説明

耐食性に優れる炭化物サーメット溶射皮膜被覆部材およびその製造方法

【課題】 腐食性の少ない環境では耐摩耗性を発揮するものの、耐食性に乏しいため、その優れた性能を十分に利用することができないというWC系サーメットの問題を克服すること。
【解決手段】 WCに対し、バインダー成分として、Cr:5〜30mass%、Mo:5〜30mass%、Fe:0.5〜15mass%を必須成分として含み、さらに選択的添加成分としてW:0〜4mass%、Co:0〜3mass%、Cu:0〜2mass%を混合してなるWCサーメット溶射材料粉末を、高速フレーム溶射法により溶射して成膜する。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、耐摩耗性の他、とくに耐食性に優れた炭化物サーメット溶射皮膜を被覆してなる部材に関するものであり、従来の炭化物サーメット溶射皮膜、とりわけWCサーメット溶射皮膜の弱点である耐食性が大幅に改善された炭化物サーメット溶射皮膜被覆部材とその製造方法を提案するものである。
【背景技術】
【0002】
溶射法は、金属(合金を含む)やセラミック、サーメットなどの粉末材料を、ガスプラズマや可燃性ガスの燃焼炎などの熱源によって溶融し、これを基材表面に吹き付けて所望の皮膜を形成する表面処理技術の1つであり、産業界で広く利用されている技術である。このように溶射法は、熱源中で軟化したり溶融したりする材料であれば、皮膜の形成が可能である。従って、この溶射法は、他の表面処理技術に比較して、基材や溶射(成膜)材料に対する選択の自由度が大きいという特徴があり、材料が具える多様な機能をそのまま皮膜化して付与することが容易である。ただし、溶射材料が金属炭化物や金属窒化物のように、熱源中で明確な溶融現象を示さない材料については、溶射の施工が困難である。この場合でも、前記材料中に金属成分をバインダーとして添加し、いわゆるサーメット状態の材料として使用すると、成膜が可能になる。特に、炭化物サーメットは、硬度が高く、耐摩耗性に優れているうえ、鏡面仕上げが可能になることから、精密機械装置の摺動部や回転部に用いられ、機械装置の性能向上に大きな役割りを果たしている。
【0003】
ところで、溶射用材料として用いられる炭化物としては、WC、Cr32、B4C、TiC、ZrCあるいはNbCなどがあり、また、その炭化物に添加するバインダー成分としては、Co、Cr、Ni、Al、Moなどの金属もしくはこれらの合金が使用されている。例えば、特許文献1〜4では、耐溶融金属侵食性に優れた溶射皮膜として、WCにCo、Ni、Cr、Siなどの金属をバインダーとして添加したものを、溶融亜鉛や溶融アルミニウム浴用溶射皮膜として利用する技術が開示されており、特許文献5〜7では、硬くかつ耐摩耗性に優れるとともに非鉄金属との凝着性の低いWCを利用して、バインダー金属としてCo、Ni、Ni−Cr、Co−Crを用いたWCサーメット皮膜被覆用ロール類を開示しており、特許文献8では、鏡面仕上げしたWC−Niサーメット溶射皮膜による塗工紙用ロールへの溶射技術を開示しており、特許文献9〜13では、一般的な機械装置部材の耐摩耗向上を目的としてWCサーメット溶射皮膜を被覆する技術を開示している。
また、発明者らも、特許文献14において、従来のWCサーメット溶射皮膜の耐食性を向上させるための手段として、WCに添加するバインダー金属として、Ni、Cr、Co、Al、Fe、特許文献15ではNi、Cr、Co、Mo、特許文献16ではNi、Cr、Co、Alなどの金属を含むWCサーメット溶射材料とその皮膜を提案した。
【特許文献1】特公昭58−037386号公報
【特許文献2】特公平2−055502号公報
【特許文献3】特開2000−054096号公報
【特許文献4】特開2000−144358号公報
【特許文献5】特公平4−069481号公報
【特許文献6】特公平7−014525号公報
【特許文献7】特開平11−256303号公報
【特許文献8】特開平11−256303号公報
【特許文献9】特開2000−093233号公報
【特許文献10】特開平9−150932号公報
【特許文献11】特開平9−085739号公報
【特許文献12】特開平6−117537号公報
【特許文献13】特開平5−117537号公報
【特許文献14】特開平6−116702号公報
【特許文献15】特開2003−096553号公報
【特許文献16】特開2003−105426号公報
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0004】
一般に、炭化物と金属・合金からなる炭化物サーメット溶射皮膜の特性は、主成分である炭化物セラミックスの特性とバインダー金属(合金)の種類とその添加量によって変化するので、これらの選択は非常に重要である。しかしながら、溶射材料の製造には、高価な設備費や専門の粉体技術者が必要になることに加え、生産コストが高くなるなどの理由で、実際には市販の不特定多数の用途に便利で平均的な特性を有する炭化物サーメットが使用され、本発明の用途のように、卓越した耐食性を発揮する材料は一般化されていないのが実情である。
【0005】
現在、市販されている炭化物サーメット材料は、炭化物サーメット溶射皮膜に要求される諸性質、即ち、硬くかつ耐摩耗性に優れると同時に、亜鉛やアルミニウムと凝着することがなく、耐溶融金属性があり、弱い腐食作用に対してのみ耐食性を有するものが多い。しかしながら、それは炭化物系溶射材料(皮膜)の一般的な特性レベルであって、先端工業の分野で求めているような高度な機能を示すことと同じではない。特に、WCサーメット溶射皮膜は、炭化物の中では硬さが高く耐摩耗性に優れているが、耐食性が悪いため、機能材料として不十分で有効活用ができていない状況にある。
【0006】
例えば、既知のWCサーメット溶射皮膜の場合、次のような課題がある。
(1)WCサーメット溶射皮膜は、酸化物系セラミック溶射皮膜と同様に高い硬さを示し、高耐摩耗性を有するものの耐食性が悪く、工業用途において、しばしば赤さびが発生し、最終的には皮膜が剥離することがある。
(2)近年の先端工業では、石油化学製品をはじめ高分子材料の製造プラントで使用されている装置は、従来のプラントに比較するとハロゲンガスなどによる厳しい腐食環境に置かれており、このような環境下で使用されるWCサーメット溶射皮膜は、耐摩耗性よりもむしろ耐食性の向上が求められている。しかし、現状のWCサーメット溶射皮膜は、その要求性能を満たすものではない。
【0007】
上記課題を解決するため、発明者らは、とくにWCサーメット溶射皮膜の耐食性を向上させることを目的として、鋭意研究を続けたところ、WCにバインダーとして加える金属・合金成分の組成の影響が大きいことを知見した。即ち、従来から使用されてきたCo、Cr、Niなどに加えてさらにFeやMoなどを含む好適な組成をしたバインダー合金の使用が有効であることがわかってきた。
即ち、本発明の目的は、WCサーメット溶射皮膜が本来的に具えている優れた特性を阻害することなく、この溶射皮膜に新らたに高い耐食性を付与するのに有用な成分組成のWCサーメット溶射皮膜被覆部材と該溶射皮膜被覆部材の有利な製造方法を提案するところにある。
【課題を解決するための手段】
【0008】
上記目的を実現するため、溶射熱源中で溶融しにくいWC粒子どうしの間に介在してこれらを互いに結合させるバインダー作用を有する成分について検討した結果、少なくとも耐食性
が望ましいレベルとなるWCサーメット溶射皮膜の条件は下記のようなものであることがわかった。
即ち、本発明は、金属製基材の表面に、Cr:5〜30mass%、Mo:5〜30mass%およびFe:0.5〜15mass%を含み、残部がNiおよび不可避的不純物からなるNi基バインダー合金を5〜40mass%含有するWCサーメット溶射皮膜を被覆形成してなることを特徴とする耐食性に優れる炭化物サーメット溶射皮膜被覆部材を要旨構成とするものである。
【0009】
なお、本発明においては、前記Ni基バインダー合金は、さらに、W:4mass%以下、Co:3mass%以下、Cu:2mass%以下のいずれか少なくとも一種を含むものであってもよい。
【0010】
また、本発明は、金属製基材の表面に、主成分であるWCの他、5〜30mass%のCr、5〜30mass%のMoおよび0.5〜15mass%のFeを含み、残部がNiおよび不可避的不純物からなるNi基バインダー合金を5〜40mass%を含むものからなる粒子径5〜80μmのWCサーメット溶射材料を、溶射熱源中における飛行速度が秒速250m以上となる条件で溶射することにより、膜厚50〜500μmの溶射皮膜を形成することを特徴とする耐食性に優れる炭化物サーメット溶射皮膜被覆部材の製造方法を提案する。
【発明の効果】
【0011】
上記要旨構成に係る本発明によれば、耐摩耗性に優れるだけでなく、耐食性にも優れたWCサーメット溶射皮膜被覆部材を得ることができる。従って、腐食環境、とりわけ苛酷な環境で使用される部材に対して好適に用いられる。また、腐食環境下で使用される鋼材の耐摩耗用皮膜として有用であり、さらに、疲労強度の改善などに卓越した性能を発揮して、機械構造部材や各種ロール表面の機能性向上と寿命延長に大きく寄与するものが得られる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0012】
上述したように、本発明の炭化物サーメット溶射皮膜被覆部材は、各種部材の表面に形成される溶射皮膜に特徴を有するが、以下に、この皮膜を構成する成分、即ち、主要成分である炭化物セラミック(WC)とこれに混合するバインダー合金にについて述べると共に、溶射方法および形成された皮膜の特性について、順次説明する。
(1)炭化物(WC)の化学成分
主要成分となる炭化物としては、とくにWCの使用が望ましい。それは、他の金属炭化物(例えば、NbC、TaC、TiCなど)に比較すると、高い硬さ(溶射皮膜としての硬さHv:1200〜1500)を有するためであり、そのためには、なるべく純度の高い材料(≧95.0mass%程度)を用いることもまた有効である。ただし、工業的に生産されているWCには、数mass%の未反応炭素と共にCr、Ti、Feなどの炭化物を含むことがある。しかし、これらの炭化物は1mass%未満の含有量であれば、本発明の所期した目的を実現する上で、特に問題はない。なお、前記炭化物のうちCrC(Cr32、Cr73、Cr236など)については、5mass%未満までならば硬さを低下させることなく、耐熱性や耐高温酸化性を向上させる傾向があるので、含有が許容される。なお、溶射材料の製造工程(焼結プロセス)や溶射中においてWCの一部がW2Cに変化することがあるが、これらの存在の有無について、特に制限する必要はない。
【0013】
(2)バインダー合金
(A)必須成分
Cr:Crは、WCサーメット溶射皮膜の耐食性、耐高温酸化性を向上させる元素であり、5〜30mass%の範囲が好適である。その理由は、5mass%より少ないと耐食性が不十分になり、一方、これが30mass%超添加しても、その効果に格段の向上が認めらず、バインダー合金の脆化を招く危険があるので好ましくない。
【0014】
Mo:Moは、バインダー合金とWC粉末の冶金的結合力を高めるほか、被溶射体(基材)との強固な接着に効果があり、また、合金化したMoは、酸に対する腐食抵抗力がある。これらの作用効果は5〜30mass%の範囲内で有効である。その理由は、Moの含有量が5mass%以下では必要な作用効果が得られず、一方、30mass%超含有させると、却って耐食性が低下する傾向がある。
【0015】
Fe:Feは、それ自体は耐食性に乏しいが、Cr、Ni、Moと共存することによって、これらの非鉄金属成分の表面に、不働態を形成して耐食性の向上に効果がある。こうした作用は0.5〜15mass%程度の含有量で現われ、WCサーメット溶射皮膜の耐食性の向上に寄与する。この量が0.5mass%以下では添加効果がなく、一方、15mass%超では耐食性が却って低下する傾向があるので好ましくない。
【0016】
Ni:本発明においてNiは、バインダー合金の主成分であり、Crとともにバインダー合金のマトリックスとしてオーステナイト相を形成し、皮膜の耐食性、耐摩耗性に加え、延性、靭性の向上に決定的な役割を果す元素である。そのためには、少なくとも40mass%は必要であり、40mass%未満では、皮膜が脆くなったり、耐熱衝撃性が低下する。なお、このNiは、他の合金成分の含有量によって変動する残部成分であるが、好ましい標準含有量は45〜70mass%程度である。
【0017】
(B)任意成分
前掲の必須成分金属に対し、本発明のバインダー合金では、さらに下記のW、Coを添加してもよい。この場合、溶射皮膜の強度や酸に対する抵抗性が向上するので、目的に応じて必要成分として含ませる。
W:Wは、バインダー合金の機械的性質、特に高温強度の向上に効果があるので、必要に応じて4mass%まで添加する。
Co:Coは、特に添加する必要はないが、Niと共存していることが多く、また、醋酸、クエン酸などの有機酸に対しては、一定の添加効果が認められるので、3mass%程度を限度として添加する。
Cu:Cuは、バインダー合金の一般的な耐食性を若干向上させるので、必要に応じて2mass%程度を限度として添加する。
【0018】
(C)許容成分(不純物)
上述したバインダー合金については、精錬時に主として原料のバージニティとの関連で、下記の如き不可避的不純物、即ち、Ti、Si、Al、C、P、Sなどが含まれることがあるが、これらはバインダー合金の耐食性上に直接影響を与える成分ではないので、Ti、SiおよびAlについては合計で1%mass以下、C、PおよびSは合計で0.1mass%以下程度であれば、とくに問題はない。
【0019】
(3)WCサーメット溶射材料
上記成分組成からなる合金材料は、真空溶解した後、噴霧法などによって、直径0.3〜30μm程度の粉体とし、WC粉末と混合してバインダー合金粉末とする。
本発明において、WC粉末とバインダー合金粉末との混合割合は、バインダー合金の割合が5〜40mass%になるようにする。その理由は、バインダー合金の量が5mass%よりも少ないと、WCサーメット溶射皮膜とした場合に皮膜の靭性が乏しく、非常に脆くなって局部的に剥離する傾向がある。一方、この量が40mass%より多くなると溶射皮膜としての硬度が低下して、耐摩耗性が劣化する。
【0020】
なお、WCとバインダー金属とから粉末状溶射材料を作製するには、まず、それぞれの微粉を塩化ビニル溶液などの粘結剤を用いて溶射に適した粒子(直径5〜80μm)に造粒し、その後、アルゴン雰囲気中で800〜1200℃の高温で焼結する方法、あるいはWCとバインダー合金との混合物を予め焼結させた後、これを粉砕して溶射用粉末とする方法などがある。これらの何れの方法でWCサーメット溶射材料を製造した場合でも、その粒径を5〜80μmの大きさにすることが重要である。その理由は、5μmより小さい粒子では、溶射ガンへの供給が不安定になりやすく、一方、80μmより大きい粒子では、熱源中での加熱が不充分となって、緻密な溶射皮膜の形成が困難となるからである。なお、焼結工程において、WC中に含まれている未反応炭素とバインダー合金中のCrやMoとが反応してクロム炭化物やモリブデン炭化物をつくることがあるが、上述したように、このような炭化物類の生成は本発明の作用効果を得る上での障害にはならないし、むしろ耐摩耗性をはじめ耐食性や耐熱性の向上に寄与する場合もある。
【0021】
(4)溶射方法
上述したWCサーメット溶射材料を用いて所望の溶射皮膜を形成するための方法は、高速フレーム溶射法や爆発溶射法などが適している。これに対し、大気プラズマ溶射法は、熱源温度が高過ぎ、溶射粒子中のWCが酸化したり分解したりするので、皮膜を構成する粒子の相互結合力が弱くなるとともに多孔質化を招くので好ましくない。ただ、減圧プラズマ溶射法は、溶射環境がジェットの温度を4000℃程度に低下する一方、噴射速度を高め、かつ、雰囲気中が実質的に酸素を含まない溶射環境にすれば、酸化反応によるWCの劣化が殆ど認められないので適用が可能である。
【0022】
本発明方法の実施に好適な溶射の方法は、溶射材料を1800〜2500℃程度の熱源に加熱し、熱源中を通過する溶射材料粒子の飛行速度を秒速250m以上とする。このような条件(大きな運動エネルギーをもって)で溶射することによって、WC粉末を、分解させずバインダー合金のみを軟化させた状態で、基材表面に衝突させて固着することができる。
ここで、溶射時の溶射熱源中における粒子の飛行速度を250m/sec以上にする理由は、この速度よりも小さいと、熱源中を通過する時間が長くなって、WCが酸化・分解するとともに、粒子の運動エネルギーが小さくなって、皮膜の密着性が低くなったり、また、気孔の多い皮膜を形成するからである。なお、その上限の速度は、600m/sec程度と考えられる。
【0023】
(5)基材表面に被覆した溶射皮膜
本発明において、基材表面に被覆形成した溶射皮膜は、その膜厚を50〜500μmとすることが好適である。その理由は、膜厚が50μm未満では皮膜としての寿命が短いうえ、均等な必要厚さが得られ難いからであり、一方、500μm超では成膜時間が長くなって生産性に劣るほか、膜厚に見合う性能が得られないためである。なお、皮膜の化学組成は、基本的に上記溶射材料と同じであり、皮膜の気孔率は0.1〜0.5%程度にすることが好ましい。
【0024】
このようにして基材表面と形成されたWCサーメット溶射皮膜は、次に示すような特徴がある。
(a)溶射皮膜を構成するWC粒子とバインダー合金粒子との相互結合力が強く、緻密で基材との密着性が良好である。
(b)溶射皮膜の硬さは、微小ビッカース硬度計でHv:1100〜1250を示すほど硬く、耐摩耗性に優れるほか、卓越した耐食性を有する。
(c)WCサーメット溶射皮膜の表面は、硬質の砥石(例えば、ダイヤモンド砥石など)で研削し、ラッピング仕上げなどの方法によって鏡面に加工することができ、また、皮膜の断面を研削すれば、鋭利な角度を有する刃物などにも加工することができる。
【実施例】
【0025】
(実施例1)
この実施例に供試したWCサーメット溶射材料のうちのバインダー合金の化学成分を表1に示す。記号A〜Fが本発明に適合する条件のバインダー合金であり、この合金は必須成分として、Cr:5〜30mass%、Mo:5〜30mass%、Fe:0.5〜15mass%、残部Niからなり、さらに、必要に応じて添加する任意成分として、Cu≦2mass%、W≦4mass%、Co≦3mass%含むものである。
なお、記号G〜Nは、比較例(市販品)のバインダーおよび一部試作した金属・合金を示したものである。
また、WC粉末としては純度98.5mass%の市販品を用いた。そして、溶射材料は、前記WC粉末と、表1に記載のバインダー合金・金属を5〜50mass%の範囲内で変化させた混合物(表2)を製造した後、これを加熱焼結したものを製造し、さらに粒径5〜40μmの範囲内に収まるように、篩分けしたものを準備した。
【0026】
この実施例では、表1に記載の異なる成分組成を有するバインダー合金・金属を含むWCサーメット溶射材料を、大気プラズマ溶射法、高速フレーム溶射法を用いて、ステンレス鋼(SUS304)製基材の表面に100μmの厚さに形成し、その後、被覆形成された溶射皮膜を切断し、光学顕微鏡およびX線マイクロライザーによって観察した。表2は、この観察結果を要約したものであるが、大気プラズマ溶射および高速フレーム溶射法のいずれの方法によっても、どのWCサーメット材料についても溶射皮膜を形成することができた。しかし、プラズマを熱源とした溶射法では、加熱温度が高いためWCの酸化(Wxy)や分解(W2C)が多く、皮膜に多数の気孔(5〜12%)が認められた。これに対し、高速フレーム溶射法で形成された皮膜は、WCの酸化現象は殆ど認められず、200倍の光学顕微鏡では気孔の存在は殆んど認められないほどに緻密であった。
【0027】
【表1】

【0028】
【表2】

【0029】
(実施例2)
この実施例は、高速フレーム溶射における溶射粒子の飛行速度と皮膜耐食性との関係を塩水噴霧試験法を用いて調査した。
この調査において、試験片として、炭素鋼(SS400)(幅50mm×長さ100mm×厚さ5mm)を用い、脱脂、ブラスト処理などによって表面の清浄化と粗面化とを行い、その後、高速フレーム溶射法によって、該試験片の表面に厚さ150μmのWCサーメット溶射皮膜を形成した。
WCサーメット溶射材料用のバインダー合金として、表1記載のC、D、F合金を用いて、WCに対し、それぞれ5mass%、28mass%、40mass%になるように添加したものを準備した。また、溶射時の溶射粒子の飛行速度をレーザー速度計によって計測し、粒子の飛行速度を秒速120〜350m以上とした溶射条件で溶射皮膜を形成させた。
成膜後の皮膜は、JIS Z2371(2000)規定の塩水噴霧試験方法により、96時間の連続試験を行った後、赤さびの発生状況を目視判定した。
なお、比較例として、表1記載の記号G、H、I、M、Nのバインダー合金を添加したWCサーメット溶射皮膜を同じ条件で形成して試験を行った。
【0030】
表3は、このときの試験結果をまとめたものである。この表に示す結果から明らかなように、比較例のG、H、I、M、N合金を添加したWCサーメット皮膜は、すべての条件下において全面にわたって赤さびを発生(×印)したり、局部的に赤さびが発生(△印)するなど、溶射粒子の飛行速度を大きくして成膜しても、耐食性は不十分であった。
これに対して、本発明に適合するC、D、Fをバインダー合金とするWCサーメット溶射皮膜は、溶射粒子の飛行速度が120〜240m/sec程度では、一部に赤さびの発生は認められたものの、250m/sec以上では赤さびの発生は全く認められず、優れた耐食性を発揮することがわかった。
【0031】
【表3】

【0032】
(実施例3)
この実施例では、実施例2と同じ炭素鋼(SS400)製試験片上に、高速フレーム溶射法によって、溶射粒子の飛行速度320〜350m/secの条件で膜厚120μmのWCサーメット溶射皮膜を形成した。バインダー合金・金属として表1記載の記号A〜Nを用い、それぞれWCに対して12mass%に添加した溶射材料を使用した。
溶射成膜後の試験片は、次に示すような環境に曝露し、皮膜表面に発生する赤さびによって評価した。
(a)工業用冷却水(温度30〜45℃)中に3ヶ月間浸漬
(b)1%醋酸水溶液中(液温15〜20℃)に1ヶ月間浸漬
(c)JIS H8502規定のキャス試験(醋酸酸性のNaCl溶液に1%の醋酸と塩化第二銅を添加した水溶液を噴霧(96時間)
【0033】
上記試験の結果を表4にまとめた。この結果から明らかなように、比較例のバインダー合金・金属でもCrを比較的多く含む皮膜(No.8、9、14)は、工業冷却水中では赤さびの発生はなく、1%醋酸水溶液中の浸漬において、赤さびが局部的に発生する程度であり、比較例の皮膜としては最も良好な耐食性を示した。しかし、この皮膜でも腐食性の厳しいキャス試験では全面にわたって赤さびが発生した。その他の比較例の皮膜で100%のCrを含む皮膜(No.10)は、多孔質であるため防食性に乏しく、また、Moのみの皮膜(No.11)も全く耐食性がなく、工業用水中のMoが選択的に溶解する現象が認められた。
これに対し、本発明に係るWCサーメット溶射皮膜(No.1〜6)は、工業用水、1%醋酸、キャス試験などの全ての腐食性環境中において赤さびの発生は認められず、優れた耐食性を示すことが明らかになった。
【0034】
【表4】

【0035】
(実施例4)
この実施例では、実施例3で供試した試験片を用い、非酸化性の酸として1%HClと1%H2SO4、酸化性の酸として1%HNO3中にそれぞれ10日間浸漬した後、これを軽く水洗し、室内に24時間経過後の外観を目視観察することによって、WCサーメット溶射皮膜の耐酸性を調べた。
【0036】
表5は、この結果を要約したものである。この結果から明らかなように、本発明に係る溶射皮膜(No.1〜6)は、HCl、H2SO4のような希薄な非酸化性の酸に対しては優れた耐食性を発揮し、赤さびの発生は認められなかった。
此れに対し、比較例の皮膜(No.7〜14)は、全面にわたって赤さびを発生したり、局部的な赤さびの発生にとどまるものの皮膜の耐酸性は十分でなかった。ただバインダー合金・金属にCrを比較的多く含む(No.8、9、14)の皮膜については比較例のなかでは比較的良好な耐食性を示した。
本発明に適合する皮膜においても酸化性の強いHNO3中ではバインダー合金の腐食が見られ、非酸化性の環境に比較すると、耐食性の低下が見られた。
【0037】
【表5】

【0038】
(実施例5)
この実施例では、実施例3で用いたバインダー成分の異なるWCサーメット溶射皮膜の耐摩耗性を試験した。摩耗試験は、JIS H8667サーメット溶射皮膜試験方法に規定されている耐摩耗試験方法を採用した。この方法は、摩擦輪(直径50mm、幅12mmの円筒状)の外周に、SiC#240の研磨紙を貼付けた後、これを溶射皮膜面に荷重24Nで押し付けながら回転させ、回転数と溶射皮膜の重量減少から耐摩耗性を評価する方法である。この実施例では、乾燥状態の溶射皮膜と摩擦輪の回転数400回毎に5%NaCl水溶液を皮膜面に滴下した一種の腐食摩耗環境下における特性について調査した。
【0039】
表6は、この試験結果をまとめたものである。この表に示す結果から明らかなように、供試したWCサーメット溶射皮膜の耐摩耗性は、主として皮膜を構成する硬質のWC粒子の存在に依存しているため、比較例の皮膜も摩耗による重量減少量は少なく良好である。
しかし、食塩水を皮膜表面に滴下した条件下では、本発明の溶射皮膜(No.1〜6)は、乾燥状態に比較して、最大で7%程度の重量減少の増加にとどまっているのに対して、比較例の皮膜(No.7〜14)は、最大2.4倍(No.7)、NiとCrをバインダーとする皮膜(No.8)でも1.2倍の重量減少が認められるので、比較例のものは腐食性環境下における耐摩耗性に乏しいことが確認された。
これらの原因は、腐食性の環境ではWC粒子を固定しているバインダー合金・金属の耐食性の有無によって、摩耗試験によるWC粒子の脱落率が影響され、本発明に適合するバインダー合金(表1記載のNo.1〜6)を用いたものの方が、該バインダー合金の優れた耐食性がWC粒子の固定に有効に作用したものと考えられる。
【0040】
【表6】

【0041】
(実施例6)
この実施例では、炭素鋼(SS4009)製基材の腐食疲労試験特性に対するWCサーメット溶射皮膜の影響について調査した。疲労試験片としては、図1に示すような形状のものを用い、溶射皮膜は試験片の中央部に当たる斜線部に200μm厚に形成した。溶射皮膜としては、表1記載のバインダー金属(記号E)、比較例として(記号G)と(記号I)をそれぞれWC粉末に対して12mass%となるように添加したものを用いた。
疲労試験は、油圧サーボ疲労試験機を用い、正弦波の片振り引張り応力(応力比R=0、繰返し速度f=14Hz)を負荷して行った。腐食環境を構成する水溶液として3%Na2SO4、pH=6.5を用い、15℃±2℃の条件で試験部が常に浸漬されているようにして疲労試験を行った。
【0042】
図2は、この試験の結果を示したものであり、この結果からつぎのようなことが考察される。
比較例の溶射被覆材(●▲記号)は、SS400鋼に比べてもかなりの疲労強度の低下が認められる。この原因はNa2SO4水溶液が皮膜の気孔部を通して内部へ浸入して基材の腐食反応を誘発したもので、試験中においても溶射皮膜表面に赤さびの発生が認められた。
これに対して、本発明に適合する皮膜を被覆した基材(◆記号)は、比較例の溶射被覆材に比較して、はるかに高く、無処理のSS400基材以上の強度を発揮した。この原因は本発明のWCサーメット溶射皮膜が緻密で良好な密着性を有するとともに、皮膜を構成するバインダー合金が優れた耐食性を発揮して、Na2SO4水溶液の腐食性を防ぐ作用が大きいためと考えられる。また、無処理のSS400基材より高い強度を示す原因については現在究明中であるが、緻密で密着性に富み、成膜時に溶射粒子が300m/sec以上の運動エネルギーをもって基材に衝突した際のエネルギーが皮膜に圧縮性の残留応力を発生することを確認しているので、これらの影響を受けたものと考えられる。
【産業上の利用可能性】
【0043】
本発明の技術は、工業用水、NaClなどの塩類を含む水溶液をはじめ、非酸化性および還元性の酸などの環境で使用される金属製部材で、耐食性と耐摩耗性が要求される工業製品に対して、広く利用することができる。
【図面の簡単な説明】
【0044】
【図1】腐食疲労試験用の試験片の形状および寸法を示したものである。中央の斜線部はWCサーメット溶射皮膜を形成した部分を示す。
【図2】腐食疲労試験結果を示す繰返し応力(S)と繰返し数(N)を示すS−N線図である。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
金属製基材の表面に、Cr:5〜30mass%、Mo:5〜30mass%およびFe:0.5〜15mass%を含み、残部がNiおよび不可避的不純物からなるNi基バインダー合金を5〜40mass%含有するWCサーメット溶射皮膜を被覆形成してなることを特徴とする耐食性に優れる炭化物サーメット溶射皮膜被覆部材。
【請求項2】
前記Ni基バインダー合金は、さらに、W:4mass%以下、Co:3mass%以下、Cu:2mass%以下のいずれか少なくとも一種を含むことを特徴とする請求項1に記載の耐食性に優れる炭化物サーメット溶射皮膜被覆部材。
【請求項3】
金属製基材の表面に、主成分であるWCの他、5〜30mass%のCr、5〜30mass%のMoおよび0.5〜15mass%のFeを含み、残部がNiおよび不可避的不純物からなるNi基バインダー合金を5〜40mass%を含むものからなる粒子径5〜80μmのWCサーメット溶射材料を、溶射熱源中における飛行速度が秒速250m以上となる条件で溶射することにより、膜厚50〜500μmの溶射皮膜を形成することを特徴とする耐食性に優れる炭化物サーメット溶射皮膜被覆部材の製造方法。
【請求項4】
前記Ni基バインダー合金は、さらに、W:4mass%以下、Co:3mass%以下、Cu:2mass%以下のいずれか少なくとも一種を含むことを特徴とする請求項3に記載の耐食性に優れる炭化物サーメット溶射皮膜被覆部材の製造方法。

【図1】
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【図2】
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【公開番号】特開2006−328496(P2006−328496A)
【公開日】平成18年12月7日(2006.12.7)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2005−155228(P2005−155228)
【出願日】平成17年5月27日(2005.5.27)
【出願人】(000109875)トーカロ株式会社 (127)
【Fターム(参考)】