説明

加工用ツールとその製造方法

【課題】 深い硬化深さを得ることができ、寿命を向上させることができる加工用ツールを提供する。
【解決手段】 ワークを加工するための加工用ツールであって、高炭素鋼からなる熱処理されたツール本体部10を有している。この加工用ツールは、前記熱処理後の状態において、ツール本体部10の表面部に中心部よりも多くの残留オーステナイトを含んでいる。加工用ツールの製造方法は、高炭素鋼からなるツール本体部10を所定形状に成形する工程と、焼鈍状態のツール本体部10に多数の微細粒を高速で打付けることにより、ツール本体部10の表面部に加工ひずみを生じさせる微細粒打付工程と、微細粒打付工程後にツール本体部10に焼入れと焼戻しの熱処理を行うことにより、ツール本体部10の表面部に中心部よりも多くの残留オーステナイトを生じさせる熱処理工程とを含んでいる。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
この発明は、例えばワークを圧造する際などに使用される加工用ツールと、その製造方法に関する。
【背景技術】
【0002】
従来より、圧造用金型やダイス等の強加工を行なう加工用ツールの材料に、工具鋼、軸受鋼、あるいは高速度鋼などが用いられている。この種の加工用ツールは、加工時の高面圧に耐える強度を有しかつ耐摩耗性が高いことが望まれる。加工用ツールの強度を向上させかつ耐摩耗性を高めるために、熱処理後に窒化処理やイオン注入を行ったり、耐摩耗被膜を形成することもある。耐摩耗被膜として、例えばTiN,TiCN,TiAlNなどが知られている。(例えば下記特許文献1参照)
【特許文献1】特開平11−158606号公報
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0003】
前記したように、従来は加工用ツールの寿命改善策として、窒化処理やイオン注入等が提案されているが、これらは硬化深さが浅いため寿命向上に必ずしも有効ではなかった。またTiN,TiCN,TiAlNなどの耐摩耗被膜を付与する場合には、被膜の密着性に問題がある。また、特殊な被膜処理装置が必要になることや、被膜処理に時間がかかることから、コストが高くつくという問題もある。
【0004】
ところで、高炭素鋼系の合金工具鋼や高速度鋼に焼入れを行うと、15〜35%程度の残留オーステナイトが存在することが知られている。残留オーステナイトが存在すると静的強度は低下するが、動的強度が向上する。例えば軸受鋼では、軸受の転がり運動によって材料の表面に繰返し応力が作用したときに、表面部の残留オーステナイトが加工誘起変態を起こしてマルテンサイト化する。このマルテンサイト化によって硬さが増加し、転がり疲れ寿命が向上すると言われている。硬さの増加は、残留オーステナイトの量が多くなるほど大になる傾向があるが、残留オーステナイトの量が多くなり過ぎても疲れ寿命が低下する。
【0005】
残留オーステナイトを増加させる手段として、材料の化学成分や熱処理を工夫することが考えられるが、いずれも特殊な化学成分や熱処理等が必要となるため、コストが上昇するとか、特殊な技術が必要となるなどの問題があり、実用的な手法ではない。
【0006】
従って本発明の目的は、コストの上昇を押さえ、深い硬化深さを得ることができ、寿命を向上させることができる加工用ツールと、その製造方法を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0007】
本発明の加工用ツールは、工具鋼、軸受鋼、高速度鋼などの高炭素鋼からなる熱処理されたツール本体部を有し、前記熱処理後の状態において、前記ツール本体部の表面部に中心部よりも多くの残留オーステナイトを含んでいることを特徴とするものであり、圧造や転造、引抜き等の強加工を行う加工用ツールに適している。ここで言う高炭素鋼は、例えば0.4%以上の炭素を含むFe−C合金である。
【0008】
残留オーステナイト量(γ)の測定は、(200),(211)面のα(フェライトまたはマルテンサイト)と(200),(220)面のγ(オーステナイト)のX線強度比から、下記の(1)式により求めて平均化した。
【0009】
γ(%)=[1/{(Iαγ)/(Iγα)+1}]×100 …(1)
(1)式において、Iα,IγはX線強度、Rα,RγはX線と格子面によって決まる材料定数である。なお、残留オーステナイト量測定時のX線回折条件は以下の通りである。
【0010】
X線回折装置:株式会社リガク製(RINT 2500)
X線:Co−Kα
管電圧:40kV
管電流:200mA
発散スリット:1/2deg
散乱スリット:1/2deg
受光スリット:0.15mm
走査範囲:54.7〜104.8deg
スキャンスピード:1deg/min
スキャンステップ:0.05deg
この発明の好ましい形態では、中心部よりも多くの残留オーステナイトを含む表面部の厚さが0.5mm以上である。また、中心部の残留オーステナイトの含有量が5%以上であるとよい。また、中心部の硬さがHv950以上であるとよい。さらに、表面部の硬さが前記中心部よりもHv100以上硬く、かつ、表面から少なくとも深さ0.5mmまでの内部硬さがHv1000以上であるとよい。
【0011】
さらに、前記表面部のW含有量が20%以上、C含有量が2%以上であるとよい。この発明の好ましい形態では、表面部の表面粗さがRa0.43μm以上、Rz2.5μm以上にするとよい。
【0012】
本発明の製造方法は、高炭素鋼からなるツール本体部を所定形状に成形する工程と、焼鈍状態の前記ツール本体部に多数の微細粒を高速で打付けることにより該ツール本体部の表面部に加工ひずみを生じさせる微細粒打付工程と、前記微細粒打付工程後に、前記ツール本体部に焼入れと焼戻しの熱処理を行うことにより、該ツール本体部の表面部に中心部よりも多くの残留オーステナイトを生じさせる熱処理工程とを具備している。
【0013】
この発明の好ましい形態では、前記熱処理工程が行われたツール本体部を用いてワークを加工することにより、前記表面部に存在する残留オーステナイトをマルテンサイトに変化させる。前記微細粒打付工程では、例えば0.05MPa、5分間以上の投射エネルギーで前記微細粒を前記表面部に打付けるとよい。前記微細粒打付工程によって、前記表面部に前記微細粒の一部を付着させることができる。
【0014】
この発明の好ましい形態では、前記微細粒打付工程によって、表面部の表面粗さをRa0.43μm以上、Rz2.5μm以上に加工する。また、前記熱処理工程後に、さらにショットピーニングを付加してもよい。
【0015】
従来の加工用ツールの製造工程では、熱処理後に、酸化膜の除去と圧縮残留応力の付与を目的として、ショットピーニングあるいはホーニングを行うのが通例である。これに対し本発明では、ツールを所定形状に成形したのち、焼鈍状態のもとでショットピーニングあるいはホーニング等の微細粒打付工程を実施し、その後に、焼入れあるいは焼戻し等の熱処理を行う。本発明ではこのような工程を経ることにより、表面部に前記硬質微細粒の一部(例えばWC粒子あるいはTiC、TiN等のセラミックス粒子の一部)を付着させるとともに、ツールの表面粗さを適度に粗くし、さらに、ツールの表面部に残留オーステナイトを多く存在させる。その後、ツール使用時(ワークを加工する際)の応力負荷によって、前記残留オーステナイトをマルテンサイト化する。こうすることにより、ツールの強靭化(強度の向上)と、表面部に硬質な微細粒の一部が付着すること、および適度な表面粗さ(潤滑剤溜まり)が形成されることにより摩擦の低減化を図り、ツール寿命の改善を図る。
【発明の効果】
【0016】
本発明によれば、熱処理時に得られるツール表面部のマルテンサイトに加え、熱処理後に表面部に豊富に存在する残留オーステナイトがワークを加工する際などにマルテンサイト化することにより、従来よりも深い硬化深さを得ることができ、加工用ツールの摩耗やクラックの発生が抑制される。本発明によれば、コストアップの原因となるような特殊な処理や化学成分を用いることなく、加工用ツールの寿命を向上させることができる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0017】
[実施例1]
高速度工具鋼(SKH59)の溶解材を用い、下記の製造プロセスを経て、ねじの頭部を圧造するための加工用ツールを製造した。加工用ツールの一例は、図1に示すように、被加工部の形状に応じたツール本体部10を有する圧造用パンチ11である。ツール本体部10のサイズの一例は、高さ約2mm、幅約4mmである。
【0018】
SKH59は高炭素鋼の一例であり、その化学成分(重量%)は下記の通りである。
C:1.00〜1.20%、Cr:3.50〜4.50%、Mo:9.00〜10.00%、W:1.20〜1.90%、V:0.90〜1.40%、Co:7.50〜8.50%、Si:0.50%以下、Mn:0.40%以下、残部Fe。
【0019】
以下にこの実施例の加工用ツールの製造プロセスについて説明する。
まず成形工程において、SKH59の溶解材によって、加工用ツールを所定形状に成形する。成形された加工用ツールの焼入れ前(焼鈍状態)の素材硬さは、HRC19〜23、H236〜253と軟らかい状態である。
【0020】
次いで、焼鈍状態の当該ツールに、微細粒打付工程の一例であるショットピーニング工程を実施することにより、ツール表面の酸化膜を除去すると共に、表面部に大きな加工ひずみを付与する。
【0021】
このショットピーニング工程において、熱処理前の素材状態(HRC19〜23)の当該ツールに、ある閾値を越える投射エネルギーをもつ多数の微細粒を高速度で打付けることにより、当該ツールの表面部に加工ひずみを生じさせる。ショットピーニング条件は、ショット材が直径0.1mmのWC、直圧式ノズル、タンブラー式、投射圧力0.05MPa、5分間である。このショットピーニング工程により、当該ツールの表面に、前記微細粒の一部からなる硬質粒子(W含有量が20%以上、C含有量が2%以上)が付着するとともに、粗さがRa0.43μm、Rz2.54μmと、比較的大きな凹凸が形成された。Raは算術平均粗さ、Rzは十点平均粗さである。
【0022】
前記ショットピーニング後に、熱処理工程において、当該ツールに焼入れと焼戻しの熱処理を行った。熱処理条件は、Nガス雰囲気中で、1160℃焼入れ、560℃、3回焼戻し、焼戻し硬さHRC63〜65である。
【0023】
当該ツールの表面部には、前記ショットピーニング工程(微細粒打付工程)によって、加工ひずみが蓄積されている。加工ひずみが蓄積された状態で前記焼入れが行われると、加工ひずみエネルギーによってマルテンサイト変態の核形成サイトが増加しているため、マルテンサイト変態そのものは早く起こる。しかし互いの核どうしが干渉するため、マルテンサイトの成長が阻害される。このため、残留オーステナイトが増加することにより、いわゆる残留オーステナイトの加工安定化が起こる。
【0024】
前記焼入れ後のツールを焼戻すと、一部の残留オーステナイトが分解し、焼戻しの冷却時に第2、第3のマルテンサイト変態を起こしてさらに硬化する。この焼戻しでマルテンサイト変態しきれなかった残留オーステナイトがある程度残る。
【0025】
前記熱処理(焼戻し)が行われたツールによって、被加工物としてのSUSXM7(18Cr−9Ni−3.5Cu)からなるワークの圧造加工を行った。この明細書では、この圧造加工を打鋲と呼ぶことにする。打鋲という強加工により、前記熱処理だけではマルテンサイト変態しきれなかった残留オーステナイトが、マルテンサイト変態を起こして硬化し、深い硬化深さが得られた。打鋲後の表面残留応力は、ー135MPaであった。
【0026】
[実施例2]
実施例1と同様の高速度工具鋼を用い、実施例1と同様の成形工程により、加工用ツールを所定形状に成形した。当該ツールの焼入れ前(焼鈍状態)の硬さは、実施例1と同等である。
【0027】
次いで、ショットピーニング工程において、焼鈍状態の当該ツールに、実施例1と同様のショット材を用いて、0.10MPa、5分間のショットピーニングを行うことにより、ツールの表面部に加工ひずみを生じさせた。このショットピーニングによって、ツールの表面粗さがRa0.49μm、Rz3.30μmとなった。
【0028】
そして前記ショットピーニング後に、当該ツールに焼入れと焼戻しの熱処理を行った。熱処理条件は実施例1と同様である。
【0029】
当該ツールによって、実施例1と同様の被加工物(SUSXM7)の圧造を行った。この強加工により、前記熱処理だけではマルテンサイト変態しきれなかった残留オーステナイトが、マルテンサイト変態を起こして硬化し、深い硬化深さが得られた。打鋲後の表面残留応力は、ー184MPaであった。
【0030】
[実施例3]
実施例1と同様の高速度工具鋼を用い、実施例1と同様の成形工程により、加工用ツールを所定形状に成形した。当該ツールの焼入れ前(焼鈍状態)の硬さは、実施例1と同等である。
【0031】
次いで、ショットピーニング工程において、焼鈍状態の当該ツールに、実施例1と同様のショット材を用いて、0.20MPa、5分間のショットピーニングを行うことにより、ツールの表面部に加工ひずみを生じさせた。このショットピーニングによって、ツールの表面粗さがRa0.68μm、Rz3.70μmとなった。
【0032】
そして前記ショットピーニング後に、当該ツールに焼入れと焼戻しの熱処理を行った。熱処理条件は実施例1と同様である。
【0033】
当該ツールによって、実施例1と同様の被加工物(SUSXM7)の圧造を行った。この強加工により、前記熱処理だけではマルテンサイト変態しきれなかった残留オーステナイトが、マルテンサイト変態を起こして硬化し、深い硬化深さが得られた。打鋲後の表面残留応力は、ー108MPaであった。
【0034】
[実施例4]
実施例1と同様の高速度工具鋼を用い、実施例1と同様の成形工程により、加工用ツールを所定形状に成形した。当該ツールの焼入れ前(焼鈍状態)の硬さは、実施例1と同等である。
【0035】
次いで、ショットピーニング工程において、焼鈍状態の当該ツールに、実施例1と同様のショット材を用いて、0.30MPa、5分間のショットピーニングを行うことにより、ツールの表面部に加工ひずみを生じさせた。このショットピーニングによって、ツールの表面粗さがRa0.99μm、Rz4.90μmとなった。
【0036】
図2は前記ショットピーニングが行われた実施例4のツールの硬さ分布(試験力0.25N)を示している。当該ツールの表面部は、加工硬化によって、中心部よりもHv100以上硬化している。
【0037】
そして前記ショットピーニング後に、当該ツールに焼入れと焼戻しの熱処理を行った。熱処理条件は実施例1と同様である。
【0038】
図3は、実施例4のツールの表面組織をSEM(走査型電子顕微鏡)によって2000倍に拡大して撮影した写真である。組織中に白く写っている部分が炭化物である。この実施例4の表面部には、硬質ショット材の一部(表面部に白く写っている微細なWC粒子)が付着していることが判る。
【0039】
当該ツールによって、実施例1と同様の被加工物(SUSXM7)の圧造を行った。この強加工により、前記熱処理だけではマルテンサイト変態しきれなかった残留オーステナイトが、マルテンサイト変態を起こして硬化し、深い硬化深さが得られた。打鋲後の表面残留応力は、ー130MPaであった。
【0040】
実施例4のツールの熱処理直後の表面残留応力値は+15MPaの引張応力であったが、打鋲後は−130MPaの圧縮応力に変化していた。このことによっても、表面部の残留オーステナイトがマルテンサイトに変化していることが裏付けられた。
【0041】
本発明者は、当該ツールの残留オーステナイトの量を、打鋲前と打鋲後とでX線回折により測定した。その結果、打鋲前は、表面部の残留オーステナイトの量が7.1%、中心部の残留オーステナイトの量が5.9%であり、表面部の方が中心部よりも残留オーステナイトの量が多いことが確認された。一方、打鋲後は、表面部の残留オーステナイトの量が5.8%、中心部の残留オーステナイトの量が5.9%であり、打鋲によって、表面部の残留オーステナイトがマルテンサイト化することにより減少した。
【0042】
なお前記熱処理後の状態で、中心部よりも多くの残留オーステナイトを含む表面部の厚さが0.5mm以上であれば、マルテンサイト化によって得られる硬化深さを大きくする上で特に有効であった。また、中心部の残留オーステナイトの含有量が5%以上であれば、硬化層の深さを大きくする上で有効であることも判った。
【0043】
圧造用ツールは、ワーク(被加工物)を加工する際の摩擦熱の発生による温度上昇と冷却の繰返しによるヒートクラックの発生と、圧造時にツールにかかる圧縮力と引抜き時の摩擦力との繰返しにより、徐々にクラックが進展してゆくことにより、チッピングを起こして破壊に至ると考えられる。
【0044】
従って、ツールの寿命を向上させるには、ツールの強度を増加させると共に、摩擦力を低減させることが重要である。前記実施例1〜4では、ツール表面から約2mmの深い領域まで高硬さが維持されているだけでなく、素材状態(焼鈍材)のツールに高い投射エネルギーのショットピーニングを行ったことにより、表面部が変形し、高硬さのショット材(微細粒子)の一部が付着するとともに、表面粗さが適度に粗くなっている。
【0045】
このため、ショット材付着による摩擦係数の低減と、ワーク加工時に使用する潤滑剤(例えば油)がツール表面の凹凸に溜まる効果が増進されることにより、加工時(例えば打鋲時)の摩擦係数が低下する。これらの相乗効果により、ツールの耐久性を改善することができた。
【0046】
特に、表面部の粗さがRa0.43μm以上、Rz2.5μm以上であれば、ツール表面の凹凸に潤滑剤が十分溜まることができ、ツールの耐久性を改善する上で特に有効であった。
【0047】
実施例4の打鋲試験前の表面部の成分をEPMA(Electron Probe Micro Analyzer)で分析したところ、W含有量が22.5%、C含有量が2.18%と、表面部に多くのWとCが存在していることが確認された。表面部のW含有量が20%以上、C含有量が2%以上であれば、ショット材付着による摩擦係数の低減効果が大きかった。
【0048】
以上説明したように、実施例1〜4のショットピーニング工程では、ある閾値以上の高エネルギーショットを焼入れ前のツール(完全焼鈍材)に投射しており、ショットの投射エネルギーは実施例1から実施例4に向かって順に大きくなっている。また、その投射エネルギーに応じて、ツールの表面粗さも実施例1から実施例4に向かって順に粗くなっている。これら実施例1〜4では、ショットピーニング後に熱処理を行っているため、表面残留応力は−200MPa以下である。
【0049】
[比較例1(従来技術)]
実施例1と同様の高速度工具鋼を用い、実施例1と同様の成形工程により、加工用ツールを所定形状に成形した。当該ツールの焼入れ前(焼鈍状態)の硬さは、実施例1と同等である。
【0050】
次いで、熱処理を行った。熱処理条件は実施例1と同様である。
熱処理後に、ガラスビーズのショットを用いて、微細粒打付工程の一例であるホーニング工程(ガラスブラスト)を実施することにより、酸化膜の除去と圧縮残留応力の付与を行った。ホーニング条件は、ショット材がガラス#150、投射圧力0.5MPa、4秒間である。このガラスブラストにより、ツールの表面粗さがRa0.39μm、Rz2.23μmとなった。表面残留応力は、ー1069MPaであった。
【0051】
比較例1の残留オーステナイト量を調べたところ、打鋲前では、表面部の残留オーステナイトの量が2.3%、中心部の残留オーステナイトの量が3.4%であり、表面部の方が中心部よりも残留オーステナイトの量が少ないことが確認された。打鋲後は、表面部の残留オーステナイトがマルテンサイト化したことにより、表面部の残留オーステナイトの量が1.6%に低下した。
【0052】
図4は、比較例1のツールの表面組織をSEM(走査型電子顕微鏡)によって2000倍に拡大して撮影した写真である。写真中に白く写っている部分が炭化物である。比較例1の表面部の凹凸は、図3に示す実施例4の表面部の凹凸よりも小さく、しかも表面部にショット材がほとんど付着していない。
【0053】
比較例1の打鋲試験前の表面部の成分をEPMAで分析したところ、W含有量が2.6%、C含有量が1.33%と、実施例4と比較してWとCの含有量が少なく、ショット材付着による摩擦係数の低減効果を期待できるほどではなかった。
【0054】
[比較例2]
実施例1と同様の高速度工具鋼を用い、実施例1と同様の成形工程により、加工用ツールを所定形状に成形した。当該ツールの焼入れ前(焼鈍状態)の硬さは、実施例1と同等である。
【0055】
次いで、熱処理を行った。熱処理条件は実施例1と同様である。
熱処理後に、ショットピーニング工程を実施した。ショットピーニング条件は実施例4と同じ0.3MPの高圧ショットである。このショットピーニングにより、ツールの表面粗さがRa0.42μm、Rz3.77μmとなった。表面残留応力は、ー1347MPaであった。
【0056】
[比較例3]
実施例1と同様の高速度工具鋼を用い、実施例1と同様の成形工程により、加工用ツールを所定形状に成形した。当該ツールの焼入れ前(焼鈍状態)の硬さは、実施例1と同等である。
【0057】
次いでホーニング工程(ガラスブラスト)を行った。ホーニング条件は比較例1と同様である。このガラスブラストにより、ツールの表面粗さがRa0.73μm、Rz4.67μmとなった。
【0058】
そしてガラスブラスト後に熱処理を行った。熱処理条件は実施例1と同様である。熱処理後の表面残留応力は、ー204MPaであった。
【0059】
[比較例4]
実施例1と同様の高速度工具鋼を用い、実施例1と同様の成形工程により、加工用ツールを所定形状に成形した。当該ツールの焼入れ前(焼鈍状態)の硬さは、実施例1と同等である。
【0060】
次いで、WPC処理を行った。WPC処理条件はショット材が高速度鋼系#400、アークハイト100mm、投射圧力0.2MPa、投射時間30秒である。このWPC処理により、ツールの表面粗さがRa1.12μm、Rz6.71μmとなった。
【0061】
WPC処理後に熱処理を行った。熱処理条件は実施例1と同様である。熱処理後の表面残留応力はー195MPaであった。
【0062】
図5は、実施例4と比較例1,2の熱処理後の硬さ分布(試験力0.25N)を、打鋲前と打鋲後とで調べた結果である。実施例4の打鋲前の硬さは、比較例1とほぼ同等のレベル(Hv950〜1000)である。しかし実施例4は、打鋲後に残留オーステナイトのマルテンサイト化によって大幅に硬化し、しかもHv1000以上の硬化深さが約2mmと深いことがわかる。
【0063】
これに対し比較例2は、熱処理(焼入れ、焼戻し)後に高い投射エネルギーでショットピーニングを行っている。このためショットピーニングによる加工硬化によって、表面硬さが実施例4と同等のレベルまで硬化している。しかし比較例2の硬化深さは、実施例4と比較すると浅い。
【0064】
すなわち比較例2は、熱処理後のショットピーニングによって大きな圧縮残留応力が付与され、表面硬さが実施例4と同等のレベルまで硬くなっているが、硬化深さが約0.1mmと浅いことから、ツールの寿命を改善する効果がほとんど無かった。一方、比較例1は熱処理後にホーニングを行っているが、投射エネルギーが小さいため加工硬化が小さく、表面硬さの増加はほとんど見られなかった。
【0065】
図6は、実施例1〜4と比較例1〜4の加工用ツールを用いて打鋲試験を行った結果を示している。被加工物はSUSXM7(18Cr−9Ni−3.5Cu)である。この打鋲試験では、1000打鋲毎に、ツールに発生したクラックの数を、被加工物に転写された突起物からカウントした。
【0066】
この打鋲試験の結果によれば、比較例1〜4は表面に大きな圧縮残留応力が生じているにもかかわらず、4000打鋲あたりから、図7に示すようなクラック12や摩耗13が発生し始め、10000打鋲あたりでは約100本のクラックが確認された。
【0067】
特に比較例1,2は、ツール表面に−1000MPa以上の大きな圧縮残留応力が生じていたにもかかわらず、クラック発生を抑制する効果が小さかった。比較例3では、ホーニング工程において投射時間が短く投射エネルギーが小さいために、クラック発生を抑制する効果が小さかった。比較例4では、WPC処理において投射時間が短く投射エネルギーが小さいために、クラック発生を抑制する効果が小さかった。
【0068】
これに対し本発明の実施例1〜4では、熱処理後の圧縮残留応力が比較例1〜4に比べて小さいにもかかわらず、クラックの発生が十分抑制されている。このクラック抑制効果は、ショットピーニング工程でのショットの投射エネルギーが大きい(例えば実施例4)ほど効果が大きかった。このため前記ショットピーニング工程は、0.05MPa、5分間以上の投射エネルギーで微細粒を打付けることが望ましい。
【0069】
また硬化深さを大きくするには、中心部の硬さがHv950以上であるとよい。また、表面部の硬さが中心部よりもHv100以上硬く、かつ、表面から少なくとも深さ0.5mmまでの内部硬さがHv1000以上であるとさらによい。
【0070】
次表1は、実施例1〜4と比較例1〜4の1000打鋲あたりの摩耗速度(μm)を示している。表1より、実施例1〜4では比較例1〜4よりも摩耗速度が小さく、耐摩耗性に優れていることが判る。特に、前記ショットピーニング工程(微細粒打付工程)でのショットの投射エネルギーが大きい実施例4の耐摩耗性が優れている。
【0071】
実施例4の耐摩耗性が最も優れている理由は、ツール表面部の硬さが高いことと、硬質ショット材(微細粒子)の一部が付着することによる表面部の摩擦の低下、および、表面粗さが大きく潤滑剤の溜まり効果が高いことによる相乗効果である。潤滑剤の溜まり効果を高める上では、素材状態(焼鈍材)で行なう前記ショットピーニング工程(微細粒打付工程)を、表面粗さがRa0.43μm以上、Rz2.5μm以上となるような投射エネルギーで行うとよい。
【表1】

【0072】
なお、前記実施例1〜4では、熱処理後のツールによって被加工物を打鋲する(圧造用パンチとして使用する)が、パンチとして使用する前に残留オーステナイトをマルテンサイト化させて高強度化を図る手段として、焼入れ直後、あるいは、焼戻し後にショットピーニングを追加してもよい。さらには熱処理後に、窒化処理や、TiN,TiC,TiCN,TiAlN等の被膜処理を行ってもよい。
【図面の簡単な説明】
【0073】
【図1】本発明の一実施形態の加工用ツールの斜視図。
【図2】図1に示された加工用ツールのショットピーニング後の硬さ分布(試験力0.25N)を示す図。
【図3】図1に示された加工用ツールの表面組織をSEM(走査型電子顕微鏡)によって2000倍に拡大した写真。
【図4】比較例の表面組織をSEM(走査型電子顕微鏡)によって2000倍に拡大した写真。
【図5】実施例と比較例のそれぞれの加工用ツールの硬さ分布(試験力0.25N)を、打鋲前と打鋲後とで調べた結果を示す図。
【図6】実施例と比較例のそれぞれの加工用ツールの打鋲試験結果を示す図。
【図7】比較例の加工用ツールにクラックが生じた状態を示す斜視図。
【符号の説明】
【0074】
10…ツール本体部
11…圧造用パンチ(加工用ツール)

【特許請求の範囲】
【請求項1】
ワークを加工するための加工用ツールであって、
高炭素鋼からなる熱処理されたツール本体部を有し、
前記熱処理後の状態において、前記ツール本体部の表面部に中心部よりも多くの残留オーステナイトを含んでいることを特徴とする加工用ツール。
【請求項2】
前記中心部よりも多くの残留オーステナイトを含む表面部の厚さが0.5mm以上であることを特徴とする請求項1に記載の加工用ツール。
【請求項3】
前記中心部の残留オーステナイトの含有量が5%以上であることを特徴とする請求項1に記載の加工用ツール。
【請求項4】
前記中心部の硬さがHv950以上であることを特徴とする請求項1〜3のいずれか1項に記載の加工用ツール。
【請求項5】
前記表面部の硬さが前記中心部よりもHv100以上硬く、かつ、表面から少なくとも深さ0.5mmまでの内部硬さがHv1000以上であることを特徴とする請求項4に記載の加工用ツール。
【請求項6】
前記表面部のW含有量が20%以上、C含有量が2%以上であることを特徴とする請求項1〜5のいずれか1項に記載の加工用ツール。
【請求項7】
前記表面部の表面粗さがRa0.43μm以上、Rz2.5μm以上であることを特徴とする請求項1〜6のいずれか1項に記載の加工用ツール。
【請求項8】
前記高炭素鋼が0.4%以上の炭素を含むFe−C合金であることを特徴とする請求項1に記載の加工用ツール。
【請求項9】
高炭素鋼からなるツール本体部を所定形状に成形する工程と、
焼鈍状態の前記ツール本体部に多数の微細粒を高速で打付けることにより該ツール本体部の表面部に加工ひずみを生じさせる微細粒打付工程と、
前記微細粒打付工程後に、前記ツール本体部に焼入れと焼戻しの熱処理を行うことにより、該ツール本体部の表面部に中心部よりも多くの残留オーステナイトを生じさせる熱処理工程と、
を具備したことを特徴とする加工用ツールの製造方法。
【請求項10】
前記熱処理工程が行われたツール本体部を用いてワークを加工することにより、前記表面部の残留オーステナイトをマルテンサイトに変化させることを特徴とする請求項9に記載の加工用ツールの製造方法。
【請求項11】
前記微細粒打付工程は、0.05MPa、5分間以上の投射エネルギーで前記微細粒を前記表面部に打付けることを特徴とする請求項9に記載の加工用ツールの製造方法。
【請求項12】
前記微細粒打付工程によって、前記表面部に前記微細粒の一部を付着させることを特徴とする請求項9に記載の加工用ツールの製造方法。
【請求項13】
前記微細粒打付工程によって、前記表面部の表面粗さを、Ra0.43μm以上、Rz2.5μm以上に加工することを特徴とする請求項9に記載の加工用ツールの製造方法。
【請求項14】
前記熱処理工程後に、さらにショットピーニングを付加することを特徴とする請求項9に記載の加工用ツールの製造方法。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【公開番号】特開2006−88224(P2006−88224A)
【公開日】平成18年4月6日(2006.4.6)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2005−241380(P2005−241380)
【出願日】平成17年8月23日(2005.8.23)
【出願人】(000004640)日本発条株式会社 (1,048)
【Fターム(参考)】