説明

燃料電池セパレータ用オーステナイト系ステンレス鋼

【課題】低コストで、耐食性及び導電性に優れ、しかも、加工性に優れた燃料電池セパレータ用オーステナイト系ステンレス鋼を提供すること。
【解決手段】C≦0.08mass%、0.01≦Si≦3.00mass%、0.01≦Mn≦10.00mass%、0.01≦Cu≦3.00mass%、15.0≦Ni≦40.0mass%、20.0≦Cr≦35.0mass%、0.1≦Mo≦4.0mass%、及び、0.005≦N≦0.300mass%を含み、残部がFe及び不可避的不純物からなる燃料電池セパレータ用オーステナイト系ステンレス鋼。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、燃料電池セパレータ用オーステナイト系ステンレス鋼に関する。
【背景技術】
【0002】
固体高分子型燃料電池は、固体高分子電解質膜の両面に電極が接合された膜電極接合体(MEA)の両面を、ガス流路を備えたセパレータで挟持した単セルを基本単位とする。この単セルを積層して直列接続し、高電圧が得られるようにしたものは、セルスタックと呼ばれている。
セパレータは、各単セル間を電気的に接続する機能を有するため、電気伝導性が良いことが求められている。また、固体高分子電解質膜は、スルホン酸基を多数有する高分子からなり、湿潤状態では強酸性を示す。そのため、セパレータには、高い耐食性も求められる。従来、燃料電池用セパレータには、良好な電気伝導性と耐食性とを併せ持つカーボンを用いるのが一般的であったが、カーボンセパレータは、高価である。そのため、近年では、ステンレス鋼、Ti等の金属セパレータの使用も検討されている。しかしながら、金属セパレータは、一般に、カーボンセパレータに比べて耐食性が劣るという問題がある。
【0003】
そこでこの問題を解決するために、従来から種々の提案がなされている。
例えば、特許文献1には、ステンレス鋼板の表面に金の被覆層が形成され、ステンレス鋼板の表面には粒界腐食により空隙が形成され、この空隙に埋め込まれる状態で金の被覆層が形成されている燃料電池用セパレータが開示されている。
同文献には、
(1) 金の被覆層により耐食性が向上する点、及び、
(2) 金の被覆層がステンレス鋼板表面の空隙に埋め込まれた状態になっているため、プレス加工時において、屈曲部における金の被覆層の剥離や割れが防止される点、
が記載されている。
【0004】
また、特許文献2〜4には、オーステナイト系ステンレス鋼、インコネル(登録商標)600、又は工業用純チタンの両面をプラズマ窒化処理することにより得られる燃料電池用セパレータが開示されている。
特許文献2には、
(1) ステンレス鋼の表面を590℃以下の温度で窒化処理すると、M4N型結晶構造を持つ窒化層を形成することができる点、
(2) M4N型窒化層は、CrNが主成分とならないため、耐食性に有効なCrが減少せず、窒化後も耐食性が保たれる点、
が記載されている。
【0005】
【特許文献1】特開2003−92117号公報
【特許文献2】特開2006−134855号公報
【特許文献3】特開2007−39786号公報
【特許文献4】特開2007−73440号公報
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
金属セパレータの表面を金でコーティングすると、耐食性が向上するだけでなく、電極との接触抵抗が小さくなるという利点がある。しかしながら、金コーティングは、高コストである。
一方、M4N型窒化物は、面心立方構造を持つオーステナイト系ステンレス鋼を窒化させることにより形成することができるので、低コストである。また、M4N型窒化物は、Cr以外の元素を構成元素とすることができるので、ステンレス鋼の表面にM4N型窒化物層を形成しても、窒化物層の直下にCrの欠乏層が生成しない(すなわち、基地の耐食性が低下しない)。さらに、M4N型窒化物は、酸化性環境下における化学的安定性が高いので、電極との接触抵抗を低く維持することができる。
また、このような窒化物層を備えたオーステナイト系ステンレス鋼の耐食性をさらに向上させるためには、窒化物層のCr量を増加させることが好ましく、そのためには、基地中のCr含有量を増加させることが有効である。しかしながら、Crは、フェライト相生成元素であるため、高Cr組成でオーステナイト単相を維持することは難しい。また、通常、Crの過剰な添加は、鋼の硬さを増し、遷移温度を上昇させ、衝撃抵抗値も上げてしまう。さらに、製造工程中にσ相が析出すると、成形性は著しく悪化するため、高Cr鋼は、熱間、冷間を問わず成形性が著しく悪い。
【0007】
本発明が解決しようとする課題は、低コストで、耐食性及び導電性に優れ、しかも、加工性に優れた燃料電池セパレータ用オーステナイト系ステンレス鋼を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0008】
上記課題を解決するために本発明に係る燃料電池セパレータ用オーステナイト系ステンレス鋼は、
C≦0.08mass%、
0.01≦Si≦3.00mass%、
0.01≦Mn≦10.00mass%、
0.01≦Cu≦3.00mass%、
15.0≦Ni≦40.0mass%、
20.0≦Cr≦35.0mass%、
0.1≦Mo≦4.0mass%、及び、
0.005≦N≦0.300mass%
を含み、残部がFe及び不可避的不純物からなることを要旨とする。
前記燃料電池用オーステナイト系ステンレス鋼は、式(1)で定義するαが、−9≦αであるものが好ましい。
α=[Ni]+30*[C]+30*[N]+0.5*[Mn]+0.16*[Cu]-[Cr]-[Mo]-1.5*[Si] ・・・(1)
【発明の効果】
【0009】
高Cr組成において、Ni、C、Mo等の添加量を最適化すると、高Crでありながらオーステナイト相単相を維持することができる。また、オーステナイト単相であるため、熱間及び冷間での加工性にも優れている。さらに、このようなオーステナイト系ステンレス鋼を所定の条件下で窒化処理すると、表面に層状の立方晶のM4N型窒化物又はM4N型+M2-3N型窒化物を形成することができる。得られた窒化物層は、Cr含有量が高いので、優れた導電性及び酸性雰囲気下での耐食性を示す。
【発明を実施するための最良の形態】
【0010】
以下に、本発明の一実施の形態について詳細に説明する。
[1. 燃料電池セパレータ用オーステナイト系ステンレス鋼]
[1.1. Cr量とM4N型窒化物]
オーステナイト(γ)相を窒化処理すると、表面にM4N型窒化物が生成する。ここで、「M4N型窒化物」とは、遷移金属元素(M)からなる面心立方格子の単位胞中心の八面体空隙に窒素が配置された構造を持つ。M4N型窒化物を構成する遷移金属元素(M)としては、Fe、Cr、Ni、Moなどがある。M4N型窒化物は、窒素が過飽和に固溶したfcc又はfct構造の窒化物と考えられており、高密度の転位や双晶を伴い、硬さも高い。また、Cr窒化物が主成分とならないため、表面に窒化層を形成しても、窒化層直下の基地中において、耐食性に有効なCrが減少せず、基地の耐食性が保たれる。また、M4N型窒化物は、遷移金属元素間の金属結合を保ったまま、遷移金属元素と窒素元素の間で強い共有結合が生ずるので、高い導電性を保ったまま、遷移金属元素の酸化に対する反応性が低下する。さらに、M4N型窒化物は、基地(γ相)と同じ面心立方構造をとるので、基地との整合性が良く、基地との間の電子の移動も容易となる。
【0011】
γ相の窒化をさらに進行させると、M4N型窒化物の固溶窒素が過飽和状態になり、M4N型窒化物よりも高窒素なM2-3N型窒化物がM4N型窒化物の積層欠陥上に析出する。すなわち、M4N型窒化物とM2-3N型窒化物のナノレベルの積層結晶構造を持つ窒化物が得られる。ここで、「M2-3N型窒化物」とは、遷移金属元素(M)からなる最密六方格子の格子間に窒素原子が配置された構造を持つものをいう。M2-3N型窒化物を構成する遷移金属元素(M)としては、Fe、Cr、Ni、Moなどがある。
γ相の窒化をさらに進行させると、ナノレベルの積層結晶構造を持つ窒化物層の上に、六方晶のCr2N、CrN及びM2-3N型窒化物、並びに、立方晶のM4N型窒化物の少なくとも1種を含む窒化物層が形成される。
【0012】
4N型窒化物及びM2-3N型窒化物は、いずれも、Cr以外の遷移金属元素を構成元素とすることができる。また、γ相の表面にM4N型窒化物及びM2-3N型窒化物からなる窒化層が形成されても、窒化層の直下にCr欠乏層が生じない。すなわち、M4N型窒化物及びM2-3N型窒化物は、いずれも、基地の組成にほぼ対応した組成を持つ。従って、基地中のCr濃度が高くなるほど、窒化層中のCr濃度も高くなる。
高い導電性と耐食性を両立させる遷移金属窒化物の窒化層を形成するには、基材中のCr濃度が高いことが好ましい。そのためには、オーステナイト系ステンレス鋼中のCr含有量は、20mass%以上が好ましい。Cr含有量は、さらに好ましくは、25mass%以上、さらに好ましくは、26mass%以上である。
【0013】
本発明に係る燃料電池セパレータ用オーステナイト系ステンレス鋼は、オーステナイト単相からなる。本発明において、「オーステナイト単相」とは、外部磁力200(Oe)の条件下で測定された透磁率が1.005以下であることを言う。
通常、Crはフェライト生成元素であるため、Crのみの過剰添加はフェライト相を形成してしまう。しかしながら、オーステナイト単相を維持すると、窒化が均一に行われ、より耐食性に優れる導電性を有する均一窒化層を形成することができる。
【0014】
Cr含有量が所定の範囲にあるオーステナイト系ステンレス鋼は、オーステナイト領域となる温度で所定時間保持することにより製造することができる。この際、Crは、フェライト形成元素であるため、過剰に添加していると、オーステナイト領域を狭めてしまう。従って、理想的には、20mass%以上のCrを含む鋼でもオーステナイト系ステンレス鋼を製造することはできるが、一般の鋼を用いて所定量のCrを含むオーステナイト単相組織を得るためには、実際の製造プロセスでは非現実的(高温、長時間等)な熱処理を必要とする場合が多い。所定量のCrを含むオーステナイト系ステンレス鋼を容易に製造するためには、特定の組成を有する鋼を用いるのが好ましい。
【0015】
[2. 具体例]
[2.1. 第1の具体例]
燃料電池セパレータ用の素材として好適なオーステナイト系ステンレス鋼の第1の具体例は、以下のような元素を含み、残部がFe及び不可避的不純物からなる。添加元素の種類、その成分範囲、及び、その限定理由は、以下の通りである。
【0016】
(1) C≦0.08mass%。
Cは、オーステナイト生成元素であり、オーステナイト相の安定化に寄与する。また、侵入型元素であるため、強度の向上に寄与する。
一方、C含有量が過剰になると、Cr炭化物の形成により、母相の固溶Cr濃度が低下したCr欠乏相を生じ、ステンレス鋼そのものの耐食性を劣化させる。また、窒化時に不均一な窒化層が生成する原因となる。従って、C含有量は、0.08mass%以下が好ましい。C含有量は、さらに好ましくは、0.04mass%以下、さらに好ましくは、0.02mass%以下である。
【0017】
(2) 0.01≦Si≦3.00mass%。
Siは、脱酸元素であり、鋼の清浄度に寄与する。このような効果を得るためには、Si含有量は、0.01mass%以上が好ましい。
一方、Siは、フェライト生成元素であり、過剰の添加はフェライト相を安定化させる。さらに、過剰のSiは、鋼中でSiO2等の酸化物を形成し、ステンレス鋼の窒化時に不均一な窒化層を形成する原因となる。従って、Si含有量は、3.0mass%以下が好ましい。Si含有量は、さらに好ましくは、2.00mass%以下、さらに好ましくは、1.00mass%以下である。
【0018】
(3) 0.01≦Mn≦10.00mass%。
Mnは、オーステナイト生成元素であり、オーステナイト相の安定化に寄与する。このような効果を得るためには、Mn含有量は、0.01mass%以上が好ましい。
一方、Mn含有量が過剰になると、ステンレス鋼の酸性雰囲気下での耐食性を著しく劣化させる。従って、Mn含有量は、10.00mass%以下が好ましい。Mn含有量は、さらに好ましくは、5.00mass%以下、さらに好ましくは、3.00mass%以下である。
【0019】
(4) 0.01≦Cu≦3.00mass%。
Cuは、オーステナイト生成元素であり、オーステナイト相の安定化に寄与する。このような効果を得るためには、Cu含有量は、0.01mass%以上が好ましい。
一方、Cuを多量に含有した鋼種はスクラップとしてリサイクルできない(Cuはトラップエレメントである)ことに加え、ステンレス鋼の酸性雰囲気下での耐食性を著しく低下させてしまうことがある。従って、Cu含有量は、3.00mass%以下が好ましい。Cu含有量は、さらに好ましくは、2.00mass%以下、さらに好ましくは、1.00mass%以下である。
【0020】
(5) 15.0≦Ni≦40.0mass%。
Niは、オーステナイト生成元素であり、オーステナイト相の安定化に強く寄与する有用な元素である。このような効果を得るためには、Ni含有量は、15.0mass%以上が好ましい。Ni含有量は、さらに好ましくは、18.0mass%以上、さらに好ましくは、21.0mass%以上である。
一方、Ni含有量が過剰になると、コストの上昇を招く。従って、Ni含有量は、40.0mass%以下が好ましい。Ni含有量は、さらに好ましくは、35.0mass%以下である。
【0021】
(6) 20.0≦Cr≦35.0mass%。
Crは、フェライト生成元素であり、フェライト相の安定化に強く寄与してしまう。しかし、耐食性、強度の向上に寄与する重要な元素である。このような効果を得るためには、Cr含有量は、20.0mass%以上が好ましい。Cr含有量は、さらに好ましくは、25.0mass%以上、さらに好ましくは、26.0mass%以上である。
一方、Cr含有量が過剰になると、固溶化熱処理時の未固溶Cr炭窒化物の残存量を増大させ、ステンレス鋼そのものの耐食性を著しく低下させる。また、未固溶Cr炭窒化物は、窒化時に不均一な窒化層を生成させる原因となる。従って、Cr含有量は、35.0mass%以下が好ましい。Cr含有量は、さらに好ましくは、33.0mass%以下である。
【0022】
(7) 0.1≦Mo≦4.0mass%。
Moは、フェライト生成元素であり、フェライト相の安定化に寄与してしまう。しかし、耐食性の向上に大きく寄与する元素である。このような効果を得るためには、Mo含有量は、0.1mass%以上が好ましい。Mo含有量は、さらに好ましくは、0.5mass%以上である。
一方、Mo含有量が過剰になると、鋼中でMo炭窒化物を形成し、窒化時に不均一な窒化層を生成させる原因となる。従って、Mo含有量は、4.0mass%以下が好ましい。Mo含有量は、さらに好ましくは、3.5mass%以下、さらに好ましくは、2.5mass%以下である。
【0023】
(8) 0.005≦N≦0.300mass%。
Nは、オーステナイト生成元素であり、オーステナイト相の安定化に寄与する。また、耐食性、強度の向上に寄与する元素でもある。このような効果を得るためには、N含有量は、0.005mass%以上が好ましい。
一方、N含有量が過剰になると、固溶化熱処理時の未固溶Cr窒化物の残存量を増大させ、母相の固溶Cr濃度が低下した欠乏相を生じ、ステンレス鋼そのものの耐食性を著しく低下させる。また、未固溶Cr窒化物は、窒化時に不均一な窒化層を生成する原因ともなる。従って、N含有量は、0.300mass%以下が好ましい。N含有量は、さらに好ましくは、0.250mass%以下、さらに好ましくは、0.200mass%以下である。
【0024】
本発明に係る燃料電池セパレータ用オーステナイト系ステンレス鋼は、添加元素が上述の範囲にあることに加え、不可避的不純物であるS、O、Pが以下の範囲にあることが好ましい。
(14) S≦0.050mass%。
(15) P≦0.060mass%。
(16) O≦0.060mass%。
これらの元素は、プラズマ窒化処理を施した際に、窒化層の導電性や耐食性に影響を与える。窒化層の導電性や耐食性の低下を抑制するためには、これらの元素は、少ないほど良い。
S含有量は、具体的には、0.050mass%以下が好ましい。S含有量は、さらに好ましくは、0.030mass%以下、さらに好ましくは、0.020mass%以下である。
また、P含有量は、具体的には、0.060mass%以下が好ましい。P含有量は、さらに好ましくは、0.040mass%以下、さらに好ましくは、0.030mass%以下である。
さらに、O含有量は、具体的には、0.060mass%以下が好ましい。O含有量は、さらに好ましくは、0.040mass%以下、さらに好ましくは、0.030mass%以下である。
【0025】
本発明に係る燃料電池セパレータ用オーステナイト系ステンレス鋼は、添加元素が上述の範囲にあることに加え、次の式(1)で定義するαが、−9≦αであるものが好ましい。

α=[Ni]+30*[C]+30*[N]+0.5*[Mn]+0.16*[Cu]-[Cr]-[Mo]-1.5*[Si] ・・・(1)
但し、[Ni]等は、各元素のmass%を表す。
【0026】
通常、Crの過剰な添加は、鋼の硬さを増し、遷移温度を上昇させ、衝撃抵抗値も上げてしまうため、高Cr鋼は熱間、冷間を問わず成形性が著しく悪くなることが知られている。さらに、Crは、フェライト相生成元素であるため、高Cr組成でオーステナイト相単相を維持することは難しい。
これに対し、式(1)を満たすように、成形性に影響を及ぼす添加元素の含有量を最適化すると、M4N型結晶構造の窒化物Cr濃度が高くなり、かつ、オーステナイト単相を維持できることに加えて、良好な成形性を得ることができる。このような効果を得るためには、αは、−6<αが好ましく、さらに好ましくは、−2<αである。
【0027】
さらに、本発明に係る燃料電池セパレータ用オーステナイト系ステンレス鋼は、成分元素及び成分バランスが上述の範囲にあることに加えて、冷間圧延後に、b値以上(b+c)値以下の温度で固溶化熱処理をすることにより得られるものが好ましい。
但し、
α=[Ni]+30*[C]+30*[N]+0.5*[Mn]+0.16*[Cu]-[Cr]-[Mo]-1.5*[Si] ・・・(1)
b=(α+10)×22+850 ・・・(2)
c=(5−α)×19.3 ・・・(3)
【0028】
金属セパレータは、一般に、鋼板を約0.1mm厚まで冷間圧延し、固溶化熱処理した後、プレス成形することにより製造される。固溶化熱処理は、冷間圧延された鋼板にプレス成形性を付与するために行われる。この固溶化熱処理時に硬質な金属間化合物であるσ相が析出すると、ステンレス鋼は、熱間、冷間を問わず、著しく成形性が悪化する。オーステナイト単相を維持でき、かつσ相の析出を抑制するためには、固溶化熱処理温度は、(2)式で定義されるb値以上が好ましい。
一方、固溶化熱処理温度が高すぎると、結晶粒が粗大となる。粗大な結晶粒からなる0.1mm厚オーステナイト系ステンレス鋼板は、プレス成形時に十分な加工性を持たず、割れ、欠け等の欠陥を生じやすい。さらに、Crを過剰に添加した鋼は硬さが増し、弾性限を高め、衝撃抵抗値も上がるため、高Cr鋼は、熱間、冷間を問わず、成形性が悪くなる。従って、固溶化熱処理温度は、(2)式及び(3)式で定義される(b+c)値以下が好ましい。
c値は、さらに次の(3')式を満たすことが好ましい。
c=(5−α)×8.8 ・・・(3')
【0029】
固溶化熱処理温度は、材料の伸び及び結晶粒度に影響を及ぼす。一般に、固溶化熱処理温度が低すぎるとσ相が析出し、伸びが低下する。良好な加工性を得るためには、引張試験(JIS Z 2241)時の伸びは、10%以上が好ましい。
一方、固溶化熱処理温度が高すぎると、結晶粒が粗大化し、加工性が低下する。良好な加工性を得るためには、結晶粒径は、結晶粒度番号(JIS G 0551)で4以上が好ましい。
このような伸び及び結晶粒度を有するステンレス鋼は、固溶化熱処理温度を最適化することにより得られる。高Cr組成になるほど、好適な固溶化熱処理温度幅は狭くなる。
【0030】
[2.2. 第2の具体例]
本発明に係る燃料電池セパレータ用オーステナイト系ステンレス鋼は、上述した組成の中でも、
C≦0.04mass%、
0.01≦Si≦2.00mass%
0.01≦Mn≦5.00mass%
0.01≦Cu≦2.00mass%
18.0≦Ni≦40.0mass%
25.0≦Cr≦35.0mass%
0.1≦Mo≦3.5mass%、及び、
0.005≦N≦0.250mass%
を含み、残部がFe及び不可避的不純物からなるものが好ましい。
各添加元素の限定理由の詳細、S、P、及びOが所定量以下であることが望ましい点、αが所定の範囲であることが望ましい点、並びに、所定の固溶化熱処理温度で固溶化熱処理することが好ましい点は、第1の具体例と同様であるので、説明を省略する。
【0031】
[2.3. 第3の具体例]
本発明に係る燃料電池セパレータ用オーステナイト系ステンレス鋼は、上述した組成の中でも、
C≦0.02mass%、
0.01≦Si≦1.00mass%
0.01≦Mn≦3.00mass%
0.01≦Cu≦1.00mass%
20.0≦Ni≦35.0mass%
26.0≦Cr≦33.0mass%
0.5≦Mo≦2.5mass%、及び、
0.005≦N≦0.200mass%
を含み、残部がFe及び不可避的不純物からなるものが特に好ましい。
各添加元素の限定理由の詳細、S、P、及びOが所定量以下であることが望ましい点、αが所定の範囲であることが望ましい点、並びに、所定の固溶化熱処理温度で固溶化熱処理することが好ましい点は、第1の具体例と同様であるので、説明を省略する。
【0032】
[3. 燃料電池用セパレータの製造方法]
燃料電池用セパレータは、所定量のCrを含むオーステナイト系ステンレス鋼を所定の形状に加工し、表面を窒化処理することにより製造することができる。
窒化方法は、特に限定されるものではなく、種々の方法を用いることができる。窒化方法としては、具体的には、
(1) 被処理物を陰極とし、直流電圧を印加してグロー放電(すなわち、低温非平衡プラズマ)を発生させ、ガス成分の一部をイオン化し、非平衡プラズマ中のイオン化したガス成分を被処理物の表面に高速衝突させて窒化させるプラズマ窒化法、
(2) 大気圧で、かつ平衡反応により窒化を進行させるガス窒化法、
などがある。
特に、プラズマ窒化法は、
(1) 被処理物表面に形成される不動態被膜の除去が容易である、
(2) 窒化層の形成と同時に、被処理物表面に形成された酸化膜の除去が容易である、
(3) 被処理物表面から深さ方向に、導電性と耐食性に富んだ、高窒素濃度のM4N型窒化物を含む窒化層が迅速に得られる、
という利点がある。
【0033】
オーステナイト系ステンレス鋼のプラズマ窒化は、具体的には、以下のような手順により行う。すなわち、まず、オーステナイト系ステンレス鋼からなる被処理物を窒化炉内に配置し、真空排気する。次いで、炉内に水素ガスとアルゴンガスの混合ガスを導入し、数〜十数Torr(665〜2128Pa)の真空度で、被処理物を陰極、炉壁を陽極として、電圧を印加する。電圧を印加すると、陰極である被処理物上にグロー放電が発生し、グロー放電によりイオン化した窒素は、被処理物の表面に衝突、浸入、及び拡散する。その結果、被処理物が加熱されると同時に、被処理物の表面に窒化層が形成される。
【0034】
[4. 本発明に係る燃料電池セパレータ用オーステナイト系ステンレス鋼の作用]
γ相を窒化処理すると、表面に立方晶のM4N型窒化物が形成される。γ相は、面心立方構造を持つので、窒化処理により窒素原子が遷移金属元素から構成される面心立方格子の単位胞中心の八面体空隙に侵入し、M4N型窒化物を形成しやすい。γ相の窒化をさらに進行させると、M4N型窒化物の積層欠陥上にM2-3N型窒化物が析出し、ナノレベルの積層構造を持つ窒化物となる。M4N型窒化物及びM4N型+M2-3N型窒化物は、いずれもCr以外の元素を構成元素とすることができるので、基地中のCrを消費することがなく、基地の耐食性を低下させることがない。
【0035】
また、高い導電性と耐食性を両立させるためには、窒化物層中のCr濃度は高いことが好ましく、そのためには、基地中のCr濃度は、高いことが好ましい。しかしながら、一般に、Crの過剰添加は、オーステナイト単相を維持するのが困難であり、成形性も著しく低下させるという問題がある。
これに対し、高Cr組成において、Ni、C、Mo等の添加量を最適化すると、高Crでありながらオーステナイト相単相を維持することができる。また、オーステナイト単相であるため、熱間及び冷間での加工性にも優れている。特に、式(1)を満たすように添加元素を最適化すると、オーステナイト単相を維持しながら、高い成形性を維持することができる。
さらに、このようなオーステナイト系ステンレス鋼を所定の条件下で窒化処理すると、表面に立方晶のM4N型窒化物又はM4N型+M2-3N型窒化物を形成することができる。得られた窒化物層は、Cr含有量が高いので、優れた導電性及び酸性雰囲気下での耐食性を示す。
【実施例】
【0036】
(実施例1〜12、比較例1〜11)
[1. 試料の作製]
高周波誘導炉により、表1の化学成分の合金を溶解・鋳造し、50kgの鋼塊を得た。次に、この鋼塊を均質加熱後、熱間鍛造で60角の板材とした。板材を冷間圧延により、0.1mm厚の薄板とした。得られた薄板について、還元性雰囲気下で熱処理を行った。熱処理温度は800〜1300℃とし、熱処理時間は60sとした。表1に、合金組成を示す。また、表2及び表3に、α、熱処理条件、b、c、及び、b+cを示す。
さらに、プラズマ窒化法を用いて、薄板表面を窒化処理した。プラズマ窒化は、以下の手順により行った。すなわち、プレス成形により得られたセパレータを酸洗した後、熱処理材の両面にマイクロパルス直流電流グロー放電によるプラズマ窒化処理を施した。
プラズマ窒化の条件は、窒化温度:425℃、窒化時間:60分、窒化時のガス混合比:N2:H2=7:3、処理圧力:3Torr(300Pa)とした。
【0037】
【表1】

【0038】
【表2】

【0039】
【表3】

【0040】
[2. 試験方法]
[2.1. 接触抵抗値]
耐食試験前後の接触抵抗値は、アルバック理工製、圧力負荷接触電気抵抗測定装置TRS−2000SS型を用いて行った。30mm×30mm×に切り出した試料と電極の間にカーボンペーパーを介在させ、電極/カーボンペーパー/試料/カーボンペーパー/電極の順に重ね合わせた。測定面圧1.0MPaにて、1A/cm2の電流を流した際の電気抵抗を2回測定し、各電気抵抗の平均値を求めて接触抵抗値とした。
カーボンペーパーには、白金触媒を担持したカーボンブラックを塗布したカーボンペーパー(東レ(株)製カーボンペーパーTGP−H−090、厚さ0.26[mm]、かさ密度0.49[g/cm3]、空隙率73[%]、厚さ方向体積抵抗率0.07[o・cm2])を用いた。電極は、直径f20のCu製電極を用いた。また、接触抵抗値測定用試料には、1100℃×60sの熱処理を行ったものを用いた。
【0041】
[2.2. イオン溶出量]
燃料電池では、水素極側に比較して酸素極側に最大で1[V vs SHE]程度の電位がかかる。また、固体高分子電解質膜は、分子中にスルホン酸基等のプロトン交換基を有し、含水状態で使用されるため、強酸性を示す。このため、耐食性の評価は、電気化学的な手法である定電位電解試験法を用いて、燃料電池スタック内で燃料電池用セパレータが曝される環境を模擬した酸環境下で行った。
具体的には、まず、薄板の中央部から大きさ30mm×30mmの試料を切り出し、これをpH4、温度80℃の硫酸水溶液中に100時間浸漬した。その際の雰囲気は、アノード極環境を模擬したN2ガス脱気、又はカソード環境を模擬した大気開放状態とした。耐食試験終了後、硫酸水溶液中に溶け出したFe、Cr及びNiのイオン溶出量を蛍光X線分析により測定した。また、イオン溶出量測定用試料には、1100℃×60sの熱処理を行ったものを用いた。
【0042】
[2.3. 熱間加工性]
熱間鍛造時のきず発生程度を目視で評価した。熱間加工性は、クラスA(きず発生なし)からクラスE(大割れ発生:鍛造不能)まで、5段階(A>B>C>D>E)で評価した。
[2.4. 熱間成形性]
熱間鍛造後の板材から6φ×55Lの円柱試験片を切り出し、高温高速引張試験(グリーブル試験)を行った。すなわち、試験片を通電加熱により1200℃まで昇温し、60秒保持した後、50.8mm/sの引張速度にて試験片を破断させた。破断後の試験片を用いて、破断絞り(くびれ度合い)を測定した。破断絞り値(%)が高いほど、熱間成形性に優れていることを表す。
【0043】
[2.5. 冷間加工性]
冷間圧延時の耳割れなどの欠陥発生頻度を目視で評価した。冷間加工性は、クラスA(きず発生なし)からクラスE(大割れ発生:圧延不能)まで、5段階(A>B>C>D>E)で評価した。
[2.6. 冷間成形性]
熱間鍛造後の板材から15φ×22.5Lの円柱試験片を切り出し、長さ方向に600tプレスによる75%圧縮(端面拘束圧縮試験(室温))を行った。このような圧縮試験を5回行い、圧縮試験時の変形抵抗値及び試験片側面に割れが発生した試験片の個数を測定した。変形抵抗値が小さいほど、及び、割れ発生率が少ないほど、冷間成形性に優れていることを表す。
【0044】
[2.7. 透磁率]
VSM(振動試料型磁力計)を用いて、外部磁力200(Oe)の条件下で透磁率を測定した。試料には、冷間圧延後熱処理実施材を用いた。
【0045】
[2.8 粒度]
結晶粒度は、0.1mm厚薄板の縦断面を組織観察し、JIS G 0551に準じて測定を行った。
[2.9 硬度]
0.1mm厚薄板の縦断面を鏡面研磨後にビッカース硬度計を用いて測定した。
[2.10 伸び]
0.1mm厚薄板の圧延方向に沿うように試験片(JIS13号13B)を切り出し、引張試験(JIS Z 2241)を行い、その際の伸び(%)を測定した。
【0046】
[3. 結果]
表4〜表7に、試験結果を示す。比較例1〜11は、いずれも成分元素の含有量が適切でないために、耐食試験後の接触抵抗値が相対的に高く、イオン溶出量も相対的に多い。また、組成によっては、オーステナイト単相を維持できない鋼種(比較例2、5、7、9〜11)もある。
これに対し、実施例1〜12は、いずれも成分元素の含有量が適切であるため、耐食試験後の接触抵抗値が低く、イオン溶出量も少なく、すべての鋼種でオーステナイト単相を維持することができた。また、式(1)で表されるαと接触抵抗値、イオン溶出量との間に相関があり、αを最適化することによって、オーステナイト単相を維持しながら、セパレータとしての特性が向上することがわかった。
【0047】
しかし、成分元素の含有量が適切な実施例1〜12でも、製造時の固溶化熱処理温度の変動により、機械的特性(硬度、伸び)や、熱間、冷間での加工性が大きく異なることがわかった。これは、固溶化熱処理温度が低いと硬質な金属間化合物であるσ相が析出するためである。σ相析出を防ぐためには、固溶化熱処理温度をb値以上にしなければならない。
一方、固溶化熱処理温度が高すぎると、結晶粒が粗大となる。粗大な結晶粒からなる0.1mm厚オーステナイト系ステンレス鋼板は、プレス成形時に十分な加工性を持たず、割れ、欠け等の欠陥を生じやすい。さらに、Crを過剰に添加した鋼は、硬さが増し、弾性限が高くなり、衝撃抵抗値も上がってしまっているため、高Cr鋼は、熱間、冷間を問わず、成形性が悪くなることが知られている。そのため、結晶粒を細かい状態(例えば、結晶粒度番号で4以上)に維持できるように、固溶化熱処理温度はある温度((b+c)値)以下にしなければならない。
これらを満たす製造工程により作製された実施例は、どれも熱間、冷間での加工性に優れ、実操業の観点からは好ましい。さらに、式(2)、式(3)で表されるb値、c値と、熱間、冷間での加工性との間に相関があり、b、c値を最適化することで、熱間、冷間での加工性が向上することがわかった。
【0048】
【表4】

【0049】
【表5】

【0050】
【表6】

【0051】
【表7】

【0052】
以上、本発明の実施の形態について詳細に説明したが、本発明は、上記実施の形態に何ら限定されるものではなく、本発明の要旨を逸脱しない範囲内で種々の改変が可能である。
【産業上の利用可能性】
【0053】
本発明に係る燃料電池セパレータ用オーステナイト系ステンレス鋼は、燃料電池用セパレータの材料として用いることができる。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
C≦0.08mass%、
0.01≦Si≦3.00mass%、
0.01≦Mn≦10.00mass%、
0.01≦Cu≦3.00mass%、
15.0≦Ni≦40.0mass%、
20.0≦Cr≦35.0mass%、
0.1≦Mo≦4.0mass%、及び、
0.005≦N≦0.300mass%
を含み、残部がFe及び不可避的不純物からなる燃料電池セパレータ用オーステナイト系ステンレス鋼。
【請求項2】
次の式(1)で定義するαが、−9≦αである請求項1に記載の燃料電池セパレータ用オーステナイト系ステンレス鋼。
α=[Ni]+30*[C]+30*[N]+0.5*[Mn]+0.16*[Cu]-[Cr]-[Mo]-1.5*[Si] ・・・(1)
【請求項3】
S≦0.050mass%、
P≦0.060mass%、及び、
O≦0.060mass%
をさらに含む請求項1又は2に記載の燃料電池セパレータ用オーステナイト系ステンレス鋼。
【請求項4】
冷間圧延後に、b値以上(b+c)値以下の温度で固溶化熱処理をすることにより得られる請求項1から3までのいずれかに記載の燃料電池セパレータ用オーステナイト系ステンレス鋼。
但し、
α=[Ni]+30*[C]+30*[N]+0.5*[Mn]+0.16*[Cu]-[Cr]-[Mo]-1.5*[Si] ・・・(1)
b=(α+10)×22+850 ・・・(2)
c=(5−α)×19.3 ・・・(3)
【請求項5】
前記c値は、次の(3')式を満たす請求項4に記載の燃料電池セパレータ用ステンレス鋼。
c=(5−α)×8.8 ・・・(3')
【請求項6】
結晶粒度番号4以上、かつ、引張試験時の伸びが10%以上である請求項1から5までのいずれかに記載の燃料電池セパレータ用ステンレス鋼。

【公開番号】特開2009−167502(P2009−167502A)
【公開日】平成21年7月30日(2009.7.30)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2008−9894(P2008−9894)
【出願日】平成20年1月18日(2008.1.18)
【出願人】(000003713)大同特殊鋼株式会社 (916)
【出願人】(000003997)日産自動車株式会社 (16,386)
【Fターム(参考)】