説明

質量分析装置

【課題】イオンを運動させるための高周波電場や磁場の影響を受けずに電子をイオンに接触させて効率良く電子捕捉解離を促進する。
【解決手段】イオントラップ2を構成するリング電極21に光照射孔27を穿孔し、光源部28から放出された光を光照射孔27を通してリング電極21に当てる。これによってリング電極21から光電子が発生し、きわめて短時間でイオン捕捉空間24に到達する。したがって、光電子はリング電極21による高周波電場の影響を殆ど受けずに、その大部分がイオン捕捉空間24でイオンに接触し得る。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は質量分析装置に関し、更に詳しくは、分析対象である試料に由来するプリカーサイオンを開裂させ、それによって発生した各種のプロダクトイオンを質量分析するMS/MS分析を行う質量分析装置に関する。
【背景技術】
【0002】
イオントラップ型質量分析装置や四重極型質量分析装置などを用いた質量分析においては、MS/MS分析(タンデム分析)という手法が広く知られている。一般的なMS/MS分析では、まず分析対象物から目的とする特定の質量数(質量/電荷)を有するイオンをプリカーサイオン(前駆イオン)として選別し、その選別したプリカーサイオンをCID(Collusion Induced Dissociation:衝突誘起分解)によって開裂させ、開裂イオンを生成する。その後、開裂によって生成した各種のプロダクトイオンを質量分析することによって、目的とするイオンの質量や化学構造についての情報を取得する。CIDは、運動しているイオンをヘリウム(He)やアルゴン(Ar)などの不活性ガス分子に衝突させることで、衝突エネルギーの一部をイオンを断片化するためのエネルギーとして利用するものであり、MS/MS分析では最も一般に利用されている。
【0003】
しかしながら、CIDでは、試料の種類(例えばタンパク質等)によって、必ずしも構造情報を得るために十分な程度まで開裂を生じさせることが難しい場合がある。そこで、プリカーサイオンの開裂を促進させる他の手法の1つとしてECD(Electron Capture Dissociation:電子捕獲解離)が知られている。この方法は、イオンに低速電子を接触させることでイオンに電子を捕獲させ、高電子励起された中間状態を介してイオンの開裂を促すものである(例えば非特許文献1など参照)。
【0004】
図2はイオントラップ内でECDを行う場合の従来の構成を示す概略図である。イオンを捕捉することが可能なイオントラップ2は、1個のリング電極21と2個の互いに対向するエンドキャップ電極22、23とにより構成される。例えばリング電極21には高周波高電圧が印加され、リング電極21と一対のエンドキャップ電極22、23とで囲まれる空間内に形成される四重極電場によってイオン捕捉空間24を形成し、そこにイオンを捕捉する。エンドキャップ電極23に形成された開口26の外側には、フィラメント50と加速電極51とから成る電子発生部が配設されている。
【0005】
フィラメント50に加熱電流を供給するとフィラメント50から熱電子が発生し、この熱電子を加速電極51により形成した電場により加速させて電子線として開口26を通過させてイオントラップ2内部へと送り込む。イオントラップ2内のイオン捕捉空間24で運動しているプリカーサイオンに上記電子が接触すると、プリカーサイオンに電子が取り込まれてプリカーサイオンは開裂する。
【0006】
しかしながら、プリカーサイオンはイオントラップ2内部に形成された高周波電場によって運動しているものであり、上記電子の挙動もこの高周波電場の影響を受ける。例えば、イオントラップ2内部に電子を反発させるような極性の電場が形成されているタイミングでは、開口26を通して入射しようとする電子を押し戻す力が作用するため、電子は入射しにくくECDが良好に行われにくい。一方、イオントラップ2内部に電子を引き込むような極性の電場が形成されているタイミングでは、開口26を通して入射してくると電子はさらに加速されて大きな運動エネルギーを持つ。一般にECDを適切に行うには、電子の運動エネルギーを1eV程度と小さく抑えておく必要があり、電子が加速されすぎて運動エネルギーが1eVを大きく越えるとECDが良好に行われにくくなる。
【0007】
即ち、上記従来の構成においてイオン解離効率は、電子がイオントラップ2内部に入射する際にリング電極21に印加される高周波電圧の位相に大きく依存しており、安定して良好なイオン解離を実現することは技術的にかなり困難であった。
【0008】
こうした問題を解決するために、非特許文献2に記載の技術では、四重極質量フィルタと類似した構成の高周波電圧が印加された4本の棒状電極からリニアイオントラップを構成し、理論的には高周波成分が存在しない中心軸上に沿って低エネルギー電子を導入するという手法が提案されている。しかしながら、こうした構成では、リニアイオントラップの中心軸上に電子を導入するまでに電子の一部が散逸するおそれがある。また、リニアイオントラップは図2に示したような三次元四重極イオントラップに比べてイオンの捕捉効率が高くないため、三次元四重極イオントラップに適用できるようなECDの手法が望まれる。
【0009】
【非特許文献1】ロマン・エー・ズバレフ(Roman.A.Zubarev)ほか7名、「エレクトロン・キャプチャ・ディスソシエイション・フォー・ストラクチュアル・キャラクタリゼイション・オブ・マルチプライ・チャージド・プロテイン・ケイションズ(Electron Capture Dissociation for Structural Characterization of Multiply Charged Protein Cations)」、アナリティカル・ケミストリー(Analytical Chemistry)、72巻、第3号、2000年2月1日
【非特許文献2】馬場崇ほか2名、「プロテオーム解析に向けた質量分析の新技術−高周波イオントラップを用いた電子捕獲解離−」、日立評論、86巻、第10号、2004年10月、p737−747、[平成16年12月22日検索]、インターネット<URL : http://www.hitachihyoron.com/2004/10/pdf/10b05.pdf>
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0010】
本発明は上記課題を解決するために成されたものであり、ECDによるMS/MS分析を行う質量分析装置において、難しい制御を行うことなく高いイオン解離効率を達成することを目的としている。なお、本明細書中で言う「MS/MS分析」とはイオンの開裂操作を1回だけ行うもののみならず、n回の開裂操作を行うMSn分析も含むものとする。
【課題を解決するための手段】
【0011】
上記課題を解決するために成された本発明は、分析対象である試料に由来するプリカーサイオンを開裂させ、該開裂によって発生したプロダクトイオンを質量分析する質量分析装置において、
光を導電性物質に照射して光電子を発生させる光電子発生手段と、
発生した光電子をプリカーサイオンに接触させることで該プリカーサイオンの開裂を促進させるイオン開裂空間と、
を備えることを特徴としている。
【0012】
上記導線性物質は光の照射を受けて光電子を放出するものでありさえすればよいが、イオンに接触するまでに周囲の高周波電場の影響をできるだけ受けないようにするために、周囲の高周波電場や磁場を乱さない程度に、プリカーサイオンが運動しているイオン開裂空間に近い位置に配置されていることが好ましい。
【0013】
具体的な一実施態様として、本発明に係る質量分析装置はイオントラップ型の質量分析装置であって、前記導電性物質はイオントラップを構成するリング電極又はエンドキャップ電極であり、前記イオン開裂空間はそのイオントラップ内部の空間である構成とすることができる。
【発明の効果】
【0014】
本発明に係る質量分析装置において、導電性物質に光が照射されたときに該導電性物質から放出される光電子が有する運動エネルギーは、光の波長と導電性物質の仕事関数とに依存する。したがって、これらを適切に設定することにより、光電子の運動エネルギーをECD(電子捕獲解離)に適した低エネルギーに抑えることができる。また、光自体は高周波電場や磁場の影響を受けないので、光電子の発生源である導電性物質をイオン開裂空間に近づけ、高周波電場や磁場中を通過した光をその導電性物質に照射することで、放出された光電子が短い距離を移動するだけでプリカーサイオンに接触するようにすることができる。
【0015】
このようにして本発明に係る質量分析装置によれば、プリカーサイオンの挙動を支配する高周波電場や磁場の影響を殆ど受けずに電子をプリカーサイオンに接触させて開裂を起こすことができる。したがって、例えばイオントラップや四重極質量フィルタ内など高周波電場が形成されている空間内でイオン開裂を行う場合に、その高周波電場の位相に無関係に開裂を生じさせることができる。それにより、電子捕捉解離によるイオン解離効率を向上させ、MS/MS分析の感度や精度を改善することができる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0016】
本発明に係る質量分析装置の一実施例であるイオントラップ(IT)−飛行時間型質量分析装置(TOFMS)について、図面を参照しながら説明する。図1は本実施例の質量分析装置の全体構成図である。既に説明した図2と同一の構成要素には同一符号を付して説明を省略する。
【0017】
図1において、図示しない真空室の内部には、イオン源1、イオントラップ2、及び飛行時間型質量分析器(TOFMS)3が配設されている。イオントラップ2は、上述したように1個のリング電極21と2個のエンドキャップ電極22、23から成る。リング電極21には電圧発生部29から高周波高電圧が印加され、エンドキャップ電極22、23にはそのときの分析モードに応じて適宜の補助交流電圧が印加される。エンドキャップ電極22、23にはそれぞれイオンの入射孔25、出射孔26が形成されている。一方、リング電極21には光照射孔27が穿孔されており、光照射孔27の外側には紫外光を照射する光源部28が配置されている。光源部28や電圧発生部29の動作は制御部4により制御される。
【0018】
光源部28から出射された紫外光は光照射孔27を通過してイオン捕捉空間24に面したリング電極21の内面に当たる。このとき、リング電極21から放出される光電子は次の運動エネルギーEkを有する。
Ek=hν−φ
hν:光のエネルギー
ν:光の振動数
φ:導電性物質(リング電極)仕事関数
したがって、光電子の運動エネルギーEkは光の波長とリング電極21の物質の種類に依存し、これらを適宜組み合わせることで光電子の運動エネルギーEkを選択することができる。一般にECDに適切な運動エネルギーEkは1eV程度であり、リング電極21としてステンレスを使用した場合には照射光を紫外光とすると最適な運動エネルギーEkを得ることができる。
【0019】
上記構成の質量分析装置では、イオン源1において目的試料をイオン化し、発生したイオンを入射孔25を通してイオントラップ2内部に導入する。イオントラップ2では、リング電極21及びエンドキャップ電極22、23により形成される電場によりイオンをイオン捕捉空間24に一旦捕捉する。その後に光源部28から光を照射して、リング電極21から光電子を放出させる。通常、イオンを捕捉する際には1MHz程度の周波数の高周波電場がイオン捕捉空間24に形成される。運動エネルギーEkが1eVである光電子の速度は約6×105[m/s]であり、この速度であれば高周波電場の周期に比べて十分に短い時間でイオン捕捉空間24に到達する。したがって、高周波電場の位相に拘わらず、リング電極21から放出された光電子の大部分がイオン捕捉空間24に到達する。
【0020】
イオン捕捉空間24には高周波電場によって振動運動する多数のイオンが存在するから、上記のように適切な運動エネルギーを以てイオンに接触した光電子はイオンに取り込まれ、該イオンは高電子励起された中間状態を経て開裂する。光電子がイオンに接触する確率は高いので、開裂は効率的に行われる。そして十分に開裂が行われた後に電極21、22、23へ印加する電圧を変更し、イオントラップ2内部にイオンを排出するような電場を形成して、開裂によって生じた各種のプロダクトイオンを出射孔26を通して放出させる。イオントラップ2から出たイオンはTOFMS3の飛行空間31内を飛行し、質量数に応じた飛行時間で以て検出器32に到達する。検出器32は順次到達するイオンの量に応じた検出信号を出力する。
【0021】
なお、上記実施例ではイオントラップを構成するリング電極を光電子発生源としていたが、エンドキャップ電極を光電子発生源としてもよい。また、これら電極以外に、別部材で金属体などの導電性物質を光電子発生源として設けてもよい。但し、こうした導電性物質がイオントラップ2内の高周波電場を乱すとイオンの挙動が不安定になるため、高周波電場にできるだけ影響を与えない位置に設けるとよい。
【0022】
また、上記実施例は本発明をIT−TOFMSに適用したものであるが、四重極型質量分析装置に適用することもできることは明らかである。また、高周波電場によってイオンを捕捉するものでなく、例えばFT−ICRMS(フーリエ変換型イオンサイクロトロン共鳴質量分析装置)のような静電磁場によりイオンを捕捉するものにも適用できる。
【0023】
さらにまた、それ以外の点についても、本発明の趣旨の範囲で適宜に修正、変更、追加などを行っても本願特許請求の範囲に包含されることは明らかである。
【図面の簡単な説明】
【0024】
【図1】本発明の一実施例によるイオントラップ−飛行時間型質量分析装置の全体構成図。
【図2】イオントラップ内で電子捕獲解離を行う場合の従来の構成を示す概略図。
【符号の説明】
【0025】
1…イオン源
2…イオントラップ
21…リング電極
21…電極
22、23…エンドキャップ電極
24…イオン捕捉空間
25…入射孔
26…出射孔
27…光照射孔
28…光源部
29…電圧発生部
3…飛行時間型質量分析装置(TOFMS)
31…飛行空間
32…検出器
4…制御部

【特許請求の範囲】
【請求項1】
分析対象である試料に由来するプリカーサイオンを開裂させ、該開裂によって発生したプロダクトイオンを質量分析する質量分析装置において、
光を導電性物質に照射して光電子を発生させる光電子発生手段と、
発生した光電子をプリカーサイオンに接触させることで該プリカーサイオンの開裂を促進させるイオン開裂空間と、
を備えることを特徴とする質量分析装置。
【請求項2】
イオントラップ型の質量分析装置であって、前記導電性物質はイオントラップを構成するリング電極又はエンドキャップ電極であり、前記イオン開裂空間はそのイオントラップ内部の空間であることを特徴とする請求項1に記載の質量分析装置。

【図1】
image rotate

【図2】
image rotate


【公開番号】特開2006−185781(P2006−185781A)
【公開日】平成18年7月13日(2006.7.13)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2004−379050(P2004−379050)
【出願日】平成16年12月28日(2004.12.28)
【出願人】(000001993)株式会社島津製作所 (3,708)
【Fターム(参考)】