説明

温水容器およびその製造法

【課題】バックガスシールによるコスト上昇を伴わずに溶接部で優れた耐食性を呈する温水容器を提供する。
【解決手段】質量%で、C:0.025%以下、Si:1%以下、Mn:1%以下、P:0.045%以下、S:0.01%以下、Ni:0.1〜1%、Cr:21超え〜25%、Mo:0.1〜2%、Al:0.02〜0.3%、N:0.025%以下、Cu:0〜1%であり、Ti:0.05〜0.4%およびNb:0.05〜0.5%の1種以上を含有し、残部Feおよび不可避的不純物である組成の鋼材どうしをバックガスシールなしでTIG溶接することにより形成された裏ビードを容器内面に有し、その溶接裏面の熱影響部において塩化物水溶液に可溶の酸化スケールが形成された部位の鋼素地におけるCr濃度が、鋼素地/酸化スケール界面から10nm以上の深さ領域で16質量%以上である温水容器。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、電気温水器や貯湯槽などに適した、溶接構造のステンレス鋼製温水容器、およびその製造法に関する。
【背景技術】
【0002】
電気温水器や貯湯槽などの温水容器の材料には主にフェライト系ステンレス鋼のSUS444(LowC、LowN、18Cr−2Mo−Nb,Ti)が用いられている。温水容器は上水圧程度の耐圧性が要求されることから、胴と呼ばれる円筒状の板状部材の両端に、鏡と呼ばれる曲面状の板状部材を溶接接合する構造が主流である。しかし、ステンレス鋼の耐食性は溶接によって阻害され、希薄塩化物水溶液である上水の温水環境においても、溶接部(主として溶接熱影響部)で腐食が生じる。耐食性低下の原因は溶接時の酸化スケールの生成に関連していると考えられている。腐食形態でみると孔食は再不動態化しやすく成長するケースはほとんどないが、隙間腐食は一般的に再不動態化しにくく、腐食が板厚を貫通し漏水に至ることがある。
【0003】
一般に温水容器は胴に上部の鏡と下部の鏡をTIG溶接で取り付けた構造のものが多い。胴と鏡の接合箇所では、通常、鏡の外面を胴の内面にはめ込んだ状態で溶接される。この溶接部には、容器内面の温水に接触する部分において溶接隙間の形成が不可避である。TIG溶接のトーチ側はArガスによりシールされるので酸化スケールの生成が抑制され、温水容器としての耐食性低下はほとんど問題ないレベルである。一方、トーチと反対側の面(以下「溶接裏面」ということがある)は、特別にArガス等でシールする措置をとらない限り、酸化スケールの生成に伴って耐食性が低下してしまう。そのため温水容器を組み立てる際には原則として容器内面がトーチ側となるように溶接施工されるが、密閉構造とするために、鏡を取り付ける溶接施工のうち最後の施工では容器外面をトーチ側にして溶接せざるを得ない。したがって、この場合には容器内面が溶接裏面となるので、溶接裏面の不活性ガスによるシール、すなわちバックガスシールが不可欠となっている。
【0004】
ところが、このバックガスシールは温水容器を製造するうえで大変手間のかかる作業となる。すなわち、温水容器には水の流路となるソケット(口金)や、場合によってはヒーター、センサー等、あるいはそれらに接続されるコード等の通電部品を挿入するためのフランジが設けられているが、これらのソケットやフランジの狭い孔から容器内部にバックガスシール用の治具およびガスホースを挿入して操作することは意外と難しく、手間がかかる。このため、バックガスシールを行うためだけに、別途フランジを設ける場合もある。また、Ar等の不活性ガスを多量に消費する必要が生じる。このようなことから、バックガスシールは温水容器の製造コストを押し上げる要因となっている。
【0005】
特許文献1には蓋体(鏡)の筒体(胴)への挿入深さを20mmまでとすることにより隙間腐食の発生を回避した温水容器の構造が開示されている。特許文献2にはTiとAlを添加することにより溶接時のCrの酸化ロスを抑制した、溶接部の耐食性に優れるフェライト系ステンレス鋼が開示されている。特許文献3には温水容器の缶体にフランジを溶接接合する際に、溶接部の温度が400℃以下になるまで溶接ビード及び溶接熱影響部を含めた溶接部にシールガスを供給し続けることが記載されている。
【0006】
【特許文献1】特開昭54−72711号公報
【特許文献2】特開平5−70899号公報
【特許文献3】特開2006−97908号公報
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
上述のように、温水容器を組み立てる際の溶接施工においては、耐食性を確保するために容器内面側についてバックシールを行う作業が不可欠となっており、これに伴って温水容器の製造コストが上昇している。特許文献1のように溶接隙間の面積を少なくすることは耐隙間腐食性の向上には有利であるが、この文献に開示の鋼を用いた場合、温水容器内面を溶接裏面にするには、耐食性低下防止のためにバックガスシールが必要であり、製造コストの高い温水容器となることは否めない。特許文献2の技術もArガスバックシールを前提としたものである。特許文献3には缶体とフランジの溶接接合でシールガスを入念に使用する手法が開示されている。この場合も鏡と胴の溶接部で高耐食性を確保するためにバックガスシールが必要であることに変わりはなく、やはりコストの高い温水容器となってしまう。
【0008】
本発明はこのような現状に鑑み、バックガスシールによるコスト上昇を伴わずに溶接部で優れた耐食性を呈する温水容器を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0009】
上記目的は、Cr含有量が21超え〜25質量%の鋼材どうしをバックガスシールなしでTIG溶接することにより形成された裏ビードを容器内面に有し、そのTIG溶接部裏面の熱影響部(HAZ)において、塩化物水溶液に可溶の酸化スケールが形成された部位の鋼素地におけるCr濃度が、鋼素地/酸化スケール界面から10nm以上の深さ領域で16質量%以上である温水容器によって達成される。
【0010】
特に本発明では、質量%で、C:0.025%以下、Si:1%以下、Mn:1%以下、P:0.045%以下、S:0.01%以下、Ni:0.1〜1%、Cr:21超え〜25%、Mo:0.1〜2%、Al:0.02〜0.3%、N:0.025%以下であり、Ti:0.05〜0.4%およびNb:0.05〜0.5%の1種以上を含有し、必要に応じてCu:1%以下を含有し、残部Feおよび不可避的不純物である組成の鋼材どうしをバックガスシールなしでTIG溶接することにより形成された裏ビードを、容器内面に有する温水容器が提供される。この温水容器は、前記TIG溶接部裏面の熱影響部(HAZ)において、塩化物水溶液に可溶の酸化スケールが形成された部位の鋼素地におけるCr濃度が、鋼素地/酸化スケール界面から10nm以上の深さ領域で16質量%以上である。また、裏ビード近傍の鋼材表面にCr濃度30質量%以上の酸化スケールを有する。ここで「裏ビード」はトーチからのアークが当たらない箇所に現れる溶接ビード表面である。
【0011】
このような温水容器であって、水(温水を含む)の流路ではなく、かつ通電部品の挿入箇所ではないフランジを持たない構造の温水容器が特に好適な対象となる。ここで、「フランジ」にはソケット(口金)が含まれる。
【0012】
また本発明では、上記の組成を有する鋼材どうしを、容器内面に裏ビードが形成されるようにバックガスシールなしでTIG溶接することにより接合する工程を有する温水容器の製造法が提供される。
【発明の効果】
【0013】
本発明によれば、耐食性に優れ、かつ容器内面のバックガスシールを省略した低コストの温水容器が提供可能になった。この温水容器は、使用に際して不要となるフランジを持たないシンプルな構造とすることができる。また、溶接後に焼け取り(酸化スケールの除去)を行う必要もなく溶接ままの状態で使用できる。溶接部の耐食性はSUS444を用いた従来の温水容器よりも改善されている。したがって、本発明は極めてコストパフォーマンスの高い温水容器を提供するものである。
【発明を実施するための最良の形態】
【0014】
従来、フェライト系ステンレス鋼におけるバックガスシールなしのTIG溶接部裏面では、溶接熱影響部(HAZ)の酸化スケールが生じた箇所で耐食性が低下し、隙間腐食等のトラブルが生じることが知られている。ところが発明者らの詳細な研究によれば、Cr含有量が比較的高い高耐食性のフェライト系ステンレス鋼では、バックガスシールなしのTIG溶接部裏面の、酸化スケールの生じた全ての部位で腐食が生じるのではなく、溶接熱影響部の一定の部位で腐食が生じることがわかった。また、従来一般的に、ステンレス鋼の溶接熱影響部での耐食性低下は、鋼素地のCrが酸化により消費され(酸化ロス)、鋼素地の表面にCr欠乏層が形成されることによって引き起こされると考えられている。しかし、発明者らが溶接酸化スケール直下のステンレス鋼素地の組成を詳細に調べた結果、鋼素地/酸化スケール界面に近いほど(すなわち浅い位置ほど)Cr濃度が低下する傾向が見られるが、少なくとも鋼素地/酸化スケール界面から10nm以上の深さ領域においてCr濃度が16質量%以上になっていれば、上水の温水環境において問題となりうる隙間腐食は回避されることが明らかになった。つまり、ナノメートルオーダーという極めて微小領域の観察によれば、鋼素地の表層にいわゆるCr欠乏層が生じることが直ちに耐食性低下の問題に直結するのではなく、仮にCr欠乏層が生じても、鋼素地/酸化スケール界面から10nmに満たないような極表層部を除いて、16質量%以上のCr濃度が確保されていれば、温水環境での耐隙間腐食性は維持されることが判明した。
【0015】
以下、Cr含有量が約22%の鋼Xと、約18%の鋼Yを例に挙げて、TIG溶接部裏面の溶接熱影響部における最高到達温度と耐食性の関係、および鋼素地表層部と酸化スケールのCr濃度分析について説明する。
【0016】
〔溶接熱影響部の最高到達温度と耐食性の関係〕
表1に示す鋼からなる板厚1mmの冷延焼鈍鋼板(酸洗仕上げ材)を用意した。鋼Xは本発明で規定する組成を有するフェライト系ステンレス鋼、鋼YはそれよりCr含有量が低いもの(SUS444相当材)である。これらについて、バックガスシールなしの条件でTIGなめ付け溶接(部材どうしの接合を模して1枚の板上に溶接ビードを形成する操作)を行い、溶接ビードを中央に有する30×40mm角の試験片を作製した。この場合、溶接ビードは試験片の短辺に平行であり、その両側には溶接熱影響部(HAZ)がある。この試験片を1000ppmCl-水溶液に10ppmのCu2+(塩化第二銅で調整)を添加した80℃の試験液に72時間浸漬した。
【0017】
【表1】

【0018】
図1に、鋼Xの溶接裏面の外観写真と、それに対応する位置関係の断面図を示す。写真上には溶接熱影響部の最高到達温度の目盛りを併記してある。この最高到達温度はステンレス鋼表面の種々の位置に熱電対を取り付けることにより測定した温度分布を示したものである。溶接熱影響部の最高到達温度は溶接金属部(ビード)から離れるにしたがって低下し、溶接ボンドから2mm離れた位置で1000℃、5mmでは500℃であった。本来、溶接ボンドからの距離と最高到達温度の関係は溶接条件によって異なるが、フェライト系ステンレス鋼のTIG溶接条件範囲は比較的狭いため、板厚が同じであれば溶接熱影響部での温度分布はほぼ同じになる。すなわち、板厚が決まれば最高到達温度は溶接ボンドからの距離によってほぼ決まる。
【0019】
浸漬試験後の溶接試験片には最高到達温度が800℃付近および400〜600℃の位置で酸化スケールの液中への溶解または剥離が観察され、800℃より少し高温の領域では皮膜の溶解や剥離は認められなかった。光学顕微鏡で鋼素地を観察したところ、800℃の位置では孔食による侵食はほとんど生じていなかった。孔食の発生と進行は400〜600℃の位置で認められた。図2に、最高到達温度と最大侵食深さの関係を示す。最大侵食深さは、光学顕微鏡を用いて焦点深度法により孔食深さを測定し、同じ温度の位置で最も深い孔食深さを表示したものである。鋼X、鋼Yとも、最高到達温度が500℃付近で最大侵食深さがピークとなった。ただし、鋼Xの方が最大侵食深さが浅く、溶接熱影響部での耐食性は優れていた。このように、TIG溶接部での孔食発生は溶接熱影響部のなかで400〜600℃の加熱を受けた位置で生じること、および鋼種間で孔食の進行が異なることがわかった。
【0020】
〔鋼素地表層部、酸化スケールのCr濃度分析〕
上記溶接後の試験片の溶接ボンドから2mmの位置(最高到達温度1000℃に相当)および同5mm(最高到達温度500℃に相当)の位置について、酸化スケールと鋼素地表層部(酸化スケールとの界面近傍)の断面をTEM(透過型電子顕微鏡)で観察することが可能な薄膜試料を作製し、TEM−EDX(日立ハイテクサイエンスシステムズ社製、HF2000)により組成分析を行った。
【0021】
鋼素地については、鋼素地/酸化スケール界面から1nm(酸化スケール直下)、10nm、20nm、100nmの各深さ位置を分析した。図3に、鋼素地の分析試料における分析位置を模式的に示す。図4には、最高到達温度が500℃に相当する部位における分析結果を例示する。
【0022】
図4からわかるように、最高到達温度500℃に相当する部位での鋼素地表層部のCr濃度は、鋼X、鋼Yとも、鋼素地/酸化スケール界面から1nmの深さ(すなわち酸化スケール直下)で低下が大きく、また、深さが10〜100nmの領域では1〜10nmの極表層領域に比べCr濃度の変化率(濃度勾配)が小さい。1nm深さでのCr濃度は鋼Xで約19質量%であり、鋼Yでは14質量%を下回った。10nm深さでのCr濃度は鋼Xで20質量%程度を維持しているが、鋼Yでは16質量%を下回っている。このような鋼Xと鋼Yの鋼素地表層部でのCr濃度の差は、鋼中のCr含有量の差(すなわち鋼種の差)に起因していると考えられる。なお、最高到達温度1000℃に相当する部位での鋼素地表層部のCr濃度は、鋼X、鋼Yともそれぞれ、上記500℃に相当する部位とほぼ同じ結果であった。
【0023】
発明者らは鋼X、鋼Yの他に、種々の鋼種について上記のような鋼素地表層部の分析を詳細に行ってきた。その結果、酸化スケール直下の鋼素地においてCr濃度の低下が大きくても、10nm深さにおいて16質量%以上のCr濃度が維持されていれば、その部位における温水環境での耐食性は、耐孔食性だけでなく、耐隙間腐食性についても問題ないレベルが維持されることを見出した。したがって、TIG溶接部裏面の熱影響部の耐食性を問題ないレベルに引き上げるには、最も耐食性低下の大きい部位、すなわち最高到達温度が500℃程度になった部位において、10nm以上の深さ領域における鋼素地中のCr濃度が16質量%以上に維持されていることが重要である。なお、Moについては界面直下を含めその近傍においても鋼素地中での濃化等、特異な現象を観測されなかった。
【0024】
一方、酸化スケールについてTEM−EDXで分析したところ、最高到達温度500℃に相当する部位には、鋼X、鋼YともFe23を主体とした酸化スケールが形成されていることがわかった。この酸化スケール中のCr濃度は1〜23質量%と低かった。ここでいう酸化スケール中のCr濃度は金属元素に占めるCrの割合であり、CやOの分析値はCr濃度の算出において除外した。このCr濃度が低いFe23主体の酸化物は塩化物水溶液中で容易に溶けるので、温水容器の場合、最高到達温度500℃に相当する部位では前述した鋼素地表層部のCr濃度が耐食性を支配していると見てよい。
【0025】
また、最高到達温度1000℃程度に相当する部位には、鋼X、鋼YともCr濃度が30〜84質量%と高いCr2-XFeX3タイプの酸化物を主体とした酸化スケールが形成されていた。鋼中のCr含有量レベルが違っても酸化スケール中のCr濃度には特段の差は認められなかった。ここでいう酸化スケール中のCr濃度も金属元素に占めるCrの割合であり、CやOの分析値はCr濃度の算出において除外した。このCr濃度が高い酸化物は上水等の塩化物水溶液中において化学的に安定である。鋼X、鋼Yともこの部位において孔食の発生が全く認められなかったのは、Cr濃度が高い酸化スケールが保護被膜として機能するためであると考えられる。発明者らは鋼X、鋼Y以外の種々の鋼種についても酸化スケールの分析を行ってきたが、その結果、裏ビード近傍の鋼材表面(最高到達温度が800℃を超える部分の鋼素地表面)にCr濃度30質量%以上の酸化スケールを有することが、当該裏ビード近傍での温水に対する耐食性を高く維持する上で有利であるとの結論を得た。なお、この酸化スケール中にはSiの軽微な濃化は観測されたが、Al、Ti、Nb等の濃化は認められなかった。
【0026】
以下、本発明の温水容器に使用するフェライト系ステンレス鋼の組成について説明する。
〔鋼組成〕
CおよびNは、鋼中に不可避的に含まれる元素である。C、N含有量を低減すると鋼は軟質になり加工性が向上し、また炭化物、窒化物の生成が少なくなり溶接性および溶接部の耐食性が向上する。このためC含有量およびN含有量は低い方が好ましく、C、Nとも0.025%以下の含有量に制限される。また、C、Nとも0.015質量%以下であることがより好ましい。
【0027】
Siは、脱酸剤として精錬や鋳造では有用な元素であるが、多量に添加すると、鋼が硬質になる、溶接部の高温割れが助長される、溶接部の靭性が低下する、溶接部の腐食進行が助長されるといった弊害が顕在化するようになる。特に温水容器の素材としては溶接部の耐食性を維持することが重要であり、その意味でSi含有量は1%以下に制限される。腐食進行を助長するため、上限を1%とする。加工性や溶接性をも重視する場合はSi含有量を0.4質量%以下に制限することが好ましい。
【0028】
Mnは、鋼中に不純物として存在するSと結合し、化学的に不安定なMnSを形成して耐食性を低下させる。また固溶Mnも耐食性を阻害する要因となる。このためMn含有量は低い方が好ましく、1%以下に制限される。Mn含有量は0.5質量%以下とすることがより好ましく、0.3質量%以下が一層好ましい。
【0029】
Pは、母材および溶接部の靭性を損なうので低い方が望ましいが、0.045質量%まで許容できる。
【0030】
Sは、MnSを形成して孔食の起点となり耐食性を阻害するものの、孔食の成長を促進する作用はない。しかし、溶接部の高温割れに悪影響を及ぼすため低い方が好ましい。したがってS含有量は0.01質量%以下に制限される。
【0031】
Niは、Cr含有量が21質量%を超える鋼への適量添加によって酸化スケール中のCr濃度および酸化スケール直下のCr濃度を高める作用を有する。またNiは腐食の進行を抑制する作用を有する。溶接部の酸化スケールが溶出しメタル新生面(不動態皮膜が形成されていない状態)が露出した場合、Niはメタルの溶出を抑制する作用を発揮し、Crによる不動態皮膜形成に寄与することが期待される。その他Niはフェライト系ステンレス鋼の靭性改善に有効な元素である。これらの作用を有効に得るためには0.1%以上のNi含有が必要である。ただし多量のNi含有は鋼の機械的性質を損ねて加工性を阻害するので、Ni含有量の上限は1%とする。
【0032】
Crは、不動態皮膜の構成元素であり、一般に耐孔食性、耐隙間腐食性などの耐局部腐食性を向上させ、その耐食性向上効果はCr含有量とともに大きくなる。バックガスシールなしのTIG溶接部裏面における温水環境での耐食性を問題ないレベルに維持するためには、前述のように溶接熱影響部の鋼素地表層部10nm深さ以上の領域でCr濃度が16質量%以上になっていることが重要である。種々検討の結果、前記領域でのCr濃度を安定して16質量%以上に維持するためには、鋼中のCr含有量を21質量%を超える量とすることが極めて有効であることがわかった。ただし、Cr含有量があまり高くなると鋼の製造性や機械的性質(特に靭性)が低下し、製造コストが増大する。本発明のTIG溶接構造温水容器の使用環境を考慮すると、Cr含有量は21超え〜25質量%の範囲とすればよく、23〜25質量%とすることがより好ましい。
【0033】
Moは、一般的にはCrとともに耐食性を高める有効な元素である。Cr量が低いとMoの耐食性改善効果は十分に発揮されないが、TIG溶接部裏面の熱影響部で発生した腐食の成長は、鋼素地/酸化スケール界面から離れたへと進行していくので、その成長点では概ね添加したCr量に等しいCr濃度があり、そのCr濃度はMo本来の耐食性改善効果を発揮させる上で十分である。上水の温水環境を考慮すると、Mo含有量が0.1質量%未満では耐食性の改善効果は小さい。一方、2質量%を超えるMo含有は加工性の低下やコストの上昇を招く。したがって、Mo含有量は0.1〜2質量%とする。
【0034】
Cuは、フェライト系ステンレス鋼の孔食電位を向上させるとともに、腐食の進行を抑える作用を有する。すなわち、酸化スケールが溶出して新生面が露出した場合、Cuはメタルの溶出を抑制することで、Niと同様にCrによる不動態皮膜形成に寄与するので、本発明では必要に応じてCuを添加することができる。Cuの上記作用を十分に得るには0.1質量%以上のCu含有量とすることがより効果的である。ただし、過剰のCu含有はむしろ腐食の進行を促進する要因になるので、Cuを添加する場合は1質量%以下の範囲で行う。
【0035】
Ti、Nbは、C、Nとの親和力が強く、フェライト系ステンレス鋼で問題となる粒界腐食を防止するのに有効な元素である。その効果を十分に得るためには、Ti:0.05質量%以上、Nb:0.05質量%のうち少なくとも1種を含有させる必要がある。しかし、Tiを過剰に含有させると素材の表面品質や溶接性が悪くなり、Nbを過剰に含有させると溶接高温割れが生じやすくなり、また溶接部靭性も低下するようになる。したがって、Ti含有量は0.4質量%以下、Nb含有量は0.5質量%以下の範囲とする。
【0036】
Alは、Tiと複合添加することで、溶接トーチ面のArガスシールされる溶接部表面にAl酸化物皮膜を形成し、Crの酸化ロスを防止することにより耐食性の低下を小さくする。Al含有量が0.02質量%未満では有効なAl酸化物皮膜が形成されない。一方、Al含有量が0.3質量%を超えると素材の表面品質と溶接性が低下する。したがってAl含有量は0.02〜0.3質量%とする。
【0037】
〔温水容器の製造〕
以上の組成を有するステンレス鋼板を一般的なステンレス鋼板製造工程で製造し、板厚が概ね0.6〜1.5mm程度の冷延焼鈍鋼板とする。表面仕上げは酸洗とすればよい。この鋼板を成形加工して温水容器の缶体部材(例えば鏡、胴)を作製し、これらの部材どうしをTIG溶接で接合する手法を用いて本発明の温水容器を構築することができる。ただし、その溶接施工に際しては、容器内面に裏ビードが形成されるようにバックガスシールなしでTIG溶接する工程を少なくとも缶体部材どうしを接合する最後の溶接工程で実施する。これにより、フランジ部を除いて容器が密閉状態となる最後の溶接を、容器外面側にトーチを配置して、容器内面のバックガスシールを行うことなく実施できるので、内面のバックガスシールを必要としていた従来の製造法と比較して、作業性が格段に向上する。また、バックガスシール用のArも不要となり、さらに、バックガスシールのためだけに設ける必要のあったフランジも不要となる。このようにして得られる本発明の温水容器は、従来のものと比べコストパフォーマンスが高い。また本発明の温水容器は水(温水を含む)の流路ではなく、かつ通電部品挿入箇所ではないフランジを持たないシンプルな構造とすることができ、この場合は不要なフランジ部での耐食性低下を懸念する必要がなく、一層信頼性の高いものとなる。
【実施例1】
【0038】
表2に示す化学組成のステンレス鋼を溶製し、熱間圧延にて板厚3mmの熱延板を作製した。その後、板厚1.0mmまで冷間圧延し、980〜1050℃で仕上げ焼鈍を施し、酸洗したのち試供材とした。表2中、鋼1〜3は本発明で規定する組成範囲の温水容器素材である。鋼4は18Cr−2MoのSUS444、鋼5は22Cr−1MoのSUS445Jlである。これらの製造履歴はいずれも共通である。
【0039】
【表2】

【0040】
各供試材の鋼板に、バックガスシールなしの条件でTIGなめ付け溶接を施し、TIG溶接試料を得た。TIG溶接試料において、溶接裏面の溶接熱影響部の溶接ボンドから5mmの位置(最高到達温度約500℃に相当する位置)について断面観察試料を作製し、鋼素地表層部のCr濃度を分析した。分析手法は前述のTEM−EDXによる方法を採用した。ただし、鋼素地/酸化スケール界面からの距離が1nm(酸化スケール直下)から20nmの範囲においては、前述の鋼X、鋼Yの例よりもさらに深さ方向の測定ポイントを増やしてデータを採取した。同じ深さで場所を変えて10点のデータを採取した。そして、Cr濃度が16質量%未満である測定点のうち、鋼素地/酸化スケール界面からの距離が最も大きい測定点の当該距離を、「Cr濃度16質量%未満の深さ」とした。表3に、酸化スケール直下(1nm深さ)のCr濃度、およびCr濃度16質量%未満の深さを示す。酸化スケール直下のCr濃度は、10点の測定値の範囲を表示してある。
【0041】
また、TIG溶接試料において、溶接裏面の溶接熱影響部の溶接ボンドから2mmの位置(最高到達温度約1000℃に相当する位置)について断面観察試料を作製し、酸化スケールのCr濃度を分析した。分析手法は前述のTEM−EDXによる方法を採用した。分析位置は鋼素地/酸化スケール界面からの距離が約10nmの箇所とし、10点のデータを測定して、10点のうち最もCr濃度の低かった値をその酸化スケール中のCr濃度として採用した。その結果、いずれの鋼種も30質量%以上のCr濃度を有することが確認された。
【0042】
【表3】

【0043】
表3に示されるように、本発明例のものは、耐食性の低下が最も大きくなる最高到達温度500℃に相当する部位で、鋼素地表層部においてCr濃度16質量%未満の深さが10nmより小さくなった。これに対し、比較例の鋼4、鋼5はいずれも酸化スケール直下のCr濃度が低く、また10nm深さにおいても16質量%以上のCr濃度は維持されていなかった。その理由については、鋼4では鋼のCr含有量が18.3質量%と低いこと、鋼5ではNi含有量が低いことが考えられる。
【実施例2】
【0044】
実施例1で作製した各鋼種の供試材(板厚1mmの冷延焼鈍酸洗鋼板)から、15mm×40mmの大部材、および15mm×25mmの小部材を切り出し、図5に模式的に示す構造のTIG溶接隙間試験片を作製した。すなわち、小部材の一方の短辺付近に曲げを施した後、小部材の曲げを施した方の短辺が大部材の板面中央に位置するように配置し、前記の曲げによって2つの部材が重なり合う部分に隙間が形成されるような状態で、これらをTIG溶接で接合した。その際、トーチが大部材を挟んで小部材と反対側に位置するようにするとともに、隙間部にトーチから吹き出すArガスが当たらないようにした。また、バックガスシールも行っていない。
【0045】
このTIG溶接試験片を80℃の2000ppmCl-水溶液に30日間浸漬した。その際、図6に示すような装置構成とした。腐食を促進させるためのPt補助カソードを試験片に接続している。この場合、容量300L(リットル)の温水缶体に相当するカソード能力がある。試験中、腐食電流をモニターした。また浸漬試験後に試験片を解体し、大部材および小部材の隙間を形成していた部位について光学顕微鏡を用いた焦点深度法により侵食深さを測定し、観測された最も深い侵食深さの値をその鋼種の「隙間腐食深さ」とした。結果を表4に示す。
【0046】
【表4】

【0047】
表4より、いずれの鋼種も試験期間30日の間に腐食電流は1μA以下になり、事実上、腐食電流は消滅した。ただし、隙間腐食深さに優劣が見られた。すなわち、本発明例の鋼1〜鋼3は隙間腐食深さが0.1mm以下と浅く、これは、再不動態化によって腐食の進行が食い止められたと判断される。一方、比較例の鋼4(SUS444)および鋼5(SUS445J1)はいずれも隙間腐食深さが0.1mmを超えており、腐食は成長の懸念があると判断される。この耐食性の優劣は、バックガスシールなしのTIG溶接部裏面の熱影響部において鋼素地表層部のCr濃度分布に差が生じたこと(実施例1参照)に起因すると考えられる。なお、溶接熱影響部での耐食性改善に対してMoの効果は小さい。
【実施例3】
【0048】
実機温水容器での溶接接合部の耐食性を調査するため、本発明例の前記鋼3と比較例の前記鋼4(SUS444)を用いて温水容器を試作した。図7に温水容器の構造を模式的に示す。図7(a)は試験缶体の外観を示したものである。この試験缶体は上鏡11、胴12および下鏡13をTIG溶接により接合した構造を有し、高さ1430mm、幅520mm、容量300Lの俵型である。胴12は筒状に曲げた鋼板の端部どうしをTIG溶接したものであり、溶接接合部14を有している。上鏡11および下鏡13には口金17が接合されている。それ以外にはフランジ部がないシンプルな構造である。上鏡11、胴12および下鏡13の部材に上記供試鋼が使用されている(上鏡11、胴12および下鏡13は同一鋼種)。図7(b)は上鏡11と胴12の溶接部断面の構造を模式的に示したものである。図7(c)は下鏡13と胴12の溶接部断面の構造を模式的に示したものである。これらの溶接接合部15、16においては容器内部側に鏡部材の端部が入り込んで溶接隙間を形成している。溶接接合部14、15、16の溶接施工では容器外面側にトーチを配置して、バックガスシールを行わずに、容器内面に裏ビードが形成される条件でTIG溶接を実施した。溶加材としてSUS316Lを使用した。
【0049】
図8に実機での耐食性試験方法を模式的に示す。試験液槽22で試験液をヒーター21により80℃に加熱し、液送ポンプ23により試験液を試験缶体24の下部口金から常時10L/minの流量で送り込み、合計2ヶ月間循環させる試験を実施した。試験缶体24の各溶接部は無手入れのままの状態にしてあり、前記溶接接合部14、15、16はバックガスシールなしの溶接を行って形成された裏ビード側溶接部が試験液に曝されるようになっている。試験液は山口県周南市上水で調製した2000ppmCl-水溶液に酸化剤としてCu2+を2ppm添加したものを用いた。この濃度のCu2+は温水中の残留塩素にほぼ匹敵する酸化力を有しているが、腐食の進行に伴い濃度が減少するため、7日毎に液を更新した。Cl-はNaCl、Cu2+はCuCl2・2H2O試薬により調整した。液温は容量300Lの試験液槽22内で80℃となるようにコントロールした。試験後の缶体を解体し、溶接接合部14、15、16について腐食発生状況を調べた。結果を表5に示す。
【0050】
【表5】

【0051】
鋼2を用いて試作した本発明例の温水容器は、2ケ月間の腐食試験において、最も腐食が問題とされる鏡と胴の溶接隙間形成部に全く腐食は認められなかった。一方、鋼4(SUS444)を用いて試作した比較例の温水容器は、胴と下鏡の溶接隙間形成部に板厚を貫通する腐食が認められ、バックガスシールなしのTIG溶接部裏面では高耐食性が維持できなかった。
【図面の簡単な説明】
【0052】
【図1】バックガスシールなしのTIG溶接部裏面の外観を示した図面代用写真およびそれに対応する位置関係の断面を模式的に示した図。
【図2】浸漬試験後の溶接試験片について、バックガスシールなしのTIG溶接部裏面における最高到達温度と最大侵食深さの関係を示したグラフ。
【図3】鋼X、鋼Yの溶接熱影響部断面分析試料におけるTEM−EDXによる分析位置を模式的に示した図。
【図4】鋼X、鋼Yの最高到達温度500℃に相当する部位について鋼素地/酸化スケール界面からの距離とCr濃度の関係を例示したグラフ。
【図5】TIG溶接隙間試験片の構造を模式的に示した図。
【図6】実施例2の浸漬試験方法を模式的に示した図。
【図7】実施例3に用いた試験缶体の構造を模式的に示した図。
【図8】実機による耐食性試験方法を模式的に示した図。
【符号の説明】
【0053】
11 上鏡
12 胴
13 下鏡
14、15、16 溶接接合部
17 口金
21 ヒーター
22 試験液槽
23 送液ポンプ
24 試験缶体

【特許請求の範囲】
【請求項1】
Cr含有量が21超え〜25質量%の鋼材どうしをバックガスシールなしでTIG溶接することにより形成された裏ビードを容器内面に有し、そのTIG溶接部裏面の熱影響部において、塩化物水溶液に可溶の酸化スケールが形成された部位の鋼素地におけるCr濃度が、鋼素地/酸化スケール界面から10nm以上の深さ領域で16質量%以上である温水容器。
【請求項2】
質量%で、C:0.025%以下、Si:1%以下、Mn:1%以下、P:0.045%以下、S:0.01%以下、Ni:0.1〜1%、Cr:21超え〜25%、Mo:0.1〜2%、Al:0.02〜0.3%、N:0.025%以下であり、Ti:0.05〜0.4%およびNb:0.05〜0.5%の1種以上を含有し、残部Feおよび不可避的不純物である組成の鋼材どうしをバックガスシールなしでTIG溶接することにより形成された裏ビードを、容器内面に有する温水容器。
【請求項3】
前記鋼材がさらにCu:1%以下を含有するものである請求項1に記載の温水容器。
【請求項4】
前記TIG溶接部裏面の熱影響部において、塩化物水溶液に可溶の酸化スケールが形成された部位の鋼素地におけるCr濃度が、鋼素地/酸化スケール界面から10nm以上の深さ領域で16質量%以上である請求項2または3に記載の温水容器。
【請求項5】
裏ビード近傍の鋼材表面にCr濃度30質量%以上の酸化スケールを有する請求項1〜4のいずれかに記載の温水容器。
【請求項6】
請求項1〜5のいずれかに記載の温水容器であって、水(温水を含む)の流路ではなく、かつ通電部品の挿入箇所ではないフランジを持たない構造の温水容器。
【請求項7】
質量%で、C:0.025%以下、Si:1%以下、Mn:1%以下、P:0.045%以下、S:0.01%以下、Ni:0.1〜1%、Cr:21超え〜25%、Mo:0.1〜2%、Al:0.02〜0.3%、N:0.025%以下であり、Ti:0.05〜0.4%およびNb:0.05〜0.5%の1種以上を含有し、残部Feおよび不可避的不純物である組成の鋼材どうしを、容器内面に裏ビードが形成されるようにバックガスシールなしでTIG溶接することにより接合する工程を有する温水容器の製造法。
【請求項8】
前記鋼材がさらにCu:1%以下を含有するものである請求項7に記載の温水容器の製造法。

【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【図8】
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【図1】
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【公開番号】特開2008−221266(P2008−221266A)
【公開日】平成20年9月25日(2008.9.25)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2007−60986(P2007−60986)
【出願日】平成19年3月9日(2007.3.9)
【出願人】(000004581)日新製鋼株式会社 (1,178)
【Fターム(参考)】