説明

表面電気抵抗の低い有機質被覆ステンレス鋼板

【課題】 湿潤雰囲気で長期間使用した後でも表面電気抵抗が低い有機質被覆ステンレス鋼板を提供する。
【解決手段】 Cu:1.0質量%以上,Cr:9質量%以上を含み、Cuリッチ相が0.2体積%以上の割合でマトリックスに分散したステンレス鋼を基材とし、膜厚:0.05〜0.7μmのNiめっき層を脂肪酸又は脂肪酸誘導体のNi塩で覆い、露出したCuリッチ相に脂環族アミン,芳香族アミン又はアルキルイミダゾール化合物が吸着又は結合した有機皮膜を設けている。Cuリッチ相に代え、Cu/(Si+Mn)の質量比が0.5以上のCu濃化層を極表層に形成したステンレス鋼板を基材に使用することもできる。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、配線端子,リードフレーム,コネクタを始め、低い表面電気抵抗が要求される部品,部材等として好適な有機質被覆ステンレス鋼板に関する。
【背景技術】
【0002】
電気・電子機器等に組み込まれ、電気伝導線を接続するハーネス等の配線端子には、電導性の良好な銅系材料が従来から使用されている。銅系材料のなかでも、内部抵抗が小さくばね性に優れた冷間圧延材が多用されている。軟質で伸びが低い冷間圧延材は、打抜き加工で小型で精密な部品を製造する際、加工面に加わる打抜き荷重が小さく、バリも発生しにくいことからパンチ,ダイの破損や摩耗が少なく、打抜き加工に適した材料である。
【0003】
銅系材料は、電導性,加工性に優れた反面、耐食性に劣る。銅系材料から作製された電気配線端子を露出状態で使用すると、表面酸化が進行して表面電気抵抗が増加し、電気部品や電子部品の特性が変わることがある。表面酸化による表面電気抵抗の増加は、Sn,Ni等のめっきにより抑制できる。しかし、めっき工程を必要とするため製品コストが高くなり、使用環境によっては必要な耐食性を付与できない場合もある。
【0004】
そこで、電気部品や電子部品等に組み込まれる電気接点材料の中で、弱電流が流れる配線端子では接続部品の内部抵抗に起因する発熱を考慮する必要がないことから、耐食性,ばね性に優れたステンレス鋼を配線端子の基材に使用することが検討されている。本出願人も、Cuを主体とする第二相を析出させ、或いはCu濃化層をステンレス鋼の表層に形成させることにより、接点材料に要求されるレベルまで表面電気抵抗を下げたステンレス鋼を紹介した(特許文献1)。また、Cuを主体とする第二相の析出やCu濃化層の生成によって表面電気抵抗を下げたステンレス鋼板に極薄のNiめっき層を形成すると、湿潤雰囲気で長時間使用した後でも表面電気抵抗を低位に維持できるステンレス鋼板を提案した(特許文献2)。
【特許文献1】特開2001-89865号公報
【特許文献2】特願2004-235075号
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0005】
Cuを主体とする第二相を析出させたステンレス鋼やCu濃化層を鋼板表面に生成させたステンレス鋼に極薄のNiめっき層を設けると、湿潤環境や腐食性雰囲気で長期間使用した後でも表面電気抵抗が低位に維持される。低い表面電気抵抗は、標準電極電位がCuで+0.34V,Niで-0.23VのためCuに対しNiが卑な金属として働き、湿潤環境下でNiが溶出しやすいことに由来する。すなわち、Niが金属イオンとなって溶出することによりNiめっき層自体の表面酸化が抑制され、Cuリッチ相又はCu濃化層が活性状態に維持される。その結果、酸化膜の成長に起因する表面電気抵抗の上昇が抑えられ、表面電気抵抗の低減に有効なCuリッチ相又はCu濃化層の作用が持続する。
【0006】
表面電気抵抗の低位維持とNi溶出との関係から、Ni溶出の適正な制御が可能になると低表面電気抵抗が維持される期間が更に長くなることが予想される。本発明者等は、かかるNi溶出の適正な制御及び活性状態のCuリッチ相又はCu濃化層を表面電気抵抗の低位維持に利用することを前提として、Niめっき層の酸化防止処理を種々調査・検討した。その結果、Ni溶出を適度に抑制する有機質でNiめっき層を被覆し、露出したCuリッチ相又はCu濃化層に脂環族又は芳香族のアミンやアルキルイミダゾール化合物を吸着又は結合させるとき、表面電気抵抗を低位に維持できる期間が極めて長くなることを見出した。
【0007】
すなわち、本発明は、Cuリッチ相又はCu濃化層のあるステンレス鋼板の極薄Niめっき材を酸化抑制機能のある有機皮膜で被覆することにより、一層の長期間にわたって表面電気抵抗が低位に維持され、配線端子,リードフレーム,コネクタ等を始め、低表面電気抵抗が要求される部品,部材等として好適な有機質被覆ステンレス鋼板を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0008】
本発明の有機質被覆ステンレス鋼板は、Cu:1.0質量%以上,Cr:9質量%以上を含むフェライト系ステンレス鋼又はCu:1.0質量%以上,Cr:9質量%以上,Ni:5質量%以上を含むオーステナイト系ステンレス鋼を基材に使用している。
基材にはCuを主体とする第二相が0.2体積%以上の割合でマトリックスに分散しており、析出個所で不動態皮膜の生成・成長が抑えられるので基材表面にも第二相が露出する。Cu濃化層は、露点を下げた雰囲気下での光輝焼鈍や大気焼鈍,酸洗の組合せにより基材表面に形成されるが、拡散係数が成分元素ごとに異なることを考慮した成分設計や処理条件によりCu/(Si+Mn)の質量比を0.5以上に調整できる。Cuを主体とする第二相の析出及びCu濃化層の生成を並存させることも可能である。
【0009】
Cuを主体とする第二相の析出及び/又はCu濃化層の生成に加え、極薄のNiめっき層を基材表面に形成している。Niめっき層の膜厚を0.05〜0.7μmの範囲に調整することにより、Niめっき層が鋼板表面を完全に覆う連続膜でなく、多数個所で基材が露出する部分が生じ、Cuを主体とする第二相やCu濃化層がNiめっき層と共にステンレス鋼表面に共存する状態が得られる。
Niめっき層の表面は、更に脂肪酸又は脂肪酸誘導体とNiとの塩からなる薄い皮膜で覆われている。基材表面に露出したCuリッチ相又はCu濃化層は、脂環族アミン,芳香族アミン,アルキルイミダゾール化合物の一種又は二種以上が吸着又は結合した有機皮膜で覆われている。
【発明の効果】
【0010】
Cuリッチ相又はCu濃化層のある鋼板表面に極薄Niめっき層を設けたステンレス鋼板では、NiがCuとカップリング状態にあり、電位的に卑なNiはイオン化しやすい。この状態のステンレス鋼板表面を脂肪酸又は脂肪酸誘導体と接触させると、イオン化したNiと脂肪酸又は脂肪酸誘導体とが反応して塩となり、極薄く緻密な有機皮膜がNiめっき層の表面に形成される。生成した有機皮膜は、Niのイオン化(溶出)を適度に抑制し、バリア効果及び脂肪酸又は脂肪酸誘導体のアルキル基に由来する撥水効果によって酸化皮膜の成長を抑制する。
同様な有機皮膜は0.7μmを超える厚膜のNiめっき層でも生じるが、厚膜Niめっき層はステンレス鋼板表面を全面的に覆うためNiとCuのカップリング状態が弱くなり、鋼板表面におけるNiイオンの存在頻度を低下させる。そのため、Cuリッチ相又はCu濃化層の表面電気抵抗低減作用を期待できないばかりか有機皮膜の効果も弱くなる。
【0011】
Cuの変色防止や表面電気抵抗の増大を抑制する種々の有機薬剤が知られているが、Cuは非常に酸化性の強い元素であり、活性なCuが露出している表面には短時間で酸化皮膜が生成する。本発明では、脂環族アミン,芳香族アミン又は複素環をもつアルキルイミダゾール化合物をNiめっきステンレス鋼板に接触させることにより、強い撥水効果をステンレス鋼板表面に付与しCuの酸化を抑制している。
脂環族アミン,芳香族アミン,アルキルイミダゾール化合物は金属と配位結合するが、Cuリッチ相又はCu濃化層のある鋼板表面に極薄Niめっき層を設けたステンレス鋼板ではCuの酸化抑制効果が一層顕著になる。酸化抑制効果の向上は、極薄Niめっき層の共存により活性状態に維持されたCuリッチ相又はCu濃化層との反応性が高くなることに起因するものと推察される。
【0012】
酸化抑制効果は、表面電気抵抗の低減に有効なCuリッチ相又はCu濃化層の作用を持続させるNiとのカップリングと相乗し、長期にわたって表面電気抵抗を低位に維持する。因みに、NiめっきしていないCuリッチ相又はCu濃化層のあるステンレス鋼板や厚膜Niめっきしたステンレス鋼板と比較すると、湿潤環境下に長時間放置された後でも低い表面電気抵抗を示す。
Cuリッチ相又はCu濃化層が活性状態に維持されることは、はんだ性の向上にも有効である。また、低い表面電気抵抗のため、ステンレス鋼本来の優れた耐食性を活用した電波シールド材等としての展開も期待できる。
【実施の形態】
【0013】
〔基材〕
基材に使用するステンレス鋼は、0.2体積%以上でCuリッチ相が析出し、或いはCu/(Si+Mn)の質量比:0.5以上のCu濃化層が生成している限り、フェライト系,オーステナイト系の何れでも良い。
フェライト系としては、たとえばC+N:0.1質量%以下,Si:1.0質量%以下,Mn:1.0質量%以下,Cr:9.0〜25.0質量%,Cu:1.0〜3.0質量%を含むステンレス鋼がある。オーステナイト系では、C+N:0.2質量%以下,Si:1.0質量%以下,Mn:2.0質量%以下,Cr:9.0〜25.0質量%,Ni:5.0〜15.0質量%,Cu:1.0〜4.0質量%を含むステンレス鋼がある。フェライト系,オーステナイト系共に、1.0質量%以下のTi及び/又はNbを含むことができる。
【0014】
C,Nは、クロム炭化物等の形成によりCuリッチ相の析出を促進させる。しかし、過剰添加は製造性,耐食性に悪影響を及ぼすので、C+Nの上限を0.1質量%とする。
Siは、耐食性改善に有効な成分であるが、過剰添加は製造性を劣化させるので上限を1.0質量%とする。
Mnは、製造性を改善すると共に鋼中のSをMnSとして固定する作用を呈するが、過剰添加は耐食性に悪影響を及ぼすので、フェライト系では1.0質量%,オーステナイト系では2.0質量%をMn含有量の上限とする。
【0015】
Crは、ステンレス鋼の耐食性を確保する上で必須の合金成分であり、9.0質量%以上のCr含有量で効果を奏する。しかし、25.0質量%を超えるCrの過剰添加は、製造性を低下させる。
オーステナイト系ステンレス鋼では、オーステナイト相の安定化にNiが必須成分として添加されるが、Niは耐食性の改善にも有効である。5.0質量%以上でNiの添加効果がみられるが、過剰添加は鋼材コストの上昇を招くので15.0質量%をNi含有量の上限とする。
【0016】
Cuは、表面電気抵抗を低下させるCuリッチ相の析出又はCu濃化層の生成に必要な成分であり、1.0質量%以上でCuの添加効果がみられる。しかし、過剰添加は製造性,耐食性の低下を招くので、フェライト系では3.0質量%,オーステナイト系では4.0質量%をCu添加量の上限とする。
必要に応じてTi,Nbを添加することもできる。Ti,Nbは、何れも鋼中のC,Nを炭窒化物として固定し、マトリックスに固溶しているC,Nを低減し製造性,耐食性を改善する。しかし、Ti,Nbの過剰添加は、製造性を却って阻害する原因ともなるので上限を1.0質量%とする。
【0017】
Cuリッチ相:0.2体積%以上
Cuリッチ相は、フェライト系ステンレス鋼のマトリックスに均一分散し、同じ分布割合で鋼板表面にも分散している。Cuリッチ相と表面電気抵抗との関係を調査した結果、0.2体積%以上の割合でCuリッチ相が析出していると、従来のNiめっき材と同程度の表面電気抵抗が得られることが判った。
ステンレス鋼板の製造ラインにおける最終焼鈍までの工程でたとえば800℃前後で1時間以上の時効処理を施すことにより、Cuリッチ相が析出する。Cuリッチ相の析出量は、温度,時間等の熱処理条件の他に、Cuリッチ相が析出しやすい状態にステンレス鋼板を調整する圧延条件によっても制御できる。Cuリッチ相の析出に加え不動態皮膜又は基材最表層にCuが濃化していると、1Ω以下の一層低い表面電気抵抗が示される。
【0018】
Cu濃化層:Cu/(Si+Mn)≧0.5
基材の最表層又は不動態皮膜のCu濃度が上昇するほど、表面電気抵抗が低下する。従来のNiめっき材と同等の表面電気抵抗は、Si,Mnに対するCuの質量比Cu/(Si+Mn)が0.5以上となるCu濃化層の形成によって達成できる。
Cu濃化層の形成には、最終焼鈍として露点-30℃以下の雰囲気中でステンレス鋼板を光輝焼鈍する方法が採用される。焼鈍雰囲気の露点が低くなると酸化反応が抑制され、比電気抵抗の高い金属酸化物の増量が抑えられ、結果として金属Cu又はCuの酸化物が不動態皮膜又は最表層に濃化する。他方、露点が-30℃を超える焼鈍雰囲気では、Si,Mn等の酸化進行に応じて母材内部から表層へのSi,Mn等の拡散が促進され、比電気抵抗の高い金属酸化物を多量に含む不動態皮膜又は最表層が形成される。
【0019】
光輝焼鈍に代え、大気焼鈍,酸洗の組合せによっても必要なCu濃化層が形成される。ステンレス鋼板を大気焼鈍すると、Cr,Fe,Mn,Si,Cu等の酸化物を含むスケールが鋼板表面に形成されるが、酸洗によってスケールが除去された後で不動態皮膜が形成される。フッ酸-硝酸,硫酸-硝酸等の混酸を用いた酸洗では、ステンレス鋼板からCu,Cuリッチ相が優先的に溶出しないので、基材の最表層や酸洗後に生成した不動態皮膜が高Cu濃度に維持される。酸洗に使用する混酸は、酸の種類や濃度に特段の制約が加わるものではないが,一般的に濃度:10体積%程度の硫酸,フッ酸と硝酸との混酸が好ましい。
【0020】
〔Niめっき〕
Cuリッチ相及び/又はCu濃化層のあるステンレス鋼板を電気めっきすることにより、膜厚:0.05〜0.7μmのNiめっき層をステンレス鋼表面に形成する。Cuリッチ相,Cu濃化層との共存による作用・効果は、膜厚0.05μm以上のNiめっき層でみられるが、0.7μmを超える厚膜ではステンレス鋼表面に対するNiめっき層の被覆率が高くなり、Cuリッチ相,Cu濃化層の作用が損なわれ、従来のNiめっき材と同程度まで特性が劣化する。
膜厚:0.05〜0.7μmのNiめっき層は、極短時間の電気フラッシュめっきで形成できる。たとえば、陰極電流効率:15〜25%の塩化ニッケル,塩酸からなる全塩化物浴を用い、浴温:25〜40℃,電流密度:0.2〜1.5kA/m2の条件下で通電時間を変化させることにより、必要厚みのNiめっき層が形成される。
【0021】
〔有機皮膜の形成〕
脂肪酸又は脂肪酸誘導体及び脂環族アミン,芳香族アミン又はアルキルイミダゾール化合物を用いたNiめっきステンレス鋼板の表面処理は、処理方法に格段の制約が加わるものではないが、通常、脂肪酸又は脂肪酸誘導体及び脂環族アミン,芳香族アミン又はアルキルイミダゾール化合物を水,アルコール等の溶媒に溶解又は懸濁分散させた処理液が使用される。
脂肪酸又は脂肪酸誘導体には、ラウリン酸,カプリル酸,カプリン酸,パルミチン酸,ステアリン酸,オレイン酸,ヒドロキシフェニルステアリン酸等の脂肪酸や、ラウロイルザルコシン酸,オレインザルコシン酸等のアルキルアミノ酸に代表される脂肪酸誘導体のカルボン酸がある。なかでも、炭素数:5〜30の脂肪酸,脂肪酸誘導体のカルボン酸が好ましい。
【0022】
脂環族又は芳香族アミンには、ジフェニルアミン,モノフェニルアミン,メチルフェニルアミン,エチルフェニルアミン,n-ブチルフェニルアミン,ジシクロヘキシルアミン,モノシクロヘキシルアミン,n-メチルシクロヘキシルアミン,ブチルシクロヘキシルアミン,ジシクロヘキシルアミノエタノール,モノフェニルアミノエタノール等がある。
アルキルイミダゾール化合物としては、1,2,3-ベンゾトリアゾール,5-メチル-1Hベンゾトリアゾール,ベンズイミダゾール,ピロール,2-フェニルイミダゾール,2,4-ジフェニルイミダゾール等が挙げられる。
【0023】
脂肪酸又は脂肪酸誘導体及び脂環族アミン,芳香族アミン又はアルキルイミダゾール化合物による処理液の調合方法に格段の制約はなく、各種化合物を水、アルコール等の溶媒に溶解又は懸濁分散させて使用する。分散性を向上させるため、界面活性剤を添加しても良い。
脂肪酸又は脂肪酸誘導体及び脂環族アミン,芳香族アミン又はアルキルイミダゾール化合物の濃度は、特段に制約されるものでなく塗布方法に応じて適宜定められるが、好ましくは0.1〜3.0モル/lを目安にそれぞれの化合物濃度を定める。0.1モル/l未満の濃度では膜形成速度が極端に低下するので好ましくないが、3.0モル/l以上含有させても増量に見合った効果を期待できない。
【0024】
Niめっきステンレス鋼板に、浸漬法,ロールコータ,スプレー等の一般的方法で処理液が塗布される。処理液塗布後、必要に応じてステンレス鋼板が水洗又は湯洗される。処理液は、10〜80℃の温度域で使用することが好ましい。処理液温度が10℃未満になると有機皮膜が均一に生成しなくなり、逆に80℃を超える高温では化合物の熱分解,溶媒の蒸発等によって濃度変化が生じやすくなる。
【0025】
Niめっき層やCuリッチ相又はCu濃化層の上に有機皮膜が生成するが、基本的には配位結合や水素結合により単分子吸着層が形成しておれば良い。単分子吸着層はフーリエ変換赤外分光光度計(FT-IR)でも測定できないが、飛行時間型二次イオン質量分析計(TOS-SIMS)で吸着化合物を分析でき、吸着化合物に由来すると考えられるフラグメントイオン種が試料表面から検出される。たとえば、アルキルイミダゾール化合物である1,2,3-ベンゾトリアゾールでは、m/z=118643が検出される。これらのフラグメントイオン種のスペクトル強度から、試料表面に存在する単分子吸着層を相対比較できるが定量までに至らない。
【実施例】
【0026】
表1の組成をもつオーステナイト系ステンレス鋼A1,A2及びフェライト系ステンレス鋼F1,F2を基材に使用した。最終焼鈍に先立って各ステンレス鋼板に800℃×24時間の析出処理を施し、Cuリッチ相を析出させた。なお、Cuリッチ相の析出量は、最終焼鈍後のステンレス鋼板から採取された試験片を電解研磨し、透過型電子顕微鏡で金属組織を観察してマトリックスに析出しているCuリッチ相の割合から求めた。
【0027】

【0028】
Cuリッチ相を析出させたステンレス鋼板を全塩化物浴に浸漬し、表2の条件下でNiフラッシュめっきした。比較のため、Cuリッチ相の析出がないSUS304,SUS430ステンレス鋼を同じ条件下でNiフラッシュめっきした。ステンレス鋼表面に形成されるNiめっき層の膜厚は、めっき時間によって0.02〜0.7μmの範囲で調整した。

【0029】
Niめっきしたステンレス鋼板を、表3の処理液に30秒浸漬することにより酸化防止処理した。

【0030】
基材に用いたステンレス鋼板の種類をNiめっき層の膜厚,酸化防止処理の有無と共に表4に示す。

【0031】
酸化防止処理した各Niめっきステンレス鋼板から試験片を切り出し、鋼板表面に生成した有機皮膜及び表面電気抵抗を測定すると共にはんだ性試験した。
〔有機皮膜の測定〕
酸化防止処理後のNiめっきステンレス鋼板及び酸化防止処理していないNiめっきステンレス鋼板を飛行時間型二次イオン質量分析計(TOF-SIMS)で分析し、試料表面に存在する有機皮膜の量を相対比較した。測定条件を表5に示す。
【0032】

【0033】
Niめっき層のある個所とCuリッチ相が分散又はCu濃化層が形成されステンレス鋼が露出している個所を分別して有機皮膜の量を測定することはできなかったが、それぞれの有機皮膜の生成状態は次のように推察される。
Cuリッチ相が分散又はCu濃化層が形成したステンレス鋼に極薄Niめっき層を形成させた場合、NiとCuはカップリング状態にあり、電位的に卑なNiはイオン化されやすく脂肪酸又は脂肪酸誘導体を含む溶液に接触するだけでNiめっき層の表面に脂肪酸又は脂肪酸誘導体との塩からなる皮膜が形成される。一方、Niめっき層が存在せずにCuリッチ相が分散し或いはCu濃化層が形成されてステンレス鋼が露出している表面部分では、NiとCuのイオン化傾向の差によりCuリッチ相やCu濃化層が活性状態に維持され、脂環族アミン,芳香族アミン又はアルキルイミダゾール化合物のCuリッチ相,Cu濃化層への吸着反応性が高くなっている。
【0034】
〔表面電気抵抗〕
酸化防止処理直後の試験片に純金製の対極及び測定端子を接触させ、測定端子に100gの荷重を負荷した状態で表面電気抵抗(初期値)を測定した。また、試験片を60℃,93%RHの雰囲気に120日間放置した後、同じ条件下で表面電気抵抗(劣化試験後の表面電気抵抗)を測定した。
劣化試験後の表面電気抵抗は、表6の調査結果にみられるように、Cuリッチ相が析出しているステンレス鋼に膜厚:0.05〜0.7μmのNiめっき層を形成した試験片では、初期値とほぼ同じ値であり、表面電気抵抗の上昇が抑えられていることが判る。
【0035】
これに対し、Niめっき層が薄すぎるステンレス鋼板を酸化防止処理した試験No.7,11では、劣化試験後の表面電気抵抗が大幅に上昇していた。Cuリッチ相の析出がないSUS304,SUS430ステンレス鋼に膜厚:0.05〜0.7μmのNiめっき層を形成した試験No.1〜6では、酸化防止処理の有無に拘わらず劣化試験後の表面電気抵抗が大幅に上昇していた。
この対比から、Cuリッチ相が0.2体積%以上析出したステンレス鋼を基材とし、膜厚:0.05〜0.7μmのNiめっき層を形成し、更に脂肪酸又は脂肪酸誘導体及び脂環族アミン,芳香族アミン又はアルキルイミダゾール化合物を含む有機皮膜を形成することにより、湿潤雰囲気に曝されても表面電気抵抗の上昇が抑えられることが確認できる。
【0036】
Cuリッチ相の析出に代え、Cu/(Si+Mn)の質量比:0.5以上のCu濃化層を形成した場合でも、同様に膜厚:0.05〜0.7μmのNiめっき層を形成し、更に脂肪酸又は脂肪酸誘導体及び脂環族アミン,芳香族アミン又はアルキルイミダゾール化合物を含む処理液で酸化防止処理すると表面電気抵抗の上昇が抑えられた。実際、Cu/(Si+Mn)の質量比:0.7で表層にCuが濃化したステンレス鋼に膜厚:0.7μmのNiめっき層、更にNiめっき層の上に有機皮膜を形成した試料をGDS分析したところ、Cu濃化層とNiめっき層の共存状態が確認され、長期にわたって表面電気抵抗の上昇抑制に有効な表面状態であった。
【0037】
〔はんだ性〕
酸化防止処理後のNiめっきステンレス鋼板を10mm×40mmの短冊状試験片に裁断した。短辺側に50質量%ロジンメタノールフラックスを塗布した後、浴温:250℃のはんだ浴(Ag:3.5質量%,Cu:0.75質量%,Sn:残部)に浸漬速度:2mm/秒で短辺側2mmを浸漬し、応力値が0になるまでの時間(ゼロクロスタイム)を測定した(ゼロクロスタイムの初期値)。また、短冊状試験片を三ヶ月間屋内暴露した後、同じ条件下でゼロクロスタイム(劣化試験後のゼロクロスタイム)を測定した。
【0038】
表6の測定結果にみられるように、膜厚:0.05〜0.7μmのNiめっき層を設けたステンレス鋼板を酸化防止処理した試験No.13〜22では、劣化試験後のゼロクロスタイムが約5秒であり、初期値からの大幅な劣化が抑えられていた。
他方、Cuリッチ相が析出しているステンレス鋼板に膜厚:0.02μmのNiめっき層を形成した後で酸化防止処理した試験No.7,11では、劣化試験後のゼロクロスタイムが約7秒であった。Cuリッチ相の析出がないSUS304,SUS430ステンレス鋼板に膜厚:0.05〜0.7μmのNiめっき層を形成した試験No.1〜6では、酸化防止処理の有無に拘わらず、劣化試験後のゼロクロスタイムが約7秒であった。
【0039】
この対比から、Cuリッチ相が0.2体積%以上析出したステンレス鋼板に膜厚:0.05〜0.7μmのNiめっき層を設け、更に脂肪酸又は脂肪酸誘導体及び脂環族アミン,芳香族アミン又はアルキルイミダゾール化合物を含む有機皮膜で酸化防止処理することにより、長期間経過した後でも良好なはんだ性が維持されることが判る。
Cuリッチ相の析出に代え、Cu/(Si+Mn)の質量比:0.5以上のCu濃化層を形成したステンレス鋼板を基材に使用する場合でも、同様に膜厚:0.05〜0.7μmのNiめっき層を設け、更に脂肪酸又は脂肪酸誘導体及び脂環族アミン,芳香族アミン又はアルキルイミダゾール化合物を含む処理液で酸化防止処理するとき、長期にわたって良好なはんだ性が維持されていることを確認できた。
【0040】

【産業上の利用可能性】
【0041】
以上に説明したように、本発明の有機質被覆ステンレス鋼板は、Cuリッチ相が析出したステンレス鋼やCu濃化層が極表層にあるステンレス鋼を基材とし、膜厚:0.05〜0.7μmのNiめっき層を脂肪酸又は脂肪酸誘導体とNiとの塩から生じた薄膜で被覆し、露出したCuリッチ相又はCu濃化層に脂環族アミン,芳香族アミン又はアルキルイミダゾール化合物を吸着又は結合させた有機皮膜で覆っているので、湿潤雰囲気においても長期にわたり表面電気抵抗が低く良好なはんだ性を維持する。しかも、耐食性,強度に優れたステンレス鋼を基材としているので、電気・電子機器用接点材料を始め、低接触抵抗が要求される広汎な用途に適した材料となる。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
Cu:1.0質量%以上,Cr:9質量%以上を含み、Cuを主体とする第二相が0.2体積%以上の割合でマトリックスに分散したステンレス鋼を基材とし、膜厚:0.05〜0.7μmのNiめっき層が基材表面に形成され、脂肪酸又は脂肪酸誘導体とNiとの塩が薄い皮膜となってNiめっき層の表面を覆い、基材表面に露出したCuを主体とする第二相に脂環族アミン,芳香族アミン,アルキルイミダゾール化合物の一種又は二種以上が結合した有機皮膜が設けられていることを特徴とする表面電気抵抗の低い有機質被覆ステンレス鋼板。
【請求項2】
Cu:1.0質量%以上,Cr:9質量%以上,Ni:5質量%以上を含むステンレス鋼を基材とし、基材の最表層がCu/(Si+Mn)の質量比が0.5以上のCu濃化層になっており、膜厚:0.05〜0.7μmのNiめっき層が基材表面に形成され、脂肪酸又は脂肪酸誘導体とNiとの塩が薄い皮膜となってNiめっき層の表面を覆い、基材表面のCu濃化層に脂環族アミン,芳香族アミン,アルキルイミダゾール化合物の一種又は二種以上が結合した有機皮膜が設けられていることを特徴とする表面電気抵抗の低い有機質被覆ステンレス鋼板。

【公開番号】特開2006−249476(P2006−249476A)
【公開日】平成18年9月21日(2006.9.21)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2005−65378(P2005−65378)
【出願日】平成17年3月9日(2005.3.9)
【出願人】(000004581)日新製鋼株式会社 (1,178)
【Fターム(参考)】