説明

筋電図信号に基づいた脳内の並列運動制御機能の同定及び評価法

【課題】脳内の運動制御機能を評価するシステムの提供。
【解決手段】動く目標を追跡させる運動計測装置を用いて被験者に対し目標追跡運動を行なったときに測定された、関節の主動筋の筋電図情報並びに関節の位置、速度及び加速度情報から、脳内の運動制御機能を評価するシステムであって、(a)前記筋電図情報の周波数、並びに前記位置、速度及び加速度情報の周波数を複数の周波数成分に分離する手段、(b)前記筋電図情報並びに前記位置、速度及び加速度情報を所定の運動方程式に適用して前記それぞれの周波数成分について粘性係数と弾性係数との比(B/K比)を求める手段、並びに(c)前記B/K比を指標として、脳内運動制御機能と目標追跡運動との因果関係を評価する手段を含む前記システム。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、筋電図信号に基づいた脳内の並列運動制御機能の同定及び評価法に関する。詳しくは、本発明は、関節運動における筋活動とキネマティクスの因果関係を利用して、筋活動から脳内の運動制御器の状態を推定する方法に関する。
【背景技術】
【0002】
最近、本発明者は手関節運動において被験者の運動指令を解析する運動指令解析評価診断システムを構築し(WO2009/028221)、手関節の4個の主動筋の筋活動に基づいて手関節の2自由度の動き成分を十分に説明できることを証明した。さらに、筋活動と動きの間の因果関係を関節トルクのレベルで同定する方法を確立し、小脳疾患における異常運動を運動指令のレベルで定量的に分析できるようになった。この発明のポイントは3つある。
第一に、手関節運動に関わる二十数個の筋肉からわずか4個の主要筋を測定することで運動指令を解析することができた点である。
第二に、4個の筋活動を皮膚表面に貼り付けた電極で無痛かつ非侵襲的に記録することができた点である。
この結果、これまでの研究室レベルの運動指令の解析を簡便で非侵襲的に臨床現場で行えるようになった。
さらに第三に、以上の通り簡便で非侵襲的に記録した4個の筋活動と手首の動きの因果関係とを、関節トルクのレベルで同定する方程式を考案した点である(WO2009/028221)。
その結果、神経疾患における異常運動への個々の筋肉の関与を定量的に分析できるようになった。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0003】
【特許文献1】WO2009/028221
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0004】
本発明は、関節の主動筋の筋電図情報並びに関節の位置、速度及び加速度情報から、脳内の運動制御機能を評価するシステムを提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0005】
本発明者は、上記課題を解決するため鋭意研究を行った結果、関節運動における筋活動と動き成分とを関節トルクに近似させ、その際の運動方程式の粘性係数と弾性係数に着目した。そして、2つの係数の比を用いることにより、筋活動の動きからみた脳内の運動制御機能を評価し得ることに成功し、本発明を完成するに至った。
【0006】
すなわち、本発明は以下の通りである。
(1)動く目標を追跡させる運動計測装置を用いて被験者に対し目標追跡運動を行なったときに測定された、関節の主動筋の筋電図情報並びに関節の位置、速度及び加速度情報から、脳内の運動制御機能を評価するシステムであって、
(a) 前記筋電図情報の周波数、並びに前記位置、速度及び加速度情報の周波数を複数の周波数成分に分離する手段、
(b) 前記筋電図情報並びに前記位置、速度及び加速度情報を下記運動方程式(1):
【0007】
【数1】

に適用して前記それぞれの周波数成分について粘性係数と弾性係数との比(B/K比)を求める手段、並びに
(c) 前記B/K比を指標として、脳内運動制御機能と目標追跡運動との因果関係を評価する手段
を含む前記システム。
(2)動く目標を追跡させる運動計測装置を用いて被験者に対し目標追跡運動を行なったときに測定された、関節の主動筋の筋電図情報並びに関節の位置、速度及び加速度情報から、脳内の運動制御機能を評価するためのプログラムであって、コンピュータに、
(a) 前記筋電図情報の周波数、並びに前記位置、速度及び加速度情報の周波数を複数の周波数成分に分離する手段、
(b) 前記筋電図情報並びに前記位置、速度及び加速度情報を下記運動方程式(1):
【0008】
【数2】

に適用して前記それぞれの周波数成分について粘性係数と弾性係数との比(B/K比)を求める手段、並びに
(c) 前記B/K比を指標として、脳内運動制御機能と目標追跡運動との因果関係を評価する手段
を実行させるための前記プログラム。
(3)上記(2)に記載のプログラムを記録したコンピュータ読み取り可能な記録媒体。
(4)動く目標を追跡させる運動計測装置を用いて被験者に対し目標追跡運動を行なったときに測定された、関節の主動筋の筋電図情報並びに関節の位置、速度及び加速度情報から、脳内の運動制御機能を評価する方法であって、
(a) 前記筋電図情報の周波数、並びに前記位置、速度及び加速度情報の周波数を複数の周波数成分に分離するステップ、
(b) 前記筋電図情報並びに前記位置、速度及び加速度情報を下記運動方程式(1):
【0009】
【数3】

に適用して前記それぞれの周波数成分について粘性係数と弾性係数との比(B/K比)を求めるステップ、並びに
(c) 前記B/K比を指標として、脳内運動制御機能と目標追跡運動との因果関係を評価するステップ
を含む前記方法。
(5)動く目標を追跡させる運動計測装置を用いて被験者に対し目標追跡運動を行なったときに測定された、関節の主動筋の筋電図情報並びに関節の位置、速度及び加速度情報を処理する方法であって、
(a) 前記筋電図情報の周波数、並びに前記位置、速度及び加速度情報の周波数を複数の周波数成分に分離するステップ、並びに
(b) 前記筋電図情報並びに前記位置、速度及び加速度情報を下記運動方程式(1):
【0010】
【数4】

に適用して前記それぞれの周波数成分について粘性係数と弾性係数との比(B/K比)を求めるステップ、
を含む前記方法。
(6)本発明において、筋電図の大きさは、関節トルクの大きさに比例させて正規化し、当該正規化された筋電図を全波整流し、ローパスフィルターを通して求めることが好ましい。周波数成分としては、例えば低周波数成分及び高周波数成分の2つの周波数成分が挙げられる。また、2つの周波数成分に分けたときは、その境界は0.3〜0.8Hzの範囲内の周波数であることが好ましい。
本発明において、被験者としては例えば神経疾患患者である。
また、本発明において、測定の対象となる関節の主動筋は、例えば腕の筋である。腕の筋としては、例えば橈側手根伸筋(ECR)、尺側手根伸筋(ECU)、尺側手根屈筋(FCU)及び橈側手根屈筋(FCR))から選ばれる少なくとも1つを挙げることができる。
【発明の効果】
【0011】
本発明により、脳内の運動制御機能を評価するシステムが提供される。本発明のシステムによれば、MRIやMEG等の高価な計測機器を使用せず、非侵襲的に神経疾患の患者にとっても負担が少なく、簡易にデータを得ることができ、ベッドサイドでの利用に適している。従って、本発明のシステムは、神経疾患患者の治療法等を選択するための検査法として極めて有用である。
【図面の簡単な説明】
【0012】
【図1】運動指令解析評価診断システムと実験の概要を示す図である。
【図2】手関節運動課題:数字2の指標追跡運動を示す図である。
【図3】手関節主動筋からの筋電図記録を示す図である。
【図4】筋電図信号の処理と筋張力を示す図である。
【図5】筋活動と動きの因果関係の関節トルクレベルでの同定を示す図である。
【図6】指標追跡運動における2つの運動指令成分の分離を示す図である。
【図7】指標追跡運動のF1領域(低周波成分)における因果関係の同定とB/K比を示す図である。
【図8】指標追跡運動のF2領域(高周波成分)における因果関係の同定とB/K比を示す図である。
【図9】指標追跡運動における2つの並列運動制御器のモデルを示す図である。
【図10】本発明の小脳性運動失調の病態評価への応用を示す図である。
【図11】本発明の脳卒中患者のリハビリ可能性評価への応用を示す図である。
【図12】本発明のシステムのブロック構成図である。
【図13】本発明のプログラムを実行するためのシステムの詳細構成図である。
【図14】本発明のプログラムの動作を説明するフローチャートの図である。
【発明を実施するための形態】
【0013】
以下、本発明を詳細に説明する。
1.概要
本発明は、関節運動において関節を動かす所定個数の筋肉の筋活動と、その動きの3成分(位置、速度、加速度)との因果関係に基づき、運動中の筋活動から脳内の運動制御機能又は運動制御器の状態を推定する新規方法を提供するものである。
本発明の方法は、大きく2つのステップに分かれる。
(1)目標追跡運動中の筋活動と運動方程式との間の因果関係を関節トルクレベルで同定し、その際に求められる運動方程式のパラメータに、筋活動と動きの3成分の関係を集約して抽出する。
(2)そのパラメータに基づき、脳内の予測制御器とフィードバック制御器の機能的な評価を行う。
上記2つのステップを実現するために、本発明は、動く目標を追跡させる運動計測装置(マニピュランダム)を用いて被験者に対し目標追跡運動を行なったときに測定された、関節の主動筋の筋電図情報並びに関節の位置、速度及び加速度情報から、脳内の運動制御機能を評価するシステムを提供する。また、本発明は、このような手段をコンピュータに実行させるためのコンピュータプログラム、及びこのような手段を実行する機能評価方法を提供する。
本発明のシステム等においては、
(a) 関節の主動筋の筋電図情報の周波数、並びに関節の位置、速度及び加速度情報の周波数を複数の周波数成分に分離する手段又はステップ、
(b) 前記筋電図情報並びに前記位置、速度及び加速度情報を下記運動方程式(1):
【0014】
【数5】

に適用して前記それぞれの周波数成分について粘性係数と弾性係数との比(B/K比)を求める手段又はステップ、並びに
(c) 前記B/K比を指標として、目標追跡運動と脳内運動制御器との因果関係を評価する手段又はステップが含まれる。
以前の出願(WO2009/28221)では、方程式の中の下記加速度項、速度項及び位置項の係数、即ちM、B及びKは他の研究者による先行技術(文献名:Gielen and Houk 1984; Grey 1997; de Serres and Milner 1991; Milner and Cloutier 1998)で得られた値をそのまま定数として使用していた。
【0015】
【数6】

【0016】
本発明においては、B及びKを可変として解析した点が特徴である。その理由は、この式の形式は、数学的には関数の基底の変換に相当するものであり、複雑な関数をフーリエ解析で三角関数に分解して分析する手法と相似であるためである。本発明によれば、複雑な筋活動全体の特徴が、式中のパラメータBとKに写し取られる点で、以前の定数を用いる方法と決定的に異なる。そして、BとKとの比率を求めることにより、その値を指標として、脳が運動指令を生成する際に何を「考慮」しているかを知ることができる。
この「考慮」のパターンは、理論的には少なくとも2つ想定される。
1つは、単純な関節の位置制御であり、他の1つは、関節の位置及び速度の両方を考慮するハイブリッド制御である。前者は工学的なフィードバック制御器に対応し、最も原始的な制御である。後者は工学的な予測制御器に対応し、より高級な制御である。
この理論的な着想を実際に実施させるために、本発明においては、第2の工夫として、「予測制御」及び「フィードバック制御」と呼ばれる制御機能の概念を考案し、脳から出力される運動指令が予測制御及びフィードバック制御の2つに分離されやすい運動課題をデザインした。そのために、目標が滑らかに等速で一定の軌道上を動き、その目標を関節の動きに連動するカーソルで追跡する運動課題を用いた。
例えば、図1に示すように、WO2009/28221に記載のシステムに従って運動機能を評価する場合を考える。WO2009/28221に記載のシステムにおいては、マニピュランダムに被験者の腕が固定され、手首だけが動かせるようにしてある。腕には、いくつかの筋肉の筋電図を測定するために電極が配置されている。PC画面上には、予め所定の文字や図形を描くように動作が設定されたターゲット画像(例えば「○」印で表示されるターゲット画像)と、被験者の手首関節の動きに対応して動くカーソルが表示される。そして、ターゲット画像(○印)の動きに合わせて、被験者がターゲット画像内にカーソルを収めるようにマニピュランダムで手首(手首関節)を動かす。例えば、図2に示すように、ターゲット画像が数字の「2」を描く動きに合わせて、被験者は手首関節を動かしてターゲットの○印内にカーソルを収めつつ、数字の「2」を描くように運動する(なお、図2では数字の「2」が破線で示されているが、実際の試行時には、破線は表示されない)。
このようにして所定の筋肉の筋電図を測定したとき、本発明者は、その測定された筋電図の波形から、所定の文字等を予測的に等速で描く動きは波形がゆるやかとなり、ターゲット画像内にカーソルを収めようと修正するする動きは波形が小刻みになる点に着目した。そして、前者は、(i) 目的の文字等を等速で描くときの運動に反映される周波数、後者は(ii) ターゲット画像内にカーソルを収めようとする動きに反映される周波数と考えて、それぞれの周波数に分離することを考えた。
被験者は、マニピュランダムによる試行の際に、数回の練習を行うことができるので、被験者は、実際の試行の際にカーソルの動きを予測することができる(例えば数字の「2」を描くように動かすことを予め知ることができる)。従って、上記(i)の周波数は、脳内において、動きの予測を制御する機能として反映され、上記(ii)の周波数は、正しい位置にカーソルを保持させて位置のずれに対する補正を行なおうとする機能として反映されるといえる。本発明では、この動きの予測を制御する機能を「予測制御」、正しい位置にカーソルを保持させようとする機能を「フィードバック制御」と定義し、それぞれの制御を担う脳内器官を「予測制御器」、「フィードバック制御器」という。
上記のことから、予測的運動指令は、目標の動きと同じ滑らかな低周波成分の運動指令として現れ、位置のずれに対する補正を行うフィードバック的運動指令は、細かな、より高周波の運動指令として現れると期待される。その結果、予測的運動指令とフィードバック的運動指令は周波数の違いで容易に分離でき、どちらの運動指令も、BとKとの比率により評価することができる。
実施例に示す通り、二つの運動制御器の出力は、予想通りの低周波の予測的運動指令と高周波のフィードバック的運動指令として分離され、本発明により、2つの運動制御器を分離して個別に評価する方法論の確立に至ったのである。
【0017】
ところで、脳の運動制御中枢が2つのモジュールに分かれているという仮説は、60年前にすでに提唱されている(WienerのCybernetics)。しかしながら、この仮説は、実際には何ら証明されておらず、あくまで仮説に留まってきた。
これに対し、本発明においては、その長年の仮説に対し、初めて実験的裏付けを与え、同時に、複雑な脳の運動制御系の状態を2つの仮想的制御器(「予測制御器」及び「フィードバック制御器」)に帰着させて評価する方法を確立したことになる。例えば、予測制御を担う脳内器官として、小脳などが優位に働き、フィードバック制御を担う脳内器官として、大脳皮質運動野などが優位に働く。従って、どちらの制御機能が優位又は劣位であるかによって、運動に携わる脳内器官の機能を解析することができる。
さらに、本発明のシステムでは、MRIやMEG等の高価な計測機器を使用せず、非侵襲的に神経疾患の患者にとっても負担が少なく、簡易にデータを得ることができ、ベッドサイドでの利用に適している。この点は実用上特筆すべき利点である。
【0018】
2.脳内の運動制御機能の評価
前記マニピュランダムを用いた試行(実技)により得られたデータは、数字、文字、図形、記号等を追跡する際に手首が行なう動き成分と、その動きを行うための腕の筋肉の筋張力成分とに分けて解析することができる。
【0019】
そこで本発明においては、運動器官が行なう動き成分と筋張力とを最適近似することを試みる。動き成分を解析する対象となる運動器官の関節は、単関節である限り特に限定されるものではなく、手首関節、肘関節、肩関節、股関節、膝関節、足関節などが挙げられ、本発明においては、どの関節でも適用することができる。単関節の場合、関節の主動筋として数個の筋肉を表面筋電図で記録して、その線形和と運動方程式の関係を解析することが可能である。
【0020】
本発明においては、試技が容易である点で手首関節が好ましいが、被験者が手首の動きに障害を有する場合は、他の関節を用いることができることは言うまでもなく、評価の目的や患者の状態に応じて運動器官及び関節を適宜選択することができる。
【0021】
以下、本発明においては、手首関節を例に説明する。
手首関節を動かす筋肉(主動筋)において、筋電図測定に使用する筋としては、特に限定されるものではないが、例えば橈側手根伸筋(ECR)、尺側手根伸筋(ECU)、尺側手根屈筋(FCU)及び橈側手根屈筋(FCR))であることが好ましく、これらの筋の1つ又は2つ以上を組合せて測定することができる。
【0022】
手首が行なう動き成分は、手首関節の位置、速度及び加速度成分に分けることができるが、これらの値は実際の試行において取得することができる。そして、以下に示す運動方程式(2)により手首関節トルクを計算することができる。
【0023】
【数7】

【0024】
他方、腕の筋肉の筋張力は、主動筋の筋電図から求めることができ、複数の主動筋について筋電図を測定すれば、それぞれの筋電図データを合算することにより下記式で示す線形和を求めることができる。ここで、筋電図データは、そのまま下記式(3)に適用することができるが、関節トルクの大きさに比例させて正規化し、当該正規化された筋電図を全波整流し、ローパスフィルター(low-pass filter)を通して求めることが好ましい。「正規化」とは、一定の力を発生している筋活動の大きさを、異なる被験者の記録の間、又は同一被験者の異なる日時の記録の間で一定とするように調整することを意味する。「全波整流」とは、記録された筋電図の絶対値を計算することを意味し、「ローパスフィルター」とは、全波整流された筋電図波形を筋張力に変換する畳込み積分を意味する。
【0025】
【数8】

【0026】
上記動き成分と筋張力とを最適近似すれば、動き成分と筋張力とを手首関節トルクとして表すことができる(下記式(1))。
【0027】
【数9】

【0028】
上記方程式(1)において、最も単純な運動方程式は加速度項(1番目の項)のみからなるが、筋骨格系は筋に由来する粘性要素と筋や腱に由来するバネの要素を持つため、速度項(2番目の項)と位置項(3番目の項)が必要になる。M は慣性モーメントであり、手を一様な球体と見なして被験者毎に実測された体積から計算する。速度項と位置項の比例定数B、K をそれぞれ「粘性係数」、「弾性係数」という。右辺のTi(t)は筋張力を表す。aiは関節トルクと筋張力の線形和との最適近似係数であり、人間の各筋肉の機械的作用の方向を考慮して求める。
【0029】
ここで、目標追跡運動中の関節の動き(カーソルで動きが表示される)は、ターゲットを追随する滑らかな動き(低周波の動き)、及び小刻みに振動するような高周波の動きが含まれる。そこで本発明においては、この現象を目標追跡運動の速度(X成分, Y成分)と接線速度から分析し、振動の低い周波数領域と高い周波数領域に分離する。本発明においては、分離される周波数領域の数に限定はなく、低、高の2つ周波数、低、中、高の3つの周波数、あるいはそれ以上の周波数領域に分離することができるが、本発明においては、2つの周波数領域(高周波、低周波)に分離することが好ましい。複数の周波数領域に分離する場合は、境界となる周波数は0.3〜0.8Hzの範囲内の周波数から選ばれ、例えば2つの周波数領域に分離するときの境界となる周波数は、好ましくは0.5 Hzである。
目標追跡運動課題では、決まった軌道を等速で動くターゲットを追跡するが、健康成人であれば、ターゲットの動きを予測しながら追跡運動を行うことができる。従って、ターゲットの速度と一致する低周波領域の運動指令には、既知の軌道と速度で動いているターゲットを予測して追跡する予測制御の成分が主に入っていると解釈できる。一方、高周波の運動指令はターゲットの動きとの相関はなく、予測的な制御とは無関係である。
【0030】
次に、本発明においては、上記方程式(1)から低周波領域及び高周波領域の運動成分について、BとKとの比(B/K比)を求める。B及びKはマニピュランダムを用いた試技から実測することができないため、生理学的に妥当な範囲で様々なB(0~0.5)とK(0~0.4)の組み合わせについて上記式(1)の最適近似を行い、近似の良さを評価する。具体的には、様々なBとKの組み合わせにおける動きからのトルクを運動方程式で計算し、そのトルクと筋活動(筋張力)の線形和との最適近似の程度を相関係数Rの大きさで評価する(図5参照)。具体的な結果の例を図7Bおよび図8Bに示す。この図から、最適な近似を与えるBとKの組(赤色)は特定のBとKの比を示す直線上に集中することが明らかである。これにより、実験的にも困難なBとKの絶対値を求める必要がなく、簡易にB/K比を得ることができる。
上記運動方程式からBとKの意味を分析してみると、粘性係数Bが高いことは、筋活動の線形和と速度成分が高い相関を持つことを意味し、筋活動の中に速度制御の運動指令が多く含まれることを示す。一方、弾性係数Kが大きいことは、筋活動の線形和と位置成分が高い相関を持つことを意味し、筋活動の中に位置制御の運動指令が多く入っていることを示す。そこで2つ成分のB/K比の違いを分析してみると、運動成分の低周波領域についてはBとKがほぼ同じ比率であり(図7B)、筋活動が位置成分と速度成分の両方と深い関係がある。他方、運動成分の高周波領域ではKが優位であり(図8B)、筋活動が手首の位置成分のみと深い関係があることを示す。
【0031】
3.目標追跡運動における二つの並列運動制御器
以上をまとめてみると、低周波領域の運動指令は、既知の軌道と速度で動くターゲットの位置及び速度の両方にマッチする関節の動きをリアルタイムで生成し、課題の要求に応えるための最も重要な運動指令と考えられる。一方、高周波領域の運動指令は、カーソルの位置がターゲットの中心から偏倚しかけた時に素早くオンラインで補正する、フィードバック的又は補足的な役割を担うといえる。
ここで指標追跡運動における2つの運動指令成分を、それを生成する運動制御器という観点から考えてみる。低周波領域の運動指令は位置と速度成分の両方を一定の割合で含み、位置と速度両方を明示的に指定している。これに対して、高周波領域の運動指令はほぼ位置成分のみであり、速度指定はない。以上のように、2つの運動指令は位置成分と速度成分のブレンド比が全く異なり、制御のシステムが根本的に違う。さらに、両者の運動指令の間には全く相関がないことから、それぞれを生成する運動制御器は独立して並列に働いていることが強く示される。
以上の考察に基づいて目標追跡運動の運動制御メカニズムを考えると、図9のようなモデルが考えられる。つまり、目標追跡運動には、既知の軌道と速度で動くターゲットの動きを予測し、それと同じ関節の動きを位置、速度の両方を指定して再現する予測的制御器に加えて、ターゲットとの関節(カーソル)位置の誤差のみを修正するフィードバック制御器という、2つの並列制御器が存在する。二つの制御器からの出力は運動ニューロンまでの中枢神経系のどこかで加算され、最終的に同じ筋肉を駆動することになる。
従って、各周波数成分についてB/K比を算出し、さらに正常パターンと比較することで、どのような疾患の患者でどちらの制御器がどのように障害されるかが分かり、医師が患者の病態を理解し、今後の治療方針やスケジュールを設定する上で重要な情報となる。
ここで、本発明のシステムに適用可能な被験者は、健常人のほか、神経系疾患患者が挙げられる。本発明のシステムは、例えば、神経疾患を治療する際に使用される。治療には、例えば、神経疾患患者における運動機能のリハビリテーションが含まれる。また前記神経疾患は、例えば、運動障害を伴う神経疾患が挙げられ、具体的には、パーキンソン病、パーキンソン症候群、ハンチントン病、アテトーゼ、ジストニー、小脳・脊髄萎縮症(小脳疾患、脊髄小脳変性症を含む)、多系統萎縮症、線状体黒質変性症、オリーブ橋小脳萎縮症、シャイ・ドレーガー症候群、皮質基底核変性症、進行性核上性麻痺、大脳基底核石灰化症、パーキンソニズム痴呆症候群、びまん性レヴィ小体症、アルツハイマー病、ピック病、ウィルソン病、多発性硬化症、末梢神経疾患、脳腫瘍及び脳卒中からなる群より選ばれる少なくとも1種が挙げられ、なかでも特に、パーキンソン病、パーキンソン症候群、小脳・脊髄萎縮症、脳卒中が好ましい。
【0032】
4.脳内の並列運動制御器の評価システム
図12は、本発明のシステムの構成図である。図12において、本発明のシステムは計算手段10とデータベース20から構成され、計算手段10は、(i) 測定データ蓄積手段11、(ii) 関節トルク及び筋張力計算手段12、(iii) 因果関係計算手段13、及び(iv)計算結果表示手段14を備える。
(i) 測定データ蓄積手段11
測定データ蓄積手段11は、マニピュランダムにより計測された筋電図並びに関節位置及び動きデータを蓄積するための手段であり、蓄積された情報は、グラフ又は表により確認することができる。
(ii) 周波数分離、並びに関節トルク及び筋張力計算手段12
周波数分離並びに関節トルク及び筋張力計算手段12は、測定データ蓄積手段11又はデータベース20から、周波数分離を実行するとともに、各分離された周波数成分について、運動方程式を用いて関節トルク及び筋張力を計算する手段である。この手段では、マニピュランダムからの情報に従い、動き成分である関節の位置、速度、加速度を計算することができる。
関節トルクの計算式(2)は、以下の通りである。
【0033】
【数10】

【0034】
また、筋張力の線形和の計算式(3)は、以下の通りである。
【0035】
【数11】

【0036】
上式の線形和は、(ii) 関節トルク計算手段により計算された関節トルクとの間で最適近似される。
【0037】
(iii) 因果関係計算手段13
因果関係計算手段13は、分離された周波数成分、B/K比の計算及び試行回数から、筋活動と動き成分との因果関係、目標追跡運動における手首の速度成分と筋電図から得られた周波数成分との関係、あるいは予測制御とフィードバック制御の割合などを計算する手段である。
【0038】
(iv) 計算結果出力手段14
計算結果出力手段14は、測定データ、計算された前記関節トルク、動き成分及び筋張力、B/K比、並びに因果関係を出力する手段であり、上記(ii)により計算された関節トルク、筋張力をアニメーション又はグラフ表示する。また、これと同時に(iii)により計算された因果関係やB/K比をグラフ表示することができる。
【0039】
(v) データ蓄積手段
入力された測定データと計算結果は関連付けられてデータ蓄積手段としてデータベース20に保存される。
保存された計算条件と計算結果は、再度データベース20から、あるいは蓄積手段11、計算手段12及び13、並びに計算結果表示手段14から読み込むことができる。
【0040】
5.コンピュータプログラム
本発明のプログラムにおいて、コンピュータを実行させるための手段を示す構成例を図13に示す。
図13は、本発明のプログラムを実行させるためのシステム100の詳細構成図である。図13において、システム100は、図12に示す計算部10及びデータベース(以下「DB」という)20を備え、さらに、制御部101、送信/受信部102、入力部103、出力部104、ROM105、RAM106、ハードディスクドライブ(HDD)107、CD-ROMドライブ108により構成される。
【0041】
制御部101はCPUやMPU等の中央演算処理部であり、システム100全体の動作を制御する。特に、送信/受信部102の通信制御を行い、あるいはDB20に記憶されているデータを利用して、運動制御過程及びその結果表示等の表示データ読出し処理等を行う。
【0042】
送信/受信部102は、制御部101の指示に基づいて、ユーザ端末との間でデータの送信及び受信処理を行う。なお、ユーザ端末は、インターネット回線111を介して接続されていてもよい。ユーザ端末又はインターネット回線は、主として、予め測定され保存されていた筋電図データ及び運動データ、あるいは遠隔地のユーザから提供されたデータを解析するときに使用する。送信/受信部102は、関節トルクや筋張力を計算処理する際に必要とするパラメータや計算式を計算部10に対して送信する。
【0043】
入力部103は、キーボード、マウス、タッチパネル等であり、パラメータの入力やDB20の内容更新時等に操作される。出力部104はLCD(液晶ディスプレイ)等であり、DB20の更新時等に制御部101からのコードデータをその都度表示用データに変換して表示処理を行う。ROM105は、システム100の処理プログラムを格納する。RAM106は、システム100の処理に必要なデータを一時的に格納する。HDD107は、プログラム等を格納し、制御部101の指示に基づいて、格納しているプログラム又はデータ等を読み出し、例えばRAM106に格納する。CD-ROMドライブ108は、制御部101からの指示に基づいて、CD-ROM120に格納されているプログラム等を読み出してRAM106等に書き込む。CD-ROM120の代わりに記録媒体として書き換え可能なCD-R、CD-RW等を用いることもできる。その場合には、CD-ROMドライブ108の代わりにCD-R又はCD-RW用ドライブを設ける。また、上記媒体の他に、DVD、MO、フラッシュメモリースティック等の媒体を用い、それに対応するドライブを備える構成としても良い。
図14は、本発明のプログラムの動作を説明するフローチャートである。
本発明のプログラムは、入力された測定データをもとに、
(a) 周波数分離、並びに関節トルク及び筋張力計算手段12による計算、並びに
(b) 因果関係計算手段13による計算を行う。
計算の起動は制御部101からの指令に基づいて行うことができる。
計算は、例えば以下の順に実施される。
(i)測定データ蓄積手段11又はデータベース20から手関節位置データを読み取る(S201)。
(ii)周波数分離、並びに関節トルク及び筋張力計算手段12で、手関節位置データを周波数分離する(S202)。
(iii)周波数分離、並びに関節トルク及び筋張力計算手段12で、位置データの各周波数成分について、動き成分である手関節の位置、速度、加速度を計算する(S203)。
(iv)周波数分離、並びに関節トルク及び筋張力計算手段12で、位置データの各周波数成分について、動き成分(手関節の位置、速度、加速度)から運動方程式を用いて関節トルクを計算する(S204)。
(v)他方、測定データ蓄積手段11又はデータベース20から筋電図信号データを読み取る(S205)。
(vi)周波数分離、並びに関節トルク及び筋張力計算手段12で、筋電図信号から筋張力を求める(S206)。(図4参照)
(vii)周波数分離、並びに関節トルク及び筋張力計算手段12で、筋張力を周波数分離する(S207)。
(viii)周波数分離、並びに関節トルク及び筋張力計算手段12で、各周波数成分について、計算された関節トルクと筋張力の線形和との間で最適近似を行う(S208)。(図5参照)
(ix)因果関係計算手段13で、各周波数成分について、様々なBとKにおいて手順(iii)〜手順(viii)による筋活動と動き成分の因果関係の同定を行い、最適なBとKの比率(B/K比)を計算する(S209)。
(x)計算結果出力手段14で、計算された関節トルク、動き成分及び筋張力、B/K比、並びに因果関係を出力する(S210)。表示結果の一例を図4、図6、図7及び図8に示す。
(xi)計算結果は、データ蓄積手段のデータベース20に逐次保存される(S210)。
【0044】
ここで、上記(i)〜(iv)のステップと、上記(v)〜(vii)のステップとは、いずれか一方のステップを先に行ない、他方のステップを先のステップに続けて行なうようプログラムされてもよく、両ステップを同時に行なうようプログラムされてもよい。
計算結果は、データ蓄積手段のデータベースに逐次保存される。
【0045】
6.コンピュータ読み取り可能な記録媒体
本発明のプログラムは、例えばC言語、Java(登録商標)、Perl、Fortran、Pascal等で書くことができ、そしてクロスプラットフォームに対応できるように設計されている。従って、このソフトウエアはWindows(登録商標)95/98/2000/XP/Vista/7、Linux、UNIX(登録商標)、Macintosh等で作動させることが可能である。
【0046】
本発明のプログラムは、コンピュータ読み取り可能な記録媒体又はコンピュータに接続しうる記憶手段に保存することができる。本発明のプログラムを含有するコンピュータ用記録媒体又は記憶手段も本発明に含まれる。記録媒体又は記憶手段としては、磁気的媒体(フレキシブルディスク、ハードディスクなど)、光学的媒体(CD、DVDなど)、磁気光学的媒体(MO、MD)、フラッシュメモリーなどが挙げられるが、これらに限定されるものではない。
【0047】
以下、実施例により本発明をさらに具体的に説明する。但し、本発明はこれら実施例に限定されるものではない。
【実施例1】
【0048】
1.実験装置
本発明は、被験者の様々な関節運動における運動指令としての筋活動と、その結果である関節の動きの因果関係に基づいて解析する方法であり、手関節運動を利用した運動指令解析評価診断システム(WO2009/028221)を用いた。図1に、本発明で使った運動指令解析評価診断システムの概要図と実験の様子を示した。
被験者はカーソルとターゲットが表示されているPC画面の前に座り、前腕を支持台に載せ、手で手関節マニピュランダムを操作する。手関節の2自由度の動きは、2個の位置センサーで計測され、PC画面上のカーソル(直径2ミリの黒点)の動きに反映される。ターゲットは丸い円で表示され、その直径(1cm)は手関節の4.5度の動きに相当し、その位置は手関節の動きの指標となる。
【0049】
2.被験者および実験課題
実験には神経疾患の既往のない健康成人4名(44-63歳)が被験者として参加した。被験者には等速(平均速度:6.2deg/sec)で動くターゲットを追跡する手関節運動を実験課題として行わせた(図2)。運動の開始点はモニターの左上(X=-10°,Y=8°)である。最初に、モニターの左上に円形のターゲットが表示されると、被験者は手関節を動かして連動するカーソルを開始点に保持する。3秒後にターゲットが等速で数字2の軌道を描きながら動き始める。被験者は手関節を動かして動いているターゲットの中に可能な限りカーソルを保ち続ける。各被験者はこのタスクを十分に理解できるように2〜3回練習した後、5回ずつの本番の試行を行った。
【0050】
3.記録
運動課題を行っている際に、手関節の位置(X,Y)と手関節運動に関わる4個の主動筋(橈側手根伸筋(ECR)、尺側手根伸筋(ECU)、尺側手根屈筋(FCU)、橈側手根屈筋(FCR))からの表面筋電図信号を同時記録した。手関節の速度と加速度は位置信号をそれぞれ1階、2階微分して求め、手関節の関節トルクを推定するのに使用した。
筋電図の記録は、一対の銀塩化銀表面電極を用いて皮膚表面電位を双極誘導し、 2kHz,12bit でサンプリングした。電極の直径は5mmとし、電極間の距離が10mm となるように筋線維に沿って貼った。測定した筋肉と電極のおよその位置を図3Aに示す。表面電極による筋電図記録では、記録されている筋肉の同定が重要であり、実験精度を左右する。本実験系における同定の信頼性を評価するために、1名の被験者において4個の筋肉について表面筋電図(図3C左)とワイヤー電極による表面電極直下の筋肉からの直接記録(図3C右)の同時記録を行い比較した。
その結果、両者の波形は非常によく一致し、それに基づいて計算された筋活動のピークの方向(preferred direction, PD)もほぼ一致した(図3B)。このようにして、筋肉の同定と表面筋電図による記録の有効性を確認した。
【0051】
4.筋電図信号の処理
中枢神経系からの運動指令は脊髄運動ニューロンから筋肉に活動電位を誘発し、筋肉を収縮させる。この筋収縮の活動電位を皮膚上で計測したものが表面筋電図(以下筋電図)であり、その大きさは筋張力と比例関係にある(Basmajian and De Luca 1985)。しかし、計測された筋電図は皮膚抵抗や筋肉に対する電極の相対的位置により記録される信号の絶対値が異なるため、そのままでは定量的な分析には適さない。そこで図4に示すように、筋電図の大きさを関節トルクの大きさに比例させて調整する正規化を行った。すなわち、一定の力を発生している筋活動の大きさを、異なる被験者間、又は同一被験者の異なる日時の記録の間で一定とするように調整した。次いで、正規化された筋電図を全波整流(記録された筋電図の絶対値計算)した後、最終的に2次のローパスフィルター(遮断周波数: 3 Hz)を通して筋張力を求めた。「ローパスフィルター」(law-pass filter)とは、全波整流された筋電図波形を筋張力に変換する畳込み積分を意味する。
【0052】
5.筋活動と動き成分の因果関係の同定法とB/K比
本発明では図5に示したように手関節運動における筋活動と手関節の動き成分の間の因果関係の同定を関節トルクレベルで行い、その際に求まる運動方程式の粘性係数Bと弾性係数Kの大小から、原因の筋活動が動きのどの成分と関係が深いかを調べた。
具体的な計算としては、式(1)の中辺の運動方程式により関節トルク(図5中央の青線)を計算し、次いでそれを4個の筋活動(筋張力)の線形和(式(1)の右辺)(図5中央の赤線)で最適近似した。これは関節トルクを媒介にして筋活動と運動方程式の間の因果関係を同定したことになる。
【0053】
【数12】

【0054】
M(慣性モーメント)は、手を一様な球体と見なして被験者毎に実測された体積から計算した。Ti(t)は重力の影響を除いた筋張力であり、運動中の筋電図信号から求めた筋張力から原点での姿勢保持中の筋張力を差し引いて求めた。aiは手関節トルクと筋張力の線形和との最適近似係数であり、人間の各筋肉の機械的作用の方向を考慮して求めた。
手関節の運動中のBとKの値は実測例がないため、安静時のBとKの値(Gielen and Houk 1984; Grey 1997; de Serres and Milner 1991; Milner and Cloutier 1998)に基づき範囲を生理的な範囲に制限して[B: 0-0.5Nms/rad; K: 0-0.4Nm/rad]最適値を求めた。特に、手関節の場合、慣性モーメントM(定数)がB,Kに比べて非常に小さく、加速度項が事実上無視できる。そのため未定係数B,Kの絶対値を特定することは困難であるので、本発明ではBとKの値をその比率(B/K比)として評価することにした。その結果、BとKの絶対値を求める技術的に困難な問題を回避することが可能となった。この点も技術的に重要な工夫である。
【0055】
6.目標追跡運動における2つの成分
目標追跡運動中の手関節(カーソル)の動きをみると、ターゲットを追随する滑らかな動きに加えて、小刻みに振動するような、より高周波の動きが見えた。そこで、この現象を目標追跡運動の速度(X成分, Y成分)と接線速度から分析した(図6A)。図6Aを見ると、手関節の速度変化(青線)はターゲットの緩やかな速度変化(緑線)を中心に、小刻みに振動している。この振動現象は全ての被験者に共通して見られ、全被験者に対して速度成分の周波数分析を行った(図6B)。
その結果、およそ0.5Hzを境界に、より低い周波数領域と高い周波数領域に分離する傾向が見られた。そこで速度成分を低周波(0〜0.5Hz)の「F1領域」と高周波(0.5〜3Hz)の「F2領域」に分離した(図6C)。
低周波のF1領域(図6C(a))では目標の速度(緑線)とぴったり一致する手関節の速度成分(青線)だけが残り、高周波のF2領域(図6C(b))では主に1.4Hz程度の周波数で振動する目標の動きとは無相関な速度成分が残った。
この結果は次の通り解釈することができる。すなわち、目標追跡運動課題では決まった軌道を等速で動くターゲットを追跡する。健康成人であれば2〜3回の練習でターゲットの動きを完全に理解でき、ターゲットの動きを予測しながらほぼ100%近い成功率で追跡運動が行える。従って、ターゲットの速度と一致するF1領域の運動指令には、既知の軌道と速度で動いているターゲットを予測して追跡する予測制御の成分が主に入っていると解釈できる。一方、F2領域の高周波の運動指令はターゲットの動きとの相関はなく、予測的な制御とは無関係と考えられる。
【0056】
7.目標追跡運動の2つの成分に対する因果関係の同定
図6に示されたように、目標追跡運動における2つの成分は明らかに機能的に異なる役割を果たす。そこで、2つの成分のそれぞれについて、運動指令と手関節の動きの間に最適な近似を与えるB/K比を計算し、その結果から各成分の機能的な意義を検討した。
まず4個の筋張力とキネマティクスの各成分をF1領域(0〜0.5Hz)とF2領域(0.5〜3Hz)に分離し、運動方程式(式(1))を用いて先述の筋活動と手関節の動きの間の最適近似を行った。
F1領域とF2領域に対する最適近似の例を、それぞれ図7Aと図8Aに示す。
どちらの成分についても(図7Aと図8Aの最下段)、筋張力により手関節のトルクが高い相関で近似できていることがわかる(F1領域:R = 0.98, F2領域:R = 0.70)。F2領域の相関が若干低いが、健常被験者ではこの領域の筋活動がF1領域に比べて小さく、S/N比が劣るためと推定される。驚くべきことに、2つの運動指令成分におけるB/K比は好対照を示した。低周波のF1領域ではB/K比が高く(図7B,C)、対照的に高周波のF2領域のB/K比は非常に低い(図8B,C)。
運動方程式からBとKの意味を分析してみると、粘性係数Bが高いことは、筋活動の線形和と速度成分が高い相関を持つことを意味し、筋活動の中に速度制御の運動指令が多く含まれることを示す。一方、弾性係数Kが大きいことは、筋活動の線形和と位置成分が高い相関を持つことを意味し、筋活動の中に位置制御の運動指令が多く入っていることを示す。この解釈に基づき2つ成分のB/K比の違いを分析してみると、BとKがほぼ同じ比率であるF1領域では、筋活動が位置成分と速度成分の両方と深い関係があり、Kが優位なF2領域では、筋活動が手首の位置成分のみと深い関係があることを示す。
【実施例2】
【0057】
2つの並列運動制御器に基づいた運動機能評価
1.2つの並列運動制御器の臨床応用1 - 小脳疾患
本発明の方法は、神経疾患の混沌とした病態を、2つの運動制御器という機能的意味が明瞭なモジュールに帰着させることにより、直観的な解釈が容易な運動機能の評価ができる点に最大の利用価値がある。
例えば、健常者では、小脳の予測制御器を十分に使って運動を行えるため、フィードバック制御器は補足的に使うと予想される(図10A)が、小脳疾患では、小脳の予測制御器の障害を代償するために、運動野のフィードバック制御器を多用すると予想される(図10B)。
この予想を実際のデータで裏付けたのが図10Cである。
この図では、赤で示す予測制御の運動指令と青で示すフィードバック制御の運動指令がどのような割合で含まれるかを正常者と小脳疾患患者で比較したものである。
予想通りに、健常被験者は主に予測制御器に依存して運動を行っているが、小脳疾患では障害の重さに逆相関して予測制御の割合が減少し、代わりにフィードバック制御を多く使うことが分かった。
このように、本発明の方法を用いると、神経疾患が脳の運動制御系にどの様な影響(定性的)をどの程度(定量的)与えているかを、予測制御とフィードバック制御という、二つの運動制御器の観点から明快に分析できる。
【0058】
2.2つの並列運動制御器の臨床応用2 - 脳卒中のリハビリテーション
本発明の方法を応用し、脳卒中患者の複雑な脳内運動制御系の状態を、予測制御器とフィードバック制御器という2つの仮想的運動制御器の指標として定量化し、リハビリ可能性を評価し、また、麻痺からの回復過程を記述した。
図11Aには、ある脳卒中患者が指標追跡運動を5回繰り返し行ったときの、1回目と5回目の手関節の軌跡を示す。1回目は千々に乱れた動きの連続で意図した動きが全くできていないが、5回目には明らかな改善が見られ、数字の2の形が現れた。この軌道の改善に対応して、回を重ねるにつれて予測制御の運動指令の割合が増加し(図11C)、同時に同領域の運動指令のB/K比が上昇し、滑らかな速度制御を行う患者の意図が運動指令に現れてきていることがわかる(図11B)。この結果は、少なくとも一部の片麻痺患者の運動制御器が柔軟な学習能力を保持していることを示すものである。
【0059】
3.2つの並列制御器に基づいた運動機能評価の臨床的意義
本発明の方法により、脳内の2つの運動制御器の状態を、脳の信号を記録することなく簡便・非侵襲的に定量評価できるようになった。このような機能的評価法は従来のリハビリテーションの評価や、神経学的診断・評価法の範疇には存在しなかった。
近年、MRI等による画像診断技術の進歩により、脳内の病変の位置と広がりに関しては、ミリ単位で、小型の神経核程度の精度で評価することは今や常識である。画像的な局在診断は一つの到達点にある。ところが、病変の機能的意義を評価する方法論は、誇張でなくこの100年間大きな進歩がなかった。近年開発が進んだ運動の定量的分析法は、運動の記述を定量化しただけであり、脳内の運動制御器に関する評価は全くできなかった。本発明の方法は、脳内の運動制御器を機能的かつ定量的に評価できる唯一のシステムである。
【産業上の利用可能性】
【0060】
本発明の方法は、脳内の運動制御器を機能的かつ定量的に評価できる唯一のシステムであり、産業上極めて有用である。
【符号の説明】
【0061】
100:本発明のシステム、10:計算部、20:データベース、
101:制御部、102:送信/受信部、103:入力部、104:出力部、
105:ROM、106:RAM、107:ハードディスクドライブ、108:CD-ROMドライブ
111:インターネット回線、120:CD-ROM

【特許請求の範囲】
【請求項1】
動く目標を追跡させる運動計測装置を用いて被験者に対し目標追跡運動を行なったときに測定された、関節の主動筋の筋電図情報並びに関節の位置、速度及び加速度情報から、脳内の運動制御機能を評価するシステムであって、
(a) 前記筋電図情報の周波数、並びに前記位置、速度及び加速度情報の周波数を複数の周波数成分に分離する手段、
(b) 前記筋電図情報並びに前記位置、速度及び加速度情報を下記運動方程式(1):
【数13】

に適用して前記それぞれの周波数成分について粘性係数と弾性係数との比(B/K比)を求める手段、並びに
(c) 前記B/K比を指標として、目標追跡運動と脳内運動制御機能との因果関係を評価する手段
を含む前記システム。
【請求項2】
筋電図の大きさは、関節トルクの大きさに比例させて正規化し、当該正規化された筋電図を全波整流し、ローパスフィルターを通して求めるものである請求項1に記載のシステム。
【請求項3】
周波数成分が、低周波数成分及び高周波数成分の2つの周波数成分である請求項1に記載のシステム。
【請求項4】
2つの周波数成分の境界が0.3〜0.8Hzの範囲内の周波数である請求項3に記載のシステム。
【請求項5】
被験者が神経疾患患者である請求項1に記載のシステム。
【請求項6】
関節の主動筋が腕の筋である請求項1に記載のシステム。
【請求項7】
腕の筋が、橈側手根伸筋(ECR)、尺側手根伸筋(ECU)、尺側手根屈筋(FCU)及び橈側手根屈筋(FCR))から選ばれる少なくとも1つである請求項6に記載のシステム。
【請求項8】
動く目標を追跡させる運動計測装置を用いて被験者に対し目標追跡運動を行なったときに測定された、関節の主動筋の筋電図情報並びに関節の位置、速度及び加速度情報から、脳内の運動制御機能を評価するためのプログラムであって、コンピュータに、
(a) 前記筋電図情報の周波数、並びに前記位置、速度及び加速度情報の周波数を複数の周波数成分に分離する手段、
(b) 前記筋電図情報並びに前記位置、速度及び加速度情報を下記運動方程式(1):
【数14】

に適用して前記それぞれの周波数成分について粘性係数と弾性係数との比(B/K比)を求める手段、並びに
(c) 前記B/K比を指標として、目標追跡運動と脳内運動制御機能との因果関係を評価する手段
を実行させるための前記プログラム。
【請求項9】
請求項8に記載のプログラムを記録したコンピュータ読み取り可能な記録媒体。
【請求項10】
動く目標を追跡させる運動計測装置を用いて被験者に対し目標追跡運動を行なったときに測定された、関節の主動筋の筋電図情報並びに関節の位置、速度及び加速度情報から、脳内の運動制御機能を評価する方法であって、
(a) 前記筋電図情報の周波数、並びに前記位置、速度及び加速度情報の周波数を複数の周波数成分に分離するステップ、
(b) 前記筋電図情報並びに前記位置、速度及び加速度情報を下記運動方程式(1):
【数15】

に適用して前記それぞれの周波数成分について粘性係数と弾性係数との比(B/K比)を求めるステップ、並びに
(c) 前記B/K比を指標として、目標追跡運動と脳内運動制御機能との因果関係を評価するステップ
を含む前記方法。
【請求項11】
動く目標を追跡させる運動計測装置を用いて被験者に対し目標追跡運動を行なったときに測定された、関節の主動筋の筋電図情報並びに関節の位置、速度及び加速度情報を処理する方法であって、
(a) 前記筋電図情報の周波数、並びに前記位置、速度及び加速度情報の周波数を複数の周波数成分に分離するステップ、並びに
(b) 前記筋電図情報並びに前記位置、速度及び加速度情報を下記運動方程式(1):
【数16】

に適用して前記それぞれの周波数成分について粘性係数と弾性係数との比(B/K比)を求めるステップ、
を含む前記方法。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【図8】
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【図9】
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【図10】
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【図11】
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【図12】
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【図13】
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【図14】
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【公開番号】特開2011−177228(P2011−177228A)
【公開日】平成23年9月15日(2011.9.15)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2010−42301(P2010−42301)
【出願日】平成22年2月26日(2010.2.26)
【新規性喪失の例外の表示】特許法第30条第1項適用申請有り 第32回日本神経科学大会、日本神経科学学会、2009年9月18日
【公序良俗違反の表示】
(特許庁注:以下のものは登録商標)
1.Linux
【出願人】(591063394)財団法人 東京都医学総合研究所 (69)
【出願人】(507294188)
【Fターム(参考)】