで定量的かつ簡便に得ることができる原子軌道解析装置およびその解析方法を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0018】
上記目的を達成するために、本発明に係る原子軌道解析装置は、光電子分光で励起光として用いたとき反跳効果が無視できる相対的に低い光子エネルギを有する第1のX線を照射する第1照射部と、光電子分光で励起光として用いたとき反跳効果を観測しうる相対的に高い光子エネルギを有する第2のX線を照射する第2照射部と、前記第1のX線および前記第2のX線それぞれを2以上の多元化合物からなる化合物固体試料に照射することにより、前記化合物固体試料の内部の伝導電子を励起させて光電子に変換する励起部と、前記第1のX線により変換された光電子の第1の運動エネルギと前記第2のX線により変換された光電子の第2の運動エネルギとを分析する光電子分析部と、分析された前記第1の運動エネルギと前記第2の運動エネルギとのずれを解析することにより、前記化合物固体試料における伝導電子の原子軌道成分の割合を定量的に同定する原子軌道解析部とを備えることを特徴とする。
【0019】
この構成によれば、光子エネルギの大きく異なる2種類のX線を複数の異なる元素で構成された化合物固体試料に照射し、化合物固体試料中の伝導電子を励起して光電子に変換し、生成された光電子の結合エネルギを測定し、下記動作原理によるエネルギのずれを計測することで伝導電子の原子軌道成分の割合を、バンド理論等に頼ることなく定量的に同定することができる。
【0020】
それにより、化合物固体における伝導電子の原子軌道成分の割合を、実験室レベルで定量的かつ簡便に得ることができる原子軌道解析装置を実現できる。
【0021】
ここで、前記原子軌道解析装置は、さらに、前記同定した原子軌道成分を、理論から算出される原子軌道の光イオン化断面積比を用いて修正することにより、前記化合物固体試料の内部にある伝導電子の原子軌道成分を算出する算出部を備えてもよい。
【0022】
この構成によれば、実験データから算出できる化合物固体における伝導電子の原子軌道成分の割合を理論値で修正することで、より正確な化合物固体における伝導電子の原子軌道成分の割合を同定することができる。
【0023】
また、上記目的を達成するために、本発明に係る原子軌道解析方法は、光電子分光で励起光として用いたとき反跳効果が無視できる相対的に低い光子エネルギを有する第1のX線を照射する第1照射ステップと、光電子分光で励起光として用いたとき反跳効果を観測しうる相対的に高い光子エネルギを有する第2のX線を照射する第2照射ステップと、前記第1のX線および前記第2のX線それぞれを2以上の多元化合物からなる化合物固体試料に照射することにより、前記化合物固体試料の内部の伝導電子を励起させて光電子に変換する励起ステップと、前記第1のX線により変換された光電子の第1の運動エネルギと前記第2のX線により変換された光電子の第2の運動エネルギとを分析する光電子分析ステップと、分析された前記第1の運動エネルギおよび前記第2の運動エネルギとのずれを解析することにより、前記化合物固体試料の伝導電子の原子軌道成分を定量的に同定する原子軌道割合解析ステップとを含むことを特徴とする。
【0024】
なお、本発明は、装置として実現するだけでなく、このような装置を構成する処理手段をステップとする方法として実現したり、それらステップをコンピュータに実行させるプログラムとして実現したりすることもできる。
【発明の効果】
【0025】
本発明によれば、化合物伝導電子における原子軌道成分を、実験室レベルで定量的かつ簡便に得ることができる原子軌道解析装置およびその解析方法を実現することができる。
【図面の簡単な説明】
【0026】
【図1】本発明に係る原子軌道解析装置の構成を示す模式図である。
【図2】本発明における原子軌道解析方法を説明するためのフローチャートである。
【図3】固体化合物の光電子反跳効果によるエネルギずれを示す実験図である。
【図4】本発明に係る原子軌道解析装置の構成の具体例を示す模式図である。
【発明を実施するための形態】
【0027】
以下、本発明の一実施形態について、図面を参照しながら説明する。
図1は、本発明に係る原子軌道解析装置の構成を示す模式図である。
【0028】
図1に示す原子軌道解析装置100は、第1のX線照射部20と、第2のX線照射部40と、励起ユニット部60と、光電子分析器ユニット部80とを備える。
【0029】
原子軌道解析装置100は、光エネルギが大きく異なる第1のX線3と第2のX線5とを用いて試料7における伝導電子の原子軌道成分の割合を解析するための装置である。ここで、試料7は、強相関化合物を含む多元系化合物の固体試料(以下、化合物固体試料と記載。)である。試料7は、励起ユニット部60内部に置かれ、その伝導電子の原子軌道成分が解析される。また、単色化とは、一定の波長すなわち一定のエネルギ(hν)を有する光にすることである。
【0030】
第1のX線照射部20は、0.6ナノメートル以上の波長をもち光電子分光で励起光として用いたとき光電子反跳効果が無視できる相対的に低い光子エネルギを有する単色化された第1のX線3を発生し、発生した第1のX線3を励起ユニット部60内部に配置される試料7に照射する。
【0031】
ここで、第1のX線3とは、例えば、0.83ナノメートルの波長をもちhν=1487eV(電子ボルト)のエネルギを有するよう単色化されたAlKα特性X線である。また、結晶分光器は、例えば石英または酸化ケイ素の結晶が使用される分光器である。
【0032】
なお、反跳効果とは、運動量の保存の法則に従って放出される粒子、または放射線により反跳(反発力)を受けた原子核が振動状態の変化を引き起こすことをいう。また、光電子反跳効果とは、反跳効果が光電子分光により引き起こされることをいう。
【0033】
第2のX線照射部40は、0.25ナノメートル以下の波長をもち光電子分光で励起光として用いたとき光電子反跳効果を観測しうる相対的に高い励起エネルギを有するよう単色化された第2のX線5を発生し、発生した第2のX線5を励起ユニット部60内部に配置される試料7に照射する。
【0034】
ここで、第2のX線5とは、例えば、0.15ナノメートルの波長をもちhν=8048eVのエネルギを有するよう単色化されたCuKα特性X線である。また、二結晶分光器は、例えば(220)面で表面を切り出したケイ素の単結晶が使用される分光器である。そして、このケイ素の単結晶は、単色化されたCuKα特性X線を励起ユニット62の中にある試料7の表面に集光させて照射するために、応力を加えて湾曲させた状態で使用されるのが好ましい。
【0035】
励起ユニット部60は、光電子分光を行うための測定試料となる試料7を保持する超高真空環境の光電子分光用試料室である。
【0036】
励起ユニット部60では、光電子分光で励起光として用いたとき光電子反跳効果が無視できる低い光子エネルギを有する第1のX線3と、光電子分光で励起光として用いたとき光電子反跳効果を観測しうる高い光子エネルギを有する第2のX線5とが、内部に置かれた試料7に照射される。励起ユニット部60では、試料7は、それら光子エネルギの大きく異なるX線が照射されて、試料7のバルクでの伝導電子を励起して光電子に変換する。
【0037】
光電子分析器ユニット部80は、例えば、高電圧対応高分解能光電子分析器であり、励起ユニット部60における試料7の伝導電子から励起され変換された光電子の運動エネルギを分析する。
【0038】
以上のように、原子軌道解析装置100は構成される。
この構成により、本実施の形態では、原子軌道解析装置100を用いて、試料7のバルクにおける伝導電子から変換された光電子の運動エネルギを分析する。そして、分析した運動エネルギから生成された光電子の結合エネルギを測定し、それらのエネルギのずれを計測する。さらに、複数の異なる元素で構成された化合物固体試料中の伝導電子励起における光電子反跳効果によるエネルギずれが、構成する各原子軌道の割合によって異なるという動作原理に基づき、試料7における伝導電子の原子軌道の割合を、バンド理論等によらず定量的に同定する。
【0039】
なお、原子軌道解析装置100では、同時または別途に試料7の内殻光電子分光を行う必要があり、試料7である化合物固体試料を構成する1番目および2番目の元素が光電子反跳効果を有することを確認する。それは、光電子反跳効果が認められない場合、1番目および2番目の両方の元素で反跳効果が抑制されているために、原子軌道解析装置100では、原子軌道解析を行うことができないからである。
【0040】
ここで、内殻光電子分光とは、試料7を構成する複数の元素のうちいずれかの元素の内殻電子に対して行う光電子分光のことである。
【0041】
このようにして、従来困難であった強相関化合物などの化合物固体試料のバルク(物質内部)における伝導電子の原子軌道成分の割合を他の計測手法やバンド計算に頼ることなく定量的に同定することができる。それにより、実験室レベルの装置である原子軌道解析装置100により、強相関化合物を含む多元系化合物の単結晶試料だけでなく多結晶試料に対しても簡便に計測することができる。
【0042】
次に、原子軌道解析装置100の動作について説明する。
図2は、本発明における原子軌道解析方法を説明するためのフローチャートである。
【0043】
まず、光子エネルギが大きく異なる2種類のX線を発生させる。すなわち、0.6ナノメートル以上の波長をもつ低い光子エネルギを有するよう単色化された第1のX線3と、0.25ナノメートル以下の波長をもつ高い光子エネルギを有するよう単色化された第2のX線5とを発生させる。
【0044】
次に、単色化された第1のX線3を試料に照射して、試料7の内殻および伝導電子の光電子分光を行う。また、単色化された第2のX線5を試料7に照射して、試料7の内殻および伝導電子の光電子分光を行う(S101)。ここで、光電子分光を行う順番は問わない。また、試料7は、化合物固体試料である。
【0045】
次に、内殻光電子分光によって、試料7を構成する1番目および2番目の元素での光電子反跳効果の有無を確認する(S103)。
【0046】
そして、内殻光電子分光によって、試料7を構成する1番目もしくは2番目の元素で光電子反跳効果が確認された場合(S103のYesの場合)、試料7のバルクにおける伝導電子の光電子分光の実験データを解析して試料7における伝導電子の反跳効果によるエネルギずれを算出する。そして、算出したエネルギずれから、試料7を構成する1番目の元素の原子軌道が観測される割合cを求める(S105)。
【0047】
次に、求めた1番目の元素の原子軌道が観測される割合cを、理論から算出される原子軌道の光イオン化断面積比を用いて修正して、試料7のバルク(物質内部)における伝導電子の1番目の原子軌道の割合xを算出する(S107)。
【0048】
ここで、光イオン化とは、放射光子の作用によって影響を受けた気体もしくは固体内で起きる電離である。
【0049】
一方、S103において、試料7を構成する1番目および2番目の元素での光電子反跳効果が認められない場合は(S103のNoの場合)、1番目および2番目の両方の元素で反跳効果が抑制されており、原子軌道解析を行うことができないため、試料7の伝導電子の原子軌道解析を終了する。
【0050】
以上のようにして、伝導電子の原子軌道成分の割合を、バンド理論等に頼ることなく定量的に同定することにより、試料7の伝導電子の原子軌道解析を行うことができる。
【0051】
本発明では、本発明者が新たに発見した動作原理すなわち複数の異なる元素で構成された化合物中の伝導電子励起における光電子反跳効果によるエネルギずれが、構成する各原子軌道の割合によって異なるという動作原理(事実)を利用している。
【0052】
以下、多元系化合物の試料としてV(Vanadium)とO(Oxygen)から構成される金属的な多元系化合物を用いて行った実験例を、動作原理とともに説明する。
【0053】
(動作原理)
非特許文献5、非特許文献6および特許文献1が示すように、8000eV程度の高い励起エネルギ光を用いて光電子分光を行うと、固体中の電子が光電子に変換される際に電子のすぐ近くの原子核が反跳効果を起こしうる。このとき、観測される光電子の運動エネルギは、原子核が反跳効果を起こさないと仮定した場合に比べると小さくなる。このような反跳効果によるエネルギのずれの大きさは、単体固体においては上記非特許文献5、非特許文献6および特許文献1に開示されている。
【0054】
しかし、複数の異なる元素から構成される化合物固体においては、光電子反跳効果によるエネルギずれの大きさは不明であった。これは、複数の異なる元素から構成される化合物固体では、電気伝導を担い固体の性質を決める上で重要な役割を果たす伝導電子が、波動関数が異なる元素の原子軌道波動関数の一次結合で表されるためである。
【0055】
このような光電子反跳効果によるエネルギずれを求めるためには、励起エネルギの大きく異なる2種類の光を用いて光電子分光を行う必要がある。
【0056】
そこで、発明者は、図2で説明した原子軌道解析方法を用いて、このような光電子反跳効果によるエネルギずれを算出し、算出したエネルギから化合物固体における伝導電子の原子軌道解析を行った。
【0057】
図3は、固体化合物の光電子反跳効果によるエネルギずれを示す実験図である。
まず、発生された光エネルギが大きく異なる2種類のX線、すなわち、光子エネルギ700eVの単色化されたX線と、励起エネルギ8000eVの単色化されたX線とを試料に照射して、試料の内殻および伝導電子の光電子分光を行う(S101)。ここで、用いた試料は、遷移金属元素と酸素とからなり、具体的にはV59、V23およびLiV24の3つの化合物固体試料である。
【0058】
次に、内殻光電子分光によって、試料を構成する1番目(ここでは、O)および2番目(ここでは、V)の元素での光電子反跳効果の有無を確認した(S103)。
【0059】
次に、伝導電子の光電子分光の実験データを解析して、試料における伝導電子の反跳効果によるエネルギずれを算出する。そして、算出したエネルギずれから、試料を構成する1番目の元素の原子軌道が観測される割合cを求める(S105)。
【0060】
ここで、この割合cを求めるために下記の(式1)を用いる。(式1)は上記非特許文献7に開示されている2原子分子気体の光電子反跳効果に対する式から本発明者が導出したものである。
【0061】
一般に伝導電子の波動関数が2種類の元素による原子軌道から構成される場合、光電子反跳効果によるエネルギのずれは、2種類の元素共反跳効果を起こすときの光電子運動エネルギ(EK)、電子質量(me)、1番目の元素の質量(M1)、2番目の元素の質量(M2)とすると、以下の(式1)で表すことができる。
【0062】
{EKe/(M1+M2)}{1+c(M2/M1)+(1−c)(M1/M2)}(式1)
【0063】
ここで、cは、光電子分光を行ったときに伝導電子の光電子スペクトル中1番目の元素の原子軌道が観測される割合である。
【0064】
S105において、試料すなわちV59、V23およびLiV24それぞれの割合cを(式1)を用いて求めた。
【0065】
LiV24では、伝導電子におけるLi原子軌道の割合は無視できるので、Vの内殻光電子分光およびOの内殻光電子分光を行うことによって光電子反跳効果を確認した。そして、図3に示すように、価電子の光電子反跳効果によるエネルギのずれ125ミリeVとエネルギ校正に用いたAuで生じる光電子反跳効果によるエネルギずれ20ミリeVとを実験データから見積もる。そして見積もったエネルギずれから、(式1)においてM1をO原子核の質量、M2をV原子核の質量とすると、観測されたO2p軌道の割合cは約30%であると求めることができる。
【0066】
一方、V23とV59とにおいては、図3に示すように、伝導電子の光電子反跳効果によるエネルギのずれが(式1)の予測する最小値よりも小さく、V原子のある場所では光電子反跳効果が生じていないことがわかる。すなわち光電子反跳効果がV原子核では抑制されているのがわかる。
【0067】
この場合、伝導電子の光電子反跳効果によるエネルギのずれは(式1)でV原子の質量M2を無限大と仮定して導出した(式2)で表されることになる。
【0068】
cEKe/M1(式2)
【0069】
観測されたO2p軌道の割合cは、(式2)から、V23で約20%、V59で約10%であると求めることができる。
【0070】
このように、S105では、試料7における伝導電子の光電子反跳効果によるエネルギずれを実験データから見積もった上で、(式1)または(式2)を用いて1番目の元素の原子軌道が観測される割合cを求める。
【0071】
次に、求めた1番目の元素の原子軌道が観測される割合cを、理論から算出される原子軌道の光イオン化断面積比を用いて修正して、試料のバルク(物質内部)における伝導電子の1番目の原子軌道の割合xを算出する(S107)。
【0072】
ここで、非特許文献8によれば、8000eVの光で光電子分光を行った場合、V3d電子とO2p電子の光電子変換効率に該当する光イオン化断面積の比ρは、1.3である。そのため、V酸化物の伝導電子中におけるOの2p軌道の割合xは(式3)で算出することができる。
【0073】
x=c/{ρ(1−c)+c}(式3)
【0074】
したがって、(式3)によってLiV24、V23およびV59の伝導電子における1番目の原子軌道の割合xを算出し、それぞれ約40%、約25%および約10%であるという値を算出することができる。
【0075】
それにより、VとOとから構成される金属的な化合物においては、図3に示すように、伝導電子の光電子反跳効果によるエネルギのずれが化合物によって異なり、それが伝導電子の波動関数を構成するV3d軌道とO2p軌道の割合が異なるためであることがわかる。
【0076】
このように、S107では、例えば非特許文献8で1番目と2番目の原子軌道の光イオン化断面積の比ρを調べて、化合物中伝導電子の1番目の原子軌道の割合xをρと求めたcを式3に代入して算出することができる。それにより、実験データから算出できる化合物固体における伝導電子の原子軌道成分の割合を理論値で修正することで、より正確な化合物固体における伝導電子の原子軌道の成分(割合)を同定することができる。
【0077】
以上のようにして、本発明の原子軌道解析方法により、V59、V23およびLiV24の固体化合物の原子軌道解析を行う。
【0078】
以上のように、伝導電子の原子軌道成分の割合を、バンド理論等に頼ることなく定量的に同定することができ、強相関化合物などを含む多元系化合物の伝導電子の原子軌道解析を行うことができる。
【0079】
なお、原子軌道解析装置100は、まだ実在しないため、図3に示す実験データは、シンクロトロン放射光施設において励起エネルギの大きく異なる2種類のX線を用いて光電子分光を行った結果であるが、上述の原子軌道解析装置100のように構成すれば本発明の原理が適用可能である。以下、原子軌道解析装置100の構成の具体例を説明する。
【0080】
図4は、本発明に係る原子軌道解析装置の構成の具体例を示す模式図である。なお、図4に示す原子軌道解析装置100は、図1に示す原子軌道解析装置100の具体例である。そのため、図1と同様の要素には同一の符号を付しており、詳細な説明は省略する。
【0081】
図4に示す原子軌道解析装置100は、第1のX線照射部20と、第2のX線照射部40と、励起ユニット部60と、光電子分析器ユニット部80とを備える。
【0082】
第1のX線照射部20は、第1のX線3を発生するAlKα特性X線管22と結晶分光器23とを備えたX線単色化機構から構成されている。
【0083】
結晶分光器23は、AlKα特性X線管22で発生し出射された第1のX線3を単色化して、励起ユニット部60に導く。このようにして、第1のX線照射部20は、第1のX線3を励起ユニット部60内部に配置される試料7に照射する。
【0084】
具体的には、第1のX線照射部20は、第1のX線3として、光子エネルギ1487eVの単色化されたAlKα特性X線を試料7に照射する。
【0085】
第2のX線照射部40は、第2のX線5を発生するCuKα特性X線管42と二結晶分光器43とを備えたX線単色化機構から構成されている。
【0086】
二結晶分光器43は、CuKα特性X線管42で発生し出射された第2のX線5を単色化して、試料7の表面で集光させるように励起ユニット部60に導く。このようにして、第2のX線照射部40は、第2のX線5を励起ユニット部60内部に配置される試料7に照射する。
【0087】
具体的には、第2のX線5として、光子エネルギ8048eVの単色化されたCuKα特性X線を試料7に照射する。
【0088】
なお、光電子分光に用いる2種類の第1のX線3および第2のX線5は、そのままではエネルギ分解能が1−2電子ボルトと非常に悪く、百ミリeV以下のエネルギずれを検出するのが困難である。そのため、原子軌道解析装置100では、単色化機構を用いてエネルギ分解能を少なくとも200−300ミリeV以上にまで向上させる。
【0089】
また、AlKα特性X線の単色化機構はすでに市販されており実現性に何ら問題はない。一方、CuKα特性X線の単色化機構は本発明者の知る限り市販されていないが、類似の波長を提供するシンクロトロン放射光施設のビームラインでは例えばSi単結晶の(220)面を用いた単色化方法がすでに知られている。したがって、実験室レベルでも図4に示すように集光機能もかねた2枚の湾曲したSi単結晶分光器をいわゆる(++)で配置することにより単色化が達成できる。
【0090】
また、高電圧対応高分解能光電子分析器はすでに市販されているので光電子分析器ユニット部80も実施可能である。
【0091】
以上のように、本発明に至る原理の発見はシンクロトロン放射光を用いた実験から得られたが、実験室レベルの装置である原子軌道解析装置100でも同様の効果が期待できる。そして、実験室レベルの装置である原子軌道解析装置100により、従来困難であった強相関化合物中伝導電子の原子軌道成分の割合を他の計測手法やバンド計算に頼ることなく定量的に同定することができる。
【0092】
このように、原子軌道解析装置100は、実験室レベルの簡易な装置である点だけでなく、単結晶試料だけでなく多結晶試料に対しても計測可能であるなど計測方法そのものも簡便である点が優れている。
【0093】
以上、本発明によれば、化合物固体における伝導電子の原子軌道成分の割合を、実験室レベルで定量的かつ簡便に得ることができる原子軌道解析装置およびその解析方法を実現できる。具体的には、伝導電子の原子軌道成分の割合を、バンド理論等に頼ることなく定量的に同定することにより、強相関化合物などを含む多元系化合物の伝導電子の原子軌道解析を行うことができる。
【0094】
なお、上述したのとは別の多元系化合物においても、同様に適用できるのはいうまでもない。ある元素では反跳効果が生じても別の元素では反跳効果が生じない場合もあるが、図3に示したのと同様の手法で伝導電子の原子軌道成分の割合を、バンド理論等に頼ることなく定量的に同定することができる。
【0095】
また、従来技術でバンド計算と組み合わせる場合、正確なバンド計算には化合物中の全ての原子座標の情報が必要であるので、新たな化合物が合成された場合、原子座標が判明するまでに他の実験を必要とし時間がかかるだけでなく、正しい結果を得られるとは限らない。それに対して、本発明の原子軌道解析装置100およびその方法ではバンド計算を必要せずに伝導電子の原子軌道割合について定量的な情報が得られる点で優れている。つまり、今後新しい機能性電気伝導性材料が開発された場合、本発明を適用することでいち早く伝導電子についての情報が得られるので、物質および材料開発に有用である。
【0096】
本発明は上述した実施形態に限定されるものではなく、請求項に示した範囲で種々の変更が可能である。すなわち、請求項に示した範囲で適宜変更した技術的手段を組み合わせて得られる実施形態についても本発明の技術的範囲に含まれる。
【産業上の利用可能性】
【0097】
本発明は、原子軌道解析装置およびその解析方法に利用でき、特に、新しい機能性電気伝導性材料など物質および材料の開発の際にそれら物質および材料の伝導電子の解析を行う原子軌道解析装置およびその解析方法に利用することができる。
【符号の説明】
【0098】
3 第1のX線
5 第2のX線
7 試料
20 第1のX線照射部
22、42 X線管
23 結晶分光器
40 第2のX線照射部
43 二結晶分光器
60 励起ユニット部
80 光電子分析器ユニット部
100 原子軌道解析装置

【特許請求の範囲】
【請求項1】
光電子分光で励起光として用いたとき反跳効果が無視できる相対的に低い光子エネルギを有する第1のX線を照射する第1照射部と、
光電子分光で励起光として用いたとき反跳効果を観測しうる相対的に高い光子エネルギを有する第2のX線を照射する第2照射部と、
前記第1のX線および前記第2のX線それぞれを2以上の多元化合物からなる化合物固体試料に照射することにより、前記化合物固体試料の内部の伝導電子を励起させて光電子に変換する励起部と、
前記第1のX線により変換された光電子の第1の運動エネルギと前記第2のX線により変換された光電子の第2の運動エネルギとを分析する光電子分析部と、
分析された前記第1の運動エネルギと前記第2の運動エネルギとのずれを解析することにより、前記化合物固体試料における伝導電子の原子軌道成分の割合を定量的に同定する原子軌道解析部とを備える
原子軌道解析装置。
【請求項2】
前記原子軌道解析装置は、さらに、
前記同定した原子軌道成分を、理論から算出される原子軌道の光イオン化断面積比を用いて修正することにより、前記化合物固体試料の内部にある伝導電子の原子軌道成分を算出する算出部を備える
請求項1記載の原子軌道解析装置。
【請求項3】
前記第1のX線は、0.6ナノメートル以上の波長をもつX線であり、
前記第2のX線は、0.25ナノメートル以下の波長をもつX線である
請求項1または2記載の原子軌道解析装置。
【請求項4】
さらに、前記化合物固体試料を構成する元素が反跳効果を有するか否かを確認する確認部を備え、
前記励起部は、さらに、前記元素の内殻電子を励起して光電子に変換し、
前記光電子分析部は、当該変換された光電子の運動エネルギを分析し、
前記確認部は、前記光電子分析部で分析された当該運動エネルギを解析することで、前記元素が反跳効果を有するか否かを確認する
請求項1または2に記載の原子軌道解析装置。
【請求項5】
光電子分光で励起光として用いたとき反跳効果が無視できる相対的に低い光子エネルギを有する第1のX線を照射する第1照射ステップと、
光電子分光で励起光として用いたとき反跳効果を観測しうる相対的に高い光子エネルギを有する第2のX線を照射する第2照射ステップと、
前記第1のX線および前記第2のX線それぞれを2以上の多元化合物からなる化合物固体試料に照射することにより、前記化合物固体試料の内部の伝導電子を励起させて光電子に変換する励起ステップと、
前記第1のX線により変換された光電子の第1の運動エネルギと前記第2のX線により変換された光電子の第2の運動エネルギとを分析する光電子分析ステップと、
分析された前記第1の運動エネルギおよび前記第2の運動エネルギとのずれを解析することにより、前記化合物固体試料の伝導電子の原子軌道成分を定量的に同定する原子軌道割合解析ステップとを含む
原子軌道解析方法。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【公開番号】特開2010−197053(P2010−197053A)
【公開日】平成22年9月9日(2010.9.9)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2009−38656(P2009−38656)
【出願日】平成21年2月20日(2009.2.20)
【出願人】(504176911)国立大学法人大阪大学 (1,536)
【Fターム(参考)】