説明

赤潮原因珪藻キートケロス属に特異的に感染して増殖・溶藻しうるウイルス、該ウイルスを利用するキートケロス赤潮防除方法およびキートケロス赤潮防除剤、並びに該ウイルスの単離方法、継代培養方法、および保存方法

【課題】 赤潮原因珪藻キートケロス属に特異的に感染して増殖・溶藻しうるウイルス、該ウイルスを利用するキートケロス赤潮防除方法およびキートケロス赤潮防除剤、並びに該ウイルスの単離方法、継代培養方法、および保存方法の提供。
【解決手段】 キートケロス属の藻類に特異的に感染して増殖しうる、粒径0.1μm未満のウイルス。該ウイルスの単離方法は、ウイルスを含有する液体試料を孔径0.2μmのフィルターで濾過し、得られた濾液をキートケロス属の藻類の培養液に接種して培養を行い、キートケロス属の藻類の溶藻が観察された培養液を限界希釈することにより前記ウイルスをクローニングする工程を含む。前記のウイルスを有効成分として含む赤潮防除剤。前記のウイルスを赤潮水域に散布することからなる赤潮防除方法。前記のウイルスの単離方法、継代培養方法、および保存方法。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、赤潮原因珪藻に特異的に感染して増殖・溶藻しうるウイルス、該ウイルスを利用する赤潮防除方法および赤潮防除剤、並びに該ウイルスの単離方法、継代培養方法、および保存方法に関し、より詳細には、キートケロス(Chaetoceros)属の藻類に特異的に感染して増殖しうるウイルス、該ウイルスを利用する赤潮防除方法および赤潮防除剤、並びに該ウイルスの単離方法、継代培養方法、および凍結保存方法に関する。
【背景技術】
【0002】
わが国の海面養殖業は、国内漁業生産額全体の約1/4を占めている。この振興にあたっては、とくに養殖漁場の環境保全を図ることが不可欠であり、なかでも深刻な被害を引き起こす赤潮に対する有効な対策の推進がきわめて重要である。
【0003】
2000年後半から2001年前半にかけて有明海で発生したノリの色落ち現象は、ノリ養殖に壊滅的な被害をもたらした。朝日新聞社の統計によると、福岡・佐賀・長崎・熊本の4県の2000年度のノリ生産額は1999年度のそれよりも約130億円減少した。ノリ色落ち現象を引き起こす原因としては、コスキノディスカス属、リゾソレニア属等の大型珪藻類に加え、小型珪藻類であるキートケロス属やスケレトネマ属による赤潮の影響が大きいと考えられている。
【0004】
ノリの色落ちは、大量に発生した珪藻類(まれに大型鞭毛藻)が本来ノリの栄養として使われるべき栄養塩を過剰に摂取し、その結果、養殖ノリに十分量の栄養塩が供給されないことにより発生する。一般に、大型珪藻類は低密度で発生するが長期にわたる赤潮を形成し、小型珪藻類は高密度で発生するが赤潮は長期化しない傾向にある。しかしながら近年では、沿岸域の栄養塩濃度が以前よりも低下してきているため、比較的短期間で終息するキートケロス属等の小型珪藻類による赤潮でもノリの色落ちが発生する程度まで栄養塩が減少する。そのため、従来にもまして小型珪藻類による赤潮への対策が求められている。
【0005】
しかしながら、珪藻赤潮への具体的方策は確立されておらず、ノリ養殖を行う漁場環境におけるプランクトン相を人為的に制御する技術の構築が強く望まれる。近年、有害プランクトンに対して特異的に感染するウイルスを利用した赤潮防除に関する研究が進められつつある。しかしながら、珪藻を宿主とするウイルスとしては、世界でも過去に1例(中心目珪藻の一種リゾソレニア・セティゲラ(Rhizosolenia setigera)に対して選択的に感染するRsRNAV:Rhizosolenia setigera RNA virus)が知られているのみである(非特許文献1)。
【非特許文献1】Nagasaki et al. Appl. Environ. Microbiol. 70, 704-711 (2004)
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
キートケロス・サルスギネウムは、日本各地でしばしば赤潮を形成してきた種類であり、ノリ色落ちを引き起こす原因種の一つと考えられる。本発明の主目的は、ウイルスをキートケロス赤潮防除(駆除および予防)に対して応用することである。ウイルス利用による赤潮防除は、他生物や生態系全体への負荷が小さい環境修復技術としてその安全性に高い期待が寄せられており、ウイルスの大量培養技術・散布手法・コスト・安全性評価等の面での諸問題がクリアされれば、実用化への道が開かれるものと期待される。
【課題を解決するための手段】
【0007】
こうした背景の下、本発明者らは、珪藻に対して感染する2例目のウイルスを発見した。このウイルスは、中心目珪藻の一種キートケロス・サルスギネウム(Chaetoceros salsugineum)に対して選択的に感染するCsNIV (Chaetoceros salsugineum nuclear inclusion virus)である。本発明者らは、キートケロス・サルスギネウムに感染し死滅させるウイルス(CsNIV)の分離に世界で初めて成功し、本発明を完成させるに至った。
【0008】
すなわち、本発明は、キートケロス属の藻類に特異的に感染して増殖しうる、粒径0.1μm未満のウイルスを提供する。キートケロス属の藻類はキートケロス・サルスギネウムであるとよい。本発明の一態様において、ウイルスは、尾部構造および外膜構造を欠き、粒径約33〜44nmの正二十面体である。この態様において、ウイルスの平均粒径は38nmであることが好ましい。
【0009】
また、本発明は、キートケロス属の藻類に特異的に感染して増殖しうる、粒径0.1μm未満のウイルスを含有する液体試料を0.1μm孔径のフィルターで濾過し、得られた濾液をキートケロス属の藻類の培養液に接種して培養を行い、キートケロス属の藻類の溶藻が観察された培養液を限界希釈することにより前記ウイルスをクローニングする工程を含む、キートケロス属の藻類に特異的に感染して増殖しうる、粒径0.1μm未満のウイルスの単離方法を提供する。
【0010】
キートケロス属の藻類に特異的に感染して増殖しうる、粒径0.1μm未満のウイルスを含有する液体試料としては、該ウイルスに感染しているキートケロス属の藻類を含有する液体試料(例えば、キートケロス赤潮終息期の海水、前記ウイルスに感染しているキートケロス属の藻類の培養液など)、前記ウイルスを含有する海底泥の懸濁液、該懸濁液を遠心分離して得られた上清などを例示することができる。
【0011】
本発明のウイルスの単離方法において、植物プランクトン、細菌類、ならびに大型のウイルス粒子を除去するため、孔径0.2μmのフィルターで濾過後、最終的に孔径0.1μmのフィルターで濾過を行うのが適当である。
【0012】
キートケロス属の藻類を培養するための培地としては、SWM3培地、ESM培地、f/2培地、ASP系培地などの液体培地を例示することができる。
【0013】
キートケロス属の藻類の培養液を調製するためのキートケロス属の藻類は、対数増殖期にあるキートケロス・サルスギネウムであるとよく、例えば新鮮なSWM3培地に体積比で約1/10量の対数増殖期末期または定常期初期にあるキートケロス・サルスギネウム培養液を接種し、温度15℃、光強度100〜150μmol photons m-2 s-1、明暗周期12時間明:12時間暗の培養条件下で2〜3日間培養することで、対数増殖期にあるキートケロス・サルスギネウム培養液を調製することができる。このキートケロス・サルスギネウム培養液に該ウイルスをウイルス粒子数が藻体細胞数の1/100〜10倍になるように接種し上記培養条件下に5日間以上置くとよい。
【0014】
ウイルスのクローニングにおける限界希釈は、100〜10-10倍の希釈段階で行うとよい。
【0015】
また、本発明は、キートケロス属の藻類に特異的に感染して増殖しうる、粒径0.1μm未満のウイルスに感染して、溶藻が確認されたキートケロス属の藻類の培養液を遠心処理し、得られた上清をキートケロス属の藻類の培養液に接種して培養を行う操作を少なくとも1回繰り返す工程を含む、キートケロス属の藻類に特異的に感染して増殖しうる、粒径0.1μm未満のウイルスを継代培養する方法を提供する。
【0016】
キートケロス属の藻類の培養は、本発明のウイルスに感染させる前であるか、後であるかを問わず、温度15℃、光強度100〜150μmol photons m-2 s-1、明暗周期のある条件下で行うことが好ましい。
【0017】
さらに、本発明は、キートケロス属の藻類に特異的に感染して増殖しうる、粒径0.1μm未満のウイルスを有効成分として含む赤潮防除剤を提供する。
【0018】
さらにまた、本発明は、キートケロス属の藻類に特異的に感染して増殖しうる、粒径0.1μm未満のウイルスを赤潮水域に散布することからなる赤潮防除方法を提供する。
【0019】
このウイルスを固定化剤に包埋して、ノリ養殖筏またはノリ養殖海域海底泥中に設置してもよい。これにより、ウイルスを継続的に筏周辺またはノリ養殖海域に放出させることができ、キートケロス赤潮の発生しにくい条件を作り出すことができる。
【0020】
固定化剤としては、合成高分子ゲル、合成樹脂プレポリマー、天然多糖類、中空糸膜、シリコンポリマー、活性炭、マイクロカプセル、各種増粘剤等を例示することができる。
【0021】
ウイルスを固定化剤に包埋したものを耐海水性のネットまたは容器に入れて、筏に吊す、筏に固定する、あるいはノリ養殖漁場の海底泥中に埋設するといった方法で設置するとよい。
【0022】
また、本発明は、キートケロス属の藻類に特異的に感染して増殖しうる、粒径0.1μm未満のウイルス懸濁液を-196℃〜20℃に保存することを含む、キートケロス属の藻類に特異的に感染して増殖しうる、粒径0.1μm未満のウイルスを保存する方法を提供する。凍結保存をする場合には、粒径0.1μm未満のウイルス懸濁液を凍結保存するとよい。懸濁液の状態で保存する場合には、粒径0.1μm未満のウイルス懸濁液を4℃前後の暗所に保存するとよい。
【0023】
本明細書において、「赤潮」とは、プランクトンの急激な増殖に伴い海水の色が変化する現象を指す。この用語は、水産生物の被害の有無に関わらず広く用いられる。わが国の有害赤潮の原因となるプランクトンとしては、シャットネラ属、ギムノディニウム属、ヘテロシグマ属などが挙げられる。「キートケロス属の藻類」とは珪藻綱に属するもので、キートケロス属に属する種としてはキートケロス・アフィニス、キートケロス・シンプレックス、キートケロス・ディディムスなどが挙げられる。キートケロス属の中には、キートケロス・コンボルテス、キートケロス・コンカヴィコーニス、キートケロス・ダニカスのように鋭い刺毛を持つものが含まれ、これらはしばしば魚類の鰓に刺さり窒息死を引き起こす。「キートケロス・サルスギネウム」は、赤潮原因珪藻の一種であり、細胞の幅は2.0-9.5μm、単体型または2-18細胞の連鎖群体を作る。刺毛は基部近くで交差したあと様々な方向に伸張する。冬季から春季に増殖して優占種となるケースが多く、これまでにもしばしば有明海、渥美湾、浜名湖、洞海湾等の汽水域で発生が報告されている。
【0024】
「ウイルス」とは、感染した宿主細胞内においてのみ増殖しうる感染性をもった球形または繊維状の微小構造体をいう。ウイルスは、二分裂で増殖することはできず、宿主細胞の生合成系を利用することでのみ自己の複製を行うという点で、細菌とは全く異なる。また、細菌の場合と比較して宿主特異性が著しく高いのが特徴である。なお、「宿主特異性が高い」とは、病原性寄生生物(この場合はウイルス)が感染し増殖しうる宿主生物種の範囲(宿主域)が狭いことを意味する。
【発明の効果】
【0025】
本発明により、キートケロス属の藻類に特異的に感染して増殖しうるウイルスが提供された。また、本発明により、キートケロス属に特異的に感染して増殖・溶藻しうるウイルス、該ウイルスを利用するキートケロス赤潮防除方法およびキートケロス赤潮防除剤、並びに該ウイルスの単離方法、継代培養方法、および保存方法が提供された。本発明のウイルスを用いることにより、キートケロス赤潮を防除することができる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0026】
以下、本発明を詳細に説明する。
【0027】
本研究の対象生物であるキートケロス・サルスギネウムは、赤潮原因珪藻の一種であり、細胞の幅は2.0-9.5μm、単体型または2-18細胞の連鎖群体を作る。刺毛は基部近くで交差したあと様々な方向に伸張する。冬季から春季に増殖して優占種となるケースが多く、これまでにもしばしば有明海、渥美湾、浜名湖、洞海湾等の汽水域で発生が報告されている。
【0028】
本発明のウイルスは、キートケロス属の藻類に特異的に感染して増殖しうる。キートケロス・サルスギネウムに特異的に感染して増殖しうるウイルス(CsNIV:キートケロス・サルスギネウム・ニュークリア・インクルージョン・ウイルス)は、尾部構造および外膜構造を欠く粒径約33〜44nmの球形ウイルスである。実験では、このウイルスに感染したキートケロス細胞は最終的に色素が抜け落ち死滅する。さらにその際、複製された子孫ウイルスを放出し、新たな(すなわち、未感染の)キートケロス細胞の感染・死滅を誘発する。また、本ウイルスの宿主特異性は高く、これまでのところ、キートケロス・サルスギネウム以外の植物プランクトンに対する本ウイルスの影響は全く検出されていない。
【0029】
本発明のウイルスは、以下のようにして単離することができる。まず、キートケロス属の藻類に特異的に感染して増殖しうるウイルスに感染しているキートケロス属の藻類を含有する海水(例えば、キートケロス赤潮終息期の海水)または海底泥中に存在するウイルスを懸濁させた海水培地を、最終的に孔径0.2μmのフィルターで濾過し、得られた濾液を対数増殖状態にあるキートケロス属の藻類の培養液に接種し、15℃、12時間明:12時間暗の明暗のサイクルで5-7日間、100〜150μmol photons m -2 s-1の白色蛍光灯の照射下で培養する。光強度は市販の光量子計を用いて測定することができる。
【0030】
キートケロス属の藻類の培養液は、この藻類を予めマイクロピペット法または限界希釈法によりクローニングして、株化しておき、2nMのNa2SeO3含有改変SWM3培地(Chen ら, 1969, J. Phycol 5:211-220; 伊藤,今井, 1987, 秀和, 東京, p.122-130)に接種後、100〜150μmol photons m -2 s-1の白色蛍光灯を12時間明:12時間暗の明暗サイクルで照射し、15℃で培養することにより調製できる。新鮮なSWM3培地に対し体積比で約1/10量の対数増殖期末期または定常期初期にあるキートケロス属藻類の培養液を接種し上記条件下においた場合、培養開始後約1〜2日で対数増殖期に入る。
【0031】
次いで、キートケロス属の藻類の溶藻が観察された培養液をキートケロス属の藻類の培養液で限界希釈することによりウイルスをクローニングする。キートケロス属の藻類の培養液の調製法は上記のとおりである。限界希釈は次のようにして行うとよい。まず、キートケロス属の藻類の溶藻が観察された培養液をとり、改変SWM3培地で100〜10-10倍に段階希釈し、各希釈液を対数増殖中のキートケロス属の藻類の培養液に接種する。これらを、例えば 15℃、100〜150μmol photons m-2s-1、12時間明:12時間暗の明暗周期条件下で7〜10日間培養する。培養後、キートケロス属の藻類の溶藻が観察された最も希釈段階の高いものを選択して、その培養液について上記の段階希釈法による処理を少なくとも2回繰り返す。最終の段階希釈法による処理の後、キートケロス属の藻類の溶藻が観察された培養液のうち、最も希釈段階の高い培養液を採取して、対数増殖中のキートケロス属の藻類の培養液に接種する。以上の操作をもって、本発明のウイルスのクローニングの完了とみなすことができる。
【0032】
ウイルスのクローニングが完了したキートケロス属の藻類の培養液から遠心分離(例えば、2,000〜7,500 rpm、5〜10分)により細胞残さを除去後、遠心上清を上記の要領で段階希釈法によって処理して得られた各希釈段階における死滅ウェル数から、統計的計算により上清中に存在したウイルスの密度を推定することができる。
【0033】
本発明のウイルスを赤潮水域に散布することにより、赤潮を防除することができる。赤潮の防除にあたっては、本発明のウイルスの培養液またはその上清をそのまま使用してもよいが、本発明のウイルスを活性成分として含む製剤を調製してこれを使用してもよい。本発明の赤潮防除方法および赤潮防除剤は、自然環境中にすでに存在している宿主特異性の高いウイルスを利用するので、生態系への負荷が小さな環境修復技術として、その安全性に高い期待が寄せられる。また、本発明の赤潮防除剤は、他の通常の薬剤と異なり、ウイルス自体に自己複製能が備わっているため、少量の投入で広範囲への赤潮制御が期待できる。また、ウイルスを固定化剤に包埋したものをノリ養殖筏またはノリ養殖漁場の海底泥中に設置し、ウイルスを継続的に筏周辺に放出させるとよい。この方法は、ウイルスの海水中への希釈拡散を抑え、赤潮防除の対象となる筏周辺に長期間に渡り高いウイルス密度を維持する上で有効であると考えられる。固定化剤としては、合成高分子ゲル、合成樹脂プレポリマー、天然多糖類、中空糸膜、シリコンポリマー、活性炭、マイクロカプセル、各種増粘剤等を利用することができる。
【0034】
次に、本発明のウイルスを継代培養する方法について説明する。
本発明のウイルスに感染して、溶藻が確認されたキートケロス属の藻類の培養液を遠心処理(例えば、7,500 rpm、5分)し、得られた上清を対数増殖中のキートケロス属の藻類の培養液に接種して培養を行う。培養液中の細胞密度を光学顕微鏡下で経日的にモニターする方法により、その後の藻体の増殖を評価することができる。これにより、上記の方法で継代培養したウイルスが、キートケロス属の藻類に対する感染性を保持していることがわかる。
【0035】
本発明のウイルス接種後、溶藻が確認された宿主培養液は、孔径0.2μmのフィルターで濾過後、密封保冷することで、力価の低下を伴うことなく保存することが可能である。このとき保存温度は-196℃(液体窒素中)〜20℃の範囲で暗条件下での保存が望ましい。
【0036】
以下、本発明を実施例により具体的に説明する。本発明の範囲はこれらの実施例により限定されるものではない。
【実施例】
【0037】
〔実施例1〕
材料および方法
【0038】
供試プランクトンの培養条件
殺藻因子の分離には、有明海から分離されたキートケロス・サルスギネウム Ch42株を用いた。培地には改変SWM3培地を用い、培養は温度15°C、光強度100〜150μmol photons m-2 s-1、12hL: 12hDの明暗周期条件下で行った。

【0039】
殺藻因子の分離
殺藻因子の分離に供した試泥(0-3cm深)は、2003年4月18日に有明海の福岡県海域でEkman Berge採泥器により採取した。得られた試泥12gを12mlのSWM3培地と混合し、400 rpmで30分間攪拌した後、2,000 rpmで10分間、4℃で遠心した。得られた遠心上清を孔径0.2μmのフィルターで濾過後、得られた各濾水0.2mlを対数増殖中のキートケロス・サルスギネウム Ch42株の培養液0.8mlにそれぞれ接種した。また、対照として0.2μm以下の画分を加熱処理(100℃×5分)したものを同様にそれぞれ接種し、上述の条件下で培養を行った。
殺藻因子をクローニングすることを目的とし、以下のように限界希釈法を2回繰り返し行った。上述の培養で溶藻が確認された培養液を孔径0.2μmのフィルターで濾過後、改変SWM3培地で100-10-10倍に段階希釈し、各希釈液100μlを対数増殖中のキートケロス株の培養液150μlに接種した。実験には96穴マイクロプレートを使用し、各希釈段階につき8本立てで接種を行った。また、改変SWM3培地のみを接種したものを対照区として設けた。これらを上述の条件下で14日間培養した。溶藻が見られたウェルのうち、最も高い希釈段階で接種を行ったウェル中の溶藻培養液を採取し、再度上述の段階希釈法による処理を試みた。2回目の処理で溶藻が見られたウェルのうち、最高希釈段階の溶藻培養液を200μl採取し、孔径0.1μmのフィルターで濾過後、その濾液を対数増殖中のキートケロス・サルスギネウムCh42株(溶藻がみられた実験区で使用したものと同じ株)の培養液1mlに接種した。以上の操作をもって、殺藻因子のクローニングが完了したものとみなした。また、得られた殺藻因子懸濁液を無菌検査培地ST10-1に接種し20℃で1-2日間培養後、白濁の有無によって混在する細菌の有無を確認した。

【0040】
ウイルスの保存
殺藻因子接種後、溶藻が確認された宿主培養液を孔径0.2μmのフィルターで濾過後、それぞれ1mlを-196℃, -20℃, 4℃, 10℃,および20℃で暗所に28日間保存した。実験開始時のウイルス懸濁液および保存後のウイルス懸濁液の力価(殺藻因子の単位体積あたりの密度)をそれぞれ限界希釈法により算出し、比較した。

【0041】
透過型電子顕微鏡による微視的観察
得られた殺藻因子CsNIV21株による溶藻培養液25ml(2.26x107感染単位/ml)を対数増殖中のキートケロス株の培養液529ml(9.9x104細胞/ml)にそれぞれ接種した。接種前および接種から約24時間後にサンプルを採取し、常法により固定包埋処理後、JEOL社製JEM-1010透過型電子顕微鏡による観察を行った。また、溶藻培養液中の殺藻因子の形態観察をネガティブ染色法により行った。

【0042】
接種実験
上述の殺藻因子クローンによる溶藻培養液を孔径0.2μmのフィルターで濾過して得られた濾液、ならびにその一部をオートクレーブ処理(121℃×15分)したものを、対数増殖中のキートケロス株培養液529mlに対してそれぞれ25mlずつ接種し、上述の条件下で培養を行った。接種時の感染多重度(1宿主細胞あたり何個のウイルスが接種されたかを示す数値)は10.8とした。実験は、各実験区につき1本立てで行い、細胞密度の変化を経日的にモニターすることで、その後の藻体の増殖を評価した。
また、感染の継続性について検討するため、溶藻培養液を7,500rpmで5分間遠心し得られた上清50μlを対数増殖中のキートケロス株培養液1 mlに接種するという操作を3回以上繰り返し行った。また、対照として非接種区を設け、ともに上述の条件下で培養を行った。

【0043】
宿主範囲の検討
表1に示した対数増殖中の各藻体株培養液800μlに対して、上述の溶藻培養液を7,500rpmで5分間遠心して得られた上清40μlをそれぞれ接種し、上述の条件下で培養を行った。また、対照としてSWM3培地を接種した実験区(陰性対照区)を設けた。実験は各実験区につき2本立てで行い、経日的に光学顕微鏡により被検細胞の状態を観察し、その後の藻体の増殖を評価した。接種14日後までに溶藻が確認されなかったものについては、本殺藻因子の宿主ではないものと判定した。

【0044】
ウイルスの核酸及びタンパク質の分析
対数増殖中のキートケロス株培養液にCsNIV21を接種して得られた溶藻液468mlより低速遠心(4,500 xg、10分)および濾過操作(8.0μm、0.8μm、0.2μmフィルタ使用)により死滅藻体細胞片等を除去し、CsNIV懸濁液を得た。これに、ポリエチレングリコール6000を終濃度10%となるように添加し、4℃暗所で一夜静置後、57,000 xgで1.5時間の超遠心分離を行った。得られたペレットを10mMリン酸バッファーで洗浄後、217,000 xgで4時間超遠心することにより得られたCsNIVのペレットを500μlの10mMトリス-HCl (pH 8.0)に懸濁した。得られたCsNIV懸濁液に、プロテイナーゼKを終濃度1mg/ml、サルコシルを終濃度1%となるようにそれぞれ添加し、55℃で1.5時間処理した。処理後、フェノール-クロロホルム抽出により核酸を抽出し、65℃×15分処理、または100℃×10分処理後に65℃×15分処理を施した後、変性ゲル(ホルムアルデヒドアガロースゲル:1%)電気泳動に供した。また、得られた核酸溶液に、RNaseA (終濃度0.05μg/μl)、DNaseI (終濃度0.5U/μl)、またはS1ヌクレアーゼ(終濃度0.7U/μl)をそれぞれ添加し、RNaseA添加区およびDNaseI添加区では37℃で1時間、S1ヌクレアーゼ添加区では22℃(室温)で15分間処理した。得られた各反応産物を、一切の酵素を添加せず氷上で保存しておいたウイルス核酸(対照区サンプル)とともに通常のアガロースゲル上で泳動し、消化の有無を確認した。
さらにCsNIVの構造タンパク質を調べるため、上記のウイルス懸濁液に4倍量のサンプル・バッファー(62.5 mM トリス-HCl, 5% 2-メルカプトエタノール, 2 % SDS, 20 % グリセロール and 0.005 % ブロモフェノルブルー)を添加後、100℃で5分間処理した。得られたタンパク溶液を、10-20%グラディエントのSDSポリアクリルアミドゲル電気泳動に供し、クマシーブリリアントブルーにより染色後、主要構造タンパク質のサイズ推定を行った。

【0045】
結果および考察
殺藻因子の分離
キートケロス・サルスギネウムCh42株は、試水の0.2μm以下の画分を接種することにより、細胞の色素が失われ、死滅に至った(図1)。一方、0.2μm以下の画分を熱処理したものを接種した場合には、死滅は観察されず、増殖の継続が確認された。有明海の試泥および試水を材料として得られた各溶藻培養液に対して、限界希釈法による処理を2回施し、最終的に孔径0.1μmのフィルターで濾過して無菌の殺藻因子懸濁液とした。この結果、これまでに表2に示す殺藻因子クローン株計13株が分離された。これらの殺藻因子株は、現在、すべて細菌の混在しない状態で、本発明者らにより保持されている。

【0046】
ウイルスの安定性
保存実験に供したウイルス懸濁液および各条件下に置いたウイルス懸濁液の7日目および28日目の力価をそれぞれ限界希釈法により算出した結果を表3に示した。この結果から、凍結および冷暗所保存によりCsNIVの力価はほとんど低下しないことが判明した。したがって、CsNIV懸濁液をきわめて安定な状態で簡単に保存できることが可能である。

【0047】
透過型電子顕微鏡による微視的観察結果
透過型電子顕微鏡による細胞切片の観察結果を図2に示した。CsNIV21株の接種区では、接種から24時間目には一部の細胞の崩壊が確認された。透過型電子顕微鏡による観察の結果、殺藻因子接種から24時間後の宿主核内に小型のウイルス様粒子が多数検出された(図2B,C)。これに対して、熱処理した殺藻因子懸濁液を接種した実験区においては藻体細胞は活発な増殖を継続し、透過型電子顕微鏡による細胞切片観察によっても健常な細胞内構造が観察された(図2A)。
溶藻培養液をネガティブ染色法により観察した結果、直径約33−44nm(平均38nm)の球形ウイルス様粒子が多数観察され、いずれも外膜構造ならびに尾部構造を持たないことが確認された(図2D)。

【0048】
接種実験結果
前処理を施した殺藻因子クローンCsNIV21株を接種した場合のキートケロス・サルスギネウムCh42株の細胞密度の推移を図3に示した。ウイルス接種後12時間目から24時間目にかけて、ウイルス密度の急増が観察されたことから、ウイルス感染から宿主崩壊に伴う娘ウイルスの放出までに要する時間は約1日と判断された。細胞密度の減少は、接種後36時間目から76時間目にかけて顕著であった。また、本実験の結果に基づき、CsNIV21株の潜伏時間は12-24時間、バーストサイズ(宿主細胞崩壊時に放出される感染単位数)は325、最大収量は3x107感染単位/mlとそれぞれ推算された。
また、連続した植え継ぎ実験から、本殺藻因子クローンは対数増殖中のキートケロス細胞を速やかにかつ繰り返し溶藻せしめることが確認された。
以上の結果に基づき、本ウイルスを「CsNIV (キートケロス・サルスギネウム・ニュークリア・インクルージョン・ウイルス=キートケロス・サルスギネウムに感染し、その複製時に核に含まれるウイルス、の意)」と命名した。

【0049】
宿主特異性
CsNIV21株は、表1に示した58株の海産微細藻類株のうち、標的種であるキートケロス・サルスギネウム(Ch42株)を除くすべての珪藻、緑藻、真正眼点藻、渦鞭毛藻およびラフィド藻に対して殺藻性を示さなかった。この実験結果から、本ウイルスがキートケロス・サルスギネウムにのみ特異的に感染するウイルスである可能性が高いと推察された。

【0050】
ゲノム及びタンパク質
CsNIVより抽出された核酸はRNaseAに耐性であったが、DNaseIおよびS1ヌクレアーゼに感受性であったことから1本鎖領域を多く持つDNAであると推察された。ウイルス核酸を電気泳動した結果、図4Aに示すとおり3本のバンドが検出された。このうち最も移動度の小さかったバンドは、次に移動度の小さかったバンドの環状型であり、一部が物理的刺激により切れて後者のバンドを形成するものと考えられた。また、最も低分子域のバンドは上記の環状1本鎖DNAの一部と水素結合しているものと推察された(図4B)。
また、CsNIVは46.0kDaおよび43.5kDaの2種の主要構造タンパク質をもつことがSDSポリアクリルアミドゲル電気泳動により示された(図5)。

【0051】
このように、本発明者らは、ノリ色落ち原因珪藻の一種であるキートケロス・サルスギネウムに感染するウイルスを分離することに成功した。ウイルスは爆発的な増殖力を有することから、小規模かつ低コストで多大な効果が期待できること、本ウイルスは天然海底泥(または天然海水)から分離されたものであること、本ウイルスはキートケロスに特異的に感染し、殺藻すること、を考慮すると、本ウイルスの散布はキートケロス赤潮の防除法として有効であることが期待される。また、CsNIVには高い保存性が備わっている上、きわめて小型であることから、固定化剤(合成高分子ゲル)に包埋したものをノリ養殖筏またはノリ養殖漁場の海底泥中に設置し、ウイルスを継続的に筏周辺に放出させることからなる赤潮防除方法を提供する上で有利な要件を備えているといえる。
【0052】
【表1】

【0053】
【表2】

【0054】
【表3】

【0055】
なお、上記のウイルスクローンは、独立行政法人 水産総合研究センター 瀬戸内海区水産研究所(所長:山田久) 赤潮環境部 赤潮制御研究室の研究グループに保管されており、特許法施行規則第27条の3の規定に準じて分譲を行う用意がある。
【産業上の利用可能性】
【0056】
本発明により、ウイルスを利用した赤潮防除が可能となった。

【図面の簡単な説明】
【0057】
【図1】赤潮原因珪藻キートケロス・サルスギネウム。A: 未感染の細胞、B: ウイルス感染を受け退色した細胞、C: 正常な培養(左)とウイルス感染を受け退色した培養(右)。
【図2】赤潮原因珪藻キートケロス・サルスギネウムおよびCsNIVの電子顕微鏡写真。A: 未感染の細胞の断面像、B:感染細胞の断面像、C: CsNIV感染細胞の核の断面像、D: CsNIV粒子の陰性染色像。ウイルスのサイズが小さいため断面像のみの比較では差が分かりにくいが、感染細胞の核内に多数のウイルス粒子が散在している様子が分かる。また、陰性染色によりウイルスの形態は正二十面体であることが推察される。
【図3】赤潮原因珪藻キートケロス・サルスギネウムに対するCsNIVの影響を示すグラフ。実験区では培養開始後48時間目(矢印)にウイルス接種を行った。ウイルス接種後48時間目より対照区(○)とウイルス接種区(●)の細胞密度に顕著な差がみられ始めた。また、ウイルス密度(■)は接種後12時間目以降に顕著に増加した。
【図4】(A)CsNIV核酸の電気泳動像(マーカーMは1本鎖RNAであるため、DNAの正確な分子量を反映していない)。レーン1,2は65℃×15分処理を、レーン3,4は100℃×10分処理後に65℃×15分処理を施したものをそれぞれ泳動した。ゲル上の3本のバンドはそれぞれ上から順に 環状1本鎖DNA(1)、直鎖状1本鎖DNA(2)、および両者に相補的な配列を持つ短い直鎖状1本鎖DNA(3)と考えられる。(B)電気泳動結果から予想されるCsNIVゲノムの構造の模式図。
【図5】CsNIVのSDSポリアクリルアミドゲル電気泳動像。46.0kDaおよび43.5kDaの2種の主要構造タンパク質の存在が明らかである。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
キートケロス属の藻類に特異的に感染して増殖しうる、粒径0.1μm未満のウイルス。
【請求項2】
キートケロス属の藻類がキートケロス・サルスギネウムである請求項1記載のウイルス。
【請求項3】
尾部構造および外膜構造を欠き、粒径約33〜44nmの球形である請求項2記載のウイルス。
【請求項4】
キートケロス属の藻類に特異的に感染して増殖しうる、粒径0.1μm未満のウイルスを含有する液体試料をフィルターで濾過し、得られた濾液をキートケロス属の藻類の培養液に接種して培養を行い、キートケロス属の藻類の溶藻が観察された培養液を限界希釈することにより前記ウイルスをクローニングする工程を含む、キートケロス属の藻類に特異的に感染して増殖しうる、粒径0.1μm未満のウイルスの単離方法。
【請求項5】
キートケロス属の藻類に特異的に感染して増殖しうる、粒径0.1μm未満のウイルスに感染して、溶藻が確認されたキートケロス属の藻類の培養液を遠心処理し、得られた上清をキートケロス属の藻類の培養液に接種して培養を行う操作を少なくとも1回繰り返す工程を含む、キートケロス属の藻類に特異的に感染して増殖しうる、粒径0.1μm未満のウイルスを継代培養する方法。
【請求項6】
培養を、温度15℃、光強度100〜150μmol photons m-2 s-1、明暗周期を与えた条件下で行う請求項5記載の方法。
【請求項7】
キートケロス属の藻類に特異的に感染して増殖しうる、粒径0.1μm未満のウイルスの懸濁液を-196℃〜20℃に保存することを含む、キートケロス属の藻類に特異的に感染して増殖しうる、粒径0.1μm未満のウイルスを保存する方法。
【請求項8】
キートケロス属の藻類に特異的に感染して増殖しうる、粒径0.1μm未満のウイルスを有効成分として含む赤潮防除剤。
【請求項9】
キートケロス属の藻類に特異的に感染して増殖しうる、粒径0.1μm未満のウイルスを赤潮水域に散布することを含む赤潮防除方法。
【請求項10】
ウイルスを固定化剤に包埋して、ノリ養殖筏に設置あるいはノリ養殖漁場の海底泥中に埋設することにより、ウイルスを赤潮水域に散布する請求項9記載の方法。

【図3】
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【図1】
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【図2】
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【図4】
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【図5】
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【公開番号】特開2006−20568(P2006−20568A)
【公開日】平成18年1月26日(2006.1.26)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2004−201569(P2004−201569)
【出願日】平成16年7月8日(2004.7.8)
【出願人】(501168814)独立行政法人水産総合研究センター (103)
【Fターム(参考)】