説明

耐摩耗性と摺動特性に優れた被覆部材およびその製造方法

【課題】苛酷な使用環境下で使用される切削工具や金型や自動車部品等の部材において、耐摩耗性と摺動特性が優れる被覆部材およびその製造方法を提供する。
【解決手段】スパッタリング法によって被覆した硬質皮膜を表面に有する被覆部材であって、該硬質皮膜は原子比でSiよりもCが多いSiC皮膜であり、該硬質皮膜の組織は六方晶構造相を含有し、X線光電子分光分析において、炭素と珪素の結合に帰属する結合エネルギー283〜285eVのピークと、炭素と炭素の結合に帰属する282〜284eVのピークが存在する摺動特性に優れた被覆部材である。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、例えば切削工具ならびに金型等に適用される耐摩耗性と摺動特性に優れた硬被覆部材およびその製造方法に関する。
【背景技術】
【0002】
従来、切削工具や金型等への表面処理には各種のセラミックスを基材表面に被覆する手法が採用されており、各種の被覆手段のなかでは、被覆時の温度が焼戻し温度以下の低温である物理蒸着法(以下、PVDと記述する)が被覆処理に有効であるため、その適用が増加している。各種セラミックスの中でSiCは、バルクのセラミックスでは40GPa以上の高い硬度を有し、耐摩耗性と耐酸化性に優れるため、切削工具や金型表面への硬質皮膜としての適用が検討されている。
【0003】
例えば、特許文献1では、高周波電流を用いるRFマグネトロンスパッタ法等によりSiCの焼結体をターゲットとしてクラスターイオンを励起させ、基材表面にSiC皮膜を成膜する手法が開示されている。しかし、特許文献1のSiC皮膜は非晶質で硬度が低く、耐摩耗性が十分ではない問題があった。そこで、特許文献2では、組成比の異なるSiCターゲットを用い、マグネトロンスパッタリング法の処理雰囲気を調整することで、立方晶構造を有する結晶性SiC皮膜を被覆した耐摩耗性に優れるSiC皮膜が開示されている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0004】
【特許文献1】特開2007−90483号公報
【特許文献2】特開2009−293111号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0005】
非晶質SiC皮膜に比べて、特許文献2の結晶質SiCを含有する皮膜は耐摩耗性が高く、高温下における非晶質の結晶化によるクラック発生がないため、高温特性も優れる。しかし、近年、切削工具や金型使用環境は年々苛酷化し、切削工具や金型の作業面に成型時にかかる圧力は高く、更には、被加工材との摩擦も大きくなっていることから、作業面に被覆される硬質皮膜には、より高い耐摩耗性と摺動特性が求められるようになっている。そのため、従来のSiC皮膜では、近年の苛酷な環境下において更に寿命向上するには、十分ではない場合があった。
【0006】
本発明はかかる事情に鑑みてなされたものであり、耐摩耗性と摺動特性に優れた被覆部材およびその製造方法を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0007】
本発明は、スパッタリング法によって形成するSiC皮膜に炭素と炭素の結合および珪素と炭素の結合を含有させ、組織には六方晶の結晶構造相を含有させる同時に、炭素と炭素の結合を硬質皮膜中に多く含有させることが耐摩耗性と摺動特性を同時に向上させるのに特に有効であることを見出した。さらにはそれを実現する革新的な製造方法をも見出したことで本発明に到達した。
【0008】
すなわち本発明は、スパッタリング法によって被覆した硬質皮膜を表面に有する被覆部材であって、該硬質皮膜は原子比でSiよりもCが多いSiC皮膜であり、該硬質皮膜の組織は六方晶構造相を含有し、X線光電子分光分析において、炭素と珪素の結合に帰属する結合エネルギー282〜284eVのピークと、炭素と炭素の結合に帰属する284〜285eVのピークが存在する摺動特性に優れた被覆部材である。
さらに、X線光電子分光分析において、炭素と珪素の結合に帰属する結合エネルギー282〜284eVのピーク強度比をPs、炭素と炭素の結合に帰属する284〜285eVのピーク強度比をPcとしたとき、Ps+Pc=100、10<Pc<35を満たすことが好ましい。
【0009】
硬質皮膜の組織は、非晶質に六方晶の結晶構造相を含むことが好ましい。さらに、硬質皮膜の組織は、透過型電子顕微鏡による電子線回折において、(101)又は(002)の六方晶の結晶面が最大強度を示すことが好ましい。
さらに、被覆部材の基材と硬質皮膜の間に、Al、Ti、Cr、Nb、W、Siから選択される少なくとも1種の元素の窒化物又は炭窒化物でなる中間皮膜を有することが好ましい。
【0010】
また、上述した本発明の被覆部材には、例えば、0を超え25体積%以下のC相を含んだSiC複合ターゲットを用い、該SiC複合ターゲットに印加する平均電力を2kW以上でスパッタし、原子比でSiよりもCが多く、六方晶の結晶構造相を含み、X線光電子分光分析において、炭素と珪素の結合に帰属する結合エネルギー282〜284eVのピークと、炭素と炭素の結合に帰属する284〜285eVのピークが存在するSiC皮膜を被覆する本発明の製造方法を適用することが好ましい。
また、C相を含んだSiC複合ターゲットのスパッタの前に、被覆部材の基材に、Al、Ti、Cr、Nb、W、Siから選択される少なくとも1種の元素の窒化物又は炭窒化物でなる中間皮膜を被覆しておくことが好ましい。SiC複合ターゲットのC相は、2体積%以上であることが好ましい。
【発明の効果】
【0011】
本発明により提供される被覆部材は、耐摩耗性と摺動特性に優れるSiC皮膜であるため、苛酷な使用環境下で使用される切削工具や金型への適用が可能である。また、自動車部品等の摺動特性が要求される部材への適用も可能である。
【図面の簡単な説明】
【0012】
【図1】本発明例である試料No.2の、透過型電子顕微鏡によるビーム直径680nmの制限視野回折像であり、本発明の被覆部材の一例を示す図である。
【図2】本発明例である試料No.2の、透過型電子顕微鏡による断面写真であり、本発明の被覆部材の一例を示す図である。
【図3】本発明例である試料No.2の、透過型電子顕微鏡によるビーム直径3nmの微小部電子線回折像であり、本発明の被覆部材の一例を示す図である。
【図4】本発明例である試料No.2のX線光電子分光分析によるピークプロファイルを示す。
【発明を実施するための最良の形態】
【0013】
本発明の重要な特徴は、従来のSiC皮膜に対して、耐摩耗性と摺動特性を更に向上させる具体的な皮膜構造を見出したことにある。具体的には、本発明者は、成膜にはSiCの結晶化を促進して高い耐摩耗性を付与できるスパッタリング法を用いて、特定のSiC皮膜を成膜すると、靭性が高く硬質な六方晶の結晶構造相を含有する組織とすることで耐摩耗性が向上することを見出した。そして、その硬質皮膜には、化学量論的な1:1の原子比であるSiCに対して炭素原子を多く含有させるだけでなく、X線光電子分光分析によって炭素と炭素の結合エネルギーに起因するピークが明確に検出されるようにすることで、皮膜全体の摩擦係数を低くすることが可能となり、耐摩耗性と摺動特性を同時に向上させることの出来る革新的なSiC皮膜となることを見出したものである。以下、詳しく説明する。
【0014】
本発明では、SiC皮膜の組織に、靭性が高く硬質な六方晶構造相が含有されることで、硬度が著しく高まり、例えば、40GPa以上にも到達することができる。
さらに、本発明では、SiC皮膜中の結合状態が重要となる。つまり、硬質皮膜の組織に六方晶構造相のSiCを含有させた上では、炭素原子を硬質皮膜中に多く含有させる。そして、硬質皮膜の結合状態を結合エネルギーの強度で検出できるX線光電子分光分析によって、炭素と炭素の結合エネルギーに起因するピークが検出される程にすることで、潤滑特性が優れる炭素と炭素結合が皮膜中に十分に含有され、40GPa以上の高硬度を有しながら硬質皮膜全体の摩耗係数を低下させることができるので、耐摩耗性と摺動特性を合わせて向上させることが可能となる。
そして、X線光電子分光分析による炭素と珪素の結合に帰属する結合エネルギー282〜284eVのピーク強度比をPs、炭素と炭素の結合に帰属する284〜285eVのピーク強度比をPcとしたとき、Ps+Pc=100、10<Pc<35としてSiC皮膜中に潤滑特性の優れる炭素と炭素の結合を一定量含有させることで摺動特性が優れて好ましい。Pcがこれよりも小さいと好ましい潤滑特性が得られ難く、より好ましくは15≦Pc≦30である。また、Pcがこれよりも大きいと耐摩耗性が低下する傾向にある。
【0015】
硬質皮膜の組織は、非晶質に六方晶の結晶構造相が含まれることで、硬質皮膜中に歪が生じて圧縮残留応力が高くなり、硬質皮膜の硬度をさらに向上させるので好ましい。
硬質皮膜の組織中に六方晶の結晶構造相が含まれるかを確認するには、透過型電子顕微鏡による電子線回折が好ましい。X線回折装置を使用したX線回折では、非晶質や1〜2nm以下の微細な結晶が多く含まれる場合は、回折ピーク強度が弱く、組織中の六方晶の結晶構造相を同定するには困難な場合がある。
そして、透過型電子顕微鏡による電子線回折によって、(101)又は(002)の六方晶の結晶面が最大強度を示すものは結晶性が高く高硬度であり、耐摩耗性に優れ好ましい。
本発明で非晶質とは、透過型電子顕微鏡による観察で明確な周期的構造が確認されず、電子線回折の結晶回折パターンが確認されないものである。これは同様に、周期的構造を有さずに回折パターンが発生し難い1〜2nm以下の微粒な結晶粒子の集合も含まれる。
圧縮残留応力を硬質皮膜の全体に均一に付与するためには、硬質皮膜中に六方晶の結晶構造相が微細に分散していることが好ましい。例えば、六方晶の平均結晶粒径を30nm以下とすることで、分散が均一となり、均一に圧縮残留応力を付与することができるので好ましい。結晶粒径は、硬質皮膜中のC量が増加するとやや大きくなる傾向にあった。
【0016】
基材とSiC皮膜の密着性を向上させるために、被覆部材の基材と硬質皮膜の間に、Al、Ti、Cr、Nb、W、Siから選択される少なくとも1種の元素の窒化物又は炭窒化物でなる中間皮膜を設けることが好ましい。中でも、Siを含有する中間皮膜はSiC皮膜である硬質皮膜と基材の高い密着性を保つために好ましい。そして、中間皮膜のSi量やC量を基材から硬質皮膜に向けて増加させる傾斜構造とすることで、基材と硬質皮膜間の応力を緩やかに緩和することができ、密着性をさらに改善することができるので好ましい。
【0017】
本発明の硬質皮膜は、不可避的に含まれる酸素やその他の不純物を含有してもよい。そして、本発明の硬質皮膜の組織は六方晶の結晶構造相を含み、炭素と珪素の結合および炭素と炭素の結合を併せて含有し、且つ、炭素原子を多く含有する皮膜構造にすることで、優れた耐摩耗性と摺動特性を発揮することが出来る。そのため、本発明のSiC皮膜に他の元素を添加したとしても、本発明の硬質皮膜の構造を有することで、本発明の効果は損なわれずに発揮することができる。ただし、他の元素の添加量が原子比で10%より多いと、耐摩耗性が著しく低下する場合があるので、10%以下であることが好ましい。より好ましくは5%以下であり、さらに好ましくは1%以下である。
その他、必要に応じては、硬質皮膜のその上に窒化物、炭化物、酸化物、硼化物、硫化物、金属等の機能皮膜を被覆しても良い。
【0018】
以下、本発明の製造方法について説明する。
上述した通り、本発明の硬質皮膜はスパッタリング法により見出されたものである。
一般の、スパッタリング法によるSiC皮膜の成膜では、SiCターゲットの電気抵抗が高いため、ターゲットに印加する電力を高めると、ターゲット表面で異常放電(アーキング)が発生して放電が不安定になるという問題があった。そのため、安定した成膜条件でSiC皮膜を被覆するには、ターゲットに印加する電力を抑えた成膜エネルギーが低い状態で被覆する必要があるため、靭性が高く硬質な結晶性が優れる六方晶構造相のSiCを含むSiC皮膜を得るのは困難であった。
【0019】
発明者らは、ターゲットの電導性を改善する手法について鋭意研究した。そして、導電性を高めるためにSiC粉末にC粉末を混ぜ合わせて作製した、特定量のC相を含有したSiC複合ターゲットを用いることで、ターゲット表面の電気伝導率が格段に向上して、高い電力を供給することで、靭性が高く硬質な結晶性が優れる六方晶構造相のSiCを含み、さらにはC原子をSi原子よりも多く含有し、X線光電子分光分析において炭素と珪素の結合だけでなく炭素と炭素の結合ピークが検出される耐摩耗性と摺動特性に優れたSiC皮膜を得ることができたのである。
上述した通り、Cを多く含むと耐摩耗性が劣化する場合があるため、好ましい硬質皮膜を得るために、ターゲット中のC相は25体積%以下とする。
ターゲット表面の電気伝導率を向上させるためにターゲット中のC相は2体積%以上であることが好ましい。
【0020】
SiC皮膜の組織により効率的に結晶性が高い六方晶構造相のSiCを含ませるためには、SiC複合ターゲットに印加する平均電力を2kW以上とする。より好ましくは3kW以上とすることが好ましい。ターゲットに印加する平均電力が2kW未満だと、成膜のエネルギーが低いため非晶質となり易く、六方晶構造相のSiCを含有させるのが困難となる。また、成膜レートが低いので生産性も好ましくない。
装置の負荷および電力供給を安定させるためにも、ターゲットに印加する平均電力は10kW以下とすることが好ましい。
【0021】
また、本発明において上述した特定の中間皮膜を被覆するには、上記のスパッタリング法に限らず、アークイオンプレーティング法やイオンプレーティング法等の物理蒸着法が適用できるし、化学蒸着法で被覆しても良い。
【0022】
本発明で採用するスパッタリング法とは、基材にバイアス電圧を印加して、ターゲットをカソードとし、ターゲットに電力を印加して発生するグロー放電を利用し、ターゲットに衝突するイオンによってターゲット成分を弾き飛ばすスパッタ現象を利用する成膜手法である。
例えば、DC(直流)スパッタリング法、RF(高周波)スパッタリング法、非平衡マグネトロンスパッタリング法、パルス電源を利用したスパッタリング等の他には、HIPIMS(High Power Impulse Magnetron Sputtering)やHPPMS(High Power Pulse Magnetron Sputtering)等に代表されるターゲット成分のイオン化率が高い、高出力パルスマグネトロンスパッタリング法でも成膜することができる。
高出力パルスマグネトロン法で成膜することで、SiCの結晶性が向上し、より高硬度化するため好ましい。
【実施例1】
【0023】
<特性評価用試料の作成>
皮膜特性の評価をするための試料を作製した。基材にはJISに規定される高速度鋼SKH51を用意し、これを真空中1180℃の加熱保持から窒素ガス冷却により焼入れ後、540〜580℃での焼戻しにより64HRCに調質したものを用いた。基材の寸法は、厚さ5mm、直径20mmの円筒状である。
【0024】
次に、上記の円筒状基材の表面を♯1000、♯1500の研磨紙により磨いた後、電解研磨を行い、最後にエアロラップ処理(株式会社ヤマシタワークス製エアロラップ装置(AERO LAP YT−300)使用)により平滑化して、表面粗さをRaで0.02μm、Rzで0.2μmに整えた。そして、炭化水素系の溶剤中で超音波洗浄し、脱脂したものにつき、以下の表面処理を施して、本発明例および比較例となる評価用試料を作製した。
【0025】
成膜手段には、基材にバイアス電圧を印加するDCスパッタリング法を採用した。本発明皮膜を成膜するには、SiC粉末とC粉末を原料に、C相の含有量を変化させたSiC複合ターゲットを準備した。比較例用にはC相を含有しない通常のSiCターゲットを準備した。ターゲットのサイズは500mm×88mm、厚みを10mmとした。
【0026】
C相の含有量が5体積%のSiC複合ターゲットは、SiC粉末とC粉末を95:5の体積比率で混合し作製した。作製したターゲットの酸素量は871ppmであった。
C相の含有量が10体積%のSiC複合ターゲットは、SiC粉末とC粉末を90:10の体積比率で混合し作製した。作製したターゲットの酸素量は638ppmであった。
C相の含有量が20体積%のSiC複合ターゲットは、SiC粉末とC粉末を80:20の体積比率で混合し作製した。作製したターゲットの酸素量は426ppmであった。
C相を含有しないSiCターゲットの酸素量は612ppmであった。
【0027】
成膜装置には、窒化物中間層等を同一チャンバー内で連続して成膜するために、スパッタ蒸発源を4機搭載できる装置を使用した。そのうち、ターゲット蒸発源の1機にターゲットを設置して成膜した。
【0028】
バイアス電源は、基材に接続され、独立して基材に負圧のバイアス電圧を印加する。基材は、毎分2回転で自転しかつ、固定冶具とサンプルホルダーを介して公転する。基材とターゲット表面間の距離は50mmとした。導入ガスは、Ar、Krを用い、ガス供給ポートから導入した。
【0029】
まず成膜装置内のヒーターにより基材温度が500℃になった状態で90分間の加熱を行い、真空容器(チャンバー)内の圧力が4×10−3Paに達した後、Arガスを真空容器内に導入し、炉内の圧力を0.2Paとした。そして、基材に−200Vの直流バイアス電圧を印加した。Arイオンによる基材のクリーニングを10分間実施した。
【0030】
容器内の圧力を1×10−3Paに真空排気して、基材の温度を450℃の一定とし、一定流量のArガス500ml、のもとで、容器内の圧力が600mPaになるようにKrガスを導入した。そして、バイアス電圧を−120V、アノード電圧を−110Vに設定した。各皮膜の被覆条件を表1に示す。
【0031】
【表1】

【0032】
本発明例の試料No.1〜3は、SiC複合ターゲットを使用し、ターゲットに印加する平均電力を3.5kWに設定した。
試料No.4は、C粉末を含有しない通常のSiCターゲットを使用した。この場合、ターゲット表面の電気抵抗が高く、ターゲットに印加する平均電力を1kWよりも大きく設定した場合、ターゲット表面上で異常放電が発生して成膜が出来なかった。そのため、ターゲットに印加する平均電力を1kWに設定した。
試料No.5は、試料No.1と同じSiC複合ターゲットを使用し、ターゲットに印加する平均電力を1.0kWに設定した。
各皮膜の膜厚は2μmになるように被覆し、被覆試料は200℃以下に冷却後、容器内から取り出し皮膜特性を評価した。
【0033】
<皮膜組成>
各試料の皮膜組成を、電子プローブマイクロアナライザー(EPMA;日本電子(株)製JXA−8900R)を用いて分析した。分析は、皮膜の最表面に対し試験片を5度傾けた皮膜断面を鏡面研磨後実施した。そして分析値は、加速電圧15kV、試料電流0.2μA、計数時間10秒とした測定を5回実施し、その平均値とした。表2に皮膜組成の分析結果を示す。数値は原子比を示す。
【0034】
【表2】

【0035】
定量分析で定性された酸素はターゲットに混入したもの、またはその他要因も含め不可避的に混入したと考えられる。SiC複合ターゲットで成膜した試料No.1〜3、5の皮膜では、C/Siが1.16〜1.73と、どれもCが多く含有された。通常のSiCターゲットを使用して成膜した試料No.4では、Cに対してややSiが多く含有された。
【0036】
<結晶構造、結晶粒径>
SiC皮膜の結晶構造および結晶粒径を測定するために、皮膜断面を透過型電子顕微鏡(TEM)を用いて観察した。まず、試料を切断しダミー基板上にエポキシ樹脂を用いて接着し、その後、切断、Mo製補強リング接着、研磨、ディンプリング、Arイオンミーリングを行い断面TEM試料を準備した。測定前にはカーボン蒸着を施した。設備は日本電子製JEM−2010F型電界放射型透過電子顕微鏡を用い加速電圧を200kVとした。制限視野回折像はカメラ長50cm、制限視野領域をビーム直径680nmとした。格子像が観察された微小部は、微小部電子線回折(ビーム直径3nm以下)を実施した。
【0037】
図1は、本発明例である試料No.2の透過電子顕微鏡によるビーム直径680nmの制限視野回折像を示す。(002)又は(101)、(110)、(112)又は(200)の六方晶の結晶面に対応した結晶回折パターンがそれぞれ確認される。中でも、(002)又は(101)の六方晶の結晶回折パターンが最も明るく、最強強度を示すことが確認される。
本発明例の試料No.1、3も同様に、(002)又は(101)の六方晶の結晶回折パターンが最強ピークを示した。比較例である試料No.4、5は、結晶回折パターンは確認されなかった。
【0038】
図2は、本発明例である試料No.2の透過電子顕微鏡による断面写真の一例である。中心部左側には明確な格子像が確認される。観察された格子像の長径は概ね20nm以下で、10nm以下のものが多くあった。一方、明確な周期構造が確認されない箇所は、非晶質もしくは非常に微細な結晶粒子が混在していると推定される。
本発明例の試料1、3でも、明確な格子像と周期構造が確認されない両方が観察された。試料No.1では粒子径は概ね20nmであったが、試料No.3では格子像の長径は概ね30nm以下であった。
比較例である試料No.4、5は、明確な格子像は確認されず、制限視野回折像からも非晶質のSiCであることが確認された。
【0039】
図3は、本発明例である試料No.2の格子像が確認された粒子内部の微小部電子線回折を示す。(002)の六方晶の結晶面にスポットが最も明確に観察される。本結果からも、本発明のSiC皮膜の組織には、六方晶構造相のSiCを含有することが確認される。
本発明例の試料No.1、3も同様に格子像の部分では、(002)の六方晶の結晶面に最も明確なスポットが確認された。
【0040】
各皮膜の結合状態を解析するために、X線光電子分光分析を実施した。使用した装置はPHI社製のQuantum2000型走査型X線光電子分光装置を用い、X線源にAlKα(モノクロ)、分析領域を直径100μm、電子中和銃とした。測定に際し、表層のコンタミを除去するために、Arイオン銃を使用して試料表面を3分間エッチングしたのちに分析を実施した。このときのエッチング速度がSiO換算で9nm/分であった。得られたスペクトルから結合状態を調べるために、ピークフィッティングを行った。その一例として、図4に本発明例である試料No.2のX線光電子分光分析によるピークプロファイルを示す。炭素と珪素の結合に帰属する結合エネルギー282〜284eVのピークと、炭素と炭素の結合に帰属する284〜285eVのピークが確認される。
非特許文献(M.Xu.et al.;J.Non−Cryst.Solids 352(2006)5463.)を参照にして、X線光電子分光分析の結果から、各皮膜の結合状態の比率を算出した。その結果を表3に示す。
【0041】
【表3】

【0042】
SiC複合ターゲットを使用した試料No.1〜3、5は炭素と炭素の結合エネルギーのピークが確認されたが、通常のSiCターゲットを使用した試料No.4では確認されなかった。C相の含有量が少ない試料No.1、5は炭素と炭素の結合エネルギーのピーク強度比は小さくなった。
【0043】
<硬度測定>
エリオニクス製のナノインデンテーション装置を用い、硬質皮膜の硬度を測定した。皮膜の硬度を測定するために、試験片を5度傾けて、鏡面研磨後、皮膜の研磨面内で最大押し込み深さが層厚の略1/10未満となる領域を選定した。このとき略1/5程度でも基材の影響はなかった。押込み荷重49mN、最大荷重保持時間1秒、荷重負荷後の除去速度0.49mN/秒の測定条件で10点測定し、その平均値を求めた。本測定方法における皮膜硬度は、圧子の微細形状、測定時の温度、湿度、試料の表面状態に左右され易く、得られる数値は必ずしもビッカース硬さと一致しない。そのため、標準試料である単結晶Siを測定した。そのときの単結晶Siの皮膜硬さは12GPaであり、本測定結果をもとに相対比較することができる。測定結果を表4に示す。
【0044】
【表4】

【0045】
SiC複合ターゲットで成膜した本発明例の試料No.1〜3のSiC皮膜は、比較例である試料No.4、5のSiC皮膜に比べて高硬度であった。特に、硬質皮膜中のSi含有量が多い試料No.1、2では48GPa以上の高硬度であった。
【0046】
<摩擦係数測定>
SiC皮膜のFe系材に対する摩擦係数を測定するためにボールオンディスク摩耗試験を行い、平均摩擦係数を測定した。測定結果を表5に示す。
ボール : φ6鏡面仕上げ、材質:SUJ2(60HRC)
基材 : φ20鏡面仕上げ、各種コーティング
回転半径 : 3mm
回転スピード : 10cm/s
荷重 : 2N
摺動距離 : 100m
摺動環境 : 室温、無潤滑

【0047】
【表5】

【0048】
SiC複合ターゲットで成膜した試料No.1〜3、5は、通常のSiCターゲットで成膜した試料No.4に比べて摩擦係数が低くなった。これは、硬質皮膜中に炭素と炭素の結合が含有され潤滑性能の優れるC原子が多く含有されているためである。
【0049】
<残留応力測定>
残留応力の測定するために,超微粒系超硬合金のJIS−Z20相当の板厚:0.7〜0.9mmの試験片を、上記の試料No.1〜5と同一の条件で成膜し、コーティング中に生じる試験片のたわみ量を測定して、以下の(1)式より算出した。ここで,Eは被覆基体のヤング率(517.54GPa)、νは被覆基体のポアソン比(0.238),lは最大たわみ量までのテストピースの長さ、dは皮膜の厚み,Dは被覆基体の厚み、δは試験片のたわみ量である。結果を表6に示す。

σ=E・D・δ/3・l(1-ν)・d ・・・[式1]

【0050】
【表6】

【0051】
組織中に六方晶の結晶構造相を有する本発明の試料No.1〜3は、非晶質である試料No.4、5比べて残留圧縮応力が高くなった。
【実施例2】
【0052】
<切削試験評価用試料の作製>
切削試験は超微粒子超硬合金製(WC−Co−VC−Cr、WC平均粒径:0.4μm、Co含有量:6重量%、VC含有量:0.2重量%、Cr含有量0.6重量%)の2枚刃、半径5mmのボールエンドミルの基材にSiC皮膜を被覆した試料を作製して行った。
被覆には実施例1で使用したスパッタリング装置を使用し、基材とSiC皮膜の密着強度を補完するための中間皮膜用にスパッタ蒸発源の1機にAl60Cr37Si3(数値は原子比、以下同様)のターゲットを1機と、実施例1で使用したSiC皮膜を被覆するターゲットを1機設置し、中間皮膜用のターゲットを駆動した後、SiC皮膜用のターゲットを駆動することで中間皮膜とSiC皮膜を被覆した。SiC皮膜を被覆するターゲットとしては、実施例1における表1と同じ、表7に示すターゲットを用い、同じ条件で試料No.6〜10を被覆した。
【0053】
具体的には、実施例1と同様の手順で基材をArイオンによりクリーニングを行った後、一定流量のArガス500mlのもとで、容器内の圧力が600mPaになるようにNガスを導入した。そして、バイアス電圧を−120V、アノード電圧を−110V、Al60Cr37Si3ターゲットに印加する平均電力を8kWに設定し、AlCrSiの窒化物を中間皮膜として略2μm被覆した。その後、実施例1と同様の条件でSiC皮膜を2μmになるよう被覆した。
【0054】
【表7】

【0055】
得られたSiC皮膜の組成と構造を実施例1と同様の方法で確認したところ、試料No.6ないし10は、それぞれ試料No.1ないし5と同様の皮膜組成と構造とを有していた。

【0056】
切削条件を下記に示す。寿命評価結果を表8に示す。
[切削条件]
被削材:マルテンサイト系ステンレス鋼(HRC52)
工具回転数:20000回転/分
テーブル送り量:6000m/分
切り込み深さ:軸方向0.4mm、ピックフィード0.4mm
加工方法:ドライ切削
寿命判定:最大摩耗幅が0.1mmに達するまでの切削長、但し10m未満切り捨てた。
【0057】
【表8】

【0058】
本発明例である試料No.6〜8のSiC皮膜を被覆した切削工具は比較例に比べて格段に優れた耐久性であり、工具寿命が大幅に延長した。比較例であるNo.9、10は、摩耗の進行が本発明に比較して著しく早い結果であった。本発明例は、潤滑性に優れるため、特に切れ刃表面の溶着物が減少して切削抵抗が低い。しかも高硬度で耐熱性に優れることから、優れた耐久性を示したと推定される。
【産業上の利用可能性】
【0059】
本発明は、優れた耐摩耗性と摺動特性が要求される用途、例えば切削工具や金型等に用いられる被覆部材およびその製造方法について述べたものである。そして、その優れた耐摩耗性と摺導特性を考慮すると、自動車部品等の部材へ適用しても、優れた耐久性を発揮することが可能である。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
スパッタリング法によって被覆した硬質皮膜を表面に有する被覆部材であって、該硬質皮膜は原子比でSiよりもCが多いSiC皮膜であり、該硬質皮膜の組織は六方晶構造相を含有し、X線光電子分光分析において、炭素と珪素の結合に帰属する結合エネルギー282〜284eVのピークと、炭素と炭素の結合に帰属する284〜285eVのピークが存在することを特徴とする摺動特性に優れた被覆部材。
【請求項2】
X線光電子分光分析において、炭素と珪素の結合に帰属する結合エネルギー282〜284eVのピーク強度比をPs、炭素と炭素の結合に帰属する284〜285eVのピーク強度比をPcとしたとき、Ps+Pc=100、10<Pc<35を満たすことを特徴とする請求項1に記載の摺動特性に優れた被覆部材。
【請求項3】
硬質皮膜の組織は、非晶質に六方晶の結晶構造相を含むことを特徴とする請求項1または2に記載の耐摩耗性と摺動特性に優れた被覆部材。
【請求項4】
硬質皮膜の組織は、透過型電子顕微鏡による電子線回折において、(101)又は(002)の六方晶の結晶面が最大強度を示すことを特徴とする請求項1ないし3のいずれかに記載の耐摩耗性と摺動特性に優れた被覆部材。
【請求項5】
被覆部材の基材と硬質皮膜の間に、Al、Ti、Cr、Nb、W、Siから選択される少なくとも1種の元素の窒化物又は炭窒化物でなる中間皮膜を有することを特徴とする請求項1ないし4のいずれかに記載の耐摩耗性と摺動特性に優れた被覆部材。
【請求項6】
スパッタリング法によって被覆した硬質皮膜を表面に有する被覆部材の製造方法であって、0を超え25体積%以下のC相を含んだSiC複合ターゲットを用い、該SiC複合ターゲットに印加する平均電力を2kW以上でスパッタし、原子比でSiよりもCが多く、六方晶の結晶構造相を含み、X線光電子分光分析において、炭素と珪素の結合に帰属する結合エネルギー282〜284eVのピークと、炭素と炭素の結合に帰属する284〜285eVピークが存在するSiC皮膜を被覆することを特徴とする耐摩耗性と摺動特性に優れた被覆部材の製造方法。
【請求項7】
C相を含んだSiC複合ターゲットのスパッタ前に、被覆部材の基材に、Al、Ti、Cr、Nb、W、Siから選択される少なくとも1種の元素の窒化物又は炭窒化物でなる中間皮膜を被覆しておくことを特徴とする請求項6に記載の耐摩耗性と摺動特性に優れた被覆部材の製造方法。
【請求項8】
SiC複合ターゲットのC相は、2体積%以上であることを特徴とする請求項6または7に記載の耐摩耗性と摺動特性に優れた被覆部材の製造方法。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【公開番号】特開2012−132035(P2012−132035A)
【公開日】平成24年7月12日(2012.7.12)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2010−282575(P2010−282575)
【出願日】平成22年12月20日(2010.12.20)
【出願人】(000005083)日立金属株式会社 (2,051)
【出願人】(000233066)日立ツール株式会社 (299)
【Fターム(参考)】