説明

耐遅れ破壊特性に優れた高強度鋼材、高強度ボルト及びその製造方法

【課題】腐食の厳しい環境においても、優れた耐遅れ破壊特性を有する高強度鋼材及びその製造方法を提供する。
【解決手段】鋼材の表面の窒化層深さが200μm以上であることを特徴とする耐遅れ破壊特性に優れた高強度鋼材並びにその製造方法である。特に、表面の圧縮残留応力が200MPa以上有すると耐遅れ破壊特性が向上する。鋼は、適正量のC、Si、Mnを含有し、Cr、V、Mo、Nb、Cu、Ni、B、Al、Ti、Mg、Ca、Zr1種又は2種以上を含有し、残部がFe及び不可避的不純物からなることが好ましい。鋼材の表面から少なくとも200μm以上の深さまで平均窒素濃度より0.02%以上窒素濃度を高めることにより、拡散性水素の侵入が大幅に抑制され、耐遅れ破壊特性が向上する。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、耐遅れ破壊特性の優れた鋼材、ボルト、特に1300MPa以上の引張強度を有する、耐遅れ破壊特性の優れた高強度鋼材(線材、PC鋼棒)、高強度ボルト、及びその製造方法に関するものである。
【背景技術】
【0002】
機械、自動車、橋梁、建築物に多数使用されている高強度鋼は、C量が0.20〜0.35%の中炭素鋼、例えばJIS G 4104、JIS G 4105に規定されている、SCr、SCM等を用いて、調質処理を施すことによって製造されている。しかし、どの鋼種についても、引張強度が1300MPaを超えると、遅れ破壊の危険性が高まることがよく知られている。
【0003】
高強度鋼の耐遅れ破壊特性を向上させる技術として、組織をベイナイト化させる方法が有効であり、更に旧オーステナイト粒を微細化させた鋼が特許文献1に、鋼成分の偏析を抑制した鋼が特許文献2、3に開示されている。しかし、ベイナイト組織は耐遅れ破壊特性向上に寄与する一方、ベイナイト組織を作りこむためには、合金コストや熱処理コストが高くなる問題がある。また、旧オーステナイト粒の微細化、成分偏析の抑制により、大幅な耐遅れ破壊特性の改善には至っていない。
【0004】
また、特許文献4〜6には、強伸線加工パーライトによる耐遅れ破壊特性の改善が開示されているが、伸線加工によりコストが高くなることや、線径の大きなものを製造することが困難である。
【0005】
以上のように、従来の技術では、安価に耐遅れ破壊特性を大幅に向上させた高強度鋼材を製造することには限界があった。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0006】
【特許文献1】特公昭64−4566号公報
【特許文献2】特開平3−243744号公報
【特許文献3】特開平3−243745号公報
【特許文献4】特開2000−337332号公報
【特許文献5】特開2000−337333号公報
【特許文献6】特開2000−337334号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
また、微細な析出物を分散させ、水素トラップしても、外部から進入する水素が多い腐食環境下では、耐遅れ破壊を抑制することは困難であった。
【0008】
本発明は、上記の課題に鑑みてなされたものであって、優れた耐遅れ破壊特性を有する高強度鋼材(線材、PC鋼棒)、高強度ボルト及びその製造方法の提供を目的とするものである。
【課題を解決するための手段】
【0009】
本発明の要旨とするところは、以下のとおりである。
(1) 質量%で、C:0.10〜0.55%、Si:0.01〜3%、Mn:0.1〜2%を含有し、さらに、Cr:0.05〜1.5%、V:0.05〜0.2%、Mo:0.05〜0.4%、Nb:0.001〜0.05%、Cu:0.01〜4%、Ni:0.01〜4%、B:0.0001〜0.005%の1種又は2種以上を含有し、残部がFe及び不可避的不純物からなり、焼戻しマルテンサイト主体の組織で、表面から少なくとも200μm深さまでの窒素濃度が平均窒素濃度より0.02%以上高いことを特徴とする耐遅れ破壊特性に優れた高強度鋼材。
(2) さらに、Al:0.003〜0.1%、Ti:0.003〜0.05%、Mg:0.0003〜0.01%、Ca:0.0003〜0.01%、Zr:0.0003〜0.01%の1種又は2種以上を含有することを特徴とする(1)記載の耐遅れ破壊特性に優れた高強度鋼材。
(3) 表面に、窒素濃度が平均窒素濃度より0.02%以上高い窒化層を有し、該窒化層の深さが表面から200μm以上、1000μm以下であることを特徴とする(1)又は(2)に記載の耐遅れ破壊特性に優れた高強度鋼材。
(4) 焼戻しマルテンサイトの面積率が85%以上であることを特徴とする(1)〜(3)の何れか1項に記載の耐遅れ破壊特性に優れた高強度鋼材。
(5) 鋼材表面の圧縮残留応力が200MPa以上であることを特徴とする(1)〜(4)の何れか1項に記載の耐遅れ破壊特性に優れた高強度鋼材。
(6) 質量%で、C:0.10〜0.55%、Si:0.01〜3%、Mn:0.1〜2%を含有し、さらに、Cr:0.05〜1.5%、V:0.05〜0.2%、Mo:0.05〜0.4%、Nb:0.001〜0.05%、Cu:0.01〜4%、Ni:0.01〜4%、B:0.0001〜0.005%の1種又は2種以上を含有し、残部がFe及び不可避的不純物からなり、焼戻しマルテンサイト主体の組織で、表面から少なくとも200μm深さまでの窒素濃度が平均窒素濃度より0.02%以上高いことを特徴とする耐遅れ破壊特性に優れた高強度ボルト。
(7) さらに、Al:0.003〜0.1%、Ti:0.003〜0.05%、Mg:0.0003〜0.01%、Ca:0.0003〜0.01%、Zr:0.0003〜0.01%の1種又は2種以上を含有することを特徴とする(6)記載の耐遅れ破壊特性に優れた高強度ボルト。
(8) 表面に、窒素濃度が平均窒素濃度より0.02%以上高い窒化層を有し、該窒化層の深さが表面から200μm以上、1000μm以下であることを特徴とする(6)又は(7)に記載の耐遅れ破壊特性に優れた高強度ボルト。
(9) 焼戻しマルテンサイトの面積率が85%以上であることを特徴とする(6)〜(8)の何れか1項に記載の耐遅れ破壊特性に優れた高強度ボルト。
(10) 鋼材表面の圧縮残留応力が200MPa以上であることを特徴とする(6)〜(9)の何れか1項に記載の耐遅れ破壊特性に優れた高強度ボルト。
(11) (1)〜(5)の何れか1項に記載の高強度鋼材の製造方法であって、(1)又は(2)に記載の成分からなる鋼材を所望の形状に加工した後、窒化処理温度を500℃以下で窒化処理することを特徴とする耐遅れ破壊特性に優れた高強度鋼材の製造方法。
(12) (6)〜(10)の何れか1項に記載のボルトの製造方法であって、(5)又は(6)に記載の成分を有する鋼材をボルトに加工した後、窒化処理温度を500℃以下で窒化処理することを特徴とする耐遅れ破壊特性に優れた高強度ボルトの製造方法。
【発明の効果】
【0010】
本発明により、腐食の厳しい環境においても耐遅れ破壊特性を維持する高強度鋼材(線材、PC鋼棒)、高強度ボルト及びその安価な製造方法の提供が可能になり、産業上の貢献が極めて顕著である。
【図面の簡単な説明】
【0011】
【図1】昇温法による水素分析の水素放出曲線である。
【図2】EDXによる窒素濃度プロファイルである。
【図3】鋼材の遅れ破壊試験に用いた試験片平面図である。
【図4】遅れ破壊試験装置の説明図である。
【図5】腐食促進試験の温度及び湿度パターンである。
【図6】限界拡散性水素量の説明図である。
【発明を実施するための形態】
【0012】
鋼の遅れ破壊は、鋼中の水素が関与していることが知られている。また、鋼への水素の侵入過程は、実環境使用時における腐食に伴って起こることが知られている。侵入した拡散性水素が、引張の応力集中部に拡散して、遅れ破壊を発生させる。
【0013】
図1は、鋼材を100℃/hの昇温速度で加熱した際に得られる温度−水素放出速度曲線を模式的に示したものであるが、拡散性水素は図1の100℃付近にピークを持つものである。本発明では、試料を昇温し、室温から400℃までに測定された水素量を拡散性水素量と定義した。
【0014】
拡散性水素量が少ないと遅れ破壊は発生せず、拡散性水素量が多くなると遅れ破壊が発生する。遅れ破壊が発生する最少の拡散性水素量をここでは限界拡散性水素量と呼ぶ。限界拡散性水素量は、鋼の種類によって異なる。限界拡散性水素量が高いほど、遅れ破壊が起きづらくなるので好ましい。しかし、腐食環境からの侵入水素量が多くなると、限界拡散性水素量と比較して侵入水素量の方が多くなるため、遅れ破壊が発生するという問題があった。
【0015】
本発明者は、種々の高強度の鋼材に様々な窒化処理を行い、腐食促進試験及び暴露試験により、水素侵入特性及び耐遅れ破壊特性を検討した。その結果、鋼材の表面に窒化処理を施して窒化層を形成すること、具体的には、鋼材の表面から少なくとも200μm以上の深さまで平均窒素濃度より0.02%以上窒素濃度を高めることにより、拡散性水素の侵入が大幅に抑制されることが判った。また、窒化処理後に急冷することにより表面に圧縮残留応力が発生し、耐遅れ破壊特性が向上することを見出した。特に、鋼材を加工し、表層に歪みが導入される高強度ボルトでは、窒化層の生成が促進され、また、窒素濃度が高くなるため、耐遅れ破壊特性の向上が顕著である。
【0016】
以下、本発明について詳細に説明する。
【0017】
本発明の高強度鋼材及び高強度ボルトは、所定成分の鋼からなり、その表面に窒化層を形成したものである。
【0018】
まず、表面の窒化層について説明する。窒素濃度が平均窒素濃度より0.02%以上高い領域が表面から200μm以上になると水素侵入量が大幅に減少することが判明した。そのため、窒素が高い領域として、窒素濃度が平均窒素濃度より0.02%以上高い領域と定めた。そして、窒素濃度の高い領域を表面から200μm以上に限定した。窒化層の厚みの上限は、特に規定しないが、1000μm超とすることは生産性の低下につながり、コストが高くなるという問題が生じるため、1000μm以下とすることが好ましい。
【0019】
このような鋼からなり、その表面に窒化層を有する鋼材(線材又はPC鋼棒)、ボルトの断面を研磨して、エネルギー分散型蛍光X線分析装置(EDXと言う)もしくは波長分散型蛍光X線分析装置(WDSと言う)にて線分析すると、図2に示すように表層部から中心部に向かい窒素濃度が減少し、表面からある深さまでの窒素濃度が、平均窒素濃度より0.02%以上高くなるプロファイルを示すため、表面の窒素濃度が平均窒素濃度より0.02%以上高くなっている範囲が判別可能である。図2の窒素濃度が平均窒素濃度より0.02%以上高くなっている領域の表面からの距離を窒化層深さと定義する。
【0020】
窒化層深さの測定は、任意の5ヶ所の単純平均として求めることができる。
【0021】
なお、平均窒素濃度とは、窒化前の鋼材又はボルトに含まれる窒素量である。したがって、窒化後の鋼材又はボルトの平均窒素濃度は、EDXや、WDSによって、表面から窒素濃度を測定し、数値が一定になった深さでの窒素濃度として求めることができる。表面から2000μm以上の深さで、窒素濃度を測定してもよい。また、表面から2000μm以上を研削して、分析試料を採取し、化学分析によって平均窒素濃度を測定することも可能である。
【0022】
次に、鋼材の成分を限定した理由について説明する。
【0023】
C:Cは、鋼材の強度を確保する上で必須の元素であるが、0.10%未満であると所要の強度が得られず、0.55%を超えると延性、靭性を低下させると共に、耐遅れ破壊特性も低下する。そのため、Cの含有量を0.10〜0.55%の範囲に限定した。
【0024】
Si:Siは、固溶体硬化作用によって強度を高める元素であるが、Siの含有量が0.01%未満では効果が不十分であり、3%超では効果が飽和する。そのため、Siの含有量を0.01〜3%に限定した。
【0025】
Mn:Mnは、脱酸、脱硫のために必要であるばかりではなく、マルテンサイト組織を得るための焼入れ性を高めることや、パーライト組織、ベイナイト組織の変態温度を下げて、高強度を得るために有効な元素である。しかし、Mnの含有量が0.1%未満であると効果が不十分であり、2%を超えるとオーステナイト加熱時に粒界に偏析し、粒界を脆化させると共に、耐遅れ破壊特性を劣化させる。そのため、Mnの含有量を0.1〜2%の範囲に限定した。
【0026】
更に、高強度にすることを目的に、Cr、Nb、V、Mo、Cu、Ni、Bの1種又は2種以上を含有する。
【0027】
Cr:Crは、マルテンサイト組織を得るための焼入れ性を高めること及び焼戻し処理時の軟化抵抗増加させることや、パーライト組織、ベイナイト組織の変態温度を下げて、高強度を得るために有効な元素である。Crの含有量が、0.05%未満ではその効果が十分には得られ難く、1.5%を超えると靭性の劣化を招くことがある。そのため、Crの含有量を0.05〜1.5%の範囲とする。
【0028】
V:Vは、マルテンサイト組織を得るための焼入れ性を高めること及び焼戻し処理時の軟化抵抗増加させることや、パーライト組織、ベイナイト組織の変態温度を下げて、高強度を得るために有効な元素である。Vの含有量が、0.05%未満ではその効果が十分には得られ難く、0.2%を超えるとその効果が飽和してくる。そのため、Vの含有量を0.05〜0.2%の範囲とする。
【0029】
Mo:Moは、マルテンサイト組織を得るための焼入れ性を高めること及び焼戻し処理時の軟化抵抗増加させることや、パーライト組織、ベイナイト組織の変態温度を下げて、高強度を得るために有効な元素である。Moの含有量が、0.05%未満ではその効果が十分には得られ難く、0.4%を超えるとその効果が飽和してくる。そのため、Moの含有量を0.05〜0.4%の範囲とする。
【0030】
Nb:Nbは、Cr、V、Moと同様に、マルテンサイト組織を得るための焼入れ性を高めること及び焼戻し処理時の軟化抵抗増加させることや、パーライト組織、ベイナイト組織の変態温度を下げて、高強度を得るために有効な元素である。Nbの含有量が、0.001%未満ではその効果が十分には得られ難く、0.05%を超えるとその効果が飽和してくる。そのため、Nbの含有量を0.001〜0.05%とする。
【0031】
Cu:Cuの添加により、焼入れ性の向上、焼戻し軟化抵抗の増大、及び析出効果による高強度化を図ることができる。しかし、Cuの含有量が0.01未満では効果が十分には得られ難く、4%を超えると粒界脆化を起こして耐遅れ破壊特性を劣化させることがある。そのため、Cuの含有量を0.01〜4%の範囲とする。
【0032】
Ni:Niは、焼入れ性を向上させ、高強度化に伴って低下する延靭性を改善する効果がある。しかし、Niの含有量が0.01%未満であると効果が十分には得られ難く、4%を超えて含有させても効果が飽和する。そのため、Niの含有量を0.01〜4%の範囲とする。
【0033】
B:Bは、粒界破壊を抑制し、耐遅れ破壊特性を向上させる効果がある。さらに、Bは、オーステナイト粒界に偏析し、焼入れ性を著しく高める。しかし、Bの含有量が0.0001%未満であると効果が十分には得られ難く、0.005%を超えると粒界にB炭化物やFe炭硼化物が生成し、粒界脆化を起こして耐遅れ破壊特性が低下する。そのため、Bの含有量を0.0001〜0.005%の範囲とする。
【0034】
更に、組織を微細化することを目的に、Al、Ti、Mg、Ca、Zrの1種又は2種以上を含有することができる。
【0035】
Al:Alは、脱酸及び熱処理によりAl酸化物やAl窒化物を形成して、オーステナイト粒の粗大化を防止する。これにより、耐遅れ破壊特性の劣化を抑制する効果を奏するが、この効果は、Alの含有量が、0.003%未満ではやや不十分であり、0.1%超では飽和する。そのため、Alの含有量を0.003〜0.1%の範囲とすることが好ましい。
【0036】
Ti:Tiも、Alと同様に、酸化物や窒化物を形成してオーステナイト粒の粗大化を防止し、耐遅れ破壊特性の劣化を抑制する元素である。この効果は、Tiの含有量が0.003%未満ではやや不十分であり、0.05%を超えると粗大なTi炭窒化物が圧延や加工あるいは熱処理のための加熱時に粗大化し、靭性が低下する。そのため、Tiの含有量を0.003〜0.05%の範囲とすることが好ましい。
【0037】
Mg:Mgは、脱酸や脱硫効果を有し、また、Mg酸化物やMg硫化物、Mg−Al、Mg−Ti、Mg−Al−Tiの複合酸化物や複合硫化物等を形成し、オーステナイト粒の粗大化を防止する。これにより、耐遅れ破壊特性の劣化を抑制する効果を奏するが、この効果は、Mgの含有量が0.0003%未満であるとやや不十分であり、0.01%超では飽和する。そのため、Mgの含有量を0.0003〜0.01%の範囲とすることが好ましい。
【0038】
Ca:Caは、脱酸や脱硫効果を有し、また、Ca酸化物やCa硫化物、Al、Ti、Mgの複合酸化物や複合硫化物等を形成して、オーステナイト粒の粗大化を防止し、耐遅れ破壊特性の劣化を抑制する。この効果は、Caの含有量が0.0003%未満ではやや不十分であり、0.01%超では飽和する。そのため、Caの含有量を0.0003〜0.01%の範囲とすることが好ましい。
【0039】
Zr:Zrは、Zr酸化物やZr硫化物、Al、Ti、Mg、Zrの複合酸化物や複合硫化物等を形成し、オーステナイト粒の粗大化を防止して、耐遅れ破壊特性の劣化を抑制する。この効果は、Zrの含有量が、0.0003%未満ではやや不十分である。一方、Zrを0.01%を超えて含有させても効果が飽和する。そのため、Zrの含有量を0.0003〜0.01%の範囲とすることが好ましい。
【0040】
次に、本発明の組織形態について説明する。
【0041】
本発明の高強度鋼材の組織形態は、焼き戻しマルテンサイト主体の組織である。85%以上焼戻しマルテンサイト組織で、残部が、残留オーステナイト、ベイナイト、パーライト、フェライトの1種又は2種以上からなる組織を焼戻しマルテンサイト主体の組織と規定する。Ac1変態温度〜Ac3変態温度+250℃まで再加熱、もしくは熱間圧延後に焼入れ、500℃以下の温度で焼戻しすることにより、もしくは窒化処理することによりこのような組織を得ることができる。マルテンサイト組織率の測定は、C断面を研磨したものをナイタールエッチングし、光学顕微鏡で0.04mm2の範囲の5視野測定した平均値を用いることができる。本発明は焼戻しマルテンサイト主体の組織としているので、1300MPa以上の引張強度で延性、靭性が良好である。
【0042】
表面の圧縮残留応力は、窒化後に急冷することにより発生し、耐遅れ破壊特性を改善する。特に、200MPa以上の圧縮残留応力が発生すると、耐遅れ破壊特性が向上するため、表面の圧縮残留応力を200MPa以上とすることが好ましい。残留応力は、X線残留応力測定装置を用いて測定することができる。測定では、表面の残留応力測定後、電解研磨にて25μmずつエッチングを行い、深さ方向の残留応力を測定する。残留応力測定は、任意の3箇所を測定し、その平均値を用いる。
【0043】
引張強度は、1300MPa以上になると、遅れ破壊の発生頻度が著しく増加するため、表面に窒化層を形成させて耐遅れ破壊特性を向上させる効果が顕著になる。引張強度の上限は、2200MPaを超えることは、技術的に困難である。引張強度の測定は、JIS Z 2241に準拠して行えば良い。
【0044】
遅れ破壊の限界拡散性水素量は、図3に示した遅れ破壊試験片に水素を侵入させた後、図4に示した試験機で引張強度の90%の荷重を負荷し、100時間以上破断しなかった時の上限の拡散性水素量である。図4に示す試験機では、試験片1に引張加重を付加するに際し、支点3を支点とするテコの一方の端にバランスウェイト2を設置し、他方の端に試験片1を設置して行う。遅れ破壊試験片に水素を侵入させる水素チャージは、電解チャージ法で行う。また、水素チャージ後に、拡散性水素の逃散を防止するため、試験片の表面にCdめっきを施し、試験片内部の水素濃度を均質化するために室温で3時間放置した。拡散性水素量は、試料を100℃/hで昇温し、室温から400℃までに放出された水素量の積算値を、ガスクロマトグラフにより測定したものである。
【0045】
次に、本発明の高強度鋼材、高強度ボルトの製造方法について説明する。
【0046】
本発明の高強度鋼材(線材、PC鋼棒)の製造方法は、所定の成分からなる鋼を常法にしたがって溶製、鋳造により鋼片とし、加熱して熱間加工又はこれに加えて冷間加工により鋼材とし、表面に窒化層を形成するものである。熱間加工後、冷間加工、熱処理を適宜行っても良い。また、本発明の高強度ボルトの製造方法は、所定の成分からなる鋼を常法にしたがって線材とし、冷間又は温間加工によりボルトとし、表面に窒化層を形成するものである。
【0047】
鋼の表面の窒化層は、「ガス窒化法」、「ガス軟窒化法」、「プラズマ窒化法」、「塩浴窒化法」等の一般的な窒化法を用いて形成することができる。
【0048】
窒化処理時の温度は、500℃を超えると鋼材の強度を得ることが困難になるため、500℃以下とする。また、処理温度の下限は、特に限定しないが、400℃未満であると、表面からの窒素拡散に時間がかかり、コスト的に不利である。
【0049】
窒化処理時の時間は、1時間未満であると窒素濃度の高い領域が表面から200μm深さまで得られないため、1時間以上とする。また、処理時間の上限は規定しないが、12時間を越えるとコスト的にメリットが得られないため、12時間以下とすることが好ましい。
【実施例】
【0050】
表1に示す化学組成を有する鋼を、常法にしたがって、溶製、熱間加工し、線材とした。その鋼材に、Ac1変態温度〜Ac3変態温度+250℃範囲内の温度である850℃〜1000℃で加熱して焼入れを行い、その後にガス軟窒化法で窒化層を形成した。ガス軟窒化では、400〜500℃の温度範囲、処理ガス雰囲気中のアンモニア体積比を30〜50%、処理時間を1〜12時間の条件での処理を行った。窒化処理温度は表2に示す温度とした。また、熱間加工後の線材をボルトに加工し、同様の条件で、焼入れを行い、ガス軟窒化法で窒化層を形成した。
【0051】
【表1】

【0052】
焼戻しマルテンサイト比率の測定は、C断面を研磨したものをナイタールエッチングし、光学顕微鏡で0.04mm2の範囲の5視野測定した平均値を用いた。なお、焼戻しマルテンサイトの残部の組織は、残留オーステナイト、ベイナイト、パーライト、フェライトの1種又は2種以上であった。
【0053】
引張強度を、JIS Z 2241に準拠して測定した。
【0054】
試料の断面を研磨し、任意の5箇所をEDXで分析し、表面からの窒素濃度分布を測定し、窒素濃度が平均窒素濃度より0.02%以上高い領域の深さを「窒化層深さ」とした。併せて平均窒素濃度と表層から200μm深さの窒素濃度との差を測定した。いずれも5箇所の平均値を測定値とした。
【0055】
残留応力は、X線残留応力測定装置を用いて測定を行った。測定では、表面の残留応力測定後、電解研磨にて25μmずつエッチングを行い、深さ方向の残留応力を測定した。残留応力測定は、任意の3箇所を測定し、その平均値を用いた。
【0056】
侵入水素量は、図5示したパターンで腐食試験を30サイクル行った後、サンドブラストにて表面の腐食層を除去し、昇温法で水素分析を行い、室温から400℃までに測定された水素量である。
【0057】
また、遅れ破壊の限界拡散性水素量は、図3の試験片に水素チャージし、表面にCdめっきして室温で3時間放置し、図4に示す試験機で引張強さの90%の荷重をかけた定荷重遅れ破壊試験を行い、図6に模式的に示した破断時間−拡散性水素量のグラフにおいて、100時間以上で破断しなかった試験片の拡散性水素量の最大値とした。なお、水素チャージは、電解水素チャージ法を用いて行い、チャージ電流によって水素レベルを変化させた。
【0058】
侵入水素量と遅れ破壊の限界拡散性水素量を比較して、侵入水素量より限界拡散性水素量の多い場合は遅れ破壊が発生せず、逆に、限界拡散性水素量の方が少ない場合は遅れ破壊が発生する。したがって、この侵入水素量と限界拡散性水素量の大小で耐遅れ破壊特性を評価した。
【0059】
鋼材の試験結果を表2に示す。表2のNo.1〜15は、表面の窒化層(窒素濃度が平均窒素濃度より0.02%以上高い層)厚さが200μm以上を有し、平均窒素濃度と深さ200μmでの窒素濃度の差が0.02%以上で、何れも引張強度が1300MPa以上であり、腐食促進試験における侵入水素量は0.1ppm以下、限界拡散性水素量が0.15ppm以上であり、侵入水素量よりも限界拡散性水素量の方が多い。
【0060】
これに対して、比較例であるNo.16は、C量、Si量、Mn量が少なく強度が低い例である。No.17はC量、No.18はMn量、No.19はCr量、No.20はCu量、No.21はNi量、No.22はB量が多いため、耐遅れ破壊特性が低下した例である。No.23は、表面付近の窒素濃度は平均窒素濃度より0.02%以上高いものの、窒化層の厚さが200μm未満であり、侵入水素量が多く、耐遅れ破壊特性が低下した例である。No.24は、窒化処理による窒素濃化層の厚さは200μmに満たなかった例であり、侵入水素量が多く、耐遅れ破壊特性が低下した。
【0061】
【表2】

【0062】
更に、ボルトの試験結果を表3に示す。なお、ボルトの焼戻しマルテンサイト比率、引張強度、窒化層深さ、残留応力、水素侵入量、遅れ破壊の限界拡散水素量の測定は、鋼材と同様にして行った。表2及び表3から、No.1〜15の線材をボルトに加工後、窒化したNo.26〜40は、線材に比べて、更に侵入水素量が抑制されていることがわかる。
【0063】
【表3】

【符号の説明】
【0064】
1 試験片
2 バランスウェイト
3 支点

【特許請求の範囲】
【請求項1】
質量%で、
C :0.10〜0.55%、
Si:0.01〜3%、
Mn:0.1〜2%
を含有し、さらに、
Cr:0.05〜1.5%、
V :0.05〜0.2%、
Mo:0.05〜0.4%、
Nb:0.001〜0.05%、
Cu:0.01〜4%、
Ni:0.01〜4%、
B :0.0001〜0.005%
の1種又は2種以上を含有し、残部がFe及び不可避的不純物からなり、焼戻しマルテンサイト主体の組織で、表面から少なくとも200μm深さまでの窒素濃度が平均窒素濃度より0.02%以上高いことを特徴とする耐遅れ破壊特性に優れた高強度鋼材。
【請求項2】
さらに、
Al:0.003〜0.1%、
Ti:0.003〜0.05%、
Mg:0.0003〜0.01%、
Ca:0.0003〜0.01%、
Zr:0.0003〜0.01%
の1種又は2種以上を含有することを特徴とする請求項1記載の耐遅れ破壊特性に優れた高強度鋼材。
【請求項3】
表面に、窒素濃度が平均窒素濃度より0.02%以上高い窒化層を有し、該窒化層の深さが表面から200μm以上、1000μm以下であることを特徴とする請求項1又は2に記載の耐遅れ破壊特性に優れた高強度鋼材。
【請求項4】
焼戻しマルテンサイトの面積率が85%以上であることを特徴とする請求項1〜3の何れか1項に記載の耐遅れ破壊特性に優れた高強度鋼材。
【請求項5】
鋼材表面の圧縮残留応力が200MPa以上であることを特徴とする請求項1〜4の何れか1項に記載の耐遅れ破壊特性に優れた高強度鋼材。
【請求項6】
質量%で、
C :0.10〜0.55%、
Si:0.01〜3%、
Mn:0.1〜2%
を含有し、さらに、
Cr:0.05〜1.5%、
V :0.05〜0.2%、
Mo:0.05〜0.4%、
Nb:0.001〜0.05%、
Cu:0.01〜4%、
Ni:0.01〜4%、
B :0.0001〜0.005%
の1種又は2種以上を含有し、残部がFe及び不可避的不純物からなり、焼戻しマルテンサイト主体の組織で、表面から少なくとも200μm深さまでの窒素濃度が平均窒素濃度より0.02%以上高いことを特徴とする耐遅れ破壊特性に優れた高強度ボルト。
【請求項7】
さらに、
Al:0.003〜0.1%、
Ti:0.003〜0.05%、
Mg:0.0003〜0.01%、
Ca:0.0003〜0.01%、
Zr:0.0003〜0.01%
の1種又は2種以上を含有することを特徴とする請求項6記載の耐遅れ破壊特性に優れた高強度ボルト。
【請求項8】
表面に、窒素濃度が平均窒素濃度より0.02%以上高い窒化層を有し、該窒化層の深さが表面から200μm以上、1000μm以下であることを特徴とする請求項6又は7に記載の耐遅れ破壊特性に優れた高強度ボルト。
【請求項9】
焼戻しマルテンサイトの面積率が85%以上であることを特徴とする請求項6〜8の何れか1項に記載の耐遅れ破壊特性に優れた高強度ボルト。
【請求項10】
鋼材表面の圧縮残留応力が200MPa以上であることを特徴とする請求項6〜9の何れか1項に記載の耐遅れ破壊特性に優れた高強度ボルト。
【請求項11】
請求項1〜5の何れか1項に記載の高強度鋼材の製造方法であって、請求項1又は2に記載の成分からなる鋼材を所望の形状に加工した後、窒化処理温度を500℃以下で窒化処理することを特徴とする耐遅れ破壊特性に優れた高強度鋼材の製造方法。
【請求項12】
請求項6〜10の何れか1項に記載のボルトの製造方法であって、請求項5又は6に記載の成分を有する鋼材をボルトに加工した後、窒化処理温度を500℃以下で窒化処理することを特徴とする耐遅れ破壊特性に優れた高強度ボルトの製造方法。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【公開番号】特開2009−299181(P2009−299181A)
【公開日】平成21年12月24日(2009.12.24)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2009−61545(P2009−61545)
【出願日】平成21年3月13日(2009.3.13)
【出願人】(000006655)新日本製鐵株式会社 (6,474)
【Fターム(参考)】