説明

スペクトル測定装置

【課題】ランダム現象を対象とする計測において、計測器雑音よりも遙かに小さいランダム信号のスペクトルを測定することができるスペクトル測定装置を提供すること。
【解決手段】スペクトル測定装置は、被測定物から到来する波又は物質を検出する第1及び第2検出器11、12と、該第1及び第2検出器から出力される信号の相互相関スペクトルを算出する相関器13、14、15と、該相関器から出力される信号を積算する積算器16とを備える。このとき、2系統の計測系においてランダム信号は互いに同一であり、計測器雑音は互いに統計的に独立(無相関)なので、統計処理によりランダム信号と計測器雑音とを区別することができる。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、ランダム信号から計測器雑音であるランダム雑音を除去することができるスペクトル測定装置に関する。
【背景技術】
【0002】
波を用いた計測の中でも、レーザ光を用いた光計測は、現在利用できる最も高精度な計測方法の一つであり、原子間力顕微鏡や重力波検出などに利用されている。しかしながら、光計測には散射雑音(shot noise)と呼ばれる不可避な雑音があり、感度の理論限界を決めている。散射雑音は、光電効果に伴う光電子放出がランダムであることに起因した雑音であり、特殊な場合を除き、フォトダイオードや光電子増倍管などを用いた光電変換を行う検出法には必ず付随する。幸いなことに、散射雑音は無相関白色雑音なので、積算などの統計的手法を用いて低減することができる。
【0003】
したがって、計測対象となる信号が繰り返し信号の場合、積算は効果的な統計処理である。積算回数nに対して雑音は1/√nに従い減少し、積算回数を無制限に増やすことができる状況では理論的な計測限界はない。(例えば、特許文献1参照。)
【特許文献1】特願2007−218941
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0004】
一方、計測対象となる信号がランダム信号の場合には、状況は異なる。ランダム信号は、原子や分子の熱運動や量子効果の計測、天体からの放射の計測など基礎物理学において重要であるばかりではなく、超音波エコー法などに見られるように、ランダムに動いている物体からの反射波の検出などでも重要である。これらのランダム信号は、散射雑音など計測に付随する雑音(計測器雑音)と統計的な違いが無いため、区別することは困難である。たとえば単純な積算では、雑音だけでなくランダム信号も同時に低減するため、ランダム信号と雑音とを区別することはできない。計測器雑音より小さなランダム信号の検出は困難である。
【0005】
本発明は、上記問題点に鑑み、ランダム現象を対象とする計測において、計測器雑音よりも遙かに小さいランダム信号のスペクトルを測定することができるスペクトル測定装置を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0006】
本発明の請求項1のスペクトル測定装置は、被測定物から到来する波又は物質を検出する第1及び第2検出器と、該第1及び第2検出器から出力される信号の相互相関スペクトルを算出する相関器と、該相関器から出力される信号を積算する積算器とを備えることを特徴とする。
【0007】
また、請求項2のスペクトル測定装置は、前記被測定物に前記波を投射する投射手段を備え、前記第1及び第2検出器が該投射波の前記被測定物からの反射波又は透過波を検出するものであることを特徴とする。これにより波を放射しない被測定物のスペクトルを測定することができる。
【0008】
また、請求項3のスペクトル測定装置は、前記波が光であることを特徴とする。これにより、高い精度で光スペクトルや被測定物の振動のスペクトルを測定することができる。
【0009】
また、請求項4のスペクトル測定装置は、前記積算器は、時間軸において信号を積算するものであることを特徴とする。これにより長時間の計測データに基づいた積算が可能となり、スペクトル計測において計測器雑音の大幅な低減を行うことができる。
【0010】
また、請求項5のスペクトル測定装置は、前記積算器は、周波数軸において信号を積算するものであることを特徴とする。これにより請求項4に付け加えてさらなる計測器雑音の低減が可能になるばかりでなく、短時間の計測でもスペクトル計測において計測器雑音の低減を行うことができる。
【発明の効果】
【0011】
本発明によれば、ランダム現象を対象とする計測において、計測器雑音よりも遙かに小さいランダム信号のスペクトルを測定することができる。特に、目の治療においては、目の所定の部位の熱振動のスペクトルを測定することにより、目の内部を含めた各部位の弾性の程度を非侵襲的に診断することができる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0012】
以下、添付図面を参照しながら本発明を実施するための最良の形態について詳細に説明する。
【0013】
本発明は、計測系を2系統用い、独立に同一物体の計測を同時に行う。このとき、2系統の計測系においてランダム信号は互いに同一であり、計測器雑音は互いに統計的に独立(無相関)なので、統計処理によりランダム信号と計測器雑音とを区別することができる。
【0014】
図1は、本発明の原理を説明する図である。本実施例のスペクトル測定装置は、検出器11、12、FFT13、14、乗算器15、及び平均化器16を備える。被測定物である試料Sからは、ランダム信号S(t) が放射されているとする。このランダム信号S(t) は熱放射のように自発的に試料Sから放射される場合でもよいし、レーダやレーザ計測のように、電波又は光などの波を試料Sに照射し、試料と相互作用した後の波、すなわち、反射波又は透過波でも良い。ランダム信号S(t) は2個の検出器11、12により独立に計測される。計測された信号D1(t),D2(t) にはランダム信号S(t) の他に、計測器雑音N1(t),N2(t) が含まれ、
D1(t)=S(t)+N1(t) (1)
D2(t)=S(t)+N2(t) (2)
と表すことができる。時間領域で検出された信号をFFT(Fast Fourier Transformation)13、14によりスペクトル解析すると、周波数領域での信号が得られる。
【0015】
cD1(f)=cS(f)+cN1(f) (3)
cD2(f)=cS(f)+cN2(f) (4)
ここで、fは解析周波数、cは複素数であることを示す。乗算器15によって、cD1(f) とcD2(f) の複素共役(*)との積を演算し、平均化器16によってそれらの平均値をとると、
<cD1(f)cD2*(f)>
=<|cS(f)|2>+<cN1(f)c*(f)>+<cS(f)cN2*(f)>+<cN1(f)cN2*(f)>
(5)
となる。ここで、<>は平均を表し、具体的な平均方法は以下で述べる。信号cS(f) と計測器雑音cN1(f),cN2(f) は互いに統計的に独立なので、十分に長時間積算を行うと、
<cD1(f)cD2*(f)>=<|cS(f)|2> (6)
となり、周波数スペクトルが得られる。一方、従来から行われている検出器11のみを用いた周波数スペクトルの計測方法では、
<|cD1(f)|2>
=<|cS(f)|2>+<cN1(f)c*(f)>+<cS(f)cN1*(f)>+<|cN1(f)|2>
(7)
≒<|cS(f)|2>+<|cN1(f)|2> (8)
となる。このことから、<|cN1(f)|2>よりも小さい信号の周波数スペクトルを精度良く計測するためには、<|cN1(f)|2>を別な方法で精度良く測定し、引き算する必要がある。計測器雑音は温度などの環境で変化するため、この方法では、信頼性の高い計測結果を得ることは困難である。
【0016】
次に、式(5)における平均<>、すなわち、図1における平均化器16について述べる。検出器11、12から出力されるアナログ信号は、サンプリング間隔Δtで離散的なディジタル信号に変換される。J個のデータをひとまとまりとして、FFT処理を行い、スペクトルを求める。このような計測をM回繰り返すとする。したがって、この計測により得られるデータはcD1m(fj),cD2m(fj) のように表すことができる。ここで、m=1,2,...,M−1,Mである。fj(j=0,...,J/2) はFFT処理により得られる解析周波数であり、サンプリング定理から、f0=0,f1=1/(ΔtJ),...,fj=j/(ΔtJ),...,fJ/2=1/(2Δt) である。これらのデータの繰り返しに対する積算は、
<cD1(fj)cD2*(fj)>=(1/M)ΣMm=1cD1m(fj)cD2m*(fj) (9)
となる。
【0017】
一方、計測に際して必要としている周波数分解能Δfがサンプリング定理で決まる周波数分解能1/(ΔtJ)よりも大きい場合には、周波数軸上でも積算を行うことができる。両者の比をQ=ΔfΔtJとすれば、最終的な積算結果は、
<cD1(fj)cD2*(fj)>={1/(Q+1)}ΣQ/2q=-Q/2<cD1(fj+q)cD2*(fj+q)> (10)
となる。
【0018】
この方法を用いて、固体(弾性体)表面の熱運動の計測を行った結果について以下に述べる。物体を構成する原子や分子は熱エネルギーにより乱雑に運動をしている。このため、物体表面も乱雑に波打っている。この現象は、液体の表面では顕著であり、リプロンと呼ばれている。液体表面のリプロンは、振幅が0.5nm程度あり、通常のレーザ計測で散射雑音よりも十分に大きな信号強度が得られるため、容易に計測が可能である。同様な熱運動は固体表面でも生じているはずであるが、固体表面のリプロンは振幅が小さく、光計測による検出が困難であった。
【0019】
図2は、計測系の具体的な構成を示す図である。図3は、より実際の計測系に近い構成を示す図である。ここでは、光テコ(optical lever)を用いて、試料表面の傾き角度の計測を行うことで固体表面のリプロンの計測を行った。光源は、波長638nmと658nmの半導体レーザ21、22を用い、両者から放射される光をアイソレータ23、24を介して、ダイクロイックミラー25で合成した。合成された光を、偏光ビーム分割器26、及び1/4波長板27を介して、対物レンズ28で集光した後、試料に照射した。試料からの反射光は、同じ対物レンズ28で集光したのち、ダイクロイックミラー29で、波長638nmと波長658nmの光を分離した。それぞれの光を、2分割光検出器(dual-element photodetector)30、31で検出し、試料表面の傾き角度に比例した信号を得た。2分割光検出器30、31からの出力は、AD変換器32でディジタル信号に変換した。AD変換器32のサンプリングレートは8Mサンプル/s (Δt=1/(8×106)s) であり、一度に4Mワード (J=222) の計測を行いフーリエ変換の後、積算した。なお、図3に示すピンホール41は、2本のレーザビームを正確に重ねる目的と、半導体レーザ光のビームパターンの歪みを補正するためのものであり、ダイクロイックミラー42を介して撮影するビデオカメラ43は、試料Sにレーザを照射する様子をモニタするためのものである。
【0020】
図4は、原子間力顕微鏡用に製作されたカンチレバーの熱運動を測定した例である。積算回数Mは600回である。公称共振周波数26kHzであり、この周波数の振動が観測されている。図示の「従来」は<|cD1(f)|2>を示し、「本発明」は<cD1(f)cD2*(f)>を示す。「従来」では雑音に埋もれかけている信号が、「本発明」では、明瞭に観測されている。また、143kHzと365kHzにも別な共振があることがわかる。これらの共振周波数以外の周波数におけるカンチレバーの振動は極めて小さい。このため、式(5)において、M=600回の平均値では、
<|cS(f)|2>≪<cN1(f)cN2*(f)> (11)
となっており、図4に示された共振によるピーク以外の情報は、積算され残った雑音である。また、ここで示した計測例では、周波数分解能はΔf=f/100とした。一方、FFTにより得られたスペクトルの周波数分解能は2Hz(=1/ΔtJ)である。したがって、周波数軸上の積算回数はQ=f/(100×2Hz) となる。周波数軸上での積算回数が観測周波数に依存するため、計測器雑音の低減度も観測周波数に依存している。このことにより図4の「従来」のスペクトル(主として計測器雑音)は周波数にほとんど依存していないのに、「本発明」における残留雑音強度が周波数とともに減少している。
【0021】
図5は、透明なシリコン系接着剤表面を観測した例である。図5(a)は「従来」、図5(b)は「本発明」を示す。シリコン系接着剤表面は、初期にはゲル状であるが、時間の経過とともに硬化し、弾力のある固体になる。このような物性の変化は、表面の熱振動にも現れる。「本発明」のスペクトルは、t=0においてf-4/3に比例する。t=4日では、70Hz〜3kHzにおいてf-1,3kHz〜100kHzにおいてf-2/3,100kHz〜2.5MHzにおいてf-1に比例している。図5(a)と図5(b)を比較すると本発明により計測器雑音が効果的に低減していることが分かる。
【0022】
図6は、エポキシ系接着剤表面を観測した例である。図6(a)は「従来」、図6(b)は「本発明」を示す。「本発明」の硬化前はf-2のスペクトルであり、硬化後はf-1のスペクトルになっている。このことはシリコン系の接着剤とは大きく異なっている。
【0023】
図7は、両面粘着テープ表面の熱運動を観測した例である。「本発明」において100Hzから300kHzの範囲でf-2のスペクトルになっている。
【0024】
図8は、爪表面の熱運動を観測した例である。「本発明」はf-3/2のスペクトルになっている。
【0025】
本発明による方法を用いると、原理的には積算回数を増やすことで計測器雑音はいくらでも小さくすることができ、結果としてどのように小さなランダム信号でも検出することが可能である。しかしながら、製作した計測装置における計測器雑音の低減度は1/100が限界であった。これは、主としてAD変換器のクロストーク特性に起因している。使用したAD変換器は二つの信号を同時にAD変換できる装置であるが、チャネル1と2の間に10-4程度の結合がある。このため、雑音の低減度は1/100となる。クロストーク特性を改善するため、あらかじめ計測系のクロストークを測定して、数値補正を行った。このことにより多少改善された。
【0026】
本計測では試料に1.05mWのレーザ光を対物レンズ(開口数NA=0.4)で集光して照射している。このため、試料は加熱され、表面温度は室温(23℃)よりも高いと思われる。しかし、試料が蒸発もしくは炭化するほど高温にはなっていない。
【0027】
なお、本発明は上記実施例に限定されるものではない。
【0028】
観測する波は光に限定されず、音波や電磁波(レーダなど)を含む幅広い計測法に適用できる。また、原子又は電子などの物質の放射を計測する放射線計測にも同様の考え方で適用することができる。
【0029】
上述の実施例では計測系を2系統としたが、3系統など多数にすることができる。レーダなど反射型で、対象物の運動に伴い位相が乱雑に変動する場合には、3ビームの方が良い場合がある。
【0030】
特に光計測で、光源の強度雑音が極めて小さい(コヒーレント状態の)場合、関与する信号は被測定物の運動と計測器の散射雑音のみとなる。この場合、完全に独立した2系統の計測系を用いなくても、ほとんどの構成は一系統として、光検出器の直前で光を二つに分けて、互いに独立した光検出器で光電変換を行い、両信号の相互相関スペクトルを積算しても同様な雑音低減効果がある。
【0031】
光計測の場合、図9に示すように、2分割光検出器30、31の前にピンホール51を設けて、共焦点光学系を採用することにより、光軸方向の反射位置を選択することができ、並進台STによって試料Sの位置を調整して、例えば目の内部における、水晶体や網膜表面の運動を計測することもできる。また、目の表面である角膜の表面はもちろん、目の内部にある水晶体、又は網膜表面などの目の各部位の熱振動を計測することで、それら部位の弾性の程度を計測することができる。そして、その結果はドライアイなど各種眼病の診断に役立てることもできる。
【図面の簡単な説明】
【0032】
【図1】本発明の原理を説明する図である。
【図2】計測系の具体的な構成を示す図である。
【図3】より実際の計測系に近い構成を示す図である。
【図4】原子間力顕微鏡用に製作されたカンチレバーの熱運動を測定した例である。
【図5】透明なシリコン系接着剤表面を観測した例である。
【図6】エポキシ系接着剤表面を観測した例である。
【図7】両面粘着テープ表面の熱運動を観測した例である。
【図8】爪表面の熱運動を観測した例である。
【図9】共焦点光学系を採用した構成を示す図である。
【符号の説明】
【0033】
11、12 検出器
13、14 FFT
15 乗算器
16 平均化器
21 半導体レーザ
23、24 アイソレータ
25、29、42 ダイクロイックミラー
26 偏光ビーム分割器
27 1/4波長板
28 対物レンズ
30 2分割光検出器
32 AD変換器
41、51 ピンホール
43 ビデオカメラ
S 試料
ST 並進台


【特許請求の範囲】
【請求項1】
被測定物から到来する波又は物質を検出する第1及び第2検出器と、
該第1及び第2検出器から出力される信号の相互相関スペクトルを算出する相関器と、
該相関器から出力される信号を積算する積算器と
を備えることを特徴とするスペクトル測定装置。
【請求項2】
前記被測定物に前記波を投射する投射手段を備え、
前記第1及び第2検出器が該投射波の前記被測定物からの反射波又は透過波を検出するものであることを特徴とする請求項1記載のスペクトル測定装置。
【請求項3】
前記波が光であることを特徴とする請求項1又は2記載のスペクトル測定装置。
【請求項4】
前記積算器は、時間軸において信号を積算するものであることを特徴とする請求項1乃至3いずれかに記載のスペクトル測定装置。
【請求項5】
前記積算器は、周波数軸において信号を積算するものであることを特徴とする請求項1乃至4いずれかに記載のスペクトル測定装置。


【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【図8】
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【図9】
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【公開番号】特開2009−257986(P2009−257986A)
【公開日】平成21年11月5日(2009.11.5)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2008−108725(P2008−108725)
【出願日】平成20年4月18日(2008.4.18)
【出願人】(899000079)学校法人慶應義塾 (742)
【Fターム(参考)】