説明

炭素繊維前駆体アクリル繊維束およびその製造方法、ならびに炭素繊維束の製造方法

【課題】単繊維数を多くしても、操業安定性が良好で、得られる炭素繊維束の機械的特性を向上させることができる炭素繊維前駆体アクリル繊維束を提供する。
【解決手段】本発明の炭素繊維前駆体アクリル繊維束は、総繊度が30000Dtex以上であり、長手方向に対して垂直方向の結晶領域サイズが13nm以上、溶剤含有濃度が0.02〜0.1質量%である。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、総繊度が30000Dtex以上の炭素繊維前駆体アクリル繊維束およびその製造方法、ならびに炭素繊維束の製造方法に関する。
【背景技術】
【0002】
炭素繊維は、他の繊維に比べて高い比強度及び比弾性率を有するため、複合材料用補強繊維として、従来から、スポーツ及び航空・宇宙用途に使用され、近年では、自動車や土木、建築、圧力容器、風車ブレードなどの一般産業用途にも幅広く利用されつつある。
【0003】
炭素繊維としては、ポリアクリルニトリル系炭素繊維束が広く利用されている。該ポリアクリロニトリル系炭素繊維束の製造方法としては、アクリル繊維などからなる炭素繊維前駆体アクリル繊維束(前駆体繊維束)を200〜400℃の酸素存在雰囲気下で加熱処理することにより耐炎化繊維束に転換し(耐炎化工程)、引き続いて1000℃以上の不活性雰囲気下で焼成し、炭素化して(炭素化工程)、炭素繊維束を得る方法が知られている。
【0004】
炭素繊維束の品質や品位、さらには炭素繊維とした際のストランド強度、弾性率等の物性を向上させるためには、繊維束に含まれる残存溶剤濃度をできるだけ小さくすることが重要である。
しかし、アクリロニトリル系重合体を溶解する溶媒としては、アクリロニトリル系重合体に対する親和性に富んだジメチルアセトアミドが使用されており、炭素繊維前駆体アクリル繊維中の残存溶剤濃度を0.1質量%(特に0.05質量%)以下に低下させることが困難であった。
繊維から溶剤を除去するための洗浄方法として、特許文献1には、糸条を10〜90kHzの超音波照射下で洗浄を行う方法が提案されている。また、特許文献2には、ローラー表面に直径5〜10mmの貫通孔が開孔率30〜50%で設けられたバスケットローラーを水浴中で回転させ、バスケットローラー外周部に巻回させ、水を向流させて糸条を洗浄する方法が提案されている。
特許文献1,2に記載の方法では、いずれも残存溶剤濃度が0.005〜0.01質量%と極めて低いアクリル繊維束を得ることが可能である。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0005】
【特許文献1】特開昭61−108715号公報
【特許文献2】特公昭61−22046号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
近年、炭素繊維複合材料の用途・需要拡大に伴い、炭素繊維強化複合材料の生産性を向上する目的で、30000本以上の単繊維の集合体である、いわゆるラージトウと称される炭素繊維束の需要が高まっている。
しかしながら、特許文献1,2に記載の溶剤除去方法は、単繊維数が12000本以下のレギュラートウに対しての方法であり、総単繊維数が30000本を超える太物繊維束(ラージトウ)に対しては適用が困難であった。
すなわち、ラージトウのアクリル繊維束の残存溶剤濃度を低下させるために、洗浄水を大量にアクリル繊維束に噴きつけると、繊維にダメージを与え、毛羽や単繊維切れといった欠陥を生じるおそれがあった。そのため、炭素繊維前駆体繊維束製造時の操業安定性の低下、品質の低下等の問題を引き起こす上に、洗浄水使用量が増えて溶剤回収負荷が増大し、高コストになるという問題も有していた。
【0007】
以上のように、従来、レギュラートウにおいてはアクリル繊維中の残存溶剤濃度を低減させる洗浄方法は知られていたが、その方法をラージトウにそのまま適用しても、工業的に重要な操業安定性が不充分である上に、近年の高い要求に応えうる高品質な炭素繊維束を製造可能な前駆体繊維束を得ることはできなかった。
【0008】
本発明は、上記事情に鑑みてなされたものであり、単繊維数を多くしても、操業安定性が良好で、得られる炭素繊維束の機械的特性を向上させることができる炭素繊維前駆体アクリル繊維束及びその製造方法を提供することを目的とする。また、機械的特性に優れた炭素繊維束を製造できる炭素繊維束の製造方法を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0009】
本発明者らは、ラージトウの炭素繊維前駆体アクリル繊維束を製造する際に、乾燥・緻密化後の二次延伸工程の前に、ある程度溶剤を含んだ状態で特定範囲の延伸倍率で二次延伸させ、結晶領域サイズを特定範囲にすることにより、上記課題を解決できることを見出し、本発明を完成するに至った。
【0010】
すなわち、本発明の炭素繊維前駆体アクリル繊維束は、総繊度が30000Dtex以上であり、長手方向に対して垂直方向の結晶領域サイズが13nm以上、溶剤含有濃度が0.02〜0.1質量%である。
本発明の炭素繊維前駆体アクリル繊維束の製造方法は、紡糸原液から凝固糸を得る凝固工程と、該凝固糸の繊維束を延伸・洗浄して延伸繊維束を得る一次延伸工程と、該延伸繊維束に油剤を付与して油剤付与繊維束を得る油剤処理工程と、油剤付与繊維束を乾燥緻密化して緻密化繊維束を得る乾燥緻密化工程と、緻密化繊維束を延伸する二次延伸工程とを有する炭素繊維前駆体アクリル繊維束の製造方法において、乾燥緻密化工程と二次延伸工程との間に、二次延伸工程に供給する緻密化繊維束を、溶剤含有濃度が0.02〜0.1質量%になるように処理する溶剤含有濃度調整工程を有し、二次延伸工程における延伸倍率を破断延伸倍率の0.80〜0.90倍にする。
本発明における破断延伸倍率とは、繊維束を給糸ロールから該給糸ロールよりも回転速度が速い延伸ロールに移送することにより繊維束を延伸する方法において、延伸ロールの回転速度を徐々に上昇させ、繊維束が破断した際の給糸ロール回転速度(R1)と延伸ロール回転速度の比(R2/R1)のことである。
本発明の炭素繊維束の製造方法は、上記炭素繊維前駆体アクリル繊維束を焼成する焼成工程を有する。
【発明の効果】
【0011】
本発明の炭素繊維前駆体アクリル繊維束は、単繊維数を多くしても、操業安定性が良好で、得られる炭素繊維束の機械的特性を向上させることができる。
本発明の炭素繊維前駆体アクリル繊維束の製造方法によれば、単繊維数を多くしても、操業安定性が良好で、炭素繊維束にした際の機械的特性が高い炭素繊維前駆体アクリル繊維束を容易に製造できる。
本発明の炭素繊維束の製造方法によれば、機械的特性に優れた炭素繊維束を製造できる。
【発明を実施するための形態】
【0012】
<炭素繊維前駆体アクリル繊維束>
本発明の炭素繊維前駆体アクリル繊維束は、総繊度が30000Dtex以上のラージトウである。総繊度が30000Dtex未満のもの(レギュラートウ)では、炭素繊維複合材料の生産性向上を図ることが困難になる。
【0013】
本発明の炭素繊維前駆体アクリル繊維束は、繊維束の長手方向に対して垂直方向の結晶領域サイズが13nm以上であり、炭素繊維の機械的物性の点から、14nm以上であることが好ましい。また、結晶サイズがあまりにも大きくなると、分子鎖の動き(自由度)が制限される耐炎化反応に悪影響を及ぼし、糸切れや強度低下を引き起こすことから、結晶領域サイズは16nm以下であることが好ましい。
上記結晶領域サイズが13nm以上であることにより、延伸の際の結晶領域の破壊もしくは結晶領域と非結晶領域の界面の破壊を防止でき、焼成時に生じるグラファイト結晶網面内およびその付近の欠陥を抑制できる。そのため、炭素繊維とした際の性能低下を防止できる。
結晶領域サイズは、炭素繊維前駆体アクリル繊維束の広角X線回折を測定し、グラファイトの面指数(100)に相当する2θ=17°近傍の回折ピークより求めることができる。
結晶領域サイズを、上記範囲にするためには、後述する製造方法における一次延伸工程および二次延伸工程にて、延伸倍率を調整すればよい。具体的には、一次延伸の延伸倍率を5〜15倍に、二次延伸の延伸倍率を、破断延伸倍率の0.60〜0.90にすればよい。
【0014】
また、本発明の炭素繊維前駆体アクリル繊維束においては、溶剤含有濃度が0.02〜0.1質量%であり、0.03〜0.08質量%であることが好ましい。
溶剤含有濃度が0.02質量%以上であることにより、後述するように該炭素繊維前駆体アクリル繊維束を得る際の二次延伸工程において延伸倍率を高くしても破断を防止でき、操業安定性を向上させることができる。また、溶剤含有濃度が0.1質量%以下であることにより、溶剤による性能低下を抑制でき、該炭素繊維前駆体アクリル繊維束からストランド強度が高い炭素繊維束を得ることができる。
炭素繊維前駆体アクリル繊維束の溶剤含有濃度を上記範囲にするためには、後述する製造方法において、洗浄の際の洗浄水量を調整したり、乾燥緻密化した繊維束に溶剤を付着させればよい。溶剤含有濃度を高くする際には、洗浄水量の減量、乾燥緻密化した繊維束への溶剤付着を適用すればよい。一方、溶剤含有濃度を低くする際には、洗浄水量の増量、乾燥緻密化した繊維束への溶剤付着の省略を適用すればよい。
【0015】
本発明の炭素繊維前駆体アクリル繊維束は、適度な溶剤を含むと共に結晶領域サイズが大きいものであるため、単繊維数が多いにもかかわらず、該炭素繊維前駆体アクリル繊維束製造時に毛羽や単繊維切れ等の欠陥発生が防止され、操業安定性が高い。また、結晶領域サイズが大きく、溶剤含有濃度は0.1質量%以下であるため、得られる炭素繊維束の機械的特性を向上させることができる。
【0016】
<炭素繊維前駆体アクリル繊維束の製造方法>
本発明の炭素繊維前駆体アクリル繊維束の製造方法は、凝固工程と、一次延伸工程と、油剤処理工程と、乾燥緻密化工程と、溶剤含有濃度調節工程と、二次延伸工程と、収納工程とを有する。
以下、各工程について説明する。
【0017】
(凝固工程)
凝固工程は、紡糸原液から凝固糸を得る工程である。ここで、紡糸原液とは、アクリロニトリル系重合体を溶剤に溶解させて得た溶液である。
【0018】
[アクリロニトリル系重合体]
アクリロニトリル系重合体は、アクリロニトリルを重合して得た重合体である。アクリロニトリル系重合体は、アクリロニトリルのみを重合して得たホモポリマーであってもよいし、アクリロニトリルとアクリロニトリルに共重合可能な他の単量体とを共重合して得たアクリロニトリル系共重合体であってもよい。
【0019】
アクリロニトリル系共重合体におけるアクリロニトリル単位の含有量は、96.0〜98.5質量%であることが好ましい。
アクリロニトリル単位の含有量が96質量%以上であると、炭素繊維前駆体アクリル繊維束から炭素繊維束にする際の焼成工程において繊維の熱融着を防止でき、より優れた品質および性能の炭素繊維束を得ることができる。また、共重合体自体の耐熱性が確保され、紡糸、乾燥、延伸における単繊維間の接着を回避できる。一方、アクリロニトリル単位の含有量が98.5質量%以下であれば、溶剤溶解性が低下せず、紡糸原液の安定性を確保できると共に共重合体の析出凝固性が高くなりすぎず、凝固糸を安定に作製できる。
【0020】
共重合体である場合のアクリロニトリル以外の単量体としては、アクリロニトリルと共重合可能なビニル系単量体から適宣選択することができ、耐炎化反応を促進する作用を有する点では、アクリル酸、メタクリル酸、イタコン酸等のカルボキシ基含有ビニル系単量体、またはこれらのアルカリ金属塩もしくはアンモニウム塩、アクリルアミド等が好ましい。前記アクリロニトリル以外の単量体は、1種を単独で用いてもよく、2種以上を併用してもよい。
アクリロニトリル系共重合体におけるカルボキシ基含有ビニル系単量体単位の含有量は1.5〜4.0質量%が好ましい。
【0021】
アクリロニトリル系重合体を得るための重合方法は、溶液重合、懸濁重合など、公知の重合方法のいずれであってもよい。
【0022】
[溶剤]
溶剤としては、ジメチルアセトアミド、ジメチルスルホキシド、ジメチルホルムアミド等の有機溶剤、塩化亜鉛やチオシアン酸ナトリウム等の無機化合物の水溶液などを適宜選択して使用できる。これらの中でも、凝固速度を速くでき、生産性を向上できる点から、ジメチルアセトアミド、ジメチルスルホキシド、ジメチルホルムアミドのいずれかが好ましく、ジメチルアセトアミドがより好ましい。
【0023】
[重合体濃度]
紡糸原液における重合体濃度は、緻密な凝固糸を得るためには、ある程度以上の濃度に調整されることが好ましい。具体的には、紡糸原液中の重合体濃度を17質量%以上になるように調整することが好ましく、19質量%以上にすることがより好ましい。一方、紡糸原液は、適正な粘度・流動性が要求されるため、重合体濃度を25質量%以下にすることが好ましい。
【0024】
[紡糸・凝固方法]
紡糸方法は、上述した紡糸原液を直接凝固浴中に紡出する湿式紡糸法、空気中で凝固する乾式紡糸法、および一旦空気中に紡出した後に浴中凝固させる乾湿式紡糸法など公知の紡糸方法を適宜採用できる。これらのうち、より高い性能を有する炭素繊維束を得るためには、湿式紡糸法または乾湿式紡糸法が好ましい。
【0025】
湿式紡糸法または乾湿式紡糸法による紡糸賦形は、紡糸原液を円形断面の孔を有するノズルより凝固浴中に紡出することで行うことができる。凝固浴としては、紡糸原液に用いられる溶剤を含む水溶液を用いることが、溶剤回収の容易さの観点から好ましい。
凝固浴として溶剤を含む水溶液を用いる場合、その水溶液中の溶剤濃度は50〜85質量%であることが好ましく、凝固浴の温度は10〜60℃が好ましい。そのような溶剤濃度および凝固浴温度であれば、ボイドが少なく緻密な構造を形成でき、また、延伸性がより向上し、生産性に優れる上に、高性能な炭素繊維束を得ることができる。
【0026】
(一次延伸工程)
一次延伸工程では、凝固工程にて得た凝固糸の繊維束を延伸・洗浄して延伸繊維束を得る。
延伸方法として、凝固糸を凝固浴中または延伸浴中で延伸(浴中延伸)する方法や、一部空中延伸した後に浴中延伸する方法が挙げられる。
浴中延伸は、得られる炭素繊維束の性能の点から、通常50〜98℃の水浴中で1回あるいは2回以上の多段で行い、一次延伸における延伸倍率を5〜15倍にすることが好ましい。
洗浄は、延伸の前後あるいは延伸と同時に行う。洗浄後には、水膨潤状態の延伸繊維束を得ることができる。
洗浄は、通常50〜98℃の洗浄水で行う。洗浄効率を高める点では、2段以上の多段で繰り返し洗浄することが好ましい。
【0027】
(油剤付与工程)
油剤付与工程では、一次延伸工程にて得た延伸繊維束に油剤を付与して、油剤付与繊維束を得る。
延伸繊維束に付与する油剤の種類として特に限定されないが、アミノシリコーン系界面活性剤が好ましい。油剤の付与方法は、延伸繊維束に充分に油剤を浸透させることができ、均一に付着できることから、延伸繊維束を油剤中に浸漬させた後、余分な油剤を除去するディップ付着法が好ましい。
油剤の付与は、油剤をより均一に付着させるためには、2段以上の多段で繰り返し付与することが好ましい。
油剤付着量は、炭素繊維束製造時の焼成工程の工程通過性、炭素繊維束の性能の点から、繊維束の乾燥質量に対して0.1〜2.0質量%であることが好ましい。
また、油剤付与工程においては、油剤に加えて、必要に応じて、帯電防止剤、酸化防止剤、抗菌剤を延伸繊維束に付与してもよい。
【0028】
(乾燥緻密化工程)
乾燥緻密化工程では、油剤付与工程にて得た油剤付与繊維束を乾燥緻密化して緻密化繊維束を得る。
乾燥緻密化の温度は、含水率によって適宜設定されるが、通常は、繊維束を構成する単繊維のガラス転移温度を超える温度とする。その温度は、下流側に向かうにつれて高くしてもよい。
乾燥緻密化の具体的な方法としては、例えば表面温度が130〜190℃程度の加熱ローラー上に油剤付与繊維束を走行させて連続的に乾燥緻密化する方法などが挙げられる。その際に使用する加熱ローラーの個数は1個でもよいし、複数個でもよい。
【0029】
(溶剤含有濃度調整工程)
溶剤含有濃度調整工程では、二次延伸工程に供給する緻密化繊維束を、溶剤含有濃度が0.02〜0.1質量%になるように処理する。
溶剤含有濃度が0.02質量%未満であると、二次延伸工程における延伸倍率を高めた場合に、前駆体繊維束が破断しやすくなり、一方、0.1質量%を超えると、単繊維同士の接着や毛羽が発生し、炭素繊維束の強度も低下する。
緻密化繊維束の処理方法としては、例えば、溶剤の水溶液を、タッチロールを用いて、緻密化繊維束に付着させ、乾燥する方法が挙げられる。その際、溶剤の水溶液における溶剤濃度は、単繊維の本数、繊維束の走行速度などに応じて適宜選択されるが、0.10〜0.50質量%であることが好ましく、0.20〜0.30質量%であることがより好ましい。
この溶剤含有濃度調整工程にて調整した溶剤含有濃度は、該溶剤含有濃度調整工程後にほとんど変化しない。したがって、得られる炭素繊維前駆体アクリル繊維束の溶剤含有濃度は、溶剤含有濃度調整工程にて調整した溶剤含有濃度とほぼ同じとなる。
【0030】
(二次延伸工程)
二次延伸工程では、溶剤含有濃度を調整した緻密化繊維束を延伸する。
二次延伸の延伸倍率は、破断延伸倍率の0.80〜0.90とし、好ましくは0.83〜0.87とする。
二次延伸の延伸倍率が破断延伸倍率の0.8倍未満であると、炭素繊維束のストランド強度が不充分になり、0.9倍を超えると、二次延伸時に繊維束の破断が起こりやすくなり、炭素繊維前駆体アクリル繊維束製造の操業安定性が低下する。
延伸方法としては、加熱ローラーによる延伸、加圧水蒸気延伸などの方法を適用することができる。中でも、延伸の安定性が高く、得られる炭素繊維前駆体アクリル繊維束の緻密性や配向度をより高めることができる点で、加熱ローラーによる延伸が好ましい。
加熱ローラーの温度としては150〜200℃であることが好ましい。加熱ローラーの温度が150℃未満であると、可塑化が不完全となり、延伸させた際に毛羽等が発生し、炭素繊維束製造の際の炭素化工程にて繊維束がローラーに巻き付いて、工程障害を招き、操業安定性が低下することがある。一方、加熱ローラーの温度が200℃を超えると、酸化反応や分解反応などが生じて、炭素繊維前駆体アクリル繊維束を焼成して得られる炭素繊維束の品質を低下させる場合がある。
【0031】
(収納工程)
収納工程では、二次延伸工程にて得た炭素繊維前駆体アクリル繊維束をボビンまたはケンスに収容する。
具体的には、炭素繊維前駆体アクリル繊維束を、室温のロールを通して冷却した後に、ワインダーを用いてボビンに巻き取る、あるいは、ケンスに収納する方法が挙げられる。
なお、本発明の製造方法においては、収納工程は任意の工程である。
【0032】
(作用効果)
以上説明した総繊度が30000Dtex以上の炭素繊維前駆体アクリル繊維束の製造方法では、溶剤をある程度含んだ状態で、特定の延伸倍率の二次延伸を行うことにより、得られる炭素繊維前駆体アクリル繊維の結晶領域サイズを容易に13nm以上にできる。得られた炭素繊維前駆体アクリル繊維を用いて炭素繊維束を製造することにより、ストランド強度に優れた炭素繊維束を得ることができる。
また、この製造方法では、洗浄水を大量に吹き付けて残留溶剤濃度を低減させなくてもよく、さらに二次延伸の延伸倍率を特定範囲にしているため、毛羽や単繊維切れ等の欠陥発生を抑制でき、操業安定性を良好にできる。
【0033】
(他の製造方法)
なお、上記の製造方法以外の方法でも、本発明の炭素繊維束アクリル繊維束を得ることができる。例えば、一次延伸工程における洗浄水量を少なくするなどして溶剤含有濃度を高くし、溶剤含有濃度調整工程を省略する方法であってもよい。
【0034】
<炭素繊維束の製造方法>
本発明の炭素繊維束の製造方法は、上記炭素繊維前駆体アクリル繊維束を焼成する焼成工程を有する。
本発明における焼成では、耐炎化処理の後に炭素化処理を行う。
耐炎化処理では、空気中、230〜260℃の熱風循環式耐炎化炉に炭素繊維前駆体アクリル繊維束を投入し、30〜60分間処理して耐炎化繊維束とする。
炭素化処理では、耐炎化繊維束を窒素雰囲気下、最高温度800℃程度で1〜2分間処理し、さらに同雰囲気下で最高温度が1000〜2000℃の高温熱処理炉にて1〜2分処理し、炭素化して炭素繊維束を得る。
なお、繊維強化複合材料の強度発現を目的として、必要に応じて炭素化処理の後に、炭素繊維束の表面に電解処理を施し、炭素繊維用サイズ剤を付与してもよい。
【0035】
(作用効果)
以上説明した炭素繊維束の製造方法は、上記炭素繊維前駆体アクリル繊維束を使用して炭素繊維束を製造するため、得られる炭素繊維束のストランド強度を向上させることができ、具体的にはストランド強度を容易に4.5GPa以上にできる。
【実施例】
【0036】
以下、本発明について実施例を挙げて具体的に説明する。ただし、本発明はこれらに限定されるものではない。
【0037】
以下の例により得た炭素繊維前駆体アクリル繊維束について、溶剤含有濃度、単繊維間の接着本数、結晶領域サイズを以下のように測定した。また、得られた炭素繊維束について、ストランド強度およびストランド弾性率を以下のように測定した。
<測定・評価>
(炭素繊維前駆体アクリル繊維束中の溶剤含有濃度)
炭素繊維前駆体アクリル繊維束を7g精秤し、これを200gの沸騰水に投入し、30分間煮沸して溶剤を抽出させた。冷却後、水に含まれる溶剤の濃度を液体クロマトグラフィーにより求めた。
【0038】
(単繊維間の接着本数)
炭素繊維前駆体アクリル繊維束を約5mmに切断し、100mLのアセトンの中に分散させ、100rpm(回転/分)で1分間攪拌後、黒色濾紙にて濾過した。そして、単繊維の接着本数を測定した。接着本数が少ない程、操業安定性に優れる。
【0039】
(炭素繊維前駆体アクリル繊維束製造時に生じた毛羽の本数)
後述する炭素繊維前駆体アクリル繊維束製造時において最終ロールとワインダーとの間を走行する炭素繊維前駆体アクリル繊維束の毛羽の数を目視により15分間測定した。毛羽の数が少ない程、操業安定性に優れる。
【0040】
(結晶領域サイズ)
炭素繊維前駆体アクリル繊維束を50mm長に切断し、これを30mg精秤採取し、繊維軸が正確に平行になるようにして引き揃えた後、試料調整用治具を用いて巾1mmの厚さが均一な繊維試料束を得た。この繊維試料束に酢酸ビニル/メタノール溶液を含浸させて形態が崩れないように固定した後、これを広角X線回折試料台に固定した。X線源として、リガク社製のCuKα線(ニッケルフィルター使用)X線発生装置を用い、同じくリガク社製のゴニオメーターにより、透過法によってグラファイトの面指数(100)に相当する2θ=17°近傍の回折ピークをシンチレーションカウンターにより検出した。出力は40kV−100mAにて測定した。回折ピークにおける半値巾から下記の式を用いて、結晶領域サイズLaを求めた。
La=Kλ/(β0cosθ)
(式中、Kはシェラー定数0.9、λは用いたX線の波長(ここではCuKα線を用いているので、15.418nm)、θはBraggの回折角、β0は真の半値巾、β0=βE−β1(βEは見かけの半値巾、β1は装置定数であり、ここでは1.05×10-2rad)である。)
【0041】
(ストランド強度およびストランド弾性率)
炭素繊維束のストランド強度およびストランド弾性率は、JIS R7608に規定されているエポキシ樹脂含浸ストランド法に準じて測定した。なお、測定回数は10回とし、その平均値で評価した。
【0042】
<実施例1>
[アクリロニトリル系共重合体]
アクリロニトリル、アクリルアミドおよびメタクリル酸を、過硫酸アンモニウム−亜硫酸水素アンモニウムおよび硫酸鉄の存在下、水系懸濁重合により共重合し、アクリロニトリル単位/アクリルアミド単位/メタクリル酸単位=96/3/1(質量比)からなるアクリロニトリル系重合体を得た。
[原液]
前記アクリロニトリル系重合体をジメチルアセトアミドに溶解し、重合体濃度が21質量%の紡糸原液を調製した。
【0043】
[炭素繊維前駆体アクリル繊維束の製造]
紡糸原液を孔数60000、孔径45μmの紡糸口金に通し、濃度60質量%、温度35℃のジメチルアセトアミド水溶液からなる整流された紡浴槽中に吐出させて凝固糸を得た。この凝固糸を凝固浴中から吐出線速度の0.4倍の引取り速度で引き取った。
次いで、凝固糸の繊維束を、1tの繊維束に対する洗浄水使用量10tで水洗すると同時に、60〜98℃の範囲で温度勾配を設けた6段の洗浄槽で5.4倍の一次延伸を行って、延伸繊維束を得た。
次いで、延伸繊維束に、1.5質量%に調製したアミノシリコーン系油剤が入れられた第1油浴槽に導入して第1油剤を付与し、複数本のガイドで一旦絞りを行った。その後、1.5質量%に調製したアミノシリコーン系油剤が入れられた第2油浴槽で第2油剤を付与した。
次いで、油剤を付与した繊維束を、表面温度180℃の熱ロールに接するように走行させ、乾燥させて、乾燥緻密化させた。
次いで、乾燥緻密化させた繊維束に、0.3質量%のジメチルアセトアミド水溶液を、タッチロールを用いて付着させ、表面温度190℃のロールを用いて乾燥を行って、溶剤含有量を調整した。
次いで、破断延伸倍率の0.85倍になるように延伸ロールの速度を設定し、延伸倍率1.87倍で二次延伸した。その後、タッチロールを用いて、水分率が2質量%になるように調整して、単繊維繊度1.0dtexで総繊度60000dtexの炭素繊維前駆体アクリル繊維束を得た。
得られた炭素繊維前駆体アクリル繊維束の溶剤含有濃度、結晶領域サイズを測定し、単繊維の接着本数、毛羽の発生を評価した。測定結果および評価結果を表1に示す。
【0044】
[炭素繊維束の製造方法]
得られた炭素繊維前駆体アクリル繊維束を、空気中230〜260℃の温度勾配を有する熱風循環式耐炎化炉にて50分間処理して耐炎化繊維束とした。次いで、耐炎化繊維束を窒素雰囲気中で最高温度780℃にて1.5分間処理し、さらに同様の雰囲気中で最高温度1300℃の高温処理炉にて約1.5分間処理した。その後、重炭酸水素アンモニウム水溶液中で0.4A・分/mで電解処理を施して、炭素繊維束を得た。
得られた炭素繊維束のストランド強度の測定結果を表1に示す。
【0045】
<実施例2>
二次延伸の前に、0.25質量%のジメチルアセトアミド水溶液を、乾燥緻密化させた繊維束に付着させ、二次延伸における延伸倍率を1.70倍にした以外は、実施例1と同様にして、炭素繊維前駆体アクリロニトリル繊維束及び炭素繊維束を製造した。
そして、炭素繊維前駆体アクリル繊維束の溶剤含有濃度、結晶領域サイズを測定し、単繊維の接着本数、毛羽の発生を評価し、炭素繊維束のストランド強度を測定した。測定結果および評価結果を表1に示す。
【0046】
<実施例3>
二次延伸の前に、0.20質量%のジメチルアセトアミド水溶液を、乾燥緻密化させた繊維束に付着させ、二次延伸における延伸倍率を1.62倍にした以外は、実施例1と同様にして、炭素繊維前駆体アクリロニトリル繊維束及び炭素繊維束を製造した。
そして、炭素繊維前駆体アクリル繊維束の溶剤含有濃度、結晶領域サイズを測定し、単繊維の接着本数、毛羽の発生を評価し、炭素繊維束のストランド強度を測定した。測定結果および評価結果を表1に示す。
【0047】
<実施例4>
タッチロールを用いてジメチルアセトアミド水溶液を、乾燥緻密化させた繊維束に付着させる代わりに、溶剤含有濃度が0.06質量%となるように洗浄水使用量を5tに減らして炭素繊維前駆体アクリル繊維束の溶剤含有濃度を増やし、二次延伸における延伸倍率を1.70倍で延伸した以外は、実施例1と同様にして、炭素繊維前駆体アクリロニトリル繊維束及び炭素繊維束を製造した。
そして、炭素繊維前駆体アクリル繊維束の溶剤含有濃度、結晶領域サイズを測定し、単繊維の接着本数、毛羽の発生を評価し、炭素繊維束のストランド強度を測定した。測定結果および評価結果を表1に示す。
【0048】
<比較例1>
二次延伸にて、破断延伸倍率の0.75倍になるように延伸ロールの速度を設定し、延伸倍率1.65倍で延伸した以外は実施例1と同様にして、炭素繊維前駆体アクリロニトリル繊維束及び炭素繊維束を製造した。
そして、炭素繊維前駆体アクリル繊維束の溶剤含有濃度、結晶領域サイズを測定し、単繊維の接着本数、毛羽の発生を評価し、炭素繊維束のストランド強度を測定した。測定結果および評価結果を表1に示す。
【0049】
<比較例2>
洗浄の際の、繊維束1tに対する洗浄水使用量を14tにして、二次延伸する前の単繊維の溶剤含有濃度を0.01質量%とし、二次延伸にて、破断延伸速度の0.85倍になるように延伸ロールの速度を設定し、二次延伸倍率1.85倍で延伸した以外は、実施例1と同様にしたが、繊維束の破断が発生したため、炭素繊維前駆体アクリロニトリル繊維束及び炭素繊維束を得ることができなかった。
【0050】
<比較例3>
洗浄の際の、繊維束1tに対する洗浄水使用量を3tにして、二次延伸する前の単繊維の溶剤含有濃度を0.3質量%とし、二次延伸にて、破断延伸速度の0.85倍になるように延伸ロールの速度を設定し、二次延伸倍率1.57倍で延伸した以外は、実施例1と同様にして、炭素繊維前駆体アクリロニトリル繊維束及び炭素繊維束を製造した。
そして、炭素繊維前駆体アクリル繊維束の溶剤含有濃度、結晶領域サイズを測定し、単繊維の接着本数、毛羽の発生を評価し、炭素繊維束のストランド強度を測定した。測定結果および評価結果を表1に示す。
【0051】
【表1】

【0052】
表1から明らかなように、各実施例で得られた炭素繊維前駆体アクリル繊維束では、接着や毛羽の発生が抑制され、操業安定性が良好であった。なお、実施例1および実施例2では、炭素繊維前駆体アクリル繊維束製造の際に毛羽の発生が見られたが、製造上問題となる程度ではなかった。
各実施例で得られた前駆体繊維束の結晶領域サイズは十分なものであり、炭素繊維にストランド強度は高い数値を示し、機械的特性に優れていた。
【0053】
一方、表1から明らかなように、炭素繊維前駆体アクリル繊維束の溶剤含有濃度を規定値にしたものの、二次延伸の延伸倍率が低い比較例1の場合、操業安定性は良好なものの、炭素繊維のストランド強度が低くなる問題があった。
洗浄水使用量を増やして溶剤含有濃度を低くした比較例2では、所定の二次延伸倍率にすると繊維束が破断してしまい、生産が継続できなくなった。
洗浄水使用量を減らして溶剤含有濃度を高くした比較例3では、所定の二次延伸は可能なものの、炭素繊維のストランド強度が低下した。
【0054】
このように、いずれの比較例においても、炭素繊維束の品質において重要な要素であるストランド強度と、前駆体繊維束を生産するうえで重要である操業安定性とを両立できる炭素繊維前駆体アクリル繊維束を得ることはできなかった。
【産業上の利用可能性】
【0055】
本発明により得られた炭素繊維束に樹脂を含浸させることにより、プリプレグを得ることができる。さらに、そのプリプレグを成形し、硬化させることにより、複合材料を得ることができる。その複合材料は、ゴルフシャフトや釣り竿などのスポーツ用途、さらには構造材料として自動車や航空宇宙用途、また各種ガス貯蔵タンク用途などに好適に用いることができ、有用である。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
総繊度が30000Dtex以上であり、長手方向に対して垂直方向の結晶領域サイズが13nm以上、溶剤含有濃度が0.02〜0.1質量%である炭素繊維前駆体アクリル繊維束。
【請求項2】
紡糸原液から凝固糸を得る凝固工程と、該凝固糸の繊維束を延伸・洗浄して延伸繊維束を得る一次延伸工程と、該延伸繊維束に油剤を付与して油剤付与繊維束を得る油剤処理工程と、油剤付与繊維束を乾燥緻密化して緻密化繊維束を得る乾燥緻密化工程と、緻密化繊維束を延伸する二次延伸工程とを有する炭素繊維前駆体アクリル繊維束の製造方法において、
乾燥緻密化工程と二次延伸工程との間に、二次延伸工程に供給する緻密化繊維束を、溶剤含有濃度が0.02〜0.1質量%になるように処理する溶剤含有濃度調整工程を有し、
二次延伸工程における延伸倍率を破断延伸倍率の0.60〜0.90倍にする炭素繊維前駆体アクリル繊維束の製造方法。
【請求項3】
請求項1に記載の炭素繊維前駆体アクリル繊維束を焼成する焼成工程を有する炭素繊維束の製造方法。

【公開番号】特開2012−188767(P2012−188767A)
【公開日】平成24年10月4日(2012.10.4)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2011−51548(P2011−51548)
【出願日】平成23年3月9日(2011.3.9)
【出願人】(000006035)三菱レイヨン株式会社 (2,875)
【Fターム(参考)】