説明

浸炭材

【課題】スパイダ等、捩り強度や曲げ強度等の疲労強度、さらには靭性が希求される部材の素材として好適な浸炭材を提供する。
【解決手段】質量%で、C:0.1〜0.3%、Si:0.5%以下、Mn:1.5%以下、Cr:0.35〜0.8%、Mo:0.15〜0.7%、Nb:0.005〜0.2%、Ti:0.01〜0.1%、B:0.001〜0.003%、N:0.01%以下、s−Al:0.06%以下、P:0.03%以下、S:0.03%以下を含有し、残部がFe及び不可避的不純物である鋼材に対して浸炭処理を施し、有効硬化層の厚みが0.4〜1.1mmである浸炭材とする。スパイダ18の形状とする場合には、例えば、前記鋼材に対して熱簡鍛造加工を行って成形品を得た後、浸炭焼入れ処理、焼戻し処理を施せばよい。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、浸炭材に関し、一層詳細には、例えば、等速ジョイントを構成するスパイダ等、捩り強度や靭性が希求される部材の素材として特に好適な浸炭材に関する。
【背景技術】
【0002】
自動車には、内燃機関等のエンジンの駆動力をタイヤまで伝達するための駆動力伝達機構が組み込まれる。この駆動力伝達機構は複数の回転軸を有し、該回転軸同士は、等速ジョイントによって連結中継される。
【0003】
等速ジョイントの1種であるトリポート型等速ジョイントを例示すると、第1回転軸がアウタ部材に連結される一方、第2回転軸の先端にスパイダが嵌合され、該スパイダがアウタ部材の開口端部内に挿入される。スパイダは、環状部と、該環状部の外周面から互いに120°の間隔で離間して突出した3本のトラニオンとを有し、この中のトラニオンに転動自在に通されたローラが前記アウタ部材の内周壁に設けられた案内溝に挿入される。
【0004】
このような構成において、スパイダは、前記トラニオンに保持された前記ローラを介して回転駆動力を前記回転軸に伝達する。このため、スパイダとしては、捩り強度や曲げ強度等の各種の疲労強度が優れていることが希求される。この要請に対応するべく、スパイダは、クロム鋼であるSCr420や、クロムモリブデン鋼であるSCM415、SCM420(いずれもJIS)等の所定の鋼材を鍛造成形し、その後、得られた成形品に浸炭焼入れ処理を施すことで作製されるのが一般的である。
【0005】
ところで、近年における環境保護への関心の高まりに伴い、CO2やNOx等の排ガス量を低減するべく、自動車の燃費を向上させることが種々検討されている。この観点から、自動車の構成部材を軽量化することが試みられており、スパイダもこの中に含まれている。軽量化が実現すれば、前記エンジンへの負荷が低減するからである。
【0006】
しかしながら、周知の軽量な素材は概して軟質であり、強度が小さい。このため、この種の軽量な素材からスパイダを構成したとしても、捩り強度や曲げ強度等を確保することは困難である。一方、素材からスパイダを作製するに際しては、数回の鍛造加工工程、特に、冷間鍛造加工工程ないし温間鍛造加工を経るため、素材には、冷間加工性ないし温間加工性が良好であることも希求される。そこで、軽量でありながらも捩り強度や曲げ強度等の疲労強度に優れ、且つ冷間加工性又は温間加工性が良好な素材を得ることが種々検討されている。
【0007】
例えば、特許文献1には、鋼材にMoを添加する一方でCrの組成比を所定範囲内に調整することで熱間鍛造の段階で所定の硬度を発現させるとともに、該鋼材にNb、Al、Tiを所定量添加することで結晶粒の粗大化を防止して、バーフィールド型等速ジョイント用のケージの材質とすることが提案されている。
【0008】
また、特許文献2には、低炭素モリブデン鋼にTiとBを複合添加することに加え、表面の炭素濃度を0.8%超とする高濃度浸炭を行うことで、捩り強度等に優れたスパイダが得られるとの記載がある。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0009】
【特許文献1】特許第3240627号公報
【特許文献2】特開2002−266031号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0010】
上記した技術が提案されながらもなお、捩り強度や曲げ強度等の疲労強度をはじめとする諸特性が優れたスパイダを得ることが可能な材質が希求されている。
【0011】
本発明はこの要望に対応するべくなされたもので、諸特性に優れたスパイダ等の素材として好適な浸炭材を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0012】
前記の目的を達成するために、本発明は、鋼材の表層部に、該鋼材に浸炭処理が施されることでビッカース硬度が550HV以上である有効硬化層が設けられた浸炭材であって、
前記鋼材は、質量%で、C:0.1〜0.3%、Si:0.5%以下、Mn:1.5%以下、Cr:0.35〜0.8%、Mo:0.15〜0.7%、Nb:0.005〜0.2%、Ti:0.01〜0.1%、B:0.001〜0.003%、N:0.01%以下、s−Al:0.06%以下、P:0.03%以下、S:0.03%以下を含有し、残部がFe及び不可避的不純物であり、
前記有効硬化層の厚みが0.4〜1.1mmであることを特徴とする。
【0013】
すなわち、この浸炭材は、上記組成比の各成分を含有する鋼材に対して浸炭処理が施されることで設けられたものであり、このため、有効硬化層では、鋼材に比して炭素の組成比(質量%)が若干大きくなっている。
【0014】
本発明に係る浸炭材においては、SCr420、SCM415、SCM420等の一般的な鋼材に比してMoの組成比が大きく設定されている。このため、該浸炭材は、延性破壊を示す。また、Moの組成比が大きく且つCrの組成比が少なく設定されているので、破断に至る荷重、ひいては強度が大きくなる。
【0015】
さらに、上記した組成比のBを添加することによって粒界強度が向上する。この効果は、遊離Nが過剰に存在すると阻害されるが、本発明では、Tiを添加して遊離Nを捕捉するようにしているので、Bの前記添加効果が確保される。
【0016】
以上のような理由から、本発明に係る浸炭材は、SCr420、SCM415、SCM420等の一般的な鋼材に比して疲労強度(例えば、曲げ強度や捩り強度)及び靭性に優れる。換言すれば、諸特性に優れる。
【0017】
しかも、鋼材にSが含まれているため、該鋼材の組織中でSがMnとともにMnSを形成する。その結果、鋼材の切削性が向上する。
【0018】
その上、表層部に有効硬化層が存在するので、耐摩耗性も良好である。なお、有効硬化層の厚みが過度に小さいとこの効果に乏しく、一方、過度に大きいと疲労強度が低下する。従って、有効硬化層の厚みは、0.4〜1.1mmに設定される。
【0019】
このように、疲労強度に優れ且つ耐摩耗性が良好な浸炭材は、捩り強度や曲げ強度等の疲労強度と、耐摩耗性とがともに優れることが希求される部材、例えば、等速ジョイントを構成するスパイダ等の摺動部材の素材として特に好適である。しかも、この場合、浸炭材が切削性に優れるものでもあるので、スパイダ等の最終製品の形状に加工することも容易である。
【0020】
前記鋼材の結晶粒度番号は、7以上であることが好ましく、9以上であることがより好ましい。なお、結晶粒度番号についてはJIS G 0551に規定されており、数値が大きいほど結晶粒が小さいことを意味する。
【0021】
このように微細な結晶粒では、亀裂が生じ難い。このため、静的曲げ強度が大きくなる。
【0022】
なお、結晶粒の大小は、Nb、s−Alの組成比を適切に設定することによって制御可能である。
【0023】
鋼材には、質量%で0.5%以下のCuがさらに含有されていてもよい。これにより、浸炭材の疲労強度を一層向上させることができる。
【0024】
また、前記鋼材に対し、質量%で0.5%以下のNiを含有させるようにしてもよい。この場合、浸炭材が靭性に優れたものとなる。
【発明の効果】
【0025】
本発明によれば、所定の組成比のBを添加することで粒界強度を向上させ、その一方で、この効果を阻害する遊離NをTiで捕捉し、さらに、Mo及びCrを所定の組成比で添加することで靭性を向上させるようにしているので、SCr420、SCM415、SCM420等の一般的な鋼材に比して各種の疲労強度(例えば、曲げ強度や捩り強度)及び靭性に優れた浸炭材を構成することができる。
【0026】
しかも、表層部に所定厚みの有効硬化層が存在するので、疲労強度を低下させることなく耐摩耗性を向上させることができる。
【図面の簡単な説明】
【0027】
【図1】本実施の形態に係る浸炭材からなるスパイダが組み込まれたトリポート型等速ジョイントの要部概略斜視図である。
【図2】図1の等速ジョイントの一部切欠側面図である。
【図3】ブーツが取り外された図1の等速ジョイントの要部概略断面図である。
【図4】図1の等速ジョイントの要部拡大正面図である。
【図5】本実施の形態に係る浸炭材からなるスパイダの概略全体斜視図である。
【図6】3点曲げ試験において、Moの組成比と亀裂発生荷重との関係を示すグラフである。
【図7】前記3点曲げ試験において、Moの組成比と最大荷重との関係を示すグラフである。
【図8】3点曲げ試験において、Crの組成比と最大荷重との関係を示すグラフである。
【図9】実施例1〜9及び比較例1〜8の浸炭材の成分・組成比及び各種試験結果を示す図表である。
【図10】本実施の形態に係る浸炭材からなるスパイダと、浸炭処理が施されたSCM415からなるスパイダにおける破断トルクを有効硬化層の深さとの関係で示したグラフである。
【発明を実施するための形態】
【0028】
以下、本発明に係る浸炭材につき、該浸炭材からなり等速ジョイントを構成するスパイダを例示して好適な実施の形態を挙げ、添付の図面を参照して詳細に説明する。
【0029】
図1は、トリポート型等速ジョイント10の要部概略斜視図であり、図2は、その一部切欠側面図である。このトリポート型等速ジョイント10は、有底筒状部12を有するアウタ部材14と、回転軸16の一端に嵌合されて前記アウタ部材14の内部に挿入されたスパイダ18(図2参照)とを有し、アウタ部材14の端部から前記回転軸16に至るまでが蛇腹状の継手用ブーツ20で覆われている。この継手用ブーツ20の内部には、グリース組成物が封入される。後述するように、この中のスパイダ18は、浸炭材からなる。
【0030】
アウタ部材14の一端部には軸部19が突出形成され、この軸部19には、図示しないディファンレンシャルギアの回転軸が連結される。
【0031】
また、アウタ部材14の有底筒状部12の内壁面には、図3及び図4に示すように、該アウタ部材14の軸線方向に沿って延在するとともに互いに120°離間した3本の案内溝22a〜22cが形成される。これら案内溝22a〜22cは、有底筒状部12の外周面に沿って延在する方向に設けられた天井部24と、該天井部24から略直交する方向に沿って互いに対向する摺動部としての転動面25とから構成される。
【0032】
一方、スパイダ18には、該スパイダ18の概略全体斜視図である図5に示すように、案内溝22a〜22cに指向して膨出するとともに、互いに120°離間した3本のトラニオン26a〜26cが一体的に形成されている。また、スパイダ18には、回転軸16の先端に設けられた歯部16a(図2及び図3参照)と噛合させるための内歯27が形成されている。歯部16aに内歯27が噛合されたスパイダ18は、前記有底筒状部12の中空内部に挿入される(図2及び図3参照)。
【0033】
トラニオン26a〜26cの側壁部には、それぞれ、転動機構28が外嵌されている(図3及び図4参照)。各転動機構28は、構成部材としてのホルダ30及びローラ32を有し、ホルダ30とローラ32との間には複数本のニードルベアリング34が介装されている。ニードルベアリング34同士は、互いに略同一寸法の円柱体形状に形成されている。
【0034】
以上の構成において、トラニオン26a〜26cは、図4における矢印A方向に沿って摺動自在であり、且つ矢印B方向に所定角度で傾動自在となる。さらに、トラニオン26a〜26cは、矢印C方向に回動自在にもなる。
【0035】
図1に示すように、継手用ブーツ20は、アウタ部材14の一端部及び回転軸16の各々に緊締バンド46、48を介して位置決め固定される。参照符号50、52は、これら緊締バンド46、48が加締められて形成された加締め部を表す。
【0036】
この中、スパイダ18は、上記したように、トラニオン26a〜26cの各々に保持されたローラ32を介して、前記ディファンレンシャルギアを構成する回転軸の回転駆動力をアウタ部材14から回転軸16に伝達する機能を営む。このため、スパイダ18は、曲げ強度や捩り強度等の各種の疲労強度に優れている必要がある。
【0037】
また、スパイダ18は、後述するように、複数回の鍛造加工を経て作製される。このため、スパイダ18は、鍛造加工に追従して容易に変形すること、すなわち、鍛造加工性が良好であることも必要である。
【0038】
以上のような観点から、スパイダ18は、後述する鋼材の表層部に有効硬化層が設けられた浸炭材からなる。換言すれば、スパイダ18は、鋼材に浸炭処理が施されることによって得られたものである。
【0039】
ここで、鋼材としては、C:0.1〜0.3%、Si:0.5%以下、Mn:1.5%以下、Cr:0.35〜0.8%、Mo:0.15〜0.7%、Nb:0.005〜0.2%、Ti:0.01〜0.1%、B:0.001〜0.003%、N:0.01%以下、s−Al:0.06%以下、P:0.03%以下、S:0.03%以下を含有し、残部がFe及び不可避的不純物であるものが選定される。なお、各成分の数字は質量%を示し、以下においても同様である。
【0040】
各成分の機能及び組成比の技術的意義につき説明する。先ず、Cは、浸炭焼入れ処理を施した後の鋼材(浸炭材)の心部の強度や硬度等を確保するための成分であり、その組成比は0.1〜0.3%に設定される。0.1%未満であると、心部の硬度等を確保することが困難となる。また、0.3%よりも多いと心部の靭性が低下し、冷間加工時や温間加工時の変形抵抗が増加する。換言すれば、冷間加工性や温間加工性が低下する。
【0041】
Siは、前記鋼材の溶製の際、該鋼材の脱酸元素として添加される。しかしながら、その添加量が過度であると、熱間圧延後の鋼材の硬度を過度に高めてしまうため、その後の冷間加工性が低下する。また、浸炭処理の際、結晶粒界において粒界酸化層が生成することを助長し、強度低下をもたらしてしまう。以上の不具合を回避するべく、Siの組成比は、0.35%以下に設定される。
【0042】
Mnは、Siと同様に、前記鋼材の溶製の際に脱酸元素として添加される。この際、Mnの添加割合(組成比)を0.3%以上とすると鋼材の焼入れ性が向上するので好ましい。しかしながら、Mnを過度に添加量すると、熱間圧延後の鋼材の硬度を過度に高めてしまうため、その後の冷間加工性が低下する。これを回避するべく、Mnの組成比は、1.5%以下に設定される。
【0043】
Crは、浸炭処理によって設けられた有効硬化層及び心部の疲労強度・靭性を改善する元素であり、その組成比は、0.35〜0.8%に設定される。0.35%未満では疲労強度や靭性の向上効果に乏しい。また、0.8%を超えると、鋼材に対して熱処理を施した際、厚みの大きな粒界酸化層が形成され、このために疲労強度が低下することがある。
【0044】
Moは、成形品としての疲労強度(例えば、静捩り強度)を向上させる役割を果たす。Moの組成比が0.15%未満では、この効果に乏しい。一方、Moが過度に存在すると熱間圧延後の鋼材の硬度が過度に高くなり、冷間加工性を阻害するようになる。このため、Moの組成比は、0.15〜0.7%に設定される。
【0045】
以上から諒解されるように、この鋼材においては、Crの組成比がSCr420、SCM415、SCM420等に比して小さく設定され、且つMoの組成比がSCr420、SCM415、SCM420等に比して大きく設定される。この点に関しては後述する。
【0046】
Nbは、結晶粒の粗大化を防止する。すなわち、0.005%以上のNbを添加すると、このNbがC、N及びAlと結合し、このために極めて微細な析出物が生成する。その結果、鋼材をなす結晶粒の粗大化が抑制され、結晶粒度番号が7以上の微細なものとなる。
【0047】
結晶粒の大きさは、出発原料である鋼材から最終製品であるスパイダ18まで略同等に維持される。従って、スパイダ18としては、静的曲げ強度が大きく、亀裂が生じ難いものとなる。
【0048】
Nbの前記添加効果は、0.2%程度で略飽和する。また、Nbの組成比が0.2%を超えると、成形品の冷間加工性が低下するので成形品を作製することが容易でなくなる。このため、Nbの組成比は、0.005〜0.2%に設定される。
【0049】
Tiは、鋼材中の遊離Nを捕捉する役割を果たす。このように遊離Nが捕捉された場合、後述するBの添加効果が一層顕著となる。なお、Tiの組成比は、0.01〜0.1%に設定される。0.01%未満では、遊離Nを捕捉する効果に乏しい。一方、0.1%を超えると、TiNが過剰に析出するようになるので、成形品の冷間加工性や温間加工性が低下し、浸炭材を作製することが容易でなくなる。
【0050】
Bは、粒界強度を向上させる成分である。また、成形品の焼入れ性も向上させる。この効果は、Nが過剰量存在する場合には低減する。Bと余剰のNとでBNが生成するからである。従って、上記したように、所定量のTiでNを捕捉することにより、この効果を確保する。
【0051】
Bの組成比は、0.001〜0.003%(10〜30ppm)に設定される。10ppm未満であると、粒界強度を向上させる効果に乏しいので、成形品とした際の強度を確保することが容易ではない。また、30ppmを超えると、鋼材中のFeとともに化合物を形成して成形品の焼入れ性を低下させる。
【0052】
ここで、遊離Nが鋼材中に過剰に存在すると、上記したようにBと結合してBNが生成し、その結果、成形品の焼入れ性等が低下する。また、Tiと結合したTiNが過剰に生成した場合、熱間圧延後の鋼材の冷間加工性や温間加工性が低下するので、スパイダ18を作製することが容易でなくなる。さらに、多量に含有すると溶鋼凝固時に大型の晶出物を生成するようになり、熱間圧延後の鋼材に対して冷間加工を行う際に割れの起点となる。このような事態を回避するべく、本実施の形態においては、鋼材中のNの組成比が0.01%以下に設定される。
【0053】
s−Alは、鋼材の金属組織中に固溶体として存在する固溶Alである。このs−Alは、Nbとともに複合炭化物、複合窒化物、複合炭窒化物を形成し、結晶粒の粗大化を抑制する。その一方で、過度に存在すると、熱間圧延時に割れが生じ易くなる傾向がある。このため、s−Alの組成比は0.06%以下に設定される。
【0054】
また、鋼材には、0.03%以下のSが含まれる。このSは、鋼材の金属組織中でMnとともにMnSを形成し、これにより成形品からスパイダ18を作製する過程での成形品の切削性を向上させる。なお、Sの組成比が0.03%を超える場合、成形品の冷間加工性が低下する。このため、スパイダ18を得ることが容易でなくなる。
【0055】
鋼材には、さらに、SCr420やSCM415、SCM420と同様にPが含まれ、その組成比は、0.03%以下に設定される。
【0056】
以上の成分に加え、さらに、0.5%以下のCu、0.5%以下のNiが含有されていてもよい。この中のCuは、鋼材、ひいては浸炭材の疲労強度を向上させる役割を果たす。ただし、0.5%を超えると、鋼材の熱間加工性が低下する。
【0057】
また、Niは、鋼材の靭性を向上させる。しかしながら、0.5%を超えると鋼材の熱間加工性が低下する。
【0058】
ここで、上記の各成分を上述の範囲内の組成比とし、Moの組成比(質量%)のみを変化させた10mm×10mm×100mmの直方体形状試験片を種々用いて3点曲げ試験を行った結果を図6、図7に示す。なお、直方体形状試験片には深さ1mmのUノッチを設け、その後、浸炭焼入れ処理及び焼戻し処理を施して0.8mmの有効硬化層を形成した。
【0059】
これら図6及び図7から、Moの組成比が大きくなるほど亀裂が発生した荷重が大きくなる一方、Moを0.15%以上としても破断した際の荷重(最大荷重)が略同等であることが諒解される。また、破断面の電子顕微鏡観察を行ったところ、Moが添加されていない直方体形状試験片では粒界に沿って破断する粒界破壊であったのに対し、Moが増加するにつれて延性破壊に移行していくことが確認された。
【0060】
さらに、上記の各成分を上述の範囲内の組成比とし、Crの組成比(質量%)のみを変化させた10mm×10mm×100mmの直方体形状試験片を種々作製した。この直方体形状試験片に対して深さ1mmのUノッチを設けた後、浸炭焼入れ処理及び焼戻し処理を施すことで0.8mmの有効硬化層を形成した。各直方体形状試験片を用い、3点曲げ試験を行って最大荷重を求めた。結果を図8に示す。
【0061】
この図8から、Crの組成比を低減することで最大荷重が大きくなることが分かる。この理由は、Crの組成比が低減したことに伴い、直方体形状試験片の表面に生成する粒界酸化層の厚みが小さくなるためであると推察される。
【0062】
以上の結果に基づき、スパイダ18の素材である鋼材においては、Crの組成比がSCr420やSCM415、SCM420に比して小さく設定されるとともに、Moの組成比がこれらSCr420やSCM415、SCM420に比して大きく設定される。Cr及びMnの組成比をこのように設定することによって鋼材に高靭性がもたらされる。必然的に、この鋼材に浸炭処理が施されて作成されたスパイダ18も高靭性を示し、このため、該スパイダ18は、亀裂が伝播し難いものとなる。これにより、曲げ強度や捩り強度等の各種の疲労強度も向上する。
【0063】
しかも、鋼材にはBが添加されているので、粒界強度が向上する。このことによっても、鋼材、ひいては浸炭材における破壊形態が延性破壊となり、結局、スパイダ18としては、疲労強度が向上したものとなる。さらに、遊離Nを捕捉するTiが添加されているので、Bの前記添加効果が阻害されることが回避される。
【0064】
スパイダ18は、上記の鋼材に対して浸炭処理が施された浸炭材からなる。従って、その表層部には有効硬化層が存在する。
【0065】
この有効硬化層では、Cの組成比が鋼材に比して若干大きい。このため、有効硬化層は鋼材に比して高硬度であり、例えば、スパイダ18に耐摩耗性をもたらす。
【0066】
有効硬化層は、Cを表面側から拡散させる浸炭処理によって形成されたものであるから、該有効硬化層の硬度は、スパイダ18の表面から内部に向かうに従って小さくなる。本実施の形態においては、最終的にビッカース硬度が550HVとなる深さまでが、有効硬化層として定義される。
【0067】
有効硬化層の厚みは、0.4〜1.1mmに設定される。0.4mm未満であると、硬度等を向上させる効果に乏しい。また、1.1mmよりも大きいと疲労強度が低下してしまう。
【0068】
スパイダ18(図5参照)は、上記したような成分及び組成比の鋼材から所定の寸法に切り出されたワークに対して以下のような鍛造加工を行うことによって作製される。
【0069】
すなわち、はじめに、熱間鍛造加工によって、ワークをスパイダ18の形状に対応する形状に成形し、第1次成形品を設ける。この際、Si、s−Al等が上記した組成比であり、また、Cu、Niが添加されている場合には、これらの成分が0.5%以下であるので、第1次成形品を得るまでの熱間鍛造加工が容易に進行する。
【0070】
次に、この第1次成形品に対して打ち抜き加工を施した後、内歯27を形成する。これら打ち抜き加工及び内歯27の形成加工は、冷間鍛造加工又は温間鍛造加工である。
【0071】
そして、これら打ち抜き加工及び内歯27の形成加工も容易に進行する。第1次成形品の素材である鋼材におけるMn、Mo、Nb、Ti、N、S等が上記した割合に設定されているため、該第1次成形品が、冷間加工性ないし温間加工性に優れているからである。
【0072】
さらに、所定の寸法に仕上げる仕上げ加工としての切削加工が行われ、その結果、スパイダ18と略同一寸法の第2次成形品が得られる。なお、この際には、鋼材に含有されたMn及びSを源として生成したMnSが寄与することによって、切削加工が円滑に進行する。
【0073】
そして、この第2次成形品に対し、浸炭焼入れ処理を施す。すなわち、第2次成形品を固体浸炭剤、液体浸炭剤、気体浸炭剤のいずれかの存在下で、好ましくは900℃以上に加熱して第2次成形品の表層部に炭素を拡散させ、これにより有効硬化層を設ける。さらに、この加熱後に急冷することで焼入れを行う。
【0074】
次に、有効硬化層が形成された第2次成形品に対して焼戻しを行えば、浸炭材としてのスパイダ18が得られるに至る。
【0075】
なお、有効硬化層の厚みは、浸炭焼入れ処理時のカーボンポテンシャルや処理時間、処理温度等を適宜設定することにより、0.4〜1.1mmに制御することができる。
【0076】
また、有効硬化層、すなわち、スパイダ18の表層部の硬度は、Cの組成比が同一である場合、焼戻し処理時の温度を高く設定すると低くなる。従って、Cの組成比が0.1〜0.2%である本実施の形態においては、ビッカース硬度で550HV以上を示す有効硬化層を確実に形成するべく、焼戻し処理時の温度を200℃以下とすることが好適である。その一方で、過度に低温とすると有効硬化層の硬度が過度に上昇して脆性を示すことから、これを回避するべく、160℃以上とすることが好ましい。
【0077】
焼戻し処理の時間は、例えば、2時間に設定すればよいが、特にこれに限定されるものではない。
【0078】
このようにして作製されたスパイダ18では、粒界酸化層の厚みは5μm程度であり、SCr420やSCM415、SCM420製のスパイダでの粒界酸化層の厚みが13μm程度であるのに対して1/2以下となる。このため、疲労強度も大きくなる。
【0079】
上記鋼材は、SCr420、SCM415、SCM420等に比して比重が小さい。このため、同一体積であれば、一層軽量なスパイダ18を構成することができる。
【0080】
以上から諒解されるように、上記鋼材を素材とする本実施の形態によれば、強度に優れ且つ軽量なスパイダ18を容易に作製することができる。
【0081】
このようにして得られたスパイダ18は、上記したように、トリポート型等速ジョイント10を構成する。そして、このトリポート型等速ジョイント10を搭載した自動車が走行することに伴い、前記ディファンレンシャルギアを構成する回転軸からの回転駆動力を、トラニオン26a〜26cの各々に保持されたローラ32を介して、アウタ部材14から回転軸16に伝達する。
【0082】
ここで、上記したように、スパイダ18は、捩り強度や曲げ強度等の各種の疲労強度に優れる。従って、長期間にわたる動作信頼性が確保される。
【0083】
このように、本実施の形態に係る浸炭材によれば、軽量でありながら長期間にわたる動作信頼性が確保されたスパイダ18を構成することができる。
【0084】
なお、上記した実施の形態では、浸炭材としてスパイダ18を例示して説明したが、特にこれに限定されるものではなく、捩り強度や曲げ強度等の疲労強度が優れることが求められる部材であればよい。すなわち、本発明に係る浸炭材は、スパイダ用の素材として特化されるものではなく、汎用性を有する。
【実施例】
【0085】
図9の実施例1〜9に示す組成(質量%)を有する鋼材を電気アーク炉にて溶解し、精錬処理を施した後に鋳造を行ってビレットを作製した。
【0086】
次に、このビレットに熱間圧延を施して直径30mmの丸棒を設け、その後、この丸棒から、直径16mm×高さ22.5mmの円柱体形状試験片を作製した。
【0087】
この円柱体形状試験片を用い圧縮試験を行って真ひずみ量が0.8となる真応力を求め、この真応力を変形抵抗と定義してその数値の大小から冷間加工性を評価した。すなわち、数値が小さいものほど冷間加工性に優れたものであることを意味する。
【0088】
また、丸棒から10mm×100mm×100mmの直方体形状の試験片を作製し、浸炭処理、焼入れ処理及び焼戻し処理を施した後、3点曲げ強度試験を行った。その一方で、この試験片の表面のビッカース硬度(HV)を測定した。
【0089】
比較のため、図9の比較例1〜8に示す組成を有する鋼材、SCM415及びSCM420を用いた以外は上記に準拠して、冷間加工性の評価、3点曲げ強度及びHVの測定を行った。なお、比較例1、2の各々はCの組成比、比較例3、4の各々は有効硬化層の厚み、比較例5、8はCrの組成比、比較例6、7はMoの組成比が本発明の範囲外であるものである。また、SCM415及びSCM420は、本発明よりも多量のCrが含有される一方で、Nb、Ti、Bが含まれていない。
【0090】
以上の結果を、図9に併せて示す。比較例1では心部の強度不足、比較例2では心部の靭性不足、比較例3では耐摩耗性不足、比較例4では機械的強度不足、比較例5では機械的強度及び靭性不足、比較例6では疲労強度不足、比較例7では冷間加工性低下、比較例8では厚みが大なる粒界酸化層の形成が認められたのに対し、実施例1〜9においては、いずれも、機械的強度(疲労強度)や靭性、耐摩耗性が十分な浸炭材が得られた。
【0091】
以上とは別に、Cを0.15%、Siを0.3%、Mnを0.8%、Crを0.6%、Moを0.23%、Nbを0.04%、Tiを0.042%、Bを0.019%、Nを0.007%、s−Alを0.025%、Pを0.01%、Sを0.01%含有し、残部がFe及び不可避的不純物である本実施の形態に係る浸炭材からなるスパイダを構成し、トラニオンに対して静捩り試験を行った。トラニオンが破断したときのトルク(破断トルク)を、有効硬化層に深さ(ビッカース硬度が550HVとなる深さ)との関係で実施例10として図10に示す。なお、図10には、Crを1.05%含有し且つMoを含有しない鋼材を浸炭処理して得られた浸炭材からなるスパイダのトラニオンの破断トルクを比較例9として併せて示した。
【0092】
図10を参照し、例えば、有効硬化層深さが0.9mmであるときには、比較例9のスパイダではトラニオンの破断トルクが480kgf・mであるのに対し、実施例10の浸炭材からなるスパイダでは、およそ570kgf・mと17%程度向上することが分かる。
【0093】
また、図示はしないが、Moを0.15%含み、その他の成分の組成が上記と略同様である浸炭材からなるスパイダについても、その破断トルクと有効硬化層の深さとの関係は、Moを0.23%含む実施例10の浸炭材からなるスパイダ(図10参照)と略同様の傾向であった。
【0094】
以上の結果から、通常の鋼材に比してMoの組成比が大きくなったことに伴って静捩り強度が向上したことが明らかである。
【0095】
図10からは、実施例10の浸炭材からなるスパイダが、有効硬化層深さが1.1mmであるときにも十分な破断トルク(静捩り強度)を示すことも諒解される。すなわち、この実施例によれば、内部まで硬度が大きく且つ疲労強度が大きな浸炭材を得ることができる。
【符号の説明】
【0096】
10…トリポート型等速ジョイント 14…アウタ部材
18…スパイダ 22a〜22c…案内溝
26a〜26c…トラニオン 28…転動機構
30…ホルダ 32…ローラ
34…ニードルベアリング 46、48…緊締バンド

【特許請求の範囲】
【請求項1】
鋼材の表層部に、該鋼材に浸炭処理が施されることでビッカース硬度が550HV以上である有効硬化層が設けられた浸炭材であって、
前記鋼材は、質量%で、C:0.1〜0.3%、Si:0.5%以下、Mn:1.5%以下、Cr:0.35〜0.8%、Mo:0.15〜0.7%、Nb:0.005〜0.2%、Ti:0.01〜0.1%、B:0.001〜0.003%、N:0.01%以下、s−Al:0.06%以下、P:0.03%以下、S:0.03%以下を含有し、残部がFe及び不可避的不純物であり、
前記有効硬化層の厚みが0.4〜1.1mmであることを特徴とする浸炭材。
【請求項2】
請求項1記載の浸炭材において、前記鋼材の結晶粒度番号が7以上であることを特徴とする浸炭材。
【請求項3】
請求項1又は2記載の浸炭材において、前記鋼材が質量%で0.5%以下のCuをさらに含有することを特徴とする浸炭材。
【請求項4】
請求項1〜3のいずれか1項に記載の浸炭材において、前記鋼材が質量%で0.5%以下のNiをさらに含有することを特徴とする浸炭材。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【図8】
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【図9】
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【図10】
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【公開番号】特開2010−285682(P2010−285682A)
【公開日】平成22年12月24日(2010.12.24)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2009−142636(P2009−142636)
【出願日】平成21年6月15日(2009.6.15)
【出願人】(000005326)本田技研工業株式会社 (23,863)
【出願人】(000003713)大同特殊鋼株式会社 (916)
【Fターム(参考)】