摺動部材、その製造方法、及び摺動構造
【課題】大気中において、これまでに比べてより低い摩擦係数を確保することができる摺動部材およびその製造方法を提供する。
【解決手段】基材の表面に、窒素を含有した非晶質炭素被膜を成膜する摺動部材の製造方法である。この方法では、基材表面に向けて窒素イオンビームを照射すると共に、非晶質炭素被膜の表面に、複数の突起部が形成されるように、カーボンターゲットに電子ビームを照射することにより、カーボンターゲットの一部を基材の表面に蒸着させながら非晶質被膜を成膜する。
【解決手段】基材の表面に、窒素を含有した非晶質炭素被膜を成膜する摺動部材の製造方法である。この方法では、基材表面に向けて窒素イオンビームを照射すると共に、非晶質炭素被膜の表面に、複数の突起部が形成されるように、カーボンターゲットに電子ビームを照射することにより、カーボンターゲットの一部を基材の表面に蒸着させながら非晶質被膜を成膜する。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、摺動面に非晶質炭素被膜が形成された摺動部材及びその製造方法に係り、特に、初期馴染み性に優れた摺動部材及びその製造方法に関する。
【背景技術】
【0002】
従来から、自動車産業などの我が国の基幹産業において、トライボロジーは重要な役割を担っている。例えば、自動車産業においては、現在、地球環境保全のため、自動車からの排出される二酸化炭素の削減を目指してさまざまな取り組みが行われており、その一例としてハイブリットシステムなどのエネルギー効率の良い動力源の開発が良く知られている。しかし更なる低燃費を目指すためには、動力源の開発だけでなくエンジン内部および駆動系における摩擦によるエネルギーの伝達ロスの低減が重要な課題となる。
【0003】
前記課題を鑑みて、動力系機器における摺動部材の摩擦係数の低減化、耐摩耗性の向上を図るべく、構造用鋼あるいは高合金鋼からなる摺動部材の摺動面に被覆する新たなトライボロジー材料としての非晶質炭素材料(DLC)が注目されている。
【0004】
このような非晶質炭素材料を利用した摺動部材の一例として、窒化炭素被膜に珪素を含有させることにより炭素の一部を珪素で置換して、窒素炭素珪素材料からなる被膜を形成した摺動部材が開示されている(例えば特許文献1参照)。また、別の例として、基材上に、窒化炭素膜と、この窒化炭素膜上に形成されたカーボンコーティング膜とを被覆した摺動部材が開示されている(例えば特許文献2参照)。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0005】
【特許文献1】特開2002−167206号公報
【特許文献2】特開2009−013192号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
しかし、このような摺動部材を用いた場合には、これまでの非晶質炭素材料に比べて耐摩耗性を有する点で優れているが、このような材料を用いたとしても、大気中において、無潤滑状態(潤滑油を供給しない状態)で摺動させた場合には、摩擦係数が高く、初期摩耗が充分大きかった。
【0007】
本発明は、このような課題に鑑みてなされたものであって、その目的とするところは、潤滑環境下ばかりでなく、大気中(無潤滑状態)であっても、摺動初期の段階で、これまでに比べてより低い摩擦係数を確保することができる摺動部材およびその製造方法を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0008】
前記課題を鑑み、本発明者らは、鋭意検討を重ねた結果、以下の新たな知見を得た。具体的には、電子ビーム蒸着法を利用して基材の表面に非晶質炭素被膜を形成しようとした場合、電子ビームをカーボンターゲットに照射し、カーボンターゲットの一部が、溶融・蒸発し、カーボンターゲットからカーボン原子が飛び出して基材の表面に堆積する。
【0009】
これまでのイオンビームスパッタリング等のスパッタリングによりカーボンターゲットに飛び出した原子は、電子ビームで蒸発した原子よりも高エネルギーを有しているので、電子ビームを用いた場合に比べて、基材に高速で衝突する。
【0010】
しかしながら、電子ビームによりカーボンターゲットから飛び出した原子は、スパッタリングの場合に比べて、速度は速くないが、多量のカーボン原子がカーボンターゲットから放出される。これにより、イオンビームスパッタ法で成膜した非晶質炭素被膜に比べて、より軟質の非晶質炭素被膜を、より速い成膜速度で成膜することができる。
【0011】
そして、本発明では、電子ビーム蒸着法を利用した場合、非晶質炭素被膜の表面には、蒸発せずに溶融したまま、カーボンターゲットから飛び出す粒径の大きなクラスターカーボンが、非晶質炭素被膜の表面に付着し、これが複数の突起部(ドロップレット)となる。この突起部の硬さは、同じ非晶質炭素被膜の突起部が形成されていない被膜表面の硬さに比べて低く(軟質であり)、このような複数の突起部が、大気中における摺動部材の摩擦特性の向上に大きく寄与するとの新たな知見を得た。
【0012】
本発明は、この新たな知見に基づくものであり、本発明に係る摺動部材の製造方法は、基材の表面に、窒素を含有した非晶質炭素被膜を成膜する摺動部材の製造方法であって、前記基材の表面に向けて窒素イオンビームを照射すると共に、前記非晶質炭素被膜の表面に、複数の突起部が形成されるように、カーボンターゲットに電子ビームを照射することにより、前記カーボンターゲットの一部を前記基材の表面に蒸着させながら前記非晶質被膜を成膜することを特徴とする。
【0013】
本発明によれば、窒素イオンビームを基材表面に向けて照射すると共に、電子ビームで蒸発したカーボンターゲットの一部を基材の表面に蒸着させながら、非晶質炭素被膜を成膜するので、摺動部材の基材の表面(摺動面)に、窒素を含有した非晶質炭素被膜(CNx)を成膜することができる。
【0014】
そして、電子ビームをカーボンターゲットに照射することにより、カーボンターゲットからは、これまでのスパッタリングなどの方法に比べて多量のカーボン原子が蒸発して放出される。これにより、これまでのスパッタリングなどの成膜方法に比べて、非晶質炭素被膜の成膜速度を高めることができる。
【0015】
また、一部蒸発せずに溶融した状態のカーボンターゲットから飛び出す粒径の大きなクラスターカーボンが、基材表面および成膜段階の被膜の表面に蒸着して、この結果、非晶質炭素被膜の表面に突起部が形成される。
【0016】
従来では、アークイオンプレーティング法、レーザーデポジッション法、スパッタリング法などにより非晶質炭素被膜を成膜した場合には、成膜時の突起部は、突起部以外の被膜表面と略同等の硬さとなる。したがって、一般的には、非晶質炭素被膜の表面は摺動面となるので、その表面は平滑であること(すなわち、突起部(ドロップレット)が形成されないこと)が好ましいとされていた。
【0017】
しかしながら、本発明では、電子ビーム蒸着法により非晶質炭素被膜を成膜するので、成膜時に生成される突起部は、突起部以外の非晶質炭素被膜の表面よりも硬さが低くなる(すなわち軟質となる)。これにより、この軟質の突起部が、摺動時における摺動部材の摩擦特性を向上させることができる。
【0018】
さらに、突起部の高さは、摺動部材の適用箇所に応じて設定すればよく、例えば、発明者らが確認した実験の一例によれば、摺動回数が多く(摺動する頻度が高い)箇所には、突起部の高さはより低いことが望ましく、一方、摺動回数が少なく(摺動する頻度が低い)箇所には、突起部の高さは高いことが望ましい。
【0019】
そして、後者の場合、より好ましい態様としては、前記突起部の高さが0.6μm〜1.0μmとなるように、非晶質炭素被膜を成膜する。この態様によれば、大気中(無潤滑状態)において摺動部材を摺動させたときに、摺動初期の段階から、摺動部材の摩擦係数を0.1以下にすることができる。これは、突起部(ドロップレット)が被膜表面に比べて軟質であることから、相手部材に対して低せん断性を発現することができるからである。
【0020】
すなわち、突起部の高さが0.6μmよりも低い場合には、突起部がすぐに摩滅してしまい、摺動初期において、十分に摩擦係数を低減することができない。一方、突起部の高さが1.0μmを超える突起部を形成しようとした場合には、非晶質炭素被膜の膜厚を厚くしなければならず、このような突起部では、初期摩耗が増大し、摺動初期の摩擦係数が増大するおそれがある。
【0021】
本発明として、上述した特性を有する摺動部材をも開示する。本発明に係る摺動部材は、基材の表面に、珪素及び窒素を含有した非晶質炭素被膜を成膜する摺動部材であって、前記非晶質炭素被膜の表面には、複数の突起部が形成されており、該突起部は、該突起部以外の前記表面よりも軟質であることを特徴とする。
【0022】
本発明によれば、非晶質炭素被膜の突起部が、該突起部以外の前記表面よりも軟質であるので、この突起部の軟質の特性により、摺動部材の摺動特性を高めることができる。
【0023】
より好ましい態様としては、前記突起部の高さが0.6μm〜1.0μmである。この態様によれば、大気中(無潤滑状態)における摺動初期の段階において、摺動部材の摩擦係数を0.1以下にすることができる。上述したように、突起部の高さが0.6μmよりも低い場合には、突起部がすぐに摩滅してしまい、摺動初期において、十分に摩擦係数を低減することができない。一方、突起部の高さが1.0μmを超えた場合には、非晶質炭素被膜が形成された摺動部材の初期摩耗が増大し、摺動初期の摩擦係数が増大するおそれがある。
【0024】
なお、本発明でいう「窒素を含有した非晶質炭素被膜」とは、いわゆるCNx膜のことであり、酸素原子及び水素原子をさらに含有していてもよい。そして、より好ましい態様としては、突起部の硬さは、12GPa以下であり、突起部以外の前記非晶質炭素被膜の表面の硬さは、14〜30GPaの範囲にある。
【0025】
この態様によれば、摺動時に、突起部が摩耗しながら、摺動部材の表面に流動し、摺動部材の摩擦係数を低くすることができる。すなわち、突起部以外の非晶質炭素被膜の表面の硬さが、12GPa以下である場合には、被膜の耐摩耗性が不足し、30GPaを超えるような被膜は成膜できない。また、突起部の硬さが12GPaを超える場合には、非晶質炭素被膜の他の表面に対して軟質であるとはいえず、上述した摺動特性を発現することが難しくなる。
【0026】
また、本発明に係る摺動部材は、潤滑状態、無潤滑状態どちらでも使用してもよいが、より好ましくは、上述した摺動部材及び上述した製造方法により製造された摺動部材を第1の摺動部材として備え、該第1の摺動部材に摺動する摺動部材を第2の摺動部材として備え、該第1及び第2の摺動部材が無潤滑状態で摺動する摺動構造にすることにより、低摩擦で、これらの摺動部材を摺動させることができる。
【発明の効果】
【0027】
本発明によれば、潤滑環境下ばかりでなく、大気中(無潤滑状態)であっても、摺動初期の段階で、これまでに比べてより低い摩擦係数を確保することができる。
【図面の簡単な説明】
【0028】
【図1】本発明の実施形態に係る摺動部材を製造するための製造装置の模式的概略図。
【図2】実施例1に係る摺動部材(非晶質炭素被膜)の表面を原子間力顕微鏡(AFM)で、観察した結果を示した図であり、(a)は、非晶質炭素被膜の表面のAFMの画像であり、(b)は、非晶質炭素被膜に形成された突起部の一例を示した図。
【図3】実施例1に係る摺動部材(非晶質炭素被膜)の表面を、電子顕微鏡(SEM)で観察した結果を示した写真図。
【図4】実施例1〜4の突起部の高さの最大値、最小値およびその平均値を示した図。
【図5】実施例1〜4の突起部の幅の最大値、最小値およびその平均値を示した図。
【図6】実施例1〜4の突起部の占める面積率の最大値、最小値およびその平均値を示した図。
【図7】図7は、実施例1〜4の任意の点における硬さ試験の結果であり、(a)は、120〜800nmの突起部の高さを満たす6つの突起部における荷重変位曲線を示した図であり、(b)は、突起部以外の被膜表面の4箇所における荷重変位曲線を示した図。
【図8】図7(a)の曲線から求めた突起部の硬さの最大値、最小値、および平均値と、(b)の曲線から求めた突起部以外の硬さの最大値、最小値、および平均値を示した図。
【図9】ボールオンディスク摩擦試験機を説明するための図。
【図10】実施例1に係る摺動部材の摩擦試験の結果を示しており、(a)は、摺動部材のサイクル数と摩擦係数との関係を示した図であり、(b)は、5000サイクル時における非晶質炭素被膜の表面を電子顕微鏡(SEM)で観察した結果を示した写真図。
【図11】実施例2に係る摺動部材の摩擦試験の結果を示しており、(a)は、摺動部材のサイクル数と摩擦係数との関係を示した図であり、(b)は、5000サイクル時における非晶質炭素被膜の表面を電子顕微鏡(SEM)で観察した結果を示した写真図。
【図12】実施例3に係る摺動部材の摩擦試験の結果を示しており、(a)は、摺動部材のサイクル数と摩擦係数との関係を示した図であり、(b)は、5000サイクル時における非晶質炭素被膜の表面を電子顕微鏡(SEM)で観察した結果を示した写真図。
【図13】実施例4に係る摺動部材の摩擦試験の結果を示しており、(a)は、摺動部材のサイクル数と摩擦係数との関係を示した図であり、(b)は、5000サイクル時における非晶質炭素被膜の表面を電子顕微鏡(SEM)で観察した結果を示した写真図。
【図14】実施例1〜4の摺動部材に係る突起部の高さに対する、摺動初期の摩擦係数と、10000サイクルにおける摩擦係数とを示した図。
【発明を実施するための形態】
【0029】
以下の本発明の摺動部材及びその製造方法を実施形態について説明する。図1は、本実施形態の摺動部材を製造(基材に被膜を成膜)するための模式的な装置構成図である。
【0030】
本実施形態の摺動部材の製造方法は、基材の表面(摺動表面)に、窒素を含有した非晶質炭素被膜が形成された摺動部材を製造する方法である。具体的には、基材表面に向けて窒素イオンビームを照射すると共に、非晶質炭素被膜の表面に、複数の突起部が形成されるように、カーボンターゲットに電子ビームを照射することにより、カーボンターゲットの一部を前記基材の表面に蒸着させながら前記非晶質被膜を成膜する方法である。
【0031】
まず、摺動部材の基材を準備する。この基材の材質としては、摺動時において非晶質炭素被膜との密着性を確保することができるような材質および表面硬さを有する材料であれば、特に限定されるものではなく、例えば、鋼、鋳鉄、アルミニウム、高分子樹脂、シリコン等の基材などを挙げることができる。
【0032】
また、この基材の表面には、非晶質炭素被膜を成膜前に、基材と非晶質炭素被膜との密着力を高めるために、ケイ素(Si)からなる中間層を設けてもよく、さらにケイ素の代わりに、クロム(Cr)、チタン(Ti)またはタングステン(W)を用いてもよい。
【0033】
図1に示すような成膜装置(IBAD(イオンビームアシスト蒸着)装置)を利用して、イオンビームミキシング法と電子ビーム蒸着法を組み合わせることにより、基材の表面に非晶質窒化炭素被膜を成膜する(成膜工程)。まず、図1に示すように、基材およびカーボンターゲットを、成膜装置内に配置する。
【0034】
次に、ターボモレキュラーポンプを用いて、真空チャンバ内の圧力を減圧する。具体的には、ターボモレキュラーポンプは、ターボ分子ポンプで、真空チャンバ内の空気を排気し、チャンバ内を真空に近い状態にする(2.0〜4.0×10−3Pa)。一般に、ロータリーポンプや拡散ポンプなどがこの程度の真空度を得るためには用いられるが、後述する摩擦実験を行なうため、吸着する油の影響を無くするため、油を使用しないターボ分子ポンプを用いて、真空チャンバ内の空気を排気する。
【0035】
次に、冷却水により基材の間接的に冷却するとともに、窒素イオンビーム発生源から所定の加速エネルギーで窒素イオンビームを基材に向けて照射する。これにより、基材の表面をクリーニングする。そして、窒素イオンビームを基材の表面に照射すると共に、基材の表面に後述する複数の突起部が形成されるように、カーボンターゲットに電子ビーム発生源からの所定の出力となる電子ビームを照射し、カーボンターゲットの一部を溶融・蒸発させ、蒸発したカーボンを基材の表面に蒸着させながら、基材の表面に非晶質被膜を成膜する。
【0036】
ここで、図1に示すサーモカップルは、熱電対で成膜時の基材の表面温度を予測するための計測器であり、これを用いて、基材の裏面の温度を測定する。また、膜厚計(シックネスゲージ)は、成膜された非晶質炭素被膜の膜厚を測定するための水晶振動子型膜厚計であり、これを用いて、成膜時間と伴に増加する非晶質炭素被膜の膜厚を計測する。この計測器の原理は、水晶振動子を発振しておき、成膜途中の膜の固有振動数の変化から、堆積した膜材料の重量を求め、体積重量を膜密度で除して膜体積と膜厚を算出する。
【0037】
このようにして、得られた非晶質炭素被膜は、窒素イオンビームを基材表面に向けて照射すると共に、カーボンターゲットの一部を基材の表面に蒸着させながら、非晶質炭素被膜を成膜するので、基材の表面(摺動面)に、窒素を含有した非晶質炭素被膜(CNx被膜)を成膜することができる。
【0038】
なお、本実施形態では、窒素イオンビームを基材に向けて照射しているので、炭素と窒素とのsp2結合が増加した非晶質炭素被膜(CNx被膜)を得ることができる。この被膜(CNx被膜)を有した摺動部材は、窒素を含まないもの(DLC被膜)に比べて、低摩擦係数を有する。なお、CNx被膜における窒素原子の含有量/炭素原子の含有量の原子比は、特に限定されるものではないが、0.1〜0.25の範囲の原子比であれば、上述した低摩擦特性を発現することができる。
【0039】
そして、電子ビームをカーボンターゲットに照射することにより、カーボンターゲットからは、これまでのスパッタリングなどの方法に比べて多量のカーボン原子が蒸発して放出されるので、これまでの方法に比べて成膜速度を高めることができる。
【0040】
また、一部蒸発せずに溶融した状態のカーボンターゲットから飛び出す粒径の大きなクラスターカーボンが、基材表面および成膜段階の被膜の表面に蒸着する。この結果、非晶質炭素被膜の表面に複数の突起部が形成される。
【0041】
ここで、非晶質炭素被膜の表面に形成される突起部(ドロップレット)の高さ、突起部の幅、および、複数の突起部が被膜表面に対して占有する占有率(面積率)は、電子ビームに供給する電圧および電流と、成膜時間と、を調整することにより、調整することができる。本実施形態では、突起部の高さが、摺動部材の摺動初期の段階における摩擦係数の支配的な因子となるため、突起部の高さが0.6μm〜1.0μmとなるように、非晶質炭素被膜を成膜する。
【0042】
この条件としては、たとえば、電子ビームの出力を、10kV,0.7〜0.9Aに制御し、成膜時間を、20分〜60分程度で、このような範囲の非晶質炭素被膜を成膜することができる。なお、突起部の高さを上述した範囲に製造すれば、その効果を発現するための突起部の幅、突起部の面積率を有した突起が形成されることになる。
【0043】
従来の如く、アークイオンプレーティング法、レーザーデポジッション法、スパッタリング法などにより非晶質炭素被膜を成膜した場合には、成膜時の突起部は、突起部以外の被膜表面の硬さ略同等で硬質となる。したがって、一般的には、摩擦係数を高めるためには、非晶質炭素被膜の表面は摺動面となるので、その表面は平滑であること(すなわち、突起部(ドロップレット)が形成されないこと)が好ましいとされていた。
【0044】
しかしながら、本実施形態では、電子ビーム蒸着法により非晶質炭素被膜を成膜するので、成膜時に生成される突起部は、突起部以外の非晶質炭素被膜の表面よりも硬さが低い(すなわち軟質である)ため、摺動時における摺動部材の摩擦特性を向上させることができる。
【0045】
特に、突起部の高さが0.6μm〜1.0μmとなるように、非晶質炭素被膜を成膜すれば、大気中(無潤滑状態)において摺動部材を摺動させたときに、摺動初期の段階から、摺動部材の摩擦係数を0.1以下にすることができる。これは、突起部(ドロップレット)が、それ以外の被膜表面に比べて軟質であることから、相手部材に対して低せん断性を発現するからである。
【0046】
また、突起部の高さを、0.3μm以下にした場合には、摺動初期の段階で、突起部が摩滅するものの、低い突起部(ドロップレット)が非晶質炭素被膜の摺動面(表面)に広がり、時間経過と共に、良い潤滑性のある(摩擦係数の低い)膜が形成される。このように、本実施形態では、摺動部材の使用環境下に応じて、非晶質炭素被膜表面に形成される突起部の高さを選定すればよい。
【実施例】
【0047】
以下に、本発明を実施例により説明する。
(実施例1)
<摺動部材の製作>
窒素を含有した非晶質炭素被膜(CNx膜)の成膜に、図1に示す成膜装置を用いた。まず、基材として、(100)方位を表面に有するシリコンウエアを準備した。この基材とカーボンターゲットを真空チャンバ内に配置し、チャンバ内を、2.0〜4.0×10−3Paとなるように、ターボモレキュラーポンプで、真空チャンバ内の空気を排気した。そして、基材が設置された設置台に、20℃の冷却水を循環させて、基材の温度を一定に保持した。
【0048】
次に、窒素イオン発生源へのアシスト窒素イオンへの窒素ガスの流量10sccmとし、アシスト窒素イオンの加速電圧が加速電圧:1.0kV(34mA)となり、窒素アシストイオンのマイクロ波出力0.4kW(反射出力:0kW)となるように、窒素イオンビーム発生源を調整した。この調整した常態の窒素イオンビームを基材の表面に向けて照射し、基材の表面のクリーニングを5分間行なった。
【0049】
次に、クリーニング条件と同じ条件で、基材の表面に向けて窒素イオンビームを照射すると共に、カーボンターゲットに、電子ビーム蒸着の電子ビームの出力を、電圧10kV、電流0.7〜0.9Aの範囲に調節した電子ビームを照射し、カーボンターゲットの一部を溶融及び蒸発させて、この蒸発したカーボンターゲットの一部を、窒素イオンビームが照射された基材の表面に蒸着させた。成膜時間は、4分40秒、膜厚計により、成膜速度は、1.0〜2.0nm/s、膜厚は、160nmであった。
【0050】
このようにして、基材の表面(摺動面)に、窒素を含有した非晶質炭素被膜(CNx被膜)が形成された摺動部材を得た。
【0051】
(実施例2〜4)
実施例1と同じように、基材に非晶質炭素被膜を形成した摺動部材を製作した。実施例1と相違する点は、成膜時間を、順次、12分20秒、32分00秒、46分00秒にすることにより、非晶質炭素被膜の膜厚を、370nm,1090nm及び1600nmにした点である。
【0052】
(比較例1および2)
実施例1と同じように、基材に非晶質炭素被膜を形成した摺動部材を製作した。比較例1が、実施例1と相違する点は、イオンビームミキシング法を利用したスパッタリング(イオンビームスパッタ)により、窒素を含む非晶質炭素被膜を成膜した点であり、比較例2が、実施例1と相違する点は、スパッタリングによりドロップレットが形成されるように非晶質炭素被膜(DLC)を成膜した点である。
【0053】
<表面観察>
実施例1〜4の摺動部材の非晶質炭素被膜が形成された表面を、原子間力顕微鏡(AFM)および電子顕微鏡(SEM)で観察し、表面の突起部が形成されていることを確認した。
【0054】
図2は、実施例1に係る摺動部材(非晶質炭素被膜)の表面を原子間力顕微鏡(AFM)で、観察した結果を示した図であり、(a)は、非晶質炭素被膜の表面のAFMの画像であり、(b)は、非晶質炭素被膜に形成された突起部の一例を示した図である。
【0055】
なお、原子間力顕微鏡は、試料と探針間に働く力を利用して試料表面の凹凸をナノメートルレベルでの分解能で観察できるものである。装置は、測定ヘッド(セイコーインスツルメンツ株式会社製 NPX100)、コントローラ(セイコーインスツルメンツ株式会社製Nanopocs1000)で構成されている。測定範囲0.5nm〜1000μm、スキャン速度12〜1792秒/フレームで測定を行うことができるものである。
【0056】
図3は、実施例1に係る摺動部材(非晶質炭素被膜)の表面を、電子顕微鏡(SEM)で観察した結果である。
【0057】
図2(a),(b)に示すようなAFM画像の結果を用いて、実施例1〜4の摺動部材の非晶質炭素被膜の表面に形成された20個の突起部の幅と高さを測定し、突起部の高さおよび幅を測定した。図4に、実施例1〜4の突起部の高さの最大値、最小値およびその平均値(○)を示した。図5に、実施例1〜4の突起部の幅の最大値、最小値およびその平均値(○)を示した。
【0058】
さらに、図3に示すようなSEM画像の結果を用いて、非晶質炭素被膜の表面に占める複数の突起部の面積率を評価するにあたりSEM画像を2値化処理し、ヒストグラムを用いて突起部の面積率を測定した。実施例1〜4のそれぞれに対しSEM画像を3枚測定し、図6に、実施例1〜4の突起部の占める面積率の最大値、最小値およびその平均値(○)を示した。
【0059】
[結果1]
実施例1〜4に係る非晶質炭素被膜の膜厚、突起部の高さ(平均値)、突起部の幅(平均値)、突起部の幅(平均値)、突起部の面積率(平均値)は以下の表1に示すとおりとなった。
【0060】
【表1】
【0061】
<硬さ試験>
実施例1〜4における非晶質炭素被膜の表面をHysitron社製AFMナノインデンターにより押し込み硬さ測定をした場合の荷重変位曲線を求め、本荷重変位曲線より、塑性変形による押し込み痕の投影面積を算出し、最大押し込み荷重を押し込み痕の投影面積で除することで硬さを算出した。
【0062】
図7は、実施例1〜4の任意の点における硬さ試験の結果であり、(a)は、120〜800μmの突起部の高さhを満たす6つの突起部における荷重変位曲線を示しており、(b)は、突起部以外の被膜表面の4箇所における荷重変位曲線を示している。図8は、図7(a)の曲線から求めた突起部の硬さの最大値、最小値、および平均値と、(b)の曲線から求めた突起部以外の硬さの最大値、最小値、および平均値を示している。
【0063】
[結果2]
図8に示すように、非晶質炭素被膜の突起部の硬さ(平均値7.5GPa)は、それ以外の非晶質炭素被膜の硬さ(平均値14.8GPa)よりも低く、突起部は、その他の表面に比べて軟質であった。具体的には、突起部の硬さは、最大値であっても12GPa以下であり、突起部以外の被膜表面の硬さは、最小値であっても14GPaであった。
【0064】
[考察]
結果2となったのは、電子ビームを照射時に、一部蒸発せずに溶融した状態のカーボンターゲットから飛び出す粒径の大きなクラスターカーボンが、基材表面および成膜段階の被膜の表面に蒸着し、この結果、非晶質炭素被膜の表面に軟質の突起部が形成されたと考えられる。
【0065】
<摩擦試験>
以下の手順で実施例1〜4および比較例1および2の摩擦試験を行った。まず、直径8mm、以下の表2に示す窒化珪素球を準備した。
【0066】
【表2】
【0067】
図9に示すボールオンディスク摩擦試験機を用いた。摩耗試験を行う事前準備として、ボール試験片Bをアセトンとエタノールで各10分間超音波洗浄した。その後、チャンバ30内において、ボール試験片Bを試験機の本体から取り外したボールホルダー35に固定し、光学顕微鏡(図示せず)を用いてこの表面に傷が無いことを確認後、これらをデシケータ(図示せず)内に投入し、ボール試験片Bを乾燥させた。一方、ディスク試験片Dの表面に形成した非晶質炭素被膜の表面(摺動面)の埃などの異物をハンドブロー(図示せず)で取り除いた。
【0068】
次に、ディスク試験片Dをディスクホルダー44に保持させると共に、ボール試験片Bが固定されたボールホルダー35をステージ31と一体となるように試験機の本体に取り付けた。平行板ばね32に接着したひずみゲージ33(協和電業製,KF−1−120−C1−16)を用いて、ボール試験片Bがディスク試験片Dの非晶質炭素被膜の表面に対して付加される荷重の値が0.1Nの荷重(ヘルツ平均接触圧力(135MPa))が付加されるようにステージ31を調整して、これらを当接させた。なお、ボール試験片Bとディスク試験片Dの接触位置は、この3軸ステージ31によって決定され、垂直荷重は、z軸を上下させることにより調整した。
【0069】
そして、乾式下(乾燥摩擦条件下)で、チャンバ内に大気を導入し、モータ41を駆動してプーリ42を回転させ、ベルト43を介して、窒素ガス雰囲気下でディスクホルダー44のディスク試験片Dを、ボール試験片Bに対して回転半径が2mm、相対速度(摺動速度)が42m/s(回転数200rpm)となる定速回転条件で1分間回転させた。
【0070】
このときの摩擦力を、ひずみゲージ34で測定し、センサインターフェイス(協和電業製,PCD−300A)を介して、コンピュータ内にデータを取り込み、記録した。そして、摩擦係数を換算した。
【0071】
この結果を図10(a)〜図13(a)、図14に示す。図10(a)〜図13(a)は、実施例1〜4に係る摺動部材のサイクル数と摩擦係数との関係を示した図であり、図14は、各実施例1〜4の摺動部材に係る突起部の高さに対する、摺動初期の摩擦係数と、10000サイクルにおける摩擦係数とを示した図である。なお、図10(b)〜図13(b)には、それぞれ、5000サイクル時における実施例1〜4の非晶質炭素被膜の表面を電子顕微鏡(SEM)で観察した結果を示した写真図である。
【0072】
[結果3]
図10(a)に示すように、実施例1の摺動部材の場合には、摺動初期の摩擦係数が0.27程度と高く、10000サイクルでは、摩擦係数が0.13程度に低減された。
【0073】
図11(a)に示すように、実施例2の摺動部材の場合には、1000サイクルまでの摺動初期の段階で、摩擦係数が0.1を下回り、その後、1500サイクルを越えたあたりから、摩擦係数が増加した。
【0074】
図12(a)、図13(a)に示すように、実施例3および4の摺動部材の場合には、摺動初期の摩擦係数が、0.1を下回り、その後、10000サイクルでは、摩擦係数が増加した。
【0075】
また、図には示していないが、比較例1の摺動部材の場合、摩擦係数が0.15程度で略一定であり、比較例2の摺動部材の場合、摩擦係数が0.3程度で略一定であった。
【0076】
図10(b)〜図13(b)に示すように、これらの摺動部材の表面を、試験途中(5000サイクル時)に確認したところ、サイクル数が増えるに従って、相手部材に突起部が削られていることがわかった。
【0077】
[考察]
結果3に示すように、実施例3および4の如く、突起部の高さが0.6μm〜1.0μmとなるように、非晶質炭素被膜を成膜すれば、大気中(無潤滑状態)において摺動部材を摺動させたときに、摺動初期の段階から、摺動部材の摩擦係数を0.1以下にすることができる。これは、突起部(ドロップレット)が被膜表面に比べて軟質であることから、相手部材に対して、非晶質炭素被膜の表面が低せん断性を発現したことによると考えられる。
【0078】
また、実施例1の如く、突起部の高さを、0.3μm以下にした場合には、摺動初期の段階で、突起部が摩滅するものの、低い突起部(ドロップレット)が非晶質炭素被膜の摺動面(表面)に広がり、時間経過と共に、良い潤滑性のある(摩擦係数の低い)膜が形成される。
【0079】
さらに、比較例1および2では、サイクル数にかかわらず、摩擦係数が0.1を下回らなかったところ、実施例2に係る摺動部材の如く、突起部の高さが0.4μm(0.3μm〜0.6μm未満)の場合であっても、ごく初期の摺動時において、摩擦係数が0.1を下回ることがあるので、このような摺動条件で摺動部材を使用する場合には、この突起部の高さが適しているといえる。このように、摺動部材の使用環境下に応じて、突起部の高さを選定すれば、所望の摩擦特性を得ることができる。
【0080】
以上、本発明の実施の形態を用いて詳述してきたが、具体的な構成はこの実施形態及び実施例に限定されるものではなく、本発明の要旨を逸脱しない範囲における設計変更があっても、それらは本発明に含まれるものである。
【符号の説明】
【0081】
31…ステージ,32…平行板ばね,33…ひずみゲージ,35…ボールホルダー,41…モータ,42…プーリ,43…ベルト,44…ディスクホルダー,B…ボール試験片,D…ディスク試験片
【技術分野】
【0001】
本発明は、摺動面に非晶質炭素被膜が形成された摺動部材及びその製造方法に係り、特に、初期馴染み性に優れた摺動部材及びその製造方法に関する。
【背景技術】
【0002】
従来から、自動車産業などの我が国の基幹産業において、トライボロジーは重要な役割を担っている。例えば、自動車産業においては、現在、地球環境保全のため、自動車からの排出される二酸化炭素の削減を目指してさまざまな取り組みが行われており、その一例としてハイブリットシステムなどのエネルギー効率の良い動力源の開発が良く知られている。しかし更なる低燃費を目指すためには、動力源の開発だけでなくエンジン内部および駆動系における摩擦によるエネルギーの伝達ロスの低減が重要な課題となる。
【0003】
前記課題を鑑みて、動力系機器における摺動部材の摩擦係数の低減化、耐摩耗性の向上を図るべく、構造用鋼あるいは高合金鋼からなる摺動部材の摺動面に被覆する新たなトライボロジー材料としての非晶質炭素材料(DLC)が注目されている。
【0004】
このような非晶質炭素材料を利用した摺動部材の一例として、窒化炭素被膜に珪素を含有させることにより炭素の一部を珪素で置換して、窒素炭素珪素材料からなる被膜を形成した摺動部材が開示されている(例えば特許文献1参照)。また、別の例として、基材上に、窒化炭素膜と、この窒化炭素膜上に形成されたカーボンコーティング膜とを被覆した摺動部材が開示されている(例えば特許文献2参照)。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0005】
【特許文献1】特開2002−167206号公報
【特許文献2】特開2009−013192号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
しかし、このような摺動部材を用いた場合には、これまでの非晶質炭素材料に比べて耐摩耗性を有する点で優れているが、このような材料を用いたとしても、大気中において、無潤滑状態(潤滑油を供給しない状態)で摺動させた場合には、摩擦係数が高く、初期摩耗が充分大きかった。
【0007】
本発明は、このような課題に鑑みてなされたものであって、その目的とするところは、潤滑環境下ばかりでなく、大気中(無潤滑状態)であっても、摺動初期の段階で、これまでに比べてより低い摩擦係数を確保することができる摺動部材およびその製造方法を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0008】
前記課題を鑑み、本発明者らは、鋭意検討を重ねた結果、以下の新たな知見を得た。具体的には、電子ビーム蒸着法を利用して基材の表面に非晶質炭素被膜を形成しようとした場合、電子ビームをカーボンターゲットに照射し、カーボンターゲットの一部が、溶融・蒸発し、カーボンターゲットからカーボン原子が飛び出して基材の表面に堆積する。
【0009】
これまでのイオンビームスパッタリング等のスパッタリングによりカーボンターゲットに飛び出した原子は、電子ビームで蒸発した原子よりも高エネルギーを有しているので、電子ビームを用いた場合に比べて、基材に高速で衝突する。
【0010】
しかしながら、電子ビームによりカーボンターゲットから飛び出した原子は、スパッタリングの場合に比べて、速度は速くないが、多量のカーボン原子がカーボンターゲットから放出される。これにより、イオンビームスパッタ法で成膜した非晶質炭素被膜に比べて、より軟質の非晶質炭素被膜を、より速い成膜速度で成膜することができる。
【0011】
そして、本発明では、電子ビーム蒸着法を利用した場合、非晶質炭素被膜の表面には、蒸発せずに溶融したまま、カーボンターゲットから飛び出す粒径の大きなクラスターカーボンが、非晶質炭素被膜の表面に付着し、これが複数の突起部(ドロップレット)となる。この突起部の硬さは、同じ非晶質炭素被膜の突起部が形成されていない被膜表面の硬さに比べて低く(軟質であり)、このような複数の突起部が、大気中における摺動部材の摩擦特性の向上に大きく寄与するとの新たな知見を得た。
【0012】
本発明は、この新たな知見に基づくものであり、本発明に係る摺動部材の製造方法は、基材の表面に、窒素を含有した非晶質炭素被膜を成膜する摺動部材の製造方法であって、前記基材の表面に向けて窒素イオンビームを照射すると共に、前記非晶質炭素被膜の表面に、複数の突起部が形成されるように、カーボンターゲットに電子ビームを照射することにより、前記カーボンターゲットの一部を前記基材の表面に蒸着させながら前記非晶質被膜を成膜することを特徴とする。
【0013】
本発明によれば、窒素イオンビームを基材表面に向けて照射すると共に、電子ビームで蒸発したカーボンターゲットの一部を基材の表面に蒸着させながら、非晶質炭素被膜を成膜するので、摺動部材の基材の表面(摺動面)に、窒素を含有した非晶質炭素被膜(CNx)を成膜することができる。
【0014】
そして、電子ビームをカーボンターゲットに照射することにより、カーボンターゲットからは、これまでのスパッタリングなどの方法に比べて多量のカーボン原子が蒸発して放出される。これにより、これまでのスパッタリングなどの成膜方法に比べて、非晶質炭素被膜の成膜速度を高めることができる。
【0015】
また、一部蒸発せずに溶融した状態のカーボンターゲットから飛び出す粒径の大きなクラスターカーボンが、基材表面および成膜段階の被膜の表面に蒸着して、この結果、非晶質炭素被膜の表面に突起部が形成される。
【0016】
従来では、アークイオンプレーティング法、レーザーデポジッション法、スパッタリング法などにより非晶質炭素被膜を成膜した場合には、成膜時の突起部は、突起部以外の被膜表面と略同等の硬さとなる。したがって、一般的には、非晶質炭素被膜の表面は摺動面となるので、その表面は平滑であること(すなわち、突起部(ドロップレット)が形成されないこと)が好ましいとされていた。
【0017】
しかしながら、本発明では、電子ビーム蒸着法により非晶質炭素被膜を成膜するので、成膜時に生成される突起部は、突起部以外の非晶質炭素被膜の表面よりも硬さが低くなる(すなわち軟質となる)。これにより、この軟質の突起部が、摺動時における摺動部材の摩擦特性を向上させることができる。
【0018】
さらに、突起部の高さは、摺動部材の適用箇所に応じて設定すればよく、例えば、発明者らが確認した実験の一例によれば、摺動回数が多く(摺動する頻度が高い)箇所には、突起部の高さはより低いことが望ましく、一方、摺動回数が少なく(摺動する頻度が低い)箇所には、突起部の高さは高いことが望ましい。
【0019】
そして、後者の場合、より好ましい態様としては、前記突起部の高さが0.6μm〜1.0μmとなるように、非晶質炭素被膜を成膜する。この態様によれば、大気中(無潤滑状態)において摺動部材を摺動させたときに、摺動初期の段階から、摺動部材の摩擦係数を0.1以下にすることができる。これは、突起部(ドロップレット)が被膜表面に比べて軟質であることから、相手部材に対して低せん断性を発現することができるからである。
【0020】
すなわち、突起部の高さが0.6μmよりも低い場合には、突起部がすぐに摩滅してしまい、摺動初期において、十分に摩擦係数を低減することができない。一方、突起部の高さが1.0μmを超える突起部を形成しようとした場合には、非晶質炭素被膜の膜厚を厚くしなければならず、このような突起部では、初期摩耗が増大し、摺動初期の摩擦係数が増大するおそれがある。
【0021】
本発明として、上述した特性を有する摺動部材をも開示する。本発明に係る摺動部材は、基材の表面に、珪素及び窒素を含有した非晶質炭素被膜を成膜する摺動部材であって、前記非晶質炭素被膜の表面には、複数の突起部が形成されており、該突起部は、該突起部以外の前記表面よりも軟質であることを特徴とする。
【0022】
本発明によれば、非晶質炭素被膜の突起部が、該突起部以外の前記表面よりも軟質であるので、この突起部の軟質の特性により、摺動部材の摺動特性を高めることができる。
【0023】
より好ましい態様としては、前記突起部の高さが0.6μm〜1.0μmである。この態様によれば、大気中(無潤滑状態)における摺動初期の段階において、摺動部材の摩擦係数を0.1以下にすることができる。上述したように、突起部の高さが0.6μmよりも低い場合には、突起部がすぐに摩滅してしまい、摺動初期において、十分に摩擦係数を低減することができない。一方、突起部の高さが1.0μmを超えた場合には、非晶質炭素被膜が形成された摺動部材の初期摩耗が増大し、摺動初期の摩擦係数が増大するおそれがある。
【0024】
なお、本発明でいう「窒素を含有した非晶質炭素被膜」とは、いわゆるCNx膜のことであり、酸素原子及び水素原子をさらに含有していてもよい。そして、より好ましい態様としては、突起部の硬さは、12GPa以下であり、突起部以外の前記非晶質炭素被膜の表面の硬さは、14〜30GPaの範囲にある。
【0025】
この態様によれば、摺動時に、突起部が摩耗しながら、摺動部材の表面に流動し、摺動部材の摩擦係数を低くすることができる。すなわち、突起部以外の非晶質炭素被膜の表面の硬さが、12GPa以下である場合には、被膜の耐摩耗性が不足し、30GPaを超えるような被膜は成膜できない。また、突起部の硬さが12GPaを超える場合には、非晶質炭素被膜の他の表面に対して軟質であるとはいえず、上述した摺動特性を発現することが難しくなる。
【0026】
また、本発明に係る摺動部材は、潤滑状態、無潤滑状態どちらでも使用してもよいが、より好ましくは、上述した摺動部材及び上述した製造方法により製造された摺動部材を第1の摺動部材として備え、該第1の摺動部材に摺動する摺動部材を第2の摺動部材として備え、該第1及び第2の摺動部材が無潤滑状態で摺動する摺動構造にすることにより、低摩擦で、これらの摺動部材を摺動させることができる。
【発明の効果】
【0027】
本発明によれば、潤滑環境下ばかりでなく、大気中(無潤滑状態)であっても、摺動初期の段階で、これまでに比べてより低い摩擦係数を確保することができる。
【図面の簡単な説明】
【0028】
【図1】本発明の実施形態に係る摺動部材を製造するための製造装置の模式的概略図。
【図2】実施例1に係る摺動部材(非晶質炭素被膜)の表面を原子間力顕微鏡(AFM)で、観察した結果を示した図であり、(a)は、非晶質炭素被膜の表面のAFMの画像であり、(b)は、非晶質炭素被膜に形成された突起部の一例を示した図。
【図3】実施例1に係る摺動部材(非晶質炭素被膜)の表面を、電子顕微鏡(SEM)で観察した結果を示した写真図。
【図4】実施例1〜4の突起部の高さの最大値、最小値およびその平均値を示した図。
【図5】実施例1〜4の突起部の幅の最大値、最小値およびその平均値を示した図。
【図6】実施例1〜4の突起部の占める面積率の最大値、最小値およびその平均値を示した図。
【図7】図7は、実施例1〜4の任意の点における硬さ試験の結果であり、(a)は、120〜800nmの突起部の高さを満たす6つの突起部における荷重変位曲線を示した図であり、(b)は、突起部以外の被膜表面の4箇所における荷重変位曲線を示した図。
【図8】図7(a)の曲線から求めた突起部の硬さの最大値、最小値、および平均値と、(b)の曲線から求めた突起部以外の硬さの最大値、最小値、および平均値を示した図。
【図9】ボールオンディスク摩擦試験機を説明するための図。
【図10】実施例1に係る摺動部材の摩擦試験の結果を示しており、(a)は、摺動部材のサイクル数と摩擦係数との関係を示した図であり、(b)は、5000サイクル時における非晶質炭素被膜の表面を電子顕微鏡(SEM)で観察した結果を示した写真図。
【図11】実施例2に係る摺動部材の摩擦試験の結果を示しており、(a)は、摺動部材のサイクル数と摩擦係数との関係を示した図であり、(b)は、5000サイクル時における非晶質炭素被膜の表面を電子顕微鏡(SEM)で観察した結果を示した写真図。
【図12】実施例3に係る摺動部材の摩擦試験の結果を示しており、(a)は、摺動部材のサイクル数と摩擦係数との関係を示した図であり、(b)は、5000サイクル時における非晶質炭素被膜の表面を電子顕微鏡(SEM)で観察した結果を示した写真図。
【図13】実施例4に係る摺動部材の摩擦試験の結果を示しており、(a)は、摺動部材のサイクル数と摩擦係数との関係を示した図であり、(b)は、5000サイクル時における非晶質炭素被膜の表面を電子顕微鏡(SEM)で観察した結果を示した写真図。
【図14】実施例1〜4の摺動部材に係る突起部の高さに対する、摺動初期の摩擦係数と、10000サイクルにおける摩擦係数とを示した図。
【発明を実施するための形態】
【0029】
以下の本発明の摺動部材及びその製造方法を実施形態について説明する。図1は、本実施形態の摺動部材を製造(基材に被膜を成膜)するための模式的な装置構成図である。
【0030】
本実施形態の摺動部材の製造方法は、基材の表面(摺動表面)に、窒素を含有した非晶質炭素被膜が形成された摺動部材を製造する方法である。具体的には、基材表面に向けて窒素イオンビームを照射すると共に、非晶質炭素被膜の表面に、複数の突起部が形成されるように、カーボンターゲットに電子ビームを照射することにより、カーボンターゲットの一部を前記基材の表面に蒸着させながら前記非晶質被膜を成膜する方法である。
【0031】
まず、摺動部材の基材を準備する。この基材の材質としては、摺動時において非晶質炭素被膜との密着性を確保することができるような材質および表面硬さを有する材料であれば、特に限定されるものではなく、例えば、鋼、鋳鉄、アルミニウム、高分子樹脂、シリコン等の基材などを挙げることができる。
【0032】
また、この基材の表面には、非晶質炭素被膜を成膜前に、基材と非晶質炭素被膜との密着力を高めるために、ケイ素(Si)からなる中間層を設けてもよく、さらにケイ素の代わりに、クロム(Cr)、チタン(Ti)またはタングステン(W)を用いてもよい。
【0033】
図1に示すような成膜装置(IBAD(イオンビームアシスト蒸着)装置)を利用して、イオンビームミキシング法と電子ビーム蒸着法を組み合わせることにより、基材の表面に非晶質窒化炭素被膜を成膜する(成膜工程)。まず、図1に示すように、基材およびカーボンターゲットを、成膜装置内に配置する。
【0034】
次に、ターボモレキュラーポンプを用いて、真空チャンバ内の圧力を減圧する。具体的には、ターボモレキュラーポンプは、ターボ分子ポンプで、真空チャンバ内の空気を排気し、チャンバ内を真空に近い状態にする(2.0〜4.0×10−3Pa)。一般に、ロータリーポンプや拡散ポンプなどがこの程度の真空度を得るためには用いられるが、後述する摩擦実験を行なうため、吸着する油の影響を無くするため、油を使用しないターボ分子ポンプを用いて、真空チャンバ内の空気を排気する。
【0035】
次に、冷却水により基材の間接的に冷却するとともに、窒素イオンビーム発生源から所定の加速エネルギーで窒素イオンビームを基材に向けて照射する。これにより、基材の表面をクリーニングする。そして、窒素イオンビームを基材の表面に照射すると共に、基材の表面に後述する複数の突起部が形成されるように、カーボンターゲットに電子ビーム発生源からの所定の出力となる電子ビームを照射し、カーボンターゲットの一部を溶融・蒸発させ、蒸発したカーボンを基材の表面に蒸着させながら、基材の表面に非晶質被膜を成膜する。
【0036】
ここで、図1に示すサーモカップルは、熱電対で成膜時の基材の表面温度を予測するための計測器であり、これを用いて、基材の裏面の温度を測定する。また、膜厚計(シックネスゲージ)は、成膜された非晶質炭素被膜の膜厚を測定するための水晶振動子型膜厚計であり、これを用いて、成膜時間と伴に増加する非晶質炭素被膜の膜厚を計測する。この計測器の原理は、水晶振動子を発振しておき、成膜途中の膜の固有振動数の変化から、堆積した膜材料の重量を求め、体積重量を膜密度で除して膜体積と膜厚を算出する。
【0037】
このようにして、得られた非晶質炭素被膜は、窒素イオンビームを基材表面に向けて照射すると共に、カーボンターゲットの一部を基材の表面に蒸着させながら、非晶質炭素被膜を成膜するので、基材の表面(摺動面)に、窒素を含有した非晶質炭素被膜(CNx被膜)を成膜することができる。
【0038】
なお、本実施形態では、窒素イオンビームを基材に向けて照射しているので、炭素と窒素とのsp2結合が増加した非晶質炭素被膜(CNx被膜)を得ることができる。この被膜(CNx被膜)を有した摺動部材は、窒素を含まないもの(DLC被膜)に比べて、低摩擦係数を有する。なお、CNx被膜における窒素原子の含有量/炭素原子の含有量の原子比は、特に限定されるものではないが、0.1〜0.25の範囲の原子比であれば、上述した低摩擦特性を発現することができる。
【0039】
そして、電子ビームをカーボンターゲットに照射することにより、カーボンターゲットからは、これまでのスパッタリングなどの方法に比べて多量のカーボン原子が蒸発して放出されるので、これまでの方法に比べて成膜速度を高めることができる。
【0040】
また、一部蒸発せずに溶融した状態のカーボンターゲットから飛び出す粒径の大きなクラスターカーボンが、基材表面および成膜段階の被膜の表面に蒸着する。この結果、非晶質炭素被膜の表面に複数の突起部が形成される。
【0041】
ここで、非晶質炭素被膜の表面に形成される突起部(ドロップレット)の高さ、突起部の幅、および、複数の突起部が被膜表面に対して占有する占有率(面積率)は、電子ビームに供給する電圧および電流と、成膜時間と、を調整することにより、調整することができる。本実施形態では、突起部の高さが、摺動部材の摺動初期の段階における摩擦係数の支配的な因子となるため、突起部の高さが0.6μm〜1.0μmとなるように、非晶質炭素被膜を成膜する。
【0042】
この条件としては、たとえば、電子ビームの出力を、10kV,0.7〜0.9Aに制御し、成膜時間を、20分〜60分程度で、このような範囲の非晶質炭素被膜を成膜することができる。なお、突起部の高さを上述した範囲に製造すれば、その効果を発現するための突起部の幅、突起部の面積率を有した突起が形成されることになる。
【0043】
従来の如く、アークイオンプレーティング法、レーザーデポジッション法、スパッタリング法などにより非晶質炭素被膜を成膜した場合には、成膜時の突起部は、突起部以外の被膜表面の硬さ略同等で硬質となる。したがって、一般的には、摩擦係数を高めるためには、非晶質炭素被膜の表面は摺動面となるので、その表面は平滑であること(すなわち、突起部(ドロップレット)が形成されないこと)が好ましいとされていた。
【0044】
しかしながら、本実施形態では、電子ビーム蒸着法により非晶質炭素被膜を成膜するので、成膜時に生成される突起部は、突起部以外の非晶質炭素被膜の表面よりも硬さが低い(すなわち軟質である)ため、摺動時における摺動部材の摩擦特性を向上させることができる。
【0045】
特に、突起部の高さが0.6μm〜1.0μmとなるように、非晶質炭素被膜を成膜すれば、大気中(無潤滑状態)において摺動部材を摺動させたときに、摺動初期の段階から、摺動部材の摩擦係数を0.1以下にすることができる。これは、突起部(ドロップレット)が、それ以外の被膜表面に比べて軟質であることから、相手部材に対して低せん断性を発現するからである。
【0046】
また、突起部の高さを、0.3μm以下にした場合には、摺動初期の段階で、突起部が摩滅するものの、低い突起部(ドロップレット)が非晶質炭素被膜の摺動面(表面)に広がり、時間経過と共に、良い潤滑性のある(摩擦係数の低い)膜が形成される。このように、本実施形態では、摺動部材の使用環境下に応じて、非晶質炭素被膜表面に形成される突起部の高さを選定すればよい。
【実施例】
【0047】
以下に、本発明を実施例により説明する。
(実施例1)
<摺動部材の製作>
窒素を含有した非晶質炭素被膜(CNx膜)の成膜に、図1に示す成膜装置を用いた。まず、基材として、(100)方位を表面に有するシリコンウエアを準備した。この基材とカーボンターゲットを真空チャンバ内に配置し、チャンバ内を、2.0〜4.0×10−3Paとなるように、ターボモレキュラーポンプで、真空チャンバ内の空気を排気した。そして、基材が設置された設置台に、20℃の冷却水を循環させて、基材の温度を一定に保持した。
【0048】
次に、窒素イオン発生源へのアシスト窒素イオンへの窒素ガスの流量10sccmとし、アシスト窒素イオンの加速電圧が加速電圧:1.0kV(34mA)となり、窒素アシストイオンのマイクロ波出力0.4kW(反射出力:0kW)となるように、窒素イオンビーム発生源を調整した。この調整した常態の窒素イオンビームを基材の表面に向けて照射し、基材の表面のクリーニングを5分間行なった。
【0049】
次に、クリーニング条件と同じ条件で、基材の表面に向けて窒素イオンビームを照射すると共に、カーボンターゲットに、電子ビーム蒸着の電子ビームの出力を、電圧10kV、電流0.7〜0.9Aの範囲に調節した電子ビームを照射し、カーボンターゲットの一部を溶融及び蒸発させて、この蒸発したカーボンターゲットの一部を、窒素イオンビームが照射された基材の表面に蒸着させた。成膜時間は、4分40秒、膜厚計により、成膜速度は、1.0〜2.0nm/s、膜厚は、160nmであった。
【0050】
このようにして、基材の表面(摺動面)に、窒素を含有した非晶質炭素被膜(CNx被膜)が形成された摺動部材を得た。
【0051】
(実施例2〜4)
実施例1と同じように、基材に非晶質炭素被膜を形成した摺動部材を製作した。実施例1と相違する点は、成膜時間を、順次、12分20秒、32分00秒、46分00秒にすることにより、非晶質炭素被膜の膜厚を、370nm,1090nm及び1600nmにした点である。
【0052】
(比較例1および2)
実施例1と同じように、基材に非晶質炭素被膜を形成した摺動部材を製作した。比較例1が、実施例1と相違する点は、イオンビームミキシング法を利用したスパッタリング(イオンビームスパッタ)により、窒素を含む非晶質炭素被膜を成膜した点であり、比較例2が、実施例1と相違する点は、スパッタリングによりドロップレットが形成されるように非晶質炭素被膜(DLC)を成膜した点である。
【0053】
<表面観察>
実施例1〜4の摺動部材の非晶質炭素被膜が形成された表面を、原子間力顕微鏡(AFM)および電子顕微鏡(SEM)で観察し、表面の突起部が形成されていることを確認した。
【0054】
図2は、実施例1に係る摺動部材(非晶質炭素被膜)の表面を原子間力顕微鏡(AFM)で、観察した結果を示した図であり、(a)は、非晶質炭素被膜の表面のAFMの画像であり、(b)は、非晶質炭素被膜に形成された突起部の一例を示した図である。
【0055】
なお、原子間力顕微鏡は、試料と探針間に働く力を利用して試料表面の凹凸をナノメートルレベルでの分解能で観察できるものである。装置は、測定ヘッド(セイコーインスツルメンツ株式会社製 NPX100)、コントローラ(セイコーインスツルメンツ株式会社製Nanopocs1000)で構成されている。測定範囲0.5nm〜1000μm、スキャン速度12〜1792秒/フレームで測定を行うことができるものである。
【0056】
図3は、実施例1に係る摺動部材(非晶質炭素被膜)の表面を、電子顕微鏡(SEM)で観察した結果である。
【0057】
図2(a),(b)に示すようなAFM画像の結果を用いて、実施例1〜4の摺動部材の非晶質炭素被膜の表面に形成された20個の突起部の幅と高さを測定し、突起部の高さおよび幅を測定した。図4に、実施例1〜4の突起部の高さの最大値、最小値およびその平均値(○)を示した。図5に、実施例1〜4の突起部の幅の最大値、最小値およびその平均値(○)を示した。
【0058】
さらに、図3に示すようなSEM画像の結果を用いて、非晶質炭素被膜の表面に占める複数の突起部の面積率を評価するにあたりSEM画像を2値化処理し、ヒストグラムを用いて突起部の面積率を測定した。実施例1〜4のそれぞれに対しSEM画像を3枚測定し、図6に、実施例1〜4の突起部の占める面積率の最大値、最小値およびその平均値(○)を示した。
【0059】
[結果1]
実施例1〜4に係る非晶質炭素被膜の膜厚、突起部の高さ(平均値)、突起部の幅(平均値)、突起部の幅(平均値)、突起部の面積率(平均値)は以下の表1に示すとおりとなった。
【0060】
【表1】
【0061】
<硬さ試験>
実施例1〜4における非晶質炭素被膜の表面をHysitron社製AFMナノインデンターにより押し込み硬さ測定をした場合の荷重変位曲線を求め、本荷重変位曲線より、塑性変形による押し込み痕の投影面積を算出し、最大押し込み荷重を押し込み痕の投影面積で除することで硬さを算出した。
【0062】
図7は、実施例1〜4の任意の点における硬さ試験の結果であり、(a)は、120〜800μmの突起部の高さhを満たす6つの突起部における荷重変位曲線を示しており、(b)は、突起部以外の被膜表面の4箇所における荷重変位曲線を示している。図8は、図7(a)の曲線から求めた突起部の硬さの最大値、最小値、および平均値と、(b)の曲線から求めた突起部以外の硬さの最大値、最小値、および平均値を示している。
【0063】
[結果2]
図8に示すように、非晶質炭素被膜の突起部の硬さ(平均値7.5GPa)は、それ以外の非晶質炭素被膜の硬さ(平均値14.8GPa)よりも低く、突起部は、その他の表面に比べて軟質であった。具体的には、突起部の硬さは、最大値であっても12GPa以下であり、突起部以外の被膜表面の硬さは、最小値であっても14GPaであった。
【0064】
[考察]
結果2となったのは、電子ビームを照射時に、一部蒸発せずに溶融した状態のカーボンターゲットから飛び出す粒径の大きなクラスターカーボンが、基材表面および成膜段階の被膜の表面に蒸着し、この結果、非晶質炭素被膜の表面に軟質の突起部が形成されたと考えられる。
【0065】
<摩擦試験>
以下の手順で実施例1〜4および比較例1および2の摩擦試験を行った。まず、直径8mm、以下の表2に示す窒化珪素球を準備した。
【0066】
【表2】
【0067】
図9に示すボールオンディスク摩擦試験機を用いた。摩耗試験を行う事前準備として、ボール試験片Bをアセトンとエタノールで各10分間超音波洗浄した。その後、チャンバ30内において、ボール試験片Bを試験機の本体から取り外したボールホルダー35に固定し、光学顕微鏡(図示せず)を用いてこの表面に傷が無いことを確認後、これらをデシケータ(図示せず)内に投入し、ボール試験片Bを乾燥させた。一方、ディスク試験片Dの表面に形成した非晶質炭素被膜の表面(摺動面)の埃などの異物をハンドブロー(図示せず)で取り除いた。
【0068】
次に、ディスク試験片Dをディスクホルダー44に保持させると共に、ボール試験片Bが固定されたボールホルダー35をステージ31と一体となるように試験機の本体に取り付けた。平行板ばね32に接着したひずみゲージ33(協和電業製,KF−1−120−C1−16)を用いて、ボール試験片Bがディスク試験片Dの非晶質炭素被膜の表面に対して付加される荷重の値が0.1Nの荷重(ヘルツ平均接触圧力(135MPa))が付加されるようにステージ31を調整して、これらを当接させた。なお、ボール試験片Bとディスク試験片Dの接触位置は、この3軸ステージ31によって決定され、垂直荷重は、z軸を上下させることにより調整した。
【0069】
そして、乾式下(乾燥摩擦条件下)で、チャンバ内に大気を導入し、モータ41を駆動してプーリ42を回転させ、ベルト43を介して、窒素ガス雰囲気下でディスクホルダー44のディスク試験片Dを、ボール試験片Bに対して回転半径が2mm、相対速度(摺動速度)が42m/s(回転数200rpm)となる定速回転条件で1分間回転させた。
【0070】
このときの摩擦力を、ひずみゲージ34で測定し、センサインターフェイス(協和電業製,PCD−300A)を介して、コンピュータ内にデータを取り込み、記録した。そして、摩擦係数を換算した。
【0071】
この結果を図10(a)〜図13(a)、図14に示す。図10(a)〜図13(a)は、実施例1〜4に係る摺動部材のサイクル数と摩擦係数との関係を示した図であり、図14は、各実施例1〜4の摺動部材に係る突起部の高さに対する、摺動初期の摩擦係数と、10000サイクルにおける摩擦係数とを示した図である。なお、図10(b)〜図13(b)には、それぞれ、5000サイクル時における実施例1〜4の非晶質炭素被膜の表面を電子顕微鏡(SEM)で観察した結果を示した写真図である。
【0072】
[結果3]
図10(a)に示すように、実施例1の摺動部材の場合には、摺動初期の摩擦係数が0.27程度と高く、10000サイクルでは、摩擦係数が0.13程度に低減された。
【0073】
図11(a)に示すように、実施例2の摺動部材の場合には、1000サイクルまでの摺動初期の段階で、摩擦係数が0.1を下回り、その後、1500サイクルを越えたあたりから、摩擦係数が増加した。
【0074】
図12(a)、図13(a)に示すように、実施例3および4の摺動部材の場合には、摺動初期の摩擦係数が、0.1を下回り、その後、10000サイクルでは、摩擦係数が増加した。
【0075】
また、図には示していないが、比較例1の摺動部材の場合、摩擦係数が0.15程度で略一定であり、比較例2の摺動部材の場合、摩擦係数が0.3程度で略一定であった。
【0076】
図10(b)〜図13(b)に示すように、これらの摺動部材の表面を、試験途中(5000サイクル時)に確認したところ、サイクル数が増えるに従って、相手部材に突起部が削られていることがわかった。
【0077】
[考察]
結果3に示すように、実施例3および4の如く、突起部の高さが0.6μm〜1.0μmとなるように、非晶質炭素被膜を成膜すれば、大気中(無潤滑状態)において摺動部材を摺動させたときに、摺動初期の段階から、摺動部材の摩擦係数を0.1以下にすることができる。これは、突起部(ドロップレット)が被膜表面に比べて軟質であることから、相手部材に対して、非晶質炭素被膜の表面が低せん断性を発現したことによると考えられる。
【0078】
また、実施例1の如く、突起部の高さを、0.3μm以下にした場合には、摺動初期の段階で、突起部が摩滅するものの、低い突起部(ドロップレット)が非晶質炭素被膜の摺動面(表面)に広がり、時間経過と共に、良い潤滑性のある(摩擦係数の低い)膜が形成される。
【0079】
さらに、比較例1および2では、サイクル数にかかわらず、摩擦係数が0.1を下回らなかったところ、実施例2に係る摺動部材の如く、突起部の高さが0.4μm(0.3μm〜0.6μm未満)の場合であっても、ごく初期の摺動時において、摩擦係数が0.1を下回ることがあるので、このような摺動条件で摺動部材を使用する場合には、この突起部の高さが適しているといえる。このように、摺動部材の使用環境下に応じて、突起部の高さを選定すれば、所望の摩擦特性を得ることができる。
【0080】
以上、本発明の実施の形態を用いて詳述してきたが、具体的な構成はこの実施形態及び実施例に限定されるものではなく、本発明の要旨を逸脱しない範囲における設計変更があっても、それらは本発明に含まれるものである。
【符号の説明】
【0081】
31…ステージ,32…平行板ばね,33…ひずみゲージ,35…ボールホルダー,41…モータ,42…プーリ,43…ベルト,44…ディスクホルダー,B…ボール試験片,D…ディスク試験片
【特許請求の範囲】
【請求項1】
基材の表面に、窒素を含有した非晶質炭素被膜を成膜する摺動部材の製造方法であって、
前記基材の表面に向けて窒素イオンビームを照射すると共に、前記非晶質炭素被膜の表面に、複数の突起部が形成されるように、カーボンターゲットに電子ビームを照射することにより、前記カーボンターゲットの一部を前記基材の表面に蒸着させながら前記非晶質被膜を成膜することを特徴とする摺動部材の製造方法。
【請求項2】
前記突起部の高さが0.6μm〜1.0μmとなるように、非晶質炭素被膜を成膜することを特徴とする請求項1に記載の摺動部材の製造方法。
【請求項3】
基材の表面に、窒素を含有した非晶質炭素被膜を成膜する摺動部材であって、
前記非晶質炭素被膜の表面には、複数の突起部が形成されており、該突起部は、該突起部以外の前記非晶質炭素被膜の表面よりも軟質であることを特徴とする摺動部材。
【請求項4】
前記突起部の高さが0.6μm〜1.0μmであることを特徴とする請求項3に記載の摺動部材。
【請求項5】
前記突起部の硬さは、12GPa以下であり、突起部以外の前記非晶質炭素被膜の表面の硬さは、14〜30GPaの範囲にあることを特徴とする請求項3または4に記載の摺動部材。
【請求項6】
請求項1に記載の製造方法により製造された摺動部材、または請求項3〜5のいずれかに記載の摺動部材を第1の摺動部材として備え、該第1の摺動部材に摺動する摺動部材を第2の摺動部材として備え、該第1及び第2の摺動部材が無潤滑状態で摺動することを特徴とする摺動構造。
【請求項1】
基材の表面に、窒素を含有した非晶質炭素被膜を成膜する摺動部材の製造方法であって、
前記基材の表面に向けて窒素イオンビームを照射すると共に、前記非晶質炭素被膜の表面に、複数の突起部が形成されるように、カーボンターゲットに電子ビームを照射することにより、前記カーボンターゲットの一部を前記基材の表面に蒸着させながら前記非晶質被膜を成膜することを特徴とする摺動部材の製造方法。
【請求項2】
前記突起部の高さが0.6μm〜1.0μmとなるように、非晶質炭素被膜を成膜することを特徴とする請求項1に記載の摺動部材の製造方法。
【請求項3】
基材の表面に、窒素を含有した非晶質炭素被膜を成膜する摺動部材であって、
前記非晶質炭素被膜の表面には、複数の突起部が形成されており、該突起部は、該突起部以外の前記非晶質炭素被膜の表面よりも軟質であることを特徴とする摺動部材。
【請求項4】
前記突起部の高さが0.6μm〜1.0μmであることを特徴とする請求項3に記載の摺動部材。
【請求項5】
前記突起部の硬さは、12GPa以下であり、突起部以外の前記非晶質炭素被膜の表面の硬さは、14〜30GPaの範囲にあることを特徴とする請求項3または4に記載の摺動部材。
【請求項6】
請求項1に記載の製造方法により製造された摺動部材、または請求項3〜5のいずれかに記載の摺動部材を第1の摺動部材として備え、該第1の摺動部材に摺動する摺動部材を第2の摺動部材として備え、該第1及び第2の摺動部材が無潤滑状態で摺動することを特徴とする摺動構造。
【図1】
【図2】
【図3】
【図4】
【図5】
【図6】
【図7】
【図8】
【図9】
【図10】
【図11】
【図12】
【図13】
【図14】
【図2】
【図3】
【図4】
【図5】
【図6】
【図7】
【図8】
【図9】
【図10】
【図11】
【図12】
【図13】
【図14】
【公開番号】特開2013−57093(P2013−57093A)
【公開日】平成25年3月28日(2013.3.28)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2011−195055(P2011−195055)
【出願日】平成23年9月7日(2011.9.7)
【出願人】(000003207)トヨタ自動車株式会社 (59,920)
【出願人】(504139662)国立大学法人名古屋大学 (996)
【Fターム(参考)】
【公開日】平成25年3月28日(2013.3.28)
【国際特許分類】
【出願日】平成23年9月7日(2011.9.7)
【出願人】(000003207)トヨタ自動車株式会社 (59,920)
【出願人】(504139662)国立大学法人名古屋大学 (996)
【Fターム(参考)】
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