説明

拡散硬化処理性に優れた生体用コバルト・クロム基合金鋳造基材、生体用摺動合金部材および人工関節

【課題】例えば浸炭処理、窒化処理等の拡散硬化処理を施したときに、基材表面の均一な硬化を十分に図ることのできる生体用コバルト・クロム基合金鋳造基材、および該コバルト・クロム基合金鋳造基材に上記浸炭処理、窒化処理等の拡散硬化処理を施して得られる、優れた耐摩耗性を安定して発揮する生体用摺動合金部材を提供する。
【解決手段】コバルト・クロム基合金からなる生体用鋳造基材であって、窒素(N)を0.1質量%以上含むと共に、金属組織におけるfcc(面心立方格子)相の体積分率が50%以上であることを特徴とする拡散硬化処理性に優れた生体用コバルト・クロム基合金鋳造基材。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、拡散硬化処理性に優れた生体用コバルト・クロム基合金鋳造基材、生体用摺動合金部材および人工関節に関するものであり、例えば浸炭処理、窒化処理等の拡散硬化処理により基材表面の均一な硬化を図ることのできる(本発明では、この様な特性を「拡散硬化処理性に優れた」という)生体用コバルト・クロム基合金鋳造基材、該コバルト・クロム基合金鋳造基材に上記浸炭処理、窒化処理等の拡散硬化処理を施して得られる、優れた耐摩耗性を安定して発揮する生体用摺動合金部材、および該生体用摺動合金部材を用いた人工関節に関するものである。
【背景技術】
【0002】
コバルト・クロム基合金は、生体用金属材料の中でも生体適合性、強度、耐摩耗性、耐食性に優れているため、古くから人工股関節等の人工関節の摺動部材、インプラント部材等に用いられている。例えば特許文献1には、成分組成を規定したコバルト−クロム−モリブデン合金が示されている。また特許文献2には、塑性加工性を向上させることを目的に、成分組成およびγ相量を規定したCo基合金の製造方法が示されている。
【0003】
この様なコバルト・クロム基合金を、特に生体用摺動部材に用いる場合、その表面が摩耗しやすいことから、表面硬化のための処理として、例えば浸炭処理、窒化処理等が一般に行われている。例えば特許文献3、特許文献4には、コバルト・クロム基合金材料に浸炭処理を施す方法、およびそれによって達成される特性(耐食性を低下させずに表面硬度と耐摩耗性を向上させる等)が示されている。
【0004】
また特許文献5には、Co−Cr−Mo合金を含む金属材料に対し、拡散硬化処理を施すことが開示されており、具体的には、内部酸化法や内部窒化法、窒素、酸素または炭素を使用する付加的な隙間的拡散強化法により、合金表面の強化と硬化を図った旨が記載されている。
【特許文献1】特開昭54−10224号公報
【特許文献2】特開2008−111177号公報
【特許文献3】特表2005−524772号公報
【特許文献4】特開2007−277710号公報
【特許文献5】特許第3471041号公報
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0005】
しかしコバルト・クロム基合金からなる基材は、その製造方法、添加元素量、熱処理等によってミクロ組織(以下、金属組織、または単に組織ということがある)が大きく変化し、結果として特性も大きく変化する。その中でも特に、代表的な基材の製造方法である金属を溶かして型に流し込み、凝固させることによって得られる鋳放し状態のものは、組織が非常に不均一な状態(溶融金属が凝固する過程で生じる元素濃度の偏り(偏析)が存在する状態をいう。以下同じ)となっている。
【0006】
上記不均一な状態の組織を均一にする方法として、鋳放し状態の合金を高温で長時間熱処理することが挙げられる。一方、近年では、人工関節の代表的な摺動部材の組み合わせとして、コバルト・クロム基合金摺動部材とコバルト・クロム基合金摺動部材を組み合わせる場合があるが、この様な組み合わせの場合、該コバルト・クロム基合金中の炭素量を高め、炭素と金属の化合物である炭化物をより多く分散させることにより、耐摩耗性が高められる知見が得られている。よって、該炭化物が消失してしまう高温での熱処理を行わない場合が多い。
【0007】
上記の通り、耐摩耗性向上のため高温の熱処理を行わない傾向にあるが、該高温での熱処理を行わないままでは、組織の不均一な基材に対し、浸炭処理、窒化処理等の拡散硬化処理を施すことなる。しかし組織の不均一な基材に対して拡散硬化処理を施すと、同一処理面で、局所的な硬化不足が生じたり、硬化処理層の厚さ方向で固溶元素(例えば浸炭処理における炭素)が再現性のない元素濃度分布を示すなどして、耐摩耗性にバラツキが生じやすい、といった問題がある。
【0008】
本発明はこの様な事情に鑑みてなされたものであって、その目的は、拡散硬化処理を施した場合に、基材表面の均一な硬化を十分に図ることのできる生体用コバルト・クロム基合金鋳造基材、該コバルト・クロム基合金鋳造基材に上記拡散硬化処理を施して得られる、優れた耐摩耗性を安定して発揮する生体用摺動合金部材、および該生体用摺動合金部材を用いて得られる信頼性の高い人工関節を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0009】
本発明に係る生体用コバルト・クロム基合金鋳造基材とは、コバルト・クロム基合金からなる生体用鋳造基材であって、窒素(N)を0.1質量%以上含むと共に、金属組織におけるfcc(面心立方格子)相の体積分率が50%(金属組織において、%は体積%を示す。以下同じ)以上であるところに特徴を有している。
【0010】
前記コバルト・クロム基合金の前記N量は、上限が0.25質量%であることが好ましく、かつN以外の元素の含有量は、ASTM F75−07に規定の範囲内にあることが好ましい。
【0011】
本発明のコバルト・クロム基合金鋳造基材は、前記金属組織の平均結晶粒径が1000μm以上のものでもある。
【0012】
本発明には、前記コバルト・クロム基合金鋳造基材であって鋳放し状態のものに、拡散硬化処理(例えば浸炭処理)を施して得られる生体用摺動合金部材も含まれる。更には、摺動面を構成する2つの摺動部材がコバルト・クロム基合金摺動部材からなる人工関節であって、前記コバルト・クロム基合金摺動部材の少なくとも1つが、前記生体用摺動合金部材である点に特徴を有する人工関節も含まれる。
【発明の効果】
【0013】
本発明によれば、組織が不均一となりやすい鋳放し状態のコバルト・クロム基合金鋳造基材を拡散硬化処理に供した場合であっても、該拡散硬化処理により均一な硬化層の形成された生体用摺動合金部材を得ることができる。その結果、高強度かつ優れた耐摩耗性、更には優れた耐食性を安定して発揮し続ける生体用摺動合金部材、および該生体用摺動合金部材を用いて得られる信頼性の高い人工関節等を提供できる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0014】
本発明者は、特に、拡散硬化処理により、局所的な硬化不足のない均一な硬化層を得ることのできる生体用コバルト・クロム基合金鋳造基材を実現すべく鋭意研究を行った。その結果、該コバルト・クロム基合金鋳造基材の金属組織を、結晶構造がfcc(面心立方格子)である相(fcc相、γ相ともいう)が一定量以上占める組織とすればよいことを見出した。以下、本発明について詳述する。尚、下記では、拡散硬化処理の代表例として浸炭処理を行った場合について述べているが、本発明はこれに限定されず、後述する通り、拡散硬化処理として、窒化処理やホウ化処理、酸化処理等を行った場合についても、本発明の技術的範囲に含まれる。
【0015】
まず本発明者は、局所的な硬化不足の発生が金属組織に起因しているのではと考え、種々の金属組織のコバルト・クロム基合金鋳造基材(鋳放し状態)を作製し、後述する実施例に示す方法で、浸炭処理を行った後、浸炭処理材の同一面内において、複数箇所のビッカース硬度(以下、単に硬度ということがある)を測定した。測定は、ビッカース硬度測定装置を用い、荷重50gfとして、1個の試料につき任意の10箇所を測定した。
【0016】
その結果、同一面内において硬度がばらついた試料と、硬度のバラツキがほとんど生じなかった試料があることが分かった。そこで、同一面内において硬度がばらついた(以下、この様に、同一面内において生じた硬度のバラツキを「硬度ムラ」ということがある)試料(後述する実施例のNo.2)と、上記硬度ムラがほとんど生じなかった試料(後述する実施例のNo.7)を対象に、硬度ムラの状態や発生原因について調べた。
【0017】
まず、硬度ムラが生じた試料(No.2)について、同一面内で測定した上記複数箇所のビッカース硬度を、比較的高い硬度と比較的低い硬度に分けた結果、表1に示す通り、比較的高い硬度は、鋳造後から存在している析出物(炭化物)の周囲を測定したものであり、一方、比較的低い硬度は、該析出物から離れた領域を測定したものであることがわかった。このことは、図1として示すNo.2のビッカース圧痕写真(光学顕微鏡写真、圧痕が小さいほど硬さが硬いことを示している)において、析出物の周囲とそれ以外の領域でビッカース圧痕の大きさが相違していることからも確認できる。尚、No.7で測定したビッカース硬度を、析出物(炭化物)の周囲とそれ以外の領域(該析出物から離れた領域)に分けた結果も表1に併記している。また、No.7のビッカース圧痕写真を図2に示すが、これら表1および図2から、No.7については、測定箇所に関係なく硬度がほぼ一定であることがわかる。
【0018】
【表1】

【0019】
更に、上記硬度ムラの発生原因をつきとめるため、上記No.2の金属組織を調べた。具体的には、電子線後方散乱回折(Electron Back Scattering Pattern、EBSP)法により浸炭処理前のNo.2の基材の結晶方位解析を実施した。その結果を図3に示す。図3(a)の青色領域がfcc相の領域を示しており、図3(b)の赤色領域がhcp相(六方最密格子、ε相ともいう)の領域を示している。この図3から、不定形の析出物の周囲がfcc相の領域となっており、析出物から離れた領域はhcp相となっていることがわかる。
【0020】
この図3に示された組織と、前記図1に示したビッカースの圧痕写真から、浸炭処理前の組織において、fcc相である析出物の周囲は、浸炭処理後の硬さが硬いが、析出物から離れたhcp相である領域は、浸炭処理後の硬さが上記析出物の周囲よりも低くなっていることがわかる。
【0021】
尚、ビッカース硬さ(ビッカースの圧痕)が測定箇所によらずほぼ一定であるNo.7の、EBSPによる結晶方位解析結果を図4に示す。図4において、緑色、青緑色および青色の部分は、fcc相の領域を示している。この図4から、No.7については、浸炭処理前の組織が、ほとんどfcc相で占められた組織となっていることがわかる。
【0022】
硬度ムラが、浸炭処理により生じるものか(浸炭処理前についてはどうか)についても調べた。即ち、上記No.2およびNo.7のそれぞれの浸炭処理前の基材について、上記の通り、ビッカース硬度を測定すると共にビッカース圧痕の写真を撮影した。その結果を表2と図5に示す。
【0023】
【表2】

【0024】
この表2と図5から、浸炭処理前は、No.2およびNo.7のどちらにおいても、同一面内の硬さはほぼ均一であり、硬度ムラは、浸炭処理を施すことによって生じることがわかる。
【0025】
これらの結果から、浸炭処理前の基材の組織に占めるhcp相の割合がfcc相よりも著しく多いと、浸炭処理後の上記hcp相領域の硬さが低くなるため、硬度ムラが著しくなるが、浸炭処理前の基材の組織に占めるfcc相の割合を高くすれば、浸炭処理を施したときに、硬さの高い領域を多く確保でき、かつ硬度ムラを抑制できることを見出した。
【0026】
そこで本発明者は、浸炭処理前の基材の組織において、浸炭処理後に高硬度となるfcc相をどの程度確保すればよいかについて検討した。具体的には、後述する実施例の表3に示す通り成分組成を変化させて、上記fcc相の体積分率の異なる種々のコバルト・クロム基合金鋳造基材を作製し、各基材の硬度ムラを調べた。その結果、浸炭処理前の基材の組織に占めるfcc相の体積分率を50%以上とすれば、浸炭処理後、炭化物の有無や存在位置に関係なく、ビッカース硬度が同一面内でほぼ一定となり、局所的な硬化不足のない均一な硬化層が得られることがわかった。
【0027】
硬度の面内均一性は、上記fcc相の割合が多くなるほど高くなることから、fcc相の体積分率が、好ましくは60%以上、より好ましくは70%以上占めるものがよい。一方、後述する通り、ASTM F75−07においてN含有量の上限が、強度・延性バランスを確保する観点から0.25質量%に規定されていることを考慮すると、上記fcc相の体積分率の上限は85%程度となる。
【0028】
尚、本発明では、上記の通り基材の組織に占めるfcc相の割合を50%以上とすればよく、本発明には、基材の製造過程等で必然的に残存し得るその他の組織が存在する場合も含みうる。具体的には、上記hcp相や、炭化物、窒化物、炭窒化物、金属間化合物等の析出物などが含まれうる。
【0029】
次に本発明者は、上記fcc相が50%以上占める組織を得るための具体的方法について検討を行った。尚、上述した通り、高温の熱処理を施すと組織の均一化を図ることが可能であるが、炭化物が消失して基材の耐摩耗性が低下する等の不具合が生じることから、本発明では、製造条件よりも特に成分組成に着目して検討を行った。
【0030】
まず、後述する実施例の表3に示す通り、成分組成が種々のコバルト・クロム基合金鋳造基材を作製し、各基材の金属組織に占めるfcc相の割合を後述する実施例に示す方法で測定し、各成分元素と該fcc相の割合との関係について調べた。その結果、種々の成分元素のうち、Nの含有量がfcc相の割合と相関があることを見出した。
【0031】
図6は、上記コバルト・クロム基合金鋳造基材のN量(窒素含有量)とfcc相の体積分率を整理して得たグラフである(尚、グラフ中の付記番号は、後述する実施例の表3のNo.を示す。後述する図7、図9についても同じ)。この図6より、前記基材のN量とfcc相の体積分率の間には相関があり、N量が少ないとfcc相が極端に少なくなること、およびNを0.1質量%以上含有させることによって、50%以上のfcc相を安定して確保できることを見出した。
【0032】
尚、参考までに、N以外の成分としてCの含有量(炭素含有量)とfcc相の体積分率の関係を示したグラフを図7に示す。この図7から明らかな通り、前記基材のC量とfcc相の体積分率との間には相関が全くみられないことがわかる。
【0033】
本発明では、この様にコバルト・クロム基合金鋳造基材におけるN量を0.1%以上とすることによって、鋳造したままの状態(鋳放し状態)であっても、コバルト・クロム基合金鋳造基材を構成する代表的な結晶構造であるfcc相とhcp相の2種の割合を、fcc相:50%以上の安定した組織に制御することができ、結果として、浸炭処理等の拡散硬化処理を施したときに、再現性の高い、硬度の均一な硬化層が得られる点に特徴がある。
【0034】
金属組織に占めるfcc相の体積分率を、前述の通り、好ましくは60%以上と高めて硬度のより均一な硬化層を拡散硬化処理で得るには、N量を0.15質量%以上とすることが好ましい。また、fcc相の体積分率を、より好ましくは70%以上と高めて硬度の一層均一な硬化層を拡散硬化処理で得るには、N量を0.20質量%以上とすることがより好ましい。
【0035】
尚、特許文献1や特許文献2にN量を規定した旨記載があるが、その効果は強度、延性および耐食性の向上、または塑性加工性の向上にとどまっており、拡散硬化処理による硬度の面内均一化を図った旨の知見はない。
【0036】
本発明では、成分組成において、特にN量を上記の通り一定以上とする必要があるが、N量の上限、およびその他の元素の含有量については、従来より用いられている生体用コバルト・クロム基合金の範囲内とすればよい。例えば、ASTM F75−07で規定の通り、N量の上限を0.25質量%とすると共に、その他の元素の含有量を決定することが挙げられる。具体的には、Cr:27.00〜30.00質量%、Mo:5.00〜7.00質量%、Ni:0.50質量%以下、Fe:0.75質量%以下、C:0.35質量%以下、N:0.1〜0.25質量%、Si:1.00質量%以下、およびMn:1.00質量%以下を含み、残部Coおよび不可避的不純物からなるものが挙げられる。尚、上記C量の下限は、基材中に炭化物を形成させる観点から、0.15質量%とすることが好ましい。
【0037】
上記コバルト・クロム基合金鋳造基材の製造方法は特に限定されず、例えば、成分を調整したコバルト・クロム基合金を溶製後、例えばニアネットシェイプ鋳造、即ち、例えば人工関節の骨頭型等の鋳型に流しこんで、鋳造したまま(鋳放し状態)の基材を得ることが挙げられる。上記の通り、コバルト・クロム基合金鋳造基材中のN量を高めるには、溶製時に窒素ガスを導入することや、CrN、CrN、FeCrN、Si、MnNなどの窒化物を添加すること等が挙げられる。鋳造後は、表面の欠陥や荒れを削るため表面を多少研削してもよい。
【0038】
鍛造後に熱処理を施さず鋳放し状態のコバルト・クロム基合金鋳造基材を拡散硬化処理に供することで、金属組織中の炭化物を消失させることなく維持でき、結果として優れた耐摩耗性を確保できる。上記基材に熱処理(特に1000℃以上の温度での加熱)を施すと、炭化物が消失するため好ましくない。
【0039】
前記鋳放し状態のコバルト・クロム基合金鋳造基材を用い、拡散硬化処理を施すことにより人工関節等を構成する生体用摺動合金部材が得られる。拡散硬化処理としては、上記浸炭処理の他に、窒化処理やホウ化処理、酸化処理等が挙げられ、いずれの処理においても浸炭処理と同様の効果を得ることができる。例えば基材(または、後述するような活性化処理を施した基材)を処理炉内に配置し、炉内に炭素源、窒素源等を含む混合ガスを導入し、一般的に採用されている温度で処理を行うことができる。
【0040】
例えば浸炭処理方法としては、下記の条件で行うことが挙げられる。即ち、浸炭処理は、基材の温度(浸炭温度)を450〜550℃にして行うことが挙げられる。この温度範囲であると、炭素は、基材の表面に固溶化するが、炭化クロムを形成しにくいので好ましい。浸炭温度が450℃未満であると、炭素の固溶化が進まず、望ましい表面硬度を有する固溶化層が形成されないので好ましくない。また、550℃より高い温度であると、炭化クロムの生成が促進されるので好ましくない。
【0041】
浸炭処理における炭素源には、例えばCOやCO、CH、C、C、C10の1種類または2種類以上を使用できる。上記炭素源と例えばHの混合ガスを不活性ガスで希釈して処理炉内に導入することが挙げられる。不活性ガスには、N、Ar、Heを使用できる。浸炭処理の時間は、処理温度と固溶化層の厚みとの関係によって調節することができるが、通常は1〜50時間行われ、最も一般的には10〜35時間行われる。
【0042】
上記拡散硬化処理前には、基材表面に形成された不動態膜を除去するため、活性化処理を行ってもよい。基材中のクロムは、空気中の酸素と反応して不動態膜を形成する。この不動態膜は、浸炭処理を行う際に炭素の基材表面への侵入を阻害しやすい。よって活性化処理により不動態膜を除去することで、十分に浸炭させることができる。該活性化処理は、ガスを用いた方法や、液体を用いた方法で行うことができる。
【0043】
ガスを用いた活性化処理としては、フッ化処理が挙げられる。フッ化処理は、加熱処理用の炉内にコバルト・クロム基合金鋳造基材を入れ、フッ素系ガス雰囲気中で200℃〜500℃に加熱して、10分〜180分の間、その温度を保持する。これにより、表面の酸化クロムが、フッ化クロムに置換される。
【0044】
このフッ化処理に適したフッ素系ガスとしては、NF、BF、CF、HF、SF、C、WF、CHF、SiF、ClF等がある。これらのフッ素系ガスを、1種類で、または2種類以上を混合して使用する。通常は、これらのフッ素系ガスをNガス等の不活性ガスで希釈して使用される。
【0045】
液体を用いた活性化処理としては、酸性溶液に浸漬する方法が挙げられる。酸性溶液としては、塩酸、硝酸、過酸化水素、硫酸、フッ酸のいずれか1種類または2種類以上を混合した溶液を使用することができ、特に、塩酸と硝酸、塩酸と硝酸と過酸化水素、又は塩酸と過酸化水素を混合した溶液が好ましく、短時間で表面の酸化クロムの不動態膜を溶解することができる。
【0046】
上記拡散処理後は、表面の状態によって後処理を行う。後処理として、表面に付着した煤(浸炭処理の場合)を除去するための酸処理や、鏡面研磨等の表面研磨などがある。
【0047】
上記拡散硬化処理等を施して得られる生体用摺動合金部材は、例えば、人工股関節、人工膝関節、人工肘関節等の人工関節の摺動部材として好適に用いられる。特には、摺動面を構成する2つの摺動部材がコバルト・クロム基合金摺動部材からなる人工関節であって、前記コバルト・クロム基合金摺動部材の少なくとも1つ(例えばヘッドおよび/またはステム)に、本発明の生体用摺動合金部材を採用すれば、本発明の効果が存分に発揮されるので好ましい。
【実施例】
【0048】
以下、実施例を挙げて本発明をより具体的に説明するが、本発明はもとより下記実施例によって制限を受けるものではなく、前・後記の趣旨に適合し得る範囲で適当に変更を加えて実施することも可能であり、それらはいずれも本発明の技術的範囲に含まれる。
【0049】
表3に示す11種のコバルト・クロム基合金鋳造材(直径:15mm、長さ:150mmの棒材)を作製した。尚、鋳造材のN量およびC量は、溶解時の窒素分圧および黒鉛添加量により制御した。鋳造後、得られた棒材を厚さ約2mmの円盤状に切断した後、SiCペーパーを用いて湿式研磨を施し、コバルト・クロム基合金鋳造基材を得た。
【0050】
この様にして得られたコバルト・クロム基合金鋳造基材のN(窒素)量を、不活性ガス融解法を用いて測定した。またC(炭素)量を燃焼赤外線吸収法、Si量を吸光光度法、表3に示すその他の成分の含有量をICP分析法で測定した。また、上記コバルト・クロム基合金鋳造基材の平均結晶粒径(任意の1視野内における結晶粒の円相当直径の平均値)を確認するため、湿式研磨により観察面の鏡面仕上げを行った後、酸溶液中でエッチングを施し、マクロ組織観察を行った。代表的なマクロ組織写真(表3のNo.7のマクロ組織写真)を図8に示す。作製した鋳造基材は全て、この図8に示す通り平均結晶粒径が1000μm以上であることを確認した。
【0051】
〈コバルト・クロム基合金鋳造基材(浸炭処理前)のfcc相の体積分率の測定〉
上記基材を用い、X線回折によりfcc相の体積分率を求めた。即ち、X線回折装置(リガク製 RINT1500)を用い、回転速度:60rpm、搖動角/周期:−45°〜45°/4secの条件でサンプルを回転および搖動させながら、ターゲット:Cu、ターゲット出力:40kV−200mA、スリット系:受光0.3mm、縦2mm、サンプリングステップ:0.02°、計測時間:8sec/ステップの条件下で2θ=45°〜53°の範囲を測定した。得られた回折ピークのうち、下記算出式(1)に示すピークの積分強度をそれぞれ求め、下記算出式(1)よりfcc相(γ相)の体積分率Vγを算出した。各基材のfcc相の体積分率(体積%)を表3に併記する。
【0052】
【数1】

【0053】
【表3】

【0054】
次に、上記基材に対して、活性化処理、浸炭処理を順次施した。具体的には、基材に対して、フッ化ガスによる活性化処理(NFガス雰囲気中にて、350℃で2時間保持)を施した後、ガス浸炭処理(CO+H混合ガス雰囲気にて、500℃で32時間保持)を施した。
【0055】
〈同一面内の硬度のバラツキについて〉
浸炭処理後の各試料の同一面内において、複数箇所のビッカース硬度を測定した。ビッカース硬度の測定は、ビッカース硬度測定装置を用い、荷重50gfで測定した。
【0056】
その結果、No.1、3および4では、上記No.2と同様に、同一面内で硬度にバラツキが生じたのに対し、No.5、6、8〜11では、上記No.7と同様に、同一面内での硬度が測定箇所によらずほぼ一定であった。
【0057】
〈浸炭処理層の炭素プロファイルのバラツキについて〉
上記浸炭処理により、均一な硬化層が安定して得られているかを確認すべく、各試料の浸炭処理後の炭素濃度分布を測定した。具体的には、グロー放電発光分光分析法(GDS)により測定した。グロー放電発光分析には、Jobin Ybon社製JY5000RF−PSS型GDS装置を用い、低電圧モード(40W)で、Ar圧775Paの真空下で測定した。
【0058】
その結果を、浸炭処理層の炭素濃度分布を、前記図6においてN量が0.1質量%未満でかつfcc相の割合が50%を下回る領域(領域A)にある例(比較例)と、N量が0.1質量%以上でかつfcc相の割合が50%以上である領域(領域B)にある例(本発明例)に分けて図9に示す。
【0059】
この図9より、いずれのコバルト・クロム基合金鋳造基材も、表面から約20μm付近まで炭素濃度が高いプロファイルを示していることがわかる。次に、そのプロファイルの詳細を比較すると、領域AにあるNo.1〜4のプロファイルは、試料間で大きなバラツキが認められた。これは、1試料の同一面内で測定箇所により硬さがばらついた結果、試料間においても硬さのバラツキが生じたものと思われる。これに対し、領域BにあるNo.5〜11は、成分組成によらず、表層付近の炭素プロファイルがほぼ一致し、均一な固溶分布状態となっていることがわかる。
【図面の簡単な説明】
【0060】
【図1】図1は、浸炭処理後の基材(実施例におけるNo.2)表面のビッカース圧痕写真である。
【図2】図2は、浸炭処理後の基材(実施例におけるNo.7)表面のビッカース圧痕写真である。
【図3】図3は、浸炭処理前の基材(実施例におけるNo.2)の電子線後方散乱回折(EBSP)法による結晶方位解析結果を示した写真である。
【図4】図4は、浸炭処理前の基材(実施例におけるNo.7)の電子線後方散乱回折(EBSP)法による結晶方位解析結果を示した写真である。
【図5】図5は、浸炭処理前の基材(実施例におけるNo.2およびNo.7)表面のビッカース圧痕写真である。
【図6】図6は、基材の窒素含有量とfcc相の体積分率の関係を示したグラフである。
【図7】図7は、基材の炭素含有量とfcc相の体積分率の関係を示したグラフである。
【図8】図8は、本発明のコバルト・クロム基合金鋳造基材の代表的なマクロ組織写真である。
【図9】図9は、浸炭処理層の炭素濃度分布を、領域Aにある例と領域Bにある例に分けて示した図である。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
コバルト・クロム基合金からなる生体用鋳造基材であって、窒素(N)を0.1質量%以上含むと共に、金属組織におけるfcc(面心立方格子)相の体積分率が50%以上であることを特徴とする拡散硬化処理性に優れた生体用コバルト・クロム基合金鋳造基材。
【請求項2】
前記コバルト・クロム基合金の前記N量の上限が0.25質量%であり、かつN以外の元素の含有量は、ASTM F75−07に規定の範囲内にある請求項1に記載の生体用コバルト・クロム基合金鋳造基材。
【請求項3】
前記金属組織の平均結晶粒径が1000μm以上である請求項1または2に記載の生体用コバルト・クロム基合金鋳造基材。
【請求項4】
請求項1〜3のいずれかに記載のコバルト・クロム基合金鋳造基材であって鋳放し状態のものに、拡散硬化処理を施して得られる生体用摺動合金部材。
【請求項5】
前記拡散硬化処理が浸炭処理である請求項4に記載の生体用摺動合金部材。
【請求項6】
摺動面を構成する2つの摺動部材がコバルト・クロム基合金摺動部材からなる人工関節であって、前記コバルト・クロム基合金摺動部材の少なくとも1つが、請求項4または5に記載の生体用摺動合金部材であることを特徴とする人工関節。

【図6】
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【図7】
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【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図8】
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【図9】
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【公開番号】特開2010−144184(P2010−144184A)
【公開日】平成22年7月1日(2010.7.1)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2008−319162(P2008−319162)
【出願日】平成20年12月16日(2008.12.16)
【出願人】(504418084)日本メディカルマテリアル株式会社 (106)
【出願人】(000001199)株式会社神戸製鋼所 (5,860)
【Fターム(参考)】