説明

イオン散乱分光測定方法及びイオン散乱分光測定装置

【課題】プローブ粒子の照射量を適切に決定できるイオン散乱分光測定方法を提供する。
【解決手段】イオン散乱分光測定方法は、プローブ粒子の試料への照射開始工程と、試料で散乱され検出されたプローブ粒子数を第1照射量まで積算して第1イオン散乱分光スペクトルを得る工程と、検出プローブ粒子数を第1照射量より多い第2照射量まで積算して第2イオン散乱分光スペクトルを得る工程と、第1イオン散乱分光スペクトルに基づき、試料中の第1元素に対応する第1エネルギ範囲について、単位照射量当りの検出プローブ粒子数である第1の散乱率を算出する工程と、第2イオン散乱分光スペクトルに基づき、第1エネルギ範囲について、第2散乱率を算出する工程と、第2散乱率の第1散乱率に対する違いが基準に対して少ないかどうか判定する工程とを有する。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、イオン散乱分光測定方法及びイオン散乱分光測定装置に関する。
【背景技術】
【0002】
イオン散乱分光(ラザフォード後方散乱分光(RBS)とも呼ばれる)は、Heイオンや、Hイオン等のプローブ粒子と、試料中の各種元素との散乱相互作用を利用して、試料中の元素組成等を分析する手法である。イオン散乱分光では、プローブ粒子を試料に照射することに起因して、試料がダメージを受ける可能性がある。例えばこのような試料へのダメージを抑制するために、プローブ粒子の照射量は、適切に決定されることが好ましい。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0003】
【特許文献1】特開2010−010126号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0004】
本発明の一目的は、プローブ粒子の照射量の適切な決定を図ることができるイオン散乱分光測定方法及びイオン散乱分光測定装置を提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0005】
本発明の一観点によれば、イオン散乱分光のプローブ粒子の、試料への照射を開始する工程と、前記試料で散乱され、検出器で検出された前記プローブ粒子の粒子数を、前記プローブ粒子の第1の照射量まで積算して、エネルギ毎の検出プローブ粒子数の分布を示す第1のイオン散乱分光スペクトルを得る工程と、前記試料で散乱され、検出器で検出された前記プローブ粒子の粒子数を、前記プローブ粒子の前記第1の照射量より多い第2の照射量まで積算して、エネルギ毎の検出プローブ粒子数の分布を示す第2のイオン散乱分光スペクトルを得る工程と、前記第1のイオン散乱分光スペクトルに基づき、前記試料に含まれる第1の元素に対応する第1のエネルギ範囲について、前記プローブ粒子の単位照射量当りの検出プローブ粒子数である第1の散乱率を算出する工程と、前記第2のイオン散乱分光スペクトルに基づき、前記第1のエネルギ範囲について、前記プローブ粒子の単位照射量当りの検出プローブ粒子数である第2の散乱率を算出する工程と、前記第2の散乱率の前記第1の散乱率に対する違いが、予め定められた第1の基準に対して少ないかどうか判定する工程とを有するイオン散乱分光測定方法が提供される。
【発明の効果】
【0006】
第2の照射量のプローブ粒子を照射して得られた第2の散乱率の、第1の照射量のプローブ粒子を照射して得られた第1の散乱率に対する違いが、基準に対して少ないかどうか判定することにより、イオン散乱分光の測定結果が安定してきているかどうか判断することができるので、プローブ粒子照射量の適切な決定が図られる。
【図面の簡単な説明】
【0007】
【図1】図1は、本発明の実施例によるイオン散乱分光測定装置を概略的に示す断面図である。
【図2】図2は、イオン散乱分光測定の真のスペクトルと、ダメージを受けた試料のスペクトルとを概念的に示す。
【図3】図3Aは、実施例のイオン散乱分光測定で得られた照射量1000nC及び照射量5000nCでの測定スペクトルを示し、図3Bは、照射量45000nCでの測定スペクトルを示す。
【図4】図4は、実施例のイオン散乱分光測定でプローブ粒子の総照射量を決定する方法の流れを示すフローチャートである。
【図5】図5Aは、実施例のイオン散乱分光測定で得られた照射量4000nCでの測定スペクトルと推定スペクトルとを示し、図5Bは、照射量5000nCでの測定スペクトルと推定スペクトルとを示し、図5Cは、照射量4000nC及び照射量5000nCの推定スペクトルを示し、図5Dは、照射量4000nC及び照射量5000nCの推定スペクトルを、強度を揃えて示す。
【発明を実施するための形態】
【0008】
まず、本発明の実施例によるイオン散乱分光測定装置の構造と、イオン散乱分光測定方法の概略について説明する。
【0009】
図1は、実施例のイオン散乱分光測定装置の構造を概略的に示す断面図である。実施例のイオン散乱分光測定装置は、プローブ粒子照射装置1、チャンバ2、検出器3、及び分析装置4を含んで形成される。
【0010】
プローブ粒子照射装置1は、イオン源1a、加速管1b、及びWienフィルタ1cを含む。イオン源1aが、プローブ粒子としてイオン(例えばHeイオン)を出射する。イオン源1aから出射されたプローブ粒子が、加速管1bで、例えば数百kV程度に加速される。Wienフィルタ1cが、加速管1bで加速されたプローブ粒子のうち、所望のエネルギのプローブ粒子を選択的に通過させる。Wienフィルタ1cを通過したプローブ粒子が、チャンバ2に入射する。
【0011】
分析対象試料Sが、チャンバ2の内部に保持されている。プローブ粒子が、試料Sに照射され、試料S中の元素と相互作用して散乱される。プローブ粒子のエネルギは、相互作用した元素の種類や、元素の深さ方向位置に応じて変化する。試料Sで散乱されたプローブ粒子が、検出器3で検出される。
【0012】
検出器3は、磁場フィルタ3a及びポジションセンシティブディテクタ(PSD)3bを含む。試料Sで散乱されたプローブ粒子のうち、チャンバ2の出射口方向に進行するものが、チャンバ2の出射口を通過して磁場フィルタ3aに入射する。磁場フィルタ3aは、磁石を含み、プローブ粒子のエネルギに応じて、プローブ粒子の軌道を分ける。磁場フィルタ3aの磁場により、エネルギの小さなプローブ粒子ほど軌道が大きく曲げられる。
【0013】
磁場フィルタ3aを通過したプローブ粒子が、PSD3bに入射する。PSD3bは、プローブ粒子の軌道が分けられた方向に並んだ検出チャネルを有し、チャネル毎に、プローブ粒子を検出する。
【0014】
PSD3bによるプローブ粒子の検出情報が、分析装置4に送られる。分析装置4は、例えばパーソナルコンピュータを含んで形成される。分析装置4は、PSD3bのチャネル毎に、入射したプローブ粒子数を積算する。チャネルの位置は、エネルギの大きさに対応するので、チャネル毎にプローブ粒子数を積算することにより、エネルギ毎の検出プローブ粒子数の分布であるイオン散乱分光スペクトルが得られる。なお、以下、イオン散乱分光スペクトルを、単にスペクトルと呼ぶこともある。
【0015】
このような、磁場偏向型のエネルギ分析器を検出器3に用いた高分解能型のイオン散乱分光測定装置は、散乱されたプローブ粒子を、例えば数百Vの分解能で測定でき、深さ方向原子層厚レベルでの組成分析を可能にする。
【0016】
なお、本実施例では、高分解能型のイオン散乱分光測定装置について説明しているが、散乱されたプローブ粒子が直接に半導体検出器に入射する従来型のイオン散乱分光測定装置においても、エネルギ毎の検出プローブ粒子数の分布としてイオン散乱分光スペクトルが得られることは同様である。
【0017】
次に、イオン散乱分光測定における課題について考察する。イオン散乱分光スペクトルは、検出器で検出されたプローブ粒子をエネルギ毎に積算して得られる。従って、ノイズを低減して正確なスペクトルを得るためには、充分に多くの個数のプローブ粒子が検出されるように、試料へのプローブ粒子の総照射量を充分に多くすることが望まれる。しかし、プローブ粒子の照射量が多くなりすぎれば、プローブ粒子照射に起因して試料がダメージを受けて変質し、スペクトルが真のものからずれることが懸念される。
【0018】
図2は、真のスペクトルSPと、ダメージを受けた試料のスペクトルSPDとを概念的に示す。ダメージを受けた試料のスペクトルSPDは、真のスペクトルSPから大きくずれてしまっており、正解な測定が行われていない。
【0019】
これまで、プローブ粒子の総照射量の決定は、測定者がスペクトルの形状や、スペクトルの時間的な形状変化を観察しながら、経験的に行っていた。上述のように、プローブ粒子の総照射量は、ノイズの影響が抑制される程度には多く、試料のダメージが抑制される程度には少なくしたい。しかし、測定者の経験により主観的に適切な総照射量を定めることは難しく、正確な測定結果を得ようとして、過剰な照射量となってしまうことが多かった。
【0020】
なお、高分解能型のイオン散乱分光測定装置では、従来型のイオン散乱分光測定装置に比べて、検出部の立体角が小さくなる。従って、単位時間当たりに捕集できるプローブ粒子数が少なくなるので、照射が長時間になって、照射量が過剰になりやすい。
【0021】
本願発明者は、以下に説明するように、プローブ粒子の総照射量を客観的に適切に決定することが可能な技術を提案する。
【0022】
次に、実施例によるイオン散乱分光測定方法を、実験例を踏まえてより具体的に説明する。プローブ粒子として、Heイオン(He)を用い、プローブ粒子を400keVで加速して試料Sに照射した。試料Sは、単結晶Si基板上に成長させた約2nm厚のSiOとした。また、測定モードは、基板に対するプローブ粒子の入射方向を基板の結晶方位に合わせたアラインド測定である。
【0023】
プローブ粒子の照射1回当りの量を、電荷量1000nCとした。電荷量1000nCずつのプローブ粒子照射を、同一箇所に複数回繰り返して、照射量を増やしていった。照射回数N回分の積算で得られたスペクトルを、SPnと表すこととする。
【0024】
電荷量で表したプローブ粒子の量を、Heの電荷量で割れば、プローブ粒子の個数に換算することができる。なお、以下、説明の煩雑さを避けるために、電荷量で表したプローブ粒子の量と、個数で表したプローブ粒子の量とを、特に区別せずに用いる。また、プローブ粒子が照射された量の表し方として、照射回数N回での表し方と、電荷量N×1000nCでの表し方とを、特に区別せずに用いる。
【0025】
後に詳しく説明するように、この実験例では、プローブ粒子を照射しながら、分析装置により、総照射量を決定するための判定を行って、総照射量として5000nCが適当であると判定される。
【0026】
総照射量の決定方法についての説明に先立ち、イオン散乱分光スペクトルの具体例と、散乱率とについて説明する。まず、スペクトルの具体例として、照射量1000nCでのスペクトル及び照射量5000nCでのスペクトルについて説明する。
【0027】
図3Aは、照射量1000nC及び照射量5000nCのスペクトルSP1及びSP5を示す。横軸はPSDのチャネル(ch)番号を示し、縦軸は強度(任意単位)を示す。上述のように、PSDのチャネルは、エネルギに対応する。チャネル番号が大きいほど、高エネルギである。スペクトルSP1に比べて、スペクトルSP5では、検出プローブ粒子の積算量が増えたことにより、ノイズが低減(SN比が向上)していることがわかる。
【0028】
一般に、イオン散乱分光スペクトルでは、試料中の重い元素のピークほど高エネルギ側に現れ、軽い元素のピークほど低エネルギ側に現れる。軽い元素との相互作用の方が、入射プローブ粒子が失うエネルギが大きいからである。
【0029】
また、軽い元素ほど、プローブ粒子と相互作用しにくい(散乱強度が低い)。従って、重い元素で散乱されたプローブ粒子の検出数に比べて、軽い粒子で散乱されたプローブ粒子の検出数の方が少なくなる。従って、スペクトル中で軽い元素のピークの方が、重い元素のピークに比べて、ノイズの影響を受けやすい。
【0030】
また、同一の元素でも、浅い位置にあるものほど高エネルギ側で検出され、深い位置にあるものほど低エネルギ側で検出されて、ある程度の幅を持つピークが形成される。散乱される元素が深い位置にあるほど、入射プローブ粒子が到達するまでに失うエネルギが大きいからである。
【0031】
プローブ粒子は、浅い位置にある元素ほど、高エネルギで相互作用することとなる。しかし、プローブ粒子が高エネルギであるほど、元素で散乱されにくい。このことは、試料中の表面に近い元素ほど、プローブ粒子照射の影響を受けにくいこと、つまり、試料の最表面近傍が、最もプローブ粒子照射に起因するダメージを受けにくいことを示す。
【0032】
例えばスペクトルSP5からわかるように、170ch近傍と、270ch近傍とに、それぞれピークがあり、170ch近傍のピークPoは相対的に軽い酸素を示し、270ch近傍のピークPsiは相対的に重いシリコンを示す。酸素のピークPoの方が、シリコンのピークPsiに比べて強度が低く、ノイズの影響を受けやすいことがわかる。シリコンのピークPsiが高エネルギ側に立ち下がっている部分、例えば302ch〜322chの範囲に示される部分が、試料の最表面近傍のシリコンを示す。
【0033】
次に、散乱率について説明する。照射されたプローブ粒子数Iに対するある元素iで散乱されたプローブ粒子数Iの比I/I、つまり、プローブ粒子の単位照射量当り、元素iによってプローブ粒子がどの程度散乱されて検出されるかを示す比率を、散乱率と呼ぶこととする。散乱率は、以下の式(1)で表すことができる。
【0034】
【数1】

【0035】
・・・(1)
ここで、Nは試料中に含まれる元素iの数、dxは散乱の起こった層の深さ、σは元素iとプローブ粒子との散乱断面積、ΔΩ、ηは、測定装置によって決まる定数である。式(1)より、散乱率が本来は一定値となることがわかる。試料に対して充分な量のプローブ粒子が照射されて、充分な量のプローブ粒子が検出されれば、ノイズの影響が低減して、測定に基づいて算出される散乱率が、一定値に収束することが期待される。
【0036】
なお、通常の(ダメージを特に受けやすいものではない)試料に対しては、散乱率がほぼ一定に収束する程度(及び、後述のように、スペクトル形状がほぼ一定に収束する程度)のプローブ粒子照射量は、試料にダメージが生じるほどは多くないといえる。
【0037】
従って、N回のプローブ粒子照射で得られたスペクトルSPnに基づいて求められた散乱率が、(N−1)回のプローブ粒子照射で得られたスペクトルSP(n−1)に基づいて求められた散乱率からほとんど変化していなければ、N回のプローブ粒子照射を、充分な照射量であると判定することができる。
【0038】
次に、図4のフローチャートを参照して、プローブ粒子の総照射量の決定方法について説明する。まず、ステップS0で、測定が開始される。ステップS1では、各回のプローブ粒子照射を行って、各照射回数でのスペクトルを求める。
【0039】
イオン散乱分光スペクトルは、試料中の元素の分布を反映しているので、図2に示した真のスペクトルSPのように、本質的には滑らかな形状を持つと考えられる。しかし、イオン散乱分光測定装置で実際に得られるスペクトルは、図3AのスペクトルSP5等に示したように、ノイズに起因する細かい凹凸を含む形状となる。
【0040】
ステップS2では、各照射回数でのスペクトルの、ノイズに起因する細かい凹凸を統計処理により除いて、滑らかな形状のスペクトルを推定する。推定されたスペクトルを、推定スペクトルと呼ぶこととする。なお、推定前のスペクトルを、以後、測定スペクトルと呼ぶこともある。
【0041】
推定は、例えば、ノイズ成分がガウス分布していると仮定し、連続した3点間の2階差分の2乗和が最小のときに事前分布が最大になるという条件で、ベイズ推定により行うことができる。なお、このようなベイズ推定方法は、「ベイズ推定と統計物理」(伊庭幸人著、岩波講座、物理の世界)等に説明されている。なお、推定方法はベイズ推定に限らず、その他例えば、移動平均法等も用いることができるであろう。
【0042】
図5Aは、4回の照射(照射量4000nC)で得られた測定スペクトルSP4と、測定スペクトルSP4からベイズ推定により得られた推定スペクトルSPE4とを示す。
【0043】
図5Bは、5回の照射(照射量5000nC)で得られた測定スペクトルSP5と、測定スペクトルSP5からベイズ推定により得られた推定スペクトルSPE5とを示す。
【0044】
図5Cは、推定スペクトルSPE4とSPE5とを並べて示す。
【0045】
推定スペクトルSPE4及びSPE5は、ノイズに起因する細かな凹凸が除かれて、それぞれ、測定スペクトルSP4及びSP5に比べて滑らかな形状となっていることがわかる。図4に戻って説明を続ける。
【0046】
ステップS3では、各照射回数でのスペクトルに基づいて散乱率を算出し、直近2回分の照射の散乱率を比較する。まず、散乱率の算出方法について説明する。
【0047】
散乱率の分母は、各照射回数の照射時点での、プローブ粒子の照射量の積算となる。散乱率の分子として、各照射回数の照射時点での、元素iに対応するエネルギ範囲(チャネル範囲)で検出されたプローブ粒子数の積算を用いることができる。
【0048】
散乱率は、ノイズの影響を少なく求められることが望ましい。このため、試料中の最も重い元素について散乱率を求めることが、より望ましいと考えられる。本実施例では、シリコンに対して散乱率を求める。
【0049】
また、試料にダメージが生じれば、散乱率が正確には求められなくなる。そこで、最表面近傍のダメージが少ない部分の元素について散乱率を求めることが、より望ましいと考えられる。本実施例では、PSDの302ch〜322chの範囲を、試料の最表面近傍に分布するシリコンとして扱う。
【0050】
ただし、上述のように、測定スペクトルそのままでは、ノイズの影響が大きい。そこで、ステップS2で推定した推定スペクトルから散乱率を求めることが、より望ましいと考えられる。
【0051】
照射回数N回での散乱率の算出手順は、以下のようにまとめられる。照射回数N回での推定スペクトルSPEnの、302ch〜322chの面積、つまり、試料の最表面近傍に分布するシリコンで散乱されて検出されたプローブ粒子数を計算する。そして、この検出プローブ粒子数を、プローブ粒子の照射量であるN×1000nCで割って、照射回数N回での散乱率(単位照射量当りの検出プローブ粒子数)が算出される。
【0052】
照射回数N回での散乱率が算出されたら、照射回数(N−1)回での散乱率に対する違いが、あらかじめ定めた基準に対して少ないかどうか評価される。散乱率の違いが基準以上であれば、まだ照射量が足りないということなので、ステップS1に戻り、さらに(N+1)回目の照射が行われて、照射回数(N+1)回でのスペクトルが取得される。一方、散乱率の違いが基準より小さくなれば、散乱率の観点からは照射量が充分ということなので、ステップS4に進む。
【0053】
散乱率を比較する手順の流れを、より具体的に説明する。ステップS0で測定が開始され、まず、ステップS1で、1回目の照射が行われて、照射量1000nCでの測定スペクトルSP1が求められる。ステップS2で、照射量1000nCでの推定スペクトルSPE1が推定される。ステップS3で、照射量1000nCでの散乱率が算出される。照射量1000nCでの散乱率は、0.08であった。この段階では、まだ、照射量1000nCでの1つのスペクトルしか取得されていないので、散乱率の比較はできない。
【0054】
次に、ステップS1に戻って、2回目の照射が行われて、照射量2000nCでの測定スペクトルSP2が求められる。ステップS2で、照射量2000nCでの推定スペクトルSPE2が推定される。ステップS3で、照射量2000nCでの散乱率が算出される。照射量2000nCでの散乱率は、0.13であった。
【0055】
さらにステップS3で、照射量2000nCでの散乱率の、照射量1000nCでの散乱率に対するずれ量が評価される。ずれ量は、例えば、照射回数(N−1)回での散乱率をA(n−1)、照射回数N回での散乱率をAnとして、|An−A(n−1)|/A(n−1)という式で算出される。そして、ずれ量が、基準値、例えば0.1より小さいかどうか判定される。ここでは、ずれ量が、|0.13−0.08|/0.08=0.63と求められ、これは0.1以上なので、ステップS1に戻って、照射量を3000nCに増やす3回目のプローブ粒子照射が行われる。なお、散乱率の違いを評価する式や基準値は、この例のものに限らない。
【0056】
散乱率のずれ量が基準値より小さくなるまで、このような手順が繰り返される。この実験例では、照射量4000nCでの散乱率が0.196であり、照射量5000nCで、散乱率が0.192となった。照射量5000nCでの散乱率の、照射量4000nCでの散乱率に対するずれ量が、|0.192−0.196|/0.196=0.02となり、0.1より小さくなったので、散乱率の観点から、5000nCが充分な照射量と判定されて、ステップS4に進む。
【0057】
このように、散乱率の変化を評価することにより、プローブ粒子の適切な総照射量を見積もることができる。
【0058】
さらに、本実施例では、以下に説明するように、ステップS4で、スペクトル形状の変化まで評価して総照射量を決定することにより、イオン散乱分光測定の精度の向上を図ることができる。
【0059】
ステップS4では、ステップS3を通過した照射回数N回での推定スペクトルSPEnの形状の、照射回数(N−1)回での推定スペクトルSPE(n−1)の形状に対する違いが、あらかじめ定めた基準に対して少ないかどうか評価される。
【0060】
本実験例では具体的に、照射回数5回での測定結果がステップS3を通過して、ステップS4で、推定スペクトルSPE5の形状の、推定スペクトルSPE4の形状に対する違いが評価される。スペクトル形状の比較方法について説明する。
【0061】
まず、推定スペクトルSPE5の、302ch〜322chの範囲でスペクトルに囲まれた面積(つまり、試料の最表面近傍に分布するシリコンで散乱されて検出されたプローブ粒子数)を、推定スペクトルSPE4のそれで割って、倍率αを算出する。なお、各推定スペクトルの302ch〜322chの部分の面積は、散乱率の算出時に求められているので、ステップS4で流用することができる。
【0062】
次に、推定スペクトルSPE4の強度に倍率αを掛けることにより、推定スペクトルSPE4の強度を、推定スペクトルSPE5の強度に揃える(規格化する)。
【0063】
図5Dは、推定スペクトルSPE5と、規格化した推定スペクトルSPE4とを、重ねて示す。両スペクトルの形状が良く一致していることがわかる。
【0064】
スペクトルの形状の一致を数値的に評価する統計的指標として、例えば、カイ2乗χを用いることができる。推定スペクトルSPE5の各チャネルの強度をx、規格化された推定スペクトルSPE4の各チャネルの強度をxとして、カイ2乗χは以下の式(2)で表すことができる。
【0065】
【数2】

【0066】
・・・(2)
ここで、和はPSDの全チャネルに対して取られる。推定スペクトルSPE5の形状が、規格化した推定スペクトルSPE4の形状に近いほど、各チャネルの強度差が小さくなって、χは0に近い値となる。カイ2乗χが、基準値、例えば10−2以下であるかどうか判定される。推定スペクトルSPE5及び規格化した推定スペクトルSPE4に対するカイ2乗χは、10−3のオーダとなり、基準値より小さくなった。
【0067】
なお、照射量1000nCと照射量5000nCとでスペクトル形状を比較した場合のカイ2乗χは、10−1のオーダとなり、スペクトル形状の差が大きかった。なお、スペクトル形状の違いを評価する指標や基準値は、この例のものに限らない。
【0068】
推定スペクトル形状の違いが基準以下となれば、散乱率の観点に加え、スペクトル形状の観点からも照射量が充分といえる。ここでの実験例では、散乱率に加えスペクトル形状の観点からも、照射量5000nCで充分だと判定される。そして、ステップS5に進み、必要に応じて分析装置のディスプレイ等に測定結果等を出力し、試料へのプローブ粒子の照射を終了して、測定を終了することができる。
【0069】
一方、推定スペクトル形状の違いが基準より大きかったら、再度ステップS1に戻り、照射量を増やして、測定を続行する。
【0070】
上述のように、試料中の軽い元素(実験例では酸素)は、散乱強度が低いので、ピーク形状がノイズの影響を受けやすい。ステップS3での、散乱率の比較は、試料中の重い元素(実験例ではシリコン)に関して行った。しかし、重い元素に着目すれば散乱率が安定する照射量になっていたとしても、その照射量では、軽い元素のピーク形状がまだ安定してない可能性がある。ステップS4で、スペクトル形状の変化まで評価することにより、軽い元素に関する測定精度を高めて、測定の信頼性を向上することができる。
【0071】
このように、散乱率の変化の評価に加え、スペクトル形状の変化まで評価することにより、より測定の精度を向上させて、プローブ粒子の総照射量を見積もることができる。
【0072】
なお、この実験例では、さらに、最終的に安定した測定スペクトル形状を確認するために、照射量45000nCまでの測定も行った。実験に用いた試料は、照射量を45000nCまで増やしても特にダメージは生じておらず、安定化した測定スペクトル形状を観察することができた。
【0073】
図3Bは、照射量45000nCでの測定スペクトルSP45を示す。図3Aに示す照射量5000nCの測定スペクトルSP5の段階で、ほぼ安定したスペクトル形状が得られていることが確認される。
【0074】
以上説明したように、実施例の方法によれば、イオン散乱分光測定において、客観的な測定終点判断が可能となる。過剰なプローブ粒子照射を伴う測定を避けることが容易になり、試料のダメージが抑制されて、測定の信頼性が高まる。また、プローブ粒子の総照射量を抑制することができるので、測定時間の短縮化を図ることもできる。
【0075】
なお、試料がプローブ粒子照射でダメージを受けにくいものであったとしても、実施例の方法は、測定時間短縮化等に寄与する。
【0076】
なお、上述の実施例では、プローブ粒子の照射量の増加を、一定量ずつとしたが、必要に応じて、照射量の増加を一定量ずつとしないこともできる。
【0077】
以上実施例に沿って本発明を説明したが、本発明はこれらに制限されるものではない。例えば、種々の変更、改良、組み合わせ等が可能なことは当業者に自明であろう。
【符号の説明】
【0078】
1 プローブ粒子照射装置
1a イオン源
1b 加速管
1c Wienフィルタ
2 チャンバ
S 試料
3 検出器
3a 磁場フィルタ
3b PSD
4 分析装置

【特許請求の範囲】
【請求項1】
イオン散乱分光のプローブ粒子の、試料への照射を開始する工程と、
前記試料で散乱され、検出器で検出された前記プローブ粒子の粒子数を、前記プローブ粒子の第1の照射量まで積算して、エネルギ毎の検出プローブ粒子数の分布を示す第1のイオン散乱分光スペクトルを得る工程と、
前記試料で散乱され、検出器で検出された前記プローブ粒子の粒子数を、前記プローブ粒子の前記第1の照射量より多い第2の照射量まで積算して、エネルギ毎の検出プローブ粒子数の分布を示す第2のイオン散乱分光スペクトルを得る工程と、
前記第1のイオン散乱分光スペクトルに基づき、前記試料に含まれる第1の元素に対応する第1のエネルギ範囲について、前記プローブ粒子の単位照射量当りの検出プローブ粒子数である第1の散乱率を算出する工程と、
前記第2のイオン散乱分光スペクトルに基づき、前記第1のエネルギ範囲について、前記プローブ粒子の単位照射量当りの検出プローブ粒子数である第2の散乱率を算出する工程と、
前記第2の散乱率の前記第1の散乱率に対する違いが、予め定められた第1の基準に対して少ないかどうか判定する工程と
を有するイオン散乱分光測定方法。
【請求項2】
前記第1の元素は、前記試料に含まれる最も重い元素である請求項1に記載のイオン散乱分光測定方法。
【請求項3】
前記第1のエネルギ範囲は、前記試料の最表面近傍に分布する前記最も重い元素に対応するエネルギ範囲である請求項2に記載のイオン散乱分光測定方法。
【請求項4】
前記第1の散乱率を算出する工程は、前記第1のイオン散乱分光スペクトルから、前記第1のイオン散乱分光スペクトルよりも滑らかな第1の推定スペクトルを推定する工程を含み、前記第1の推定スペクトルから前記第1の散乱率を算出し、
前記第2の散乱率を算出する工程は、前記第2のイオン散乱分光スペクトルから、前記第2のイオン散乱分光スペクトルよりも滑らかな第2の推定スペクトルを推定する工程を含み、前記第2の推定スペクトルから前記第2の散乱率を算出する請求項1〜3のいずれか1項に記載のイオン散乱分光測定方法。
【請求項5】
さらに、
前記第1の推定スペクトルから算出された、前記第1のエネルギ範囲の検出プローブ粒子数である第1検出プローブ粒子数と、前記第2の推定スペクトルから算出された、前記第1のエネルギ範囲の検出プローブ粒子数である第2検出プローブ粒子数との比を用いて、前記第1の推定スペクトルと前記第2の推定スペクトルの強度を揃える工程と、
強度を揃えた前記第1の推定スペクトル及び前記第2の推定スペクトルについて、前記第2の推定スペクトルの形状の前記第1の推定スペクトルの形状に対するずれが、予め定められた第2の基準に対して少ないかどうか判定する工程と
を有する請求項4に記載のイオン散乱分光測定方法。
【請求項6】
内部に試料が保持されるチャンバと、
前記試料にプローブ粒子を照射するプローブ粒子照射装置と、
前記試料で散乱された前記プローブ粒子が検出される検出器と、
分析装置と
を有し、
前記分析装置は、
前記検出器で検出された前記プローブ粒子の粒子数を、前記プローブ粒子の照射開始から第1の照射量まで積算して、エネルギ毎の検出プローブ粒子数の分布を示す第1のイオン散乱分光スペクトルを得、
前記検出器で検出された前記プローブ粒子の粒子数を、前記プローブ粒子の照射開始から前記第1の照射量より多い第2の照射量まで積算して、エネルギ毎の検出プローブ粒子数の分布を示す第2のイオン散乱分光スペクトルを得、
前記第1のイオン散乱分光スペクトルに基づき、前記試料に含まれる第1の元素に対応する第1のエネルギ範囲について、前記プローブ粒子の単位照射量当りの検出プローブ粒子数である第1の散乱率を算出し、
前記第2のイオン散乱分光スペクトルに基づき、前記第1のエネルギ範囲について、前記プローブ粒子の単位照射量当りの検出プローブ粒子数である第2の散乱率を算出し、
前記第2の散乱率の前記第1の散乱率に対する違いが、予め定められた第1の基準に対して少ないかどうか判定する、イオン散乱分光測定装置。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【公開番号】特開2012−13502(P2012−13502A)
【公開日】平成24年1月19日(2012.1.19)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2010−149355(P2010−149355)
【出願日】平成22年6月30日(2010.6.30)
【出願人】(000005223)富士通株式会社 (25,993)
【Fターム(参考)】