説明

幹細胞の分化誘導方法

本発明は、無血清培地中で均一な幹細胞の凝集体を形成させる工程(1);及び基底膜標品の存在下で均一な幹細胞の凝集体を浮遊培養させる工程(2)を含む、幹細胞を神経前駆細胞へ分化誘導する方法を提供する。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、幹細胞の分化誘導方法に関する。詳細には、幹細胞の凝集体培養を行う際に、迅速な再凝集と3次元浮遊培養を組み合わせることを特徴とする、幹細胞の分化誘導方法に関する。
【背景技術】
【0002】
これまでに本発明者らの報告(Watanabe,K.,Ueno,M.,Kamiya,D.,Nishiyama,A.,Matsumura,M.,Wataya,T.,Takahashi,J.B.,Nishikawa,S.,Nishikawa,S.−i.,Muguruma,K.and Sasai,Y.(2007)A ROCK inhibitor permits survival of dissociated human embryonic stem cells.Nature Biotechnology 25,681−686、Su,H.−L.,Muguruma,K.,Kengaku,M.,Matsuo−Takasaki,M.,Watanabe,K.,and Sasai,Y.(2006)Generation of Cerebellar Neuron Precursors from Embryonic Stem Cells.Developmental Biology 290,287−296、Ikeda,H.,Watanabe,K.,Mizuseki,K.,Haraguchi,T.,Miyoshi,H.,Kamiya,D.,Honda,Y.,Sasai,N.,Yoshimura,N.,Takahashi,M.and Sasai,Y.(2005)Generation of Rx/Pax6 neural retinal precursors from embryonic stem cells.Proc.Natl.Acad.Sci.USA 102,11331−11336、WO2005/123902号、特開2008−99662号公報)を含め、ES細胞等の多能性幹細胞から神経分化誘導を行う培養法はいくつか知られており、ES細胞由来の神経細胞(例、ドーパミン神経細胞等)は神経難病への再生医療である細胞移植治療の移植細胞ソースとして大きな期待を寄せられている。そのためには、脳やその周辺の組織中に存在する、病気に関連する神経細胞を正確に産生する必要があるが、脳やその周辺の組織中には非常に多くの種類の神経細胞が存在するため、未だ効率の良い試験管内分化に成功していない神経細胞や組織も多い。
【0003】
間脳に由来する網膜は、眼球の構成要素の一つであって、眼球の後ろ側の内壁を覆う薄い膜状の組織である。網膜内部では、神経細胞が規則的に並ぶ層構造が認められる。網膜には大別すると、視細胞(錐体、杆体)、双極細胞、水平細胞、アマクリン細胞、神経節細胞の5つの神経細胞が存在する。光は視細胞で電気信号に変換され、その信号(情報)は化学シナプスを介して双極細胞と水平細胞に伝達される。双極細胞はアマクリン細胞や神経節細胞とシナプス結合しており、神経節細胞の軸策が視神経として大脳の視覚中枢に連絡している。網膜障害の治療のためには、これまでにも病因研究、創薬研究、細胞移植治療研究等が進められているが、こうした研究のためにヒトの網膜組織を得ることは非常に難しい。また人工多能性幹細胞から網膜色素上皮への分化誘導が最近可能になった(Hirami Y,Osakada F,Takahashi K,Okita K,Yamanaka S,Ikeda H,Yoshimura N,Takahashi M.(2009)Generation of retinal cells from mouse and human induced pluripotent stem cells.Neurosci Lett. 458(3):126−31参照)ものの、特定の網膜ニューロンやそれらを含む網膜組織への選択的な分化誘導や形成を制御することは困難であった。
【0004】
本発明者らは、動物及びヒトのES細胞等の多能性幹細胞から神経分化誘導を行う方法として、無血清培地での分散浮遊培養(SFEB法)が有効であることを示した(Ikeda,H.,Watanabe,K.,Mizuseki,K.,Haraguchi,T.,Miyoshi,H.,Kamiya,D.,Honda,Y.,Sasai,N.,Yoshimura,N.,Takahashi,M.and Sasai,Y.(2005)Generation of Rx/Pax6 neural retinal precursors from embryonic stem cells.Proc.Natl.Acad.Sci.USA 102,11331−11336、Watanabe,K.,Kamiya,D.,Nishiyama,A.,Katayama,T.,Nozaki,S.,Kawasaki,H.,Mizuseki,K.,Watanabe,Y.,and Sasai,Y.(2005)Directed differentiation of telencephalic precursors from embryonic stem cells.,Nature Neurosci.8,288−296及びWO2005/123902号参照)。この方法では、前脳、特に大脳や神経網膜の神経細胞や感覚細胞の分化誘導を効率よく行うことができる。またSFEB法と共にWnt等の増殖因子を培地へ添加することによって、小脳等の脳幹部組織の分化誘導にも成功した。
しかしながらマウス胚性幹細胞を用いた解析によると、SFEB法を適用した場合、3割程度の細胞が大脳神経細胞に分化したものの、残りの過半の細胞はそれ以外の種類の神経細胞の混雑物であった。また分化誘導した大脳神経細胞のうち、大脳皮質細胞はさらにその4割程度であり、その誘導効率は良好なものではなかった。さらにSFEB法等の従来法で誘導された大脳組織のうち大半のものは、明確な皮質組織の形態を示さず、乱雑な細胞塊になることが殆どであった。また従来のSFEB法では、中枢神経系の最も吻側から発生する間脳組織の分化誘導を効率よく行うことができなかった。
【特許文献1】WO2005/123902号
【特許文献2】特開2008−99662号公報
【非特許文献1】Watanabe,K.,Ueno,M.,Kamiya,D.,Nishiyama,A.,Matsumura,M.,Wataya,T.,Takahashi,J.B.,Nishikawa,S.,Nishikawa,S.−i.,Muguruma,K.and Sasai,Y.(2007)A ROCK inhibitor permits survival of dissociated human embryonic stem cells.Nature Biotechnology 25,681−686
【非特許文献2】Su,H.−L.,Muguruma,K.,Kengaku,M.,Matsuo−Takasaki,M.,Watanabe,K.,and Sasai,Y.(2006)Generation of Cerebellar Neuron Precursors from Embryonic Stem Cells.Developmental Biology 290,287−296
【非特許文献3】Ikeda,H.,Watanabe,K.,Mizuseki,K.,Haraguchi,T.,Miyoshi,H.,Kamiya,D.,Honda,Y.,Sasai,N.,Yoshimura,N.,Takahashi,M.and Sasai,Y.(2005)Generation of Rx+/Pax6+ neural retinal precursors from embryonic stem cells.Proc.Natl.Acad.Sci.USA 102,11331−11336
【非特許文献4】Hirami Y,Osakada F,Takahashi K,Okita K,Yamanaka S,Ikeda H,Yoshimura N,Takahashi M.(2009)Generation of retinal cells from mouse and human induced pluripotent stem cells.Neurosci Lett. 458(3):126−31
【非特許文献5】Watanabe,K.,Kamiya,D.,Nishiyama,A.,Katayama,T.,Nozaki,S.,Kawasaki,H.,Mizuseki,K.,Watanabe,Y.,and Sasai,Y.(2005)Directed differentiation of telencephalic precursors from embryonic stem cells.,Nature Neurosci.8,288−296
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0005】
本発明の目的は、ES細胞等の幹細胞の分化誘導、特に網膜組織を形成する細胞への選択的分化誘導を可能とする、実用性の高い方法を開発することである。
【課題を解決するための手段】
【0006】
本発明者らは、SFEB法によって神経細胞が低効率でしか分化誘導できなかった理由として、神経組織において、神経前駆細胞の間には神経上皮と呼ばれる上皮構造が存在しており、この形成が網膜細胞を含む各種神経細胞への効率的な分化、増殖と組織発生に必要なためであると考え、神経細胞やそれらを含有する中枢神経系組織の効率的な試験管内産生にはその過程で安定した上皮構造の形成が必須であると仮定した。この考えをもとに、血清非存在下において胚性幹細胞の分化誘導条件を鋭意検討した結果、本発明者らは、無血清培地中で均一な幹細胞の凝集体を形成させ、これを基底膜標品の存在下において浮遊培養することで、ES細胞から神経細胞、特に網膜前駆細胞を高効率で分化誘導できることを見出した。
【0007】
次いで本発明者らは、この網膜前駆細胞が眼杯様構造を形成し、これを器官培養液中で培養することで、生後の網膜構造に匹敵する機能的層構造を有する網膜組織を試験管内で製造できることを見出した。
【0008】
発明者らは、さらにこれらの発見に基づいて鋭意検討し、本発明を完成するに至った。即ち、本発明は下記の通りである:
[1]無血清培地中で均一な幹細胞の凝集体を形成させる工程(1);及び
基底膜標品の存在下で均一な幹細胞の凝集体を浮遊培養させる工程(2)
を含む、幹細胞を神経前駆細胞へ分化誘導する方法;
[2]神経前駆細胞が、網膜前駆細胞である、[1]に記載の方法;
[3]基底膜標品が、ラミニン、IV型コラーゲン、ヘパラン硫酸プロテオグリカン及びエンタクチンから選択される細胞外マトリックス分子を含むものである、[2]に記載の方法;
[4]浮遊培養が、KSR存在下で行われる、[2]または[3]に記載の方法;
[5]浮遊培養が、NodalまたはActivin存在下で行われる、[4]に記載の方法;
[6]無血清培地中で均一な幹細胞の凝集塊を形成させる工程(1);
基底膜標品の存在下で均一な幹細胞の凝集体を浮遊培養して、眼杯様組織を凝集体中に自己形成させる工程(2’)
を含む、網膜前駆細胞塊を形態的に分離または同定する方法;
[7]基底膜標品が、ラミニン、IV型コラーゲン、ヘパラン硫酸プロテオグリカン及びエンタクチンから選択される細胞外マトリックス分子を含むものである、[6]に記載の方法;
[8]浮遊培養が、KSR存在下で行われる、[6]または[7]に記載の方法;
[9]浮遊培養が、NodalまたはActivin存在下で行われる、[8]に記載の方法;
[10]無血清培地中で均一な幹細胞の凝集塊を形成させる工程(1);
基底膜標品の存在下で均一な幹細胞の凝集体を浮遊培養して、眼杯様組織を凝集体中に自己形成させる工程(2’);及び
自己形成された眼杯様組織を器官培養液中で浮遊培養する工程(3);
を含む、網膜層特異的ニューロンを分化誘導する方法;
[11]網膜層特異的ニューロンが、視細胞、水平細胞、双極細胞、アマクリン細胞及び神経節細胞から選択される、[10]に記載の方法;
[12]基底膜標品が、ラミニン、IV型コラーゲン、ヘパラン硫酸プロテオグリカン及びエンタクチンから選択される細胞外マトリックス分子を含むものである、[11]または[12]に記載の方法;
[13]浮遊培養が、KSR存在下で行われる、[10]〜[12]のいずれか一に記載の方法;
[14]浮遊培養が、NodalまたはActivin存在下で行われる、[13]に記載の方法;
[15]無血清培地中で均一な幹細胞の凝集塊を形成させる工程(1);
基底膜標品の存在下で均一な幹細胞の凝集体を浮遊培養して、眼杯様組織を凝集体中に自己形成させる工程(2’);及び
自己形成された眼杯様組織を器官培養液中で浮遊培養する工程(3);
を含む、網膜組織を試験管内で製造する方法;
[16]基底膜標品が、ラミニン、IV型コラーゲン、ヘパラン硫酸プロテオグリカン及びエンタクチンから選択される細胞外マトリックス分子を含むものである、[15]に記載の方法;
[17]浮遊培養が、KSR存在下で行われる、[15]または[16]に記載の方法;
[18]浮遊培養が、NodalまたはActivin存在下で行われる、[17]に記載の方法;
[19]無血清培地中で均一な幹細胞の凝集塊を形成させる工程(1);
基底膜標品の存在下で均一な幹細胞の凝集体を浮遊培養して、眼杯様組織を凝集体中に自己形成させる工程(2’);及び
自己形成された眼杯様組織を器官培養液中で浮遊培養する工程(3);
を含む、網膜層特異的ニューロンの製造方法;
[20]網膜層特異的ニューロンが、視細胞、水平細胞、双極細胞、アマクリン細胞及び網膜節細胞から選択される、[19]に記載の方法;
[21]基底膜標品が、ラミニン、IV型コラーゲン、ヘパラン硫酸プロテオグリカン及びエンタクチンから選択される細胞外マトリックス分子を含むものである、[19]または[20]に記載の方法;
[22]浮遊培養が、KSR存在下で行われる、[19]〜[21]のいずれか一に記載の方法;
[23]浮遊培養が、NodalまたはActivin存在下で行われる、[22]に記載の方法;
[24][1]〜[23]のいずれか一に記載の方法により製造される、培養産物;
[25][24]に記載の培養産物を用いることを特徴とする、被検物質のスクリーニング方法;
[26][24]に記載の培養産物を用いることを特徴とする、被検物質の毒性試験方法;
[27][24]に記載の培養産物を含む、移植用網膜。
【発明の効果】
【0009】
本発明によれば、幹細胞を神経前駆細胞、特に網膜前駆細胞へと効率的に分化誘導することができる。また本発明の方法は、従来の分化誘導法では困難であった神経系細胞、特に網膜細胞への効率的な分化誘導をも可能とする。従って、本発明の方法は神経組織、特に網膜組織に異常がある疾患に対する細胞治療の応用という観点から特に有用である。
【0010】
本発明の方法によれば、網膜層特異的ニューロンを選択的に分化誘導することができる。また本発明の方法により得られた網膜組織は、生体網膜に極めて類似した層構造を持つ。さらにこの網膜組織の三次元層構造は、生体網膜に酷似した機能的な神経ネットワークを形成している。したがって本発明の方法は、神経組織、特に網膜組織を対象とした再生医療の分野で適用される「組織材料」を提供することができる点や、神経組織障害、特に網膜組織障害に対する医薬を製造する上で、創薬シーズのスクリーニングあるいは網膜に作用する医薬・試薬等の毒性試験等に有用な「組織材料」を提供することができる点でも極めて有用である。
【0011】
本発明はさらに、誘導源として動物由来細胞を使用することなく幹細胞を分化誘導でき、幹細胞の培養により得られる細胞の移植を同種移植のリスクレベルまで軽減できる点でも有用である。
【図面の簡単な説明】
【0012】
【図1】図1は、SFEBq法で得られるマウスES細胞の凝集体が、上皮様構造を有する均一な神経細胞に分化することを示す図である。
【図2】図2は、SFEBq法で得られるマウスES細胞の凝集体が、大脳皮質前駆細胞を経て大脳皮質特異的なニューロンへ分化することを示す図である。
【図3】図3は、改変SFEBq法により得られるマウスES細胞の凝集体中に、複数の眼杯様組織が自己形成されることを示す図である。
【図4】図4は、生体網膜の模式図である。
【図5】図5は、改変SFEBq法により自己形成されたマウス眼杯様組織をさらに器官培養液中で浮遊培養することで、網膜組織が自己形成されることを示す図である。
【図6】図6は、改変SFEBq法により自己形成されたヒト眼杯様組織を示す図である。
【図7】図7は、精製されたラミニン、エンタクチン及びNodal/Activin存在下で、改変SFEBq法により自己形成されたヒト眼杯様組織を示す図である。
【発明を実施するための最良の形態】
【0013】
以下、本発明の詳細を説明する。
【0014】
(1)幹細胞
「幹細胞」とは、細胞分裂を経ても一定の分化能を維持することができる細胞のことをいう。幹細胞の例としては、受精卵あるいはクローン胚由来で多能性を有する胚性幹細胞(ES細胞)、生体内の組織中に存在する体性幹細胞や多能性幹細胞、各組織の基になる肝幹細胞、皮膚幹細胞、生殖幹細胞、生殖幹細胞由来の多能性幹細胞、体細胞由来で核初期化によって得られる多能性幹細胞等が挙げられる。
【0015】
なかでも「多能性幹細胞」とは、試験管内において培養することが可能で、かつ、胎盤を除く生体を構成するすべての細胞(三胚葉(外胚葉、中胚葉、内胚葉)由来の組織)に分化しうる能力(多分化能性(pluripotency))を有する幹細胞をいい、胚性幹細胞もこれに含まれる。「多能性幹細胞」は、受精卵、クローン胚、生殖幹細胞、組織内幹細胞から得られる。また、体細胞に数種類の遺伝子を導入することにより、胚性幹細胞に似た多分化能性を人工的に持たせた細胞(人工多能性幹細胞ともいう)も含む。多能性幹細胞は、自体公知の方法で作成することが可能である。作成方法としては、例えばCell,(2007),131(5)p.861−872や、Cell,(2006),126(4)p.663−676に記載の方法等が挙げられる。
【0016】
幹細胞としては、例えば温血動物、好ましくは哺乳動物に由来する細胞を使用できる。哺乳動物としては、例えば、マウス、ラット、ハムスター、モルモット等のげっ歯類やウサギ等の実験動物、ブタ、ウシ、ヤギ、ウマ、ヒツジ等の家畜、イヌ、ネコ等のペット、ヒト、サル、オランウータン、チンパンジー等の霊長類を挙げることができる。
本発明の方法で用いられる幹細胞としては、例えば着床以前の初期胚を培養することによって樹立した哺乳動物等の胚性幹細胞(以下、「胚性幹細胞I」と省略)、体細胞の核を核移植することによって作製された初期胚を培養することによって樹立した胚性幹細胞(以下、「胚性幹細胞II」と省略)、体細胞へ数種類の転写因子を導入することにより樹立した誘導性多能性幹細胞(iPS細胞)、及び胚性幹細胞I、胚性幹細胞II又はiPS細胞の染色体上の遺伝子を遺伝子工学の手法を用いて改変した多能性幹細胞(以下、「改変多能性幹細胞」と省略)が挙げられる。
【0017】
より具体的には、胚性幹細胞Iとしては、初期胚を構成する内部細胞塊より樹立された胚性幹細胞、始原生殖細胞から樹立されたEG細胞、着床以前の初期胚の多分化能を有する細胞集団(例えば、原始外胚葉)から単離した細胞、あるいはこれらの細胞を培養することによって得られる細胞等が挙げられる。
【0018】
胚性幹細胞Iは、着床以前の初期胚を、文献(Manipulating the Mouse Embryo A Laboratory Manual,Second Edition,Cold Spring Harbor Laboratory Press(1994))に記載された方法に従って培養することにより調製することができる。
【0019】
胚性幹細胞IIは、例えば、Wilmutら(Nature 385,810(1997))、Cibelliら(Science,280,1256(1998))、入谷明ら(蛋白質核酸酵素,44,892(1999))、Baguisiら(Nature Biotechnology,17,456(1999))、Wakayamaら(Nature,394,369(1998);Nature Genetics,22,127(1999);Proc.Natl.Acad.Sci.USA,96,14984(1999))、RideoutIIIら(Nature Genetics,24,109(2000))等によって報告された方法を用いることにより、例えば以下のように作製することができる。
【0020】
哺乳類動物細胞の核を摘出後初期化(核を再び発生を繰り返すことができるような状態に戻す操作)し、除核した哺乳動物の未受精卵に注入する方法を用いて発生を開始させ、発生を開始した卵を培養することによって、他の体細胞の核を有し、かつ正常な発生を開始した卵が得られる。
【0021】
体細胞の核を初期化する方法としては複数の方法が知られている。例えば、核を提供する側の細胞を培養している培地を、5〜30%(好ましくは10%)の仔ウシ胎児血清を含む培地(例えば、M2培地)から0〜1%(好ましくは0.5%)の仔ウシ胎児血清を含む貧栄養培地に変えて、3〜10日間(好ましくは5日間)培養することで、細胞周期を休止期状態(G0期もしくはG1期)に誘導して初期化することができる。
【0022】
また、同種の哺乳動物の除核した未受精卵に、核を提供する側の細胞の核を注入し、数時間、好ましくは約1〜6時間培養することで初期化することができる。
【0023】
初期化された核は除核された未受精卵中で発生を開始することが可能となる。初期化された核を除核された未受精卵中で発生を開始させる方法としては複数の方法が知られている。細胞周期を休止期状態(G0期もしくはG1期)に誘導し初期化した核を、電気融合法等によって同種の哺乳動物の除核した未受精卵に移植することで卵子を活性化し発生を開始させることができる。
【0024】
同種の哺乳動物の除核した未受精卵に核を注入することで初期化した核を、再度マイクロマニピュレーターを用いた方法等によって同種の哺乳動物の除核した未受精卵に移植し、卵子活性化物質(例えば、ストロンチウム等)で刺激後、細胞分裂の阻害物質(例えば、サイトカラシンB等)で処理し第二極体の放出を抑制することで発生を開始させることができる。この方法は、哺乳動物が、例えばマウス等の場合に好適である。
【0025】
いったん発生を開始した卵が得られれば、Manipulating the Mouse Embryo A Laboratory Manual,Second Edition,Cold Spring Harbor Laboratory Press(1994);Gene Targeting,A Practical Approach,IRL Press at Oxford University Press(1993);バイオマニュアルシリーズ8ジーンターゲッティング,ES細胞を用いた変異マウスの作製,羊土社(1995)等に記載の公知の方法を用い、胚性幹細胞を取得することができる。
【0026】
iPS細胞は、体細胞(例えば線維芽細胞、皮膚細胞等)にOct3/4、Sox2及びKlf4(必要に応じて更にc−Myc又はn−Myc)を導入することにより製造することができる(Cell,126:p.663−676,2006;Nature,448:p.313−317,2007;Nat Biotechnol,26:p.101−106,2008;Cell 131:861−872,2007)。
【0027】
改変多能性幹細胞は、例えば、相同組換え技術を用いることにより作製できる。改変多能性幹細胞の作製に際して改変される染色体上の遺伝子としては、例えば、組織適合性抗原の遺伝子、神経系細胞の障害に基づく疾患関連遺伝子等があげられる。染色体上の標的遺伝子の改変は、Manipulating the Mouse Embryo A Laboratory Manual,Second Edition,Cold Spring Harbor Laboratory Press(1994);Gene Targeting,A Practical Approach,IRL Press at Oxford University Press(1993);バイオマニュアルシリーズ8ジーンターゲッティング,ES細胞を用いた変異マウスの作製,羊土社(1995)等に記載の方法を用い、行うことができる。
【0028】
具体的には、例えば、改変する標的遺伝子(例えば、組織適合性抗原の遺伝子や疾患関連遺伝子等)のゲノム遺伝子を単離し、単離したゲノム遺伝子を用いて標的遺伝子を相同組換えするためのターゲットベクターを作製する。作製したターゲットベクターを幹細胞に導入し、標的遺伝子とターゲットベクターの間で相同組換えを起こした細胞を選択することにより、染色体上の遺伝子を改変した幹細胞を作製することができる。
【0029】
標的遺伝子のゲノム遺伝子を単離する方法としては、Molecular Cloning,A Laboratory Manual,Second Edition,Cold Spring Harbor Laboratory Press(1989)やCurrent Protocols in Molecular Biology,John Wiley & Sons(1987−1997)等に記載された公知の方法があげられる。また、ゲノムDNAライブラリースクリーニングシステム(Genome Systems製)やUniversal GenomeWalkerTM Kits(CLONTECH製)等を用いることにより、標的遺伝子のゲノム遺伝子を単離することができる。
【0030】
標的遺伝子を相同組換えするためのターゲットベクターの作製、及び相同組換え体の効率的な選別は、Gene Targeting,A Practical Approach,IRL Press at Oxford University Press(1993);バイオマニュアルシリーズ8ジーンターゲッティング,ES細胞を用いた変異マウスの作製,羊土社(1995)等に記載の方法にしたがって作製することができる。なお、ターゲットベクターは、リプレースメント型、インサーション型いずれでも用いることができ、また、選別方法としては、ポジティブ選択、プロモーター選択、ネガティブ選択、ポリA選択等の方法を用いることができる。
【0031】
選別した細胞株の中から目的とする相同組換え体を選択する方法としては、ゲノムDNAに対するサザンハイブリダイゼーション法やPCR法等があげられる。
【0032】
また、幹細胞は、所定の機関より入手でき、また、市販品を購入することもできる。例えば、ヒト胚性幹細胞であるKhES−1、KhES−2及びKhES−3は、京都大学再生医科学研究所より入手可能である。マウス胚性幹細胞の例としては、EB5細胞等が挙げられる。
【0033】
幹細胞は、自体公知の方法により維持培養できる。例えば、幹細胞は、ウシ胎児血清(FCS)、KnockoutTM Serum Replacement(KSR)、LIFを添加した無フィーダー細胞による培養により維持できる。
【0034】
(2)本発明の方法で分化誘導可能な細胞
本発明により、幹細胞、好ましくは胚性幹細胞等の多能性幹細胞の分化細胞を得ることができる。本発明の方法により幹細胞から分化誘導される細胞として好ましくは、神経系細胞である。さらに好ましくは神経幹細胞であり、特に好ましくは神経前駆細胞であり、最も好ましくは網膜前駆細胞である。また、神経前駆細胞を介して得られる神経細胞も本発明により得ることができ、そのような神経細胞の種類は特に限定されないが、好ましくは網膜細胞である。本発明の方法により得られた細胞がいずれの細胞であるかは、自体公知の方法、例えば細胞マーカーの発現により確認できる。
【0035】
神経系細胞マーカーとしては、例えば、Rx、NCAM、Tuj1、チロシン水酸化酵素(TH)、セロトニン、ネスチン、MAP2、MAP2ab、NeuN、GABA、グルタメート、ChAT、Sox1、Bf1、Emx1、VGluT1、Pax、Nkx、Gsh、Telencephalin、GluR1、CamKII、Ctip2、Tbr1、Reelin、Tbr1、Brn2等が挙げられるが、これらに限定されない。マーカー遺伝子の発現は、定量PCRを、例えば、製造者の指示に従って7500 Fast Real−Time PCR System(Applied Biosystems)で実施し、GAPDH発現によってデータを正規化することにより解析する。定量PCRの方法は当業者に公知である。或いは、目的とするマーカー遺伝子が、マーカー遺伝子産物とGFP等との融合タンパク質として発現されるように、細胞を操作してもよい(ノックイン)。マーカー遺伝子産物に対して特異的な抗体を用いて、タンパク質の発現を検出することもできる。以下、本発明の方法により分化誘導可能な細胞の例として、神経幹細胞について詳述する。
【0036】
神経幹細胞とは、神経細胞、アストロサイト(astrocyte)及びオリゴデンドロサイト(oligodendrocyte)に分化しうる能力を有し、かつ自己複製能力を有する細胞をいい、脳内において神経細胞、アストロサイト及びオリゴデンドロサイトを供給する機能を有している。特に神経細胞へと分化する神経幹細胞を神経前駆細胞という。本明細書中、神経幹細胞には神経前駆細胞が含まれる。
得られた細胞が神経幹細胞であることを確認する方法としては、実際に生体脳に移植してその分化能を確認する方法や、試験管内で神経幹細胞を神経細胞/アストロサイト/オリゴデンドロサイトに分化誘導させて確認する方法等が挙げられる(Mol.Cell.Neuroscience,8,389(1997);Science,283,534(1999))。また、このような機能を有した神経幹細胞は、神経前駆細胞での発現が確認されているマーカーである細胞骨格蛋白質ネスチンを認識する抗ネスチン抗体や核内因子Sox1を認識する抗Sox1抗体で染色可能である(Science,276,66(1997))。従って、抗ネスチン抗体や抗Sox1抗体で染色することにより神経幹細胞を確認することもできる。ただし、網膜前駆細胞は神経前駆細胞で有りながら、例外的に抗ネスチン抗体や抗Sox1抗体で染色されず、かわりに網膜前駆細胞に発現する核内因子Rx及びPax6を認識する抗体、抗Rx及び抗Pax6抗体で染色できる。従って、網膜前駆細胞はRx及びPax6陽性、ネスチン及びSox1陰性の細胞として確認できる(Ikeda et al,PNAS 2005)。
【0037】
神経前駆細胞としては、大脳前駆細胞、小脳前駆細胞、中脳前駆細胞、後脳前駆細胞、間脳前駆細胞、網膜前駆細胞等が挙げられ、各種神経細胞への分化能を有する細胞であれば特に限定されないが、本発明において好ましい神経前駆細胞は、間脳前駆細胞、網膜前駆細胞であり、より好ましくは網膜前駆細胞である。本発明の方法はこれら任意の神経前駆細胞を分化誘導できるが、なかでも、間脳前駆細胞、網膜前駆細胞、好ましくは網膜前駆細胞を効率的に分化誘導できる。
【0038】
あるいは、本発明の方法により得られる神経前駆細胞、特に網膜前駆細胞は、細胞マーカーにより特徴付けることができる。神経前駆細胞マーカーとしては、Rx、NCAM、Sox1、Bf1、ネスチン、Emx1、Pax6、Nkx2.1、Gsh2、が挙げられるが、これらに限定されない。なかでも網膜前駆細胞マーカーとしては、Rx、Pax6,Chx10(ただしKi67と共発現する場合)等が挙げられる。
また神経細胞マーカーとして、Tuj1、チロシン水酸化酵素(TH)、セロトニン、MAP2、MAP2ab、NeuN、GABA、グルタメート、ChAT、VGluT1、GluR1、CamKII、Reelin、Telencephalin、Ctip2、Tbr1、Tbr2、Brn2,L7等が挙げられるが、これらに限定されない。 本発明の方法により得られる神経前駆細胞は、高頻度で、少なくとも60%以上、好ましくは80%以上、より好ましくは約80〜90%の頻度で、Rx陽性である。
【0039】
また本発明によれば、幹細胞から網膜前駆細胞を経て、網膜細胞を分化誘導することも可能である。特に本発明により分化誘導される網膜細胞は、生体網膜に極めて類似した三次元層構造を有する細胞凝集体の構成細胞として得られる。すなわち本発明の網膜細胞は、生体網膜の構造に極めて類似した三次元層構造を採ることができるため、網膜層のそれぞれに特異的なニューロン(本明細書中、これらをまとめて「網膜層特異的ニューロン」と記載する)が含まれる。
【0040】
本発明により得られる網膜細胞としては、網膜を構成する細胞全てが挙げられ、特に限定されないが、各網膜層を構成する細胞(網膜層特異的ニューロン)として、例えば視細胞、水平細胞、双極細胞、アマクリン細胞、網膜節細胞等が挙げられる。本発明によれば、これらの細胞を幹細胞から効率的に分化誘導することができる。本発明により得られた網膜細胞がいずれの細胞であるかは、自体公知の方法、例えば細胞マーカーの発現により確認できる。
【0041】
網膜細胞マーカーとしては、Rx(網膜の前駆細胞)、PAX6(前駆細胞), nestin(視床下部ニューロンの前駆細胞では発現されるが網膜前駆細胞では発現されない)、Sox1(視床下部神経上皮で発現され、網膜では発現されない)、Crx(視細胞の前駆細胞)、等が挙げられるが、これらに限定されない。また特に、上記網膜層特異的ニューロンのマーカーとしては、Chx10(双極細胞)、L7(双極細胞)、 Tuj1(節細胞)、Brn3 (節細胞)、Calretinin(アマクリン細胞)、Calbindin(水平細胞)、Rhodopsin(視細胞)、リカバリン(視細胞)、RPE65(色素上皮細胞)Mitf(色素上皮細胞)等が挙げられるが、これらに限定されない。
【0042】
(3)本発明の分化誘導方法
本発明は、無血清培地中で均一な幹細胞の凝集体を形成させる工程;及び基底膜標品の存在下で均一な幹細胞の凝集体を浮遊培養させる工程を含む、幹細胞を神経前駆細胞へ分化誘導する方法を提供する。
【0043】
(3−1)無血清培地中で均一な幹細胞の凝集体を形成させる工程(工程(1))
【0044】
「均一な幹細胞の凝集体を形成させる」とは、幹細胞を集合させて幹細胞の凝集体を形成させて培養させる(凝集体培養)際に、「一定数の分散した幹細胞を迅速に凝集」させることで質的に均一な幹細胞の凝集体を形成することをいう。さらに、特に「細胞を迅速に凝集」させることによって、幹細胞から派生する細胞の上皮化を促進させることをいう。すなわち本明細書中、「細胞を迅速に凝集」させるとは、幹細胞を均一に凝集させることによって産生される細胞の上皮様構造を再現性よく形成させることをいう。
【0045】
均一な幹細胞の凝集体の形成は、「細胞を迅速に凝集」させることで均一な幹細胞の凝集体が形成され、幹細胞から産生される細胞の上皮様構造を再現性よく形成することができる限りどのような方法を採用してもよく、このような方法としては、例えば、ウェルの小さなプレート(96ウェルプレート)やマイクロポア等を用いて小さいスペースに細胞を閉じ込める方法、小さな遠心チューブを用いて短時間遠心することで細胞を凝集させる方法等が挙げられる。
【0046】
凝集体の形成時に用いられる培養器は、「細胞を迅速に凝集」させることで均一な幹細胞の凝集体形成が可能なものであれば特に限定されず、当業者であれば適宜決定することが可能である。このような培養器としては、例えば、フラスコ、組織培養用フラスコ、ディッシュ、ペトリデッシュ、組織培養用ディッシュ、マルチディッシュ、マイクロプレート、マイクロウェルプレート、マイクロポア、マルチプレート、マルチウェルプレート、チャンバースライド、シャーレ、チューブ、トレイ、培養バック、ローラーボトルが挙げられる。そしてこれらの培養器は、均一な凝集体を形成させる観点から、細胞非接着性であることが好ましい。細胞非接着性の培養器としては、培養器の表面が、細胞との接着性を向上させる目的で人工的に処理(例えば、細胞外マトリクス等によるコーティング処理)されていないものを使用できる。
【0047】
凝集体の形成時に用いられる培地は、動物細胞の培養に用いられる培地を基礎培地として調製することができる。基礎培地としては、例えば、BME培地、BGJb培地、CMRL 1066培地、Glasgow MEM培地、Improved MEM Zinc Option培地、IMDM培地、Medium 199培地、Eagle MEM培地、αMEM培地、DMEM培地、ハム培地、RPMI 1640培地、Fischer’s培地、及びこれらの混合培地等、動物細胞の培養に用いることのできる培地であれば特に限定されない。
【0048】
凝集体の形成時に用いられる無血清培地とは、無調整又は未精製の血清を含まない培地を意味する。本発明においては、上述したようなものである限り特に限定されない。しかしながら、調製の煩雑さを回避するという観点からは、かかる無血清培地として、市販のKSRを適量(例えば、1−20%)添加した無血清培地(GMEM又はdMEM、0.1mM 2−メルカプトエタノール、0.1mM 非必須アミノ酸Mix、1mM ピルビン酸ナトリウム)を使用できる。
【0049】
また無血清培地は、血清代替物を含有していてもよい。血清代替物は、例えば、アルブミン、トランスフェリン、脂肪酸、コラーゲン前駆体、微量元素、2−メルカプトエタノール又は3’チオールグリセロール、あるいはこれらの均等物等を適宜含有するものであり得る。かかる血清代替物は、例えば、WO98/30679記載の方法により調製できる。また、本発明の方法をより簡便に実施するために、血清代替物は市販のものを利用できる。かかる市販の血清代替物としては、例えば、Chemically−defined Lipid concentrated(Gibco社製)、Glutamax(Gibco社製)が挙げられる。
【0050】
また、浮遊培養で用いる無血清培地は、脂肪酸又は脂質、アミノ酸(例えば、非必須アミノ酸)、ビタミン、増殖因子、サイトカイン、抗酸化剤、2−メルカプトエタノール、ピルビン酸、緩衝剤、無機塩類等を含有できる。
【0051】
凝集体形成時の幹細胞の濃度は、幹細胞の凝集塊をより均一に、効率的に形成させるように当業者であれば適宜設定することができる。凝集体形成時の幹細胞の濃度は、幹細胞の均一な凝集体を形成可能な濃度である限り特に限定されないが、例えば96ウェルマイクロウェルプレートを用いてマウスES細胞を分化培養する場合、1ウェルあたり約1×10〜約5×10細胞、好ましくは約2×10〜約4×10細胞となるように調製した液を添加し、プレートを静置して凝集体を形成させる。ヒトES細胞の場合は、1ウェルあたり約1×10〜約12×10細胞、好ましくは約4×10〜約10×10細胞となるように調製した液を用いる。
【0052】
また凝集体形成時の培養温度、CO濃度等の他の培養条件は適宜設定できる。培養温度は、特に限定されるものではないが、例えば約30〜40℃、好ましくは約37℃である。また、CO濃度は、例えば約1〜10%、好ましくは約5%である。
【0053】
凝集体形成までの時間は、細胞を迅速に凝集させることができる限り、用いる幹細胞によって適宜決定可能であるが、均一な凝集体を形成するためにできる限り早く行われることが望ましい。従来、このような凝集体形成は2日間ほどの時間をかけて行なわれるが(例えば、Watanabe,K.ら、Nature Neurosci.8,288−296、Schuldiner M,Benvenisty N. Factors controlling human embryonic stem cell differentiation.Methods Enzymol.2003;365:446−461を参照)、本発明ではこの時間を短くすることにより、目的の神経細胞等の効率よい分化誘導をもたらすことが可能となった。例えばマウス胚性幹細胞の場合、好ましくは12時間以内、より好ましくは6時間以内に凝集体を形成させることが望ましい。一方ヒト胚性幹細胞の場合は、好ましくは24時間以内、より好ましくは12時間以内に凝集体を形成させることが望ましい。この時間を超えると、均一な幹細胞の凝集体が形成できず、後の分化効率が著しく低下する原因となり得る。この凝集体形成までの時間は、細胞を凝集させる用具や、遠心条件等を調整することで当業者であれば適宜調節することが可能である。
【0054】
幹細胞の凝集体が「均一に」形成されたことや、凝集体を形成する各細胞において上皮様構造が形成されたことは、凝集塊のサイズ及び細胞数、巨視的形態、組織染色解析による微視的形態及びその均一性、分化及び未分化マーカーの発現及びその均一性、分化マーカーの発現制御及びその同期性、分化効率の凝集体間の再現性等に基づき、当業者であれば判断することが可能である。
【0055】
均一な幹細胞の凝集体を形成する方法として具体的には、例えば胚性幹細胞の維持培養後、分散処理した胚性幹細胞を適切な培地(例えば、Glasgow MEM培地に10%のKSR、0.1mM 非必須アミノ酸溶液、2mM グルタミン、1mM ピルビン酸及び0.1mM 2−メルカプトエタノールを添加した培地。必要に応じて後述する因子等を適量含んでいてもよい)に懸濁し、細胞非接着性のU底96穴培養プレートに、1ウェルあたり3×10細胞になるように150μLの上記培地に浮遊させ、凝集体を速やかに形成させる方法が挙げられる。
【0056】
(3−2)基底膜標品の存在下で、無血清培地中で均一な幹細胞の凝集体を浮遊培養する工程(工程(2))
本工程は、工程(1)で形成した均一な幹細胞の凝集体を、基底膜標品の存在下で浮遊培養することで、幹細胞を分化誘導する工程である。
【0057】
「基底膜標品」としては、その上に基底膜形成能を有する所望の細胞を播腫して培養した場合に、上皮細胞様の細胞形態、分化、増殖、運動、機能発現等を制御する機能を有する基底膜構成成分を含むものであればどのようなものであってもよい。このような基底膜標品は、例えば基底膜を介して支持体上に接着している基底膜形成能を有する細胞を、該細胞の脂質溶解能を有する溶液やアルカリ溶液等を用いて除去することで作成することができる。
好ましい基底膜標品としては、基底膜成分として市販されている商品(例えばMatrigel)や、基底膜成分として公知の細胞外マトリックス分子(例えばラミニン、IV型コラーゲン、ヘパラン硫酸プロテオグリカン、エンタクチン等)を含むものが挙げられる。
【0058】
Matrigelは、Engelbreth Holm Swarn(EHS)マウス肉腫由来の基底膜調製物である。Matrigelの主成分はIV型コラーゲン、ラミニン、ヘパラン硫酸プロテオグリカン、エンタクチンであるが、これらに加えてTGF−β、線維芽細胞増殖因子(FGF)、組織プラスミノゲン活性化因子、EHS腫瘍が天然に産生する増殖因子が含まれる。Matrigelの「growth factor reduced製品」は、通常のMatrigelよりも増殖因子の濃度が低く、その標準的な濃度はEGFが<0.5ng/ml、NGFが<0.2ng/ml、PDGFが<5pg/ml、IGF−1が5ng/ml、TGF−βが1.7ng/mlである。本発明の方法では、「growth factor reduced製品」の使用が好ましい。
【0059】
本工程の浮遊培養で培地に添加する基底膜標品の濃度は、神経組織(例えば網膜組織)の上皮構造が安定に維持される限り特に限定されないが、例えば精製されたラミニン及びエンタクチンが好ましくは使用され得る。特に、後に述べるNodal及びActivinが使用される場合(ラミニン/エンタクチン複合体が使用される)、一般的には、1μg/ml−5000μg/ml、好ましくは10μg/ml−2000μg/ml、より好ましくは20μg/ml−1000μg/ml、最も好ましくは50μg/ml−500μg/mlで培地に添加する。Martigelを用いる場合には、好ましくは培養液の1/100〜1/20の容量で、より好ましくは1/100〜1/50の容積で添加する。基底膜標品は幹細胞の培養開始時に既に培地に添加されていてもよいが、好ましくは、浮遊培養開始後数日以内(例えば、浮遊培養開始1〜3日後)に培地に添加される。
【0060】
均一な幹細胞の凝集体を「浮遊培養する」または「浮遊凝集体(凝集塊ともいう)として培養する」とは、上記工程(1)で得られた集合し均一な凝集体を形成した幹細胞群を、培養培地中において、細胞培養器に対して非接着性の条件下で培養することをいう(本明細書中、上記工程(1)と工程(2)とをあわせて、「改変SFEBq法」と記載する場合がある。なお工程(2)において基底膜標品を用いない方法を「SFEBq法」と記載する)。幹細胞を浮遊培養する場合、浮遊凝集体の形成をより容易にするため、並びに/あるいは、効率的な分化誘導(例えば、神経系細胞等の外胚葉系細胞への分化誘導)のために、フィーダー細胞の非存在下で培養を行うのが好ましい。
【0061】
上記工程(1)で得られた凝集体の浮遊培養で用いられる培地は、動物細胞の培養に用いられる培地を基礎培地として調製することができる。基礎培地としては、例えば、BME培地、BGJb培地、CMRL 1066培地、Glasgow MEM培地、Improved MEM Zinc Option培地、IMDM培地、Medium 199培地、Eagle MEM培地、αMEM培地、DMEM培地、ハム培地、RPMI 1640培地、Fischer’s培地、及びこれらの混合培地等、動物細胞の培養に用いることのできる培地であれば特に限定されない。また特に断りの無い限り、工程(1)で用いた培地をそのまま浮遊培養に用いても構わない。
【0062】
上記凝集体を浮遊培養する場合、培地としては無血清培地が用いられる。ここで無血清培地とは、無調整又は未精製の血清を含まない培地を意味する。精製された血液由来成分や動物組織由来成分(例えば、増殖因子)が混入している培地は無調整又は未精製の血清を含まない限り無血清培地に該当するものとする。
【0063】
浮遊培養で用いられる無血清培地は、例えば、血清代替物を含有するものであり得る。血清代替物は、例えば、アルブミン(例えば、脂質リッチアルブミン)、トランスフェリン、脂肪酸、インスリン、コラーゲン前駆体、微量元素、2−メルカプトエタノール又は3’チオールグリセロール、あるいはこれらの均等物等を適宜含有するものであり得る。かかる血清代替物は、例えば、WO98/30679に記載の方法により調製できる。また、本発明の方法をより簡便に実施するために、血清代替物は市販のものを利用できる。かかる市販の血清代替物としては、例えば、Knockout Serum Replacement(KSR)、Chemically−defined Lipid Concentrated(Gibco社製)、Glutamax(Gibco社製)が挙げられる。
【0064】
また、本発明の方法で用いられる無血清培地は、脂肪酸又は脂質、アミノ酸(例えば、非必須アミノ酸)、ビタミン、増殖因子、サイトカイン、抗酸化剤、2−メルカプトエタノール、ピルビン酸、緩衝剤、無機塩類等を含有できる。例えば、2−メルカプトエタノールは、幹細胞の培養に適する濃度で使用される限り特に限定されないが、例えば約0.05〜1.0mM、好ましくは約0.1〜0.5mM、より好ましくは約0.2mMの濃度で使用できる。
【0065】
浮遊培養に用いられる無血清培地は、上述したようなものである限り特に限定されない。しかしながら、調製の煩雑さを回避するとともに、幹細胞から神経前駆細胞、好ましくは網膜前駆細胞を効率よく分化誘導する観点から、かかる無血清培地として、市販のKSR(Knockout Serum Replacement)を適量添加した無血清培地(GMEM又はdMEM、0.1mM 2−メルカプトエタノール、0.1mM 非必須アミノ酸Mix、1mM ピルビン酸ナトリウム)を使用することが好ましい。無血清培地へのKSRの投与量としては特に限定されず、例えばマウスES細胞の場合、通常1〜20%(v/v)であるが、マウスES細胞から網膜前駆細胞をより効率的に分化誘導する場合は、好ましくは1〜5%であり、最も好ましくは2%である。ヒトES細胞の場合は、通常1〜20%であり、ヒトES細胞から網膜前駆細胞をより効率的に分化誘導する場合は、好ましくは2〜20%である。前述の基底膜標品に加えてKSRを添加して凝集体の浮遊培養を行うことで、後述する本発明の分化誘導方法等をさらに効率よく行うことができる。
【0066】
浮遊培養で用いられる培養器は、細胞の浮遊培養が可能なものであれば特に限定されないが、例えば、フラスコ、組織培養用フラスコ、ディッシュ、ペトリデッシュ、組織培養用ディッシュ、マルチディッシュ、マイクロプレート、マイクロウェルプレート、マルチプレート、マルチウェルプレート、チャンバースライド、シャーレ、チューブ、トレイ、培養バック、ローラーボトルが挙げられる。
【0067】
凝集体を浮遊培養する場合、培養器は細胞非接着性であることが好ましい。細胞非接着性の培養器としては、培養器の表面が、細胞との接着性を向上させる目的で人工的に処理(例えば、細胞外マトリクス等によるコーティング処理)されていないものを使用できる。
【0068】
凝集体の浮遊培養における培養温度、CO濃度、O濃度等の他の培養条件は適宜設定できる。培養温度は特に限定されるものではないが、例えば約30〜40℃、好ましくは約37℃である。またCO濃度は、例えば約1〜10%、好ましくは約5%である。一方O濃度については、網膜前駆細胞を分化誘導する場合はその高い酸素要求性を考慮し、例えば20〜70%、好ましくは20〜50%、より好ましくは20〜40%である。
本工程の培養時間は特に限定されないが、通常48時間以上であり、好ましくは7日間以上である。
【0069】
浮遊培養後、凝集体をそのまま、あるいは分散処理(例えば、トリプシン/EDTA処理)し、細胞を接着条件下でさらに培養することもできる(以下、必要に応じて「接着培養」と記載する)。なお、接着培養する場合、細胞接着性の培養器、例えば、細胞外マトリクス等(例えば、ポリ−D−リジン、ラミニン、エンタクチン、フィブロネクチン)によりコーティング処理された培養器を使用することが好ましい。また接着培養における培養温度、CO濃度、O濃度、培養時間等の培養条件は、当業者であれば容易に決定できる。
【0070】
浮遊培養及び接着培養では、既知の分化誘導物質を併用できる。例えば、胚性幹細胞から神経前駆細胞を分化誘導する場合には、既知の神経前駆細胞への分化誘導物質を併用できる。このような分化誘導物質としては、例えば、NGF(Biochem.Biophys.Res.Commun.,199,552(1994))、レチノイン酸(Dev.Biol.,168,342(1995);J.Neurosci.,16,1056(1996))、BMP阻害因子(Nature,376,333−336(1995))、IGF(Genes&Development,15,3023−8(2003))、Nodal阻害剤及びWnt阻害剤(Nature Neurosci.8, 288−296(2005))、Activin(Proc Natl.Acad.Sci. USA, 2005 Aug 9; 102(32) 11331−6)等が挙げられる。本発明において、ラミニン及びエンタクチンが基底膜標品として使用される場合、Nodal及びActivinは既知の分化誘導物質として使用されることが望ましい。
【0071】
併用される分化誘導物質の量は、特に限定されず、当業者であれば所望の分化を誘導するのに適した量を調整し得る。Nodal及びActivinが網膜前駆細胞の分化誘導に使用される場合、Nodalは、一般的に、50ng/ml−4000ng/ml、好ましくは200ng/ml−2000ng/mlの濃度で、Activinは、一般的に、20ng/ml−2000ng/ml、好ましくは50ng/ml−500ng/mlの濃度で培地に添加される。培養液は毎日交換されることが望ましい。凝集体の浮遊培養を形成する際に、上述した基底膜標品に加えて、分化誘導物質を添加することで、下記に述べる分化誘導方法は、より効率的に行われ得る。分化誘導物質を添加するタイミングは特に限定されず、分化誘導の初期段階、あるいは適した時点で添加され得る。Nodal及びActivinが上述した目的で使用される場合、これらは、培養開始から1日後、または7〜10日後に継続的に添加され得る。
【0072】
上述した浮遊培養法、及び浮遊培養と接着培養との組合せ法によれば、培養期間等を適宜設定することで、幹細胞から神経前駆細胞を得ることができる。特に工程(2)において、基底膜標品の存在下で均一な幹細胞の凝集体を数日〜数十日間(例えば、マウスES細胞の場合7〜12日間、ヒトES細胞の場合20〜40日間)浮遊培養すると、幹細胞の凝集体中には図3に示されるような複数の眼杯様の突起構造(以下、このような構造を「眼杯様組織」と記載する)の自己形成が認められる(以下、工程(2)のうち特に眼杯様組織を凝集体中に自己形成させる工程のことを称する場合は、これを「工程(2’)」と記載する)。
【0073】
上記浮遊培養法、または浮遊培養と接着培養との組合せ法により得られた網膜前駆細胞は、マーカー遺伝子の発現の有無等または細胞や組織の形状等を指標とし、あるいは必要に応じてそれらを組み合わせることにより確認することができる。網膜前駆細胞のマーカー遺伝子の種類やその発現解析方法については、上記(2)に記載したとおりである。
【0074】
得られた眼杯様組織は、凝集体中、単に形態的に眼杯様の突起が認められるばかりでなく、この組織を構成する細胞からは網膜前駆細胞マーカーであるRxの高頻度な発現が認められる。また突起外部にはPax6を発現する網膜色素上皮細胞の層も認められる。このような眼杯様組織の構造は、生体発生における眼杯組織の構造と酷似している。したがって本発明の方法によれば、幹細胞から神経前駆細胞(好ましくは網膜前駆細胞)を製造することができるだけでなく、自己組織化した眼杯様組織をも製造することができる。
【0075】
また得られた眼杯様組織は凝集体中から突起状に自己形成されるので、当該突起を分離することによって高純度の網膜前駆細胞塊を得ることができる。したがって本発明は、上記工程(1)及び(2’)を含む、網膜前駆細胞塊を分離または同定する方法を提供する。
網膜前駆細胞塊は、自己形成された眼杯様組織を凝集体から物理的、形態的に切り出せばよい。したがって本方法によれば容易に網膜前駆細胞塊を分離することが可能である。また本方法によれば、幹細胞の凝集体を浮遊培養して網膜前駆細胞を得る際、網膜前駆細胞マーカー等を用いて網膜前駆細胞の位置について確認するという作業は必要なく、凝集体中に突起状に形成された細胞塊を単に切り出すだけで容易に網膜前駆細胞塊を得ることができる。
【0076】
(3−3)形成された眼杯様組織を器官培養液中で浮遊培養する工程(工程(3))
本工程は、工程(2’)で得られた眼杯様組織を器官培養液中で浮遊培養する工程である。
【0077】
本工程では、工程(2’)で自己形成された眼杯様組織を器官培養液中で浮遊培養する工程であるが、眼杯様組織それ自体は、眼杯様組織を含む幹細胞の凝集体そのものを用いてもよいし、幹細胞の凝集体から突起状に形成されている眼杯様組織自体を物理的、形態的に切り出し、これを器官培養液中で浮遊培養してもよい。なお眼杯様組織を切り出した場合には、幹細胞の凝集体全体をRx陽性の網膜前駆細胞塊として取り扱うことができるので、より効率的に網膜前駆細胞を分化誘導し、網膜組織や網膜層特異的ニューロンを製造することができる。
眼杯様組織の切り出し方法としては特に限定されず、幹細胞の凝集体から微細ピンセット等を用いて切り出すことが可能である。
【0078】
眼杯様組織を培養する器官培養液としては特に限定されないが、一般的に網膜細胞を誘導するために用いられる器官培養液が好ましく用いられ、例えば、(1)DMEM/F12/N2+0.5μMレチノイン酸、(2)66%E−MEM−HEPES+33%HBSS+1%FCS+N2 supplement+5.75mg/ml glucose+200mM L−glutamine+20ng/ml aFGF+20ng/ml bFGF+20nM Shh+1mM retinoic acid+100 mM taurine、あるいは(3)G−MEM+5%KSR+N2 supplement+0.1mM nonessential amino acids+1mM pyruvate+0.1mM 2−mercaptoethanol+1mM retinoic acid+100mM taurine等が挙げられる。
【0079】
眼杯様組織は、器官培養液中で浮遊培養される。眼杯様組織の浮遊培養で用いられる培養器としては、上記工程(2)において用いられる培養器と同じものが挙げられる。また眼杯様組織の浮遊培養における培養温度、CO濃度、O濃度等の他の培養条件は適宜設定できる。培養温度は、特に限定されるものではないが、例えば約30〜40℃、好ましくは約37℃である。また、CO濃度は、例えば約1〜10%、好ましくは約5%である。一方O濃度については、網膜前駆細胞を分化誘導する場合は、その高い酸素要求性を考慮し、例えば20〜70%、好ましくは20〜60%、より好ましくは30〜50%である。
本工程の培養時間は特に限定されないが、通常48時間以上であり、好ましくは7日以上である。
【0080】
本工程を経て、工程(2’)で自己形成された眼杯様組織は網膜組織へと自己誘導される。すなわち工程(2’)で自己形成された眼杯様組織を器官培養液中で浮遊培養することによって、網膜組織や、その網膜組織を構成する細胞群が試験管内で自己誘導される。即ち本発明は、網膜組織の自己形成によって、網膜組織を試験管内で製造する方法、網膜組織を構成する細胞群を製造する方法を提供する。ここで「試験管内」とは、単に生体内で無い(インビトロ)ことを示す。
【0081】
図4に示されるように、生体における網膜組織は、角膜、水晶体を通過して到達した光を表面の視細胞で受容して電気的信号に変換し、双極細胞、神経節細胞の順に情報を伝達して最終的に大脳に信号を送るべく、神経細胞が規則正しい5層構造をなして整然と並んだ構造を有する。そして本発明の方法により自己形成された網膜組織は、単なる網膜細胞の集合体ではなく、驚くべきことにこのような生体網膜組織の構造に極めて類似した構造を持つものである。
【0082】
本発明により自己形成される網膜組織は、生体における網膜組織と同じ順に規則正しく整列した神経細胞の5層構造が自己形成されている。各層は構成する網膜細胞(視細胞、水平細胞、双極細胞、アマクリン細胞、節(神経節)細胞)がそれぞれ異なり、この構造を有することによって外部からの光刺激を中枢神経系に電気刺激として送信することができる。
本発明によれば、このような網膜組織を構成する細胞群、すなわち「網膜層特異的ニューロン」への、幹細胞からの選択的分化誘導法が提供される。そして幹細胞から「網膜層特異的ニューロン」を製造する方法も提供される。
【0083】
得られた網膜層特異的ニューロンは、そのままあるいは分散処理(例えば、トリプシン/EDTA処理)し、細胞を接着条件下でさらに培養することもできる。接着培養する場合、細胞接着性の培養器、例えば細胞外マトリクス等(例えば、ポリ−D−リジン、ラミニン、エンタクチン、フィブロネクチン)によりコーティング処理された培養器を使用することが好ましい。また、接着培養における培養温度、CO濃度、O濃度等の培養条件は、当業者であれば容易に決定できる。またこの際、既知の分化誘導物質存在下で培養してもよい。このような分化誘導物質としては、例えば、NGF(Biochem.Biophys.Res.Commun.,199,552(1994))、レチノイン酸(Dev.Biol.,168,342(1995);J.Neurosci.,16,1056(1996))、BMP阻害因子(Nature,376,333−336(1995))、IGF(Genes&Development,15,3023−8(2003))等が挙げられる。
【0084】
得られた網膜組織や網膜層特異的ニューロンは、マーカー遺伝子の発現の有無等を指標として、必要に応じてそれらを組み合わせることにより確認することができる。また細胞の形態を観察することによっても、得られた網膜層特異的ニューロンを特定することもできる。更にこのようなマーカー発現パターンや細胞の形態に基づき、所望の特定の細胞を単離することもできる。
【0085】
マーカー遺伝子の発現は、上記(2)に記載したように定量PCRを行うことによって確認することができる。或いは、目的とするマーカー遺伝子が、マーカー遺伝子産物とGFP等との融合タンパク質として発現されるように、細胞を操作し、GFP等の発現によって確認してもよい。またマーカー遺伝子産物に対して特異的な抗体を用いて、タンパク質の発現を検出することもできる。
【0086】
このようなマーカー遺伝子としては、例えば、Rx(網膜の前駆細胞)、PAX6(網膜の前駆細胞)、nestin(視床下部ニューロンの前駆細胞では発現されるが網膜前駆細胞では発現されない)、Sox1(視床下部神経上皮で発現され、網膜では発現されない)、Crx(視細胞の前駆細胞)Chx10(双極細胞及び幼弱な網膜前駆細胞)、L7(双極細胞)、Tuj1(節細胞)、Brn3(節細胞)、Calretinin(アマクリン細胞)、Calbindin(水平細胞)、Rhodopsin(視細胞)、リカバリン(視細胞)、RPE65(色素上皮細胞)Mitf(色素上皮細胞)の公知のマーカーが利用可能であるが、これらに限定されない。これらのマーカー遺伝子の発現の有無を適宜組み合わせることにより、得られた細胞を特定することができる。例えばアマクリン細胞は前述のとおりCalretinin陽性、かつPax6陽性、Tuj1陰性である。また網膜節細胞はBrn3陽性、かつTuj1陽性である。
【0087】
(4)培養産物
本発明はまた、本発明の方法により得られる培養産物を提供する。本発明の培養産物とは、幹細胞の浮遊凝集体、浮遊凝集体を分散処理した細胞、分散処理細胞の培養により得られる細胞等、本発明の方法によって得られる細胞培養物の全てを含むものであり得る。
また本発明の培養産物には、このような上記培養産物から被験体に投与し得る程度に単離・精製された均質な細胞や組織化された細胞群、例えば工程(1)及び工程(2)を経て得られた、神経前駆細胞(例えば網膜前駆細胞)等、工程(1)及び工程(2’)を経て得られた眼杯様組織、網膜前駆細胞塊、あるいは工程(1)、工程(2’)及び工程(3)を経て得られた、網膜組織や網膜層特異的ニューロン等が含まれる。
【0088】
本発明の培養産物は、神経系細胞(例えば網膜細胞)の障害に基づく疾患の治療薬、又はその他の原因による細胞損傷状態において、当該細胞や、障害を受けた組織自体を補充する(例えば、移植手術に用いる)ため等に用いることができる。
【0089】
神経系細胞の障害に基づく疾患としては、例えば、パーキンソン病、脊髄小脳変性症、ハンチントン舞踏病、アルツハイマー病、虚血性脳疾患(例えば、脳卒中)、てんかん、脳外傷、脊髄損傷、運動神経疾患、神経変性疾患、内耳性難聴、多発性硬化症、筋萎縮性側索硬化症、神経毒物の障害に起因する疾患等が挙げられる。特に網膜細胞の障害に基づく疾患としては、例えば、網膜色素変性症、加齢黄斑変性症、緑内障、糖尿病性網膜症、新生児網膜症、網膜動脈閉塞が挙げられる。また本発明の培養産物は、眼科手術後(例えば、網膜剥離に対する網膜形成手術後)等で失われた細胞や組織を補充する(例えば、網膜の移植手術を行う)ために用いることもできる。
【0090】
また、本発明の方法により得られた細胞(例えば神経前駆細胞)を、当該細胞の障害に基づく疾患の治療薬として用いる場合、当該細胞の純度を高めた後に被験体に移植することが好ましい。
【0091】
細胞の純度を高める方法は、公知となっている細胞分離精製の方法であればいずれも用いることができるが、例えば、フローサイトメーターを用いる方法(例えば、Antibodies−A Laboratory Manual,Cold Spring Harbor Laboratory(1988)、Monoclonal Antibodies:principles and practice,Third Edition,Acad.Press(1993)、Int.Immunol.,10,275(1998)参照)、パニング法(例えば、Monoclonal Antibodies:principles and practice,Third Edition,Acad.Press(1993)、Antibody Engineering,A Practical Approach,IRL Pressat Oxford University Press(1996)、J.Immunol.,141,2797(1988)参照)、ショ糖濃度の密度差を利用する細胞分画法(例えば、組織培養の技術(第三版),朝倉書店(1996)参照)が挙げられる。
【0092】
本発明の細胞の純度を高める方法は、上述のような幹細胞を分化誘導して得られた細胞(例えば神経前駆細胞)を、抗癌剤を含む培地中で培養する工程を含む。これにより、未分化な状態の細胞を除去することができ、より純度の高い分化細胞を得ることが可能で、医薬としてより好適となる。即ち、抗癌剤で処理することにより、目的とする分化細胞以外の細胞、例えば未分化な細胞を除去することができる。
【0093】
ここで抗癌剤としては、マイトマイシンC、5−フルオロウラシル、アドリアマイシン、アラCまたはメトトレキセート等が挙げられる。これら抗癌剤は、分化誘導した細胞よりも未分化な状態の細胞に、より細胞毒性を示す濃度で用いることが好ましい。具体的には、上述した培養方法に準じて、これら抗癌剤を用いた培養を行い、至適濃度を決定することができ、例えば、これら抗癌剤を生体に用いる日本薬局方記載の濃度の100分の1〜1倍の濃度で含む培地を用い、5%の二酸化炭素を通気したCOインキュベーターで、37℃で数時間、好ましくは2時間培養する方法を挙げることできる。
【0094】
ここで使用する培地としては、分化誘導した細胞を培養することが可能な培地であればいかなるものも用いることができる。具体的には、上述の培地等を挙げることができる。
【0095】
また、移植医療においては、組織適合性抗原の違いによる拒絶がしばしば問題となるが、体細胞の核を核移植した幹細胞、又は染色体上の遺伝子を改変した幹細胞を用いることで当該問題を克服できる。
【0096】
また、体細胞の核を核移植した幹細胞を用いて分化誘導することで、体細胞を提供した個体の神経前駆細胞、網膜前駆細胞、神経系細胞、網膜層特異的ニューロン等を得ることができる。このような個体の細胞は、その細胞自身が移植医療として有効であるのみならず、既存の薬物がその個体に有効か否かを判断する診断材料としても有用である。さらに、分化誘導した細胞を長期に培養することで酸化ストレスや老化に対する感受性の判定が可能であり、他の個体由来の細胞と機能や寿命を比較することで神経変性疾患等の疾患に対する個体のリスクを評価することができ、それら評価データは将来の発病率が高いと診断される疾患の効果的な予防法を提供するために有用である。
【0097】
本発明の方法により幹細胞から分化誘導された細胞、例えば神経前駆細胞、網膜前駆細胞、神経系細胞、網膜層特異的ニューロン等は、自体公知の方法により患者の疾患部位に移植できる(例えば、Nature Neuroscience,2,1137(1999)参照)。
【0098】
(5)網膜神経ネットワークの形成
本発明は、工程(1)、(2’)及び(3)を含む、網膜神経ネットワークを試験管内で自己形成させる方法を提供する。この方法によれば、改変SFEBq法により得られた細胞凝集体が乱雑な神経細胞塊になることなく、その中に網膜神経ネットワークを形成することができる。
【0099】
試験管内の細胞凝集体において網膜神経ネットワークが構築されたことは、例えば光刺激による電気的興奮状態を観察すること(Homma et al,(2009)J.Neurosci.Res.87(9)2175−2182)や、カルシウム放出を指標としたイメージング解析により確認することができる。ここで「試験管内」とは、生体内で無い(インビトロ)ことを示す。
また、本発明の方法によって自己形成される網膜神経ネットワークにおいては、多くの細胞で周囲の細胞と同調した、または同調しないCa2+上昇(カルシウムオシレーション)が繰り返し観察される。このように、本発明の方法で形成される網膜神経ネットワークは、好ましくは同期した自発発火を伴うものでありうる。ここで「発火」とは、神経細胞の脱分極による興奮性活動のことをいい、「自発発火」とは、それが自発的に起こることをいう。すなわち本発明の方法で形成される網膜神経ネットワークは、ある面で生体網膜と類似した神経活動を起こしうる。
【0100】
本発明によれば、本発明の方法により得られた培養産物、具体的には上記網膜神経ネットワークを構築する細胞凝集体が提供される。当該培養産物(細胞凝集体)は、生体における網膜神経ネットワークと極めて類似した網膜神経ネットワークを構築しているので、神経系細胞、例えば網膜細胞の障害に基づく疾患の治療薬のスクリーニング、その他の原因による細胞損傷状態における治療薬のスクリーニング、またはそれらの毒性試験等に用いることができる。ここで網膜細胞の障害に基づく疾患としては、例えば、有機水銀中毒、クロロキン網膜症、網膜色素変性症、加齢黄斑変性症、緑内障、糖尿病性網膜症、新生児網膜症、等が挙げられる。
【0101】
また、当該培養産物(細胞凝集体)は、網膜細胞の障害に基づく疾患の治療薬、その他の原因による細胞損傷状態における治療薬等として用いることもできる。
【0102】
(6)網膜組織構造の形成
本発明は、工程(1)、(2’)及び(3)を含む、網膜組織の立体構造を試験管内で自己形成させる方法を提供する。この方法によれば、改変SFEBq法により得られた細胞凝集体が乱雑な神経細胞塊になることなく、その中に網膜組織の立体構造を形成することができる。より好ましくは、眼杯原基で認められる網膜形成と同様の順序で、自己組織化が進む網膜の組織形成の初期過程を模倣することが可能である。
【0103】
試験管内の細胞凝集体において網膜組織の立体構造が自己形成されたことは、例えばChx10、Tuj1、Caltetinin、Calbindin、Rhodopsin等の層特異的網膜細胞マーカーの発現、光学あるいは電子顕微鏡による形態解析、GFP導入細胞のライブイメージング等により確認することができる。ここで「試験管内」とは、上記と同様の意味を示す。
【0104】
本発明によれば、本発明の方法により得られた培養産物、具体的には網膜組織の立体構造を構築する細胞凝集体が提供される。本発明の培養産物は、生体網膜に極めて類似した構造を有しているので、神経系細胞、特に網膜前駆細胞や網膜細胞の障害に基づく疾患の治療薬のスクリーニング、その他の原因による細胞損傷状態における治療薬のスクリーニング、またはそれらの毒性試験等に用いることができる。ここで網膜前駆細胞や網膜細胞の障害に基づく疾患に基づく疾患としては、例えば、有機水銀中毒、クロロキン網膜症、網膜色素変性症、加齢黄斑変性症、緑内障、糖尿病性網膜症、新生児網膜症、等が挙げられる。
【0105】
(7)スクリーニング方法
本発明は、本発明の培養産物を用いることを特徴とする、被検物質のスクリーニング方法を提供する。特に本発明の培養産物は、生体における神経ネットワークと極めて類似した神経ネットワークを構築しており、また網膜の組織形成過程と極めて類似した網膜組織を構築しているので、神経系細胞、例えば網膜前駆細胞や網膜細胞の障害に基づく疾患の治療薬のスクリーニング、その他の原因による細胞損傷状態における治療薬のスクリーニング、またはそれらの毒性試験、さらには神経系疾患の新たな治療方法の開発等に適用することができる。
【0106】
ここで「被検物質」としては、例えば神経系疾患の治療薬として有効性を確認したい物質や、その他の疾患の治療薬であって神経への影響(例えば、毒性)を確認することが必要な物質が挙げられる。当該物質は、低分子化合物、高分子化合物、タンパク質、核酸(DNA、RNA等)、ウイルス等、どのようなものであってもよい。このような物質は、当業者が適宜選択することができる。
【0107】
以下の比較例及び実施例により本発明をより具体的に説明するが、実施例は本発明の単なる例示を示すものにすぎず、本発明の範囲を何ら限定するものではない。
【実施例】
【0108】
比較例1:SFEBq法による高効率の大脳皮質前駆細胞への分化誘導
(方法)
マウスES細胞(E14由来)のEB5細胞または、E14由来の細胞株で神経分化レポーターとして大脳神経マーカーBf1遺伝子に改変GFP(green fluorescent protein)であるVenus遺伝子を相同組換えにてノックインした細胞(以下「Bf1/Venus−mES 細胞」と記載する)を、文献(Watanabe et al、Nature Neuroscience,2005)記載の通りに培養し、実験に用いた。
培地にはG−MEM 培地(Invitrogen)に1%牛胎児血清、10%KSR(Knockout Serum Replacement;Invitrogen)、2mM グルタミン、0.1mM 非必須アミノ酸、1mM ピルビン酸、0.1mM 2−メルカプトエタノール及び2000U/ml LIFを添加したものを用いた。浮遊培養による神経分化誘導には、0.25%trypsin−EDTA(Invitrogen)を用いてES細胞を単一分散し、非細胞接着性の96ウェル培養プレート(スミロン スフェロイド プレート,住友ベークライト社)の1ウェルあたり3×10細胞になるように150μlの分化培地に浮遊させ、凝集塊を速やかに形成させた後、37℃、5%COで7日間インキュベーションした(SFEBq法;図1A)。
その際の分化培地には、G−MEM培地に10%KSR、2mM グルタミン、1mM ピルビン酸、0.1mM 非必須アミノ酸、0.1mM 2−メルカプトエタノール、250μg/ml recombinant human Dkk−1、1μg/ml recombinant human Lefty−1を添加した無血清培地(Watanabe et al、Nature Neuroscience,2005)を用いた。
凝集塊を6cmの非接着性プラスチックシャーレ(3.5mlの分化培地)に回収し、さらに3日間浮遊培養を継続したのち(計10日間)、蛍光免疫染色法で分化状態を解析した。結果を図1に示す。
【0109】
(結果)
免疫染色解析の結果、分化培養開始後10日の凝集塊の細胞のうち約70%の細胞が大脳特異的マーカーBf1を発現していた。また、Bf1陽性細胞のうち90%の細胞が大脳皮質特異的マーカーEmx1を発現していた。Bf1/Venus−mES 細胞を分化させたものをVenus−GFPの発現で解析した場合も、約70%の細胞が陽性であり、その大半がEmx1を発現していた(図1A)。このように、SFEBq法は上記の分化培地を用いた場合、高効率で大脳皮質細胞(前駆細胞)を分化誘導することが可能である。なお、10cm培養ディッシュを用いて、緩徐にES細胞の凝集塊を形成させる既存の方法(Watanabe et al、Nature Neuroscience,2005)では、Bf1陽性細胞は30%にとどまり、そのうち大脳皮質マーカーEmx1陽性となるのは4割未満であった。また凝集体が極性を持った上皮様構造を有していることは、N−カドヘリン、CD−133、ラミニン等の発現(図1B〜G)や、電子顕微鏡によるタイトジャンクション(図1H)やアドヘレンスジャンクション(図1I)等の形態観察、ロゼットの形成(図1J、図1K、点線はロゼットを示す)、極性マーカーの発現(図1L〜O、点線はロゼットを示し、星印は内腔を示す)等により確認した。
このように、SFEBq法は従来法に比して、より高効率に大脳、とりわけ大脳皮質へのES細胞の分化を促進する。
【0110】
比較例2:SFEBq法により誘導された大脳皮質前駆細胞からの大脳ニューロンの試験管内産生
(方法)
比較例1に記載の方法で培養を継続し、12日間分化培養した凝集塊を酵素的に分散させ(スミロン Neural Tissue Dissociationキット)、poly−D−リジン/ラミニン/フィブロネクチンでコートした培養プレートの上に5×10細胞/cmで播種し、DMEM/F12培地に1×N2 supplementと10ng/ml FGF2を添加した培地で2日間培養した。その後、B27 supplementを添加したNeurobasal培地+50ng/ml BDNF+50ng/ml NT3でさらに6日間培養した。分化したニューロンの性状を蛍光抗体法で解析した。結果を図2に示す。
【0111】
(結果)
試験管内の細胞のほとんどがTuJ1陽性のニューロンとなっており、そのうち80%が大脳皮質特異的なマーカーであるEmx1陽性で、グルタミン酸作動性ニューロン(大脳皮質に豊富に存在)のマーカーであるVGluT1陽性であった(図2A〜B)。また、大脳ニューロンに特徴的な複数の神経マーカー(Telencephalin、GluR1、CamKII、Ctip2、Tbr1、Synapsin等)の発現も観察された(図2C〜F)。
このように、SFEBq法により誘導された大脳皮質前駆細胞からの大脳特異的なニューロンへの分化が確認された。
【0112】
実施例1:高濃度のマトリクス成分を添加し、かつKSR濃度を至適化した改変SFEBq法を利用した、高効率の網膜前駆細胞への分化誘導
(方法)
Rx−EGFP mES細胞(EGFPを初期網膜前駆細胞マーカー遺伝子Rx座にノックインしたマウスES細胞;Wataya et al,PNAS,2008)に対してSFEBq法(96ウェルの低細胞結合性培養プレート)を適用して、1ウェルあたり3000個の細胞で迅速に均一な凝集塊を作製し、これを分化培養した。その際の分化誘導用培地としては、G−MEM 培地(Invitrogen)に1%牛胎児血清、2%KSR、2mM グルタミン、0.1mM 非必須アミノ酸、1mM ピルビン酸、0.1mM 2−メルカプトエタノール及び2000U/ml LIFを添加したものを用いた。さらに1日後よりMatrigelを容積あたり1/100〜1/50量で培地に添加して、7日間5%CO、37度で浮遊凝集塊培養を行った。その後更に神経分化促進条件で培養を続けた。分化解析には、脳神経マーカーSox1、大脳マーカーBf1、網膜前駆細部マーカーRx、神経網膜前駆細胞及び双極細胞マーカーChx10、視細胞マーカーロドプシン抗体等による蛍光抗体法(凍結切片)を用いた。
【0113】
(結果)
Matrigelを1/100量添加したものについて、比較例1のようにKSRを10%入れた場合はBf1を発現する大脳皮質前駆細胞が同様の効率で発現した(>50%,9日後)。一方、この条件でKSRを2%に減じた培地ではBf1の発現は10%以下に減じ、さらにMatrigelを1/50量または1/25量入れた2%KSR培地では、Bf1の発現は5%以下になった。
逆に、2%KSR培地にMatrigelを1/100量以上入れた分化培養では、細胞塊にRx−EGFP陽性及びRx抗体陽性の細胞が5%以上出現し、Matrigelを1/50量または1/25量以上入れた場合は、約60%の細胞がRx−EGFP陽性となった。KSRを10%入れ、Matrigelを1/100量添加した培地の場合は、Bf1の発現は1%未満であった。
【0114】
実施例2:改変SFEBq法を利用した、網膜前駆細胞からの眼杯様組織の自己形成
(方法)
実施例1で得られたRx抗体陽性細胞の凝集塊を2%KSR培地にMatrigelを1/50量添加した培養液で7日間培養した後、DMEM/F12培地にN2添加物を追加した培養液に移して、さらに3日間、5%CO/40%Oの条件下で浮遊培養した。
【0115】
(結果)
Rx−EGFP強陽性の部分は、細胞塊から突起状の組織を形成した(図3)。その組織像は胎児の眼杯(初期の網膜組織で、間脳からの突起として形成)に類似して、Rx陽性・Chx10陽性の幼弱神経網膜組織及びその外側を1層の網膜色素細胞が包む構造をしていた。
【0116】
実施例3:改変SFEBq法を利用した、網膜前駆細胞からの網膜組織の自己組織化
(方法)
実施例2で得られた眼杯様組織(培養10日)を、微細ピンセットを用いて細胞塊より分離し、DMEM/F12/N2+0.5μMレチノイン酸(視細胞の生存を促進することが知られている)で浮遊培養を行った。
【0117】
(結果)
浮遊培養した眼杯様組織は、生後の網膜と非常に構造の類似した層構造(図2、図3)へと誘導された。最外層には、視細胞(ロドプシン陽性で、外節構造を有する)が規則正しく平面的な構造を形成し、正しい細胞極性を有していた。その下層にはChx10陽性の双極細胞層とCalbindin陽性の水平細胞、またその下層にはCalretinin陽性/Pax6陽性/TuJ1陰性のアマクリン細胞層、最下層にはBrn3陽性/TuJ1陽性の網膜節細胞が整然と層をなしていた(図5)。これらの層の順番はin vivoの網膜の層構造に一致していた。このようにSFEBq法による浮遊細胞塊培養にマトリクス処理と培地の組み合わせにおける至適化を考慮した改変SFEBq法を適用すると、高効率に網膜前駆細胞が形成されるのみならず、これらの網膜前駆細胞から層状の構造を有する網膜組織が試験管内で自己形成されることが示された。
【0118】
実施例4:改変SFEBq法で製造した網膜組織の電気生理学的活動
(方法)
実施例3と同様に、微細ピンセットを用いて細胞塊より眼杯様組織を分離し、DMEM/F12/N2、0.5μMレチノイン酸で培養を行った。電気生理学的な観察のために、多点平面電極つきプレート(MEDプローブ)の上で培養し、2日後に眼杯様組織から出てきた軸索の活動電位を多極電極フィールド電位法(MED64;アルファメッドサイエンス社)で観察した。
【0119】
(結果)
眼杯様組織からの軸索はTuj1陽性であり、網膜組織同様に神経節細胞由来であると考えられた。これらの軸索からは多極電極フィールド電位法により不規則な活動電位の自発的発火を多数観察した。これらのことから、in vivoでは新生児等幼弱な網膜で認められ自発的な神経活動を誘発するネットワークが眼杯様組織内に形成されたことが確認された。Hommaらの方法(Homma et al,(2009)J.Neurosci.Res.87(9)2175−2182)により、MED64(アルファメッドサイエンス社)による観察で光誘発の活動電位の観察も可能であると考えられる。
【0120】
実施例5:ヒトES細胞からの眼杯様の突起組織の自発的形成
(方法)
ヒトES細胞(khES1)は、通常の方法により維持培養された(Ueno et al,PNAS 103,9554−9559,2006)。ヒトES細胞は、既知の方法で、プレートから単離され、トリプシンにより単一分散した(Watanabe et al,Nature Biotech.25,681−686,2007)。それらの細胞は、比較例1及び実施例1と同様の方法で96ウェルの低細胞結合性培養プレートを用いて、迅速に再凝集することで均一な凝集塊を作製した。その際、細胞は96ウェル1ウェルあたり9000細胞となるように培養液に浮遊した。培養液にはDMEM/F12、10−20%KSR、2mM グルタミン、0.1mM 非必須アミノ酸、0.1mM 2−メルカプトエタノールを用い、さらに最初の6日間はRock阻害剤Y−27632(細胞死の抑制剤)を10μM添加した。培養3日後より、Matrigelを100分の1量添加し、18日まで培養した。18日から25日までDMEM/F12/N2、1μM RAを用いて、浮遊培養を続け、その際にはOを40%に増加した。25日から40日までNeurobasal、B27、1μM RA、40%Oで浮遊培養した。
【0121】
(結果)
上記の培養では、Matrigelを添加した場合のみ、Rx陽性、Pax6陽性の網膜前駆細胞の組織の形成をヒトES細胞由来の細胞塊に認めた。培養20日後には、マウスES細胞培養の7日目と同様に、Rx陽性、Pax6陽性の組織はヒトES細胞由来の細胞塊の本体からの突起物として形成が確認された。それらはRx強陽性の神経網膜前駆組織とRx弱陽性の色素上皮前駆組織からなっており、共にネスチン陰性であった。35日後にもRx陽性、Pax6陽性、ネスチン陰性の偽多列円柱上皮組織(神経網膜の前駆組織の形態的特徴)の存在が確認された。
【0122】
実施例6:精製されたマトリクスタンパク質及びNodal/Activinを使用したES細胞凝集体からの網膜上皮への効率的な誘導
(方法)
Rx−GFP ES細胞(3000細胞/ウェル、96ウェルプレート)を、1.5%KSRを添加したG−MEM培地でSFEBq培養した。この実験では、培養液にMatrigelを加える代わりに、精製されたラミニン及びエンタクチン(高濃度ラミニン/エンタクチン複合体;BD;120μg/ml)が細胞外マトリクスタンパク質として、1日目(培養液の分化開始から24時間後)に添加された。組換えマウスNodal(R&D;500−1000ng/ml)またはヒトActivin(R&D;250ng/ml)も、1日目に添加し、該Nodal処理は7日目まで継続した。SFEBq凝集体は7〜10日間培養され、RxGFP胞形成及び杯構造を蛍光顕微鏡下で観察した。Nodal及びActivinは共通の細胞表面受容体に作用し、細胞内でSmad2/3を活性化することが知られている。
【0123】
(結果)
細胞外マトリクスタンパク質またはNodalなしで培養したES細胞は、7〜10日目にRx−GFPを発現しなかった。2%Matrigelと異なり、ラミニン及びエンタクチンだけでは、7日目または10日目にRxGFP網膜上皮を誘導しなかった。これに対し、1〜7日間ラミニン、エンタクチン及びNodalまたはActivin処理した細胞は、7日目にRxGFP上皮の大きなパッチがSFEBq凝集体中に出てきた。これらは、7日目に眼胞のような嚢を形成し、その後、10日目に眼杯のような形態を示した。TGF−β1または2(1000ng/ml)は、ラミニン及びエンタクチンと共に組み合わせた場合であっても、Nodalの誘導活性に代わることはなかった。0日目からNodalまたはActivinと共にSFEBq細胞を処理すると、以前の報告(Watanabe et al,Nature Neuroscience,2005)と一致して、神経(Sox1)及び網膜(Rx)分化が阻害されたことは、SFEBq培養の初期段階において、Nodal/Activinシグナルの存在が、好ましい条件であることを示している。
三次元的な網膜組織の形成は、Nodal存在化のラミニン、エンタクチンという定義されたマトリクスタンパク質によって誘導され得る。
【0124】
本発明を好ましい態様を強調して説明してきたが、好ましい態様が変更され得ることは当業者にとって自明であろう。本発明は、本発明が本明細書に詳細に記載された以外の方法で実施され得ることを意図する。したがって、本発明は添付の「特許請求の範囲」の精神及び範囲に包含されるすべての変更を含むものである。
ここで述べられた特許及び特許出願明細書を含む全ての刊行物に記載された内容は、ここに引用されたことによって、その全てが明示されたと同程度に本明細書に組み込まれるものである。
【産業上の利用可能性】
【0125】
本発明の方法によれば、神経系細胞を効率的に分化誘導できるため、神経変性疾患に対する細胞治療の応用が可能となる。また、本発明の方法によれば、従来の分化法では困難であった間脳組織(特に網膜組織)を効率的に分化誘導できるため、間脳組織(特に網膜組織)に異常がある疾患に対する細胞治療の応用が可能となる。
【0126】
さらに本発明によれば、網膜神経ネットワークや層構造を有する網膜組織の立体構造を試験管内で産生することが可能である。従って再生医療の分野や上述の医薬等の創薬、毒性試験等に有用な「組織材料」を提供することができる点でも極めて有用である。
【0127】
また本発明によれば、誘導源として動物由来細胞を使用していないため、幹細胞の培養により得られる細胞の移植を同種移植のリスクレベルまで軽減することが可能となる。
【0128】
この出願は、米国特許出願No.61/258,439に基づくものであり、これら全ての内容を参照により開示に含める。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
無血清培地中で均一な幹細胞の凝集体を形成させる工程(1);及び
基底膜標品の存在下で均一な幹細胞の凝集体を浮遊培養させる工程(2)
を含む、幹細胞を神経前駆細胞へ分化誘導する方法。
【請求項2】
神経前駆細胞が、網膜前駆細胞である、請求項1に記載の方法。
【請求項3】
基底膜標品が、ラミニン、IV型コラーゲン、ヘパラン硫酸プロテオグリカン及びエンタクチンから選択される細胞外マトリックス分子を含むものである、請求項2に記載の方法。
【請求項4】
浮遊培養が、KSR存在下で行われる、請求項2または3に記載の方法。
【請求項5】
浮遊培養が、NodalまたはActivin存在下で行われる、請求項4に記載の方法。
【請求項6】
無血清培地中で均一な幹細胞の凝集塊を形成させる工程(1);
基底膜標品の存在下で均一な幹細胞の凝集体を浮遊培養して、眼杯様組織を凝集体中に自己形成させる工程(2’)
を含む、網膜前駆細胞塊を形態的に分離または同定する方法。
【請求項7】
基底膜標品が、ラミニン、IV型コラーゲン、ヘパラン硫酸プロテオグリカン及びエンタクチンから選択される細胞外マトリックス分子を含むものである、請求項6に記載の方法。
【請求項8】
浮遊培養が、KSR存在下で行われる、請求項6または7に記載の方法。
【請求項9】
浮遊培養が、NodalまたはActivin存在下で行われる、請求項8に記載の方法。
【請求項10】
無血清培地中で均一な幹細胞の凝集塊を形成させる工程(1);
基底膜標品の存在下で均一な幹細胞の凝集体を浮遊培養して、眼杯様組織を凝集体中に自己形成させる工程(2’);及び
自己形成された眼杯様組織を器官培養液中で浮遊培養する工程(3);
を含む、網膜層特異的ニューロンを分化誘導する方法。
【請求項11】
網膜層特異的ニューロンが、視細胞、水平細胞、双極細胞、アマクリン細胞及び網膜節細胞から選択される、請求項10に記載の方法。
【請求項12】
基底膜標品が、ラミニン、IV型コラーゲン、ヘパラン硫酸プロテオグリカン及びエンタクチンから選択される細胞外マトリックス分子を含むものである、請求項10または11に記載の方法。
【請求項13】
浮遊培養が、KSR存在下で行われる、請求項10〜12のいずれか一項に記載の方法。
【請求項14】
浮遊培養が、NodalまたはActivin存在下で行われる、請求項13に記載の方法。
【請求項15】
無血清培地中で均一な幹細胞の凝集塊を形成させる工程(1);
基底膜標品の存在下で均一な幹細胞の凝集体を浮遊培養して、眼杯様組織を凝集体中に自己形成させる工程(2’);及び
自己形成された眼杯様組織を器官培養液中で浮遊培養する工程(3);
を含む、網膜組織を試験管内で製造する方法。
【請求項16】
基底膜標品が、ラミニン、IV型コラーゲン、ヘパラン硫酸プロテオグリカン及びエンタクチンから選択される細胞外マトリックス分子を含むものである、請求項15に記載の方法。
【請求項17】
浮遊培養が、KSR存在下で行われる、請求項15または16に記載の方法。
【請求項18】
浮遊培養が、NodalまたはActivin存在下で行われる、請求項17に記載の方法。
【請求項19】
無血清培地中で均一な幹細胞の凝集塊を形成させる工程(1);
基底膜標品の存在下で均一な幹細胞の凝集体を浮遊培養して、眼杯様組織を凝集体中に自己形成させる工程(2’);及び
自己形成された眼杯様組織を器官培養液中で浮遊培養する工程(3);
を含む、網膜層特異的ニューロンの製造方法。
【請求項20】
網膜層特異的ニューロンが、視細胞、水平細胞、双極細胞、アマクリン細胞及び網膜節細胞から選択される、請求項20に記載の方法。
【請求項21】
基底膜標品が、ラミニン、IV型コラーゲン、ヘパラン硫酸プロテオグリカン及びエンタクチンから選択される細胞外マトリックス分子を含むものである、請求項19または20に記載の方法。
【請求項22】
浮遊培養が、KSR存在下で行われる、請求項19〜21のいずれか一項に記載の方法。
【請求項23】
浮遊培養が、NodalまたはActivin存在下で行われる、請求項22に記載の方法。
【請求項24】
請求項1〜23のいずれか一項に記載の方法により製造される、培養産物。
【請求項25】
請求項24に記載の培養産物を用いることを特徴とする、被検物質のスクリーニング方法。
【請求項26】
請求項24に記載の培養産物を用いることを特徴とする、被検物質の毒性試験方法。
【請求項27】
請求項24に記載の培養産物を含む、移植用網膜。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【公表番号】特表2013−509859(P2013−509859A)
【公表日】平成25年3月21日(2013.3.21)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2012−521401(P2012−521401)
【出願日】平成22年11月5日(2010.11.5)
【国際出願番号】PCT/JP2010/070163
【国際公開番号】WO2011/055855
【国際公開日】平成23年5月12日(2011.5.12)
【出願人】(503359821)独立行政法人理化学研究所 (1,056)
【Fターム(参考)】