説明

非侵襲ヒト皮膚メラニン計測法及びその装置

【課題】バイオプシーを行わずに、ヒト皮膚メラニンを正確に定量し、その分布を観察、表示することのできる、新規の非侵襲ヒト皮膚メラニン計測法及びその装置を提供する。
【解決手段】産生メラニン量が異なる3次元モデル皮膚における拡散反射スペクトルと、化学的に定量したメラニン量とが対応したデータ群を得た。このデータ群に対して主成分分析を施して得たスコアについて、メラニン量の検量線を求めた。計測対象物の拡散反射スペクトルからスコアを算出し、これを検量線に当てはめることによって計測対象物のメラニン量を算出した。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、非侵襲ヒト皮膚メラニン計測法及びその装置に関する。
【背景技術】
【0002】
可視−近赤領域でのメラニンの光吸収特性については、長波長化に伴い単調減少スペクトルを示し、メラニン量が増えれば波長領域全域でスペクトル強度が増加することが知られている。従来の技術では、吸光度スペクトル強度をメラニン量に見立てることによって、ある波長(或いは波長バンド)での吸光度スペクトル強度分布をもってメラニン分布としていた。或いは、可視−近赤全領域での拡散反射フルスペクトルから計算される色座標パラメータ、若しくはそれらを波長バンドで計測した光強度で代表させたもの、の強度分布をもってメラニン分布としていた。しかし、これらの方法は、メラニン分布状態を定性的に観察するものであり、定量的にメラニン分布を測定するものではなかった。
【0003】
また、皮膚から計測した拡散反射スペクトルを分解してメラニン量を推定する方法も知られている(特許文献1)。この方法では、メラニンを含む色素自体の吸収或いは吸光度スペクトルが既知であることが前提となる。しかし、合成メラニンの吸収或いは吸光度スペクトルは分かっているものの、人体内で産生されるメラニンを含む色素自体の本当の吸収或いは吸光度スペクトルがどのようなものかは未だ分かっていないため、正確な定量ができなかった。
【0004】
このため、光スペクトルを利用してヒト皮膚メラニンを正確に定量しようとするとき、バイオプシー(生体採取)が避けられなかった。しかし、バイオプシーは人体に負担を強いることになり、好ましくない。
【特許文献1】国際公開WO2005/079661号パンフレット
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0005】
そこで、本発明は、バイオプシーを行わずに、ヒト皮膚メラニンを正確に定量し、その分布を観察、表示することのできる、新規の非侵襲ヒト皮膚メラニン計測法及びその装置を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0006】
本発明の非侵襲ヒト皮膚メラニン計測法は、産生メラニン量が異なる3次元モデル皮膚において拡散反射スペクトルを計測して空間的に平均された拡散反射スペクトルを求める第1のステップと、
化学的に3次元モデル皮膚のメラニン量を定量する第2のステップと、
第1のステップで求めた拡散反射スペクトル対して主成分分析を施してローディングベクトルとスコアを求める第3のステップと、
第3のステップで求めたスコアと第2のステップで定量したメラニン量の関係を式
【0007】
【数1】

【0008】
(ここで、Sは拡散反射スペクトルデータ群より算出したスコア、Mは化学的手法によって求められたメラニン量)に当てはめて検量線を求める第4のステップと、
計測対象物の拡散反射スペクトルを第3のステップで求めたローディングベクトルに射影することでスコアを算出する第5のステップと、
第5のステップで求めたスコアを第4のステップで求めた検量線に当てはめて計測対象物のメラニン量を算出する第6のステップと
を備えたことを特徴とする。
【0009】
また、拡散反射スペクトルの波長域を620nm−720nmとすることを特徴とする。
【0010】
また、産生メラニン量が異なる3次元モデル皮膚において拡散反射スペクトルを計測して空間的に平均された拡散反射スペクトルを求める第1のステップと、
化学的に3次元モデル皮膚のメラニン量を定量する第2のステップと、
第1のステップで求めた拡散反射スペクトルから式
【0011】
【数2】

【0012】
(ここで、R1,2,…,nは光の拡散反射率、Tは第i層の拡散透過率)を用いて各波長のx、yスペクトル強度を同定する第3のステップと、
第3のステップで同定された各波長のx、yスペクトル強度と第2のステップで定量されたメラニン量との関係から検量線を求める第4のステップと、
計測対象物の拡散反射スペクトルからx、yスペクトル強度を算出する第5のステップと、
第5のステップで求めたx、yスペクトル強度を第4のステップで求めた検量線に当てはめて計測対象物のメラニン量を算出する第6のステップと
を備えたことを特徴とする。
【0013】
本発明の非侵襲ヒト皮膚メラニン計測装置は、計測対象物に白色光を照射する白色光源と、前記計測対象物により拡散反射された光を分光する分光器と、この分光器により分光された拡散反射スペクトルを検出する検出器と、この検出器により検出された拡散反射スペクトルのデータが入力されるデータ処理装置と、前記白色光源からの白色光を直線偏光化しこの白色光の偏光面と垂直な直線偏光成分のみを前記分光器に入射させる偏光板とを備えたことを特徴とする。
【0014】
また、前記データ処理装置には3次元モデル皮膚のメラニン量のデータが入力されるとともに、前記データ処理装置は、本発明の非侵襲ヒト皮膚メラニン計測法にしたがって計測対象物のメラニン量を算出可能に構成されたことを特徴とする。
【0015】
また、前記検出器は、計測中央部に常に焦点を合わせることができる自動焦点機能を有していることを特徴とする。
【0016】
また、顕微光学系機能を有することを特徴とする。
【発明の効果】
【0017】
バイオプシーを行わずに、ヒト皮膚メラニンを正確に定量し、その分布を観察、表示することができる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0018】
以下、本発明の好ましい実施形態について説明する。
【0019】
はじめに、本発明による非侵襲ヒト皮膚メラニン計測装置の一実施例について図1と図2を参照して説明する。図1において、1は計測対象物Sを置くステージ、2は白色光源である。ステージの上方にはスリット3を備えた分光器4が設けられている。分光器4は、透過型グレーティングを搭載したイメージング分光器である。計測対象物の1ラインから反射した光はスリット3を通り、分光器で分光されて検出器たるCCDカメラ5の受光面に結像する。すなわち、CCDカメラ5の受光面のX軸は計測対象物の1ライン上の位置に対応し、Y軸方向は分光された光のスペクトルとなる。
【0020】
図2に分光器4の詳細構造を示す。スリット3はスリット本体3aと集光するためのレンズ3bとで構成されている。さらに2枚のレンズ4a、4cとの間にある透過型グレーティング方式のプリズム4bとにより構成されている。CCDカメラ5には、EM(Electron Multiplying)CCDカメラや光電子増倍管が搭載されたCCDカメラなどを用いて、微弱な光にも感じるように感度を高めている。
【0021】
この装置の光学的部分の構成はこのようになっているので、CCDカメラの1フレームで、計測対象物Sの1ラインの拡散反射スペクトルデータを取得できる。このデータはデータ処理装置6に入力される。続いて、ステージを微小な長さ動かして次の1ライン拡散反射スペクトルデータをCCDカメラの次のフレームに取得し、データ処理装置に送る。この動作を繰り返すことにより、2次元の面の拡散反射スペクトルデータを取得できる。実際には、上記X軸に対応する計測対象物表面の1ラインに垂直な方向に掃引させる機構、例えば、調節手段7でステージをほぼ連続的に移動させながら、その動作に同期してCCDカメラ5でデータを取得するようになっている。
【0022】
また、図示しないが、本実施例の装置は、一組の偏光板を備えている。この偏光板により、白色光源2からの光が直線偏光化されるとともに、この直線偏光化された白色光源2からの光の偏光面と垂直な直線偏光成分のみを分光器4に入射させるようになっている。これにより、計測対象物Sの表面で生じる乱反射の影響が抑制されるようになっている。なお、この2つの直線偏光の向きは任意に設定できるように構成されている。
【0023】
また、図示しないが、本実施例の装置は、計測中央部に常に焦点を合わせることができる自動焦点(AF)機能を有している。これにより、計測対象物Sの表面の比較的空間周波数の大きな凹凸に起因する影の影響を抑制することができるようになっている。
【0024】
さらに、図示しないが、本実施例の装置は、色素病変と正常部との境界領域観察に優れる顕微光学系機能を有している。
【0025】
そして、この装置は、搭載しているスリット3の光学スリット長と分光器4の光学系倍率が決める計測画面縦寸法と、スリット3の光学スリット幅と調節手段7の駆動ソフト設定が決める計測画面横寸法と、CCDカメラ5の1画素寸法、スリット3の光学スリット幅と分光器4の光学系倍率が決める1画素寸法、を2次元画像の基本長さスケールとして、2次元画像内各画素に分光器4の特性が決める波長範囲内の拡散反射スペクトルを格納できる。この装置は、位置の情報と拡散反射スペクトルの情報を、光学スリットの長手方向と垂直方向に掃引、すなわちラインスキャンすることで、短時間で取得可能である。取得した計測対象の拡散反射スペクトルの解析は、2次元スペクトル画像の描画を可能にする。したがって、この装置によれば、拡散反射スペクトルに定性的・定量的な違いがあれば、そのような光学的に違いがある領域を強調表示することができる。拡散反射スペクトルから色の三原色各要素値を計算して、それをもとに描画すれば、カラー写真と遜色ない擬似カラー画像も再構成できる。
【0026】
つぎに、本発明による非侵襲ヒト皮膚メラニン計測法について説明する。本発明による非侵襲ヒト皮膚メラニン計測法は、非臨床シミュレーションという新しい概念に基づくものである。すなわち、角質層、顆粒層、有棘層、ヒト由来のメラノサイトを含む基底層からなる表皮に対する3次元モデル皮膚を、メラニンが産生、拡散される表皮のシミュレーターとする。一定条件のUVB照射下で2週間培養した3次元モデル皮膚の拡散反射スペクトルを計測すると同時に、そこで実際に産生されたメラニン量を化学的方法で定量する。これにより、計測された平均拡散反射スペクトルあるいはそれらから提案する数理モデル(後述)に基づいて抽出される各種パラメータ値と、実際のメラニン量との1:1対応が可能となる。さらにその数理モデルは、3次元モデル皮膚と実際の皮膚で計測される拡散反射スペクトル或いは抽出されたパラメータとを関係づけることができるので、実際のヒト皮膚で計測される拡散反射スペクトルからメラニン量を推定できることになる。その推定値は、生体内で合成されるメラニン高分子との関連が不明な合成メラニン高分子のスペクトルを用いる従来法に比べて、信頼性が高い。ヒト皮膚から計測される拡散反射スペクトルに基づいて最終的に描画される画像は、定量的な2次元メラニン量分布図を与える。以下、数理モデルI、IIについて詳細に説明する。
【0027】
[数理モデルI]
主成分分析は本来統計的手法の一つであり、得られたデータ群から互いに独立した成分を導出する教師なしの多変量解析であり、現在、スペクトルを用いた定量法の一つとしてしばしば用いられている。元となる式は以下の通りである。
【0028】
【数3】

【0029】
ここで、Aは一つにつきM個の波長で計測されたN個のデータ群でありN×M行列となる。また、TはN×M行列のスコア、PはM×M行列のローディングベクトルと呼ばれる。
【0030】
主成分分析を行うと、スペクトルを構成する波長の数Mと同じだけのローディングベクトルとスコアが得られる。このローディングベクトルはM次の多次元空間を構成する軸として捉えられ、スコアはその軸上の座標に相当する。データ群Aが吸収スペクトルによって構成されている場合、ランベルト・ベール則からローディングベクトルは測定対象を構成する成分の一つが表す吸収スペクトル、スコアはその構成成分の量に対応すると考えられる。
【0031】
データ群Aが拡散反射スペクトルによって構成されている場合には、測定対象を多層として捉えることによりローディングベクトルは各界面からの反射率、スコアは成分量に対応すると考えられる。ただし、拡散反射測定では対象表面での正反射光が強いため、正しくメラニンの拡散反射スペクトルに対応するローディングベクトルを得ることが困難になる。これを解決するため、偏光板の導入は効果的である。
【0032】
本発明では、上述した装置を用いて、まず、産生メラニン量が異なる3次元モデル皮膚において拡散反射スペクトルを計測し、空間的に平均された拡散反射スペクトルを求める。一方で化学分解法(chemical degradation method)を用いた化学的手法によるメラニン定量を行なう。この段階で、化学的に定量されたメラニン量に1:1で対応する平均拡散反射スペクトルが得られる。このデータ群に対して主成分分析を施し、メラニンの拡散反射スペクトルに対応するローディングベクトルとスコアを求める。
【0033】
具体的には、ローディングベクトルとスコアはつぎのようにして求める。N×M行列で表されるデータ群Aに関して期待値0とした共分散行列を求め、これに関して固有値問題を解くことで得られる固有ベクトルが全成分(M個)のローディングベクトルPとなる。
【0034】
【数4】

【0035】
ここで算出されたローディングベクトルは直交化されているので、M次元空間中の軸を表すと考えられる。N個のデータ中のi番目のものAを第j主成分のローディングベクトルPに射影することで、スコアTj,iが得られる。
【0036】
【数5】

【0037】
つぎにスコアとメラニン量の関係、すなわち検量線を求める。なお、検討の結果、このとき以下の式がデータとベストフィットすることがわかっている。
【0038】
【数6】

【0039】
ここで、Sは拡散反射スペクトルデータ群より算出したスコア、Mは化学的手法によって求められたメラニン量である。
【0040】
同じ装置を用いて計測対象物であるヒト皮膚の拡散反射スペクトルをメラニンに対応する上で求めたローディングベクトルに射影することで、簡単にスコア量が算出できる。このスコア量を上述の検量線に当てはめると、メラニン量を算出できる。その結果、ヒト皮膚のメラニン量分布画像を描画可能である。
【0041】
ヒト皮膚の構造は、表層から表皮、真皮、皮下組織となっており、真皮組織より奥には血管網が存在する。したがって、ヒト皮膚から計測する拡散反射スペクトルでは、メラニンスペクトルとヘモグロビンスペクトルが干渉している。本方法は、波長域を限定することで、ヘモグロビンスペクトルの影響を抑制することができる。例えば波長域620nm−720nmを利用する。このようにしてもスペクトル干渉の影響を完全に除去することはできないと考えられるが、その簡便さゆえに極めて有用な方法である。
【0042】
[数理モデルII]
本方法によれば、ヒト皮膚から計測される拡散反射スペクトルでのメラニンスペクトルとヘモグロビンスペクトルの干渉を原理的に100%除去できる。
【0043】
クベルカ(Kubelka)とムンク(Munk)は、色の見え方すなわち拡散反射の本質が、物質による光の吸収と散乱にあることを明らかにしている(P. Kubelka and F. Munk, Z. tech. Phys. 12, p593(1931))。多層モデルを考え光の多重反射を考慮した理論はクベルカによって定式化されている。n層モデルにおいて、第i層の吸収係数をK、散乱係数をSとすると、全層におけるもどり光の総和、つまり観察される光の拡散反射率R1,2,…,nは式(1)のように表される(P. Kubelka, Journal of the Optical Society of America 38, 5: pp.448-457, 1948, ibid. 44, 4: pp.330-335, 1954)。
【0044】
【数7】

【0045】
は第i層の拡散透過率を表す。第i層の厚みをdとし、
【0046】
【数8】

【0047】
とすると、式(1)は式(3)のように書き換えることができる。
【0048】
【数9】

【0049】
式(3)に含まれる2n個の未知変数x、yがわかっていると、n層の多層モデルにおける理論的な拡散反射率を得ることができる。逆に、理論的には、拡散反射率から適切な拘束条件下で2n個の未知変数x、yを逆算することが可能である。
【0050】
実際のヒト皮膚では表皮、真皮などにおける変数を個別に計測することはほぼ不可能である。したがって、式(3)を用いて実験で得られた拡散反射スペクトルから、2n個の未知変数x、yを同定する作業に必要とされる拘束条件を見出す手法は、既知の合成メラニンスペクトルやヘモグロビンスペクトルに頼らざるをえない。本方法は、拘束条件として、ヒトの表皮における変数x、yの初期値として、3次元モデル皮膚において求められた波長に依存する値を用いるという、これまでにない発想に基づいている。
【0051】
ヒト3次元モデル皮膚をはじめとした各種培養細胞は一般に非常に薄く、その反射スペクトルを計測する場合、培養細胞に照射された光は細胞を透過し、その下に置かれた素材の反射・吸収の影響を強く受ける。そこで、本手法ではつぎのような工夫を加えることが望ましい。3次元モデル皮膚が入った石英ガラス製シャーレの下に、基準白色板を置く。この配置に対して、可視近赤光に対して透明である石英ガラス製シャーレを無視して、3次元モデル皮膚を第1層、下に置かれた基準白色板を第2層とする多層モデルを考え、3次元モデル皮膚固有の変数x、y(i=1)を求める。このモデルでは、式(3)においてT=0、R=C(一定値)とおくことができ、観察される反射率Rは第1層での多重散乱効果を考慮しない場合、式(4)のように表すことができ、考慮した場合、式(5)のように表すことができる。
【0052】
【数10】

【0053】
【数11】

【0054】
式(4)において、波長ごとの未知変数はx、yの2つである。x,yは式(2)に示したとおり、吸光係数・散乱係数に関連した変数であり、3次元モデル皮膚固有の変数である。そのようなx、yは、式(5)を満たすように決定される。そして、式(6)にしたがってx、yが求められる。
【0055】
【数12】

【0056】
ただしRexpは計測によって得られた3次元モデル皮膚の拡散反射率であり、λは計測したスペクトルの波長範囲にわたって和を取ることを意味する。未知変数の最適化には、例えば、ガウス・ニュートン法(非線形最小二乗法)を用いることができる。
【0057】
これらの演算には位置情報は含まれないため、計測対象に含まれる全ての点(計測に用いるCCDカメラの画素寸法が決める)における拡散反射スペクトルに対して個別にx、yスペクトルを算出することができる。したがって、各波長におけるx、yの2次元分布を描画できる。このことはメラニンの2次元分布描画を可能にすることを意味する。その具体的方法を以下に述べる。
【0058】
数理モデルIで述べたように、産生メラニン量が異なる3次元モデル皮膚において拡散反射スペクトルを計測し、空間的に平均された拡散反射スペクトルを求める。一方で化学分解法を用いた化学的手法によるメラニン定量を行う。次に、平均拡散反射スペクトルからx、yスペクトルを同定する。この後、例えば各波長のx、yスペクトル強度と、メラニン量との関係を求めれば、検量線が得られる。これを用いれば、x、yスペクトルからメラニン量を推定することができる。
【0059】
つぎに、ヒト皮膚のメラニン量推定法について説明する。既に述べたように、ヒト皮膚の構造は、表層から表皮、真皮、皮下組織となっており、真皮組織より奥には血管網が存在する。したがって、拡散反射スペクトルでは、メラニンスペクトルとヘモグロビンスペクトルが干渉している。
【0060】
本方法は式(3)に示したとおり多層に展開が可能であるので、皮膚の物理的構造を反映させたモデルに対する理論式導出が可能である。最も簡単なモデルは、2層モデルである。そこでは有限の厚さをもった表皮層と奥行き無限大と簡略化した真皮層を考える。モデルに基づいて理論式を導出すると、必要となるパラメータは、表皮層ではx、yスペクトル、真皮層ではxスペクトルだけとなる。実際に計測された拡散反射スペクトルを再現できるように表皮層のx、yスペクトルと真皮層のxスペクトルを同定するには、適切な拘束条件が必要となる。その拘束条件して、x、yスペクトルとして3次元モデル皮膚で求めたスペクトルを初期値とし、xスペクトルに対しては、例えば誰でも利用可能な100%酸化状態でのヘモグロビンスペクトルを初期値として設定するという初期値設定条件を利用することができる。こうすることで、式(4)の収束を高速化することができ、また誤収束を防ぐように、表皮層のx、yスペクトルはメラニンに支配され、真皮層のxスペクトルはヘモグロビンに支配されている物理的に意味があるパラメータを導出可能となる。同定された表皮層のx、yスペクトルを、上述の検量線を用いてメラニン量に換算すると、ヒト皮膚のメラニン量分布を描画できる。
【0061】
同定された真皮層のxスペクトルからは、ヘモグロビン総量の相対値を算出することも、従来から行われている方法で酸素飽和度を算出することも可能である。また、3層構造モデルのような重層モデルを考えることも可能である。この場合、真皮層と皮下組織別々にヘモグロビン起因のスペクトルを同定可能である。数理モデルIIは、数理モデルIに比べて、より厳密にメラニン量を推定可能である。
【0062】
本発明によれば、ヒト皮膚のメラニン量分布を非接触かつ非侵襲に計測できるため、例えばメラノーマといった色素性病変の診断に資するところが大きい。
【0063】
なお、本発明は上記実施例に限定されるものではなく、種々の変形実施が可能である。
【0064】
以下の具体的実施例により、本発明をさらに詳細に説明する。
【実施例1】
【0065】
[皮膚モデル培養]
皮膚モデルとして、マットテック社(MatTek Corporation)製のMEL−300Aを用いた。
【0066】
はじめに、インサートを搬送用培地より取り出し、37℃に予熱した0.9mlのEPI−100MM入り6ウェルプレートに移すことにより、組織移植を行った。そして、インサートが入ったプレートをインキュベーター(37℃、5%CO)に入れ、1時間平衡させて前平衡を行った。
【0067】
つぎに、処置済み組織が入ったプレートをインキュベーターに戻し、14日間培養した。そして、14日間の培養期間中、培地交換の作業を7回行った。
【0068】
なお、培地交換は、以下の手順で行った。プレート内の培地を吸引除去し、滅菌済みステンレスワッシャーを各ウェルに2段積みし、インサートをその上に置いた。その後、予熱した新しい培地3.5mlを各ウェルに添加した。前回添加したコウジ酸余剰分除去のため、PBS洗浄液にてインサートの内外を洗浄した。
【0069】
以上の培養は、メラニン生成抑制作用を有することが知られているコウジ酸を種々の濃度で加えてそれぞれ行うことで、種々の産生メラニン量を有する皮膚モデルを得た。
【実施例2】
【0070】
[化学的手法によるメラニン定量]
実施例1において培養終了後の皮膚組織をカップから外し、1.5mlチューブに入れ、凍結乾燥処理を施し、乾燥皮膚組織の重量測定を行った。そして、組織に1.0mlの超純水(miliQ-water)を加え、ガラスホモジネーターを用いてホモジナイズした。その後、超音波装置(Handy sonic model UR-20P)を用いてホモジナイズ後の組織に超音波処理を施した。サンプルを100μlずつスクリュー管へ分注した。
【0071】
そして、以下の手順により、ユーメラニン(Eumelanin)、フェオメラニン(Pheomelanin)について定量を行った。
【0072】
[ユーメラニンの定量]
PTCA(pyrrole-2,3,5-tricarboxylic acid)を定量し、これを指標としてユーメラニンを定量した。
【0073】
はじめに、100μlの組織溶解液に800μlの1M−HSOを添加した。そして、100μlのマウス肝ホモジナイズ液(500mg/10ml)を添加し、10分間振盪した。振盪の間、10μlの3%KMnOを加えた。また、振盪する間にKMnOの紫色が消えた時点で再度10μlの3%KMnOを加えた。その後、100μlの10%NaSOを加えた。
【0074】
つぎに、この反応液に対し約7mlのエーテル(アルミナ処理済)を加え、振盪し、エーテル画分をリム付き試験管に移した。そして、水性画分に再度約7mlのエーテルを加え、振盪し、水性画分に再度約7mlのエーテルを加え、エーテル画分を先ほどのリム付き試験管に移した。
【0075】
その後、試験管濃縮器(TC-10D)を用い、減圧下にてエーテル画分を濃縮乾固してから、真空ポンプを用いて完全に濃縮させた。
【0076】
そして、残渣に200μlの超純水(miliQ-water)を加え、ボルテックスにて混合した。溶液を1.5mlチューブに移し、遠心分離(10000rpm、1分間)した。
【0077】
上清をHPLC用チューブに移し、HPLC(検出器:JASCA 875-UV、ポンプ:JASCA PU-980、サンプラー:JASCA AS-2057plus、インテグレーター:JASCA 807-IT、カラム:JASCA 860-Co、バッファー:0.1M KPB(pH2.10):MeOH=99:1)によりPTCAを定量した。そして、PTCA量を160倍した数値をユーメラニン量とした(K.Wakamatsu and S. Ito, Pigment Cell Res 15: pp.174-183, 2002)。
【0078】
[フェオメラニンの定量]
4−AHP(4-amino-3-hydroxyphenylalanine)を定量し、これを指標としてフェオメラニンを定量した。
【0079】
はじめに、100μlの組織溶解液に30μlの30%HPOを加えた。そして、500μlの57%HIを加え、オイルバスにて130℃で20時間反応させた。放冷の後、別の試験管に反応液100μlを取り分けた。
【0080】
つぎに、反応液を真空ポンプを用いて乾燥させ、残渣に200μlの0.1M−HClを添加し、ボルテックスにて混合した。そして、これを1.5mlチューブに移し、遠心分離(10000rpm、1分間)した。
【0081】
上清をHPLC用チューブに移し、HPLC(検出器:JASCA 2020plus、ポンプ:JASCA 880-PU、サンプラー:JASCA AS-950-10、インテグレーター:JASCA 807-IT、カラム:JASCA catechol pack、バッファー:0.1Mクエン酸緩衝液(pH3.00):MeOH=96:4)により4−AHPを定量した。そして、4−AHP量を9倍した数値をフェオメラニン量とした(K.Wakamatsu and S. Ito, Pigment Cell Res 15: pp.174-183, 2002)。
【0082】
ユーメラニン(EM)とフェオメラニン(PM)の定量結果を表1に示す。
【0083】
【表1】

【実施例3】
【0084】
[数理モデルIへの当てはめ]
実施例1において得られた種々の産生メラニン量を有する皮膚組織について、それぞれPBS洗浄液にてインサート内外を洗浄した後、石英ガラス製シャーレに移し、上述した装置を用いて拡散反射スペクトルを計測し、空間的に平均された拡散反射スペクトルを求めた。このデータ群に対して上述の数理モデルIの主成分分析を施し、メラニンの拡散反射スペクトルに対応するローディングベクトルとスコアを求めた。そして、このスコアと実施例2で得られたメラニン量の関係を求めた。その結果を図3と図4に示す。なお、図3はフェオメラニン、図4はユーメラニンについての結果である。
【0085】
図3、図4の関係を既述の以下の式に当てはめて、最小自乗法により係数a、bを求めたところ、図3において、a=0.0899、b=0.0432のとき、相関係数の自乗Rは0.913、図4において、a=0.0776、b=0.0271のとき、相関係数の自乗Rは0.816となった。このことから今回作製したローディングベクトルは十分にメラニンの拡散反射スペクトルに対応していることが確認された。
【0086】
【数13】

【0087】
ここで、S(図3、4ではy)は本実施例で測定した拡散反射スペクトルデータ群より算出したスコア、M(図3、4ではx)は実施例2の化学的手法によって求められたメラニン量である。
【0088】
上記の式を用いて第一スコアから求めたフェーメラニンとユーメラニンの分布を図5、図6に示す。
【実施例4】
【0089】
[数理モデルIIへの当てはめ]
実施例1において得られた種々の産生メラニン量を有する皮膚組織について、それぞれPBS洗浄液にてインサート内外を洗浄した後、石英ガラス製シャーレに移し、この下に基準白色板を置いた。そして、上述した装置を用いて拡散反射スペクトルを計測し、空間的に平均された拡散反射スペクトルを求めた。この3次元モデル皮膚の拡散反射スペクトルに対し、上述の数理モデルIIの手法を適用したところ、図7、図8に示すように、長波長化に伴い、x、y共に単調減少することがわかった。ヒト3次元モデル皮膚はほぼ一定の厚みをもつ構造をしているため、上述の式(2)より、吸収係数・散乱係数共に単調減少であると推定される。これは従来の知見とも一致している。また光学式顕微鏡により3次元モデル皮膚の厚みを実測し、式(2)より吸収係数・散乱係数を推定したところ、実際のヒト皮膚における乳頭状真皮(血液を含まない)に対して、インビトロで同定された吸収係数・散乱係数の値とほぼ一致した(R. R. Anderson and J. A. Parrish, The Journal of Investigative Dermatology 77: pp.13-19, 1981)。
【0090】
図7、8は、フェオメラニン濃度とx、yスペクトルとの関係を示しており、これを用いることによりメラニン量を推定することができることが実証された。
【図面の簡単な説明】
【0091】
【図1】本発明による計測装置の概略図である。
【図2】本発明による計測装置に搭載された分光器の構成図である。
【図3】フェオメラニンの拡散反射スペクトルに対応するスコアとフェオメラニン量の関係を示すグラフである。
【図4】ユーメラニンの拡散反射スペクトルに対応するスコアとユーメラニン量の関係を示すグラフである。
【図5】フェオメラニンの分布を示す画像である。
【図6】ユーメラニンの分布を示す画像である。
【図7】フェオメラニン濃度とxスペクトルとの関係を示すグラフである。
【図8】フェオメラニン濃度とyスペクトルとの関係を示すグラフである。
【符号の説明】
【0092】
2 白色光源
4 分光器
5 CCDカメラ(検出器)
6 データ処理装置

【特許請求の範囲】
【請求項1】
産生メラニン量が異なる3次元モデル皮膚において拡散反射スペクトルを計測して空間的に平均された拡散反射スペクトルを求める第1のステップと、
化学的に3次元モデル皮膚のメラニン量を定量する第2のステップと、
第1のステップで求めた拡散反射スペクトル対して主成分分析を施してローディングベクトルとスコアを求める第3のステップと、
第3のステップで求めたスコアと第2のステップで定量したメラニン量の関係を式
【数1】

(ここで、Sは拡散反射スペクトルデータ群より算出したスコア、Mは化学的手法によって求められたメラニン量)に当てはめて検量線を求める第4のステップと、
計測対象物の拡散反射スペクトルを第3のステップで求めたローディングベクトルに射影することでスコアを算出する第5のステップと、
第5のステップで求めたスコアを第4のステップで求めた検量線に当てはめて計測対象物のメラニン量を算出する第6のステップと
を備えたことを特徴とする非侵襲ヒト皮膚メラニン計測法。
【請求項2】
拡散反射スペクトルの波長域を620nm−720nmとすることを特徴とする請求項1記載の非侵襲ヒト皮膚メラニン計測法。
【請求項3】
産生メラニン量が異なる3次元モデル皮膚において拡散反射スペクトルを計測して空間的に平均された拡散反射スペクトルを求める第1のステップと、
化学的に3次元モデル皮膚のメラニン量を定量する第2のステップと、
第1のステップで求めた拡散反射スペクトルから式
【数2】

(ここで、R1,2,…,nは光の拡散反射率、Tは第i層の拡散透過率)を用いて各波長のx、yスペクトル強度を同定する第3のステップと、
第3のステップで同定された各波長のx、yスペクトル強度と第2のステップで定量されたメラニン量との関係から検量線を求める第4のステップと、
計測対象物の拡散反射スペクトルからx、yスペクトル強度を算出する第5のステップと、
第5のステップで求めたx、yスペクトル強度を第4のステップで求めた検量線に当てはめて計測対象物のメラニン量を算出する第6のステップと
を備えたことを特徴とする非侵襲ヒト皮膚メラニン計測法。
【請求項4】
計測対象物に白色光を照射する白色光源と、前記計測対象物により拡散反射された光を分光する分光器と、この分光器により分光された拡散反射スペクトルを検出する検出器と、この検出器により検出された拡散反射スペクトルのデータが入力されるデータ処理装置と、前記白色光源からの白色光を直線偏光化しこの白色光の偏光面と垂直な直線偏光成分のみを前記分光器に入射させる偏光板とを備えたことを特徴とする非侵襲ヒト皮膚メラニン計測装置。
【請求項5】
前記データ処理装置には3次元モデル皮膚のメラニン量のデータが入力されるとともに、前記データ処理装置は、請求項1記載の非侵襲ヒト皮膚メラニン計測法にしたがって計測対象物のメラニン量を算出可能に構成されたことを特徴とする請求項4記載の非侵襲ヒト皮膚メラニン計測装置。
【請求項6】
前記データ処理装置には3次元モデル皮膚のメラニン量のデータが入力されるとともに、前記データ処理装置は、請求項3記載の非侵襲ヒト皮膚メラニン計測法にしたがって計測対象物のメラニン量を算出可能に構成されたことを特徴とする請求項4記載の非侵襲ヒト皮膚メラニン計測装置。
【請求項7】
前記検出器は、計測中央部に常に焦点を合わせることができる自動焦点機能を有していることを特徴とする請求項4〜6のいずれかに記載の非侵襲ヒト皮膚メラニン計測装置。
【請求項8】
顕微光学系機能を有することを特徴とする請求項4〜6のいずれかに記載の非侵襲ヒト皮膚メラニン計測装置。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【図8】
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【公開番号】特開2010−51589(P2010−51589A)
【公開日】平成22年3月11日(2010.3.11)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2008−220313(P2008−220313)
【出願日】平成20年8月28日(2008.8.28)
【国等の委託研究の成果に係る記載事項】(出願人による申告)平成20年度、文部科学省、地域科学技術振興事業委託事業、産業技術力強化法第19条の適用を受ける特許出願
【出願人】(899000068)学校法人早稲田大学 (602)
【出願人】(590002389)静岡県 (173)
【出願人】(000119472)一丸ファルコス株式会社 (78)
【Fターム(参考)】