説明

弾性粘性測定装置

【課題】 動いたり、熱損傷を受けやすい測定対象の弾性および粘性を非接触、非侵襲で測定する。生体に適用すれば、健康状態を診断することができる。
【解決手段】 励起光を発生させる励起レーザ光源10と、測定対象30に励起光を集光させると共に測定対象で発生した散乱光を捕捉する光学系20と、集光位置を移動させる集光位置移動手段201,202と、集光位置を測定する集光位置測定手段50と、捕捉された散乱光を光電変換すると共に散乱光のスペクトルを測定するスペクトル解析器40と、スペクトルからブリルアン周波数シフトとブリルアン線幅とを計算する計算機407とを備えた弾性粘性測定装置であって、励起光は周期的な光パルス列であり、散乱光は光パルス列に同期して検出される。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、熱損傷を受けやすい測定対象の弾性および粘性を非接触、非侵襲で測定する装置に関し、例えば、生体の弾性および粘性に基づいて健康状態等を診断することが可能な弾性粘性測定装置に関する。
【背景技術】
【0002】
弾性・粘性の診断技術としては、超音波エラストグラフィ、MRエラストグラフィ、光音響ビスコエラストメトリ、OCTエラストグラフィなどの従来技術が知られている。しかし、超音波エラストグラフィにおいては、超音波探触子または超音波伝達媒質(水やグリースなど)を測定対象物に接触させる必要があった。MRエラストグラフィにおいては、圧力波を励振するトランスデューサを測定対象物に接触させる必要があった。光音響ビスコエラストメトリにおいては、光音響波を測定するために圧電トランスデューサを測定対象物に接触させる必要があった。OCTエラストグラフィにおいても、測定対象物に応力を与える手段を接触させる必要があった。
【0003】
一方、弾性・粘性を非接触で測定する技術としてはブリルアン分光が知られている。ブリルアン分光は、測定対象物に励起光を照射し、発生したブリルアン散乱光のスペクトルを解析する測定手法である。生体から切離した組織標本を対象としたブリルアン分光は公知であり、例えば、非特許文献1(N. Berovic, et al, Eur. Biophys. J. Vol. 17, pp. 69-74 (1989))、非特許文献2(J. Randall, et al., Proc. R. Soc. Lond. Vol. B214, pp. 449-470 (1982))に開示されている。
【0004】
【非特許文献1】N. Berovic, et al, Eur. Biophys. J. Vol. 17, pp. 69-74 (1989)
【非特許文献2】J. Randall, et al., Proc. R. Soc. Lond. Vol. B214, pp. 449-470 (1982)
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0005】
ブリルアン散乱は物質内の弾性波による光散乱であり、励起光の光周波数をνとしてν+fおよびν−fの周波数を持つ散乱光が生じ、それぞれアンチストークス光およびストークス光と呼ばれる。周波数シフト量fはブリルアン周波数シフトと呼ばれ、次式で与えられる。
【0006】
【数1】

【0007】
ここでλは励起光波長、nは励起光波長での測定対象の屈折率、θは散乱角である。また、vは弾性波の音速であり、次式で与えられる。
【0008】
【数2】

【0009】
ここでc11は弾性行列の11成分であり、ρは媒質密度である。また、散乱光の線幅Δfは、次式で与えられる。
【0010】
【数3】

【0011】
ここでηおよびηはそれぞれずり粘性およびバルク粘性である。このように、ブリルアン散乱光のストークス光またはアンチストークス光を測定し、ブリルアン周波数シフトおよび線幅を測定することにより、測定対象の弾性および粘性に関する情報が得られる。
【0012】
しかし、生体そのものを対象としたブリルアン分光は行われていなかった。これは、従来のブリルアン分光では、測定時間が数分と長かったことや、励起光のパワーが高かったことなどが原因である。
そこで、本発明では生体そのものが対象であっても分析可能なブリルアン分光装置を開示する。
【0013】
すなわち、本発明が解決しようとする課題は、動いたり、熱損傷を受けやすい測定対象の弾性および粘性を非接触、非侵襲で測定する測定装置、および、生体の弾性および粘性に基づいて健康状態を診断する診断装置を実現すること、特に、眼底血管の弾性を診断することにより、動脈硬化症や脳梗塞の早期診断を実現することである。
【課題を解決するための手段】
【0014】
以上の目的を達成するために、本発明に係る測定装置は、
励起光を発生させる励起レーザ光源と、
測定対象の集光位置に励起光を集光させると共に前記測定対象で発生した散乱光を捕捉する光学系と、
捕捉された前記散乱光のスペクトルを測定すると共に前記スペクトルからブリルアン周波数シフト又はブリルアン線幅の少なくとも一方を算出するスペクトル解析手段とを備えた弾性粘性測定装置であって、
前記励起光は周期的な光パルス列であり、前記散乱光は前記光パルス列に同期して検出されることを特徴とする(請求項1)。
前記励起光の集光位置を測定する集光位置測定手段をさらに備えることが好ましい(請求項2)。
【0015】
前記スペクトル解析手段は、前記散乱光のスペクトルのパワーを積算して前記集光位置ごとに異なる記憶領域に記憶する記憶手段を有し、
前記集光位置測定手段は、測定対象の動きによる集光位置の変化を測定するものであり、
前記集光位置測定手段により測定された集光位置に対応した前記記憶手段の記憶領域に、測定された散乱光のスペクトルのパワーを積算して記憶することが好ましい(請求項3)。
【0016】
複数の集光位置からの散乱光をほぼ同時に検出する弾性粘性測定装置であって、
前記光学系は、前記励起光を複数の集光位置に時分割で集光させ、
前記スペクトル解析手段は、各々の集光位置からの散乱光のスペクトルのパワーを各々積算することが好ましい(請求項4)。
前記集光位置における励起光のスポット半径が3μm以下であることが好ましい(請求項5)。
【0017】
前記測定対象からの散乱光の波面を測定する波面測定手段と、
前記励起光の波面を調整する補償光学系とを備え、
前記波面測定手段により測定される波面が平坦となるように前記補償光学系を制御することが好ましい(請求項6)。
【0018】
前記測定対象の画像を撮影すると共に、前記励起光の集光位置を測定する撮像手段と、
前記画像から前記測定対象の特徴点を抽出する画像処理手段とを有し、
前記特徴点に基づき集光位置を移動させることが好ましい(請求項7)。
【0019】
前記光学系と前記測定対象の間の光軸方向距離を測定する距離測定手段と、
前記散乱光のパワーの光軸方向分布から深さ方向の基準点を抽出する計算機を備えることが好ましい(請求項8)。
【0020】
前記測定対象は眼底血管であり、
前記眼底血管からの散乱光スペクトルのブリルアン周波数シフトまたはブリルアン線幅の少なくとも一方を健常者の測定値と比較する手段を有することが好ましい(請求項9)。
【0021】
前記励起光は、繰り返し周波数をf[kHz]、パルス幅をt[ns]、波長をλ[nm]、平均パワーをP[dBm]として、
f>50
t>0.28
700<λ<1100
P<0.02(λ−700)−1.6
P<5.4
の全ての条件を満たすことが好ましい(請求項10)。
【発明の効果】
【0022】
本発明は、以上のような構成にすることにより、動いたり、光損傷を受けやすい測定対象でも、弾性および粘性を非接触、非侵襲で効果的に測定することができる。特に、測定対象が生体の眼底でも、測定対象を熱損傷させる危険がなく眼底血管の弾性を測定でき、動脈硬化症や脳梗塞の早期診断を実現することができる。
【0023】
特に、周期的な光パルス列(請求項1)を用いることにより、連続的なレーザ照射に比べて照射エネルギーの総量が小さくなり、レーザ光による測定対象への悪影響を軽減できるとともに、各々の光パルスの照射強度(パワー)を大きくできるので十分なSN比を確保できる。人体に対するレーザ光の最大許容露光量(MPE)はJIS C6802で規定されているが、励起光を周期的な光パルス列にすることにより、前記最大許容露光量(MPE)の範囲内で効果的にブリルアン散乱光の測定ができるようになる。さらに、励起光を請求項10に記載された光パルス列にすることにより、前記最大許容露光量(MPE)の範囲内で最も効果的にブリルアン散乱光の測定ができる。
また、集光位置測定手段(請求項2)を設けることにより、生体のような不規則な形状の測定対象に対しても、集光位置を目的の位置に正確に移動できる。従来の組織標本の場合は、予め決められた位置に測定対象が配置されるため光学系座標と測定対象座標とが一致しており、集光位置測定手段が無くても集光位置を目的の場所に移動できた。本発明では、測定対象における集光位置を求めるための集光位置測定手段を有しているため、生体のような光学系座標と測定対象座標が一致しない測定対象でもブリルアン分光の測定ができるようになった。
さらに、集光位置測定手段(請求項2)により、生体が動いて集光位置がずれても、集光位置のずれを検出して測定データを補正できる。従来は、動くことの無い組織標本などのブリルアン分光しか測定できなかったが、本発明では集光位置測定手段が集光位置のずれを検出するので、生体のような動く測定対象でもブリルアン分光の測定ができるようになった。
【0024】
また、集光位置を一点にしその部分の散乱光スペクトルを積算するとその部分のレーザ露光時間が長くなってしまい測定対象に悪影響を及ぼすが、励起光を複数の集光位置に時分割で集光させ、各々の集光位置からの散乱光のスペクトルのパワーを各々積算する(請求項4)ことにより、集光位置を複数にして複数の集光位置に交互に集光することができるようになり、各集光位置ごとのレーザ露光量(単位時間当たり)が小さくなるので、測定対象への悪影響を軽減できる。
また、波面測定手段及び補償光学系(請求項6)により、水晶体や光学系の収差によって集光位置におけるスポット径が大きくなることを抑制する。レーザのスポット径を小さくすることで、眼底の細動脈などの小さな測定対象でも正確にブリルアン散乱を測定できる。
また、眼底血管からの散乱光スペクトルのブリルアン周波数シフト又はブリルアン線幅の少なくとも一方を健常者の測定値と比較する(請求項9)ことで、血管の弾性の測定ができるようになり、循環器疾患および脳血管性認知症などの早期診断が可能になる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0025】
以下、本発明の実施形態の一例を図面に基づいて説明する。
図1は本例の弾性粘性測定装置の構成を簡略して示し、図中、10はレーザ光源、20は光学系、30は測定対象、40はスペクトル解析器(スペクトル解析手段)、50は照射位置測定器(集光位置測定手段)、60は補償光学系、70はディスプレイ、201a,201bは可動鏡(集光位置移動手段)、202は可動レンズ(集光位置移動手段)、404は記憶装置(記憶手段)、407,505は計算機、501はカメラ(撮像手段)、503はレーザ測距器(距離測定手段)、602は波面センサ(波面測定手段)をそれぞれ表す。
【0026】
レーザ光源10は励起光101のパルス列を出射する。励起光101は光学系20を経由して測定対象30に照射される。照射位置(集光位置)は照射位置測定器50によって制御・測定され、該測定値はアドレス信号406aとして記憶装置404に記憶される。
測定対象30では散乱光が発生する。θ=180度の方向に後方散乱された散乱光は光学系20を経由してスペクトル解析器40に入射し、スペクトル解析器40はブリルアン周波数シフトと線幅を測定する。該測定値は、照射位置(アドレス信号406b)と共に記憶装置404に記録される。
【0027】
レーザ光源10はパルス幅τ、繰り返し周波数f、ピークパワーPのパルス光を出射する。これらのパルスパラメータは、測定対象の光損傷が生じない範囲で測定のSN比が最良となるように選ばれることが望ましい。本発明は、このようなパルスパラメータの範囲を以下に開示する。
【0028】
まず、生体組織への照射が許容される光パワーに関しては、種々の実測結果に基づく指針として、JIS C6802が知られている。その内容を抜粋して図2に示す。図2は、目に入射するレーザ光の最大許容露光量(MPE)をまとめた表である。パワーの値は直径7mmの虹彩に入射するパワーの値であり、レーザ光の広がり角は視角よりも小さく、実質全てのレーザ光パワーが虹彩に入射する場合が想定されている。
JIS C6802に開示されているように、パルス幅(露光時間)をτ、繰り返し周波数をf、パルス数をNとして、
(要求1)単一パルスのエネルギーが露光時間τにおけるMPE以下、
(要求2)N個のパルスの合計エネルギーがパルス列の持続時間N/fにおけるMPE以下、
(要求3)単一パルスのエネルギーをN0.25倍した値が露光時間τにおけるMPE以下、
の3項目を満たすことが必要である。
【0029】
一方、本発明では、後述するように、ブリルアン散乱光のパルス列の繰り返し周波数に同期する同期信号102を同期検出器403で検出し、ブリルアン周波数シフトと線幅の測定値と共にデータ信号405を得て、記憶装置404に記憶する。そのため、励起光の平均パワーをP、ブリルアン散乱の反射率をR、光学系の損失をa、光電変換効率をη、光周波数をν、プランク定数をh、電子電荷をeとすると、信号電流iは、
【0030】
【数4】

【0031】
となる。一方、ノイズに関してはショットノイズが支配的であり、同期検出の帯域幅をΔfとするとノイズ電流iは、
【0032】
【数5】

【0033】
となる。従って、SN比は、
【0034】
【数6】

【0035】
となる。すなわち、励起光の平均パワーに比例してSN比が改善される。
【0036】
図3は許容励起光パワーの、パルス幅および繰り返し周波数に対する依存性を示す。図3(a)は波長800nm、図3(b)は1060nmにおける依存性であり、共にパルス列の持続時間は典型的な測定時間である1秒と仮定している。
図3に示すように、低い繰り返し周波数では許容励起光パワーの低下(従ってSN比の低下)が生じる。そのため、繰り返し周波数は10kHz以上が好ましく、それによって許容パワーの低下を5dB以下に抑えることができる。さらに、繰り返し周波数は50kHz以上が好ましく、それによって許容パワーの低下を避けることができる。なお、繰り返し周波数と共に許容パワーが増大する低周波領域では前記(要求3)が制限要因であり、繰り返し周波数に対して許容パワーが一定となる高周波領域では前記(要求2)が制限要因となる。
【0037】
また、図4は繰り返し周波数を50kHz以上とした場合の許容パワーPの波長λに対する関係を示す。許容パワーPは次式で表される。
【0038】
【数7】

【0039】
後述のように、本発明においては励起光の波長は700〜1100nmが好ましいが、その中でも特に波長1050nm〜1100nmは許容パワーが高く生体への危険度が相対的に低いので好ましい。
【0040】
一方、実現可能なパルス幅τは繰り返し周波数fの増大と共に1/fに従って低下するが、過度に小さなパルス幅は、ブリルアン散乱光のスペクトルを拡散させるので好ましくない。スペクトル拡散が生じるのはパルス幅が測定対象の音響寿命を下回ると生じることが知られている。音響寿命τはブリルアンゲイン線幅Δfによって
【0041】
【数8】

【0042】
と表される。非特許文献2によれば、ヒトの眼の水晶体辺縁部の組織標本でΔf=0.65GHz、水晶体の核の組織標本でΔf=0.84GHzと報告されている。測定条件は、λ=488nm、n×sin(θ/2)=sin(π/4)である。一方、水晶体の屈折率は約1.41と知られている。従って、本発明のように後方散乱で測定する場合は、前記式[数3]より、
【0043】
【数9】

【0044】
と予測されるので、パルス幅τは、
【0045】
【数10】

【0046】
を満たすことが好ましい。後述するように、本発明において好ましい波長範囲は700〜1100nmであるので、パルス幅は0.28ns以上とするのが好ましい。
従って、繰り返し周波数fとパルス幅τに関する好ましい範囲は、f>50kHzかつτ>0.28nsかつfτ<1となり、図5のように示される。この範囲のパルスパラメタを用いることにより、光損傷が起らない範囲でSN比を最大化でき、散乱光スペクトル広がりによる周波数精度の低下を防ぐことができる。
【0047】
本例のように眼底302を測定対象とする場合、励起光101の波長は700〜1100nmが好ましい。700nmより短波長では、網膜色素上皮による光吸収による深達度の低下や、光化学作用による組織傷害が生じうる。1100nmより長波長では、眼房水による光吸収のため眼底血管まで光が十分に到達しない。波長700〜1100nmを用いることにより、これらの問題を避けることができる。
【0048】
レーザ光源10から出射した励起光101は、共焦点光学系を構成するためのレンズ104a,104bとピンホール105を経由して光学系20に入射する。光学系20は可動鏡201a,201bと可動レンズ202によって励起光101のスポット位置(照射位置)を3次元的に調整し、測定対象30に照射する。
【0049】
測定対象30は、例えば眼底302の細動脈の動脈壁が好ましく、それによって血管の弾性を診断することができる。高血圧症などの循環器疾患では眼底細動脈の形態変化が生じることが知られているが、多くの血管において弾性の変化は形態変化に先立って生じるため、弾性の診断は循環器疾患の早期の診断に有効である。
例えば、性別や年齢毎に健常者の眼底細動脈のブリルアン周波数シフトまたは線幅の値を正常範囲として測定しておき、被験者における値が正常範囲に属するか否かを計算機407で判定することによって循環器疾患のリスクを診断することができる。
また、認知症の原因の一つとして脳内の細動脈に梗塞ができるラクナ梗塞が知られているが、このとき眼底細動脈でも同様に梗塞が生じる可能性が考えられるため、眼底細動脈の弾性診断は認知症の診断にも有効である。また、細動脈の中の血液を測定対象とすることも好ましく、それによって眼底での血圧を診断することができる。
【0050】
動脈壁を測定対象とした場合の励起光ビームと測定対象の配置を図6(a)に模式的に示す。図中の101は励起光、111はその励起光のスポット、303は細動脈、304は内腔、305は周囲組織を表す。
【0051】
励起光101によって照射された測定対象において自然ブリルアン散乱が発生する。自然ブリルアン散乱によって真後ろに後方散乱される光パワーの、励起光パワーに対する比を反射率Rとすると、反射率Rは文献:R. W. Boyd and K. Rzazewski, Phys. Rev. A, Vol. 42, pp. 5514-5521, (1990) によって次式で与えられる。
【0052】
【数11】

【0053】
ここで、gはブリルアンゲイン係数、hはプランクの定数、νは光周波数、Lは相互作用長、Aはビーム断面積である。また、<n>はフォノン数であり、
【0054】
【数12】

【0055】
で与えられる。kはボルツマン定数、Tは絶対温度である。上式より、反射率はビーム断面積に反比例するので、励起光のビームスポット111は小さいほど好ましい。そのため、励起光は0次のガウシアンビームとするのが好ましい。ガウシアンビームのビーム半径w(z)は次式で表される。
【0056】
【数13】

【0057】
ここでzはスポット位置を原点とする光軸方向座標、nは測定対象物の屈折率、wはビームウエスト半径である。上式に示されるように、ガウシアンビームでは光軸方向にスポット径が変化するので、前記式[数11]におけるビーム断面積Aを次式の実効ビーム断面積Aeffに置き換える必要がある。
【0058】
【数14】

【0059】
上式よりw→0またはL→∞のとき反射率は最大となって理想的であるが、実際にはLは測定対象によって制限されており、wも有限値をとるため、理想的な場合に比べて反射率が低下する。
【0060】
眼底細動脈303を測定対象とする場合、相互作用長Lは約100μm、屈折率nは約1.41であるので、反射率の低下率は図6(b)のようになる。図6(b)より、スポット半径を3.0μm以下とするのが好ましく、それによって反射率の低下率(=最大値からの低下幅/最大値)を50%以下に抑えることができる。
【0061】
また、このように小さなスポット半径を実現するためには、補償光学系60を用いることが好ましい。
文献:B. Hermann, et al., Opt. Lett. Vol. 29, pp. 2142-2144, (2004). に示されているように、補償光学系を用いない場合は、水晶体301や光学系の収差のためにスポット直径が15〜20μm以上となることが多いが、補償光学系60を用いることによって、5〜10μmに改善される。
補償光学系60は、測定対象30からの散乱光を分岐する半透鏡603、散乱光の波面を測定する波面センサ602、励起光の波面を変調するデフォーマブルミラー601と、波面センサ602の測定結果が平坦波面となるようにデフォーマブルミラー601を制御する制御信号604からなる。
【0062】
本発明では、スポット位置(照射位置)における弾性・粘性を測定するのと共に、測定対象物内の基準点に対するスポットの位置を測定する。それにより、生体を測定対象とした場合においても、拍動などの動きによって測定精度が低下するのを防ぐことができる。
【0063】
弾性・粘性の測定はスペクトル解析器40によって行われ、スポット位置測定は照射位置測定器50によって行われる。測定結果は計算機407で処理され、2次元画像又は3次元画像としてディスプレイ70に表示される。
【0064】
スペクトル解析器40は、捕捉された散乱光を光電変換すると共に該散乱光のスペクトルを測定するもので、ブリルアン散乱光を抽出する光フィルタ401、この光フィルタ401で抽出されたブリルアン散乱光のパワーを測定する光検出器402、同期信号102を検出して光検出器402による測定値と共にデータ信号405として記憶装置404に記憶させる同期検出器403と、記憶装置404及び計算機407を有する。
光フィルタ401は透過波長を可変とし、その透過波長を変えることによってブリルアン散乱光のスペクトルを抽出する。散乱光は、光路上の半透鏡103aを経由して光フィルタ401に入射する。
記憶装置404は、照射位置ごとに異なる記憶領域を有し、散乱光のスペクトルのパワーを積算して記憶する。
計算機407は、記憶装置404に蓄積された散乱光のスペクトルからブリルアン周波数シフトとブリルアン線幅とを計算する。
【0065】
照射位置測定器50は、眼底302の画像を撮影すると共に励起光の照射位置を測定するカメラ501、その撮影のためのガイド光源502、光学系20と測定対象30の間の距離を測定するレーザ測距器503、散乱光を検出する光検出器504、後述の処理を行う計算機505を備える。
ガイド光源502から照射されたガイド光は、光路上に配設した半透鏡103bを経由して励起光101に合波する。カメラ501で撮像する眼底の画像は、光路上に配設した半透鏡103cを経由してカメラ501に入射する。レーザ測距器503で距離測定を行うためのレーザ光は、光路上に配設した半透鏡103dを経由してレーザ測距器503に入射する。光検出器504に入射する散乱光は、光路上に配設した半透鏡103eを経由して光検出器504に入射する。
計算機505は、カメラ501で撮影された画像から測定対象の特徴点を抽出する画像処理手段を有する。また、計算機505は、散乱光のパワーの光軸方向分布から深さ方向の基準点を検出する手段を有する。
【0066】
測定のシーケンスは図7に示される。
第1に、照射位置測定器50の中のカメラ501によって眼底302の画像が撮影される(第1ステップ:S1)。
【0067】
第2に、計算機505の画像処理手段によって眼底画像から特徴点を抽出し、その特徴点を用いてxy座標を定義する(第2ステップ:S2)。
特徴点としては、視神経乳頭もしくは眼底血管の分岐点を選択することが好ましい。これらの特徴点は経時変動が小さく誤認識の可能性も低いので、期間をおいて繰り返し測定する場合にも再現性が高いため、経過観察や治療評価への応用に適している。特徴点は3点以上抽出することが好ましく、特徴点を頂点とする多角形の内部にスポット位置が存在するように選択することが好ましい。それにより、測定対象部位の変位が空間的に一様で無い場合でもスポット位置を高い精度で測定することができる。
【0068】
第3に、測定対象とする部位を選択する(第3ステップ:S3)。
これは診断の目的により、動脈、静脈やその周囲の神経組織を選択することができる。
【0069】
第4に、弾性散乱(レイリー散乱)強度の深さ方向(z'方向)分布を測定する(第4ステップ:S4)。
弾性散乱(レイリー散乱)は測定対象から発する散乱光パワーの大きな割合を占めるので、散乱光を光検出器504で測定することによって弾性散乱(レイリー散乱)強度を測定できる。また、深さ方向分布は光学系20の可動レンズ202を動かすことによって測定することができる。
【0070】
第5に、弾性散乱(レイリー散乱)強度の深さ方向分布から深さ方向の基準点を抽出する(第5ステップ:S5)。
深さ方向の基準点としては、網膜表面や血管内表面、網膜、色素上皮界面を選ぶことが好ましく、散乱強度のコントラストが高いため基準点の測定再現性が高い。ここで、深さ方向分布を表現するのに用いられているz'座標は可動レンズ202の位置に基づいている。この測定により、光学系の座標z'と組織(網膜や血管など)との対応関係を得ることができる。
【0071】
但し、測定対象が測定中に動きうる場合は、上記の情報に加えて動きの情報を取得し、動きの影響を補正する必要がある。
そこで、第6に、光学系と測定対象の間の距離を、レーザ測距器503で測定し(第6ステップ:S6)、この値をzとする。さらに後述のように、測定中にも光学系と測定対象の間の距離zを測定することにより、測定対象の動き(z−z)の情報を取得できる。この値をz’にオフセットとして加えることにより、動きに影響されない測定対象座標を得ることができる。レーザ測距器503は短時間での測定が可能なので、このような動きの補正への使用に適している。
【0072】
第7に、ここまでのステップで定義された測定対象座標を用いて目標スポット位置を設定する(第7ステップ:S7)。
【0073】
第8に、カメラ501で眼底を撮影してスポット位置と特徴点の位置を測定し、スポットのxy位置を測定する(第8ステップ:S8)。
このとき、波長700〜1000nmのガイド光源502を励起光101に合波してガイド光源502のスポット位置を測定することが好ましい。それにより、高い感度を低いコストで実現可能なシリコンを受光素子としたカメラ501を使用することができる。
【0074】
第9に、レーザ測距器503を用いて光学系20と測定対象30の間の距離(z)を測定する(第9ステップ:S9)。
【0075】
第10に、測定結果と目標位置を比較する(第10ステップ:S10)。
差異があれば第8ステップ:S8のスポット位置調整にフィードバックしてスポット位置をリアルタイムに修正する(S10’)。
【0076】
第11に散乱光スペクトルをスペクトル解析器40で測定する(第11ステップ:S11)。
【0077】
第12にそのスペクトルを記憶装置404に蓄積する(第12ステップ:S12)。
ここで蓄積するための記憶領域はスポット位置毎に割り当てられ、第9ステップ:S9で測定されたスポット位置に従って蓄積する。スペクトル測定は原理的には1つのパルスによって行うことができるが、実際には自然ブリルアン散乱の低い信号レベルのため、多数のパルスによる測定結果を蓄積してSN比を改善することが望ましい。このとき仮に測定対象の動きによってスポット位置が所期の位置から変わったとしても、位置をリアルタイムで測定して位置毎に割り当てられた記憶装置404の記憶領域に蓄積を行うことによって、動きによる測定精度低下を抑制することができる。
【0078】
第13に、光フィルタ401で抽出したスペクトルから周波数シフトおよび線幅を計算機407で算出する(第13ステップ:S13)。
スペクトル解析器40では可変の光フィルタ401によってブリルアン散乱光を抽出し、そのパワーを光検出器402で測定し、フィルタの透過波長を変えることによってブリルアン散乱光のスペクトルを抽出する。
【0079】
他のスペクトル測定方式として、光ヘテロダイン検出や角度分散型分光器も用いることができる。測定対象物の動きによってスペクトル測定中にスポットの相対位置(測定対象を基準とした位置)が変化しうるが、照射位置測定器50によって測定されたスポットの相対位置を記憶アドレスに対応させ、散乱光パワーに対応するデータ信号405をスポット位置毎に積算することにより、動きによる測定精度低下を防ぐことができる。
また、フィルタの透過波長もアドレスに対応させることにより、スペクトル情報を記録することができる。
【0080】
また、測定対象である生体に取付けられた心電計80から得られる拍動信号をアドレス信号406cとし、拍動の位相毎に散乱光パワーを記録しても良く、それによって拍動の影響を簡便に補償することができる。
【0081】
また、能動的に照射位置を変えて測定することにより、弾性および粘性の空間分布の測定も可能となる。このとき、積算時間をTとすると、照射位置毎に時間Tの積算を次々と行う方式(図8(a))よりも、mを整数として時間T/mでの積算を各々の照射位置で行うことを一単位として、これをm単位行う方式(図8(b))が好ましい。いずれの方式とも積算時間はTであるので、SN比を与える前記式[数6]における帯域幅Δfは等しいが、図8(a)の場合は露光時間がTの時の許容励起光パワーが適用されるのに対し、図8(b)の場合は露光時間がT/mの時の許容励起光パワーが適用される。
【0082】
図9は繰り返し周波数が50kHz、波長が1060nmの時の許容励起光パワーを露光時間の関数として示す。許容励起光パワーを高くしてSN比を高くするためには、露光時間は短いことが好ましく、従って上記のmが大きいことが好ましい。一方、時間T/m毎に照射位置を調整する必要があるため、T/mは照射位置調整機構の動作時間と同程度かそれ以上であることにより、位置調整のためのオーバーヘッドを低減することができるので好ましい。典型的な位置調整はモータで駆動された鏡またはレンズによって行わるため、T/m=1〜100msが好ましい。
【0083】
以上、本発明の実施形態例を説明したが、本発明は本例に限定されるものではなく、特許請求の範囲に記載された技術的思想の範疇において各種の変更が可能であることは言うまでもない。
【図面の簡単な説明】
【0084】
【図1】本発明に係る弾性粘性測定装置の実施形態の一例を示す模式図。
【図2】目に入射するレーザ光の最大許容露光量(MPE)に関するJIS C6802からの抜粋。
【図3】許容励起光パワーのパルス幅および繰り返し周波数に対する依存性を示すグラフで、(a)は波長800nmにおける依存性、図3(b)は1060nmにおける依存性を示す。
【図4】繰り返し周波数を50kHz以上とした場合の許容パワーPの波長λに対する関係を示すグラフ。
【図5】繰り返し周波数fとパルス幅τに関する好ましい範囲を示すグラフ。
【図6】(a)動脈壁を測定対象とした場合の励起光ビームと測定対象の配置を模式的に示す図、(b)眼底細動脈を測定対象とする場合のスポット半径に対する反射率低下率を示すグラフ。
【図7】図1の弾性粘性測定装置による測定のシーケンスを示すフローチャート。
【図8】能動的に照射位置を測定する場合の測定位置と励起光パルスの関係を示すタイムチャートで、(a)は照射位置毎に時間Tの積算を次々と行う方式、(b)はmを整数として時間T/mでの積算を各々の照射位置で行うことを一単位としてこれをm単位行う方式をそれぞれ示す。
【図9】繰り返し周波数が50kHz、波長が1060nmの時の許容励起光パワーを露光時間の関数として示すグラフ。
【符号の説明】
【0085】
10:レーザ光源
20:光学系
30:測定対象
40:スペクトル解析器(スペクトル解析手段)
50:照射位置測定器(集光位置測定手段)
60:補償光学系
70:ディスプレイ(画像処理手段)
80:心電計
201a,201b:可動鏡(集光位置移動手段)
202:可動レンズ(集光位置移動手段)
404:記憶装置(記憶手段)
407:計算機
505:計算機(画像処理手段を含む)
501:カメラ(撮像手段)
602:波面センサ(波面測定手段)

【特許請求の範囲】
【請求項1】
励起光を発生させる励起レーザ光源と、
測定対象の集光位置に励起光を集光させると共に前記測定対象で発生した散乱光を捕捉する光学系と、
捕捉された前記散乱光のスペクトルを測定すると共に前記スペクトルからブリルアン周波数シフト又はブリルアン線幅の少なくとも一方を算出するスペクトル解析手段とを備えた弾性粘性測定装置であって、
前記励起光は周期的な光パルス列であり、前記散乱光は前記光パルス列に同期して検出されることを特徴とする弾性粘性測定装置。
【請求項2】
前記励起光の集光位置を測定する集光位置測定手段をさらに備えていることを特徴とする請求項1記載の弾性粘性測定装置。
【請求項3】
前記スペクトル解析手段は、前記散乱光のスペクトルのパワーを積算して前記集光位置ごとに異なる記憶領域に記憶する記憶手段を有し、
前記集光位置測定手段は、測定対象の動きによる集光位置の変化を測定するものであり、
前記集光位置測定手段により測定された集光位置に対応した前記記憶手段の記憶領域に、測定された散乱光のスペクトルのパワーを積算して記憶することを特徴とする請求項2記載の弾性粘性測定装置。
【請求項4】
複数の集光位置からの散乱光をほぼ同時に検出する弾性粘性測定装置であって、
前記光学系は、前記励起光を複数の集光位置に時分割で集光させ、
前記スペクトル解析手段は、各々の集光位置からの散乱光のスペクトルのパワーを各々積算することを特徴とする請求項1ないし3のいずれかに記載の弾性粘性測定装置。
【請求項5】
前記集光位置における励起光のスポット半径が3μm以下であることを特徴とする請求項1ないし4のいずれかに記載の弾性粘性測定装置。
【請求項6】
前記測定対象からの散乱光の波面を測定する波面測定手段と、
前記励起光の波面を調整する補償光学系とを備え、
前記波面測定手段により測定される波面が平坦となるように前記補償光学系を制御することを特徴とする請求項1ないし5のいずれかに記載の弾性粘性測定装置。
【請求項7】
前記測定対象の画像を撮影すると共に、前記励起光の集光位置を測定する撮像手段と、
前記画像から前記測定対象の特徴点を抽出する画像処理手段とを有し、
前記特徴点に基づき集光位置を移動させることを特徴とする請求項1ないし6のいずれかに記載の弾性粘性測定装置。
【請求項8】
前記光学系と前記測定対象の間の光軸方向距離を測定する距離測定手段と、
前記散乱光のパワーの光軸方向分布から深さ方向の基準点を抽出する計算機を備えることを特徴とする請求項1ないし7のいずれかに記載の弾性粘性測定装置。
【請求項9】
前記測定対象は眼底血管であり、
前記眼底血管からの散乱光スペクトルのブリルアン周波数シフト又はブリルアン線幅の少なくとも一方を健常者の測定値と比較する手段を有することを特徴とする請求項1ないし8のいずれかに記載の弾性粘性測定装置。
【請求項10】
前記励起光は、繰り返し周波数をf[kHz]、パルス幅をt[ns]、波長をλ[nm]、平均パワーをP[dBm]として、
f>50
t>0.28
700<λ<1100
P<0.02(λ−700)−1.6
P<5.4
の全ての条件を満たすことを特徴とする請求項1ないし9のいずれかに記載の弾性粘性測定装置。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【図8】
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【図9】
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【公開番号】特開2008−39635(P2008−39635A)
【公開日】平成20年2月21日(2008.2.21)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2006−215681(P2006−215681)
【出願日】平成18年8月8日(2006.8.8)
【出願人】(000002130)住友電気工業株式会社 (12,747)
【Fターム(参考)】