説明

M−Rasによる骨形成方法

【課題】M-Rasの新たな機能に基づく骨格筋筋芽細胞等から骨芽細胞等へ変換させる方法を提供する。
【解決手段】筋芽細胞又は繊維芽細胞におけるM-Rasの活性を増大させることによる、骨芽細胞又は骨細胞への分化に関わる転写因子又は分子マーカーの発現を促進させ、骨芽細胞又は骨細胞へ決定転換又は分化転換させる方法、該細胞の石灰化を誘導し、筋細胞分化に関わる転写因子の発現を阻害する方法、及び/又は、筋細胞分化を阻害する方法、並びに、該方法によって骨の形成を促進させる方法。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、筋芽細胞又は繊維芽細胞(筋芽細胞と同じく中胚葉由来の間葉系細胞)におけるM-Rasの活性を増大させることによる、骨芽細胞又は骨細胞へ決定転換 (transdetermination) 又は分化転換 (transdifferentiation)させる方法等に関する。
【背景技術】
【0002】
低分子量G蛋白質は、GTP/GDP結合能とGTPase活性をもった、分子量が20-40 kDaの単量体蛋白質で、Ras、Rho及びRabなどのファミリーから構成されている。いずれの蛋白質も、グアニンヌクレオチド交換因子 (GEF) の作用によりGTPを結合した活性状態になる。またGTPase活性化蛋白質 (GAP) の作用によりGTPase活性が活性化され、GDPを結合した不活性状態になる。Rasファミリー低分子量G蛋白質は、哺乳類では30あまりのメンバーから成り、細胞の増殖、分化、生存をはじめとするさまざまな細胞機能を制御している。Rasファミリーの代表的なメンバーであるclassical Ras (H-Ras, K-Ras, N-Ras) は、遺伝子の突然変異により癌遺伝子となり、発癌にかかわっていることが知られている。
【0003】
一方M-Rasは、本発明者等が骨格筋細胞から最初にクローニングして発見したRasファミリー蛋白質である(非特許文献1)。M-Rasはマウスでは脳に高く発現しており、マウス骨格筋細胞株C2C12筋芽細胞にも発現がみられる。M-Rasの恒常的活性変異体M-Ras(G22V) (Gly22をValに置換した変異体) を線維芽細胞に導入すると、神経細胞様の樹枝状の形態変化を引き起こす。ラットPC12細胞に神経成長因子 (NGF) で刺激をすると、神経突起を形成して神経細胞に分化する。このNGFによる神経細胞分化には、MAPキナーゼの一つであるERKの持続的な活性化が必要であることが知られていた(Qui, M. S. and Green, S. H. (1992) Neuron 9: 705-717)。しかしこのERKの持続的な活性化がどのようにして引き起こされるかは不明であった。本発明者等は、NGF刺激によりM-Rasの持続的な活性化が起こり、この活性化M-RasがERKを持続的に活性化することを示した。これにより、NGF刺激によるPC12細胞の神経細胞分化誘導にはM-Rasが不可欠であることを明らかにした(非特許文献2)。
【非特許文献1】Matsumoto, K., Asano, T. and Endo, T, (1997) Oncogene 15: 2409-2417
【非特許文献2】Sun, P., Watanabe, H., Takano, K., Yokoyama, T., Fujisawa, J. and Endo, T. (2006) Genes Cells 11: 1097-1113
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0004】
しかしながら、神経細胞分化誘導以外のM-Rasの細胞機能や生理的機能は、これまでほとんど不明であった。そこで、本発明者は、M-Rasの新たな機能を解明すべく研究の結果、M-Rasが骨格筋筋芽細胞等を骨芽細胞等に変換させる機能をもち、骨形成において重要な働きをしていることを明らかにし、本発明を完成させた。
【課題を解決するための手段】
【0005】
即ち、本発明は以下の各態様に係るものである。
[態様1]筋芽細胞又は繊維芽細胞におけるM-Rasの活性を増大させることによる、骨芽細胞又は骨細胞へ決定転換又は分化転換させる方法。
[態様2]筋芽細胞又は繊維芽細胞におけるM-Rasの発現を増大させることによる、骨芽細胞又は骨細胞への分化に関わる転写因子又は分子マーカーの発現を促進させる方法。
[態様3]転写因子がRunx2及び/又はosterixである、態様2記載の方法。
[態様4]分子マーカーがosteopontin、ALP、及び/又はコラーゲン1α2である、態様2記載の方法。
[態様5]筋芽細胞又は繊維芽細胞におけるM-Rasの活性を増大させることによる、該細胞の石灰化を誘導する方法。
[態様6]筋芽細胞又は繊維芽細胞におけるM-Rasの活性を増大させることによる、筋細胞分化を阻害する方法。
[態様7]筋芽細胞又は繊維芽細胞におけるM-Rasの活性を増大させることによる、筋細胞分化に関わる転写因子の発現を阻害する方法。
[態様8]転写因子がmyogenin、MyoD及び/又はPax7である、態様7記載の方法。
[態様9]M-Rasの恒常的活性変異体で筋芽細胞又は繊維芽細胞を形質転換させ、該恒常的活性変異体を安定的に発現させることによってM-Rasの活性を増大させる、態様1〜8のいずれか一項に記載の方法。
[態様10]恒常的活性変異体がM-Rasの点突然変異体である、態様9記載の方法。
[態様11]筋芽細胞又は繊維芽細胞におけるM-Rasを活性化させる化学物質又はM-Rasの発現を誘導する物質を作用させることによってM-Rasの活性を増大させる、態様1〜8のいずれか一項に記載の方法。
[態様12]グアニンヌクレオチド交換因子の活性を増加させることによってM-Rasの活性を増大させる、態様1〜8のいずれか一項に記載の方法。
[態様13]GTPase活性化蛋白質の活性を低下させることによってM-Rasの活性を増大させる、態様1〜8のいずれか一項に記載の方法。
[態様14]筋芽細胞又は繊維芽細胞におけるM-Ras活性の変化に基づき、骨芽細胞又は骨細胞へ決定転換又は分化転換させる物質をスクリーニングする方法。
[態様15]請求14に記載のスクリーニング方法であって、以下の工程:
(a) 被検物質と筋芽細胞又は繊維芽細胞を接触させる工程、
(b)該細胞におけるM-Ras活性を検出する工程、及び
(c)該活性を増大させる物質を選択する工程、を含む方法。
[態様16]筋芽細胞又は繊維芽細胞がM-Rasの恒常的活性変異体で形質転換され、該恒常的活性変異体を安定的に発現する細胞である、態様1〜15のいずれか一項に記載の方法。
[態様17]筋芽細胞が骨格筋筋芽細胞である、態様16記載の方法。
[態様18]筋芽細胞が哺乳動物由来のものである、態様17記載の方法。
[態様19]筋芽細胞がマウス筋芽細胞C2C12である、態様18記載の方法。
[態様20]態様14又は15に記載の方法に用いるスクリーニングキット。
[態様21]態様1〜13又は16〜19いずれか一項に記載の方法を用いて骨の形成を促進させる方法。
[態様22]態様21記載の方法で形成された骨。
[態様23]態様22記載の方法で形成された骨を利用する骨傷害の治療方法。
【発明の効果】
【0006】
C2C12筋芽細胞に恒常的活性変異体M-Ras(G22V) を導入して得られた安定発現細胞株C2/Mrasでは、筋芽細胞に特異的なマーカー(転写因子)であるPax7やMyoDの発現が消失しており、骨格筋細胞の分化条件下でも分化が起こらなかった。一方で、骨細胞の分化条件下においたC2/Mras細胞は容易に骨細胞に分化した。また、M-Rasは骨に顕著に発現していた。このように、M-Rasが筋芽細胞を骨芽細胞に変換させる機能をもち、骨形成において重要な働きをしていることが解明され、骨芽細胞や骨細胞への決定転換または分化転換作用を有することが確認された。
【発明を実施するための最良の形態】
【0007】
本発明方法においては、筋芽細胞又は繊維芽細胞におけるM-Rasの活性を増大させることによる、骨芽細胞又は骨細胞への分化に関わる転写因子又は分子マーカーの発現を促進させ、骨芽細胞又は骨細胞へ決定転換又は分化転換させ、該細胞の石灰化(骨基質蛋白質の産生)、筋細胞分化に関わる転写因子の発現を阻害し、及び/又は、筋細胞分化を阻害する等の様々な作用を奏効することができる。
【0008】
ここで「M-Ras」とは、非特許文献1に記載されているように、Rasファミリー蛋白質であり、その一例として、ラット由来のM-Ras遺伝子(DDBJ Accession #: D89863)の塩基配列(配列番号15)及び該塩基配列がコードするアミノ酸配列(配列番号16)、並びに、マウス由来のM-Ras遺伝子(DDBJ Accession #: AB004879)の塩基配列(配列番号17)及び該塩基配列がコードするアミノ酸配列(配列番号18)を示す。その他、ヒト由来のM-Ras(R-Ras3)(Kimmelman, A., Tolkacheva, T., Lorenzi, M. V., Osada, M., and Chan, A. M.-L. (1997) Oncogene 15: 2675-2685: DDBJ DNA Accession #: AF022080)も含まれる。
【0009】
更に、本発明における「M-Ras」をコードするDNA(ゲノムDNA及びcDNA)には、上記の具体的な塩基配列からなるDNAの他に、上記DNA(又は、それらに対応するcDNA)と相補的な塩基配列からなるDNAとストリンジェントな条件下でハイブリダイズするDNA、及び上記DNAと約80%以上、好ましくは約95%以上である配列相同性を示す塩基配列からなるDNAであって、実質的にM-Rasの少なくとも一つの作用を有する蛋白質をコードするDNAが含まれる。M-Ras(遺伝子)の由来にも特に制限はなく、例えば、上記のような、ラット、マウス及びヒト等の哺乳動物由来のものが含まれる。
【0010】
ここで、ハイブリダイゼーションは、例えば、Molecular cloninng third.ed.(Cold Spring Harbor Lab.Press,2001)、又は、カレント・プロトコールズ・イン・モレキュラー・バイオロジー(Current protocols in molecular biology(edited by Frederick M. Ausubel et al.,1987)に記載の方法等、当業界で公知の方法あるいはそれに準じる方法に従って行うことができる。また、市販のライブラリーを使用する場合、添付の使用説明書に記載の方法に従って行うことができる。
【0011】
本明細書において、「ストリンジェントな条件下」とは、例えば、温度60℃〜68℃において、ナトリウム濃度15〜900mM、好ましくは15〜600mM、さらに好ましくは15〜150mM、pH6〜8であるような条件を挙げることができる。
【0012】
従って、上記の配列番号で表される塩基配列を含むDNAと相補的な塩基配列からなるDNAとストリンジェントな条件下でハイブリダイズできるDNAとしては、例えば、該DNAの全塩基配列との相同性の程度が、全体の平均で、約80%以上、好ましくは約95%以上、更に好ましくは99%以上である塩基配列を含有するDNA等を挙げることができる。
【0013】
このようなDNAは、例えば、非特許文献1及び本明細書に開示の塩基配列情報等に基づき調製した適当なプライマーを用いてPCR等により取得することが可能である。また、本発明のDNAは当業者に公知の任意の方法によって化学合成することも可能である。
【0014】
又、本発明の「M-Ras」は、上記の配列番号で表されるアミノ酸配列からなる蛋白質に加えて、このようなアミノ酸配列において、1個若しくは数個のアミノ酸が欠失、置換、若しくは付加されたアミノ酸配列(上記アミノ酸配列と配列相同性を有するアミノ酸配列)からなり、実質的にM-Rasの少なくとも一つの作用を有する蛋白質も含まれる。
【0015】
2つの塩基配列又はアミノ酸配列における配列相同性を決定するために、配列は比較に最適な状態に前処理される。例えば、一方の配列にギャップを入れることにより、他方の配列とのアラインメントの最適化を行う。その後、各部位におけるアミノ酸残基又は塩基が比較される。第一の配列におけるある部位に、第二の配列の相当する部位と同じアミノ酸残基又は塩基が存在する場合、それらの配列は、その部位において同一である。2つの配列における配列相同性は、配列間での同一である部位数の全部位(全アミノ酸又は全塩基)数に対する百分率で示される。
【0016】
上記の原理に従い、2つの塩基配列又はアミノ酸配列における配列相同性は、例えば、Karlin及びAltschulのアルゴリズム(Proc.Natl.Acad.Sci.USA 87:2264−2268、1990及びProc.Natl.Acad.Sci.USA 90:5873−5877、1993)により決定される。このようなアルゴリズムを用いたBLASTプログラムやFASTAプログラムは、主に与えられた配列に対し、高い配列相同性を示す配列をデータベース中から検索するために用いられる。これらは、例えば、米国National Center for Biotechnology Informationのインターネット上のウェブサイトにおいて利用可能である。
【0017】
上記のような塩基配列の配列相同性又はコードするアミノ酸配列の配列相同性を示すようなDNAは、上記のようにハイブリダイゼーションを指標に得ることもでき、ゲノム塩基配列解析等によって得られた機能未知のDNA群又は公共データベースの中から、当業者が通常用いている方法により、例えば、前述のBLASTソフトウェアを用いた検索により発見することも可能である。
【0018】
「骨細胞又は骨芽細胞への分化に関わる転写因子」及び「骨細胞又は骨芽細胞への分化に関わる分子マーカー」には当業者に公知の任意のものが含まれ、夫々、例えば、Runx2及びosterix、並びに、osteopontin、ALP、及びコラーゲン1α2を挙げることができる。尚、本明細書において「骨芽細胞(osteoblast)」には「前骨芽細胞(preosteoblast)」も含まれる。
【0019】
又、「筋細胞分化に関わる転写因子(筋特異的転写因子)」には当業者に公知の任意のものが含まれ、例えば、myogenin、MyoD及びPax7を挙げることができる。
【0020】
筋芽細胞又は繊維芽細胞におけるM-Rasの活性を増大させる為の方法・手段に特に制限はなく、M-Rasの活性を有意に増大させ、本発明方法の上記作用を奏効することができる限り、当業者に公知の任意のものを用いることができる。
【0021】
例えば、当業者に公知の任意のM-Rasの恒常的活性変異体で筋芽細胞又は繊維芽細胞を形質転換させ、該恒常的活性変異体を安定的に発現させることによってM-Rasの活性を増大させることが可能である。このような恒常的活性変異体の一例として、本明細書の実施例に記載されたM-Ras(G22V)のような点突然変異体を挙げることができる。尚、M-Ras(G22V)のcDNAはMatsumoto et al. (1997)の記載に基づき調製することができる。
【0022】
上記の形質転換は、例えば、該恒常的活性変異体をコードする遺伝子(核酸分子)が発現可能に結合された適当な組換え用ベクターを用いて当業者に公知の任意の方法で容易に行うことができる。
【0023】
ここで、「組換えベクター」とは、プラスミド、またはウイルスを含む。一般的には、組換えベクターは、複製開始点、プロモータ等の発現調節配列、及び、その組換えベクターが細胞に導入されたときに選択を許容する特別な遺伝子等を含んでいる。本発明のために適切なベクターとしては、哺乳動物細胞システム用には、pMSXND発現ベクター、レトロウイルスベクター、及びアデノウイルスベクター等が含まれる。また、当業者であれば、本発明の実施のために、これら以外の適当なベクターを極めて容易に選択することができる。
【0024】
又、「発現可能」とは、所定のアミノ酸配列をコードした核酸分子(DNA)が、所定の条件下で、そのアミノ酸配列を有するタンパク質を発現させる能力を有するという意味である。所定のアミノ酸配列をコードしたDNAが発現可能に結合されていると、そのDNAは所定の条件下で、所定のタンパク質を発現するということになる。具体的には、そのDNAは、ベクター中で発現調節配列に結合されている。ここで、「発現調節配列」とは、他の核酸配列の発現を調節する核酸配列のことを意味しており、他の核酸配列の転写、及び、好ましくは翻訳をも制御及び調節する。発現調節配列には、適当なプロモータ、エンハンサ、転写ターミネータ、タンパク質をコードする遺伝子における開始コドン(すなわちATG)、イントロンのためのスプライシングシグナル、ポリアデニル化部位、及びストップコドン等が含まれる。
【0025】
「プロモータ」とは、転写を行うために必要最小限な配列のことを意味している。プロモータには、細胞タイプ特異的、組織特異的、または外部からの信号や調節剤によってプロモータ依存的に遺伝子の発現を制御するプロモータ要素も含まれる。プロモータ要素は、発現されるDNAの5'領域、または3'領域のいずれかに結合される。また、プロモータには、恒常的(構成的)又は誘導的なもののいずれも含まれるが、該恒常的活性変異体を安定的に発現させて本発明の効果をより有効に得るためには、恒常的プロモータが好ましい。
【0026】
哺乳動物細胞において発現ベクターを作製する場合には、哺乳動物細胞由来のプロモータ(例えば、メタロチオネインプロモータ)や、哺乳動物ウイルス由来のプロモータ(例えば、レトロウイルスの末端反復配列(LTR)、アデノウイルス後期プロモータ、ワクシニアウイルス7.5Kプロモータ等)等が使用できる。
【0027】
尚、筋芽細胞又は繊維芽細胞への上記の組換えベクターの導入は当業者に公知の任意の方法で行うことができる。例えば、リン酸カルシウム法、マイクロインジェクション、エレクトロポレーション、リポソーム、ウイルスベクター、各種のトランスフェクション試薬等によって、所望のDNAを導入することができる。
【0028】
或いは、M-Rasを活性化させる化学物質又はM-Rasの発現を誘導する物質を筋芽細胞又は繊維芽細胞に作用させることによって該細胞における内因性M-Rasの活性を増大させることも可能である。尚、このような物質は、本発明のスクリーニング方法を用いて容易に同定することができる。
【0029】
更に、M-Ras自体に変異を起こさせたり、M-Rasの活性を直接に増大させるのではなく、M-Rasに作用してその活性を調節している様々な因子(M-Ras活性制御タンパク質)の活性を変化させることによって、結果的に、筋芽細胞又は繊維芽細胞における内因性M-Rasの活性を増大させることも可能である。
【0030】
例えば、RasGRF及びRasGRPのようなグアニンヌクレオチド交換因子(GEF)の活性を増加させること、又は、p120 RasGAP及びNF-1のようなGTPase活性化蛋白質(GAP)の活性を低下させることによって、M-Rasの活性を増大させることが可能である。
【0031】
このような各種因子タンパク質の活性の制御は、結果として、M-Rasの活性を有意に増大させ、本発明方法の上記作用を奏効することができる限り、当業者に公知の任意の方法・手段で行うことが出来る。
【0032】
例えば、遺伝子工学(ゲノム工学)的方法としては、遺伝子ターゲッティング技術によって、GAP遺伝子をノックアウトさせたり、各種の遺伝子変異導入法によって該遺伝子に突然変異等を導入させることにより、該遺伝子の欠損又は変異による機能障害等を生じさせ、その結果、GAPの活性を低下させることが出来る。
【0033】
或いは、GAP遺伝子の発現を抑制することによってGAP機能の抑制をすることが可能である。このような発現の抑制は、転写及び翻訳等の任意の各段階で実施することが可能である。
【0034】
例えば、転写レベルでの抑制にはGAP遺伝子(DNA又はmRNA)を標的とするsiRNA等のRNA干渉(RNAi)を誘導する核酸配列(該遺伝子の部分塩基配列に特異的な配列を有する一本鎖RNA又は二本鎖RNA)による遺伝子ノックダウン、アンチセンスRNA、又は各種のリボザイム等を用いる方法を挙げることが出来る。
【0035】
又、転写レベルで抑制するには、GAP遺伝子の発現調節領域を操作することによって転写反応が正常に行われないようにすることも可能である。
【0036】
更に、GEF又はGAPに対する促進剤又は阻害剤のような適当な薬剤を筋芽細胞又は繊維芽細胞に作用させることによって、その結果、M-Rasの活性を増大させることが可能である
【0037】
既に記載したように、筋芽細胞又は繊維芽細胞におけるM-Rasの活性を増大させることによって、骨芽細胞又は骨細胞へ決定転換又は分化転換させることが可能であるので、このようなM-Ras活性の変化に基づき、骨芽細胞又は骨細胞へ決定転換又は分化転換させる物質をスクリーニングすることが可能である。
【0038】
従って、本発明は、筋芽細胞又は繊維芽細胞におけるM-Ras活性の変化に基づき、骨芽細胞又は骨細胞へ決定転換又は分化転換させる物質をスクリーニングする方法にも係る。本発明のスクリーニング方法の一例として、例えば、以下の工程:
(a) 被検物質と筋芽細胞又は繊維芽細胞を接触させる工程、
(b)該細胞におけるM-Ras活性を検出する工程、及び
(c)該活性を増大させる物質を選択する工程、を含む方法を挙げることが出来る。
【0039】
該スクリーニング方法において、M-Ras活性の変化(増大)は、当業者に公知の任意の方法で、転写及び翻訳等の任意の各段階におけるM-Ras遺伝子発現の増大の程度を測定することによって、直接に検出することが可能である。又は、既に記載したような、筋芽細胞又は繊維芽細胞におけるM-Ras活性の増大によって得られる様々な作用を検出することによって、間接的にM-Ras活性の変化・増大を検出することが可能である。
【0040】
例えば、本発明のスクリーニング方法において、M-Rasの発現量はそれをコードするmRNAの量により測定することも可能である。このようなmRNAの測定はM-Rasをコードする遺伝子(DNA)の塩基配列に基づき適宜設計したプライマーを使用したRT−PCR法等の各種定量的PCR法、並びにマイクロアレイ(DNAチップ)法等の当業者に公知の方法で行うことが出来る。
【0041】
本発明のスクリーニング方法に使用されるキットは、M-Ras活性・作用の具体的な検出・測定原理等に応じて、適当な構成をとることが出来る。該キットは、例えば、本発明の蛋白質を特異的に認識する抗体から成る試薬、又は、上記のmRNAの測定の為の、上記遺伝子の増幅用プライマー及びハイブリダイゼーション用のプローブを含むことが出来る。これらは、その用途に応じて、適当な長さ、例えば、10〜100個の連続した塩基配列から成る。
【0042】
以上のキットに構成要素として含まれる、各種のプライマー、プローブ、又は、抗体は、当業者に公知の任意の放射性物質、蛍光物質、色素等の適当な標識物質によって標識されていても良い。更に、上記キットには、その構成・使用目的などに応じて、当業者に公知の他の要素又は成分、例えば、各種試薬、酵素、緩衝液、反応プレート(容器)等が含まれる。
【0043】
尚、本発明の各種方法及びスクリーニングにおいて使用する、筋芽細胞又は繊維芽細胞、例えば、マウス筋芽細胞C2C12(ATCC Accession CRL-1772)等の骨格筋筋芽細胞のような、マウス及びヒト等の哺乳類を含む当業者に公知の任意の動物細胞由来のものが含まれる。更に、本発明の方法はインビボ又はインビトロで可能であり、インビトロで実施する際には、例えば、本明細書の実施例に記載の骨細胞誘導培地等の当業者に公知の適当な分化誘導培地を使用して、適当な任意の条件下で筋芽細胞又は繊維芽細胞を培養することが好ましい。
【0044】
以下、本発明を実施例によって詳細に説明するが、本発明の技術的範囲は以下の実施例の記載によって何ら限定して解釈されるものではない。又、特に記載のない場合には、以下の実施例は、例えば、Sambrook and Maniatis, in Molecular Cloning-A Laboratory Manual, Cold Spring Harbor Laboratory Press, New York, 1989; Ausubel, F. M. et al., Current Protocols in Molecular Biology, John Wiley & Sons, New York, N.Y, 1995等に記載されている、当業者に公知の標準的な遺伝子工学及び分子生物学的技術に従い、実施することが出来る。又、本明細書中に引用された文献の記載内容は本明細書の開示、及び、内容の一部を構成するものである。
【0045】
材料と方法
(1)細胞培養
Abe, T. et al. (2003) J. Cell Sci. 116: 155-168の記載に従い、マウス骨格筋細胞株C2C12細胞は10%牛胎児血清 (FBS) を含むDulbecco’s modified Eagle’s (DME) 培地中で、6% CO2存在下、37℃で培養した。筋細胞分化を誘導するために10% FBSを含むDME培地 (増殖培地) 中で12時間培養した後、筋細胞分化培地 (5% ウマ血清を含むDME培地) に交換し72時間培養した。脂肪細胞分化を誘導する場合には、4×104個/mlの密度で細胞をまき、48時間培養した。その後、脂肪細胞誘導培地 (10 μg/ml insulin, 1 μM dexamethasone, 0.1 mM indomethacin, 0.5 mM isobutylmethylxanthineを含む増殖培地) に交換し、48時間培養した後、脂肪細胞維持培地 (10 μg/ml insulinを含む増殖培地) に交換し、24時間培養を行った。この培地交換を合計3サイクル行った。その後は48時間ごとに培地交換を行いながら、脂肪細胞維持培地中で7日間培養した。骨細胞分化を誘導する場合には、4×104個/mlの密度で細胞をまき、48時間培養した。その後、骨細胞誘導培地 (0.1 μM dexamethasone, 50 μM L-ascorbic acid, 10 mM β-glycerophosphateを含む増殖培地) 中で48時間おきに培地交換を行いながら8-21日間培養した。
【0046】
(2)安定発現細胞株の作製
恒常的活性変異体M-Ras(G22V)(Matsumoto et al., 1997)及びH-Ras(G12V)(Sun et al., 2006)cDNAをpCMV/Mycベクター(Matsumoto et al., 1997)にそれぞれ挿入し、pCMV/Myc-MrasとpCMV/Myc-Hrasを構築した。C2C12細胞へのトランスフェクションはFuGENE6 transfection reagent (Roche) を用いて行った。トランスフェクションから72時間後に、800 μg/ml G418を含む増殖培地に交換し14日間培養し、安定に発現している細胞を選択した。
【0047】
(3)免疫蛍光顕微鏡法
細胞を4% パラホルムアルデヒド/PBSで15分間固定し、0.1% Triton X-100/PBSで5分間透過処理をした後に、一次抗体を室温で1時間反応させた。一次抗体として次の抗体を用いた:抗Mycモノクローナル抗体 (mAb) Myc1-9E10 (American Type Culture Collection, ATCC)、 抗Pax7 mAb (Developmental Studies Hybridoma Bank, DSHB)、抗myogenin mAb F5D (DSHB)。核はHoechst 33258で染色した。一次抗体を反応させた後、PBSで洗浄し、二次抗体 [Alexa 488標識抗マウスIgG (Molecular Probes)] を室温で1時間反応させた。その後、PBSで洗浄し、封入して、蛍光顕微鏡Zeiss Axioskopで観察した。
【0048】
(4)イムノブロッティング
SDS-PAGEを行った蛋白質をImmobilon PVDF membrane (Millipore) に転写した。転写後の膜をblocking buffer (5% スキムミルク、0.1% Tween 20を含むTBS) 中で4℃で一晩ブロッキングした後に、一次抗体 [抗Myc mAb、抗myogenin mAb、抗β-tubulin mAb E7、または抗M-Rasポリクローナル抗体 (pAb)] を室温で1時間反応させた。次に、0.2% Tween 20/TBS (0.5 M NaCl, 50 mM Tris-HCl, pH 8.0) で洗浄し、二次抗体 [horseradish peroxidase標識抗マウスIgG (Bio-Rad)] を室温で1時間反応させた。洗浄後、免疫反応をWestern Lightning Chemiluminescence Reagent Plus (PerkinElmer LAS) を用いて検出した。
【0049】
(5)脂肪細胞分化と骨細胞分化の染色による検出
Oil Red O染色 :細胞を10% ホルマリン/PBSで10分間固定した後に、0.3% Oil Red O/60% isopropanolで10分間室温で染色した。水で3回洗浄した後、封入して、顕微鏡で観察した。
【0050】
アルカリフォスファターゼの活性染色と活性測定:細胞を4% パラホルムアルデヒド/PBS, 2 mM MgCl2, 1.25 mM EDTAで10分間固定した。その後、X-Phos/NBT detection buffer (100 mM Tris-HC, pH 9.5, 100 mM NaC, 50 mM MgCl2) 中に10分間静置した後、0.1 mg/ml 5-bromo-4-chloro-3-indolyl phosphate (BCIP) p-toluidine salt, 1 mg/ml nitro blue tetrazolium chloride (NBT) を含むX-Phos/NBT detection buffer中で室温で1時間反応させた。水で3回洗浄した後、封入して、顕微鏡で観察した。抽出液中に含まれるアルカリフォスファターゼの活性はALP kit (和光純薬) を用いて測定した。抽出液の蛋白質濃度はBradford法により測定した。
【0051】
von Kossa染色:細胞を10% formalin/PBS中で10分間固定し、水で3回洗浄した。その後、5% AgNO3を加え1時間紫外線を照射した。水で3回洗浄した後、5% Na2SO3で2分間処理をして反応を停止した。
【0052】
(6)半定量的RT-PCRとリアルタイムPCR
細胞からの細胞質RNAの調製はVRC法で行った (Endo, T. and Nadal-Ginard, B. (1987) Cell 49: 515-526)。調製した各RNA 2μgからOmmniscript Reverse Transcriptase (Qiagen) を用いて逆転写反応を行いcDNAプールを作製した。半定量的RT-PCRに用いるcDNA poolの作製にはoligo(dT) プライマーを、リアルタイムPCRに用いるcDNAプールの作製にはランダムプライマーを用いた。作製したcDNA poolを鋳型として半定量的RT-PCRを行った。鋳型cDNAサンプル間の量は、glyceraldehyde 3-phosphate dehydrogenase (GAPDH) のRT-PCRの結果を基に調節した。半定量的RT-PCRに用いたプライマーは次のとおりである。
【0053】
GAPDHセンスプライマー (SP): 5’-GTGAAGGTCGGTGTGAACGG-3’(配列番号1)
GAPDHアンチセンスプライマー (ASP): 5’-GATGCAGGGATGATGTTCTG-3’ (配列番号2)
PPARγ SP: 5’-TTGCTGAACGTGAAGCCCATCGAG-3’ (配列番号3)
PPARγ ASP: 5’-GTCCTTGTAGATCTCCTGGAGCAG-3’ (配列番号4)
Runx2 SP: 5’-CAAGTAGCCAGGTTCAACGATC-3’ (配列番号5)
Runx2 ASP: 5’-GTAAGACTGGTCATAGGACCAC-3’ (配列番号6)
Osteopontin SP: 5’-CTGCTAGTACACAAGCAGACAC-3’ (配列番号7)
Osteopontin ASP: 5’-GACTATCGATCACATCCGACTG-3’ (配列番号8)
Alkaline phosphatase SP: 5’-CTCCATGGTAGATTACGCTCAC-3’ (配列番号9)
Alkaline phosphatase ASP: 5’-GCAGATAGCGAACTTCTGTTCC-3’ (配列番号10)
Collagen 1 α2 SP: 5’-CTCTACTGGTGAAACCTGCATC-3’ (配列番号11)
Collagen 1 α2 ASP: 5’-CAACCTCCACACGGAATTCTTG-3’ (配列番号12)
Osterix SP: 5’-GATAGTGGAGACCTTGCTCGTAG-3’ (配列番号13)
Osterix ASP: 5’-GAGGTCACAGGGTATGAGAAGAG-3’ (配列番号14)
【0054】
リアルタイムPCRは、TaqMan Universal PCR Master MixとAssays-on-Demand Gene Expression Probes (Applied Biosystems) を用いて、Applied Biosystems 7300 Real-Time PCR Systemで行った。
【0055】
結果
1.骨格筋細胞におけるM-Rasの機能を調べる目的で、マウス骨格筋細胞株C2C12筋芽細胞に、Myc-tagを付加した恒常的活性変異体M-Ras(G22V) cDNAをトランスフェクトして、安定発現細胞株を3つ樹立した (C2/Mras1, 2, 3)。また比較のために、Myc-tagを付加したH-Ras (classical Rasの一つ) の恒常的活性変異体H-Ras(G12V) の安定発現細胞株を2つ (C2/Hras1、 2) 並びにpCMV/Mycベクターの安定発現細胞株 (C2/vector) を樹立した。抗Myc mAbを用いたイムノブロッティングにより、C2/MrasおよびC2/Hrasの各細胞株において、M-Ras(G22V) とH-Ras(G12V) がそれぞれ高いレベルで発現していることが確認された (図1)。
【0056】
2.次に、M-Ras(G22V) およびH-Ras(G12V) が骨格筋細胞分化をどのように制御しているかをみるために、C2/MrasとC2/Hras細胞における骨格筋細胞分化の様子を、筋特異的転写因子myogeninの発現を指標に解析した。Myogeninは筋細胞分化に不可欠な一群の筋特異的遺伝子の発現にかかわっている転写因子である (Pownall, M. E., Gustafsson, M. K., and Emerson, C. P., Jr. (2002) Annu.Rev. Cell Dev. Biol. 18: 747-783)。筋細胞分化培地に72時間おいた細胞におけるmyogeninの発現を、抗myogenin mAbを用いた免疫蛍光顕微鏡法とイムノブロッティングにより検出した (図2)。C2C12細胞とC2/vector細胞では最終分化が起こり、細胞融合により多核の筋管細胞が形成された。これらのほとんどの細胞の核にmyogeninの発現がみられた。それに対し、C2/MrasとC2/Hras細胞ではいずれも、筋管細胞形成とmyogeninの発現がまったく起こらなかった (図2A)。C2C12細胞とC2/vector細胞ではmyogeninが高く発現しているが、C2/MrasとC2/Hras細胞ではその発現が阻害されていることは、イムノブロッティングによっても示された (図2B)。これらの結果から、M-RasとH-Rasの恒常的活性変異体はいずれもmyogeninの発現と骨格筋細胞分化を阻害することが明らかになった。
【0057】
3.更に、M-Ras(G22V) やH-Ras(G12V) を発現しているC2C12細胞では、未分化筋芽細胞の状態が維持されているのか、それとも筋芽細胞の状態は消失しているのかを検討した。MyoDは筋前駆細胞 (筋幹細胞) や衛星細胞から筋芽細胞への決定を引き起こす転写因子である (Pownall et al., 2002)。増殖培地で培養中の各未分化細胞におけるMyoDの発現量をリアルタイムPCRで解析した。C2C12細胞とC2/vector細胞ではほぼ同程度のMyoDの発現がみられたのに対し、C2/MrasとC2/Hras細胞ではいずれもMyoDの発現はほとんど検出されなかった (図3A)。そこで次に、M-Ras(G22V) やH-Ras(G12V) を発現しているC2C12細胞では、衛星細胞の状態が維持されているのか、それとも衛星細胞の状態も消失しているのかを検討した。Pax7は筋前駆細胞 (筋幹細胞) に衛星細胞の状態を誘導する転写因子である (Seale, P., Sabourin, L. A., Girgis-Gabardo, A., Mansouri, A., Gruss, P., and Rudnicki, M. A. (2000) Cell 102: 777-786)。増殖培地で培養中の各未分化細胞におけるPax7の発現を免疫蛍光顕微鏡法により検出した。C2C12細胞とC2/vector細胞では核にPax7の発現がみられたのに対し、C2/MrasとC2/Hras細胞ではいずれもPax7の発現は検出されなかった (図3B)。これらの結果から、M-RasとH-Rasの恒常的活性変異体はいずれもC2C12細胞の筋芽細胞の状態だけでなく衛星細胞の状態も消失させていると考えられる。そのためこれらの恒常的活性変異体を発現させたC2C12細胞では分化条件下でもmyogeninの発現がみられず、分化が起こらなかったものと考えられる。
【0058】
4.そこで、M-Ras(G22V) とH-Ras(G12V) がC2C12筋芽細胞を骨格筋細胞と同じ間葉系の脂肪芽細胞や骨芽細胞に変換している可能性について検討した。まず脂肪芽細胞に変換している可能性について検討するために、各細胞を脂肪細胞誘導培地さらに脂肪細胞維持培地中で16日間培養した。衛星細胞や間葉系前駆細胞 (幹細胞) はこの条件下で脂肪細胞に分化して、脂肪細胞特異的遺伝子の転写因子であるperoxisome proliferator-activated receptor γ (PPARγ) の発現が上昇し、Oil Red Oで染色される脂肪粒が形成される (Madsen, L., Petersen, R. K., and Kristiansen, K. (2005) Biochim. Biophys. Acta 1740: 266-286)。しかし解析したいずれの細胞においても、Oil Red Oで染色される脂肪粒の形成はみられなかった (図4A)。また16日間の培養の前後でPPARγの発現の上昇もみられなかった (図4B)。したがって、M-RasとH-Rasの恒常的活性変異体はC2C12筋芽細胞に脂肪芽細胞への変換を引き起こさないことが示された。
【0059】
5.次に、M-Ras(G22V) とH-Ras(G12V) がC2C12筋芽細胞を骨芽細胞に変換している可能性について検討した。間葉系前駆細胞から骨細胞への分化を制御する因子と分化マーカーは図5に示してある (Franz-Odendaal, T. A., Hall, B. K., and Witten, P. E. (2006) Dev. Dynam. 235: 176-190; Komori, T. (2006) J. Cell. Biochem. 99: 1233-1239)。これらの分化マーカーのうち、アルカリフォスファターゼ (ALP) は骨芽細胞の分化マーカーとして広く用いられている。各細胞を骨細胞誘導培地中で8日間培養し、ALPの発現をみるためにその活性染色を行った。C2/Mras細胞はいずれも強く染色されたが、C2/Hras細胞はC2C12やC2/vector細胞と同様にほとんど染色されなかった (図6A)。さらにALP活性をp-ニトロフェニルリン酸塩を基質として測定した。C2/Mras細胞にはいずれも高いALP活性がみられたが、C2/Hras細胞にはC2C12やC2/vector細胞と同様にほとんど活性はみられなかった (図6B)。したがって、M-Rasの恒常的活性変異体はC2C12筋芽細胞に前骨芽細胞や骨芽細胞への変換を引き起こすが、H-Rasの恒常的活性変異体は前骨芽細胞や骨芽細胞への変換を引き起こさない可能性が示された。
【0060】
6.更に、骨細胞誘導培地中で8日間培養した各細胞において、骨細胞分化にかかわる転写因子Runx2とosterix、および骨芽細胞の分化マーカーであるosteopontin (OPN)、ALP、コラーゲン1α2の発現をRT-PCRで解析した (図7)。C2/Mras細胞にはいずれもこれらの転写因子と分化マーカーの発現がみられたが、C2C12やC2/vector細胞にはほとんど発現がみられなかった。またC2/Hras細胞にはRunx2とOPNの発現がみられたが、他の転写因子や分化マーカーの発現はほとんどみられなかった。これらの結果も、M-Rasの恒常的活性変異体はC2C12筋芽細胞に前骨芽細胞や骨芽細胞への変換を引き起こすということを支持している。
【0061】
7.骨芽細胞は成熟に伴い骨基質蛋白質を盛んに産生するようになり、そこにリン酸カルシウム等の結晶が沈着し、石灰化が起こる (図5)。この石灰化が起こっているかどうかをみるために、各細胞を骨分化誘導培地中で21日間培養した後、von Kossa染色によりカルシウムの沈着を検出した (図8)。C2/Mras細胞ではいずれもカルシウムの沈着がみられたが、他の細胞にはみられなかった。したがってM-Rasの恒常的活性変異体はC2C12筋芽細胞に骨芽細胞への変換を誘導し、さらに骨細胞への分化を通して石灰化を引き起こすことが示された。
【0062】
8.M-Rasが生体内で骨形成にかかわっている可能性を検討するために、骨におけるM-Rasの発現量を抗M-Ras pAbを用いてイムノブロッティングにより解析した。M-Rasは脳に高く発現している (Matsumoto et al., 1997)。しかしマウス大腿骨には脳よりもさらに高いレベルのM-Ras蛋白質が存在していた。また骨髄を除いた大腿骨と骨髄を比較すると、骨髄を除いた大腿骨におもに存在していることが明らかになった (図9)。これらの結果から、骨形成や骨における機能の制御にM-Rasが深く関与している可能性が示された。
【産業上の利用可能性】
【0063】
本発明によって、M-Rasは筋芽細胞あるいは線維芽細胞を骨芽細胞や骨細胞に決定転換又は分化転換させる機能をもっているとともに、骨形成に重要な働きをしていることが判明した。M-Rasのこの機能を利用して、生体から容易に採取することが可能な筋芽細胞や線維芽細胞を培養系で骨芽細胞に変換させ、これらの細胞を骨に移植する。あるいはM-Rasの発現を誘導する薬剤や、M-Rasを活性化する薬剤を作用させることにより骨形成を促す。このようにして形成された骨を利用して、骨折や老化・病気などによる骨の退化、あるいは骨粗しょう症等の骨障害の治療に応用が可能であると考えられる。
【図面の簡単な説明】
【0064】
【図1】C2C12細胞のM-Ras(G22V) およびH-Ras(G12V) 安定発現細胞株。C2C12、C2/vector、C2/Hras、およびC2/Mras細胞におけるMyc-M-Ras(G22V) とMyc-H-Ras(G12V) の発現を抗Myc mAbを用いたイムノブロッティングで検出した (上段)。各サンプルの蛋白質量はβ-tubulinの発現量で標準化した (下段)。夫々、電気泳動の結果を示す写真である。
【図2】M-Ras(G22V) およびH-Ras(G12V) によるmyogeninの発現の抑制。C2C12、C2/vector、C2/Hras、およびC2/Mras細胞を筋細胞分化培地中に72時間おいた。これらの細胞における筋特異的転写因子myogeninの発現を、抗myogenin mAbを用いた免疫蛍光顕微鏡法 (A) とイムノブロッティング (B) で検出した。(A) 位相差像と抗myogenin mAbによる蛍光染色像(スケールバー 100μm)。(B) Myogeninの発現量 (上段)、Myc-M-Ras(G22V) とMyc-H-Ras(G12V) の発現量 (中段)、および蛋白質量の標準化に用いたβ-tubulinの発現量 (下段)。電気泳動の結果を示す写真である。
【図3】M-Ras(G22V) およびH-Ras(G12V) によるMyoDとPax7の発現の抑制。(A) C2C12、C2/vector、C2/Hras、およびC2/Mras未分化細胞におけるMyoDの発現。リアルタイムPCRで解析した。C2C12細胞におけるMyoDの発現量を1とした場合の平均値 ± 標準偏差。(B) C2C12、C2/vector、C2/Hras、およびC2/Mras未分化細胞におけるPax7の発現。Hoechst 33258による核の染色 (左)、抗Pax7 mAbによる免疫蛍光染色 (中)、およびそれらの合成像 (右)(スケールバー 20μm)。
【図4】M-Ras(G22V) やH-Ras(G12V) はC2C12細胞に脂肪芽細胞への変換を引き起こさない。(A) Oil Red O染色による脂肪細胞分化の検出。C2C12、C2/vector、C2/Hras、およびC2/Mras細胞を脂肪細胞分化条件下で16日間培養し、Oil Red Oで染色した(スケールバー 100μm)。(B) PPARγの発現上昇による脂肪細胞分化の検出。脂肪細胞分化条件下で16日間培養する前後 (0, 16 days) の細胞におけるPPARγの発現をRT-PCRで解析した。電気泳動の結果を示す写真である。
【図5】間葉系前駆細胞から骨細胞への分化を制御する因子と分化マーカーを示す。
【図6A】M-Ras(G22V) はC2C12細胞に骨芽細胞の分化マーカーであるアルカリホファターゼの発現を誘導した後の、アルカリホファターゼ (ALP) の活性染色(スケールバー 100μm)。
【図6B】M-Ras(G22V) はC2C12細胞に骨芽細胞の分化マーカーであるアルカリホファターゼの発現を誘導した後のALP活性。
【図7】M-Ras(G22V) はC2C12細胞に骨芽細胞の分化誘導転写因子と分化マーカーの発現を誘導する。各細胞を骨細胞誘導培地中で8日間培養し、骨細胞分化にかかわる転写因子Runx2とosterix、骨芽細胞の分化マーカーであるosteopontin (OPN)、ALP、コラーゲン1α2の発現をRT-PCRで解析した。電気泳動の結果を示す写真である。
【図8】M-Ras(G22V) はC2C12細胞に石灰化を誘導する。各細胞を骨細胞誘導培地中で21日間培養し、von Kossa染色によりカルシウムの沈着を検出した(スケールバー 100μm)。
【図9】M-Rasは骨に高いレベルで存在している。マウス脳、大腿骨全体、骨髄を除いた大腿骨、骨髄におけるM-Rasの蛋白質量を抗M-Ras pAbを用いてイムノブロッティングで解析した。下段は蛋白質量の標準化に用いたβ-tubulinの発現量。電気泳動の結果を示す写真である。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
筋芽細胞又は繊維芽細胞におけるM-Rasの活性を増大させることによる、骨芽細胞又は骨細胞へ決定転換又は分化転換させる方法。
【請求項2】
筋芽細胞又は繊維芽細胞におけるM-Rasの発現を増大させることによる、骨芽細胞又は骨細胞への分化に関わる転写因子又は分子マーカーの発現を促進させる方法。
【請求項3】
転写因子がRunx2及び/又はosterixである、請求項2記載の方法。
【請求項4】
分子マーカーがosteopontin、ALP、及び/又はコラーゲン1α2である、請求項2記載の方法。
【請求項5】
筋芽細胞又は繊維芽細胞におけるM-Rasの活性を増大させることによる、該細胞の石灰化を誘導する方法。
【請求項6】
筋芽細胞又は繊維芽細胞におけるM-Rasの活性を増大させることによる、筋細胞分化を阻害する方法。
【請求項7】
筋芽細胞又は繊維芽細胞におけるM-Rasの活性を増大させることによる、筋細胞分化に関わる転写因子の発現を阻害する方法。
【請求項8】
転写因子がmyogenin、MyoD及び/又はPax7である、請求項7記載の方法。
【請求項9】
M-Rasの恒常的活性変異体で筋芽細胞又は繊維芽細胞を形質転換させ、該恒常的活性変異体を安定的に発現させることによってM-Rasの活性を増大させる、請求項1〜8のいずれか一項に記載の方法。
【請求項10】
恒常的活性変異体がM-Rasの点突然変異体である、請求項9記載の方法。
【請求項11】
筋芽細胞又は繊維芽細胞におけるM-Rasを活性化させる化学物質又はM-Rasの発現を誘導する物質を作用させることによってM-Rasの活性を増大させる、請求項1〜8のいずれか一項に記載の方法。
【請求項12】
グアニンヌクレオチド交換因子の活性を増加させることによってM-Rasの活性を増大させる、請求項1〜8のいずれか一項に記載の方法。
【請求項13】
GTPase活性化蛋白質の活性を低下させることによってM-Rasの活性を増大させる、請求項1〜8のいずれか一項に記載の方法。
【請求項14】
筋芽細胞又は繊維芽細胞におけるM-Ras活性の変化に基づき、骨芽細胞又は骨細胞へ決定転換又は分化転換させる物質をスクリーニングする方法。
【請求項15】
請求14に記載のスクリーニング方法であって、以下の工程:
(a) 被検物質と筋芽細胞又は繊維芽細胞を接触させる工程、
(b)該細胞におけるM-Ras活性を検出する工程、及び
(c)該活性を増大させる物質を選択する工程、を含む方法。
【請求項16】
筋芽細胞又は繊維芽細胞がM-Rasの恒常的活性変異体で形質転換され、該恒常的活性変異体を安定的に発現する細胞である、請求項1〜15のいずれか一項に記載の方法。
【請求項17】
筋芽細胞が骨格筋筋芽細胞である、請求項16記載の方法。
【請求項18】
筋芽細胞が哺乳動物由来のものである、請求項17記載の方法。
【請求項19】
筋芽細胞がマウス筋芽細胞C2C12である、請求項18記載の方法。
【請求項20】
請求項14又は15に記載の方法に用いるスクリーニングキット。
【請求項21】
請求項1〜13又は16〜19いずれか一項に記載の方法を用いて骨の形成を促進させる方法。
【請求項22】
請求項21記載の方法で形成された骨。
【請求項23】
請求項22記載の方法で形成された骨を利用する骨傷害の治療方法。

【図1】
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【図2】
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【図5】
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【図6B】
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【図9】
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【図3】
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【図4】
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【図6A】
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【図7】
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【図8】
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【公開番号】特開2008−173025(P2008−173025A)
【公開日】平成20年7月31日(2008.7.31)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2007−7187(P2007−7187)
【出願日】平成19年1月16日(2007.1.16)
【出願人】(304021831)国立大学法人 千葉大学 (601)
【Fターム(参考)】