説明

生体細胞の培養制御方法及び培養制御装置

【課題】生体細胞が要求する物質を培養に適切な濃度に維持する一方で、増殖を阻害する物質の蓄積を出来るだけ抑制しつつ培養を継続し、目的生産物を効率的に生産する生体細胞の培養制御方法及び培養制御装置を提供する。
【解決手段】培養途中に生体細胞が要求する物質を供給しつつ生体細胞を培養する培養装置において、培養液の一部を採取して生体細胞の濃度,グルコース濃度,グルタミン濃度,乳酸濃度,アンモニア濃度,培養生産物濃度を計測する計測手段により得られた計測値から生体細胞の培養状態を推定し、少なくともグルタミンの補充すべき供給量を算出して培養液中のグルタミン濃度を0.16mM から1mMの範囲に維持するように制御する。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、生体細胞を培養して目的とする生産物を生産する培養装置の培養制御方法及び培養制御装置に関する。
【背景技術】
【0002】
生体細胞を培養する場合においては、培養環境、すなわち培養槽内を培養に適した条件に維持して、生体細胞が生存発育するために必要な栄養成分を、無機または有機化合物として培地から与える必要がある。このため、溶存酸素濃度,pH,温度,撹拌速度等の制御に行いつつ、生体細胞が要求する物質を培養の途中段階で補充することが行われている。培養の途中段階に生体細胞が要求する物質を溶解させた培地を補給する培養方法には、流加培養(Fed-Bach Culture),連続培養(Continuous Culture)および灌流培養
(Perfusion Culture)がある。
【0003】
流加培養は、培養中の培養槽に生体細胞が要求する物質を溶解させた液体を補給しながら培養する方法である。
【0004】
流加培養としては、〔特許文献1〕特許文献1に記載のように、培養液中のグルコース濃度を1g/L以上に保持するよう濃縮培地を補給するものがあり、〔特許文献2〕に記載のように、培養液の電気伝導度の変化を指標として濃縮培地を補給するものがある。又、〔特許文献3〕には、流加培養の手法を用いて培養の途中でグルコース濃度を高くすることでポリペプチドの収率を向上することが述べられている。
【0005】
連続培養は、培養中の培養槽から培養液の一部を引き抜き、引き抜き量相当分の補給液を補給しながら培養する方法である。連続培養としては、〔特許文献4〕に、培養液中のグルコース濃度を指標とした培地交換方法が記載されている。
【0006】
灌流培養は、培養中の培養槽から培養液の細胞を分離して液分のみを引き抜き、引き抜き量相当分の補給液を補給しながら培養する方法である。灌流培養としては、〔特許文献5〕に記載のように、培養液中のグルコース濃度および乳酸濃度をそれぞれ1g/L以上および2.7g/L以下に保持するよう培地を補給するものがある。
【0007】
いずれの培養方法においても、生体細胞が要求する物質を過不足なく供給することが重要である。
【0008】
【特許文献1】特開平7−39372号公報
【特許文献2】特開平8−131161号公報
【特許文献3】特表2004−532642号公報
【特許文献4】特開平6−277049号公報
【特許文献5】特開平6−105680号公報
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0009】
流加培養を含め、培地成分を補給しながら培養する方法では、細胞に有害となる副産生物の量を減らすこと、栄養素を枯渇させないよう各栄養素の濃度を一定に保つことが重要である。細胞生育に障害となる主な副産生物は、アンモニアと乳酸であり、これら産生物はそれぞれ窒素源であるグルタミン、炭素源であるグルコースから細胞内の代謝を経由して産生される。細胞を長期にかつ高濃度に培養するためには、グルタミン,グルコースの供給を必要最低限に抑えることでエネルギー代謝を効率的に行い、アンモニア,乳酸の蓄積を抑える必要がある。
【0010】
生体細胞は、代謝反応によって培地中の栄養物を消費して増殖し、乳酸やアンモニア等の老廃物を培養液中に産生する。これらの老廃物は、細胞の増殖を阻害するため、培養液中に高濃度に蓄積すると、生体細胞が増殖しなくなり、生存も危ぶまれる状況となる。そのため、老廃物を少なくする必要があるが、〔特許文献1〕〜〔特許文献5〕に記載された従来の技術により培地及びその他必要とされる成分の補給はできるが、これら従来の技術では、老廃物の産生を低減することは配慮されていなかった。
【0011】
このように従来は、老廃物の産生を低減するに適した装置がなく、培地の補充による培養液の希釈や培地交換によって、できるだけ増殖阻害物質の蓄積を抑制して培養を継続する必要があった。
【0012】
本発明の目的は、生体細胞が要求する物質を培地に適切な濃度に維持する一方で、増殖を阻害する物質の蓄積を抑制して培養を行うことのできる生体細胞の培養制御方法及び培養制御装置を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0013】
本発明の生体細胞の培養制御方法及び培養制御装置は、培養途中に生体細胞が要求する物質を供給しつつ生体細胞を培養する培養装置において、培養液の一部を採取して生体細胞の濃度,グルコース濃度,グルタミン濃度,乳酸濃度,アンモニア濃度,培養生産物濃度を計測する計測手段により得られた計測値から生体細胞の培養状態を推定し、少なくともグルタミンの補充すべき供給量を算出して培養液中のグルタミン濃度を0.16mM から1mMの範囲に維持するように制御するものである。
【発明の効果】
【0014】
本発明によると、グルタミン濃度を適正に維持して細胞の代謝反応を効率的に行い、アンモニアや乳酸等の増殖阻害物質の蓄積を抑制して、生体細胞を長期にかつ高濃度に培養を維持することで目的生産物を効率的に生産することができるという効果を奏する。
【発明を実施するための最良の形態】
【0015】
本発明の一実施形態を図1から図3により説明する。図1は、本実施例である培養制御装置の構成図である。
【0016】
培養槽1内には培養液2が封入され、培養液2を攪拌するための攪拌機4が設置されている。攪拌機4は、培養槽1の上部に設けられた駆動用モータ3により回転駆動される。培養槽1の底部にはスーパーチャージャー5が設置されており、スーパーチャージャー5は、培養槽1の外部に設置されたバルブ8、図示しない流量計測装置を介して図示しない加圧供給装置と管で接続されている。培養槽1の上部はバルブ9、図示しない流量計測装置を介して図示しない加圧供給装置と管で接続されている。培養槽1の外部には複数の培地成分の貯留槽13が設置され供給流量制御手段10,11,12を介して培養槽1内の上部と接続されている。
【0017】
培養槽1内の培養液を採取して分析する培地成分計測装置7、pH,DO,T計測装置6が接続されている。図示しない流量計測装置,供給流量制御手段10,11,12、駆動用モーター3は制御系の指令装置24が接続され、制御系の指令装置24には制御装置21が接続されている。制御装置21は、培地成分計測装置7、pH,DO,T計測装置6が接続されており、計測された培養液2の計測値から培養状態推定23を行い、制御量算出24を行うようになっている。
【0018】
このように構成された培養制御装置は、次のように動作する。
【0019】
複数の培地成分の貯留槽13から供給流量制御手段10,11,12を介して培養槽1内に培地成分が供給され、培養槽1内に封入された培養液2は、駆動用モーター3により駆動される攪拌機4で撹拌され、均一となるように混合される。
【0020】
培養に必要な酸素は、加圧供給装置から供給される酸素含有ガスをバルブ8で流量を調整して培養槽1の底部に配置されたスーパーチャージャー5から培養液中に供給される。このような通気方法を液中通気法という。一方、加圧供給装置から供給される酸素含有ガスをバルブ9で流量を調整して培養槽1の培養液の上部に供給される。このような通気方法を上面通気法という。
【0021】
培養液の一部は、pH,DO,T計測装置6で無菌的に採取され、培養液のpH,培養温度T,溶存酸素濃度DOなど培養液の性状が計測される。培地成分計測装置7では、培養液の一部を無菌的に採取して生体細胞の濃度,グルコース濃度,グルタミン濃度,乳酸濃度,アンモニア濃度,培養生産物濃度などの培地成分が計測される。
【0022】
図示しない流量計測装置により供給ガスおよび中和用アルカリ液の供給量を計測し、制御系の指令装置24の指令によりバルブ8,9を調整して、供給量調節する。
【0023】
総通気,空気,酸素,窒素,炭酸ガスの各供給量およびアルカリ供給量等の計測値は、コンピュータを備えた制御装置21に伝送される。制御装置21では、培地成分計測装置7、pH,DO,T計測装置6での計測値を用いて以下の手順で培養状態の推定を行い、適正な制御量を算出する。
【0024】
生体細胞の比増殖速度μ(h-1)は、培養基質であるグルコース濃度CGlc と、グルタミン濃度CGlnと、増殖阻害因子として代謝産物である乳酸濃度CLacと、アンモニア濃度CNH4 を用いて(数1)で表せる。ここでKGlc,KGlnは飽和定数、KILac,KINH4は阻害定数で、培養する生体細胞に依存する値である。
【0025】
【数1】

【0026】
又、細胞の死滅速度定数kd(h-1)に対して、(数2)で表記される。
【0027】
【数2】

【0028】
細胞の増殖速度は、生細胞濃度XV(cells/l)と比増殖速度μ、及び死滅速度定数
kdを用いて(数3)で表される。
【0029】
【数3】

【0030】
又、死細胞濃度XD(cells/l)は(数4)で表される。
【0031】
【数4】

【0032】
培養基質であるグルコースとグルタミンの消費速度は、それぞれ(数5),(数6)で表される。
【0033】
【数5】

【0034】
【数6】

【0035】
ここで、YGlcとYGlnは細胞の増殖に伴って消費される基質に対する細胞の増殖収率を示す定数、mGlcとmGlnは細胞を維持するために消費される基質に対する維持定数である。
【0036】
グルタミンは、アミノ基転移反応によって他のアミノ酸を生成するが、脱アミノ基反応によってアンモニアを生ずる。アンモニアの生成速度はグルタミンの消費速度に対して
(数7)で表される。
【0037】
【数7】

【0038】
グルコースの一部は解糖系で乳酸を生ずるが、乳酸の生成速度は(数8)で表される。
【0039】
【数8】

【0040】
ここで、YL/Gはグルコースの消費に伴う乳酸の生産収率である。
【0041】
このように、培地成分計測装置7、pH,DO,T計測装置6によって計測が行われた時点での生体細胞の濃度,グルコース濃度,グルタミン濃度,乳酸濃度,アンモニア濃度の計測値から、(数1)から(数8)を計算することにより、Δt時間後の培養状態が推定される。
【0042】
このようにして、(数5),(数6)で算出されるグルコース、及びグルタミンの消費量に基づいて、補充すべきグルコース、及びグルタミンの供給量が算出される。又、生体細胞は呼吸によって酸素を消費するので、生細胞濃度XV から必要な酸素供給量を算出し、培養液の攪拌速度、酸素ガスの通気量の制御目標値を得る。
【0043】
このように制御することにより、生体細胞の培養を行うことで刻々と変化する培養状況に対応して培養槽内の環境を培養に好適な条件に維持することが可能となり、安全で確実な培養を実施できる。また、培養に適切な培養環境が確実に維持できていることを検証しつつ培養を行うことから、培養によって生産される有用物質の安全性の検証が容易となる。又、培養中の培養槽の計測値,培養液の分析値,検証の結果,目標値の変更時間,承認者等の情報を時系列的培養データベースとして記憶手段に格納しておくことにより、事後に行う製品の安全性にかかわる検証が容易となる。例えば、データベースに格納された前回の計算過程と結果および過去の培養データと比較し、算出結果の妥当性を検証することができ、必要な場合には算出パラメータを変更する。
【0044】
図2は、細胞が増殖するためのグルタミンの必要最低濃度の検討を行った結果であり、グルタミンの初期濃度を変え、フラスコにてCRL−1606細胞の回分培養を行ったときの比増殖速度を示している。動物細胞として、抗フィブロネクチン抗体を産生するマウスハイブリドーマ細胞のCRL−1606細胞(ATTC社より購入)を用い、培養にはIscove's Modified Dulbecco's Medium(IMDM)に5%FBSを添加した培地を用いた。図2から、最大比増殖速度の1/2となるグルタミン濃度は0.08mM で、この2倍から5倍のグルタミン濃度で比増殖速度が飽和することが分る。グルタミン濃度が0.05
mM以下では増殖速度が大きく低下し、グルタミンが枯渇した培地では生存率が低下する。ここで、最大比増殖速度は、比増殖速度が十分に飽和すると判断される1mM以上の値が用いられる。
【0045】
次に、内容積1lのガラス製の動物細胞用の培養槽を用い、グルタミン酸濃度変化と、老廃物である乳酸やアンモニアの産生について調べた。
【0046】
この培養槽には、攪拌器,pH電極,溶存酸素(DO)センサーが装備されており、オンラインで攪拌器の回転数,pH電極,溶存酸素を計測し、自動制御し、種培養を接種して、温度37℃,pH7.2,DO60%飽和空気,攪拌速度60rpm、と設定値に制御して培養を行った。一定時間間隔で、無菌的に培養液を5mL抜き取り、細胞数,細胞の生存率を計測した。残りの培地は遠心操作(15,000rpm,10分)により細胞を沈殿除去し、その上澄み液を用いて、グルタミン,グルコース,乳酸,アンモニア,産生抗体量の計測を行った。グルタミン,グルコースに関しては、サンプリング後即座に濃度計測を行い、培養中に消費した量だけグルタミン及びグルコースを無菌的に添加した。
【0047】
図3に、グルタミン酸濃度の変化を最初は4mMの高濃度から0.4mM となるように制御するパターンAと、最初から0.4mM となるように制御するパターンBについて、実験を行った結果を表示した表示画面を示している。
【0048】
この表示画面に表示された結果から分るように、パターンBはパターンAに比べて尿酸の産生が約半分に抑えられている。細胞数は、パターンAとパターンBで同様の変化を示し、アンモニア濃度は、パターンBの方が少なかった。
【0049】
これらの実験では、グルタミン酸濃度は、0.16mM から1mMの範囲に維持すればよく、より好ましくは最大比増殖速度の1/2となるグルタミン濃度は0.08mM の2倍から5倍の範囲とすればよいことが分かった。
【図面の簡単な説明】
【0050】
【図1】本発明の一実施形態である培養制御装置の構成図である。
【図2】グルタミン初期濃度と比増殖速度の関係を示す図である。
【図3】本実施例における表示の一例を示す図である。
【符号の説明】
【0051】
1…培養槽、2…培養液、3…駆動用モーター、4…攪拌機、5…スーパーチャージャー、6…pH,DO,T計測装置、7…培地成分計測装置、8,9…バルブ、21…制御装置。



【特許請求の範囲】
【請求項1】
培養液が封入された培養槽と、該培養槽に供給流量制御装置を介して接続された培地成分の貯留槽と、前記培養液を採取して分析する培地成分計測装置と、該培地成分計測装置で計測された生体細胞の濃度,グルコース濃度,グルタミン濃度,乳酸濃度,アンモニア濃度の計測値から、Δt時間後の培養状態を推定して算出されるグルコース,グルタミンの消費量に基づいて、補充すべきグルタミンの供給量を算出する制御装置とを備え、該制御装置からの指令により前記供給流量制御装置を制御して培養液中のグルタミン濃度を
0.16mM から1mMの範囲に維持する生体細胞の培養制御装置。
【請求項2】
前記培養液中のグルタミン濃度を該生体細胞の比増殖速度が最大値の2分の1となる濃度の2倍から5倍の範囲に維持する請求項1に記載の生体細胞の培養制御装置。
【請求項3】
動物細胞あるいは微生物などの生体細胞を培養する培養装置の培養液中のグルタミン濃度を含む培地成分濃度を培地成分計測装置により測定し、制御装置により測定された培地成分濃度からΔt時間後の培養状態を推測してグルタミンを含む補充すべき培地成分の供給量を算出し、該制御装置からの指令により供給流量制御装置を制御して培地成分の供給量を調整して培養液中のグルタミン濃度を0.16mM から1mMの範囲に維持する生体細胞の培養制御方法。
【請求項4】
前記グルタミン濃度を該生体細胞の比増殖速度が最大値の2分の1となる濃度の2倍から5倍の範囲に維持する請求項3に記載の生体細胞の培養制御方法。
【請求項5】
前記培地成分計測装置により生体細胞の濃度,グルコース濃度,グルタミン濃度,乳酸濃度,アンモニア濃度,培養生産物濃度を計測するものであって、前記培地成分計測装置により得られた計測値から前記生体細胞の培養状態を推定し、グルコース及びグルタミン補充すべき供給量,培養液の攪拌速度,酸素ガスの通気量を算出する請求項4に記載の生体細胞の培養制御方法。
【請求項6】
前記制御装置が生体細胞濃度から必要な酸素供給量を算出するものであって、該算出された酸素供給量に基づいて酸素ガスの供給量を制御する請求項3から5のいずれかに記載の生体細胞の培養制御方法。
【請求項7】
培養途中に生体細胞が要求する物質を供給して生体細胞を培養する生体細胞の培養制御装置であって、培養装置から採取した培養液試料を計測する計測手段と、該計測手段で計測された計測値を入力し、生体細胞が要求する物質の必要量の計算するコンピュータと、該コンピュータの計算結果から生体細胞が要求する物質の供給を制御する供給流量制御装置と、生体細胞の培養データおよび生体細胞が要求する物質の必要量の計算過程と結果をデータベースとして格納する記憶手段と、生体細胞が要求する物質の必要量の計算結果を表示する表示手段を備え、前記供給流量制御装置を制御して培養液中のグルタミン濃度を0.16mM から1mMの範囲に維持する生体細胞の培養制御装置。
【請求項8】
前記データベースに格納された前回の計算過程と結果および過去の培養データと比較し、前記算出結果の妥当性を検証する請求項7に記載の生体細胞の培養制御装置。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【公開番号】特開2007−244341(P2007−244341A)
【公開日】平成19年9月27日(2007.9.27)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2006−75871(P2006−75871)
【出願日】平成18年3月20日(2006.3.20)
【出願人】(000005108)株式会社日立製作所 (27,607)
【Fターム(参考)】