説明

構造解析システム

【課題】複数のペプチドに由来する同位体ピーク群が重なり合っていて、しかもMS/MSマススペクトル上で同位体ピーク群を構成するピークの強度が小さい場合であっても、各ペプチドのアミノ酸配列を高い精度で同定する。
【解決手段】ペプチド混合物のMS/MS分析で得られた同位体ピーク群をクラス分けする際に、まずプリカーサイオンの元素組成を推定した上で該プリカーサイオンに同位体が1個、2個、…含まれると仮定して(S11)、MS/MS分析により得られるイオンの元素組成を推定し各ピークの強度比を計算する(S13、S14)。この理論計算による強度比と実測により得られたMS/MSマススペクトル上の同位体ピーク群に含まれるピークの強度比とが高い相関を有している場合に(S19でYES)、その同位体ピーク群をそのプリカーサイオンに含まれる同位体数のクラスに分類し(S20)、ピークリストを作成する。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、質量分析を利用して各種試料の構造を解析するシステムに関し、具体的には、例えばペプチド混合物を含む試料を質量分析し、得られたデータを基に各ペプチドのアミノ酸配列を決定するのに好適な構造解析システムに関する。
【背景技術】
【0002】
近年、ポストゲノム研究としてタンパク質の構造や機能の解析が急速に進められている。このようなタンパク質の構造・機能解析手法の一つとして、質量分析装置を用いたタンパク質の発現解析や一次構造解析が広く行われるようになってきており、四重極型イオントラップ(Quadrupole Ion Trap:QIT)や衝突誘起分解(Collision Induced Dissociation:CID)などによって特定のピークに対応するイオンの捕捉と開裂を行う、いわゆるMS/MS分析(又はMS分析)が威力を発揮している。一般にMS/MS分析では、まず、分析対象物から特定の質量数(質量電荷比:m/z)を有するイオンをプリカーサイオンとして選別し、該プリカーサイオンをCIDによって開裂させる。その後、開裂によって生成したイオン(プロダクトイオン)を質量分析することによって、目的とするイオンの質量や化学構造についての情報を取得することができる。
【0003】
上記のようなMS/MS(又はMS)分析を利用してタンパク質のアミノ酸配列の同定を行う場合には、まず、タンパク質を適当な酵素で消化してペプチド断片の混合物としてから、該ペプチド混合物を質量分析(MS分析)に供する。このとき、各ペプチドを構成する、炭素(C)、窒素(N)等の元素には質量の異なる安定同位体が存在するため、同一のアミノ酸配列から成るペプチドであっても、その同位体組成の違いによって質量数の異なる複数のピークがマススペクトル上に出現する。該複数のピークは、天然存在比が最大の同位体のみで構成されたイオン(主イオン又はモノアイソトピックイオンという)のピークと、それ以外の同位体を含むイオン(同位体イオン)のピークとから成り、これらは1[Da]間隔で並んだ複数本のピークから成るピーク群を形成する。本発明ではこれを同位体ピーク群と呼ぶ。マススペクトル上での同位体ピーク群の一例を図7に示す。
【0004】
続いて、上記のようなペプチド混合物の質量分析データ(MSマススペクトルデータ)の中から、単一のペプチドに由来する一組の同位体ピーク群をプリカーサイオンとして選択し、該プリカーサイオンを開裂させることで得られたイオン(プロダクトイオン)を質量分析(MS/MS分析)する。
【0005】
このようにして得られたMS/MS分析によるマススペクトルパターンや、上記MS分析によるマススペクトルパターンをデータベース検索に供することによって、被検ペプチドのアミノ酸配列を同定することができる。また、これらのマススペクトルパターンをデノボ(De Novo)シーケンスと呼ばれるコンピュータソフトウェアを用いて数理的に解析することで、各ペプチドのアミノ酸配列を推定することもできる。
【0006】
従来、上記のような手法によるアミノ酸配列の同定を行う際に、MS分析によるマススペクトル上で異なるペプチドに由来する同位体ピーク群が近接していた場合には、所望のペプチド由来のピークに対応するイオンと共に該ピークに近接した他のペプチド由来のピークに対応したイオンがプリカーサイオンとして選択されてしまい、正確な同定を行うことができなかった。これに対し、近年の高質量分離能イオントラップ技術の発展に伴い、1[Da]間隔で現れる同位体ピーク群の中から単一のピークに対応するイオンを選択してプリカーサイオンとすることが可能となったため、異なるペプチド由来の同位体ピーク群の一部が重なり合っているような場合であっても、その中から各ペプチドに由来するピークに対応するイオンを個別に選択してMS/MS分析を行うことで、各ペプチドの分離・同定を的確に行うことができるようになった(例えば非特許文献1参照)。
【0007】
しかしながら、異なるペプチド由来の同位体ピーク群の重なりが大きい場合には、上述のように同位体ピーク群の中から単一ピークを選択してそれに対応するイオンのMS/MS分析を行っても、もともとその単一ピーク自体が複数種類のペプチドに由来するイオンが混在した状態から得られたものであるため、MS/MSマススペクトルの解釈が複雑になり、正確なアミノ酸配列の同定を行うことができないという問題があった。
【0008】
こうした問題を解決するために、本願発明者は非特許文献2において、MS/MS分析により得られたマススペクトル上の同位体ピーク群を、各同位体ピーク群を構成するピークの数に応じてクラス分けし、各クラス毎にピークの質量数を集めたピークリストを作成して、このピークリストに基づいてアミノ酸配列の同定を行うという手法を提案している。この手法によれば、従来よりも個々のペプチドの同定精度の向上が期待できる。
【0009】
しかしながら、こうした方法によっても次のような問題がある。即ち、或る1組の同位体ピーク群を構成する複数個のピークにおいては、選択したプリカーサイオンに含まれる同位体数が多くMS/MSピーク群の質量数が大きくなるほど、高質量数のイオンに対応するピークに比べて低質量数のイオンに対応するピークの強度が相対的に小さくなる傾向にある。そのため、相対的に低い質量数のピークの強度が小さ過ぎ、測定ノイズに埋もれてしまって明確にピークとして検出することが困難になる場合がある。こうした場合、同位体ピーク群を構成するピーク本数を正確に把握できず、誤ったクラス分けを行うおそれがある。
【0010】
いま一例として、図8に、MS分析で得られた質量数1046から始まるピーク群或いはその一部をプリカーサイオンとして選択してMS/MS分析した結果の一部、具体的には質量数932近傍のマススペクトルの拡大図を示す。この図8において(a)〜(d)は、質量数1046〜1048のピーク群(all)、質量数1046のピーク1本のみ、質量数1047のピーク1本のみ、質量数1048のピーク1本のみ、に対応するイオンをそれぞれプリカーサイオンとして選択してMS/MS分析を実行して得たスペクトルを示している。このとき、MS/MSマススペクトルに出現するピークの本数は、実際にはプリカーサイオンに含まれる同位体の数に応じて(b)では1本、(c)では2本、(d)では3本となっている筈である。しかしながら、(d)において、質量数1048のピークに対応するイオンをプリカーサイオンとして選択して実行されたMS/MS分析によるマススペクトルの同位体ピーク群では、質量数が最も小さな(m/z=932)ピークの強度が殆ど測定ノイズと同程度のレベルしかなく、実質的にこれをピークとして検出することは困難である。その結果、例えばこの結果を見ても、ピーク数が2であるか3であるかを明確に区別するのは困難である。
【0011】
【非特許文献1】ハイペップ研究所沖縄ラボ設立記念コンファレンス配付資料、2005年2月19日、島津製作所
【非特許文献2】梶原、岩本、「ピーク・クラシフィケイション・イン・MS/MS・ユージング・ハイ・プリカーサ・リゾリューション・イオン・トラップ (Peak Classification in MS/MS Using High Precursor Resolution Ion Trap)」、53rd ASMS Conference、WP345 (2005)
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0012】
即ち、上記のような従来の方法では、MS/MSマススペクトル上に現れる各同位体ピーク群を、その同位体ピーク群を構成する複数のピークの本数に応じてクラス分けしようとしても、そのピーク自体の正確な把握が困難であるためにクラス分けの精度を保つのが難しく、その結果、アミノ酸配列の同定の精度が低下するおそれがある。
【0013】
本発明はこうした課題を解決するために成されたものであり、例えば複数のペプチドに由来する同位体ピーク群が重なり合っている場合であって、しかも、その同位体ピーク群の中の或る同位体ピーク群又はその一部をプリカーサイオンとして選択してMS/MS分析を行った際に現れるピークの強度が小さいような場合であっても、各ペプチドのアミノ酸配列を高い精度で同定することのできる構造解析システムを提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0014】
上記課題を解決するために成された本発明に係る構造解析システムは、質量分析を用いて試料のアミノ酸配列又は塩基配列を同定するための構造解析システムであって、
a)試料のMS分析を実行してMSマススペクトルを取得するとともに、該MSマススペクトルに現れる同位体ピーク群の中から、一部のピークを選択して該ピークに対応したイオンをプリカーサイオンとしてMS/MS分析を実行してMS/MSマススペクトルを取得する質量分析手段と、
b)前記質量分析手段により得られたMS/MSマススペクトルに現れる同位体ピーク群を、各同位体ピーク群に含まれる複数のピークの強度比に基づいてその元となったプリカーサイオンに含まれる同位体数を推定することによりクラス分けし、各クラス毎にピークリストを作成するピークリスト作成手段と、
c)前記ピークリスト作成手段によって作成されたピークリストを基に試料のアミノ酸配列又は塩基配列を同定する配列同定手段と、
を備えることを特徴としている。
【0015】
本発明において「試料」は生体に由来する生体試料や人工的に合成された試料など各種のものとすることができるが、典型的な一例として、試料はペプチド混合物であって、本発明は該ペプチド混合物のアミノ酸配列を同定するための構造解析システムとすることができる。
【0016】
また本発明において「MS/MS分析」とは、所定のプリカーサイオンを開裂させ、得られたイオン(プロダクトイオン)を質量数に基づいて分離・検出することを指し、1回の開裂を行うMS/MS分析のみならず、目的分子を複数回開裂させる、いわゆるMS分析をも含むものとする。
【0017】
また、上記質量分析手段における「一部のピーク」としては、複数本のピークを選択するようにしてもよいが、データの解析を容易にするため、同位体ピーク群の中から単一のピークを選択してMS/MS分析を行うようにすることが望ましい。さらにまた、好ましくは、該単一のピークとしてMS分析で得られた同位体ピーク群の中でイオン強度が最大のものを選択するようにするとよい。
【0018】
また「質量分析手段」はとくにその形態や方式を問わないが、典型的な一例として、三次元四重極イオントラップを備えた質量分析装置であって、該イオントラップの内部でプリカーサイオンの開裂を行うものとすることができる。特に単一ピークを選択してMS/MS分析を実行するためには、高い分離能でプリカーサイオンを選択してMS/MS分析(又はMS分析)を行うことが可能な質量分析装置である必要があるが、三次元四重極イオントラップと飛行時間型質量分離部とを組み合わせたIT−TOF型の構成はこうした条件に適合する。また、質量分析装置のイオン源はマトリックス支援レーザー脱離イオン化(Matrix Assisted Laser Desorption/Ionization:MALDI)法による試料のイオン化を行うものとするとよい。或いは、シリコン上脱離イオン化法(Desorption/Ionization on (porous)Silicon:DIOS)などの公知の表面支援レーザー脱離イオン化法(Surface Assisted Laser Desorption/Ionization:SALDI)や、その他の公知のレーザーイオン化法を利用してもよい。
【0019】
また、「配列同定手段」は、ピークリスト作成手段によって作成されたピークリストに基づいて、それらのピークが由来する試料の配列、例えばペプチドのアミノ酸配列を同定するものである。ピークリストからアミノ酸配列を同定する方法としては、例えば、ピークリストをデータベースと照会することでスペクトルパターンの一致する既知ペプチドを検索する方法や、各ピークリストを数理的に解析することで、そのアミノ酸配列を推定する方法など、周知の各種の方法を用いることができる。
【発明の効果】
【0020】
上記質量分析手段による同位体ピーク群の一部のみをプリカーサイオンとしたMS/MS分析では、該プリカーサイオンの開裂によって生じたプロダクトイオンの同位体ピーク群を構成するピークの本数は、該プリカーサイオンに含まれていた同位体数の最大値によって制限される。但し、場合によっては同位体ピーク群を構成する一部のピークの強度が非常に小さく、明確にはピークとして認識されにくい場合がある。そこで、本発明に係る構造解析システムにおいて、ピークリスト作成手段は、上記質量分析手段によるMS/MSマススペクトル上に現れる複数組の同位体ピーク群のそれぞれについて、各同位体ピーク群を構成する複数のピークの強度比に基づいてそのMS/MS分析の元となったプリカーサイオンに含まれる同位体数を推定することでクラス分けする。
【0021】
具体的には、例えば、プリカーサイオンの元素組成を推定した上でその中に所定個数(1個、2個、…)の同位体が含まれると仮定し、その仮定の下でMS/MS分析で得られる同位体ピーク群に含まれるピークに対応する元素組成を推定し、各ピークの強度比を計算する。即ちこれは上記同位体数の仮定の下での理論的な強度比である。そして、実測のMS/MSマススペクトル上に現れる同位体ピーク群におけるピークの強度比と上記理論的な強度比を比較し、一致しているとみなせる場合には、その同位体ピーク群をその仮定の同位体数のクラスに振り分ける。こうして各同位体ピーク群を各クラスに分類して、各クラス毎にピークの質量数を情報とするピークリストを作成する。
【0022】
同位体ピーク群のクラス分けにピーク強度比を利用しているため、例えば或る同位体ピーク群を構成する複数のピークの中で質量数が最も小さなピークの強度が非常に小さく、明確にピークが存在すると識別しにくいような場合でも、ピーク強度比に基づいてその質量数に対応するピークの強度がもともと小さいことが判明しているので、この同位体ピーク群を正確にクラス分けすることが可能となる。
【0023】
本発明に係る構造解析システムによれば、例えばペプチド混合物をMS分析したMSマススペクトルにおいて、異なるペプチドに由来する同位体ピーク群が重なり合っている場合でも、選択したプリカーサイオンに含まれる同位体数に基づいて、MS/MSマススペクトル上に現れる個々のペプチドに由来する同位体ピーク群を正確に分類することができる。これにより、正確なピークリストをアミノ酸配列や塩基配列の同定のために供することができるので、アミノ酸配列や塩基配列を従来よりも高い精度で同定することができる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0024】
以下、本発明に係る構造解析システムの一実施例として、ペプチド混合物のアミノ酸配列を同定するためのシステムを例示して説明する。
【0025】
図1は本実施例に係る構造解析システムの概略構成図である。本実施例の構造解析システムは、大きく分けて質量分析部10と制御/処理部20とから成る。質量分析部10は、MALDI法によってペプチド混合物を含む試料をイオン化するイオン化部11と、所定の質量数を有するイオンをプリカーサイオンとして選択すると共に、該プリカーサイオンを開裂させてプロダクトイオンを生成する三次元四重極型のイオントラップ部12と、イオンを質量数に基づいて時間方向に分離する飛行時間型の質量分離部13と、分離されたイオンを順次検出するイオン検出器14とを備えている。
【0026】
制御/処理部20は、質量分析部10の各部を制御する制御部21と、イオン検出器14により得られる検出信号を処理してマススペクトル(MSマススペクトル、MS/MSマススペクトル)を作成するMSデータ処理部22と、MS及びMS/MSマススペクトルデータを処理することによりピークリストを作成するピークリスト作成部23と、該ピークリストに基づいてアミノ酸配列の同定処理を行う配列同定処理部24と、同定の際に使用される同定用データベース25とから成る。配列同定処理部24は例えばMASCOT(Matrix Science社製)等の検索エンジンを含み、公共のゲノムデータベースやタンパク質データベース等を同定用データベース25として同定処理を行うものとすることができる。また、De Novoシーケンスなどのソフトウエアを用いて数理的にアミノ酸配列を同定する処理を行うものであってもよい。なお、制御/処理部20の機能は、パーソナルコンピュータに搭載した所定のソフトウエアを実行することにより実現することができる。
【0027】
以下、本実施例の構造解析システムを用いてペプチド混合物のアミノ酸配列を同定する際の全体的な手順について、図2のフローチャートに基づいて説明する。
【0028】
まず、制御部21の制御の下に、ペプチド混合物を含む試料に対し質量分析部10によりMS分析を実行する(ステップS1)。これにより、MSデータ処理部22では、横軸を質量数、縦軸を強度とするMSマススペクトルが作成される。このMSマススペクトルには、それぞれ異なるペプチドに由来する複数の同位体ピーク群が現れる。いま、図4に示すように、得られたMSマススペクトルにおいて、質量数が4000[Da]であるペプチドA由来の同位体ピーク群と、質量数が4001[Da]であるペプチドB由来の同位体ピーク群とが重なり合っているとする。
【0029】
次に、例えば同位体ピーク群の中から最も強度が大きいピークに対応するイオンをプリカーサイオンとして選択する(ステップS2)。例えば図4の例では、ペプチドAの4番目のピークと、ペプチドBの3番目のピークが重なり合った、質量数4003[Da]のピーク(4003[Da])をプリカーサイオンとして選択する。
【0030】
そして、制御部21の制御の下に、質量分析部10は上記プリカーサイオンとして選択されたイオンのMS/MS分析を実行する(ステップS3)。即ち、イオントラップ部12によってプリカーサイオンが選択された上で開裂され、該プリカーサイオンの開裂によって生じたプロダクトイオンが質量分離部13で分離してイオン検出器14により検出される。そして、MSデータ処理部22ではMS/MSマススペクトルが作成される。
【0031】
ステップS2でプリカーサイオンとして選択された上記MSマススペクトル上のピーク(4003[Da])は、ペプチドAの主イオンのピーク(4000[Da])よりも質量数が3[Da]大きいものであるため、該ピークに含まれるペプチドAの同位体イオンには、主同位体以外の同位体(以下、単に同位体と呼ぶ)が最大で3つ含まれていることになる。同様に該ピークはペプチドBの主イオンのピーク(4001[Da])よりも質量数が2[Da]大きいものであるため、該ピークに含まれるペプチドBの同位体イオンには同位体が最大で2つ含まれることになる。したがって、該ピークの開裂によって生じるペプチドA由来のプロダクトイオンには、それぞれ0〜3個の同位体が含まれることになるため、ペプチドA由来のプロダクトイオンは、MS/MSマススペクトル上において4本のピークから成る同位体ピーク群(四連ピーク)を形成する筈である。同様に、ペプチドB由来のプロダクトイオンには、それぞれ0〜2個の同位体が含まれることになるため、ペプチドB由来のプロダクトイオンは、MS/MSマススペクトル上において3本のピークから成る同位体ピーク群(三連ピーク)を形成する筈である。
【0032】
次に、上記MS/MSマススペクトルにおいて、所定値以上の強度を持つピークを含み、1[Da]毎にピークが現れるピーク群を同位体ピーク群とみなして抽出する(ステップS4)。先にプリカーサイオンとして選択したピークが、異なるペプチド由来のピークが重なり合ったものである場合に、該プリカーサイオンに含まれる同位体の最大数が各ペプチド間で異なってさえいれば、該プリカーサイオンから生じるプロダクトイオンは、MS/MSマススペクトル上でペプチド毎にピーク数が異なる同位体ピーク群を形成する。したがって、原則的には、ピーク本数の違いに基づいてMS/MSマススペクトル上の同位体ピーク群をクラス分けすれば、各クラスには、それぞれ同一ペプチドに由来するプロダクトイオンの同位体ピーク群のみが含まれることになる。
【0033】
ところが、実際には、前述したようにピーク強度がかなり小さいものが含まれている可能性があり、そうした場合にはピークの有無を確定的に判断できないため、ピークの本数だけでは正確なクラス分けができない。そこでここでは、同位体ピーク群に含まれる複数のピークの強度比を利用することで強度が小さなピークも確実に識別した上で、プリカーサイオンに含まれる同位体数を推定してそれに基づくクラス分けを行う(ステップS5)。なお、具体的な方法は後述する。
【0034】
クラス分けがなされたならば、各クラスのMS/MSマススペクトルにおいて、所定のアルゴリズムに従って同位体ピーク群内のモノアイソトピックピーク(天然存在比が最大の同位体から構成されるイオンのピーク)を決定し、その質量数等を記載したピークリストを作成する(ステップS6)。
【0035】
以上により、ペプチドAに関するピークリストLaと、ペプチドBに関するピークリストLbとが得られるので、各ピークリストLa、Lbを配列同定処理部24に引き渡す。配列同定処理部24は各ピークリストLa、Lbについてデータベースの検索、或いはDe Novoシーケンス等によるMS/MSマススペクトルパターンの数理的解析処理を実行することにより、ペプチドA及びペプチドBのアミノ酸配列を同定する(ステップS7)。
【0036】
続いて、上記ステップS5の処理を図3のフローチャートに従ってより詳細に説明する。まず選択されたプリカーサイオンの元素組成を推定する(ステップS11)。そして初期値として変数nを1にセットし(ステップS12)、プリカーサイオンに同位体がn個、つまり当初は1個含まれるものと仮定する(ステップS13)。その仮定の下でMS/MS分析により得られるピークの組成を推定し、MS/MSマススペクトルに現れる同位体ピーク群の各ピークの強度比を理論的に計算する(ステップS14)。
【0037】
いま図5に示すような、4個のピークP1、P2、P3、P4から成る同位体ピーク群を想定すると、ピーク強度比とは各ピークP1〜P4の強度U1〜U4の比U1:U2:U3:U4であり、後述のような比較のためには最大強度(この場合にはU4)を1として他を規格化して表せばよい。即ち、強度比はU1/U4:U2/U4:U3/U4:1となる。それから、その求まった理論計算による強度比と、実測によるMS/MSマススペクトル上の上記同位体ピーク群の各ピーク強度比との相関を示す相関値Tnを計算する(ステップS15)。ピーク強度比の相似性が高いほど高い相関値を示す。
【0038】
次に変数nが或る既定値Nに一致したか否かを判定する(ステップS16)。既定値Nはプリカーサイオンに含まれる同位体数の最大値を制限する値であり、例えばプリカーサイオンが1個、2個又は3個の同位体を含むことを想定する場合にはN=3と設定しておく。そして、変数nがNに達していなければnに1を加算したものを新たなnとし(ステップS17)、ステップS13に戻る。一方、ステップS16において変数nがNに達していれば、それまでに算出した相関値T1〜TNの中で値が最大であるものを最大値Tmaxとして抽出する(ステップS18)。そして、この最大値Tmaxが或る閾値以上であるか否かを判定する(ステップS19)。
【0039】
最大値Tmaxが閾値を超えなければ、たとえ最大値Tmaxであっても実測によるピーク強度比が理論計算によるピーク強度比に類似しているとは結論付けることができない。そこで、ステップS19でNOの場合には、その同位体ピーク群を、同位体を含まないプリカーサ由来のピークリストのクラスに分類する(ステップS21)。これに対し、ステップS19でYESの場合には、その同位体ピーク群を、最大値Tmaxを与える同位体数を含むプリカーサ由来のピークリストのクラスに分類する(ステップS20)。即ち、例えばプリカーサイオンに同位体が2個含まれていた(n=2)と仮定したときに計算されたピーク強度比に対する相関値T2がTmaxであって且つTmaxが閾値以上であった場合には、MS/MSマススペクトルにおけるこの同位体ピーク群を同位体を2個を含むプリカーサイオン由来のクラスに分類する。
【0040】
上記図3により説明した処理の具体例を挙げる。いま、ここではアンジオテンシンII(AngiotensinII:アミノ酸配列=[DRVYIHPF]、質量数=1046.5[Da])を解析する場合を例示する。ここで質量数1047.20[Da]であるピークに対応するイオンをプリカーサイオンとして選択するものとする。
【0041】
同位体ピーク強度比を算出するためには、プリカーサイオンを構成する元素組成の推定が必要である。観測ピークの質量数から構成元素を推定するために、センコらが提案した(Michel W. Senko et.al,「デターミネイション・オブ・モノアイソトピック・マシズ・アンド・イオン・ポピュレイションズ・フォー・ラージ・バイオモレキュルズ・フロム・リゾルブド・アイソトピック・ディストリビューションズ (Determination of monoisotopic masses and ion populations for large biomolecules from resolved isotopic distributions)」、Journal of American Soc. Mass Spectom., 6, pp.229-233,(1995)参照)アベレージネ(Averagine)モデルを利用することができる。Averagineモデルはタンパク質データベースの統計解析よりアミノ酸の平均組成を求めたもので、C4.93847.75831.35771.47730.0417をユニットアミノ酸配列とする。このユニットはモノアイソトピックの元素質量で計算すると111.0543[Da]となる。例えば1000[Da]における同位体ピーク群を計算するため使用する元素組成は9.0046(=1000/111.0543)ユニットのAveragineモデルの構成元素数を四捨五入により整数化した後(C44701213、質量数=974.5185[Da])、与えられた質量値に近付けるべくHの数を適宜増減させて求める(C44951213、質量数=999.7142[Da])。
【0042】
上記Averagineモデルを用いると、プリカーサイオンの質量数(1047.20[Da])から推定される元素組成はC50711312となる。いまプリカーサイオンによるピークがMSマススペクトルにおける2番目の同位体ピークであると仮定すると、プリカーサイオンには同位体が1個含まれる(つまりn=1)ことになる。したがって、この仮定の下では、このプリカーサイオンを開裂して得られるプロダクトイオンの元素組成は、124913711312、C50701312、C507114121512、又は、C507113161117、のいずれかであると考えられる。このとき、周知の二項定理によりこれら各分子の強度比を求めると、C50711312の強度0.5840(=(0.9893)50)に対し、124913711312 の強度は0.3158(=50(0.9893)49×0.0107)となり、C50711312の強度を1とすれば124913711312 の強度は0.5408となる。
【0043】
同様にして他の分子の強度比も求めると、
50701312:0.01050(=71(0.99985)70×0.00015/(0.99985)71
507114121512:0.0480(=13(0.99632)12×0.00368/(0.99632)13
507113161117:0.0046(=12(0.99757)11×0.000383/(0.99757)12
となる。
【0044】
Averagineモデルを用いると、実測により得られたMS/MSマススペクトル上での同位体ピーク群の質量数931.9[Da]から推定される元素組成はC466613となる。いま上記124913711312の元素組成のプリカーサイオンが開裂して元素組成がC466613とあるプロダクトイオンが生成したものと仮定すると、プロダクトイオンが同位体を含まない確率は、50個の炭素(C)の中で46個を選択する際に同位体でない49個の中から46個を選択する確率であるから、49/50×48/49×…×4/5、書き直すと49465046となる。したがって、124913711312由来のモノアイソトピックイオンのピーク強度は(49465046)×0.5408となる。同様にして他の分子由来のモノアイソトピックイオンのピーク強度を計算すると、このプロダクトイオンのモノアイソトピックピーク強度は次の式で計算できる。
49465046)×0.5408+(70667166)×0.0105+(12121312)×0.048+(1112)×0.0046=(4/50)×0.5408+(5/71)×0.0105+(1/13)×0.048+(3/12)×0.0046=0.0488
また同様の考え方で、同位体を1個含むプロダクトイオンのピーク強度は次の式で計算できる。
{1−(4/50)}×0.5408+{1−(5/71)}×0.0105+{1−(1/13)}×0.048+{1−(3/12)}×0.0046=0.5551
【0045】
したがって、同位体を1個含む(つまりn=1)イオンをプリカーサイオンとしてMS/MS分析を行ったと仮定すると、質量数931.9[Da]におけるMS/MSマススペクトル上の同位体ピーク群の強度比は0.0488:0.5551、即ち0.0879:1となる。これがプリカーサイオンに1個の同位体を含むと仮定したときの理論的なピーク強度比である。
【0046】
同様にして同位体を2個含む(つまりn=2)イオンをプリカーサイオンとしてMS/MS分析を行ったと仮定すると、質量数931.9[Da]におけるMS/MSマススペクトル上の同位体ピーク群の強度比は0.0410:0.1602:1となる。これがプリカーサイオンに2個の同位体を含むと仮定したときの理論的なピーク強度比である。
【0047】
いま前述の図8(c)及び(d)に示した同位体ピーク群を最大ピーク強度を1として描き直すと図6(a)及び(b)に示すようになる。この図6(a)において質量数1[Da]の間隔で現れる2本のピークのピーク強度比は、プリカーサイオンが同位体を1個含むと仮定した場合の理論的なピーク強度比によく一致している。一方、図6(b)において質量数1[Da]の間隔で現れる3本のピークのピーク強度比は、プリカーサイオンが同位体を2個含むと仮定した場合の理論的なピーク強度比によく一致している。したがって、ピーク強度が小さくて殆ど測定ノイズに埋もれてしまうようなレベルであっても、各同位体ピーク群を正確にクラス分けしてピークリストを作成することができる。
【0048】
なお、上述したようなピーク強度比に基づいたクラス分けの手法を利用することにより、例えば2本のピークから成る同位体ピーク群が抽出された場合に、モノアイソトピックイオンをプリカーサイオンとするプロダクトイオンに基づくピークが2本あるのか、或いは、同位体を1個含むイオンをプリカーサイオンとするプロダクトイオンに基づく2本のピークがあるのか、つまり擬似的な同位体ピーク群であるのか否かを判別することも可能である。
【0049】
また、上述の方法を応用することにより、以下のように同定の信頼性を上げることができる。即ち、質量数がM[Da]であるピークを先頭とする同位体ピーク群において、2番目(=M+1[Da])、3番目(=M+2[Da])の単一ピークに対応するイオンをそれぞれプリカーサイオンとしてMS/MS分析を実行する。3番目のピークに対応するイオンをプリカーサイオンとして実行したMS/MS分析からは、上述のクラス分けを利用して作成したプリカーサイオンに同位体を2個含むと仮定したピークリストから、質量数がM[Da]であるペプチドを同定することができる。2番目のピークに対応するイオンをプリカーサイオンとして実行したMS/MS分析では、プリカーサイオンに同位体を1個含むと仮定したピークリストから、質量数がM[Da]であるペプチドを同定できる。3番目或いは2番目のピークに対応するイオンをプリカーサイオンとしたMS/MS分析により、同じM[Da]のペプチドが同定できれば、このペプチドの同定信頼度は高いと考えることができる。このように、複数のMS/MS分析を利用し、同一のペプチドの同定を試みることができる。
【0050】
また、上記実施例は本発明の一例にすぎず、本発明の趣旨の範囲で適宜変更、修正、追加を行っても本願特許請求の範囲に包含されることは明らかである。
【図面の簡単な説明】
【0051】
【図1】本発明の一実施例である構造解析システムの概略構成図。
【図2】本実施例の構造解析システムを用いてペプチド混合物のアミノ酸配列を同定する際の全体的な手順を示すフローチャート。
【図3】本実施例の構造解析システムにおけるMS/MSマススペクトル上の同位体ピーク群をクラス分けする際のフローチャート。
【図4】MSマススペクトル上で異なるペプチド由来の同位体ピーク群が重なり合っている状態を示す図。
【図5】同位体ピーク群を構成するピークの強度比を説明するための図。
【図6】図8(c)及び(d)に示した同位体ピーク群を最大ピーク強度を1として描き直した図。
【図7】MSマススペクトル上での同位体ピーク群の一例を示す図。
【図8】MS分析で得られた同位体ピーク群の一部をプリカーサイオンとして選択してMS/MS分析した結果の一部を示す図。
【符号の説明】
【0052】
10…質量分析部
11…イオン化部
12…イオントラップ部
13…質量分離部
14…イオン検出器
20…制御/処理部
21…制御部
22…MSデータ処理部
23…ピークリスト作成部
24…配列同定処理部
25…同定用データベース(DB)


【特許請求の範囲】
【請求項1】
質量分析を用いて試料のアミノ酸配列又は塩基配列を同定するための構造解析システムであって、
a)試料のMS分析を実行してMSマススペクトルを取得するとともに、該MSマススペクトルに現れる同位体ピーク群の中から、一部のピークを選択して該ピークに対応したイオンをプリカーサイオンとしてMS/MS分析を実行してMS/MSマススペクトルを取得する質量分析手段と、
b)前記質量分析手段により得られたMS/MSマススペクトルに現れる同位体ピーク群を、各同位体ピーク群に含まれる複数のピークの強度比に基づいてその元となったプリカーサイオンに含まれる同位体数を推定することによりクラス分けし、各クラス毎にピークリストを作成するピークリスト作成手段と、
c)前記ピークリスト作成手段によって作成されたピークリストを基に試料のアミノ酸配列又は塩基配列を同定する配列同定手段と、
を備えることを特徴とする構造解析システム。
【請求項2】
前記試料はペプチド混合物であって、該ペプチド混合物のアミノ酸配列を同定するものであることを特徴とする請求項1に記載の構造解析システム。
【請求項3】
前記質量分析手段は、ペプチド混合物のMS分析によって得られた同位体ピーク群の中から、単一のピークを選択してMS/MS分析を行うことを特徴とする請求項2に記載の構造解析システム。
【請求項4】
前記単一のピークとして、ペプチド混合物のMS分析によって得られた同位体ピーク群の中で最大のイオン強度を有するピークを選択することを特徴とする請求項3に記載の構造解析システム。
【請求項5】
前記質量分析手段は、三次元四重極イオントラップを備えた質量分析装置であって、該イオントラップの内部でプリカーサイオンの開裂を行うものであることを特徴とする請求項1〜4のいずれかに記載の構造解析システム。


【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【図8】
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【公開番号】特開2007−263641(P2007−263641A)
【公開日】平成19年10月11日(2007.10.11)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2006−87008(P2006−87008)
【出願日】平成18年3月28日(2006.3.28)
【出願人】(000001993)株式会社島津製作所 (3,708)
【Fターム(参考)】